2015年03月

首都圏でも中型電気バス運行開始

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4月1日から川崎市内の路線で中型電気バスが営業運行を開始する。中型の電気バスはこれまで岩手、宮城、沖縄などで運行してきたが、首都圏では初めて。運行路線は川崎駅-市立川崎病院間で、市営バスと川崎鶴見臨港バスの共同運行だが、市のスマートシティ計画の一環でありながら、電気バスが市営バスではなく臨港バスに託されたことは興味深い。充電装置は浜川崎営業所に置かれる。
車両はいすゞエルガミオの新車がベースで、東芝がバッテリーなどを担当。車内が標準仕様に準じていることを除けば、先のJR東日本のBRTと共通性は高い。
写真は3月29日に市役所で行われた出発式で、福田川崎市長(中央)、宮沢臨港バス社長(その左隣)らによるテープカット。

軽商用バンの新型車

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はたらくくるまの情報誌・ワーキングビークルズNo.58は4月5日発売です。

ここ数年、軽商用車の新型車動向をきっちりとお伝えしている本誌、
2010年のホンダアクティに始まり、2013年はスズキキャリイ、
昨年はダイハツハイゼット、そして今回はスズキエブリイ(もちろんワゴンではなくバン!)に試乗する。
併せてアルトバンの情報も漏らさず載せた。
新型エブリイの特徴のひとつであるAGSのフィーリングも詳しく紹介する。
大から小まで、商用車はすべてのレンジをカバーする本誌ならではの企画と自負している。

このほかいすゞ、UDの中小型トラック新型車、はたらくくるま最前線、
新はたらくくるまこの一台・三菱ふそうFKなど、
最新情報とトラックの文化を探訪する盛りだくさんの内容です。
近々に、弊社ウェブサイトで詳しい内容を予告します。

お楽しみに!

路面電車メモリアル10

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久しぶりの路面電車メモリアルは南海電鉄和歌山軌道線である。南海和歌山市駅などを拠点としていた和歌山軌道線を訪れたのは
1970年夏のこと。寝屋川の母方の親戚に呼ばれて伯母と万博に出向いた大阪滞在中の1日であった。この時は和歌山市内に転居した小学校時代の友人宅も訪ねたが,あいにく本人不在で(電話番号がわからずアポなしだったのかもしれない),結果的に軌道線だけが記憶にある初の和歌山行きだった。
明治に開業した同軌道はその経営主体がたびたび変わり,南海系であったり近鉄系だったり,あるいは独立会社だったりしたようだが,1961年からは南海直営に落ち着いたとされる。だがバス路線の伸展などによる利用者減少,道路整備などを理由に廃止が計画され,訪問した翌年の1971年,2回に分けて廃止された。和歌山訪問時点ではすでに鉄道誌で廃止の情報を得ていたが,思えば当時は路面電車廃止ブーム真っ最中であり,県庁所在地であっても規模の限られた市内電車の廃止など,社会的には大した話でなく,むしろ近代都市に路面電車は不要と信じられていたはずだ。
上の写真は和歌山市駅に並ぶ10001001700703。たまたま古いスタイルが並んだが,これまで戦前製あるいは戦後間もない製造と思っていた1000形は,ウィキペディアによれば1954年と,当時高1の筆者とご同輩であったのは意外である。700形は1961年に廃止された三重交通神都線からの移籍で戦前製。神都線といえば近年三重交通が新製した路面電車風オリジナルバス「神都バス」のモデルである。703の前身は神都モ581形で,バスのモデルであるモ541形より新しいはずだが,深いルーフなどに共通性が見られる。ちなみに神都線から和歌山へは13両が大挙して移籍し,いずれも700形を名乗った。
下は市内を行くモ250形。秋田市電から1966年に4両が移籍した元60形で,岡山電軌に行った元200形と兄弟の,所謂都電6000形タイプだが,移籍時に両端を整形されたという。張り上げ屋根に緑系の新塗装と,当時はプロパーの最終系列321形とともに近代的な印象だった。しかし和歌山も安住の地ではなく,結果的に移籍後4年と少しで廃車された。なお,以上の移籍車の動向は鉄道ピクトリアル19764月増刊号(No.319)を参照した。
今回の写真は,撮ったはずのモノクロネガの所在がはっきりせず,映りは悪いがカラーで掲げた。フィルム面積がハーフのオリンパスペンEEにリバーサルフィルムのフジカラーR100の組み合わせで,すでに褪色・変色していたこと,また手持ちのスキャナとポジとの相性が悪いこともあり,現代のソフトウェアによって何とか見られるようにしていることをご了承願いたい。(S)

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はたらくくるま(とその周辺)アーカイブス

よくわからない写真がネガホルダーから出てきた。高校1年の時に撮影した都内の国道246号,玉川通り・大橋~池尻付近の写真である。高校1年といえば1970年,玉川通りから東急玉川線(玉電)が消えて1年後であるが,何でこんな写真を撮ったのかと記憶を呼び起こすと,確かクラブ活動(写真部)の「働く」というテーマで、トラック・バスとは直接関係ない撮影であった。玉川通りは玉電なきあと,地下鉄となる新玉川線(現田園都市線,1977年開通)の工事の真っ最中。一方で首都高速3号渋谷線の工事も開始され、写真もそれらに関連した被写体が見られる。
1枚目は建機・重機に詳しい方はメーカー,型式まで考察するのだろうが,レトロなクレーンが鋼材を持ち上げている。フォークリフトのように後輪が操舵しているが,前輪は鉄のホイールにゴムが巻いてあるだけのワイルドさ。今なら所謂ユニック、クレーン付トラックの仕事なのかもしれない。フェンダーの上に丸いものがあり,最初ランプかと思ったら,よく見たらヘルメット。安全確保とはほど遠い,長閑ともいえる雰囲気だ。道路中央,鉄板の部分が玉電の軌道の跡で、この下では新玉川線の工事がシールド工法で進んでいた。
2枚目。新玉川線の工事のようだが、クルマはわずかに上り線を行く初代カローラバンが見えるだけ。一部シャッターを下ろした飲食店など店舗の看板が興味深い。「空を奪った」首都高速3号渋谷線の高架はまだ影も形もなく,お天道様の下での作業だが,3号渋谷線は1971年暮の開通というから,この後,急ピッチで高架を建てていったことがうかがえる。
3枚目は池尻。明らかに遠慮がちに撮っているが,当時は55ミリの標準レンズ1本だけ。今なら望遠で引きつけるところである。新玉川線や首都高とは関係なく,家を取り壊した廃材の運搬か。あいにくトラックの車種までは判別できないが,荷台にいすゞのエンブレムのようなものが見え、当時としては珍しい丸形テールランプ。いすゞTYとも考察するが、おわかりの方はご教示願いたい。反対車線側には民家らしき建屋も見えるが,玉電~新玉川線への移行,さらに首都高速の工事を境に,街は大きく変貌していった。(S)
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