薔薇の言葉

フランス語・フランス語教育/フランス語圏の諸相と女性事情/メディアと現代女性など

2005年05月

サンド緑フランスのブログ人口は2千7百万人を数えるそうです(2005年5月21日のル・モンド参照)。そのうちの2百万は、la radio Skyrockで開設した若者層で"Skyblogs"と呼ばれているとのことです。フランスの専門用語および新語総合検討委員会は、インターネットで使用されている英語をリストアップしましたが、その中でBlogはbloc-notesあるいは省略してblocと表現されなくてはならないという見解を、5月20日、公式に明らかにしました。

Ne dites plus jamais blog ! La Commission ge'ne'ale de terminologie et de ne'ologie a publie' au Journal officiel du 20 mai un avis e'tablissant une liste de termes et d'expressions destine'e a' supplanter les anglicismes sur Internet. Ainsi, "bloc-notes", que l'on pourra accepter sous sa forme abre'ge'e "bloc", de'signera "un site sur la Toile, souvent personnel, pre'sentant en ordre chronologique de courts articles ou notes, ge'n'eralement accompagne's de liens vers d'autres sites", soit un blog.
http://www.lemonde.fr/web/article/0,1-0@2-3226,36-652527@51-651796,0.html

ブロックはカタカナ変換する必要がないので便利ですが、ブロックというとブロック塀を想い起こしてしまいそうです。少々、違和感はないでしょうか。こうしたフランス語表現や発音のカタカナ表記の問題については次号に続けたいと思います。

ブログや日記について研究している高等社会科学学院(ESHESS)の社会学者Matthieu Paldacciは、ブログは怒りや不満のはけ口なのであり("Je blogue parce que j'ai toujours quelque chose a' dire)、ブログ人にとってブログは「最後の自由の小島"le dernier ilo't de liberte'"」なのだと分析しています。また女性が個人的な日記形態のブログを好むのに対し、男性は映画やニュースなどについての意見を書く傾向があるそうです。必ずしもそうではないようにも思いますが、いずれにしても、ブログ現象(症候群?)は「自己表明affirmation de soi」なのであり、この記事に掲載されているブロガーの「私は存在したいからブログするのです"Je blogue parce que je veux exister"」という言葉がブログ人の心性を最もよく表現している言葉だといえるのかもしれません。

c9072881.JPGなかなかBlogを書く時間がとれません。今日も引用文です。写真はイタリア郊外にあるシャトーの庭園です。


*キケロ(古代ローマの哲学者)とフランス詩人、ルイ・アラゴンの言葉より


- Que philosopher, c'est apprendre a' mourir.

              (Ciceron 106-43 av. J.-C)


- Bien e'crire, c'est comme marcher droit.

             (Louis Aragon 1897-1982)


Venise kawa..JPG Gaston Bachelard の言葉より

- La page blanche ! ce grand de'sert a' traverser, jamais traverse'.

- L'image de'montre, le symbolisme affirme.

- La solitude n'a pas d'histoire.

- La profondeur, c'est ce qu'on cache ; c'est ce qu'on tait.
On a toujours le droit d'y penser.

- Dans la vie il y a aussi tant de choses a' re'enflammer !

Nohant fete.JPGジョルジュ・サンドは、女性の芸術家が登場する小説を数多く残しました。なかでも最も有名な小説は、長編ロマン『コンスエロ』でしょう。無名の歌姫コンスエロがオペラ歌手になるためにヨーロッパを横断する旅を続け、政治的事件に巻き込まれたり様々な困難に出会いながら、自らが理想とする世界に辿りつく物語です。フランス語のartisteという言葉は、男性形でも女性形でもありません。19世紀というサンドが生きたこの時代には、女性は芸術家artisteとなることによって、性差を超え男性と対等な職業人として自立することが可能だったのです。
サンドの生地、ラ・シャートルにほど近いフランス中部地方にあるNohantノアンの村では、毎年、夏に当時の様子を再現したお祭がおこなわれます。羊の皮で作られた風笛や様々な楽器を奏でる音楽隊が行進します。演奏をバックに民族衣装を身につけた男女が、大判の板の上で木靴の音を鳴り響かせ輪になって踊るブーレ(La boure'e)は郷土の伝統的な踊りです。ブーレは力強い民衆のパワーを感じさせます。ミシュレをはじめピエール・ルルーやサンドが親しんだpeupleという言葉は、19世紀の学者や作家、知識人が共和制を実現する力として注目したキーワードだったともいえるでしょう。この写真は、2004年7月、ジョルジュ・サンド生誕二百年記念祭がノアンでおこなわれたときに撮影したものです。不完全なうえに写真が横向きのまま修正することができなくて・・・すみません!

ジョルジュ・サンドがショパンやミュッセとの恋愛で有名な恋多き田園小説作家だけではなかったことが、近年になって様々なサンド研究が明らかにしつつあります。時代の流れに敏感であったサンドは、次のような言葉も残しています。

Jamais la guerre ne sera un instrument de vie, puisqu'elle est la science de destruction. Croire qu'on peut la supprimer n'est pas une utopie.
              
- Journal d'un voyageur pendant la guerre (1871) -

戦争は破壊の科学ですから、決して生きる手段とはなりません。戦争をなくすことができると信じることは、幻想ではないのです。

      (『戦争中の旅人の日記』より- 1871 拙訳)

1945年4月29日は、フランス人女性にとって記念すべき歴史的な日となりました。女性が初めて市町村選挙で投票することが可能になった日だからです。ル・モンド紙は60年後の2005年4月29日の紙上に、これに関する記事を掲載しています。フランスは女性の投票権の行使において、1906年のフィンランド、1918年のイギリス、1934年のトルコに次ぐ、ヨーロッパでも最も遅れている国のひとつだったのでした。

60 ans
Le 29 avril 1945, les femmes votent pour la premiere fois en France lors d'elections municipales. Les Francaises etaient parmi les dernieres en Europe disposer de ce droit, deja en vigueur en Finlande (1906), en Grande-Bretagne (1918) et en Turquie (1934). (Le Monde, le 29 avril 2005)

しかし、このような女性たちの政治参加の遅れを「フランスの例外」として恥じたフランスは、2000年6月に被選挙人名簿には男女同数の候補者名が記載されなくてはならないというパリテ法案(違反した場合には罰金付き)を可決し、これにより21世紀のフランス議会に多くの女性議員や大臣が輩出されることになりました。とりわけ市町村選や地方選挙における女性議員の議会への進出にめざましい改善がみられ、「静かなる革命」と呼ばれる所以となっています。

ヨーロッパとアメリカの違いは、どこにあるのだろうか?
ジェレミー・リフキンの著書『ヨーロッパ人の夢』は、このことにヒントを与えてくれる。

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・・・私は長い間、こう考えていた。われわれヨーロッパ人とアメリカ人は、根本的な事柄について一致したものの見方をするのだと。しかし、実際には、二百年前に同じ種族が二つに別れたのであり、私たちのものごとに対する考え方は極めて異なっている。
アメリカの夢は、アメリカは厳しい国だが、個人に多くのチャンスが与えられ、個人が個々の人生に責任を持つ国であると思うことにある。ヨーロッパの夢、それは個の自立より共同体の関係を優先させ、同化より多様性を、富の増加より生活の質を問い、留まることのない物質的増加ではなく継続する成長を、がむしゃらな労働より個々人の成熟を、所有する権利より普遍的な権利を志向することにある。
         
    拙訳:ジェレミー・リフキン『ヨーロッパの夢』より

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