1969年1~2月に撮影した東京急行電鉄玉川線,通称・玉電。もともと多摩川の砂利運搬が目的だったという玉電は玉川通り(国道246)を経由する渋谷―二子玉川園間を幹に,三軒茶屋―下高井戸間(渋谷―下高井戸間直通),二子玉川園―砧本村間の砧線を運行していたが,1969年5月に本線と砧線が廃止され,三軒茶屋―下高井戸間は世田谷線として現在まで継続している。ちなみに玉川線の廃止から地下鉄の新玉川線(現田園都市線)開業までの間は東急バスが代替輸送を担ったが,その際に長尺のラッシュバス(日産ディーゼル4R110など)が大量増備され,玉電の車庫を引き継いだ大橋営業所などに配置された。

玉川線150 B用

 上は玉川通りの上通り付近(現在のバスの大坂上付近)か。まだ首都高速3号線はなく,空が大きく開けているが,背後には大規模なビル建設工事が進んでおり,時代の変革期であることがうかがえる。車両は玉川線廃止以前では最後の新車150形。鉄道線7000系と共通性のあるスタイルを持つ鋼製車である。下は瀬田-二子玉川園間の勾配の大きな専用軌道を行く200形204。現在残る世田谷線は全線が専用軌道だが,本線にも専用軌道が少なからずあり,特にこの区間は都内とは思えない,のどかな風景が広がっていた。200形は1955年に6編成が新造された低床の連節車で,その個性的なスタイルで利用者から親しまれたが,ボギー車に比べて使いにくくトラブルが多いなどの理由で玉川線廃止とともに姿を消した。204は現在,電車とバスの博物館に保存されている。また200形のスタイリングイメージは,現在の世田谷線連節車300形に反映されている。(S)

玉川線204 B用