7月12日(土)〜13日(日) 大掃除@地下ガレージ

2012年10月に、両親を自宅に呼び寄せてから1年9か月。(その時の様子→こちら) 岡山県牛窓の広い広い古民家から、荷物をほとんど減らさず、3DKのマンションへ。そして我が家の8畳和室へ。

マンションを引き払う前に、荷物を減らしてって頼んだけれど、大正生まれの両親にはそれは無理でした。
結局、3畳の広さのトランクルームも借りたけれど、結局かなりの段ボール箱を地下のガレージに置いたままになってしまいました。

とりあえず、生活できるようになっから片付けようね、冬は地下ガレージは寒いから、暖かくなってからね!と言いつつ、昨年は私が非常勤から常勤になったことで、自己研鑽に使えるのが土日だけになり、5月の連休の後は猛暑続き。そんなこんなで、手つかずのままでした。いくら雨風は防げるとはいえ、地下ですから湿気もすごい。台風一過の乾燥したこの2日間は、段ボール箱の山(20箱以上)を次々片付けていました。

上の段は大丈夫でも、コンクリート床の上に置かれていた箱の中のものは、かなり湿気を吸って、限界でした。
なんとかすべての箱を片付けることもできました^^

さて、片付けながら私は涙が溢れて止まりませんでした・・・それは、父の荷物の中から出てきた夥しい分量の書籍と論文や原稿用紙。

それらはすべて丁寧に湿気ないように保存することにしました。20140713高田17

なぜ涙か、って?それは、父の人生そのものだったからです。

5歳で父親が亡くなり、母は末っ子の妹だけを連れて再婚。父は、すでに小学校を出て丁稚に出ていた兄たちと別れ、すぐ上の兄と親戚に預けられたそうです。 小学校を上がる時には、すでに頼る親はないというまるで男「おしん」のような生活については、何度も父に聞かされました。

親戚の家では、「働かざる者、食うべからず」。朝食前に畑に出て草抜きをしたり、薪を拾ってきて、それから朝20140713高田10食を親戚の者が済んだ後にいただいて、それから駆け足で学校へ通っていたそうです。本が好きだった父。帰宅すると風呂を沸かすのが仕事。薪をくべながら炎の明るさで本を読んでいると、親戚のおじさん、おばさんに叱られたそうです。下男として引き取っているわけで、最低限の小学校は出してやるけれど、とにかく家の仕事を最優先でしろ!ということ。今、考えればそれって虐待?児童労働?って思うけれど、その当時の日本には同じような境遇の子ども達が大勢いたそうです。

小学校では成績が比較的よかったので高等小学校まで出たとのこと。調べてみると大正〜昭和の初期は6歳〜12歳まで国民学校初等科、その後に高等科に13~14歳までの2年間の8年制。ということは、父は14歳で独り立ち。

いろんな仕事を転々としたようです。戦時中は関釜連絡船のボイラー係り。

子ども時代から、当時の流行りで「大きくなったら立派な兵隊さんになる!」と願っていたのに、兵役検査の直前に船の機械室で機械に巻き込まれ肋骨を何本も折る大けがを。傷が治らないまま兵役検査に赴いたけれど、怪我がばれて落されたそうです。今になれば、あの時戦場に行かなかったからこそ、私たち姉弟が存在するんだと、その怪我に感謝したいくらいです♪

そんな学歴もなく、肉体労働でやってきた父が、戦後の混乱期にアメリカの宣教師の荷物を下船の時に手伝ったことで、キリスト教に出会い、「おとうさん!」と呼んだ経験がなかった父は、お祈りの中で「天にまします我らの父よ」と祈れることに感激したのだそうです。そのあたりの経緯は、断片的にしか知らないのですが、宣教師の助手になり、その働きを認められて、宣教師の生まれ故郷の町の人たちの祈りと献金とで、西南学院大学神学部の聴講生へ。

20140712高田高等小学校しか出ていない父にとって、聴講生とはいえ、大学神学部の講義は新鮮だったのでしょう。きっと乾いたスポンジに水がたっぷり吸い上げられるように、学んだのだと思います。アメリカ、テキサス州ラスキンの方々の献金で神学部の課程を修了するまでの間の家族の生活費と学費を賄えたというのですから、それも感謝なことです。ただし、その間に父は第4子出産の産褥熱で妻を亡くし、妻の葬儀に生まれ故郷に向かう車中で生後間もない第4子、私にとっては幻の兄を亡くしています。
私と弟は、父が牧師として赴任する時に母と再婚し、その後に生まれました。
(今回、そのラスキンから授与された、「ラフキン市名誉市民証」もみつかりました♪)

戦後のどさくさでクリスチャンになって、どさくさのうちに牧師になってしまった父。

しかし、今度は山口の田舎町で伝道を始めてみると、地域にはお寺があって皆檀家。201407013高田その上、地域の鎮守の神様の祭りも盛ん。キリスト教が果たしてベストなんだろうか、と、仏教研究を始めるのですが・・・それがインド史の研究、キリスト教との比較研究、キリスト教の類縁のイスラム教やユダヤ教の歴史の探究・・・仏典も聖書も「生命への畏敬」について触れているというところから、自力で分子生物学や宇宙科学、植物学まで学び始め・・・私が物心ついたときには、父はとにかく書斎に座って本を読んで、夜遅くまで論文を書いていました。

当時の私は父のことを、牧師というより「学者」だと思っていたのですが、自分自身が大学院へ進むと、学問はいくら自力で研究を重ねても、学会で発表し、公的に認められないと学術的な価値もなさないこと理解しました。そもそも父はどの学会にも属さず・・・というか、正式に大学を出たわけでもなく、その資格要件にも満たず、教会員や牧師仲間にキリスト教以外の宗教を研究する変わり者、牧師の資格はないと揶揄されながらの研究生活でした。
20140713高田2父は聖書の言う平和な世界は、まず宗教そのものの、その壁を取っ払わないといけない、世界の戦争は、宗教が原因になっている、それは本来の教えとは矛盾していると・・・

父との子ども時代の思い出は、夕食後にこうした専門書を紐解いて娘・息子に壮大な宇宙の話や、人間の歴史の話、比較宗教の話、サンスクリット語を読み解いていく面白さとかを、語ってくれていたこと。
夏のある夜などは、ポーチや屋根の上に寝そべって、星を眺め、宇宙の果てに想いを馳せて、親子で語り合ったこと。ああ、今の私の本に対する考え方や、生命に対する基本的な姿勢は父のDNAだったんだ〜としみじみ。
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月曜日から金曜日までは幼稚園園長兼幼稚園バス運転手兼事務員(教会付属幼稚園で学校法人化しておらず財政が厳しかったから)土日は牧師に・・・小さな教会とはいえ、冠婚葬祭もあったし、早朝から真夜中まで働いて勉強している姿が目に焼き付いている。20140713高田3
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今回みつかった父の書籍類や論文などの資料を読んでいて、ジョセフ・エブスタインが「ある意味、私たちを作り上げているのは、私たちが読んだものだから」と言っているのを思い出しました。まさに父の知的好奇心の広がりを感じる蔵書群。

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一冊一冊を確認しながら、これは父の91年の歩み、そのものだと、思いました。

父は、60代後半で自分がやってきたことが無駄なことだったのではと愕然とし(その頃山口県の私立幼稚園の園長会の会長に推挙されたのに、県から学歴の低いことでその推薦が認められなかったことというのです)、そこから自分を責め、ちょうど25年前に鬱病を発症してしまいました。

20140712高田3この25年の間に、鬱病は乗り越えることができましたが、これらの資料はずっと本棚に置かれたままでした。
今回、整理をしながら、とにかく父にとって、知識の海に漕ぎ出だして、知から知へ、深めていけたのが喜びだったのだと思います。お金にもならない研究だったし、どこにも発表されていない研究ですが、私は父のこの学びを誇りに思います。
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 88歳になる母の岐阜県立高等女学校の卒業アルバムも!なんと皇紀二千六百三年・・・昭和18年のことらしい^^母がすごく可愛らしくて・・・70年前!それにも感激しました♪