前回の続きです。

     〇

「そういえばラインの写真、変えたよね」とおれは言う。
「そうやねん。姉との旅行の時のん」と彼女は言う。
「この前の連休の時やんな。島根県、どうやった?」
「めっちゃよかったよー。何もかもがすごく綺麗だった」
「いいなー」
「癒された」


2017年9月下旬。
平日の夜、彼女とおれは神戸の国際会館の11階にあるレストランで食事をしていた。
レストランの名前は「トゥーストゥース ガーデンレストラン」。
小池百合子が何も口出しできないぐらい十分なソーシャルディスタンスの保たれたテーブル配置の店だった。


「どのスポットが一番よかった?」とおれは尋ねる。
「足立美術館!」と彼女は答える。
「あー、聞いたことある!庭園が綺麗なんやっけ?」
「そうそう。ポロリ君、ホントよく知ってるよね」
「誰の作品があった?」
「横山大観」
「いいやん。綺麗だよね。好き好き」
「展示も良かったけど、庭園がもっのすごく良くて。どんな比喩も通用しない本物の庭園っていう感じで。本当に行って良かったって思った」
「いいなー。おれもいつか行きたい」
「写真も撮ったよ」
「見せて見せてー」
「はい」
「…うおっ、すごいやん。実際に見たら感動しそう」
「でしょ」
「てゆうかこれ一緒に写ってるの、お姉さんやんな。写真を見る限り、言ったらアレやけど、姉妹、顔あんま似てへんよね」
「よく言われる。友達同士みたいって。逆に、花火の時にポロリ君と撮った写真、見せたら『二人、兄弟みたいやん』って姉に言われた」
「はははっ!喜んでいいんかなそれ」
「いいと思う」
「よかった」
「ポロリ君は妹さんと顔、似てるの?」
「似てるって言われるかも」
「写真、見せて?」
「家族であんまり写真取らないから、ないなぁ」
「そっか」


仕事帰りの彼女の格好は飾り気の少ないクールなブルーのジャケットに黒いトップスに黒いパンツ。
ややモード寄りの服装は彼女の身体に心地良さそうにフィットし、スッキリとした全身の輪郭の美しさを引き立てていた。
アクセサリーも化粧も上品で控えめなのに、彼女の全身から漂う密やかな華やかさと、今すぐ世界遺産に申請した方がいい極上の笑顔は今日もおれの心を強く惹きつけた。


「ポロリ君は旅行、国内ならどの辺よく行くの?」と彼女は言う。
「おれ、47都道府県、全部行ったことあるよ」とおれは言う。
「すごー!」
「ほんまに訪れただけっていう県もあるけどね。20代前半の頃に、一人旅にハマってた時期があって。青春18きっぷで移動して、安いビジホに素泊まりで、みたいな。よくあるやつ」
「47都道府県でどこが一番よかった?」
「うーん、どこやろな…。沖縄、よかったよ。最近行った中では」
「沖縄かぁ…」


会話の流れで、先日誘った温泉旅行の行先について話し合うことになりそうだった。
10月中旬に1泊2日の日取りだけが決まっている状態だった。
しかし「沖縄」の言葉を聞くと、瞬時に彼女の笑顔に影がさした。
胸の奥に抱える沈殿物が露呈したような影のさしかただった。


「沖縄にはあまりいい思い出がない」と彼女は少し暗いトーンで言う。
「ほんま?珍しいね。いつ行ったん?」とおれは言う。
「大学の時。同じ大学の友達同士、男女4人で行って」
「うんうん」
「それで、現地に男の子の友達の、地元の男の子がいて。その人が案内してくれることになってて」
「いいやん。地元民だけが知ってる穴場とか連れてってくれそう」
「最初の方は良かってんけどね。途中から男の子たちが露骨な態度を取ってくるようになってきて…」


恐らく男達は完全にヤリモクツアーと決めこんで、彼女とその友達をエロい方向に誘導したのだろう。
半ば強引に。
男達からすれば、ミスコングランプリを獲得した、大学におけるエスタブリッシュメントの頂点に君臨する彼女と寝ることはある種の勲章だったのだろう。
華やかな大学生活の裏で、様々な男達からの欲望の目に晒される境遇に彼女はいたと考えられる。


具体的な内容を聞かなくても、言葉のニュアンスや声のトーンでそのあたりのことが想像できた。
過去のそういったエピソードが、彼女の現在の生真面目で、どちらかと言うと人の注目を引くことを避けたがる人物像を形成する要素なのかは分からない。


いずれにせよ、その沖縄旅行で男達に流されてどこまでの肉体関係に及んだか、彼女は自分からはそれ以上何も語らなかった。
おれもあえて尋ねなかった。
根掘り葉掘り訊くのは可哀想だと思った。
なので、話の焦点を過去から未来に当てる。


「じゃあ、いつか一緒に行って、思い出を塗り替えようよ。楽しい思い出に」
「そうやね」
「沖縄のさ、まあ沖縄に限らず南九州とかもそうやったけど、その辺に行くとさ、なんか、時間がゆっくり流れている感じがしてん。この『時の流れがゆっくりしている』状態が、とにかくおれはめっちゃ好きやねん。そこに永遠、的な心地よさを感じる。今この瞬間の中を永遠に生きていたいって思えるような、そういう穏やかな感覚でいられる親密な場所に旅をすることっていうか、旅をすることでそういう感覚になれることが、自分の中ですごく、なんていうか、幸福みたいなものを感じる。うまく言えないけど、そんな感じ」
「温泉、のんびりできると良いね」
「どの温泉に行こっか」
「私の会社の福利厚生でね、割と豪華な旅館に安く泊まれるようになってて」
「マジか。じゃあもし良かったらその中から選ぼうよ」
「うん。あらかじめいくつか温泉地、候補を選んできたんだけど」
「ありがとう」


和やかな協議の結果、「道後温泉」に行くことになった。
四国の愛媛県。
三宮から高速バスに乗って数時間で着く温泉地だ。


泊まる旅館に関しておれは特にこだわりはなかった。
彼女が福利厚生の対象となる旅館から決めてくれることになった。
段取りのいい彼女のおかげで、旅行に関する決定事項がスムーズに決まっていく。


「この後、高速バスのチケット、買っとこうよ。すぐそこにバスターミナルあるし」とおれは言う。
「そうしよう」と彼女は言う。
「一気に楽しみになってきた」
「私も」


食事を終える。
いつものように割り勘で会計を済ませる。


建物の外へ。
秋が訪れた神戸の、瀟酒で物語的な夜の街並みを手を繋いで歩く。


すると。


スタバがあった。

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スタバなう。(後日撮影)


立ち寄る。
注文する。
彼女はショートのカフェモカ、おれはショートのゆずシトラスティー。


店内は混雑していた。
外のベンチで飲むことに。
気持ちの良い夜風に吹かれながら寄り添って腰掛ける。


「がのたって覚えてる?」とおれは言う。
「ポロリ君と一緒に街コン来てた人でしょ」と彼女は言う。
「そうそう。彼がね、街コン一緒に来てた君の友達とライン交換してたみたいで。この前の連休に、二人で飲みに行ったっぽくて」とおれは言う。
「ああー」と彼女は言う。
「何か聞いてる?」
「うーんっとね…うーん…」
「これは何か聞いてるなぁー。お友達、がのたのこと、何か言ってはった?行く前に連絡取ったきりで、どうなったか彼に聞いてなくてさ」


彼女は少し気まずそうに、だけど少し可笑しそうに沈黙する。
おれは彼女が沈黙する時間を尊重するようにゆっくりとゆずシトラスティーを口に含む。
まろやかな甘味とゆずの程よい酸味の効いたフレーバーが織り混ざった味わいが口の中に浸透する。
人通りは少なく、静かだった。


やがて彼女は半笑いで口を開く。


「ラブホは嫌だったらしい」
「え、どういうこと?」とおれは言う。
「〇〇ちゃん、結構、男遊びする方なんだけどね、ここだけの話。がのた君と飲みに行った時も、最終的にホテルに誘われたらしいねんけど。でも、あの子の中に謎のこだわりがあって。それが、誘われても『ラブホには絶対に行かない』っていうので、行くならちゃんとしたホテルか、家か、せめてビジネスホテルじゃないといけないんだって。それで、そのことをがのた君にも伝えたけど、彼が頑なにラブホに連れて行こうとしたみたいで。それで結局断って帰ったっていう」
「………」


おいがのた、お前のしくじりが今、凄まじく微妙な空気をもたらしてるぞ、と心の中で舌打ちしながらおれは少し沈黙した後、彼女から聞いた内容を笑い話に持って行って落ち着かせる。


一旦会話が途切れる。
彼女がカフェモカを口に含む。
そして何気なくこちら側に少し首をかしげる。
長い黒髪がふわりとおれの肩に垂れかかる。


彼女は傾げた首をそのままにした。
その分、二人の顔と顔の距離が縮まった。
何か言おうとして言えなくておれは咳をした。
少しの間、親密な沈黙を二人で分かち合う。


話題が別の方向に転じる。
結ばれなかった二人の滑稽な話から、見かけ上は結ばれた二人の親密な話に。


「ポロリくん、私たちはさ、似てるんだと思う。顔つきとかだけじゃなくて。もっと深い部分で」と彼女は言う。
「もっと深い部分で」とおれは言う。
「いくつかある共通点の中で一つ、あまり人を信用していない、っていうのがある。あまりっていうか、全く。完全に」
「そうかもしれない」
「二人とも、どうしようもなく厭世的な部分がある。そう、私たちには無理やと思うねん。本当の意味で人を信じるというのが。もう、諦めるしかない。美しい人間関係というのが、もしかしたらこの世にはあるのかもしれない。でも、それは私たちの身の上には決して起こらない。私たちというパーソナリティには絶対にありえない。最初からそういう星に生まれてしまっているから。そんな手の届かないものについてあれこれ思い煩っても仕方ない。少し前までそういう人間は私一人なんだと思ってた。だけど私はポロリくんに出会ってしまった」
「うん」
「とにかく」
「うん」
「こんなにも幸せな気持ちにしてくれる人は生まれて初めて」
「おれもそう思うよ。すごく分かる。言ってること」
「ほんと?」
「その言葉をイレズミにして刻みつけておきたいぐらい、ものすごくよく分かる。そう言ってくれて、本当に嬉しい」
「よかった」
「君のいない世界でなんか生きていたくないと思う」
「ありがとう」
「大好きだよ」
「どれくらい好き?」
「春の熊くらい好きだよ」


そう言いながらおれは彼女にソフトなキスをする。
人通りがないタイミングであることを確認しながら。

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ここでキスした。(後日撮影)


ゆっくりとした時間が流れていた。
いつの間にか風は止まり、動きのない空気の中に二人はいた。
終わりのない会話を永遠に続けていたい。
今この瞬間の中を永遠に生きていたかった。


だけど時が流れることに対して誰も抗えなかった。


彼女のいない世界は確実にやってくる。
時の流れが止まらない限り。


彼女のいない世界は確実にやってくるのだ。


「バスのチケットさ、ネットで予約できそうじゃない?」とおれは言う。
「できるかも」と彼女は言う。
「ちょっと待ってな、見てみる」
「ありがとう」
「…あ、やっぱりチケット取れるようになってる。もうこのまま取っちゃおっか、二人分」
「そうしよっか」
「午前中の、9時台出発でいい?」
「うん」
「オッケー。…とれた。これでいけると思う。スマホの画面がそのまま乗車券になってるタイプやと思う。後で乗り場だけ見とこっか」


その後もしばらくスタバ前のベンチに座って二人でとりとめのない話をする。
お互いの生活について話し、仕事について話し、いろいろな物事に対する感じ方や考え方について話す。
二人はいつまでも飽きもせずに話し続けることができた。
ゆっくりとした時間の中で。


二人の相互作用によって、時の流れ方を変えることができた。


しかし時を止めることは誰にもできなかった。


終わりは必ずやってくるのだ。
様々な意味合いにおいて。
そして、きっと、想像した以上に、騒がしい未来がおれたちを待っている。


とか言っているうちに帰らないといけない時間が迫る。
スタバを後にする。
三宮駅方面へ。


バスターミナルに立ち寄る。
松山行きのバス乗り場を確認する。
旅行当日もこのバスターミナルに集合しようと約束する。


三宮駅へ。
改札で彼女を見送る。


「将来、『道後温泉にはあまりいい思い出がない』って思われないように気をつけるね」とおれは言う。
「あはは。ありがと」と彼女は言う。
「楽しみにしてるね」
「私も」
「またね」
「またね」





次回予告


セックスします。





第9話に続く。



ブログ完結まで

あと5話