2011年03月

東村山名物? 銀河鉄道

「バスファンがつくったバス会社」として知られる『ぎんてつ』こと銀河鉄道。本社は東京都東村山市だが,社長の山本氏は実家の酒類販売業を継がずに,いつでも大好きなバスに乗れる仕事を選んだ。その経緯はバスラマ112号に詳しいが,昨年は小平駅と小金井市内を結ぶ新路線を開設するなど相変わらず意気盛んである。この開設により最初の路線と合わせて2路線が乗り入れる小平市でも,『ぎんてつ』といえばすでに市民に知られた存在のようだ。筆者は小金井市民だが,志村けんの『東村山音頭』,東村山駅から銀河鉄道車庫に行く途中に工場のある東村山ソース(いま家の冷蔵庫に入っている)と同様,早晩『ぎんてつ』が東村山名物になるのではないかと期待している。
銀鉄
写真は夕暮れの小平駅で待機する小金井線の中型ノンステップバスで,観光タイプの前構を持つ日野HR。バスラマ連載「リペアサービスの現場から 東昭興産」で工場内のスナップにわずかに写っていた車そのもので,山本氏が探し出した中古というが,行灯の社名ロゴも凛々しく,新車と見紛う美しさ。このほかにふそうMKワンステップ,バスラマ掲載の頃から在籍していた日産ディーゼルRM短尺車(元西武)などもあるから,移籍車ファンならずとも一度はウォッチする価値があるだろう。(S)

冷暖房完備

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去る土曜日に,彦根市の「ご城下巡回バス」に乗ってみた。このバスは昭和41年式いすゞBXD30で,彦根駅を起終点に琵琶湖や彦根城などを巡るもの。運行は概ね1時間に1回で,運賃は1回200円か1日券500円。

車内には地元のボランティアガイドが同乗し,名所旧跡の案内をしてくれる。もちろんボンネットバスの紹介も忘れておらず,「冬は冷房,夏は暖房の冷暖房完備」と車内を笑わせる。

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3月も末に近いと言うのに,この日の彦根は雪が降っていた。ドライバー氏は「この時期に雪は珍しい。もう10年近く乗っているけど,初めてだ」と一言。確かに冷房完備だったけど,冬の格好をしていたので気にはならない。それよりも暖房付きのバスと同じ格好で運転しているドライバー氏の方が,寒さは大丈夫なのか気になりました。(や)

地震から11日

 地震直後は弊社にも各地から暖かいお見舞いをいただき、1週間経つと被災地に近い読者の方々との連絡も取れるようになったが、そうした時間の経過につれて被害の実態も明らかになってきた。激しい揺れにも耐えたと思われる町は、津波でことごとく破壊された。港から波に乗って陸に揚がった船が動き回り家屋を壊したというのも悲しい話だ。犠牲者は9,000人を超えた。原子力発電所の被害が食品流通に影響を与え始めた。計画停電に悩まされる弊社のスタッフもいる。体感する余震も続く。そんな中でほぼ通常通り仕事が進められる我が編集部は恵まれているというべきだろう。まだまだ様々な影響が出てくると思うが、寒さの中で懸命に復旧に努める被災地の方々に思いを馳せれば前向きに取り組まなければならないと思う。

 被災地の復興に協力するバスの活躍の様子も伝わってきた。神姫バスは地震の翌日から社を挙げて支援を表明。貸切バスを医療用に送り出したし、大阪市交通局も路線バスに救援物資を積んで現地向かった。国土交通省が直接各社のバスをチャーターして現地に送り込んでいて、その台数は300台にのぼるという情報もある。燃料さえあればバスの機動力も充分に発揮されることだろう。バスを走らせる人々にもエールを贈りながら、一日も早く平穏な日々が取り戻せることを期待したい。(W)

雪国のバス停

バスシェルター014
南越後観光バスの「沢口」のバス停。ポールはシェルター(建屋)の中にある。同社のエリアでは建屋を併設したバス停はよく見かけるが,ここは大きい。積雪地用の倉庫・物置を活用したものと思われる。六日町-清水間の途中にこの沢口の停留所がある。建屋のすぐ左側が魚野川水系登川で,写真は上流側から見たところ。広いバスシェルターで,誰もいないのをいいことに,雨の日は中で釣仕度をさせてもらったりしている。

バスシェルター内部015
中はクズカゴ(分別あり)完備で,電動三輪車が止めてあったりする。以前は公衆電話もあった。バス停が地域の玄関口のような存在だったのだろうか。周辺4地区が当番制でシェルターの掃除などをしているようだ。周囲の人達との協調を重視する“雪国の伝統”を感じる。(Y)

路面電車メモリアル1

 LRT構想が各地で聞かれる。富山の成功を参考にしているケースもあるようだが,富山の場合,最初から多くの軌道が用意されていたことはお忘れなく,と言いたい。実は私は路面電車から乗り物の写真撮影歴がスタートしたといってもいいのだが,それだけに1960年代から1970年代にかけての,官民挙げての路面電車廃止ブームの一端も見てきた。だから安直なLRT構想など語ってほしくないのだが,ここでは純粋なメモリアルとして,私が過去に撮った路面電車の車両や風景を不定期で紹介しよう。最初は名鉄美濃町線のモ870形である。同線は2005年と比較的近年に廃止された,現在の路面電車復活風潮の中では何とも勿体ない路線であり,廃止代替輸送を名鉄系の岐阜バスが担当しているのはバスラマ123号に書かれたとおり。

崇 094
 で,このモ870形だがプロパーではなく,札幌市交通局が1965年に導入し「国内で最も美しい路面電車」とも言われた連節車A830形である。6編成中,1976年に廃車された3編成が名鉄に移籍した。写真は移籍2年後の姿で,側窓の一部開閉式化やステップを付けた以外,札幌時代のスタイルをほぼそのまま残しているが,後年は冷房を載せたり側窓の天地寸法を縮めたりと,オリジナルを知るファンから見れば残念な変化を遂げていった。2編成は2005年の路線廃止まで頑張ったが,1編成は1988年に廃車されたという。その廃車体は映画『黒い雨』で,被爆する広電に扮したようだ(ようだ,というのは映画ではなく,同映画に協力した福山自動車時計博物館に掲げられていたスチール写真で見たため)。オリジナルの姿は次の機会に紹介しよう。(S)

資源は復旧最優先に!不要不急の行動は控えませんか?

3月13日に発生した東北地方太平洋沖地震の影響で、首都圏では電力不足による輪番停電に伴う鉄道網の混乱が伝えられていますが、バスの運行にも大きな影響が出ています。既に報じられているように、地震以来各地のガソリンスタンドに自家用車が殺到し、長い行列ができています。道路の片側が塞がれた状態になり、バスの円滑な運行に支障が出ています。また運行に必要な軽油の確保が難しくなり、路線バスの減便や運行休止などの影響が出ています。

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【給油待ち渋滞が円滑な運行の妨げとなるケースが目立っている】

製造施設の運転停止や流通の混乱により、被災地はもとより、首都圏をはじめとする周辺地域でも、燃料の入手難に加えて食品、防災用品の売り切れが相次いでることは事実です。しかし政府の発表によると、物資の生産量自体は十分にあり、また流通についても地震の影響を受けていない中部・関西から関東以北への輸送が伝えられています。目の前で物がなくなる様子は不安になりますが、今一度落ち着いて、果たしてそれが今すぐ本当に必要な物なのかを考えましょう。震災の被害がなかった方は,自分の走行距離とタンクの残量を考えて、果たして今満タンにする必要があるのか、もう一度考えてみませんか。動いている公共交通を積極的に使いましょう。110316_2
【燃料難により減便・運休を余儀なくされている路線バス】

最優先すべきは被災地の復旧ではないでしょうか。資源は可能な限り、被災地に振り向けてください。

東北地方太平洋沖地震の災禍がもたらしたもの

11日に起きた東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)には我々自身、突然の大きな揺れに驚かされたが、その後の被災地から届けられた様々な映像には愕然とした。想定を大きく超えたという津波の圧倒的な破壊力に我々は声を失い、日本はもとより世界の人々を震撼させた。編集部にも国内各地をはじめ韓国や中国、遠くヨーロッパからも暖かなお見舞いのメッセージが届けられた。改めて感謝申し上げたい。

幸いにしてスタッフの周辺では何事もなく、通勤の足などに多少の不便はあっても支障なく仕事を続けている。あれほどの被害に遭った被災地の方々に比べれば、多少の不便など大いに甘受しようと思う。

外国からも救援の手が差し伸べられていることもありがたい。これまでの他国の災害に寄せた日本人の行為に対して、といわれれば大いに誇らしい。災害の最中、人の不幸に便乗するような行為が起きないモラルの高さも日本のよき伝統だろう。苦しいときこそプライドを持って助け合う、そんな面も災害の中で見落としたくはない。もっとも今回の災禍の後遺症も相当厳しいものになるだろう。報道の範囲ではバスの被害状況も伝わってこない。バス業界のダメージが少ないことを祈るばかりである。(W)

途中の構図 便乗編

バスラマの取材で各地を回っていると、様々なバス停に出くわす。郊外、否、過疎路線でよく目にするのが「なんでこんなところにバス停が?」というもの。森の中の一本道、周りに人家も何もないのに、ぽつんとバス停がたたずんでいたりする。近くに登山道があったりするので、それなりに役割は果たしているものもある。
しかしまったく人気のないところに、バス停だけある場合もしばしば。よくよく見ると、木立の間に石垣(かつてはその上に家が建っていたのだろう)があったり、少し行った場所に集団離村碑があることもあり、かつてはバスが頻繁に行き交い、賑わっていたであろうことが推測できたりもする。

そんなバス停の中から、一畑バス「うさぎ線」の猪目峠を。うさぎ線と言っても、出雲大社から鵜峠・鷺浦を結ぶ路線なので、因幡の白兎とはたぶん関係ないはず。でも路線をを見ていたら「鰐淵分校」バス停があるから、もしかして関連が皆無というわけでもないのか…?神話の国は奥が深そうだ。さて鷺浦は出雲市北部の海岸沿いの集落で、直線距離では出雲大社とは驚くほど離れているわけではない。しかし実際は山並みで隔てられ、市内中心部からだとどう行っても交通困難な場所なのである。海沿いから行く場合は延々と曲がりくねった海岸線を走り、さらに山越えをしてようやくたどり着く。出雲大社からの山越えの場合は、大社の裏からすぐに森の中に分け入り、延々と離合困難な細い道を走る。路線バスは出雲大社の裏から入り、ぐるり鵜峠・鷺浦を回って戻る循環線となっている。もう一つついでに、鷺浦、猪目、鰐淵の集落の道路は「もしかすると江戸時代やそれ以前から変わっていないのでは?」と思うほどの狭隘路。バス道ですらバスがぎりぎり軒先を掠めて走るような道幅である。

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これが猪目峠のバス停。分岐路の真ん中の棒杭に、時刻表が結びつけられている。周囲は深い森の中、人家どころか人の痕跡すら見えない。ざっと見た範囲では登山道らしきものもない。まさに「なんでこんなところに?」というバス停だが、一応鵜峠方面と鷺浦方面の分かれ道にあるので、かつては集落か人家があったのかもしれない。

時刻表ではまだ明るいうちにバスが来るはずだったのが、やはり山影と森の中、空はまだ明るみが残っているのにすっかり暗くなってしまった。バスが煌々とライトを点けてやってきたが、すでに夜の雰囲気であった。シャッター速度が遅過ぎてぶれてしまったので、当然ながら没写真。(や)

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