LET IT BLEED 

日々の記録。

2013年09月

茨城大女子大生殺害事件(2004年)

茨城大女子大生殺害事件(Yourpedia)(茨城県警察)(その他)
2004(平成16)年


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茨城大女子大生殺害事件(いばらきだいじょしだいせいさつがいじけん)とは
平成16年1月に茨城大農学部2年、原田実里さん=当時(21)=
が殺害された未解決事件。
殺害場所はどこなのか。原田さんは深夜になぜ外出したのか。
目の悪い原田さんがコンタクトレンズを自宅に置いたまま出かける不自然さ…。
発生から丸5年が経過しようとしているのに、
これらの謎を解く糸口も見つかっていない。

概要

遺体が見つかったのは、16年1月31日早朝のことである。
原田さんはうつぶせで川に浮かび、衣服を身につけていなかった。
黒いジャージーのズボンだけが、足元に残されていた。
司法解剖の結果、死亡推定時刻は31日午前0時〜2時とみられる。
死因は絞殺と判明するが、
首や胸、肩にも深い刺し傷があった。捜査幹部は言う。

「犯人は首を絞めたあとに首を深く刺した。
確実に殺そうとしたのだろう」

原田さんは遺体発見現場から約6キロ離れたアパートに住んでいた。
その付近には、幹線道路が通り、ロードサイド型の、飲食店や、
ショッピングセンターが並ぶ。
事件発覚前日の、30日午後9時ごろに帰宅した原田さんは、自宅で、
茨城大農学部4年(当時)の男子学生と飲食をした。
男子学生は、酔っ払って、そのまま寝てしまった、という。

原田さんの謎の行動が始まるのは、この後からだ。

31日午前0時ごろ、男子学生は、原田さんが外出する気配を感じる。
原田さんは、すでにパジャマに着替えていたが、
ジャージーとダウンジャケットが、室内から消えていた。
テーブルには、原田さんの筆跡に似た字で、
このような内容の書き置きが残されていた。

《友人に会いにでかける。遅くなる》

友人とは誰のことを指しているのか。いまだに不明だ。
分からないのは、それだけでない。
原田さんは、視力が0・1だったが、めがねもコンタクトレンズも、
室内に残したまま、外出しているのである。
自転車は、自宅から北西約3キロの土浦市内の、電器店近くで、発見された。

このため、原田さんは、自転車に乗ったと思われるが、
夜間に裸眼のまま、ここまで外出したというのは、いかにも不自然なのだ。
さらに、携帯電話も財布も、自宅に置いたままだった。

原田さんは、一体、どこへ、何をしに行こうとしていのか。

「よく笑う子で、周りへの気配りも忘れなかった。茨城から遠いのにもかかわらず、
月に2回は東京でのミーティングに参加してくれた」
原田さんと同学年で当時、日本学生トライアスロン連合総務委員長を務めていた、
渡辺聖(たかし)さんは、振り返る。

原田さんは、山口県防府市出身。14年4月に茨城大学農学部に入学し、
トライアスロン部のマネジャーを、務めていた。
全国大会などを主催する学生連合でも、総務委員として活躍。
大会の登録管理や選手名簿作りなどに携わっていたという。
遺体が発見される前日の、1月30日も、東京都渋谷区の学生連合事務所で開かれた、
ミーティングに参加していた。こうした熱心な仕事ぶりが認められ、
翌年度には、学生副委員長になることが決まっていた。

「なぜあの子が事件に巻き込まれなければならなかったのか…。
有力情報が出ることを祈るのみです」(渡辺さん)

「これまでに、約1万人の関係者から事情を聴いたが、
犯行に関わっている人物はいなかった」

捜査幹部はそう言う。捜査本部では、状況から顔見知りによる犯行とみて、
捜査を進めた。大学関係者やサークル仲間、アルバイト先…。
だが、すべて事件とは無関係だった。
発生当初、原田さんの交友関係をめぐってさまざまな憶測報道がなされた。
だが、捜査幹部はこうした報道に首を横に振る。

「彼女は、本当に真面目な女子大生でした。仕送りと、わずかな額のアルバイト代だけで暮らし、
1カ月の食費などをきちんと考えて、無駄遣いしないように生活していました。
我々が把握できないような、複雑な交友関係は一切ない」

事件発生当初、県警は本部捜査1課を中心に、80人の捜査態勢を敷いていたが、
現在は、捜査本部が置かれる稲敷署の刑事課に引き継がれた。
捜査の主体は、寄せられた情報の潰(つぶ)しが、中心になっている。
「待ち」の捜査の感は否めない。
捜査幹部の指摘通りであるならば、犯人は潰したはずの1万人の中にいる、
可能性もある。捜査はどこかで滑っていなかったのか。

遠く、茨城の地で娘を殺害された原田さんの両親の思いは察するに余りある。
今年2月には、両親は山口県から現場近くを訪れ、情報を呼びかけるチラシを配るとともに、
報道陣に心情をつづったコメントを寄せた。コメントにはこう書かれていた。

「当時のことが脳裏に焼きついており、事件や故人のことを、思わない日はありません。
時に、言いようのない気持ちにかられ、思考することができず、頭の中が渦巻き、
呆然としていることがあります。本当に辛いことです」
(Yourpedia)


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茨城大生殺害 凶器は数種類か 遺体、男複数のDNA

茨城新聞  (2011年1月29日(土)

美浦村舟子の清明川河口で2004年1月、茨城大学農学部2年、
原田実里さん=当時(21)=が他殺体で見つかった殺人・死体遺棄事件で、
原田さんの遺体は複数の凶器で傷つけられたとみられることが、28日、
捜査関係者への取材で分かった。

遺体から、複数の男のDNAが検出されていたことも判明。
稲敷署捜査本部は遺体の状況などから複数の人物による犯行の疑いが強いとみて、
犯人の割り出しを続けている。

捜査関係者によると、遺体には首と左胸、左肩の3カ所に傷があった。
司法解剖の結果、胸と肩は、先のとがった鋭利な刃物による刺し傷だった。
首の傷は骨に達するほど深かった。3カ所とも、殺害後に、傷つけられていた。

犯人は殺害後、鋭利な刃物で刺したり切ったりして、
執拗(しつよう)に遺体を傷つけたとみられる。
捜査員の1人は、「(犯人は)被害者に抵抗されて殺害した可能性が高い。
犯人と被害者は面識がなかったのでは」
と話す。

原田さんは、04年1月30日午後9時ごろ、阿見町阿見の自宅アパートに帰宅し、
友人と飲食。
同31日午前0時ごろ、友人がうたた寝をしている間に、1人で、
友人の靴を履いて外出したとみられる。

部屋のテーブルには「出かけます」という趣旨の走り書きがあり、
原田さんの自筆の可能性が高い。しかし、原田さんが、普段身に着けている、
コンタクトレンズや眼鏡、携帯電話は、部屋に残ったままだった。

捜査本部によると、遺体発見の翌朝、原田さんの自転車が、
自宅アパートから約2・5キロ離れた
土浦市小岩田西の空き地で鍵が付いたまま、スタンドを立てた状態で、
止められているのが見つかり、
自転車の盗難届は、出されていなかった。
原田さんは視力が低く、夜間、裸眼で自転車に乗るのは、困難とみられる。

捜査本部が、携帯電話の発着信記録を調べたところ、
不審な通話は確認されていない。
携帯電話やパソコンのメールの履歴からも、トラブルとみられる内容はなかった。

原田さんの遺体は、同31日午前9時ごろ、美浦村舟子の清明川河口で、
全裸で発見された。
死因は、首を絞められたことによる窒息死。
31日午前0〜3時ごろの間に、殺害されたとみられる。
(茨城新聞)



茨城新聞  (2013年)


美浦村舟子の清明川河口で、2004年1月、茨城大学農学部2年、
原田実里さん=当時(21)=が他殺体で見つかった殺人・死体遺棄事件は、
31日で、事件発覚から、丸9年が経過する。
捜査関係者によると、原田さんの自転車が見つかった土浦市内の空き地付近で、
新たに、男2人の目撃情報があり、稲敷署捜査本部は、原田さんの事件について、
何らかの事情を知っている可能性が高いとみて、2人の割り出しを急いでいる。

捜査関係者によると、目撃情報は、作業用ズボン・ニッカーボッカー姿の男2人が、
空き地近くの県道に止めたワゴン車内から、原田さんの物とみられる自転車を、
降ろしていたという。

原田さんの自転車は、遺体発見翌日の04年2月1日朝、阿見町阿見の自宅アパートから、
約2・5キロ離れた同市小岩田西の空き地で、鍵が付いたまま、
スタンドを立てた状態で見つかった。空き地は遺体発見現場とは反対方向だった。

捜査本部によると、原田さんの遺体は同1月31日午前9時ごろ、清明川河口で見つかった。
衣服は着けていなかった。
死因は首を絞められたことによる窒息死で、首と左胸、左肩に鋭利な刃物で、
執拗(しつよう)に傷つけられた痕があった。

同本部は丸9年となる31日午前、JR常磐線ひたち野うしく駅と、
阿見町内のスーパーで、情報提供を呼び掛ける。
容疑者逮捕や事件解決につながる有力情報の提供者には、原田さんの遺族らから、
謝礼金200万円が支払われる。

情報提供は捜査本部フリーダイヤル(0120)110705。(茨城新聞)


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13年前の茨城大女子学生殺害事件で男逮捕 茨城県警
テレビ朝日 (9/2(土) 16:00)

13年前、茨城大学の2年の女子学生が殺害された事件で、
警察は殺人などの疑いで男を逮捕しました。
この事件は13年前、茨城県霞ケ浦に流れ込む川の河口付近で、山口県出身で当時、
21歳の茨城大学農学部2年の原田実里さんの遺体が見つかったものです。
遺体の首や肩など3カ所に刃物で切られたような跡があり、警察は殺人事件と断定して
捜査していました。警察は原田さんを殺害した疑いが強まったとして、
男を殺人などの疑いで逮捕しました。

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13年前の茨城大生殺人事件、比国籍の男を逮捕
朝日新聞デジタル(9/2(土) 16:24)


茨城大学農学部2年だった原田実里(みさと)さん(当時21)が2004年に殺害された事件で、
茨城県警は2日、岐阜県瑞穂市のフィリピン国籍、工員ランパノ・ジェリコ・モリ容疑者(35)を
強姦(ごうかん)致死と殺人の疑いで逮捕し、発表した。
「捜査に支障がある」との理由で、認否は明らかにしていない。
モリ容疑者と共謀したとして、事件当時に少年だったフィリピン国籍の男2人の逮捕状も
請求しており、国際手配する方針。

県警によると、3容疑者は04年1月31日、殺意をもって原田さんに暴行を加えたうえ、
首を圧迫して窒息死させた疑いがあるという。
容疑者と原田さんに面識があったかは「不明」としている。

山口県防府市出身で、茨城県阿見町で一人暮らしをしていた原田さんは、
隣接する同県美浦村舟子の清明川で遺体として見つかった。
遺体には複数の刺し傷があり、複数の男のDNA型も検出されていた。

これまでの調べによると、原田さんは04年1月30日夜に自宅で友人と2人で食事をした後、
「友達に会いに行く」という内容のメモを残し、友人が寝ている間に外出。
その後に事件に巻き込まれたとみられる。
また、原田さんの自転車は自宅から約2・5キロ離れた同県土浦市の空き地で発見されている。
モリ容疑者は当時、同市に住んでおり、県警は原田さんとの接点を調べている。

原田さんの父親の三男さんは容疑者逮捕を受けて
「突然の事で私たち家族は心の整理がつかず未(いま)だ深い悲しみの中におります」
というコメントを発表した。


茨城大女子学生殺害事件 面識なく殺害か
テレビ朝日(9/3(日) 6:20)


13年前に茨城大学の女子学生が殺害された事件で、2日に逮捕されたフィリピン人の男と
女子学生の間に面識はなかったとみられることが分かりました。

2004年1月、茨城大学農学部2年で当時21歳の原田実里さんが遺体で見つかった事件で、
警察は2日、原田さんを殺害したなどの疑いでフィリピン国籍の
ランパノ・ジェリコ・モリ容疑者(35)を逮捕しました。
容疑者と同じアパートの住民:「(モリ容疑者は)車が故障したら修理を手伝ったり結構、
地域の手伝いもするし、学校行事もちゃんと参加している。
子どもの世話をよくする良いお父さんだと思った」

警察はすでに出国している当時少年だったフィリピン人の男2人も事件に関わったとして
逮捕状を取っていて、国際指名手配する方針です。警察によりますと、
容疑者ら3人は原田さんと面識がなかっとみられています。
現場の遺留物から検出された複数のDNA型のうちの一つが
モリ容疑者のものと一致していて、モリ容疑者は容疑を大筋で認めているということです。



茨城大女子学生殺害容疑、フィリピン人の男を逮捕
TBS(9/2(土) 19:05)


13年前の殺人事件が急展開しました。2004年1月、茨城県の川の河口で
首を絞められて殺害された女子大学生の遺体が見つかった事件で、
警察はフィリピン国籍で35歳の男を殺人などの疑いで逮捕しました。
捜査本部が置かれている茨城県・稲敷警察署前から報告です。

捜査本部は午後6時から緊急の会見を行いました。
13年前に大きく報じられた殺人事件での急展開とあって、多くの報道陣が詰めかけました。

警察はその会見の中で、事件はいずれもフィリピン国籍の3人の男による犯行と断定し、
そのうち1人を逮捕したと発表しました。殺人などの疑いで逮捕されたのは、
フィリピン国籍で岐阜県・瑞穂市に住む工員、ランパノ・ジェリコ・モリ容疑者(35)です。
ランパノ容疑者は、2004年1月、茨城県美浦村やその周辺で、
茨城大学農学部2年の原田実里さんの首を絞めて殺害したなどの疑いが持たれています。

警察は、共犯者とみられる当時19歳と18歳だったフィリピン国籍の男2人についても
逮捕状をとりました。2人は2007年に日本を出国したことがわかっていて、
今後、国際手配する方針です。

警察によりますと事件当時、ランパノ容疑者は、原田さんが住んでいた
茨城県阿見町に隣接する土浦市内に住み、工員として働いていていたということです。

「(ランパノ容疑者は)7年前に引っ越してきた。どこからやって来たかは知らないけど、
フルーツ工場やめてきたみたいなこと言ってて」(ランパノ容疑者の自宅の近所に住む人)

ランパノ容疑者が原田さんと面識があったかどうかはわかっておらず、
警察は認否について明らかにしていません。

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遺体付着のDNA型、容疑者と一致 茨城大生殺害事件
朝日新聞デジタル(9/3(日) 20:42)


茨城県美浦村で2004年、茨城大の女子学生(当時21)が他殺体で見つかった事件で、
遺体に付着した微物のDNA型が、殺人と強姦(ごうかん)致死の疑いで逮捕された
フィリピン国籍の工員ランパノ・ジェリコ・モリ容疑者(35)のものと一致していたことが3日、
捜査関係者への取材で分かった。
ランパノ容疑者は事件への関与を認める供述をしているといい、
茨城県警は女子学生と面識があったかどうかなどについて調べている。

県警は同日、ランパノ容疑者を殺人と強姦致死容疑で水戸地検に送検した。

捜査関係者によると、女子学生の遺体に付着していた微物からは、
複数の男のDNA型が採取された。県警が鑑定した結果、
このうちの一つがランパノ容疑者のDNA型と一致したという。
残るDNA型も、県警がランパノ容疑者と共謀したとみている2人のフィリピン国籍の男と
一致しているという。
2人は既に出国しており、県警は近く国際手配する。

2日の容疑者逮捕は、事件の発生から13年後だった。
県警は殺人罪などの公訴時効が10年に撤廃されたことを受けて、
未解決事件に専従する捜査班を翌年に設置した。
新たな情報提供を呼びかけるなどした結果、
2年ほど前に容疑者特定につながる情報が寄せられ、
ランパノ容疑者が捜査線上に浮上。捜査を続けた結果、
ランパノ容疑者が友人らに対し、事件への関与をほのめかしていたことが
判明したという。



女子大学生殺害事件 遺棄現場と別の場所で殺害か
テレビ朝日(9/3(日) 11:53)


13年前に茨城大学の女子学生が殺害された事件で、遺体の見つかった現場には
争った跡がないことなどから、女子学生は別の場所で殺害され、
遺棄されたとみられることが分かりました。

2004年1月、茨城大学農学部2年で当時21歳の原田実里さんを殺害したなどの疑いで、
2日に逮捕されたフィリピン国籍のランパノ・ジェリコ・モリ容疑者(35)が3日朝、
水戸地検に身柄を送られました。

ランパノ容疑者の元同僚:「びっくりした。ご飯、食べられなかった。
きのう聞いて(家が)近くだから怖くて。見た目はおとなしくて優しそうな人」

その後の捜査関係者への取材で、原田さんの遺体が見つかった現場に
争った跡がないことや血痕が大量になかったことが新たに分かりました。
警察は原田さんが別の場所で殺害され、遺棄されたとみて捜査しています。


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被害に遭われた女性のご冥福を心よりお祈り申し上げます。




室蘭女子高生失踪事件(2001年)

室蘭女子高生失踪事件
(wikipediaほか)
2001年(平成13年) 

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室蘭女子高生失踪事件(むろらんじょしこうせいしっそうじけん)は、

2001年3月6日、北海道室蘭市で高校一年生(当時16歳)

の女子生徒が失踪した事件。

2013年9月現在、未解決のままである。


失踪当日の女子高生の行動


正午過ぎ、「コーヒーの入れ方を習いに、アルバイト先のパン店(知利別町)に行く」

と言い、自宅(白鳥台)を出る。

午後1時4分および午後1時26分、室蘭サティ(現・イオン室蘭、東町2丁目)

の店内を歩く姿が防犯カメラに映っている。

午後1時30分頃、室蘭サティ前を歩いているところを同級生二人が目撃。

午後1時31分、「東町2丁目」バス停から道南バス・「中央町・工大循環線(外回り)」

に乗ったとみられる。

午後1時40分、アルバイト先のパン店付近にある「東通り」バス停(知利別町1丁目)

で降りたとみられる。

午後1時42分頃、PHSに連絡してきた友人に対して

「今、下(『東通り』付近一帯の意味)に着いた」と話した。

午後1時46分頃、同じ友人が再度電話をかけた。

「今は話せないから後でね」と答え、すぐ電話を切る。

この交信は、アルバイト先のパン店付近で行われていたことが判明している。

何が原因で「今は話せない状況」になったかは不明。

その後の足取りは分かっていない。


その他


行方不明直後、女子高生が訪れる予定があったパン屋のオーナーが、

何らかの事情を知るものとして、注目を集めた。

オーナーは、「約束した午後1時に店に現れず、午後1時30分まで待ったが、

現れないので自宅に帰った」と証言した。

しかし、マスコミはオーナーの発言を疑問視し、このオーナーが、

女子高生の失踪に関与したという疑惑の構図を描き、オーナーの、

行動・素行を調査・報道する社が出てきた。

報道では、オーナーは、その日にガソリンスタンドで給油しており、

車の燃料の減りぐあいから、家との往復しかしていないことが警察から発表され、

オーナー宅の近所の人が、自宅に駐車されている車などの目撃証言などが出て、

疑惑が薄らいだ形で終息された。

その後、パン屋は、報道被害のせいか、閉店になり、又、

オーナー自身、自己破産となってしまった。

尚、この事件により、重要参考人扱いを受けたオーナーだが、

現在、別の場所にて、飲食店を経営している。

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室蘭女子高校生失踪事件(札幌探偵事務所)


この事件記事は、以前私が、道内の出版社から、

「北海道の未解決事件」

についての寄稿依頼を受けたときに、

取材、執筆したものである。

出版前にこの雑誌の発刊は中止となり、

結局日の目を見ることがなかった記事である。

この事件については、

道内のテレビ番組で道内の未解決事件を特集したときにも、

コメントしたことがあり、

未だに、私の中では進行中の事件である。

我々探偵は、依頼がなければ調査はしない。

出版社からの依頼であれば、話は別であるが、

その出版社も今はない。

私に、ルポライターの肩書きはない。

そんなもの名乗ればそれで良しの世界であるが、

私は、探偵であり、ルポライターではない。

それは、気持ちの問題である。

警察の捜査関係者が、

「道警が触られたくない事件」

と口をそろえて言うこの事件を、道民は忘れてはならない。

その気持ちをこめて、掲載する。



〜以下取材記事〜


白昼、室蘭市の繁華街で、

一人の女子高生が、その消息を絶った。

我々、北海道に暮らす人間が、

絶対に忘れてはならないこの事件・・・

「失踪」、という責任のない言葉で、

片を付けてはならないこの事件を、

一人の探偵として再検証する。

平成13年3月6日火曜日。天候は晴れ。

室蘭は、雪の少ない地域である。

一部、日陰の歩道に雪が残るものの、路面は乾き、

道路脇には、膝ほどの、黒くなった雪山が残っていた。

誰もが本格的に、春を感じ始めるこの季節。

その日は、公立高校の入学試験1日目。

千田麻未来さん(当時16歳)が通う、

北海道立室蘭栄高校も、

その日は、入学試験のため、休校だった。

市内一番の偏差値を誇る、進学校であったが、

麻未さんの成績は、学年でも、常にトップクラス。

しかし、彼女はそれを、鼻にかけることもなく、

優しく明るい性格で、

誰からも好かれていたという。

そして、この事件に、色眼鏡をかけさせることになったのは、

麻未さんの容姿であった。

校外にも、ファンクラブができるほどであったが、

本人はかなり困惑していたという。

その容姿と、携帯電話を利用した「援助交際」が、

社会問題化され始めた時期が重なり、

短絡的に、援助交際による被害等という噂が流布したが、

これには、親族の方も、心を痛めたことと思う。

現に、今回の取材で、警察関係者ですら、未だに、

この援助交際説を語るものが存在することに、

驚きを覚えた。

もちろん、直接、捜査に従事した捜査員ではなかったが。

噂といっても、確認を取るのが、警察の捜査である。

それも、この事件に関しては、第一容疑者の追求と並行して、

麻未さんの交友関係の洗い出しには、

相当の力を注ぎ込んだという。

そして、当時の捜査関係者は、私の取材に対して、

「援助交際はない」と、断言した。

それでは、この事件の概要を、

千田麻未さんの事件当日の足取りを中心に、説明する。

千田麻美さんの自宅は、室蘭市の北西部に位置する、

白鳥台と呼ばれる、閑静な住宅地の集合住宅。

麻未さんは、家族と同居していた。

家族は、ご両親と弟の、4人家族。

麻未さんは、放課後、

自宅近くの大型スーパー内で営業するパン屋で、

アルバイトをしていた。

スーパー内のパン屋は、支店であり、

本店は、

室蘭市の中心繁華街に近い、知利別町にあった。

平成13年3月6日の足取り

正午過ぎ、自宅からパン屋の本店に電話し、

「午後一時過ぎにいく」と、本店の従業員に告げている。

家族に、「コーヒーの入れ方を習いに、

アルバイト先のパン屋に行く」と言って、自宅を出る。

パン屋経営者O氏の供述では、

麻未さんは3月から、自宅近くの支店ではなく、

学校帰りに通うことができる、

本店での勤務を希望したため、それに伴う講習であり、

「その日、午後1時に本店で待ち合わせた」

と供述している。

12:25   

自宅近くのコンビニに立ち寄った後、

道南バス停留所「白鳥台中央」から、

12時:25分発

「東町ターミナル」行きのバスに乗車する。

この乗車に際しては、友人の目撃情報があり、

麻未さんは、その友人に、バスの後部座席から、

この友人に手を振っている。

12:53   

同バスが、「東通」停留所に到着。

パン屋本店に向かうのであれば、

ここで下車することになるが、

麻未さんは、ここでは下車していない。

13:00  

「東通」から3つ先の停留所である「東町2丁目」

で麻未さんが下車する。

この時、同級生の男子生徒2名の目撃情報あり。

この2名と道路越しに挨拶をしている。

同バス停近くの、ポスフール店、

化粧品売り場の防犯カメラで、

13:04、13:26麻未さんが、確認されている。

これが、麻未さんの姿が確認された、

最後の情報になる。

13:42   

当時交際中であったA君が

麻未さんのPHSに電話をかける。

麻未さんは、A君に

「今、下に着いたよ」と告げている。

「下」とは、地元の人が繁華街周辺を呼ぶときに

よく遣う言葉である。

PHSの交信記録による、アンテナの中継場所は、

道南バス「東通」停留所付近になっている。

13:46   

再び、A君が麻未さんのPHSに電話をかける。

この時、麻未さんは、「今話せないから、

後でかけ直すね」と告げている。

この通話時のアンテナの中継場所も、

「東通」停留所付近である。

以後、PHSの使用記録もなく、

その姿の目撃情報もないまま、今日を迎えている

このPHSは、この日の夕刻から、

電源が切れた状態になっている。

ポスフールでの防犯カメラによる確認と、

PHS中継アンテナの確認から、麻未さんは、

「東町2丁目」の停留場から、再びバスに乗り、

「東通」で下車したと推測されている。

推測の対象とされる、道南バスからは、

12人が下車しており、

その中の一人が麻未さんではないかとされ、

捜査員が、目撃情報の収集に当たったが、

目撃者はいなかった。

このA君とは、麻未さんが、

アルバイト先でコーヒーの入れ方を学んだ後、

会う約束になっていた。

次に、以上の時系列を踏まえ、

この事件について検証してみる。

まず、麻未さんと交際中であった、

A君の供述である。

A君は、1度目の通話と2度目の通話では、

会話の背後から聞こえる、

「背景音」が、

明らかに違っていたと供述している。

つまり、一度目のPHSの会話では、

麻未さんが、

外で話しているような雑音が聞こえたが、

2度目の会話では、背景音がなかった、

つまり、

「部屋の中からの電話のように聞こえた」、

と供述しているのである。

皆さんも経験があると思うが、

電話の相手が外にいる場合と、

部屋の中にいる場合とでは、

明らかに、背景音が違う。

しかし、閑静な場所に駐車している車両内であれば、

室内との区別はつきにくい。

麻未さんが、A君と通話したとされる付近では、

表通りは、この時間帯、車の交通量が多く、

周囲の雑音の、大きな場所であったが、

パン屋本店裏の、駐車場付近であれば、

ほぼ、雑音は聞こえない。

これは、現地の調査で実施済みである。

ということは、この4分間で、麻未さんは、

屋外から屋内、又は、閑静な場所に駐車した車内に、

場所を移動した可能性が高いということである。

警察は、もちろん、この4分間の足取りを、

追うことになるが、

麻未さんの目的地である、パン屋の本店は、

「東通」停留場から徒歩で約1分、

距離にして、約160メートルの場所に、

位置している。

つまり、バスから下車した麻未さんは、

A君との電話の後、そのまま、

このパン屋に入ったと考えるのが、自然である。

警察が、確認したPHSの中継アンテナは、

現在は全て撤去されているが、

カバーエリアは、1本のアンテナで、

同心円内数十メートルから、2〜3キロメートル。

室蘭のような、地方都市の繁華街であれば、

同心円内100メートル程であると、

NTTドコモの担当者は、説明する。

つまり、道南バス「東通」停留所と、

パン屋本店は、中継アンテナが、

同じであると見てよい。

それでは、このパン屋のオーナー、O氏は、

この件について、いかなる供述をしているのか。

事件当初から、

第一容疑者として警察に事情聴取を受け、

マスコミに騒がれたO氏は、

報道関係者に対して、

次のような内容の文書を、配布している。

◎3月6日の午前11時過ぎに

千田麻美さんから店に連絡があった

◎午後1時に店に来るという内容で、

従業員が電話を受け、私に伝えた

◎私は昼過ぎに来ると思い

午後1時30分まで店で待ったが、

来ないので外出した

◎午後3時には自宅に帰っていた

O氏の主張と、麻未さんの行動を考えると、

麻未さんは、約束の時間を、47分も過ぎて、

パン屋の前に着いていることになる。

待ち合わせ時間の、

午後1時に十分に間に合う時間、

12時53分に、バスが、

パン屋の前に到着したにもかかわらず、

下車せずに素通りして、

呑気にポスフールに行ったことになる。

この、麻未さんがとった行動に対して、

友人達は、

「麻未さんは約束を破る人ではない。

そんないい加減な人ではない」と、

口を揃えて言っている。

O氏は、当初、午後1時30分に出て、

午後3時に自宅に帰るまでの、

「1時間30分」のアリバイを説明しなかった。

その後、「麻未さんが来なかったので、

1時30分に本店を出て、自宅に帰り、

その後、

夜までずっと自宅にいた」

と証言を撤回している。

このアリバイは、O氏の母親が証言しているが、

身内の証言では、

現場不在証明にはならない。

当日も、パン屋本店は営業しており、

従業員の証言によると、麻未さんは、

結局店には顔を出していないとの事であったが、

従業員が店に入るときは、

正面ではなく、裏口から出入りしていた。

つまり、それを知るものが、裏口で待ち伏せし、

麻未さんと接触を持つことは充分に考えられる。

必然的に、警察の捜査対象は、O氏に向けられる。

警察は、O氏を、

三日間にわたって任意で取り調べている。

O氏が所有する車両2台を押収し、自宅、

店舗の捜索、毛髪等の採取、

ルミノール反応検査等が実施されたが、

O氏の犯行を裏付ける証拠は得られなかった。

そして、警察はここで決定的なミスを犯す。

パン屋本店の入るビルは、鉄骨三階建。

1階部分がパン屋とパン工場、そして、

一部吹き抜けの駐車場。

2,3階部分は、賃貸アパートになっており、

各階3室、計6室の賃貸部屋になっている。

ここに、二部屋の空き部屋があった。

そして、このビルの所有者は、

O氏が代表を務める、会社の名義。

O 氏が、この空き部屋に、

自由に出入りできた状態であったことを、

警察は見落としていた。

当然のごとく、警察は、当初、

この部屋の捜索は、行ってはいなかった。

そして、この捜索中、O氏宛てに、

数本のビデオが梱包された小包が

ビデオ業者から届いていた。

内容はすべて、

女子高生監禁レイプ関係であったと、

当時事件に従事した捜査員が漏らした。 

私は、O氏を犯人と、断定するわけではない。

警察が、この空き部屋の捜索を行い、

その結果、何の証拠を得る事もできなければ、

O氏の容疑が晴れていたとまでは言わなくとも、

薄くなっていたであろう。

つまり、警察の単純なミスが、

O氏の疑いだけを残す結果になってしまった、

といえる。

警察は、麻未さんが、最後に下車したと推測される、

道南バス「東通」で、

麻未さんと一緒に下車したとされる、

11人の人定確認と、目撃情報の収集も、

もちろん行っている。

しかし、その内3名の確認が取れなかったことから、

一部マスコミが、

この3名が、事件に関わった可能性を報じた。

しかし、重要なのは、確認のとれた8名から、

麻未さんの、決定的な目撃情報が取れなかった、

という点である。

4年前に発生した、

滋賀の列車内強姦事件の例もあるが、

直接運転手の目の届くバスと、

列車では、状況差がある。

更に、その後、確認された8人の乗客が、

仕返しを恐れ、

一斉に口を噤んだとは、考えにくい。

あの列車事件でも、目撃者が、

個々に警察の取調べを受けていれば、

知らぬ存ぜぬを、決め込む訳には、

いかなかったであろう。

下車後の犯行説も否定はできない。

しかし、麻未さんが下車したとされる

「東通り」の道南バス停留所から、パン屋までは、

徒歩で、50秒(当社女性調査員による実施計測結果)。

当日、もちろんパン屋は、営業していた。

なにかあれば、駆け込むことができる距離である。

しかし、未解決事件には、犯人に都合の良い、

ありえないような偶然が重なることが、多々ある。

それは、目撃者の不在であったり、

警察の初歩的な捜査ミスであったりする。

警察関係者が、

「道警にとって触れられたくない事件の一つになった」

と漏らしていたこの事件も、

今年で、10年目を迎えた。

この事件の風化を望むのは、

犯人と、体裁を気にする北海道警察の、

一部の幹部職員だけである。

何の罪もない、

アルバイトをしながら学業に真面目に取り組んでいた

一人の女子高生が、

ある日、忽然と、姿を消した。

「失踪」という、曖昧な言葉で片をつけることなく、

発見を願い、真実を追究する気持ちを、

忘れずに持ち続けていたい。

千田麻美さんに関する情報は、

室蘭警察署 刑事第1課  0143−43−0110

以上。(出典:札幌探偵事務所)

AGE(美レンジャー)


一人暮らしの食生活は老化を加速させる!


以下のような食生活を送っていませんか?

(1)朝食をほとんど摂らない

(2)野菜をあまり食べない

(3)清涼飲料水や炭酸飲料をよく飲む

(4)揚げものや脂っこいものが好き

(5)丼もの、麺類をよく食べる

(6)食べるのが早いといわれる

(7)お菓子やケーキなど甘いものをよく食べる

(8)ファストフードや加工食品をよく食べる

(9)電子レンジをよく使う

(10)スナック菓子をよく食べる

実は、これらはすべて、AGEを溜め込みやすい食生活。
このたびの、AGE測定推進協会の調査によると、
「一人暮らし」と「同居家族あり」では、「一人暮らし」の方がこの度数が高く、
老化を加速する食生活をしていることが、明らかになりました。
.

電子レンジの加熱が老化を促進する


また、AGEの発生は、調理法に大きく関係します。調査で、
「フライパン・オーブンで焼く」ことが、老化を促進すると思うと答えた人は、24.4%、
「電子レンジでチンする」ことが、老化を促進すると思う人が、14.0%と、わずかだったとのこと。

「茹でる」「スチーム調理」が体に良いということはわかっていても、
ほとんど人が、調理方法の老化への影響を、正しく理解していないということが、
分かりました。

AGEは、タンパク質と糖を加熱調理したときにできる、
“焦げ目”や“揚げてきつね色になった部分”に、多く含まれます。
電子レンジの場合、焦げ目や焼き色がつかないので、大丈夫と思われがちですが、
マイクロ波で、食品の分子を振動させ、高温状態にするので、
焼き色がつかなくても、それと同様の状態に、なってしまっています。

アメリカ栄養士学会の発表では、電子レンジで加熱した食品は、茹でた食品より、
AGEが多いとされ、さらに食品中のコレステロールを、劣化させてしまいます。


AGEを溜め込まないためには以下のことが大切です。


(1)電子レンジで長時間の過加熱をさけ、揚物などの惣菜を何度も温めなおさない。

(2)炭酸飲料水など、吸収されやすく糖質を多く含むものを、過度に摂らない。

(3)焼き色・焦げ目がついたものや、動物性脂肪食品を、摂り過ぎない。

(4)早食いしない。

(5)AGE が多い食事をしたら、翌日は野菜を中心にした食事にする。

AGEは食品だけでなく、食べ方によっても溜まり方が変わってきます。
深刻な疾病を引き起こすリスクとなるAGEを、体内に溜めないようにしましょう。
.
AGE(美レンジャー)


イラク日本人外交官射殺事件 (2003年)


イラク日本人外交官射殺事件(Wikipedia他)  

2003年(平成15年)



イラク日本人外交官射殺事件(イラクにほんじんがいこうかんしゃさつじけん)は、
2003年11月29日、イラクへ派遣されていた日本人外交官2人が、
バグダッド北西140kmに位置するティクリート近郊にて、
日本大使館の車両で移動中、何者かに射殺された事件である。

2003年11月29日、午前11時(現地時間)、イラク北部、バグダッド北西140kmに位置する
ティクリート南郊で、奥克彦・駐英参事官と井ノ上正盛・駐イラク三等書記官、
それにイラク人の運転手が乗った車両(トヨタ・ランドクルーザー)に、
後ろから追いついてきた車が銃を発砲。

その後、3人が乗る車は30メートルほど先の農地へ突っ込んだ。
近くの店の主人が、車が突っ込んだのに気づき、警察へと通報した。
警察が約1時間後に現場に到着した際には、
左ハンドルの車の運転席にいたイラク人運転手と、前方右の座席にいた井ノ上書記官は、
すでに死亡していた。
後部座席にいた奥参事官は、意識はないもののまだ息があり、
ティクリートの病院で救命措置を受けたが、午後2時前に死亡した。
イラク戦争が終戦後、初めての日本人犠牲者であった。

銃弾の鑑定の結果、使用された銃は口径7.62mmで右回り4条の腔線を有する、
といった点が明らかにされている。

政府(福田康夫官房長官(当時))は、弾丸の痕跡が車の左側に集中していること、
金銭などが奪われていないことからみて、「テロの可能性が高い」とし、
テロリストによる犯行であるとの見方を示した。

イラク暫定内閣のフーシュヤール・ズィバーリ外相は、
事件の犯人が旧フセイン政権時代の情報機関、
総合情報局(ムハーバラート)の残党による犯行と断定した。

この事件については、事件発生時の状況、ならびに事件発生後の日・米政府の、
不可解な対応に関連して、
謀殺を疑う様々な議論がある。(1.2)

1.^ 平成16年02月05日開催の第159回通常国会:参議院・イラク人道復興支援活動等、
及び、武力攻撃事態等への対処に関する特別委員会での、
若林秀樹参院議員(民主)による質疑
2.^ JANJAN: メディア・外交官射殺事件をめぐる、米軍報道の違和感ほか



外交官射殺事件をめぐる、米軍報道の違和感


(出典:前田明氏コラム 2003/12/03)

イラクの外交官射殺事件。
米軍発表と現地警察の発表内容は、なぜ、あそこまで異なったのだろう。

イラク中部ティクリート近郊で11月29日、
二人の日本人外交官とイラク人運転手が、何者かに射殺された。
このニュース、事件を伝える米軍報道官と地元警察との見方が、
あまりに異なることに、違和感を覚えた。

事件翌日のテレビニュースでは、迷彩服を着た米軍の現地報道官が、
死亡した外交官たちは道路脇の売店で買い物をしようと車から降りたところを銃撃された、
と説明する姿が流れていた。

しかし同時に、地元の警察では、外交官たちは、走行中に後ろから追いついてきた車両から、
銃撃された可能性が高いと見ている、とも報道された。
襲撃された車の左側に約30発の弾痕があったという。

犯人が捕まっておらず、真相が分からないことを差し引いても、
双方が説明する襲撃時の状況が、こうも違うのはどうしてか。
新聞の報道では、米軍側は外交官が乗っていた車や遺留品を回収し、
弾痕が残る車体を見ているにもかかわらずだ。

もし、米軍の発表どおり、外交官たちが車から降りたところを銃撃されたのであれば、
強盗に巻き込まれたと考えることも可能だ。
イラクの危険な状況をよく理解せず、護衛を付けずに買い物をしようとした、軽率な行動に、
落ち度があったと、極論することもできる。

だが、現地警察の見方のように、各国外交官の移動に多用されるという四輪駆動車が、
突然、一方的な銃撃を受けたのであれば、外国人を狙ったテロと見るのが、自然だろう。

今、米国は、イラクの戦後処理を、同盟国にも担わそうと、必死だ。
米軍報道官の発表の裏には、自衛隊派遣を逡巡(しゅんじゅん)する日本に対し、
危険度をわざと薄めようとして伝える意図はなかったか。

自国内で起きた事件の捜査では、近代的手法を持つとの印象がある米国。
軍隊とはいえ、警察行為の基礎知識を持つミリタリー・ポリスはいるはずだ。

美談とされた、イラクで捕虜となった女性兵士の救出劇が作り話だった前例を思い返すにつけ、
今回の外交官射殺事件をめぐる米軍の発表も、「裏に何かあるのではないか」と勘ぐってしまう。



首藤議員の質問@国会 (04-09追記)


(出典:『そいとごえすB』)

昨日の衆院予算委員会で首藤信彦議員(民主党)が、
外交官殺害事件の“闇”に踏み込む質問を行なった。
ネットでは、既出の情報・仮説ばかりだが、国会での発言であるだけに、注目に値する。
メモしておく。
1:事件は当初テロによる攻撃とされ「テロに屈してはならない」ということで、
いろいろ言われたが、果たして、テロだったのか、疑問がある。

2:日本大使館の軽防弾車(ランドクルーザー)の装甲防弾は、20ミリ以上ある。
あの地域で、広く使われている、カラシニコフAK47で貫通できるのか、疑問だ。

3:カラシニコフの30発弾倉はバナナ型で、
一般車両の窓から突き出して車高の高いランドクルーザーを撃つのは難しい。
こういう不安定な姿勢での射撃では、韓国の技術者が襲われた事件のように、
弾は広範囲に散らばる
(日本大使館の車両に対しては狭い範囲に集中して撃ち込まれている)。

4:襲撃された車両の写真は、たった3枚しか公開されていない。
CPAからは十数枚の写真が送られているはずだ。
外務省日本には、何枚送られてきたのか、正確な枚数を、お答え願いたい。
(川口大臣答弁「記憶していない。
警察と相談してあの3枚を公開することにした」云々)

5:3枚の写真を見ると、右側の窓ガラスにまったく弾痕が無い。
上方15〜20度の角度、高さ3メートルの位置から撃ち込まれたのではないか。
これは、片側の窓ガラスしか割れていないことを説明できる、唯一の仮説である。

6:3メートルの高さということは可能性は2つしかない。
時速100キロで走るピックアップトラックの荷台に、仁王立ちになって射撃したのか、
米軍のハンビー(高機動装輪車)の固定機関銃によるものか。
•誰が銃撃したのか。遺体から弾丸が摘出されている。
口径は簡単に特定できる。司法解剖で判明した弾丸のスペックをお聞きしたい。
(小野国家公安委員長「捜査上の支障もあり、関係機関、
関係者のご意向も尊重の上、可能な範囲で公表に努めたい」云々)

7:イタリアの外交官の乗る車が米軍車両を追い越そうとして制止され、
一瞬速度を落とすのが遅れたため銃撃され通訳が死亡するということも起きている。
最近も、日本のマスコミが、オランダ軍に同様の制止警告を受けている。
戦場では、そういう事故(友軍による誤射)も起こりうる。
真実を知る必要がある。隠せば、我々は、国民の信頼を失う。
情報公開し、国民に覚悟を求めるべきである。

8:小泉総理は「テロを乗り越えねばならない」と叫ばれていたが、
どういうテロリストがやったとお考えなのか。
(小泉総理「相当準備された犯行だと思っております」云々)

米軍による誤射の可能性を強く示唆する発言である。
対して川口外務大臣、小野国家公安委員長、小泉総理らの答弁は、
ろくでもない無内容なものばかり。
小泉総理は歯切れの悪いモゴモゴした小声に終始。

委員会の質疑は、WEBで動画配信されている。上の発言メモは、
大雑把で不正確なものなので、興味のある人は、動画か議事録で、確認されたし。



警視庁鑑定 (04-02追記)


(出典:『そいとごえすB』)

1:外交官銃撃事件、旧ソ連製自動小銃使用か 
警視庁鑑定 (1/30、朝日:自衛隊イラク派遣)

2:外交官殺害:凶器は旧ソ連製自動小銃の疑い (1/30、毎日)

イラクで昨年11月、日本人外交官2人が殺害された事件で、
弾の口径は7.62ミリで、「カラシニコフ」とも呼ばれる旧ソ連製自動小銃
「AK47」が使われた疑いが強いことが、警視庁の調べで分かった。(中略)

7.62ミリの口径と合う銃は複数あるが、イラク国内の武装組織の間で出回っている
AK47が使われた疑いが強いとみられている。

3:外交官殺害は旧ソ連製銃 被害車両を日本搬送へ
(1/30、共同)

(警視庁公安部の)調べでは、2人から摘出された弾丸は計5個。
つぶれた状態のものが多いが、口径やわずかに残っていた線条痕の詳しい鑑定で、
AK47に使われる弾丸の可能性が高いという。

朝日と毎日は遺体から摘出された弾丸数を、共同は推定口径を書いていない。
毎日と共同の記事を引用しておく。

しかしなんで今頃になって公表したのか。ジョルジース・ゾラさん(運転手)
の遺体から摘出された弾丸については、先月9日に、朝日が弾丸の写真付きで報じている
(ディジュレ警察署によれば口径7.62ミリのカラシニコフ銃の弾丸である可能性が高い)。
26日の衆院予算委で、小野国家公安委員長は、
「現在鑑定中」などと白々しい答弁をしていたが、この程度のことは、
先月半ばには判明していたはず。これは、
予算委で、首藤議員が、米軍による誤射の可能性を示唆したことへの、
リアクションなんだろうな、たぶん。

03年12月9日の朝日の記事、はもう削除されている。
特集(自衛隊イラク派遣、イラク情勢)にも収録されていない模様
(記事一覧で表示されない)(*)。
手元に保存してある記事を読み直していたら、首藤仮説の根拠の一つである、
車高に関する記述が目に止まったので下に引用しておく。

同警察(引用者注:ディジュレ警察署)は、これまでに日本製普通車からの銃撃という
目撃証言を得ているが、普通車からでは車高の高い四輪駆動車の前方エンジンフードに、
銃弾を貫通させることは難しく、より車高の高い車からの銃撃の可能性もあるとして、
近く、現場周辺住民の、事情聴取を始めるという。

出典:
外交官殺害の悲劇、「弾」が語る 運転手の遺体から弾丸 (03年 12/9、朝日)
外交官殺害の悲劇、「弾」が語る 運転手の遺体から弾丸 (03年 12/09、朝日:イラク情勢)


「米軍誤射説」否定報道 /「報ステ」初日の特集 (04-12追記)


(出典:『そいとごえすB』)

1:2外交官殺害、弾痕36か所・車体へ貫通22か所 (4/5、読売)

車は3月4日に日本に空輸され、公安部で鑑定を進めていた。

(略)これまでの鑑定で、2人の体内や車内から旧ソ連製の自動小銃「AK―47」に使われる
銃弾と同口径の銃弾が計6発見つかっている。

2:並走車から36発=使用銃特定できず−外交官殺害事件で検証結果 (4/5、時事)

(略)銃弾の口径は旧ソ連製自動小銃「AK47」(カラシニコフ)と同じ7.62ミリと判明したが、
銃の種類や数は特定できなかった。

(略)こうした状況から、公安部は襲撃した車両との距離は4メートル以内、発射した高さは、
約1メートルと判断。並走する車の窓から撃たれたとみており、発射位置が標準で、
地上約2メートルとされる米軍車両からの誤射の可能性は低いとみている。

3:被害車両に36カ所の弾痕 警視庁、外交官殺害で検証 (4/5、共同)

(略)銃撃された四輪駆動車には計36カ所の弾痕があり、大半の銃弾は、ほぼ水平方向か、
下方から撃たれていたことが、5日、警視庁の検証で分かった。

軍用車両の銃座など、高い位置から撃たれた形跡はなく、一部で指摘された「米軍誤射説」の
可能性はほぼなくなった。

4:至近距離から銃撃 米軍誤射の可能性否定 (4/5、共同:イラク情勢)

警察庁の瀬川勝久警備局長は同日、参院イラク復興支援・有事法制特別委員会で
検証結果を報告。米軍車両の機関銃は高さ約二メートルの位置にあり
「(米軍の)軽装甲車から撃ったとする状況とは矛盾する」と述べ、一部で指摘された、
「米軍誤射説」の可能性は極めて低いとの見解を示した。

銃の種類も数も特定できないとしながら、あいかわらず「AK-47と同口径の7.62ミリ」
なんて書き方をしている。

しかし奇妙な報道である。まるで、3カ月もかけて被害車両を日本に移送し、
1カ月もかけて鑑定をしていたのは「米軍誤射説」を否定するのが目的だったかのようだ。

古舘伊知郎の「報道ステーション」第1回放送の特集は、
「日本人外交官殺害 井ノ上さんの最期の言葉」。
22:52〜23:02という遅い時間に放送された。

特集Vを流す前に古舘は「この番組のスクープです!」と煽っていたが、
発見された時に井ノ上氏はまだ息があってアラビア語で助けを求めた、
というのは既報のような?(未確認、記憶違いかも)

特集Vの中身は上記の「現地取材で新証言」と国本圭一氏(銃器評論家)
による被害車両の弾痕分析
(ガラスのヒビは貫通痕から波紋のように均等に広がっている、
よって銃弾はほぼ水平に撃ち込まれたと思われる)
&凶器の推定
(AK-47の可能性が高い、口径7.62ミリでは他に米軍のM25狙撃銃がある云々)

V明けに古舘が被害車両の同型車(窓ガラスに白い弾痕付き)の横に立って、
補足説明。画面にハンビー(米軍車両)をCG合成し、
ハンビーの銃架は地上約2メートルの高さ、
これで銃撃されたのなら、ヒビが下方に広がった弾痕が一つぐらいないとおかしいが、
水平か下方から撃ち込まれた弾痕しかない、
「米軍誤射説」は否定された感がある、とコメント。

そうかねえ? そもそもランドクルーザーの窓ガラスって垂直に立っているのかね、
大型バスの窓ガラスのように?

「報ステ」の弾痕に関する解説&コメントは、
今日午後の捜査当局による「米軍誤射説」否定に歩調を合わせたかのような、
奇妙なものであった。

04-07 追記

「報ステ」の録画を見直して後半部分を加筆&修正した。

ランクルの側面の窓ガラスは(フロントガラスほどではないが)傾斜している
(トヨタ ランドクルーザー諸元表の寸法図、防弾ランドクルーザーの写真参照)。
並走する乗用車から“水平に”撃ち込むのは無理っぽい。
ガラスのヒビを根拠にするなら、古舘のコメントとは逆に、
「米軍誤射説」がより有力になる。さて、警視庁公安部の、
「撃ち込まれた角度が判明したのは10カ所。最も低い地上77.8センチの弾痕を除き、
すべて1メートル以上でほぼ水平かやや上向きに撃ち込まれていた」
(時事)というのは、何かもっと確実な物証があるのだろうか?

イラクには口径7.62ミリの銃はAK-47とM25しか存在しないかのような、
国本氏の解説には疑問あり。該当する銃は他にも複数ある。
7.62ミリという数値が出ても「米軍誤射説」が消えないのは、
ハンビーの中にはM60機関銃を装備したものがあって、
これの口径が7.62ミリだからである(*3)。
そういえば特集Vの中に「(事件現場で)取材中、アメリカ軍の戦車がそばを通った。
事件直後もアメリカ軍のコンボイが通ったという」というナレがあったが、
この時画面に映ったM2ブラッドレー歩兵戦闘車(戦車ではない)に装備されている、
M240機関銃の口径も7.62ミリである。

04-09 追記(ハンビー登載火器)
(そいとごえすB)

7日の追記の補足。民主党の首藤議員は1月26日の衆院予算委で、
「米軍のハンビーに銃撃された可能性」を示唆したが、その後2月17日の予算委では、
具体的な銃器の名称を挙げている(ことに先ほど気づいた)。
首藤議員はハンビーの登載火器としてM60ではなくM240B機関銃を挙げている。
議事録の当該箇所を引用しておく。

そこで、私は、その三発当たったところからふっと思ったんですが、
これは、全く関係ないかもしれませんが、ひょっとしたら三発バーストで、
撃っているんじゃないかな、こういうふうに思うわけですよ。
そうしたら、三発バーストで撃ったとなると、それは警察が発表した七・六二ミリの中で、
ここで最も使われている銃はカラシニコフ、AK47、アブトマット・カラシニコフという、
カラシニコフの四七年制式版の古い古い銃ですよ。そして、
アメリカ軍が使っているM二四〇B、これはハンビーの上にあって、非常に新しい、
ベルギーのFN―MAGがつくったものを改良してやっていた、
物すごい新しい銃ですよね。そうすれば、三点バーストで撃っているかもしれないし、
そうでなかったとしても、非常に集中度の高い痕跡になると思うんですよね。
出典:第159国会 予算委員会 第11号(平成16年2月17日) (衆議院)
1:引用冒頭の「三発当たった」云々は前部座席の3つの弾痕のこと。
2:M240BはM60の後継機関銃。1996年制式採用で現在はまだ混在している。

疑問メモ。警察の発表では凶器の口径は7.62ミリ→弾痕は集中している
→AK-47の連射なら弾は拡散する→米軍のハンビー
(固定銃架のM240BないしM60)が疑わしい、という推論はわかるのだが。
上の引用中の「三点バースト」云々は意味不明である。
AK-47やM60、M240Bに三点バースト機構は付いてないのでは?(自信なし)

04-12 追記(バースト射撃)

(そいとごえすB)

ゲストブックで冨山さんから「バースト射撃」に関するご教示をいただいた
(「バースト=銃のメカニズム」ではなく、引金を切る射撃法も「バースト」と言う)。
ただ、首藤議員の「バースト」発言は“凶器となった銃は何なのか。
口径以外の情報が出てこない。銃弾の成分分析の結果を早く公開せよ”
という文脈でのものなので、射撃法の謂でこの言葉を使ったとは考えづらい。

2月17日の予算委会議録を読み直してみた。首藤議員の「三点バースト」は、
捜査当局に対する牽制としてわざと専門用語を使っただけで、
あまり深い意味はないように思えてきた。イラクで使われている銃の種類や、
その仕様(口径等)について私(首藤)はちゃんと把握しているぞ、
子供騙しの「回答」は許さないぞ、という牽制。
ちなみに1月26日の予算委でも首藤議員は、

現代科学でいえば、その弾の口径を特定するのは簡単なんですよ。
たった五種類の弾しかここにはないんです。
五・四五ミリ、五・五六ミリ、七・六二ミリ、九ミリ、十二・七ミリ、たった五種類ですよ。
その中の一体どの弾であるのか
と、口径の種類を早口で列挙して“銃器に詳しい”ことをアピールし、
銃弾のスペック(口径や成分)の情報公開を迫っている。

首藤議員の質問に対し小野国家公安委員長はまともな応答をせず、
警察は4日後の30日、「口径は7.62ミリ(AK-47である可能性が高い)」
という「米軍誤射説」否定の情報をリークした。
「米軍誤射説」が事件の真相に正しく迫るものなのか見当違いの推論なのかは、
まだ不明だが、これを国会の場でぶつけたからこそ、小出しに情報が出てきた。
それなりに意義のある“仮説”だとは言えるだろう。

2004-04-12 銃弾の成分分析

(そいとごえすB)

ゲストブックで、「バースト射撃」について、冨山さんからご教示をいただいた。
6日の項に追記を入れておく。

今月5日の「米軍誤射説」否定報道では成分分析についての言及がなかったが、
翌6日の毎日の記事は銃弾の成分(鑑定結果)にふれている。
数値を明示しない曖昧なしろものだが、リンク&引用しておく。

◆警視庁による鑑定結果◆

【弾痕】(略)

【射入角】(略)

【銃弾】

車内から112点、2人の遺体から20点の金属片を採取。うち、
49点を、銃弾の一部と推計。成分は銅、亜鉛、鉛、アンチモン。
銃弾から、銃器は特定できず

出典:「米軍誤射説」薄まる−−警視庁鑑定 ◇「なお疑問」民主追及 (4/6、毎日)

この記事は神浦元彰氏(軍事評論家)の「AK-47である可能性が高い」
というコメントとともに若林議員(民主党)の
「この鑑定結果で米軍誤射説を否定するのは間違いだ」
という主張も紹介している。

「一方、同様に真相究明を求めてきた自民党の舛添要一参院議員は、
『(米軍誤射説の論拠だった)上から撃ったとすることは否定された』
と述べている」というのは謎だが、まあ、マスゾエはどうだっていい。

久しぶりに神浦氏のサイトを覗いてみた。
最新情報ページに見解が書かれている(4/6)。神浦氏は、
事件に関する疑惑の数々について、ほとんど知らないまま、
見解を述べているように思われる。

2004-04-17 週刊ポスト4月23日号

(そいとごえすB)

外交官殺害事件@イラクについて「週刊ポスト」
4月23日号と「週刊大衆」4月26日号が記事にした。
前者のタイトルは「隠された真相 奥大使は『米軍の誤射』」、
後者は「在イラク外交官殺害事件それでも消えない『米軍誤射説』の闇」。
ネットで既出のことばかりで新事実・分析は出ていないが、
疑惑の数々がよく纏まっているのでポストのみ購入。

ポストの記事には、「いきなりの惨禍の中で井ノ上書記官は、
血まみれの手で無線機を握って、こと切れた」とある(p.37)。
「こと切れた」というのは「講談師、見てきたような嘘を言い」的な蛇足か。
5日の報ステは事件直後に井ノ上氏はまだ息があったという
「スクープ」証言を放送している。

この記述のポイントは「血まみれの手で無線機を握って」である。
ネットでは、先週、次のような指摘(リーク)がされている。

731 名前:レバノン人の謎 投稿日:04/04/07 20:32 ID:JrnIyMzk
田岡氏によると、CNNの現地記者が米軍基地にあった被害車を撮影し
た時に、無線用マイクが車内にあり、血がついていたそうです。つまり、
井ノ上さんは、事件発生直後には意識があり、血で真っ赤になった手で
無線を握って恐らく大使館に事件発生を伝え、助けを求めた可能性があ
るということです。しかも、この重要な証拠を外務省は、証拠として警
察に本日現在提出していない。これは、刑法104条の証拠隠滅罪に該
当する可能性が極めて高いと考えられます。日本に移送する前に、車載
の無線マイクをわざわざはずしていたということは、誰が指示したのか
も含めて、国会できちんと真相が解明されないといけない。かなり悪質
な意図的証拠隠滅です。

出典:仮説★大使館員を殺したのは? part4 #731 (イラク情勢@2ch掲示板)
(二重アンダーラインは引用者による)

744 名前:国連な成しさん 投稿日:04/04/08 13:34 ID:M0BZowDI
>>731
 昨日深夜に警察庁から連絡が入り、ハンディートーキーは車と一緒に
警察で解析されていた、提出されていないというのは勘違いだったと訂
正された。外務省に未提出なら提出しないと刑法違反で刑事告発すると
通告したのが効いたのか、素早い反応を見せた。ついでに、ハンディー
トーキーにべっとりついていた血液は、井ノ上さんのものと鑑識で確認
したということもわかった。つまり、銃撃の直後に、意識のあった井ノ
上さんは、無線のマイクを握って、ほぼ間違いなく日本大使館に事件を
知らせて助けを求めようとしたということだろう。丁度、昼時で無線が
つながらなかったのか、それとも外務省が、事件発生直後から知ってい
ながら、隠していたのか? 当日、事件発生から1時間余りたった日本
時間午後8時すぎに首相官邸では小泉首相と福田官房長官が何やら密談
している。その時、すでに首相が事件を知っていて、米軍に事実の隠蔽
への協力を求めた可能性が浮上してきた。

出典:仮説★大使館員を殺したのは? part4 #744 (イラク情勢@2ch掲示板)
(改行位置は引用者が変更)

ポストの記事は、外務省が奥氏のパソコンと井ノ上氏のデジカメを隠して、
ごく最近(3月下旬)まで捜査当局に提出していなかったことを指摘しているが、
この、“無線機のマイク隠し”を巡る不可解な動きにはふれていない
(事件の時系列表には「無線連絡」の記述があるが、無線機に言及しているのは、
上で引用した1箇所のみ)。

なお、この記事はWEBでも読めるが、上で引用した箇所
(「いきなりの惨禍の中で〜」)は、WEB版では割愛されている。


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犠牲者のご冥福をお祈り申し上げます。

村井秀夫刺殺事件(むらいひでおしさつじけん)(1995年)

村井秀夫刺殺事件(むらいひでおしさつじけん)(wikipedia)
1995年(平成7年)


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村井秀夫刺殺事件(むらいひでおしさつじけん)とは、1995年4月23日に発生した殺人事件。
オウム真理教の幹部で「科学技術省大臣」の村井秀夫が、
200人を越えるマスコミ関係者が集まり監視中の東京都港区南青山にあった教団東京総本部前で、
山口組傘下の右翼団体構成員を名乗る在日朝鮮人に殺害された事件である。

1995年4月23日午後8時35分、教団東京総本部ビル前において、
山梨県上九一色村のサティアン群から戻ってきた村井が、
犯人によって刃物で左腕と右脇腹を続けざまに刺された。村井ら教団幹部は、
東京総本部に出入りする際は地下通用口を使用していたが、事件当夜は何故か施錠されており、
村井が外階段を引き返し1階出入口に向かおうとした際に襲われた
(後述の通り教団の事件関与を疑う見方もあったが裁判では認定されていない)。
この様子はTVニュースで繰り返し放映され、日本中に衝撃を与えた。

刺された後、直ちに村井は東京都立広尾病院に救急車で搬送されたが、
右脇腹に受けた深さ13cmの刺し傷が致命傷となり、出血性ショックによる急性循環不全の為、
翌4月24日午前2時33分に亡くなった。

実行犯は事件後直ちに逮捕された。 事件直後の上祐史浩外報部長(当時)のTV番組内での証言によれば、
村井は死ぬ間際に「ユダにやられた」と話したという。
後の2000年2月の週刊プレイボーイ上のインタビューでは上祐は、「彼(村井)は刺殺される直前に、
オウム真理教の事件その他はユダヤの陰謀であると言おうとしていた、そんな気配がある」
「ユダヤ叩きというのは、僕にはどういう意味なんかよくわからない」が、
「彼はあの直前に、テレビに出演してユダヤ叩きをやろう、という計画を立てていた」
「刺殺される数時間前に彼から私の方に「ユダヤ叩きをやりますよ。今から戻ります」という電話があった」
「彼はその直後に刺殺された」、と述べている。また、事件当日、
「オウム出版の編集部に彼が「ユダヤの陰謀関係の本を集めてくれ」と依頼していたという事実もある」。

実行犯は、三重県伊勢市所在の右翼団体「神洲士衛館」の構成員を名乗ったが、
「神洲士衛館」は、政治活動をほとんど行っていない休眠団体であり、
実際は三重県伊勢市所在の山口組系暴力団の構成員だった。
実行犯の供述により、暴力団若頭も共犯として5月11日に逮捕された。
山口組系暴力団はその後解散した。

裁判では、実行犯は若頭の指示により犯行に及んだと主張した。一方、若頭は「指示」そのものを否定した。
警察の調査でも、暴力団若頭とオウム真理教の接点が見当たらなかった。また、公判において、
若頭からの犯行指示日に関する実行犯の供述が不自然であることが明らかになった。裁判の結果、
実行犯に懲役12年、暴力団若頭に無罪判決が下り、確定した。
実行犯は旭川刑務所に服役し、2007年に出所した。

実行犯は「上祐史浩、青山吉伸、村井秀夫の教団幹部3人なら誰でもよかった」と供述したが、
犯行当日のテレビ報道では実行犯が東京総本山ビル周辺でうろついている姿が度々映像に映っているが、
教団幹部である上祐や青山が出入りしても、実行犯は一切動いておらず、
最初から村井をターゲットにしていたことが明白と指摘された。このことについて、実行犯は
「週刊金曜日」2011年9月16日号で「3人がどこから来てどのスピードで入口に入るか分からず、
実行の際にナイフを取り出すのが間に合うかを考えた。上祐、青山の時は距離等の関係で出来なかったが、
村井の場合はかなり遠くから歩いてきたので体勢とかポジションの準備をする余裕はあった」
旨の回答をしている。


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村井 秀夫(むらい ひでお、1958年12月5日 - 1995年4月24日[1])
は、オウム真理教幹部。大阪府出身。
ホーリーネームはマンジュシュリー・ミトラ、ステージは正大師。
省庁制が採用された後は科学技術省大臣だった。
教団では麻原に次ぐナンバー2、
科学技術部門最高幹部と見られていた。

目次
1 人物
2 出家後
3 刺殺事件
4 エピソード
5 村井秀夫を演じた俳優
6 関連書籍
7 脚注

人物

子供の頃はSF少年であり、また望遠鏡で星を観察するのが趣味という
親から見て全く手の掛からない子供であった。
大阪府立千里高等学校を経て、大阪大学理学部物理学科卒業、
大阪大学大学院理学研究科修士課程修了、理学修士。

神戸製鋼に入社し金属加工の研究に携わる。
1986年5月オウム神仙の会に入信する。
入信理由は「かもめのジョナサン」の心境になったから。

1985年4月に職場結婚した妻と1987年6月、夫婦で出家するが、
1990年、ステージの違いを理由に協議離婚した。

出家後

教祖麻原彰晃の最側近。1988年11月に大師、
1990年8月に正悟師、1994年8月に正大師となり、
教団の最高幹部の地位に上り詰めた。

オウムの科学者としてPSI、「アストラル・テレポーター」、
レーザー兵器「輪宝」などを開発する一方で、
坂本弁護士一家殺害事件・サリンプラント建設事件・
松本サリン事件・地下鉄サリン事件など、
教団が起こした非合法活動では常に中心人物であった。

1990年の第39回衆議院議員総選挙に
旧東京8区から真理党公認で立候補したが落選している。
また、教団が報道される中でもスポークスマンとしても登場し、
第7サティアン(サリンプラント)は
農薬工場であったとの主張を繰り返した。

教団の中では、上祐史浩や青山吉伸のような権力欲は持たず、
突き抜けて楽しそうにしていた。
田原総一朗は、3女松本麗華に対し
麻原は村井を信じていたのではないかと問うたところ、
3女は「麻原は“村井を信じる奴はバカだ”と言っていた」
と証言した[2]。

刺殺事件

1995年4月23日に東京都港区南青山の教団東京総本部前で
指定暴力団・山口組系羽根組の構成員の徐裕行に刺され、
病院に搬送、手術をしたものの
翌24日午前2時33分に出血多量により死亡した。
しかし後に羽根組長の証言により、
徐は羽根組とは全く無関係な人物と判明。
当時村井はオウムの覚せい剤部門の担当をしていたとされ、
オウムと覚せい剤の取引をしていた暴力団からの
口封じで殺害された可能性ありと、
実行犯徐の背後関係を警察は徹底捜査するも
暴力団の詳細を摑めず組織の特定がされなかった。

死ぬ直前、「ユダにやられた」と話していたと
上祐史浩(当時外報部長)が会見で述べた。
後の2000年2月の週刊プレイボーイ上のインタビューでは
上祐史浩は、「彼(村井)は刺殺される直前に、
オウム真理教の事件その他は
ユダヤの陰謀であると言おうとしていた、
そんな気配がある」
「ユダヤ叩きというのは、
僕にはどういう意味なんかよくわからない」が、
「彼はあの直前に、
テレビに出演してユダヤ叩きをやろうという
計画を立てていた」
「刺殺される数時間前に彼から私の方に
『ユダヤ叩きをやりますよ。
今から戻ります』という電話があった」
「彼はその直後に刺殺され」たと述べている。

また、事件が起こったちょうどその日、
オウム出版の編集部に彼が
「ユダヤの陰謀関係の本を集めてくれ」
と依頼していたという事実もある
(丁度編集部では前年末にユダヤ陰謀を
特集していたため)」という[3]。

村井の死によって、村井が知りうる
オウム真理教事件の覚醒剤部門に関する供述が
聞き出せなくなり、事件解明を遠のかせた。
また、教祖の麻原彰晃の松本・地下鉄両サリン事件
の裁判において弁護側が
「村井を中心とする弟子たちの暴走」
とする意見に反論をすることもできなかった。
死亡したため村井本人は起訴されなかったが、
オウム幹部の裁判という形で、
村井のオウム事件への関与が認定された。

エピソード
教団内において
「麻原は信者の愚行を何でも見通せる」
という考え方が根付いており、
信者は自らの愚行を度々教祖である麻原に
見抜かれ咎められ、
逆らうことができなかったと言われている。
しかし、実際には、
信者の行動を影から見ていた村井が
麻原に密告することにより、
このようなことが行われていたと、
後のオウム裁判で、
被告人信者の証言から明かされている。

彼が出家者になるのを、
両親が思いとどまらせようとしたとき、
彼は、リチャード・バックの
『かもめのジョナサン』[五木寛之訳、新潮社]
の日本語訳を手渡して、以下のように明言した。
「この本を読んでください。
僕の気持ちはこの本の中にあるから」。[4]

オウム真理教の音楽にも歌手として携わっていた。
中でも「味覚の歌」は漫画家のねこぢるも好んでいた。
上祐史浩はたびたび著書の中で、
彼のことを「友人」と評しており、
その友人を殺した本人である徐裕行との対談を
長年拒んでいたという。[5]

いわゆるマッドサイエンティスト的な側面があり、
土谷正実は村井から人工衛星を落とすための
炭酸ガスレーザーやUFO、
レールガンの製造といった無謀な指示を受けたと
証言している。[6]

サリン事件の頃にオウムは米軍等に攻撃されている
などの陰謀論を主張しており、
村井もヘリコプターをみつけるや
「米軍がサリンを撒いている」
と麻原に非常通報を入れるほど徹底していた。[7]

刺殺事件の直前に出演したTBSテレビNEWS23では、
筑紫哲也の「阪神・淡路大震災が地震兵器で起きたとすれば、
それを使ったのは誰ですか。米軍ですか?」の問いに対して、
「米軍と特定するには条件が足りないが、
かなりの力を持っている団体と思う」と答えている。

関連書籍
『巨聖逝く - 悲劇の天才科学者村井秀夫』
(オウム出版 1995年6月)
カセット・テープつきで出版された。

脚注

1.^ 刺されたのは4月23日で、死亡したのは4月24日。
2.^ 【地下鉄サリン事件から20年】麻原彰晃の三女
・アーチャリーが語る 聞き手:田原総一朗
3.^ 『オウム解体 宮崎学×上祐史浩』p.40-42
4.^ 『終末と救済の幻想』ロバート・リフトン
5.^ 『終わらないオウム』上祐史浩 鈴木邦男 徐裕行
6.^ 『「教祖」に死刑判決下る』毎日新聞社会部 p.65-66
7.^ 『A3』森達也 p.427

(出典:Wikipedia)


尋ね人・行方不明者(1)


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一目均衡表の見方



2014.02 「FXの手法を紹介するサイトです」より


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3



2013.09

一目均衡表は、
基準線、転換線、先行スパン1、先行スパン2、遅行線の、
5つのインジケーターを、 総合して利用することで、
「一目」で、相場の動向が判断できるとされている。

基準線
過去26本分の最高値と最安値の中間値を示す。

転換線
過去9本分の最高値と最安値の中間値を示す。

つまり、基準線と転換線はパラメーターの数値が異なるだけで、線の算出方法は同じ。

先行スパン1
転換線と基準線の中間値を、26本分先にずらして示した線。

先行スパン2
過去52本分の最高値と最安値の中間値を、26本分先にずらして示した線。

先行スパン1と先行スパン2は、その重なり部分を抵抗帯(雲)として扱う。
一目均衡表の中でも最も有名で、最も注目される部分。

遅行線
遅行線は、計算して算出される線ではなく、チャートをそのまま26本分戻しただけの線。

一目均衡表では、3つの動きが同時に出現した時に
三役好転(三役逆転)となり、最も強いシグナルとされている。

三役好転

転換線が基準線を上抜ける
ローソク足が抵抗帯(雲)を上抜ける
遅行線がローソク足を上抜ける

この3つの条件が揃った時に三役好転となり、強い買いシグナルとなる。

三役逆転

また、この逆の場合は、三役逆転となり、強い売りシグナルとなる。

転換線が基準線を下抜ける
ローソク足が抵抗帯(雲)を下抜ける
遅行線がローソク足を下抜ける

VQのパラメーター(H2OのFX雑記)

Length=5 Method=3 Smoothing=2 Filter=1
(5,3,2,1)ですが、この設定値ではあまり使い物になりません。
それぞれの通貨に合わせて、パラメーターを変える必要があります。

世界中の人がいろいろなパラメーターを使ってトレードしています。
ネットでいろいろ探して集めてみました。

USDJPY
(4,2,4,1) (2,0,4,1) (2,3,3,3) (5,3,2,5) (5,3,6,2) (6,3,3,2) (6,3,4,2)

a


b


C


GBPJPY
(7,3,2,2) (3,2,3,4) (4,0,2,4) (7,3,4,6)

EURJPY
(5,3,1,2)

EURUSD
(5,3,1,3)


“これが正解”というものはないので、各自いろいろ試してみて、自分に合ったものを使ってみて下さい。

(H2OのFX雑記)
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