薔薇の言葉

フランス語・フランス語教育/フランス語圏の諸相と女性事情/メディアと現代女性など

カテゴリ : フランス滞在記


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<ドゴール空港からリヨンまで>
日本から予約しておいた新幹線のチケット、問題なし
ところが飛行機がほぼ30分遅れでパリに到着 Valiseも待てど暮らせど出てこない
TGVに乗れなくなってしまうと気が焦るばかり 
ようやく暢気そうなベルトコンベアに乗って出てきた旅行鞄をひっさらうようにカートに乗っけて
案内嬢にTGVはどっちと怒鳴るようにして聞き、走る、走る・・・7,8分行ったところで(あとで理解したことだったが、ドゴール空港は、国内線のエアポートとその奥のTGV乗り場が併置されている構造になっていた)、かなり美男の若い空港案内人が近寄ってきて、お手伝いしますマダム、と、鞄を持ってくれる チケットを見せると、これは・・・かなり難しいですが、僕も一緒に走ります!と泣けてくるようなことを言ってくれる ほろりとしている場合じゃない とにかく走るのだ!と言い聞かせつつ、やつとともに走るに走った 少し行ったところで、また、マダムときたーマダム、率直に言って、やはり間に合わないと思います、まだシャトル電車に乗らなくてはならないので・・・なぬ−!新幹線に乗るのに、まだ電車に乗るってどいうこと?と聞き返すと、チケットをまじまじと見て、CDGではなくTGVだったのですね、マダム!ーええっー、マダムなんて何度も言ってる場合じゃない!ーそれでは僕はここで失礼します、どうぞ幸運を、マダム!ーはいはい、早く消え失せて!って感じで、また走り、階段を転げるようにして降りて、ようやくTGVの出発ホームにたどり着き、中年男性の恰幅のよい乗務員に確認すると、これで大丈夫ですよ、とマダム無しの安心のお返事 
はあ、ありがとうございます!ふうー!座席番号なんか確認してる間もなく、着席できたのが、出発1分前。振り返れば、かなりきわどい一戦だったのでした。

<リヨンの街>
ローヌ河がゆったりと流れ、空と街が調和しているリヨン
百数十年前に、G.サンドがこの河を下り、そのときスタンダールも同じ船だったことを思うと感慨もひとしお  滞在中は、何度もこのローヌ河の川べりを散策
ピュアな空気とおだやかな河の流れ、いつまでもこの感じに浸っていたい心地がする大都市でした

3日間に渡った国際コロック無事終了 10月19日
研究発表とコロックのレジュメや開催者の方々の挨拶が終わると、最後はプロの役者たちによるコロックを揶揄した演劇の上演:Oh, universitaires! Oh, colloque, Oh, George Sand と観客を爆笑の渦に巻き込んでの熱演が最高!

グルメの街、リヨン
コロック開催中に提供された昼食は豪華そのもの
レストランのデイナーも巨大なフォアグラや郷土料理のクネル、チョコレートケーキ等々、堪能
今回は発表しなかったので参加費や食事代など無料ではないはずなのに、主催者の方々の暖かいご厚意に甘えさせていただきました。出発前からリヨンの交通事情からホテルの手配まで、主催者の方も事務方の秘書さんも、手取り足取り、細やかに貴重な情報をご教示下さり、それだけでも感謝の念に堪えないところを、さらにいろいろとよくして頂き有り難く、とても感じのよいコロックでした。

<10月20日:リヨンからパリへTGVにて>
本日から秋休みというので、 親子連れやカップルなど、旅行者で駅は満杯。広大なPart Dieuの駅。出発ホームを間違えていたことや、そんなこともあって、 ようやく出発のquaiに着いたときには、2分前に 列車は発車済み。仕方なくカウンターで事情を話したところ、 次は2時間後 の一等席しかないとのこと、 23ユーロの差額金支払いなら我慢の限度内と即座に予約。チケット担当のおばさんがひどく同情し心配してくれて、 20分前に提示される出発案内がどこに表示されるかとても丁寧に教えてくれたほか、くれぐれも気をつけるようにと、何度もしつこくご助言してくれて・・・今度こそ無事に車中の人に!

問題は、 今夜から泊めてくれ るクリスチーヌ宅への連絡。今回の旅で一番のストレスは、ネットが通じなかったこと。その上、やっと繋がってもGメールとYahooメールの相性が悪く、Gメールの暗証番号が違ったため送受信できず(古いのをもってきてしまっていた!)、連絡したい相手が皆さんGメールだったので、Yahooで送っても戻ってきてしまうという不幸な状況に・・・
ただ、TGV内のとくに一等席は、 ネット環境もいいはず!といろいろやってみたのですが、 日本のGメールやYahooメールは、 いつまでたっても接続されず 、約束の時間は迫るのに少しも埒があかない(パリ到着寸前に通じた!)。とにかく、気が気ではなく、苦肉の策を考案。 4人掛けの同じ席に 座っていた学生風の若い男の子に懇願し、クリスチーヌに宛て、彼のメアドから遅刻を知らせるメッセージを送ってもらったのでした。 あとで聞けば、おとなしそうな青年は、外見は西洋人そのものなのに、母親が日本人で父親がイタリア人、フランスに住んでいて、大阪に毎年行くとのこと、そんなこんなで日本人のシルバー女性にことのほか親切にしてくれたのかもしれません。
コンサートに出かける予定だったクリスチーヌは、 同じアパルトマンの 友人に私用の鍵を預けてくれていて 、すべて問題解決。ここでも何とか、危機を乗り越えることが できたというわけでした。

<友人へ>
今日は 19世紀文学関係の研究者のマダムとお昼に会食。
午後は一人でパンテオン裏の劇場にて、確かアヴィニョンの演劇祭で賞を取ったという女優によるサンドに関する一人舞台を観劇。
明日は、 パリ第七大学の女性教授 とお会いし、来年のコロックの打ち合わせです。それらが終わると、少し安心できます。
いろいろとお気遣いありがとうございます。財布とカメラの盗難に遭われたとのこと、損害はたいしたことはなかったそうで、よかったですね。旅行の一大目的だった地方図書館での手に入れ難い歴史資料をゲットできたとのこと、なによりです。
一人旅の珍道中が続いておりますが、私も スリなどに十分に気をつけるようにいたします。




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『パリが私を呼んでいる  知られざる素顔のフランス留学体験記』
山田 真紀 (著)


商品の説明
内容紹介
いきなりすごい剣幕で怒りだす女性、毎晩のように隣室から漏れる、眠りを妨げるような音、町のあちこちで見かける犬のフ○、いきなり「友達になりませんか」と声をかけてくる紳士、仕事よりも優先される「恋愛」。……えーっ、パリってこんな町だったのと、これでもかってくらいに驚かされても、なおもパリを愛してやまない、そのヒミツが分かるエッセイ集。

登録情報
単行本(ソフトカバー): 154ページ
出版社: 文芸社 (2015/1/1)
言語: 日本語
ISBN-10: 428615825X
ISBN-13: 978-4286158259
発売日: 2015/1/1

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その他 フランス留学関連の本

『パリジェンヌのパリ20区散歩』 (河出文庫) ドラ・トーザン著 ¥713  2013/6/5

『留学ジャーナル2015年2月号』雑誌 2014/12/10 ¥700

『PARIS パリ1ヶ月アパルトメント生活!』 文庫 滝岡 志穂 著 ¥756   2014/11/1

『パリで「うちごはん」そして、おいしいおみやげ―暮らすように過ごす旅レシピ』 重信 初江
¥1,728  2008/3

    

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最近、学生の奨学金制度のことが話題になっているようですが、教員室でも、今日は先生方の間でそんな話が出ていました。
大学院までフルに借りたので4,5百万円がまだ返済できていないという方も多くいるとのことでした。大学教員の場合、専任になった人に限り返済義務はないが(院を修了後、決められた短い期間内に専任にならなくてはならない。非常勤がほとんどの現状では、ほぼ不可能)、専任になれない場合は一生かかって返済し続けなくてはならず、このように現在の日本の教育制度では、高等教育を受けようとすると個人に信じられないほど高額な経済負担を強いられるのが現状です。

日本の非正規 国際的にも低賃金 【データは語る】
「2015年度経済財政白書」(内閣府)によれば、日本の非正規の賃金は正社員の67.3%にすぎない。

http://workers.jcp-kanagawa.jp/archives/7309http://workers.jcp-kanagawa.jp/archives/7309

フランス人の知り合いの先生の中に、お嬢さんが離婚しシングルマザーになってしまったが、日本では孫の将来の教育が心配だから、定年退職後は、乳飲み子のお孫さんをフランスに連れていって自分が育てると、真剣に考えている方がいらっしゃいましたが、この選択も頷ける気がしてきます。

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フランスでは、もちろん奨学金の返還義務は一切なしで、これは世界的にも常識のようです。

【#フランス留学、納得の10の理由!その1:国が教育費を支援】
フランスでは、教育費の大部分を国家が負担しています(学生1人当たり年間11,740 €)。
留学生とフランス人学生との間に区別は一切なく、入学条件、交付される学位や資格、世界水準でも安価な登録料など全て同じ条件です。
@CampusFrance_jp 1月20日
https://twitter.com/CampusFrance_jp


かつて、非常に昔の一度目の留学中(南仏)の話ですが、周囲のフランス人学生たちはほとんどが、返還不要の奨学金をもらっていたようでした。父親が大臣というお嬢様まで!詳しく聞いてみると、奨学金の貸与は親の収入に応じているので、一般学生より少ないとのことでしたが。

フランスの大学や院での学生生活はといえば、学生寮で暮らす場合、机とベッドとクローゼット、洗面つきの個室に住み(各階に共通の台所設備あり)、週に一回、通いのおばさんが部屋を掃除しにきてカーテンまで洗ってくれるので(すべて無料)掃除をする必要なし、食事については学食でフルコース(デザートが市販のカップヨーグルトやクッキーのこともあったけれど)、パリでは無理だが地方の大学では、日常的に肉料理(ビフテキ類や時には肝臓なども)と取り放題のフランスパンとグリーンサラダが出される他、週末はクスクス料理や鶏料理(一人前半羽)といった豪華料理が定番でした。学費もフランスの大学は国が相当な負担をしている上にすべて国立なので(今の日本では国立大と私立大の学費の差はなくなっているが)日本の数十分の一といった感じ、そのため学生生活は裕福とはいえないものの、心理的にとても優雅な感じでした。

このように生活費を奨学金で賄うことができるため、フランス人学生たちは、アルバイトといえば田舎ではさくらんぼ摘みや葡萄摘みぐらいしかないし、アルバイトをする必要性もさしてないので、皆、勉学に励み(きちんと勉強しないと落第する!アランは日本人のK子さんに夢中になり勉学をおろそかにしたので、落第して奨学金を打ち切られてしまい、法学部から文学部に入学し直し、といっても入試はないので登録申請するだけで再び奨学金を手にする、というちゃっかり者。背が高い上に年齢が他の学生より上で目立つこともあって、K子さんと心持ち小さくなって暮らしてた)、厳しくも楽しく非常に充実した学生生活を満喫しているという印象がありました。

http://matome.naver.jp/odai/2135484585015342201http://matome.naver.jp/odai/2135484585015342201

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「不安なく暮らす」ための全課題 PRESIDENT 2011年1月17日号より

神楽坂にある喫茶店「ジョルジュ・サンド」のオーナー吉村葉子さんが、雑誌記事 "「手取り」が減ったら何から削るべきか "(2011年1月17日号)の中でフランス式シンプル・ライフを提案している。

ー「フランスでは、ワークシェアリングを目的とした、週35時間労働制が法制化されている。」

当時の女性労働大臣マルチーヌ・オーブレが経済界の大反対を押し切り、週35時間労働法を法制化したことは記憶に新しい。これにより労働間の格差が減少し、フランス国民は金曜日の午後から仕事場を離れ週末の休暇をたっぷり楽しむことができるようになった。仕事に戻るのは、月曜日の午後からという感覚だという。それにもかかわらず、GDPが日本より高いのはフレンチパラドックスと言われているが、働き方の無駄を省けばこうしたことも可能なのだろう。何よりも仕事とストレスばかりの一生ではなく、男女ともに時間的に余裕のある暮らしを楽しめることは素敵だと思う。

そういえば、過日の日経新聞(2013年3月18日朝刊)のコラム「春秋」は、横浜市で開催中の女性の戦場写真家ゲルダ・タローの写真展(1930年代内戦中のスペインの女性兵士達)に触れ、日本が女性の働きやすい先進国において最下位から二番目であることを強調した上で、「女性が普通に力を発揮し、正しく認められる。そんな日本を誰もが望んでいる」と締めくくっていた。久々にうれしい記事を読んだ気がした。署名がなく記者の名前を知ることができないことを残念に思う。新聞もメデアも、このような記事をどんどん書いて世論を先導していってほしい。それこそが彼らの使命なのだから。

横浜市といえば、「横浜市の林文子市長(66)が公約に掲げていた「保育所の待機児童ゼロ」は、3月現在、実際にゼロになっているという。女性市長ゆえだろうか。やれば出来る! Vouloir c'est pouvoir. 好きな格言を信じたい。

http://sankei.jp.msn.com/region/news/130217/kng13021722340007-n1.htm

ー「フランスは物価が高く、食料品以外の消費税は19.6%。」

食料品には消費税がかからないので、日本で暮らすより生活にリッチ感がある。フランス人は野菜も肉類もキロ単位で買う。私の場合はキロでは多すぎるので半キロで買うことが多かったが、少ししか買わなくても彼らは嫌な顔をすることはなかった。たった一本の薔薇の花でも、恋人に贈るのだと言えば、花屋さんは貧乏学生の恋と同情し、気持ちよくラッピングしてくれたことを思い出します。

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ー「おしゃれなイメージの強いフランス人だが、持っている服の数は意外なほど少ない。愛があれば、相手が何を着ていようが気にしない人たち。清潔で、自分に似合ったものであれば、それで十分だと彼らは考えています。」

確かに日本人に比べ、フランス人は圧倒的にファッションの流行を追うということがない。シンプルな服にスカーフやベルト、アクセサリーの装飾品でアレンジして多彩な着こなしを楽しみ、カラーコーデイネートが上手で靴やバッグと洋服の色を統一している。一発で決まっている!と感嘆してしまうようなコーデイネートが上手で極めて個性的でもある。

昔のことだが、一般にパリ大学の女性教授たちは極く普通のセーターにパンタロンという地味なスタイルが多かった。そのセーターの色が時々、ブルーに変わったりヴァイオレット色に変化するという程度であった。中には紺のジャケットにグレイのプリーツ・スカートといったきっちりしたコンサヴァ風ファッションの教師もいたが、この女教師は学生に答案を返却する時、「はい、君は合格12点」「あなたは6点で不合格」(フランスでは満点が20点)と名指しで得点を公表し、クラス全員の前で学生に恥をかかせることが得意だった。

概して、フランス人はファッションに関しては、男女ともに素材や色にこだわるという印象があるように思う。ウール、麻、絹かという点にはうるさかった。マクドナルドがポリエステルと同等と断定するのに似て、フランス人には本物志向はフランスの伝統という哲学があるように思う。

軽い嘘はついても平気だが、根本に関わる嘘を生きる事はできないのもフランス人だ。だから愛がなくなれば別れ、離婚もする。愛のない暮らしを続けている仮面夫婦やセックスレス夫婦、単身赴任の夫、等々は、極めて非人間的なことで許容し難く、彼らの理解を遥かに超える現象なのだ。

愛の国フランスは、愛のためには信じ難いような物事にも寛大である。フランスの地方大学には学生寮があり、学生たちは寮生活をしながら勉学に励んでいるが、ある男子学生が恋人の女子寮が遠いので近い寮に変えてほしいと大学の女性管理局長に頼んだところ、すぐにオーケーが出たことがあった。

日本では不純なことが、フランスでは純粋なのだ。フランスは愛に関しては、どこまでも純粋だ。愛し合う人たちや老人や子供達をさりげなく大切にするという、とてもおしゃれな気風がある。本当のおしゃれとは、時流に流されることではなく、祖先が大切にしてきたものを彼らと同じように大切にして生きることだということを教えてくれる。

ファッションといえば、スーツやワンピース姿にかっちりしたハンドバッグを手にして近所の魚屋さんや肉屋さんで買い物をしている白髪の老婦人たちにもよく出逢った。彼女たちの中には、毎日、必ず美容院に行くと言うご高齢マダムもいたが、彼女達がいずれも頬を夕焼けのように赤く染める化粧をしていたのはなぜだったのか。恐らく顔色をよく見せるためだったのだろうけれど、夕焼け色が顔の面積を占領し激しく主張していて、この度を超えた化粧法は少々滑稽にも思われた。このようにイレギュラーとも思える人たちがいるのもフランス。そして彼らは決して画一的ではない多様性という社会のフレームの中で鮮やかにあでやかに生を満喫している。

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ー「食生活にも「シンプル」が貫かれている。毎日食べるサラダも、トマト、キュウリ、レタスなど何種類もの野菜が入ったコンビネーションサラダの出番が少ない。前菜の定番は、キュウリならキュウリだけの“単品野菜のサラダ”。」

パリでも地方でも、仕事帰りのマダム達が夕方必ずレタスを買っているのをよく見かけたものでした。レタス一個をよく洗って神経質なほどまでによーく水を切り(レタスの水切り器は台所の必需品)、ハム(Jambon de Parisやjambon blanc など、フランスのハムは人の顔ほど一枚が大きい。店では客の好みの厚さに切ってくれる)や生ハムなどの極々簡単な料理に自家製ドレッシングのグリーンサラダとフランスパン、最後にチーズというシンプルスタイルが、彼らの普段の夕食でした。そのかわり、週末などの友人達とのパーテイでは、思い切りご馳走を食べます。日本と違い、お昼がメインなので、夕食のテーブルを家族と一緒に囲んでも食卓はシンプルなのです。キューリだけの薄い輪切りのマヨネーズ風ソース和えや細く刻んだ人参のフレンチドレッシング風、どちらも量が半端ではないのですが、これらは昼食の前菜によく出されます。

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ですが、コンビネーションサラダの出番が少なくてレタスのみのグリーンサラダを食べるのは特にパリで一般的なことで、南仏地方ではこうしたシンプルな食べ方を「可哀想に。南仏ではもっと豊かな食べ方をする」と、エクサンプロヴァンス大学の我が指導教授はパリ風サラダの食し方を皮肉っていたものでした。
南仏に行くとお目にかかる「ニース風サラダ」は、ゆでたジャガイモ、トマト、アンチョビ、ツナ、ゆで卵、オリーヴ、ピーマン、レタス、と彩りも鮮やかです。このサラダを丸いフランスパンに挟んだサンドイッチsandwich nicoise は、エックスの町の大通りクール・ミラボ Cours Mirabeauの屋台で売られていましたが、パリでは決してお目にかかれないこのサンドイッチは私の大好物でした。

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写真ではパンが日本のハンバーガーと同じ大きさに見えますが、実際はそれよりも3倍はある大きさの丸いフランスパンです。次から次へと予期せぬ食材の美味に遭遇する楽しみにアタックする感じで食べてゆくサンドイッチ・二ソワーズ。これを一口齧ると、舌の先から頭のてっぺんまで幸せ感が満ちあふれ、知らぬ間に笑顔がこぼれてしまう、エックスのサンドイッチ・二ソワーズとは、そんな幸せを呼ぶサンドイッチなのでした。

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http://president.jp/articles/-/8325http://president.jp/articles/-/8325

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25日にパリ国際大学都市の日本館で震災後の日本についてのシンポジウムが開催されるようです。

パリ国際大学都市といえば、留学時代やその後シンポジウムの発表で渡仏した折に、ノルウエー館、イタリア館、スイス館、インド館などにお世話になりました。初めてパリに留学した年の一ヶ月半は、ノルウエー館で過ごしました。落ち着いた北欧家具が備えられ、快適な部屋でした。その後、エックサンプロヴァンス大学大学院の近代フランス文学科の学生となり、夏休みになるとエックスからパリに上京し、大学都市からBibliotheque nationaleに通ったのでした。

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Repenser le Japon : A partir de la crise nucleaire de Fukushima

Cite internationale Universitaire de Paris
Maison du Japon Grand Salon
7C, bd Jourdan 7

Ce panel de discussion a pour objectif de faire attirer l’attention sur les consequences du tremblement de terre du 11 mars. Nous allons discuter d’abord des rapports entre le nucleaire et le Japon, societe hyper modernisee qui consomme une grande quantite d’energie, dont la frequence de tremblement de terre est tres elevee. Ensuite nous allons reflechir, autour de la conception de la ≪ societe du risque ≫, a la cohabitation avec les divers risques immanents dans la societe moderne. Pour terminer, deux intervenants nous presenteront ce qu’ils ont vu au Japon apres le desastre avec une video et discuteront de la reconstruction du pays.

Mot de bienvenu : Hitoshi Terao (Directeur de la Maison du Japon)

Allocution d’ouverture par Yumiko Yamamoto (Doctorante et chargee de cours, Sciences Po-CERI)
≪ Politique japonaise d’energie nucleaire : quelle nouvelle orientation ? ≫

≪ Resistibilite de la centrale nucleaire au Japon – a partir de l’accident de Fukushima ≫
Takuma Inagawa (Etudiant, Ecole Centrale Paris-Univ. Keio)

≪ Traitement de dechet radioactif et le Japon ≫
Soichiro Hayakawa (Etudiant, Ecole Centrale Paris-Univ. Keio)

≪ Japon face a la societe du risque ≫
Toru Yoshida (Professeur de Science politique, Sciences Po-Universite de Hokkaido)

≪ Amid Japan's Devastation≫ avec une projection de video ≪ 3/11 Tsunami Photo Project ≫
Ken Daimaru (Doctorant, Universite de Paris X)

≪ Avenir du Japon a court et a long terme≫
Masako Soliere (Ancienne fonctionnaire de l’UNESCO)

Moderateur : Yumiko Yamamoto

La discussion se tiendra en francais
Un cocktail apres la discussion

遠景バラ レッド

フランスは、もうすっかりヴァカンス・モード。
フランスのヴァカンス法は、「パンと平和と自由」を公約スローガンに誕生したレオン・ブルム内閣のもと、1936年に「労働者、農民、失業者にも休暇によって生きる喜びと誇りを」と賛成563対反対1で国会を通過し成立した法律。当初は2週間だった有給休暇制度でしたが、1956年には3週間に、1969年には4週間となり、1982年からは5週間の長期休暇がフランス国民に保証されるようになりました。

なんという長い休暇!一斉にこのような休暇をとってしまったら、社会は麻痺してしまうのではないかと心配になりますが、ヴァカンス中のパリは、例えば、一つの通りにあるいくつかのパン屋さんは順番に休暇を取るといった申し合わせがされていて、味のニュアンスの違うパンを食べなくてはならないという許容範囲内の不都合を除けば、かつて南仏に4年、パリに2年滞在していた間も、さして実害を感じたことはなかったように思います。

それより、五月も末頃になり、南仏の赤茶けた煉瓦の家々に差し込む日射しが日に日に強くなってきて、乾いた大気のなかにラベンダーの香りがほのかに漂ってくると、それはもう心躍るヴァカンスの匂い。街行く人々がうきうきとし、期末試験やレポート提出を終えたキャンパスやシテ・ユニヴェルシテールの学生たちの間にも、楽しげな会話が飛び交っていたのを思い出します。

フランス人は一年の前半を来るべきヴァカンスについて話し、後半はその夏にすごしたヴァカンスの話をしている、要するに、一年中ヴァカンスの話ばかりしているといわれています。フランス国民にとって、それほどヴァカンスとは生きてゆくうえで大切なこととして捉えられているようです。それに比べ、一日に信じられないほど長時間の仕事に拘束され、睡眠時間もフランス人の平均より少ない日本人の暮らし。

ヴァカンス法を始め、家族制度、少子化対策、社会保障や児童手当、500メートルに一軒?と思うほど充実していた保育園や幼稚園の数、町の気軽な往診付きホームドクター制度、大学生の返還不要の奨学金まで、日本より人々の基本的な暮らしが恵まれている感じのするフランス。個か集団か、自由か規律か、異議申し立てか従順か、個性か事なかれ主義か、責任か義務なのか、自立か依存か、自分の範囲外の仕事は絶対しない主義かサービスの迅速性優先か等々、それぞれ両極端に違うことばかり。どちらを取るべきなのか。二つの国の制度を足して二で割るのが理想的なのかもしれないと考えたりしていたものです。

夏休みまではあともう少し。梅雨の鬱陶しい中、今月末にかけては仏検とDELF・DALF。大学では、中間試験、梅雨が開ければ猛暑の中の期末試験とハードなキャンパスが続きますが、元気を出してゆきましょう。




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ツール国際コロック(ツール大学主宰)

パリから帰国後、一週間が経過しても、なかなか時差が解消されないままでいます。

ツールのコロックには、ロンサールの墓所で有名なPrieure Saint Comという薔薇や美しい花々に囲まれた中世の僧院に、フランスはじめ、ギリシャ、ロシア、アフリカ諸国等から研究者、作家、詩人が参集し、Provocation en litteratureというテーマを巡り、3日間に渡り、様々な視点から興味深い発表と質疑応答が繰り広げられました。ツールのChinonというワインが大変美味しく印象に残りました。


かつて、車で何時間かかけて訪れたことのあったツールが、新幹線であればパリから最速で一時間少しで行くことのできる至近距離の街となったことも発見でした。地元のtourangette*の方にパリが近くなって便利でよいのではないかと伺ったところ、便利だけれどパリまでの交通費が50ユーロもかかってはね、ということでした。
現実には、パリに行く必要性もあまりないのかもしれません。
というのは、ロワール河沿いの美しい古城もさることながら、この街にはパリにはない他の魅力があるのでないかと感じられたからです。週末の夜、コロックの懇親会のために待ち合わせをした広場は、まるでお祭の日であるかのように若者や行き交う人々で混雑し、渋谷ハチ公前のような賑わいぶりで、まさに不夜城のような様相を呈していました。広場の周辺はイルミネーションも鮮やかなレストランが軒を並べて盛況を極めており、活気に満ちたその様は、どことなく日常に疲れた人々がすれ違うボードレールのパリとはほど遠く、昼間の静的なツールの街の佇まいからは想像し難いものでした。

ひょっとしたら、フランスには日本のような中央と地方との格差は存在せず、逆に都会より地方の方が活力に満ちているのではないかと思えたほどでした。ツールの夜の広場の印象は、マルセイユやリヨンに比べ規模の小さなこの街に対して抱いていた先入観をすっかり覆すに余りあり、最初はひどく立派すぎると思えたツール市の市庁舎が象徴しているものは一体何なのかを知りたいという好奇心に駆られたものでした。

乗り物に関して感じたことと言えば、タクシーの運転手さんに女性が多かったこと、しかも50代、60代ではないかと思われるような年齢の女性運転手が数多く見られたことでした。彼女たちが、会社のユニフォームではなく、自前のジャケットをきちんと着て手袋をはめているところに、女性運転手の厳しい職業意識を垣間見たように思いました。

コロックの後、モンマルトルの麓にあるLe Musee de la vie romantiqueなどのほか パリ郊外のPalaiseauを訪ねました。L'Association Les Amis de G.SandのBご夫妻が、大変ご親切にサンドとマンソォがかつて住み、現在はお二人がお住まいのMaison blancheと呼ばれる木々に囲まれた緑豊かな邸宅を案内してくださいました。また、ご夫妻のお取り計らいにより、折しもJournee du patrimoineの一環としてPalaiseauの町が開催していたサンドのレクチャーコンサートにも参加することが出来、短いながらも充実した仏滞在となりました。

Journee du patrimoineとは、9月20、21日の週末両日に、歴史や文化の遺産を守るために、フランス各地や各都市がそれぞれの趣向を凝らして繰り広げた国を挙げての催しのようでした。ツールでは市民マラソン大会のほか、消防庁や警察庁の展示会や訓練演習のお披露目などが行われていました。
写真はツール市の市庁舎です。

*ツール人=tourangeau 女性形=tourangette 男性複数形 = tourangeaux

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スワン・きよ・エッケ`くり


八月末からパリとマルセイユにしばらく滞在しました。
いつもは学会参加が主な目的のため、一箇所に留まって、閉鎖された時空間を過ごすことが多いのですが、久しぶりにパリのホテルや友人宅に滞在し、フランスの日常社会に溶け込んで、世の様変わりを経験してきました。

以前は多かった泥棒や、メトロや公園の物乞いの人々の数はごくわずかでしたし、意図的なお釣りの計算間違えにも出会うこともなく済みました。こちらが云いたいことをはっきり相手に伝えるという毅然とした態度をモットーにしたことが、少なからず、功を奏したのかもしれません。
例えば、円をユーロに替えたい時には窓口の人のいうなりになるのではなく、これこれの額のユーロを欲しいのだがそちらの条件はどうか、と交渉するのです。両替の窓口によっては信じられない額の手数料comissionを要求するところがあるので、よく注意しなくてはなりません。銀行だからといって日本のように安心できないのがフランスです。ある両替所では欧米人らしき旅行者と、自由経済なのだから譲れないと高額な取引を主張する窓口の居丈高な女性とが大喧嘩をしていました。良心的な両替所もあるので、そのような両替店はさっさと見切りをつけた方が賢明です。

ところで、「世界の国々の中で、友人を作るならフランス人が一番だ」とよくいわれますが、今回もフランス人の友情の厚さに様々な場面で感動しました。彼らは大げさなことはしません。ですが、仏人の友人は概して、友人となった相手には自分のできる範囲で、さりげなく、時には懸命ともいえるほどの暖かい友情を捧げてくれます。友人ではなくても心を動かされる出来事に出会うことがこれまでにもたびたびありました。機会があったらそんなことも書いてみたいと思っています。

スワン・きよ・エッケ`くり


八月末からパリとマルセイユにしばらく滞在しました。
いつもは学会参加が主な目的のため、一箇所に留まって、閉鎖された時空間を過ごすことが多いのですが、久しぶりにパリのホテルや友人宅に滞在し、フランスの日常社会に溶け込んで、世の様変わりを経験してきました。

以前は多かった泥棒や、メトロや公園の物乞いの人々の数はごくわずかでしたし、意図的なお釣りの計算間違えにも出会うこともなく済みました。こちらが云いたいことをはっきり相手に伝えるという毅然とした態度をモットーにしたことが、少なからず、功を奏したのかもしれません。
例えば、円をユーロに替えたい時には窓口の人のいうなりになるのではなく、これこれの額のユーロを欲しいのだがそちらの条件はどうか、と交渉するのです。両替の窓口によっては信じられない額の手数料comissionを要求するところがあるので、よく注意しなくてはなりません。銀行だからといって日本のように安心できないのがフランスです。ある両替所では欧米人らしき旅行者と、自由経済なのだから譲れないと高額な取引を主張する窓口の居丈高な女性とが大喧嘩をしていました。良心的な両替所もあるので、そのような両替店はさっさと見切りをつけた方が賢明です。

ところで、「世界の国々の中で、友人を作るならフランス人が一番だ」とよくいわれますが、今回もフランス人の友情の厚さに様々な場面で感動しました。彼らは大げさなことはしません。ですが、仏人の友人は概して、友人となった相手には自分のできる範囲で、さりげなく、時には懸命ともいえるほどの暖かい友情を捧げてくれます。友人ではなくても心を動かされる出来事に出会うことがこれまでにもたびたびありました。機会があったらそんなことも書いてみたいと思っています。

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