2012年02月

雪だ!チェーンだ!

2月最後の今日,首都圏は雪景色。積雪地の方には笑われるだろうけど,わずか数センチの積雪で交通はマヒする。「夏タイヤ」「冬タイヤ」の概念は当然なく,スキーに行くような人以外はスタッドレスもチェーンも用意していないのではないだろうか。

我が家のある横浜・川崎北部,あざみ野~新百合ヶ丘界隈は平地などなく,どこに行くにしても坂また坂。雪が降ると,坂を何とか登ろうと頑張る車,斜めになって車線をふさぐ車,あきらめて打ち捨てられた車,そして渋滞と大混乱。雪の中をまともに走っているのは,チェーンを装着した東急バス・小田急バスと宅配便のトラック,後ろだけスタッドレスにしたタクシー(ちょっと怖い…)ぐらい。

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今朝の出勤時もやっぱり大混乱だったが,そんな中でもバスはチェーンを後輪に巻いて頑張って走っていた。新百合ヶ丘についてふと見ると,降りしきる雪の中,前輪チェーンの装着作業をしているドライバーの姿が。このあたり,わずか数Kmの路線で標高差100m近くをこなすようなものもあり,管轄する小田急バスの生田営業所には,長年にわたり高出力車が配置されていた。確かにこんな天気だと急坂は後輪チェーンだけだと危険と判断したのだろう。そしてあっという間に巻き終えた姿に,日頃の訓練の成果が見えた。それにしても,後輪分だけでなく前輪分のチェーンも積んでいるとは知りませんでした。(や)

世田谷区のコミュニティバス その3

宇奈根
コミュニティバスに反対する人達 その1
 コミュニティバスができて便利になるのに反対などあるのだろうか?とも思うのだが, 人口集積の高い住宅地だからいろんな人がいる。賛成があれば反対もあり,反対も結構根強いようだ。どんな反対意見があるのか,「祖師谷・成城循環線」(2005年12月開設)の開設前に行った住民説明会の議事録を見てみた。区の担当者の話と併せて考えると,反対理由は①「自分の家の前を通る車がこれ以上増えてほしくない」という感情的なもの。②行政に対する不信(政策に対する反対)の2点に集約できると思う。
 議事録見ると反対意見は「騒音と振動」に対する懸念が目立つように思う。もちろん法的レベルの問題ではない。個人的に迷惑ということなのだが,昼間時間帯に30分に1回くらい小型バスが通る程度で「騒音と振動」といっても説得力には欠ける。印象的な意見として「バスはバス通りを走るもの。ここはバス通りではないから走るべきではない」というのがあった。一見頓珍漢な意見のようだが,背景には「騒音と振動」に対する懸念と同様に背景には「自分の家の前を通る車がこれ以上増えてほしくない」という意識があるように思える。私の家の近辺は(ぽると出版の近辺もそうだが),狭い上に交通量の多い道路がよくある。交通量が増えてほしくないというのは自然な感情だと思う。ただしマイカーも公共交通(バス)も同じ家の前を通る車というのは,交共交通が意識されていない,大事にされていないことの表れとも思える。(Y)

世田谷区のコミュニティバス その2

 世田谷区が開設したコミュニティバスは,1998年のタマリバーバスを皮切りに7路線とされている。ただしこれらの路線はすべてバス事業者の自主運行=一般路線となっている。区役所は住民の要望の基づき路線の企画,停留所の位置決め,沿線住民のコンセンサス,実験運行まで行うが,本格運行の段階になると一切タッチしない。事業者の自主運行として行われ,運行に対する補助金もない。区が運行にタッチしない(運行主体にならない)ことは条例で決まっているそうだ。このようなシステムをとっている自治体は以前からいくつかあり,近年横浜市でも同じようなシステムで新たな路線が誕生している。運行に関してはノウハウを持っている事業者にすべて任せる→餅は餅屋ということは合理的ではあるが,責任の所在が不明確,わかりにくいという印象も与えるのではないかと思う。私としては,それがコミュニティバス開設に対して「不信」を抱く人を生み出すことにもつながっていると感じる。(Y)
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世田谷区のコミュニティバス第1号とされる“タマリバーバス”。東急バスの等01系統・玉堤循環として運行されている。写真は開設当初に等々力駅で撮影。


その後のE-Liner

バスラマNo.129でご紹介した東急バスのE-Liner(Eライナー)。1月のある日、我が家で取っている新聞の折り込み広告に、2月1日からのE-Linerの時刻改正チラシが挟み込まれていた。従来の虹が丘発6:05、7:00、7:25…が、6:05、6:45、7:15…と変わる。時刻改正後、6:45発の便に2回ほど乗ってみた。2月2日の便は7:46渋谷到着。2月17日の便は7:47分渋谷到着だった。チラシだとこの時間帯の虹が丘~渋谷間の所要は約80分と言っているところを、約60分で走っている。これは6:05発の始発便と同じ所要だ。

E-Linerは住宅地を回ったあと尻手黒川道路(川崎を南北に貫く幹線)で東名川崎インターに向かう。この道は交通量が多く基本は片側2車線。ところが稗原バス停~清水台バス停間にある清水台交差点の造り&信号配分が非常にまずい。虹が丘からインター方向に南下する場合、2車線をフルに使ってきて交通量の多い直進方向がどういうわけか1車線に減り、多くもない右左折にそれぞれ1車線ずつ割り当てられる。曜日を問わず、常に直進車が大行列するボトルネックになっている。ちなみに北上する場合は、右折車両が極めて多く右折レーンをはみ出して(なぜか2車線たっぷりある)直進路の片側をふさぎ、これまた大行列。さらに交差する浄水場通りもこの交差点を頭に渋滞する、それ以外の場所ではまず車が繋がることがないのに。

この交差点をE-Linerも高速方面に直進するので、いつも通過に時間がかかる。朝は通勤の自家用車やトラックが集中するので、わずかな時間の差で渋滞がみるみる伸びてしまう。今回6:45分発に繰り上げられたのは、清水台と東名~首都高の渋滞を少しでも回避するためかな、と推測するのだが。

ちなみに新聞の折り込み広告にバスのチラシが入っていたのは、記憶にある限り初めて。それも家の新聞は他紙と比べて折り込み広告が非常に少ない日経。eライナーがどこをターゲットにしているか、何とも分かりやすい。お客さんはどう見てもほとんど通勤客、車内で日経を広げる姿も珍しくないし。(や)
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PER ASPERA AD ASTRA

1932年に生まれ、戦争を生き延び、スクラップされることなく保存されてきた貴重なバス。それが石川島自動車製作所、現いすゞのスミダM型。昨年の東京モーターショーでいすゞのブースに展示され、とても注目されていました。

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しかし実はこのクルマ、諸事情によりつい最近まで事実上忘れ去られた存在になっていました。それをいすゞ自動車の有志が文字通り“再発見”し、レストアに取り組みました。そして数年がかりでこつこつと、まるで新車のような輝きを取り戻し、走れるまでの状態になりました。苦難の時期を乗り越え、見事復活をとげたスミダM型のレストアの経緯を、次号バスラマNo.130でご紹介します。

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響き渡るエンジン音、ギヤの唸り、体に伝わる振動、車内に香る仄かなガソリン臭(これはちと違うか)、これぞまさに自動車。シートはスプリングも利いていて、見た目から事前に想像したよりも、乗り心地が良かったのが意外で印象的でした。(や)

ゲートブリッジ渡り初めに集まった「次世代車」

 2月12日に東京ゲートブリッジ(江東区若洲~中央防波堤外側埋立地間)が開通した。中央防波堤外側埋立地から大田区までの地上区間と合わせて東京湾臨海道路を形成し,新たな物流のバイパスとなるという。9年にわたる大工事の末の完成とあって,前日の11日に開通記念セレモニーと渡り初めが行われた。渡り初めに集まった車両はEV,燃料電池車,プラグインハイブリッドなど「次世代車」を含むエコカー約60台で,このほか日野・トヨタからハイブリッドバスおよび燃料電池ハイブリッドバス計4台,都営バスからハイブリッドバス7台,トータル11台が参加した。バスの詳細はバスラマ№130をご覧いただきたい。
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写真はいずれも小型車。上はトヨタ2000GT。言わずと知れた1967年発売のトヨタの名車だが,載っているパワーユニットはオリジナルのヤマハ製DOHCエンジンではなく電気モーター。クラシカルな車でもモーターとバッテリーに置き換えられるのがEVの強みだが,2000GTといえばカローラが43万円の時代に238万円で売り出された手作りスポーツカーで,自動車ファン垂涎の車だっただけに,EV化は「勿体ない」感が先にたつ。まあ,エンジンが駄目になった貴少車をEV化によって延命させるサンプルというなら理解するが。ちなみにこの車,純ソーラーカーといい,充電はボンネットのソーラーパネルによる。
 下は乗用ピュアEV,日産リーフの一団。すべて色はブルーでかつ「わ」ナンバーだったから,日産レンタカーから青いリーフだけを集めたのだろう。それにしてもパレード中に「電欠」は許されないからフル充電したのだろうが,対応する側(多分周辺ディーラーなど)はさぞ大変だったに違いない。
 渡り初めの小型車は,このほかトヨタプリウスプラグインハイブリッド,三菱アイミーブ,ホンダの燃料電池車クラリティ(うち1台はハイヤー!)などなど市販車・試作車・実証運行車を交えて様々なエコカーが勢揃い。これだけ大量にスタートしながら,エンジン音がほとんど聞こえなかったのはエコカーの成せる業か。(S)
ブログ2

こんなところに…こんなバス

 以前から名前だけは知っていた府中市の交通遊園を訪れた。実は,梅が見頃という郷土の森公園に行こうとして,駐車場から間違って反対方向に歩いたら出くわしただけなのだが,どうやら郷土の森よりもかなり以前の1972年に開園した様子。子供たちに交通ルールを身につけさせることが目的の施設で,公道を模したコースや,ワンコインで遊べるバッテリー式のゴーカートもある。交通戦争という言葉がまだ生きていた時代らしい施設だが,40年経た今もきちんと機能していることは評価したい。
 で,交通遊園の名前を何で知っていたかというと,都電やバスなどが展示されていることを聞いていたからだが,まず目に飛び込んできたのがこの京王バスである。驚いたことに社号はA49902,最近引退したのだろう1999年式の日産ディーゼルJPワンステップだ。日本でJPを一番多く愛用した京王の中ではワンステップ最終期の西工製で,京王バス東・中野営業所に配置されていた車両。車内には自由に入れる。ファンのサイトで確認したら,長らく富士サファリパークの広告ラッピングをしていたことを思い出した。(また他のブログによれば)以前もやはり京王バスが置かれていたようだ。写真を見ると1987年式いすゞキュービック3扉車(府中営業所で一生を終えた)であった。おそらく経年による劣化で「新車」に代替したものと思われる。ちなみに裾の社名からは「東」の文字が消され,方向幕は府中営業所の廃車から外したのであろう,最寄りの系統が表示されている。新宿・渋谷・中野あたりしか知らない当人(?)は,何でこんな寂しいところに連れてこられたのかと思っているに違いない。でも,まだ売却できる車両を地元に寄贈したのだろう京王も太っ腹。子供たちを相手に楽しい余生を送ることだろう。今回はカメラを持っておらず,やむなく携帯で撮影。(S)
追記:交通遊園にはこのほか都電6000形(1978年廃車。現在塗り替え中なのか錆色でした),いすゞエルフ消防車(まだ新しい。かつてはボンネットのTXGが置かれていたようだ),国鉄D51(開園の際に譲り受けたとある),EB10(同様。地元企業東芝がバッテリー機関車として製作したものを電気機関車化したという)が置かれている。
京王JP

3扉車ラストラニング

 2011年度内の引退がアナウンスされて久しい関東バスの3扉車,2月に入っても依然として稼動が続いている。写真は今朝,「3扉車発祥の地」吉祥寺駅北口で3つの扉を開放したB3019号=1995年式日産ディーゼルU-UA440HSNマニュアルトランスミッション車。元々この地に住み着いていた車ではなく都区内からの異動車なのがちょっと残念だが,これがラストを飾るのか? それにしても平日のラッシュ時ならともかく,週末にわざわざ,すでに異端となった,乗降方式の違う3扉車を投入するのはあまり感心しないが(まあ,ファンサービスならありがたく享受するとしよう)。
 3扉車がいま多くのバスファンの関心を集めるのは,かつてのSLやボンネットパスのようなものだろう。北海道拓殖バスに移籍した関東の3扉車に乗りに行くツアーを,キャリア系旅行会社が主催するなど,いささか過熱気味といえる。だが長年の利用者にとっても,引退は一抹の寂しさがあるのは事実。いすれにしても,47年と3カ月の歴史を後にして引退する関東バスの3扉車,長い間ありがとう。(S)
追記:関東バスの3扉車の歴史については年鑑バスラマ2010-2011と,バスラマアーカイブス01に詳しい。
kbk
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