日野自動車

日野オートプラザで想う

たまたま?日野自動車の話題を連発してしまうが,今日は先週末に日野オートプラザで拾った乗用車の話。
いまでこそトラック・バス専業メーカーである日野だが,トヨタと資本関係を結ぶ前は自前で乗用車を生産していた。
その第1弾がフランス・ルノー公団のライセンス生産車ルノーであり,その経験を基にリヤエンジンのセダン・コンテッサを開発・生産した。コンテッサは2代にわたったが,2代目では当時世界的に知られたデザイナー,ミケロッティのデザインを採り入れ,現在でも愛好家が多い。写真上は,初代と2代目(写真の奥の車)の間の過程で生まれた「コンテッサ900スプリント」。初代のポテンシャルに注目したミケロッティが製作した1品もので,流麗なスタイルが当時の車好きを魅了した。当時小学生だった筆者は,3年生の社会科見学で日野の本社工場に行き(当時は多摩地区の小学校の定番見学先だったようだ),実車見学のほか,バス・トラックなど市販車を含めた絵葉書のセットをもらった。だから50年間知っている身近?なクルマなのである。やはり今見ても綺麗な車だ。
下の模型はレーシングカー「ヒノ・サムライ」。コンテッサ生産当時の日野は,日産,いすゞ,ダイハツなどと並んでプロトタイプのレーシングカーにより日本グランプリなどに参戦していたが,サムライは日野の純血種ではなく,コンテッサのエンジンをベースに,ピート・ブロックというレース専門家により製作された個体である。レースの世界でエアロダイナミクスが言われ始めた比較的初期の作品と思うが,エアスポイラーを持つスタイルは今見ても格好が良い。
サムライはあの三船敏郎を監督に日本グランプリに参戦するものの,車検落ちして出場ならず,故郷に錦を飾ることなくアメリカに帰ったという。車検落ちの理由や,その後のサムライの行方は他の専門のブログでも語られているからここでは触れないが,戦後60年以上にわたる日野自動車の歴史の中でも,特異な存在の1台であろう。(S)
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モーターショー会場へは非接触給電HEVも定期運行

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年鑑バスラマとワーキングビークルズの新刊PRに続いて,12月3日から一般公開される東京モーターショーのアクセスに関する話題。会場の東京ビッグサイトには新橋-豊洲間の「ゆりかもめ」,大崎でJRと接続するりんかい線のほか,都営バスも浜松町・東京駅八重洲口・門前仲町・豊洲などから路線を延ばす。その都営バスのビッグサイト-豊洲間には,1日5回程度で日野の非接触給電ハイブリッドバスが実証運行される。運行期間は12月2日~18日で,運行時間帯は豊洲発9時50分~ビッグサイト発16時56分の範囲。ビッグサイトでは非接触の急速充電も行われる。外観は普通の都営バスと違って白/黒,しかもオリジナルスタイルで内装もカラフルだから目を引くことだろう。また機能もこれまでの実証試験車に比べて向上しているが,内容についてはバスラマ№129をご覧いただきたい。上ではリヤスタイルを少しだけ。下はオープンを待つビッグサイトのエントランス。(S)

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