LET IT BLEED 

日々の記録。

オウム真理教(wikipedia他)

オウム真理教(オウムしんりきょう、AUM Shinrikyo)は、
かつて存在した日本の(新興)宗教団体。

麻原彰晃=出典:ANN
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麻原彰晃=出典:ANN
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中学生時代の麻原彰晃とされる画像=出典:不詳
アサハラショウコウ 中学時代-c


高校生時代の麻原彰晃とされる画像=出典:不詳
アサハラショウコウ 高校時代c--


青年時代の麻原彰晃とされる画像=出典:不詳
9アサハラショウコウ3


青年時代の麻原彰晃とされる画像=出典:不詳
tiltshift_tiltshift_アサハラショウコウ 詳細不詳c-afp


麻原彰晃(1990年10月・代々木公園)=出典:産経新聞
tiltshift_アサハラショウコウ産経c-afp


麻原彰晃(1990年・第39回衆議院議員総選挙)=出典不詳
tiltshift_アサハラショウコウ 選挙c


麻原彰晃=出典:afp
6-アサハラショウコウ1-afp


麻原彰晃確保の瞬間=出典:ANN
tiltshift_麻原 確保の瞬間 d  ANN


1995年9月、移送される松本智津夫死刑囚(警視庁)=出典:共同
7b-アサハラショウコウ2


1988年から1995年にかけて、オウム真理教事件を引き起こし、
1996年(平成8年)1月に宗教法人としての法人格を失ったが活動を継続。
2000年(平成12年)2月には破産に伴いオウム真理教という名称は消滅した。

青山総本部(1994年に東京・南青山にて撮影、2015年4月解体)=出典:wikipedia
1-青山総本部_1

旧・青山総本部(東京・南青山、2011年)=出典:wikipedia
5-旧青山総本部_6

青山総本部の看板(東京・南青山、1994年10月)=出典:wikipedia
tiltshift_南青山ビルの看板 d 1994 10  wikipedia


破産とほぼ同時に、新たな宗教団体アレフが設立され、
教義や信者の一部が引き継がれた。アレフは後にアーレフを経てAlephに改称され、
また別の宗教団体であるひかりの輪、山田らの集団、ケロヨンクラブが分派した。

「ひかりの輪」のシンボルマーク=出典:wikipedia
ひかりの輪 シンボルマークb


「アレフ」のロゴマーク=出典:wikipedia
tiltshift_アレフのロゴ6 wikipedia


概説

地下鉄サリン事件を筆頭に、現世人の魂を救済する「ポア」を大義名分として、
組織的に数多くの殺人事件を起こした新興宗教団体である[5]。
教祖である麻原彰晃(本名:松本智津夫)はヒマラヤで最終解脱した
日本で唯一の存在で空中浮揚もできる超能力者であり、
その指示に従って修行をすれば誰でも超能力を身に付けることができるなどと謳って
若者を中心とする信者を多く獲得した。
教義的にはヒンドゥー教や仏教といった諸宗教に合わせ、
1999年に世界に終末が訪れるとするノストラダムスの予言など、
オカルトもミックスした、麻原にとって都合の良いものとなっていた。

当初はヨーガを学ぶ和気藹々としたサークルに過ぎなかったが、
次第に常軌を逸した行動が見え始め、
出家信者に全財産を布施させたり、麻原の頭髪や血、
麻原の入った風呂の残り湯などの奇怪な商品を高価で販売するなどして、
多額の金品を得て教団を拡大させた。
内部では奇怪な商品の売付けや過激な修行で懐疑的になって逃走を図った信者を
拘束したり殺害するなどして、1988年から1994年の6年間に
脱会の意向を示した信者が判明しているだけでも5名が殺害され、
死者・行方不明者は30名以上に及び、恐怖政治で教祖への絶対服従を強いていた。
「出家」や高額の布施を要求し信者の親族その支援者と揉め事が多く、
当初より奇抜、不審な行動が目立ったため、信者の親などで構成される
「オウム真理教被害者の会」(のちに「オウム真理教家族の会」に改称)により、
司法、行政、警察など関係官庁に対する訴えが繰り返されたが、
取り上げられることなく、その結果、坂本堤弁護士一家殺害事件をはじめ
松本サリン事件、地下鉄サリン事件などのテロを含む多くの反社会的活動
(詳細は「オウム真理教事件」を参照)を起こした[6][7] ほか、
自動小銃や化学兵器、生物兵器、麻薬、爆弾類といった教団の兵器や
違法薬物の生産を行っていた[2]。

「地下鉄サリン事件」1995年3月20日 日比谷線築地駅付近=出典:朝日新聞社
地下鉄サリン事件 c 1995年3月20日 日比谷線築地駅付近 朝日新聞


「坂本弁護士一家殺害事件」被害者家族=出典:wikipedia
tiltshift_坂本弁護士一家-B


最終的には、麻原に帰依しない部外者を「ポア」により「救済」するとして、
国家転覆計画すらも実行するようになった。
その到達点と言える1995年3月20日の地下鉄サリン事件は、
宗教団体が平時の大都市を狙い複数箇所を強力な化学兵器で
同時多発テロを起こすという過去に類のない事件であり、
比較的治安の良い戦後日本で起きたことも含めて、日本国内だけでなく、
世界にも大きな衝撃を与えた(海外ではTokyo Attack等と称された)。

1996年(平成8年)1月に宗教法人としての法人格を失ったが活動を継続。
2000年(平成12年)2月には破産に伴い「オウム真理教」としては消滅した。
同時に、新たな宗教団体「アレフ」が設立され、教義や信者の一部が引き継がれた。
アレフは後に「Aleph」と改称され、
また2007年(平成19年)5月に上祐史浩を中心とした別の仏教哲学サークル
「ひかりの輪」が、2014年(平成26年)〜2015年(平成27年)頃に
Aleph金沢支部の山田美砂子(ヴィサーカー師)を中心とした
「山田らの集団」と呼ばれる分派(自称ではない)が結成された。
また、既に目立った活動はなく崩壊したと見られているが、
北澤優子により「ケロヨンクラブ」なる組織が分派して結成されていた時期もある。
2018年には麻原をはじめとした幹部達の死刑が執行されたが、
Alephを中心に未だに麻原信仰は根強く、後継組織の施設周辺は
抗議の看板が掲示されるなどしている。
2019年現在も日本の公安調査庁は団体規制法により後継団体の動向を監視している。
公安調査庁の調査では、米国政府、欧州連合(EU)、オーストラリア政府、
カザフスタン・アスタナ市裁判所、ロシア連邦最高裁判所からテロリストの認定を受け、
各国で活動を禁止されていることが判明している[5]。

麻原の三女松本麗華は、マスメディアではオウム真理教出家者が
高学歴のインテリばかりで構成されていたかのようなイメージで報道されたが、
実際は一般社会に居場所を無くした構成員も多かったと語る。
例えば、普通に生きていくことに疑問を生じたり、居場所が無かったりした人や、
DV被害者、被虐待児、精神疾患、発達障害、パーソナリティ障害などの
社会的弱者が少なからずいたという[8]。

名称

「オウム(AUM)」とは、サンスクリット語またはパーリ語の呪文「唵」でもあり、
「ア・ウ・ム」の3文字に分解できる。
これは宇宙の創造・維持・破壊を表しており、その意味は「すべては無常である」、
すなわちすべては変化するものであるということを表している。

また麻原自身の解説によれば「真理」の意味は、釈迦やイエス・キリストが人間が
実践しなければならないものはこうであるという教えを説いたものであるが、
その教えの根本であるものを「真理」と呼ぶ。特にチベット仏教や原始仏教の要素を
アピールしたため仏教系とされることも多いが、あえて仏教を名乗らなかった理由は、
「仏教」という言葉自体が釈迦死後に創作されたものであるからとしている。
また真理と密接に関係のあるものが科学である[9][10]。

しかし、実は命名には京都の私立探偵・目川重治が関わっていたという。
目川は「松本智津夫」から天理教の全容の調査を依頼され、
その調査結果を松本に手渡した。その際、目川があんりきょう、いんりきょう・・・と
「あ」から続けていき、「しんりきょう」に至ったという[注釈 2]。
「オウム」は目川の家の向かいにあったオーム電機とオームの法則に由来し、
目川が「オームなんていいんじゃないか?」と勧めたとされる[11]。
後に目川は松本が麻原彰晃であると知った。

時期は目川の手記では1978-1979年頃、ノンフィクションライターの高山文彦
および東京新聞記者瀬口晴義の文献によれば1984年春頃とされている
(詳細は「目川重治#オウム真理教」を参照)[12]。
高山は勢力を拡大し教団名が市の名前(天理市)にまでなるに至った天理教を
自分の夢と重ねていたのではないかとする[13][14]。

オウム真理教のシンボルマーク=出典:wikipedia
8b-シンボルマーク



沿革

前史

ヨーガ教室


1984年(昭和59年)、超能力開発塾「鳳凰慶林館」を主宰していた麻原彰晃
(本名・松本智津夫)は後に「オウム真理教」となるヨーガ教室
「オウムの会」(その後「オウム神仙の会」と改称)を始めた。
当時は超能力の獲得を目指すアットホームで明るいヨガ教室だった[15]。

この頃、オカルト系雑誌の『月刊ムー』が、このオウムの会を
「日本のヨガ団体」として取材、写真付きの記事を掲載していた[16]。
麻原はこれらオカルト雑誌に空中浮揚の瞬間と称する写真を掲載したり、
ヒヒイロカネについての記事や、『生死を超える』『超能力秘密の開発法』
などの本を執筆するなどして宣伝した。

『生死を超える』
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『オウム神仙の会』会員誌『シャンバラ新聞』1986年=出典:aum3676のブログ
オウム神仙の会会員誌シャンバラ新聞e 出典aum3676のブログ


『月刊ムー』のオウム記事=出典:ミドルエッジ
ムー 麻原記事 出典  ミドルエッジ



麻原と家庭

当時は松本家一家は千葉県船橋市に住み、貧しく家族全員で1つの寝室を共有していた。
食事は野菜中心で肉の代りにグルテンを肉状にしたものを食べたり、
ちゃぶ台の上にホットプレートを置き、「野菜バーベキュー」を楽しんでいた。
この船橋の家には「瞑想室」があり、宗教画が掛けられ棚には仏像が置かれていた。
麻原は日に1度は瞑想室にこもり修行をしていた。
棚の前にはちゃぶ台があり、麻原はそれを祭壇と呼んでいた。
「形は重要じゃない。心が重要なんだ。私にとっては」というのが麻原の口癖だった。
後に教団が大きくなってからも、麻原はそれを祭壇として使っていた。

当時、麻原はヨーガ教室を東京都渋谷区で開いていたため、
家にいることが少なかった。たまに帰宅すると強度の弱視のため
テレビにくっつくように野球中継を見ていた。
1986年ころには世田谷区の道場に住み込むようになり
ほとんど家に帰らなくなる。たまに麻原が帰宅すると3人の娘たちが大喜びで
玄関まで走って行き、姉妹で父を奪い合うような普通の家庭であった。
次女は父の帰宅を「太陽のない世界に、太陽が来た」などと表現していた。
しかし、妻の松本知子は麻原が滅多に帰宅しないことから精神不安定であり、
麻原に向かってなじるようないさかいがあり、麻原はこれにほとんど抵抗をしなかった。
3女松本麗華の目には、知子が麻原の宗教を信じているようには見えなかったが、
知子は麻原の著書の代筆を深夜まで行っており、
後の麻原の著書のいくつかは、知子が書いたものであった。

麻原は子供に向かって「蚊に刺されると痒くていやだね。
でも蚊も生きているんだよ」とか「お釈迦様によれば、私たちは死後生まれ変わり、
もしかしたら蚊に生まれ変わるかもしれない」などと話していたが、
一方妻の知子は蚊を平気で殺していた[8]。

1995年当時のオウム真理教横浜支部道場=出典:wikipedia
4-横浜支部道場_4



合法な宗教活動

オウム神仙の会からオウム真理教へ


1987年(昭和62年)、東京都渋谷区において、従前の「オウム神仙の会」を改称し、
宗教団体「オウム真理教」が設立された。同年11月にはニューヨーク支部も設立。

「真理教」の名前は石井久子以外には「いかにも新興宗教」と不評であり、
もっと宗教色を隠さないと一般受けしないという意見もあったが、
麻原は「救済活動をする為なのだから真理教にする」と拘った[17]。
宗教化後は多額の献金を要求するようになり、ワークも増え、
会員の三分の一が脱会した[15][18]。

1989年(平成元年)8月25日に東京都に宗教法人として認証された
(1993年以降の登記上の主たる事務所は東京都江東区亀戸の新東京総本部)。
麻原は解脱して超能力を身に付けたといい、神秘体験に憧れる若者を中心に
組織を急速に膨張させていく。
さらに麻原は自らをヒンドゥー教の最高神の一柱である破壊神シヴァ神
あるいはチベット密教の怒りの神「マハーカーラ」などの化身だとも説き、
人を力尽くでも救済するこの神の名を利用し目的のためには手段を選ばず
暴力をも肯定する教義へと傾斜していく。

同年にはサンデー毎日で「オウム真理教の狂気」特集がスタートし、
オウム批判、オウムバッシングが始まった[19]。

サンデー毎日「オウム真理教の狂気」(1989年10月15号)
サンデー毎日c  オウム真理教の狂気


ダライ・ラマを利用した宣伝

麻原はチベット亡命政府の日本代表であったペマ・ギャルポと接触し、
その助力によって、1987年(昭和62年)2月24日ならびに1988年(昭和63年)
7月6日にダライ・ラマ14世とインドで会談した。
麻原側は両者の会談の模様をビデオならびに写真撮影し、
会談でダライ・ラマ14世が「ねえ君、今の日本の仏教を見てみたまえ。
あまりにも儀式化してしまって、仏教本来の姿を見失ってしまっているじゃないか。
これじゃあいけないよ。このままじゃ、日本に仏教はなくなっちゃうよ。」
「君が本当の宗教を広めなさい。君ならそれができる。
あなたはボーディ・チッタ[注釈 3] を持っているのだから」
と麻原に告げたとしてオウム真理教の広報・宣伝活動に大いに活用した[20][21]。
ペマ・ギャルポはその後まもなくオウム真理教と積極的に対立するようになり、
チベット亡命政府に対しても今後は麻原と関係を持たないように進言した。

ダライ・ラマと同様オウム真理教は教団の権威づけに多くのチベットの高僧や
インドの修行者と接触し宣伝材料として利用していたが、
事件後に行われたマスコミの取材に対して、
オウム真理教から接触があった高僧や修行者は
軒並み深い関係を否定している[20]。

1995年4月5日来日したダライ・ラマ14世は記者会見で
「(麻原と)会ったことはあるが、私の弟子ではない。
彼は宗教より組織作りに強い興味を持っているという印象が残っている。
私に会いに来る人には誰でも友人として接している。
しかし、オウム真理教の教えを承認してはいない。
私は超能力や奇跡には懐疑的だ。
仏教は、一人の指導者に信者が依存し過ぎるべきではないし、不健全だ」
と語った。この話はオウム真理教が江川紹子と出版社を相手取り
損害賠償請求訴訟を行なった際の争点の一つとなったが、
判決は「名誉毀損に当たらない」としてオウム真理教の請求を棄却した。
江川紹子は「多額の寄付をしてもらえば、普通お礼はするし、
多少のリップサービスをすることもある。
麻原教祖はそうした相手の反応を利用し、
(中略)オウムの権威や信用を高めようとしたのではないか」
と推測している[20]。

麻原の健康不安と死への願望

1988年10月頃、富士宮市人穴に総本部道場建設[22]。
この頃より麻原は体調を崩すことが多くなり、
健康面に不安を感じ始め「自分が死んだら、教団をどうするのか」
あるいは「私は長くてあと5年だ」「死にたい」などと洩らすようになる。
肝硬変や肝臓がんだと大騒ぎになったりもする。
高弟の前でも「もう死のうかな」と呟き、
新実智光は「お供します」、早川紀代秀は「困ります」、
上祐史浩は「残って救済活動をします」と答え、
妻の松本知子は「勝手にすれば」と言ったという[8]。
3女松本麗華は、この頃から「麻原の死への願望は強まった」と考えている。
解脱者が多くなりオウム真理教が世界宗教へと変貌し救済ができるとの
真剣な思いがあったが、弟子の修業が思うように進まず、
通常通りの方法では人間界が救われないという否定的な認識が
麻原彰晃に芽生えたと見ている[8]。

宗教法人の認可申請

宗教法人に適用される不課税、税額控除目的に1989年3月1日、
東京都に認可申請を行った。
しかし、未成年の信者を巡って家族及び被害者の会からの批判によって
認証手続きが遅れる。
4月24日には麻原が信者200人を引き連れ東京都庁に押しかけ、
抗議するという騒動を引き起こした。
この認証手続きには被害者の会の家族から依頼を受けた
北川石松衆院議員の圧力に対し、
教団側は『元弁護士で裁判官だった出家信者』及び
『沖縄の参院議員』を利用し、認証手続きを推し進めようとしたことが
麻原の第43回公判で明らかになっている[23]。
しかし結局、不認可する理由がないことから8月25日、宗教法人認可を受けた。

衆議院議員総選挙への出馬

1989年の参院選でマドンナ旋風が沸き起こったことから、
1990年2月に行われる衆院選に、
当初麻原は石井久子をはじめとした女性信者を出馬させる構想を立てたが、
その後麻原自身が徳によって政を行い、
地上に真理を広めるために1990年(平成2年)には
真理党を結成して第39回衆議院議員総選挙へ麻原と信者24人[注釈 4] が集団立候補。
選挙に立候補するかどうかはオウムとしては珍しく
幹部による多数決が採られた。結果は10:2で賛成派が勝利。
反対した2人は上祐史浩と岐部哲也であった[24]。

しかし結果は惨敗し、当時立候補者1人あたり200万円だった供託金として
計5,000万円が没収される[25]。

海外への進出

麻原は自らの権威づけをかねて主要な弟子を引き連れて
世界各地の宗教聖地を巡った。1987年には、
「麻原の前世が古代エジプトのイムホテップ王であった」ということから、
同王が埋葬されているピラミッドの視察目的でエジプトツアーを行った[26]。
後に麻原は自著において「ピラミッドはポアの装置だ」と述べた[26]。
1989年(平成元年)8月、所轄庁の東京都知事より宗教法人としての認可を得た後、
日本全国各地に支部や道場を設置する一方、
ロシアやスリランカなど海外にも支部を置いた。
ロシアでは優秀な演奏者を集めキーレーンという専属オーケストラを所有、
布教に利用した[27]。
日本では1989年(平成元年)に約1万人程度の信者が存在していたとされる[28]。
麻原は1991年(平成3年)を「救済元年」とし
(教団内でこれを元号の如く用いた)[要出典]、
マスメディアを中心とした教団活動を活発化させた。

1992年11月12日には、釈迦が菩提樹の下で悟りを開く瞑想に入ったとされる聖地、
インド・ブッダガヤの大菩提寺にある「金剛座」に座り、
地元の高僧に下りるように言われたが従わなかったため、
警官に引き摺り下ろされた[29]。
麻原は日本では盛んにテレビ・ラジオ番組に露出し、
雑誌の取材を受けたり著名人との対談などを行った。
このほか講演会開催、ロシアや東南アジア諸国・アフリカ諸国などへの
訪問や支援活動、出版物の大量刊行などを行った。
図書館への寄贈・納本も行っており、
麻原の著書を初めとするオウム真理教の出版物は
現在も国立国会図書館等に架蔵されている。
特に若い入信者の獲得を企図し、麻原が若者向け雑誌に登場したり、
1980年代後半から行っていた大学の学園祭での講演会を更に頻繁に開催するなどした
(東京大学、京都大学、千葉大学、横浜国立大学等)。
1992年(平成4年)にはサリン事件後広範に知られるようになる
パソコン製造などを行う会社「株式会社マハーポーシャ」を設立し、
格安パソコンの製造販売を行うようになった。

オウム真理教放送の開始

ロシアでは、1992年4月1日にオウム真理教放送が開始される。
日本語の他、英語やロシア語で放送を行っていた。
当初は「エウアゲリオン・テス・バシレイアス」という番組名で、
放送局名や放送時間、周波数等の告知すらなく、
同年4月半ばからは「オウム真理教放送」と名乗る。
ギリシア語では「エウアンゲリオン」が正しい発音だという聴取者の指摘により、
8月1日の放送分より「エウアンゲリオン・テス・バシレイアス」に変更された。
制作は富士山総本部で、録音テープをモスクワに空輸し放送していた。
電波の受信状態が悪かったため12月1日からは
富士山総本部のスタジオからの生放送に変更された。
1992年6月15日にはモスクワ放送の英語ワールドサービスの時間枠を使用し、
日本時間の5時30分と13時30分からそれぞれ約30分間、
全世界に向けての英語放送を開始。
1992年9月1日からは「マヤーク」という約25分間のロシア語放送が開始された。
11月19日にはモスクワのテレビの2×2にて「真理探求」という番組が開始される[30]。

オウム真理教放送の広告=出典:淳介@kunukunu
tiltshift_エウアゲリオン4

一連の事件が強制捜査を受けたことから、ロシア当局は放送の中止を決め、
日本時間の1995年3月23日の放送が最後となった。
翌24日もスタジオからは番組を発信したが、ロシア側が放送中止を決めたため、
電波には乗らなかった[30]。

番組内では、麻原彰晃作曲とされる多くのオウムソングが流され、「超越神力」、
「エンマの数え歌」、「御国の福音」第1楽章の一部や
「シャンバラ・シャンバラ」などが放送されたほか、モスクワ大学での
麻原彰晃説法の様子。
麻原の3人の弟子として、アナウンサーのカンカー・レヴァタ(杉浦実)、
ダルマヴァジリ(坪倉浩子)、アシスタント役にはマンジュシュリー・ミトラ(村井秀夫)
が登場した。
麻原夫人の松本知子(ヤソーダラー)が、かつてはアンチ宗教だったという
衝撃的な発言にはじまり、夫人の考え方が変わってゆく様子なども流された。
英語放送では麻原の英語のメッセージのほか、
当初は朝のパーソナリティーをマイトレーヤ(上祐史浩)が、
昼の放送はヤソーダラー(松本知子)が受け持っていた[30]。

1995年3月22日、オウム真理教に対する警察の強制捜査が行われ、
翌23日にはこれに対する麻原自らの反論が放送された。
音質から、第4サティアンのスタジオではなく、
他の場所での収録と推測されている。
1995年2月からは、麻原が「わたしは、君たちがわたしの手となり、
足となり、 あるいは頭となり、救済計画の手伝いをしてくれることを待っている
さあ、一緒に救済計画を行なおう そして、悔いのない死を迎えようではないか」
と呼びかけるメッセージを送り続けていたが、
3月23日の放送の最後にもこれが放送され
オウム真理教放送最後のオンエアとなった[30][31]。

非合法活動

公証人役場事務長逮捕監禁致死事件逮捕(拉致)現場

住民によるオウム真理教追放運動。
各地で住民との摩擦が表面化し時にはヒステリックなまでにエスカレートした。

暴走の起源

1988年(昭和63年)、在家信者死亡事件が発生。
麻原は「いよいよこれはヴァジラヤーナに入れというシヴァ神の示唆だな」
とつぶやいたという。
隠蔽のため、1989年(平成元年)には男性信者殺害事件を起こし殺人に手を染める。

坂本弁護士事件と衆議院選の裏側

翌年の選挙戦など教団の活動の障碍になるとして、
前年の1989年11月4日、オウム批判をしていた坂本堤弁護士とその一家を殺害
(坂本堤弁護士一家殺害事件)。
中川智正が殺害の際プルシャ(オウムのバッジ)を落としたため
オウム犯行説が一時広まるが、
任意の失踪の可能性があるなどとされこの頃はまだ事件性すら確定されていなかった。

そして1990年、麻原は真理党を結成して第39回衆議院議員総選挙に出馬。
選挙の際には信者が麻原のお面やガネーシャの帽子をかぶり、
尊師マーチなど教祖の歌を歌うといった派手なパフォーマンスなど
奇抜な活動が注目を浴び、修行の様子なども雑誌やテレビで報道され、
徐々に知名度が上がっていく。
この時には公職選挙法で定められた時間帯を大きく超える16時間/日に及ぶ
街頭宣伝運動を繰り広げ、麻原彰晃の写真入りビラやパンフレット、
雑誌を選挙区中に撒き、麻原そっくりのお面を大量に作って運動員に被らせた[32]。
これは違法で警視庁から警告を受けたが、
運動にかり出された元信者は「もしも誰かから注意されたりしたら、
『これは布教活動です』と言って逃れるように」と指示を受けていた[32]。
また他の候補者のポスターを剥がす、汚損するなどを麻原自身が勧め、
深夜に信者を使って他の候補者を中傷するビラを配布させた[32][33]。

結果はこの選挙で最も得票の多かった麻原でさえ1,783票[33] であり、
惨敗を受け麻原は「票に操作がなされた」と発言し、
「今の世の中はマハーヤーナでは救済できないことが分かったので
これからはヴァジラヤーナでいく」として、
ボツリヌス菌やホスゲンによる無差別テロ計画(オウム真理教の国家転覆計画)
を指示する[34]。
このことからもこの選挙がオウム真理教の被害者意識をより一層高め、
非合法活動を更にエスカレートさせたといわれている。

無差別テロ計画

麻原は選挙での惨敗を受け、オウム真理教の国家転覆計画を実行に移し始めた。
教団内ではかねてから、現代人は死後三悪趣(地獄・餓鬼・畜生)
に転生してしまうためこれを防がなくてはならない[35] などと教え込まれていたため、
信者は麻原に従って武装化に協力していった。

1990年4月、「オースチン彗星(英語版)が接近しているために、
日本は沈没するが、オウムに来れば大丈夫」と宣伝し、
在家信者だけでなく家族まで参加させ行き先も伝えないまま石垣島に連れて行き
石垣島セミナーを開催した[36][37]。

セミナーの当初の目的は、オウム真理教が計画をしていたボツリヌス菌・
ボツリヌストキシン散布によるテロから、オウムの信者を守ることであった。
しかし村井秀夫、遠藤誠一らはボツリヌス菌の培養に失敗をしたため
テロは実行されなかった[38]。

参加者によると、参加費は30万円であったが、会場はきちんと予約されておらず、
天候が悪かったこともあり、「現在の東欧動乱は、
1986年のハレー彗星の影響であり、今年のオースチン彗星の接近によって
何かが起こる」とただそれだけの話があっただけで
行事は予定を繰り上げてお開きになった。しかしこのセミナーで多数の出家者を獲得し、
選挙での惨敗後に脱会者が続出した教団を蘇生することには成功した。
これはその後「ハルマゲドンが起こる、オウムにいないと助からない」
と危機感を煽って信者や出家者をかき集める方法の原点になった[36]。

波野村の攻防

1990年(平成2年)5月、日本シャンバラ化計画の一環として
熊本県阿蘇郡波野村(現在の阿蘇市)に進出するが、
地元住民の激しい反対運動に会う。
波野村進出の目的のひとつは武装化拠点の確保であった[38]。
しかし村民はオウムの進出に反発し、反対運動が激化した。
村の反対運動の背景には、村長派と反村長派との対立があったともされる。
また右翼団体なども扇動され激しい攻防があった[39]。

そして1990年10月22日、オウム真理教波野村の土地売買に関する
国土利用計画法違反事件で強制捜査を受け、早川紀代秀、満生均史、
青山吉伸、石井久子、大内利裕など教団幹部が続々と逮捕された。
しかしオウムは熊本県警内の信者から情報を入手しており、
強制捜査も1週間延期されていたものだったので、
武装化設備を隠蔽することができた[40]。

後の1994年、結局波野村はオウムが5000万円[41] で手に入れた
土地を和解金という形式で9億2000万円[42] で買い戻すことで合意、
オウムの大きな資金源となった。

武装化の中断、妄想・幻聴の出現

国土法違反事件の影響もあり、1991年(平成3年)〜1992年(平成4年)は
ホスゲンプラント計画や生物兵器開発などの教団武装化を中断、
テレビや雑誌への出演や文化活動などに重点を置いた
「マハーヤーナ」路線への転換を図った。

だが1992年頃より、「宇宙衛星から電磁波攻撃を受けている[43]」
などといった麻原の妄想、幻聴が現れ始める。
「シヴァ大神の示唆では仕方ないな」とつぶやき、
「内なる声」が自らの進みたい道とは違うことに苦しみ始め
「いっそ死んでしまいたい」と言ったのを3女麗華が聞いている。
麗華は麻原を統合失調症などの精神疾患に
罹患していたのではないかと推測している[8]。

教団の再武装化

「麻原彰晃#マハーヤーナとヴァジラヤーナ」も参照

1993年(平成5年)前後から再び麻原は教団武装化の
「ヴァジラヤーナ」路線を再開[34]。武力を保有するため、
オカムラ鉄工を乗っ取りAK-74の生産を試みたり(自動小銃密造事件)、
NBC兵器の研究を行うなど教団の兵器の開発を進めた。
1993年以降は麻原がオウム真理教放送等を除くメディアに登場することはなくなり、
国家転覆を狙った凶悪犯罪の計画・実行に傾斜してゆく。

この中で土谷正実、中川智正、滝澤和義らの手によって
サリンなど化学兵器の合成に成功。1993年より、
これを利用した池田大作サリン襲撃未遂事件、
滝本太郎弁護士サリン襲撃事件を起こし、敵対者の暗殺を試みた。
さらに第7サティアンにおいてサリン70トンの大量生産を目指した
(サリンプラント建設事件)。

 山梨県上九一色村(当時)にあったオウム真理教施設。手前が「第7サティアン」で、後方が「第10サティアン」=1995年5月6日=出典:時事通信
オウム真理教 教団施設  時事通信 d


また生物兵器の開発も再開し、遠藤誠一、
上祐史浩らが炭疽菌を用いて亀戸異臭事件などを起こしたが、
こちらは成功しなかった。

この頃には、アメリカから毒ガス攻撃を受けていると主張するようになり、
車には空気清浄機を付け、ホテルでは大真面目に隙間に目張りをしていた。
ヘリコプターが通過する際には、
毒ガスだと言って車に駆け込み退避するよう命じる有り様だった[8]。
中川智正によると、この被害妄想は1993年10月頃に
第2サティアンの食物工場から二酸化硫黄を含む煙が出た事故を、
毒ガス攻撃と思い込んだことから始まったという[44]。

洗脳の強化

過激化とともに布施の強化が図られ、社会との軋轢が増すにつれ、
教団内部に警察などのスパイが潜んでいるとしきりに説かれ、
信者同士が互いに監視しあい、密告するよう求められるようになる。
麻原は信者に対して「教団の秘密を漏らした者は殺す」
「家に逃げ帰ったら家族もろとも殺す」「警察に逃げても、
警察を破壊してでも探し出して殺す」と脅迫していたという[45]。
教団内の締め付けも強くなり、薬剤師リンチ殺人事件、
男性現役信者リンチ殺人事件、逆さ吊り死亡事件などが発生した。

1994年からオウムでは違法薬物をつかったイニシエーションを
次々と実行するようになり、
LSDを使ったイニシエーションが在家信者に対しても盛んに行われた
(LSDは麻原自身も試している)[46]。
費用は100万円であったが、工面できない信者には大幅に割引され、
5万円で受けた信者もいる[47]。
LSDを使った「キリストのイニシエーション」は
出家信者の殆どに当たる約1200人と在家信者約200〜300人、
LSDと覚醒剤を混ぜた「ルドラチャクリンのイニシエーション」
は在家信者約1000人が受けた[48]。

また、林郁夫によって「ナルコ」という儀式が開発された。
「ナルコ」は、チオペンタールという麻酔薬を使い、
意識が朦朧としたところで麻原に対する忠誠心を聞き出すもので、
麻原はしばしば挙動のおかしい信者を見つけると
林にナルコの実施を命じた。麻原は林に、
信者達の行動を監視するよう命じ、信者が自分の仕事の内容を
他の信者へ話すことすら禁じていた。[要出典]
林郁夫はさらに「ニューナルコ」と呼ばれる
薬物を併用した電気ショック療法を使い始め、
字が書けなくなったり記憶がなくなっている信者が見つかっている。
他にも、村井秀夫によりPSIという奇妙な電極付きヘッドギアが発明され、
教団の異質性を表すアイテムとなった。

洗脳は出家信者の子どもにも及び、PSIを装着させたり、LSDを飲ませたり、
オウムの教義や陰謀史観に沿った教育をしたりしており、
事件後に保護されたオウムの子どもたちが口を揃えて
「ヒトラーは正しかった、今も生きている」
などと語っている光景も目撃されている[48][49]。

麻原本人は言葉巧みに若い女性信者を説得し、
左道タントライニシエーションと称して性交を行っており、
避妊も行っていなかったため妊娠・出産に至る女性も数多く現れた。

省庁制発足と松本サリン事件

1994年6月27日、東京都内のうまかろう安かろう亭で省庁制発足式が開かれ、
これにより教団内に「科学技術省」「自治省」「厚生省」「諜報省」
などといった国家を模したような省庁が設置された。

3女松本麗華によれば、1994年6月に麻原の体調が悪化し、
教団運営ができなくなる恐れが出たために、省庁制が敷かれたという。
各省庁の責任者や大臣が大きな権限を持つようになり、
3女は、11歳にして法皇官房長官に任命される。
任命時に麻原は麗華に「お前はもう11歳だから大人だ」
と言ったが麗華がふてくされていると
「法皇官房は、私のことを一番に考える部署なんだ。お前は長官だから、
私の世話をしっかり頼む」と言った。

同日、オウムの土地取得を巡る裁判が行われていた長野県松本市において、
裁判の延期と実験を兼ねてサリンによるテロを実行。
死者8人、重軽傷者600人を出す惨事となる(松本サリン事件)。
当初はオウムではなく第一通報者の河野義行が疑われ
厳しい追及が行われるなど、後に捜査の杜撰さが指摘された。
またマスコミによる報道被害も問題になった。

戦いか破滅か

1994年(平成6年)と1995年(平成7年)には特に多くの凶悪事件を起こす。
そのうちいくつかの事件では当初より容疑団体と目され、
警察当局の監視が強化された。
オウム内ではビデオ「戦いか破滅か」や
雑誌「ヴァジラヤーナ・サッチャ」などで危機感を煽った[50]。

「信徒用決意」という決意文にはこうある。
「泣こうがわめこうがすべてを奪いつくすしかない」
「身包み剥ぎ取って偉大なる功徳を積ませるぞ」「丸裸にして魂の飛躍を手助けするぞ」
「はぎとって、はぎとって、すべてを奪い尽くすぞ」[51]。さらに、決意-2にはこうある。
「たとえ恨まれようと、憎まれようと、どんなことをしてでも、真理に結び付け、
救済することが真の慈愛である」「救済を成し遂げるためには手段を選ばないぞ」
「そして、まわりの縁ある人々を高い世界へポワするぞ」[52]。
これらの教義は、信者の監禁事件へと発展していき、
1994年には教団は拉致・監禁を平然と行うようになり、ピアニスト監禁事件
、宮崎県資産家拉致事件、鹿島とも子長女拉致監禁事件といった
多数の拉致監禁事件を起こし、サティアンに作られた独房や監禁用コンテナ、
一日中麻原の説法テープを聞かせる部屋(ポアの間)に被害者を監禁した。

さらに土谷正実が猛毒VXの合成に成功し、これを用いて敵対者の暗殺を計画、
駐車場経営者VX襲撃事件、会社員VX殺害事件、
オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件を起こした。
麻原は「もうこれからはテロしかない」[53]、
「100人くらい変死すれば教団を非難する人がいなくなるだろう。
1週間に1人ぐらいはノルマにしよう」[53]、「ポアしまくるしかない」[34]
などと語っていた。

サリン事件は、オウムである

松本サリン事件後に「サリン事件は、オウムである」などと書かれた
「松本サリン事件に関する一考察」という怪文書が出回り、
さらにオウムを追っていたジャーナリストの江川紹子が
何者かに毒ガス攻撃を受ける(江川紹子ホスゲン襲撃事件)など、
オウムと毒ガスの関係性が噂され始めた。
1994年11月には強制捜査接近の噂迫が教団内に流れ、
サリンプラントの建設を中断するなどの騒ぎとなっていた。
そして1995年(平成7年)1月1日、読売新聞が上九一色村のサティアン周辺で
サリン残留物が検出されたことを報じ、
オウムへのサリン疑惑が表面化、教団は「上九一色村の肥料会社が
教団に向けて毒ガス攻撃をしているため残留物が発見された」
と虚偽の発表をするとともに、隠蔽工作に追われることとなった。

だが麻原は1995年1月17日の阪神淡路大震災で
強制捜査が立ち消えになったものと考え[34]、1995年2月28日、
東京都内で公証人役場事務長逮捕監禁致死事件を起こす。
この事件で教団信者松本剛の指紋が発見されたことにより、
ようやく警視庁は公証人役場事務長逮捕監禁致死事件で
全国教団施設の一斉捜査を決定したのであった。
3月15日には霞ケ関駅で自動式噴霧器が発見されたこともあり、
毒ガスによる抵抗を想定して、
陸上自衛隊から戦闘用防護衣450着と化学防護衣50着を借用するとともに、
3月19日には警視庁機動隊員300名と捜査一課捜査員20名が
朝霞駐屯地に派遣され、防護服の装着訓練を受けていた[54]。

公証人役場事務長逮捕(拉致)現場=出典:wikipedia
2-公証人役場事務長逮捕監禁致死事件現場_2


地下鉄サリン事件と強制捜査

しかし教団はそれを察して警察より早く動き、
強制捜査を遅らせるため1995年3月20日に地下鉄サリン事件を決行。
13人の死者と数千人の負傷者が発生する大惨事となった。

「地下鉄サリン事件の構図」=出典:IRONNA
地下鉄サリン事件の構図d-出典IRONNNA-


ただし、唯一地下鉄サリン事件が決定されたリムジン謀議の内容を
詳細に証言している井上嘉浩によると、
2014年2月4日の平田信公判において「サリンをまいても、
強制捜査は避けられないという結論で、議論が終わっていた。
しかし松本死刑囚は、『一か八かやってみろ』と命じた。
自分の予言を実現させるためだったと思う。」[55]、
2015年2月20日の高橋克也の公判において「『宗教戦争が起こる』
とする麻原の予言を成就させるために、事件を起こしたと思った」
と証言しており、自身の「ハルマゲドン」
の予言を成就させるためという説もある[56]。

いずれにせよ強制捜査延期には至らず、事件2日後の3月22日には、
山梨県上九一色村(現・富士河口湖町)を中心とした教団本部施設への
一斉捜索が行なわれ、サリンプラント等の化学兵器製造設備、細菌兵器設備、
散布のためのヘリコプター、衰弱状態の信者50人以上等が見つかり、
オウム真理教の特異な実態が明らかになった。
以降、同事件や以前の事件への容疑で
教団の幹部クラスの信者が続々と逮捕された[57]。

強制捜査の際、どこの現場でも「捜索令状をじっくり読む」
「立会人を多数要求する」「警察官の動きをビデオや写真に撮る」
という光景が見られた[58]。また報道陣に対してもしつこくカメラを向け、
突然の捜索に驚き慌てる様子は全くなく、事前に準備され訓練された
行動のようであった[58]。実際に弁護士で信者の青山吉伸から
「絶対に警察の手に渡ってはいけない違法なものに限り持ち出し、
露骨な持ち出しをしないように」「令状呈示のメモ及び録音で時間を稼ぎ、
私服警察官に対しては警察手帳の呈示を求める」「水際で相手を嫌にさせて、
捜索意欲をなくさせる」「排除等の暴行に及んで来たらビデオで記録化する」
「施設の電源を落とす」「内鍵をして立て篭る」
「勝手に触ると修法が台なしになると主張する、
ほとんどのものを修法されているとする」という通達と、
警察との想定問答が極秘に出されていた[58]。もちろんこれは
刑法104条の証拠隠滅罪に該当する[58]。
オウムの犯罪行為は一部の信者以外には秘密であったうえ、
「オウムは米軍に毒ガス攻撃されている被害者」
「不殺生戒を守り虫も殺さぬオウム信徒が殺人をするはずがない」
と教わっていたため、事件を陰謀と考える信者の抵抗は大きかった。

強制捜査後、上祐史浩らがテレビに出演して釈明を続け、
サリンはつくっていないなどと潔白を主張した。一部の幹部は逃走し、
八王子市方面に逃げた井上嘉浩、中川智正らのグループは
村井秀夫から捜査撹乱を指示され、4月から5月にかけて新宿駅青酸ガス事件、
都庁爆弾事件を起こした。また、その村井秀夫は1995年4月23日に
東京南青山総本部前に集まった報道陣を前にして刺殺された(村井秀夫刺殺事件)。
4月15日予言などオウムに関するデマも飛び交った。

1995年(平成7年)5月16日には再び、
自衛隊の応援を得て付近住民を避難させた上で、
カナリアを入れた鳥かごを持つ捜査員を先頭に、
上九一色村の教団施設の捜索を開始。
第6サティアン内の隠し部屋に現金960万円と共に潜んでいた
麻原彰晃こと松本智津夫(当時40歳)が逮捕された。
また、証拠品の押収や、PSI(ヘッドギア)をつけさせられた
子供たちを含む信者が確保された[59]。

麻原逮捕後の活動

長老部体制


東京地検は麻原彰晃こと松本智津夫を17件の容疑で起訴した[60]。
1996年1月18日時点で、一連の事件に関与して逮捕された信者は403名、
そのうち起訴183名[61]。

教団は村岡達子代表代行と長老部を中心として活動を継続していたが、
1995年(平成7年)10月30日東京地裁により解散命令を受け[62]、
同年12月19日の東京高裁において、即時抗告が[63]、
翌1996年(平成8年)1月30日の最高裁において特別抗告がともに棄却され[64]、
宗教法人法上の解散が確定した。

1996年(平成8年)3月28日、東京地裁が破産法に基き教団に破産宣告を下し[65][66]、
同年5月に確定する。1996年(平成8年)7月11日公共の利益を害する組織犯罪を行った
危険団体として破壊活動防止法の適用を求める処分請求が公安調査庁より行われたが、
同法及びその適用は憲法違反であるとする憲法学者の主張があり、
また団体の活動の低下や違法な資金源の減少が確認されたこと等もあって、
処分請求は1997年(平成9年)1月31日公安審査委員会により棄却されている。

破防法処分請求棄却後により教団も活動を継続し、
「私たちまだオウムやってます」と挑発的な布教活動や、
パソコン販売による資金調達などを行った[67]。
一方、一連の事件については「教団がやった証拠がない」とし、
反省や謝罪をせず、被害者に対する損害賠償にも応じなかった。

この頃教団は、当時黎明期であったインターネット上に 公式サイト を開設
(1999年、休眠宣言により事実上閉鎖。初期版/中期版/後期版)。
麻原が毒ガス攻撃を受けていた、坂本弁護士一家殺害事件は
弁護士事務所の者が怪しい、だんご三兄弟ヒットはフリーメイソンの陰謀などと
主張したり、麻原や上祐が出てくる探索ゲーム「サティアン・アドベンチャー」、
オウム×新世紀エヴァンゲリオンの二次創作があったりと
やりたい放題の内容であった[68][69]。
さらに一部の熱心な信者は一般人を装って、
ネット上にオウム事件陰謀説を流布していた[70][71]。

休眠宣言

教団の姿勢は社会の強い反発を招き、
長野県北佐久郡北御牧村(現・東御市)の住民運動をきっかけに、
オウム反対運動が全国的に盛り上がりを見せ、
国会でもオウム対策法として無差別大量殺人行為を行った団体の
規制に関する法律(いわゆる「オウム新法」)を制定するに至った。

予言されたハルマゲドンもなかったことから、教団は1999年9月に「オウム真理教休眠宣言」、
12月1日は「正式見解」を発表し事件を形式的に認めた[72]。

12月1日教団正式見解

9月末の休眠宣言以来、教団として、一連のいわゆるオウム事件に対する
見解を発表すべく検討を重ねてまいりました結果、
本日以下の見解を発表できる ことになりました。

いわゆるオウム事件に関して、教団として現在まで裁判の進行を見守ってきた結果、
当時の教団関係者の一部が事件に関わっていたことは否定できないと判断するに至りました。

長老部のメンバーを代表とする現教団の信者たちにとって、
一連の事件は知らないところで起こったこととはいえ、
当時の教団にあって同じ団体に属した者 として、
現在裁判で明らかになりつつあることが起こったことは大変残念であるとともに、
被害に遭われた方々をはじめ、ご家族の方々に対し、
心からお詫びを申し上げたいと思います。
(省略)
最後になりますが、現在「オウム新法」といわれる法律が成立しようとしており ます。
わたしたちの関係者が関与した事件によって、
憲法で保障された基本的人権を侵害する法律が制定されようとしていることは、
大変遺憾なことであり、また国民の皆さまに対して申し訳なく思う次第です。

この法律が、もし成立するとするなら、わたしたち以外の団体に
決して適用されることがないよう心から願ってやみません。
— 1999年12月1日 教団代表代行 村岡達子[73]

後継教団
アレフ系
Aleph


2000年(平成12年)2月4日、教団は破産管財人から
オウム真理教の名称の使用を禁止されたため、
前年に出所した上祐史浩を代表として「オウム真理教」を母体とした宗教団体
「アレフ」へと名称変更した。同年7月、「アレフ」は破産管財人の提案により、
被害者への賠償に関する契約を締結したが、
その支払いは遅々として進んでいない[74]。
2003年(平成15年)には「アーレフ」、2008年(平成20年)にはさらに「Aleph」(アレフ)
と改称した。2010年(平成22年)3月に公安調査庁は、
サリン事件当時の記憶が薄い青年層の勧誘をしていることなどについて、
警戒を強めている旨を発表した[75]。

ひかりの輪

2007年(平成19年)5月にはアーレフから上祐派の信者たちが脱会、
新団体「ひかりの輪」を結成した。
この団体は麻原の教えからの脱却を志向していると主張し、
またオウム被害者支援機構との協定により被害者への賠償金支払いを行っている。
なお公安調査庁『内外情勢の回顧と展望』2010年1月版では、
その活動が麻原の修行に依拠していることが報告されている[76]。

山田らの集団

2014年(平成26年)から2015年(平成27年)頃、
Aleph金沢支部の山田美砂子(ヴィサーカー師)を中心とした「山田らの集団」
と呼ばれる分派が結成された[77]。
「山田らの集団」は公安調査庁の定めた便宜上の呼称であり、
正式な団体名は不明。

その他
ケロヨンクラブ


「ケロヨンクラブ」は1995年(平成7年)のオウム事件後に結成された分派。
代表の北澤優子が信者の死亡事件で有罪判決を受けた。

偽装脱会者

麻原の4女によると、偽装脱会者が「第二オウム」として陰謀論、占い、
スピリチュアル、IT、福祉などを通じ陰の布教を図っているという[78][79]。

教義
教義の概要


オウム真理教の教義は、原始ヨーガを根本とし、パーリ仏典を土台に、
チベット密教[注釈 5]やインド・ヨーガの技法を取り入れている。
日本の仏教界が漢訳仏典中心であるのに対し
あえてパーリ仏典やチベット仏典を多用した理由は、
漢訳は訳者の意図が入りすぎているからとしている[81]。

そして、「宗教は一つの道」として、全ての宗教はヨーガ・ヒンズー的宇宙観の
一部に含まれる、と説く。その結果、例えばキリスト教の創造主としての神は
梵天(オウム真理教では“神聖天”と訳す)のことである、
等と説かれる。オウムでは、世界の宗教の起源は古代エジプトにあり、
アブラハムの宗教もインド系宗教もエジプトから始まったとし、
万教同根・シンクレティズム的な宗教観を持つ[82]。

従って、オウム真理教に於いては儒教・道教・キリスト教・ゾロアスター教等
ありとあらゆる宗教・神秘思想を包含する「真理」を追求するという方針がとられた。
結果として、キリスト教の終末論も、ヒンズー教的な「創造・維持・破壊」
の繰り返しの中の一つの時代の破滅に過ぎない、として取り込まれた。
すべての宗教および真理を体系的に自身に包括するという思想は
ヒンズー教の特徴であり、麻原はそれを模倣した。

具体的な修行法としては、出家修行者向けには上座部仏教の
七科三十七道品、在家修行者向けには大乗仏教の六波羅蜜、
またヨーガや密教その他の技法が用いられた。
特にヨーガにはかなり傾倒しており、
その理由として釈迦もヨーガを実践していたからとする[83]。

また、オウム真理教の教義には、ヘレナ・P・ブラヴァツキーに始まる
近代神智学の影響も指摘されている[注釈 6]。
ブラヴァツキーの死後、神智学の組織である神智学協会は
インドに本部を構え、ヨーガ理論とその実践による霊性の向上と
霊能力開発を強調するようになったが、
社会学者の樫尾直樹や宗教学者の大田俊寛は、
こういった面を含めて近代神智学の構えはオウム真理教の
諸宗教の編集の仕方に非常によく似ており、
その影響が伺われると指摘している[84]。
たとえばオウムで用いられた「アストラル」「コーザル」は
神智学の用語である[85]。麻原が神智学の原典から直接学んだのか、
麻原が一時はまったというGLAなどの新宗教の経典や出版物[86]、
オカルト雑誌などから間接的に教義を構築したのかは定かではない[84]。

教義の柱

1995年当時のオウム真理教横浜支部道場


オウム真理教の「五つの柱」として、以下の点が挙げられており、
「実践宗教」であることが強調されている。

最終地点まで導くグル(霊的指導者)の存在
無常に基づく正しい教義
その教義を実体験できる修行法
その教義を実際に実践して修行を進めている先達の修行者の存在
修行を進めるためのイニシエーションの存在

無常

オウム真理教では、修行による苦悩からの解放を説き、
無常である欲望・煩悩から物理的に超越することを「解脱」、
精神的に超越することを「悟り」と呼ぶ。
「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」という、
仏教の無常観に即した麻原の言葉に象徴されるとおり、
この世の中のすべての現象は無常である。
よって今感じている喜びはいつか終わりが訪れた時に
その喜びが失われることで苦しみを必ず生じさせる。
また今は何も無くともいつか自分にとって嫌な現象が訪れた際にも同様に
必ず苦しみが生じる。何かを欲求して得られなかった場合も同様に苦しみが生じる。
したがって無常である煩悩的な喜びにとらわれることは必ず苦しみを生み出す。
逆に、自己の煩悩を超越し、無常を越えた状態が、
ニルヴァーナ(涅槃、煩悩破壊)である。
また、そこに留まることなく、更に全ての魂を苦悩から解放し
絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜の状態に導くことによって
自身も絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜のマハーニルヴァーナ(大完全煩悩破壊)、
あるいはマハーボーディニルヴァーナ(大到達真智完全煩悩破壊)へと至る。

シヴァ

オウム真理教の主宰神は、シヴァ大神である。
オウム真理教に於けるシヴァは「最高の意識」を意味し、
マハーニルヴァーナに住まう解脱者の魂の集合体であり、
またマハーニルヴァーナそのものと同義としても扱われる。
当時の教団内で麻原彰晃はこのシヴァの弟子であるとともに
シヴァの変化身とも称されていた。
ヒンドゥー教(インド神話)にも同名のシヴァ神があるが、
これはシヴァ大神の化身の一つに過ぎないとされる。

輪廻転生

教団では輪廻転生が信じられていた。
麻原は自らの出版物を通して、徳川家光、朱元璋など
多くの前世を持つと称していた[87]。
中でも意識堕落天の宗教上の王は直前の生であったため、
その世界で麻原に帰依していた人たちが多く転生し、
現在の信者になっていると教団内では信じられていた。
また、道場では「宿命通」というアニメビデオを放映し、
麻原のエジプトでの前世の物語を展開していた。
ジェゼル王の時代に彼は宰相のイムホテップとして
王に宗教的指導を施し、最古のピラミッドである
「ジェゼル王の階段のピラミッド」を造ったとしている[88]。

輪廻転生と関連してカルマの法則も信じられていた。
虫500匹を殺すカルマが人1人を殺すカルマに相当する、
接触しただけでカルマが交換される、スポーツやグルメを楽しむと
カルマを負って低い世界に落ちるなどといった独特の教義があった[89]。

エネルギー

オウムでは霊的エネルギー(気)を実在すると考え、
これを強めるためとして様々な修行をしていた。
麻原の爪や体毛を煎じて飲んだり、
麻原の風呂の残り湯を飲んだりするのも
「エネルギー」を高める目的があった[90][91][92]。

ポア

ポア(ポワ)とは、ヨーガの用語で「意識を高い世界へと移し替えること」
と定義されていた。これは実際の生死とは関わりなく
意識の中の煩悩的要素を弱めて
意識を高次元の状態に移し替えることと解釈されていた。
このポアの中で最も重要なものは死の直後、
中間状態にある意識の移し替えで、
これは次の生における転生先を決定することになる。

したがって、死の際の意識の移し替えが狭義の「ポア」となる。
これが転じて、「積極的に(実際に)死をもたらし、
より高位の世界へ意識を移し替え転生させる」という特殊な技法も
「ポア」と呼ばれることがあり、
これが「『ポア』なる言葉の下に殺戮を正当化する」
と検察側が主張する根拠となっている
(※これは、一連の犯行の際に、教団幹部らが教団内部で
実際に使用した事例などに基づく解釈である)。

オウムは人々の救済を説く一方、「ユダヤ=フリーメイソンに支配され
物欲に溺れ動物化する人々、三悪趣に落ちる人々」と
「霊的に進化する人々」を二分し、前者を粛清しようとする思考に
陥っていたとされる[93][94][95]。

ハルマゲドン

麻原は転輪王経やヨハネの黙示録、ノストラダムス・酒井勝軍・
出口王仁三郎らの予言[96]、占星術(大宇宙占星学)などをミックスし、
第三次世界大戦・ハルマゲドンが迫っていると盛んに主張した。
現代の人類は悪業を積んでいてこのままでは三悪趣に転生してしまうので、
ハルマゲドンを引き起こすことも救済であると問いていた[34]。

麻原によるとハルマゲドンの原因は、フリーメイソン物質主義派と
ユダヤ勢力が物質崇拝やオウム迫害を広めてカルマが溜まっていることと、
キリストと人類の進化を求めるフリーメーソン精神主義派及び
米・中・露のバックにいるものたちの計画であり、
大戦は中東の石油危機をきっかけとして1997年に始まり1999年8月1日ごろ激化する。
この他、ナチス残党の第四帝国も参戦する。
日本は不況のためファシズムに傾倒し東南アジアに侵攻、
さらにアメリカと対立しNBC兵器やプラズマ兵器、
電磁パルス攻撃などで蹂躙され殆どが死ぬが、
「神仙民族」であるオウムが生き残り、2000年に日本から
「6人の最終解脱者」が登場、オウムは地球を救い、
旧人類を淘汰して超人による世界をつくるという、
アニメ・漫画的ともいえるストーリーであった。
オカルト本などが元ネタのひとつだった[34][97][98][99]。

とはいえ麻原はソ連崩壊を予言できず(当初は1995年にソ連があることになっていた)
1999年を迎える前から破綻していた[99]。麻原は逮捕後の
1996年の破防法弁明手続において
「1995年11月にラビン首相の暗殺によって世界の首脳がイスラエルに集まったため、
これをもってハルマゲドンに集まったというプロセスは終了した」
「私たちはハルマゲドンに出会うかもしれない。出会わないかもしれない。
ハルマゲドンが起きるなどということはその中でも一言も言っていない」
と予言を半ば撤回した[100]。

疑似科学

麻原は宗教の教えと科学の理論をごちゃ混ぜにして話すことを得意とし、
空中浮揚からビッグバンに至るまで疑似科学理論で説明していた。
最先端の科学でも難しい「ビッグバン直後の世界」などのことでも、
適当に誤魔化して説明できてしまうことから、
多くの理系信者が惹きつけられた[101]。

体系

オウム真理教では、修行の内容を3種類または4種類に分けて説く。
小乗(ヒナヤーナ)、大乗(マハーヤーナ)、真言秘密金剛乗/秘密真言金剛乗
(タントラ・ヴァジラヤーナ)で、
厳密に説かれるときはタントラヤーナとヴァジラヤーナを分ける。
ここでは4つの修行体系に分けて述べる。
ただし、顕教が大乗を説くのに対して密教は金剛乗(ヴァジラヤーナ)
を説くことは多いが、通常の仏教語の定義とは異なる。

ヒナヤーナ

ヒナヤーナ(小乗)とは、外界とは離れて、
自己の浄化・完成を目指す道である。ヒナヤーナはすべての土台である。

マハーヤーナ

マハーヤーナ(大乗)とは、自己だけでなく他の多くの人たちをも
高い世界に至らしめる道(衆生済度、救済)である。
教団全体はマハーヤーナと規定される。
ただし、完全なる自己の浄化(ヒナヤーナの完成)がなければ、
真の意味でのマハーヤーナは成立しないともいう。
オウム出版発行の機関紙の名前にも使われている。

タントラヤーナ


タントラヤーナ(秘密真言乗)とは、マントラを唱える等の密教的な修行を指す。
ただし、左道タントラなど、現代日本では非倫理的・非道徳的とされる部分については、
教団の公式見解において否定されていた。
しかし麻原はイニシエーションとして性行為を行っていた[102]。

ヴァジラヤーナ

ヴァジラヤーナ(金剛乗)とは、グルと弟子との1対1の関係においてのみ
成り立つ道である。グルが弟子に内在する煩悩を突きつけ、
それを理解できる状況を作り出し、
その煩悩を越えさせるマハームドラーなどの激しい方法が含まれる。
『カーラチャクラ・タントラ』などに見られるもので、
麻原はカール・リンポチェと会ってから
ヴァジラヤーナを説くようになったという[103]。
警視庁はこのヴァジラヤーナの教義は殺人を正当化するものと解釈、
オウム後継教団は現在もこの教義を根幹に据えていると見ている[28]。

ヴァジラヤーナの教義の中には、「五仏の法則」と呼ばれるものがあった。

ラトナサンバヴァの法則 - 財は善の為に使用されるなら盗んでも良い[104]
アクショーブヤの法則 - 輪廻に最適なタイミングであれば殺しても良い[105]
アミターバの法則 - 恋愛感情によって真理の実践を妨害している異性は奪っても良い[106]
アモーガシッディの法則 - 結果のためには手段を選ばない[106]
ヴァイローチャナの法則 - 時期尚早として麻原が明かさなかったため詳細不明[107]。
象の肉などが必要なので現代では無理[108]

これは「一般的な戒律に反する行為・言動」が、完全に煩悩なく、
完全に心において利他心のみであるときには認められるとするもの。
「天界の法則であって人間界においてはなし得ない」
という注釈のもとで説かれたこともあった。

麻原は真言宗でも同じことを言っているとした[109]。
金剛乗とは密教のことを指す。日本に仏教を伝来した
真言宗の開祖である空海の時代は、仏教は密教として扱われたこともあり、
国内においては狭義の意味では金剛乗は真言宗のことを指す。
真言宗のうちもっとも重要な経典の一つである金剛頂経は仏教学的分類においては
タントラ密教経典に分類される。金剛頂経は「金剛頂経瑜伽十八会指帰」
にもある通り全十八会からなり、その内初会「真実摂経」のみが日本に伝わっているが、
ニ会以降の内容では後期密教との過渡期の内容に踏み込み、
上記の五仏の法則に近いと言える内容も実際に存在する。
しかしこれはインド仏教がイスラム教と戦争状態にあった時代に、
既存仏教伝統に対して向けられたカウンター的な側面をもつものであり、
上祐史浩は五仏の法則を現代で文字通り解釈すべきでなかったとしている[110][111]。

法則

世界観


この世界は、熱優位の粗雑な物質による愛欲界、
音優位の微細な物質の世界である形状界、
光優位のデータの世界である非形状界が重なり合っているとする[112]。

チャクラと五大エレメント

チャクラ(チァクラ)と五大(五大エレメント)の理論を融合した形で導入している。
体の上部にあるチャクラほど高い次元につながっているとされた[112]。
子供向けの自慰行為防止説法で、麻原は以下のように語っている。
「心臓と、おしっこするところは、どちらが上かな?もちろん、心臓のほうが頭に近いから、
上だよね?体の下の部分に、心が集中するとね、
その子は下の世界に生まれ変わるんだって。
やだねえ(良い子の真理 3巻)[113]

修行法

当初は、専らヨーガの手法を用いた修行が行われていた。
その後、本来「秘技伝授」を意味する宗教用語であった
「イニシエーション」という言葉を、オウム独自の
「解脱者のエネルギーを伝授することで弟子を成就、解脱させる」
という意味で使う[114]ことで信者を増やしていった。
しかし一方で、麻原彰晃は終末思想を煽り、1994年前後には
違法薬物や電気による様々な洗脳施策を取るようになった[115]。
詳細は「オウム真理教の修行」を参照

評価

著名人


教団は著名人との交流があったが、
事件後は一変して多くの人物がオウム批判に転じている。

雑誌で好意的な対談を行った[116]栗本慎一郎は事件後
初めてオウム分析を週刊誌上で行い、オウムと北朝鮮、
および世界基督教統一神霊協会との関係を指摘した[117]。
ビートたけしはテレビ番組で麻原と対談し[118]、
その後雑誌で再び麻原と対談[119] などしていたが、
事件後は否定的な見解を取っている。
麻原の著書『生死を超える』の書評を書き、麻原を修行者として
高く評価していた思想家の吉本隆明は、
一般市民として大衆の原像を繰り込んでいこうとする立場から
「オウムの犯罪を根底的に否定する」としながらも、
なお「オウム真理教はそんなに否定すべき殺人集団ではない」
「麻原は現存する世界有数の宗教家」などと述べた[120]。
『ノストラダムスの大予言』の著者五島勉は、
「(ただの新書を)まさかこんなに子どもたちが読むとは思わなかった。
なんと小学生まで読んで、そのまま信じ込んじゃった。
(略)当時の子どもたちには謝りたい」
「一人の変なやつが命令を下して、しかも権力をやっつけるんじゃなくて、
自国の国民にサリンをまいたわけでしょう。そこのところが、
どう思うも何も間違いです」と答えている[121]。
麻原彰晃や林郁夫らがかつて所属していた阿含宗の教祖桐山靖雄は、
信者がオウムに流れていることに対して
「あの若造め生意気な」と激怒していた[122]。

学者


作家で宗教学者の島田裕巳はオウム真理教に宗教学の立場から取り組み、
好意的な発言をしていた[123] が、
地下鉄サリン事件が同教団の組織的犯行であることが発覚すると
メディアから批判を受け、
地下鉄サリン事件へのオウムの関与を否定するコメント[124] を出したことで
江川紹子、有田芳生、浅見定雄らから批判を受けた[125][126]。
のちにオウムを批判する立場からの著作を出している[127]。
同じく作家で宗教学者の中沢新一もオウムに好意的な発言をし[128]、
対談で麻原を「小学生のおもちゃ」と褒め、麻原も同意した[129]。
地下鉄サリン事件後はメディアから批判を受け、
地下鉄サリン事件についてのコメントも批判を浴びた[130]。
島田[131] や苫米地英人[132] などが中沢を批判する著作を発表している。
島薗進は、新宗教における「隔離型教団」の代表的な例として
エホバの証人、統一教会、幸福会ヤマギシ会と共にオウム真理教をあげ[133]、
他宗教団体と比較した上で、とくに、
人生の価値を非常に低く見る点を徹底した教えが説かれていると主張している[134]。
自分自身を仏教の系譜上に位置づけ、天皇への崇敬を示すことは全くないが、
ハルマゲドンの危機に際し日本主導による未来を説いた[135]。
島薗は、オウムに見られる日本中心的な思考については、
首尾一貫していないとしている[135]。
宇宙戦艦ヤマトが元ネタの「コスモクリーナー」、超能力、ホーリーネーム、
ハルマゲドンなどの漫画アニメ・SF・ゲーム的な要素、
現実より虚構に重要性が置かれるといった点から、
大澤真幸らによってオタク文化との比較が行われた[136]。

今日的な影響

オウム真理教の教義は、元となっている宗教教義を誤って解釈したもの、
意味を取り違えたもの、都合主義的な拡大解釈などが少なくない。しかし、
密教を中心に原始仏教からキリスト教まで幅広い宗教から摂取して、
オウム独自の体系化が図られたため、麻原の説教の録音テープや録画映像が、
いまだに布教に用いられてアーレフの信者などに信奉されており、
マスコミも折りにつけてそれを問題視した報道を行っている。

活動


1989年(平成元年)3月、東京都に対し宗教法人の認証を申請。6月、
東京都は受理を保留したため、オウム真理教は鈴木俊一東京都知事を相手取り、
行政の不作為の違法確認訴訟を東京地方裁判所に提起した。
8月、東京都が宗教法人として認証。
宗教法人規則認証申請書の記載内容

設立

1989年8月29日

主たる事務所の位置

東京都江東区亀戸

目的

主神をシヴァ神として崇拝し、創始者の松本智津夫(別名麻原彰晃)はじめ、
真にシヴァ神の意思を理解し実行する者の指導のもとに、古代ヨガ、
原始仏教、大乗仏教を背景とした教義をひろめ、儀式行事をおこない、
信徒を教化育成し、すべての生き物を輪廻の苦しみから救済することを最終目標とし、
その目的を達成するために必要な業務を行う。

規則


代表役員は、9人の責任役員の互選により選任され、オウム真理教を代表し、
その事務を総理する権限を有する。
責任役員は、信徒および大師のうちから、総代会の決議をへて、
代表役員が選任する。
総代会を組織する総代は、信徒および大師のうちから、
責任役員会の議決を得て、代表役員が選任する。
信徒とは、オウム真理教の教義を信奉する者で、
代表役員の承認を受けたもの。
大師とは、オウム真理教の教義を信奉する者で、
信徒を正しく指導できると、代表役員が認めたもの。

役員等


代表役員:松本智津夫(麻原彰晃)
責任役員:松本知子、石井久子、大内早苗、上祐史浩、都澤和子、
飯田エリ子、新実智光、大内利裕
監事:満生均史、別所妙子

本部

オウム真理教教団本部は上九一色村に多数点在するサティアンではなく、
富士宮市の教団「富士山総本部」である。
また、東京方面での布教活動の総拠点となったのが東京、南青山の東京総本部である。

日本シャンバラ化計画


麻原は1987年、「日本シャンバラ化計画」を発表した。
これによると、ゆくゆくは日本主要都市すべてに総本部を設置し
そこから日本全土に布教活動をし、
いずれは自給自足のオウムの村「ロータス・ビレッジ」
を建設するというものだった[34]。

公称信徒数


特記なければ日本国内のみ[19][137]。

1985年12月 - 15人
1986年10月 - 35人
1987年2月 - 600人
1987年7月 - 1,300人
1988年8月 - 3,000人
1990年10月 - 5,000人
1995年3月 - 15,400人(出家1,400人、在家14,000人)[3]
1997年 - 1,000人
1999年 - 1,500人

(以降は後継団体)

2000年 - 1,115人(教団が公安調査庁に報告した数)
2002年 - 1,650人
2003年2月 - 1,251人(教団が公安調査庁に報告した数)
2005年 - 1,650人
2008年 - 1,500人
2009年 - 1,500人(Aleph出家450人、在家850人。
ひかりの輪出家50人、在家150人)[138]
2011年 - 1,500人
2014年 - 1,650人
2016年 - 1,650人(出家300人)+ロシア460人

信者

教団の信者は在家信徒と出家修行者(サマナ)に分けられる。
在家信者は通常の生活を行ないながら、支部道場に赴いて修行したり
説法会に参加する。また、休暇期には集中セミナー等も開かれる。

このほか名目上の信徒である「黒信徒」がいた。
黒信徒の入会金は信者の家族や知人が代わりに払っていたので
一応信徒としてカウントし水増ししていた[139]。

オウムの修行の最終的な目標は、現実世界を越えた真実に到達することで、
サマナと呼ばれる出家修行者らはその目標に到達するために、
激しい修行を行った。現実世界を超えるためには、
この世界の価値観を超越し観念を壊す必要がある。
社会の価値観に重きを置かない点で、最初からオウムは「狂気」の思想を内包していた。
当初はこの狂気の割合が低く社会性も帯びていたものが、
バッシングなどや終末思想などにより次第に崩壊をはじめ、
社会性が薄れていった[8]。

修行の達成度、精神性の度合いを示すものとして「ステージ」制度があり、
時期によるが、1995年(平成7年)時点の出家者には、サマナ見習い、サマナ、
サマナ長、師補、師(小師、愛師・菩師、愛師長補・菩師長補、愛師長・菩師長)、
正悟師(正悟師、正悟師長補、正悟師長)、正大師の各ステージが存在した。
師は「クンダリニー・ヨーガ」の成就者、正悟師は「マハームドラー」
の成就者で仏教の阿羅漢相当、正大師は「大乗のヨーガ」の成就者と規定され、
これらのステージに従って教団内での地位、役職等が定められた
(詳細は「オウム真理教の階級」を参照)。

オウム真理教幹部には難関大学の卒業者も多く、教団の武装化を可能にした村井秀夫、
土谷正実、遠藤誠一など理系幹部を多く抱えていた。
また弁護士資格を持つ青山吉伸、公認会計士資格を持つ柴田俊郎、上田竜也、
医師免許を持つ林郁夫や中川智正、芦田りら、佐々木正光、平田雅之、森昭文、
小沢智、片平建一郎など社会的評価の高い国家資格を持つ者も多くいた。

他にも山形明、丸山美智麿など自衛隊員、建設会社出身で
教団の不動産建設やロシアとの交渉を手がけた早川紀代秀、
元暴力団員の中田清秀、松任谷由実のアルバム制作にも関わったことのある
デザイナーの岐部哲也、彰晃マーチなどを作曲したミュージシャンの石井紳一郎、
盗聴技術を持っていた林泰男、元日劇ダンシングチームの鹿島とも子など
幅広い層の信者を有していた。

以下に示すのはオウム真理教の雑誌ヴァジラヤーナ・サッチャが
1995年6月28日(強制捜査・オウム事件発覚後)に行った
出家修行者対象のアンケートデータである[140]。
旧・青山総本部(東京・南青山、2011年)

性別

男 459人(41%)
女 661人(59%)
計1120人

年齢

平均 30.1歳
最多 26歳(102人)

他の宗教団体への入信経験

あり 35%
なし 65%

学歴

大卒 37.8%
短大卒 7.0%
専門学校卒 16.7%
高卒 25.2%

入信動機

1位 本を読んで 273人
2位 勧誘 171人
3位 出家者・修行者の姿を見て 61人
4位 教義に納得して 52人

訴訟・嫌がらせ

教団には弁護士青山吉伸がおり、批判に対し多数の訴訟を乱発していた。
毎日新聞、西日本新聞、熊本日日新聞など
初期からオウム報道をしていたマスコミも訴訟のターゲットとなり、
事件発覚までマスコミがオウムへの追及を敬遠する一因となった[141]。

さらに敵対者や脱会活動に対しては、

ビラまき - 毎日新聞社の入るビルを25分の間に
ビラで埋め尽くしたこともあった[142]
通勤経路にオウムのポスターを貼る[143]
車を並べる[143]
無言電話[144]
いたずら電話[145]
梵字による仄めかし[144]
盗聴[146]
街宣[147]
オウム真理教の音楽を流す[147]

などの嫌がらせを行い、これらはエスカレートし
数々の襲撃事件に至った。

住民によるオウム真理教追放運動。=出典:wikipedia
3-住民によるオウム追放運動_3



国外での活動


1991年(平成3年)には、麻原彰晃がロシアを初訪問した。
当時のモスクワ放送もこの模様を伝え、
クレムリン宮殿で宗教劇の上演が行われたことや
アナトリー・ルキヤノフ最高会議議長と会談したことを報じた。
モスクワにおいて麻原は、当時ロシア副大統領だった
アレクサンドル・ルツコイやロシア連邦首相の
ヴィクトル・チェルノムイルジン、
モスクワ市長のユーリ・ルシコフ等、ロシア政界の上層部と接触。
翌年には後に安全保障会議書記となるオレグ・ロボフが来日し
麻原から資金援助の申し出を受けるなど、
オウムのロシア進出に拍車がかかった。

モスクワ放送(現・ロシアの声)の時間枠を買い取って
「エウアンゲリオン・テス・バシレイアス」(御国の福音)
というラジオ番組が1992年4月1日から1995年3月23日まで放送された。
またロシアで「キーレーン」というオーケストラを組織。
日本からロシアの施設での射撃訓練ツアーが
オウム関連の旅行会社によって主催されたり、
他にもロシアからヘリコプターなどが輸入されている。
またロシアに数ヶ所の支部を開設。
ソ連崩壊後に精神的支柱が揺らいでいた当時、
ロシアの多くの若者がオウム真理教に惹きつけられた。

このためオウム事件後、実はオウムはロシアや北朝鮮のスパイだという
陰謀説がまことしやかに語られるようになった。
しかし一連の捜査・裁判により、化学兵器は土谷正実が中心となり
自力でつくったことが発覚した。
新アメリカ安全保障センターも、オウムのサリン合成プロセスは
ロシアで主流の方法ではなくナチス・ドイツの方法に由来していると
分析している[148]。

また上祐史浩は「麻原は自分が一番であり、利用することはあっても
配下になるタイプではない」
「(事件を陰謀としたい)Alephを助長している」
と批判している[149]。

2018年5月1日、ロシアのオウム真理教の中心人物とされる
ミハイル・ウスチャンツェフ容疑者が逮捕された[150]。

事業

オウム真理教は、宗教活動のかたわら、多彩な事業を行っていた。
業種は、コンピューター事業、建設、不動産、出版、印刷、食品販売、飲食業、
さらに家庭教師派遣、土木作業員などの人材派遣など多岐におよび、
さながら総合商社の観を呈していた。数多くの法人を設立し、
ワークと称して信者をほぼ無償で働かせていたため、利益率は高く、
特に中心となっていたのはパソコンショップ『マハーポーシャ』の売り上げで、
公安調査庁によると年間70億円以上の売り上げ(1999年当時)があり、
純利益は20億円に迫る勢いであった。
出家信者200人がそこで働いていた。95年11月からは「トライサル」
「グレイスフル」「PCバンク」「PC REVO」「ソルブレインズ」「ネットバンク」
と名称を変えコンピューター事業を継続した[151]。

様々な業種に進出し集まった社員を教団に勧誘したり、
オウム系企業グループ「太陽寂静同盟」を結成するという構想もあった[152]。

コンピューター関係

マハーポーシャ[153]
マハーポーシャ・オーストラリア[153]
マハーポーシャ・台湾[154]
マハーポーシャ・ウクライナ[153]
APC名古屋[26]
CPUバンク[155]
真愛、ヴァンクール - コンピュータソフトウェア企画設計[156]
ポセイドン - PCショップ「トライサル」、PC部品卸会社「ハイバーシティ」を経営。
なお、「ハイパーシティー」は
地下鉄サリン事件遺族高橋シズヱの住むマンションに店舗があった[156][157]
オリエントエンジニアリング - PCショップ「PCバンク」「PC REVO」を経営[156]
ナスカ - 広告代理業、情報処理サービス[156]

飲食業

オウムのお弁当屋さん[158]
うまかろう安かろう亭[159]
うまかっちゃん[159]
運命の時[159]

出版


オウム出版[160]
なあぷる[161] - オウムとの関係を否定し滝本太郎に抗議した[162]
巧人館[163]

その他

株式会社オウム - オウム神仙の会設立の年である1984年の5月28日に設立。
出版業の他、ヨガ教室を開催したりしていた。
土地購入のダミー会社としても使用し、
これが松本サリン事件の一因となる[164][165]
ドゥプニールミリオネール - ロシア射撃ツアーを企画。
越川真一が代表[166]。後に株式会社アレフとなる
(びっくりドンキーを経営するアレフとは無関係)[156]
神聖真理発展社 - 資産隠し目的[167]
マハーサンパッティ[153] - 1992年1月24日設立。
宝石屋、弁当屋、テレクラを経営[168]
アルス総合建築事務所[106]
アルファ企画家庭教師派遣グループ[169]
M24 - スーパーマーケット[169]
マイトリーバ・ベビーシッター - ベビーシッター派遣会社。
二ノ宮耕一が代表[170]
ファインウォーター - 浄水器販売[156]
シーディーコレクター[156]
日本健康クラブ - 化粧品・医薬品・食料品販売[156]
セシン - 建設業の人材派遣[156]
ドンファン - テレクラ[161]
スーパースターアカデミー(SSA) - エアロビクス教室。
鹿島とも子が校長[171]
ヴァジラクマーラの会 - 美人信者による修行教室[107]
エ・ヴェーユ - 大阪に設立した能力開発塾。
派手な化粧をした女性信者で勧誘していた[172]

偽装サークル

日本印度化計画 - 1994年の早稲田大学学園祭に出店。
筋肉少女帯の同名の曲や日本シャンバラ化計画との関係は不明[173]
近未来研究所、ヨーガ同好会、中国武術研究会、インド化計画―カレー研究会
-1994年設立の大学ダミーサークル[156]
アクエリアスプロジェクト21、マイブーム研究会 - 東京大学[156]
新世紀CIRCLE - 京都大学[156]

薬品・武器関連のダミー会社

長谷川ケミカル - 1993年4月2日設立。長谷川茂之が社長。
サリンなどの原料の調達が目的[174][175]
株式会社ベル・エポック - 1993年8月4日設立。
社長・目的は長谷川ケミカルと同じ[174][176]
ベック株式会社[177]
下村化学[178]
ぶれーめん - 井上嘉浩が役員。パイナップル加工会社とのことだったが
実際には細菌プラントをつくろうとしていた[177][179]
オウムプロテクト - ロシアに設立した警備会社[180]
サンプラン - 薬品を隠す倉庫を借りていた[168]

不動産取得目的のダミー会社

ジェービーテレコム有限会社[181]
世界統一通商産業 - 早川紀代秀が代表[182]

他にもスリランカの紅茶園などを経営していた[154]。

教団での麻原の絶対性

信者時代「大師」の肩書きを持っていた元信者によれば、
「オウムでは、肝心なことは常に教祖が決めているんです。
教祖が知らないなんていうことはありえない」と言っている[36]。
幹部であろうとも麻原の指示は絶対であり、
オウム真理教附属医院の患者の入退院の判断すら麻原の指示を
仰がねばできなかったという[36]。
さらに麻原含めた上司の指示は説明無しに従わなくてはならなかったため、
信者はいつの間にか事件に関わっていたということが度々あった[183]。

公安調査庁は信者の証言を引用して「正悟師以上になると尊師のロボット」
「形式上はピラミッド形組織だが基本的には尊師と信徒は1対1の関係」
としている[184]。

オウム年表


一連の事件における被害者数は、死者30人・重軽傷者6000人以上。
さらに教団内に関しては判明しているだけで死者5人、
行方不明者は30人以上[6]。一連の事件に関与した教団幹部に対し、
刑事裁判では13人の死刑判決、
5人の無期懲役判決が出されている。

逮捕者については「オウム真理教事件#逮捕者」を、違法薬物・爆薬・
化学兵器製造については「土谷正実#兵器と違法薬物の製造」を参照。

オウム真理教を題材・モデルにした作品

映像作品


「A」シリーズ - 森達也によるドキュメンタリー作品。
映像作品には『A』『A2』がある。
地獄 (1999年の映画) - 本作にオウム真理教をモデルにした新興宗教団体
「宇宙真理教」が登場する。主人公である16歳の少女リカはその教団の
信者であったが、ラストで他の信者達とともに脱会する。
カナリア (映画)
愛のむきだし
未解決事件 File.02 実録・オウム真理教 - 元幹部の男性や、
1980年代に入信した古参信者で、教団元幹部の女性の証言を元に、
主演・萩原聖人で、教団初期からのオウム真理教の内部をNHKが詳細に
ドキュメンタリードラマ化。NHK BSプレミアムで、
2012年3月31日・午前1時30分から放送された。
放送時間101分。NHKスペシャルでは、さらに調査を進め、
『未解決事件』シリーズとして、NHK総合テレビジョンにて
2012年5月26日と5月27日に3部構成で放送された。
番組放送終了の翌月、菊地直子容疑者・高橋克也容疑者の逮捕を受けて、
異例の緊急再再放送が2012年6月24日に放送され、
また、NHK BSプレミアムで、2012年7月16日に
3部構成にて同番組が放送された[250]。
ホーク/B計画[要出典]
BLOODY MONDAY[要出典]

その他

煉獄の使徒 - 馳星周による小説作品。
カルマ真仙教事件 - 濱嘉之による小説作品。「阿佐川公照」などが登場する。
「F」 - 歌詞にポアが登場する。
MATSUMOTO - fr:Laurent-Frederic Bollee(L.F. ボレ)による漫画。
約束された場所で - 村上春樹によるオウム信者・元信者へのインタビュー作品。

脚注
注釈


1 ^ 読みは「シヴァたいしん」。オウム真理教におけるシヴァ大神はヒンドゥー教の
シヴァ神よりも更に崇高な存在とし、ニルヴァーナを超えるマハーニルヴァーナに存在する
真理勝者の集合体であり、すべての根本神。
2 ^ なお、当初は「真理教」とする筈だったが「しんりきょう」と発音する宗教団体(神理教)
が他に存在していたため商標登録の都合上、オウム神仙の会の名前から取り「オウム真理教」
と命名したのではないかという考え方もできる。
3^ ブッダの心。
4^ 立候補者が25名以上の政党には公職選挙法上確認団体と認められる利点がある。
5^ オウム真理教の元代表野田成人は、教団の中では教祖である麻原彰晃の書籍以外は
読んではいけないことになっていたが、中沢新一の『虹の階梯―チベット密教の瞑想修行』
(1981年、平河出版社)はネタ本として半ば公になっており、
教団内にふつうに存在し皆が参照していたと述べている。また、宗教学者の大田俊寛によると、
ポアという言葉をオウム真理教に教えたのは本書である。[80]
6^ 近代神智学とは、西洋と東洋の 智の融合・統一を企図したものであるされ、
西欧神秘主義の伝統的な諸思想をアジアの諸宗教の用語によって
装飾または再解釈したものであるが、チベットの霊的達人により伝えられた秘伝仏教であり、
普遍の叡智であるとされた。
7^ これは1個だけであり法律事務所に保管されていたため可能性はない。
8^ 当初の横浜法律事務所との話の中で、教団は創価学会の名前を挙げた。
9^ 11月17日夜にキャンセルされている。
10^ 麻原彰晃が総選挙で出馬する選挙区。
11^ 麻原の予言は自作自演であることから、自白とも取ることができる。
出典
1^ 東京都に提出された宗教法人規則認証申請書より
2^ a b オウム真理教について | 公安調査庁
3^ a b 東京キララ社 2003, p. 27.
4^ 東京キララ社 2003, p. 139.
5^ a b “オウム真理教 | 国際テロリズム要覧(Web版) |
公安調査庁”. www.moj.go.jp. 2019年1月26日閲覧。
6^ a b 『生きている不思議 死んでいく不思議』-某弁護士日記「死刑執行回避署名のお願い」
7^ 目次 オウム真理教 反社会的な本質とその実態(警察庁)
8^ a b c d e f g h i j k l m n o 松本麗華『止まった時計』 p.37
9^ 麻原彰晃モスクワラジオ電子自動制御大学講演会説法集説法集
「宗教を科学する‐5大エレメントと分子運動」1992年4月25日
10^ 『尊師に聞く1』AUM PRES 1992年 p.44
11^ 有田芳生と女性自身「シリーズ人間」取材班『「あの子」がオウムに!』 p.63
12^ 瀬口晴義『検証・オウム真理教事件』 p.83
13^ 高山文彦 『麻原彰晃の誕生』 文藝春秋、2006年、170-173頁
14^ 目川重治 『目川探偵の事件簿』 データハウス、1995年、16-18頁
15^ a b 江川紹子『救世主の野望』 p.41
16^ 麻原彰晃」逮捕から20年 Yahoo!ニュース THE PAGE
5月16日(土)6時0分配信「キーワードで見るオウム真理教」
17^ カナリヤの詩140号 カナリヤの会]]
18^ 瀬口晴義『検証・オウム真理教事件』社会批評社、1996年、p.84
19^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 渡邉学『南山宗教文化研究所所蔵
オウム真理教関係未公開資料の意義について』 2009年 南山宗教文化研究所
20^ a b c d e 『「オウム真理教」追跡2200日』p.145-152「ダライ・ラマ側近の証言」。
21^ 麻原彰晃『イニシエーション』 1987年 p.1-2
22^ 「坂本弁護士一家殺害事件5年10ヶ月の軌跡そして「真相」坂本弁護士と
家族を救う全国弁護士の会 弁護士 瀧澤秀俊
23^ 毎日新聞社会部『オウム「教祖」法廷全記録2』 p,319
24^ 『オウム解体』宮崎学vs上祐史浩(雷韻出版 2000年5月1日)
25^ 島田裕巳『オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』(トランスビュー、2001年)
26^ a b c 東京キララ社 2003, p. 23.
27^ オウム真理教制作ビデオ
「オウム真理教専属オーケストラ”キーレーンのすべて”-総監督麻原彰晃」
28^ a b 未曾有のテロ(警視庁公式ウェブサイト)
29^ 「神話 聖地訪れ「私はブッダ」」『朝日新聞』東京朝刊、1995年10月22日、p.31
30^ a b c d e オウム真理教放送の開始から中止まで
(アジア放送研究会制作「オウム真理教放送録音集」解説文から)
31 ^ 布告──集え、我が前生の弟子よ! オウム真理教公式サイト(Internet Archive)
32^ a b c d 『「オウム真理教」追跡2200日』p.114-121。
33 ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『「オウム真理教」追跡2200日』pp.500-517
「麻原説法の途方もない罪」。
34^ a b c d e f g h i j 平成7合(わ)141 殺人等 平成16年2月27日 東京地方裁判所
35 ^ 広瀬健一「第3章第2節  事件の動機に関する元信徒の供述の差異」
36^ a b c d 『「オウム真理教」追跡2200日』pp.336-352「麻原はすべてを知っている」。
37^ a b 『「オウム真理教」追跡2200日』pp.452-477「被害者の会会長を襲った怪事件」。
38^ a b オウムの教訓 −オウム時代の反省・総括の概要− 1990年 ひかりの輪公式サイト。
39^ 上祐史浩 『オウム事件 17年目の告白』 扶桑社、90頁。
40^ a b NHKスペシャル取材班「未解決事件 オウム真理教秘録」 p.79
41^ 『「オウム真理教」追跡2200日』pp191-199「麻原彰晃の偽装工作」。
42^ a b c 『「オウム真理教」追跡2200日』pp200-208「シャンバラ化計画」。
43^ 毎日新聞社会部『元愛弟子への無期判決―オウム「教祖」法廷全記録3』 p.325
44^ 降幡賢一『オウム法廷2下』 p.315
45^ 降幡賢一『オウム法廷2上』 p.332
46^ 東京キララ社 2003, p. 24.
47^ 別冊宝島229号『オウムという悪夢』
48^ a b 降幡賢一『オウム法廷 グルのしもべたち下』 p.33
49^ 朝日新聞 1995年5月14日付 1面
50^ 松本麗華『止まった時計』 p.71
51^ カナリヤの詩第54号 カナリヤの会
52^ カナリヤの詩45号 カナリヤの会
53^ a b c d e f g オウムの教訓 −オウム時代の反省・総括の概要−
1994年 ひかりの輪公式サイト。
54^ 麻生幾「ドキュメント強制捜査--日本治安史に残る「史上最大の作戦」
の舞台裏 (地下鉄サリン殺人事件<特集>)」『文芸春秋』第73巻第6号、1995年5月、
170-177頁、 NAID 40003422213。
55^ “「死刑囚が異例の証言 被害者の孫は」”. NHK ONLINE. (2014年2月4日)
56^ “「地下鉄サリン事件「予言成就のため」 井上死刑囚が証言」”.
朝日新聞DIGITAL. (2015年2月20日)
57^ 「信徒50人 衰弱状態」 朝日新聞 1995年3月22日
58^ a b c d 『「オウム真理教」追跡2200日』pp.363-375「青山弁護士の証拠隠滅罪」。
59^ 『「オウム真理教」追跡2200日』pp.9-23「序章」。
60^ 裁判の迅速化を図るため麻原の起訴内容の内LSD・メスカリン・覚醒剤・
麻酔薬等薬物密造に関わる4件に付いては2000年(平成12年)10月5日起訴を取り下げている
61^ 破防法弁明●証拠の要旨の告知(2) オウム真理教公式サイト(Internet Archive)
62^ 『判例時報1544号』43頁、『判例タイムズ890号』38頁
63^ 『判例時報1548号』26頁、『判例タイムズ894号』43頁
64^ 『判例時報1555号』3頁、『判例タイムズ990号』160頁
65^ 『判例時報1558号』3頁。
66^ 『判例タイムズ907号』98頁。
67^ オウム真理教 反社会的な本質とその実態「活発化する動き」『焦点』260号、
警察庁、1999年
68^ 江川紹子『魂の虜囚』 2000年 p.37
69^ a b c 東京キララ社 2003, p. 17.
70^ 東京キララ社 2003, p. 38.
71^ F君 | 『生きている不思議 死んでいく不思議』-某弁護士日記 滝本太郎ブログ
72^ オウムの教訓 −オウム時代の反省・総括の概要− 1999年 ひかりの輪公式サイト。
73^ Aleph広報部 [お知らせ]
74^ 被害者への賠償、19億円未払い=オウム資産は着々増加―公安庁
時事ドットコム(2015/03/20配信)[リンク切れ]
75^ オウム、青年層にターゲット 時事ドットコム(2010/03/15配信)[リンク切れ]
76^ 内外情勢の回顧と展望 平成22年(2010年)1月 (PDF)
77^ 滝本太郎「オウム集団のここ10年 第2版」
78^ 松本聡香『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』 p.57
79^ 朝日増刊『「オウム全記録」』 p.95
80^ “〈対談〉元アーレフ代表・野田成人×宗教学者・大田俊寛(前編) 『自ら「グル」
になろうとした中沢新一ら研究者たちの罪と罰』”. 日刊サイゾー (2011年8月31日).
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82^ アクエリアス文明序説16 世界の宗教の源泉について
上祐史浩公式サイト(InternetArchive)
83^ 麻原彰晃『自己を超えて神となれ!』 p.48
84^ a b 樫尾 1997.
85^ 大田 2011, p. 76.
86^ 麻原彰晃『超能力秘密の開発法』 p.26-42
87^ 『超越神力・パート2』(オウム出版)
88^ 『宝島30』1995年11月号「オウム真理教修行体験90日」大泉実成
89^ 広瀬健一「オウム真理教元信徒 広瀬健一の手記」 第二章 浄土真宗円光寺
90^ Aleph公式サイト(2011年版)「気を自在に操る聖者 ヴァジラハーサ師(1)」
91^ 早川紀代秀、川村邦光『私にとってオウムとは何だったのか』 2005年 p.54
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93^ 大田俊寛 「ひかりの輪」の宗教的活動に関する私見2014年11月17日 p.4
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98^ 教訓は生かされているか 「オウム事件後」の宗教と宗教学(5/6ページ)
中外日報 2014年4月2日付
99^ a b 大田 2011, p. 246.
100^ 破防法弁明●ハルマゲドンに集まったというプロセスは終了した
オウム真理教公式サイト(Internet Archive)
101^ 宗教情報リサーチセンター 2015, p. 153.
102^ 『「オウム真理教」追跡2200日』 p.133
103^ 江川紹子『魂の虜囚』 2000年 p.314
104^ 東京キララ社 2003, p. 137.
105^ 東京キララ社 2003, p. 9.
106^ a b c 東京キララ社 2003, p. 13.
107^ a b 東京キララ社 2003, p. 19.
108^ 宗教情報リサーチセンター 2015, p. 66.
109^ 破防法弁明●五仏の法則の真意とは? オウム真理教公式サイト(Internet Archive)
110^ 【2】「ポワ、五仏の法則等の密教法則の解釈の過ち」 |
2.上祐史浩からアレフ信者へのメッセージ | 上祐史浩個人の総括 | オウムの教訓 −
オウム時代の反省・総括の概要− ひかりの輪
111^ ダライ・ラマ十四世テンジン・ギャムツォ著、石濱裕美子訳『ダライ・ラマの密教入門』
光文社 p.273
112^ a b オウム『尊師に聞く!』 p.12-21
113^ 碧海寿広「麻原彰晃の対機説法」『情報時代のオウム真理教』 p.110
114^ 林郁夫「オウムと私」, p. 104.
115^ 林郁夫「オウムと私」, p. 209.
116^ 「サンサーラ」1992年1月号 徳間書店
117^ 「麻原オウム真理教と統一協会を結ぶ点と線」週刊現代 1995年5月27日号
118^ 『ビートたけしのTVタックル 年末スペシャル』 テレビ朝日、1991年12月放送。
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119^ 『BART』 1992年6月22日号、集英社。
120^ 『【宗教・こころ】吉本隆明氏に聞く(1)弓山達也氏と対談』 産経新聞 1995年9月5日夕刊
121^ “伝説のベストセラー作家・五島勉の告白「私がノストラダムスを書いた理由」”.
週刊文春 (2018年1月1日). 2018年1月4日閲覧。
122^ 瀬口晴義『検証・オウム真理教事件』 p.113
123^ 1990年7月『別冊宝島』114号「オウム真理教はディズニーランドである」など
124^ 『宝島30』1995年3月号「徹底検証!オウム真理教=サリン事件」
125^ 江川紹子『「オウム真理教」追跡2200日』。
126^ 浅見定雄『なぜカルト宗教は生まれるのか』
127^ 『オウム―なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』トランスビュー、2001年
128^ 週刊ポスト1989年12月8日号「オウム真理教のどこが悪いのか」など
129^ 江川紹子『救世主の野望』 p.52
130^ 別冊宝島33号 独占手記・元オウム信者の告発「僕と中沢新一さんのサリン事件」宝島社
131^ 島田裕巳『中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて』亜紀書房、2007年
132^ 苫米地英人『スピリチュアリズム』にんげん出版、2007年。
133^ 島薗進『現代救済宗教論』青弓社2006年
134^ 島薗進 2001, p. 46.
135^ a b 島薗進 2001, p. 131.
136^ 生駒夏美「悪者づくり ―オウム真理教事件の物語化を巡って― 国際基督教大学リポジトリ」
137^ オウム真理教 | 国際テロリズム要覧(Web版) 公安調査庁
138^ オウム裁判と15年間の変化−その3 滝本太郎ブログ
139^ 森達也『A4』 p.148
140^ 『ヴァジラヤーナ・サッチャ No.12』1995年 p.18-21
141^ NCC宗教研究所/富坂キリスト教センター共編『あなたはどんな修行をしたのですか?
オウムからの問い、オウムへの問い』 p.57-60
142^ 有田芳生と女性自身「シリーズ人間」取材班『「あの子」がオウムに!』p.258
143^ a b 毎日新聞社会部『オウム「教祖」法廷全記録6』 p.55
144^ a b 降幡賢一『オウム法廷5』 p.165
145^ 江川紹子『救世主の野望』 p.186
146^ 江川紹子『「オウム真理教」追跡2200日』 1995年
147^ a b 毎日新聞社会部『冥い祈り―麻原彰晃と使徒たち』 p.146
148^ CNAS 2012, p. 29.
149^ 上祐史浩『オウム事件 17年目の告白』 p.292〜294
150^ 産経新聞 2018.6.8 10:44 露当局、「オウム」幹部を逮捕 ロシア国内での活動の中心人物 日本と連絡か
151^ 別冊宝島476『隣のオウム真理教』(宝島社)
152^ 江川紹子『魂の虜囚』 2000年 p.47
153^ a b c d 東京キララ社 2003, p. 124.
154^ a b 平成8年 警察白書 第1節 オウム真理教の誕生からテロ集団化に至るまで
155^ 東京キララ社 2003, p. 64.
156^ a b c d e f g h i j k l カナリヤの詩第48号 カナリヤの会
157^ 東京キララ社, p. 106.
158^ 東京キララ社 2003, p. 28.
159^ a b c 東京キララ社 2003, p. 21.
160^ 東京キララ社 2003, p. 26.
161^ a b 東京キララ社 2003, p. 100.
162^ オウム関連資料 カナリヤの会
163^ 東京キララ社 2003, p. 51.
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165^ a b 『情報時代のオウム真理教』巻末年表
166^ 東京キララ社 2003, p. 97.
167 ^ 東京キララ社 2003, p. 74.
168^ a b c 「ユーレイ企業は本当の幽霊だ」 AERA 1995年5月24日
169^ a b 東京キララ社 2003, p. 88.
170^ 東京キララ社 2003, p. 120.
171^ 東京キララ社 2003, p. 76.
172^ 降幡賢一『オウム法廷2 上』 p.138
173^ 『「オウム真理教」追跡2200日』p.240
174^ a b c d 降幡賢一『オウム法廷 グルのしもべたち上』 p.111-116
175^ 東京キララ社 2003, p. 108.
176^ 東京キララ社 2003, p. 35.
177^ a b 東京キララ社 2003, p. 117.
178^ 東京キララ社 2003, p. 67.
179^ 「オウム真理教 細菌兵器の実用化着々」 産経新聞 1995年4月26日
180^ 東京キララ社 2003, p. 29.
181^ 東京キララ社 2003, p. 65.
182^ 東京キララ社 2003, p. 79.
183^ 菊地直子ブログ「オウム真理教の変わった習慣 
184^ 降幡賢一『オウム法廷 グルのしもべたち下』 p.93
185^ 『麻原彰晃の誕生』 p.108-109
186^ 宗教情報リサーチセンター『<オウム真理教>を検証する』 p.20
187^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 宗教情報リサーチセンター『<オウム真理教>を検証する』 p.330-344
188 ^ 大田 2011, p. 215.
189^ 宗教情報リサーチセンター『<オウム真理教>を検証する』 p.25
190^ オウム真理教元信徒広瀬健一の手記 序章 1頁 浄土真宗大谷派円光寺ウェブサイト
191^ a b c 平成7年刑(わ)894号 平成14年7月29日 東京地方裁判所
192^ a b c d e f g h i j k l m n NCC宗教研究所/富坂キリスト教センター共編『あなたはどんな修行をしたのですか?―オウムからの問い、オウムへの問い』 p.245-270
193^ 静岡新聞 1988年11月5日付 夕刊7面
194^ 降幡賢一『オウム法廷4』 p.219
195^ 判例タイムズ1232号 p.150
196 ^ 降幡賢一『オウム法廷4』 p.221, 233
197^ a b c d 『「オウム真理教」追跡2200日』p.94-104「七つの疑問」。
198^ a b c d e f 『「オウム真理教」追跡2200日』p.105-113「血のイニシエーション」。
199^ a b c d e f g h 『「オウム真理教」追跡2200日』p.78-93「坂本弁護士vsオウム 暗闘六カ月」。
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201^ 毎日新聞社会部『オウム「教祖」法廷全記録 2』 p.9, 297
202^ 降幡賢一『オウム法廷13』 p.181
203 ^ 「中国道のトンネルで衝突、炎上 1人死亡、4人けが―広島」 毎日新聞 1990/8/16
204^ a b c d e f g h i j オウムの教訓 −オウム時代の反省・総括の概要− 1991年 ひかりの輪公式サイト。
205^ 江川紹子『魂の虜囚―オウム事件はなぜ起きたか』 2000年 p.133
206^ a b c d e f g h i j k オウムの教訓 −オウム時代の反省・総括の概要− 1992年 ひかりの輪公式サイト。
207^ a b c d e f g 『「オウム真理教」追跡2200日』pp.290-304「オウムに毒ガス疑惑」。
208^ ばるぼら『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』 p.430
209^ 宗教情報リサーチセンター『<オウム真理教>を検証する』 p.292
210^ 降幡賢一『オウム法廷13』 p.96, 115
211^ a b c d オウムの教訓 −オウム時代の反省・総括の概要− 1993年 ひかりの輪公式サイト。
212^ a b c d e f g 降幡賢一『オウム法廷 グルのしもべたち下』 巻末年表
213^ NHKスペシャル取材班「未解決事件 オウム真理教秘録」 p.162
214^ a b 降幡賢一『オウム法廷 グルのしもべたち下』 p.50
215^ a b c d e 『「オウム真理教」追跡2200日』pp.252-276「暴走した松本サリン事件報道」。
216^ 江川紹子『魂の虜囚 下巻』p.445
217^ カナリヤの会『オウムをやめた私たち』 教団年表
218^ 破防法弁明●証拠の要旨の告知(2) オウム真理教公式サイト(Internet Archive)
219^ NHKスペシャル取材班「未解決事件 オウム真理教秘録」 p.128
220^ a b 文藝春秋1995年5月号
221^ a b CNAS 2012, p. 33.
222^ NHKスペシャル取材班「未解決事件 オウム真理教秘録」 p.129
223^ a b 江川紹子『「オウム真理教」裁判傍聴記2』 p.288
224^ a b 降幡賢一『オウム法廷7』 p.238-242
225^ a b c d 平成8年警察白書 警察庁
226^ 「元自衛官拉致事件 オウム大阪支部の幹部逮捕へ」 読売新聞 1995/4/24
227 ^ 東京キララ社 2003, p. 46.
228^ a b 『「オウム真理教」追跡2200日』pp.478-489「麻原逮捕の日を迎えて」。
229^ 東京キララ社 2003, p. 85.
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231^ オウム関係資料 カナリヤの会
232^ a b 「オウム麻原容疑者 潜伏、ナゾの2ヶ月間」 読売新聞 1995年5月16日
233^ 東京キララ社 2003, p. 22.
234^ 江川紹子『「オウム真理教」追跡2200日』pp.251-304「松本サリン事件」。
235^ 降幡賢一『オウム法廷6』 p.287
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237^ 『「オウム真理教」追跡2200日』pp.490-499「宗教法人解散請求の行方」。
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240^ ひかりの輪 アレフ問題の告発と対策
241^ オウムの教訓 −オウム時代の反省・総括の概要− 1997年 ひかりの輪公式サイト。
242^ 活発化する動き オウム真理教 反社会的な本質とその実態( InternetArchive) 警視庁
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244^ はじめに 警視庁
245^ 2015年11月27日無罪で釈放。2017年12月27日無罪確定
246^ オウム裁判、完全に終結=高橋被告の異議棄却−最高裁 時事通信 2018年1月26日
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250^ NHKスペシャル 未解決事件 File.02 オウム真理教(NHKオンライン)




川崎殺傷事件 2019年『ウィキペディア(Wikipedia)』他


川崎殺傷事件『ウィキペディア(Wikipedia)』他
2019年5月28日

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(出典:毎日新聞社※上3枚)
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(出典:朝日新聞社※上3枚)
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(出典:産経新聞社)
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(出典:毎日新聞社※上6枚)
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(出典:gettyimages)
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(出典:産経新聞社)
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(出典:讀賣新聞社)
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(出典:週刊フラッシュ)
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川崎殺傷事件(かわさき さっしょうじけん)は、2019年(令和元年)5月28日に神奈川県川崎市多摩区登戸で発生した通り魔殺傷事件。被害者には、2人が死亡、17人が負傷(重軽傷)した。犯行の直後に、加害者も自ら刺して、死亡した。



概要


2019年5月28日午前7時45分頃、川崎市の登戸駅付近の路上で、通行人やスクールバスを待っていた小学生児童らが近づいてきた男に相次いで刺された。

容疑者は保護者の男性(後に死亡確認)を背後から刺した後、約50mを無言で走って移動しながら保護者の女性と児童17人(後に死亡確認された女児1人を含む)を襲撃した。容疑者はスクールバスの運転手から「何をやっているんだ」と叫ばれた後、さらに数十メートル移動して自剄に及んだ。襲撃開始から容疑者が自ら首を切るまで十数秒程度だった。

聖マリアンナ医科大学病院に容疑者と被害者2人、日本医科大学武蔵小杉病院に被害者4人、川崎市立多摩病院と新百合ヶ丘総合病院に被害者各5人が搬送されたが、このうち日本医科大学武蔵小杉病院に搬送された小学6年生の女児と39歳の男性が死亡。(死者は28日時点。加害者を含まず)。他に16人の女児と保護者の女性が上半身を集中して切りつけられるなどして、女児2人と女性が重傷を負った。負傷者のうち11人が入院した。


加害者


目撃者によると黒のTシャツに黒のジーンズのような服装をしており、スキンヘッドでがっちりとした体形。凶行の直後に自らも刃物で刺し、警察に確保された時点で既に意識不明の状態で、搬送先の病院で死亡が確認された。両手に柳刃包丁を持ち襲った他に、リュックからは別の包丁2本も見つかった。

目撃証言によると、加害者は当日午前7時頃に自宅を出て、登戸駅まで電車で向かい、そのまま犯行現場へ歩いて向かい突然凶行に及んだとみられる。



事件後の対応



事件に際し、内閣総理大臣安倍晋三は28日、小中学生の登下校時の安全確保について国・自治体で連携し早急な対策を講じるよう指示した。また29日に関係閣僚会議を開く予定である事を談話した。


事件の反響


事件発生時はアメリカ大統領のドナルド・トランプが来日中で、トランプは海上自衛隊横須賀基地に停泊していた護衛艦かがの艦上で"On behalf of the first lady and myself, I want to take a moment to send our prayers and sympathy to the victims of the stabbing attack this morning" "All Americans stand with the people of Japan and grieve for the victims and for their families"(『私とファーストレディーは東京近郊でけさ起きた事件について、被害に遭われた方々に祈りをささげます』『すべての米国民は日本国民と共にあり、被害者と家族に哀悼の意を表する』)と述べた。

日本国外のメディアであるCNN、BBC、中国中央テレビ、AFP、Reutersなども速報で事件を伝えた。


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川崎19人殺傷 容疑者が伯父伯母に「ひきこもりとはなんだ」 親族が市に相談
5/29(水) AbemaTIMES


川崎市が会見

川崎市多摩区のJR登戸駅の近くで小学生ら19人が刺され、小学6年生の栗林華子さん(11)と外務省職員の小山智史さん(39)が死亡した事件で、川崎市が29日に会見を開き、岩崎隆一容疑者(51)の親族から相談を受けていたことを明らかにした。

岩崎容疑者の親族から市へは、「伯父・伯母が同居はしているものの本人(岩崎容疑者)との接触は一切なく、伯父・伯母の高齢化に伴い、今後の介護サービス導入について、外部の支援者が家の中に入ることにより本人の反応がどうなるかを心配している」との相談があったという。2017年11月15日に親族から電話相談があった後、親族との面接は8回、電話連絡は6回。2019年1月10日の最終相談時には、親族から「岩崎容疑者が親族とコミュニケーションをとらないことを選んでおり、しばらく様子を見る」との意向が示されたという。

一連の相談内容について、精神保健福祉センターの津田多佳子課長は「岩崎容疑者が長期間就労していない、ひきこもり傾向にある中に外部の人が入るのは大丈夫だろうかという心配と、伯父・伯母が高齢になられての生活と合わせてのご相談だったと思う」と説明。岩崎容疑者と親族とのトラブルはなく、容疑者の将来を心配する相談もあったという。

また、親族らに岩崎容疑者と手紙でコミュニケーションを取ることを勧めたというが、手紙に対し岩崎容疑者は「自分の生活は自分でやっている」「食事・洗濯を自分でやっているのに、ひきこもりとはなんだ」といった内容を伯父伯母に口頭で返したということだ。

そして、1月10日の最終相談以降、市が様子を見ると判断したことについては、「これ以上無理矢理介入して家族関係を壊してしまうよりも、静かに見守るという点は、この時点においては悪い方向ではなかったと思う。では(岩崎容疑者が)なぜ事件を起こしたのかと言われると、そこは我々も不可解であり、少なくとも最終相談時点でご家族、ご親族、容疑者の関係の中で、人間関係が決定的に破壊されて立ち行かないという危機的な状態ではないと考えているし、ご家族の話からも感じ取れなかった」とした。(AbemaTV/『AbemaNews』より)




川崎19人殺傷事件、ドライブレコーダーに犯行の一部始終
5/30(木) TBS News i AbemaTIMES


川崎市の路上で小学生ら19人が包丁を持った男に襲われ、2人が殺害された事件で、スクールバスのドライブレコーダーに男が走りながら手当たり次第に刺す犯行の様子が写っていたことがわかりました。

この事件は28日午前、川崎市多摩区の路上で、スクールバスを待っていた小学生ら19人が包丁を持った男に次々と襲われ、小学6年生の栗林華子さん(11)と外務省の職員の小山智史さん(39)が死亡し、3人が重傷を負ったものです。

岩崎隆一容疑者(51)は、現場で自らの首を刺し、死亡していますが、捜査関係者への取材で、バスのドライブレコーダーに、岩崎容疑者が小走りで、小学生らを包丁で手当たり次第に刺す犯行の様子が写っていたことがわかりました。岩崎容疑者の部屋の押し入れからは包丁4本の空き箱が見つかっていて、事前に購入していた可能性があるということです。

「やっぱり落ち着きがなくて、からかわれやすい感じの子。そんな大それたこと、できるような子とは思えなかった」(岩崎容疑者の中学時代の担任)

警察によりますと、岩崎容疑者はおよそ4キロ離れた自宅から電車を使って現場に直行したとみられていて、児童などが多く集まる場所を事前に把握し計画的に事件を起こした可能性があるということです。

亡くなった栗林華子さんの両親は、「人生で最も大切な、最愛の娘を突然奪われ、今は全く気持ちの整理がつかない状態です」とコメントしています。

また、亡くなった外務省職員の小山智史さん(39)は、上皇さまが在位中に4回ミャンマー語の通訳を務めていて、ご夫妻は30日、外務省を通じて小山さんの妻に弔意を伝えられたということです。




川崎襲撃、“居候”扱いされた容疑者の“兄”はカリタス出身
5/29(水) 16:00 NEWS ポストセブン


「警察? 今、おまわりさん来てるよ。事件のことなんて、なんにもわかんないよ。そんなことおれに聞かないでよ!」

絶叫に続いて響いたのは、川崎襲撃事件の犯人と目される岩崎隆一容疑者(51才)の“父親”が、受話器を荒々しく置く音だった。

事件は5月28日の朝、神奈川県川崎市の閑静な住宅街で起きた。前日までの暑さが少しやわらいだ「三角公園」の名で親しまれる公園近くのバス停で、スクールバスを待つ女子児童の列があった。この学校では先週の土曜日に運動会が行われたばかり。前日の月曜日は運動会の振替休日で、この日は3日ぶりの登校だった。

スクールバスが到着すると、近くのコンビニあたりから、ひとりの男が歩いて近づいてきた。姿勢は少し前のめりで、黒の半袖シャツにデニムパンツを身につけている。刈り上げた頭髪は白い。

両手には2本の柳刃包丁。男は一気に距離を詰めると、表情一つ変えずに、手当たり次第に子供たちに包丁を振り下ろした。「怖いよ!」「ママ!」などと子供たちは叫びながら散り散りに。それでも男は執拗に一人ひとりを追いかけて、包丁を振り下ろした。

見送りに来ていた保護者は、突然のことに戸惑いながらも小さな命を守ろうと懸命に身を挺する。その背中にも男は容赦なく包丁で切りつけた。

スクールバスの運転手がバスから転げ落ちるように降りて「何をやってるんだ!」と叫ぶと、男はすかさず真っ赤に染まった包丁を、自分の首に突き立てた。

救急隊が到着すると、最初に行われたのがトリアージだった。トリアージとは、緊急度や重症度などに応じて手当の優先順位をつけることだ。

「小学6年生の女児と39才の男性の2人が“黒”、つまり、手の施しようがないと判断されました。女児は鎖骨から頸部にかけて真横に1か所。男性は首の前側や背中など4か所も刺されていた。子供を必死に守っていたことがうかがえます。搬送された病院の救急救命センターで治療を受けましたが、及びませんでした。病院側が会見で『激しい怒りを感じる』と言葉を強めていましたが、傷の状態がそこまで酷かったということでしょう。

それから現場で“赤”、つまり最優先で治療すべきと判定されたのは、小学生の女児2人、40代女性1人、そして、50代男性です」(全国紙記者)

その“赤”の男が、岩崎だったが、程なくして死亡が確認された。被害に遭った児童たちが通っていたのが私立の名門校、カリタス小学校だった。

「都内から通う子も少なくない、カトリックの“お受験校”で、幼稚園から高校まであります。登校には原則として市営バスかスクールバスを使うことになっています。

小学校の時から英語だけでなくフランス語の授業もあり、帰国子女からの人気も高く、インターナショナルスクールからの転校生もいる。中学校からは女子校ですが、小学校は共学。学費は6年間で500万円にも上る。共学といっても男子児童の数はごく限られていて、実質的には女子校ですね。そのせいか、学校近辺では不審者の目撃情報も多いようで、川崎市による防犯アプリを使う親御さんもいます」(進学塾関係者)

◆「クレーマー居候」評もあった

今回の犯行について、岩崎の実家近くに住む近隣住民は、彼の家族構成に関係があるのではないか、と語る。電話口で怒鳴っていた“父親”とは、「実の父子ではない」という。

「隆一が小学生の時に両親が離婚し、彼だけがこの家に預けられた、と聞いています。関係は、父方の兄夫婦だとか。養子に入ったという話もあります。私たちは彼のことを“居候”と呼んでいました。

隆一の実の親が顔を見に来た記憶はないですね。彼はここに来た時から屈折していたというか、変わった子でした。『金魚鉢の金魚を見たいから』なんて言って、他人の家に勝手に侵入したことが何度もありました。高校に入ってからは引きこもっていたとかで、再び姿を見かけるようになったのは、ここ1〜2年だと思います。日中はほとんど姿を見せず、深夜から早朝にかけて外出しているようでした。去年の夏には、朝の5時半頃に、近所の家に庭の木が邪魔だと怒鳴り込んだみたいで、近隣住民のなかには“クレーマー居候”なんて言う人までいました」

実家には、ほかにも岩崎と同世代の男女が暮らしていたという。

「その2人は兄夫婦の実子ですよ。隆一から見たら、“兄妹”になるのでしょうか。あの家では彼だけが実の子ではなく、居心地はよくなかったのではないか。実はその“兄”が、子供の頃、カリタス小学校に通っていたという話ですよ」(前出・近隣住民)

事件の約1時間前、岩崎に会ったという近隣住民が青ざめた表情で言う。

「家の玄関を開けた隆一が走ってきて、『おはようございます!』と笑顔で頭を下げたんです。姿を見るのは1年ぶりぐらいで、これまで挨拶なんてしなかったから驚きました。彼はリュックを背負っていたが、その中に包丁を忍ばせ事件現場に向かう途中だと思ったらゾッとしました」

再び、冒頭の会話に戻ろう。岩崎容疑者の“父親“はこう話した。

「(岩崎はふだん家に)いるような、いないようなだね。一緒に暮らしてるってもんじゃないよ。甥っ子のことはわかんないよ!」

幼い頃から“父親”として暮らしてきた相手に突き放された51才の男の理不尽な狂気は、無邪気な児童たちと保護者の罪なき命を奪った。
(女性セブン2019年6月13日号)




川崎連続殺傷事件「引きこもり男」が“カリタス小”を狙ったワケ
5/29(水) FRIDAY


5月28日朝、川崎市内の登戸駅前は凄惨な現場となった

岩崎隆一容疑者―。

28日午前に発生した“川崎無差別殺傷事件”の被疑者の名前だ。

しかし、今はその名前も虚しく響くだけ。保護者含む19人を殺傷後、自ら首を切り、命を絶ったため、動機は永遠に解明されることはない。

同容疑者の自宅は現場となった川崎市多摩区登戸新町の路上から直線距離にして約4キロ、車で15〜20分の場所にある。1962年に建てられたこの家に、岩崎容疑者は伯父と伯母の3人暮らし。複雑な家族構成の理由は幼少期に両親が離婚したことにある。一般的に父親、母親のどちらかに引き取られるケースが大半だが、同容疑者は父方の兄である伯父のMさんに預けられた。

「Mさんにも2人の男女の子供がいて、同容疑者と合わせて幼少期は3人でよく遊んでいた。岩崎容疑者は3人のなかでは1番年下。周りからは『りゅうちゃん』と呼ばれていた」(近隣住民)

地元の小学校、中学校を卒業するまでは、どこにでもいる男の子。だが、その後、同容疑者の目撃談は激減する。“引きこもり”になったためだ。地元関係者の話。

「まるっきり姿を見なくなったので、引っ越したと思っていた。ニュースを見て、彼が容疑者と聞いて驚いた。存在感がなく、あの家(岩崎家)自体が他の家と積極的に交流を持つ方ではなかったから…」

近所を取材しても、同容疑者に関する情報は幼少期か直近1週間のものばかり。中学卒業から30年近くポッカリ“記憶”が抜け落ちているのは違和感しかない。

ある近隣住民は「あの家(岩崎家)とはみんな深く関わらないようにしているから…」と言葉少な。ちょうど1年前、岩崎容疑者が隣の民家に「おたくの庭に生えている木が目に入る!」と、押しかけてきたという報道もあった。ある種のトラブルメーカーだった。

奇妙なのは同居する伯父と伯母との関係性だ。事件を起こした犯人に岩崎容疑者の名前が挙がると、神奈川県警の捜査員は同居する伯父と伯母に事情を説明した。

「この時、伯母は『何かの間違いだと思いますよ』と認めなかった。岩崎容疑者のことを信じるというよりは、引きこもりで行動範囲の狭い彼が『そんな度胸のいることをするはずがない』という感じだったようだ。結局、捜査員は容疑者の指紋を照合して人定した」(全国紙社会部記者)

同容疑者は30年以上、子供部屋で暮らし、2人と同居するも隔離された生活空間で生きていた。伯父も伯母も岩崎容疑者がどこで何をしているかわからない。事件直後、一部取材に伯父が「(一緒に)いるような、いないような…」と答えたのは、そういう意味だ。

事件の最大の関心事は、なぜカリタス小の生徒を狙ったのか、だ。行き当たりばったりの通り魔的な犯行ではなく、同容疑者は新品の刺身包丁2本を握り締め、リュックサックの中にはさらに2本のスペア包丁を用意していた。亡くなった小学6年栗林華子さんと外務省職員・小山智史さんへの刺し傷はいずれも深く、強い殺意が感じられる。

「容疑者にとっては、カリタスの児童でなければダメな理由があった。岩崎容疑者の親族の中に子どもカリタスに通わせている、もしくは通っていた人物がいるのではという情報もある。その親族との間で何らかのトラブルがあり、逆恨みした容疑者が凶行に走った可能性も指摘されている」(捜査関係者)

ただし、それを裏付けようにも、岩崎容疑者はすでにこの世にはいない。同居する伯父と伯母も関係性から言って、詳しく知る由もない。近隣住民はとっくに敬遠している。令和最初の凄惨事件となってしまった本件は、救いようのない結末に突き進んでいる―。




衝撃的な川崎殺傷事件「予備軍は多い」に対する大きな違和感 正確な犯罪理解をするには
2019年5月30日 現代ビジネス


また社会を震撼させる悲惨な事件が起こってしまった。

神奈川県川崎市で5月28日に起きた無差別殺傷事件は、2人が死亡、17人が重軽傷を負うというきわめて重大な結果を引き起こした。

なかでも、多数の幼い子どもたちが巻き込まれてしまったことに、社会は大きな怒りと不安に包まれている。

これまで子どもをターゲットした犯罪に対する防犯策では、一人歩きの子どもが不審者などに狙われるようなケースを想定していたものが多く、集団登下校や大人の見守りなどに力点が置かれていた。

しかし、この事件は、まさに教師や保護者が見守る集団登校中の小学生が被害を受けたものであり、学校側もこれ以上できないというほどの万全の対策を講じていた。

そうしたなかでの惨劇であったため、われわれは計り知れない恐怖と無力感を抱いているのが現状である。

まだ情報が断片的にしか出ていないなかで、事件の分析をするのは時期尚早であることは間違いない。

しかし、その断片的な情報でもつなぎ合わせてみると、事件に関連すると思われるいくつかの要因が浮かび上がってくることもまた事実である。

たとえば、これまで起きた無差別殺傷事件は、ほとんど場合、犯人は社会不適応状態で孤立し、世の中に大きな恨みや被害者意識を募らせた男性であった。類似事件の数こそは少ないが、本件もそのような典型例であるといえる。

こうした状況のなかで、本人は心理的に追い詰められ、視野狭窄状態に陥って、「失うものは何もない」という気持ちから、いわば破れかぶれの状態に至って、大きな破壊衝動を外にも、そして内にも向けて、無差別殺傷と自殺という帰結を招いたものだと解することができる。

この状態を表すキーワードの1つが、「拡大自殺」である。世の中に絶望し、追い詰められた挙句の自殺であれば、どこかでひっそりと首を吊ったり、飛び降りたりする人もいるだろう。

しかし、この事件の加害者とされる男は、社会に対して計り知れぬほどの恨みや憤懣(ふんまん)を募らせていたことが想像される。

それゆえに、「どうせ死ぬのであれば、これまで自分に酷い仕打ちをしてきた社会に仕返しをして、世の中に一泡も二泡も吹かせてから死にたい」との思いから、罪もない無関係の人々に刃を向けたのだと考えられる。

さらに、そうした最後の思いを完璧に遂行するためには、確実に殺害できる相手をターゲットに定めて、弱い子どもたちに襲いかかったのであろう。

成人もまた被害に遭っているが、その場合も背後から狙っており、相手に抵抗されることがない状況を狙ったのだといえる。

もっとも、これらは現時点での断片的な情報と、過去の類似事件をもとにした1つの仮説であることをあらためて強調しておきたい。

一方、事件を報じるワイドショーのなかで、犯人の心理を分析した精神科医が、「こういう事件の予備軍はたくさんいます」と力説していたのを見て、私は大きな違和感を抱いた。 

たしかに、格差社会の拡大、リストラ、生涯未婚率の増加、地域社会の解体など、現代社会のキーワードを並べてみると、加害者とされる男性と似たような境遇の人が増加していることは間違いない。

また、本人がいわゆる「高齢ひきこもり」であったとの情報が、川崎市の会見で明らかにされた。

しかし、それらの人々をあたかも「凶悪犯罪者予備軍」のようにとらえるのは、非常に乱暴であり、危険なスティグマにつながる。

現実的に、こうした人々が増えていても、わが国では凶悪事件は減少の一途であり、彼らの圧倒的大多数は、何の罪も犯さない善良で遵法的な市民である。

恵まれない環境にあっても、正しく生きている大多数の人々をこのような形で一括りにして貶めることは、断じてあってはならない。

したがって、事件を正しく理解するためには、本件の加害者は、似た境遇にある多くの人々とどこが違うのか、なぜ彼はこのような事件を起こすに至ったのかについて、もっと緻密で丁寧な分析が必要である。

その答えの1つは、彼のパーソナリティにある。

犯罪のリスクファクターとして、最も重要なものの1つが「反社会的パーソナリティ」である。

それは、法や社会のルールを軽視する傾向、目先の利益を追い求める傾向、攻撃性、衝動性、共感性の欠如、自己中心性、被害者意識、敵意などで特徴づけられるパーソナリティである。

こうしたパーソナリティの持ち主であれば、自分の現状に対して、自らを反省したり奮起したりするのではなく、他罰的に周囲を責め、いたずらに被害者意識や敵意を募らせ、衝動的に攻撃的な行動に出ることは容易に想像できる。

しかも、本人が社会的に孤立し、不適応に陥った原因も、元々こうしたパーソナリティに起因するのかもしれない。

報道では、近所の人ともたびたびトラブルを起こし、自分勝手な理由から大声で怒鳴り込んだりしていたということである。

こうしたパーソナリティや行動パターンを有した人が、周囲から疎まれ、孤立していくことは想像に難くない。

しかし自らが蒔いた種で不適応状態に追い込まれても、本人は自分の行動を改めるわけではなく、なおさら周囲に責任転嫁して、さらに憎悪を募らせる一方となる。

本件の加害者は死亡しているが、今後周囲の証言などが集まってくるなかで、こうした事件前のパーソナリティの一端がますます明らかになれば、本件の爆発的ともいえる拡大自殺に至る経路をより正確に理解することにつながるだろう。

そして、本件の理解をさらに深めるためにできることがもう1つある。しかし、それを述べると、大きな批判を浴びることになるかもしれない。

それを覚悟のうえで、しかし正確な犯罪理解のため、そして科学的な犯罪心理学的な見地からは、どうしても避けて通れない点がある。それは、本人の生物学的な問題からの理解である。

加害者は死亡しているが、その脳を分析しようと思えば、それは今からでも不可能ではない(実際に行うかどうは別として、可能性だけについて言えばということである)。

実は、近年の犯罪心理学で最も注目を集めているのは、犯罪者の脳や神経系など、犯罪につながる生物学的な要因についての研究なのである。

実際、粗暴犯罪者の生物学的特徴として、脳のさまざまな部位の構造的、機能的異常が報告され、エビデンスが蓄積されつつある。さらに、先述のパーソナリティにしても、それには多くの生物学的要因が影響している。

そうした所見を、この加害者が有しているかどうかを分析することは、事件の解明だけでなく、今後の犯罪学の発展にとても大きな前進となることは間違いない。

しかし、犯罪理解において、生物学的なトピックを持ち出すことは、危険な一面もはらんでいて、読者のなかにはその危険性を感じた方も多いであろう。その理由はたくさん考えられる。

1つは、優生学に結びつくのではないかという懸念である。危険な脳の持ち主が、危険な犯罪に至るのであれば、脳のスキャンをして、社会から隔離すればよいなどという、映画さながらの状況へとつながるかもしれない。

2つ目は、1つ目の理由とも大きく関連するものである。環境が犯罪の原因であれば、それを変えることによって、犯罪対策になるかもしれないが、脳が原因となると、何をどうすればよいかわからなくなる。そして、それこそ優生学に行きつくのではないかという懸念につながる。

しかし、現実世界において、脳や生物学的要因の影響は、従来考えられていたほど単純なものではない。脳に危険な兆候があったとしても、それを発現させるのは、環境の影響が非常に大きい。

さらに、脳には大きな可塑性(かそせい)があり、特に発達の早期であれば、教育や周囲の働きかけ、すなわち環境によって、その機能不全の発現を予防したり、補ったりすることもできる。

逆に、脳に危険な兆候がなくても、環境が劣悪であれば、犯罪などの問題行動を誘発することもある。

ここで大切なのは、決定論的な単純化ではなく、生物学的要因と環境的要因の「相互作用」ということである。こうした複雑な相互作用を丁寧に検討しなければ、犯罪という複雑な現象の理解もできないということである。

つまり、「氏か育ちか」という二者択一的な説明ではなく、「氏も育ちも」そのどちらもが重要であり、それらの複雑な相互作用を理解することが、真の犯罪理解に到達できる方法だということである。

科学とは、イデオロギーや先入観に縛られず、まずは冷静に客観的に現象を観察することから始まる。それは、犯罪心理学においても同様である。

本件で加害者の生物学的要因にどれだけ迫ることができるのか、そもそもそのような捜査がなされるのかどうかはわからない。そして何かわかったところで、効果的な対策につながるとは限らない。

しかし、悲惨な事件を理解し、将来的な対策につなげるためには、科学的な理解が必要だということを強調したい。

最後に、加害者の生物学的な点で、1つ気になっていることがある。それは、加害者の年齢である。これまでの類似事件の加害者を見ると、ほとんどが20代、30代の比較的若い年代である。

本件の一報を聞いたとき、私は加害者は若い男性であろうと想像していたが、50代ということを聞いて、少し驚いた。

通常、人間の攻撃性には男性ホルモンであるテストステロンが深く関与しており、その分泌は20代をピークに徐々に減少していく。人が加齢とともに丸くなって穏やかになるのはそのためである。それと呼応するように、特に40代以降の粗暴犯罪も減少する。

加害者は、何らかの理由で壮年期に達しても血中テストステロンが高値であったのかもしれない。あるいは、ほかに攻撃性や負のエネルギーを増大させる他の生物学的、環境的な要因があったのかもしれない。

加害者が亡くなったいま、その謎も解明されないかもしれないが、単なる社会環境だけの一方的な説明では、複雑な犯罪行動の十分な理解には至らないことを再度強調しておきたい。




スマホやパソコン所持せず 世間から孤立…なぜ突然凶行に
2019年5月30日 産経新聞


川崎市多摩区でスクールバスを待つ私立カリタス小の児童ら19人が刃物で殺傷された事件で、犯行後に自殺した岩崎隆一容疑者(51)は、スマートフォンやパソコンを所持せず、長期間にわたって社会から孤立した引きこもり状態だったとみられる。

専門家によると、世間から隔絶された末に通り魔事件を起こす場合、40代以降の中高年は通常、20〜30代と違って攻撃性が減少するという。なぜ岩崎容疑者は突然、凶行に走ったのか。

犯行翌日の29日、神奈川県警は岩崎容疑者が80代の伯父夫婦と住んでいた川崎市内の一軒家を捜索した。ワゴン車2台に加え、トラックを準備。10人ほどの捜査員が自室などを入念に調べたが、押収したのは犯行に使ったとみられる包丁の空き箱やノートなど段ボール1箱分のみだった。トラックはほぼ空の状態で引き上げた。

捜査関係者によると、自室は片付いており、テレビやテレビゲーム機、携帯ゲーム機はあったものの、パソコンや充電器、コード類は見当たらなかった。スマホや携帯電話はもともと持っていなかったとみられる。さらに飲食店のポイントカードやレンタルビデオ店の会員証がなく、睡眠薬や精神安定剤といった薬物も見つからなかった。

「誰とも接点を持たず、どんな生活を送っていたのか」。捜査関係者は首をかしげる。

幼少期に両親が離婚し、伯父夫婦に引き取られたという。夫婦には長男と長女がおり、一緒に暮らしていたとみられる。人付き合いが苦手だったとみられ、小学校の卒業文集には、失敗した体験をあえてさらけ出すような自虐的な言葉が並ぶ。思い出をつづるページには、多くの級友が「林間学校」などと記す中、友人に石をぶつけて《5年になって最初におこられた》と書いた。生まれかわるとしたら《大金持ち》、将来なりたいものは《動物園の飼育係》とつづっていた。

定期的に遊ぶなどしていた友人はおらず、同級生は「印象に残っていない」「影が薄い」などと口をそろえる。卒業後も接点はなかったとみられ、同級生の一人は取材に「誰と仲が良かったのか思い出せない」と打ち明けた。

その後、10代後半で一度、伯父夫婦宅を出たが、また戻った。夜中などに出歩くことはあったものの、近隣住民と言葉を交わすことはなかった。事件当日、現場に向かう岩崎容疑者と出くわした近所の40代女性によると、この10年間で見かけたのはこのときを含めてわずか2回だった。

伯父夫婦から小遣いをもらう一方、トイレや食事のルールを作り、家の中で接触を避け続けていたようだ。見かねた夫婦が今年1月、手紙で「将来どうするのか」と尋ねると、「閉じこもっているわけではなく、ちゃんと生活している」と反発していた。

筑波大の原田隆之教授(犯罪心理学)は「通り魔事件は、社会から孤立した20〜30代が起こすことが多く、40代以降は敵意や攻撃性が減少する。今回の事件は異例だ」と指摘。

「このままではダメという気持ちがありつつ、今さら挽回もできない。仕事や友達、パートナーがおらず、頼っていた伯父らも高齢になって絶望し、長年ため込んだ鬱屈した感情が爆発した可能性がある」とする一方、「日本で高齢の引きこもりは少ない数ではなく、そうした人たちが犯罪予備軍というわけでは決してない。岩崎容疑者が他の人と違うのは、『周りが悪いからこうなった』と、社会に対する不満や恨みを絶望感とともに蓄えていたとみられる点だ」と話した。




岩崎隆一 同居の伯父夫婦とも顔合わせなかった「ひきこもり」台所や風呂の時間ルール
2019年5月30日 J-CASTテレビウォッチ


川崎市多摩区の路上で登校中の児童らが襲われて19人が死傷した事件で、岩崎隆一容疑者(51)について、川崎市はきのう29日(2019年5月)に岩崎の伯父夫婦から計14回にわたって相談を受けていたことを明らかにした。

岩崎は80代の伯父夫婦と3人で暮らしていた。伯父夫婦が介護保険を利用するにあたり、「自宅に介護サービスの人が入った時に、おいが精神的動揺をきたさないか」という相談が、おととし11月(2017年)に川崎市に寄せられ、相談回数は今年1月までに面接8回、電話6回に及んだ。

面倒を見てくれる人がいなくなる不安で凶行?

市健康福祉局の坂元昇さんによると、伯父夫婦は岩崎の状態について、「暴力をふるったり暴れたりすることはないが、コミュニケーションがまったくない」と話したという。岩崎は伯父夫婦と顔を合わせないように、台所を使う時間やお風呂に入る時間を分けるルールを作っていた。

市の担当者の提案で、今年1月上旬(2019年)に伯父夫婦は岩崎の部屋の前に手紙を置いてみたが、岩崎は口頭で「食事、洗濯を自分でやっているのに、引きこもりとはなんだ」とドア越しに反論したという。

坂元さんは「(岩崎は)面倒をみてくれている人が老いていくという現実を見た時に、とてつもなく不安になったと思います。その不安が今回の事件に結びついたかどうかはわかりませんが」と話している。

他人を巻き込んでやろうという復讐心と絶望感

阿部祐二リポーター「伯父夫婦は恐怖を感じて相談したのではなく、自分たちがいなくなったら、この子はどうするんだろうかという不安、愛情から訴えたということでした」

下川美奈(日本テレビ解説委員)「引きこもりがすぐに自殺には直結しません。自分は社会に必要とされていないという絶望感と、他人を巻き込んでやろうという復讐心を招くきっかけがどこかにあったはずです。そのきっかけの解明が捜査のポイントとなります」




襲撃時に現金10万円所持 川崎、児童ら殺傷事件
6/1(土)共同通信



川崎市多摩区でスクールバスを待っていた私立カリタス小の児童らが殺傷された事件で、自殺した岩崎隆一容疑者(51)=同市麻生区=が襲撃時に現金約10万円を所持し、自宅から通帳とキャッシュカードが押収されていたことが1日、神奈川県警への取材で分かった。これまでの家宅捜索や親族の事情聴取で動機に関するものは浮かんでおらず、県警は生活実態を調べて解明につなげる。

県警によると、容疑者の居室には複数のゲーム機とソフトがあった。襲撃時に現場に残された包丁4本は新品で、いずれも自分で購入したとみられ、県警は口座の出入金の状況を捜査している。



計画的な無差別殺人か ドライブレコーダーに犯行の一部記録 川崎殺傷
5/30(木) 産経新聞


川崎市多摩区で私立カリタス小の児童ら19人が殺傷された事件で、岩崎隆一容疑者(51)=犯行後に自殺=が、スクールバスに乗り込もうとする児童を背後から次々と突き刺す姿がドライブレコーダーに記録されていたことが30日、捜査関係者への取材で分かった。極めて短時間の犯行で、特定の人物を狙った様子はなく、神奈川県警多摩署捜査本部は強い殺意で計画的に実行した無差別殺人だったとみて調べている。

また、岩崎容疑者がスマートフォンやパソコンなど電子通信機器を所持していなかったことも判明。世間と断絶した生活を長期間続けてきたとみられ、捜査本部は動機の解明も急ぐ。

捜査関係者によると、ドラレコには犯行の一部が記録され、岩崎容疑者は刃渡り約30センチの包丁を両手に持ち、小走りで児童を背後から次々と突き刺していた。

捜査本部が詳細に調べた結果、最初に襲われ死亡した保護者で外務省職員の小山智史(おやま・さとし)さん(39)に続いて、同小6年の栗林華子(はなこ)さん(11)が首を1カ所刺され死亡、保護者の女性(45)が重傷を負わされたことを確認。前後して16人の児童が襲われた。

岩崎容疑者は襲撃時、両手に手袋をはめており、握った包丁を滑りにくくしたとみられる。

小山さんの死因は出血性ショックで、4カ所の刺し傷があった。背中を2回刺され、振り向いた際などに胸や首を刺されたとみられる。胸の傷は心臓まで達していた。栗林さんは失血死だった。

現場近くのコンビニエンスストアの敷地に置いたリュックサックから別の包丁2本も見つかった。29日の自宅の家宅捜索で、捜査本部は包丁の空き箱4個を押収。現場で見つかった包丁4本のものとみられ、犯行に新品を使ったとみて入手先や時期を調べている。また、ノート1冊を含む数十点が押収されたが、動機につながるものは確認されていない。




川崎殺傷事件「へっこき」と呼ばれた容疑者の孤絶人生
6/4(火) 週刊FLASH 2019年6月18日号


「授業中にいきなりふらふらっと教室から抜け出して、校庭に出てみたり、ちょっとしたことでも突っかかってきて、唾を吐きかけてきたり。キレやすくて嫌なヤツ。いつも先生の手を焼かせていました」

川崎市多摩区で、私立カリタス小学校の児童ら20人を殺傷した岩崎隆一容疑者(51)。小学校時代の同級生が語る思い出は、かなり辛辣なものだった。

あだ名は「へっこき」。卒業アルバムには同級生が《岩崎君は “へっこき” “へっこき” とよばれて、なんともないのかしら》という一文を寄せている。

担任教諭も《動物の世話が大好き。けんかも……好きなのかな? 一人でいる時は、とっても、ものわかりのいい子なのですが……》と書いていた。

「幼いころは『隆ちゃん』と呼ばれ、よくうちの近くで遊んでいましたね」(近隣住民)

「隆ちゃん」の家庭には複雑な事情があった。前出の同級生は、こう記憶している。

「親がいなくて、おばあちゃんと暮らしていると聞いていました。複雑なんだなぁ、と思ったことがあります」

幼少期に両親が離婚し、父親の兄にあたる伯父の家族と同居していた岩崎容疑者。その伯父夫婦には、同容疑者と同年代の長男、長女がいた。

「きょうだいはともに、カリタスに通っていたと聞いていました。2人とも、小学校の集団登校には来ていませんでしたからね」(別の近隣住民)

私立の名門小学校の児童を狙った、今回の事件。同じ屋根の下で暮らすいとこは、カリタスに通い、自身は地元の公立小、中学校に通う。鬱屈した感情は、そのころから岩崎容疑者の心に蓄積した。中学校の同級生に聞くと、岩崎容疑者の印象はより薄くなっていく。

「当時は1学年で11クラス、400人を超える生徒数。『岩崎』という生徒がいたことも思い出せない」(中学校の同級生)

ほかの同級生も、事件が報じられて初めて同級生だったと知る人が多かった。覚えていた同級生も「存在感が薄い生徒だった」と話す。中学卒業後、岩崎容疑者は職業訓練校に通ったとの話もある。

一方、2人のいとこはそれぞれ独立。伯父夫婦と岩崎容疑者の3人だけの生活が続いた。岩崎容疑者は、引きこもり生活を送ってきたようだ。

「たまに長女が、車で子供と一緒に帰ってきて、ご両親の面倒を見ていたようです。でも、彼を見かけることはなかった」(前出の近隣住民)

岩崎容疑者の部屋には、テレビやゲーム機などが置かれていた。押収されたものはノートなど数十点にのぼるが、携帯電話やパソコンなどはない。伯父らとは長い間、顔を合わせることはなかった。食事や小遣いを渡すときも、対面することはなかったという。

だが、そんな生活も限界に達していた。伯父と伯母は訪問介護が必要な状態になり、2017年11月、親族が川崎市に相談。相談回数は、2019年1月を最後に、15回に及んでいたという。2018年6月からは、実際に伯父と伯母への訪問介護が始まっている。

市の担当者によると「目立ったトラブルはなかった」と語るが、このままの引きこもり生活を、今後も続けることができなくなるという現実を突きつけられた。

岩崎容疑者が、凶器となった包丁2本を購入したのは2019年2月。自宅からは、海外の猟奇的な殺人事件などが載った雑誌2冊が見つかっている。怨念を、カリタス小に通う子供たちに向けたのだろうか。

凶行に及んだ直後に自殺した岩崎容疑者。自身の首前側の上下2カ所に、包丁を突き刺した。ためらった様子は、まったくなかったという。




自立促す手紙、ビリビリに 容疑者が反発か 川崎殺傷
6/27(木) 朝日新聞



川崎市多摩区の路上で5月28日、私立カリタス小学校の児童ら20人が殺傷された事件で、ひきこもり状態だった岩崎隆一容疑者(51)=事件直後に自殺=に対し、同居していた伯母が今年1月、自立を促す内容の手紙を2度渡していたことが神奈川県警への取材でわかった。うち1通は破られた状態で見つかり、岩崎容疑者は手紙の内容に反発した様子だったという。

伯母は昨年11月、川崎市精神保健福祉センターからコミュニケーションの手段として手紙を書くことを提案されていた。

県警によると、伯母は1月2日と7日に「自立してはどうか」という趣旨の手紙を渡した。岩崎容疑者は8日、「自立しているじゃないか」と反論。2日の手紙はビリビリになって家の中で見つかった。

翌2月には、岩崎容疑者が事件現場に持ち込んだ刃物4本を東京都町田市と川崎市麻生区の量販店3店で購入した可能性があるという。

岩崎容疑者は生まれてまもなく両親が離婚。小学6年生のころから不登校になり、中学校にもほとんど通学していなかった。

中学卒業後の一時期に、複数の工場やマージャン店で働いたとみられるものの、事件当時に働いていた形跡はなかった。2014年ごろ、約70万円を遺産相続。事件当時は約10万円を所持し、本人名義の銀行口座に約24万円が残されていた。普段は伯父伯母に小遣いをもらうなどして生活を続けていた。交友関係も確認できていないという。

岩崎容疑者は5月28日午前7時40分ごろ、川崎市多摩区の路上で、スクールバスを待っていた児童らを刃物2本で襲ったとされる。私立カリタス小学校6年栗林華子さん(11)=東京都多摩市=と、別の児童の保護者で外務省職員の小山(おやま)智史さん(39)=東京都世田谷区=が死亡。同小の男児1人、女児16人の計17人と、保護者の無職女性=東京都世田谷区=が負傷した。

現場周辺や最寄り駅の防犯カメラを調べたところ、事件4日前と6日前に容疑者とみられる男の姿が確認され、県警は下見をしていたとみている。



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犠牲者の方々のご冥福をお祈り申し上げます。

那須川天心VSフロイド・メイウェザー戦(2018)(WIKIPEDIA他)

那須川天心VSフロイド・メイウェザー戦(WIKIPEDIA他)
12月31日「RIZIN.14」がさいたまスーパーアリーナで行われ、プロボクシングの元世界5階級制覇王者のフロイド・メイウェザーと、ボクシングルールのスペシャルエキシビション(3分3ラウンド)で対戦し、1Rに3度のダウンを奪われ2分19秒でTKO負けを喫した。メイウェザーは29日の夕方に来日したばかりだった。メイウェザーは笑顔で腕を垂らし挑発し、那須川の左が顔面をかすめると、左フック、右フック、左フックでなぎ倒すようにあっさりと3度のダウンを那須川から奪うと、レフェリーが試合を止め那須川のTKO負けが決まった。

メイウェザーの試合中の態度、10億円近いファイトマネーもあってか、試合内容に対してMMAの実力者から「フェイク」と疑問の声が上がり、村田諒太らと契約するボブ・アラムもアメリカメディアの取材で「完璧なジョーク」「茶番」と批判していた。一方、デイリー・エクスプレス、デイリー・スターのチサンガ・マラタ記者は「一体どうして、何百万のオーディエンスの前でノックアウトされるために、RIZINが何百万ドルという大事な資産を捨てるというのだ?」と八百長論を否定している。

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世界リレー・男子400mリレー 日本は失格で予選敗退

世界リレー・男子400mリレー 日本は失格で予選敗退/3走・小池→アンカー・桐生でまさかのバトンミス
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陸上世界リレー大会は11日、ドーハ世界選手権(9月開幕)の出場権を懸けて横浜・日産スタジアムで開幕。
男子400メートルリレーの予選が行われ、新布陣で3組に出場した日本は38秒59の3位でゴールしたが、失格となり、12日の決勝に進めなかった。
バトンパスで違反があった。3走・小池祐貴(23=住友電工)からアンカー・桐生祥秀(23=日本生命)でバトンパスを失敗。地元で金メダルを狙ったが、まさかの予選落ちとなった。

3走・小池がバトンを渡すまでトップをうかがう好位置だったが、アンカー・桐生へのバトンパスでもたついた。バトンが宙に浮く“お手玉”のような状態に。
桐生は何とかバトンを落とさなかったが、後ろを振り返る体勢になり、大きくタイムロスした。

各組2位までとタイム上位2位までが決勝進出。日本は3着で2位までに入れず。
タイムでも2組3位のトルコの38秒47、1組3位のジャマイカの38秒51に及ばなかった。

リオ五輪銀メダルメンバーのケンブリッジ飛鳥(25=ナイキ)と飯塚翔太(27=ミズノ)を欠く中、これまで1走を務めていた山県亮太(26=セイコー)が2走に、3走の桐生が代表初アンカーと区間変更。

1走は2年前のロンドン世界選手権と同じ多田修平(22=住友電工)、3走はアジア大会200メートル金メダルの小池が務めた。

▽陸上400メートルリレーの東京五輪への道 上位10カ国にドーハ世界選手権(9〜10月)の出場権が与えられる。世界選手権の上位8カ国は東京五輪出場権を獲得する。

スポニチアネックス 5/11(土) 21:22

大相撲の決まり手一覧(ウィキペディア(Wikipedia)ほか)

大相撲の決まり手一覧(ウィキペディア(Wikipedia)ほか)
基本技(7手)
●突き出し
貴景勝VS稀勢の里(平成29年九州場所4日目)
202a3

●突き倒し
白鵬VS正代(平成31年春場所7日目)
204a

●押し出し
貴景勝VS栃ノ心(平成31年春場所千秋楽)
301c

●押し倒し
白鵬VS稀勢の里(平成26年春場所12日目)
410a

寄り切り
寄り倒し
浴びせ倒し

大久保清(Wikipedia)

大久保清(Wikipedia) 
1935年1月17日 - 1976年1月22日

大久保清(二枚とも)
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犯行に使われた乗用車(マツダ・ファミリアロータリークーペ)
2004b


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大久保 清(おおくぼ きよし、1935年1月17日 - 1976年1月22日)は、日本の連続殺人犯。
1971年(昭和46年)3月から5月までの2か月足らずの間に、路上で自家用車から声をかけて
誘った女性8人を相次いで殺害し、逮捕された。1973年に死刑判決を受け、1976年1月22日に
刑が執行された。

概要
生い立ち

1935年(昭和10年)1月17日、大久保は群馬県碓氷郡八幡村(現・高崎市八幡地区)に3男5女の7番目(三男)として生まれた。長兄は生まれて間もなく他界し、次兄は性格が両親の好むところではなかったことから、大久保は両親から「ボクちゃん」と呼ばれて溺愛された。

父親は国鉄(大久保の生誕当時は鉄道省)の機関士であったが、太平洋戦争後の人員整理(1949年)の際に同じく国鉄に勤務していた次兄とともに解雇された。母親はロシア人との間に生まれた混血の私生児(祖母は安中で芸者をしていた)で、10歳の時に小学校の用務員をしていた大久保の祖父に養女として迎え入れられたという経歴の持ち主であった。次兄の証言では父は子どもの前でも性行為をおこなうような人物で、次兄の妻(初婚、再婚の両者)は父による淫行の被害に遭ったという。

太平洋戦争の開始後、ロシア人の血を引く大久保は「アイノコ」「アメリカ人の血が混ざっている」などといじめを受けた。勉強を好まず、小中学校を通じて教員からの評価は高くなかった。

1946年(昭和21年)に小学校6年生だった大久保は、幼女を麦畑に連れ込んで性器に石を詰め込む強制わいせつ行為をする。被害者の親が抗議に来た際、母親は当初大久保が現場にいたことを認めず、犯人が大久保だと指摘されると「お医者さんごっこに目くじらを立てることはない」と息子を擁護した。

中学時代には、父が始めた闇屋を手伝うようになった。1950年に中学を卒業すると農業をたまに手伝い、1952年に群馬県立高崎商業高等学校定時制課程に進学したが、短期間で退学した。退学後、東京都板橋区の電器店に住み込みで勤め、銭湯の女風呂を覗き、解雇される。次いで、横浜市の電器店に嫁いでいた姉の夫が大久保を引き取り、神田の電機学校に通学させた。学校とともに赤線にも通うようになり、知り合った娼婦とのトラブルがきっかけで帰郷した。1953年4月、親からの出資により実家にラジオ修理販売店「清光電器商会」を開業する。だが技術や知識の伴わない大久保は十分なサービスができずに顧客を失い、修理部品の調達にも窮した。このため、同年7月から翌年1月にかけて高崎市内の同業者から8回にわたり部品を万引きして逮捕される。この時は大久保の父が損害を弁償して示談となり、不起訴処分となった。しかし、これが理由となって電器店は閉店した。


最初の強姦事件


1955年(昭和30年)7月12日、大久保は大学生に成りすまして前橋市内で17歳の女子高生を強姦。初犯であったことから懲役1年6か月・執行猶予3年の判決で済んだものの、同年12月26日に再び強姦事件を起こす(被害者の抵抗で未遂に終わるが、相手を負傷させたため、強姦致傷に問われた)。この事件で、懲役2年の実刑判決を受け、初犯時の刑期を加えた3年6ヶ月の懲役のため松本少年刑務所に収監された。

刑務所での大久保は早期出所を目指して模範囚となり、1959年(昭和34年)12月15日に刑期を6か月残して仮釈放された。しかし、それから半年も経たない翌1960年(昭和35年)4月16日に大久保は全学連の活動家に扮し、前橋市在住の20歳の女子大生を自宅に連れ込んで襲い掛かったが、被害者が大声をあげて大久保の両親に見つかったため未遂に終わる[14]。この時も示談となり不起訴処分となった。


結婚と恐喝・強姦


1962年(昭和37年)5月に、前年知り合った女性と1年の交際を経て結婚。しかし結婚するまで偽名と虚偽の経歴を語り、素性を明らかにした後も犯歴は妻には黙っていた。翌年には長男が生まれ、さらに谷川伊凡のペンネームで詩集『頌歌』を自費出版している。1964年(昭和39年)9月、妻の親族を通して得た権利で自宅に牛乳販売店を開き、当初は熱心に働いた。だが、1965年(昭和40年)6月3日に牛乳瓶2本を盗もうとした少年の兄(同業者だった)のもとに押しかけて2万円を脅し取り、後日新たに示談書を書かせたため、恐喝および恐喝未遂罪で逮捕された。この事件で、懲役1年・執行猶予4年の刑を受けたばかりか、自らの犯歴が妻に知られることになり、牛乳屋も不振に陥る。なお、この年に長女が誕生していた。

大久保は結婚してからも、自家用車で外出してガールハントを続けていたが、恐喝での検挙後に再び強姦事件を起こすことになる。1966年(昭和41年)12月23日に16歳の女子高生を自動車に乗せ、高崎市内に停めた車内で強姦。翌1967年(昭和42年)2月24日にも20歳の女子短大生を自動車に乗せ、同じ場所で強姦した。この一件から大久保は逮捕され、懲役3年6か月の判決を受ける。加えて恐喝事件の執行猶予も取り消され、懲役4年6か月の刑となる。

服役した府中刑務所でも大久保は模範囚として振る舞い、所長からの表彰を4度も受けた。一方、妻からは離婚の申し入れがあったが、大久保は出所まで待ってほしいとこれを止めていた。室内装飾品販売を起業する更生計画を作成したこともあり、1971年(昭和46年)3月2日に仮釈放となる。


連続殺人
事件発生


仮釈放後の大久保は両親の住む自宅に暮らした。一方、大久保の服役中に妻は実家に戻っており、大久保は自宅での同居(実質的な復縁)を望んだが妻の意思は固かった。妻の実家を訪れた際に、義母から大久保の次兄が(大久保の両親も含めた家庭事情から)同居しない方がよいと申し入れたと知り、さらに次兄および両親から申し入れが事実と聞かされた。大久保は連続殺人での逮捕後に、この一件で将来に絶望し、彼らを道連れに殺人に手を染める決意をしたと述べている。

一方、室内装飾品の販売に必要という理由で、当時の最新型スポーツカー(マツダ・ファミリアロータリークーペ)を親からの資金により購入した。

3月31日に群馬県多野郡で最初の殺人を犯したのを手始めに、逮捕されるまでの1か月半の間、白いスポーツカーで1日平均170キロメートルもの距離を走りながら、約150人(うち確認されたのは127人)の女性に声を掛けていた。大久保の車に乗った女性は約30人で、うち10数人と肉体関係を持った。しかし、声を掛け行動をともにした女性のうち8名を容赦なく殺害、死体を造成地等に埋めて遺棄した。

2001b


逮捕から自供まで


Gが行方不明となったあと、Gの兄は自らが経営する会社の従業員や知人による捜索隊を結成し、警察と連絡を取りながら独自の捜索を開始した。Gの兄は地元の藤岡市内でGが外出に使った自転車を発見し、その場所を見張っていたところ、大久保が現れて自転車を手袋で撫でる仕草をした(指紋を消す意図があった)ため、不審に感じて話しかけると、大久保は自動車に乗って立ち去った。だがGの兄はその車種やナンバーを記憶しており、警察に連絡するとともに該当車種の販売店に照会して大久保の身元を割り出した。捜索隊は警察の指導も受けながら、5月12日から自動車70台で本格的な捜索に乗り出し、13日の夕刻に捜索隊はカーチェイスの末ついに大久保を拘束ののち連行、警察に引き渡した。Gの失踪事件捜査を担当していた群馬県警察藤岡警察署に身柄を移され、14日にGに対するわいせつ目的誘拐罪で逮捕された。この時点で警察は大久保の逮捕理由についての物証を持っておらず、拘留期限を過ぎる可能性もあったが、15日になって強姦被害を受けた女性が警察に届け出て、面通しで大久保に間違いないと指摘したことから彼女に対する強姦致傷容疑で再逮捕された。この女性への強姦致傷については認め、Gを殺したと供述はしたものの、死体遺棄の場所については警察への復讐として絶対に話さないと主張した。以後、死体という物証を持たない警察は被害者全員の発見に至るまで約80日を要することになった。

5月21日に、榛名湖近くで行方不明となっていたAの遺体が発見された。しかし、大久保はAの殺害を認めなかった。捜査本部は方針を変更し、大久保の自作の詩や私淑していたというライナー・マリア・リルケの作品を目の前で朗読したり、心境を語らせたりしながら説得した。大久保は5月26日にGの殺害と死体遺棄について供述し、27日の現場検証で大久保の供述した場所からGの遺体が発見された。これにより大久保は初めて強姦殺人・死体遺棄の容疑で逮捕された。だが、Aを含めた他の殺人は示唆しながらも「秋まで言わない」と黙秘した。6月4日にAの殺害を供述。しかし、その他の事件の供述は一度には進展しなかった。この間警察側は取り調べのほかに、大久保の足取りと接触した女性の確認、大久保の自家用車に残された被害女性の毛髪や体毛の検出といった周辺の捜査をおこない、大久保に行方不明女性の写真を見せて関係の有無を尋ねたりした。大久保は断片的な供述を始めたが、核心部分は「警察や両親・兄への反抗」として拒んだ。警察は再度方針を改め、6月24日に班長の警部1人だけによる取り調べに切り替えた。大久保は「自分の望む条件を出してそれに対する捜査官の態度で死体遺棄地点を教えるかどうかを決める」と述べた。大久保は7つの条件を出し、その多くは身勝手な内容で警部は拒否したが、同時に警部自身が綴った「詩」を読むと大久保は態度を和らげ、2つだけ条件を受け入れるなら被害者1人の遺棄現場に案内すると述べた。捜査本部は「報道関係者を同行させない」という条件を受け入れ、6月27日の未明に榛名町内で大久保の供述した場所からDの遺体が発見された。

だが、その後再び大久保は供述を渋り、さらに身勝手な条件を示したりした。7月13日に再び「報道陣を同行させない」という条件でE、Fと別の男性(実際には虚偽だった)について遺棄の場所を案内するとしたが、実際に外出すると前言を翻し、結局その日は発見できなかった。この事態に警察庁が指導に乗り出し、指導官・調査官の派遣、現場検証に大久保を同行させない(場所はパノラマ写真やビデオを見せて確認)、大久保と条件で妥協しない、身柄を松井田警察署(現在の安中警察署松井田分庁舎)に移すといった方針転換が図られた。松井田署管内では犯罪がほとんど発生しないため留置場には他に拘置者がおらず、大久保を孤立させる効果があった。結局、7月20日にF、21日にE、22日にB、29日にCとHの殺害と死体遺棄を供述し、それに基づいて5人の遺体が発見された。この発掘は人目を避けていずれも日付が変わった深夜におこなわれた。このうち、Hを除く4人は造成中の工業団地付近にある狭い範囲から発見されている。

なお、この取調中に妻との離婚が成立している。


公判から死刑執行まで


大久保に対する刑事裁判は1971年10月25日に前橋地方裁判所で第一回公判が開かれた。初公判で行われた罪状認否に対し被告人・大久保は「なにもいうことはありません」と返答し、起訴事実を全面的に認めたために公判の焦点は「謎に包まれた犯行動機の解明」に絞り込まれた。

大久保は「裁判でも自供は変えない」と断言したため[61]、東京医科歯科大学教授の中田修によって精神鑑定が行われた。鑑定結果では「精神病ではないが発揚性、自己顕示性、無情性を主徴とする異常性格(精神病質)で、性的、色情的亢進を伴う」と判定された。

その一方で被告人・大久保は第2・3回公判で「事件と無関係な親族との争い・権力批判」を展開した上、公判終盤になると「俺はどうせ死刑だ」と弁護人(私選弁護人)を解任したり、「裁判官の忌避申立」などの行為を繰り返した上、1973年1月8日の論告求刑公判直前には裁判官3人を職権乱用罪で告訴するなどしており、『中日新聞』(中日新聞社)は1973年2月22日夕刊記事にて大久保のそれらの行動を「弁護人の解任は専ら延命策。裁判官への忌避申立・告訴は思想犯並みの反権力闘争」と表現した。そのため判決公判時点では国選弁護人・町田繁弁護士が大久保の弁護人を担当していたが、大久保は被害者・遺族への謝罪の言葉を引き出そうとし続けた町田に対し最後まで非協力的なままで、結果的に犯罪史上に類を見なかったこの凶悪事件は「動機が未解明のまま閉幕」することとなった。
1973年(昭和48年)2月22日に判決公判が開かれ、前橋地裁刑事部(水野正男裁判長)は被告人・大久保清に検察(前橋地方検察庁)側の求刑通り死刑判決を言い渡した。水野裁判長は10時の開廷直後に冒頭で死刑判決の主文を言い渡し、続く判決理由で以下のように被告人・大久保の犯行を断罪した。
他人の生命を犠牲にして省みないところに著しい反人間性が認められる上、被告人は自らの欲望の赴くままに若い女性の生命を次々に奪った。
本件を「権力に対する反抗」と表現するなど「自己の非を隠し、自らを美化しようとする虚飾に満ちた態度」を取って改悛の情を全く示していない。
現行の刑罰制度に死刑がある以上、これをもって被告人に臨むほかはない。

大久保は1973年3月7日に当時の収監先・前橋刑務所で知人と面会したが「控訴する気持ちはない」と語り、東京高等裁判所への控訴申立ができる最終期限となる翌日(1973年3月8日)夕方までに手続きを取らなかった。結果、大久保は控訴期限の1973年3月9日午前0時までに東京高裁へ控訴しなかったために第一審の死刑判決がそのまま確定した。

死刑囚・大久保は裁判官・弁護士らを告訴していたがそれらの事件がいずれも不起訴・起訴猶予処分となり大久保の身柄を前橋刑務所に置き続ける必要がなくなったため、死刑確定後の1973年4月3日付で身柄を東京拘置所に移送された。同年10月、大久保は獄中から『訣別の章 死刑囚・大久保清獄中手記』(KKロングセラーズ。編集:大島英三郎)を刊行したが、その中では「自分は『自己を失いただ性欲の野獣となった』ように見られているが、そのことはどうでもよい。私が犯された罪がいかに重大か知る人はいない」という意味の被害者意識を示していたほか、出版後にKKロングセラーズを相手取り東京地方裁判所宛てに「題名は本来『訣別の詩』だったのに著者である自分に無断で『訣別の章』と変えられた。これは著作権侵害だ」などと訴状を郵送するなどしていた。

1976年(昭和51年)1月22日に法務省(法務大臣:稻葉修)が発した死刑執行命令により収監先・東京拘置所で死刑囚・大久保清の死刑が執行された(41歳没)。死刑確定から2年10か月後の執行は当時「一般死刑囚と比較しても速いスピード執行」だった。


人物


獄中手記『訣別の章』について、風俗史家の下川耿史は、著書『殺人評論』において「(ニーチェやショーペンハウアーを引くなど)難しい言葉を多用して、(アナキズムに共感するなどして)国家権力への反発を述べているが、言葉が難しいわりには浅薄で、他にひどくセンチメンタルな詩を長々と書き連ねており、これが36歳の男が書くものかと思うほどに実に少年っぽい」と批評している。

取調中の大久保は数字の「3」を嫌がった。警察は大久保を追い詰めるためにこれを利用し、松井田署に身柄を移送した際には留置場の第3房に収監した。


大久保清を題材とした作品


1976年、本事件のほか、西口彰事件などを再現したオムニバス映画『戦後猟奇犯罪史』(製作:東映)が公開された。大久保に相当する久保清一を演じたのは川谷拓三。
1983年8月29日、筑波昭による同名書籍を原作としたテレビドラマ『昭和四十六年 大久保清の犯罪』(製作:TBS)が放送された。大久保を演じたのはビートたけし、プロデュースは八木康夫。

『天上の青』 - 曽野綾子の小説(1988年 - 1990年、毎日新聞に連載)。1990年に毎日新聞社より単行本刊行。1993年に、新潮文庫にて文庫化。
1992年に『妻たちの劇場』(フジテレビ)で放送された。大久保に相当する宇野富士男は白竜が演じた。
1994年には井上由美子の脚本で再ドラマ化され、『BSサスペンス』(NHK衛星第2テレビジョン)で12月12日 - 12月15日に放送された(総合テレビでは1995年5月13日と5月20日に『土曜ドラマ』枠で放送)。宇野富士男役は佐藤浩市。1994年度(第10回)文化庁芸術作品賞受賞。

@ @ @ @ @ @

■補遺■

5ちゃんねる■大久保清■
1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/19(水) 00:09:12 ID:2mMVdbhC
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/ookubo.htm
なんでこんな奴の絵のモデルを引き受けてしまうのか?
5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/19(水) 06:46:21 ID:???
こいつ、絞首刑になるときに半分気絶しかかった状態で小便垂れ流し、
自分で歩くこともできずに職員二名にひきずられて刑場まで運ばれた
らしいね。極悪犯にしては肝っ玉の小さい野郎だわ
7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/20(木) 21:18:43 ID:NS+YkUb6
私はその頃、前橋の学校に通っていて、前橋駅近くの
ところで声をかける変な男を見たことがある
あれが大久保清だったと思う
8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/20(木) 23:25:51 ID:78wRCRvG
>>7
あんた何歳や?
10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/22(土) 07:56:29 ID:nqMkQkfY
大久保清って、見た目はインテリ風のダンディ男だったらしい。
人間は、女は、外見に騙される生き物。
11 :名無し検定1級さん:2006/04/23(日) 05:39:29 ID:9GNpSsTR
口が相当うまかったらしいな。
15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/23(日) 20:04:58 ID:wm0OEUbz
ベレー帽に長めの髪で、ルパシカが似合ってたそうな。
マジで恰好良かったって、事件のことを書いた本にある。顔じゃない、全体の印象がだよ。
16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/23(日) 20:46:02 ID:???
写真によって全然印象が違うな。動いてるとこ見てみたい
18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/25(火) 00:03:40 ID:???
当時は芸術家という肩書きはモテたようだ。
ベレー帽かぶってりゃ芸術家にも見えるしハゲも隠せるし一石二鳥。
こいつ頭いいな。
30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/15(月) 22:54:06 ID:RWtIcBLu
大久保清の犠牲になった女達の中に、黄毛菌持ちが居て、黄毛菌付きの陰毛が、身元判明の手掛かりになったそうな。
41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 03:14:03 ID:???
マツダじゃなくて日産の、スカイラインに次ぐ第2のスポーツカー。
この事件のせいで名称が消えていった。
ある意味報道被害。
50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 22:59:52 ID:ODJWBjHf
>>49
茨城のU市にある少年院に収監されていたんだよ清は
当時の看守だった爺が近所に住んでいるけど
清は態度がふてぶてしくロクでもない奴だったと聞いた
恐らく退院後も事件を起こすかもしれないと言っていて
ニュースでこの事件を知ったときはビックリしたとか聞いた。
52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 14:02:44 ID:???
こいつ捕まえたの被害者の兄貴なんだよね
妹が失踪する前に残した言葉を手がかりに捜しまわり発見、妹は無事に生還
宮崎勤とっ捕まえた幼女の父もそうだけど、肉親の愛は時にすごい力を発揮するね
57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 22:18:21 ID:???
かなり頭が良かったそうだ。特に言語能力が凄い。
頭がエロに支配されていなかったら文筆家か言語学者になれたかもしれないのに。
68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 01:11:30 ID:SCnNcJXV
小さい時に、新町駅(今は高崎市と合併)で大久保清がナンパしてたんだと聞いて、
へぇ〜こんな身近に凶悪事件の舞台になってたんだとビックリして、
ネットで調べたら、7番目に被害にあった女性は藤岡の信金にチャリを置いて失踪して、
大久保清がチャリの指紋を消すために現れたとか・・・
ウチのアパートから、車で5分くらいの信金で、
ウチのお母ちゃんが、その信金使ってて、
たまに、その信金に送って行って駐車場で待ってると、
こんなにも近い場所が凶悪事件の舞台になったのか・・・
と思うと、複雑な何とも言えない気分になるんよ!
前橋の敷島公園のバラ園では、大久保清に殺された女性の幽霊が出るし・・・
被害にあった女性に成仏してほしいと思う今日このごろ・・・
74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 10:26:21 ID:2DlQ5Qas
大久保が23か24歳のとき妻を娶ったようだ。清は生きていれば70歳くらい。
刑務所を数回出入りしたというのに子供は2人いるらしいからな。忙しい奴だ。
群馬県高崎に生家、清の父は国鉄職員だった。
76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 03:51:36 ID:FSIKYkn0
大久保清が、マツダのロータリークーペを乗ってたおかげで、
当時、マツダのイメージダウンになり、
マツダの売り上げが激減したらしいよね・・・
マツダは、いい迷惑だったろうね・・・
ウチから友達の家に行くときも、
藤岡のかみつけ信金を通るから、
かみつけ信金を通るたびに、せつない気分になるんよ!
未来ある若い女性を毒牙にかけて、最低の男だよね!
最初の舞台になった新町駅にも近いし・・・
大久保清の被害にあった女性のご冥福を願います。
群馬が生んだ、史上最強の凶悪犯・・・
同じ群馬県民として恥ずかしいかぎりです。
90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 11:14:50 ID:???
大久保のせいで
母親は晩年、老人施設に入っても
大久保の母だと周りにばれて、退去させられてばかりだったみたいだね
91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 01:12:39 ID:???
>>90
というか大久保の母親も性格異常だったらしいから、
団体生活なんて無理だとおもうが
94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 21:32:36 ID:heHBC7Ew
ベレー帽かぶってまあまあの車に乗ってる人から声かけられると、ついフラッと
なってしまうのかな。
私が印象に残ってるのは、ビートたけしさんが大久保清の役をやったテレビ番組。
お母さん役が大塚道子さんで、両人ともかなりのハマリ役であった。お母さんが
清に「ボクちゃんボクちゃん」と言ってたのと、たけしの演技力に感心した。
105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/23(火) 17:31:32 ID:???
>>104
大久保の両親が土地売り払って遺族に渡したらしい。
と言っても、被害者が多すぎるんで1遺族につき300万くらいじゃないかな。
109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/09(金) 08:19:23 ID:EHI/3lZO
>>105
そうなんだ。同級生のお母さんが被害者の家族だか親戚だかで、賠償金?で家建てたとか聞いたから
支払われたのは事件からだいぶ経ってからっぽいね
120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/18(日) 00:00:04 ID:RRFYFIv/
当時の5万は今でいうと
20万くらいの価値はあったと思う。
絵のモデルで一ヶ月分の月収くらい稼げるんだったら
多少あやしい奴でもついてく鴨。
125 :左官高島:2007/04/14(土) 23:49:00 ID:gePKsoeO
76年1月
東京拘置所の死刑囚房に刑務官の足音が鳴り響く。
大久保は当時『死刑執行は前日か2日前に通知される(実際は前年の福岡拘置所での死刑囚の執行当日の自殺で通知はなくなっていた)』と思っていて「俺は大丈夫」だと自信を持っていた。
しかし刑務官は大久保の房の前で止まり「おい!氏名と番号を言え!」…大久保は状況を理解した途端に腰を抜かした。
刑務官に引きずられて絞首台へと向かう。
絞首台を前に大久保は失禁した。小便を漏らしていたという。そして死刑執行となった。
126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 03:12:44 ID:+ZaeGO1H
確認できた被害数は8だが実際には10人を殺しているという。
そんな卑劣な悪党が処刑に腰をぬかすとは
愚かで卑しい悪党の遺骨はどこにいったのやら
165 :50手前のオヤジ:2007/09/05(水) 10:22:45 ID:stELDn+d
今から30数年前。俺が中学1.2年の頃同級生が「絶対に他人に言うなよ、と教えてくれた
俺 大久保清と遠い親戚になるんだ。」大久保清の別れた妻の親戚らしいが、
聞いた俺はまじブルッタ。因みに中学は渋川だった。
167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 13:04:23 ID:???
>殺しているのは確かという
文庫にはホラとありましたよ。
しかもその三人のうち二人は男。大久保が男を殺すのはねーなと自分はオモタ。
あと読む限り拷問はないみたい。
供述に従って、本人を連れて捜査員も大人数動員して捜索、でも死体が出なくて、
騙された警察が責めると、大久保は「だっておれは悪い人間だ」と開き直り。
読んでてもうほんとダメだなこいつって思った。
当時の捜査員の皆さんご苦労様です。
186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 21:28:28 ID:ZhwFwyxj
>マツダ ファミリアロータリークーペ→当時としては最高級車だったらしいが・・・
それはない。当時でも高級車からは程遠い。
ロータリーエンジン車で、当時高級車といえるのは、初代コスモスポーツしかない。
初代コスモスポーツは、当時のクラウンの価格の2倍以上。
さらに当時若者や車好きに人気あった車は、ダイヤカットと言われた初代シルビア、
フェアレディー2000、Z432、KPGC10(GT-R)、初代セリカGT等。
当時ナンパに適した車は、フェアレディー2000(この車は中古車でもお金持ちじゃないと買えなかった)と
発売されたばかりのセリカ&カリーナ。特にセリカとカリーナは価格が安く新車購入も簡単だった。
216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/03(日) 09:12:47 ID:???
743 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ sage New! 投稿日:04/07/21 14:20 ID:TvYx9T39
僕の実家は群馬にあります。そして父が警察なのですが、
父から聞いた話を一つ。
大久保清という連続殺人犯は知っているでしょうか。
昭和の話になってしまうし、僕も生まれてないのですが
父の話によるとおかしな話が一つあったそうです。
父がその話をしてくれたとき松井田というところに勤めていました。
そこの警察署は大久保清が捕まって取調べを受けたところだそうです。
そこにのこる、話だそうですが、最初大久保は容疑を否認していたらしいです。
しょうがないので、時間をとり、夕方になったそうですが
6時のお寺の鐘がなり始めると突然震え始め、容疑を認めたらしいです
229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/11(火) 17:59:13 ID:UIXlyiT6
>>216
まるっきりインチキ。
清の取調べは前橋市にある群馬県警で殺人に関する自供は朝から始めた。
松井田署に勤務してたのは飯塚訓(当時警部補)だけど
取り調べしたのは飯塚じゃなく、県警にいた刑事どす。
詳しくは飯塚の著書読んで。
256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 08:24:07 ID:pRnMXhOZ
大久保清が生きてれば73歳くらいかな?
奥さんは6か7歳下だから当然存命
あと息子と娘がいておそらく40代前半
大久保清の実家は群馬八幡駅前に有ったが今は農協?
258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/01(火) 17:02:30 ID:???
>>254
図書館に行って過去の新聞を読んできなさい。
けっこう普通の容姿の人が多い。
何回かデートした後殺害され、大久保の奥さんが「こういう人が一番主人の好みだったと思う」
と証言した人はかなり美人だった。
タイプもいろいろで本当に女好きだったんだなーと思ったよ
261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 15:56:49 ID:???
71年3月31日 榛名湖畔 高校生A子さん(17歳)
同4月6日 高崎市 ウエイトレスB子さん(17歳)
同4月17日 高崎市 県庁臨時職員C子さん(19歳)
同4月18日 榛名町 高校生D子さん(17歳)
同4月27日 高崎市 高校生E子さん(16歳)
同5月3日 高崎市 公社職員F子さん(18歳)
同5月9日 松井田町 会社員G子さん(21歳)
同5月10日 下仁田町 家事手伝いH子さん(21歳)
ホントに若い子ばっか殺してるんだな。
267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/23(水) 23:49:51 ID:ahGJtLOQ
昨日から今日にかけて車で群馬八幡駅前 安中市 軽井沢 中軽井沢 榛名湖畔 妙義山に行ってきました。すべて大久保清のドライブコース
群馬八幡駅前のJAが元の住まいかな?親はそこには居られなくなり売りに出した。
安中はたしかに今もラブホ街だった。
中軽井沢駅前に立ち食いそば屋は見当たらなかった。大久保清が女とドライブに立ち寄り食べたというそば屋が見つからなかった。
誰か被害者8人と強姦致傷の被害者の顔写真貼って
271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/25(金) 17:48:59 ID:???
革命左派(連合赤軍の片方)が榛名山に山岳ベースを建てたのは、
大久保清が被害者を埋めた場所が近くにあったので、人が近づかないだろうとの目論見から
後に仲間を殺して埋めに行く際、大久保清事件の被害者女性の幽霊らしきものを目撃してる
274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/26(土) 22:33:14 ID:XOJGB+hO
大久保清の家系は凄いらしい。 祖父がロシア人で
祖母が遊亭の遊女だったらしい。
父親も凄い人で、息子の嫁を強姦したとか・・・・
母親は息子に甘く『ぼくちゃん』と呼んでいたらしい。
大久保清は何度か結婚して、子供を作り、愛人にまで
子供を生ませたらしい・・・
その子供は今どうしているんだろう?気の毒というか
なんというか?
明らかに異常な遺伝形態を具有して誕生した。
家系を調べると、その本人がわかるらしい。
また家系を調べると、例えば犯罪者の家系は
その先祖がなんらかの犯罪を犯しているケース
があるとの報告がある。

遺伝子これは今解明されつつあるが、良くも悪くも過去の
先祖の遺伝子を受け入れなければならない運命であると
この事件の背景を察して感じた。
321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 16:59:45 ID:???
>>314
まあ、大久保が女ひっかけてた
T線S駅は、今現在も小さい駅だが
T線は県内じゃ本数が一番多いから
T市M市内やS県のガッコへの通学に
よく利用されている
324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 21:09:15 ID:jicuqjsb
>>321
高崎線新町駅とはっきり書きなさいよ。
大久保清は群馬県内でのみナンパして群馬県内ですべて殺して埋めている。
安中藤岡桐生前橋等々でナンパに励んだ。
新町駅で本当に大久保清役のビートたけしがナンパの撮影してたんだね。
329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 11:43:01 ID:cj350K/s
この時代ちょっとかっこいい車に乗ってるだけで、すぐに女の子が乗り込んできた。
三菱ギャランGTO、軽なら赤エヌ…ホンダN360赤のクーペ
これでもけっこう女の子が乗り込んできた。
このころ若い女性の免許所有率は低かった。
356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 14:50:53 ID:bc0xoeh/
捕まりたくないから殺したんだけど大久保清は捕まった。
7人目殺した翌朝藤岡の信金に有った被害者の自転車の指紋を消すために出向いたら被害者の実兄に見つかり車で逃走するが車のナンバー見られて身元ばれた。
そしたら前科四犯 二か月前に府中刑務所を出所した大久保清36歳だった。 ロシア人のクォーター
496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/26(金) 02:47:52 ID:anEMUb0I
最近の雑誌に被害者女性8人の顔写真掲載されてたよ。
白黒ってのもあるけど基本的に皆ブス。
手あたりしだいナンパしてやれる女を車に乗せたのがわかる
601 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/07(金) 22:42:39.34 ID:NOM3lhQh
>>598
オレも’71年生まれ
大久保が死刑執行された頃に他県から前橋に引越してきたんだけど、当時両親が
「このへんに大久保がよく来ていたらしい」とか興奮気味に話題にしてたので、幼い
ながらも強烈に記憶に刷り込まれているんだよな。
勿論ナマで事件を知らない世代なんだけど、学校行くと大久保君はやっぱり同級生
たちから「キヨシ」という扱いだったな。
602 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/07(月) 21:16:02.55 ID:HGO662Nl
大久保と勝田は有名だな
603 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/11(金) 13:09:03.65 ID:???
■死刑囚、最期の言葉(1)  氏名(執行日)「言葉」(事件):執行順に掲載
・大米龍雲(16,06,26) 「くたばっちまえば、どうせ何も見えねえ(と目隠しを拒む)」(尼僧連続強姦致死)
・小平義雄(49,10,05) 「この期におよんで何も言い残すことはありません(と饅頭3個、ひかりを一服)」(小平事件)
・大谷高雄(55,02,11) 「先に行ってます。極楽では私のほうが先輩ですからね」(3人組拳銃強盗殺人)
・菊池正(55,11,22) 「おかやん、おかやん、助けてくれよ・・・」(栃木・雑貨商一家四人殺し)
・坂巻脩吉(57,06,22) 「お先に、先生!お世話になりました。元気でね!」(鏡子ちゃん殺人事件)
・古屋栄雄(59,05,27) 「ふみえーー!もう一度会いたいよぉ・・・・」(人違いバラバラ事件)
・孫斗八(63,07,17) 「ゴルァーーーー!だまし打ちにするのか!」(洋服商殺人事件・日本のチェスマン事件)
・千葉(中村)覚(67,11,02) 「犯罪なき世の中がうちたてられますように・・・・アーメン」(新潟・農家強盗殺人事件、歌人島秋人)
・奥野清(67,11,16) 「かあちゃん、いま行くで、待っとれよ」(母親バラバラ殺人事件)
・正田昭(69,12,09) 「(小木)先生によろしくお伝えください・・・アーメン・・・」(バーメッカ殺人事件)
・小林カウ(70,06,11) 「長い間お世話になりました。思い残す事も言い残す事もありません」(日本閣事件)
・杉村サダメ(70,09,19) 「あの世では被害者の皆さんに会って罪を償いたいと思います」(連続女性毒殺魔)
・西口彰(70,12,11) 「遺骨は別府湾に散骨してください、アーメン」(広域連続強盗殺人事件)
・小原保(71,12,23) 「真人間になって死んでいきます。ナスの漬物おいしゅうございました」(吉展ちゃん事件)
・片桐操(72,07,21) 「皆さん、ありがとうございました。お先に失礼します」(少年ライフル魔事件)
・中島一夫(73,10,12) 「あの世で被害者に会ってお詫びできることを思うとやはり死ぬことは喜びです」(埼玉9人殺人鬼事件)
・西武雄(75,06,17) 「そうでしたか(とタバコ一本をうまそうに吸う)」(福岡事件)
・堀越喜代八(75,12,05) 「どうか皆さん、ぼくの冥福を祈って成仏できるよう助けて下さい」(横浜・同僚母子殺人事件)
・大久保清(76,01,22) 「・・・・クック・・・・・」(大久保清連続殺人事件)
・佐藤虎美(82,11,25) 「殺られてたまるかーーーーー!」(藤沢女子高生殺害事件)
・渡辺健一(88,06,16) 「・・・ウソやろ!・・・・・かなわんなあ・・・」(寝屋川・若夫婦殺害事件)
・永山則夫(97,08,01) 「うおーーーーっ!!オレを殺すと革命が起きるぞ!」(永山則夫連続射殺事件)
・勝田清孝(00,11,30) 「目隠しを取ってもらえませんか。もう一度先生(教誨師)の顔を見たい」(連続殺人)
・大石国勝(00,11,30) 「くそ、俺のホースバンドを盗みあがったのは誰だ!」(鳥栖隣人殺人事件)
・長谷川(竹内)敏彦(01,12,27) 「・・・・残念です・・・・・・」(半田保険金殺人事件)
・宅間守(04,09,14) 「タバコとジュースくれや、妻にありがとうって、僕が言っていたと伝えてください」(池田小事件)
・秋山芳光(06,12,25) 「私は77歳ですよ。それでもあなた方は執行するんですか・・・」(秋山兄弟事件)
・藤波芳夫(06,12,25) 「今までお世話になりました」(前妻一家殺傷事件)
・陸田真志(08,06,17) 「晶子さんのところに行けるのはこの上もない幸せです」(SMクラブ連続殺人事件)
・宮崎勤(08,06,17) 「あのビデオまだ途中なのに・・」(東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件)
・陳徳通(09,07,28) 「ワタシ、ニホンゴワカリマセン。アナタタチ、イマカラ、ワタシニナニスルノ」(川崎6人殺傷事件)
・山地悠紀夫(09,07,28) 「遺骨と遺品は国で処分してください」(大阪姉妹殺害事件)
・篠沢一男(10,07,28) 「ゴルァ!おまえら、殺す気かーーーーーー?!」(宇都宮宝石店放火殺人)
・尾形英紀(10,07,28) 「私は反省の心を捨て、被害者のことを考えるのをやめました」(熊谷男女4人殺傷事件)
・坂本春野(11.01.26)「みなさん(医師、看護婦)最期まで看病してくれてありがとね」(高知・保険金連続殺人事件)
・永田洋子(11.02.06)「もっと光を・・・・・」(連合赤軍事件)
604 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/26(土) 20:05:00.31 ID:???
76(昭和51)年1月22日朝9時
東京拘置所の死刑囚房に刑務官の足音が鳴り響く。
大久保は当時『死刑執行は前日か2日前に通知される』と思っていて
(実際は前年の福岡拘置所での死刑囚の執行当日の自殺で事前通知は
なくなっていた)「俺は大丈夫」だと自信を持っていた。

しかし刑務官は大久保の房の前で止まり「おい!氏名と番号を言え!」
…大久保は状況を理解した途端に腰を抜かした。
刑務官に引きずられて絞首台へと向かう。
絞首台を前に大久保は失禁した。小便を漏らしていたという。
そして死刑執行となった。最期の言葉は 「・・・・クック・・・・・」


交通事故


交通事故


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高速道路上の交通事故の事例1(初出=shirafujiryuma/YOUTUBE)

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高速道路上の交通事故の事例2(初出=YOUTUBE)

10月16日午前10時半すぎ、名神高速道路の岐阜羽島インターチェンジ付近の下り線で、渋滞していた車の列に、後ろから走ってきた大型トラックが追突。追突された車がほかの車に衝突するなど合わせて7台が関係し、このうち5台が炎上した。死者は出なかった模様。(2014年)
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高速道路上の交通事故の事例3(初出=YOUTUBE※ライダーが転倒した後も二輪車が自走し続けている)

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(交通事故)

納豆の正しい食べ方(週刊現代)

何回かき混ぜるのがいいのか…医学的に正しい納豆の食べ方を教えよう

賞味期限が切れても大丈夫

 まず、どのような納豆を選べばいいのか。医学博士の須見洋行氏はこう提案する。

 「大粒の納豆と小粒の納豆がありますが、小粒のほうがいいでしょう。
というのも、粒が小さいほうが発酵しやすく、
納豆独自の栄養を豊富に含んでいることが多いからです。

 一方、大粒のものは小粒に比べ発酵させるのが難しく、
商品によってはうまく発酵できていないことがあります。
ごはん粒の大きさに近い小粒のものを選ぶことをお勧めします」

 ひきわり納豆と普通の納豆では、ひきわり納豆のほうが表面積が広いため、
納豆菌が多く付着し、ビタミンB2などが普通の納豆よりも多く含まれている。

 納豆を店頭で購入し、家に持って帰った。次に気にすべきは、
食べる「タイミング」だ。購入してからどれくらいの日数が経って食べるのが
いいのだろうか。

 管理栄養士の麻生れいみ氏はこう話す。

 「納豆は買って来てから少し時間を置くと、
熟成しアミノ酸が増えてうまみが強くなります。
好みによりますが、買ってすぐ食べるよりも、賞味期限に近いほうがおいしく食べられます。

 保管は冷蔵庫で行ってください。常温で保存をすると、
一気に納豆の『再発酵』が進んでしまい、
すぐにアンモニア臭が強くなったり風味が消えたりして、『食べ時』を逃しやすいのです」

 納豆と言えば発酵食品の王様だが、
賞味期限は大体1週間程度。賞味期限が切れてしまったものを食べても
問題はないのだろうか。

 前出の須見氏が言う。

 「賞味期限が2〜3日切れていたとしても十分食べられます。また、
賞味期限から数ヵ月経っても食べられることは食べられます。
納豆菌は非常に強力なので、ほかの雑菌が侵入することを許さないためです。

 ただ、干からびてしまい風味も味もあったものではありませんから、
さすがに食べることをお勧めはしませんが……」

何回かき混ぜるのがいいのか…医学的に正しい納豆の食べ方を教えよう

毎食、食べても大丈夫

 思わず大量に買いすぎてしまって、賞味期限が切れそうな納豆が
たくさん残っているという場合は、冷凍すれば、
それほど品質を損なわずに長期保存することができる。

 全国納豆協同組合連合会の緒方則行氏はこう解説する。

 「賞味期限が来る前に冷凍すれば、栄養は損なわれません。
しかし、水溶性のビタミンが多少抜けてしまうのと、食感が失われてしまうのは否めません。

 冷凍したものは、冬場なら8時間、夏場なら6時間ほど常温で解凍してから
食べるといいでしょう。時間がある場合には冷蔵庫で10時間くらいかけて解凍するといい」

 続いて食べる「量」はどうだろうか。納豆は1パック当たり30〜50g程度で、約90だ。

 「私は1食につき1パックを食べることを勧めています。
納豆はカロリーも高すぎず、タンパク質、ビタミンが豊富なので、
1日3パックくらいなら栄養過多になることもありません」(前出・須見氏)

 しかし、多くの人が食べるのは、1日に1パック程度だろう。
そうした場合、1日のうちどの時間帯に食べるかがポイントとなる。

 朝に食べるのか、それとも夜がいいのか。

 「夜がオススメです」と言うのは前出の麻生氏。
納豆に含まれるナットウキナーゼには、血栓を溶かす力がある(第1部参照)。

 このナットウキナーゼが働き始めるのが食後4〜8時間くらい経ってからだが、
ナットウキナーゼは睡眠中のほうが働きやすいのだ。

 さて、納豆を混ぜる段に入る……とその前に、もうひとつ注意しておくべきことがある。
冷蔵庫から納豆を取り出すタイミングだ。

 重要なのは、食べる前に冷蔵庫から取り出して30分ほど常温で
置いておくこと。納豆菌は非常に強力なので、短時間のうちにも増殖し、
腸内に届く菌の量も倍増するのである。もちろん腸内環境を整える効果はいっそう高くなる。

 こうしてようやく納豆を「混ぜる」準備が整った。何に気を付けるべきなのか。
麻生氏が続ける。

 「混ぜる回数は好みによりますが、『粘り』をたくさん出すことには意味があると思います。
粘りはポリグルタミン酸という物質でできていますが、これは、胃壁を守ったり、
腸管では老廃物の排出を促進したりしてくれるのです」

 体にいい「粘り」を出すためには、いくつかコツがある。ひとつは「混ぜる回数」だ。

 「20回程度が普通だと思いますが、もっと混ぜたほうが断然粘りが出やすくなります」
(麻生氏)

 本誌記者が試してみたところ、100回程度で白っぽい粘りが全体に行きわたり
豆同士がなかなか離れないという状態になった。200回では粘りが泡だったようになり、
滑らかな口当たりに。

 300回では粘りの量に変化はなかったが、
粘りにうまみが加わるような感覚があった。

 しかし、500回を超えたあたりから納豆の粒が潰れ始め、
口当たりがベチャベチャして悪くなった。
味との兼ね合いも考えて好みの回数を見つけるのがいいだろう。

 もうひとつ、混ぜる際の「順序」も大切だ。

 先にタレや醤油、カラシを入れてからかき混ぜてしまうと、
ポリグルタミン酸が水分と吸着してしまい、粘りが生まれにくい。
先にかき混ぜてからタレを入れることで、粘りが増える。

 一度混ぜた後にタレを入れることで、口当たりがよくなり、
うまみを感じやすくなるというメリットもある。

 混ぜる「向き」については、時計回りであろうと、
反時計回りであろうと変化はないので、左利きの人も安心してほしい。
ただし、途中で混ぜる「向き」を変えないことが大切。
方向を変えると、うまみの成分が壊れてしまうからだ。

現代ビジネス

何回かき混ぜるのがいいのか…医学的に正しい納豆の食べ方を教えよう

空腹で食べてはいけない

 納豆の栄養を効果的に摂取する際に一番注意しておくべきは、
「何と一緒に食べるか」「どう調理するか」である。

 ポイントは、ナットウキナーゼが熱に弱いということ。50℃で活性が弱くなり、
70℃を超えるとほぼ機能しなくなってしまうと言われている。

 「炊き立てのアツアツごはんと混ぜてしまうと、効果が弱くなってしまいます。
少し冷ましたごはんと一緒に食べるのがいいでしょう。

 同じ理由で、加熱調理をすると効果が小さくなってしまう。
味噌仕立ての汁に、潰した納豆を入れる『納豆汁』は風邪に効きますが、
納豆を入れるのは最後にし、その後は煮立てないほうがいいと思います」(麻生氏)

 アツアツごはんはNGだが、納豆は、単品ではなく何かと一緒に食べたほうが
より健康への効果が高い。東京都立食品技術センター主任研究員の細井知弘氏が言う。

 「納豆菌は、状態によっては酸に弱い性質を帯びています。
そのため、胃酸に直接さらされると納豆菌は死んでしまい、
生きたまま腸に届きにくいのです。

 その点、納豆をごはんなどと一緒に食べると、
胃酸の影響がやわらいで、納豆菌が生きたまま腸に届き活動しやすくなる。
理にかなった食べ方と言えます」

 「一緒に食べる」という点では、「薬味」の選定も重要だ。

 「定番の薬味であるネギに含まれるアリシンは、
納豆に含まれるビタミンB1の吸収を促進してくれます。
ビタミンB1は疲労回復を助けますが、この効果がいっそう高まるのです」
(前出・麻生氏)

 その一方、一緒に食べることで、
納豆の栄養を打ち消してしまう食品もある。

 納豆の独特のにおいをやわらげてくれ、食べやすくなるからという理由で、
卵を入れて納豆を食べている人は少なくないだろう。
しかし、これが思わぬ落とし穴。麻生氏が続ける。

 「卵の卵白に含まれる『アビジン』という物質が問題なんです。
納豆には『ビオチン』という、疲労回復や食欲増進に効果のある物質が含まれていますが、
アビジンはビオチンの吸収を妨げ、効果を削いでしまう。
卵と一緒に食べたい場合は、卵黄だけを混ぜるほうがいいですね」

 では、卵焼きや目玉焼きも、納豆と一緒に食べてはいけないのかといえば、
そうではない。卵白に含まれるアビジンは、
加熱することで性質が変化し、ビオチンの吸収を妨げなくなるのである。

 食品ではないが、血液をサラサラにする薬「ワーファリン」を服用している人にとって、
納豆は「禁忌」。納豆がワーファリンの効果を弱めてしまうからだ。

 ちょっとした工夫をするだけで「奇跡の食品」はさらにパワーアップする。
今日からでも、紹介してきた食べ方を試してみてはいかがだろうか。

 「週刊現代」2018年1月27日号より

転落事故


転落事故


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転落事故の事例(初出=「lliveleak」)

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(転落事故)

機械への巻き込まれ・挟まれ・切断による労災被害


機械への巻き込まれ・挟まれ・切断による労災被害


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海外で発生した巻き込まれ事故の事例(初出不明)

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2015年10月に中国の製紙工場で発生した巻き込まれ死亡事故(初出=「liveleak」)

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機械に体の一部が巻き込まれたり、挟まれたり、
鋭利な部分にあたって切断してしまうというのは、
典型的な労働災害の1つです。

主に、金属などの製造・加工業、食品加工業といった工場内のほか、
機械を使用する様々な現場で発生しています。

典型例

【巻き込まれ事故】

作業中・清掃中に、体や衣服の一部が稼動している機械に巻き込まれ、負傷する事故。

【挟まれ事故】

固定部分と可動部分(または可動部分同士)の間に身体の一部が挟まれ、負傷する事故。

【切断】

鋭利な機械を用いて作業中、刃に手指が接触し、切断する事故。

インド女子大生6階から転落死 2017


インド女子大生6階から転落死 ジップライン実習中の事故
テレビ朝日系(ANN)(インド、ジャイプール、7月25日、映像:SWNS/AFLO)
2017年7月26日


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インドの女子大で7月25日、登山教室のジップライン実習中に、
順番待ちの学生が6階建てのビルの屋上から転落、死亡した。
インド北西部ラジャスタン州のジャイプールにあるインターナショナル・カレッジ・フォー・ガーズで
行われていたジップライン実習中に、屋上で順番待ちしていた登山経験もあるアディチ・サンギさん(16)が、
足を滑らせて転落した。
目撃者によると、サンギさんは腰に結わえてあったロープを掴もうとしたが掴みそこなって転落。
搬送先の病院で死亡が確認された。

※事故に遭われた方のご冥福をお祈り申しげます。

日銀総裁、緩和縮小論を封印 与党注文「出口リスク喚起を」

日銀総裁、緩和縮小論を封印 与党注文「出口リスク喚起を」

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金融政策決定会合後、記者会見する日銀の黒田東彦総裁
=27日、東京都中央区の日銀本店 (菊本和人撮影)
(写真:産経新聞)

 日銀の黒田東彦(はるひこ)総裁は27日の記者会見で、物価上昇率について
「2%に達するのは平成30年度ごろになる可能性が高いが、安定的に(2%を)
超える時期はそれよりも後になる可能性が高い」と述べた。

「異次元の金融緩和」の開始から5年目を迎えるが、
緩和の「出口」(縮小)の道筋はまだ見えない。
国債購入の限界論も意識されるなか、
出口段階のリスクを喚起すべきだとの声も出てきている。

 「具体的なイメージを持って話すのは『時期尚早』だ」。
黒田総裁は会見で、出口の議論に関して、これまでと同様の訴えをした。
議論を開始する時期についても「2%目標の達成が始まりだ」とした。

安倍晋三政権が目指すデフレからの脱却と経済再生に向けた「三本の矢」のうち、
日銀が行ってきた大規模な金融緩和の「第1の矢」は評価されてきた。
ただ、ここに来て与党からも出口の説明を求める声が出始めるなど、
風向きは変わりつつある。

 19日公表の自民党行政改革推進本部の提言は、
大規模な金融緩和が当面継続されるとしつつも「リスクを喚起し、
適切な対応を日銀や関係府省庁に求める」とした。
また、出口の段階で「毎年数兆円規模の損失が発生すると指摘されている」
と警告。日銀に「出口戦略に伴うリスクの分析に関して、
市場との対話をより一層円滑に行うことを求める」と注文をつけた。

 市場関係者らからも出口への関心が高まっている。
大規模な金融緩和に限界が見え始めているためだ。
日銀は年間80兆円をめどに国債の買い入れを行っており、
3月20日時点で日銀が保有する国債は423兆円に達した。
この1年間で約2割増加し、国債発行残高に占める保有比率も4割を超えている。

 「大規模な国債買い入れの持続可能性について疑念が抱かれている」
(農林中金総合研究所の南武志氏)など、
日銀が現行の金融緩和を続けると市中に出回る国債を買い尽くし、
近い将来国債を買い入れることができなくなるとの見方は根強い。

今回の展望リポートで、31年度の物価上昇率の見通しは、
31年10月に予定されている消費税増税の影響を除いた数値で1・9%だった。
朝鮮半島情勢の緊迫化や欧米で顕著な反グローバリズムの動きなど
海外発のリスクも高まっており、
30年度ごろとしている2%の物価目標達成時期には不透明感が漂う。

 「米連邦準備制度理事会(FRB)も出口戦略をかなり前に語ったが、
現在行っている政策とは違うものだ」。
黒田総裁は緩和縮小を進めるFRBを例に、
現段階での出口戦略の議論を封印する考えも見せた。

BNPパリバ証券の河野龍太郎氏は
「超金融緩和の継続で
日銀は継続的な債務超過も避けられない状況に陥るリスクが高まっている」
と指摘する。

黒田総裁の任期は1年を切った。続投もささやかれるが、
次期総裁への引き継ぎを視野に出口の道筋を示す責任を果たすときに来ている。
.
(産経新聞 2017 4/28)

AV女優ら逮捕「カリビアンコム」2017

AV女優ら逮捕 無修正わいせつ動画の公開を手助けか
テレビ朝日系(ANN)
2017年3月9日

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無修正のわいせつ動画を公開をする手助けをした疑いです。
アダルトビデオ女優の「西川ゆい」こと菊地彩花容疑者(25)と
AVプロダクションの社長・石崎宣行容疑者(35)ら5人は去年2月ごろ、
わいせつ動画を無修正のまま配信すると知りながら
東京都内のスタジオで撮影するなど公開を手助けした
疑いが持たれています。

警視庁によりますと、動画は無修正動画サイト
「カリビアンコム」で配信されていて、
逮捕されたなかには男優2人も含まれています。

取り調べに対して石崎容疑者らは
容疑を認めているということです。

目を閉じ…襲撃直後の金正男氏を地元紙掲載

目を閉じ…襲撃直後の金正男氏を地元紙掲載
日本テレビ系(NNN) 2017年2月18日

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現地の英字紙「ニュー・ストレーツ・タイムズ」が掲載した写真には、
正男氏が襲撃された直後、空港内の診療所の中での様子との
説明が書かれている。
正男氏は目を閉じており、すでに意識を失っているようにも見える。
警察によると正男氏は、この後、病院に搬送される途中で死亡した。

一方、複数の地元新聞は警察が17日夜、
新たに男1人を逮捕したと伝えている。
男は47歳で、北朝鮮のパスポートを所持しており、
過去にマレーシアに複数回、出入国していたという。
警察はすでに逮捕した女2人のほか、
現場にいたとされる4人の男を
全国に指名手配していた。

18日朝の新聞には監視カメラから作ったとみられる
男4人の写真が掲載されている。
警察関係者によると、このうち2人がすでにマレーシアから
出国している可能性があるという。
こうした中、北朝鮮の大使が17日夜、
こちらの病院前で声明を発表し、
解剖の結果を拒否するとマレーシア側を非難して、
遺体を早く引き渡すよう要求した。

北朝鮮大使館、カン・チョル大使
「マレーシア側は(我々の立ち会いなしに)検視を強行した。
ただちに遺体を引き渡すよう強く求める」

一方、マレーシア側からは正男氏の死因については
いまだ明らかにされていない。
マレーシア側は、18日に2回目の解剖を行うとしており、
その解剖は、午前10時ごろから始まったとみられている。


背後から無言で襲い…女子中学生に性的暴行(2017)

背後から無言で襲い…女子中学生に性的暴行
日本テレビ系(NNN)
2017年(平成29年)2月18日

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神奈川県小田原市で女子中学生に性的暴行したなどとして、
23歳の男が逮捕された事件で、男は被害者の背後から
無言で襲いかかり、
無理やり林に連れ込んでいたことがわかった。

小田原市の土木関連会社社員、
神谷恒平容疑者は先月20日夜、市内の林で
14歳の女子中学生に性的暴行を加え、ケガさせた疑いで、
18日朝に送検された。

その後の警察への取材で、
神谷容疑者は1人で帰宅中だった被害者を狙い、
背後から無言で襲いかかり、
無理やり林に連れ込んでいたことがわかった。

周辺では同様の手口で女性が襲われる事件が
数件起きていて、
警察が神谷容疑者の関与を調べている。

10代女性に集団性的暴行 医師ら3人逮捕

10代女性に集団性的暴行 医師ら3人逮捕
日本テレビ系(NNN)
2017年(平成29年)2月16日

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10代の女性に酒を飲ませた上、
集団で性的暴行を加えたとして、
医師の男2人と医学部の大学生の男が逮捕された。

集団準強姦などの疑いで逮捕されたのは、
船橋中央病院の研修医・上西崇容疑者(31)と、
東京慈恵会医科大学付属病院の研修医・松岡芳春容疑者(31)、
東邦大学医学部の大学生・柁原龍佑容疑者(25)の3人。

警察によると3人は去年4月、
上西容疑者が契約する東京・大田区のマンションで、
当時10代の女性に酒を飲ませた上、
集団で性的暴行を加えた疑いがもたれている。
3人は、「合コンをする」などと女性を誘い出し、
部屋で酒に酔わせて犯行に及んだとみられている。

上西容疑者は、同様の手口で女性を部屋に連れ込み
性的暴行を加えた準強姦などの疑いで
これまでに4回逮捕されているという。
調べに対し上西容疑者と松岡容疑者は、
「黙秘します」と供述し、
柁原容疑者は容疑を認めているという。



医師の男LINEで「もう少し飲ませよう」
日本テレビ系(NNN)
2017年(平成29年)2月17日


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酒に酔わせた女性に集団で性的暴行を加えたとして
医師の男ら3人が逮捕された事件で、
飲み会の際、LINEで
「もう少し酒を飲ませよう」
などとやりとりをしていたことがわかった。

研修医の上西崇容疑者(31)と、松岡芳春容疑者(31)、
東邦大医学部の学生・柁原龍佑容疑者(25)の3人は
去年4月、東京・大田区のマンションで、
当時10代の女性に酒を飲ませたうえ、

集団で性的暴行を加えた疑いが持たれている。
上西容疑者らはこれまでも「飲み会をしよう」
などと女性をマンションに誘っていたということだが、
捜査関係者への取材で、その際、上西容疑者が
「もう少し飲ませよう」などと
LINEでやりとりをしていたことがわかった。

警察は、上西容疑者らが計画的に女性を酒に酔わせ
同様の犯行を繰り返していたとみて調べている。


集団レイプで現役医師ら3人逮捕 主犯格4度逮捕歴を病院見逃し
東スポWEB
2017年(平成29年)2月17日
   
千葉大医学部生が昨年9月、集団レイプ事件を起こしたが、
今度は現役医師主導の集団強姦事件が発覚した。

泥酔した10代少女を集団で暴行した集団準強姦の疑いで
16日までに埼玉県警に逮捕されたのは
千葉・船橋中央病院医師、上西崇容疑者(31)、
慈恵医大附属病院医師、松岡芳春容疑者(31)、
東邦大学医学部、舵原龍佑容疑者(25)だ。

3人は昨年4月30日〜5月1日にかけ、
東京・大田区内の上西容疑者が賃貸契約していたヤリ部屋で、
10代後半だった少女2人に酒を飲ませ、
暴行した疑い。舵原容疑者は
「先輩(松岡容疑者)に誘われた」と容疑を認め、
上西、松岡両容疑者は「黙秘します」と口を閉ざしている。

上西、松岡両容疑者も東邦大の卒業生で、
同じイベントサークルに所属していた。

事件を首謀した上西容疑者は、
過去に4回も準強姦容疑での逮捕歴があった。
その手口はいずれも自分の部屋で
合コンなどの名目で飲み会を開き、
参加した女性に酒を飲ませて暴行していた。

昨年7月は泥酔状態の20代女性に性的暴行を加えたとして
準強姦容疑で逮捕(処分保留)。
その後、9月にも別の20代女性を強姦した疑いで
再逮捕されていた。

驚くのは短期間に何度も逮捕されているのに、
病院側が何の処分もしていなかったことだ。

ある現役医師は「昔からレイプが発覚して
病院をクビになる医師はいるが、
数年たつとみな別のところに移って
何事もなかったかのように勤務していますよ」
と明かす。

上西容疑者は過去の事件では
不起訴処分になっているとみられるが、
医師免許さえあればお構いなしとはあきれる。
どうやらロクに“身体検査”をしない病院が
少なくないようだ。

上西容疑者が過去に逮捕された時には、
女性を乱暴する動画が収められたケータイも
押収されている。

千葉大のレイプ事件でも被害女性を撮影し、
仲間内でLINEで共有するという鬼畜行為に及んでいた。

こんな性犯罪者を野放しにして
患者を診察させていた病院の罪は重い。


集団性的暴行 現場マンション内部日本テレビ系(NNN)
2017年(平成29年)2月18日


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酒に酔わせた女性に集団で性的暴行を加えたとして
医師の男ら3人が逮捕された事件で、
日本テレビは、現場マンション内部の写真を入手した。

この事件は、研修医の上西崇容疑者(31)、
松岡芳春容疑者(31)と、
東邦大医学部の柁原龍佑容疑者(25)が、
当時10代の女性に酒を飲ませたうえ、
集団で性的暴行を加えた疑いがもたれているもの。

現場は、上西容疑者が借りていた
東京・大田区のマンションだったが、
日本テレビが入手した写真では、
室内にシャンデリアが飾られるなど、
高級バーのラウンジのように改装されていた。

部屋での飲み会に参加した女性
「マンションの一室とは言わず、
バーベキューができるお店があるから来ないかと誘われた。
普段行かないような(雰囲気の)場所だったので怖くなった」

警察は、上西容疑者らが女性を誘い込み、
計画的に犯行を繰り返していたとみて調べている。






東京・台東区でデリヘル摘発、売春防止法違反容疑で経営者ら逮捕(2017)

東京・台東区でデリヘル摘発、売春防止法違反容疑で経営者ら逮捕
TBS系 2017年(平成29年)

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東京・台東区のJR鶯谷駅周辺のホテルで、
女性に売春をさせ8億円以上を売り上げていたとみられる
デリバリーヘルス店の経営者らが、警視庁に逮捕されました。

逮捕されたのは、デリバリーヘルス店「ラブフェアリー」
を経営する及川公一容疑者(39)ら6人で、
今月11日、台東区のホテルに23歳の女性を派遣し、
60代の男性客相手に、売春をさせた疑いが持たれています。

及川容疑者らは摘発を逃れるため、
常連客に非公式の電話番号が書かれた会員証を
渡していたということです。 
(2017年(平成29年)2月14日 TBS)


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(朝日新聞デジタル他) 2015年(平成27年)


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附属池田小事件(2001年)

附属池田小事件(Wikipedia) 
2001年(平成13年)

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出典:NHKニュース(YOUTUBE)
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出典:youtube
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附属池田小事件(ふぞくいけだしょうじけん)とは、
2001年(平成13年)6月8日に大阪府池田市の
大阪教育大学附属池田小学校で発生した
小学生無差別殺傷事件。

本事件の犯人・元死刑囚は宅間 守
(たくま まもる、1963年11月23日 - 2004年9月14日)。
以下、便宜上“甲”(文中未修正箇所は“被告人”)とする。

概要
甲の生い立ち

幼少時代の甲は3歳の時点で三輪車で
国道の中央を走って渋滞させたり、
小学校では自分より強い児童にはいじめられていたが、
自分より弱い児童に対しては徹底的にいじめた。
いじめられっ子であると同時にいじめっ子であった[1]。

また、猫等の動物を新聞紙に包んで
火をつけて殺害した事もあった。
中学入学後も弱いものいじめは継続して行っており、
本人が事件後鑑定医に語ったところによれば、
「好意を抱いていた女子生徒の弁当に精液をかけた」
こともあるという[2]。

小学生の頃から自衛隊に強い関心を持っており、
「将来は自衛隊入るぞ〜」と大声で叫んだり、
一人で軍歌を大声で歌っていたこともあり、
高校生になっても周囲の同級生に
「俺は自衛隊入るからお前等とは後少しの付き合いや」
と発言していたこともあったという。

また、高校時代に停学処分を受けた際、
反省文にも「自衛隊は内申書一切関係無しの一発勝負」
等と綴っていたこともあった[注 1]。

甲は幼い頃から「高学歴・高収入のエリート」
に対する屈折した羨望、嫉妬を抱いていた[1]。

尼崎市内の工業高校を2年で中退した後、
定時制高校に編入学するもすぐ退学し、
数ヶ月間ガソリンスタンドでのアルバイトを経て1981年末、
18歳の時航空自衛隊に入隊したが
1983年1月に1年強で除隊させられている[2]。

除隊の理由について、鑑定書は
「家出した少女を下宿させ、性交渉した」
ために懲罰を受けたと記述している[2]。

除隊後、甲は運送会社やトラック運転手、
引越し業者等十数社転職を繰り返していたが
何れも数週間から半年以内で辞職しており、
精神的に荒れ、家族に暴力をふるったり、
傷害、暴行などに走り、
また高速道路を逆走するなど非行を行うようになっていった[2]。

1984年、マンション管理会社に勤務していた時には
家賃の集金と称して
女性の部屋に上がり込んで強姦事件を起こしている[3]。

事件後、甲は母親を伴い精神科を受診、入院するが、
入院中に5階から飛び降りて重傷を負う[3]。
この出来事の後、統合失調症の診断を下されている。

また、のちに母親に宛てた手紙によれば、
入院したのは警察から強姦事件で追及されるのを回避するためで、
5階から飛び降りたのは「親に嫌がらせをするため」
であったという[3]。

初犯の強姦事件では1985年に懲役3年の実刑判決が確定し、
翌1986年春から1989年春迄奈良少年刑務所に服役し、
1989年の出所後父親が甲の私物を下取りに出し
その金を本人に手渡しして父親から勘当されている。

1993年、30歳の時非常勤の地方公務員になり
市営バスの運転手やゴミ収集、
小学校の用務員等を勤めていたが、
この間も市バスの運転を務めている最中に乗客の女性に
「香水の匂いがきつい」
ことを理由に言いがかりをつけてトラブルを起こし
懲戒処分を受けている[4]。

1999年4月に小学校教諭等が飲む茶に
精神安定剤を混入させる行為をした[5]として分限免職されたものの、
刑事処分は「責任能力なし」として受けなかった[5]。

その後再度職を転々とするが、
その度に暴行事件等を起こした為長続きしておらず[6]、
2000年末頃から最終的に
池田小の通り魔殺人事件で逮捕された当時は無職であった。

十数社の職歴の内ある程度長続きした(1年以上)
のは航空自衛隊と非常勤の地方公務員の2ヶ所のみであり、
それ以外は何れもおよそ半年以内で辞職したり解雇されている。
また、初犯の強姦事件を除き全て自身の精神障害の偽装を楯にして
15犯にわたる前科や不起訴処分を経験している。

甲の家系・家族とその環境

甲の先祖は旧薩摩藩の下級武士で[7]、
甲の家系では事件発生前まで代々誇りにしていた。
甲家の男子にも代々受け継がれ[7]、
法律や警察関係の仕事を行う者が多かった[7]。

武士だった甲の曽祖父は、
明治維新の直後に丁髷を落として警察官に就任し、
鹿児島県から奄美大島に渡った後、
大阪・河内へ移住した[8][9]。

甲の祖父は、甲の父親が17歳になった年の春に
死去している[8]。

甲の父親は小学校で学歴を終え、
甲家一家の大黒柱として6人の家族を養ってきた[7]。

甲の父親は、
甲の祖父と幼い頃から自宅の庭で木刀を打ち合っていたといい[8]、
「自分は薩摩武士だ」との強烈なプライドを生涯持ち続けていた[9]。

父親によれば「『誰にも迷惑をかけない』というのは、
大きな私のテーマでありました[10]」と語っている。
また、「(甲家の男子は)何代にも渡って厳しい修身教育(道徳)
を受けてきたため[11]、(甲家の男子は)『真のサムライたれ』
[10]と教育された。

ワシも父親に厳しくそれを仕込まれたし、
どんな出身地や身分にも関係無く『教育勅語』
というものがあった[10]。
これがあったから日本人はちゃんとしとったんですよ[10]」という。
父親は極めて平凡な頑固親父で、
人生の勝利者にはなり得なかったけれども
自分の人生にプライドを持っていたという[9]。

甲の父親は、家族全員に対して激しい暴力をふるっており[12]、
甲自身も父親から厳しく接せられていた
(尚、父親自身も放任されて育っていた様子である)。

甲は暴力をふるう父親を憎悪し、
寝ている間に包丁で刺殺してやろうと思ったこともある
と述懐している[12]。
甲が自衛隊を退職して非行に走るようになると
親子関係はさらに悪化し、
取っ組み合いをして
父親が甲を何度も石で殴打する出来事もあった[2]。

事件後、父親は甲のことを
「物事が上手くいかないとすべて人のせいにする人間」
と評している[13]。

甲の母親は、家事、育児が苦手であり、
家事のほとんどは父親が担当し、
一種のネグレクト状態であったと指摘される[12]。
甲を身ごもった時、父親に「これはあかん」
「おろしたい」と語っていた[12]。
また、母乳をあげることも嫌がっていた。
さらに、甲が中学を受験する際には、
「お前なんか産まれてこなければよかった」
と罵詈雑言を浴びせられたと、
事件後に甲のマンションから
押収されたノートに書かれていた[1]。

甲は両親に対して、喧嘩をした際に、
「ヤクザを使ってお前らの生活滅茶苦茶にしてやる」
「死ぬまで苦しめてやる」と語っていた[3]。

甲には実兄が一人居たが、
破綻した実弟の存在に心を病み、
起業の失敗と偽って
小刀で首を斬って40代前半の時自殺している[9]。
甲の母親も長期に渡って心を病み、
長らく精神病院に暮らした[9]。

この厳しくも誇りのある家庭を破壊した人物は、
甲の家族でも地域の環境でも社会の変化でもなく、
甲自身だったといわれているが、
前述の家庭環境を考えると
必ずしも甲一人の責任とは言えない[9]。

さらに兄の自殺も弟の責任といいつつも
兄も父を止めようとはしなかったので
甲の被害者とはいい切れない。

事件の概略

2001年6月8日10時20分頃、
大阪教育大学附属池田小学校に凶器を持った甲が侵入し、
次々と同校の児童を襲撃した。

結果、児童8名[注 2](1年生1名、2年生7名)が殺害され、
児童13名・教諭2名が傷害を負った[14]。

甲は、校長や別の教諭にその場で取り押さえられ、
現行犯逮捕された。

甲は最後の一人を刺し終えた瞬間、
凶器である出刃包丁を自ら落として、
「あーしんど!」と呟いたという[15]。
その後、甲は殺人罪などで起訴された。

逮捕当初、
甲は精神障害者を装った言動を取っていた[注 3][注 4]。
しかし、被疑者に対して起訴前と公判中に2度行われた
精神鑑定の結果で、2度とも
「情性欠陥者で妄想性などのパーソナリティ障害は認められるが、
統合失調症ではなく、責任能力を減免するような精神障害はない」
とされ、責任能力を認める結果が出た[17]。

甲は逮捕直後に「薬を十回分飲んだ。しんどい」
と供述して医師の診察を受けた[18]が、
甲が飲んだとされる薬は通院先の病院などを調べた結果、
抗精神病薬「セロクエル」と抗うつ薬「パキシル」、
睡眠剤「エバミール」の三種類と判明した[18]。

仮にこれら全部を甲の供述通り10回分服用しても
眠くなるだけで、奇怪な行動を起こしたりすることはない
とされる[18]。

また、甲の自宅を調べると睡眠薬や抗精神病薬など
10数種類、約200錠の薬物を押収[18]したが、
これは甲が複数の病院に通院しては、
医師に「眠れない」などと睡眠障害・不眠症を偽って
(いわゆる詐病の一種)薬を処方してもらい、
飲まずにため込んでいた[18]ものだった。

さらに、逮捕後に甲の血液や尿を採取して仮鑑定した結果、
精神安定剤の成分が検出されなかった[18]。
捜査員がこの事実を甲へ突きつけると、
「すみません。薬は飲んでいません。作り話でした」
と偽証していたことを認めた[18]。

公判

「下関事件の模倣犯になりたかった」
「命を持って償います」
と初公判でのみ反省・謝罪の弁を口にしていた。
このことに対し、大阪地方検察庁の検事が
週刊新潮のインタビューに対して「この反省と謝罪の弁は本物だった」
との証言をしている。公判後は「何も言えないよりは良かった。
本当ならば4人の遺族を名指しで批判するつもりだった」
「刑事責任能力がそこまで認められたなら(控訴しても)仕方ない」
と述べている。

2003年8月28日、
大阪地方裁判所は被告人の甲に対して死刑判決を言い渡した。

死刑判決を言い渡す場合には主文を最後に述べる慣例があるが、
今回はそれを破って主文を先に言い渡した。
また、すでに甲は開廷時に騒いだことで退廷命令を受け、
拘置所職員によって連れ出されており、
死刑判決を読み上げる裁判長の声を自ら聞くことは無かった。
また、この判決公判では傍聴希望者が多かったことから、
特別措置として法廷にテレビカメラを設置し、
別室に設けたテレビモニターで傍聴できた。

その他、甲は公判中にあくびや貧乏揺すり、
遺族や裁判長等を睨みつけたりする行為を行い、
これに対し傍聴席からは「早く死ね」「一人で死ね」
等の怒号が飛び交っていた。

死刑確定後

控訴期限の同年9月10日に弁護団は控訴したが、
9月26日に甲自ら控訴を取り下げ、死刑判決を確定させた。

甲は主任弁護人に送った文書で、
刑事訴訟法第475条第2項で規定された
「死刑確定後の6か月以内の死刑執行」
を訴えていた。

甲は、死刑が6ヶ月以内に執行されないと
精神的苦痛を理由とする国家賠償請求訴訟、
および法務大臣・野沢太三に対する
特別公務員暴行陵虐致傷罪での
刑事告訴を起こす準備をしていた。
告訴した場合には、たとえ受理されなかったとしても
手続きが滞って死刑の執行が遅れる可能性があったが、
告訴の依頼を受けた弁護士[誰?]によれば、
実際に告訴の手続きを行うつもりはなかったという[要出典]。

また担当弁護士に届いた2004年の年賀状には
「ケジメをつけるためにご協力お願いします」としたためており、
甲は一刻も早い処刑を望んでいた。

この事件の判決確定後、
甲は死刑廃止運動家の女性と出会い、
文通を経て獄中結婚をした。
晩年は甲自身の姓を女性の姓に改名している。
この他、愛知県出身の既婚女性から
愛情の告白を受けており、その女性とも文通を行っていた[19]。
最初は愛情や支援に対して頑なに心を閉ざしていた甲だったが、
自分に対する理解者が現れるに連れて、
少しずつ彼女に対して心を開いていった。

死刑確定から約1年後の2004年9月14日8時16分、
甲は大阪拘置所で死刑が執行された。
結果的には甲の望んだ通りの早期執行となった[注 5]。
執行当日の朝食は摂取することが許されなかったが、
甲は執行直前に刑務官から受け取った
煙草とリンゴジュースをゆっくり味わってから、
拘置所の奥へ消えていったという。
享年40。

甲が最期に残し、妻が死刑執行後に刑務官から伝えられた言葉は
「『ありがとう、と僕が言っていた』と、妻に伝えてください」
とされている[20]。

妻に対しては感謝の気持ちを表すまでには至ったものの、
事件によって犠牲になった被害者の児童やその遺族への謝罪は
最期まで一切無かったとされる。

なお、葬儀はマスコミが押しかけることと、
費用面など経済的事情もあり難航し、
結局は信者ではなかった
大阪市内のキリスト教関係の施設で行われたという[20]。

事件後の反響
犠牲者に対する対応

この事件で死亡した2年生7名は、
2006年に同級生と共に特別に卒業証書を授与され、
「小学校を卒業」という形になった[注 6]。
さらに、2007年にはこれと同様に、
死亡した1年生1名に卒業証書が授与された。

また小学校を管理する文部科学省は、
被害者遺族らに総額4億円の慰謝料や賠償金を支給した。

学校側の対応不足
文部省(当時)は、
1999年に京都市立日野小学校で発生した
京都小学生殺害事件の後に「安全管理に関する通知」を出しているが、
附属学校を設置管理する文部省および大阪教育大学では、
各附属学校の安全措置の状況を把握していなかった。

通知に関しては、教官に対して一度口頭で伝えたに留まり、
それ以外の格別の対応をとっておらず、
事件当日も不審者に対して、
教官による十分な対応がされていなかったことが、
被害児童の救助の遅れや犯人逮捕の遅れにつながった。

犯人を取り押さえてから警察による犯人逮捕までの間、
学校側による状況把握ができず、
管理職や教務主任は
混乱の中で事件の全容をつかめなかったほか、
組織的な対処行動(児童に対する組織的な避難誘導、
救命活動、搬送処置など)ができなかったため、
死亡した8名の児童は20分前後も放置されてしまった[注 7]。

混乱の中、教員が救急車に乗らず児童に付き添わなかったため、
保護者への児童の搬送先病院の連絡も遅れていた[21]。

事件直後、ある死亡児童の保護者は、
早い段階で来校したにもかかわらず、
学校内で負傷していた児童に会うことも
付き添うこともできなかった末、
自力で探し回った病院で
死亡した我が子と対面することとなった。
さらに事件後において、
学校からの説明や弔問が遅れただけでなく、
教員の心ない表現、
発言および行動が遺族の心を大きく傷つけた[22][23]。

学校の安全対策
この事件をきっかけに、学校(小学校など)、幼稚園、
保育所などの児童・生徒・幼児が頻繁に利用される
教育関連施設にも
「警察官立寄所」の看板(プレート)またはシールが
貼り付けられたり、学校にも部外者の学校施設内への
立ち入りを厳しく規制したり、
警備体制を強化するなどの方策を主張する声も増えた。

また、防犯ブザーを携帯する児童も増加したほか、
保育士や学校の教職員が防犯や心肺蘇生を学ぶ機会となった[24]。

この事件は、日本の学校がそれまでの
「地域に開かれた学校」から
安全対策重視の「閉ざされた学校」
に方針転換するきっかけとなった。

それまで小学校は、地域のコミュニティに重要な役割を果たし、
校庭は子供たちの遊び場にもなっていた。
この事件後、学校に監視カメラを設置したり、
部外者の立ち入りを原則禁止したりする傾向が強まった。

小学校などの学校への警備員配置、
集団登校時に保護者や地域のボランティアによる
見守りも行われるようになった[25]。

また、この事件を境に、小学校においては
児童の名札を廃止したり、
あるいは校内のみの着用に限定したりする学校が
増えるようになった。

触法精神障害者に対する対応
心神喪失と認められ、
無罪あるいは不起訴処分となった者に対する、
処遇のあり方について議論された。

それまでは、精神障害者に対して
司法機関が関与して処遇が行われることは、
一部の団体が保安処分に対して、極めて抵抗感が強かったが、
この事件以降に
『心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の
医療及び観察等に関する法律』が制定された。
保護観察所に社会復帰調整官(精神保健福祉士)が置かれ、
社会復帰調整官が中心となって医療観察が実施されることとなった。
もっとも、この措置は保安処分であるとの指摘もある。

被害者の精神的な障害
児童や教職員・保護者の中には、
心的外傷後ストレス障害 (PTSD) に未だ罹っている人もいる。

また、「あの時ああすればこの事件が起きなかったのに
(または被害を抑えられたというのに)」
というサバイバーズ・ギルト、
いわゆる「見殺しにしたという自覚」
ともとれる自責の念に駆られている教員もいる
(一審の最終弁論で現行犯逮捕に携わった教員の証言)[22][23][26]。

精神障害者における報道被害
精神障害者のうち、
統合失調症や気分障害などの者の家族らで運営する、
精神障害者家族会のかつてあった全国連合組織、
財団法人全国精神障害者家族会連合会(全家連)が、
精神科医を通して、事件後の精神障害者に対する
報道被害の様子の変化を調査している[27][28]。

1.自分の病気や障害について
深く考え悩むことがあった患者がいた (73.9%)

2.他人の目が気になったりして
外出が嫌になった患者がいた (63.0%)

3.再発というほどではないが
症状が不安定になった患者がいた (57.6%)

4.眠れなくなったりするなど
生活のリズムが乱れた患者がいた (50.0%)

深刻な事例として、
精神科医から挙がった声としては
1.自殺した患者がいた(1.1%、2人)
2.入院・再入院した患者がいた(16.3%、24人)
3.再発した患者がいた(13.0%、21人)

となった。

全家連から報道機関への見解と要望
全国精神障害者家族会連合会(全家連)は、
報道機関に対し「大教大池田小児童殺傷事件の報道について」
(2001年6月8日付)と「小学校児童殺傷事件報道について」
(2001年6月18日付)を送付している。

前者では「この事件で逮捕された男には、
精神病院の通院歴があったと報じられていますが、
その記述については、
私たち身内に精神科治療を受ける者を持つ立場から見て、
重大な疑義を感じざるをえません。

記事(番組)の中で報道されている
『男は、精神病院に通院中で…』という部分は、
その表現 (以下、病歴報道)によって、読者(視聴者)には、
『精神疾患』が本事件の原因であり、
動機であると理解されてしまいます。
その結果、「精神病者(精神障害者)はみな危険」、
という画一的なイメージ(=偏見)
を助長してしまうと考えるからです」

と、安易な病歴報道の問題点を指摘し、
「妄想や幻聴などの症状は、
薬物療法でコントロールしやすいといわれています」
と精神科治療の実情を説明、
「なぜこんな事件が起きたのか、
服薬はきちんとしていたのかなど、
事件の背景をきちんと取材し、
今後の教訓となるような報道をしてください」

と要望している。
後者では「安易な報道によって、
「精神障害者は危険だ」
という社会の偏見がより強くなりました。
(中略)これは『報道被害』であるといっても、
過言ではありません」

と、報道によって受けた報道被害を訴え、

1.事件の報道をする場合、警察発表であったとしても、
事件の背景、病気の状態などが明らかになっていない段階で、
特定の病名や通院歴・入院歴を報道するべきではないこと。

2.法的責任能力の問題を
精神障害に置き換えて報道しないこと。

3.この事件と触法精神障害者の
処遇問題を安易に結びつけないこと。

の三点を要望している。

補足
精神鑑定書

2013年に本件の鑑定人の一人、
精神科医の岡江晃は、甲の名を冠した
『宅間守 精神鑑定書 精神医療と刑事司法のはざまで』
を著した[29]。
その本の内容は下記によりなる。
鑑定書前文
第1章 家族歴
第2章 本人歴(生活歴、精神科治療歴、
生活歴精神科治療歴にかんする甲の陳述)
第3章 本人犯行
(甲以外の供述、鑑定時に述べたこと)
第4章 現在症(精神所見、心理検査所見、
身体所見)
第5章 診断(精神医学的考察、
本件犯行とその心理、精神能力)
第6章 鑑定主文

資料として各種検査、判決要旨が追加されている。
鑑定人は H.T.と岡江晃で、
ほかに鑑定助手として医師2人、
臨床心理士1人が協力した。

鑑定主文を要約すると、甲はいずれにも分類できない、
特異な心理的発達障害があり、
この延長線上に青年期以降の人格がある。

本件犯行時、本人は情性欠如者であり、
穿鑿癖、脅迫思考を基盤とした妄想反応である、
嫉妬妄想があった。

本件犯行そのものに踏み切らせた決定的なものは
情性欠如であり、著しい自己中心性、攻撃性、衝動性である。
本件犯行が極めて重大な犯罪であるという認識は、
犯行直前、直後、現在もある。

診断の中の精神医学的考察の中で、
過去の精神科医の診断が述べられている[30][31]。
それによると過去に診察したすべての精神科医は
程度の差はあれ、
精神分裂病(現在は統合失調症)
の可能性があると考えたという事実が記録されている。

診療録の診断名は精神分裂病のみならず、
精神神経症、敏感関係妄想、
神経症などとなっているが、それらは単に暫定診断であり、
保険請求のための診断であった。

唯一、約2年間にわたって主治医であった
精神科医YMのみが、本件犯行より以前に
精神分裂病から、
妄想性パーソナリティ障害へと診断変更した。

呼称について
「大阪教育大学教育学部附属池田小学校」
の所在地周辺では、
「池田小」といえば別の学校である
「池田市立池田小学校」を指すことが一般的で、
事件のあった学校名を記載する際には、
「大阪教育大学教育学部附属池田小学校」
とフルネーム、
略称も「附属池田小」と呼称する場合が多い[注 8]。

マスコミなどの扱いでも、主要紙は記事本文では
「附属池田小事件」と表記することが多いが、
見出しなどでは依然「池田小事件」
と表記されることもある。

その他
遺族の中には甲に対してその境遇や生い立ち、
学校の用務員(技能員)としての生活時代に
子供から揶揄されたなど、
一定の理解を示した者もいた。
大手マスメディアではこれが報道されることはなかった。

事件発生2日後の2001年6月10日、
横浜国際総合競技場(現:日産スタジアム)
で行われたFIFAコンフェデレーションズカップ・
日本 - フランス戦のキックオフ直前に、
両チームの選手が事件の犠牲者へ向けて
1分間の黙祷を行っている。
この時、字幕に「Pray for eight victims
(8人の尊い命に対し、黙祷を捧げます)」というテロップが
世界中に放送された。

また、同じくサッカー選手のリオ・ファーディナンドも
2001年に来日した際に事件を知り、
同校に献花を行った(リオ・ファーディナンドの項参照)。

事件後、宇多田ヒカルは彼女のファンであった
事件の犠牲者・被害者へ捧げたシングル曲として
「FINAL DISTANCE」を発売した。
附属池田小学校の校内では
2008年秋に鉄腕アトムの銅像が建てられた。

産経新聞が
校庭に座って泣く児童らの写真を掲載したが、
この写真が2001年度の新聞協会賞を受賞している。

橋下徹が、政界入りする前に弁護士だった2004年に
「(甲を)速やかに死刑にすべき」
という異例の寄稿を週刊誌で発表した。
その後、甲から弁護人を通じて早期の死刑実現に対する
援助を依頼する手紙が届いたが、
橋下は、甲が遺族に謝罪するという条件付きで
了承する旨を返答した。

しかし、返事には人生に対する恨みや苦悩は書かれていたが、
遺族への謝罪や反省のコメントは書かれていなかった。
この手紙はテレビ番組「たかじんのそこまで言って委員会」
で朗読したが、結局協力はしなかった。

事件当日は、2011年中にアナログ放送を終了させる
改正電波法が国会で可決・成立されたが、
この事件の報道によって大きく報じられなかった。

この事件は海外でも大きく報道された。
これをきっかけにコロンバイン高校銃乱射事件の
犠牲者の遺族と本事件の遺族との交流が始まり、
以降両者は「学校の安全をいかに確保するか」
というテーマで定期的にシンポジウムを行っている[32]。

この後、附属池田小学校では、
学校における安全教育の研究
および実践を展開してきたことで、
その安全に対する姿勢が認められ、
2010年3月5日付で、日本の学校においては初のISS
(International Safe School) に認証された。
とりわけ文部科学省の教育課程特例校として
「安全科」を設置したことは世界でも高く評価されている。

脚注
注釈
1.^ その他、当時の反省文には自身が小学生の頃からの
反社会的行動や、運転免許証を所持していないにも関わらず
オートバイを購入したこと、祖母への愛着、部落問題への批判など
十数ページにわたり延々と綴った後、
文末には「最後に俺自身の大きな反省点は、
先の事を考えて行動せよ。それだけ」で締め括っている。
2.^ 2004年に犠牲になった8人の児童追悼のために、
代表して松本零士のファンで「銀河鉄道999」で宇宙を旅をすることが
夢だった女児の名前が、
松本原作のOVA作品「大YAMATO零号」のヒロイン名に採用されている。
3.^ 取り調べで「オレは学校なんか行ってない。
阪急池田駅で人をメッタ斬りした」と不可解な発言をした[16]。
4.^ 甲は過去に15回もの逮捕歴(高速道路の逆走、
実兄の愛車である高級輸入車を「サラリーマンが外車なんか乗るな!」
と角材で破壊する行為、小学校教諭が飲む茶に
精神安定剤を混入させる行為など多岐にわたる)を持つが、
精神科通院歴を楯に不起訴処分(あるいは保護観察処分)
という比較的軽い処分を経験している[16]。
5.^ 同じように早期の死刑を望んだ死刑囚に
ピアノ騒音殺人事件の犯人がいるが、
精神に異常をきたしている(近況については情報公開されていないが)
といわれており、確定から37年近く経過した現在も執行されていない。
つまり、死刑囚本人が執行を求めても執行が早まるわけではないのである。
6.^ 通常は、死亡した場合は死亡日に除籍扱いとなる。
卒業することは極めて珍しい。
7.^ 死亡した児童8名は即死ではなく、
救命活動の遅れによる失血死が死因であった。
8.^ 2004年度に大阪教育大学附属池田小学校と改称。

出典
1.^ a b c 片田珠美 2009, p. 104.
2.^ a b c d e 片田珠美 2009, p. 105.
3.^ a b c d 片田珠美 2009, p. 106.
4.^ 片田珠美 2009, p. 107.
5.^ a b 片田珠美 2009, p. 108.
6.^ 片田珠美 2009, p. 109.
7.^ a b c d 新潮45編集部 2002, p. 25.
8.^ a b c 新潮45編集部 2002, p. 26.
9.^ a b c d e f 今枝弘一 2008.
10.^ a b c d 新潮45編集部 2002, p. 27.
11.^ 新潮45編集部 2002, p. 2527.
12.^ a b c d 片田珠美 2009, p. 103.
13.^ 片田珠美 2009, p. 115.
14.^ “命の尊さ訴え、鐘は鳴る 付属池田小事件14年”.
朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2015年6月8日).
オリジナルの2015年6月8日時点によるアーカイブ。
2015年6月11日閲覧。
15.^ 新潮45編集部 2002, p. 50.
16.^ a b 一橋文哉 2003, p. 398.
17.^ 一橋文哉 2003, p. 398-399.
18.^ a b c d e f g 一橋文哉 2003, p. 403.
19.^ 『サイゾー』2004年11月号より。
20.^ a b 佐久間哲 2005, p. 27.
21.^ 大森治幸 (2015年6月9日). “池田小乱入殺傷:
事件から14年 保護者ら向けに対談映像”. 毎日新聞
(毎日新聞社) 2015年6月11日閲覧。}[リンク切れ]
記事名の一部に実名が使われているため、省略した。
22.^ a b 事件概要.
23.^ a b 遺族合意書 2003.
24.^ “講習会:防犯や心肺蘇生学ぶ 保育士、
教職員90人 /和歌山”. 毎日新聞 (毎日新聞社).
(2015年6月10日) 2015年6月11日閲覧。}[リンク切れ]
25.^ 吉村治彦 (2015年6月10日). “金沢の電気店主、
子ども見守り14年 池田小事件機に”. 朝日新聞デジタル
(朝日新聞社). オリジナルの2015年6月10日時点による
アーカイブ。 2015年6月11日閲覧。
26.^ 負傷児童保護者合意書 2005.
27.^ 全国精神障害者家族会連合会 (2008年8月14日),
“大阪・池田小学校児童殺傷事件の報道被害に関する
調査結果について” (日本語) (プレスリリース),
オリジナルの2002年8月14日時点によるアーカイブ。
2011年1月4日閲覧。
28.^ 佐藤秀峰 『ブラックジャックによろしく』12、
講談社。ISBN 9784063724653。
29.^ 岡江晃 2013, p. 1-402.
30.^ 岡江晃 2013, p. 315.
31.^ 岡江晃 2013, p. 111-129.
32.^ 共同通信 (2005年10月9日). “学校の安全、
国境超え議論 池田小とコロンバイン遺族”. 47NEWS.
オリジナルの2013年6月6日時点によるアーカイブ。
2015年2月26日閲覧。

参考文献
一橋文哉 『宮勤事件−塗り潰されたシナリオ−』
新潮文庫、2003年9月。ISBN 978-4-10-142624-2。
今枝弘一 『池田小児童惨殺犯』 新潮社、2008年8月。
岡江晃 『宅間守 精神鑑定書 精神医療と刑事司法のはざまで』
亜紀書房、2013年5月。ISBN 978-4-7505-1310-2。
片田珠美 『無差別殺人の精神分析』〈新潮選書〉、2009年5月。
ISBN 978-4-10-603637-8。
佐久間哲 『死刑に処す−現代死刑囚ファイル−』 自由国民社、
2005年11月。ISBN 978-4426752156。
『殺ったのはおまえだ−修羅となりし者たち、宿命の9事件』
「新潮45」編集部 編〈新潮文庫〉、2002年11月。
ISBN 978-4-10-123914-9。
日高恒太朗 『殺人百科データファイル』 新人物往来社
〈別冊歴史読本 5〉、2005年1月。ISBN 978-4404033055。
森達也 『死刑−人は人を殺せる。でも人は、
人を救いたいとも思う。−』 朝日出版社、2008年1月。
ISBN 978-4255004129。

関連項目
拡大自殺
ゲイリー・ギルモア - 『死刑にされる権利』を訴えたアメリカの死刑囚
スクールシューティング

学内侵入犯による類似襲撃事件
文京区小2女児殺害事件(1954年4月19日)
小学校内で起こったヒロポン中毒者による児童殺害事件。
京都小学生殺害事件(1999年12月21日)
宇治小学校児童傷害事件(2003年12月18日)
ソウル日本人学校園児襲撃事件(2004年1月29日)
寝屋川市立中央小学校教員殺傷事件(2005年2月14日)

その他の類似事件
ピアノ騒音殺人事件(1974年8月28日)
新宿西口バス放火事件(1980年8月19日)
深川通り魔殺人事件(1981年6月17日)
池袋通り魔殺人事件(1999年9月8日)
下関通り魔殺人事件(1999年9月29日)
武富士弘前支店強盗殺人・放火事件(2001年5月8日)
- 附属池田小事件のちょうど1か月前に発生し、
5名の死者、4名の負傷者を出している。
大邱地下鉄放火事件(2003年2月18日)
- 韓国・大邱広域市にて発生。
本事件を上回る192人の死者を出した。
自殺サイト殺人事件(2005年2月〜6月)
- 元刑事を実の父親に持つ男による連続殺人だが、
彼には20年間で100件以上の強盗や
傷害の前科があった。
秋葉原通り魔事件(2008年6月8日)
- 7年後の同日午後に発生、
7人が死亡し10人が重軽傷を負った。
大阪個室ビデオ店放火事件(2008年10月1日)
- 本事件を上回る16人の死者を出した。
相模原障害者施設殺傷事件(2016年7月26日)
- 本事件を上回る19人の死者を出し、
戦後発生した殺人事件では最悪規模。

その他、アメリカ合衆国では銃の乱射による
同様の事件がしばしば起こっている。
テキサスタワー乱射事件(1966年8月1日)
パトリック・パーディー(1989年)
- 米国で起きた銃乱射による小学生5人殺害事件
コロンバイン高校銃乱射事件(1999年4月20日)
バージニア工科大学銃乱射事件(2007年4月16日)

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関連記事


付属池田小裁判傍聴記・庄村有治



@ @ @ @ @ @
犠牲者のご冥福をお祈り申し上げます。


FC2ライブなどで“裸”配信 5人逮捕(2017)

FC2ライブなどで“裸”配信 5人逮捕
日本テレビ系(NNN)
2017年(平成29年)2月6日 


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インターネットのライブ配信サイトを利用し、自分の裸など、
わいせつな映像を配信したとして男女5人が逮捕された。

警視庁によると、公然わいせつなどの疑いで逮捕された
チャットルーム運営会社の代表取締役・岡田かおり容疑者(30)
ら男女5人は、
去年9月から11月にかけてライブ配信サイト「FC2ライブ」
などを利用して自分の裸などを配信した疑いが持たれている。

岡田容疑者らはチャットで閲覧者の要望に応じ、
わいせつな行為をライブ配信していたという。

調べに対し岡田容疑者は「お金がたくさん稼げるからやった。
視聴者とのやりとりも楽しいので始めた」
などと容疑を認めているという。

警視庁は岡田容疑者らが求人サイトで女性を集め
ライブ配信をさせ、
2015年8月から約1億円を売り上げたとみて調べている。


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小説家・保坂和志の『考える練習』オカルト版とは?(2013)




オカルトを信じない人は成功しない」

小説家・保坂和志の『考える練習』オカルト版とは?(出典:ハピズム)

2013年(平成25年)



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保坂和志氏が4月に大和書房から出版した

『考える練習』が好調な売り上げを見せている。

「論理に縛られ“テンプレート化した発想”から抜け出す」

ための同書は、ひょっとするとオカルト的な

なにかに通じるものがあるかもしれない。

そう思い立ち、保坂和志氏にインタビューを試みた。

人呼んで(というか勝手に命名)、

『考える練習』オカルト版! 

どうぞご一読あれ。


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ハピズム
まず、このインタビューをお願いした際、
保坂さんが西武百貨店のコミュニティ・カレッジに勤務していた80年代に、
「日本のカルチャーセンターで最初に超能力(超心理学)
の講座を企画した」というエピソードを知り、驚きました。

しかも講師は、超心理学研究者の井村宏次さん。
井村さんといえば超常現象や気の研究の大家ですよね。

保坂和志(以下、保坂) 
あの当時、井村宏次さんがチャートルズ・T・タートの『サイ・パワー』
(工作舎/1982年)
という本を翻訳したり、
『サイ・テクノロジー 気の科学・気の技術』(工作舎/1984年)、
『霊術家の饗宴』(心交社/1984年)
といった人間の意識の本質や超常現象に迫った本を
いろいろと出版していた。
そこで、「超能力の講座をやりたいんですけど、
適任者って誰だと思いますか?」
って中沢新一さんに相談したんだよね。
そうしたら、「井村宏次さんしかいない」という答えが返ってきた。
それで井村さんを講師にした超能力講座を立ち上げたというわけ。

ハピズム
当時、超能力ブームがあったんですか?

保坂 
とくにブームがあったわけではないけれど……
学研の「ムー」(1979年創刊)なんかが売れていたから、
オカルトに関しては多少風が吹いていたかもしれない。

■スプーン曲げの清田くんと松井秀喜

ハピズム
なるほど。そういう経緯があったわけですね。
では、オカルトといまの社会の関係性についてはいかがでしょうか。

素朴な言い方をしてしまえば、現在、多くの人の考えのよりどころは
科学的な妥当性にあると思います。
科学的ではない物言いをすると、すぐにオカルトと思われがちです。
そして、オカルトに対して、肯定/否定という切り口でしか
語られなくなってしまっている状況があるのではないでしょうか?

保坂 
それは両者に問題があると思う。
オカルト否定派は頭ごなしにオカルトを全否定してしまう。
一方、オカルト肯定派のほうも極端な実例ばっかり出してきて、
相手を説得するより自分が信じたいほうが先に立っているように見える。

だから両者は真面目に交流しようと思ってない。
でも結局、オカルトを肯定する人々も否定する人々も、
比べてみると、
同じように「なにか」を信仰しているんだよね。

科学信仰とオカルト信仰。

保坂 
そう。オカルト否定派、つまり科学の立場にいる人の問題点は、
肝心の証明を自分ではできないことにある。

アインシュタインやニールス・ボーアなんかを引き合いに出したって、
自分自身で証明ができるわけではなくて、
ただ入門書レベルの大雑把な知識しか持ってない。
「量子の奇妙なふるまい」
みたいなことを精密に理解できてる人なんてほとんどいないでしょ? 
だから、科学も信仰でしかないんだよ。

よく科学者が超能力者にむかって
「同じことを何度でもやってみろ」って言うでしょ。
実験は1回こっきりじゃダメで、
何度でも同じ結果が得られないと認められない。
それと同じ発想で言ってくる。

スプーン曲げの清田(益章)くんが潰されたのも、
「テレビのカメラの前でやってみろ」って言われたのが原因。
でも、そういうことを言う人たちがわかっていないのは、
たとえば、松井秀喜に
「160メートルのホームランを打ったことがあるなら、
ここでもう1回打ってみろ」
って言っているのと一緒なんだよ。そこに気づいていない。

科学の立場にいる人は、何度でも同じことができると信じている。
清田くんだって、よっぽどコンディションを整えないと
スプーン曲げなんてできるわけないじゃん。
それは松井だって同じで、コンディションがよくなければ、
160メートルのホームランを打てるわけない。
それで、「清田くんのスプーン曲げは嘘だった」とか騒ぐわけ。
それじゃあ、「松井の160メートルのホームランは嘘だった」
というのと同じだよ。
科学の立場にいる人は、その程度の見方しかできないんだよ。

芸術にしろスポーツにしろ超能力にしろ、
最高の表現、最高のパフォーマンスというのは何度もできない。
3日前の表現と今日の表現は絶対的にちがうもので、
同じ表現は二度とできないかもしれないということを
表現者たちはわかっている。

ハピズム
表現というのは一回性のもの、繰り返しできるものではない。

保坂 
そうなんだよね。ところが、
そういうことを真面目にやったことがない人たちは理解できないから、
何度でも同じことができると思っている。

■死んだ先輩の霊がコックリさんで乗り移った!!

ハピズム
そもそも保坂さんがオカルトに興味を持ちはじめたきっかけは
なんですか? スプーン曲げについても
小説で少し書いたりしていますよね
(「夢のあと」/『この人の閾』所収、『カンバセイション・ピース』、
共に新潮文庫)。

保坂 
きっかけはとくにないけれども、
やっぱりオカルトが単純に好きなんだよ。
あと、オカルト否定派がいちばん嫌いなんだよ、
人間として。

ハピズム
人間として嫌い(笑)。

保坂 
物心ついてからの成長過程で、
周囲の大人の言うことを聞きながら、
「自分はこの人のようになりたい」
「この人のようにはなりたくない」
ということをなんなとく意識していく。そういったなかで、
頭ごなしにオカルトを否定するタイプの人間と当然出会うでしょ。
そういう人たちがとにかく嫌いだった。
だから、あえて小説のなかでも、
スプーン曲げや空中浮遊を入れたりしている。
いや、自然と書いちゃうのか(笑)。
そこで、「なんでこんなことを書くんだ?」と思う人は、
べつに僕の小説を読まなくていいんじゃないかな、
と思っている部分もあるんだよね。

ハピズム
保坂さん自身のオカルト体験はありますか?

保坂 
たしか『カンバセイション・ピース』
でも書いているエピソードで、
前の日に死んだ隣のおばあちゃんの葬式に、
翌日の午後、お袋が喪服を着て行って、
そのおばあちゃんちの広い庭花壇があって、
それが見えるところで1人で積み木遊びをしていたら、
そこの花壇を
浴衣を着た死んだおばあちゃんが歩いていたんで、
「ああ、そっか、お葬式とはいっても死んでないんだな」
ということがあった。

それがオカルトかどうかはわからないけれども、
自分自身の体験としてはその一度だけ。
でも、ほんとうにそういった体験すると、
ぜんぜん怖くないなって思った。

あと、僕の高校時代、コックリさんがものすごく流行って、
文化祭の夜、4人でコックリさんをやっていたら、
十円玉が急に勢いよく動き出した。
そうしたら、
前の夏に裏山で首を吊った先輩の名字が出てきたんだよ。
ところが、1週間くらいあとに、
同級生が「あれは俺が動かしたんだ」と言った。
でも「それはちがう。お前は乗っ取られたんだ」
と僕は言った。
「お前は自分の意志で十円玉を動かしたと
思っているだろうけど、
お前は死んだ先輩に乗っ取られたんだよ」と反論した。
その同級生が死んだ先輩の霊に
乗っ取られたわけではないという説明はできないんだよね。

ハピズム
芸術や思想とオカルトとの関わりについてはいかがでしょうか?

保坂 
オカルトは、いまの社会生活では「ない」とされている。
でも、社会生活で「あるとされているもの」
だけで生きていたら、芸術は絶対にできない。
芸術とオカルトを結びつける場合は、
オカルトを題材にした小説を書くとか、
そういった話ではなくて、
なにかをつくるプロセスがそもそもオカルトなんだよ。
そして、それが社会を変えることにつながっていく。

ハピズム
社会を変えるために必要なことってなんでしょうか?

保坂 
現代社会って、ほんとうに大真面目な話、
軍事産業を中心とした社会になってしまっている。
文房具のホッチキスだって、
元々は機関銃会社が作ったという説があるくらい。
軍事産業を中心とする企業が社会を利用して、
国家は軍事産業を中心とする企業によって
操られている。
そんな社会の責任を
僕たちが肩代わりする必要なんてまるっきりない。

さらに言うと、
いま限界集落といわれている土地に住んでいるのは、
ほとんどが高齢の人間だけれども、
もともとああいった土地は、
都に住めない落ち武者とかが
切り拓いて住みついたんだよ。
むかしは居場所がない人たちは村を開拓した。
いまだって、みんなが住む場所を
自分たちでつくってしまえばいい。
そうすれば、都会から安い賃金で使い捨てされる
労働者がいなくなる。
すると、企業はやっていけなくなるんだよ。

でも、「新しい居場所をつくろう」と思わないように
人々は教育されてしまっている。
そんな教育なんて無視するやくざや侍みたいな
アウトサイダーが大勢いたら、
カルロス・ゴーンが年収10億稼ぐこともない。
アウトサイダーが社会を変えていけば、
ゴーンみたいなやつらの首を簡単にはねられる。
考えようによっては、
社会はいくらでも変革できるんだよ。

ハピズム
思想や神秘主義について考えたことや、
それを理解しようとしたこと、考えるというメカニズムが、
保坂さんにとって小説を書くというメカニズムであると
以前おっしゃっていましたよね。

保坂 
そうなんだけれども、ただはっきり言えば、
僕は新興宗教とか殺人事件とかオカルトを題材にした小説が嫌い。
どういうことかと言うと、そういった作品は、
根本的な部分でオカルトを信用していないから嫌いなんだよ。
オカルト的な視点にぜんぜん立っていないし、
すべて一般社会のワイドショー的な視点からしか見てない。 

ハピズム
オカルトをそのままフィクションに
持ちこんでしまっているということでしょうか?

保坂 
オカルトを信じない人の観点で創作をしてしまっている。
それは大きな間違いなんだよ。
というか、あれ!? 川又くん(編集)、
『ロスト・ハイウェイ』のTシャツ着てるじゃん! 
いま、ようやく気づいた(笑)。

ハピズム
あ、そうなんですよ(笑)。
たとえばデヴィッド・リンチの作品には、
根底にオカルト的なものが潜んでいますよね。

保坂 
それは大いにあると思う。
『マルホランド・ドライブ』のカウボーイや
『ツイン・ピークス』のボブとかさ、
フィクションの外から来た人間として登場させているんだよ。
つまり、カウボーイやボブは
フィクション内の単なる登場人物ではない。
リンチのフィクション観が通常のフィクションの
受容のされ方とすごくズレていることを示している。
そのあたりが、オカルトとしても、
すごく自分の琴線にふれるものがある。
なんか真理な感じがするんだよね。

■親の死、猫の死、自分の死

ハピズム
保坂さんが
普段から不思議に思っていることはありますか?

保坂 
いままで誰からも
相づちを打たれたことがないんだけれど、
僕にとっていちばん不思議なのはパソコン。
電源を入れるときは、手でスイッチ押すでしょ。
ところが、オフにするときは画面のなかで
操作して切るじゃん。
これってすごく変じゃない? 
なんかオカルトっぽいんだよね。
たとえるなら、人生に近くて、
生まれるのは外の力なんだけど、
死ぬのは自分の力。
運動の結末だけがあるだけなんだよね。

ハピズム
言われてみればそうですね。
パソコンは外部から命を与えて、自分で死んでいく。
死生観といえば、『<私>という演算』(新書館)で書かれていた、
保坂さんの祖母の「不信心」の話がいまでも印象に残っています。

保坂 
僕の祖母は「さわらぬ神に祟りなし」という信条で、
神様に拝んだりしたらあとが恐いって
いつも言っていたんだよ。
恐いから、神様なんかにはふれてはいけないと。
だから、旦那のお墓参りも一度もしなくてさ。
家のなかの仏壇だって拝まなかった。
ただ、信仰以前の、もっと原初的な信仰になる前の恐れは
確実に持っていた。

ハピズム
死ってどんな生物とっても同一ですよね。
猫も犬も人間も。たとえば、3.11が起こったあと、
人間は自然には太刀打ちできないって
盛んに言われましたけど、
結局、人間も自然の一部だと考えるとするならば、
死ってそこまで恐がるものなのかな? 
という疑問があるんです。

保坂 
そこはすごく重要! ただ、それはね、
僕ではなくて小説家の山下澄人に聞いてよ。
そういったことを常に考えながら生きているのが
山下という男なんだよ。
山下の両親は早死にしている。
一般に言われてることなんだけど、
親の死んだ年を越えるということは、
子どもにとってすごく大きい一線らしいんだよね。
僕の父親は84歳まで生きたし、
母親もまだ生きているから、
僕にはいまいちピンとこない。
人が生きたり死んだりする小説を山下が書いているのは、
山下のなかでは死というものが
すごく大きいからだと思うよ。

ハピズム
山下さんの小説には、
よく「親はガンで死んだ」というフレーズが出てきますよね。
少し失礼な言い方になるかもしれませんが、
絶対、保坂さんも死ぬじゃないですか? 
保坂さんにとって死とはなんでしょうか? 
もちろん、そう言っている僕も絶対に死ぬわけですが……。

保坂 僕もぼちぼち50歳後半だから、
脳出血とか心臓発作関係で死ぬ可能性は
ずっと高まっているわけ。
でもまあ、いまのところ変なものを残したらやばいな、
くらいしか思っていない。
やばいっていうのはエロサイトの履歴とか(笑)。

ハピズム
死ぬ間際、ハードディスクの中身を全部消さなきゃって(笑)。

保坂 いや全部消したらまずい。
猫の写真は残しておかなきゃいけないんだよ。
03年には家猫と外猫、
合わせて10匹にエサをやってた。
でもいまは2匹しかいない。1
0年間に8匹も死んでしまった。
マーちゃんが死んだ14日、ピースの死んだ3日、
コンちゃんの死んだ24日、チャーちゃんの死んだ19日、
ジジの死んだ17日。
つい先日、マミーが死んで、
その前に死んだ猫の戒名とかつけていないし、
ちゃんと弔ってあげられていないことに気づいてさ。

それで、動物の霊園に
「これまで死んだ猫の戒名みたいなお札を書いてほしい」
とお願いしたの。命日と一緒に戒名も入れたお札。
僕の行動記録として、どの猫がいつ死んだとか、
ぜんぶ残してあるから、それをこのあいだひっくり返して、
記録が3カ月ぐらいずれていたりするんだけど、
でも行方不明になった猫もいて……
で、なんの話だっけ?(笑)

ハピズム
(笑)。保坂さんにとっての死はなにか? 
という話です。

保坂 
僕にとっての死は猫なんだよ。
猫のことを知っているのは僕と何人かしかいないわけだし。
でさ、猫は僕と何人かしか知らないし、
その一方でまったく誰からも知られないまま死んでいく猫もいる。
みんなそうやって消えていくわけだよ。
でもさ、体臭やわきがの強い人とかさ、そ
の人がその場からいなくなっても匂いが残っているときあるでしょ。
死ってそんな感じもするんだよね(笑)。

■オカルトを信じない人は成功しない

ハピズム
最後になりましたが、保坂さんにとってオカルトの定義ってありますか?

保坂 
オカルトとは生命という活動だよ。
どうやっても十全に説明がつかない。
だから生命としか言いようがない。
この前、ネットを見ていたら、
矢追純一がなんでUFOを追いかけはじめたかっていう
インタビュー記事があったんだよ。
それがすごくいい話で、矢追純一はこう言っているわけ。
「ある日気づいたんだけど、
東京でサラリーマンがみんなうつむいて歩いている。
だからみんなに『空』を見せたかったんですよ」って。
でも、それはUFOのお告げだったかもしれないと僕は思った。
矢追さんは自分の意志で言っているようだけど、
ほんとはUFOに言わされていたんじゃないのかって。
コックリさんの話もそうだけれども、
そもそも自分の意志を信じるってことがすでに貧困なんだよ。

そして最後にひとつだけ言えることがある。
あのね、オカルトを信じない人は、成功しないんだよ。
科学や理屈ですべてを説明しようとする人は
絶対に成功していないんだよね。
あ、新興宗教を信じろということじゃないよ。
ああいうのは信じるんじゃなくて、頼っているだけだから。
(インタビュー・構成/川又宇弘)

■保坂和志(ほさか・かずし)
1956年、山梨県生まれ。
早稲田大学政経学部卒業。93年『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、
95年『この人の閾(いき)』で芥川賞、97年『季節の記憶』で谷崎潤一郎賞、
平林たい子文学賞を受賞。そのほか、『プレーンソング』
『カンバセイション・ピース』『カフカ式練習帳』など著書多数。
9月に「群像」(講談社)での連載をまとめた長篇『未明の闘争』が刊行予定。
(出典:ハピズム)

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