LET IT BLEED 

日々の記録。

2017年02月

目を閉じ…襲撃直後の金正男氏を地元紙掲載

目を閉じ…襲撃直後の金正男氏を地元紙掲載
日本テレビ系(NNN) 2017年2月18日

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現地の英字紙「ニュー・ストレーツ・タイムズ」が掲載した写真には、
正男氏が襲撃された直後、空港内の診療所の中での様子との
説明が書かれている。
正男氏は目を閉じており、すでに意識を失っているようにも見える。
警察によると正男氏は、この後、病院に搬送される途中で死亡した。

一方、複数の地元新聞は警察が17日夜、
新たに男1人を逮捕したと伝えている。
男は47歳で、北朝鮮のパスポートを所持しており、
過去にマレーシアに複数回、出入国していたという。
警察はすでに逮捕した女2人のほか、
現場にいたとされる4人の男を
全国に指名手配していた。

18日朝の新聞には監視カメラから作ったとみられる
男4人の写真が掲載されている。
警察関係者によると、このうち2人がすでにマレーシアから
出国している可能性があるという。
こうした中、北朝鮮の大使が17日夜、
こちらの病院前で声明を発表し、
解剖の結果を拒否するとマレーシア側を非難して、
遺体を早く引き渡すよう要求した。

北朝鮮大使館、カン・チョル大使
「マレーシア側は(我々の立ち会いなしに)検視を強行した。
ただちに遺体を引き渡すよう強く求める」

一方、マレーシア側からは正男氏の死因については
いまだ明らかにされていない。
マレーシア側は、18日に2回目の解剖を行うとしており、
その解剖は、午前10時ごろから始まったとみられている。


背後から無言で襲い…女子中学生に性的暴行(2017)

背後から無言で襲い…女子中学生に性的暴行
日本テレビ系(NNN)
2017年(平成29年)2月18日

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神奈川県小田原市で女子中学生に性的暴行したなどとして、
23歳の男が逮捕された事件で、男は被害者の背後から
無言で襲いかかり、
無理やり林に連れ込んでいたことがわかった。

小田原市の土木関連会社社員、
神谷恒平容疑者は先月20日夜、市内の林で
14歳の女子中学生に性的暴行を加え、ケガさせた疑いで、
18日朝に送検された。

その後の警察への取材で、
神谷容疑者は1人で帰宅中だった被害者を狙い、
背後から無言で襲いかかり、
無理やり林に連れ込んでいたことがわかった。

周辺では同様の手口で女性が襲われる事件が
数件起きていて、
警察が神谷容疑者の関与を調べている。

10代女性に集団性的暴行 医師ら3人逮捕

10代女性に集団性的暴行 医師ら3人逮捕
日本テレビ系(NNN)
2017年(平成29年)2月16日

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10代の女性に酒を飲ませた上、
集団で性的暴行を加えたとして、
医師の男2人と医学部の大学生の男が逮捕された。

集団準強姦などの疑いで逮捕されたのは、
船橋中央病院の研修医・上西崇容疑者(31)と、
東京慈恵会医科大学付属病院の研修医・松岡芳春容疑者(31)、
東邦大学医学部の大学生・柁原龍佑容疑者(25)の3人。

警察によると3人は去年4月、
上西容疑者が契約する東京・大田区のマンションで、
当時10代の女性に酒を飲ませた上、
集団で性的暴行を加えた疑いがもたれている。
3人は、「合コンをする」などと女性を誘い出し、
部屋で酒に酔わせて犯行に及んだとみられている。

上西容疑者は、同様の手口で女性を部屋に連れ込み
性的暴行を加えた準強姦などの疑いで
これまでに4回逮捕されているという。
調べに対し上西容疑者と松岡容疑者は、
「黙秘します」と供述し、
柁原容疑者は容疑を認めているという。



医師の男LINEで「もう少し飲ませよう」
日本テレビ系(NNN)
2017年(平成29年)2月17日


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酒に酔わせた女性に集団で性的暴行を加えたとして
医師の男ら3人が逮捕された事件で、
飲み会の際、LINEで
「もう少し酒を飲ませよう」
などとやりとりをしていたことがわかった。

研修医の上西崇容疑者(31)と、松岡芳春容疑者(31)、
東邦大医学部の学生・柁原龍佑容疑者(25)の3人は
去年4月、東京・大田区のマンションで、
当時10代の女性に酒を飲ませたうえ、

集団で性的暴行を加えた疑いが持たれている。
上西容疑者らはこれまでも「飲み会をしよう」
などと女性をマンションに誘っていたということだが、
捜査関係者への取材で、その際、上西容疑者が
「もう少し飲ませよう」などと
LINEでやりとりをしていたことがわかった。

警察は、上西容疑者らが計画的に女性を酒に酔わせ
同様の犯行を繰り返していたとみて調べている。


集団レイプで現役医師ら3人逮捕 主犯格4度逮捕歴を病院見逃し
東スポWEB
2017年(平成29年)2月17日
   
千葉大医学部生が昨年9月、集団レイプ事件を起こしたが、
今度は現役医師主導の集団強姦事件が発覚した。

泥酔した10代少女を集団で暴行した集団準強姦の疑いで
16日までに埼玉県警に逮捕されたのは
千葉・船橋中央病院医師、上西崇容疑者(31)、
慈恵医大附属病院医師、松岡芳春容疑者(31)、
東邦大学医学部、舵原龍佑容疑者(25)だ。

3人は昨年4月30日〜5月1日にかけ、
東京・大田区内の上西容疑者が賃貸契約していたヤリ部屋で、
10代後半だった少女2人に酒を飲ませ、
暴行した疑い。舵原容疑者は
「先輩(松岡容疑者)に誘われた」と容疑を認め、
上西、松岡両容疑者は「黙秘します」と口を閉ざしている。

上西、松岡両容疑者も東邦大の卒業生で、
同じイベントサークルに所属していた。

事件を首謀した上西容疑者は、
過去に4回も準強姦容疑での逮捕歴があった。
その手口はいずれも自分の部屋で
合コンなどの名目で飲み会を開き、
参加した女性に酒を飲ませて暴行していた。

昨年7月は泥酔状態の20代女性に性的暴行を加えたとして
準強姦容疑で逮捕(処分保留)。
その後、9月にも別の20代女性を強姦した疑いで
再逮捕されていた。

驚くのは短期間に何度も逮捕されているのに、
病院側が何の処分もしていなかったことだ。

ある現役医師は「昔からレイプが発覚して
病院をクビになる医師はいるが、
数年たつとみな別のところに移って
何事もなかったかのように勤務していますよ」
と明かす。

上西容疑者は過去の事件では
不起訴処分になっているとみられるが、
医師免許さえあればお構いなしとはあきれる。
どうやらロクに“身体検査”をしない病院が
少なくないようだ。

上西容疑者が過去に逮捕された時には、
女性を乱暴する動画が収められたケータイも
押収されている。

千葉大のレイプ事件でも被害女性を撮影し、
仲間内でLINEで共有するという鬼畜行為に及んでいた。

こんな性犯罪者を野放しにして
患者を診察させていた病院の罪は重い。


集団性的暴行 現場マンション内部日本テレビ系(NNN)
2017年(平成29年)2月18日


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酒に酔わせた女性に集団で性的暴行を加えたとして
医師の男ら3人が逮捕された事件で、
日本テレビは、現場マンション内部の写真を入手した。

この事件は、研修医の上西崇容疑者(31)、
松岡芳春容疑者(31)と、
東邦大医学部の柁原龍佑容疑者(25)が、
当時10代の女性に酒を飲ませたうえ、
集団で性的暴行を加えた疑いがもたれているもの。

現場は、上西容疑者が借りていた
東京・大田区のマンションだったが、
日本テレビが入手した写真では、
室内にシャンデリアが飾られるなど、
高級バーのラウンジのように改装されていた。

部屋での飲み会に参加した女性
「マンションの一室とは言わず、
バーベキューができるお店があるから来ないかと誘われた。
普段行かないような(雰囲気の)場所だったので怖くなった」

警察は、上西容疑者らが女性を誘い込み、
計画的に犯行を繰り返していたとみて調べている。






東京・台東区でデリヘル摘発、売春防止法違反容疑で経営者ら逮捕(2017)

東京・台東区でデリヘル摘発、売春防止法違反容疑で経営者ら逮捕
TBS系 2017年(平成29年)

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東京・台東区のJR鶯谷駅周辺のホテルで、
女性に売春をさせ8億円以上を売り上げていたとみられる
デリバリーヘルス店の経営者らが、警視庁に逮捕されました。

逮捕されたのは、デリバリーヘルス店「ラブフェアリー」
を経営する及川公一容疑者(39)ら6人で、
今月11日、台東区のホテルに23歳の女性を派遣し、
60代の男性客相手に、売春をさせた疑いが持たれています。

及川容疑者らは摘発を逃れるため、
常連客に非公式の電話番号が書かれた会員証を
渡していたということです。 
(2017年(平成29年)2月14日 TBS)


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関連記事

「女子大生専門」売春クラブ経営容疑で逮捕 客3千人か
(朝日新聞デジタル他) 2015年(平成27年)


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附属池田小事件(2001年)

附属池田小事件(Wikipedia) 
2001年(平成13年)

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出典:NHKニュース(YOUTUBE)
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出典:youtube
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附属池田小事件(ふぞくいけだしょうじけん)とは、
2001年(平成13年)6月8日に大阪府池田市の
大阪教育大学附属池田小学校で発生した
小学生無差別殺傷事件。

本事件の犯人・元死刑囚は宅間 守
(たくま まもる、1963年11月23日 - 2004年9月14日)。
以下、便宜上“甲”(文中未修正箇所は“被告人”)とする。

概要
甲の生い立ち

幼少時代の甲は3歳の時点で三輪車で
国道の中央を走って渋滞させたり、
小学校では自分より強い児童にはいじめられていたが、
自分より弱い児童に対しては徹底的にいじめた。
いじめられっ子であると同時にいじめっ子であった[1]。

また、猫等の動物を新聞紙に包んで
火をつけて殺害した事もあった。
中学入学後も弱いものいじめは継続して行っており、
本人が事件後鑑定医に語ったところによれば、
「好意を抱いていた女子生徒の弁当に精液をかけた」
こともあるという[2]。

小学生の頃から自衛隊に強い関心を持っており、
「将来は自衛隊入るぞ〜」と大声で叫んだり、
一人で軍歌を大声で歌っていたこともあり、
高校生になっても周囲の同級生に
「俺は自衛隊入るからお前等とは後少しの付き合いや」
と発言していたこともあったという。

また、高校時代に停学処分を受けた際、
反省文にも「自衛隊は内申書一切関係無しの一発勝負」
等と綴っていたこともあった[注 1]。

甲は幼い頃から「高学歴・高収入のエリート」
に対する屈折した羨望、嫉妬を抱いていた[1]。

尼崎市内の工業高校を2年で中退した後、
定時制高校に編入学するもすぐ退学し、
数ヶ月間ガソリンスタンドでのアルバイトを経て1981年末、
18歳の時航空自衛隊に入隊したが
1983年1月に1年強で除隊させられている[2]。

除隊の理由について、鑑定書は
「家出した少女を下宿させ、性交渉した」
ために懲罰を受けたと記述している[2]。

除隊後、甲は運送会社やトラック運転手、
引越し業者等十数社転職を繰り返していたが
何れも数週間から半年以内で辞職しており、
精神的に荒れ、家族に暴力をふるったり、
傷害、暴行などに走り、
また高速道路を逆走するなど非行を行うようになっていった[2]。

1984年、マンション管理会社に勤務していた時には
家賃の集金と称して
女性の部屋に上がり込んで強姦事件を起こしている[3]。

事件後、甲は母親を伴い精神科を受診、入院するが、
入院中に5階から飛び降りて重傷を負う[3]。
この出来事の後、統合失調症の診断を下されている。

また、のちに母親に宛てた手紙によれば、
入院したのは警察から強姦事件で追及されるのを回避するためで、
5階から飛び降りたのは「親に嫌がらせをするため」
であったという[3]。

初犯の強姦事件では1985年に懲役3年の実刑判決が確定し、
翌1986年春から1989年春迄奈良少年刑務所に服役し、
1989年の出所後父親が甲の私物を下取りに出し
その金を本人に手渡しして父親から勘当されている。

1993年、30歳の時非常勤の地方公務員になり
市営バスの運転手やゴミ収集、
小学校の用務員等を勤めていたが、
この間も市バスの運転を務めている最中に乗客の女性に
「香水の匂いがきつい」
ことを理由に言いがかりをつけてトラブルを起こし
懲戒処分を受けている[4]。

1999年4月に小学校教諭等が飲む茶に
精神安定剤を混入させる行為をした[5]として分限免職されたものの、
刑事処分は「責任能力なし」として受けなかった[5]。

その後再度職を転々とするが、
その度に暴行事件等を起こした為長続きしておらず[6]、
2000年末頃から最終的に
池田小の通り魔殺人事件で逮捕された当時は無職であった。

十数社の職歴の内ある程度長続きした(1年以上)
のは航空自衛隊と非常勤の地方公務員の2ヶ所のみであり、
それ以外は何れもおよそ半年以内で辞職したり解雇されている。
また、初犯の強姦事件を除き全て自身の精神障害の偽装を楯にして
15犯にわたる前科や不起訴処分を経験している。

甲の家系・家族とその環境

甲の先祖は旧薩摩藩の下級武士で[7]、
甲の家系では事件発生前まで代々誇りにしていた。
甲家の男子にも代々受け継がれ[7]、
法律や警察関係の仕事を行う者が多かった[7]。

武士だった甲の曽祖父は、
明治維新の直後に丁髷を落として警察官に就任し、
鹿児島県から奄美大島に渡った後、
大阪・河内へ移住した[8][9]。

甲の祖父は、甲の父親が17歳になった年の春に
死去している[8]。

甲の父親は小学校で学歴を終え、
甲家一家の大黒柱として6人の家族を養ってきた[7]。

甲の父親は、
甲の祖父と幼い頃から自宅の庭で木刀を打ち合っていたといい[8]、
「自分は薩摩武士だ」との強烈なプライドを生涯持ち続けていた[9]。

父親によれば「『誰にも迷惑をかけない』というのは、
大きな私のテーマでありました[10]」と語っている。
また、「(甲家の男子は)何代にも渡って厳しい修身教育(道徳)
を受けてきたため[11]、(甲家の男子は)『真のサムライたれ』
[10]と教育された。

ワシも父親に厳しくそれを仕込まれたし、
どんな出身地や身分にも関係無く『教育勅語』
というものがあった[10]。
これがあったから日本人はちゃんとしとったんですよ[10]」という。
父親は極めて平凡な頑固親父で、
人生の勝利者にはなり得なかったけれども
自分の人生にプライドを持っていたという[9]。

甲の父親は、家族全員に対して激しい暴力をふるっており[12]、
甲自身も父親から厳しく接せられていた
(尚、父親自身も放任されて育っていた様子である)。

甲は暴力をふるう父親を憎悪し、
寝ている間に包丁で刺殺してやろうと思ったこともある
と述懐している[12]。
甲が自衛隊を退職して非行に走るようになると
親子関係はさらに悪化し、
取っ組み合いをして
父親が甲を何度も石で殴打する出来事もあった[2]。

事件後、父親は甲のことを
「物事が上手くいかないとすべて人のせいにする人間」
と評している[13]。

甲の母親は、家事、育児が苦手であり、
家事のほとんどは父親が担当し、
一種のネグレクト状態であったと指摘される[12]。
甲を身ごもった時、父親に「これはあかん」
「おろしたい」と語っていた[12]。
また、母乳をあげることも嫌がっていた。
さらに、甲が中学を受験する際には、
「お前なんか産まれてこなければよかった」
と罵詈雑言を浴びせられたと、
事件後に甲のマンションから
押収されたノートに書かれていた[1]。

甲は両親に対して、喧嘩をした際に、
「ヤクザを使ってお前らの生活滅茶苦茶にしてやる」
「死ぬまで苦しめてやる」と語っていた[3]。

甲には実兄が一人居たが、
破綻した実弟の存在に心を病み、
起業の失敗と偽って
小刀で首を斬って40代前半の時自殺している[9]。
甲の母親も長期に渡って心を病み、
長らく精神病院に暮らした[9]。

この厳しくも誇りのある家庭を破壊した人物は、
甲の家族でも地域の環境でも社会の変化でもなく、
甲自身だったといわれているが、
前述の家庭環境を考えると
必ずしも甲一人の責任とは言えない[9]。

さらに兄の自殺も弟の責任といいつつも
兄も父を止めようとはしなかったので
甲の被害者とはいい切れない。

事件の概略

2001年6月8日10時20分頃、
大阪教育大学附属池田小学校に凶器を持った甲が侵入し、
次々と同校の児童を襲撃した。

結果、児童8名[注 2](1年生1名、2年生7名)が殺害され、
児童13名・教諭2名が傷害を負った[14]。

甲は、校長や別の教諭にその場で取り押さえられ、
現行犯逮捕された。

甲は最後の一人を刺し終えた瞬間、
凶器である出刃包丁を自ら落として、
「あーしんど!」と呟いたという[15]。
その後、甲は殺人罪などで起訴された。

逮捕当初、
甲は精神障害者を装った言動を取っていた[注 3][注 4]。
しかし、被疑者に対して起訴前と公判中に2度行われた
精神鑑定の結果で、2度とも
「情性欠陥者で妄想性などのパーソナリティ障害は認められるが、
統合失調症ではなく、責任能力を減免するような精神障害はない」
とされ、責任能力を認める結果が出た[17]。

甲は逮捕直後に「薬を十回分飲んだ。しんどい」
と供述して医師の診察を受けた[18]が、
甲が飲んだとされる薬は通院先の病院などを調べた結果、
抗精神病薬「セロクエル」と抗うつ薬「パキシル」、
睡眠剤「エバミール」の三種類と判明した[18]。

仮にこれら全部を甲の供述通り10回分服用しても
眠くなるだけで、奇怪な行動を起こしたりすることはない
とされる[18]。

また、甲の自宅を調べると睡眠薬や抗精神病薬など
10数種類、約200錠の薬物を押収[18]したが、
これは甲が複数の病院に通院しては、
医師に「眠れない」などと睡眠障害・不眠症を偽って
(いわゆる詐病の一種)薬を処方してもらい、
飲まずにため込んでいた[18]ものだった。

さらに、逮捕後に甲の血液や尿を採取して仮鑑定した結果、
精神安定剤の成分が検出されなかった[18]。
捜査員がこの事実を甲へ突きつけると、
「すみません。薬は飲んでいません。作り話でした」
と偽証していたことを認めた[18]。

公判

「下関事件の模倣犯になりたかった」
「命を持って償います」
と初公判でのみ反省・謝罪の弁を口にしていた。
このことに対し、大阪地方検察庁の検事が
週刊新潮のインタビューに対して「この反省と謝罪の弁は本物だった」
との証言をしている。公判後は「何も言えないよりは良かった。
本当ならば4人の遺族を名指しで批判するつもりだった」
「刑事責任能力がそこまで認められたなら(控訴しても)仕方ない」
と述べている。

2003年8月28日、
大阪地方裁判所は被告人の甲に対して死刑判決を言い渡した。

死刑判決を言い渡す場合には主文を最後に述べる慣例があるが、
今回はそれを破って主文を先に言い渡した。
また、すでに甲は開廷時に騒いだことで退廷命令を受け、
拘置所職員によって連れ出されており、
死刑判決を読み上げる裁判長の声を自ら聞くことは無かった。
また、この判決公判では傍聴希望者が多かったことから、
特別措置として法廷にテレビカメラを設置し、
別室に設けたテレビモニターで傍聴できた。

その他、甲は公判中にあくびや貧乏揺すり、
遺族や裁判長等を睨みつけたりする行為を行い、
これに対し傍聴席からは「早く死ね」「一人で死ね」
等の怒号が飛び交っていた。

死刑確定後

控訴期限の同年9月10日に弁護団は控訴したが、
9月26日に甲自ら控訴を取り下げ、死刑判決を確定させた。

甲は主任弁護人に送った文書で、
刑事訴訟法第475条第2項で規定された
「死刑確定後の6か月以内の死刑執行」
を訴えていた。

甲は、死刑が6ヶ月以内に執行されないと
精神的苦痛を理由とする国家賠償請求訴訟、
および法務大臣・野沢太三に対する
特別公務員暴行陵虐致傷罪での
刑事告訴を起こす準備をしていた。
告訴した場合には、たとえ受理されなかったとしても
手続きが滞って死刑の執行が遅れる可能性があったが、
告訴の依頼を受けた弁護士[誰?]によれば、
実際に告訴の手続きを行うつもりはなかったという[要出典]。

また担当弁護士に届いた2004年の年賀状には
「ケジメをつけるためにご協力お願いします」としたためており、
甲は一刻も早い処刑を望んでいた。

この事件の判決確定後、
甲は死刑廃止運動家の女性と出会い、
文通を経て獄中結婚をした。
晩年は甲自身の姓を女性の姓に改名している。
この他、愛知県出身の既婚女性から
愛情の告白を受けており、その女性とも文通を行っていた[19]。
最初は愛情や支援に対して頑なに心を閉ざしていた甲だったが、
自分に対する理解者が現れるに連れて、
少しずつ彼女に対して心を開いていった。

死刑確定から約1年後の2004年9月14日8時16分、
甲は大阪拘置所で死刑が執行された。
結果的には甲の望んだ通りの早期執行となった[注 5]。
執行当日の朝食は摂取することが許されなかったが、
甲は執行直前に刑務官から受け取った
煙草とリンゴジュースをゆっくり味わってから、
拘置所の奥へ消えていったという。
享年40。

甲が最期に残し、妻が死刑執行後に刑務官から伝えられた言葉は
「『ありがとう、と僕が言っていた』と、妻に伝えてください」
とされている[20]。

妻に対しては感謝の気持ちを表すまでには至ったものの、
事件によって犠牲になった被害者の児童やその遺族への謝罪は
最期まで一切無かったとされる。

なお、葬儀はマスコミが押しかけることと、
費用面など経済的事情もあり難航し、
結局は信者ではなかった
大阪市内のキリスト教関係の施設で行われたという[20]。

事件後の反響
犠牲者に対する対応

この事件で死亡した2年生7名は、
2006年に同級生と共に特別に卒業証書を授与され、
「小学校を卒業」という形になった[注 6]。
さらに、2007年にはこれと同様に、
死亡した1年生1名に卒業証書が授与された。

また小学校を管理する文部科学省は、
被害者遺族らに総額4億円の慰謝料や賠償金を支給した。

学校側の対応不足
文部省(当時)は、
1999年に京都市立日野小学校で発生した
京都小学生殺害事件の後に「安全管理に関する通知」を出しているが、
附属学校を設置管理する文部省および大阪教育大学では、
各附属学校の安全措置の状況を把握していなかった。

通知に関しては、教官に対して一度口頭で伝えたに留まり、
それ以外の格別の対応をとっておらず、
事件当日も不審者に対して、
教官による十分な対応がされていなかったことが、
被害児童の救助の遅れや犯人逮捕の遅れにつながった。

犯人を取り押さえてから警察による犯人逮捕までの間、
学校側による状況把握ができず、
管理職や教務主任は
混乱の中で事件の全容をつかめなかったほか、
組織的な対処行動(児童に対する組織的な避難誘導、
救命活動、搬送処置など)ができなかったため、
死亡した8名の児童は20分前後も放置されてしまった[注 7]。

混乱の中、教員が救急車に乗らず児童に付き添わなかったため、
保護者への児童の搬送先病院の連絡も遅れていた[21]。

事件直後、ある死亡児童の保護者は、
早い段階で来校したにもかかわらず、
学校内で負傷していた児童に会うことも
付き添うこともできなかった末、
自力で探し回った病院で
死亡した我が子と対面することとなった。
さらに事件後において、
学校からの説明や弔問が遅れただけでなく、
教員の心ない表現、
発言および行動が遺族の心を大きく傷つけた[22][23]。

学校の安全対策
この事件をきっかけに、学校(小学校など)、幼稚園、
保育所などの児童・生徒・幼児が頻繁に利用される
教育関連施設にも
「警察官立寄所」の看板(プレート)またはシールが
貼り付けられたり、学校にも部外者の学校施設内への
立ち入りを厳しく規制したり、
警備体制を強化するなどの方策を主張する声も増えた。

また、防犯ブザーを携帯する児童も増加したほか、
保育士や学校の教職員が防犯や心肺蘇生を学ぶ機会となった[24]。

この事件は、日本の学校がそれまでの
「地域に開かれた学校」から
安全対策重視の「閉ざされた学校」
に方針転換するきっかけとなった。

それまで小学校は、地域のコミュニティに重要な役割を果たし、
校庭は子供たちの遊び場にもなっていた。
この事件後、学校に監視カメラを設置したり、
部外者の立ち入りを原則禁止したりする傾向が強まった。

小学校などの学校への警備員配置、
集団登校時に保護者や地域のボランティアによる
見守りも行われるようになった[25]。

また、この事件を境に、小学校においては
児童の名札を廃止したり、
あるいは校内のみの着用に限定したりする学校が
増えるようになった。

触法精神障害者に対する対応
心神喪失と認められ、
無罪あるいは不起訴処分となった者に対する、
処遇のあり方について議論された。

それまでは、精神障害者に対して
司法機関が関与して処遇が行われることは、
一部の団体が保安処分に対して、極めて抵抗感が強かったが、
この事件以降に
『心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の
医療及び観察等に関する法律』が制定された。
保護観察所に社会復帰調整官(精神保健福祉士)が置かれ、
社会復帰調整官が中心となって医療観察が実施されることとなった。
もっとも、この措置は保安処分であるとの指摘もある。

被害者の精神的な障害
児童や教職員・保護者の中には、
心的外傷後ストレス障害 (PTSD) に未だ罹っている人もいる。

また、「あの時ああすればこの事件が起きなかったのに
(または被害を抑えられたというのに)」
というサバイバーズ・ギルト、
いわゆる「見殺しにしたという自覚」
ともとれる自責の念に駆られている教員もいる
(一審の最終弁論で現行犯逮捕に携わった教員の証言)[22][23][26]。

精神障害者における報道被害
精神障害者のうち、
統合失調症や気分障害などの者の家族らで運営する、
精神障害者家族会のかつてあった全国連合組織、
財団法人全国精神障害者家族会連合会(全家連)が、
精神科医を通して、事件後の精神障害者に対する
報道被害の様子の変化を調査している[27][28]。

1.自分の病気や障害について
深く考え悩むことがあった患者がいた (73.9%)

2.他人の目が気になったりして
外出が嫌になった患者がいた (63.0%)

3.再発というほどではないが
症状が不安定になった患者がいた (57.6%)

4.眠れなくなったりするなど
生活のリズムが乱れた患者がいた (50.0%)

深刻な事例として、
精神科医から挙がった声としては
1.自殺した患者がいた(1.1%、2人)
2.入院・再入院した患者がいた(16.3%、24人)
3.再発した患者がいた(13.0%、21人)

となった。

全家連から報道機関への見解と要望
全国精神障害者家族会連合会(全家連)は、
報道機関に対し「大教大池田小児童殺傷事件の報道について」
(2001年6月8日付)と「小学校児童殺傷事件報道について」
(2001年6月18日付)を送付している。

前者では「この事件で逮捕された男には、
精神病院の通院歴があったと報じられていますが、
その記述については、
私たち身内に精神科治療を受ける者を持つ立場から見て、
重大な疑義を感じざるをえません。

記事(番組)の中で報道されている
『男は、精神病院に通院中で…』という部分は、
その表現 (以下、病歴報道)によって、読者(視聴者)には、
『精神疾患』が本事件の原因であり、
動機であると理解されてしまいます。
その結果、「精神病者(精神障害者)はみな危険」、
という画一的なイメージ(=偏見)
を助長してしまうと考えるからです」

と、安易な病歴報道の問題点を指摘し、
「妄想や幻聴などの症状は、
薬物療法でコントロールしやすいといわれています」
と精神科治療の実情を説明、
「なぜこんな事件が起きたのか、
服薬はきちんとしていたのかなど、
事件の背景をきちんと取材し、
今後の教訓となるような報道をしてください」

と要望している。
後者では「安易な報道によって、
「精神障害者は危険だ」
という社会の偏見がより強くなりました。
(中略)これは『報道被害』であるといっても、
過言ではありません」

と、報道によって受けた報道被害を訴え、

1.事件の報道をする場合、警察発表であったとしても、
事件の背景、病気の状態などが明らかになっていない段階で、
特定の病名や通院歴・入院歴を報道するべきではないこと。

2.法的責任能力の問題を
精神障害に置き換えて報道しないこと。

3.この事件と触法精神障害者の
処遇問題を安易に結びつけないこと。

の三点を要望している。

補足
精神鑑定書

2013年に本件の鑑定人の一人、
精神科医の岡江晃は、甲の名を冠した
『宅間守 精神鑑定書 精神医療と刑事司法のはざまで』
を著した[29]。
その本の内容は下記によりなる。
鑑定書前文
第1章 家族歴
第2章 本人歴(生活歴、精神科治療歴、
生活歴精神科治療歴にかんする甲の陳述)
第3章 本人犯行
(甲以外の供述、鑑定時に述べたこと)
第4章 現在症(精神所見、心理検査所見、
身体所見)
第5章 診断(精神医学的考察、
本件犯行とその心理、精神能力)
第6章 鑑定主文

資料として各種検査、判決要旨が追加されている。
鑑定人は H.T.と岡江晃で、
ほかに鑑定助手として医師2人、
臨床心理士1人が協力した。

鑑定主文を要約すると、甲はいずれにも分類できない、
特異な心理的発達障害があり、
この延長線上に青年期以降の人格がある。

本件犯行時、本人は情性欠如者であり、
穿鑿癖、脅迫思考を基盤とした妄想反応である、
嫉妬妄想があった。

本件犯行そのものに踏み切らせた決定的なものは
情性欠如であり、著しい自己中心性、攻撃性、衝動性である。
本件犯行が極めて重大な犯罪であるという認識は、
犯行直前、直後、現在もある。

診断の中の精神医学的考察の中で、
過去の精神科医の診断が述べられている[30][31]。
それによると過去に診察したすべての精神科医は
程度の差はあれ、
精神分裂病(現在は統合失調症)
の可能性があると考えたという事実が記録されている。

診療録の診断名は精神分裂病のみならず、
精神神経症、敏感関係妄想、
神経症などとなっているが、それらは単に暫定診断であり、
保険請求のための診断であった。

唯一、約2年間にわたって主治医であった
精神科医YMのみが、本件犯行より以前に
精神分裂病から、
妄想性パーソナリティ障害へと診断変更した。

呼称について
「大阪教育大学教育学部附属池田小学校」
の所在地周辺では、
「池田小」といえば別の学校である
「池田市立池田小学校」を指すことが一般的で、
事件のあった学校名を記載する際には、
「大阪教育大学教育学部附属池田小学校」
とフルネーム、
略称も「附属池田小」と呼称する場合が多い[注 8]。

マスコミなどの扱いでも、主要紙は記事本文では
「附属池田小事件」と表記することが多いが、
見出しなどでは依然「池田小事件」
と表記されることもある。

その他
遺族の中には甲に対してその境遇や生い立ち、
学校の用務員(技能員)としての生活時代に
子供から揶揄されたなど、
一定の理解を示した者もいた。
大手マスメディアではこれが報道されることはなかった。

事件発生2日後の2001年6月10日、
横浜国際総合競技場(現:日産スタジアム)
で行われたFIFAコンフェデレーションズカップ・
日本 - フランス戦のキックオフ直前に、
両チームの選手が事件の犠牲者へ向けて
1分間の黙祷を行っている。
この時、字幕に「Pray for eight victims
(8人の尊い命に対し、黙祷を捧げます)」というテロップが
世界中に放送された。

また、同じくサッカー選手のリオ・ファーディナンドも
2001年に来日した際に事件を知り、
同校に献花を行った(リオ・ファーディナンドの項参照)。

事件後、宇多田ヒカルは彼女のファンであった
事件の犠牲者・被害者へ捧げたシングル曲として
「FINAL DISTANCE」を発売した。
附属池田小学校の校内では
2008年秋に鉄腕アトムの銅像が建てられた。

産経新聞が
校庭に座って泣く児童らの写真を掲載したが、
この写真が2001年度の新聞協会賞を受賞している。

橋下徹が、政界入りする前に弁護士だった2004年に
「(甲を)速やかに死刑にすべき」
という異例の寄稿を週刊誌で発表した。
その後、甲から弁護人を通じて早期の死刑実現に対する
援助を依頼する手紙が届いたが、
橋下は、甲が遺族に謝罪するという条件付きで
了承する旨を返答した。

しかし、返事には人生に対する恨みや苦悩は書かれていたが、
遺族への謝罪や反省のコメントは書かれていなかった。
この手紙はテレビ番組「たかじんのそこまで言って委員会」
で朗読したが、結局協力はしなかった。

事件当日は、2011年中にアナログ放送を終了させる
改正電波法が国会で可決・成立されたが、
この事件の報道によって大きく報じられなかった。

この事件は海外でも大きく報道された。
これをきっかけにコロンバイン高校銃乱射事件の
犠牲者の遺族と本事件の遺族との交流が始まり、
以降両者は「学校の安全をいかに確保するか」
というテーマで定期的にシンポジウムを行っている[32]。

この後、附属池田小学校では、
学校における安全教育の研究
および実践を展開してきたことで、
その安全に対する姿勢が認められ、
2010年3月5日付で、日本の学校においては初のISS
(International Safe School) に認証された。
とりわけ文部科学省の教育課程特例校として
「安全科」を設置したことは世界でも高く評価されている。

脚注
注釈
1.^ その他、当時の反省文には自身が小学生の頃からの
反社会的行動や、運転免許証を所持していないにも関わらず
オートバイを購入したこと、祖母への愛着、部落問題への批判など
十数ページにわたり延々と綴った後、
文末には「最後に俺自身の大きな反省点は、
先の事を考えて行動せよ。それだけ」で締め括っている。
2.^ 2004年に犠牲になった8人の児童追悼のために、
代表して松本零士のファンで「銀河鉄道999」で宇宙を旅をすることが
夢だった女児の名前が、
松本原作のOVA作品「大YAMATO零号」のヒロイン名に採用されている。
3.^ 取り調べで「オレは学校なんか行ってない。
阪急池田駅で人をメッタ斬りした」と不可解な発言をした[16]。
4.^ 甲は過去に15回もの逮捕歴(高速道路の逆走、
実兄の愛車である高級輸入車を「サラリーマンが外車なんか乗るな!」
と角材で破壊する行為、小学校教諭が飲む茶に
精神安定剤を混入させる行為など多岐にわたる)を持つが、
精神科通院歴を楯に不起訴処分(あるいは保護観察処分)
という比較的軽い処分を経験している[16]。
5.^ 同じように早期の死刑を望んだ死刑囚に
ピアノ騒音殺人事件の犯人がいるが、
精神に異常をきたしている(近況については情報公開されていないが)
といわれており、確定から37年近く経過した現在も執行されていない。
つまり、死刑囚本人が執行を求めても執行が早まるわけではないのである。
6.^ 通常は、死亡した場合は死亡日に除籍扱いとなる。
卒業することは極めて珍しい。
7.^ 死亡した児童8名は即死ではなく、
救命活動の遅れによる失血死が死因であった。
8.^ 2004年度に大阪教育大学附属池田小学校と改称。

出典
1.^ a b c 片田珠美 2009, p. 104.
2.^ a b c d e 片田珠美 2009, p. 105.
3.^ a b c d 片田珠美 2009, p. 106.
4.^ 片田珠美 2009, p. 107.
5.^ a b 片田珠美 2009, p. 108.
6.^ 片田珠美 2009, p. 109.
7.^ a b c d 新潮45編集部 2002, p. 25.
8.^ a b c 新潮45編集部 2002, p. 26.
9.^ a b c d e f 今枝弘一 2008.
10.^ a b c d 新潮45編集部 2002, p. 27.
11.^ 新潮45編集部 2002, p. 2527.
12.^ a b c d 片田珠美 2009, p. 103.
13.^ 片田珠美 2009, p. 115.
14.^ “命の尊さ訴え、鐘は鳴る 付属池田小事件14年”.
朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2015年6月8日).
オリジナルの2015年6月8日時点によるアーカイブ。
2015年6月11日閲覧。
15.^ 新潮45編集部 2002, p. 50.
16.^ a b 一橋文哉 2003, p. 398.
17.^ 一橋文哉 2003, p. 398-399.
18.^ a b c d e f g 一橋文哉 2003, p. 403.
19.^ 『サイゾー』2004年11月号より。
20.^ a b 佐久間哲 2005, p. 27.
21.^ 大森治幸 (2015年6月9日). “池田小乱入殺傷:
事件から14年 保護者ら向けに対談映像”. 毎日新聞
(毎日新聞社) 2015年6月11日閲覧。}[リンク切れ]
記事名の一部に実名が使われているため、省略した。
22.^ a b 事件概要.
23.^ a b 遺族合意書 2003.
24.^ “講習会:防犯や心肺蘇生学ぶ 保育士、
教職員90人 /和歌山”. 毎日新聞 (毎日新聞社).
(2015年6月10日) 2015年6月11日閲覧。}[リンク切れ]
25.^ 吉村治彦 (2015年6月10日). “金沢の電気店主、
子ども見守り14年 池田小事件機に”. 朝日新聞デジタル
(朝日新聞社). オリジナルの2015年6月10日時点による
アーカイブ。 2015年6月11日閲覧。
26.^ 負傷児童保護者合意書 2005.
27.^ 全国精神障害者家族会連合会 (2008年8月14日),
“大阪・池田小学校児童殺傷事件の報道被害に関する
調査結果について” (日本語) (プレスリリース),
オリジナルの2002年8月14日時点によるアーカイブ。
2011年1月4日閲覧。
28.^ 佐藤秀峰 『ブラックジャックによろしく』12、
講談社。ISBN 9784063724653。
29.^ 岡江晃 2013, p. 1-402.
30.^ 岡江晃 2013, p. 315.
31.^ 岡江晃 2013, p. 111-129.
32.^ 共同通信 (2005年10月9日). “学校の安全、
国境超え議論 池田小とコロンバイン遺族”. 47NEWS.
オリジナルの2013年6月6日時点によるアーカイブ。
2015年2月26日閲覧。

参考文献
一橋文哉 『宮勤事件−塗り潰されたシナリオ−』
新潮文庫、2003年9月。ISBN 978-4-10-142624-2。
今枝弘一 『池田小児童惨殺犯』 新潮社、2008年8月。
岡江晃 『宅間守 精神鑑定書 精神医療と刑事司法のはざまで』
亜紀書房、2013年5月。ISBN 978-4-7505-1310-2。
片田珠美 『無差別殺人の精神分析』〈新潮選書〉、2009年5月。
ISBN 978-4-10-603637-8。
佐久間哲 『死刑に処す−現代死刑囚ファイル−』 自由国民社、
2005年11月。ISBN 978-4426752156。
『殺ったのはおまえだ−修羅となりし者たち、宿命の9事件』
「新潮45」編集部 編〈新潮文庫〉、2002年11月。
ISBN 978-4-10-123914-9。
日高恒太朗 『殺人百科データファイル』 新人物往来社
〈別冊歴史読本 5〉、2005年1月。ISBN 978-4404033055。
森達也 『死刑−人は人を殺せる。でも人は、
人を救いたいとも思う。−』 朝日出版社、2008年1月。
ISBN 978-4255004129。

関連項目
拡大自殺
ゲイリー・ギルモア - 『死刑にされる権利』を訴えたアメリカの死刑囚
スクールシューティング

学内侵入犯による類似襲撃事件
文京区小2女児殺害事件(1954年4月19日)
小学校内で起こったヒロポン中毒者による児童殺害事件。
京都小学生殺害事件(1999年12月21日)
宇治小学校児童傷害事件(2003年12月18日)
ソウル日本人学校園児襲撃事件(2004年1月29日)
寝屋川市立中央小学校教員殺傷事件(2005年2月14日)

その他の類似事件
ピアノ騒音殺人事件(1974年8月28日)
新宿西口バス放火事件(1980年8月19日)
深川通り魔殺人事件(1981年6月17日)
池袋通り魔殺人事件(1999年9月8日)
下関通り魔殺人事件(1999年9月29日)
武富士弘前支店強盗殺人・放火事件(2001年5月8日)
- 附属池田小事件のちょうど1か月前に発生し、
5名の死者、4名の負傷者を出している。
大邱地下鉄放火事件(2003年2月18日)
- 韓国・大邱広域市にて発生。
本事件を上回る192人の死者を出した。
自殺サイト殺人事件(2005年2月〜6月)
- 元刑事を実の父親に持つ男による連続殺人だが、
彼には20年間で100件以上の強盗や
傷害の前科があった。
秋葉原通り魔事件(2008年6月8日)
- 7年後の同日午後に発生、
7人が死亡し10人が重軽傷を負った。
大阪個室ビデオ店放火事件(2008年10月1日)
- 本事件を上回る16人の死者を出した。
相模原障害者施設殺傷事件(2016年7月26日)
- 本事件を上回る19人の死者を出し、
戦後発生した殺人事件では最悪規模。

その他、アメリカ合衆国では銃の乱射による
同様の事件がしばしば起こっている。
テキサスタワー乱射事件(1966年8月1日)
パトリック・パーディー(1989年)
- 米国で起きた銃乱射による小学生5人殺害事件
コロンバイン高校銃乱射事件(1999年4月20日)
バージニア工科大学銃乱射事件(2007年4月16日)

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関連記事


付属池田小裁判傍聴記・庄村有治



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犠牲者のご冥福をお祈り申し上げます。


FC2ライブなどで“裸”配信 5人逮捕(2017)

FC2ライブなどで“裸”配信 5人逮捕
日本テレビ系(NNN)
2017年(平成29年)2月6日 


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インターネットのライブ配信サイトを利用し、自分の裸など、
わいせつな映像を配信したとして男女5人が逮捕された。

警視庁によると、公然わいせつなどの疑いで逮捕された
チャットルーム運営会社の代表取締役・岡田かおり容疑者(30)
ら男女5人は、
去年9月から11月にかけてライブ配信サイト「FC2ライブ」
などを利用して自分の裸などを配信した疑いが持たれている。

岡田容疑者らはチャットで閲覧者の要望に応じ、
わいせつな行為をライブ配信していたという。

調べに対し岡田容疑者は「お金がたくさん稼げるからやった。
視聴者とのやりとりも楽しいので始めた」
などと容疑を認めているという。

警視庁は岡田容疑者らが求人サイトで女性を集め
ライブ配信をさせ、
2015年8月から約1億円を売り上げたとみて調べている。


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小説家・保坂和志の『考える練習』オカルト版とは?(2013)




オカルトを信じない人は成功しない」

小説家・保坂和志の『考える練習』オカルト版とは?(出典:ハピズム)

2013年(平成25年)



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保坂和志氏が4月に大和書房から出版した

『考える練習』が好調な売り上げを見せている。

「論理に縛られ“テンプレート化した発想”から抜け出す」

ための同書は、ひょっとするとオカルト的な

なにかに通じるものがあるかもしれない。

そう思い立ち、保坂和志氏にインタビューを試みた。

人呼んで(というか勝手に命名)、

『考える練習』オカルト版! 

どうぞご一読あれ。


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ハピズム
まず、このインタビューをお願いした際、
保坂さんが西武百貨店のコミュニティ・カレッジに勤務していた80年代に、
「日本のカルチャーセンターで最初に超能力(超心理学)
の講座を企画した」というエピソードを知り、驚きました。

しかも講師は、超心理学研究者の井村宏次さん。
井村さんといえば超常現象や気の研究の大家ですよね。

保坂和志(以下、保坂) 
あの当時、井村宏次さんがチャートルズ・T・タートの『サイ・パワー』
(工作舎/1982年)
という本を翻訳したり、
『サイ・テクノロジー 気の科学・気の技術』(工作舎/1984年)、
『霊術家の饗宴』(心交社/1984年)
といった人間の意識の本質や超常現象に迫った本を
いろいろと出版していた。
そこで、「超能力の講座をやりたいんですけど、
適任者って誰だと思いますか?」
って中沢新一さんに相談したんだよね。
そうしたら、「井村宏次さんしかいない」という答えが返ってきた。
それで井村さんを講師にした超能力講座を立ち上げたというわけ。

ハピズム
当時、超能力ブームがあったんですか?

保坂 
とくにブームがあったわけではないけれど……
学研の「ムー」(1979年創刊)なんかが売れていたから、
オカルトに関しては多少風が吹いていたかもしれない。

■スプーン曲げの清田くんと松井秀喜

ハピズム
なるほど。そういう経緯があったわけですね。
では、オカルトといまの社会の関係性についてはいかがでしょうか。

素朴な言い方をしてしまえば、現在、多くの人の考えのよりどころは
科学的な妥当性にあると思います。
科学的ではない物言いをすると、すぐにオカルトと思われがちです。
そして、オカルトに対して、肯定/否定という切り口でしか
語られなくなってしまっている状況があるのではないでしょうか?

保坂 
それは両者に問題があると思う。
オカルト否定派は頭ごなしにオカルトを全否定してしまう。
一方、オカルト肯定派のほうも極端な実例ばっかり出してきて、
相手を説得するより自分が信じたいほうが先に立っているように見える。

だから両者は真面目に交流しようと思ってない。
でも結局、オカルトを肯定する人々も否定する人々も、
比べてみると、
同じように「なにか」を信仰しているんだよね。

科学信仰とオカルト信仰。

保坂 
そう。オカルト否定派、つまり科学の立場にいる人の問題点は、
肝心の証明を自分ではできないことにある。

アインシュタインやニールス・ボーアなんかを引き合いに出したって、
自分自身で証明ができるわけではなくて、
ただ入門書レベルの大雑把な知識しか持ってない。
「量子の奇妙なふるまい」
みたいなことを精密に理解できてる人なんてほとんどいないでしょ? 
だから、科学も信仰でしかないんだよ。

よく科学者が超能力者にむかって
「同じことを何度でもやってみろ」って言うでしょ。
実験は1回こっきりじゃダメで、
何度でも同じ結果が得られないと認められない。
それと同じ発想で言ってくる。

スプーン曲げの清田(益章)くんが潰されたのも、
「テレビのカメラの前でやってみろ」って言われたのが原因。
でも、そういうことを言う人たちがわかっていないのは、
たとえば、松井秀喜に
「160メートルのホームランを打ったことがあるなら、
ここでもう1回打ってみろ」
って言っているのと一緒なんだよ。そこに気づいていない。

科学の立場にいる人は、何度でも同じことができると信じている。
清田くんだって、よっぽどコンディションを整えないと
スプーン曲げなんてできるわけないじゃん。
それは松井だって同じで、コンディションがよくなければ、
160メートルのホームランを打てるわけない。
それで、「清田くんのスプーン曲げは嘘だった」とか騒ぐわけ。
それじゃあ、「松井の160メートルのホームランは嘘だった」
というのと同じだよ。
科学の立場にいる人は、その程度の見方しかできないんだよ。

芸術にしろスポーツにしろ超能力にしろ、
最高の表現、最高のパフォーマンスというのは何度もできない。
3日前の表現と今日の表現は絶対的にちがうもので、
同じ表現は二度とできないかもしれないということを
表現者たちはわかっている。

ハピズム
表現というのは一回性のもの、繰り返しできるものではない。

保坂 
そうなんだよね。ところが、
そういうことを真面目にやったことがない人たちは理解できないから、
何度でも同じことができると思っている。

■死んだ先輩の霊がコックリさんで乗り移った!!

ハピズム
そもそも保坂さんがオカルトに興味を持ちはじめたきっかけは
なんですか? スプーン曲げについても
小説で少し書いたりしていますよね
(「夢のあと」/『この人の閾』所収、『カンバセイション・ピース』、
共に新潮文庫)。

保坂 
きっかけはとくにないけれども、
やっぱりオカルトが単純に好きなんだよ。
あと、オカルト否定派がいちばん嫌いなんだよ、
人間として。

ハピズム
人間として嫌い(笑)。

保坂 
物心ついてからの成長過程で、
周囲の大人の言うことを聞きながら、
「自分はこの人のようになりたい」
「この人のようにはなりたくない」
ということをなんなとく意識していく。そういったなかで、
頭ごなしにオカルトを否定するタイプの人間と当然出会うでしょ。
そういう人たちがとにかく嫌いだった。
だから、あえて小説のなかでも、
スプーン曲げや空中浮遊を入れたりしている。
いや、自然と書いちゃうのか(笑)。
そこで、「なんでこんなことを書くんだ?」と思う人は、
べつに僕の小説を読まなくていいんじゃないかな、
と思っている部分もあるんだよね。

ハピズム
保坂さん自身のオカルト体験はありますか?

保坂 
たしか『カンバセイション・ピース』
でも書いているエピソードで、
前の日に死んだ隣のおばあちゃんの葬式に、
翌日の午後、お袋が喪服を着て行って、
そのおばあちゃんちの広い庭花壇があって、
それが見えるところで1人で積み木遊びをしていたら、
そこの花壇を
浴衣を着た死んだおばあちゃんが歩いていたんで、
「ああ、そっか、お葬式とはいっても死んでないんだな」
ということがあった。

それがオカルトかどうかはわからないけれども、
自分自身の体験としてはその一度だけ。
でも、ほんとうにそういった体験すると、
ぜんぜん怖くないなって思った。

あと、僕の高校時代、コックリさんがものすごく流行って、
文化祭の夜、4人でコックリさんをやっていたら、
十円玉が急に勢いよく動き出した。
そうしたら、
前の夏に裏山で首を吊った先輩の名字が出てきたんだよ。
ところが、1週間くらいあとに、
同級生が「あれは俺が動かしたんだ」と言った。
でも「それはちがう。お前は乗っ取られたんだ」
と僕は言った。
「お前は自分の意志で十円玉を動かしたと
思っているだろうけど、
お前は死んだ先輩に乗っ取られたんだよ」と反論した。
その同級生が死んだ先輩の霊に
乗っ取られたわけではないという説明はできないんだよね。

ハピズム
芸術や思想とオカルトとの関わりについてはいかがでしょうか?

保坂 
オカルトは、いまの社会生活では「ない」とされている。
でも、社会生活で「あるとされているもの」
だけで生きていたら、芸術は絶対にできない。
芸術とオカルトを結びつける場合は、
オカルトを題材にした小説を書くとか、
そういった話ではなくて、
なにかをつくるプロセスがそもそもオカルトなんだよ。
そして、それが社会を変えることにつながっていく。

ハピズム
社会を変えるために必要なことってなんでしょうか?

保坂 
現代社会って、ほんとうに大真面目な話、
軍事産業を中心とした社会になってしまっている。
文房具のホッチキスだって、
元々は機関銃会社が作ったという説があるくらい。
軍事産業を中心とする企業が社会を利用して、
国家は軍事産業を中心とする企業によって
操られている。
そんな社会の責任を
僕たちが肩代わりする必要なんてまるっきりない。

さらに言うと、
いま限界集落といわれている土地に住んでいるのは、
ほとんどが高齢の人間だけれども、
もともとああいった土地は、
都に住めない落ち武者とかが
切り拓いて住みついたんだよ。
むかしは居場所がない人たちは村を開拓した。
いまだって、みんなが住む場所を
自分たちでつくってしまえばいい。
そうすれば、都会から安い賃金で使い捨てされる
労働者がいなくなる。
すると、企業はやっていけなくなるんだよ。

でも、「新しい居場所をつくろう」と思わないように
人々は教育されてしまっている。
そんな教育なんて無視するやくざや侍みたいな
アウトサイダーが大勢いたら、
カルロス・ゴーンが年収10億稼ぐこともない。
アウトサイダーが社会を変えていけば、
ゴーンみたいなやつらの首を簡単にはねられる。
考えようによっては、
社会はいくらでも変革できるんだよ。

ハピズム
思想や神秘主義について考えたことや、
それを理解しようとしたこと、考えるというメカニズムが、
保坂さんにとって小説を書くというメカニズムであると
以前おっしゃっていましたよね。

保坂 
そうなんだけれども、ただはっきり言えば、
僕は新興宗教とか殺人事件とかオカルトを題材にした小説が嫌い。
どういうことかと言うと、そういった作品は、
根本的な部分でオカルトを信用していないから嫌いなんだよ。
オカルト的な視点にぜんぜん立っていないし、
すべて一般社会のワイドショー的な視点からしか見てない。 

ハピズム
オカルトをそのままフィクションに
持ちこんでしまっているということでしょうか?

保坂 
オカルトを信じない人の観点で創作をしてしまっている。
それは大きな間違いなんだよ。
というか、あれ!? 川又くん(編集)、
『ロスト・ハイウェイ』のTシャツ着てるじゃん! 
いま、ようやく気づいた(笑)。

ハピズム
あ、そうなんですよ(笑)。
たとえばデヴィッド・リンチの作品には、
根底にオカルト的なものが潜んでいますよね。

保坂 
それは大いにあると思う。
『マルホランド・ドライブ』のカウボーイや
『ツイン・ピークス』のボブとかさ、
フィクションの外から来た人間として登場させているんだよ。
つまり、カウボーイやボブは
フィクション内の単なる登場人物ではない。
リンチのフィクション観が通常のフィクションの
受容のされ方とすごくズレていることを示している。
そのあたりが、オカルトとしても、
すごく自分の琴線にふれるものがある。
なんか真理な感じがするんだよね。

■親の死、猫の死、自分の死

ハピズム
保坂さんが
普段から不思議に思っていることはありますか?

保坂 
いままで誰からも
相づちを打たれたことがないんだけれど、
僕にとっていちばん不思議なのはパソコン。
電源を入れるときは、手でスイッチ押すでしょ。
ところが、オフにするときは画面のなかで
操作して切るじゃん。
これってすごく変じゃない? 
なんかオカルトっぽいんだよね。
たとえるなら、人生に近くて、
生まれるのは外の力なんだけど、
死ぬのは自分の力。
運動の結末だけがあるだけなんだよね。

ハピズム
言われてみればそうですね。
パソコンは外部から命を与えて、自分で死んでいく。
死生観といえば、『<私>という演算』(新書館)で書かれていた、
保坂さんの祖母の「不信心」の話がいまでも印象に残っています。

保坂 
僕の祖母は「さわらぬ神に祟りなし」という信条で、
神様に拝んだりしたらあとが恐いって
いつも言っていたんだよ。
恐いから、神様なんかにはふれてはいけないと。
だから、旦那のお墓参りも一度もしなくてさ。
家のなかの仏壇だって拝まなかった。
ただ、信仰以前の、もっと原初的な信仰になる前の恐れは
確実に持っていた。

ハピズム
死ってどんな生物とっても同一ですよね。
猫も犬も人間も。たとえば、3.11が起こったあと、
人間は自然には太刀打ちできないって
盛んに言われましたけど、
結局、人間も自然の一部だと考えるとするならば、
死ってそこまで恐がるものなのかな? 
という疑問があるんです。

保坂 
そこはすごく重要! ただ、それはね、
僕ではなくて小説家の山下澄人に聞いてよ。
そういったことを常に考えながら生きているのが
山下という男なんだよ。
山下の両親は早死にしている。
一般に言われてることなんだけど、
親の死んだ年を越えるということは、
子どもにとってすごく大きい一線らしいんだよね。
僕の父親は84歳まで生きたし、
母親もまだ生きているから、
僕にはいまいちピンとこない。
人が生きたり死んだりする小説を山下が書いているのは、
山下のなかでは死というものが
すごく大きいからだと思うよ。

ハピズム
山下さんの小説には、
よく「親はガンで死んだ」というフレーズが出てきますよね。
少し失礼な言い方になるかもしれませんが、
絶対、保坂さんも死ぬじゃないですか? 
保坂さんにとって死とはなんでしょうか? 
もちろん、そう言っている僕も絶対に死ぬわけですが……。

保坂 僕もぼちぼち50歳後半だから、
脳出血とか心臓発作関係で死ぬ可能性は
ずっと高まっているわけ。
でもまあ、いまのところ変なものを残したらやばいな、
くらいしか思っていない。
やばいっていうのはエロサイトの履歴とか(笑)。

ハピズム
死ぬ間際、ハードディスクの中身を全部消さなきゃって(笑)。

保坂 いや全部消したらまずい。
猫の写真は残しておかなきゃいけないんだよ。
03年には家猫と外猫、
合わせて10匹にエサをやってた。
でもいまは2匹しかいない。1
0年間に8匹も死んでしまった。
マーちゃんが死んだ14日、ピースの死んだ3日、
コンちゃんの死んだ24日、チャーちゃんの死んだ19日、
ジジの死んだ17日。
つい先日、マミーが死んで、
その前に死んだ猫の戒名とかつけていないし、
ちゃんと弔ってあげられていないことに気づいてさ。

それで、動物の霊園に
「これまで死んだ猫の戒名みたいなお札を書いてほしい」
とお願いしたの。命日と一緒に戒名も入れたお札。
僕の行動記録として、どの猫がいつ死んだとか、
ぜんぶ残してあるから、それをこのあいだひっくり返して、
記録が3カ月ぐらいずれていたりするんだけど、
でも行方不明になった猫もいて……
で、なんの話だっけ?(笑)

ハピズム
(笑)。保坂さんにとっての死はなにか? 
という話です。

保坂 
僕にとっての死は猫なんだよ。
猫のことを知っているのは僕と何人かしかいないわけだし。
でさ、猫は僕と何人かしか知らないし、
その一方でまったく誰からも知られないまま死んでいく猫もいる。
みんなそうやって消えていくわけだよ。
でもさ、体臭やわきがの強い人とかさ、そ
の人がその場からいなくなっても匂いが残っているときあるでしょ。
死ってそんな感じもするんだよね(笑)。

■オカルトを信じない人は成功しない

ハピズム
最後になりましたが、保坂さんにとってオカルトの定義ってありますか?

保坂 
オカルトとは生命という活動だよ。
どうやっても十全に説明がつかない。
だから生命としか言いようがない。
この前、ネットを見ていたら、
矢追純一がなんでUFOを追いかけはじめたかっていう
インタビュー記事があったんだよ。
それがすごくいい話で、矢追純一はこう言っているわけ。
「ある日気づいたんだけど、
東京でサラリーマンがみんなうつむいて歩いている。
だからみんなに『空』を見せたかったんですよ」って。
でも、それはUFOのお告げだったかもしれないと僕は思った。
矢追さんは自分の意志で言っているようだけど、
ほんとはUFOに言わされていたんじゃないのかって。
コックリさんの話もそうだけれども、
そもそも自分の意志を信じるってことがすでに貧困なんだよ。

そして最後にひとつだけ言えることがある。
あのね、オカルトを信じない人は、成功しないんだよ。
科学や理屈ですべてを説明しようとする人は
絶対に成功していないんだよね。
あ、新興宗教を信じろということじゃないよ。
ああいうのは信じるんじゃなくて、頼っているだけだから。
(インタビュー・構成/川又宇弘)

■保坂和志(ほさか・かずし)
1956年、山梨県生まれ。
早稲田大学政経学部卒業。93年『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、
95年『この人の閾(いき)』で芥川賞、97年『季節の記憶』で谷崎潤一郎賞、
平林たい子文学賞を受賞。そのほか、『プレーンソング』
『カンバセイション・ピース』『カフカ式練習帳』など著書多数。
9月に「群像」(講談社)での連載をまとめた長篇『未明の闘争』が刊行予定。
(出典:ハピズム)

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(1988-89年)

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(Wikipedia他)
1988-89年(昭和63〜平成元年) 

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東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件 


東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(とうきょう・さいたま れんぞくようじょゆうかいさつじんじけん)
とは、1988年から1989年にかけて東京都北西部および埼玉県南西部で発生した、
幼女を対象とした一連の事件である。

警察庁公式名称は「警察庁広域重要指定117号事件」。
『現代用語の基礎知識』には「連続幼女誘拐殺人事件」の名で掲載された。

1 概要
2 事件
3 動機
4 裁判から死刑執行まで 4.1 裁判
4.2 死刑執行

5 影響 5.1 ホラー
5.2 ポルノ
5.3 小児児童への影響
5.4 テレビ

6 統計データ
7 冤罪説
8 その他
9 注釈・出典
10 関連書籍
11 関連項目
12 外部リンク

概要 

この事件は、4歳から7歳という低い年齢の女児が被害者となり、
犯行声明を新聞社に送り付ける・野焼きされた被害者の遺骨を
遺族に送りつけるなどの、
極めて異常な行動を犯人が取ったことから、
欧米を中心に多発する児童への性的暴行を目的とした
誘拐・殺害事件などとの比較も行われ、
戦後日本犯罪史上にて初めて
プロファイリングの導入が検討された。

特異性が強い事件であったため、
事件発生当初から激しい報道合戦が繰り広げられ、
後に犯人の父親が自殺したことで
「メディアスクラム」をはじめとする報道のあり方が
疑問視された事件でもあった。

1989年7月23日、
この事件の犯人である宮崎勤が
八王子市にて別件のわいせつ事件を起こしているところを
被害者の父親に取り押さえられ、
八王子警察署に現行犯逮捕された[1]。

取り調べが行われる中で、
8月9日に連続幼女誘拐殺人事件の
一部の事件への関与を認める供述を始める。

8月10日に供述どおりに遺体が発見され、
その日の夕刊とテレビから大々的な実名報道が始まる。

8月11日に誘拐と殺人の容疑で再逮捕され、
以後9月にかけて
4つの事件への関与を次々と供述する。

なお、逮捕される前から宮崎が
過去の性犯罪者リストによって
捜査線上に浮かんでいたとも言われている。

宮崎が自室に所有していた
「5,763本もの実写ドラマなどを撮影したビデオテープ」
を家宅捜索により押収した警察側は、
これらを分析するために74名の捜査員と
50台のビデオデッキを動員した。

2週間の捜査によって、
被害者幼女殺害後に撮影したと見られる映像を発見した。
そして1989年9月2日に起訴に踏み切り、
後に宮崎の供述により遺体が発見されたため、
一連の事件犯人として追起訴した。

宮崎は公判において、
「犯行は覚めない夢の中でやった」
「ネズミ人間が現れた」
「俺の車とビデオを返せ」
など、不可解かつ身勝手な発言を繰り返していた。

1997年4月14日に東京地方裁判所で死刑判決が下る。
通常、死刑を宣告する際は被告人の精神状態を考慮して
判決理由を朗読した上で主文を後回しにするが、
この裁判では例外として冒頭で主文を言い渡された。

控訴するも、2001年6月28日に
東京高等裁判所でも控訴棄却され、
一審判決の死刑を支持。

弁護側は、宮崎が東京拘置所で幻聴を訴え
、継続的に投薬を受けていることなどを挙げ、
高裁に差し戻して再鑑定するよう求め上告したが、
2006年1月17日に最高裁第3小法廷は、
弁護側の上告を棄却、死刑が確定した。

この自身の死刑確定について宮崎本人は著書の中で
「あほかと思う。あの裁判官は後から泣くことになる」
と述べており、
面会に訪れた人物にも
「あの判決は何かの間違い」と話していた。

死刑確定後、
手紙の中で絞首刑に対する恐怖を訴えており、
アメリカで行われるような薬殺刑を希望していた。
これについては宮崎が獄中で書いた手紙をまとめた
著書に詳しく記されており、
絞首台から落下する瞬間を「どん底の恐怖に陥れられ、
それは人権の侵害にあたる」と主張している。
また同書の中で
自身の最高裁判決が大きく報道されたことを
「やっぱり私は人気者だ」と語り、
殺害した被害者や遺族に対しての思いのほどを問われ
「特に無い。いいことができて良かったと思う」と答えた。

2008年6月17日、鳩山邦夫法務大臣(当時)の下により
東京拘置所に於いて宮崎の死刑が執行された。
宮崎の口から遺族に対する謝罪、
事件に関する反省の念が語られることは
ついに最期までないままであった[2]。

事件 

第一の事件1988年8月22日
- 当時4歳の女児Aが誘拐・殺害される。
殺害後しばらくたち、死後硬直で固くなった遺体に
わいせつ行為を行う様子をビデオ撮影している。

動機について簡易鑑定の問診記録では、鑑定人に
「どうして写真だけでは済まなくなったか」
を聞かれた際は、第一次鑑定では「よくわかんない」、
最後の被告人質問では
「急に子供の頃が懐かしくなった」と、証言が曖昧であった。

第二の事件1988年10月3日
- 当時7歳の小学1年生の女児Bが誘拐・殺害される。
こちらはすぐさまわいせつ行為をしたが、
この時点ではまだわずかに息があった模様で
足がピクピク動いていたという犯人の証言がある。

動機について供述調書では「何ともいえぬスリルがあった」、
第一次鑑定では「よく覚えていない」「一番印象が無い」と述べ、
やはり不明瞭。

第三の事件1988年12月9日
- 当時4歳の女児Cが誘拐・殺害される。Cは失禁した。
焦ったのか犯人は被害者を山林に投げ捨てた。
12月15日、Cの全裸死体発見。
12月20日、C宅に葉書が届く。
この遺体の発見後、テレビで被害者の父親が
「死んでいても見つかってよかった」
と発言するのを見た犯人が他の被害者の遺体も
送ることを計画するが、Bの遺体を発見できなかった。

この際、山道に脱輪してたまたま通った車に助けを求め、
「紺のラングレー」「ナンバープレートが3桁」
という目撃情報が浮上する。

犯行声明1989年2月6日
- A宅に紙片と骨片などの入った段ボール箱が置かれる。
2月10日には「今田勇子」名でA事件の犯行声明が
朝日新聞東京本社に郵送される。
2月11日には同内容の犯行声明がA宅に届く。
3月11日、「今田勇子」名での告白文が
朝日新聞東京本社とB宅に届く[3]。

Aを入間川に沈めて殺したなど、
事実と異なるいきさつが書かれていた。
また後日これとは別に『告白文』と称する文章が
マスコミ及び被害者宅に送りつけられる。

極端に角張った利き手と反対の手で書かれたとも思える
筆跡が特徴であり、筆跡鑑定が行われた。

第四の事件1989年6月6日
- 当時5歳の女児Dが誘拐・殺害される。
Dの指をもぎ、醤油をかけて焼いて食べた。
また、ビニール袋に溜まった血を飲んだ。
6月11日、Dのバラバラ殺人遺体発見。

現行犯逮捕1989年7月23日
- 東京都八王子市で幼い姉妹を狙った猥褻事件を起こす。
妹の全裸写真を撮影中に姉の知らせを受けた父親に
取り押さえられ、現行犯逮捕。

父親は「D事件の犯人もまだ捕まっていないのに」
と取り押さえた宮を責めたが、
後日それが連続殺人事件の犯人だと知って愕然としたと
当時のマスコミの取材を受けている。

1989年8月9日
- Dの殺害を自供。

1989年8月10日
- Dの頭部発見。犯人のマスコミ報道が始まる。

1989年8月11日
- Dの誘拐・殺人・死体遺棄の容疑で再逮捕。

1989年8月13日
- A・Cの誘拐殺人を自供。

1989年9月1日
- 警察庁広域重要指定117号に指定。

1989年9月2日
- 検察が起訴に踏み切る。

1989年9月5日
- Bの殺害を自供。

1989年9月6日
- 五日市町でBの遺骨発見。

1989年9月13日
- Aの遺骨発見。
幼女を殺すたび、自宅に藁人形を置いて部屋を暗くし、
頭に鉢巻きをして蝋燭を数本付け、
黒っぽい服を身に付け手を上げ下げし、
祖父復活の儀式を執り行ったという。

動機 

「宮崎勤#精神鑑定」も参照
事件の奇異さから、さまざまな憶測が飛び交い、
また宮崎自身が要領を得ない供述を繰り返していることから、
裁判でも動機の完全な特定には到っていない。

おたく研究家大塚英志は、
幼少の孤独が彼の精神を幼児期のまま停滞させたため、
子供のような性格と性的嗜好を有していたと指摘する。

事実、宮崎は強制わいせつに相当する行為
(体を触るなど)はしたが強姦はしておらず、
幼児退行をきたしたある種のペドフィリアの行動に合致する。

これは、フロイトの「射精欲求はある時期に接触欲求から
派生するため、子供の精神を持った者は性的結合をする意思がない…」
という説に由来する。
また殺人も、かっとなった子供が暴力をふるうのと同じ行動を、
大人が行ったため死に到ったのだと指摘した。

鑑定に当たった医師たちによると、彼は本来的な小児性愛者
(ペドフィリア)ではなく、あくまで代替的に幼女を狙ったと証言されている。

「成人をあきらめて幼女を代替物としたようで、
小児性愛や死体性愛などの傾向は見られません」
(第1次精神鑑定鑑定医 保崎秀夫 法廷証言)
および「幼児を対象としているが、本質的な性倒錯は認められず
…幼児を対象としたことは代替である」(簡易精神鑑定)。

宮崎は、1989年8月24日に東京地方検察庁の総務部診断室で
簡易精神鑑定を受ける。
その結果「精神分裂病(当時の呼称で、現在では統合失調症に改称)
の可能性は否定できないが、現時点では人格障害の範囲に留まる」
と診断されたことから、これを受けて検察は起訴に踏み切っている。

公判開始後の1992年12月18日より、弁護側の依頼により
3人の鑑定医により3度目(公判開始後は2回目)の再鑑定が始まる。

1994年12月に鑑定書が提出される。
その際の鑑定では1人は統合失調症を、2人が解離性同一性障害と
異なる鑑定結果を出している。

裁判から死刑執行まで


裁判 

第一審1997年4月14日、東京地方裁判所で死刑判決。
判決時の被告は時折周囲をしらけた表情で眺めるくらいで、
いつものように机上に広げたノートに何かを書き続けていた。
法廷を出る際は、薄笑いを浮かべていた。

責任能力に関しては、逮捕時の彼にそのような多重人格や
統合失調症を疑わせるような異常な反応は見受けられず、
逮捕による拘禁反応とみなした場合に最もうまく説明できることを理由に
第2回鑑定は採用されず、責任能力は完全に保たれていたとされた。
即日控訴。

控訴審2001年6月28日、東京高等裁判所で一審支持・控訴棄却の判決。
同年7月10日、上告。2004年には奈良小1女児殺害事件が起こるが、
同事件の容疑者が「第二の宮崎勤」の発言を行ったことに対し
「精神鑑定も受けずに、『第二の宮崎勤』は名乗らせません」
(雑誌『創』2006年1月号)と宮崎の名を使ったことに対し痛烈に批判した。

上告審2006年1月17日、最高裁判所が弁護側の上告を棄却。
弁護側は判決訂正を求めたが、2006年2月1日に棄却[4]。

死刑執行

2008年6月17日、東京拘置所で死刑が執行された[5]。
宮崎は冷静に執行を受け入れ、また宮崎の母親は遺体との対面後に、
処置については拘置所に任せたという[6]。

影響

この事件は、メディアにかつてない影響を与えた。
宮崎がいわゆるおたく・ロリコン・ホラーマニアとして報道されたことから、
同様の趣味を持つ者に対して強い偏見が生じた。

特に、宮崎が殺害後の幼女をビデオカメラで撮影、
これらを膨大な数に及んだコレクション・ビデオテープの中に隠し持っていた
という点で、現実と空想・妄想と犯罪行為の境界が曖昧で、
明確な規範意識の無さが犯罪に及ばさせたとみなされた。

これには少なからず、前出の報道合戦の影響が見られ、
特に各メディアとも宮崎の異常性の見られる性格を強調、
一時は同傾向の見られる独身男性に対する、
あからさまな社会的嫌悪感まで形成されるという、
モラル・パニック的な風潮も見られた。

特に、当時のおたく文化には提供側の趣味もあって、
極端に幼女を対象に据えて性的興奮を煽る内容が散見されたことから、
1990年代前半の電脳学園・宮崎県有害図書指定訴訟、沙織事件、
有害コミック騒動などの規制強化に向けた騒動の引き金となった。

ホラー

宮崎の部屋から押収された大量のビデオテープの中に、
スナッフフィルム(殺人フィルム)をリアルに再現したホラービデオ
「ギニーピッグ」シリーズの第2作「ギニーピッグ2 血肉の華」
が含まれていたとマスコミが報道。

この作品に影響されて猟奇殺人を犯したというマスコミの
一方的な解釈が世間に浸透していき、
「ギニーピッグ」全シリーズが廃盤に追い込まれた。
しかし実際に部屋から押収されたのは、全編コメディ調の
「ギニーピッグ4 ピーターの悪魔の女医さん」であり、
宮崎は「ギニーピッグ2」を見ていないと供述している。
さらに「ギニーピッグ2」を監督した漫画家の日野日出志や
ホラー映画にまでヒステリックな批判が波及し、
宮崎の逮捕後から暫くの間は
全国のテレビ局でホラー映画の放送が自粛された。

ポルノ

この事件後、1989年あたりから性的なものを感じさせる
あらゆるものに圧力がかかり、その余波は90年代前半ぐらいまで続いた。
特に顕著だったのは漫画業界である。
例えば小林よしのりは自身の漫画で、
いやらしさを全く目的としていないページに、
女性の乳首が見えているとして編集者から修正を加えられ、
激昂したという。
このころの業界は乳首の描写ですら規制する風潮であった。
また遊人の青年誌漫画『ANGEL』などの人気作品も
連載中止に追い込まれた。

当時この事件の取材をしていた木村透は、偏向報道があったと、
読売ウイークリーのブログ(2005年11月21日)にて主張している
(当該エントリーはすぐに削除された。関連記事)。
削除されたエントリーで木村は、民放カメラマンが
部屋の隅に数十冊あった雑誌の内、
成人向け書籍を一番上に乗せて撮影するという行為があったと
主張している[7]。
5787本という膨大なビデオテープの大半は「男どアホウ甲子園」
や「ドカベン」など大量のアニメの録画テープが占めており、
いかがわしいビデオや幼女関連のビデオは44本に過ぎなかった。

これらテープは、そのほとんどは一般のテレビ放送を録画したものや、
そのテレビ録画がマニアによってダビングされたもので、
これらは文通などの形で交換されあったものという話がある。
当時の報道によれば、こういったマニア間でのテレビ録画した
ダビングビデオの交換は方々で行われていたが、
宮崎はこの交換で望みのテープを入手する際に、
相手への返礼が十分でない、遅延するトラブルもあったという。

宮崎が自分の欲しい作品をどんどん入手する割に
人の頼みはできるだけ断るという行動を取ったため、
除名したサークルもあった。
宮崎は「完録マニア」(全話を録画しないと気がすまないタイプ)であり、
子供っぽいという印象も持たれていた。

小児児童への影響

この事件をきっかけに、年端もいかない小児に性衝動を覚える
ペドフィリア嗜好の存在が広く知られることとなり
(それまではそうした行為は明らかな異常者・変質者のみのものと
考えられていた)、
保護者が子供をめぐる性犯罪に対して強い恐怖感を抱くようになった。

TVの幼児番組などでも、児童(女児)の裸・下着が画面に映ることを
避けるようになった。さらに、宮崎が年少のころより、
動物に対して残虐な行為を行っていたという報告もあり、
他の事件においての事例も含め、動物虐待行為が、
これらの異常性も見られる犯罪行為の予兆であると考える向きもある。

テレビ

宮崎勤が第1の事件を供述して以降、
NHKや民放のテレビの報道・ワイドショー番組は連日、
連続幼女誘拐殺人事件関連の報道を大々的に伝えた。その直前、
海部俊樹が第76代内閣総理大臣に就任し、
第1次海部内閣が発足したばかりだが、
宮崎が第2・第3の事件の供述をしたことから、
事件の経緯を検証する形で誘拐殺人事件報道を優先していた。
民放各局のワイドショーは8月下旬まで、連日30分〜1時間
(場合により2時間も)程度で誘拐殺人事件関連の話題を優先していたが、
8月26日に今上天皇の次男・礼宮(現:秋篠宮)文仁が
川嶋紀子との婚約を発表してからは、
事件報道の扱いが次第に縮小されていった。

統計データ

Edit-find-replace.svg この節には独自研究が含まれているおそれがあります。
問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。
議論はノートを参照してください。(2015年11月)

最近では、児童への性的暴行行為で逮捕・起訴された者に、
高い再犯率が見られると報道されている。ただし、犯罪白書では、
性犯罪の「累犯者(過去に同一罪種で処分を受けていた者)率」
は約10%程度で、犯罪全体の中で低い部類とされている。

また、児童に多大な心身への悪影響を与えるとする統計も発表され、
アメリカ同様に性犯罪者情報公開法の制定を求める声もある
(ミーガン法を参照のこと)。

冤罪説

この事件については冤罪説を唱える者が集まって
「M君裁判を考える会」という市民団体を組織した。
代表者の木下信男(応用数学者、明治大学名誉教授)は1994年、
「明治大学教養論集」に「裁判と論理学─幼女連続誘拐殺人事件に見る
冤罪の軌跡」と題する論文を載せ、冤罪論を説いた。

また、「M君裁判を考える会」会員である小笠原和彦は冤罪説の立場から
『宮崎勤事件 夢の中:彼はどこへいくのか』(現代人文社、1997年)
を書いている。

その他

1989年3月11日に「今田勇子」名義で告白文を朝日新聞東京本社と
殺害された女児の家に送っているが、その告白文で、
前年1988年に利根川河川敷で白骨化した遺体が発見された
群馬小2女児殺害事件について触れられている。群馬小2女児殺害事件は、
遺体の発見現場が河川敷だったこと、
遺体の両腕の肘から先と両脚の膝がなかったこと、
など宮崎の事件との共通点があった。
そのためこの事件も宮崎の犯行と疑うメディアもあったが、
殺害時期が宮崎の第1の殺害事件から1年近く前であること、
事件現場がやや離れていたこと、
宮崎と結びつける証拠がみつからなかったこともあり、
宮崎の犯行としては立件されず、
2002年9月15日に公訴時効が成立して未解決事件となった。

日本のロックバンドARBの楽曲「MURDER GAME」の歌詞の内容が
当事件に酷似しているとNHKから指摘があり[要出典]、
放送禁止になったという逸話がある。
内容は、テレビゲーム狂の男が遊び相手の子供を殺したというもので、
宮崎の事件とは異なる。

注釈・出典

1.^ 一橋(2003)、p.12
2.^ “連続幼女誘拐殺人:宮崎死刑囚・刑執行(その1) 
最後まで謝罪なく”. 毎日新聞. (2008年6月17日). オリジナルの
2008年6月18日時点によるアーカイブ。
3.^ 今田勇子とは、「『勇子・今田』=“Yuuko Imada”→“Yuuka Imada”
=『誘拐魔だ』のアナグラム」という説や、
「今だから言う」などという説がある
4.^ 共同通信 2008年2月2日
5.^ “幼女連続誘拐殺害の宮崎勤死刑囚に死刑執行”. 産経新聞
(2008年6月17日). 2008年6月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。
2013年8月13日閲覧。
6.^ 読売新聞 2008年10月3日
7.^ 月刊ニュータイプ1989年11月号でも、とり・みきが、
こうした「TVの人間」による雑誌の位置を動かすなどの
「演出」があったということを主張している

関連書籍

佐木隆三 『宮崎勤裁判』 1995年5月。ISBN 978-4022640710
瀧野隆浩 『宮崎勤 精神鑑定書―「多重人格説」を検証する』 1997年1月。ISBN 978-4062085434
小笠原和彦 『宮崎勤事件夢の中―彼はどこへいくのか』 1997年12月。ISBN 978-4906531325
宮崎勤 『夢のなか―連続幼女殺害事件被告の告白』 1998年12月。ISBN 978-4924718302
中安 信夫 『宮崎勤精神鑑定書別冊 中安信夫鑑定人の意』 2001年8月。ISBN 978-4791104505
吉岡忍 『M/世界の、憂鬱な先端』 2001年1月、文庫2003年1月。ISBN 978-4167547035
一橋文哉 『宮勤事件—塗り潰されたシナリオ』 新潮文庫、2003年9月1日。ISBN 978-4-10-142624-2。
宮崎勤 『夢のなか、いまも』 2006年2月。ISBN 978-4924718722
芹沢俊介 『“宮崎勤”を探して』 2006年12月。ISBN 978-4876722112

一般社団法人 日本映像倫理審査機構. “日映審(JMRC)の誕生まで” (日本語). 2009年11月8日閲覧。




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被害者のご冥福を心よりお祈り申し上げます。









さようなら、オバマ「あなたは史上最悪の爆弾魔でした」(2017年1月30日)


さようなら、オバマ「あなたは史上最悪の爆弾魔でした」

(出典:「プレジデント」)

2017年1月30日
 


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言ってたこととやってたことが違う



つい先日、バラク・オバマ前大統領がこの2年間で
5万発近い爆弾を世界中でばら撒いたことが、
米外交問題評議会のサイトで明らかにされた。

2016年は2万6171発、15年は2万3144発を投下した。
1回の爆撃で複数の爆弾が落とされることや、
発表されている国々以外への投下を考えれば、
より増える可能性は高い。

英国の調査報道ジャーナリスト協会のまとめでは、
ブッシュ政権の8年間で
パキスタンにおける無人機攻撃は51回、
民間人を含む死亡者は少なくとも410人であった。

一方、オバマ政権では373回、2089人となっている。
イエメンやソマリアを追加すればさらに増える。

これらの無人機による攻撃では、
いくつかの問題も指摘されている。

第1に法的根拠である。
他国内で警告や裁判なしに不十分な確認で、
ミサイルを撃ち込み「処刑」していることが
問題視されているのである。

オバマ政権の当局者ですら、
この点を認める声がある。

政権の説明する法的根拠は
自衛権の先制使用のみであり、
ブッシュ政権のイラク攻撃と同じである。

第2にプロセスである。
12年にオバマ政権の当局者が
「タフな大統領」としてリークしたところによれば、
毎週火曜日の会議で
「ベースボールカード」
と称されるテロリストたちの履歴書を確認し、
大統領自身が暗殺リストを決定しているという。

この基準や内容は公開されていない。
「デスノート」
で攻撃しているようなものなのだ。

第3に民間人の付随的被害である。
俗な言い方になるが、
無人機のカメラで
ターバンと髭の男性を確認して
対戦車ミサイルを撃ち込むのだから
人違いはあるし、
当然巻き添えも発生するということである。

数千人以上の民間人が
死亡しているとするデータもある。
内部告発によれば、
13年の軍の報告書では
「ある期間に200人以上を殺害したが、
標的が正確だったのは35人だけだった。
また、5カ月間の空爆で死亡した
9割が意図した目標ではなかった」
と報じている。

無人機攻撃の主役を軍と共に務めている
CIAを率いる長官のジョン・ブレナン氏は
「オバマ大統領も自分も、
多数の命を救うためには、
少数の犠牲はやむをえないと思っているし、
巻き添えがないようにすべきだが、
やるべきときに躊躇はしない」
と取材に答えており、
巻き添えもやむなしと断言している。

以上のことは何を示すのだろうか。
第1に、もはや
「戦争」の定義が溶解していることだ。

確かにオバマ前大統領は
「非戦」の大統領だったのかもしれない。
しかしながら、それは「国家間戦争」であり、
実のところ、
「無人機による戦争」の道を本格化し、
おびただしい死傷者を生み出した。

反米意識を高揚させ、
テロを誘発する悪循環に
導いただけとも言える。

第2に、政策決定者なるものが、
言葉と行動と思考のトリレンマに
陥りがちだということである。

要するに、言行一致の政治家は本心ではない。
思考と発言が一致している政治家は、
口先だけで行動がついてきていない。
行動と考えが一致している政治家は
口では嘘ばかりついている。

ひどい場合は、言っていること、
やっていること、
考えていることのすべてがちぐはぐだ。

オバマ前大統領の美しいレトリックと
陰惨な大量の死体の山は
それを物語っているのである。

第3に、オバマの美しいレトリックを見て、
「平和の使徒」であるかのように称賛する一方、
トランプ新大統領の荒々しく激しいレトリックを見て
「破壊の魔王」とするのは
間違いの可能性が高いということだ。

オバマはブッシュ元大統領を遥かに上回る
暗殺作戦を実施し、
民間人を含む死体の山を築き上げた。

他方、トランプが無人機作戦を継続するかどうかは
不明であるし、仮に乱用しても、
それはオバマがつくり上げた
法的根拠と軍事態勢とシステムに基づくものであり、
オバマの責任は変わらないからだ。

オバマ前大統領は無人機戦争の育ての親であり、
大量の爆弾を世界でばら撒いた大統領だったのである。
.
※一般社団法人ガバナンスアーキテクト機構研究員 部谷直亮=文





車盗んだ疑いで男3人逮捕、被害総額2.4億円か


車盗んだ疑いで男3人逮捕、被害総額2.4億円か

TBS系(JNN) 2017年2月2日 


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千葉県の中古車販売店から乗用車を盗んだとして、
茨城県に住む男3人が再逮捕されました。

男らは他にもトラックなどを盗んでいて、
被害総額は2億円を超えるとみられています。

窃盗の疑いで再逮捕されたのは、
茨城県の無職・大里芳広容疑者(46)ら3人です。
大里容疑者らは、去年6月下旬、
千葉県野田市にある中古車販売店から、
およそ39万円で販売されていた乗用車1台を
盗んだ疑いが持たれています。

警察によりますと、大里容疑者らは、
乗用車の鍵を壊して乗り込み、
そのまま車を運転して現場から逃走したということで、
取り調べに対して「遊ぶための金を得るためにやった」
などと容疑を認めているということです。

警察は、大里容疑者らが他にもトラックなど90台余り、
およそ2億4000万円分を盗んだとみて
さらに調べるとともに、
盗んだトラックなどの販売先についても
捜査しています。


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