LET IT BLEED 

日々の記録。

2013年07月

マーチンゲールシステム・最適化

WS000002

SLリエントリシステム4H・最適化

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【「SIGNAL−LINE−EA」制作の時間的経緯】
1.プロトタイプ完成。(2013.05.28)
2.利食い&リエントリシステム機能追加(2013.06.07)
3.エントリ及エグジットシグナル継続分追加(2013.07.05)
4.MTF対応(2013.07.20)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
(2013.07.21)(4H最適化)
[共通設定]
【4H】
●T/P−S/L・・0−10〜30
□最適化結果□(2012.12.10〜2013.07.15)
PF2.63・・●T/P−S/L・・0−25(総取引数11)(ドローダウン6.28%)
PF2.23・・●T/P−S/L・・0−30(総取引数11)(ドローダウン6.78%)
PF2.69・・●T/P−S/L・・0−15(総取引数11)(ドローダウン5.33%)
PF3.11・・●T/P−S/L・・0−10(総取引数11)(ドローダウン5.50%)
PF2.00・・●T/P−S/L・・0−20(総取引数11)(ドローダウン6.36%)
■シグナルラインセッテイング■
PERIOD・・5
METHOD・・3
PRICE・・0
ENTRYMINUTE・・240
EXITMINUTE・・240
■シグナルラインフィルターセッテイング■
タイムフレーム・・1440(1D)
PERIOD・・5
METHOD・・3
PRICE・・0
SLINEFILTER-ENTRYMINUTE・・1440
■ゼロラグ・エントリーセッテイング■
FASTEMA・・4
SLAWEMA・・12
SIGNALEMA・・9
BUYLEVEL・・−0.05
SELLLEVEL・・0.05
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SLリエントリシステム15M・最適化

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【「SIGNAL−LINE−EA」制作の時間的経緯】
1.プロトタイプ完成。(2013.05.28)
2.利食い&リエントリシステム機能追加(2013.06.07)
3.エントリ及エグジットシグナル継続分追加(2013.07.05)
4.MTF対応(2013.07.20)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
(2013.07.21)(15分足最適化)
[共通設定]
【15M】
●T/P−S/L・・0−30
□最適化結果□
PF1.54・・●T/P−S/L・・0−10
PF1.37・・●T/P−S/L・・0−20
PF1.29・・●T/P−S/L・・0−25
■シグナルラインセッテイング■
PERIOD・・5
METHOD・・3
PRICE・・0
ENTRYMINUTE・・15
EXITMINUTE・・15
■シグナルラインフィルターセッテイング■
タイムフレーム・・15
PERIOD・・5
METHOD・・3
PRICE・・0
SLINEFILTER-ENTRYMINUTE・・15
■ゼロラグ・エントリーセッテイング■
FASTEMA・・4
SLAWEMA・・12
SIGNALEMA・・9
BUYLEVEL・・−0.03
SELLLEVEL・・0.03
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北九州監禁連続殺人事件 (2002年)

北九州監禁殺人事件(Wikipedia・2ちゃんねる)
2002年(平成14年)

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北九州市小倉北区片野 1丁目6−5 メイン芳華(=殺人事件の現場となったマンション)(出典:探偵ファイル探偵魂)
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北九州市小倉北区片野 1丁目6−5 メイン芳華(出典:探偵ファイル探偵魂)
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北九州市小倉北区片野 1丁目6−5 メイン芳華(出典:探偵ファイル探偵魂)
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北九州市小倉北区片野 1丁目6−5 メイン芳華(出典:ライヴドアニュース)
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北九州市小倉北区片野 1丁目6−5 メイン芳華
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北九州監禁殺人事件(きたきゅうしゅうかんきんさつじんじけん)とは、
2002年(平成14年)3月に北九州市小倉北区で発覚した監禁、殺人事件。

概要

人の弱みにつけこんで監禁をして金を巻き上げ、
拷問と虐待によってマインドコントロール下に置き、
お互いの不満をぶつけさせることにより相互不信を起こして逆らえなくし、
被害者同士で虐待をさせることで相互不信を一層深くさせ、
自分の手は汚さずに用済みとなった人間を殺害して死体処理を行わせた
(裁判では6人の殺害と1人の傷害致死)。

犯罪史上稀に見る凶悪犯罪とされ[1]、
第一審で検察側は「鬼畜の所業」と被告人男女を厳しく非難した。
2011年12月、最高裁判所によって主犯松永太の死刑と共犯緒方純子の無期懲役が確定した。

非常な残虐性・悪質性にもかかわらず、
事件に報道規制がかけられたとされ、事件の知名度は高くない。
当初は地元の報道機関を中心に報道をしていたが、
途中から報道機関が自主規制して報道量が少なくなり、
全国の報道機関での集中報道に結びつかなかったといわれている。
報道量が少なくなった理由としては
「あまりにも残酷な事件内容のため表現方法が極めて難しいこと」
「家族同士が殺しあった事件の性格から被害者遺族が
メディアに積極露出をして被害を訴えづらいこと」があるとされている。

人物
便宜上加害者と被害者としたが、状況に応じて加害者が被害者になったり、
被害者が加害者になったりした。


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加害者X(松永太)  
1961年4月28日生[2]。北九州市小倉北区出身[2]。実家は畳屋[2]。
7歳の時に父が実家の家業を引き継ぐため柳川市に転居[2]。
小学校の全学年で殆どの科目でオール5であり、
学級委員長や生徒会役員を務め、
中学校1年生時には校内の弁論大会で3年生を差し置いて優勝し、
中学では部活でキャプテンを務めた。
緒方純子と同じ高校に進学し風紀委員長になるも、
不純異性交遊が発覚して男子校に転校させられた。

転校先の高校を卒業して父の店を受け継ぎ、
家業を布団販売業に転換、有限会社化のちに株式会社にする
(社名ワールド)[3]。
1992年に指名手配されるまで詐欺商法を繰り返す[4]。
1980年に結婚して1男をもうけるが、
1992年に前妻と離婚[5]。
その後に内妻緒方純子と2男をもうける。

病的な嘘吐きで自意識が強く目立ちたがり屋。
饒舌でいくつもの顔を持ち、エリートを演じる傾向がある。
礼儀正しく愛想が良いが、猜疑心・嫉妬心が強い
(アフェクションレスキャラクターの傾向) 。
異常なまでに執念深く嗜虐的。
神経質で臆病な面もあるが虚勢を張る。

松永太は「東大卒のコンピューター技師」
「京大卒の予備校講師で物理学者の逸材で小説家志望」
「実家は村上水軍の当主」
「兄は東大卒の医者」
など様々な嘘の経歴を名乗っていた。

松永太は容姿や話術から女性から好感を持たれる魅力があり、
それにより様々な女性遍歴があった。
松永太は同時に複数の女性と肉体関係を持っており、
交際女性とその母親と同時に肉体関係を持っていることもあった[注 1]。
緒方純子と元妻は松永太が同時に複数の女性と
肉体関係を持っていることを知っていたが、
中々松永太と別れようとしなかった。
また、松永太の証言によると、
この事件関係者である内妻の緒方純子の家庭については、
緒方純子だけでなく緒方純子の母緒方静美や緒方純子の妹
緒方理恵子とも同時並行で肉体関係を持っていた。
松永太はこのことについて「奇妙な人間関係」と表現している。
死亡した緒方純子の母緒方静美や
緒方純子の妹緒方理恵子の肉体関係については
相手が誘ってきたと松永太は主張しているが、
緒方純子や元妻など
松永太と交際して生存している女性によると
交際のきっかけは松永太から誘ってきたと述べている。

事件発覚後に元妻は
「松永太は自分を"世の中の救世主"
と語っていたが、松永太と出会った人は全員不幸になった」
「松永太によっていつか死人が出ると思ってた」
「多くの嘘で上塗りをしていくと、松永太の中では本当のことになる」
「あんな人間、二度と出てこない」という言葉を残している[6]。

両親を含めた親族は取材を拒否している。
なお、松永太が経営していた会社の元従業員は
「松永太は暴力団幹部と付き合いがあった。
松永太の実父からピストルを見せられたことがある」
と法廷で証言している[7]。


加害者Y(緒方純子)  


1962年2月25日、久留米市に生まれる[8]。
実家は農家。従順で没個性的。
殆ど叱られたことがなく、
学校の制服や髪型を全て規則通りにする真面目な性格。
高校時代は男性と交際はなかった。
短期大学を出て幼稚園教諭になる[9]。
松永太の内妻となり、緒方純子は1993年1月に長男を、
1996年3月に次男をそれぞれ出産した。
子供好きであったため、
「どんなにひどい状況でも子供達に接している時だけ
忘れられた」と語っていた[10]。
しかし、逆に子供達の存在が、
緒方純子一家の家族を脅す材料として
松永太に利用されるようになった。
指名手配後に松永太の愛人を含めた他の人間に会う時は
松永太の知人もしくは姉と名乗っていた。
一連の事件解明における最重要証人の1人。

松永太からの虐待で喉を攻撃されて
40代ながら老婆のような声になり、
通電で右足の小指と薬指が癒着し
親指の肉が欠けていたことが
明らかになっている[11]。


被害者  


A - 松永太と緒方純子に虐待され、2002年に脱出した少女。
1984年生。松永太の支配下の間は小学生時代から酒を飲まされ、
夜中の4時頃に寝て朝7時に起こされて登校した学校で居眠りをし、
貧血を起こしたり吐き気を催したり、
生理が3ヶ月遅れ、
クラスで2番目の高さだった身長が殆ど伸びなくなり
クラスで2番目の低い身長になり、
1997年から2000年までの中学生3年間は約180日欠席するなど、
学校に通いながらも身体を含めて生活に悪影響が出ていた。

松永太と緒方純子の子2人を含めた4人の子の子守役をしていた。
一連の事件解明における最重要証人の1人。
19歳時の2004年に法廷で証言音声が流れたが、
司法記者達は「19歳にしては幼い気がした」と語っている。

被害者であるが死亡せずに生存した。
報道機関や書籍では実名表記はされていない[注 2]。

B(虎谷久美雄さん)- 少女Aの父。元不動産会社勤務。
1961年生で松永太や緒方純子と同学年。
死亡した被害者であるが他の死亡者と異なり、
報道機関では顔写真が非公開で実名表記が伏せられており、
顔写真や実名表記は一部書籍のみとなっている[注 3]。
1番目に死亡。

C(緒方誉さん) - 緒方純子の父。農協系土地改良区副理事。1936年生。
久留米市の集落一族の本家で、
父方の祖父は村議会議員を務めるなど名家。
兼業農家の傍ら、民間企業労組委員長を経て、
農協の幹部になる。
愛妻家[12]。
プライドが高く、心配性で世間体を気にするタイプの一方で、
我慢強く、痛くても口や顔に出さない性格。2番目に死亡。

D(緒方静美さん) - 緒方純子の母。主婦。緒方誉の3歳年下。
久留米の農家出身。
地元高校卒業後に緒方誉の家に嫁入り。
良妻賢母だが、気丈な性格。
松永太と肉体関係を結んで人生が暗転。
松永太による支配下で夫の死体処理に関与。
3番目に死亡。

E(緒方理恵子さん) - 緒方純子の妹。歯科衛生士。
1965年1月生。同級生の友達と比較すると真面目ではあり
親の前では大人しかったが、
姉緒方純子と比較すると親に隠れる場所では活発で遊び好きであった。
また結婚前に妊娠中絶経験をし、
結婚後も職場不倫をするなど複数の男性と肉体関係があった
(このことが夫Fとの夫婦仲を悪化させて事件が早期露見せずに
一層深刻化させる要因の一つとなった)。
松永太による支配下における外出では主に買い物役を担当。
母緒方静美の絞殺において足を押さえる役で1人の殺害に関与し、
2人の死体処理をした。
4番目に死亡。

F(緒方主也(かずや)さん) - 緒方理恵子の夫(緒方純子からみて義弟[注 4])。
農協系土地改良区事務所職員。
1959年4月生。久留米市出身。
実家は農家で次男。地元の高校卒業後に
千葉県警警察官になるも、
父親の看病を機に退職して実家に戻って
緒方誉が勤務する農協の職員となり、
婿養子という形で1986年に緒方理恵子と結婚。
気がやさしく生真面目な性格。

松永太による支配下における外出では主に車の運転手役を担当。
義母緒方静美と妻緒方理恵子の2人を絞殺し、
3人の死体処理をした。
5番目に死亡。

G(緒方彩さん) - 緒方理恵子と緒方主也の長女。
小学生。緒方純子からみて姪にあたる。
緒方純子の家族と親しくなかったAは3歳年下の同性の緒方彩とは親しく、
GLAYファンのAはSPEEDファンの緒方彩と流行歌について語り合った。

弟緒方優貴を絞殺・母緒方理恵子を絞殺の際に
足を押さえることで2人の殺害に加担し、
5人の死体処理に関与。
7番目に死亡。

H(緒方優貴君) - 緒方理恵子と緒方主也の長男でGの弟。
保育園児。緒方純子からみて甥にあたる。
緒方純子の家族の中で唯一通電を受けず、
事件現場を直接目撃しなかった。
6番目に死亡。


事件



松永太と緒方純子の交際 & 緒方純子虐待事件


松永太と緒方純子の交際[13]1980年夏に松永太が
転校前の高校卒業アルバムを
入手して同級生の緒方純子に電話。
緒方純子は松永太とは異なるクラスであり言葉を交わしたこともなかったが、
文化祭で注目されていたことを思い出し、会うことになった。
緒方純子は松永太と2回目に会った時に「結婚を考えている相手がいる」
と打ち明けられる。

これは緒方純子の心を揺さぶる松永太の狙いがあったとされるが、
恋愛感情の無い緒方純子は松永太の話に淡々と対応した。
車で帰る際に松永太は車を停めて
助手席の緒方純子に強引にキスをしようとしたが、
この時は緒方純子が拒絶した。

二人が3回目に会った時に、
松永太は男性交際に慣れていない緒方純子を
強引に誘ってラブホテルで肉体関係を結び、
緒方純子と松永太の交際が始まる。
1984年夏に緒方純子は叔母に子持ちの妻帯者松永太との交際を
打ち明けたことがきっかけで、
緒方純子の親である緒方誉と緒方静美の耳に入り、
緒方誉と緒方静美は松永太が妻帯者で
緒方純子との交際が不倫関係になっているために
松永太と別れるように緒方純子に求めた[14]。

また松永太が緒方誉の資産状況だけでなく、
緒方静美の実家の資産状況をも調べており、
そのことを知った緒方静美は
私立探偵に松永太の調査を依頼していた[14]。
しかし、1984年8月に松永太が緒方純子の親緒方誉・緒方静美に会った際に
礼儀正しく好青年らしく振る舞ったり、
妻と離婚して緒方純子と再婚して婿養子入りすることを約束する
「事実確認書[注 5]」を作成したことで、
緒方誉は松永太を気に入るようになり、
緒方静美も松永太に対する姿勢を軟化させた[14]。

緒方純子は松永太との肉体関係について
「"いずれ養子を迎えて家を継がなければならない"と自覚しているため、
松永太とは結婚できる相手ではない不倫関係であるため、
"恋愛におぼれてはいけない"と自制していた。

でも親が養子縁組した相手と結婚するまでに、
"1度くらいは恋愛経験をしてみたい"という気持ちがあった」
「松永太から妻との離婚について計画を聞かされる一方で
自分にプロポーズしてきたため[注 5]、
"不倫だから申し訳ない、結婚を望むのはいけない"
という気持ちが無くなる一方で松永太に対する恋愛感情が
だんだん大きくなり、自制心が薄らいでいった」と述べている。

緒方純子虐待事件松永太は緒方純子に当初はやさしく対応していたが、
緒方純子が昔交際していた男友達の話をしたのをきっかけに
暴力をふるうようになり、緒方純子に古い日記帳を持ってくるように命じ、
事細かに詰問しながら殴打するようになった[15]。

松永太に信用してもらえる方法を懇願した緒方純子に対し、
松永太 は右乳房への煙草の痕、右太股の刺青に
それぞれ自分の名前を刻ませた[16]。
また、緒方純子は松永太の指示であらかじめ用意していた文章を
読み上げる形で緒方純子の知人男性達を罵倒し、
関係を絶った。

1985年2月に松永太から暴力を受けていた緒方純子は
勤務先の幼稚園で心労と睡眠不足による過労で倒れ、
数日後の2月13日に実家で自殺未遂事件を起こす[17]。
この際に緒方純子の親は救急車をサイレンを鳴らさないように
求めるなど世間体を気にしていた。

松永太は緒方純子を2月15日に退院させて緒方誉の家に戻さずに
自分のアパートに連れ帰り、
「自殺されたら原因を探られ、自分も警察に呼ばれて迷惑だ」
として緒方純子に対する暴力をさらに加速させた[18]。
松永太は自殺未遂だけでなく、不倫関係が妻に発覚したら
損害賠償を請求されると脅したり、
緒方純子の裸写真をカメラ撮影した。
さらに松永太は緒方純子を幼稚園教諭を辞めさせて自分の会社で
働かせる一方で、
緒方純子を実家との関係を絶つために分籍させた[19]。

松永太と緒方静美との男女関係

松永太の証言によると、1984年秋に緒方純子の母緒方静美から
「緒方純子と別れて欲しい」と持ちかけられたという[20]。
緒方静美としては松永太が妻と離婚して緒方純子と再婚して
自分の家に婿養子入りすることを約束する
「事実確認書[注 5]」があるとしても、
松永太の法律婚は継続していたため、
松永太を完全に信用していなかったと思われる。

松永太の証言によると、松永太は緒方静美(当時44歳)
に人目のない所で話がしたいと持ちかけ、
緒方静美を郊外のラブホテルに連れ込んで肉体関係を結び、
その後は会うごとに肉体関係を結んだという。

一方で「母緒方静美は緒方純子を心配しておらず、
松永太に会いたがっている」
と松永太から聞かされた緒方純子は
緒方静美に嫌悪感を抱き、
日記に「同じ血が流れているのが嫌になる」
と書いている。

緒方静美のこの対応で、結果として松永太が1992年までの数年間
法律婚を継続したまま娘緒方純子と母緒方静美と同時並行的に
男女交際が継続となったために問題は一層複雑化し、
娘緒方純子と母緒方静美に緊張関係を生じさせる素地を形成した。
また松永太と緒方静美の関係は地元では噂になっていた[21]。

なお、緒方純子は事件による逮捕後の法廷証言では
松永太と母緒方静美の男女関係のきっかけについて
「同意による関係でなく、強姦という形で関係を持った」
と推測し、母緒方静美について「私が松永太と男女関係をもったために、
母緒方静美は松永太と男女関係になり虐待されて殺害されるという形で
事件に巻き込んでしまった。

もし、母が松永太と男女関係を続ける中で女として悦びを感じる
瞬間があったとしても、私は母を恨んだり憎んだりしません
[22]」と擁護した。
松永太は緒方静美との肉体関係については
緒方静美が積極的に誘ってきたのがきっかけと主張しているが、
検察は緒方純子が主張する強姦説を取っている。

松永太と緒方静美の関係について、マスコミには
「想像できないような大変センセーショナルな内容[23]」
「ミイラ取りがミイラになる男女の仲[24]」
「松永太は愛人緒方純子の母緒方静美とも20年来の愛人であった[25]」
「母緒方静美は松永太がこしらえた舞台で右往左往する大役を演じた[26]」
と表現された。


妹緒方理恵子と緒方主也の結婚



緒方誉と緒方静美は長女緒方純子の結婚相手を跡取りにするつもりだったが、
1985年に長女緒方純子が分籍して家を出たために、
専門学校を卒業して歯科衛生士になっていた次女緒方理恵子に
見合いを勧める[27]。

1986年7月に緒方理恵子は農協職員緒方主也と結婚し、
結婚式では約200人が集まって盛大に行われた。
緒方理恵子は見合いを勧められた当時別に付き合っていた男性がいたが、
親が勧める見合い結婚を断る余地はなく、
家庭の縛りから逃げられない境遇に涙した。

結婚式で緒方理恵子は花嫁として「白無垢」「色打ちかけ」
とお色直しをしていたが、
3番目は古式ゆかしい衣装である「黒留め袖」であり、
緒方理恵子の友人は前夜まで泣いていた緒方理恵子を思い出しながら
「家のしきたりから自由になれない」
と感じて涙したという。

緒方主也は緒方誉・緒方静美と養子縁組して婿入りする形で緒方理恵子と夫婦になり
両親緒方誉・緒方静美と共に同居する。
1987年に長女緒方彩、1992年に長男緒方優貴が誕生。
子煩悩だった緒方理恵子・緒方主也夫婦の家庭は外面的には順調であり、
緒方理恵子の友人は緒方理恵子の家族は「仲のいい家族」と見ていた。

一方で結婚式の前に緒方純子は松永太の指示により、
自分の実家に
「緒方主也の実家に財産をやるのかッ!」
「家を滅茶苦茶にしてやるッ!」、
緒方主也の実家や仲人の親戚に
「財産目当ての結婚だッ!」
等度々嫌がらせ電話をかけた。

嫌がらせ電話と緒方純子が家から勘当を受けているということもあり、
緒方純子は妹緒方理恵子の結婚式に出席しなかった。
緒方主也にとって妻緒方理恵子との結婚前に家を出ていた義姉緒方純子とは
後述の1997年まで面識はなく、
義姉緒方純子を「問題を起こす義姉」
「一家の厄病神」と見ていた。


松永太の結婚と離婚  



話は前後するが、
松永太は高校時代にバス停で出会った年上の社会人女性と
3年間交際[28]。
1982年に布団販売業を経営していた松永太は
交際相手の女性にプロポーズをして19歳で結婚。

一方で松永太は他の複数の女性と浮気をして
結婚後も不倫を重ねたが、妻はこのことを知っていた。
妻は最初の頃は止めて欲しいと松永太に言っていたが、
次第に感覚が麻痺して辛いと思わなくなった。

1982年12月24日には松永太が入れ込んでいた音楽好きの女性に
「バンドをやっている」と口説き、
嘘を本当にするために楽器や音響機器を揃えて
従業員に1ヶ月特訓をさせ、
1100人収容の久留米の大ホールに50人ほどの客の前で
バンドの演奏に乗って松永太はボーカルを担当し、
音楽好きの女性に向けて「最高のイブ!」と声をかけた。

この時、ホールの客には松永太の子を妊娠していた妻だけでなく、
松永太と数ヶ月前に肉体関係を結んだ愛人緒方純子がおり、
他にも愛人がいたとされる。

妻は緒方純子とは初対面ではなく、
小学生時代に学校で一緒に遊ぶ等の交遊関係があった。
妻は後に緒方純子が松永太の事務所に寝泊りする
松永太の愛人と知るようになる。

1983年に長男が誕生したが、
恋人時代から続いていた松永太の暴力は止まらないために
妻は逃げ出すことも考えた。しかし、
松永太に取られたくない子供を連れて逃げるのは
難しいと躊躇した。

緒方純子は愛人として松永太が経営する事務所で
寝泊りをするようになり、
妻は緒方純子と共に松永太から度々暴行を受ける。
松永太に暴行をされた際には妻は大声で喚いたが、
松永太は声をあげずに耐えており、
妻は「緒方純子が暴行に声を上げずに耐える」
のを不思議がった。

また、妻と子の前で松永太が緒方純子を暴行した際、
マヨネーズを台所の床に落として舐めることを命じた事に、
妻は「子供の前では止めてッ!」と叫んだが、
緒方純子は抵抗する素振りを見せずに床に落ちたマヨネーズを
舐め続けた。
このように緒方純子と妻は同じように暴行を受けても、
緒方純子は妻よりも松永太に従属的だった。

松永太が暴行して入院した緒方純子を不審に思った担当医が
警察に通報し、
警察が松永太の事務所に来て任意同行を求められる。
妻は松永太の逮捕を確信し
「殺人事件とかになる前で本当によかった」
と松永太からの暴力解放を喜んだ。
しかし、数時間後に松永太は逮捕されずに戻ってきた。

松永太の義父(妻の父)は松永太の性格を疑って
結婚後も信用しなかったので、
松永太は義父(妻の父)の前では粗暴な対応を見せなかったが、
義父(妻の父)の死亡後に松永太が実家でも平然と
暴力を振るったことがきっかけとなり、
妻は長男を連れて松永太から逃げて警察署に駆け込んで
DVの被害申請をし、
紹介された相談所で仮住まいをした。
松永太は居所を突き止めようとしたが、
市役所が住民票を移さないまま長男の転校等を
特別に許可するなどの対応をとったために難を逃れ、
2ヶ月後に松永太との離婚が成立した。

事件発覚後に元妻は「もしあの時逃げなければ、
私が緒方純子のように家族を殺していたかもしれない」
という言葉を残している。


詐欺事件・脅迫事件  



松永太は二束三文の布団を高値で販売するために、
暴力や「ヤクザ」という言葉を挙げて客を脅して
無理やり布団を買わせるなどの詐欺的商法をしていた[29]。

1987年5月には会社を改名し、
会社の営業項目は大商社の登記簿をそのままコピーして
「貿易業、船舶、石油、航空機、鉄、自動車、海運」
となっていたが、詐欺的商法には変わりなかった。

緒方純子は幼稚園退職後は松永太の会社で働くようになる。
松永太の会社で働くようになった緒方純子は
自分を懇意にしていた人物を騙してカードを作って金を詐取し、
抗議された際には「うちの会社を潰す気かッ!」
「借金返せ!」「どういうつもりなの!」
とその人物に逆ギレして怒声を浴びせるようになった。

緒方純子のことを昔から知る人物は
「まるで別人のように性格が変わった」と述べている。
松永太の妻が去ったことで愛人から内妻という立場になった。

松永太はこの商売で1億8000万円を荒稼ぎしていた。
しかし、この詐欺的商法が警察の知るところとなり、
1992年7月に詐欺罪と脅迫罪で警察に指名手配され、
松永太と緒方純子は最後まで残っていた男性社員と3人で逃亡する。
松永太の会社は9000万円の債務を踏み倒す形で倒産した。

松永太と緒方純子は一時的に石川県に逃亡していた。
金の工面をしていた男性社員は虐待に耐えかねて
松永太から逃走した。
この男性社員への虐待は刑事事件になっていない。

詐欺事件と脅迫事件の指名手配は
1999年7月に公訴時効が成立した。


父娘二人監禁事件  



松永太と緒方純子は松永太の出身地で土地勘のある北九州市内に戻り、
松永太の知人である不動産会社勤務の虎谷久美雄 に接近[30]。
松永太が虎谷久美雄 が勤務する不動産会社を通じて複数のマンションを確保し、
潜伏アジトとした。
契約者の名義は松永太の複数の交際相手である。

松永太は予備校講師を偽って虎谷久美雄 の姉(Aの伯母)に接近した。
虎谷久美雄 の姉は夫との不和を相談に乗ってもらい、結果、
夫と離婚、松永太の交際相手の1人となっていた。

松永太がマンションを確保する際、
不動産会社に勤務する虎谷久美雄 自身が連帯保証人となることもあった。
しかし、仲介者である虎谷久美雄 自身が当該不動産の保証人となるこの行為は
宅地建物取引業法違反であった。

この時に松永太が確保したマンションの1つが、
後に発生する数々の殺害事件の舞台となった。

当時、虎谷久美雄 は交際相手である保険外交員の女性と同棲していたが、
松永太から競馬のノミ屋に関する儲け話に関する新会社設立を聞かされた虎谷久美雄 は
同棲していた女性と別れ、
虎谷久美雄 の実娘Aは緒方純子が養育するとして松永太が確保したマンションに移り、
虎谷久美雄 は社宅で過ごしながら松永太が確保したマンションに通うようになった。

虎谷久美雄 はまた、仕事で部屋の消毒作業をしないまま
「消毒済み」として工費を着服していた過去があった。
酒に弱い体質の虎谷久美雄 を酔わせ、
この事実を聞き出した松永太は「犯罪だ」と虎谷久美雄 を追及して弱みを握る。
そして、虎谷久美雄 は室内では松永太からカツラを取られるようになった。

Aは父虎谷久美雄 はカツラであったことを知らず、
虎谷久美雄 の禿げ頭を目にして驚いたという。
さらに、虎谷久美雄 に「娘Aに性的虐待をした」「会社の金を横領した」
などと事実と異なる事実確認書を書かせ、弱みにつけこむ。

虎谷久美雄 が出社できなくなって職場を退職すると、
社宅を離れて松永太らのマンションに引っ越すことになり、
松永太はさらに虐待を加速させた。

すでに虎谷久美雄 への虐待に加担していた緒方純子は、
松永太の不在時も虎谷久美雄 への虐待に手を抜かなかったという。
これは松永太が突然現れて抜き打ちのチェックが入り、
手加減を見つかれば松永太から制裁を受けるので、
それを恐れたためであった。

事件発覚後、
法廷における証言でAは松永太だけでなく緒方純子のことも
「悪魔」と表現した(後述)。
この中でも、虎谷久美雄 は反抗的態度を一切見せずに、
死亡数日前に次男を妊娠していた緒方純子に対して
「元気な赤ちゃんを産んでくださいね」と言うなど、
緒方純子のことを気づかっていた。

1996年2月26日、松永太と緒方純子は通電を繰り返したり、
食事を満足に与えないなど
虎谷久美雄 を虐待して衰弱死させた(第1の殺人)。

松永太は、緒方純子とAに遺体の解体を命じ、
虎谷久美雄 の遺体は海に遺棄された。
緒方純子は身重の身で虎谷久美雄 の遺体の解体作業を行ったが、
解体を終えた直後に陣痛が起こり、
大分県の病院に駆け込んで次男を出産している。

松永太はAに対し死亡直前の虎谷久美雄 に
歯型がつく程噛ませた後に写真を撮り、
Aに「父親を殺したことを認める」とする事実関係確認書を作成させ、
虎谷久美雄 の殺害に加担した罪悪感を植え付けて虐待を繰り返し、
監視下に置いた。


母子不審死事件  



話は前後するが、松永太は死亡前の虎谷久美雄 によって
北九州のマンションを居場所とした後で、
同窓生だった女性と接触する[31]。
この女性は夫を持つ身であったが、
松永太から結婚を持ちかけられたことで夫と離婚した。

その後に松永太は結婚を餌に金を要求し、
女性は別れた夫から親から様々な名目[注 6]で金を無心、
計1880万円の金が松永太に流れた。
やがて夫や親からの送金が途絶えるようになり、
1994年3月31日に女性(当時32歳)は
大分県の別府湾に飛び込み自殺した。

その5ヶ月前の1993年10月29日に女性の次女(当時1歳)は
頭部強打という形で急性硬膜下血腫で死亡。
その際に、指名手配中の緒方純子が当時存命中だった次女の母親を
騙って搬送された病院に付き添った際には
「椅子から転がり落ちて頭を打った」
と説明している。

2002年に松永太らが逮捕されて以降、
この事件について松永太らの犯罪が疑われた。
逮捕後に緒方純子は
「女児死亡については現場にいなかったので知らない」
「女性は死亡する日まで松永太から殴打や通電といった虐待を受けていた。
死亡した日は松永太とともに別府市のホテルに行き、
ホテルのフロントで女性に抱かせていた自分の長男を渡された後、
女性が海に向かって走り出して投身自殺をした。
その後、救急車のサイレンが聞こえたので北九州に逃げた」
と供述している[32]。

この母子の死亡は「限りなく他殺に近い」と表現されたが、
刑事事件とはならなかった。


女性監禁事件  



Aの友人の元妻である女性(当時36歳)に松永太は
死亡前の虎谷久美雄 を介して知り合い、
言葉巧みに近づいて結婚を約束[33]。
この女性には3人の子供がいたが、
長男は前夫に親権を渡し、
長女は受験勉強の塾通いのために実家に預け、
次女(当時3歳)を連れてこさせて、松永太や緒方純子と同居を始めた。
松永太によって女性は職場を退職させられた。

1996年12月30日から翌1997年3月16日にかけ、
松永太と緒方純子は女性と次女を北九州市のアパート2階の四畳半和室に閉じこめ、
連日虐待した。
また松永太の命令で女性が次女に虐待していた。
3月16日未明、女性は隙を見て部屋の窓から路上に飛び降り脱出した。
女性の逃亡後、松永太らは次女を女性の前夫宅の玄関前に置き去りにし、
同居していたアパートをすぐに引き払って姿を晦ました。

女性はその後、精神科に長期入院した。
2002年に事件発覚した頃、この女性はPTSDを患って摂食障害に苦しみ、
生活保護を受け生活していたことが判明している。


緒方純子逃亡未遂事件  



湯布院事件[34]虎谷久美雄 殺害後に金主をなかなか獲得できない松永太は
「今までは俺が金の工面をしてきたから、
今度はお前が金を工面する番だ!」と命じた。

Yは松永太の指示で母緒方静美や妹緒方理恵子に電話で金の無心をしていた。
緒方静美は緒方純子が様々な名目で金を無心したが、
緒方静美が了承した時のみ金を渡していた。

緒方純子は妹緒方理恵子に消費者金融の借金を頼むも、
「今までさんざん迷惑をかけておいて、今更何なのよ」
と緒方理恵子に言われて拒絶される。

松永太が長男と共に別のマンションに行った際に、
緒方純子は初めて緒方静美をマンションに招きいれて、面と向かって金を求めたが、
拒絶される。
緒方純子は自分で働いて金を稼ぐことを決意し、松永太にも言わないまま、
次男を母緒方静美の実家に「母緒方静美が迎えに来ることになってる」
と嘘をついて預け、
1997年4月に大分県湯布院町でスナックホステスとして働くが、
これにより緒方純子が松永太の元に帰って来なくなった。
松永太は緒方純子が逃亡したことを知ると、
肉体関係があった緒方静美とのやり取りにより、
緒方純子が湯布院へ行ったことを知る。

緒方純子は自分の子供の様子を聞くために度々実家に電話をしていた。
松永太は緒方純子が虎谷久美雄 を殺したことを口実に、
身内に殺人犯がいることを露見すると世間体が悪くなることを盾に
緒方誉・緒方静美・緒方理恵子を松永太が住むマンションに巧みに呼び寄せた。
また、松永太は緒方純子を自分の下に置くために、
緒方純子とたびたび逢っていた緒方誉一家3人など通じて
松永太自身の自殺・葬儀を捏造することで緒方純子を呼び戻す。

偽葬儀で打ちひしがれている緒方純子の前に松永太が現れ、
緒方純子は松永太の指示によって自分の家族によって抑えられた。
緒方純子にはこの直後の記憶が無くなっている。
こうして緒方純子は再び松永太の支配下におかれ、
松永太は今まで以上の虐待を緒方純子に行った。
そして、松永太は自分の目の前で緒方純子に
大分県湯布院町の勤め先の雇い主に
「給料が安すぎるッ! もっとよこせッ! これから取りに行く」、
雇い主の娘が看護師として勤務する病院に
「あの娘は薬を横流ししている!」
とそれぞれ罵詈雑言と作り話を浴びせる電話をかけさせ、
関係を絶たせた。

Aは1997年3月から浴室に監禁されていたが、
緒方純子が湯布院に逃亡すると、
3週間ぶりに解放されて中学校に通えるようになったが、
その代わりに松永太の子供の世話役など
緒方純子の代役を担わされることになった。


門司駅事件[35]  


1997年5月中旬に松永太が下関市在住と偽って
交際していた女性へ下関市の消印の手紙を出すために、
少女Aを監視役に緒方純子は下関市に向かった。
この時の緒方純子の服装は
松永太から借りた男物のカッターシャツとジャージ、
男物のスリッパであった。

帰りの列車で門司駅に着いた際に
緒方純子は松永太とAに迷惑をかけないために自殺することを考えて
富士山の青木ヶ原樹海に行こうと考え、
発車を告げるベルが鳴ってドアが閉まろうとした瞬間に、
ホームに飛び降りて走った。しかし、
監視役のAも素早く反応して列車から降りて緒方純子を追いかけた。
緒方純子は改札口を出て駅前に停車していたタクシーに乗り込んだが、
Aは緒方純子が乗り込んだタクシーに追いつき
窓を叩き大声で叫び声を上げたため、
Aの周りに人が群がり「警察を呼べ」
という声が聞こえたために、緒方純子は逃亡を断念した。

Aは携帯電話で松永太に連絡を取り、
緒方純子の逃走未遂を告げて指示を仰ぐと、
松永太から門司駅のホームで待つよう指示される。
緒方純子は再び走り出して発車直前の列車に乗り込んだ。
しかし、またもAが緒方純子が乗り込んだ列車に乗り込み、
携帯電話で松永太に連絡。
電車が小倉駅に到着した際に
ホームに松永太が待っていたため、
緒方純子は逃亡を観念した。マンションに戻らされた緒方純子に対し、
松永太から今まで以上の虐待が行われた。


緒方純子一家監禁事件 


緒方純子の問題で緒方誉・緒方静美・緒方理恵子の呼び寄せ[36]

1997年4月に松永太は湯布院事件で
一家緒方誉・緒方静美・緒方理恵子をマンションに呼び寄せたのをきっかけに、
久留米に住む緒方誉・緒方静美・緒方理恵子を夜頻繁に小倉まで呼び寄せるようになる。
松永太は当初は緒方純子との関係について
離縁を含めた話し合いを緒方誉一家と行い、
高額の手切れ金を緒方誉・緒方静美に飲ませて
離縁話がまとまる直前に緒方純子との子供2人は
松永太が引き取るという条件を持ち出し、
子供好きの緒方純子に離縁する気を無くさせ、
離縁話が無くなった代わりとして
殺人者である緒方純子を匿う費用を要求した。

世間体を気にする緒方誉一家はこの要求に従った。
その後、松永太は緒方誉一家に対して緒方純子の問題で
様々な名目[注 7]で金を要求するようになる。

緒方純子は「両親(緒方誉・緒方静美)と妹緒方理恵子は松永太から自分絡みのことで
大金を要求されて金をつくるよう指示され、
小倉ではいつもお金をつくる話をしていた」
と供述している。

また、緒方誉・緒方静美・緒方理恵子は昼間は仕事をして
夜に久留米から小倉まで通って朝に久留米に戻るという生活で
睡眠時間が少なくなっていた。
緒方静美は睡眠不足から小倉に通う途中で自動車事故を起こして
ムチウチ状態となったが、それでも小倉に通い続けた。

夜には松永太から酒を飲まされながら緒方純子の問題を話し合う過程で
家族同士の愚痴を聞き出し、弱みを握る。
緒方誉らが金が用意できなくなると、松永太は緒方誉一家に対して
通電などの虐待を行うようになり、
無理矢理でも金を用意させるように追い詰めさせて
金を巻き上げた。

さらに緒方誉に虎谷久美雄 殺害現場の配管を交換させ、
証拠隠滅に加担させた負い目を負わせた。
豊田正義によると農協系土地改良区副理事として
さらに上のポストを目指していた緒方誉が世間体を気にして
娘が殺人犯であることが世間に発覚することをおそれ、
松永太に虎谷久美雄 殺害現場の配管交換をするよう言いくるめられたと推理している。


松永太と緒方理恵子の男女関係[37] 


松永太の証言によると、1997年4月から松永太と緒方理恵子は肉体関係を結んだ。
松永太は緒方理恵子との関係についてこれが初めてではなく、
高校3年生時に花火大会で緒方理恵子(当時14歳)をひっかけて
ホテルで肉体関係を持っていた。
なお、緒方純子と交際を始めたばかりの頃は、
高3時に肉体関係を結んだ相手が緒方純子の妹であることを知らなかった。

松永太の証言によると、1997年時は
緒方理恵子が積極的に誘ってきたと主張している。
1998年当時の松永太は緒方純子に対しては「俺は緒方理恵子から誘われたけど断り、
関係を持たなかった」と緒方理恵子との男女関係を否定していた。
だが、緒方純子は松永太が話を誤魔化すとき
自分からせきを切って話し始める癖を知っており、
当時から妹緒方理恵子が松永太と肉体関係があったと判断していた。

また緒方静美死亡後に関する緒方純子の証言によると、
松永太は家族を別々のマンションに分けて住まわせた際に
緒方理恵子と自分を一緒にしたことについて
「当時、妹緒方理恵子は買い物役をさせられていたが、
それ以外は推測ですので、申し上げなくてもいいと思う」
と言葉を濁した。

緒方理恵子と緒方主也を別々のマンションに分けて住まわせたことについて
「緒方理恵子は虐待以外の時は緒方彩と一緒に浴室に閉じ込め、
松永太が緒方理恵子を緒方主也から引き離して寵愛したわけではない」としている。

また妹緒方理恵子の死亡前の時期に、義弟緒方主也と不仲になる頃に
妹緒方理恵子の生理が止まった[注 8]。
それについて松永太が「急に痩せたりする体調変化で
生理が止まったんだろう」
と自分を納得させるかのように話し出していたことから、
当時はわからなかったが、逮捕後に法廷に立った時点では
緒方理恵子は松永太の子を妊娠していたと推測するようになった。

また緒方純子は、緒方理恵子の妊娠発覚は、自分や義弟緒方主也の反感を買って
松永太による一家支配の困難化になるとし、
松永太が緒方理恵子の生理が止まっている中で陰部への通電を行ったのは
自分の子を流産させるため、
松永太の緒方理恵子殺害は妊娠発覚を防ぐため、とそれぞれ推測している。

松永太の証言によると、「緒方主也から自分と緒方理恵子の男女関係を
問い質されたことはない」
と緒方理恵子の関係について明白な問答を緒方主也としなかったことを
示唆した上で、「緒方主也は自分と緒方理恵子の男女関係を察知していたと思う」
と推測している。

緒方純子義弟緒方主也の取り込み&姪緒方彩・甥緒方優貴の人質化[38]

妻緒方理恵子とのその両親緒方誉・緒方静美が毎晩のように外出して
明け方に帰ってくるのを不審に思っていた緒方主也は、
緒方理恵子と共に小倉のマンションに向かう。
松永太は緒方主也が緒方純子と血の繋がりがないことや元警察官という経歴から、
緒方純子や緒方誉に対しては「緒方主也は信用できない」と警戒していた。
しかし、松永太は実際に緒方主也に会った際に他の家族とは別格に扱い、
婿養子で立場の弱い緒方主也をことさら持ち上げた。

松永太は酒の席で緒方誉・緒方静美・緒方理恵子から様々な秘密を聞き出し、
それを緒方主也に聞かせた。松永太は緒方理恵子が過去に妊娠中絶をし
結婚後も職場で不倫していたことなど酒の席で聞き出しており、
それを緒方主也に話したところ緒方主也は相当ショックを受けた。

緒方理恵子の妊娠中絶や職場の不倫は松永太が聞き出すまでは
「緒方理恵子と深いことも相談しあう仲だった親友1人」
しか知らないことだった。
さらに松永太は緒方誉が緒方主也の婿養子入りする際の土地名義変更が
未だに不履行であることを挙げて、
緒方主也が緒方誉一家に不信感を募らせるように仕向けた。
松永太からプライドを擽られた緒方主也は松永太を「よき理解者」
として気を許すようになり、
「義母緒方静美は食事のおかずを作り過ぎ・
手伝えとばかりにレタスを広げる」
と緒方誉一家に不満をぶつけた。

さらに松永太は「緒方誉一家は殴られて当然」
と緒方主也をそそのかして義父緒方誉・義母緒方静美・妻緒方理恵子を殴らせたが、
松永太が「強くしないんですか?」と言うと、
緒方主也はさらに3人を強く殴った。
これにより緒方誉・緒方静美・緒方理恵子の3人が緒方主也に憎悪するよう仕向けた。

一方で、緒方理恵子から「緒方主也が自宅寝室にダブルベッドを置いて
部屋のスペースを狭くした」
「早朝に緒方主也からセックスを求められた」とする愚痴が出ると、
松永太は緒方理恵子の立場になって「女性を侮蔑している!」
と緒方主也を責め立てた[注 9]。
これらによって緒方理恵子と緒方主也は夫婦仲が悪化し、
松永太が仲裁して「離婚に関する協議内容合意覚書念書」
を作成した。

緒方主也は松永太から聞かされた妻緒方理恵子の妊娠中絶や不倫の話について
緒方理恵子を小倉のビジネスホテルで問いただして、
緒方理恵子が認めると逆上して首を絞める等の暴行をしたとして、
松永太によって事実確認書が作成された。

さらに義父緒方誉が農協から借入する際、
借用書に連帯保証人として関与した8月に
「いつまで妻の家の奴隷でいるのですか」
と緒方主也にそそのかして緒方主也は住民票と妻と子供2人と共に
自分の実家に移していたが
借用書では元の住所を記載したため
借用書の文書偽造罪として追求。

さらに松永太は緒方主也に虎谷久美雄 殺害現場の浴室タイルを張り替えさせ、
殺人事件の証拠隠滅罪として追求した。
松永太は前述の緒方主也の行為を犯罪行為として度々蒸し返し、
「元警察官たるものがッ!」という枕詞に緒方主也を罵倒して
罪悪感を負わせて心理的に追い詰めた。
これにより緒方主也が緒方誉一家を率いて
松永太に抵抗する事態はありえなくなった。

さらに、緒方主也は「子供たちを残して北九州に来るのは
心配で中々こられない」と松永太に漏らしたのをきっかけに、
松永太は緒方理恵子と緒方主也の子供である娘緒方彩と息子緒方優貴を連れてくるよう説得し、
8月の小倉の夏祭りをきっかけに
緒方彩と緒方優貴は小倉の松永太のマンションに呼び寄せられたが、
それ以降緒方彩と緒方優貴を帰さず人質化した。


緒方純子一家6人を支配下[39] 


緒方純子の問題を名目に緒方誉一家の奇妙な北九州通いは続き、
その過程で緒方純子やAに通電という虐待行為を行っていることを知り、
約束不履行などを名目に緒方誉一家にも通電されるようになる。

8月になると緒方誉・緒方理恵子・緒方主也は勤務先を頻繁に欠勤するようになった。
緒方主也一家4人には住民票登録上の転居が3回あり、
9月中旬に熊本県玉名市のマンションに転居したが、
玉名市での居住実態はなかった。
保育園児である緒方優貴は保育園を8月末で退園し、
小学生の緒方彩は転校先の小学校に殆ど通わなくなり、
緒方主也は9月19日を最後に事務所に出社しなくなった。

緒方誉は緒方純子の問題で重度のストレス障害となって8月中旬に入院するも、
9月下旬には松永太によって強引に退院させられた。
金が足りなくなると緒方誉は農協からお金を借りたり、
緒方静美が消費者金融から金を借りたり、
緒方理恵子や緒方主也を退職させて退職金を作るなどして、
松永太は緒方純子一家に金を貢がせた。

緒方理恵子と緒方主也の退職は有給休暇を使い切った後の
10月31日付の退職届が勤務先のポストに投函され、
緒方理恵子は職場や上司の自宅まで電話して、
退職金早期支払いを求めた。
また、緒方誉の親類は指名手配中の松永太と緒方純子を逮捕するために
緒方誉の家周辺に張り込むようになった。

1997年11月中旬に久留米の家に戻った緒方静美が
警察官に指名手配中の松永太と緒方純子の居場所を聞かれるも、
緒方静美は警察官に居場所を知らないと述べたが、
警察官から離れた直後に携帯電話で
松永太に家に警察が張り込んでいることを知らせている。
緒方誉一家は緒方誉の父名義の土地の売却を画策するも、
緒方誉一家4人の行動を不審に思った親類が
売却できないように資産保全を図る仮登記で対応。

緒方誉は親類に仮登記解除を求めるも拒否された。
緒方誉一家4人は松永太の指示で親類に対して
仮登記解除を求める手紙を送りつけた。
12月19日に緒方誉と緒方静美は土地の名義人である緒方誉の父に会って
仮登記解除について話し合うも、緒方誉の父は拒否した。
緒方誉一家に警察が張り込んでいることと
緒方誉の父が仮登記解除に応じないことを知った松永太は、
緒方誉一家に金を貢がせる術が無くなったとして
最終的に監禁状態にした。

11月下旬に緒方誉は勤務先の職場で同僚に喫煙を理由に外に出て、
緒方静美は歯科医院に虫歯治療の予約をキャンセルしたのを最後に
緒方誉一家の行方はわからなくなった。
地元では緒方誉一家が失踪したと噂が立った。

松永太は緒方誉一家に対して虐待によって自分たちの言うことを聞かせ、
個々の弱みにつけこんで争わせたり、
緒方理恵子が松永太の手先になって密かに盗聴器を仕掛けたことを
明かしたりするなどして、緒方誉一家を相互不信に陥らせた。

マンションの狭い一室、通電を含めた様々な虐待により、
当時同じように松永太の支配下におかれていたAと同様に、
松永太は緒方誉一家への支配を確立していった。
緒方誉一家が松永太に貢いだ金は少なくとも約6300万円に上る。
親族から金を調達できなくなった緒方誉は「もうこうなったら、
松永太にぶら下がって生きていくしかありません」
と宣言するまで思考停止状態になっていた。


一家六人殺害事件


父緒方誉死亡事件[40]
1997年12月21日、
松永太は土地の売却が阻止された責任が緒方純子一家の家長である
緒方誉にあるとして、緒方純子を通じて緒方誉を通電させた。
その結果、緒方誉は死亡した
(第2の殺人。ただし、裁判では傷害致死と認定)。
緒方彩がかつて願い事を聞いてくれなかった緒方誉について
「おじいちゃんなんか死んじゃえ」と言っていたが、
松永太はそのことを持ち出して
「緒方彩が緒方誉の死を望んだから死んだんだ」と主張し、
緒方彩に罪悪感を植えつけた。

死体解体中にクリスマスや松永太の長男誕生日の記念撮影が行われた。


母緒方静美殺害事件[41]


1998年1月20日、度重なる通電によって奇声を発するようになった
緒方純子の母親緒方静美の処遇について、
松永太は緒方純子とその妹緒方理恵子及び緒方理恵子の夫緒方主也に対応策を練らせた。
緒方静美の処遇について緒方純子らが精神病院入院や別の住居に引っ越すなど
殺人以外の方法を提案したが松永太はことごとく却下し、
緒方純子らが殺害を提案すると「一家の決断であること」を強調した。

緒方主也が「緒方静美がよくなるかもしれないので、もう少し様子を見るべき」
と主張したことに対し、
松永太は「今は暴れていないが、殺す段階で暴れるようになったら、
殺害が困難になる」とまくし立てた。
さらに松永太は「どうやって殺すんだ」と緒方純子らに考える余裕を与えさせないまま、
殺害を既定方針として進める。

緒方純子らは部屋にあった電気コードを松永太の許可を得て借りたが、
緒方純子が解体道具購入を優先することを提案した際には松永太は
「買いに行っている間に声が外に漏れたらどうする?」
と殺害を優先するように暗に要求した。

緒方純子と緒方理恵子に体を押えつけさせた上で緒方主也に絞殺させた(第3の殺人)。


妹緒方理恵子殺害事件[42]    


1998年2月10日、別のマンションに移動した後、
松永太の指示の解釈をめぐって娘の緒方彩と口論になった緒方理恵子
(度重なる通電によって耳が遠くなっていた)に対して、
松永太は緒方理恵子のことを「おかしくなった」などと因縁をつけはじめ、
緒方純子に「緒方静美みたいになったらどうするんだ」
と緒方理恵子の死を連想する言葉を口にした。

そして、松永太は緒方純子に対して「今から向こうのマンション
(殺害が行われた場所)に行く。
どういう意味がわかるな?」と緒方理恵子の殺害を示唆した。
松永太は殺害現場のマンションに移動した後で
「俺は今から寝る。今から一家で結論を出しておけ」
「俺が起きるまでに終わっておけ」
と緒方純子らに指示した。

この言葉を松永太からの殺害の命令と受け取っていた
緒方純子と緒方主也と緒方彩は3人の話し合いの中で
「緒方理恵子の殺害を拒否したいが、
松永太の曖昧な提案の詳細を聞こうとすると通電される」
「たとえ、殺害を拒否しても、緒方理恵子はもっと酷い虐待を受けて
辛い思いをした末に殺されるのではないか?」と悩んでいた。
話し合いの結果緒方純子ら3人は松永太に話の中身を聞きに行くことになったが、
松永太の部屋に向かうドアが開かなかった。

緒方純子は「緒方理恵子の処遇について終わっていないと自分たちも酷い目にあうし、
緒方理恵子は生きていても松永太から虐待を受けて辛いだけ」
と緒方主也に切り出すと、緒方主也が「それなら自分がやる[注 10]」
と緒方主也が緒方理恵子の殺害を決意。
緒方主也は娘緒方彩に対して、「お父さんが首を絞めるから、
おまえは足を押さえて最後の別れのあいさつをしなさい」
と問いかける。

緒方理恵子がいる浴室に緒方主也と緒方彩が入り、
緒方主也が緒方理恵子の頸にコードをかけようとした瞬間、
緒方主也を凝視して「緒方主也、私、死ぬと?」と呟く緒方理恵子に、緒方主也が
「緒方理恵子、すまんな」と答え、緒方彩に足を押えつけさせた
上で緒方主也に絞殺させた(第4の殺人)。

緒方理恵子殺害直後、緒方主也はすすり泣いて「とうとう、
自分の嫁さんまで殺してしまった」と呟いた。


義弟緒方主也殺害事件[43]    


緒方主也が松永太による度重なる通電と食事制限で度々嘔吐や下痢をしていた。
一時的に症状がおさまると大分県中津市に松永太の愛人に会うために
車の送迎をすることになる。

松永太が愛人と会っている間、緒方主也は監視役の緒方純子と共にレストランに行き、
間をもたせるために量の多いセットものを注文して食べるように
松永太から指示され、丼と小さいうどんのセットとメンチカツを食べる。
小倉に帰ると浴室に閉じ込めた緒方主也の嘔吐がひどくなったので、
松永太が当初は胃腸薬を飲ませていたが、症状はおさまらず、
上半身を起こすことができなくなり、
吐いてもすぐに吐き気を催し、
吐くものがないのにむせている状態が続く。

1998年4月13日、緒方主也は浴室で松永太から与えられた
眠気防止ドリンクと500ml缶ビールを全部飲みほした
(緒方純子は緒方主也が飲んだ現場を直接目撃していないが、
カラになったビール缶を持ちながら浴室から戻ってきた松永太を見ている)。
ビールを飲ませて1時間後、緒方主也は浴室で衰弱死した(第5の殺人)。

この際に、緒方彩が浴室で父緒方主也の死亡を確認し、
松永太らに対して父緒方主也の死亡報告をしている。
緒方純子は日々悪化する緒方主也について
「死亡2日前には病院に連れていかないと死んでしまうと思ったが、
母緒方静美の時に病院に入院させる提案が松永太に拒否されたので、
緒方主也を病院に連れて行こうと考えなかった」と回想しており、
殺意について未必の故意を認めていた。

また、松永太は「死ぬと思ったから、最後にビールを飲ませてやった」
「(浴室から物音が全く聞こえなくなった状況について)
もう死んでるんやないか」とAに言っており、
松永太も緒方主也が死ぬことを認識していた。

裁判では緒方主也の死因は「高度の飢餓状態に基づく
胃腸管障害による腹膜炎であった」と考えるのが妥当とされた。


甥緒方優貴殺害事件[44]   


緒方主也の死亡によって、大人は松永太と緒方純子の2人だけになり、
他は松永太 の子供2人とAと緒方彩と緒方優貴と子供しか残らなかった。
松永太の子供2人と世話役のAは優遇されたが、
緒方彩と緒方優貴は悲惨な境遇に追い込まれることになる。

緒方主也の死から1ヶ月後、松永太は「緒方優貴は罪になるようなことはしていない」
「子供に情けをかけて殺さなかったばかりに、
逆に大きくなって復讐されたという話もある」
「そうならないためには早めに口封じをしなければならない」
と言い、緒方純子は生きていても虐待させられるだけと考えたため
「そうするしかないですね」と同意した。

1998年5月17日に緒方彩は松永太に対して、
「このことは誰にも言いません。弟緒方優貴にも言わせません」
として自宅への帰宅を願い出たが、
松永太は「死体をバラバラにしているから、警察に捕まっちゃうよね。
緒方優貴が何も喋らなければいいけど、
そうはいかないんじゃないかな」
「俺や緒方彩自身に不利益が生じるが、責任が持てるの?」
と尋問し続ける。
そして、松永太が「緒方優貴は可哀相だから、お母さん(緒方理恵子)のところへ行かせてやる?」
と暗にHを殺すことを命じ、緒方彩は「そうします」と答えた。

緒方純子は「自分ひとりで緒方優貴を絞める」と言ったが、松永太は
「緒方純子と緒方彩二人でやれ」と指示を出し、
今まで緒方誉一家の死亡に一切加担していなかったAにも参加するよう促した。

緒方彩は緒方優貴を台所の床に仰向けに寝かせるように指示し、
緒方優貴に「お母さん(緒方理恵子)のところに連れて行ってあげる」と嘘をついて、
Aが足を押さえた上で緒方彩と緒方純子が二人がかりで緒方優貴を絞殺した(第6の殺人)。

Aの証言では大筋では緒方純子の証言と一致しているが、
Aは「殺害場所が台所ではなく浴室」
「殺害において緒方純子は緒方彩と2人で絞殺したのではなく、
緒方彩が1人で絞殺して緒方純子は手首を押さえていただけ」
と証言している点が緒方純子の証言と異なる。
裁判では緒方純子の証言が採用された。


姪緒方彩殺害事件[45]   


松永太 は緒方彩に通電を繰り返して衰弱させ、
「太っていたら大変だろ?」という理由で緒方彩の食事の量を減らした際に、
緒方純子は「太っていたら解体に困るので、松永太 は緒方彩の殺害を考えている」と考えた。
また緒方彩だけがいない場面で松永太 はAに向かって
「アイツは口を割りそうだから処分しなきゃいけない」
「アイツは死ぬから食べさせなくていい」と緒方彩の殺害に関する発言をした。
緒方純子は緒方優貴殺害事件直後に解体道具を多めに買うよう
松永太 が指示を出したことが緒方彩の死体解体準備と認識した。
1998年6月7日に松永太 は浴室で緒方彩と2人きりで何度も話し合った後で
「緒方彩は死にたいと言っている」として緒方彩が頷き、
緒方純子とAが緒方彩を絞殺した。その際、緒方彩は静かに横たわり、
首を絞め易いように首を持ち上げたという(第7の殺人)。
Aの証言では大筋では緒方純子の証言と一致しているが、
Aは「松永太 が緒方彩に通電し続け、
全く動かなくなった緒方彩に緒方純子と共に首を絞めた」と証言し、
一部が緒方純子の証言と異なる。
裁判では緒方純子の証言が採用された。
上記の事件について、松永太 が緒方純子とその一族に遺体の解体を命じた。

緒方主也夫婦一家は熊本県玉名市内の賃貸アパートの家賃が
1998年3月に振り込まれて以降、
連絡が途絶えたためことに不審に思った管理人が
合鍵で室内に入りランドセルや携帯電話が確認された。

緒方誉一家6人の失踪後、北九州市小倉北区内の駐車場で
緒方誉名義の乗用車が見つかった。
駐車場の管理人から連絡を受けた緒方誉の親族が車を引き取った
(この車は2002年に事件発覚した際には
警察に任意提出された)。


女性詐欺事件   


緒方純子の証言によると、緒方誉一家6人が死亡した直後に松永太 から緒方純子に対し
「おまえと子供たちがいるから俺は迷惑なんだ。
Aと二人なら、俺は虎谷久美雄 に成り済まして、ちゃんと生きていけるんだ」
と言い、緒方純子の子供2人を殺して自殺するという親子3人の心中を
命令されていた[46]。
しかし、緒方純子の子供2人は松永太から緒方純子がいかに悪い母親か聞かされていたため、
緒方純子は親子3人の心中を実行することができなかったという。

そこで、松永太は新しい金主として夫との不仲に悩む専業主婦に焦点を当てる。
松永太は女性に対して悩みを聞きだし、
夫と離婚して自分と一緒になることを求めた。
松永太は女性に対して
「夫の狙いは子供だから子供だけでも私が預かって隠したほうがいい」
と女性の2人の子供(双子)を預かる一方で、
養育費名目で金を要求した。
女性が金を工面できなくなると松永太は紹介した風俗店で女性を働かせて、
女性から約2500万円を貢がせていた。

女性の2人の子供(双子)と松永太と緒方純子の2人の子供の計4人は
緒方純子やAによって育てられることになった。
その際に、松永太の長男は外出先の松永太から電話を通じて
Aに暴力をふるうこともあった。

この事件は被害届が出されていないこともあって、
刑事事件となっていない。


少女逃亡失敗監禁事件   


2002年1月30日に少女Aが松永太 の隙をみて、
北九州に住む祖父母の家へ逃亡[47]。
逃亡に成功したAは半月ほど祖父母と一緒に暮らしをして
アルバイト先を決めたり、
国民健康保険に加入したり、
預金口座を作るなどして生活の基盤を築き始めていた。
しかし、Aは松永太によって虎谷久美雄 が死亡したことについて
罪悪感を持っていたため、虎谷久美雄 の死を祖父母には伏せていた。

Aは松永太の命令でお小遣いの名目で金を調達するために
祖母とはそれまでも何回か会っていた。
その際に松永太の支配下に置かれていたAは祖母との会話中に、
死亡した虎谷久美雄 に関する質問には「出張中で殆ど逢っていない」
としか言わず、現在の住所の質問には
「一々聞くと、もう逢わんよ!」と血相を変えて怒ることで質問を封じていた。

Aは祖母と会話が終わった直後に隠れて
公衆電話や携帯電話で松永太と連絡を取っており、
その様子を目撃していた祖母から不審に思われていた。

Aは生活の基盤を築き始めていたが、
2月14日に松永太の交際相手であるAの伯母(虎谷久美雄 の姉でもある)から
松永太に行方が発覚する。
松永太は「Aが金を盗んだりシンナーなどの非行をしており、
このままだと虎谷久美雄 に叱られる」などの嘘話を展開して
Aの祖父母と伯母を信じ込ませ、Aを強引に連れ戻した。
Aは連れ戻される直前に祖父母に
「おじさんの話は全部嘘。迎えにきて」
と走り書きのメモを渡す。

その後、Aは松永太と緒方純子から首を絞められたり通電されたり、
命令で自分の血で「もう二度と逃げたりしません」
旨の血判状を書かされたり、
5分以内にAの右足の親指の爪をラジオペンチを使って
A自身に剥がさせるなどの虐待を受けた。


発覚   


2002年3月6日、少女A(当時17歳)が虐待から逃れて
祖父の家に助けを求めてきて虐待事件が発覚した[48][49]。

翌3月7日、松永太と緒方純子はAに対する監禁致傷罪で逮捕された[50]。
松永太と緒方純子は、容疑や名前も含めて完全黙秘を続け、
身分証は偽造されたものばかりであったため、
当初は身元が不明であったが、
緒方純子が所持していた高校時の写真集をきっかけに判明した。

当初は松永太と緒方純子の2人によるAへの傷害と監禁事件と思われた[51]。
その後、Aの証言により、松永太 と緒方純子は、Aの父親虎谷久美雄 の知り合いで、
5〜6年前から4人で暮らすようになったが、
暮らし始めて約1年後に虎谷久美雄 が行方不明になり、
その後は3人で暮らしていたことが判明する。

後日、別の場所で、Aが世話をさせられていた
4人の子供が発見された[52]。

2人についてはDNA鑑定で松永太 と緒方純子の子供と判明した[52]。
残り2人は双子で、別の女性の家庭の不和につけ込んで
預かった子供であった。

数日後、Aが「虎谷久美雄 は松永太と緒方純子に殺された」と証言したため、
殺人事件として捜査が開始、事件の解明は大きく動いた[53]。
さらにAは、緒方純子の家族6人が殺害され、
遺体は解体されて海や公衆便所などに捨てられたと証言したため、
大量殺人事件として捜査されるようになった[54]。

警察は、Aの証言を元に「殺害現場と思われる場所の配管」
まで切り出し、DNA鑑定を行ったが、
松永太が配管や浴室のタイルを交換するなどの証拠隠滅工作をしたことや、
7人の遺体がすでに完全に消滅しているために、
物的証拠が何もないという状態であった。

Aは4人(虎谷久美雄 ・緒方誉・緒方彩・緒方優貴)の死亡状況を見ていたが、
他3人(緒方静美・緒方理恵子・緒方主也)の死亡状況は見ていないため
殺害方法も不明であることから、捜査は難航した。
しかし、長い間黙秘をしていた緒方純子が2002年10月23日に自供したことで、
改めて事件の概要が判明した。
脅迫や虐待をされる中で被害者たちが作成させられた
「事実確認書」等の書類、
Aと緒方純子の供述から解体に使われた鋸やミキサー等の
死体処理道具を購入した時期を示す領収書、
Aの証言と緒方純子の供述から虎谷久美雄 殺害事件に使用されて河川に遺棄された
鋸の発見、死体解体時の音や匂いやゴキブリの大量発生を不審に思った
マンション住人の証言など、物的証拠が殆どない中で間接証拠が集められた。

緒方純子は逮捕後の拘置所生活について「食事もできるし、
お風呂にも自由に入れるし、トイレにも自由に行かせてもらえるし、
読書の時間さえある」と語っており、
松永太の支配下の生活の過酷さを物語った[55]。

緒方純子とAに育てられていた4人の内、被害女性の子供2人は親元に戻された。
松永太と緒方純子の子供2人(当時9歳と6歳)は児童福祉施設から小学校に通うようになったが、
当時9歳だった松永太の長男は今までの人生について
「あまり面白いことがなかったから、0歳から人生をやり直したい」
と感想を残している。

2003年7月に空の骨壺に6人の顔写真を入れて
緒方誉一家6人の告別式が行われた[56]。
また緒方主也一家4人の全員の集合写真がなかったため、
緒方主也の実家には合成した緒方主也一家4人の集合写真が飾られている[57]。


手法  


松永太がこの事件で用いた手法は以下の通りである。

弱みにつけこむ

松永太はまず対象者に言葉巧みに近づいて信用させる一方で、
何かしらの弱みを握る。
松永太は対象者に酒を飲ませて言葉巧みに気分をよくさせて
相手側から弱みを吐かせることが多かった。

そして、松永太は相手の弱みに乗じて
対象者に自分に金を持ってくることを要求した。
ただし、松永太は「お金を持ってこい」とはあからさまには脅さずに、
「これはお金を持ってこいと言っているんだな」
と思わせるような遠回しな言い方をして脅していた。
また、松永太は家族を対象とする時は他人に知られたくない
弱みを握った際に家族全員をいきなり脅すことはせず、
家族を二分にさせた上で双方に弱みをちらつかせることで、
家族同士が無理を重ねてかばったり
憎みあうにように仕向けていた。

松永太はこのような対象者を「金主」と呼んでいた。
松永太のターゲットとなった者は「純粋な性格」「警戒心が薄い」
「間が抜けている」「世間体を気にしている」
「実家がそこそこ裕福である」「子供がいる」
といった特徴があるとされている[58]。

電気ショックによる虐待

相手の弱みを握った松永太は弱みをちらつかせて
被害者に対して様々な暴力・虐待を強いた。

特に電気ショックは松永太が相手を支配するのに非常に重要なツールだった。
原点は松永太が経営する会社に在籍していた
工業高校電気科卒の従業員から得た知識を生かして考案したものであった。

当初は軽い痛み程度のお遊びであったが、
それを目撃した松永太 が関心を示し、電気ショックを虐待に使用できるようにしていった。
松永太は電気ショックを「通電」と呼び、
裸にした電気コードの先にクリップをつけ身体に挟んで
瞬間的に電流を流す方法が主に用いられた。

激痛が走り目の前は真っ白になり患部は火傷を起こし
酷い時には水膨れになる。通電する際の部位には
手・腕・足・太股・乳首・口や耳や顎など顔が対象であった。

それだけではなく、サディズムの象徴である性器に対し、
男女関係なく通電した。

女性に対する性器の通電は裸で仰向けに膝を曲げて寝かされた状態で
松永太に通電された。

2人の女性が横に並んで同じように裸で仰向けに膝を曲げて寝かされた格好で
松永太に性器を通電されたこともあった[59]。

男性に対する性器の通電は、下半身裸で直立不動にさせて
だらんと垂らした性器を2人の女性によって通電されたこともあった[60]。

通電を受けた者から「顔面に通電されると、
1秒でもものすごい衝撃で激痛が走り、
意識が遠のいて目の前が真っ暗になり、
このままどうなるかという恐怖感があった(緒方純子)」
「顔面への通電で判断力を失い、何も考えられなくなったことがある。
生きていくのが嫌になり、生きていたいという意欲が削がれた(緒方純子)」
「肉が食い込み、締めつけられ、千切れるような熱感で身体が捩れ、
息ができず歯を喰い縛った(元従業員)」
「脳天に突き上げられる衝撃で目の前が真っ暗になって倒れて気を失った
(元従業員)」「筋肉が引き攣って痛くて火傷をし、
一発で気持ちを圧し折られてしまう(松永太 から通電された男性)」
「乳首に通電されるとちぎれるような痛みがあり、
心臓がバクッとして胸にドンという電気の衝撃があり、
仰向けに倒れたことがあった。

眉毛への通電では、目の前に火花が散って真っ白になりそのまま失神した
(監禁女性)」、性器の通電を受けた者から
「性的な意味で自分という人間を否定されるような屈辱感があり、
石にでもなってしまいたかった(緒方純子)」という証言が残っている[61]。

松永太は通電について、被害者らへの躾が目的の
「秩序型通電」と松永太が腹を立てた時の「激昂型通電」の2種類であったとしている。
通電の前には必ず理由が言い渡され、どんな些細な出来事も理由になった。

緒方純子は「松永太は通電を含めた虐待を酒を飲む際の肴にしていたように感じた」
と証言している[62]。

なお、10歳女児緒方彩や1996〜1997年監禁事件の3歳女児も
通電を含めた虐待の対象となった。

5歳男児緒方優貴は通電こそ免れていたが、食事制限を含めた虐待は受けていた。

文書

松永太は数々の「事実確認書」などの文書を作ったり、
作らせたりした。
これらの中には「弱み」「虐待」を盾に被害者に作らせたものもあった。

主に以下のようなものがあった。

被害者が将来において文書の中身を実行するもの

相手に松永太の利益になる無理難題を実行させることを約束させるもので、
相手に文書の中身について実行させなければならないと
思わせるように仕向けた。

被害者が過去の弱みを告白するもの

署名したことを理由に被害者の弱みを握ったり松永太自身の責任を
逃れるように仕向けた。
文書の中身が真実でなくても真実であるように思い込ませて
逃亡を考えさせない材料にしていた。

松永太が将来において文書の中身を実行させると思い込まれるようなもの

相手に文書の中身について松永太が、
さも将来において実行するかのように思わせた。
また、これら文書の多くに
「和やかな雰囲気の内に作成した」という不自然な一文が記入されていたり、
文書を読み上げてテープで録音するなどしており、
これに基づき松永太は「全員が納得の上で文書を作成した」と主張した[63]。

生活制限ルール

松永太は相手の「弱み」「虐待」「文書」を盾に、「衣服」「移動」「睡眠」
「食事」「排泄」「外出」など様々な生活制限ルールを強いた[64]。

衣服制限衣服は薄着で防寒にならないものが多かった。
例として「真冬に袖を捲ったカッターシャツと裾を捲った長ズボン」
「与えられたジャージとスウェット」がある。
女性に男物の服を着させることもあった。
酷くなると上着が使えなくなり、下着姿だけになった。
女性の場合はさらに酷くなると、
上半身裸で下半身はパンティーのみ両乳首に小さく切った
ガムテープを貼られた姿にさせられた。
また1着しか与えられず、ごくたまにしか洗濯が許されなかった。
移動制限部屋の中を移動するにも、
一部において一方向に背を向けながら移動させたり、
匍匐前進を義務付けた。
睡眠制限布団などまともな寝具は使えず
、週刊誌を敷いて新聞紙を被せるだけになった。
台所で雑魚寝だが、
鼾がうるさいと扉と窓に南京錠がかかった浴室に常時閉じ込められた。
昼間に3〜4時間の睡眠で昼夜逆転の生活であった。
会話制限松永太の許可が無い会話は禁止された。
食事制限食事は1日1回又は2回。
床に敷いた新聞紙や広告紙に「蹲踞」の姿勢を取って
食べなければならなかった。

7 - 15分の時間制限があり、
他の被害者が監視役としてタイマーで測った。
食事の例として「ラーメンの出前」「コンビニ弁当」
「コンビニ白米御飯」「食パン」「菓子パン」「カロリーメイト」
「生卵」で、殆どが簡易な食事だった。

排泄制限トイレに行くときは松永太の許可が必要。
小便は浴室か台所にあるペットボトルにすることが義務付けられた。
大便は1日1回で便器に腰掛け禁止。
便座の腰掛け等は他の被害者が監視役を担当した。
物使用制限基本的に物を使用する際には
松永太の許可がなければ使用することができなかった。
例として「ファンヒーター」「布団乾燥機」「絞殺道具」
「死体解体道具」がある。

外出制限マンションに来ると運転免許証と車のキーが取り上げられた。
玄関ドアのチェーンに南京錠で施錠されて自由な外出が禁止された。
外出時には携帯電話で頻繁に連絡を入れて、
何処で何をしているのか報告しなければならなくなった。
松永太には大体の地理が頭に入っていて、
想定の時間内に所定の場所に到着することを求めた。
またガソリン代や駐車料金は逐一松永太 に報告して代金を貰い、
借用書を書かされる等して必要最低限のお金しか持てなかった。
マンションの部屋にも様々な細工をしていた。
全ての窓に遮光カーテンがあるだけでなく、
玄関ドアのチェーンは殆どドアが開かないくらい短くなっており、
玄関のドアスコープや新聞受けも物で遮るなどして、
外部から室内を覗けないようになっていた。
そしてあらゆる窓やドアに多数の南京錠が取り付けられており、
鍵を開けないと出入りができないようになっていた。

これら生活制限ルールの違反をした被害者は、
松永太によるさらなる虐待を受けた。
これらによって被害者は精神的に追い詰められることになった。
その一方で、松永太は時々外食をさせたり、
マンション内の食事に1品つけることがあり、
被害者たちに幸福を感じさせて一層松永太に服従するように仕向けた。

マインドコントロール

松永太は相手の「弱み」「虐待」「文書」を盾に、「食事」「排泄」
「睡眠」「外出」など様々な生活制限を強き、
自分を頂点とする密室の支配構造を強いて被害者を序列化した。
通電される者は下位の人間であり、
どんなに些細な理由でも松永太の意向で被害者は通電された。

また松永太は、被害者が別の被害者の悪口や不満を述べれば
序列の下位から免れるように仕向け、
松永太は被害者たちの悪口を聞き出したり
松永太がそれらの悪口や不満を当事者である被害者に
吹聴させることによって、被害者たちがお互いを
憎しみ合うように仕向けた。
松永太がいないところで被害者同士が集まっている部屋で
盗聴していることを匂わせ、
松永太がいない場所でも松永太に逆らう言葉を話し合わせないようにした。
また被害者は松永太の指示で
上位の被害者が下位の被害者に対して通電するようになり、
逆らえば序列の下位に落とされて通電されるため逆らえず、
誰かが下位に下がれば他の者は安堵し、
家族を裏切ることも厭わずに松永太の関心を得ようとして
松永太に絶対服従するようになった。

そのため、被害者たちは敵対関係に陥って
個々人が孤立してしまい、一致団結して
松永太に逆らうということが無くなった。

またこれらのマインドコントロールは、
後に被害者が親族である他の被害者を攻撃することに
抵抗感を無くさせ、松永太は自らの手を汚さずに
被害者に殺人や死体解体をさせる素地のひとつとなった。

これら松永太によるヒエラルキー構造は
「"ワンマン的リーダー松永太"と"松永太 の利益を最優先目的とする
松永太の指示を絶対視して絶対服従する複数の奴隷"[65]」
「支配と服従の密室[66]」
「人間を完全に受動的存在たらしめるための
松永太流ドクトリン[67]」「秩序もなにもない密室」
「密室の中での絶対的な権力[68]」と表現された。

殺人・死体解体

松永太は直接実行をしなかったが、
緒方純子らへのマインドコントロールを通じて、
以下のことを実行した。

殺人

松永太は金を巻き上げられなくなって用済みになると、
自分の手を汚さずに支配している人間を誘導して
殺害をさせるよう仕向けた。松永太は全て被害者が
直接着手するよう仕向けた。また松永太は被害者らに
問題処理の決断を迫る際に殺害以外の選択肢を悉く却下して、
最終的に被害者らに殺人を選択させるように仕向けた。

松永太は絞殺をする際には首を絞める役割の人間と
足を押さえる役割の人間を指定することはあったが、
誰かに「○○を殺すしかないと思う」
「死亡したお母さんに会いたい」「死にたい」
と言質を取らせ、自分が殺人を考えたのではないと主張した。

上記の経緯から殺害の実行行為に着手せず
明確に「殺す」という言質を出さなかった松永太 を
殺人罪で裁くことが出来るのかが裁判で注目された。

死体処理遺体は浴室で鋸とミキサーで分解し、
鍋で煮込んで解体処理するようにアイディアを出し、
被害者に選択させ、
死体解体の進捗状況が遅いと虐待で急かすように仕向けた。

解体された遺体を海や公衆便所などに投棄した。
松永太はこの死体処理手法について「私のオリジナル。
魚屋の本を読んで応用し、佃煮を作る要領」
と述べている。

また水道管や浴室のタイルなどを交換して、
証拠を隠滅した。そのため、遺骨や血痕などの
殺害の直接証拠が全く無く、
捜査機関はAおよび緒方純子の証言に依拠せざるを得なかった。

3歳女児まで虐待したり、
元幼稚園教諭に児童を殺害・死体処理をさせたり、
元警察官に殺害・死体処理をさせたり、
10歳女児に家族の殺害・死体処理をさせたり、
残った女児も容赦なく殺すのは前代未聞である。

第一審判決では、この点について「見逃せないのは、
児童が犯行の巻き添えや痛ましい犠牲になっていることである。
これらは犯行の残忍で冷酷な側面を如実に示している」
と指摘している。

また生存者であるAも死体処理に加担し、
また殺害において1人は首を絞めて直接絞殺し、
もう1人は足を押さえて殺害行為に加担し、
計2人の殺害をしたことになっている
(なおAは当時13歳だったため、14歳未満の
刑事責任を問うことを禁じた刑法の規定により
刑事責任には問われない)。


裁判 


一審

裁判で緒方純子は少女の父虎谷久美雄 と自分の父緒方誉の死亡について
傷害致死を主張したが、他の5人の殺害を含めて
全面的に刑事責任を認める。

一方で松永太は死亡事件について当初は全面無罪を主張した。
このように両被告の方針が分かれた場合は
分離公判になることが珍しくないが、
緒方純子が「最後まで松永太という男を見届けたい」
と松永太との併合審理を希望したため撤回された[69]。

松永太は「7人の死について事故や緒方純子の一家が
殺害したものによるもの、緒方純子一家の問題への関与を
避けていた自分に責任はないと主張した。

松永太が主張する各死亡原因は、
虎谷久美雄 「風呂掃除中に転倒して頭を打った」
緒方誉「緒方純子が緒方誉に通電したため」緒方静美「緒方純子が私と男女の仲だった
母緒方静美を憎み緒方純子の家族を巻き込んだため」
緒方理恵子「夫が妻緒方理恵子の男性関係を憎み緒方純子の家族を巻き込んだため」
緒方主也「肝機能障害[70]を抱えていた中で外食の飲み過ぎ・食べ過ぎ」
緒方優貴「緒方純子と緒方彩が殺害したと聞いた。緒方純子が緒方優貴の親を殺したために
緒方優貴からの復讐封じとして」
緒方彩「緒方純子とAが殺害したと聞いた。緒方純子は緒方彩の口を封じた」と主張した。

さらに松永太は「自分には殺す動機が無い」として、
緒方誉「高圧ガスやボイラーの取扱免許で会社設立で稼げるので」
緒方静美「一家支配において自分の右腕として働いていたので・
入院給付金等が入った」
緒方理恵子「クラブで働かせて金を稼げるので・無借金だからサラ金で借りれるので」
緒方優貴「父緒方主也の実家が可愛がっており生かしていれば金を巻き上げることができるので」
緒方彩「京都の舞妓さんとして働かせて金を稼ぐつもりだったので」と主張した。

さらに松永太は「自分は虎谷久美雄 と緒方誉以外の死亡現場には立ち会っていない」
「緒方誉の死亡前に子供たちを旅館に移動させたので、
子供たちは緒方誉の死亡を目撃してない」と主張して、
殺人罪と傷害致死罪の無罪を主張した[71]。

また、「自分は緒方純子と緒方静美と緒方理恵子と肉体関係があったため、
緒方理恵子の夫である緒方主也を含めた各自が嫉妬して三角関係にまきこまれた被害者」
とも主張していた。ただ松永太の主張には「緒方誉の会社設立は借金状態から無理」
「無職の緒方理恵子にサラ金から借金できない」
「緒方誉の死亡を目撃していたAは死亡経緯を詳細に証言できた」
等の矛盾が多く、変遷することも珍しくなかった[72]。

極悪非道な手口で7人の命を奪った凶悪大量殺人事件にも関わらず、
法廷での松永太の発言は煮ても焼いても喰えないような言葉ばかりで、
漫談を聞いているような錯覚に陥り
一気に緊迫感が無くなることが度々あったという[73]。

また、以下の証人の証言が注目された。
父虎谷久美雄 を殺されて自分も虐待されたAはビデオリンク方式で
「私には松永太と緒方純子が悪魔に見えました」「父の敵はきっと私が取ります。
ここまで苦しめられた敵を取る方法は松永太と緒方純子両方ともが死刑になることです」
と語気を強めて発言した[74]。

1996 - 1997年の監禁事件でPTS緒方静美を患って摂食障害に苦しんでいた
被害女性はビデオリンク方式において検察の尋問が
かつての松永太からの通電時の尋問に重ねてしまうストレスのために
医師から血圧と脈拍を測定して薬が投与されながら証言するも
、開廷から20分で身体が言うことをきかなくなって声が出なくなったために
裁判長が打ち切りを決めた直後に
「どうか松永太を極刑にして下さい。望むことはただそれだけです。」
と震える声で訴えた[75]。

子緒方主也・孫緒方彩・孫緒方優貴・嫁緒方理恵子の4人を殺された緒方主也の母は
「(出産時に)お腹を痛めたことがある者として、(出産経験がある)
緒方純子に聞きたい。緒方彩から『何も言いませんから、
お父さんの実家に帰してください』と言われた時に、
どうして同じ年頃の子供を持つ母親として、
子供の願いを感じられなかったのですか?」と緒方純子に訴えた[76]。
法廷証言をする際に緒方主也の母が身に付けていた腕時計は、
緒方主也が警察官になる前にガソリンスタンドのアルバイトによる
初めての給料で母にプレゼントするために買った物であった[77]。

2005年3月2日、検察は論告で
「善悪の箍が外れた発案者松永太 と指示にひたすら従う実行者緒方純子として、
車輪の両輪とも言える関係に成り果てていた」と表現し、
「稀代の連続大量殺人事件で両被告の刑事責任は我が国犯罪史上、
比肩するものがないほど重大である。
金蔓として利用価値がなくなった被害者の口封じに
7人も抹殺するという鬼畜の所業をやってのけた両被告には
極刑を持って臨むのが相当」と、松永太 と緒方純子に死刑を求刑した[78]。

松永太と緒方純子の関係について、佐木隆三は
「鞭を振るう御者松永太 と直走る馬緒方純子」と表現している[79]。

2005年9月28日、福岡地方裁判所小倉支部において第一審判決が下された。
裁判所は、松永太の支配下に置かれてお互いを憎み合っていた
緒方純子とAの証言がほとんど一致し、緒方純子は自分にとって不利なことも
進んで証言していること、一方、無罪を主張する松永太の証言には矛盾が多く
一貫性がないことなどから、
松永太と緒方純子が虎谷久美雄 、緒方誉、緒方静美、緒方理恵子、緒方主也、緒方優貴、緒方彩の計7人を死に至らしめたと認定した。

ただし、緒方純子は主張していた虎谷久美雄 と緒方誉の傷害致死については、
緒方誉については「蘇生させようとした」ことから殺意はみとめられないとして
「傷害致死」としたが、虎谷久美雄 を含めたそれ以外の死亡を「殺人」と認定した。

なお緒方理恵子や緒方主也は殺害に関与しているが、
松永太と緒方純子が事件に緒方理恵子と緒方主也を巻き込んだ経緯から、
判決では「何の落ち度もない被害者」とされている。

裁判所は一連の事件を「甚だしい人命無視の態度には戦慄を覚える」
「残酷、非道で血も涙も感じられない」
「悪質さが突出し、犯罪史上稀に見る凶悪事件」と厳しく非難し、
松永太を「一連の事件の首謀者であり最大の非難に値する」
「真摯な反省や謝罪が無く、犯罪性向は強固で根深く矯正の見通しは
立たない」、緒方純子を「被害者に対して常に高圧的な態度で臨むなど、
主体的で積極的に加担した」として、松永太と緒方純子両方に死刑の判決を下した。


上訴審


松永太は即刻控訴。緒方純子は当初は死刑判決を受け入れるつもりでいたが、
暴力の影響や支配構造等の事件の核心を審理する事を理由に
控訴を決めていた弁護団の説得に同意[80]。

二審で緒方純子の弁護団は緒方純子の心理鑑定、松永太に撮影された緒方純子の裸写真の
法廷提出、法廷における「DV」という言葉の多用、
性暴力被害の専門家の法廷証言、性暴力被害者団体による減刑を求める署名など、
一審にない手法を用いて性暴力を含めたドメスティック・バイオレンスの観点から
事件当時は緒方純子の判断力が著しく低下していたとして減刑を求めた[81]。

2007年9月26日に福岡高等裁判所で判決が下された。
松永太の死刑判決が維持された。
一方で緒方純子については「緒方主也が元警察官でありながら
解体作業や殺害などに加担したことから、
松永太による通電などの虐待が被害者の人格に影響を与えていたことを考慮し、
松永太に暴力支配を受けており従属的だった」と指摘し、
捜査段階での自白や公判での反省の態度も考慮されて無期懲役に減刑された。
松永太はこの判決に激怒し、即座に上告して無罪を主張。
緒方純子については「量刑不当」として検察側が上告した。

2011年12月、最高裁判所は松永太の上告及び緒方純子に対する
検察の上告双方を棄却し、松永太の死刑と緒方純子の無期懲役が確定した。

緒方純子に対しては「死刑の選択も十分考えなければならないが、
異常な虐待を長期間繰り返し加えられ、
指示に従わないことが難しい心理状態の下で松永太に追従して
犯行に加担した点や、捜査段階での自白が真相解明につながった点も、
極刑に処するほかないとは断定しがたい」とした。

また、横田尤孝最高裁判事は緒方純子について「抵抗する力も言葉も持たない
5歳の甥と10歳の姪の殺害を実行した。
諸事情を全て被告に有利に考えても、他に例を見ない凶悪重大性に鑑みれば
極刑で臨むほかない」と死刑寄りの反対意見を出した。

2016年現在、松永太は福岡拘置所に収監されている。


民事訴訟


福岡県警は2002年に虎谷久美雄 殺害事件が発覚した際に
Aは遅くとも中学校に入学した1997年4月以降は、
周囲に相談したり通報したりすることができた」
が1999年4月で申請期限が過ぎたとして
犯罪被害者給付金は支給できないと判断して、
女性や親族に給付金制度の存在を知らせていなかった。

2006年2月に犯罪被害者給付金制度の存在を知ったAは
福岡県公安委員会に対し、
虎谷久美雄 殺害事件について犯罪被害者等給付金支給法に基づき
給付金を申請した。

福岡県公安委員会は、申請時点で虎谷久美雄 が殺害されてから1
0年が経過しているとして、2007年3月に申請を却下し不支給と裁定。
不支給裁定に対し、Aは
「申請に必要な死亡診断書や死体検案書などが存在しないこと、
実質的に監禁されていて申請できなかったこと」などの理由を挙げて、
福岡地方裁判所に支給を求め訴えを起こした。

2010年7月8日に同地裁は、「Aには期限内に申請ができない
特別な事情があったのに、機械的に申請期限を当てはめるのは、
被害者救済を目的とする制度の趣旨や正義の観念に著しく反する」とし、
殺人が認定された刑事訴訟一審判決の2005年9月を
申請期限の起点と認定して福岡県公安委員会の裁定を取り消す判決を言い渡した[82]。
2011年9月に最高裁で不支給取り消しが確定し、
福岡県公安委員会はAに給付金を支給した。


死亡者の行動心理


この事件の死亡者は他者から見て不可解な行動
(「詐欺の指名手配で逃亡している松永太や緒方純子の居場所等を警察に伝えて、
逮捕させることはできなかったのか」
「松永太から酷い虐待されているのに、何故、逃げずに松永太 の言いなりになったのか?」
「松永太から握られた弱みは、松永太から酷い虐待を受けながら殺されるほど
深刻なことだったのか?」
「夫がいる身にも関わらず娘、又は姉の交際相手と肉体関係を持ったのは
何故か?」等)がいくつかあるが、
死亡者の場合は「死人に口なし」として行動心理を本人から聞き出せず
不明なままとなっている。

死亡者の親族であり生存者である緒方純子は『(松永太との出会いをきっかけとする
一連の事件など「松永太との20年間」について)今思うと全てが異常でした。
今の私にはあの時の当時の自分が信じられません。
どうしてあんなことができたのだろうと思います。[83]』

『自首しなかったのは松永太が逮捕されて迷惑をかけ、
Aの世間の冷たい視線に晒されると思っていたため[84]』
『(逃げずに松永太と行動を共にしていたことについて)
逃げる所も行く所もないと考えたが、それ以上深くは考えなかった[85]』

『監禁されていた虎谷久美雄 は娘Aを連れ出す・置き去りに関わらず、
監視や施錠によって逃亡するのは不可能だった[86]』と答えている。

なお緒方純子は、緒方誉と緒方静美が松永太の言うことに従っていた理由として、
『父緒方誉・母緒方静美が松永太の言うことに従わなければ、
親戚に危害が及ぶと思っていたから』と語っている[87]。


事件の教訓


男性主犯・女性従犯として女性親族を殺害したことで類似性がある
長崎・佐賀連続保険金殺人事件に
長崎県警刑事部長として捜査に携わった小賦義一は
北九州監禁殺人事件の教訓として以下のことをあげている。

犯罪者の企図に気づく目を養うこと
性善説を信じないこと
主人の留守宅は特に注意すること
結婚前に相手の素性を確かめること
執拗な暴力には警察に訴えること
身内の犯罪者は早く自首させること
犯罪人格者とは早く別れさせること
不審な出来事は警察に通報すること


事件を題材とした作品


新堂冬樹の小説「殺し合う家族」はこの事件をモデルしている。
映画「僕は人を殺しました」はこの事件をモデルにしている。
闇金ウシジマくんの「洗脳くん」編はこの事件をモデルにしている。
櫛木理宇の小説「寄居虫女(ヤドカリオンナ)」はこの事件をモデルにしている。
誉田哲也の小説「ケモノの城」はこの事件をモデルしている。
真梨幸子の「インタビュー・イン・セル 殺人鬼フジコの真実」
に登場する殺人犯は、この事件を参考に事件を起こす。
稲垣みさおの漫画「狂悪殺人録 〜一家監禁殺害事件〜」
はこの事件を題材としている。


脚注


注釈

1.^ 松永太によると交際女性とその母親と同時に肉体関係を持つことは
日常茶飯事という。
また元妻の証言によると松永太がスナックを経営する母娘双方に入れ込んでいた
事例では、「あなたは母が本気になっている相手だから、私は諦める」
旨が書かれた娘からの手紙を元妻に見せている。
2.^ 豊田本では「服部恭子」、中尾本では「沙織」、
新潮文庫では「美子」と仮名になっている。
3.^ 佐木本と新潮本では実名で、豊田本では「服部清志」、
中尾本では「前島」と仮名になっている。
4.^ 緒方純子の家族の中で唯一緒方純子と血縁関係がない。緒方主也は緒方純子より3歳年上である。
5.^ a b c 松永太が妻と離婚したのは数年後の1992年に相手側の調停によって
行われたものであり、また離婚した松永太が
緒方純子と結婚して緒方純子の家に婿養子入りすることはなかった。
6.^ 夫に対しては次女の養育費名目や実家に再婚費用
7.^ 緒方純子の供述では「今までの迷惑料、緒方純子が家に出てからの諸経費、
緒方純子の行動に関する補償金、緒方純子が緒方静美を小倉のマンションに呼んだ時に
見つからないようにAを浴室に閉じ込めた際の慰謝料など」があった。
8.^ 緒方理恵子がトイレ使用の際は緒方純子が監視役だったが、妹緒方理恵子の死亡前の時期に
緒方理恵子にナプキンを渡したことは一度もなかったという。
9.^ 緒方主也のセックス問題について、緒方純子は法廷で「緒方理恵子は毎晩久留米から
小倉に来ているため、朝になるのは仕方ないと思う」と緒方主也を擁護している。
10.^ 緒方純子はこの言葉を「殺すことに逆らえないのなら、自分の手で殺したほうが
緒方理恵子のため」という悲壮な決意と受け止め、胸が詰まったという。

注釈

1.^ 松永太によると交際女性とその母親と同時に肉体関係を持つことは
日常茶飯事という。
また元妻の証言によると松永太がスナックを経営する母娘双方に入れ込んでいた
事例では、「あなたは母が本気になっている相手だから、私は諦める」
旨が書かれた娘からの手紙を元妻に見せている。
2.^ 豊田本では「服部恭子」、中尾本では「沙織」、
新潮文庫では「美子」と仮名になっている。
3.^ 佐木本と新潮本では実名で、豊田本では「服部清志」、
中尾本では「前島」と仮名になっている。
4.^ Yの家族の中で唯一Yと血縁関係がない。FはYより3歳年上である。
5.^ a b c 松永太が妻と離婚したのは数年後の1992年に相手側の調停によって
行われたものであり、また離婚した松永太が
Yと結婚してYの家に婿養子入りすることはなかった。
6.^ 夫に対しては次女の養育費名目や実家に再婚費用
7.^ Yの供述では「今までの迷惑料、Yが家に出てからの諸経費、
Yの行動に関する補償金、YがDを小倉のマンションに呼んだ時に
見つからないようにAを浴室に閉じ込めた際の慰謝料など」があった。
8.^ Eがトイレ使用の際はYが監視役だったが、妹Eの死亡前の時期に
Eにナプキンを渡したことは一度もなかったという。
9.^ Fのセックス問題について、Yは法廷で「Eは毎晩久留米から
小倉に来ているため、朝になるのは仕方ないと思う」とFを擁護している。
10.^ Yはこの言葉を「殺すことに逆らえないのなら、自分の手で殺したほうが
Eのため」という悲壮な決意と受け止め、胸が詰まったという。

出典

1.^ 中尾幸司『絶望裁判』小学館。
2.^ a b c d 豊田(2009)、p.67
3.^ 豊田(2009)、p.68
4.^ 豊田(2009)、p.82
5.^ 豊田(2009)、p.77
6.^ 豊田本P78
7.^ 佐木本P204
8.^ 豊田(2009)、p.44
9.^ 豊田(2009)、p.46
10.^ 豊田本P84
11.^ 中尾本P41
12.^ 新潮本P117
13.^ 以下豊田本P47〜P65・佐木本103〜P110
14.^ a b c 豊田(2009)、pp.50-51
15.^ 豊田(2009)、pp.52-53
16.^ 豊田(2009)、pp.54-55
17.^ 豊田(2009)、p.56
18.^ 豊田(2009)、pp.57-58
19.^ 豊田(2009)、pp.57-58
20.^ 以下豊田本P59〜P64・佐木本P107〜108・
中尾本P28〜P29・新潮本P135
21.^ 佐木本P146
22.^ 豊田本P190
23.^ 豊田本
24.^ 佐木本
25.^ 新潮本P130
26.^ 新潮本P134
27.^ 以下豊田本P154〜P155・新潮本P121〜P123・
中尾本P29
28.^ 豊田本P72〜P78
29.^ 豊田本P68〜P70 P80〜P82・
佐木本P111〜P112・
新潮本P125
30.^ 以下豊田本P85〜P128・
佐木本P112〜P129・P16〜P20
31.^ 豊田本P83〜P84・
佐木本P113〜P115・新潮本P125
32.^ 佐木本P115・小賦本P146
33.^ 豊田本P130〜P135・佐木本P45〜P67
34.^ 豊田本P135〜P143 P257・佐木本P130〜P138・
新潮P142〜P143・小賦本P98
35.^ 豊田本・佐木本P139〜P141・新潮P143〜P144
36.^ 豊田本P148〜P154・佐木本P132〜P142
37.^ 佐木本P207〜P208・豊田本P196〜P199
38.^ 豊田本P154〜P160・佐木本P142〜P149・
中尾本P33〜34
39.^ 豊田本P161〜P173・佐木本P149〜P154・
新潮本P126〜P129
40.^ 豊田本P176〜P187・佐木本P154〜P155・
中尾本P31
41.^ 豊田本P187〜P195・佐木本P155〜P156・
中尾本P31〜P32
42.^ 豊田本P195〜P210・佐木本P157〜P158・
中尾本P36〜P38
43.^ 豊田本P212〜P222・佐木本P158〜P159・
中尾本P38〜P39
44.^ 豊田本P222〜P231・佐木本P159〜P160・
中尾本P39〜P40
45.^ 豊田本P231〜P244・佐木本P160〜P161・
中尾本P40〜P41
46.^ 以下豊田本P244〜P245・
佐木本P23〜P24
47.^ 中尾本P14〜P28・佐木本P28〜P38・
新潮本P109〜P111
48.^ 中尾本P28〜P34・佐木本P38〜P41・
新潮本P109〜P111
49.^ 豊田(2009)、pp.28-30
50.^ 豊田(2009)、pp.33-34
51.^ 豊田(2009)、p.32
52.^ a b 豊田(2009)、p.36
53.^ 豊田(2009)、p.37
54.^ 豊田(2009)、p.38
55.^ 豊田本P305
56.^ 読売新聞 2004年11月11日
^ 読売新聞 2007年9月26日
58.^ 豊田本P119・小賦本P192
59.^ 豊田本P187
60.^ 豊田本P213
61.^ 豊田本P99・中尾本P35
62.^ 中尾本P35〜P36
63.^ 豊田本P261
64.^ 豊田本P102〜P104 P161
P167〜P168
65.^ 豊田本P119 P168 P171
66.^ 佐木本表表紙
67.^ 中尾本P30
68.^ 「殺人百貨データファイル」(新人物往来社)P280
69.^ 佐木本P213
70.^ 豊田本P275・1997年7月に病院で慢性肝炎と診断されたカルテが
法廷に提出されて証拠採用されている。
71.^ 豊田本P254〜P281
72.^ 豊田本P121・P281
73.^ 豊田本P121・P281
74.^ 豊田本P109 P247
75.^ 佐木本P200〜P201
76.^ 豊田本P305
77.^ 読売新聞 2004年11月18日・読売新聞 2007年9月26日
78.^ 豊田本P284・佐木本P216
79.^ 佐木本P220
80.^ 豊田本P310
81.^ 豊田本P312〜P316
82.^ “父殺され6年監禁された女性、犯罪給付金支給へ”.
読売新聞. (2010年7月8日)[リンク切れ]
83.^ 豊田本P293
84.^ 豊田本P248
85.^ 豊田P248
86.^ 豊田本P110
87.^ 佐木本P193

参考文献
豊田正義 『消された一家—北九州・連続監禁殺人事件—』 新潮文庫、
2009年2月1日。ISBN 978-4-10-136851-1。
佐木隆三『なぜ家族は殺し合ったのか』青春出版社。
小賦義一『北九州連続殺人事件の教訓』文芸社。
中尾幸司『絶望裁判』小学館。
新潮45編集部『殺戮者は二度わらう』新潮文庫。

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北九州監禁連続殺人事件 監禁11日目

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/28(木) 04:57:55.29
ID:YZ+lCbHg
過去スレ
北九州監禁連続殺人事件 監禁10日目
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/archives/1353620122/
北九州監禁連続殺人事件 監禁9日目
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/archives/1338492561/

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/02(土) 19:06:31.11 ID:???
もう少女Aが松永に抱かれたとか
静美や理恵子やらが性奴隷にされたとか
そんな話題はやめや

個人的には、なんで男ども(タカシゲ、主也)が
家族を守ってやれなかったのかが疑問
救われるのが、親の立場にあるものが子供を殺さなかった、
ということだけってのが、ある意味で異常

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/02(土) 20:58:34.61
ID:???
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/22B5AE6CAA67565E492
570FB00083CA3.pdf
地裁判決文


5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/02(土) 20:59:08.10
ID:???
■物件概要
事故物件の住所・所在地 福岡県北九州市小倉北区片野1丁目6-5
発生年月日 1998年2月10日
不動産の種類 マンション
ワケあり物件情報 殺人
重要事項説明書
男女2人が女性(41)の首を電気コードで絞めて殺害
不動産情報・部屋番号 マンション「メイン芳華」303号室
http://www.jikobukken.com/fukuoka_ken/kitakyuushuu_shi_
ogurakita_ku/katano_1_6_5.shtml
北九州監禁バラバラ事件


6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/02(土) 21:16:35.42
ID:???
松永太  昭和36年4月28日生 (現在52歳)
緒方純子 昭和37年2月25日生 (現在51歳)
長男   平成5年1月24日生  (現在20歳)
次男   平成8年3月22日生  (現在16歳)
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/22B5AE6CAA67565E49
2570FB00083CA3.pdf


7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/02(土) 21:28:40.81
ID:???
▼松永ファミリー
松永太  昭和36年4月28日生 (現在52歳)
緒方純子 昭和37年2月25日生 (現在51歳)
長男   平成5年1月24日生  (現在20歳)
次男   平成8年3月22日生  (現在16歳)


8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/03(日) 20:44:06.66
ID:???
松永太 (昭和36年4月28日生まれ)
北九州市小倉北区において畳屋の両親の長男として生まれる。
7歳の頃、父親が布団販売業を引き継ぐために実家、柳川市に転居。
公立小学校に入学した松永は大した勉強もしないのに全学年を通して
ほとんどの科目がオール5で、学級委員長を何度も務め、生徒会の役員に
就いたこともあった。
中学1年生の時には校内弁論大会に出場して3年生を差し置いて優勝。
中学時代を通して男子バレー部のキャプテンを務めたりした。
しかし、こういう華々しい活躍にも関わらず担当教師達の印象は決して
いいものではない。中学3年時の担当は、供述調書で「目立ちたがり屋で
ワンマン、リーダー的存在。周囲に有無を言わせず声が大きく、威圧感を
与えるタイプ。『俺はいつでも松下幸之助と連絡が取れる』とか、すぐに
ホラを吹きました。取り巻き連中を作り悪さも取り巻きにさせていました。
家庭訪問をしようとしても、うちは話すことがないからと断り続けれので
結局行くことができず、両親がどんな人なのかわかりません」

高校は緒方純子と同じ県立三潴高校に進学。
2年の時に生徒会の風紀委員長 に立候補、当選したが、
不純異性交遊が発覚し退学、3年生から他校 (私立筑邦高校)に転校、
しかし筑邦高校でも風紀委員を担当している。


9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/03(日) 20:45:36.04 ID:???
▼公判記録より
マンションの部屋は10畳ほどのリビングと隣接する6畳二間に分かれている。
浴室の窓という窓は黒のビニール袋で厳重に目張りされた。
A氏が死亡した翌日緒方純子と沙織さんの二人で包丁、ノコギリ4、5本、鍋、
消臭剤などの解体作業の道具を買った。解体作業のほとんどの場合、
まず死体の首を切り落とし、体温に近い湯槽の中に身体を浸し血抜きを十分に行った。
次にその身体を切り刻み、肉のブロック片にして臓器類と一緒に大鍋で煮た。
そうして骨と肉を分離した後に骨はさらに細かく切断してクッキーの空き缶へ、
煮汁と肉片はミキサーで攪拌し「焼肉のタレのような」(松永証言)ドロドロの液体にして
ペットボトルに詰め替えられた。
最初に解体されたA氏に限り、作業完了までに一月かかっている。

★第11回公判にて
検事「Aさんの頭部を切り離したことは覚えていますか?」
緒方「はい」
検事「頭部をどこに置いたのですか?」
緒方「ポリバケツに入れて蓋をしておいておきました」
検事「内臓と同じバケツですか?」
緒方「はい」
検事「誰が脳を取り出しましたか?」
緒方「私です。当然、沙織もいましたし、松永もそこに来ていたと思います」

★第12回公判にて
緒方「覚えているのは薄い膜から剥がすような形で脳を取り出しました。頭を
   逆さまにして、お椀のようにして、そこから取り出しました」
緒方「手にした脳はもっと密度が濃いというか、引き締まったものだと思って
   いたのに、触ったときに『えっ、こんなにボロボロなの』と思った」


10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/03(日) 20:46:17.11 ID:???
遺体は包丁やノコギリで切り刻まれ、大鍋で煮込まれたうえ、ミキサーで
ドロドロになるまで攪拌。この煮込み作業の間、台所から終日、レバーを
煮たような匂いが漂った。
犯行現場になったマンションの住人たちは深夜から明け方まで続く物音や
ノコギリをひくような音、そして凄まじい異臭と下水管の詰まり、ゴキブリ
の大量発生などに閉口している。
さすがに堪り兼ねて階下にすむ男性が一度、苦情を伝えたところ、夜中に
その男性の部屋の前に小便をされるという嫌がらせが何度も続いた。
間抜けなことに小便の跡には長さ約26cmの男性の靴跡が残され、松永らの
住む階上の部屋(303号室)まで点々と続いていたという。
「男がおろうも!出て来いっ!!」激怒した男性は303号室のドアを蹴り上げ
怒鳴りつけた。
小便事件、階下男性の抗議行動からほどなくして今度は階段の踊り場などに
誰かが大便をして放置するという事件が起こった。
「明らかに犬のものやない。こりゃ、もう変質者の仕業やけね。もう、いらん
事は言うなと・・・・松永はいつも薄汚れた恰好をして、ジャンパーを着て帽子を
深くかぶってた。怒鳴り込んだときは、トイレの方に隠れて出てこんかったね」
(階下の住人)


11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/03(日) 20:49:33.51 ID:???
・・・小倉北署の留置所で松永と同時期を過ごしたとい中年の男に話を聞いた。
「運動の時間に五人ずつ連なって運動場に行くんだけどね、ちょうど階段の
真ん前に松永の個室があったんだよ。そこを通ると、
松永はいつもニコニコしながら 正座して、大声で一人一人に
『おはようございます』 と挨拶するんだ。帰りも同じように『お疲れさまでした』 
と挨拶する。俺も前科三犯だからいろいろ見てきたけどね、
あんなの初めてだなあ。普通はしょんぼりして、人が通れば顔を隠すもんだ。
最初は感心していたけど、あれが有名な松永だと聞いて、
『あんな悪いことする奴がねえ!』 
とびっくり仰天したよ。 『松永はずいぶん愛想が良いですね』 
と職員に言ったら、
『あの馬鹿野郎、反省の色がまったくない』 と怒っていたよ。
冷やかしのつもりで『松永さん、頑張れよ!』 と声をかけたらね、
嬉しそうな顔して、『はい、ありがとうございます!』
なんて頭を下げるから、思わず吹き出してしまった」
 このような礼儀正しい振る舞いは、
小倉拘置支所に移動してからも一貫しているらしい。

『消された一家』 あとがきより


12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/03(日) 20:50:18.23
ID:???
松永太 法廷迷言集(第76回公判最終弁論より)

「松永は悪いやつだ。あいつが(緒方)純子を支配し、
緒方家の人たちをさせたに  決まってると、
(世間が)かっての『天動説』の信者のようになってしまって
いると思われてなりません」

「印象や直感により『天動説』に与するのではなく、客観的に、
科学的に、合理的に   証拠を分析、検討して事実を発見する努力を、
どうかしていただきたいっ」

「死刑になるのを覚悟して供述しているのだから緒方純子の言うことは
信用できるという『純子神話』が作られた。このはイメージが先行し、
判決も出来上がって いるのではないでしょうか。
が証拠に基づいて判決を行うものであることをはっきり示してほしい」

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/03(日) 20:52:04.08 ID:???
事件相関図
http://kyushu.yomiuri.co.jp/photo/20080617-2935258-1-L.jpg
http://blog-imgs-19.fc2.com/j/a/m/jambalayanews/imgff72
f73145f070.jpg
被害者
・緒方誉さん(61)  緒方純子実父
・緒方静美さん(58) 緒方純子実母
・緒方理恵子さん(33)緒方純子実妹
・緒方主也さん(38) 緒方純子義弟(元警察官)
・緒方彩ちゃん(10) 緒方純子姪(理恵子の子)
・緒方勇貴君(5)  緒方純子甥(理恵子の子)
・Aさん(34)    被害を訴えたA子さんの実父


14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/04(月) 16:20:33.36
ID:???
・死刑囚が独房で膝を抱え死への恐怖に怯えながら毎日改悛の日々を
送っているのは世間の誤解
・実際は自由な生活でわがまま放題、好き勝手に生活している。
・死刑囚一人当たり経費600万の試算あり
・自主契約作業を希望すれば一袋3、4円で紙袋折りで収入
(月に3万稼ぐ人もいる)
・懲役の場合は時給5円〜10円なのでいくら折っても月500円
〜2000円しかならない
・死刑囚は月に書籍12冊購入できる(懲役は6冊)
・死刑囚には月4回ビデオ鑑賞できる(懲役は無し)
・死刑囚は精神の安定を図る必要でありとあらゆる面で
優遇されている
・衛生夫(懲役)の自分から見てもおかしい

(週刊新潮より)


15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/04(月) 16:23:41.65
ID:???
▼福岡地裁小倉支部 判決文(全文)
平成17年9月28日宣告
平成14年(わ)第227号,第302号,第430号,第843号,
第941号(認定罪名は傷害
致死),第1169号,平成15年(わ)第56号,第125号,第201号,
第485号 監禁致傷,詐欺,強盗,殺人被告事件

判決
主文  被告人両名をいずれも死刑に処する。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/22B5AE6CAA67565E492
570FB00083CA3.pdf


16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/04(月) 16:25:16.08
ID:???
平成17年10月5日
福岡地方裁判所小倉支部第2刑事部
          裁判長裁判官  若  宮  利  信
             裁判官   出  口  博  章
             裁判官  佐  藤   卓


17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/06(水) 00:55:23.51 ID:???
▼松永ファミリー
松永太  昭和36年4月28日生 (現在52歳)
緒方純子 昭和37年2月25日生 (現在51歳)
長男   平成5年1月24日生  (現在20歳)
次男   平成8年3月22日生  (現在16歳)

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/09(土) 15:19:18.73 ID:???
1996年1月頃
北九州市小倉北区片野1丁目6-5-303
北九州監禁殺人事件の現場
犯罪史上稀に見る凶悪犯罪とされ、第一審で検察側は「鬼畜の所業」
と容疑者男女を厳しく非難した。


22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/09(土) 15:25:01.15
ID:???
5年前に鶯谷で遊んだデリ嬢が松永の高校の出身で
(勿論、事件のことを知っていた)、
その嬢によれば生徒の進路の殆んどが就職で、
それほど頭のいい高校ではないとのこと。
小学校のオール5ってのも、松永を贔屓にしていたアホな教師
(ヤツの本質を見抜けなかった)
がつけた過大評価だと思う。しかしながら、中学の弁論大会の件、
学級委員やバレー部の 部長を務めた辺り
(自分で強引になったのかもしれんが)
口が上手くて頭も決して悪くはなかったのだろう。


26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/16(木) 21:10:42.03
ID:???
▼松永ファミリー
松永太  昭和36年4月28日生 (現在52歳)
緒方純子 昭和37年2月25日生 (現在51歳)
長男   平成5年1月24日生  (現在20歳)
次男   平成8年3月22日生  (現在16歳)


27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/09(日) 01:48:07.80
ID:???
日本の司法はやっぱり女には甘いわ
緒方に対して一審・二審とも死刑にしたのに、
最高裁がそれを破棄して無期懲役に減刑しやがった
最高裁の判決は今でも納得いかないね。
そもそも無期懲役に減刑する必要なんかねーだろーが!!!
最高裁の裁判官は緒方が何人殺したのかわかってんのか!?
8人だぞ、8人!!
それなのに、緒方に対して死刑判決を破棄しやがって!!
ざけんなよ!!!
どうやら体質的に腐ってるのは最高裁判所も同じのようだな。
やっぱり日本の司法は病んでる。腐敗してるわ
司法がこれだけ女の凶悪犯罪者に甘かったら誰もがまねをするわ。
女の凶悪犯罪者が増えるのもわかるわ

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/13(土) 04:06:38.71 ID:6i6WVaps
1は、
このスレに、時々書き込んでは延命するなよww
さっさと削除依頼出しとけ

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補 遺


《北九州監禁殺人事件・主犯の松永太が死刑確定》
(出典:2014年12月12日/デイリーニュースオンライン/高橋ユキ)

最近では尼崎の連続監禁殺人事件が世を賑わせていましたが、
よくそれと比較される事件で、
北九州連続監禁殺人事件というものがあります。

これは2002年3月6日、
ある少女が北九州市小倉北区のマンションから逃走、
祖父母宅へ逃げ込んだのち、通報したことから発覚します。

警察は翌日、少女を監禁していた疑いで
元布団販売会社経営の松永太(当時40歳)
と元幼稚園教諭の緒方純子(当時40歳)を逮捕。
その後、少女の供述から得られた内容は驚くべきもので、
同じく一緒に監禁されていた少女の父、緒方の両親、妹夫婦、
姪と甥、全員が虐待を受けた末に死亡、
遺体はバラバラにされ
海や公園のトイレなどに遺棄されていたというものでした。

松永と緒方は当初、完全黙秘していましたが、
殺人罪などで起訴されてからは緒方が自供。
2005年3月、福岡地裁小倉支部で開かれた判決公判では
両名に死刑が言い渡されました。

その後、双方、判決が不服だとして控訴。
2007年1月から福岡高裁で控訴審がスタートします。

事件の舞台となった北九州市出身の私は、
控訴審第一回公判の報道を見て、
いてもたってもいられなくなり、たびたび地元に帰り、
これを傍聴しました。

《暴力はエスカレート 家族まで餌食に》
控訴審での一番の注目事は、
それまでの一審で事実を全て認めていた緒方が
「松永の暴力を受けてマインドコントロールされていた」
と無罪を主張し始めたことです。

自分はこの裁判を傍聴するまで、
緒方も松永も2人が主導権を握り、被害者らに、
虐待をしていたのだろうと思い込んでいたのですが、
回を追うごとにつれ、緒方の主張が、
無罪とはいかないまでも、
理解できるようになってきました。

緒方と松永は高校の同級生でしたが、
卒業後の昭和57年に松永が緒方に電話をかけ、
付き合いが始まります。

「体の関係ができた時点で、妙な、私自身、
古い考えを持ってると思いますが、
純血主義っていうか、
そういうことが頭にありました。
松永の話を聞いて、疑うことなく、
すごい人だと思い惹かれていきました」

緒方は小さなかすれた声で
このようなことを述べていました。
しかも当時、松永の「音楽家をやっている」
という失笑ものの嘘を信じきっていたといいます。

しかし稀代の犯罪者・松永はここからが本領発揮で、
緒方への暴力をスタートしたのです。
松永からホテルに呼び出され
「お前は素行が悪い」
など根拠のない因縁をつけられながら
散々暴力をふるわれ、
そのあとセックスをするという日々が続きます。

普通なら速効別れるところですが
「暴力が怖いから松永に会いに行かないのは
逃げる事だと思っていました」
と緒方は松永と別れることはしませんでした。

変なところが生真面目なのです。
松永は緒方のこうした面を見抜いて
声をかけてきたのだとしたら
相当に恐ろしい男です。

当然ですがその生活は徐々に緒方の肉体面、
精神面にダメージを与えてゆき、
自殺未遂まですることに。

「当時は、自分が悪いと思っていました。
今思えば、暴力を受けたこと……
それに睡眠不足……松永から盗聴してるとか、
人を使ってなんでもできるとか言われて、
弱気になりました」

私にはなかなか理解し難いですが、
好きな相手に自分を誤解されたくない、
ちゃんと分かってほしいという気持ちを通す、
それが緒方の性格のようです。

「今もこの法廷で、松永の方から音がすると、
恐怖感があって……落ち着かなくなります」

恐怖は控訴審でも続いているようでした。
暴力は次第に松永特製の装置による
通電行為に替わり、
松永の意に反する事をするたびに通電を受け、
逆らうという気持ちは完全に封じ込まれます。
それは一緒に監禁生活を送っていた緒方一家、
少女とその父も同様でした。

《松永たちが潜伏していたマンション》
緒方の家族は松永から
「緒方は人を殺したので逃亡資金が必要だ」
というビックリな嘘にだまされ、因縁をつけられ、
そして通電を受け、次第に逆らう事を忘れていき、
金をしぼり取られ、
用済みになると殺されていったのです。

ちなみに松永は一連の殺害、
死体損壊行為に手を染めておらず、全てを、
のちの被害者となる生き残りのメンバー、
そして緒方にやらせていました。

緒方は最終陳述で「(被害者の)Yくん、
Aちゃんのことを考えます……ことしYくんは15歳、
Aちゃんは8月で……
それを思うと本当に申し訳なく思っています。
母に会いたい……父に会いたい……!! 
妹に……みんなに会って、謝りたい……
話がしたいです」と号泣。

対する松永は
「自分は殺人に関して責任があるとは思っていません! 
(緒方が主張する)支配という抽象的なものに
惑わされることなく! 
公正な判断をお願いいたします!」
と元気いっぱいにその場をしめました。

法廷で見る松永はグレーのスーツにサラサラの髪の毛、
目鼻立ちははっきりとしていますが、
非常に落ち着きがなく「先生!先生!」
と弁護人に呼びかけながら早足で
法廷に入ってきたりすることが多かったです。

訛りは強く甲高い声で、
ジャパネットたかたのCMを見るたびに、
わたしは松永のことを思い出します。
さほど背は高くありませんでした。

緒方も同じく背は低く、顔はとっても小さめ。
アイドル並みですがその表情は
今までの人生を表しているかのように疲れきっていて
髪の毛にもつやがありません。
黒くて長いベストにロングスカート、
と80年代的な風貌でした。

松永とは対照的に落ち着いた様子が目立ちます。
2人は公判を通してずっと同じような服装でした。

同年9月に言い渡された判決は、松永が控訴棄却、
死刑。緒方が原審破棄、無期懲役。
「自らの意志とは思えない家族の殺害を考えると、
長年、松永の手足として汚れ役をやっていたと評価できる。
真摯な反省が見られ、
その過程で人間性も回復してきている。
緒方の情状は、松永のそれとは格段の差があり、
極刑は躊躇せざるを得ない」との事でした。

福岡高検は緒方に対する判決を不服として上告。
これは棄却され、無期懲役確定。

松永は控訴審判決を不服として上告していましたが、
2011年12月12日にこれも棄却され、
死刑が確定しています。

-------------------------------------------------------------------------------------------


被害者のご冥福を心よりお祈り申し上げます。






フォワードテスト2013.07.08−

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【「SIGNAL−LINE−EA」制作の時間的経緯】
1.プロトタイプ完成。(2013.05.28)
2.利食い&リエントリシステム機能追加(2013.06.07)
3.エントリ及エグジットシグナル継続分追加(2013.07.05)
4.MTF対応(2013.07.20)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
(2013.07.21)(MTF導入後、7.21より5分足-15分足(MTF)でデモトレード)
[共通設定]
【5M】
●T/P−S/L・・5−30
■シグナルラインセッテイング■
PERIOD・・5
METHOD・・3
PRICE・・0
ENTRYMINUTE・・3
EXITMINUTE・・2
■シグナルラインフィルターセッテイング■
タイムフレーム・・15
PERIOD・・5
METHOD・・3
PRICE・・0
SLINEFILTER-ENTRYMINUTE・・1
■ゼロラグ・エントリーセッテイング■
FASTEMA・・4
SLAWEMA・・12
SIGNALEMA・・9
BUYLEVEL・・−0.01
SELLLEVEL・・0.01
-----------------------------------------------
(2013.07.17)
[共通設定]
ZEROLAGパラメータ・・FASTEMA-4・SLOWEMA-20
【30M】
●エントリー/エグジットタイム・・10−10
●T/P−S/L・・3−6
●バイレベル/セルレベルZEROLAG・・マイナス0.11−プラス0.11
【1H】
●エントリー/エグジットタイム・・10−10
●T/P−S/L・・3−6
●バイレベル/セルレベルZEROLAG・・マイナス0.11−プラス0.11
【4H】
●エントリー/エグジットタイム・・30−30
●T/P−S/L・・5−10
●バイレベル/セルレベルZEROLAG・・マイナス0.1−プラス0.1
-----------------------------------------------
(2013.07.12)
■METATRADER4
EA名称・・SLリエントリシステム
通貨ペア・・ドル円
時間軸・・1H
S/L・・50 T/P・・5
SIGNALLINE点灯時間・・30分
フィルター・・0.07(zerolagmacd)
パラメーター注記事項・・8に修正(signallie)

■MT4(CYBERAGENT)
EA名称・・SLリエントリシステム
時間軸・・4H(zeroragmacd)
S/L・・50 T/P・・15
SIGNALLINE点灯時間・・60分
フィルター・・0.07(zerolagmacd)
パラメーター注記事項・・8に修正(signallie)

■FXDD
EA名称・・SLリエントリシステム
時間軸・・30m
S/L・・50 T/P・・5
SIGNALLINE点灯時間・・20分
フィルター・・0.06(zerolagmacd)
パラメーター注記事項・・8に修正(signallie)
-----------------------------------------------


(2013.07.10)
■METATRADER4
EA名称・・SLリエントリシステム
通貨ペア・・ドル円
時間軸・・1H
S/L・・50 T/P・・20
SIGNALLINE点灯時間・・30分
フィルター・・0.07(zerolagmacd)
パラメーター注記事項・・8に修正(signallie)

■MT4(CYBERAGENT)
EA名称・・SLリエントリシステム
時間軸・・4H(zeroragmacd)
S/L・・50 T/P・・20
SIGNALLINE点灯時間・・60分
フィルター・・0.07(zerolagmacd)
パラメーター注記事項・・8に修正(signallie)

■FXDD
EA名称・・SLリエントリシステム
時間軸・・30m
S/L・・50 T/P・・20
SIGNALLINE点灯時間・・20分
フィルター・・0.07(zerolagmacd)
パラメーター注記事項・・8に修正(signallie)
-----------------------------------------------


(2013.07.09)
■METATRADER4
EA名称・・SLリエントリシステム
通貨ペア・・ドル円
時間軸・・1H
S/L・・50 T/P・・0
SIGNALLINE点灯時間・・10分
フィルター・・0.1(zerolagmacd)
パラメーター注記事項・・8に修正(signallie)

■MT4(CYBERAGENT)
EA名称・・SLリエントリシステム
時間軸・・4H(zeroragmacd)
S/L・・50 T/P・・0
SIGNALLINE点灯時間・・20分
フィルター・・0.1(zerolagmacd)
パラメーター注記事項・・8に修正(signallie)

■FXDD
EA名称・・SLリエントリシステム
時間軸・・5m
S/L・・50 T/P・・0
SIGNALLINE点灯時間・・1分
フィルター・・0.1(zerolagmacd)
パラメーター注記事項・・8に修正(signallie)
-----------------------------------------------
(2013.07.08)
■METATRADER4
EA名称・・SLリエントリシステム
通貨ペア・・ドル円
時間軸・・1H
ロスカット・・50銭
フィルター・・0.1(zerolagmacd)
パラメーター注記事項・・8に修正(signallie)

■MT4(CYBERAGENT)
EA名称・・SLリエントリシステム
時間軸・・4H(zeroragmacd)
ロスカット・・50銭
フィルター・・0.1(zerolagmacd)
パラメーター注記事項・・8に修正(signallie)

FX兄貴 外為FXインタヴュー

外為 : わかりました。ではFXを始められたキッカケと過去のキャリアを話して頂いても宜し
いですか?

兄貴 : 20代前半からインポート関係の事業を起こしたとき、ひょんなことから、自分の友人
というか部下が日経225先物を2005年から始めてるのを知って。2006年の終わりぐらいに
「こんな投資商品があるんだよ」みたいな感じで勧められたんだ。それで、2007年ぐらいから、
ちょっとやってみようかなと思って始めたのが、金融商品の投資を始めたキッカケだね。

外為 : 最初はFXではなく、日経225先物から投資の世界に入っていかれたんですね。

兄貴 : そうなんだよ。 それから結局4ヶ月ぐらいで2000万円ぐらいやられちゃって(笑)。元々
勝負事は大好きな性格だったから、何とか取り戻さなきゃいけないなと思ってポジションを建て
るんだけど、なかなか勝てなくて。

じゃぁ勉強しようと思って、パンローリング系から散々本を買い占めたよ。書籍だけで150万円
ぐらい使ったかな。それで結局あらゆる本読んだけど、たまたま最初に買った1500円ぐらいの
本が、いわゆる酒田五法のことを詳しく書いてあったんですよ。

書籍を読んでも、しばらくの間は結局改善できなかったけど、ふとした時にデモ画面で酒田五
法の図面をみながらトレードしたら簡単に勝てたんだよね。そこからは場数踏んだ方が良いと
思って、デモトレードと日経225を含めながらずっと酒田五法のテストを重ねていったんですよ。

FXを始めた、2008年のドル円が114円ぐらいの時とかで、1枚から10枚ぐらいの間でやってい
た。まぁだから、友人の紹介で相場の世界に入ったっていう感じかな。。。

外為 : 最初は1枚〜10枚で始められたんですね。

兄貴 : そうだね。最初は1枚〜10枚で自信がつくまで取引してたね。『FXデイトレード兄貴の随
筆』が始まるまでに前身ブログでテストもして、それで1ヶ月間トータルで20日間中に3回ぐらいし
か負けなくて、やっぱり「酒田五法」は間違いねぇなと。これだったら正直2000万取り返せるんじ
ゃねぇかと。

最初は、酒田五法を元に取引して、元手1000万円からスタート。2008年6月の終わりぐらいから
正式にテスト運転し始め、7月1日から本戦だった。その時は外為どっとコムを使ってたから、ドル
/円で4銭、ポンド/円で9銭のスプレッドで1ヶ月近く戦ったかな。

結果7月は50万円くらい負けちゃって、950万円まで減らしたけど、7月の終わりぐらいから快進撃
が始まったんだ。

ホントに酒田五法がはまって、7月の終わりから8月まで無敗で250万円の利益がでて、そこから自
信もついてきて、元手も1200万円前後ぐらいになったからゆとりも出てきたし、枚数も50枚から10
0枚になり150枚になりっていう強弱つけながら、ホント酒田五法のみで。例えば「下髭が出たら買
い」「上髭が出たら売り」みたいな。

ただそれをひたすら繰り返して8月の20日間は250万円ぐらい勝ったんだ。そこから、更に連勝を4
0ぐらいまで伸ばして、その頃からブログも周りのみんなが見てくれるようになったり、業者っぽい所
から撮影とか取材とかメールでちょろちょろ届き始めたんだよね。

外為 : 去年ですよね?
兄貴 : そう去年。20連勝ぐらいまでは何も変化はなかったんだけど、40連勝ぐらいから業者とか
関係各社から連絡が来て、その時って正直相場しか興味なかったし、相場をやるためにはそういうも
のは必要がないって思ってたから、返信もせず放置して戦いだけに専念してました。

結局問題が起きたのは2008年の10月ですよ。10月1日ぐらいから急速に世の中おかしくなり始めた
んだよね、急激な円高がきて。元々日経225先物を18000円ぐらいの時から始めてて、その当時、榊
原英介が凄い好きで、「日経平均は8000円〜9000円で十分!」って常にあの人も「現在の日経平均
は高すぎる」って、ドル円も「70円〜80円」ってあの時代から予想したんですよ。

でもその当時は「日経平均は20000円行くだろう」ってみんな言ってた時代だったし、誰にも相手にされ
なかった、大ぼら吹いてんだろうって。でも私は密かに信頼してたし、その時からファンダメンタルの勉
強をしたり、サブプライムも興味があったから。

実際トレードをしたことがないから当然値幅なんてものは元々自分の世界にないし、10円下がろうが平
気で取れたっていう。まぁど素人だったからできたのかもしれないけど、元々日経平均が18000円って
のは高すぎると思ってたし要は見えないバブルだったんだよね。

10月に入って、1000万円が2000数百万円になった。「元手の1000万円以外は捨ててもいいや」ってい
うスタイルで取引してたからホントに枚数を転がして転がして、それで結局10月の成績はブログで全部嘘
偽りなく出してるんですけど、正直一日の利益が500万円ぐらい出ないと終わりにできなかったね。

当初3万円とか5万円とか5千円とか勝ったら一日の勝ちに入れてたけど、勝つことに執着を持ってしま
ってからは、100万円や200万円では勝った気がしなかったっていう感じ。

それでまぁ結局2008年10月24日にポンド円が160円から140円まで一瞬で20円近くの下落。その日はた
またま朝9時ぐらいから100枚のポジションを仕掛けてて、安値更新するたびに枚数転がして最終的に50
0枚付近のポジションが6時間以内で3000万円になって、その時相場では絶対あり得ないって思っていた、
頭から尾っぽまで全部とってしまったんですよ(笑)。

その辺からかな、取材やら何やら殺到して。でもその頃って結局相場だけで十分だったし、「戦いだけに
時間を使いたい!寝る時間なんか要らない!」って、FXが好きだから暇があれば座って、チャート見て、
ボタン叩いて一日300枚とか500枚投入なんてザラだったから、証券会社はスゴイ儲かってたと思うよ。

それで、みるみるうちに1億2,3千万円まで増えた。まぁ局面で3000〜4000万円の含み損を背負ったこと
もあるけど。

138円から160円ぐらいまでポンド円で引っ張られて、ホントにロスカット寸前まで行ったけど、奇跡的に
助かって、それから一気に30円ぐらい転げ落ちて、驀進街道の中でも結構辛抱で耐えて耐えて、「絶対ポ
ンドは100円ぐらいいくんじゃねぇか」って予測しかなかったから10円20円上がっても別にその時は恐怖感
なかった。ほっとけば・・・まあそのうち、管理だけしておけば下がるぜっていうような。

年内中に1億円達成した辺から、ブッシュ時代に、あの人の場合は突発的な考えもよくやってたんで70円
とか60円ぐらいとかホントいくんじゃないかって。それで、まぁクリントン時代に財政貿易黒字だったものが
赤字になっちゃった事もあって、本来なら100円なんて二度とつけないんじゃないかっていう感じを受けた
んだよね。たまたまだけど、皆が買いって言ってた時代にファンダメンタルにのめりこんで、ドル円は4000
枚ぐらい売りポジションもって、その辛抱を1ヶ月・・・2ヶ月近く耐えて、耐えてそれで2009年2月9日の局面
になるんだ。

1月は、全ての口座を合わせて1ヶ月で8000万円ぐらい勝っていたね、最後の円高で。やっぱりその時は
浮かれてて、正直3月ぐらいには辞める予定でいたんだよ。10円とって4億円ぐらいの利益だして、その
当時口座に2億円近くあっし、合計6億円あるし沖縄でのんびり遊んでスキャルして暮らせばいいやって。
一日5万円や10万円をスキャルで稼ぐ能力は身についてたんでね。

ただ結局、自分の中で勝負することを選んでしまったんですよ。まぁたまたま、亡くなった中川大臣の居眠
り発言とか、何か策略があって一気に円安に向かっちゃって。あの放送を機会に平均95円だったものが
97円98円になって、4000枚持ってるのでそろそろマージンコールのブザーが鳴るんだろうな〜って。

だから、2009年2月9日の朝、午前11時ちょっと前ぐらいかな、自分の手でポジションを全部損切りしたん
ですよ。それでも、税金とか全て差し引きしても5000万円ぐらいはプラスがでてましたね。

結局このまま戦っても金銭感覚がおかしくなってたし、ただ口座の中の数字が大きかったり小さかったり
増えてくだけ。だから結局は、絶対普通の考えかどうかわかんないけど増えたお金から元手の1000万〜
2000万円を抜いちゃえば、残りの金額はどうでもいいとしか考えてなかった。いつか全部なくなる日がくるか、
10億〜20億円になるかっていう。

たまたま1回目のトライで失敗したし、一度落ち着こうかなと。ただブログにコメントが毎日1000ぐらい入っ
てたし、、このままじゃ終われねーなと思って再度挑戦しようかなと。

そっから1週間ぐらいで1000万円から1500万円ぐらいまでスキャルピングにかえて、ちゃんと稼いでから
沖縄に旅行しようと決めたんですよ。

何でもこうきっちり、節目節目でけじめをつけて、次のステップにっていう。それが俺の生き様かなって
(笑)。

外為 : ブログに載っていましたけど、今年2月に旅行されましたよね?

兄貴 : ああ、あの時は西表島に行ってたんですよ。2008年8月から2009年2月まで月〜金曜までぶっとう
しで取引してて、結局土曜日も朝まで相場が動いているから徹夜で起きてチャート見てボタン押してみたい
な。日曜は休むんですけど、また月曜日の朝から取引スタートみたいな生活を送ってたんですよ。。

で、その時は、賭け事大好きなんで勝負していることが楽しくて、そういう生活がホント幸せだって思ってた
んですよ。睡眠も1日3、4時間ぐらいで起きたらそのままチャートチェックしたり、、、まともな生活ではない
ですよね(笑)。 だからちょっと休もうかな〜と思って西表島に行ってきたんですよ。

人によって考え方は違うと思うんだけど 2009年2月の8000万円近くの損切りは所詮1月にとった利益がなく
なっただけだから俺は何とも思ってないんですけど、事務所に「兄貴大丈夫ですか!?」とか問い合わせが
きて大騒ぎしてましたけど、元々の考え方が違うんですよ。

要は今ある1億円とか2億円の元手を10億円にしようって俺は思ってるから、そういう勝負をすれば1億円負
けても当然で普通なんだよね。ただそれが一般の世界だと理解できないみたいで・・・。

外為 : そうですね。なかなか理解できないでしょうね。

兄貴 : 確かに8000万円あったら東京で一戸建買えますけど、そういうやり取りを結局しちゃってたから一
般の人と感覚にズレがあるんだよね。(以下略)

(取材日時 2009年11月)
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