1月26日(日) 10:30〜 @神保町 岩波ホール
(2月12日にこの記事を書きかけて…完成させられずにいました。1か月半以上経ってしまいましたが…思い出しながら書き上げてみます)
この日は代官山蔦屋書店の児童書コンシェルジュをしているY子さんと待ち合わせをして、映画「リンドグレーン」を見てきました。
1月13日に教文館で行われた菱木晃子さんの講座(→こちら)で、この映画の魅力をたっぷり話してくださったのを聞いて、どうしても見に行きたい!と思ったのでした。
講座を一緒に聞いていたY子さんと「一緒に行きましょう〜」と予定をすり合わせ、行けるのはこの日だけ!ということになりました。
菱木さんから予備知識をいただいていましたが、やはりこの映画を見てよかったと思いました。
ことばにすると陳腐になってしまいそうですが、エンドロールのところで涙が止められなくなりました。
5年ほど前に、アストリッド・リンドグレーンが幼い読者と文通していたことが、亡くなった後にわかり、それが書籍化されました。
この本には、読者であったサラの手紙に真摯に向き合うアストリッドの姿が浮かび上がります。思春期のサラは感情の起伏が激しく、また父親からの虐待やいじめ、家出、不登校というさまざまな問題を抱えていることがわかります。
サラの激しい言葉の中に、アストリッドは彼女が誰かに救いの手を差し伸べてほしがっていると嗅ぎ取り、親身になって心配している様子が、この書簡集からわかるのですが、それはアストリッド自身が思春期に抱えていた問題だったからだと映画を見てわかりました。
だから放っておけなかった。アストリッドが未婚のまま妊娠が分かった時に、両親は敬虔なクリスチャンとして村の中でそれがわかってしまうことを恐れ、ストックホルムへ出ることになり、さらに姦通罪で訴えられることを避けてデンマークのコペンハーゲンで出産することにするのです。
その時にコペンハーゲンで里親になってくれたマリーにどれだけ救われたことでしょう。
映画を見るまではそんなアストリッドの姿を、『長くつ下のピッピ』や『やかまし村の子どもたち』の楽しいお話からは想像できませんでした。
逆に若い頃の彼女の苦悩や苦労を理解したうえで、アストリッド・リンドグレーンの物語を再読すると、なぜ彼女がいつも子どもたちを快活で楽しく、しっかりと自分の足で立っている姿で描くのか、そこには子どもたちの生への惜しみない愛情があることが、より深くわかってきました。
******************************
この日は、映画を見終わった後、Y子さんと一緒に帰宅し文庫を開催。
1月は、文庫活動が出来る土曜日が1回しかなかったために、この日の午後を文庫開催日にしていました。
常連の小学生の男の子、久しぶりに訪れた1歳児の男の子、そして夏休みに来てくれた高校生の男の子、子ども時代に本が大好きだったという元文学少女、学童などでおはなし会をしている方など、次々に訪ねて来てくださって、終日賑やかでした。
(2月12日にこの記事を書きかけて…完成させられずにいました。1か月半以上経ってしまいましたが…思い出しながら書き上げてみます)
この日は代官山蔦屋書店の児童書コンシェルジュをしているY子さんと待ち合わせをして、映画「リンドグレーン」を見てきました。
1月13日に教文館で行われた菱木晃子さんの講座(→こちら)で、この映画の魅力をたっぷり話してくださったのを聞いて、どうしても見に行きたい!と思ったのでした。
講座を一緒に聞いていたY子さんと「一緒に行きましょう〜」と予定をすり合わせ、行けるのはこの日だけ!ということになりました。
菱木さんから予備知識をいただいていましたが、やはりこの映画を見てよかったと思いました。
ことばにすると陳腐になってしまいそうですが、エンドロールのところで涙が止められなくなりました。
アストリッド・リンドグレーンがリンドグレーンになる前の、子どものためのお話を書き始める前の彼女の姿がとても鮮烈に描かれていました・・・
1907年生れ。生きていたら113歳。
日本の年代でいうと明治40年生れ。川島芳子は同じ年。金子みすゞは少し年上で1903年、児童文学の世界で見てみると、石井桃子さんやレイチェル・カーソンと同じ・・・
良妻賢母というイメージで女性の自由が奪われていた時代に、両親が女の子だけに厳しく門限を言い渡す場面では、「神は男も女んも平等に作られたはず」と言い返すなど、自分の意見をきちんと言えるってすごい
そしてその当時、未婚の母になることがどれほど大変だったことか。その苦労をおもう・・・ひとりの人間として、尊厳を守り抜こうとして強く生きたアストリッドの姿にすべての女性が励まされると思いました。
5年ほど前に、アストリッド・リンドグレーンが幼い読者と文通していたことが、亡くなった後にわかり、それが書籍化されました。
この本には、読者であったサラの手紙に真摯に向き合うアストリッドの姿が浮かび上がります。思春期のサラは感情の起伏が激しく、また父親からの虐待やいじめ、家出、不登校というさまざまな問題を抱えていることがわかります。
サラの激しい言葉の中に、アストリッドは彼女が誰かに救いの手を差し伸べてほしがっていると嗅ぎ取り、親身になって心配している様子が、この書簡集からわかるのですが、それはアストリッド自身が思春期に抱えていた問題だったからだと映画を見てわかりました。
だから放っておけなかった。アストリッドが未婚のまま妊娠が分かった時に、両親は敬虔なクリスチャンとして村の中でそれがわかってしまうことを恐れ、ストックホルムへ出ることになり、さらに姦通罪で訴えられることを避けてデンマークのコペンハーゲンで出産することにするのです。
その時にコペンハーゲンで里親になってくれたマリーにどれだけ救われたことでしょう。
映画を見るまではそんなアストリッドの姿を、『長くつ下のピッピ』や『やかまし村の子どもたち』の楽しいお話からは想像できませんでした。
逆に若い頃の彼女の苦悩や苦労を理解したうえで、アストリッド・リンドグレーンの物語を再読すると、なぜ彼女がいつも子どもたちを快活で楽しく、しっかりと自分の足で立っている姿で描くのか、そこには子どもたちの生への惜しみない愛情があることが、より深くわかってきました。
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この日は、映画を見終わった後、Y子さんと一緒に帰宅し文庫を開催。
1月は、文庫活動が出来る土曜日が1回しかなかったために、この日の午後を文庫開催日にしていました。
常連の小学生の男の子、久しぶりに訪れた1歳児の男の子、そして夏休みに来てくれた高校生の男の子、子ども時代に本が大好きだったという元文学少女、学童などでおはなし会をしている方など、次々に訪ねて来てくださって、終日賑やかでした。