2011年10月

バンからワゴンへ

10月18日、富士重工業はBEAMSとのコラボレーション企画として、レガシィアウトバック「2.5i EyeSight EX Edition」を発表し、11月3日から発売する。というわけで、詳細は同社ウェブサイトをご参照されたい。
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これはレガシィアウトバックをベースに、富士重工とBEAMS双方のアイデアを融合した商品ということが売りで、様々なライフスタイルに合わせられる特別装備を設定している。ワゴンなのでもちろんファミリー・レジャー用途一辺倒、カタログは小さな女の子のいるファミリーの、湖畔での釣りや野原のピクニックのシーンがメインである。ところがこれはどう解釈すればいいのだろう、ビル街でアウトバックのドアに手をかけたスーツ姿の父親がたたずむカットがある。「平日にはお仕事にも使えます」ということか。そしてその下には、遊び道具を積み込んだリヤスペースのカット。そんな2.5i EyeSight EX Editionのカタログを眺めていて、なんとなくどこかで見たような…そんな気がした。それもつい最近のレガシィやインプレッサではなく、もっと昔のモデルだったような。

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これは1972年のレオーネ・エステートバンのカタログ。あくまでもバンというのが時代を感じさせるが、「動くリビングルーム」「レジャードライブに若さを表現するエステートバン」といったコピーが躍り、片手間ではないファミリーユースも打ち出している。このあたりは後年大ヒットしたレガシィワゴンの先触れかもしれない。カタログの登場人物は、若いファミリー(子供はやっぱり小さな女の子)とそのご両親と思しき夫婦風の計5人。そしてページをめくっていくと…
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あった!このカットだ。スーツ姿の父親&祖父(中折れ帽なのが“前の世代”のイメージ?)がやはり扉に手をかけてポーズをとっている。そしてその下にはテールゲートを開けて腰かける女の子のカット。車は違うしアングルもちょっぴり違う。でも雰囲気はやっぱり似ている。ライトバンからワゴンへとイメージ大転換を果たしつつも、血筋は脈々と受け継がれているのは、見事だ。かつてのライトバンの「平日は仕事、週末は一家の外出」が、今や「普段はファミリーカー、たまには仕事もOK」と逆転してしまったのだろうけど。(や)

旭川で7E三昧


東京周辺ではほとんど姿を消した富士重工の旧7Eボデーだが,NOx・PM法のかからない地域ではまだまだ現役。先日所用で赴いた北海道・旭川もそのひとつである。同地の2大事業者のうち旭川電気軌道はノンステップバス導入以前に採用されたエアサス・ツーステップの7Eが気を吐いている。片や道北バスは移籍車が主体だが(何せ新車はハイブリッドノンステップばかりだ),ここでは道北バスの4種類のカラーリングの旧7Eをご紹介…。

①

①昨年11月に登録されたらしい日産ディーゼルKC-UA460LSN。車内ステップ周りの塗装から元西武バスのようだ。この時期の西武の新車はノンステあり,ワンステあり,ツーステありで乗るほうも忙しかったが,特にワンステは補助ステップ付など特殊仕様も交じっていた。この車は中2枚折戸だから補助ステップ付のはず。ただし現在は固定されている様子(外からの観察なのでいまひとつ不明)。

②

② ①が道北バスオリジナル塗装に変更されたのに対し,元々『なんとなく似ている』塗装の移籍車はフロントのラインだけ変更して使っている。言うまでもなく浜松の遠州鉄道からで,シャーシーは日野U-HT2MMAA。ノンステップ以前の遠鉄の日野は富士重工製で導入された。余談ながら浜松はうなぎが名物。一方北海道でうなぎは全く獲れないというが,私が行った当日は天然うなぎが偶然獲れて新聞紙上を賑わしていた。

③

③神奈川県は近年移籍車の「主要産地」のひとつ。道北バスには,移籍車の定番・京急/横浜/川崎に加えて元相鉄も活躍している。車種は7E以降に相鉄で一括採用が続いた日産ディーゼルのU-UA440LSN。フロントの塗り分けは道北バスオリジナルだが,全くといっていいほど違和感がない!

④

④かつての移籍車供給王国・都営バスから来た日産ディーゼルU-UA440HSN。北の街で見るナックルラインはまた格別である。石原都政による都営バスの放出禁止令は全国の中古バスの流通に影響を与えたとされるが,今年は被災地への援助として活用され何よりである。道北バスには元都営のUA440がまとまって導入されたが,今回は数が減っているようにも感じた。

道北バスは新車オンリーの旭川電軌に比べると移籍車の多さが目立つものの(新車のハイブリッドが白一色で存在感が乏しいせいもある),極端に古い車もなく均質な印象すらある。以前に比べれば移籍車の使用期間は延びているようにも思うが,厳しい事業環境の中で廉価な移籍車は非常に大きな戦力なのだろう。7Eの健闘を祈りたい。(S)




29日は東急バスファン感謝祭です

今週29日(土),東急バスのファン感謝祭が同社新羽営業所で開催されます。
ぽると出版も参加します!ご来場の際は,ぜひお立ち寄りください。

開催日時:10月29日(土) 11:00~16:00 (荒天中止)
開催場所:東急バス 新羽営業所 (横浜市港北区新羽町1927)

イベント内容
・車両展示【20周年記念復刻塗装車各種,通勤高速車,一般路線バスほか】
・車両撮影会【展示時間中,以下の時間帯に撮影会を実施】
  ①12:00~ ②13:30~ ③15:00~ 各回とも20分ずつ】
・グッズ販売【バスコレクション,トミカ,方向幕キーチェーン,ノッテちゃん関連グッズ,ガイドブック等】
・記念写真撮影回【制帽を着用し,運転席で撮影】
・ノッテちゃんノベルティグッズ配布
・バス試乗会【ファン感謝祭終了後,展示車両で新羽営業所から日吉駅またはたまプラーザ駅までの試乗会を実施】

アクセス【駐車場はないので,公共交通機関で来場ください】
1.東急東横線「綱島駅」から,「綱71 勝田折返所」「綱72 新横浜駅」「綱79新羽営業所」で,「新羽営業所庚申堀」「新羽営業所」下車すぐ。なお当日は綱71系統は記念塗装車両で運行されます。
2.横浜市営地下鉄「新羽駅」徒歩7分

お問い合せ
東急バスお客さまセンター ℡03-6412-0190 (平日9~19時)

URL:http://www.tokyubus.co.jp/

バスラマの写真講座 4

「一発勝負」にならざるを得ない「走行中のバス写真」のシャッターチャンス、1日に数本の路線ではなおさら重要だ。ローカルバスは広い道より「人が居る道」を選んで走る。そのルートが昔からの道路という場合が多いからだが、新しい道路が出来ると、旧ルートを載せかえるかどうかはバス事業者によっても異なる。どちらかといえば旧ルートにこだわる事業者が多いように思う。

さてこの撮影場所なら間違いなくバスが来る、と待っているのだから、来ないと不安になるのは当然だろう。終点の位置や距離にもよるが、途中の乗降がほとんどないダイヤでは、敢えて遅れて出発する例は少なくない。普通に走ると早く着き過ぎてしまうからだ。途中停留所の早発は許されない。かといって途中で適当な時間調整をする場所がなければ、遅めに走ってくる。だからファインダーをのぞいては「まだかな」と手を休める。

鉄道写真なら対象列車が遅れてくることはそうはない。列車が近づいてくると音でもわかる。踏切があれば警報機がなりだすから、接近を知らせてくれる。昔、蒸気機関車の列車を待つときなど、遠くの町で駅を出発を告げる汽笛が聞こえ、黒煙が空に浮かんでから後は、時々刻々列車の接近がわかったから撮影準備は容易だった。そうはいかないバスのシャッターチャンスは、だから難しい。

そして多くの電車や気動車は前も後も変わらないのに対してバスは前後がはっきりしている。だから撮りやすいといえるのかもしれないが、ある意味チャンスは限定的になる。

ところがである。走行中のバスを撮る上での一番の伏兵の存在を忘れてはならない。「ほかの車」である。先頭を走ってくるはずのバスが速度の遅い農耕車に追いついてしまったら…。交通量がないに等しい道路だったのに、たまたま対向車が現れてバスを隠してしまったり。これでボツになった写真は、実は結構ある。

その例A。福井鉄道の織田で、越前武生行を待ち構えていたところ、バスの到着を待っていたかのように横丁から乗用車がバックで出てきて…バスの前に立ちはだかった。
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事例B。今回の下北交通では泊村の市街地の狭いクランクで野辺地行きを待っていた。接近が予期できない場所の典型だが、こともあろうにバスが見えてきた途端に対向車が!
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この時はバスが道を譲って交わしたので予定のショットは無事掲載できたのだが、危ない危ない…。ね?走っているバスのシャッターチャンスって、意外と難しいのです。(W)

バスラマの写真講座 3

時間が潤沢にあればいいが、ほとんどは「一発勝負」にならざるえを得ない「走行中のバス写真」のシャッターチャンスの難しさの続き。初めての場所ながら、一応の条件を満たす撮影ポイントが決まった。自分が乗ってきたクルマも邪魔じゃない場所に駐車した。撮影ポイントに立つ。

「さあいつでも来い」

このあたりから、心の中を流れる時間の速さが急にゆっくりになる。バスが来ない…。「どないしたんや?」

目の前に停留所があれば通過時刻を確認すればいい。そうでない場所だと、本当に目の前の道をバスが来るんだろうか、そんな基礎的なことでも不安がよぎる。路線バスは「人を乗せてなんぼ」の商売。だから広い道路があっても、沿道に屋根が無い道は通らない。

昔はよく失敗した。絶景(?)の場所で待ち構えていてもバスが来ない。心配になった頃、川の向こう岸の狭い道の木々の間に走り行くバスが…。最近はこうした路線形態が分かってきたから、脇道に入っている間に追い越して別の場所で迎え撃つ、いや「迎え撮る」やや上級テクニックも使えるようになったが、旧道への分岐の見極めは一種の勘を養う必要がある。多くの場合、バスは古くからの道路を選ぶ。橋の脇にある旧道などは要チェックである。ま、今回の撮影ポイントはバス路線を押さえていることは分かっている。あとはバスを待つばかり…。ところがだ。(次回に続く。W)

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一例。右岸は(写真では見えていないが)センターラインのある立派な国道、左岸を通るのは集落を結ぶ昔からの細い旧道。どちらを走るかは時刻表には書いていない。勘違いして、左岸側から新道をねらってカメラを構えていようものなら、背後をバスが駆け抜けていく羽目に。

カタログの楽しみ

今回は趣味的人気はあまりないライトバンのカタログから。

最近のライトバンのカタログといえば,生活感を感じないお洒落な西洋人モデルが荷物を積み込んでいたり,あるいは人すら使うのを節約して車の写真と数字だけで済ませたり,そのようなものが目立つような気がする。

でも一昔前のライトバンのカタログは一味違う。商店街のおっちゃん・おばちゃんをかき集めてきて,これでもかとモノを積み込むようなカタログ,店先で商品を積み込むシーンや客先で商談するシーンを活写するもの,週末は当然私用で使うので,一家全員を押し込んでみたり,ラケットやサッカーボール,スキー板を積み込んでみたり,甚だしきは猟銃まで持ち出したり…と,“積荷”“使い方”を眺めているだけでも実に楽しい。

言うまでもないけれど,車種バリエーションも今とは比べ物にならないほど多かったし。OEMなんて意識にすらなく,メーカーでも販売チャンネル,車両寸法,エンジンの大小でクルマを丸々作り分けていた時代。同一車種を販売チャネルごとに名前だけ買えて売っていても,カタログも丸々違っていたりした,そんな二度と戻らない古き良き?時代。

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バスラマの写真講座 2

7月から8月にかけて「バス写真」に関してご紹介したが、今回はシャッターチャンスの難しさ。

バスラマでは特にバス事業者訪問の記事中に、バスの走行写真を掲載する。この撮影が意外と難しい。通常は事業者訪問の営業所や車庫間の移動途中で撮影したものがほとんどだ。乗っているバスの写真は撮影しにくいからクルマでの移動が多い。時間が潤沢にあればいいが、ほとんどは「一発勝負」。これを土地勘がない初めての場所で決めなければならない。バスの時刻表やダイヤとにらめっこしながら、より絵になる場所を探し求めるのが常である。自分の後から来るバスならバックミラーも使って景色を確認しながら走ればいい。前方からバスが来る場合、もっと先にはもっといい場所があるかもしれず、でも欲張って先に進み過ぎると肝心の撮影対象のバスとすれ違ってしまう。地方路線では運行本数も限られていて、午前中の1便だけを撮影したいがために取材計画を組み立てることも少なくない。

ようやく撮影ポイントを決めたら自分のクルマがバスや他の車両の運行を妨げず、かつ画面に映り込まない場所を選んで駐車する。道路幅に余裕がないところでは駐車場所探しも経験がモノを言う。相当離れた場所に置かなければならない時も多い。そうなると今度は周囲の目を意識する必要も。誰も歩いていない田畑を見慣れない人が行ったり来たり…。ともすれば「挙動不審者」そのものだ。誰もいないようでも畑仕事をしている人もいれば、農家の中に地元の人の目がある。悪いことをしているわけではないから、毅然とした態度が必要かもしれない。人相が?!それは問わないでいただこう。

限られた時間、限られたシャッターチャンス、そんな中でようやく撮影ポイントが決まった。ところが…(次回に続く。W)

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誰もいないようで,実は見られていたりする農地の撮影ポイント

第一印象って…

次号(No.128・10月25日発行)のバスラマのバス事業者訪問は、青森県の青森市営バスと下北交通です。ぽると出版の所在地は東京都世田谷区北沢。町名は無いけれど、最寄の電車駅が下北沢なので駅の周辺一帯は「しもきた」で通用します。でも誰も「あそこはイカが旨いね」などとは言いません。

今回の訪問先のひとつ、下北交通の営業地盤は本物の「下北」。イカもマグロも有名です。筆者の下北初訪問は1972年3月、「北海道は冬も善いらしい」と訪ねた際、青函連絡船ではなく大間と函館の間にフェリーがあることを知り下北半島に向かいました。野辺地から大畑まで国鉄列車に乗り、そこで乗り換えたのが下北バスでした。大間では当時の学生の定宿・ユースホステルに宿泊。翌朝、同宿者と本州最北端の碑を訪ねたけれど、今回39年ぶりに訪問して様変わりに驚きました。こちらの記憶違いかもしれませんが…。当時の写真を引っ張り出して見比べてみたくなりました。

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現在の本州最北端の碑。 (この写真は拡大しません)

次の下北訪問は1973年夏、東京から後輩と2人、運転を交代しながら3週間、5,000㎞に及ぶ北海道旅行の道中に通過しました。下北の目的地は「猿が森」。その少し前のNHKテレビ・新日本紀行で「下北半島に夏が来た」というタイトルで放映された内容に惹かれたからです。訪れた「猿が森」という小さな部落はなるほど独特の雰囲気を持っていました。今回は時間がなくて行けませんでしたが、当時は付近に防衛庁の施設が建設され、近い将来、周辺は大きく変わるといったニュアンスだったように記憶しています。おそらく今回訪問しても、最初に訪ねた際の印象は甦らないのかもしれません。

第一印象は人の心に大きく残るもののようで、その印象には得た年齢や環境も大きく影響しているような気がします。本当は記憶も常にリニューアルしていくほうが役には立つのかもしれません。もっとも最近は記憶そのものが怪しくなっているような気もしますが、これはきっと歳のせいなんでしょう。(W)
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