路面電車

路面電車メモリアル 11

かえつ①

ゆらゆらとした陽炎の向こうに路面電車…最近ニュースでよく見るこの光景は,富山市内の猛烈な暑さを報じたものだ。なぜかその車両は新型ではなく,決まって最古参の7000形なのだが,いかにも路面電車的な顔つきがカメラマンの撮影意欲をそそるのだろうか?
さて今回の路面電車は,その富山地鉄富山市内線ではなく,お隣に位置していた加越能鉄道高岡軌道線である。元々は地鉄が戦後開通させた軌道で,その後地鉄から分離した加越能鉄道が受け持ったという。訪問したのは1971年夏だったと思うが,当時は高岡軌道線の新湊と富山市内線の新富山を結ぶ地鉄射水線が健在であったほか,これら3路線には地鉄が導入した同型車5000系が走り,さらに高岡市内線の主力は富山市内線7000形(前中扉)と同系車体で前後扉の7000系であるなど,実際に訪れると富山市内線の一部のように感じる,妙な印象の路面電車であった(もっとも,わざわざ区別したがるのはマニアだけだったかもしれないが)。軌道線区間は新高岡(国鉄高岡駅)―新湊間と,米島口―伏木港間(訪問直後に廃止)で,専用軌道が多く,このほか鉄道線として新湊―越ノ潟間が運行され,新高岡からの軌道―鉄道直通運転もあった。
写真上は新高岡における,当時の主力車7000系7070形の最終番号車7076。『鉄道ピクトリアル1969年4月 臨時増刊』によれば,7070の多くはオレンジ色ながら,この車のみ直通乗り入れ用で,緑色だったという。下は5010形5021。元々地鉄が採用した鉄道区間用で,今見ると恐ろしいほどの高床車である。この時期はすでにラッシュ・増発用に転じたとされるが,この日はなぜか真っ昼間に本線を走っていた。
そんな高岡市内線,過去形で紹介しただけに廃止されたのだろうと思う向きもあろう。実際,2000年代初頭,加越能鉄道は不採算による廃止の意向を表明したが,これを受けて高岡市などは第3セクターの万葉線株式会社を設立,2002年度から新会社による運営となった。その後はLRTタイプの低床連節車も導入されているが,上の写真の7076も今なお健在のようだ。また加越能鉄道は鉄軌道からの撤退で近年加越能バスに改称している。
今回の写真も前回の和歌山市内線と同様,ハーフサイズのオリンパスペンEEでリバーサルフィルムを使用しており,証拠写真程度にご覧いただきたい。(S)
 
かえつ②

路面電車メモリアル1

 LRT構想が各地で聞かれる。富山の成功を参考にしているケースもあるようだが,富山の場合,最初から多くの軌道が用意されていたことはお忘れなく,と言いたい。実は私は路面電車から乗り物の写真撮影歴がスタートしたといってもいいのだが,それだけに1960年代から1970年代にかけての,官民挙げての路面電車廃止ブームの一端も見てきた。だから安直なLRT構想など語ってほしくないのだが,ここでは純粋なメモリアルとして,私が過去に撮った路面電車の車両や風景を不定期で紹介しよう。最初は名鉄美濃町線のモ870形である。同線は2005年と比較的近年に廃止された,現在の路面電車復活風潮の中では何とも勿体ない路線であり,廃止代替輸送を名鉄系の岐阜バスが担当しているのはバスラマ123号に書かれたとおり。

崇 094
 で,このモ870形だがプロパーではなく,札幌市交通局が1965年に導入し「国内で最も美しい路面電車」とも言われた連節車A830形である。6編成中,1976年に廃車された3編成が名鉄に移籍した。写真は移籍2年後の姿で,側窓の一部開閉式化やステップを付けた以外,札幌時代のスタイルをほぼそのまま残しているが,後年は冷房を載せたり側窓の天地寸法を縮めたりと,オリジナルを知るファンから見れば残念な変化を遂げていった。2編成は2005年の路線廃止まで頑張ったが,1編成は1988年に廃車されたという。その廃車体は映画『黒い雨』で,被爆する広電に扮したようだ(ようだ,というのは映画ではなく,同映画に協力した福山自動車時計博物館に掲げられていたスチール写真で見たため)。オリジナルの姿は次の機会に紹介しよう。(S)

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