みどりの緑陰日記

香港で始めたプレイルームどんぐりから数えて28年、子ども達に絵本や児童書を手渡し続けてきました。保育士養成の場で仕事をしたこともありますが、今は図書館にかかわる仕事をしています。絵本や児童書のこと、文庫活動のことなどを綴っています♪

2018年09月

JBBYノンフィクションの子どもの本を考える会

9月11日(火) 18:00〜 @ポプラ社

この日はまさに2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロから17年目でした。

同時多発テロを端緒に当時のアメリカ大統領ブッシュは、アフガニスタン侵攻とイラク攻撃に踏み切り、その後の世界情勢を大きく変化させました。(Wikipedia記事→こちら

そのイラク戦争に同行した戦場カメラマン・高橋邦典さんがイラク国内で戦うアメリカ兵や、その戦闘に巻き込まれた市民たちの姿を撮影した写真絵本が『僕の見た戦争―2003年イラク』(ポプラ社)です。

ぼくの見た戦争―2003年イラク
高橋 邦典
ポプラ社
2003-12-01





まだ若いアメリカ軍兵士たちが、アメリカに残してきた家族や恋人を想いながら、淡々と仕事として従軍していること、しかし一たび戦闘の火ぶたが切られれば、殺し、殺され、そこには目も覆いたくなるような凄惨な戦場と化すことを、隠すことなく被写体にしており、そのギャップに目を奪われます。

これまでの児童向けの写真絵本にはなかった、攻撃されて首がもげた兵士や、手のちぎれてしまった少女など生々しい写真がぼやかしもせず、ありのまま掲載されています。


それが戦闘なのだ、それが戦争をすることなどだ、どんな大義名分があったとしても、実際の戦争は家族もある人間同士が殺し合いをすることなのだ、撃たれれば血を吹き出しながら倒れるしかないのだということを突き付けて来ます。

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今回のJBBYノンフィクションの子どもの本を考える会では、ポプラ社でこの本を担当した編集者の方から、高橋さんとのやり取りの経緯や、葛藤、そしてその写真のまま子どもに届けることにした覚悟などが、具体的に聞くことができる貴重な機会でした。


また、これまでは通例とされた死体の写真は子どもには見せないという考えを捨て、世に問うた背景に当時の社長の柔軟な判断があったことも知ることができました。そしてイラク戦争が開戦されたその年の暮れに出版されたのです。

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その上、たまたま2004年新年の朝日新聞紙上に全面広告をうつチャンスが訪れたことが、この写真絵本をまっすぐに世に問うこととなり、異例の反響の高さへと繋がり、2003年に出版された絵本の中から選ばれる2003年日本絵本大賞を受賞することになるのです。


全面広告のキャッチコピーは「子どもに見せられないことを、大人たちがやっている。」でした。

亡くなったアメリカ兵のそばで泣き崩れる同僚の姿。そうなった原因について、子どもにどこまで正直に話せるのか、そこを真摯に問うてきたのです。すごいな、とこの本を出版する覚悟を感じました。


残念なことにこの時期、海外に駐在中でこの新聞広告をリアルタイムで目にするチャンスはありませんでした。今回の会で保存されていた新聞を回していただき、手にすることができました。

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別の日の新聞広告には、「戦争をやっているのは、大人たちです。」というキャッチコピーも。

こちらは捕虜として捕らえられたイラクの若者が後ろ手に縛られ、無抵抗なまま、ライフル銃を突きつけられています。


子どもたちはだれも殺し、殺されたくない。尊い生命をもった存在であるはずなのに、いつの間にかゲームの世界で殺人ゲームに興じ、ほんとうの戦争もそうしたバーチャルな感覚で、相手を打つしかなくなる。相手を殺さなかったら、自分が殺されるという極限状態に追い込まれてしまう。理性を失い、残酷なことが平気で出来てしまう。そのように短期間で作り変えられてしまうのです。その恐ろしさを、子どもに伝える、いや子どものうちに伝えるために、隠し立ては必要がないのだという覚悟は、まっすぐこちらを射抜いてくるように感じました。


ノンフィクションの子どもの本の役割とはなんだろうと考える時、それは彼らが生きていく未来に希望を与えること、今が辛い時代であってもその先に一縷の望みを抱くことが出来るようなそんな生き様や情報を伝えることなんだと思います。


この写真絵本は、そういう意味で最後のほうで、戦闘に巻き込まれてしまったイラクの一般市民の、それでもカメラを向けられておどけた笑顔を見せる少年の姿に救いがあると感じました。


未来を形作っていくのは、子どもたちなのですから・・・


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ところで、7月に参加した教文館ナルニア国の清水眞砂子さんの講演で知った乙骨淑子さんの『ぴいちゃぁしゃん―ある少年兵のたたかい』(挿絵/滝平二郎 理論社 1975)を図書館で借りて読みました。


その後、絵本評論家でJBBY理事の広松由希子さんのお父様が亡くなられたという知らせに、数年前に購入して途中まで読んでいた広松さんのお父上、徳永徹さんが書かれた『少年たちの戦争』(岩波書店 2015)も読みました。

少年たちの戦争
徳永 徹
岩波書店
2015-02-26


乙骨さんの『ぴいちゃあしゃん』は、昭和19年秋にお国のために中国に従軍し、日本の利益を害する蛮族(中国の人々)を打ち負かすぞと決意して行った少年兵の物語です。山梨の山奥に育った主人公隆は、中学を出てすぐに16歳で少年兵となり、通信兵として山深い軍の前線に送り込まれます。しかも兵舎に空きがないからと、日本軍に協力する裕福な中国人の家の離れに下宿することになるのです。そこで同じ年頃のイェン・ユイと出会います。

ユイたちと心を通わすうちに、この戦いが聖戦などではなく、中国の奥地で質素に生活する庶民から何もかも奪い取ってしまうことだと気付いていきます。


「ぴいちゃあしゃん」とは、隆が、故郷山梨でよく登ったみずかき山に似た山の名前です。親しくなったイェン・ユイといつか一緒に登ろうと約束をするのですが、その前に反日運動が起き、彼らは敵味方に分かれて対峙することになってしまうのです。


少年兵の視点で、軍の上層部による不正や、同じ人間同士が殺し合いをするという戦争の不条理を静謐な筆致で描いていて、清水眞砂子さんがこの作品を取り上げられた意味が少しわかったような気がしました。一方の視点だけでなく、少し引いたところから、日本の大陸侵略戦争の矛盾などが描かれていて、戦後に出版された子ども向けの戦争文学が加害の歴史を棚上げして空襲や原爆の被害をことさら強調して描いているものとは、一線を画す作品になっています。

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一方で徳永さんの『少年たちの戦争』は、昭和2年に長崎で生まれ育った徳永さんと同級生の少年たちの戦前・戦中・戦後を、綿密に記録された日記や書簡、小学校の同窓生が担任の先生を中心に毎年出し続けたガリ版刷りのクラス会誌など詳細な資料をもとにした記録です。




まえがきのこの言葉がとても印象的でした。「戦争体験は、その人が生まれた年が一年違うだけで大きく違います。この昭和に年生まれの「少年たち」は、大正育ちの先輩たちが抱いたような戦争への批判や懐疑を知らず、また戦後育ちの人たちのように政治や社会を批判する自由も知らず、国の命運を賭した戦争のただ中で、最後は必ず勝利すると信じ、本気で死を覚悟し、それが正しいと納得して死にたいと願い、一日一日を彼らなりに必死の思いで戦ったのでした。」


徳永さんたちが中学二年の時(昭和16年、1941年)に国家総動員法が改正され、12月8日に真珠湾攻撃で大東亜戦争の開戦となります。中学のクラブ活動「学友会」は「報国団」と名称を変えて軍事色が強くものになるのですが、その年の『長中(長崎中学校)報国団誌』には、徳永さんとその親友、田吉さん、相川さんが書いた文章が引用されています。

「昭和十六年十二月八日、此の日は吾等にとって忘れることのできない日、即ち対米英戦の始まった日である。(中略)宣戦の大詔下るや、我が忠勇なる皇軍は海に空に陸に、電撃的にその戦果を挙げつつある。戦う以上勝たねばならぬ。否、ただ勝つ勝つと行っていたのでは何もならぬ。勝たせねばならぬ。その為には国民がその持場々々で頑張るのだ。吾等学徒は教育に関する勅語、青少年学徒に賜りたる直後の聖旨を奉体し、その本分たる勉学に精を出し、大いに心身を鍛錬して、何時でも第一線に立てるようにしておかねばならぬ。もう今の情勢においては、「吾等は明日の日本を背負って立つものなり」の言は不適である。吾等は既に今、このまま日本は背負っているのである。」(田吉正英)p31

「昭和十六年十二月八日、此の年、此の月、此の日こそは、我々大和民族の忘れんとして忘れることのできない月日である。即ち大日本帝国が世界にその強大を誇る米英両国に対して、宣戦を布告した日なのである。我が大日本帝国は、従来米英の我が国に対しての無礼な、傲慢な態度に穏忍自重し、世界平和の確立に努めてきたのであるが、最近になってその態度ますます横暴となり、あくまで蒋介石政権に対する物資の援助、東洋征服のための東洋に対する戦備、また米国の不法な予告なしの通商条約の破棄等に依って、遂に我が国は堪忍袋の緒を切ったのである。
 我々学徒は此の重大事局に際して、第二国民として確固たる決心覚悟を定め、以て国家の方針に沿わねばならない。忠勇なる皇軍は戦争始まって僅か数日にして、米英両国の極東艦隊を撃滅、米の海軍基地グアムを占領、太平洋ハワイ、マレー、香港においても、大いなる戦果を収めている。我々は大いに喜ぶべきであるが、ただ無暗に喜んでいてはいけない。同時に皇軍将士の困苦を偲んで十分なる感謝と敬意を払い、武運の長久を祈らねばならない。世界の平和を乱し、そして自分のみの楽土を造るのに忙しい米英両国が、世界人類の幸福と平和を築こうとする正義の大日本帝国と太刀打ち出来る所でない。我が国は神国である。神々の御守護のある国である。(後略)」(相川賢太郎)p32

「(前略)それから早くももう一週間になります。その間に皇軍のすばらしい戦果が次々に発表されました。学校でも家でもいろいろ話を聞きました。この戦争の意義がいよいよ重大に思われてきました。蒋政権を相手に干戈をとってから早くも五年目が暮れようとしています。何故こんなに長く続くのでしょう。それはただ米英が蒋政権の後押しをして来たからです。米英は平和の仮面をかぶり弱国保護の美名に隠れて、世界制覇の非望を逞しくしてきました。そのため、東亜においては、支那大陸に屍の山を築き血潮の川を流しました。(中略)私達の本当の敵は支那ではありません。米英です。米英の手から支那を救い、人類に正しい秩序を立てることです。私たちは中学生です。陛下は重ねて「汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ」と仰せられました。私はその汝のひとりであります。しかし卒業して社会に出、兵営の門をくぐってから私たちの忠義が始まるのではありません。今はひとりのもののふでなければなりません。(後略)」(徳永徹)p34


14歳の中学生の書く文章がこんなにも立派だったということにまず驚きですが、もうすでに各人が臣民として、国と一緒に戦うのだという決意をしていたことに、刮目したいと思います。


後に戦果思わしくなく、日々物資、食糧も無くなり、食べ盛りの少年たちがひもじい思いをしているにもかかわらず、それでも神国日本が米英に負けるわけがない、本土決戦になったら真っ先に戦うのだと、日記に綴っています。

いよいよ敗戦が濃くなってきた昭和20年(1945年)6月の日記には、「阿部次郎が『人格主義』の中で、「理想主義とは、それが一度理想として確立するや、これに現実を命令し、支配する権威を与えて、この理想を生活原理としようとする情熱である。この意味において理想主義生活は戦いの生活である」と言っている。私はこの理想主義に共鳴する。しかし私が理想とするところは何であろうか。そのために死ぬことさえできる理想とは何であろうか。現在において、私の目指すところは、自我の完成にあると思う。自我とは決して利己の意味ではなく、私は「自己の完成」に、私独自の定義を下している。私は、自己を完成させる順序として、次の順序があるのでは、と考える。「尊皇(愛国)―道義―人倫―家族―真理―慈愛―芸術(宗教)」この序列の上ほど価値が大きいと考える。(後略)」と記されている。


天皇陛下のために命を落とすことを厭わなかった年若い特攻隊のことなど、見聞きする時に、戦後生まれの私には理解できないことが多くあったのですが、このようにその時代の価値観にどっぷり漬かって教育を受けると、こんな風な考え方をするようになるのだと、ある意味襟を正して正座して読んだ本でした。徳永さんは、その後熊本の五高に飛び級で進学し、寮生活の中で結核性の湿性肋膜炎にかかって闘病をし、兵役につくことなく終戦を迎える。しかし長崎は原爆が落とされ、親友の田吉さんをはじめ、同級生を亡くしてしまいます。

戦後は九州大学医学部に進み、東京の国立予防衛生研究所で所長もつとめられた徳永さんは、クリスチャンになられ、予防衛生研究所引退後に福岡女学院に院長、理事長、新設看護大学長を務めて84歳で引退。そして今年9月にお亡くなりになっています。



徳永さんのこの回想録は、帯に桐野夏生さんが「少年でありながら死を覚悟し、その死が正しいと納得したい日々が淡々と綴られる。この記録は戦争の異常さを伝える第一級の資料である。」と言葉を寄せているが、ほんとうに多くの人に読んでほしいと思います。


『ぴいちゃあしゃん』の主人公も、まさに徳永さんと同じように、国のため、天皇陛下のために戦おうと中国に意気揚々と送り込まれます。しかし実際にそこに住む人々の生活を見ると、自分の貧しい出身地山梨の山間部での生活を思い起こし、中国の山間部で懸命に生きている人々を武力で抑え込み、その地を奪い取ってしまう戦争に大義はないのではと、煩悶するのです。



引用が長くなりました。『ぼくの見た戦争』で、あどけないアメリカ兵が仕事だと割り切って従軍する姿が一転、作戦を実行するために緊張を強いられ、実際に戦闘が始まれば仲間も撃たれて死ぬのに直面する、戦場の現状を子どもに隠すことなく提示する姿勢は、戦争にリアリティを持てない世代に真実を伝える尊い仕事だと感じました。


今、若い世代ではサバゲ―(サバイバルゲーム)が人気なんだそうです。(うちの長男も友人たちと行ってハマったと言っています)いわく、迷彩服に身を包み、防弾チョッキを着込み、限りなく実物に近い形と重さのモデルガンにビービー弾を詰めて撃ち合い、点を競う、完全なるリクリエーション。チームでのやり終わるとすっきりするらしいのです。


疑似戦争体験では、人は死なない。でもそこに参加する人たちの中には、ガチで実戦してみたいと願う人もいて、プロの戦闘員(傭兵)として海外の戦場に行く人もいるというのです。母親としては、我が子を戦場に送り出すことは想像したくもないことだったので、そういう事実はショッキングでもありました。


そうは言っても、実際の戦場でいわゆるあちこちにモノのように転がる屍を踏み越えていくことに、イラク戦争に派遣されたあと心が病んでしまいPTSD(心的外傷後ストレス障害)を負う人が多いことも事実です。


だからこそ、もっと子どものうちから真実を伝えることを止めてはいけないと思います。ただし、こうしたノンフィクションの本は、心のケアができるように信頼できる大人と一緒に読むことも大事かなとも思います。また、あまり年齢の低い子にはショックが大きいでしょう。ある程度大人の社会に対して懐疑的、批判的にみることが出来るようになる小学校高学年から中高生が対象になるでしょう。

武器商人はお金になる、そのお金を利用しようとする権力者もいる、そうした社会のゆがみは、アメリカで銃乱射事件が起きるたびに高校生たちが銃規制を叫んでデモをするのに、政治は無視し続ける現実からも見えてきます。「戦争をやっているのは大人です」その事実を真正面から見つめることから、始めなければならないと思った、勉強会でした。

大型紙芝居ライブを見に・・・

9月10日(月) 19:00〜 @池袋あうるすぽっとホール

この日、ランチタイムに図書館司書をしている友人からメッセージが!この日の夜に行われる諸橋精光さんの大型紙芝居公演に誘っていた人が行けなくなったので、代わりに行きませんかと・・・

14日に新しい科目の研修を担当するので、一瞬躊躇してたのですが、なかなかこんな機会はないかもと思い切って行くことにしました。

仕事が終わるのは18時半。退勤登録して出かけたとしても、会場に到着できるのは19時ギリギリ。チケットの受け取りができないので、先に受付してもらって、名前を言うだけで通してもらうことに。IMG_2545

秋雨が降り出した夕刻、駅へも思った以上に時間がかかり、池袋で丸ノ内線から有楽町線に乗り換える時も、ギリギリのところで電車を逃してしまったり・・・と、会場に滑り込んだ時は19時10分過ぎでした。


諸橋精光さんは新潟のお寺の住職(千手観音 千藏院→こちら)。童心社から紙芝居も出されています。今回は初の手作り大型紙芝居ライブとのこと。どんな感じなのか、わくわくしながら会場へ入りました。

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手作りの大型紙芝居を、ギターのBGM、鉦や太鼓、銅鑼などの効果音で盛り上げながら、演者が声の表情たっぷりに演じていきます。
(←舞台の画像は終了後、会場が明るくなってから撮影しました)




この紙芝居、130僉90僂如△靴も紙の素材は段ボール紙。迫力が違っていました。紙芝居ってほんとうに芝居だなぁと思いました。思った以上に見応えがあり、仕事を切り上げて駆けつけてよかったと思いました。

この日の演目は、『茂吉のねこ』、『月夜とめがね』、『注文の多い料理店』、『クモの糸』、『もちもちの木』の5作品でした。(当日の案内状PDFは→こちら
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終了後、会場の外では諸橋さんのギャラリートークもありました。




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『茂吉のねこ』に出てくる妖怪たちのオブジェもありました。
諸橋精光さんが出された絵本を購入してサインもしていただきました。

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一緒に行った友人たちと写真の撮りっこ^^




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外は雨脚ますます強くなってきていましたが、友人の案内で南池袋公園の中のRACINES FARM to PARKへ。晴れていれば芝生広場に面した素敵なカフェなんどそうです。そこで一杯だけ飲んで帰りました。



わらべうた講座→かたりba絵本会→クレヨンハウス

9月8日(土) 10:00〜12:00 @N区H図書館IMG_2496
【わらべうた講座】


土曜日の午前中は図書館でのわらべうた講座です。

10時からは0歳〜1歳児とそのパパ、ママたち 10組

11時からは1歳半以上の歩けるようになったお子さんとそのパパ、ママたち 10組


IMG_2495子育ての中にデジタルなものがどんどん入ってきている今日。


スマホのアプリはお出かけの時などには便利ですよね。でもやっぱり人は人の反応があって、そして相互のコミュニケーションがあって育っていきます。

特に0歳〜5歳までは、どれだけ心を通じた言葉かけが大切か、それによってその後の子ども達の精神面、学力面での発達にも影響を及ぼすことが、脳科学の分野でもわかってきています。


たとえばね・・・こんな本にもそんなことが書かれています。

赤ちゃんへの語り掛けに一番優しくて、楽しいのがわらべうた。

古の昔から、人々が子どもをあやしたり寝かしつける時に歌って、自然発生的に口伝えで伝わってきたもの。子どもたちが安心して保護者に身体を預けて遊べるのです。もっともっと多くの人にわらべうたの良さを知ってほしいなと、思って活動しています♪


9月8日(土) 13:00〜15:00 @Colvo7あーちゃんハウス
【かたりba絵本会】


この日は終了後、すぐに大江戸線で一駅乗って、Colvo7あーちゃんハウスへ。


残暑厳しい日でしたが、今回のかたりba絵本会中秋の名月を待ち望む「月の絵本」がテーマでした。

私が持参したのは・・・
お月さまのこよみ絵本
千葉 望
理論社
2016-08-20





月の満ちかけ絵本
大枝 史郎
あすなろ書房
2012-09-13





上の3冊は紹介だけにして、読んだのは『つきのぼうや』(イブ・スパング・オルセン 福音館書店)でした。

つきのぼうや (世界傑作絵本シリーズ)
イブ・スパング・オルセン
福音館書店
1975-10-20





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あーちゃんが紹介してくれたのは『かぜをひいたおつきさま』(レオニート・チシコフ 濱野わか菜/訳 徳間書店 2014)



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ハリーさんは小さい子向け絵本の王道『おつきさまこんばんは』(林明子 福音館書店 1986)



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Kさんは2005年の月刊こどものとも10月号『チョウスケとおつきさま』(劉郷英/張治清 福音館書店)を紹介してくださいました。



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Oさんは『おつきさまってどんなあじ』(マイケル・グレイエニツ 泉千穂子/訳 セーラー出版 1995)を読みました。

この絵本、読んでもらうとすごく心地よかったです。


そしてそしてこの日のおやつは、お月見ケーキ。
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うさぎの耳はホワイトチョコレート。月見だんごに見えるのは梨。マンゴームースと葡萄があしらわれた素敵なケーキでした。


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みんなが持ち寄った月の絵本、勢ぞろい。






9月8日(土) 16:00〜17:30 @クレヨンハウスIMG_2511
クレヨンハウス子どもの本の学校】28期5回 ヨシタケシンスケさん







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鈴木のりたけさんのお話のテーマは「おもしろがると世界は広がる」


JR職員だった鈴木さんが絵本作家になったきっかけも「おもしろがる」ことというお話でした。


今回は、鈴木さんがお子さんと一緒に紙に絵の具を流したり、飛ばして着色したものをカード状に切って、参加者に配布し、それが何に見えるか発表するワークショップもありました。常識や既成概念に囚われず、自由に発想することの面白さを伝えてくださいました。

まさに、「おもしろがる」ことが、世界を広げてくれることを実感しました。


(以前、ジュンク堂池袋でお話を伺った時の記事→こちら 2013/11/21)



残暑厳しい一日でしたが、朝からずっと出ずっぱりでしたから、帰宅して冷えたビールの美味しかったこと

さっちゃん 阪田寛夫さんのこと

9月5日(水) 18:00〜 @教文館ナルニア国




「サッちゃんはね さちこっていうんだ ほんとはね・・・」童謡サッちゃんを作詞した阪田寛夫さんの娘さんが父について書いたエッセー『枕詞はサッちゃんー照れやな詩人、父・阪田寛夫の人生』出版記念のトークを聞いてきました。IMG_2486


阪田寛夫さんは大正14年大阪生まれ。ご両親が熱心なクリスチャン。実は夫の母が阪田寛夫さんの同級生で、しかも夫の母の両親と阪田さんのご両親も同じ教会のメンバーだったらしく、私は結婚して夫の両親と同居していたころ(海外転勤で結局1年半の同居だったけれど)何度も何度もその話を聞かされていました。といっても、ご一緒していたのはほんの幼少期のことで、義母の兄の子分となって教会学校でいたずらをしていた話だったり、そんな他愛のない思い出話でした。


そんなわけで勝手に親しみを感じていて、ナルニア国でこのトークイベントの案内が出されたときに、即座に申し込みました。


お嬢様である作者の内藤啓子さんには、そんな父上の幼少期のことは知る由もないことですが、それでもお話の中に大阪の教会のことなども出てきていました。


一番印象に残ったのは、阪田寛夫さんご一家が鷺宮住宅に住んでいらしたということ。うちから自転車で5分ほどのところにある団地です。今はその一角だけ昭和な雰囲気を残すレトロな場所になっています。

戦後の復興期にはとてもモダンな団地で、ここには作家の阿川弘之さんご一家も住んでいらして、阿川佐和子さんのエッセーやお話にも何度か出てきてます。そして内藤さんはもちろん佐和子さんとも親しくしていらしたこともエッセーでわかりました。(鷺宮住宅で検索していたらこんなdeepなサイトが→こちら


この作品、第66回日本エッセイスト・クラブ賞受賞をし、この本の帯にも阿川佐和子さんが「爆笑&落涙!」と書いているように、阪田さん、思った以上に面白い方だったようです。

きつねうどん
阪田 寛夫
童話屋
2011-03

阪田さんに詩集もほんとうに楽しくなるものがいっぱい。子ども達にもこうした詩をたくさん紹介してあげたいなぁと思っています。

ひさびさのおとな絵本プロジェクトよみきかせナイトへ

9月3日(月) 19:30〜 @日の出ファクトリー(東池袋)IMG_2450




昨年10月以来、参加していなかったおとな絵本プロジェクトのよみきかせナイトに参加してきました。というのも、今回のテーマが西日本豪雨災害支援だったから。


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特に運営スタッフに岡山出身者がいるということで、参加費+1000円にして岡山に直接募金を届けるという今回の趣旨に賛同して参加しました。


なんといっても岡山は、私の父の出身地。倉敷市真備町あたりも車で何度も通っています。

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今回は、読み手としても絵本を1冊読みました。




詠んだ絵本は、ぱくきょんみさんの『ごはんはおいしい』(福音館書店)





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岡山は広い平野もあり、父が引退して住んでいた備前、瀬戸内あたりも水田が広がっていました。

また以前兄が住んでいた県北地域も棚田がとても美しいところでした。



桃やマスカットなどの果物だけでなく、米どころとしての岡山のことを想いながら、この絵本を選んで読ませていただきました。


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よみきかせナイトのMC、ドンハマさんとあーちゃんの掛け合いを見るのもほんとうに11か月ぶりのこと。




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岡山出身の若い二人が、故郷を想いながら絵本のデュエット読。

岡山市内も報道されていないけれど、土砂災害起きていたそうです。今回の豪雨被害は想像以上に広範囲に広がっていた模様です。



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途中で、倉敷市内で「つづきの絵本屋」をしている都築さんとスカイプでつなぎ、倉敷市真備町の様子、子ども達の様子などの報告がありました。



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運営メンバーの若手男子、フジテルンはこれまでもあちこちの被災地支援に入っていてボランティア経験豊富。

今回も早速岡山の被災地支援に入ったそうで、その報告もありました。


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お土産も岡山のきびだんごなどでした。



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豪雨被害からの立ち直りには時間がかかると思いますが、私たちが忘れることなく支援続けるってことが大事なんだなって思います。


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西日本豪雨災害の後には、大阪地震、そして台風21号による関西圏の被害、そして北海道地震と、ここのところ日本列島各地で甚大な自然被害が相次いでいます。国が何よりも優先的に被災地復興に予算を割いて、被災者に寄り添ってほしいと思います。

(イージス・アショアなんて配備するくらいなら、土砂災害に威力を発揮するサラマンダーを配備してほしいし、今の政権の被災地支援、全然予算配分少ないぞ!と怒りを感じつつ)


おとな絵本プロジェクトのこうした取り組みは素敵だなって思いました。

(一部の画像はドンハマさんからいただいたものを画素数を落として使っています。ドンハマさん、ありがとうございます♪)
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