薔薇の言葉

フランス語・フランス語教育/フランス語圏の諸相と女性事情/メディアと現代女性など

2008年11月

ばら6 ブルー







*annulaire  薬指  *index 人差指   *pouce 親指 
*majeur    中指  *petit doigt 小指  

*doigt auriculaire 小指 
auriculaire は、耳のという意味。耳の穴に入る大きさの指

*donner un coup de pouce”「親指で後押し」(重さをごまかすために天秤をこっそり押すことから)

*”Pouce!”「ちょっと待って!」 

”mettre les pouces”「降参する(両方の親指を使う)」

*”se tourner les pouces”「親指を回す」は何もしないでいる時に使う

*C’est mon petit doigt qui me l’a dit” 「小指が教えてくれたよ」という表現は、教えてくれた人をばらしたくない時に使う。

*”ne pas lever le petit doigt”     「小指を上げずに」は「何もせず」という意味。

*¨connaitre quelque chose sur le bout des doigts”「何かを熟知している(指先までに知っている)」

*”les doigts dans le nez”       「楽々と(指を鼻に突っ込んだままでも出来る)



心地よい日だまりに微睡み、落ち葉の絨毯を踏みしめる晩秋もあと僅か。
朝夕の寒さに冬将軍到来の気配を感じるこの頃です。

大学祭のおかげで恵まれた連休も、研究会関係の雑用や、なぜかこのところ年々締め切りが早くなってきている来年度の講義要項執筆で終わってしまいそうです。明日の土曜日は補講。半期15回のノルマをこなすために祝日も授業をおこなうという大学が増えており、祝日の代替日の24日月曜日も授業というのは、妾だけではないようですが(男性が使う「小生」に対する表現は、女性の「わらわ」でしょうか。「あちき」ではないような?)、いずれにしても何だか少し損をしたような気分です。
       

 ≪小さな道をとぼとぼいけば、面白いことがある。≫  武市八十雄
         

        武市八十雄は、至光社という絵本出版社の代表です。



 
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Interview


*Il vous arrive qu'en ecrivant, les personnages vous depassent ? C'est-a-dire qu'ils commencent a vivre leur propre vie independamment de votre volonte ?

- Je ne sais pas s'ils me depassent beaucoup. S'ils me depassent, je les rattrape, je les tiens quand meme. Il est evident qu'une fois que je les quitte, une fois que le livre est fini, ils vont etre recrees par les lecteurs et cela m'echappe completement. Meme si, tres instinctivement, je peux savoir
comment le narrateur va se comporter dans telle ou telle situation, je ne sais pas comment le lecteur va le percevoir, s'il va le trouver sympathique, hesitant...

* Your books are unmistakably your own. Your narrators may sometimes recall some other literary figure―Bartleby, for example―but there is always something distinct about them, or about how your plots move, and because these qualities are so distinct to you, I am tempted to think about your books as being very similar to one another. And yet when I look at them with the idea of similarity in mind, they each suddenly strike me as dissimilar, really nothing like one another. I’m curious if you approach writing more in the Flaubert tradition―each book its own unique project, with its own artistic rules―or more in what I’ll call the Hemingway tradition―each book unique but seeming to emerge out of a singular artistic vision?

- The difficult thing is to manage both to renew your writing while always writing the same book, all at once. I like the idea of doing both all at once, all at once black and white, hot and cold, not gray or lukewarm, but both hot and cold. That’s what makes literature what it is (unlike politics, for instance): the simultaneous possibility of two opposite things, instead of a middle ground (gray, lukewarm). Such a juxtaposition of opposed extremes creates ambivalence and ambiguity, and that’s another essential literary quality. When The Bathroom’s narrator throws a dart at Edmondson’s forehead, I understand his gesture and I find it unforgivable, all at once. If I were being provocative, I could say that everything in my books is autobiographical, but not only on the level of real events, or in what pertains to real life, but also on the level of dreams, poetry, and literature. Everything I write is something I’ve experienced.

公開講演会
ジャン=フィリップ・トゥーサン自作を語る
「旅行・移動論----テクストとイマージュ」(Voyage, texte, image)
(フランス語・入場無料・通訳あり)

日時:2008年11月20日(木) 18:30〜20:00 (開場18:15)
場所:立教大学池袋キャンパス 11号館 A203教室

講師:ジャン=フィリップ・トゥーサン(Jean-Philippe Toussaint)氏
通訳:野崎歓(Kan Nozaki)氏
司会:澤田直(Nao Sawada)

略歴:作家・映画監督。1957年ベルギー生まれ。パリ政治学院卒業、専門研究課程修了(歴史)。1985年、『浴室』で(作家デビュー、1989年、『ムッシュー』で映画監督デビュー。主な小説に『浴室』(1985 / 90)、『ムッシュー』(1986 / 91)、『カメラ』(1989 / 92)『ためらい』(1991 / 93)、『テレビジョン』(1997 / 98)、『セルフポートレート(異国にて)』(2000/01)、『愛しあう』(2002)、『逃げる』(2005 / 06メディシス賞)(出版年、原著の発行年/翻訳の発行年。翻訳はすべて野崎歓氏、集英社刊)
通訳略歴:東京大学大学院人文社会系研究科・文学部仏文科准教授。翻訳家、エッセイスト。1959年生まれ。東京大学仏文科卒業。同大学院中退。一橋大学助教授、東京大学総合文化研究科助教授を経て、現職。トゥーサンの『浴室』1990、『ムッシュー』1991、『カメラ』1992、『ためらい』1993、『テレビジョン』1998、『セルフポートレート(異国にて)』、『愛しあう』2003、『逃げる』2006、などをはじめ、『秘密』 フィリップ・ソレルス(集英社) 1994、『素粒子』ミシェル・ウエルベック(筑摩書房)2001、などの多くの翻訳がある。著書に『ジャン・ルノワール 越境する映画』(サントリー学芸賞、2001)、『フランス小説の扉』(白水社)2001、『谷崎潤一郎と異国の言語』(人文書院)2003、『五感で味わうフランス文学』(白水社)2005、『赤ちゃん教育』(講談社エッセイ賞、2006)など多数。

後援:集英社

『生物と無生物のあいだ』福岡 伸一 (2007/05/18) 講談社

要点: 「生命とは動的平衡(ダイナミック・イクイリブリアム)にある流れ」である。

シェーンハイマーは、≪生命が動的な平衡状態にあることを最初に示した学者だった。私たちが食べた分子は、瞬く間に全身に散らばり、一時、緩くそこにとどまり、次の瞬間には身体から抜け出ていくことを証明した。つまり私たち生命体の身体はプラモデルのような静的なパーツから成り立っている分子機械ではなく、パーツ自体のダイナミックな流れの中に成り立っている。≫

研究のあり方について、著者は次のように述べている。

≪別の言葉でいえば、研究の質感といってもよい。これは直感とかひらめきとはまったく別の感覚である。往々にして、発見や発明が、ひらめきやセレンディピティによってもたらされるようないい方があるが、私はその言説に必ずしも与できない。むしろ直感は研究の現場では負に作用する。これはこうに違いない! という直感は、多くの場合、潜在的なバイアスや単純な図式化の産物であり、それは自然界の本来のあり方とは離れていたり異なったりしている。≫
≪知的であることの最低条件は自己懐疑ができるかどうかということになる。≫

仮説と実際のデータがあわないことがあるのは、 理系の分野だけとは限らない。研究者の力量は、仮説を疑うか実際のデータを疑うかで分かれるとも言われる所以であろう。

≪肉体というものについて、私たちは自らの感覚として、外界と隔てられた個物としての実体があるように感じている。しかし、分子のレベルではその実感はまったく担保されていない。私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が「生きている」ということであり、常に分子を外部から与えないと、出ていく分子との収支が合わなくなる。≫

≪生物が生きているかぎり、栄養学的要素とは無関係に、生体高分子も低分子代謝物質もともに変化して止まない。生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の新の姿である。≫

≪ 自己複製するものとして定義された生命は、シェーンハイマーの発見に再び光を当てることによって次のように再定義されることになる。生命とは動的平衡(ダイナミック・イクイリブリアム)にある流れである≫




次のような講演会が開催されるとのこと、お知らせいたします。

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モンレアル(モントリオール)大学歴史学教授
ヤコヴ・ラブキン氏、講演会(公開講義、公開研究会)のお知らせ

11月12日(水)「ユダヤ教における赦しの観念」
        18:00-19:30
        明治大学(駿河台)リバティータワー、10階 1105教室

11月20日(木)「ユダヤ教における赦しの観念」(11/12と同内容)
        15:00-16:30
        中央大学(多摩)、3551教室

11月26日(水)「ユダヤ教と近代の科学」
        17:00-19:00
        学習院大学、北2号館 10階 大会議室

いずれもフランス語で、通訳がつきます。
ご関心をお持ちの方、ぜひ、足をお運びください。

J'ai l'honneur de vous annoncer les conferences (en francais)
du professeur Yakov Rabkin (Universite de Montreal, departement
d'histoire) aux trois differentes universites dans Tokyo.

L'entree est libre.

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le 12 nov. Univ. Meiji : La notion de "pardon" dans le judaisme
(Liberty Tower, 10 F, salle 1105, 18:00-19:30)

le 20 nov. Univ. Chuo : La notion de "pardon" dans le judaisme
(batiment 3, salle 3551, 15:00-16:30)

le 26 nov. Univ. Gakushuin : Le judaisme et la Science moderne
(batiment Nord 2, 10 F, grande salle, 17:00-19:00)

サンド りゅくさんぶーる公園






コラム 樹海 ニッケイ新聞 2008年10月10日付けより

「世界が白い闇に覆われていく」。ポルトガル人でノーベル文学賞作家ジョゼ・サラマーゴの原作を、メイレーレス監督が映画化した『Ensaio sobre a cegueira(邦題ブラインドネス)』を見た。現在の世界情勢を寓話的に表現した示唆的な映画だと深く感じ入った

▼突然、視界が真っ白になって目が見えなくなるウイルスが蔓延し、政府は患者を隔離するが、特別病棟内は無政府状態に。目が見えなくても権力が生まれ、金欲、強姦など実社会と同じことが起きる。唯一、目が見える女性主人公が目撃したのは恐ろしく不条理な世界だった

▼現代の英知が結集されたハイテク金融システムが瓦解していくかのような今の金融危機の姿は、「ブラックマンデー」という暗い闇のイメージではなく、ネットやテレビで衆人環視の中で起きる〃白い闇〃という表現の方がふさわしい

▼多くの専門家は米国金融の破綻が遠からず起きると予測していた意味で〃見えていた〃が、このタイミングだとは誰も思わなかった意味で、見えていなかった。大量の情報がありすぎて、逆に真実がみえなかった

▼米国で同映画を公開したとき、全米盲人協会が「盲人のイメージを悪化させる」として抗議したのに対し、サラマーゴは「愚か者は目が見える、見えないを問わない」と皮肉ったコメントで応えた

▼実は、同映画の後半部分のロケ地が聖市セントロだった。普段見慣れた光景だけに、現実と虚構が入り混じる奇妙な感覚に襲われた。ポ伯の鬼才が競作したラテン特有の不条理感をとことんまで味わったあと外に出ると、まるで映画が終わっていない錯覚におそわれた。(深)

今年は日仏修好150周年の年である。
日仏交流が本格化したのは1858年の日仏修好通商条約締結以降。
それ以前は宣教師や旅行者が書き残した断片的な資料が残されている程度であった。

日本におけるフランス語学習はいつ頃から行われていたのだろうか。
日本でのフランス語学習は、英語学習より早く、1808年にオランダ通辞らによって始められていた。

フランス語を最初に学んだ日本人は、信州松代の医者、村上英俊であった。1848年のことである。
フランス語を学び始めた動機は、偶然によるものであったらしい。オランダ語を通してフランスの化学を学んでいた村上英俊がオランダ語訳の化学書を注文したところ、届いたのがフランス語版の化学書であったため、フランス語を勉強する羽目になったというのである。蘭仏辞書のおかげで2年ほどでフランス語が読めるようになり、次いで仏文法を習得。1854年には、日本初のフランス語研究書『三語便覧』を著した。1864年、仏和辞典『仏語明要』(4分冊)を刊行。1868(明治元)年に、東京・深川に私塾「達理堂」を設立。後進の育成に努めた。東京学士院会員、フランス政府からレジョン・ドヌールを授与。これらの業績から、村上英俊は日本における仏学の開祖と呼ばれる。

『ふらんす語事始―仏学始祖村上英俊の人と思想 』高橋邦太郎 富田仁 西堀昭共編、
校倉書房、1975年 [古書]



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フランスにおける日本学のパイオニア=レオン・ドゥ・ロニーLEON DE ROSNY(1837-1914)

18世紀後半から、ヨーロッパでは植民地主義の影響もあり、東洋に対する関心が高まっていた。
1823年には、パリにアジア学会が創立される。

レオン・ドゥ・ロニー(1837-1914)
シーボルトやランドレス(ロドリゲスの『日本小文典』を仏訳)に刺激され、日本語を独習。
17歳で最初の日本語学習書“Resume des principales connaissances necessaires pour l’etude de la langue japonaise”(『日本語学習に必要な基礎知識の要約』1854)を著した。来日経験はない。しかしその日本語の知識を買われて、1862年幕府の遣欧使節団の接待係に任命され、ヨーロッパ各地を同行し、福沢諭吉らと親交を結んだ。1863年、パリの東洋語学校で最初の日本語講義。
1868年、当学校最初の日本語教授、日仏交流に多大な功績を残した。

cf.
「レオン・ド・ロニー『若干の日本語辞書に関する考察』」
"LEON DE ROSNY; Remarques sur que lques dictionnaires japonais<1858年>" 訳解 大橋 敦夫

関正照・平高史也『日本語教育史』アルク 1997
http://www.clair.or.jp/j/forum/c_report/cr063h.html 2005/08/17
http://www.itimatu.co.jp/doll/
http://www.ne.jp/asahi/art/dorian/G/Gauguin/Gauguin.htm
http://www.rakuten.co.jp/adachi-hanga/534723/670878/
http://www.clair.or.jp/j/forum/c_report/cr063m.html
国際交流基金ホームページ http://www.jpf.go.jp/j/ 2005/10/27


一角獣9

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