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日々の記録。

◎◎◎殺人罪

川崎殺傷事件 2019年『ウィキペディア(Wikipedia)』他


川崎殺傷事件『ウィキペディア(Wikipedia)』他
2019年5月28日

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(出典:毎日新聞社※上3枚)
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(出典:朝日新聞社※上3枚)
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(出典:産経新聞社)
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(出典:毎日新聞社※上6枚)
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(出典:gettyimages)
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(出典:産経新聞社)
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(出典:讀賣新聞社)
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(出典:週刊フラッシュ)
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川崎殺傷事件(かわさき さっしょうじけん)は、2019年(令和元年)5月28日に神奈川県川崎市多摩区登戸で発生した通り魔殺傷事件。被害者には、2人が死亡、17人が負傷(重軽傷)した。犯行の直後に、加害者も自ら刺して、死亡した。



概要


2019年5月28日午前7時45分頃、川崎市の登戸駅付近の路上で、通行人やスクールバスを待っていた小学生児童らが近づいてきた男に相次いで刺された。

容疑者は保護者の男性(後に死亡確認)を背後から刺した後、約50mを無言で走って移動しながら保護者の女性と児童17人(後に死亡確認された女児1人を含む)を襲撃した。容疑者はスクールバスの運転手から「何をやっているんだ」と叫ばれた後、さらに数十メートル移動して自剄に及んだ。襲撃開始から容疑者が自ら首を切るまで十数秒程度だった。

聖マリアンナ医科大学病院に容疑者と被害者2人、日本医科大学武蔵小杉病院に被害者4人、川崎市立多摩病院と新百合ヶ丘総合病院に被害者各5人が搬送されたが、このうち日本医科大学武蔵小杉病院に搬送された小学6年生の女児と39歳の男性が死亡。(死者は28日時点。加害者を含まず)。他に16人の女児と保護者の女性が上半身を集中して切りつけられるなどして、女児2人と女性が重傷を負った。負傷者のうち11人が入院した。


加害者


目撃者によると黒のTシャツに黒のジーンズのような服装をしており、スキンヘッドでがっちりとした体形。凶行の直後に自らも刃物で刺し、警察に確保された時点で既に意識不明の状態で、搬送先の病院で死亡が確認された。両手に柳刃包丁を持ち襲った他に、リュックからは別の包丁2本も見つかった。

目撃証言によると、加害者は当日午前7時頃に自宅を出て、登戸駅まで電車で向かい、そのまま犯行現場へ歩いて向かい突然凶行に及んだとみられる。



事件後の対応



事件に際し、内閣総理大臣安倍晋三は28日、小中学生の登下校時の安全確保について国・自治体で連携し早急な対策を講じるよう指示した。また29日に関係閣僚会議を開く予定である事を談話した。


事件の反響


事件発生時はアメリカ大統領のドナルド・トランプが来日中で、トランプは海上自衛隊横須賀基地に停泊していた護衛艦かがの艦上で"On behalf of the first lady and myself, I want to take a moment to send our prayers and sympathy to the victims of the stabbing attack this morning" "All Americans stand with the people of Japan and grieve for the victims and for their families"(『私とファーストレディーは東京近郊でけさ起きた事件について、被害に遭われた方々に祈りをささげます』『すべての米国民は日本国民と共にあり、被害者と家族に哀悼の意を表する』)と述べた。

日本国外のメディアであるCNN、BBC、中国中央テレビ、AFP、Reutersなども速報で事件を伝えた。


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川崎19人殺傷 容疑者が伯父伯母に「ひきこもりとはなんだ」 親族が市に相談
5/29(水) AbemaTIMES


川崎市が会見

川崎市多摩区のJR登戸駅の近くで小学生ら19人が刺され、小学6年生の栗林華子さん(11)と外務省職員の小山智史さん(39)が死亡した事件で、川崎市が29日に会見を開き、岩崎隆一容疑者(51)の親族から相談を受けていたことを明らかにした。

岩崎容疑者の親族から市へは、「伯父・伯母が同居はしているものの本人(岩崎容疑者)との接触は一切なく、伯父・伯母の高齢化に伴い、今後の介護サービス導入について、外部の支援者が家の中に入ることにより本人の反応がどうなるかを心配している」との相談があったという。2017年11月15日に親族から電話相談があった後、親族との面接は8回、電話連絡は6回。2019年1月10日の最終相談時には、親族から「岩崎容疑者が親族とコミュニケーションをとらないことを選んでおり、しばらく様子を見る」との意向が示されたという。

一連の相談内容について、精神保健福祉センターの津田多佳子課長は「岩崎容疑者が長期間就労していない、ひきこもり傾向にある中に外部の人が入るのは大丈夫だろうかという心配と、伯父・伯母が高齢になられての生活と合わせてのご相談だったと思う」と説明。岩崎容疑者と親族とのトラブルはなく、容疑者の将来を心配する相談もあったという。

また、親族らに岩崎容疑者と手紙でコミュニケーションを取ることを勧めたというが、手紙に対し岩崎容疑者は「自分の生活は自分でやっている」「食事・洗濯を自分でやっているのに、ひきこもりとはなんだ」といった内容を伯父伯母に口頭で返したということだ。

そして、1月10日の最終相談以降、市が様子を見ると判断したことについては、「これ以上無理矢理介入して家族関係を壊してしまうよりも、静かに見守るという点は、この時点においては悪い方向ではなかったと思う。では(岩崎容疑者が)なぜ事件を起こしたのかと言われると、そこは我々も不可解であり、少なくとも最終相談時点でご家族、ご親族、容疑者の関係の中で、人間関係が決定的に破壊されて立ち行かないという危機的な状態ではないと考えているし、ご家族の話からも感じ取れなかった」とした。(AbemaTV/『AbemaNews』より)




川崎19人殺傷事件、ドライブレコーダーに犯行の一部始終
5/30(木) TBS News i AbemaTIMES


川崎市の路上で小学生ら19人が包丁を持った男に襲われ、2人が殺害された事件で、スクールバスのドライブレコーダーに男が走りながら手当たり次第に刺す犯行の様子が写っていたことがわかりました。

この事件は28日午前、川崎市多摩区の路上で、スクールバスを待っていた小学生ら19人が包丁を持った男に次々と襲われ、小学6年生の栗林華子さん(11)と外務省の職員の小山智史さん(39)が死亡し、3人が重傷を負ったものです。

岩崎隆一容疑者(51)は、現場で自らの首を刺し、死亡していますが、捜査関係者への取材で、バスのドライブレコーダーに、岩崎容疑者が小走りで、小学生らを包丁で手当たり次第に刺す犯行の様子が写っていたことがわかりました。岩崎容疑者の部屋の押し入れからは包丁4本の空き箱が見つかっていて、事前に購入していた可能性があるということです。

「やっぱり落ち着きがなくて、からかわれやすい感じの子。そんな大それたこと、できるような子とは思えなかった」(岩崎容疑者の中学時代の担任)

警察によりますと、岩崎容疑者はおよそ4キロ離れた自宅から電車を使って現場に直行したとみられていて、児童などが多く集まる場所を事前に把握し計画的に事件を起こした可能性があるということです。

亡くなった栗林華子さんの両親は、「人生で最も大切な、最愛の娘を突然奪われ、今は全く気持ちの整理がつかない状態です」とコメントしています。

また、亡くなった外務省職員の小山智史さん(39)は、上皇さまが在位中に4回ミャンマー語の通訳を務めていて、ご夫妻は30日、外務省を通じて小山さんの妻に弔意を伝えられたということです。




川崎襲撃、“居候”扱いされた容疑者の“兄”はカリタス出身
5/29(水) 16:00 NEWS ポストセブン


「警察? 今、おまわりさん来てるよ。事件のことなんて、なんにもわかんないよ。そんなことおれに聞かないでよ!」

絶叫に続いて響いたのは、川崎襲撃事件の犯人と目される岩崎隆一容疑者(51才)の“父親”が、受話器を荒々しく置く音だった。

事件は5月28日の朝、神奈川県川崎市の閑静な住宅街で起きた。前日までの暑さが少しやわらいだ「三角公園」の名で親しまれる公園近くのバス停で、スクールバスを待つ女子児童の列があった。この学校では先週の土曜日に運動会が行われたばかり。前日の月曜日は運動会の振替休日で、この日は3日ぶりの登校だった。

スクールバスが到着すると、近くのコンビニあたりから、ひとりの男が歩いて近づいてきた。姿勢は少し前のめりで、黒の半袖シャツにデニムパンツを身につけている。刈り上げた頭髪は白い。

両手には2本の柳刃包丁。男は一気に距離を詰めると、表情一つ変えずに、手当たり次第に子供たちに包丁を振り下ろした。「怖いよ!」「ママ!」などと子供たちは叫びながら散り散りに。それでも男は執拗に一人ひとりを追いかけて、包丁を振り下ろした。

見送りに来ていた保護者は、突然のことに戸惑いながらも小さな命を守ろうと懸命に身を挺する。その背中にも男は容赦なく包丁で切りつけた。

スクールバスの運転手がバスから転げ落ちるように降りて「何をやってるんだ!」と叫ぶと、男はすかさず真っ赤に染まった包丁を、自分の首に突き立てた。

救急隊が到着すると、最初に行われたのがトリアージだった。トリアージとは、緊急度や重症度などに応じて手当の優先順位をつけることだ。

「小学6年生の女児と39才の男性の2人が“黒”、つまり、手の施しようがないと判断されました。女児は鎖骨から頸部にかけて真横に1か所。男性は首の前側や背中など4か所も刺されていた。子供を必死に守っていたことがうかがえます。搬送された病院の救急救命センターで治療を受けましたが、及びませんでした。病院側が会見で『激しい怒りを感じる』と言葉を強めていましたが、傷の状態がそこまで酷かったということでしょう。

それから現場で“赤”、つまり最優先で治療すべきと判定されたのは、小学生の女児2人、40代女性1人、そして、50代男性です」(全国紙記者)

その“赤”の男が、岩崎だったが、程なくして死亡が確認された。被害に遭った児童たちが通っていたのが私立の名門校、カリタス小学校だった。

「都内から通う子も少なくない、カトリックの“お受験校”で、幼稚園から高校まであります。登校には原則として市営バスかスクールバスを使うことになっています。

小学校の時から英語だけでなくフランス語の授業もあり、帰国子女からの人気も高く、インターナショナルスクールからの転校生もいる。中学校からは女子校ですが、小学校は共学。学費は6年間で500万円にも上る。共学といっても男子児童の数はごく限られていて、実質的には女子校ですね。そのせいか、学校近辺では不審者の目撃情報も多いようで、川崎市による防犯アプリを使う親御さんもいます」(進学塾関係者)

◆「クレーマー居候」評もあった

今回の犯行について、岩崎の実家近くに住む近隣住民は、彼の家族構成に関係があるのではないか、と語る。電話口で怒鳴っていた“父親”とは、「実の父子ではない」という。

「隆一が小学生の時に両親が離婚し、彼だけがこの家に預けられた、と聞いています。関係は、父方の兄夫婦だとか。養子に入ったという話もあります。私たちは彼のことを“居候”と呼んでいました。

隆一の実の親が顔を見に来た記憶はないですね。彼はここに来た時から屈折していたというか、変わった子でした。『金魚鉢の金魚を見たいから』なんて言って、他人の家に勝手に侵入したことが何度もありました。高校に入ってからは引きこもっていたとかで、再び姿を見かけるようになったのは、ここ1〜2年だと思います。日中はほとんど姿を見せず、深夜から早朝にかけて外出しているようでした。去年の夏には、朝の5時半頃に、近所の家に庭の木が邪魔だと怒鳴り込んだみたいで、近隣住民のなかには“クレーマー居候”なんて言う人までいました」

実家には、ほかにも岩崎と同世代の男女が暮らしていたという。

「その2人は兄夫婦の実子ですよ。隆一から見たら、“兄妹”になるのでしょうか。あの家では彼だけが実の子ではなく、居心地はよくなかったのではないか。実はその“兄”が、子供の頃、カリタス小学校に通っていたという話ですよ」(前出・近隣住民)

事件の約1時間前、岩崎に会ったという近隣住民が青ざめた表情で言う。

「家の玄関を開けた隆一が走ってきて、『おはようございます!』と笑顔で頭を下げたんです。姿を見るのは1年ぶりぐらいで、これまで挨拶なんてしなかったから驚きました。彼はリュックを背負っていたが、その中に包丁を忍ばせ事件現場に向かう途中だと思ったらゾッとしました」

再び、冒頭の会話に戻ろう。岩崎容疑者の“父親“はこう話した。

「(岩崎はふだん家に)いるような、いないようなだね。一緒に暮らしてるってもんじゃないよ。甥っ子のことはわかんないよ!」

幼い頃から“父親”として暮らしてきた相手に突き放された51才の男の理不尽な狂気は、無邪気な児童たちと保護者の罪なき命を奪った。
(女性セブン2019年6月13日号)




川崎連続殺傷事件「引きこもり男」が“カリタス小”を狙ったワケ
5/29(水) FRIDAY


5月28日朝、川崎市内の登戸駅前は凄惨な現場となった

岩崎隆一容疑者―。

28日午前に発生した“川崎無差別殺傷事件”の被疑者の名前だ。

しかし、今はその名前も虚しく響くだけ。保護者含む19人を殺傷後、自ら首を切り、命を絶ったため、動機は永遠に解明されることはない。

同容疑者の自宅は現場となった川崎市多摩区登戸新町の路上から直線距離にして約4キロ、車で15〜20分の場所にある。1962年に建てられたこの家に、岩崎容疑者は伯父と伯母の3人暮らし。複雑な家族構成の理由は幼少期に両親が離婚したことにある。一般的に父親、母親のどちらかに引き取られるケースが大半だが、同容疑者は父方の兄である伯父のMさんに預けられた。

「Mさんにも2人の男女の子供がいて、同容疑者と合わせて幼少期は3人でよく遊んでいた。岩崎容疑者は3人のなかでは1番年下。周りからは『りゅうちゃん』と呼ばれていた」(近隣住民)

地元の小学校、中学校を卒業するまでは、どこにでもいる男の子。だが、その後、同容疑者の目撃談は激減する。“引きこもり”になったためだ。地元関係者の話。

「まるっきり姿を見なくなったので、引っ越したと思っていた。ニュースを見て、彼が容疑者と聞いて驚いた。存在感がなく、あの家(岩崎家)自体が他の家と積極的に交流を持つ方ではなかったから…」

近所を取材しても、同容疑者に関する情報は幼少期か直近1週間のものばかり。中学卒業から30年近くポッカリ“記憶”が抜け落ちているのは違和感しかない。

ある近隣住民は「あの家(岩崎家)とはみんな深く関わらないようにしているから…」と言葉少な。ちょうど1年前、岩崎容疑者が隣の民家に「おたくの庭に生えている木が目に入る!」と、押しかけてきたという報道もあった。ある種のトラブルメーカーだった。

奇妙なのは同居する伯父と伯母との関係性だ。事件を起こした犯人に岩崎容疑者の名前が挙がると、神奈川県警の捜査員は同居する伯父と伯母に事情を説明した。

「この時、伯母は『何かの間違いだと思いますよ』と認めなかった。岩崎容疑者のことを信じるというよりは、引きこもりで行動範囲の狭い彼が『そんな度胸のいることをするはずがない』という感じだったようだ。結局、捜査員は容疑者の指紋を照合して人定した」(全国紙社会部記者)

同容疑者は30年以上、子供部屋で暮らし、2人と同居するも隔離された生活空間で生きていた。伯父も伯母も岩崎容疑者がどこで何をしているかわからない。事件直後、一部取材に伯父が「(一緒に)いるような、いないような…」と答えたのは、そういう意味だ。

事件の最大の関心事は、なぜカリタス小の生徒を狙ったのか、だ。行き当たりばったりの通り魔的な犯行ではなく、同容疑者は新品の刺身包丁2本を握り締め、リュックサックの中にはさらに2本のスペア包丁を用意していた。亡くなった小学6年栗林華子さんと外務省職員・小山智史さんへの刺し傷はいずれも深く、強い殺意が感じられる。

「容疑者にとっては、カリタスの児童でなければダメな理由があった。岩崎容疑者の親族の中に子どもカリタスに通わせている、もしくは通っていた人物がいるのではという情報もある。その親族との間で何らかのトラブルがあり、逆恨みした容疑者が凶行に走った可能性も指摘されている」(捜査関係者)

ただし、それを裏付けようにも、岩崎容疑者はすでにこの世にはいない。同居する伯父と伯母も関係性から言って、詳しく知る由もない。近隣住民はとっくに敬遠している。令和最初の凄惨事件となってしまった本件は、救いようのない結末に突き進んでいる―。




衝撃的な川崎殺傷事件「予備軍は多い」に対する大きな違和感 正確な犯罪理解をするには
2019年5月30日 現代ビジネス


また社会を震撼させる悲惨な事件が起こってしまった。

神奈川県川崎市で5月28日に起きた無差別殺傷事件は、2人が死亡、17人が重軽傷を負うというきわめて重大な結果を引き起こした。

なかでも、多数の幼い子どもたちが巻き込まれてしまったことに、社会は大きな怒りと不安に包まれている。

これまで子どもをターゲットした犯罪に対する防犯策では、一人歩きの子どもが不審者などに狙われるようなケースを想定していたものが多く、集団登下校や大人の見守りなどに力点が置かれていた。

しかし、この事件は、まさに教師や保護者が見守る集団登校中の小学生が被害を受けたものであり、学校側もこれ以上できないというほどの万全の対策を講じていた。

そうしたなかでの惨劇であったため、われわれは計り知れない恐怖と無力感を抱いているのが現状である。

まだ情報が断片的にしか出ていないなかで、事件の分析をするのは時期尚早であることは間違いない。

しかし、その断片的な情報でもつなぎ合わせてみると、事件に関連すると思われるいくつかの要因が浮かび上がってくることもまた事実である。

たとえば、これまで起きた無差別殺傷事件は、ほとんど場合、犯人は社会不適応状態で孤立し、世の中に大きな恨みや被害者意識を募らせた男性であった。類似事件の数こそは少ないが、本件もそのような典型例であるといえる。

こうした状況のなかで、本人は心理的に追い詰められ、視野狭窄状態に陥って、「失うものは何もない」という気持ちから、いわば破れかぶれの状態に至って、大きな破壊衝動を外にも、そして内にも向けて、無差別殺傷と自殺という帰結を招いたものだと解することができる。

この状態を表すキーワードの1つが、「拡大自殺」である。世の中に絶望し、追い詰められた挙句の自殺であれば、どこかでひっそりと首を吊ったり、飛び降りたりする人もいるだろう。

しかし、この事件の加害者とされる男は、社会に対して計り知れぬほどの恨みや憤懣(ふんまん)を募らせていたことが想像される。

それゆえに、「どうせ死ぬのであれば、これまで自分に酷い仕打ちをしてきた社会に仕返しをして、世の中に一泡も二泡も吹かせてから死にたい」との思いから、罪もない無関係の人々に刃を向けたのだと考えられる。

さらに、そうした最後の思いを完璧に遂行するためには、確実に殺害できる相手をターゲットに定めて、弱い子どもたちに襲いかかったのであろう。

成人もまた被害に遭っているが、その場合も背後から狙っており、相手に抵抗されることがない状況を狙ったのだといえる。

もっとも、これらは現時点での断片的な情報と、過去の類似事件をもとにした1つの仮説であることをあらためて強調しておきたい。

一方、事件を報じるワイドショーのなかで、犯人の心理を分析した精神科医が、「こういう事件の予備軍はたくさんいます」と力説していたのを見て、私は大きな違和感を抱いた。 

たしかに、格差社会の拡大、リストラ、生涯未婚率の増加、地域社会の解体など、現代社会のキーワードを並べてみると、加害者とされる男性と似たような境遇の人が増加していることは間違いない。

また、本人がいわゆる「高齢ひきこもり」であったとの情報が、川崎市の会見で明らかにされた。

しかし、それらの人々をあたかも「凶悪犯罪者予備軍」のようにとらえるのは、非常に乱暴であり、危険なスティグマにつながる。

現実的に、こうした人々が増えていても、わが国では凶悪事件は減少の一途であり、彼らの圧倒的大多数は、何の罪も犯さない善良で遵法的な市民である。

恵まれない環境にあっても、正しく生きている大多数の人々をこのような形で一括りにして貶めることは、断じてあってはならない。

したがって、事件を正しく理解するためには、本件の加害者は、似た境遇にある多くの人々とどこが違うのか、なぜ彼はこのような事件を起こすに至ったのかについて、もっと緻密で丁寧な分析が必要である。

その答えの1つは、彼のパーソナリティにある。

犯罪のリスクファクターとして、最も重要なものの1つが「反社会的パーソナリティ」である。

それは、法や社会のルールを軽視する傾向、目先の利益を追い求める傾向、攻撃性、衝動性、共感性の欠如、自己中心性、被害者意識、敵意などで特徴づけられるパーソナリティである。

こうしたパーソナリティの持ち主であれば、自分の現状に対して、自らを反省したり奮起したりするのではなく、他罰的に周囲を責め、いたずらに被害者意識や敵意を募らせ、衝動的に攻撃的な行動に出ることは容易に想像できる。

しかも、本人が社会的に孤立し、不適応に陥った原因も、元々こうしたパーソナリティに起因するのかもしれない。

報道では、近所の人ともたびたびトラブルを起こし、自分勝手な理由から大声で怒鳴り込んだりしていたということである。

こうしたパーソナリティや行動パターンを有した人が、周囲から疎まれ、孤立していくことは想像に難くない。

しかし自らが蒔いた種で不適応状態に追い込まれても、本人は自分の行動を改めるわけではなく、なおさら周囲に責任転嫁して、さらに憎悪を募らせる一方となる。

本件の加害者は死亡しているが、今後周囲の証言などが集まってくるなかで、こうした事件前のパーソナリティの一端がますます明らかになれば、本件の爆発的ともいえる拡大自殺に至る経路をより正確に理解することにつながるだろう。

そして、本件の理解をさらに深めるためにできることがもう1つある。しかし、それを述べると、大きな批判を浴びることになるかもしれない。

それを覚悟のうえで、しかし正確な犯罪理解のため、そして科学的な犯罪心理学的な見地からは、どうしても避けて通れない点がある。それは、本人の生物学的な問題からの理解である。

加害者は死亡しているが、その脳を分析しようと思えば、それは今からでも不可能ではない(実際に行うかどうは別として、可能性だけについて言えばということである)。

実は、近年の犯罪心理学で最も注目を集めているのは、犯罪者の脳や神経系など、犯罪につながる生物学的な要因についての研究なのである。

実際、粗暴犯罪者の生物学的特徴として、脳のさまざまな部位の構造的、機能的異常が報告され、エビデンスが蓄積されつつある。さらに、先述のパーソナリティにしても、それには多くの生物学的要因が影響している。

そうした所見を、この加害者が有しているかどうかを分析することは、事件の解明だけでなく、今後の犯罪学の発展にとても大きな前進となることは間違いない。

しかし、犯罪理解において、生物学的なトピックを持ち出すことは、危険な一面もはらんでいて、読者のなかにはその危険性を感じた方も多いであろう。その理由はたくさん考えられる。

1つは、優生学に結びつくのではないかという懸念である。危険な脳の持ち主が、危険な犯罪に至るのであれば、脳のスキャンをして、社会から隔離すればよいなどという、映画さながらの状況へとつながるかもしれない。

2つ目は、1つ目の理由とも大きく関連するものである。環境が犯罪の原因であれば、それを変えることによって、犯罪対策になるかもしれないが、脳が原因となると、何をどうすればよいかわからなくなる。そして、それこそ優生学に行きつくのではないかという懸念につながる。

しかし、現実世界において、脳や生物学的要因の影響は、従来考えられていたほど単純なものではない。脳に危険な兆候があったとしても、それを発現させるのは、環境の影響が非常に大きい。

さらに、脳には大きな可塑性(かそせい)があり、特に発達の早期であれば、教育や周囲の働きかけ、すなわち環境によって、その機能不全の発現を予防したり、補ったりすることもできる。

逆に、脳に危険な兆候がなくても、環境が劣悪であれば、犯罪などの問題行動を誘発することもある。

ここで大切なのは、決定論的な単純化ではなく、生物学的要因と環境的要因の「相互作用」ということである。こうした複雑な相互作用を丁寧に検討しなければ、犯罪という複雑な現象の理解もできないということである。

つまり、「氏か育ちか」という二者択一的な説明ではなく、「氏も育ちも」そのどちらもが重要であり、それらの複雑な相互作用を理解することが、真の犯罪理解に到達できる方法だということである。

科学とは、イデオロギーや先入観に縛られず、まずは冷静に客観的に現象を観察することから始まる。それは、犯罪心理学においても同様である。

本件で加害者の生物学的要因にどれだけ迫ることができるのか、そもそもそのような捜査がなされるのかどうかはわからない。そして何かわかったところで、効果的な対策につながるとは限らない。

しかし、悲惨な事件を理解し、将来的な対策につなげるためには、科学的な理解が必要だということを強調したい。

最後に、加害者の生物学的な点で、1つ気になっていることがある。それは、加害者の年齢である。これまでの類似事件の加害者を見ると、ほとんどが20代、30代の比較的若い年代である。

本件の一報を聞いたとき、私は加害者は若い男性であろうと想像していたが、50代ということを聞いて、少し驚いた。

通常、人間の攻撃性には男性ホルモンであるテストステロンが深く関与しており、その分泌は20代をピークに徐々に減少していく。人が加齢とともに丸くなって穏やかになるのはそのためである。それと呼応するように、特に40代以降の粗暴犯罪も減少する。

加害者は、何らかの理由で壮年期に達しても血中テストステロンが高値であったのかもしれない。あるいは、ほかに攻撃性や負のエネルギーを増大させる他の生物学的、環境的な要因があったのかもしれない。

加害者が亡くなったいま、その謎も解明されないかもしれないが、単なる社会環境だけの一方的な説明では、複雑な犯罪行動の十分な理解には至らないことを再度強調しておきたい。




スマホやパソコン所持せず 世間から孤立…なぜ突然凶行に
2019年5月30日 産経新聞


川崎市多摩区でスクールバスを待つ私立カリタス小の児童ら19人が刃物で殺傷された事件で、犯行後に自殺した岩崎隆一容疑者(51)は、スマートフォンやパソコンを所持せず、長期間にわたって社会から孤立した引きこもり状態だったとみられる。

専門家によると、世間から隔絶された末に通り魔事件を起こす場合、40代以降の中高年は通常、20〜30代と違って攻撃性が減少するという。なぜ岩崎容疑者は突然、凶行に走ったのか。

犯行翌日の29日、神奈川県警は岩崎容疑者が80代の伯父夫婦と住んでいた川崎市内の一軒家を捜索した。ワゴン車2台に加え、トラックを準備。10人ほどの捜査員が自室などを入念に調べたが、押収したのは犯行に使ったとみられる包丁の空き箱やノートなど段ボール1箱分のみだった。トラックはほぼ空の状態で引き上げた。

捜査関係者によると、自室は片付いており、テレビやテレビゲーム機、携帯ゲーム機はあったものの、パソコンや充電器、コード類は見当たらなかった。スマホや携帯電話はもともと持っていなかったとみられる。さらに飲食店のポイントカードやレンタルビデオ店の会員証がなく、睡眠薬や精神安定剤といった薬物も見つからなかった。

「誰とも接点を持たず、どんな生活を送っていたのか」。捜査関係者は首をかしげる。

幼少期に両親が離婚し、伯父夫婦に引き取られたという。夫婦には長男と長女がおり、一緒に暮らしていたとみられる。人付き合いが苦手だったとみられ、小学校の卒業文集には、失敗した体験をあえてさらけ出すような自虐的な言葉が並ぶ。思い出をつづるページには、多くの級友が「林間学校」などと記す中、友人に石をぶつけて《5年になって最初におこられた》と書いた。生まれかわるとしたら《大金持ち》、将来なりたいものは《動物園の飼育係》とつづっていた。

定期的に遊ぶなどしていた友人はおらず、同級生は「印象に残っていない」「影が薄い」などと口をそろえる。卒業後も接点はなかったとみられ、同級生の一人は取材に「誰と仲が良かったのか思い出せない」と打ち明けた。

その後、10代後半で一度、伯父夫婦宅を出たが、また戻った。夜中などに出歩くことはあったものの、近隣住民と言葉を交わすことはなかった。事件当日、現場に向かう岩崎容疑者と出くわした近所の40代女性によると、この10年間で見かけたのはこのときを含めてわずか2回だった。

伯父夫婦から小遣いをもらう一方、トイレや食事のルールを作り、家の中で接触を避け続けていたようだ。見かねた夫婦が今年1月、手紙で「将来どうするのか」と尋ねると、「閉じこもっているわけではなく、ちゃんと生活している」と反発していた。

筑波大の原田隆之教授(犯罪心理学)は「通り魔事件は、社会から孤立した20〜30代が起こすことが多く、40代以降は敵意や攻撃性が減少する。今回の事件は異例だ」と指摘。

「このままではダメという気持ちがありつつ、今さら挽回もできない。仕事や友達、パートナーがおらず、頼っていた伯父らも高齢になって絶望し、長年ため込んだ鬱屈した感情が爆発した可能性がある」とする一方、「日本で高齢の引きこもりは少ない数ではなく、そうした人たちが犯罪予備軍というわけでは決してない。岩崎容疑者が他の人と違うのは、『周りが悪いからこうなった』と、社会に対する不満や恨みを絶望感とともに蓄えていたとみられる点だ」と話した。




岩崎隆一 同居の伯父夫婦とも顔合わせなかった「ひきこもり」台所や風呂の時間ルール
2019年5月30日 J-CASTテレビウォッチ


川崎市多摩区の路上で登校中の児童らが襲われて19人が死傷した事件で、岩崎隆一容疑者(51)について、川崎市はきのう29日(2019年5月)に岩崎の伯父夫婦から計14回にわたって相談を受けていたことを明らかにした。

岩崎は80代の伯父夫婦と3人で暮らしていた。伯父夫婦が介護保険を利用するにあたり、「自宅に介護サービスの人が入った時に、おいが精神的動揺をきたさないか」という相談が、おととし11月(2017年)に川崎市に寄せられ、相談回数は今年1月までに面接8回、電話6回に及んだ。

面倒を見てくれる人がいなくなる不安で凶行?

市健康福祉局の坂元昇さんによると、伯父夫婦は岩崎の状態について、「暴力をふるったり暴れたりすることはないが、コミュニケーションがまったくない」と話したという。岩崎は伯父夫婦と顔を合わせないように、台所を使う時間やお風呂に入る時間を分けるルールを作っていた。

市の担当者の提案で、今年1月上旬(2019年)に伯父夫婦は岩崎の部屋の前に手紙を置いてみたが、岩崎は口頭で「食事、洗濯を自分でやっているのに、引きこもりとはなんだ」とドア越しに反論したという。

坂元さんは「(岩崎は)面倒をみてくれている人が老いていくという現実を見た時に、とてつもなく不安になったと思います。その不安が今回の事件に結びついたかどうかはわかりませんが」と話している。

他人を巻き込んでやろうという復讐心と絶望感

阿部祐二リポーター「伯父夫婦は恐怖を感じて相談したのではなく、自分たちがいなくなったら、この子はどうするんだろうかという不安、愛情から訴えたということでした」

下川美奈(日本テレビ解説委員)「引きこもりがすぐに自殺には直結しません。自分は社会に必要とされていないという絶望感と、他人を巻き込んでやろうという復讐心を招くきっかけがどこかにあったはずです。そのきっかけの解明が捜査のポイントとなります」




襲撃時に現金10万円所持 川崎、児童ら殺傷事件
6/1(土)共同通信



川崎市多摩区でスクールバスを待っていた私立カリタス小の児童らが殺傷された事件で、自殺した岩崎隆一容疑者(51)=同市麻生区=が襲撃時に現金約10万円を所持し、自宅から通帳とキャッシュカードが押収されていたことが1日、神奈川県警への取材で分かった。これまでの家宅捜索や親族の事情聴取で動機に関するものは浮かんでおらず、県警は生活実態を調べて解明につなげる。

県警によると、容疑者の居室には複数のゲーム機とソフトがあった。襲撃時に現場に残された包丁4本は新品で、いずれも自分で購入したとみられ、県警は口座の出入金の状況を捜査している。



計画的な無差別殺人か ドライブレコーダーに犯行の一部記録 川崎殺傷
5/30(木) 産経新聞


川崎市多摩区で私立カリタス小の児童ら19人が殺傷された事件で、岩崎隆一容疑者(51)=犯行後に自殺=が、スクールバスに乗り込もうとする児童を背後から次々と突き刺す姿がドライブレコーダーに記録されていたことが30日、捜査関係者への取材で分かった。極めて短時間の犯行で、特定の人物を狙った様子はなく、神奈川県警多摩署捜査本部は強い殺意で計画的に実行した無差別殺人だったとみて調べている。

また、岩崎容疑者がスマートフォンやパソコンなど電子通信機器を所持していなかったことも判明。世間と断絶した生活を長期間続けてきたとみられ、捜査本部は動機の解明も急ぐ。

捜査関係者によると、ドラレコには犯行の一部が記録され、岩崎容疑者は刃渡り約30センチの包丁を両手に持ち、小走りで児童を背後から次々と突き刺していた。

捜査本部が詳細に調べた結果、最初に襲われ死亡した保護者で外務省職員の小山智史(おやま・さとし)さん(39)に続いて、同小6年の栗林華子(はなこ)さん(11)が首を1カ所刺され死亡、保護者の女性(45)が重傷を負わされたことを確認。前後して16人の児童が襲われた。

岩崎容疑者は襲撃時、両手に手袋をはめており、握った包丁を滑りにくくしたとみられる。

小山さんの死因は出血性ショックで、4カ所の刺し傷があった。背中を2回刺され、振り向いた際などに胸や首を刺されたとみられる。胸の傷は心臓まで達していた。栗林さんは失血死だった。

現場近くのコンビニエンスストアの敷地に置いたリュックサックから別の包丁2本も見つかった。29日の自宅の家宅捜索で、捜査本部は包丁の空き箱4個を押収。現場で見つかった包丁4本のものとみられ、犯行に新品を使ったとみて入手先や時期を調べている。また、ノート1冊を含む数十点が押収されたが、動機につながるものは確認されていない。




川崎殺傷事件「へっこき」と呼ばれた容疑者の孤絶人生
6/4(火) 週刊FLASH 2019年6月18日号


「授業中にいきなりふらふらっと教室から抜け出して、校庭に出てみたり、ちょっとしたことでも突っかかってきて、唾を吐きかけてきたり。キレやすくて嫌なヤツ。いつも先生の手を焼かせていました」

川崎市多摩区で、私立カリタス小学校の児童ら20人を殺傷した岩崎隆一容疑者(51)。小学校時代の同級生が語る思い出は、かなり辛辣なものだった。

あだ名は「へっこき」。卒業アルバムには同級生が《岩崎君は “へっこき” “へっこき” とよばれて、なんともないのかしら》という一文を寄せている。

担任教諭も《動物の世話が大好き。けんかも……好きなのかな? 一人でいる時は、とっても、ものわかりのいい子なのですが……》と書いていた。

「幼いころは『隆ちゃん』と呼ばれ、よくうちの近くで遊んでいましたね」(近隣住民)

「隆ちゃん」の家庭には複雑な事情があった。前出の同級生は、こう記憶している。

「親がいなくて、おばあちゃんと暮らしていると聞いていました。複雑なんだなぁ、と思ったことがあります」

幼少期に両親が離婚し、父親の兄にあたる伯父の家族と同居していた岩崎容疑者。その伯父夫婦には、同容疑者と同年代の長男、長女がいた。

「きょうだいはともに、カリタスに通っていたと聞いていました。2人とも、小学校の集団登校には来ていませんでしたからね」(別の近隣住民)

私立の名門小学校の児童を狙った、今回の事件。同じ屋根の下で暮らすいとこは、カリタスに通い、自身は地元の公立小、中学校に通う。鬱屈した感情は、そのころから岩崎容疑者の心に蓄積した。中学校の同級生に聞くと、岩崎容疑者の印象はより薄くなっていく。

「当時は1学年で11クラス、400人を超える生徒数。『岩崎』という生徒がいたことも思い出せない」(中学校の同級生)

ほかの同級生も、事件が報じられて初めて同級生だったと知る人が多かった。覚えていた同級生も「存在感が薄い生徒だった」と話す。中学卒業後、岩崎容疑者は職業訓練校に通ったとの話もある。

一方、2人のいとこはそれぞれ独立。伯父夫婦と岩崎容疑者の3人だけの生活が続いた。岩崎容疑者は、引きこもり生活を送ってきたようだ。

「たまに長女が、車で子供と一緒に帰ってきて、ご両親の面倒を見ていたようです。でも、彼を見かけることはなかった」(前出の近隣住民)

岩崎容疑者の部屋には、テレビやゲーム機などが置かれていた。押収されたものはノートなど数十点にのぼるが、携帯電話やパソコンなどはない。伯父らとは長い間、顔を合わせることはなかった。食事や小遣いを渡すときも、対面することはなかったという。

だが、そんな生活も限界に達していた。伯父と伯母は訪問介護が必要な状態になり、2017年11月、親族が川崎市に相談。相談回数は、2019年1月を最後に、15回に及んでいたという。2018年6月からは、実際に伯父と伯母への訪問介護が始まっている。

市の担当者によると「目立ったトラブルはなかった」と語るが、このままの引きこもり生活を、今後も続けることができなくなるという現実を突きつけられた。

岩崎容疑者が、凶器となった包丁2本を購入したのは2019年2月。自宅からは、海外の猟奇的な殺人事件などが載った雑誌2冊が見つかっている。怨念を、カリタス小に通う子供たちに向けたのだろうか。

凶行に及んだ直後に自殺した岩崎容疑者。自身の首前側の上下2カ所に、包丁を突き刺した。ためらった様子は、まったくなかったという。




自立促す手紙、ビリビリに 容疑者が反発か 川崎殺傷
6/27(木) 朝日新聞



川崎市多摩区の路上で5月28日、私立カリタス小学校の児童ら20人が殺傷された事件で、ひきこもり状態だった岩崎隆一容疑者(51)=事件直後に自殺=に対し、同居していた伯母が今年1月、自立を促す内容の手紙を2度渡していたことが神奈川県警への取材でわかった。うち1通は破られた状態で見つかり、岩崎容疑者は手紙の内容に反発した様子だったという。

伯母は昨年11月、川崎市精神保健福祉センターからコミュニケーションの手段として手紙を書くことを提案されていた。

県警によると、伯母は1月2日と7日に「自立してはどうか」という趣旨の手紙を渡した。岩崎容疑者は8日、「自立しているじゃないか」と反論。2日の手紙はビリビリになって家の中で見つかった。

翌2月には、岩崎容疑者が事件現場に持ち込んだ刃物4本を東京都町田市と川崎市麻生区の量販店3店で購入した可能性があるという。

岩崎容疑者は生まれてまもなく両親が離婚。小学6年生のころから不登校になり、中学校にもほとんど通学していなかった。

中学卒業後の一時期に、複数の工場やマージャン店で働いたとみられるものの、事件当時に働いていた形跡はなかった。2014年ごろ、約70万円を遺産相続。事件当時は約10万円を所持し、本人名義の銀行口座に約24万円が残されていた。普段は伯父伯母に小遣いをもらうなどして生活を続けていた。交友関係も確認できていないという。

岩崎容疑者は5月28日午前7時40分ごろ、川崎市多摩区の路上で、スクールバスを待っていた児童らを刃物2本で襲ったとされる。私立カリタス小学校6年栗林華子さん(11)=東京都多摩市=と、別の児童の保護者で外務省職員の小山(おやま)智史さん(39)=東京都世田谷区=が死亡。同小の男児1人、女児16人の計17人と、保護者の無職女性=東京都世田谷区=が負傷した。

現場周辺や最寄り駅の防犯カメラを調べたところ、事件4日前と6日前に容疑者とみられる男の姿が確認され、県警は下見をしていたとみている。



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犠牲者の方々のご冥福をお祈り申し上げます。

大久保清(Wikipedia)

大久保清(Wikipedia) 
1935年1月17日 - 1976年1月22日

大久保清(二枚とも)
2005b

2003b

犯行に使われた乗用車(マツダ・ファミリアロータリークーペ)
2004b


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大久保 清(おおくぼ きよし、1935年1月17日 - 1976年1月22日)は、日本の連続殺人犯。
1971年(昭和46年)3月から5月までの2か月足らずの間に、路上で自家用車から声をかけて
誘った女性8人を相次いで殺害し、逮捕された。1973年に死刑判決を受け、1976年1月22日に
刑が執行された。

概要
生い立ち

1935年(昭和10年)1月17日、大久保は群馬県碓氷郡八幡村(現・高崎市八幡地区)に3男5女の7番目(三男)として生まれた。長兄は生まれて間もなく他界し、次兄は性格が両親の好むところではなかったことから、大久保は両親から「ボクちゃん」と呼ばれて溺愛された。

父親は国鉄(大久保の生誕当時は鉄道省)の機関士であったが、太平洋戦争後の人員整理(1949年)の際に同じく国鉄に勤務していた次兄とともに解雇された。母親はロシア人との間に生まれた混血の私生児(祖母は安中で芸者をしていた)で、10歳の時に小学校の用務員をしていた大久保の祖父に養女として迎え入れられたという経歴の持ち主であった。次兄の証言では父は子どもの前でも性行為をおこなうような人物で、次兄の妻(初婚、再婚の両者)は父による淫行の被害に遭ったという。

太平洋戦争の開始後、ロシア人の血を引く大久保は「アイノコ」「アメリカ人の血が混ざっている」などといじめを受けた。勉強を好まず、小中学校を通じて教員からの評価は高くなかった。

1946年(昭和21年)に小学校6年生だった大久保は、幼女を麦畑に連れ込んで性器に石を詰め込む強制わいせつ行為をする。被害者の親が抗議に来た際、母親は当初大久保が現場にいたことを認めず、犯人が大久保だと指摘されると「お医者さんごっこに目くじらを立てることはない」と息子を擁護した。

中学時代には、父が始めた闇屋を手伝うようになった。1950年に中学を卒業すると農業をたまに手伝い、1952年に群馬県立高崎商業高等学校定時制課程に進学したが、短期間で退学した。退学後、東京都板橋区の電器店に住み込みで勤め、銭湯の女風呂を覗き、解雇される。次いで、横浜市の電器店に嫁いでいた姉の夫が大久保を引き取り、神田の電機学校に通学させた。学校とともに赤線にも通うようになり、知り合った娼婦とのトラブルがきっかけで帰郷した。1953年4月、親からの出資により実家にラジオ修理販売店「清光電器商会」を開業する。だが技術や知識の伴わない大久保は十分なサービスができずに顧客を失い、修理部品の調達にも窮した。このため、同年7月から翌年1月にかけて高崎市内の同業者から8回にわたり部品を万引きして逮捕される。この時は大久保の父が損害を弁償して示談となり、不起訴処分となった。しかし、これが理由となって電器店は閉店した。


最初の強姦事件


1955年(昭和30年)7月12日、大久保は大学生に成りすまして前橋市内で17歳の女子高生を強姦。初犯であったことから懲役1年6か月・執行猶予3年の判決で済んだものの、同年12月26日に再び強姦事件を起こす(被害者の抵抗で未遂に終わるが、相手を負傷させたため、強姦致傷に問われた)。この事件で、懲役2年の実刑判決を受け、初犯時の刑期を加えた3年6ヶ月の懲役のため松本少年刑務所に収監された。

刑務所での大久保は早期出所を目指して模範囚となり、1959年(昭和34年)12月15日に刑期を6か月残して仮釈放された。しかし、それから半年も経たない翌1960年(昭和35年)4月16日に大久保は全学連の活動家に扮し、前橋市在住の20歳の女子大生を自宅に連れ込んで襲い掛かったが、被害者が大声をあげて大久保の両親に見つかったため未遂に終わる[14]。この時も示談となり不起訴処分となった。


結婚と恐喝・強姦


1962年(昭和37年)5月に、前年知り合った女性と1年の交際を経て結婚。しかし結婚するまで偽名と虚偽の経歴を語り、素性を明らかにした後も犯歴は妻には黙っていた。翌年には長男が生まれ、さらに谷川伊凡のペンネームで詩集『頌歌』を自費出版している。1964年(昭和39年)9月、妻の親族を通して得た権利で自宅に牛乳販売店を開き、当初は熱心に働いた。だが、1965年(昭和40年)6月3日に牛乳瓶2本を盗もうとした少年の兄(同業者だった)のもとに押しかけて2万円を脅し取り、後日新たに示談書を書かせたため、恐喝および恐喝未遂罪で逮捕された。この事件で、懲役1年・執行猶予4年の刑を受けたばかりか、自らの犯歴が妻に知られることになり、牛乳屋も不振に陥る。なお、この年に長女が誕生していた。

大久保は結婚してからも、自家用車で外出してガールハントを続けていたが、恐喝での検挙後に再び強姦事件を起こすことになる。1966年(昭和41年)12月23日に16歳の女子高生を自動車に乗せ、高崎市内に停めた車内で強姦。翌1967年(昭和42年)2月24日にも20歳の女子短大生を自動車に乗せ、同じ場所で強姦した。この一件から大久保は逮捕され、懲役3年6か月の判決を受ける。加えて恐喝事件の執行猶予も取り消され、懲役4年6か月の刑となる。

服役した府中刑務所でも大久保は模範囚として振る舞い、所長からの表彰を4度も受けた。一方、妻からは離婚の申し入れがあったが、大久保は出所まで待ってほしいとこれを止めていた。室内装飾品販売を起業する更生計画を作成したこともあり、1971年(昭和46年)3月2日に仮釈放となる。


連続殺人
事件発生


仮釈放後の大久保は両親の住む自宅に暮らした。一方、大久保の服役中に妻は実家に戻っており、大久保は自宅での同居(実質的な復縁)を望んだが妻の意思は固かった。妻の実家を訪れた際に、義母から大久保の次兄が(大久保の両親も含めた家庭事情から)同居しない方がよいと申し入れたと知り、さらに次兄および両親から申し入れが事実と聞かされた。大久保は連続殺人での逮捕後に、この一件で将来に絶望し、彼らを道連れに殺人に手を染める決意をしたと述べている。

一方、室内装飾品の販売に必要という理由で、当時の最新型スポーツカー(マツダ・ファミリアロータリークーペ)を親からの資金により購入した。

3月31日に群馬県多野郡で最初の殺人を犯したのを手始めに、逮捕されるまでの1か月半の間、白いスポーツカーで1日平均170キロメートルもの距離を走りながら、約150人(うち確認されたのは127人)の女性に声を掛けていた。大久保の車に乗った女性は約30人で、うち10数人と肉体関係を持った。しかし、声を掛け行動をともにした女性のうち8名を容赦なく殺害、死体を造成地等に埋めて遺棄した。

2001b


逮捕から自供まで


Gが行方不明となったあと、Gの兄は自らが経営する会社の従業員や知人による捜索隊を結成し、警察と連絡を取りながら独自の捜索を開始した。Gの兄は地元の藤岡市内でGが外出に使った自転車を発見し、その場所を見張っていたところ、大久保が現れて自転車を手袋で撫でる仕草をした(指紋を消す意図があった)ため、不審に感じて話しかけると、大久保は自動車に乗って立ち去った。だがGの兄はその車種やナンバーを記憶しており、警察に連絡するとともに該当車種の販売店に照会して大久保の身元を割り出した。捜索隊は警察の指導も受けながら、5月12日から自動車70台で本格的な捜索に乗り出し、13日の夕刻に捜索隊はカーチェイスの末ついに大久保を拘束ののち連行、警察に引き渡した。Gの失踪事件捜査を担当していた群馬県警察藤岡警察署に身柄を移され、14日にGに対するわいせつ目的誘拐罪で逮捕された。この時点で警察は大久保の逮捕理由についての物証を持っておらず、拘留期限を過ぎる可能性もあったが、15日になって強姦被害を受けた女性が警察に届け出て、面通しで大久保に間違いないと指摘したことから彼女に対する強姦致傷容疑で再逮捕された。この女性への強姦致傷については認め、Gを殺したと供述はしたものの、死体遺棄の場所については警察への復讐として絶対に話さないと主張した。以後、死体という物証を持たない警察は被害者全員の発見に至るまで約80日を要することになった。

5月21日に、榛名湖近くで行方不明となっていたAの遺体が発見された。しかし、大久保はAの殺害を認めなかった。捜査本部は方針を変更し、大久保の自作の詩や私淑していたというライナー・マリア・リルケの作品を目の前で朗読したり、心境を語らせたりしながら説得した。大久保は5月26日にGの殺害と死体遺棄について供述し、27日の現場検証で大久保の供述した場所からGの遺体が発見された。これにより大久保は初めて強姦殺人・死体遺棄の容疑で逮捕された。だが、Aを含めた他の殺人は示唆しながらも「秋まで言わない」と黙秘した。6月4日にAの殺害を供述。しかし、その他の事件の供述は一度には進展しなかった。この間警察側は取り調べのほかに、大久保の足取りと接触した女性の確認、大久保の自家用車に残された被害女性の毛髪や体毛の検出といった周辺の捜査をおこない、大久保に行方不明女性の写真を見せて関係の有無を尋ねたりした。大久保は断片的な供述を始めたが、核心部分は「警察や両親・兄への反抗」として拒んだ。警察は再度方針を改め、6月24日に班長の警部1人だけによる取り調べに切り替えた。大久保は「自分の望む条件を出してそれに対する捜査官の態度で死体遺棄地点を教えるかどうかを決める」と述べた。大久保は7つの条件を出し、その多くは身勝手な内容で警部は拒否したが、同時に警部自身が綴った「詩」を読むと大久保は態度を和らげ、2つだけ条件を受け入れるなら被害者1人の遺棄現場に案内すると述べた。捜査本部は「報道関係者を同行させない」という条件を受け入れ、6月27日の未明に榛名町内で大久保の供述した場所からDの遺体が発見された。

だが、その後再び大久保は供述を渋り、さらに身勝手な条件を示したりした。7月13日に再び「報道陣を同行させない」という条件でE、Fと別の男性(実際には虚偽だった)について遺棄の場所を案内するとしたが、実際に外出すると前言を翻し、結局その日は発見できなかった。この事態に警察庁が指導に乗り出し、指導官・調査官の派遣、現場検証に大久保を同行させない(場所はパノラマ写真やビデオを見せて確認)、大久保と条件で妥協しない、身柄を松井田警察署(現在の安中警察署松井田分庁舎)に移すといった方針転換が図られた。松井田署管内では犯罪がほとんど発生しないため留置場には他に拘置者がおらず、大久保を孤立させる効果があった。結局、7月20日にF、21日にE、22日にB、29日にCとHの殺害と死体遺棄を供述し、それに基づいて5人の遺体が発見された。この発掘は人目を避けていずれも日付が変わった深夜におこなわれた。このうち、Hを除く4人は造成中の工業団地付近にある狭い範囲から発見されている。

なお、この取調中に妻との離婚が成立している。


公判から死刑執行まで


大久保に対する刑事裁判は1971年10月25日に前橋地方裁判所で第一回公判が開かれた。初公判で行われた罪状認否に対し被告人・大久保は「なにもいうことはありません」と返答し、起訴事実を全面的に認めたために公判の焦点は「謎に包まれた犯行動機の解明」に絞り込まれた。

大久保は「裁判でも自供は変えない」と断言したため[61]、東京医科歯科大学教授の中田修によって精神鑑定が行われた。鑑定結果では「精神病ではないが発揚性、自己顕示性、無情性を主徴とする異常性格(精神病質)で、性的、色情的亢進を伴う」と判定された。

その一方で被告人・大久保は第2・3回公判で「事件と無関係な親族との争い・権力批判」を展開した上、公判終盤になると「俺はどうせ死刑だ」と弁護人(私選弁護人)を解任したり、「裁判官の忌避申立」などの行為を繰り返した上、1973年1月8日の論告求刑公判直前には裁判官3人を職権乱用罪で告訴するなどしており、『中日新聞』(中日新聞社)は1973年2月22日夕刊記事にて大久保のそれらの行動を「弁護人の解任は専ら延命策。裁判官への忌避申立・告訴は思想犯並みの反権力闘争」と表現した。そのため判決公判時点では国選弁護人・町田繁弁護士が大久保の弁護人を担当していたが、大久保は被害者・遺族への謝罪の言葉を引き出そうとし続けた町田に対し最後まで非協力的なままで、結果的に犯罪史上に類を見なかったこの凶悪事件は「動機が未解明のまま閉幕」することとなった。
1973年(昭和48年)2月22日に判決公判が開かれ、前橋地裁刑事部(水野正男裁判長)は被告人・大久保清に検察(前橋地方検察庁)側の求刑通り死刑判決を言い渡した。水野裁判長は10時の開廷直後に冒頭で死刑判決の主文を言い渡し、続く判決理由で以下のように被告人・大久保の犯行を断罪した。
他人の生命を犠牲にして省みないところに著しい反人間性が認められる上、被告人は自らの欲望の赴くままに若い女性の生命を次々に奪った。
本件を「権力に対する反抗」と表現するなど「自己の非を隠し、自らを美化しようとする虚飾に満ちた態度」を取って改悛の情を全く示していない。
現行の刑罰制度に死刑がある以上、これをもって被告人に臨むほかはない。

大久保は1973年3月7日に当時の収監先・前橋刑務所で知人と面会したが「控訴する気持ちはない」と語り、東京高等裁判所への控訴申立ができる最終期限となる翌日(1973年3月8日)夕方までに手続きを取らなかった。結果、大久保は控訴期限の1973年3月9日午前0時までに東京高裁へ控訴しなかったために第一審の死刑判決がそのまま確定した。

死刑囚・大久保は裁判官・弁護士らを告訴していたがそれらの事件がいずれも不起訴・起訴猶予処分となり大久保の身柄を前橋刑務所に置き続ける必要がなくなったため、死刑確定後の1973年4月3日付で身柄を東京拘置所に移送された。同年10月、大久保は獄中から『訣別の章 死刑囚・大久保清獄中手記』(KKロングセラーズ。編集:大島英三郎)を刊行したが、その中では「自分は『自己を失いただ性欲の野獣となった』ように見られているが、そのことはどうでもよい。私が犯された罪がいかに重大か知る人はいない」という意味の被害者意識を示していたほか、出版後にKKロングセラーズを相手取り東京地方裁判所宛てに「題名は本来『訣別の詩』だったのに著者である自分に無断で『訣別の章』と変えられた。これは著作権侵害だ」などと訴状を郵送するなどしていた。

1976年(昭和51年)1月22日に法務省(法務大臣:稻葉修)が発した死刑執行命令により収監先・東京拘置所で死刑囚・大久保清の死刑が執行された(41歳没)。死刑確定から2年10か月後の執行は当時「一般死刑囚と比較しても速いスピード執行」だった。


人物


獄中手記『訣別の章』について、風俗史家の下川耿史は、著書『殺人評論』において「(ニーチェやショーペンハウアーを引くなど)難しい言葉を多用して、(アナキズムに共感するなどして)国家権力への反発を述べているが、言葉が難しいわりには浅薄で、他にひどくセンチメンタルな詩を長々と書き連ねており、これが36歳の男が書くものかと思うほどに実に少年っぽい」と批評している。

取調中の大久保は数字の「3」を嫌がった。警察は大久保を追い詰めるためにこれを利用し、松井田署に身柄を移送した際には留置場の第3房に収監した。


大久保清を題材とした作品


1976年、本事件のほか、西口彰事件などを再現したオムニバス映画『戦後猟奇犯罪史』(製作:東映)が公開された。大久保に相当する久保清一を演じたのは川谷拓三。
1983年8月29日、筑波昭による同名書籍を原作としたテレビドラマ『昭和四十六年 大久保清の犯罪』(製作:TBS)が放送された。大久保を演じたのはビートたけし、プロデュースは八木康夫。

『天上の青』 - 曽野綾子の小説(1988年 - 1990年、毎日新聞に連載)。1990年に毎日新聞社より単行本刊行。1993年に、新潮文庫にて文庫化。
1992年に『妻たちの劇場』(フジテレビ)で放送された。大久保に相当する宇野富士男は白竜が演じた。
1994年には井上由美子の脚本で再ドラマ化され、『BSサスペンス』(NHK衛星第2テレビジョン)で12月12日 - 12月15日に放送された(総合テレビでは1995年5月13日と5月20日に『土曜ドラマ』枠で放送)。宇野富士男役は佐藤浩市。1994年度(第10回)文化庁芸術作品賞受賞。

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■補遺■

5ちゃんねる■大久保清■
1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/19(水) 00:09:12 ID:2mMVdbhC
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/ookubo.htm
なんでこんな奴の絵のモデルを引き受けてしまうのか?
5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/19(水) 06:46:21 ID:???
こいつ、絞首刑になるときに半分気絶しかかった状態で小便垂れ流し、
自分で歩くこともできずに職員二名にひきずられて刑場まで運ばれた
らしいね。極悪犯にしては肝っ玉の小さい野郎だわ
7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/20(木) 21:18:43 ID:NS+YkUb6
私はその頃、前橋の学校に通っていて、前橋駅近くの
ところで声をかける変な男を見たことがある
あれが大久保清だったと思う
8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/20(木) 23:25:51 ID:78wRCRvG
>>7
あんた何歳や?
10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/22(土) 07:56:29 ID:nqMkQkfY
大久保清って、見た目はインテリ風のダンディ男だったらしい。
人間は、女は、外見に騙される生き物。
11 :名無し検定1級さん:2006/04/23(日) 05:39:29 ID:9GNpSsTR
口が相当うまかったらしいな。
15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/23(日) 20:04:58 ID:wm0OEUbz
ベレー帽に長めの髪で、ルパシカが似合ってたそうな。
マジで恰好良かったって、事件のことを書いた本にある。顔じゃない、全体の印象がだよ。
16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/23(日) 20:46:02 ID:???
写真によって全然印象が違うな。動いてるとこ見てみたい
18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/25(火) 00:03:40 ID:???
当時は芸術家という肩書きはモテたようだ。
ベレー帽かぶってりゃ芸術家にも見えるしハゲも隠せるし一石二鳥。
こいつ頭いいな。
30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/15(月) 22:54:06 ID:RWtIcBLu
大久保清の犠牲になった女達の中に、黄毛菌持ちが居て、黄毛菌付きの陰毛が、身元判明の手掛かりになったそうな。
41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 03:14:03 ID:???
マツダじゃなくて日産の、スカイラインに次ぐ第2のスポーツカー。
この事件のせいで名称が消えていった。
ある意味報道被害。
50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 22:59:52 ID:ODJWBjHf
>>49
茨城のU市にある少年院に収監されていたんだよ清は
当時の看守だった爺が近所に住んでいるけど
清は態度がふてぶてしくロクでもない奴だったと聞いた
恐らく退院後も事件を起こすかもしれないと言っていて
ニュースでこの事件を知ったときはビックリしたとか聞いた。
52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 14:02:44 ID:???
こいつ捕まえたの被害者の兄貴なんだよね
妹が失踪する前に残した言葉を手がかりに捜しまわり発見、妹は無事に生還
宮崎勤とっ捕まえた幼女の父もそうだけど、肉親の愛は時にすごい力を発揮するね
57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 22:18:21 ID:???
かなり頭が良かったそうだ。特に言語能力が凄い。
頭がエロに支配されていなかったら文筆家か言語学者になれたかもしれないのに。
68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 01:11:30 ID:SCnNcJXV
小さい時に、新町駅(今は高崎市と合併)で大久保清がナンパしてたんだと聞いて、
へぇ〜こんな身近に凶悪事件の舞台になってたんだとビックリして、
ネットで調べたら、7番目に被害にあった女性は藤岡の信金にチャリを置いて失踪して、
大久保清がチャリの指紋を消すために現れたとか・・・
ウチのアパートから、車で5分くらいの信金で、
ウチのお母ちゃんが、その信金使ってて、
たまに、その信金に送って行って駐車場で待ってると、
こんなにも近い場所が凶悪事件の舞台になったのか・・・
と思うと、複雑な何とも言えない気分になるんよ!
前橋の敷島公園のバラ園では、大久保清に殺された女性の幽霊が出るし・・・
被害にあった女性に成仏してほしいと思う今日このごろ・・・
74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 10:26:21 ID:2DlQ5Qas
大久保が23か24歳のとき妻を娶ったようだ。清は生きていれば70歳くらい。
刑務所を数回出入りしたというのに子供は2人いるらしいからな。忙しい奴だ。
群馬県高崎に生家、清の父は国鉄職員だった。
76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 03:51:36 ID:FSIKYkn0
大久保清が、マツダのロータリークーペを乗ってたおかげで、
当時、マツダのイメージダウンになり、
マツダの売り上げが激減したらしいよね・・・
マツダは、いい迷惑だったろうね・・・
ウチから友達の家に行くときも、
藤岡のかみつけ信金を通るから、
かみつけ信金を通るたびに、せつない気分になるんよ!
未来ある若い女性を毒牙にかけて、最低の男だよね!
最初の舞台になった新町駅にも近いし・・・
大久保清の被害にあった女性のご冥福を願います。
群馬が生んだ、史上最強の凶悪犯・・・
同じ群馬県民として恥ずかしいかぎりです。
90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 11:14:50 ID:???
大久保のせいで
母親は晩年、老人施設に入っても
大久保の母だと周りにばれて、退去させられてばかりだったみたいだね
91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 01:12:39 ID:???
>>90
というか大久保の母親も性格異常だったらしいから、
団体生活なんて無理だとおもうが
94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 21:32:36 ID:heHBC7Ew
ベレー帽かぶってまあまあの車に乗ってる人から声かけられると、ついフラッと
なってしまうのかな。
私が印象に残ってるのは、ビートたけしさんが大久保清の役をやったテレビ番組。
お母さん役が大塚道子さんで、両人ともかなりのハマリ役であった。お母さんが
清に「ボクちゃんボクちゃん」と言ってたのと、たけしの演技力に感心した。
105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/23(火) 17:31:32 ID:???
>>104
大久保の両親が土地売り払って遺族に渡したらしい。
と言っても、被害者が多すぎるんで1遺族につき300万くらいじゃないかな。
109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/09(金) 08:19:23 ID:EHI/3lZO
>>105
そうなんだ。同級生のお母さんが被害者の家族だか親戚だかで、賠償金?で家建てたとか聞いたから
支払われたのは事件からだいぶ経ってからっぽいね
120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/18(日) 00:00:04 ID:RRFYFIv/
当時の5万は今でいうと
20万くらいの価値はあったと思う。
絵のモデルで一ヶ月分の月収くらい稼げるんだったら
多少あやしい奴でもついてく鴨。
125 :左官高島:2007/04/14(土) 23:49:00 ID:gePKsoeO
76年1月
東京拘置所の死刑囚房に刑務官の足音が鳴り響く。
大久保は当時『死刑執行は前日か2日前に通知される(実際は前年の福岡拘置所での死刑囚の執行当日の自殺で通知はなくなっていた)』と思っていて「俺は大丈夫」だと自信を持っていた。
しかし刑務官は大久保の房の前で止まり「おい!氏名と番号を言え!」…大久保は状況を理解した途端に腰を抜かした。
刑務官に引きずられて絞首台へと向かう。
絞首台を前に大久保は失禁した。小便を漏らしていたという。そして死刑執行となった。
126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 03:12:44 ID:+ZaeGO1H
確認できた被害数は8だが実際には10人を殺しているという。
そんな卑劣な悪党が処刑に腰をぬかすとは
愚かで卑しい悪党の遺骨はどこにいったのやら
165 :50手前のオヤジ:2007/09/05(水) 10:22:45 ID:stELDn+d
今から30数年前。俺が中学1.2年の頃同級生が「絶対に他人に言うなよ、と教えてくれた
俺 大久保清と遠い親戚になるんだ。」大久保清の別れた妻の親戚らしいが、
聞いた俺はまじブルッタ。因みに中学は渋川だった。
167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 13:04:23 ID:???
>殺しているのは確かという
文庫にはホラとありましたよ。
しかもその三人のうち二人は男。大久保が男を殺すのはねーなと自分はオモタ。
あと読む限り拷問はないみたい。
供述に従って、本人を連れて捜査員も大人数動員して捜索、でも死体が出なくて、
騙された警察が責めると、大久保は「だっておれは悪い人間だ」と開き直り。
読んでてもうほんとダメだなこいつって思った。
当時の捜査員の皆さんご苦労様です。
186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 21:28:28 ID:ZhwFwyxj
>マツダ ファミリアロータリークーペ→当時としては最高級車だったらしいが・・・
それはない。当時でも高級車からは程遠い。
ロータリーエンジン車で、当時高級車といえるのは、初代コスモスポーツしかない。
初代コスモスポーツは、当時のクラウンの価格の2倍以上。
さらに当時若者や車好きに人気あった車は、ダイヤカットと言われた初代シルビア、
フェアレディー2000、Z432、KPGC10(GT-R)、初代セリカGT等。
当時ナンパに適した車は、フェアレディー2000(この車は中古車でもお金持ちじゃないと買えなかった)と
発売されたばかりのセリカ&カリーナ。特にセリカとカリーナは価格が安く新車購入も簡単だった。
216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/03(日) 09:12:47 ID:???
743 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ sage New! 投稿日:04/07/21 14:20 ID:TvYx9T39
僕の実家は群馬にあります。そして父が警察なのですが、
父から聞いた話を一つ。
大久保清という連続殺人犯は知っているでしょうか。
昭和の話になってしまうし、僕も生まれてないのですが
父の話によるとおかしな話が一つあったそうです。
父がその話をしてくれたとき松井田というところに勤めていました。
そこの警察署は大久保清が捕まって取調べを受けたところだそうです。
そこにのこる、話だそうですが、最初大久保は容疑を否認していたらしいです。
しょうがないので、時間をとり、夕方になったそうですが
6時のお寺の鐘がなり始めると突然震え始め、容疑を認めたらしいです
229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/11(火) 17:59:13 ID:UIXlyiT6
>>216
まるっきりインチキ。
清の取調べは前橋市にある群馬県警で殺人に関する自供は朝から始めた。
松井田署に勤務してたのは飯塚訓(当時警部補)だけど
取り調べしたのは飯塚じゃなく、県警にいた刑事どす。
詳しくは飯塚の著書読んで。
256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 08:24:07 ID:pRnMXhOZ
大久保清が生きてれば73歳くらいかな?
奥さんは6か7歳下だから当然存命
あと息子と娘がいておそらく40代前半
大久保清の実家は群馬八幡駅前に有ったが今は農協?
258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/01(火) 17:02:30 ID:???
>>254
図書館に行って過去の新聞を読んできなさい。
けっこう普通の容姿の人が多い。
何回かデートした後殺害され、大久保の奥さんが「こういう人が一番主人の好みだったと思う」
と証言した人はかなり美人だった。
タイプもいろいろで本当に女好きだったんだなーと思ったよ
261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 15:56:49 ID:???
71年3月31日 榛名湖畔 高校生A子さん(17歳)
同4月6日 高崎市 ウエイトレスB子さん(17歳)
同4月17日 高崎市 県庁臨時職員C子さん(19歳)
同4月18日 榛名町 高校生D子さん(17歳)
同4月27日 高崎市 高校生E子さん(16歳)
同5月3日 高崎市 公社職員F子さん(18歳)
同5月9日 松井田町 会社員G子さん(21歳)
同5月10日 下仁田町 家事手伝いH子さん(21歳)
ホントに若い子ばっか殺してるんだな。
267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/23(水) 23:49:51 ID:ahGJtLOQ
昨日から今日にかけて車で群馬八幡駅前 安中市 軽井沢 中軽井沢 榛名湖畔 妙義山に行ってきました。すべて大久保清のドライブコース
群馬八幡駅前のJAが元の住まいかな?親はそこには居られなくなり売りに出した。
安中はたしかに今もラブホ街だった。
中軽井沢駅前に立ち食いそば屋は見当たらなかった。大久保清が女とドライブに立ち寄り食べたというそば屋が見つからなかった。
誰か被害者8人と強姦致傷の被害者の顔写真貼って
271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/25(金) 17:48:59 ID:???
革命左派(連合赤軍の片方)が榛名山に山岳ベースを建てたのは、
大久保清が被害者を埋めた場所が近くにあったので、人が近づかないだろうとの目論見から
後に仲間を殺して埋めに行く際、大久保清事件の被害者女性の幽霊らしきものを目撃してる
274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/26(土) 22:33:14 ID:XOJGB+hO
大久保清の家系は凄いらしい。 祖父がロシア人で
祖母が遊亭の遊女だったらしい。
父親も凄い人で、息子の嫁を強姦したとか・・・・
母親は息子に甘く『ぼくちゃん』と呼んでいたらしい。
大久保清は何度か結婚して、子供を作り、愛人にまで
子供を生ませたらしい・・・
その子供は今どうしているんだろう?気の毒というか
なんというか?
明らかに異常な遺伝形態を具有して誕生した。
家系を調べると、その本人がわかるらしい。
また家系を調べると、例えば犯罪者の家系は
その先祖がなんらかの犯罪を犯しているケース
があるとの報告がある。

遺伝子これは今解明されつつあるが、良くも悪くも過去の
先祖の遺伝子を受け入れなければならない運命であると
この事件の背景を察して感じた。
321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 16:59:45 ID:???
>>314
まあ、大久保が女ひっかけてた
T線S駅は、今現在も小さい駅だが
T線は県内じゃ本数が一番多いから
T市M市内やS県のガッコへの通学に
よく利用されている
324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 21:09:15 ID:jicuqjsb
>>321
高崎線新町駅とはっきり書きなさいよ。
大久保清は群馬県内でのみナンパして群馬県内ですべて殺して埋めている。
安中藤岡桐生前橋等々でナンパに励んだ。
新町駅で本当に大久保清役のビートたけしがナンパの撮影してたんだね。
329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 11:43:01 ID:cj350K/s
この時代ちょっとかっこいい車に乗ってるだけで、すぐに女の子が乗り込んできた。
三菱ギャランGTO、軽なら赤エヌ…ホンダN360赤のクーペ
これでもけっこう女の子が乗り込んできた。
このころ若い女性の免許所有率は低かった。
356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 14:50:53 ID:bc0xoeh/
捕まりたくないから殺したんだけど大久保清は捕まった。
7人目殺した翌朝藤岡の信金に有った被害者の自転車の指紋を消すために出向いたら被害者の実兄に見つかり車で逃走するが車のナンバー見られて身元ばれた。
そしたら前科四犯 二か月前に府中刑務所を出所した大久保清36歳だった。 ロシア人のクォーター
496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/26(金) 02:47:52 ID:anEMUb0I
最近の雑誌に被害者女性8人の顔写真掲載されてたよ。
白黒ってのもあるけど基本的に皆ブス。
手あたりしだいナンパしてやれる女を車に乗せたのがわかる
601 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/07(金) 22:42:39.34 ID:NOM3lhQh
>>598
オレも’71年生まれ
大久保が死刑執行された頃に他県から前橋に引越してきたんだけど、当時両親が
「このへんに大久保がよく来ていたらしい」とか興奮気味に話題にしてたので、幼い
ながらも強烈に記憶に刷り込まれているんだよな。
勿論ナマで事件を知らない世代なんだけど、学校行くと大久保君はやっぱり同級生
たちから「キヨシ」という扱いだったな。
602 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/07(月) 21:16:02.55 ID:HGO662Nl
大久保と勝田は有名だな
603 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/11(金) 13:09:03.65 ID:???
■死刑囚、最期の言葉(1)  氏名(執行日)「言葉」(事件):執行順に掲載
・大米龍雲(16,06,26) 「くたばっちまえば、どうせ何も見えねえ(と目隠しを拒む)」(尼僧連続強姦致死)
・小平義雄(49,10,05) 「この期におよんで何も言い残すことはありません(と饅頭3個、ひかりを一服)」(小平事件)
・大谷高雄(55,02,11) 「先に行ってます。極楽では私のほうが先輩ですからね」(3人組拳銃強盗殺人)
・菊池正(55,11,22) 「おかやん、おかやん、助けてくれよ・・・」(栃木・雑貨商一家四人殺し)
・坂巻脩吉(57,06,22) 「お先に、先生!お世話になりました。元気でね!」(鏡子ちゃん殺人事件)
・古屋栄雄(59,05,27) 「ふみえーー!もう一度会いたいよぉ・・・・」(人違いバラバラ事件)
・孫斗八(63,07,17) 「ゴルァーーーー!だまし打ちにするのか!」(洋服商殺人事件・日本のチェスマン事件)
・千葉(中村)覚(67,11,02) 「犯罪なき世の中がうちたてられますように・・・・アーメン」(新潟・農家強盗殺人事件、歌人島秋人)
・奥野清(67,11,16) 「かあちゃん、いま行くで、待っとれよ」(母親バラバラ殺人事件)
・正田昭(69,12,09) 「(小木)先生によろしくお伝えください・・・アーメン・・・」(バーメッカ殺人事件)
・小林カウ(70,06,11) 「長い間お世話になりました。思い残す事も言い残す事もありません」(日本閣事件)
・杉村サダメ(70,09,19) 「あの世では被害者の皆さんに会って罪を償いたいと思います」(連続女性毒殺魔)
・西口彰(70,12,11) 「遺骨は別府湾に散骨してください、アーメン」(広域連続強盗殺人事件)
・小原保(71,12,23) 「真人間になって死んでいきます。ナスの漬物おいしゅうございました」(吉展ちゃん事件)
・片桐操(72,07,21) 「皆さん、ありがとうございました。お先に失礼します」(少年ライフル魔事件)
・中島一夫(73,10,12) 「あの世で被害者に会ってお詫びできることを思うとやはり死ぬことは喜びです」(埼玉9人殺人鬼事件)
・西武雄(75,06,17) 「そうでしたか(とタバコ一本をうまそうに吸う)」(福岡事件)
・堀越喜代八(75,12,05) 「どうか皆さん、ぼくの冥福を祈って成仏できるよう助けて下さい」(横浜・同僚母子殺人事件)
・大久保清(76,01,22) 「・・・・クック・・・・・」(大久保清連続殺人事件)
・佐藤虎美(82,11,25) 「殺られてたまるかーーーーー!」(藤沢女子高生殺害事件)
・渡辺健一(88,06,16) 「・・・ウソやろ!・・・・・かなわんなあ・・・」(寝屋川・若夫婦殺害事件)
・永山則夫(97,08,01) 「うおーーーーっ!!オレを殺すと革命が起きるぞ!」(永山則夫連続射殺事件)
・勝田清孝(00,11,30) 「目隠しを取ってもらえませんか。もう一度先生(教誨師)の顔を見たい」(連続殺人)
・大石国勝(00,11,30) 「くそ、俺のホースバンドを盗みあがったのは誰だ!」(鳥栖隣人殺人事件)
・長谷川(竹内)敏彦(01,12,27) 「・・・・残念です・・・・・・」(半田保険金殺人事件)
・宅間守(04,09,14) 「タバコとジュースくれや、妻にありがとうって、僕が言っていたと伝えてください」(池田小事件)
・秋山芳光(06,12,25) 「私は77歳ですよ。それでもあなた方は執行するんですか・・・」(秋山兄弟事件)
・藤波芳夫(06,12,25) 「今までお世話になりました」(前妻一家殺傷事件)
・陸田真志(08,06,17) 「晶子さんのところに行けるのはこの上もない幸せです」(SMクラブ連続殺人事件)
・宮崎勤(08,06,17) 「あのビデオまだ途中なのに・・」(東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件)
・陳徳通(09,07,28) 「ワタシ、ニホンゴワカリマセン。アナタタチ、イマカラ、ワタシニナニスルノ」(川崎6人殺傷事件)
・山地悠紀夫(09,07,28) 「遺骨と遺品は国で処分してください」(大阪姉妹殺害事件)
・篠沢一男(10,07,28) 「ゴルァ!おまえら、殺す気かーーーーーー?!」(宇都宮宝石店放火殺人)
・尾形英紀(10,07,28) 「私は反省の心を捨て、被害者のことを考えるのをやめました」(熊谷男女4人殺傷事件)
・坂本春野(11.01.26)「みなさん(医師、看護婦)最期まで看病してくれてありがとね」(高知・保険金連続殺人事件)
・永田洋子(11.02.06)「もっと光を・・・・・」(連合赤軍事件)
604 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/26(土) 20:05:00.31 ID:???
76(昭和51)年1月22日朝9時
東京拘置所の死刑囚房に刑務官の足音が鳴り響く。
大久保は当時『死刑執行は前日か2日前に通知される』と思っていて
(実際は前年の福岡拘置所での死刑囚の執行当日の自殺で事前通知は
なくなっていた)「俺は大丈夫」だと自信を持っていた。

しかし刑務官は大久保の房の前で止まり「おい!氏名と番号を言え!」
…大久保は状況を理解した途端に腰を抜かした。
刑務官に引きずられて絞首台へと向かう。
絞首台を前に大久保は失禁した。小便を漏らしていたという。
そして死刑執行となった。最期の言葉は 「・・・・クック・・・・・」


附属池田小事件(2001年)

附属池田小事件(Wikipedia) 
2001年(平成13年)

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出典:NHKニュース(YOUTUBE)
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出典:youtube
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7


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附属池田小事件(ふぞくいけだしょうじけん)とは、
2001年(平成13年)6月8日に大阪府池田市の
大阪教育大学附属池田小学校で発生した
小学生無差別殺傷事件。

本事件の犯人・元死刑囚は宅間 守
(たくま まもる、1963年11月23日 - 2004年9月14日)。
以下、便宜上“甲”(文中未修正箇所は“被告人”)とする。

概要
甲の生い立ち

幼少時代の甲は3歳の時点で三輪車で
国道の中央を走って渋滞させたり、
小学校では自分より強い児童にはいじめられていたが、
自分より弱い児童に対しては徹底的にいじめた。
いじめられっ子であると同時にいじめっ子であった[1]。

また、猫等の動物を新聞紙に包んで
火をつけて殺害した事もあった。
中学入学後も弱いものいじめは継続して行っており、
本人が事件後鑑定医に語ったところによれば、
「好意を抱いていた女子生徒の弁当に精液をかけた」
こともあるという[2]。

小学生の頃から自衛隊に強い関心を持っており、
「将来は自衛隊入るぞ〜」と大声で叫んだり、
一人で軍歌を大声で歌っていたこともあり、
高校生になっても周囲の同級生に
「俺は自衛隊入るからお前等とは後少しの付き合いや」
と発言していたこともあったという。

また、高校時代に停学処分を受けた際、
反省文にも「自衛隊は内申書一切関係無しの一発勝負」
等と綴っていたこともあった[注 1]。

甲は幼い頃から「高学歴・高収入のエリート」
に対する屈折した羨望、嫉妬を抱いていた[1]。

尼崎市内の工業高校を2年で中退した後、
定時制高校に編入学するもすぐ退学し、
数ヶ月間ガソリンスタンドでのアルバイトを経て1981年末、
18歳の時航空自衛隊に入隊したが
1983年1月に1年強で除隊させられている[2]。

除隊の理由について、鑑定書は
「家出した少女を下宿させ、性交渉した」
ために懲罰を受けたと記述している[2]。

除隊後、甲は運送会社やトラック運転手、
引越し業者等十数社転職を繰り返していたが
何れも数週間から半年以内で辞職しており、
精神的に荒れ、家族に暴力をふるったり、
傷害、暴行などに走り、
また高速道路を逆走するなど非行を行うようになっていった[2]。

1984年、マンション管理会社に勤務していた時には
家賃の集金と称して
女性の部屋に上がり込んで強姦事件を起こしている[3]。

事件後、甲は母親を伴い精神科を受診、入院するが、
入院中に5階から飛び降りて重傷を負う[3]。
この出来事の後、統合失調症の診断を下されている。

また、のちに母親に宛てた手紙によれば、
入院したのは警察から強姦事件で追及されるのを回避するためで、
5階から飛び降りたのは「親に嫌がらせをするため」
であったという[3]。

初犯の強姦事件では1985年に懲役3年の実刑判決が確定し、
翌1986年春から1989年春迄奈良少年刑務所に服役し、
1989年の出所後父親が甲の私物を下取りに出し
その金を本人に手渡しして父親から勘当されている。

1993年、30歳の時非常勤の地方公務員になり
市営バスの運転手やゴミ収集、
小学校の用務員等を勤めていたが、
この間も市バスの運転を務めている最中に乗客の女性に
「香水の匂いがきつい」
ことを理由に言いがかりをつけてトラブルを起こし
懲戒処分を受けている[4]。

1999年4月に小学校教諭等が飲む茶に
精神安定剤を混入させる行為をした[5]として分限免職されたものの、
刑事処分は「責任能力なし」として受けなかった[5]。

その後再度職を転々とするが、
その度に暴行事件等を起こした為長続きしておらず[6]、
2000年末頃から最終的に
池田小の通り魔殺人事件で逮捕された当時は無職であった。

十数社の職歴の内ある程度長続きした(1年以上)
のは航空自衛隊と非常勤の地方公務員の2ヶ所のみであり、
それ以外は何れもおよそ半年以内で辞職したり解雇されている。
また、初犯の強姦事件を除き全て自身の精神障害の偽装を楯にして
15犯にわたる前科や不起訴処分を経験している。

甲の家系・家族とその環境

甲の先祖は旧薩摩藩の下級武士で[7]、
甲の家系では事件発生前まで代々誇りにしていた。
甲家の男子にも代々受け継がれ[7]、
法律や警察関係の仕事を行う者が多かった[7]。

武士だった甲の曽祖父は、
明治維新の直後に丁髷を落として警察官に就任し、
鹿児島県から奄美大島に渡った後、
大阪・河内へ移住した[8][9]。

甲の祖父は、甲の父親が17歳になった年の春に
死去している[8]。

甲の父親は小学校で学歴を終え、
甲家一家の大黒柱として6人の家族を養ってきた[7]。

甲の父親は、
甲の祖父と幼い頃から自宅の庭で木刀を打ち合っていたといい[8]、
「自分は薩摩武士だ」との強烈なプライドを生涯持ち続けていた[9]。

父親によれば「『誰にも迷惑をかけない』というのは、
大きな私のテーマでありました[10]」と語っている。
また、「(甲家の男子は)何代にも渡って厳しい修身教育(道徳)
を受けてきたため[11]、(甲家の男子は)『真のサムライたれ』
[10]と教育された。

ワシも父親に厳しくそれを仕込まれたし、
どんな出身地や身分にも関係無く『教育勅語』
というものがあった[10]。
これがあったから日本人はちゃんとしとったんですよ[10]」という。
父親は極めて平凡な頑固親父で、
人生の勝利者にはなり得なかったけれども
自分の人生にプライドを持っていたという[9]。

甲の父親は、家族全員に対して激しい暴力をふるっており[12]、
甲自身も父親から厳しく接せられていた
(尚、父親自身も放任されて育っていた様子である)。

甲は暴力をふるう父親を憎悪し、
寝ている間に包丁で刺殺してやろうと思ったこともある
と述懐している[12]。
甲が自衛隊を退職して非行に走るようになると
親子関係はさらに悪化し、
取っ組み合いをして
父親が甲を何度も石で殴打する出来事もあった[2]。

事件後、父親は甲のことを
「物事が上手くいかないとすべて人のせいにする人間」
と評している[13]。

甲の母親は、家事、育児が苦手であり、
家事のほとんどは父親が担当し、
一種のネグレクト状態であったと指摘される[12]。
甲を身ごもった時、父親に「これはあかん」
「おろしたい」と語っていた[12]。
また、母乳をあげることも嫌がっていた。
さらに、甲が中学を受験する際には、
「お前なんか産まれてこなければよかった」
と罵詈雑言を浴びせられたと、
事件後に甲のマンションから
押収されたノートに書かれていた[1]。

甲は両親に対して、喧嘩をした際に、
「ヤクザを使ってお前らの生活滅茶苦茶にしてやる」
「死ぬまで苦しめてやる」と語っていた[3]。

甲には実兄が一人居たが、
破綻した実弟の存在に心を病み、
起業の失敗と偽って
小刀で首を斬って40代前半の時自殺している[9]。
甲の母親も長期に渡って心を病み、
長らく精神病院に暮らした[9]。

この厳しくも誇りのある家庭を破壊した人物は、
甲の家族でも地域の環境でも社会の変化でもなく、
甲自身だったといわれているが、
前述の家庭環境を考えると
必ずしも甲一人の責任とは言えない[9]。

さらに兄の自殺も弟の責任といいつつも
兄も父を止めようとはしなかったので
甲の被害者とはいい切れない。

事件の概略

2001年6月8日10時20分頃、
大阪教育大学附属池田小学校に凶器を持った甲が侵入し、
次々と同校の児童を襲撃した。

結果、児童8名[注 2](1年生1名、2年生7名)が殺害され、
児童13名・教諭2名が傷害を負った[14]。

甲は、校長や別の教諭にその場で取り押さえられ、
現行犯逮捕された。

甲は最後の一人を刺し終えた瞬間、
凶器である出刃包丁を自ら落として、
「あーしんど!」と呟いたという[15]。
その後、甲は殺人罪などで起訴された。

逮捕当初、
甲は精神障害者を装った言動を取っていた[注 3][注 4]。
しかし、被疑者に対して起訴前と公判中に2度行われた
精神鑑定の結果で、2度とも
「情性欠陥者で妄想性などのパーソナリティ障害は認められるが、
統合失調症ではなく、責任能力を減免するような精神障害はない」
とされ、責任能力を認める結果が出た[17]。

甲は逮捕直後に「薬を十回分飲んだ。しんどい」
と供述して医師の診察を受けた[18]が、
甲が飲んだとされる薬は通院先の病院などを調べた結果、
抗精神病薬「セロクエル」と抗うつ薬「パキシル」、
睡眠剤「エバミール」の三種類と判明した[18]。

仮にこれら全部を甲の供述通り10回分服用しても
眠くなるだけで、奇怪な行動を起こしたりすることはない
とされる[18]。

また、甲の自宅を調べると睡眠薬や抗精神病薬など
10数種類、約200錠の薬物を押収[18]したが、
これは甲が複数の病院に通院しては、
医師に「眠れない」などと睡眠障害・不眠症を偽って
(いわゆる詐病の一種)薬を処方してもらい、
飲まずにため込んでいた[18]ものだった。

さらに、逮捕後に甲の血液や尿を採取して仮鑑定した結果、
精神安定剤の成分が検出されなかった[18]。
捜査員がこの事実を甲へ突きつけると、
「すみません。薬は飲んでいません。作り話でした」
と偽証していたことを認めた[18]。

公判

「下関事件の模倣犯になりたかった」
「命を持って償います」
と初公判でのみ反省・謝罪の弁を口にしていた。
このことに対し、大阪地方検察庁の検事が
週刊新潮のインタビューに対して「この反省と謝罪の弁は本物だった」
との証言をしている。公判後は「何も言えないよりは良かった。
本当ならば4人の遺族を名指しで批判するつもりだった」
「刑事責任能力がそこまで認められたなら(控訴しても)仕方ない」
と述べている。

2003年8月28日、
大阪地方裁判所は被告人の甲に対して死刑判決を言い渡した。

死刑判決を言い渡す場合には主文を最後に述べる慣例があるが、
今回はそれを破って主文を先に言い渡した。
また、すでに甲は開廷時に騒いだことで退廷命令を受け、
拘置所職員によって連れ出されており、
死刑判決を読み上げる裁判長の声を自ら聞くことは無かった。
また、この判決公判では傍聴希望者が多かったことから、
特別措置として法廷にテレビカメラを設置し、
別室に設けたテレビモニターで傍聴できた。

その他、甲は公判中にあくびや貧乏揺すり、
遺族や裁判長等を睨みつけたりする行為を行い、
これに対し傍聴席からは「早く死ね」「一人で死ね」
等の怒号が飛び交っていた。

死刑確定後

控訴期限の同年9月10日に弁護団は控訴したが、
9月26日に甲自ら控訴を取り下げ、死刑判決を確定させた。

甲は主任弁護人に送った文書で、
刑事訴訟法第475条第2項で規定された
「死刑確定後の6か月以内の死刑執行」
を訴えていた。

甲は、死刑が6ヶ月以内に執行されないと
精神的苦痛を理由とする国家賠償請求訴訟、
および法務大臣・野沢太三に対する
特別公務員暴行陵虐致傷罪での
刑事告訴を起こす準備をしていた。
告訴した場合には、たとえ受理されなかったとしても
手続きが滞って死刑の執行が遅れる可能性があったが、
告訴の依頼を受けた弁護士[誰?]によれば、
実際に告訴の手続きを行うつもりはなかったという[要出典]。

また担当弁護士に届いた2004年の年賀状には
「ケジメをつけるためにご協力お願いします」としたためており、
甲は一刻も早い処刑を望んでいた。

この事件の判決確定後、
甲は死刑廃止運動家の女性と出会い、
文通を経て獄中結婚をした。
晩年は甲自身の姓を女性の姓に改名している。
この他、愛知県出身の既婚女性から
愛情の告白を受けており、その女性とも文通を行っていた[19]。
最初は愛情や支援に対して頑なに心を閉ざしていた甲だったが、
自分に対する理解者が現れるに連れて、
少しずつ彼女に対して心を開いていった。

死刑確定から約1年後の2004年9月14日8時16分、
甲は大阪拘置所で死刑が執行された。
結果的には甲の望んだ通りの早期執行となった[注 5]。
執行当日の朝食は摂取することが許されなかったが、
甲は執行直前に刑務官から受け取った
煙草とリンゴジュースをゆっくり味わってから、
拘置所の奥へ消えていったという。
享年40。

甲が最期に残し、妻が死刑執行後に刑務官から伝えられた言葉は
「『ありがとう、と僕が言っていた』と、妻に伝えてください」
とされている[20]。

妻に対しては感謝の気持ちを表すまでには至ったものの、
事件によって犠牲になった被害者の児童やその遺族への謝罪は
最期まで一切無かったとされる。

なお、葬儀はマスコミが押しかけることと、
費用面など経済的事情もあり難航し、
結局は信者ではなかった
大阪市内のキリスト教関係の施設で行われたという[20]。

事件後の反響
犠牲者に対する対応

この事件で死亡した2年生7名は、
2006年に同級生と共に特別に卒業証書を授与され、
「小学校を卒業」という形になった[注 6]。
さらに、2007年にはこれと同様に、
死亡した1年生1名に卒業証書が授与された。

また小学校を管理する文部科学省は、
被害者遺族らに総額4億円の慰謝料や賠償金を支給した。

学校側の対応不足
文部省(当時)は、
1999年に京都市立日野小学校で発生した
京都小学生殺害事件の後に「安全管理に関する通知」を出しているが、
附属学校を設置管理する文部省および大阪教育大学では、
各附属学校の安全措置の状況を把握していなかった。

通知に関しては、教官に対して一度口頭で伝えたに留まり、
それ以外の格別の対応をとっておらず、
事件当日も不審者に対して、
教官による十分な対応がされていなかったことが、
被害児童の救助の遅れや犯人逮捕の遅れにつながった。

犯人を取り押さえてから警察による犯人逮捕までの間、
学校側による状況把握ができず、
管理職や教務主任は
混乱の中で事件の全容をつかめなかったほか、
組織的な対処行動(児童に対する組織的な避難誘導、
救命活動、搬送処置など)ができなかったため、
死亡した8名の児童は20分前後も放置されてしまった[注 7]。

混乱の中、教員が救急車に乗らず児童に付き添わなかったため、
保護者への児童の搬送先病院の連絡も遅れていた[21]。

事件直後、ある死亡児童の保護者は、
早い段階で来校したにもかかわらず、
学校内で負傷していた児童に会うことも
付き添うこともできなかった末、
自力で探し回った病院で
死亡した我が子と対面することとなった。
さらに事件後において、
学校からの説明や弔問が遅れただけでなく、
教員の心ない表現、
発言および行動が遺族の心を大きく傷つけた[22][23]。

学校の安全対策
この事件をきっかけに、学校(小学校など)、幼稚園、
保育所などの児童・生徒・幼児が頻繁に利用される
教育関連施設にも
「警察官立寄所」の看板(プレート)またはシールが
貼り付けられたり、学校にも部外者の学校施設内への
立ち入りを厳しく規制したり、
警備体制を強化するなどの方策を主張する声も増えた。

また、防犯ブザーを携帯する児童も増加したほか、
保育士や学校の教職員が防犯や心肺蘇生を学ぶ機会となった[24]。

この事件は、日本の学校がそれまでの
「地域に開かれた学校」から
安全対策重視の「閉ざされた学校」
に方針転換するきっかけとなった。

それまで小学校は、地域のコミュニティに重要な役割を果たし、
校庭は子供たちの遊び場にもなっていた。
この事件後、学校に監視カメラを設置したり、
部外者の立ち入りを原則禁止したりする傾向が強まった。

小学校などの学校への警備員配置、
集団登校時に保護者や地域のボランティアによる
見守りも行われるようになった[25]。

また、この事件を境に、小学校においては
児童の名札を廃止したり、
あるいは校内のみの着用に限定したりする学校が
増えるようになった。

触法精神障害者に対する対応
心神喪失と認められ、
無罪あるいは不起訴処分となった者に対する、
処遇のあり方について議論された。

それまでは、精神障害者に対して
司法機関が関与して処遇が行われることは、
一部の団体が保安処分に対して、極めて抵抗感が強かったが、
この事件以降に
『心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の
医療及び観察等に関する法律』が制定された。
保護観察所に社会復帰調整官(精神保健福祉士)が置かれ、
社会復帰調整官が中心となって医療観察が実施されることとなった。
もっとも、この措置は保安処分であるとの指摘もある。

被害者の精神的な障害
児童や教職員・保護者の中には、
心的外傷後ストレス障害 (PTSD) に未だ罹っている人もいる。

また、「あの時ああすればこの事件が起きなかったのに
(または被害を抑えられたというのに)」
というサバイバーズ・ギルト、
いわゆる「見殺しにしたという自覚」
ともとれる自責の念に駆られている教員もいる
(一審の最終弁論で現行犯逮捕に携わった教員の証言)[22][23][26]。

精神障害者における報道被害
精神障害者のうち、
統合失調症や気分障害などの者の家族らで運営する、
精神障害者家族会のかつてあった全国連合組織、
財団法人全国精神障害者家族会連合会(全家連)が、
精神科医を通して、事件後の精神障害者に対する
報道被害の様子の変化を調査している[27][28]。

1.自分の病気や障害について
深く考え悩むことがあった患者がいた (73.9%)

2.他人の目が気になったりして
外出が嫌になった患者がいた (63.0%)

3.再発というほどではないが
症状が不安定になった患者がいた (57.6%)

4.眠れなくなったりするなど
生活のリズムが乱れた患者がいた (50.0%)

深刻な事例として、
精神科医から挙がった声としては
1.自殺した患者がいた(1.1%、2人)
2.入院・再入院した患者がいた(16.3%、24人)
3.再発した患者がいた(13.0%、21人)

となった。

全家連から報道機関への見解と要望
全国精神障害者家族会連合会(全家連)は、
報道機関に対し「大教大池田小児童殺傷事件の報道について」
(2001年6月8日付)と「小学校児童殺傷事件報道について」
(2001年6月18日付)を送付している。

前者では「この事件で逮捕された男には、
精神病院の通院歴があったと報じられていますが、
その記述については、
私たち身内に精神科治療を受ける者を持つ立場から見て、
重大な疑義を感じざるをえません。

記事(番組)の中で報道されている
『男は、精神病院に通院中で…』という部分は、
その表現 (以下、病歴報道)によって、読者(視聴者)には、
『精神疾患』が本事件の原因であり、
動機であると理解されてしまいます。
その結果、「精神病者(精神障害者)はみな危険」、
という画一的なイメージ(=偏見)
を助長してしまうと考えるからです」

と、安易な病歴報道の問題点を指摘し、
「妄想や幻聴などの症状は、
薬物療法でコントロールしやすいといわれています」
と精神科治療の実情を説明、
「なぜこんな事件が起きたのか、
服薬はきちんとしていたのかなど、
事件の背景をきちんと取材し、
今後の教訓となるような報道をしてください」

と要望している。
後者では「安易な報道によって、
「精神障害者は危険だ」
という社会の偏見がより強くなりました。
(中略)これは『報道被害』であるといっても、
過言ではありません」

と、報道によって受けた報道被害を訴え、

1.事件の報道をする場合、警察発表であったとしても、
事件の背景、病気の状態などが明らかになっていない段階で、
特定の病名や通院歴・入院歴を報道するべきではないこと。

2.法的責任能力の問題を
精神障害に置き換えて報道しないこと。

3.この事件と触法精神障害者の
処遇問題を安易に結びつけないこと。

の三点を要望している。

補足
精神鑑定書

2013年に本件の鑑定人の一人、
精神科医の岡江晃は、甲の名を冠した
『宅間守 精神鑑定書 精神医療と刑事司法のはざまで』
を著した[29]。
その本の内容は下記によりなる。
鑑定書前文
第1章 家族歴
第2章 本人歴(生活歴、精神科治療歴、
生活歴精神科治療歴にかんする甲の陳述)
第3章 本人犯行
(甲以外の供述、鑑定時に述べたこと)
第4章 現在症(精神所見、心理検査所見、
身体所見)
第5章 診断(精神医学的考察、
本件犯行とその心理、精神能力)
第6章 鑑定主文

資料として各種検査、判決要旨が追加されている。
鑑定人は H.T.と岡江晃で、
ほかに鑑定助手として医師2人、
臨床心理士1人が協力した。

鑑定主文を要約すると、甲はいずれにも分類できない、
特異な心理的発達障害があり、
この延長線上に青年期以降の人格がある。

本件犯行時、本人は情性欠如者であり、
穿鑿癖、脅迫思考を基盤とした妄想反応である、
嫉妬妄想があった。

本件犯行そのものに踏み切らせた決定的なものは
情性欠如であり、著しい自己中心性、攻撃性、衝動性である。
本件犯行が極めて重大な犯罪であるという認識は、
犯行直前、直後、現在もある。

診断の中の精神医学的考察の中で、
過去の精神科医の診断が述べられている[30][31]。
それによると過去に診察したすべての精神科医は
程度の差はあれ、
精神分裂病(現在は統合失調症)
の可能性があると考えたという事実が記録されている。

診療録の診断名は精神分裂病のみならず、
精神神経症、敏感関係妄想、
神経症などとなっているが、それらは単に暫定診断であり、
保険請求のための診断であった。

唯一、約2年間にわたって主治医であった
精神科医YMのみが、本件犯行より以前に
精神分裂病から、
妄想性パーソナリティ障害へと診断変更した。

呼称について
「大阪教育大学教育学部附属池田小学校」
の所在地周辺では、
「池田小」といえば別の学校である
「池田市立池田小学校」を指すことが一般的で、
事件のあった学校名を記載する際には、
「大阪教育大学教育学部附属池田小学校」
とフルネーム、
略称も「附属池田小」と呼称する場合が多い[注 8]。

マスコミなどの扱いでも、主要紙は記事本文では
「附属池田小事件」と表記することが多いが、
見出しなどでは依然「池田小事件」
と表記されることもある。

その他
遺族の中には甲に対してその境遇や生い立ち、
学校の用務員(技能員)としての生活時代に
子供から揶揄されたなど、
一定の理解を示した者もいた。
大手マスメディアではこれが報道されることはなかった。

事件発生2日後の2001年6月10日、
横浜国際総合競技場(現:日産スタジアム)
で行われたFIFAコンフェデレーションズカップ・
日本 - フランス戦のキックオフ直前に、
両チームの選手が事件の犠牲者へ向けて
1分間の黙祷を行っている。
この時、字幕に「Pray for eight victims
(8人の尊い命に対し、黙祷を捧げます)」というテロップが
世界中に放送された。

また、同じくサッカー選手のリオ・ファーディナンドも
2001年に来日した際に事件を知り、
同校に献花を行った(リオ・ファーディナンドの項参照)。

事件後、宇多田ヒカルは彼女のファンであった
事件の犠牲者・被害者へ捧げたシングル曲として
「FINAL DISTANCE」を発売した。
附属池田小学校の校内では
2008年秋に鉄腕アトムの銅像が建てられた。

産経新聞が
校庭に座って泣く児童らの写真を掲載したが、
この写真が2001年度の新聞協会賞を受賞している。

橋下徹が、政界入りする前に弁護士だった2004年に
「(甲を)速やかに死刑にすべき」
という異例の寄稿を週刊誌で発表した。
その後、甲から弁護人を通じて早期の死刑実現に対する
援助を依頼する手紙が届いたが、
橋下は、甲が遺族に謝罪するという条件付きで
了承する旨を返答した。

しかし、返事には人生に対する恨みや苦悩は書かれていたが、
遺族への謝罪や反省のコメントは書かれていなかった。
この手紙はテレビ番組「たかじんのそこまで言って委員会」
で朗読したが、結局協力はしなかった。

事件当日は、2011年中にアナログ放送を終了させる
改正電波法が国会で可決・成立されたが、
この事件の報道によって大きく報じられなかった。

この事件は海外でも大きく報道された。
これをきっかけにコロンバイン高校銃乱射事件の
犠牲者の遺族と本事件の遺族との交流が始まり、
以降両者は「学校の安全をいかに確保するか」
というテーマで定期的にシンポジウムを行っている[32]。

この後、附属池田小学校では、
学校における安全教育の研究
および実践を展開してきたことで、
その安全に対する姿勢が認められ、
2010年3月5日付で、日本の学校においては初のISS
(International Safe School) に認証された。
とりわけ文部科学省の教育課程特例校として
「安全科」を設置したことは世界でも高く評価されている。

脚注
注釈
1.^ その他、当時の反省文には自身が小学生の頃からの
反社会的行動や、運転免許証を所持していないにも関わらず
オートバイを購入したこと、祖母への愛着、部落問題への批判など
十数ページにわたり延々と綴った後、
文末には「最後に俺自身の大きな反省点は、
先の事を考えて行動せよ。それだけ」で締め括っている。
2.^ 2004年に犠牲になった8人の児童追悼のために、
代表して松本零士のファンで「銀河鉄道999」で宇宙を旅をすることが
夢だった女児の名前が、
松本原作のOVA作品「大YAMATO零号」のヒロイン名に採用されている。
3.^ 取り調べで「オレは学校なんか行ってない。
阪急池田駅で人をメッタ斬りした」と不可解な発言をした[16]。
4.^ 甲は過去に15回もの逮捕歴(高速道路の逆走、
実兄の愛車である高級輸入車を「サラリーマンが外車なんか乗るな!」
と角材で破壊する行為、小学校教諭が飲む茶に
精神安定剤を混入させる行為など多岐にわたる)を持つが、
精神科通院歴を楯に不起訴処分(あるいは保護観察処分)
という比較的軽い処分を経験している[16]。
5.^ 同じように早期の死刑を望んだ死刑囚に
ピアノ騒音殺人事件の犯人がいるが、
精神に異常をきたしている(近況については情報公開されていないが)
といわれており、確定から37年近く経過した現在も執行されていない。
つまり、死刑囚本人が執行を求めても執行が早まるわけではないのである。
6.^ 通常は、死亡した場合は死亡日に除籍扱いとなる。
卒業することは極めて珍しい。
7.^ 死亡した児童8名は即死ではなく、
救命活動の遅れによる失血死が死因であった。
8.^ 2004年度に大阪教育大学附属池田小学校と改称。

出典
1.^ a b c 片田珠美 2009, p. 104.
2.^ a b c d e 片田珠美 2009, p. 105.
3.^ a b c d 片田珠美 2009, p. 106.
4.^ 片田珠美 2009, p. 107.
5.^ a b 片田珠美 2009, p. 108.
6.^ 片田珠美 2009, p. 109.
7.^ a b c d 新潮45編集部 2002, p. 25.
8.^ a b c 新潮45編集部 2002, p. 26.
9.^ a b c d e f 今枝弘一 2008.
10.^ a b c d 新潮45編集部 2002, p. 27.
11.^ 新潮45編集部 2002, p. 2527.
12.^ a b c d 片田珠美 2009, p. 103.
13.^ 片田珠美 2009, p. 115.
14.^ “命の尊さ訴え、鐘は鳴る 付属池田小事件14年”.
朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2015年6月8日).
オリジナルの2015年6月8日時点によるアーカイブ。
2015年6月11日閲覧。
15.^ 新潮45編集部 2002, p. 50.
16.^ a b 一橋文哉 2003, p. 398.
17.^ 一橋文哉 2003, p. 398-399.
18.^ a b c d e f g 一橋文哉 2003, p. 403.
19.^ 『サイゾー』2004年11月号より。
20.^ a b 佐久間哲 2005, p. 27.
21.^ 大森治幸 (2015年6月9日). “池田小乱入殺傷:
事件から14年 保護者ら向けに対談映像”. 毎日新聞
(毎日新聞社) 2015年6月11日閲覧。}[リンク切れ]
記事名の一部に実名が使われているため、省略した。
22.^ a b 事件概要.
23.^ a b 遺族合意書 2003.
24.^ “講習会:防犯や心肺蘇生学ぶ 保育士、
教職員90人 /和歌山”. 毎日新聞 (毎日新聞社).
(2015年6月10日) 2015年6月11日閲覧。}[リンク切れ]
25.^ 吉村治彦 (2015年6月10日). “金沢の電気店主、
子ども見守り14年 池田小事件機に”. 朝日新聞デジタル
(朝日新聞社). オリジナルの2015年6月10日時点による
アーカイブ。 2015年6月11日閲覧。
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オリジナルの2013年6月6日時点によるアーカイブ。
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参考文献
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ISBN 978-4-10-603637-8。
佐久間哲 『死刑に処す−現代死刑囚ファイル−』 自由国民社、
2005年11月。ISBN 978-4426752156。
『殺ったのはおまえだ−修羅となりし者たち、宿命の9事件』
「新潮45」編集部 編〈新潮文庫〉、2002年11月。
ISBN 978-4-10-123914-9。
日高恒太朗 『殺人百科データファイル』 新人物往来社
〈別冊歴史読本 5〉、2005年1月。ISBN 978-4404033055。
森達也 『死刑−人は人を殺せる。でも人は、
人を救いたいとも思う。−』 朝日出版社、2008年1月。
ISBN 978-4255004129。

関連項目
拡大自殺
ゲイリー・ギルモア - 『死刑にされる権利』を訴えたアメリカの死刑囚
スクールシューティング

学内侵入犯による類似襲撃事件
文京区小2女児殺害事件(1954年4月19日)
小学校内で起こったヒロポン中毒者による児童殺害事件。
京都小学生殺害事件(1999年12月21日)
宇治小学校児童傷害事件(2003年12月18日)
ソウル日本人学校園児襲撃事件(2004年1月29日)
寝屋川市立中央小学校教員殺傷事件(2005年2月14日)

その他の類似事件
ピアノ騒音殺人事件(1974年8月28日)
新宿西口バス放火事件(1980年8月19日)
深川通り魔殺人事件(1981年6月17日)
池袋通り魔殺人事件(1999年9月8日)
下関通り魔殺人事件(1999年9月29日)
武富士弘前支店強盗殺人・放火事件(2001年5月8日)
- 附属池田小事件のちょうど1か月前に発生し、
5名の死者、4名の負傷者を出している。
大邱地下鉄放火事件(2003年2月18日)
- 韓国・大邱広域市にて発生。
本事件を上回る192人の死者を出した。
自殺サイト殺人事件(2005年2月〜6月)
- 元刑事を実の父親に持つ男による連続殺人だが、
彼には20年間で100件以上の強盗や
傷害の前科があった。
秋葉原通り魔事件(2008年6月8日)
- 7年後の同日午後に発生、
7人が死亡し10人が重軽傷を負った。
大阪個室ビデオ店放火事件(2008年10月1日)
- 本事件を上回る16人の死者を出した。
相模原障害者施設殺傷事件(2016年7月26日)
- 本事件を上回る19人の死者を出し、
戦後発生した殺人事件では最悪規模。

その他、アメリカ合衆国では銃の乱射による
同様の事件がしばしば起こっている。
テキサスタワー乱射事件(1966年8月1日)
パトリック・パーディー(1989年)
- 米国で起きた銃乱射による小学生5人殺害事件
コロンバイン高校銃乱射事件(1999年4月20日)
バージニア工科大学銃乱射事件(2007年4月16日)

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関連記事


付属池田小裁判傍聴記・庄村有治



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犠牲者のご冥福をお祈り申し上げます。


板橋マンション主婦殺害事件(2012年)


板橋マンション主婦殺害事件

2012年(平成24年)
 


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板橋マンション主婦殺害事件
 



1階の窓ガラス割られる 死後半日程度、帰宅直後に殺害?

産経新聞  2012年11月22日 


東京都板橋区赤塚のマンションで21日深夜、住人の主婦、
荒井久美さん(34)が胸などから血を流して死亡しているのが見つかった事件で、
1階の窓ガラスが割られていたことが分かった。
玄関のカギが施錠されておらず、
寝室や居間の押し入れが荒らされていたことも分かっており、
警視庁捜査1課は強盗殺人事件と断定、高島平署に捜査本部を設置し調べている。

検視の結果、死因は失血死で死後半日程度経過しているとみられる。
荒井さんのバッグから21日午後3時半ごろ、東武東上線成増駅前のドーナツ店で
買い物をしたレシートが見つかっており、
捜査本部は荒井さんが帰宅直後に殺害された可能性もあるとみている。
捜査本部によると、荒井さんはメゾネットタイプのマンションの2階寝室で、
普段着姿のままあおむけに倒れていた。胸や背中に十数カ所の刺し傷があった。

防犯カメラに男の姿、コンビニで現金引き出す 板橋の主婦殺害

産経新聞 2012年11月23日 


東京都板橋区のマンションで主婦の荒井久美さん(34)が殺害された事件で、
犯人とみられる男が豊島区内のコンビニで荒井さん名義の預金口座から
現金二十数万円を引き出していたことが23日、捜査関係者への取材で分かった。
荒井さんのキャッシュカードが入った財布がなくなっており、
警視庁高島平署捜査本部は男が荒井さんから暗証番号を聞き出し、
奪ったカードを使ったとみている。

捜査本部によると、預金が引き出されたのは、21日午後5時ごろ。
コンビニの現金自動預払機(ATM)の防犯カメラに、
グレーのニット帽に青のマフラー、黒のセーターを着た男が残高照会した後、
2回に分けて、ほぼ全額の二十数万円を引き出す姿が映っていた。
男は眼鏡やマスクもしていた。

荒井さんは同3時半以降に買い物から帰宅し、
その直後に殺害されたとみられる。
コンビニは現場から約10キロ離れた池袋駅近くにあり、
捜査本部は男が最寄りの東武東上線成増駅から池袋駅まで
電車で移動した可能性があるとみて、周辺の防犯カメラの映像の解析を進める。
マンションからは荒井さんの財布や携帯電話、
夫(37)が室内に保管していた現金数万円もなくなっていた。

1週間前の空き巣被害の足跡と酷似 営業活動装い留守宅物色か

産経新聞
2012年11月24日 


東京都板橋区のマンションで主婦の荒井久美さん(34)が殺害された事件で、
現場で見つかった犯人とみられる足跡が、
事件の約1週間前に空き巣被害にあった現場近くのアパートに残っていた
足跡と似ていることが24日、捜査関係者への取材で分かった。

窓ガラスを工具で割って侵入する手口も共通していることなどから、
警視庁高島平捜査本部は関連を調べる。
捜査本部によると、足跡は荒井さん宅1階の台所や2階の階段付近、
居間に残されていた。足跡から犯人は革靴をはいていたとみられる。

現場近くの防犯カメラには、21日午後3時半ごろ、
マンションのインターホンを押しているスーツ姿の男の姿が映っており、
捜査本部は犯人が営業活動などを装って留守宅を探していた可能性があるとみている。

高島平署管内では今年1月以降、同様の手口の空き巣が十数件発生。
このうち、現場近くのアパートで約1週間前に起きた空き巣被害の犯人の
足跡と似ていることが判明した。
荒井さんは21日午後3時半以降に帰宅した直後に殺害されたとみられる。
同日午後5時ごろには、現場から約10キロ離れた池袋駅近くの
コンビニエンスストアの現金自動預払機(ATM)で、
犯人とみられる男が荒井さんの預金口座から現金約26万円を引き出していた。

預金引き出し直前に変装か 指輪も強奪の疑い

産経新聞 2012年11月24日 


東京都板橋区の自宅マンションで主婦、荒井久美さん(34)が刺殺された事件で、
荒井さんが持っていた自宅の鍵が現場から見つかっていないことが24日、
警視庁高島平署捜査本部への取材で分かった。
荒井さんの夫(37)は「2階にあった指輪も無くなっている」とも話しており、
捜査本部はいずれも犯人が奪ったとみて調べている。
夫が手帳に挟み、奪われたとみられていた現金2万円はごみ箱から見つかった。
捜査本部によると。事件当日の21日午後5時ごろ、
豊島区の池袋駅付近にあるコンビニの現金自動預払機(ATM)
で現金約26万円を引き出した男は、眼鏡姿でグレーのニット帽、
青いマフラーなどを着用していた。
付近の防犯カメラに同じ服装の男は写っておらず、捜査本部は、
現金を引き出す直前に服を購入し、変装した疑いもあるとみて、
周辺にある衣料品店の防犯カメラの画像を回収し、解析を進めている。

コンビニ近くでニット帽など購入か

産経新聞 2012年11月25日  


東京都板橋区のマンションで主婦の荒井久美さん(34)が刺殺された事件で、
コンビニで荒井さんの預金を下ろした犯人とみられる男の服装と似た商品が、
コンビニ近くの衣料品店で購入されていたことが25日、
捜査関係者への取材で分かった。

警視庁高島平署捜査本部は男がこの店に立ち寄り、着替えたとみている。

捜査本部によると、コンビニの男は灰色のニット帽に青のマフラー、
黒のセーター姿。コンビニでは21日午後5時ごろ、
預金が下ろされていたが、直前に近くの池袋駅前の大手衣料品チェーン店で、
似た商品がまとめて購入されていた。

また、コンビニの男は黒縁の眼鏡や白のマスクをつけていたが、
午後3時半ごろ、マンションのインターホンを押していた
スーツ姿の男も同じような眼鏡をかけていた。
2人は同一人物の可能性が高いという。

荒井さんは午後3時25分ごろ、マンションから約400メートル離れた
東武東上線成増駅前の飲食店で買い物をしていた。
隣室の住民は「外出先から帰宅した3時50分以降は
不審な物音などを聞いていない」と話しており、
捜査本部は3時半から50分までの約20分間に犯行が行われたとみている。

服を買った男は20〜30代か 黒縁眼鏡でスーツ姿

産経新聞 2012年11月26日 


東京都板橋区のマンションで主婦の荒井久美さん(34)が刺殺された事件で、
荒井さんの預金が下ろされたコンビニ近くの衣料品店で、
マフラーなどを購入したのは20〜30代でスーツ姿の男だったことが26日、
捜査関係者への取材で分かった。

現場周辺の防犯カメラに映ったマンションのインターホンを押す
スーツ姿の男と特徴が似ており、
警視庁高島平署捜査本部は同一人物とみている。

捜査本部によると、衣料品店は池袋駅前にあり、
21日午後5時ごろに近くのコンビニで荒井さんの預金約26万円が
引き出される直前、スーツ姿の男がコンビニの男の服装と同じ
黒のニット帽に青のマフラー、黒のセーターに加え、
ズボンを購入するのが確認されたという。

現場周辺と衣料品店、コンビニの防犯カメラに映っていた男は
いずれも黒縁の眼鏡をかけていた。

犯人の男 事件翌日に品川区内に立ち寄り? 2日後は池袋駅利用か

産経新聞 2012年11月29日 


東京都板橋区のマンションで主婦の荒井久美さん(34)が
刺殺された事件で、犯人とみられる20〜30代の男が
事件翌日の22日朝、品川区内に一時立ち寄った可能性が高いことが
28日、捜査関係者への取材で分かった。

酷似した男が23日午後に東武東上線池袋駅の改札を
通過していたことも判明。

警視庁高島平署捜査本部は男が池袋−品川間を
往復した可能性があるとみて、
関係先の防犯カメラの解析を進めている。

捜査関係者によると、22日午前7時すぎ、
男が品川区内にいた疑いが強いことが
聞き込み捜査などから浮上。

21日午後5時ごろには似た男が池袋駅近くのコンビニで
荒井さんの預金約26万円を下ろしており、
その後、品川方面に向かったとみられる。

一方、事件直後の同4時ごろ、黒縁眼鏡にスーツ姿の男が
現場近くの成増駅で東上線に乗り、
約10分後に池袋駅で降りるのを確認。
23日午後にも同駅改札近くの防犯カメラに似た服装の男が
改札からホームに向かう様子が写っていた。

コンビニや成増、池袋両駅の男らは同一人物とみられ、
捜査本部は東上線沿線に生活圏がある可能性があるとみている。

20代前半の男が関与か 窃盗容疑で逮捕へ

産経新聞 2012年11月29日 


東京都板橋区のマンションで主婦の荒井久美さん(34)
が刺殺された事件で、防犯カメラの映像などから
近くに住む20代前半の男が事件に関与した疑いが強まり、
警視庁高島平署捜査本部が近く事情聴取する方針を固めたことが
29日、捜査関係者への取材で分かった。
容疑が固まり次第、荒井さんの預金を引き出した
窃盗容疑で逮捕し、殺害についても関与を調べる。

荒井さんは21日午後3時半〜50分ごろ、
胸や背中を刃物で刺され殺害されたとみられる。
1階台所の窓ガラスが割られ、
室内が荒らされて財布や指輪などがなくなっており、
捜査本部は買い物帰りの荒井さんが空き巣目的で
侵入した犯人と鉢合わせになり、
殺害されたとみて捜査していた。

捜査関係者によると、男は窃盗事件での検挙歴があり、
事件後の21日午後5時ごろ、
池袋駅近くのコンビニで、
荒井さんの預金約26万円を引き出した
黒縁眼鏡の男とも特徴が似ているという。

現場や同駅周辺の防犯カメラには、
スーツ姿の男が事件前後にマンションの
インターホンを押し、東武東上線成増駅から
電車で池袋駅に移動しているほか、
同駅近くの衣料品店でニット帽やセーターなどを
購入し、パチンコ店で着替える様子も映っていた。

20代男、現場に土地勘か まだ板橋区内に?

産経新聞 2012年11月30日 


東京都板橋区の自宅マンションで主婦、
荒井久美さん(34)が刺殺された事件に
関与したとされる20代前半の男が、
現場付近に土地勘があるとみられることが
30日、捜査関係者への取材で分かった。
事件後も板橋区内にとどまっている可能性があり、
警視庁高島平署捜査本部は
所在確認を急いでいる。

男が以前住んでいた豊島区のアパートは
板橋区との境にあり、
現場マンションまでは電車と徒歩で20分程度。
荒井さんの預金が引き出された
池袋駅近くの現金自動預払機(ATM)までは
約1.5キロの距離だった。

捜査本部によると、
男とよく似た人物は事件後の21日午後4時ごろ、
東武東上線成増駅から池袋駅まで乗車。
池袋駅周辺でニット帽やセーターなどを買った後、
ATMで預金約26万円を下ろしていた。
事件数日前には、
現場付近のアパートをのぞき込む姿も
目撃されていた。

20代前半の男を任意同行、逮捕へ

産経新聞  2012年12月1日 


東京都板橋区のマンションで主婦の荒井久美さん(34)
が刺殺された事件で、警視庁高島平署捜査本部は1日、
荒井さんの預金口座から勝手に現金を引き出した
窃盗の疑いで20代前半の男を任意同行した。

男は別の窃盗事件で摘発された過去があることなどから、
捜査本部は盗みの常習犯だった疑いもあるとみており、
同日中に窃盗容疑で男を逮捕するとともに、
強盗殺人の容疑についても男を追及する方針だ。

事件は、荒井さんの夫(37)が
11月21日午後10時50分ごろに帰宅し、
2階寝室で荒井さんが刃物で刺されて殺害されているのを
見つけたことで発覚。

玄関のドアは無施錠のままで、明かりはついておらず、
寝室などが荒らされ、荒井さんの財布やキャッシュカード、
免許証、携帯電話、指輪などが奪われていた。

1階台所の窓ガラスが割られ、紳士用の革靴の足跡が残されており、
約1週間前に近くのアパートで起きた空き巣事件の現場で採取された
足跡と酷似していたことから、
捜査本部は荒井さんが買い物から帰宅した直後、
空き巣に入った男と鉢合わせになり、殺害されたとみている。

荒井さんは、遺体で発見される約7時間半前の同3時25分ごろ、
最寄りの東武東上線成増駅前のファストフード店で買い物をしてから帰宅。
一方、男は同3時過ぎ、荒井さん宅に忍び込んだ疑いが強い。

男は同4時半ごろ、現場から約10キロ離れた池袋駅近くの衣料品店で、
灰色のニット帽や青いマフラー、黒いセーター、ズボンなどを購入。
近くのパチンコ店のトイレ内で着替えて「変装」した後、
コンビニ店に移動し、現金自動預払機(ATM)で
荒井さん名義の預金口座から25万8千円を引き出していた。

暗証番号を間違えた形跡がないことから、
荒井さんを凶器の刃物で脅迫し、
暗証番号を聞き出した後に殺害したとみられている。

22歳男を窃盗容疑で逮捕 強盗殺人容疑も追及へ

産経新聞 2012年12月1日 


東京都板橋区のマンションで主婦の荒井久美さん(34)が
刺殺された事件で、警視庁高島平署捜査本部は1日、
荒井さんの預金を勝手に引き出した窃盗の疑いで、
近くに住む松尾元気容疑者(22)を逮捕した。
捜査本部は強盗殺人の容疑でも松尾容疑者を追及する方針。

逮捕容疑は11月21日、荒井さんのキャッシュカードを勝手に使って、
東京・南池袋にあるコンビニ店の現金自動預払機(ATM)で
預金25万8千円を引き出したとしている。

22歳男、現場から700メートルに居住 同居女性と夜中に大声

産経新聞 2012年12月1日 


松尾元気容疑者は、現場のマンションから
北に約700メートルしか離れていないアパートで暮らしていた。

事件から10日余り。逃亡中もアパート周辺で生活を続けていたとされ、
近隣住民の間には驚きが広がった。

1日午前9時ごろ。閑静な住宅街に建つアパートを、
車で乗り付けた捜査員数人が取り囲んだ。
任意同行には素直に応じた松尾容疑者は、黒縁眼鏡に黒の上着、
ジーンズ姿で玄関先に現れ、うつむき加減のまま車に乗り込んだ。

松尾容疑者は福岡県出身。
一時、板橋区と隣接する豊島区内に居住していたが、
今年4月ごろ同アパートに入居し、夏ごろからは若い女性と同居していた。

隣室に住む大家の男性は「夜中に女性と大声で話す声が聞こえたので、
管理会社を通じて苦情を訴えたことがある」と振り返る。

間取りは1Kで、家賃は5万2千円。
11月分の家賃を滞納して保証会社に立て替えてもらったが、
12月分は逮捕前日の11月30日に振り込まれていた。

「初めはおとなしく礼儀正しい印象だった。
こんな事件を起こすとは信じられない」。
大家は言葉を失った。

反対側の隣室に住む男性(28)は
「昼も電気がついていたので、学生だと思っていた。
ゴミ出しのマナーが悪かった」と語る。
女性を自転車の後ろに乗せて出かけるのをたびたび見かけ、
1日未明には、
壁越しに松尾容疑者が談笑する声が響いていたという。

アパートの契約書では「会社員」だったが、
実際はアルバイトでカラオケ店を転々。
3月から勤務した東武東上線成増駅前の店も10月には辞めた。

松尾容疑者宅では、捜索が行われていた1日午後2時半過ぎ、
衣服を詰めた袋を抱えた同居女性が警察車両に乗せられ、
無言で立ち去った。

「ATMの男は容疑者本人か」…22歳男浮上も慎重捜査

産経新聞  2012年12月1日 


警視庁高島平署捜査本部は、
事件後間もなく松尾元気容疑者を割り出し、
数日前からは自宅を出入りする松尾容疑者を監視していたが、
逮捕状請求までは慎重に捜査を進めた。
「ATMの防犯カメラに写っていた男が
『確実に松尾容疑者本人である』
という画像の鑑定結果が得られなければ、
逮捕できなかった」。捜査幹部はこう解説する。

捜査関係者によると、荒井久美さんの預金が
池袋駅近くのコンビニエンスストアのATMで
事件直後に引き出されていた事実は、事件翌日に判明。
防犯カメラには、セーターを着て、マスクにニット帽、
マフラーで顔を隠した男がATMを操作する様子が写っていた。

コンビニ周辺の防犯カメラには預金が引き出される直前、
衣料品店でマスクにスーツ姿の男が
同じようなニット帽やセーターなどを購入し、
パチンコ店のトイレ内で着替えていた事実も捉えられていた。
だが、マスクを脱いだ映像はなかった。

一方、現場マンションの録画機能付きインターホンには
事件直前、スーツ姿の男が呼び鈴を押す画像が残されていた。
男はその後、最寄りの東武東上線成増駅で電車に乗り、
約10分後に池袋駅で降りていた。

松尾容疑者が浮上したのは、いわゆる「自転車泥棒」からだ。
今年1月に自転車を持ち去った占有離脱物横領容疑で
摘発された松尾容疑者の容姿が、この男に酷似していた。
ただ、松尾容疑者に似た「池袋で降りた男」と「ATMの男」は、
同一人物とは断定できなかった。

ATMの男は、顔の多くの“パーツ”や輪郭が隠されていたからだ。

松尾容疑者に似た男は11月23日、再び池袋駅に現れ、
成増駅で降りており、捜査本部は成増駅周辺の捜査で
松尾容疑者宅を発見。

自殺など“最悪の事態”を回避するため、
刑事を張り込ませて監視を続け、「ATMの男=松尾容疑者」
と結論付けられるのを待った。

その結果、池袋周辺に張り巡らされた防犯カメラ網の解析で、
男がマスクを取る姿や、再びスーツに着替える映像を発見。
画像鑑定で同一人物と断定し、逮捕に踏み切ったのだった。

「気持ちつかめず」と父親 中学でいじめ、不登校に

産経新聞  2012年12月1日
 

「自分たちは息子の気持ちをつかんでいなかった」。
東京・板橋の主婦殺害事件で、
窃盗の疑いで逮捕された松尾元気容疑者(22)の父親(60)は、
福岡県福津市の自宅で共同通信の取材にそう語った。

中学時代にいじめで不登校になり、親子関係も不和に。
2年ほど前から音信不通だったという。

松尾容疑者は3人きょうだいの末っ子。地元の中学を出た後、
高校に入学したが中退。通信制高校で単位を取り、
県内の短期大学に入ったが、ここも中退した。
「何をやっても中途半端。
気が小さく大それたことはできないと思うが…」
と父親は振り返る。

中部地方で仕事をしていたという松尾容疑者は、
失業に伴い実家に戻った。
しかし数カ月でまた家を出て、
その後は音信不通となった。

現場周辺の空き巣認める

2012年12月3日 産経新聞


東京都板橋区のマンションで主婦の荒井久美さん(34)
が刺殺された事件で、荒井さんの預金を引き出した
窃盗の疑いで逮捕された無職の松尾元気容疑者(22)が、
現場周辺で起きた空き巣への関与を認めていることが3日、
捜査関係者への取材で分かった。

警視庁高島平署捜査本部は、松尾容疑者が空き巣の常習犯で、
荒井さん宅にも侵入した際、
鉢合わせとなって殺害した可能性が高いとみている。

また、松尾容疑者宅の家宅捜索では、
現金自動預払機(ATM)で預金を引き出した際に着ていた
セーターやニット帽などの衣服や、
凶器の刃物が発見できなかったことも判明。捜査本部は、
事件後に証拠隠滅を図った疑いもあるとみている。

現場周辺では、松尾容疑者がアルバイトを辞めた直後の
10月から11月17日までに、空き巣被害が少なくとも16件発生。
このうち、11月中旬に発生した
空き巣事件の現場に残されていた足跡が、
荒井さん宅に残された足跡と酷似していたことが、既に分かっている。

強殺容疑で再逮捕へ

2012年12月21日 産経新聞


東京都板橋区のマンションで主婦の荒井久美さん(34)が
刺殺された事件で、
窃盗容疑で逮捕された松尾元気容疑者(22)が荒井さんを殺害し、
財布などを奪った疑いが強まったとして、
警視庁高島平署捜査本部が近く強盗殺人容疑で再逮捕する方針を
固めたことが20日、捜査関係者への取材で分かった。

捜査関係者によると、捜査本部は事件直前に
荒井さん宅のインターホンに録画されていた黒縁眼鏡の男を
松尾容疑者と断定。
空き巣に入り、物色中に帰宅した荒井さんと鉢合わせになって
殺害したとみている。

松尾容疑者は11月21日午後3時半ごろ、
板橋区赤塚の荒井さん宅で、
荒井さんの背中などを刃物で刺して殺害し、
キャッシュカード入りの財布などを奪った疑いが持たれている。
現場周辺では10月以降に空き巣被害が相次いでおり、
捜査本部が関連を調べている。

押収した靴から被害者のDNA型検出 松尾容疑者再逮捕へ 

2012年12月21日 産経新聞


東京都板橋区のマンションで主婦の荒井久美さん(34)が
刺殺された事件で、窃盗容疑で逮捕された松尾元気容疑者
(22)の自宅から押収した靴から
荒井さんのDNA型が検出されていたことが21日、
捜査関係者への取材で分かった。
警視庁高島平署捜査本部は松尾容疑者が荒井さんを殺害し、
財布などを奪った疑いが強まったとして、
近く強盗殺人容疑で再逮捕する。

捜査関係者によると、荒井さん宅の1階台所の窓ガラスが割られ、
紳士用の靴の足跡が残されていた。
捜査本部は荒井さんのキャッシュカードを使って
預金を引き出したとして、松尾容疑者を窃盗容疑で逮捕。
松尾容疑者宅から押収した靴のなかに
現場に残された足跡の紋様が似ているものがあり、
その靴から荒井さんのDNA型が検出されたという。

松尾容疑者宅周辺では10月以降、
16件の空き巣事件が発生。うち11月中旬の現場と
荒井さん宅に残された足跡が酷似しており、
松尾容疑者は一部の空き巣事件への関与を認めていた。

捜査本部は松尾容疑者が空き巣の常習犯で、
荒井さん宅を物色中に帰宅した荒井さんと鉢合わせになって
殺害したとみている。

松尾容疑者は11月21日午後3時半ごろ、
板橋区赤塚の荒井さん宅で、
荒井さんの背中などを刃物で刺して殺害し、
キャッシュカード入りの財布などを盗んだ疑いが持たれている。
凶器は見つかっておらず、逃走中に捨てたとみられる。

犯行直後にマージャン店立ち寄りも…板橋主婦殺害事件 
窃盗容疑男のもう一つの顔

2012年12月8日 衝撃事件の核心 産経新聞


なぜこれほどまでに、冷静で大胆な行動が取れたのか−。東京都板橋区のマンションで
主婦の荒井久美さん(34)が刺殺された事件で、
警視庁高島平署捜査本部は1日、荒井さんの口座から預金を引き出した窃盗容疑で、
現場からわずか700メートル余り離れたアパートに住む松尾元気容疑者(22)
を逮捕した。捜査が進むにつれ明らかになった松尾容疑者の事件後の足取りは、
とても凄惨な事件を起こした人物の行動とは思えないものだった。
松尾容疑者は、預金を引き出すために豊島区内で変装用の服を買っていたことが
既に分かっているが、その後近くのマージャン店に立ち寄ったことが判明。
3時間ほどマージャンに興じた後、事件現場の最寄りの東武東上線成増駅で下車し、
自宅に戻っていた。松尾容疑者の犯行前後の足跡を振り返ると、
周囲から「優しい人」とみられていた松尾容疑者に潜むもう一つの顔が浮かび上がった。

黒縁眼鏡の男

事件直後の11月21日午後5時10分ごろ、荒井さんの預金が引き出された
現金自動預払機(ATM)から数百メートル北にある雑居ビルの防犯カメラが、
一人の男の姿を写し出していた。男は黒縁眼鏡に黒いスーツ姿。バッグを持ち、
特に周囲を警戒する様子もなく、ビル6階のマージャン店に入っていった。
この男は現金を引き出した直後の松尾容疑者だったとみられている。

松尾容疑者とみられる黒縁眼鏡のスーツ姿の男は、成増駅や池袋駅周辺でも
複数確認されている。荒井さんが殺害される直前とみられる同3時ごろ、
荒井さん宅のマンションでインターホンを押す姿が録画されていた。
直後には現場周辺で自転車に乗って成増駅に向かう後ろ姿や、
同駅と池袋駅の改札付近でその姿がカメラにとらえられていた。

同4時半ごろには、池袋駅近くの衣料品店に移動。このときから現金を引き出すまで、
松尾容疑者はマスクで顔を隠していた。
衣料品店ではセーターやニット帽、マフラーなどを購入し、パチンコ店のトイレで、
スーツから購入したばかりのセーターなどに着替えた。
ATMで現金を引き出すときにカメラの映像から身元が発覚することを恐れて、
「変装」したとみられる。

直後の同5時ごろ、ATMで荒井さんの預金口座から25万8千円を引き出した後は、
再びスーツ姿に着替えてマージャン店に向かった。関係者によると、
松尾容疑者はマージャンが趣味で、周囲に「日本プロ麻雀連盟に所属していた」
と話していたという。ここで3時間あまりマージャンに興じたあと、
自宅に戻ったとみられる。
変装に使用した衣服はまだ発見されていないが、
マージャン店に入ったときのカメラの映像では、大きな荷物を所持しておらず、
池袋駅周辺で捨てた可能性が高い。
捜査本部は松尾容疑者が殺害にも関与したとみて捜査している。

足首を縛られ、執拗に刺す…残忍な殺害方法

帰宅した夫(37)が2階で妻の遺体を発見したのは、
21日午後10時50分ごろだった。荒井さんは足首をネクタイで縛られ、
胸や背中には十数カ所の刺し傷があった。刺し傷の中には浅い傷もあり、
現金を引き出す際に暗証番号を間違えずに打ち込んでいることから、
暗証番号を荒井さんから聞き出すためにいたぶるように刺した疑いもある。

侵入したのは、窓ガラスが割られていた1階の台所。
台所周辺と2階の階段周辺や洋間には、
紳士用の革靴の土足痕が残されていた。また、
室内からは荒井さんの財布やキャッシュカードがなくなっていたほか、
指輪やゲームソフトが物色された形跡があった。

荒井さんは北海道出身で、平成20年ごろ、
夫とこのマンションに転居してきたという。
近所づきあいはあまりなかったというが、近所の女性は
「きちんとあいさつを返してくれる人だった」と語る。
一方、松尾容疑者は他の空き巣への関与を認める供述をしており、
現場に残っていた足跡が、
事件の1週間前に近くの別のアパートで発生した空き巣の現場に
残されていた足跡と酷似していたという。
捜査本部は、松尾容疑者が荒井さん宅にも空き巣目的で侵入し、
帰宅した荒井さんと鉢合わせになって殺害したとみている。

「IT企業に就職」はウソ?

捜査関係者や松尾容疑者本人のブログなどによると、
松尾容疑者は福岡県出身。地元の短期大学を中退したあと、
23年1月から都内で暮らし始めた。
東京で知りあった友人の一人はブログの中で松尾容疑者のことを
「すんげー優しくておもしろい」と評していた。
関係者によると、松尾容疑者は1月から池袋駅近くのカラオケ店に
アルバイトとして勤務し、3月には成増の系列店に移ったが、
9月に辞めていた。周囲には「IT企業に勤める」
と理由を明かしていたという。

本人のブログでも、将来の夢について「イギリスの本社にいく事です!」
と宣言。「基本暇人していません(笑)。仕事が忙しすぎます」
「IT企業業界は大変で、毎日が勉強ですが、
イギリスに行けるように頑張ってます」
「休日ありません。勉強です」などと、
懸命に仕事に取り組んでいる自分を“演出”していた。

だが、捜査本部の発表によると、松尾容疑者は無職。
捜査本部も本人がIT企業に就職したと話していることを把握しているが、
捜査幹部は「実際にIT企業で働いていたかどうかの確認は取れていない」
と話している。
交際していた女性も捜査本部の調べに「無職と知っていた」
と話しているという。

ブログの自己紹介で、松尾容疑者は好きな言葉として
「努力しても成功するとは限らない。けれど成功した人は努力した」
を挙げている。だが、実際はこの言葉とは正反対の生活態度で、
簡単にカネを手に入れるために空き巣などの犯罪に手を染め、
趣味のマージャンやネットゲームに興じる「怠惰」
な生活を送っていたとみられている。

主婦殺害の男を強盗殺人で再逮捕 「すべて黙秘します」

産経新聞 2012年12月22日


東京都板橋区のマンションで主婦の荒井久美さん(34)が刺殺された事件で、
警視庁高島平署捜査本部は22日、強盗殺人と住居侵入の疑いで、
板橋区成増、無職、松尾元気被告(23)=窃盗罪で起訴=を再逮捕した。
捜査本部によると、「すべて黙秘します」と供述している。

事件直前、荒井さん宅のインターホンに松尾容疑者とみられる男が録画されて
いたほか、事件後にも最寄りの東武東上線成増駅から池袋駅まで移動し、
近くのコンビニで現金を引き出す姿が防犯カメラに映っていたことなどから、
捜査本部は松尾容疑者が事件に関与したと断定した。

再逮捕容疑は11月21日午後3時ごろ、板橋区赤塚のマンションの荒井さん
宅に1階の窓ガラスを割って侵入。同3時35〜50分ごろ、
帰宅した荒井さんの胸などを刃物で刺して殺害し、
キャッシュカードや財布などを奪ったとしている。

松尾容疑者は今月1日に、荒井さんのカードで現金約26万円を引き出したと
して逮捕され、窃盗罪で起訴されていた。捜査本部は、
カードの暗証番号が間違えずに入力されていたことから、松尾容疑者が、
死亡する前の荒井さんを執拗(しつよう)に刺すなどして、
暗証番号を聞き出したとみている。

捜査関係者によると、現金を引き出す際に着ていたセーターやマフラー、
凶器の刃物などは見つかっておらず、捜査本部は、松尾容疑者が事件後に
証拠隠滅のために捨てたとみている。

板橋主婦強殺 遺体の首にネクタイ 絞めて暗証番号聞き出す?

産経新聞 2012年12月24日(月)


東京都板橋区のマンションで主婦の荒井久美さん(34)
が刺殺された事件で、
荒井さんの首にネクタイが巻かれていたことが23日、
捜査関係者への取材で分かった。
首には絞められたような痕があり、
警視庁高島平署捜査本部は強盗殺人容疑などで逮捕された
松尾元気容疑者(23)が荒井さんを脅して
預金口座の暗証番号を聞き出すのに使用したとみている。

捜査関係者によると、荒井さんは刃物で胸など
十数カ所を刺されて死亡していたが、
首にネクタイが巻かれて絞められたような痕があり、
足首もネクタイで縛られていた。ネクタイはいずれも現場にあった
荒井さんの夫のものだった。

松尾容疑者は事件後、コンビニ店の現金自動預払機(ATM)で、
荒井さんのキャッシュカードで預金を
引き出した際、暗証番号を間違えずに入力していた。

その後、松尾容疑者の口座に十数万円が入金されており、
捜査本部は荒井さんの預金の一部とみている。

主婦殺害事件 空き巣で追送検

NHK首都圏ニュース 2013年2月5日

 
去年11月、東京・板橋区のアパートに侵入し、
主婦を殺害したうえキャッシュカードなどを奪ったとして
強盗殺人などの罪で起訴されている男が、
事件の前に現場の近くで空き巣など
あわせて10件の盗みを繰り返していたとして、
追送検されました。
追送検されたのは、東京・板橋区の無職、
松尾元気容疑者(23)です。
松尾容疑者は去年11月、
板橋区赤塚のアパートに空き巣目的で侵入し、
帰宅した主婦の荒井久美さん(34)を殺害したうえ、
キャッシュカードや財布などを奪ったとして、
強盗殺人などの罪で起訴されています。

警視庁のその後の調べで、
松尾容疑者が事件の2週間ほど前から、
現場に近い別のアパートに侵入し
キャッシュカードなどを盗んだうえで
現金およそ22万円を引き出すなど、
あわせて10件の空き巣などを繰り返していた疑いが強まり、
5日、追送検されました。

このほか松尾容疑者は、事件の2か月前にも
71歳の男性を殴ってキャッシュカードなどを奪い、
近くのATMで現金44万円余りを引き出していたとして、
強盗傷害などの疑いで追送検されています。
警視庁によりますと、松尾容疑者は事件について、
黙秘を続けているということです。


【板橋主婦殺害】警視庁が証拠品紛失

初出不詳 2013年2月16日


東京都板橋区で主婦荒井久美さん(34)が殺害された事件で、
警視庁高島平署捜査本部が荒井さんの遺体を司法解剖した際に、
身に着けていた証拠品の結婚指輪を紛失していたことが16日、
捜査関係者への取材で分かった。
同庁は同日までに荒井さんの遺族に謝罪した。

捜査関係者によると、捜査本部は事件発生の翌日に
遺体の司法解剖を行った際、着けていた指輪を外し、
証拠品として保管していた。
ところが病院から高島平署に証拠品を運ぶ過程で、
この指輪がなくなっていることが発覚。
署内や病院などを捜したが発見できず、
同庁幹部が遺族に謝罪したという。 

東京都板橋区の主婦荒井久美さん(当時34歳)
が昨年11月に自宅で刺殺された事件で、
警視庁高島平署の特捜本部が司法解剖の際に
荒井さんの遺体から外した証拠品の結婚指輪を
紛失していたことが同庁関係者への取材でわかった。

同庁は紛失の経緯を調べるとともに、
証拠品管理担当者らの処分を検討している。

同庁関係者によると、荒井さんは昨年11月21日午後、
自宅で殺害され、同日深夜に帰宅した夫が遺体を発見した。
特捜本部は翌22日、
東京大学医学部付属病院(東京都文京区)で
遺体の司法解剖を行っており、その際、
遺体から結婚指輪を外し、
証拠品保管用のビニール袋に入れて
写真撮影をしていた。

証拠品はその後、高島平署に運んでおり、
24日夜に捜査員が点検したところ、
ビニール袋から指輪がなくなっていることが判明。
署内や病院、遺体を搬送した車などを捜したが、
発見できなかった。同庁幹部は12月、
荒井さんの夫のもとを訪れ謝罪した。

東京都板橋区のマンションで昨年11月、
主婦の荒井久美さん=当時(34)=
が刺殺された事件で、
警視庁高島平署捜査本部が荒井さんの
遺体を司法解剖した際、
身につけていた結婚指輪を紛失していたことが16日、
捜査関係者への取材で分かった。
同庁はすでに荒井さんの遺族に謝罪している。

捜査関係者によると、事件発生翌日の11月22日に
都内の病院で遺体を司法解剖し、
指輪を外して押収品として保管。
病院から高島平署に戻った後で指輪がないことに気付いた。
署内や病院などを探したが見つからず、
警視庁幹部が12月に遺族に謝罪した。

警視庁は紛失の事実の公表を検討したが、
遺族の意向で公表を控えたという。

事件をめぐっては、近くに住む無職の松尾元気被告
(23)が強盗殺人容疑などで逮捕、起訴された。
指輪の紛失は公判に大きな支障はないとみられるが、
警視庁幹部は「ご遺族に大変申し訳ない。
再発防止に努めたい」などと話した。


“黙秘”一転 起訴内容認める 板橋主婦殺害初公判

テレ朝news社会ニュース 2013年11月11日


去年、東京・板橋区で女性を殺害したうえ、
財布を奪った罪などに問われた無職の男の初公判で、
これまで黙秘を続けてきた男が「私がやりました」
と起訴内容を認めました。

松尾元気被告(23)は去年11月、板橋区のマンションで、
帰宅した主婦の荒井久美さん(当時34)
の胸を刃物のような物で刺して殺害し、
財布を奪って現金25万円をキャッシュカードで引き出した
強盗殺人の罪などに問われています。

松尾被告は逮捕後、黙秘していました。11日の初公判で、
松尾被告は「私がやりました」と述べ、
荒井さんへの強盗殺人の罪などについて
起訴内容を認めました。

一方、松尾被告は、荒井さんの自宅周辺で起きた
窃盗事件などを巡って起訴されましたが、
「記憶がない」と一部否認しています。

東京・板橋の主婦殺害事件 男に無期懲役

NHK NEWSWEB  2013年11月29日


東京地方裁判所は、「楽に金を手に入れるため、
夫と幸せに暮らしていた被害者の命を奪った責任は極めて重い」
と指摘して無期懲役の判決。

29日の判決で東京地方裁判所の大善文男裁判長は、
「被告は楽に金を手に入れるため空き巣を繰り返し、
忍び込んだ部屋で鉢合わせになった被害者を殺害した。

殺害に計画性があったわけではないが、
夫と幸せに暮らしていた被害者の命を奪った責任は極めて重く、
遺族の悲しみは深い。
また、被告は裁判であいまいな発言が多く、
深く反省しているとは言えない」と指摘して、
松尾被告に検察の求刑と同じ無期懲役を言い渡しました。

23歳男に無期懲役=板橋主婦殺害―東京地裁

時事通信 2013年11月29日


判決は、同被告が荒井さんの手足を縛って
キャッシュカードの暗証番号を教えるよう脅し、
荒井さんが声を出して手を上げたため、
とっさに持っていたサバイバルナイフで突き刺したと認定。
「殺傷能力の高いナイフで20回前後も執拗(しつよう)に刺し、
残虐で悪質だ」と非難した。

ほかに起訴された通行人の男性に対する強盗傷害事件についても
同被告の犯行と認定し、
「場当たり的な性格や精神的な未熟さがうかがえるが、
酌量減軽すべき事案ではない」と述べた。 



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被害に遭われた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

川崎市宮前区市道トンネルアルバイト女性殺害事件(2006年)

川崎市宮前区市道トンネルアルバイト女性殺害事件
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2006年9月23日午前0時頃、川崎市宮前区梶ケ谷の市道トンネル内で、
同区のアルバイト黒沼由理さん(当時27歳)が、
胸から血を流して倒れているのを、
帰宅途中の男性会社員(当時45歳)が発見、通報した。
黒沼さんは病院に搬送されたが、間もなく死亡が確認された。

黒沼さんの体には、
右胸と左下腹部の2カ所に刃物によるとみられる刺し傷があった。
左腹の刺し傷は腎臓に達していたが出血はほとんどなく、
右胸の刺し傷は右肺に達し大量に出血していた。
死因は失血性ショックとみられる。
神奈川県警捜査1課は殺人事件と断定、
宮前署に特別捜査本部を設置した。  

調べでは、
黒沼さんは南北に通った、
長さ約180メートルのトンネル内の、
南寄り歩道部分に、うつぶせに倒れていた。
倒れていた場所まで約40メートルにわたって血痕が続いていた。
黒沼さんが倒れていたトンネル内の歩道は、
脇の車道よりも約1メートル高く、
車を止めて犯行に及んだ可能性は低い。
歩道は黒沼さんがふだんから利用しており、
自宅からわずか200メートルだった。  

通行人が倒れている黒沼さんを発見した23日午前0時ごろに、
黒沼さんと同じマンションの住民2人が女性の悲鳴を聞いており、
直前に襲われたとみられる。
争った跡はなく、手提げかばんを握ったままで、
現金約43000円の入った財布も残されていた。

トンネルは1980年頃からあるが、
不審者が出ることもあり、
女性は夜間、ほとんど使わないという。

22日はアルバイトの日で朝8時半ごろ自宅を出発。
午後7時ごろまで仕事をした後、
アルバイト先のチーズこん包会社の
同僚の送別会のため、東京駅近くの飲食店で飲食後、
午後11時ごろ、東京駅で同僚らと別れたという。
東急田園都市線梶が谷駅の防犯ビデオには、
午後11時40分ごろ、改札を1人で出る黒沼さんが写っていた。
同駅を出てから現場トンネルまでの間の目撃情報はないという。

県警によると、
黒沼さんは川崎市内のコンピューター関連会社に勤めていたが、
2006年退職。8月22日から週1回程度、
東京都千代田区の輸入チーズの梱包(こんぽう)会社で
アルバイトを始めていた。

黒沼さんは両親と妹の4人家族で、
現場から約150メートル離れたマンションに住んでいた。
マンションの住民によると、身長160センチ程度で細め。
長い髪で現代風な「きれいな人」だったという。
近くのマンションの主婦(50)は「背が高くて明るい感じの人だった。
とてもショックです。
トンネルは痴漢などのうわさが絶えず、夜遅くは通らないようにしている」
と話した。
中学時代のクラスメートだった主婦(27)は
「ニュースで見て同じ名前だったのでまさかと思ったが……。
クラスではおとなしい普通の子でし た」と驚きを隠せない様子だった。

事件後、再発防止を願ってトンネル内には、
中学生らによる壁画が作成された。

(出典:YAHOOニュース他)

川崎市宮前区梶ケ谷のトンネル内で昨年9月、
近くに住むアルバイト、黒沼由理さん(当時27歳)
が刺殺された事件から23日で丸1年を迎える。

事件現場には花束や手紙が供えられ、
黒沼さんをしのんで訪れた友人や近隣の住民らがめい福を祈った。
宮前署捜査本部の捜査が続いている。

黒沼さんの以前の勤務先の元同僚で、
同区に住む男性会社員(40)は22日午後3時ごろ、
現場を訪れた。花束を供えて静かに手を合わせ、
「本当にいい人だった。決して人に恨まれるような人じゃなかったのに。
早く犯人を捕まえてほしい」と歩道に目を落とした。
現場近くに住む主婦、土屋瑠美子さん(29)は
「事件が起こってから1人でトンネルを歩かなくなった。
犯人が明らかにならない限り、気持ち悪さはぬぐえない」
と話した。

東急梶が谷駅周辺では22日午前11時ごろ、
捜査員や地元住民ら約35人が事件当日の
黒沼さんの服装や特徴が描かれたチラシ約3000枚を配布。
駅利用者や通行人らに情報提供を呼びかけた。

これまでの調べでは、黒沼さんは06年9月22日午後11時40分ごろ、
同駅を下車。翌23日午前0時3分ごろ、通行人の男性が
トンネル内の歩道に倒れていた黒沼さんを発見し110番した。
黒沼さんは包丁のような刃物で右胸と左腹を刺されて
搬送先の病院で死亡した。

傷は2カ所とも背中まで貫通する深さだったが、
抵抗してできる傷「防御創」はなく、
一瞬の犯行だったとみられる。
凶器など犯人に結びつく物証は未発見で、
トンネル内の血痕はすべて黒沼さんのものだった。

犯行時刻ごろ、トンネルを車で通った主婦とタクシーの運転手が
南側出口付近で黒っぽいフード付きパーカを頭にかぶった
不審な男を目撃しており、捜査本部は男の特定を進めている。

田尻栄治県警捜査1課長は「捜査の縮小は考えていない。
最大の懸案事項と思ってやっている」と解決に意欲を燃やす。
目撃情報などは捜査本部(044・853・0110)へ。

(出典:毎日新聞 2007年9月23日)

宮前区・女性刺殺事件から5年
父親は情報求め街頭へ
「受け入れられない」/川崎

「娘が亡くなったことを受け入れられない。未だにね」
情報提供を呼び掛けるチラシを手に、父親は思いを語った。
川崎市宮前区梶が谷のトンネル内で、黒沼由理さん(27歳=当時)
が刺殺された事件から丸五年が経過した。

宮前署特別捜査本部のビラ配りに、父、俊昭さん(59歳)が初めて参加。
東急田園都市線梶が谷駅前で道行く市民に協力を求めた。

情報提供の呼びかけは、毎年の命日に特捜本部が実施。
ことしは同駅前と現場の二か所で行われ、
俊昭さんは通行人にチラシを手渡しては頭を下げ続けた。

遺族にとってこの五年は「長いようで短い」ものだった。
事件発生時から時間が止まったままのような心境といい、
「どこかで生きていてくれればと思ってしまうのだが、
それはもう無いので・・・」。

それでも、いくらか心境に変化も現れた。
「以前は気持ちが塞いで行動に移す気になれなかったが、
5年がたち、少し気持ちが落ち着いてきた。
少しでも手助けになればと思い参加した」。
自ら申し出て、初めて街頭に立った理由をそう説明した。

消えない思いもある。
「何でこんなことをしたのか。何でうちの娘を狙ったのか」。
犯人がどんな言葉を口にしたところで、
「納得はいかない。許すことはできない。
娘は戻ってこないのですから…」。
でも、それだけは聞きたいと強く思っている。

市民には「どんな小さなことでもいいので情報が欲しい」とし、
ぽつりと漏らした。「なんでうちの事件、解決しないのかな」
ともにチラシを配った長澤嘉信署長は
「絶対に捕まえるという強い意志を持って
全署員一丸で捜査に当たる」と決意を述べた。

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道行く市民にチラシを渡し
情報提供を呼び掛ける黒沼俊昭さん(中央)
と長澤署長
(=川崎市高津区梶が谷駅前)



(出典:神奈川新聞 2011年9月24日)




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被害者の黒沼由理さん(事件当時27歳)

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殺害現場(出典:不明)

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殺害現場(出典:青少年育成連合会)

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被害者の黒沼由理さんの告別式(出典:不明)

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(出典:神奈川県宮前警察署)


川崎 11年前の通り魔殺人 別の事件で服役中の36歳男逮捕へ


11年前、川崎市にあるJRの高架下のトンネルで当時27歳の女性が
刃物で刺されて殺害された通り魔事件で、警察は、
別の通り魔事件で服役中の36歳の男が関わった疑いがあるとして、
殺人の疑いで逮捕状を取り、近く逮捕する方針です。

11年前の平成18年9月、川崎市宮前区梶ヶ谷のJRの高架下のトンネル内の歩道で、
近くに住むアルバイトの黒沼由理さん(当時27歳)が、
何者かに刃物で胸や腹を刺されて殺害されました。

警察は、通り魔事件として捜査を続けていたところ、
この半年余り後に現場近くで起きた別の通り魔事件で逮捕され、
栃木県内の刑務所に服役中の36歳の男が、去年1月になって、
この事件への関与をうかがわせる文書を警察に提出していました。

その後、警察は任意で事情を聞くなど裏付け捜査を慎重に進めたところ、
事件に関わった疑いがあるとして殺人の疑いで逮捕状を取りました。
近く逮捕する方針です。

男は、平成19年4月、同じ川崎市内の路上で面識のない女性を刃物で刺して
大けがをさせたとして殺人未遂の罪で逮捕・起訴され、
懲役10年の判決を受けて栃木県内の刑務所に服役しています。

警察は、今後、刑務所から身柄を移し、
事件のいきさつや動機について詳しく調べることにしています。

男は10年前の事件で服役

逮捕状が出た36歳の男は、10年前に川崎市で起きた別の通り魔事件で
懲役10年の判決を受けて栃木県内の刑務所に服役しています。

この事件が起きたのは平成19年4月5日の午後10時半ごろ、
川崎市宮前区野川の路上で、近くに住む当時40歳の女性が突然、
背中を刃物で刺され大けがをしました。

警察が通り魔事件として捜査を進めていたところ、
事件発生の1時間後、男が「自分は事件の目撃者で、
止めに入って犯人ともみ合ってけがをした」と、
みずから警察に名乗り出てきました。
「自分も被害者だ」と話した男でしたが、
その後の調べで矛盾点が浮かび上がりました。

被害に遭った女性や現場に駆けつけた人たちが
「止めに入った男はいなかった」と警察に証言したのです。
このため警察は男を殺人未遂の疑いで逮捕しました。

男は逮捕当初から容疑を否認していましたが、
平成21年4月に東京高等裁判所で懲役10年の実刑判決を受けて、
栃木県にある黒羽刑務所に服役しています。

2つの事件現場は約1.5キロの距離


黒沼由理さん(当時27歳)が殺害された現場と、
男が逮捕された別の通り魔事件の現場は、いずれも同じ川崎市内で、
南北におよそ1.5キロ離れています。
当時、男は2つの現場からも近い川崎市高津区に住んでいました。

付近の住民などによりますと、いずれの現場も事件が起きた当時は
人通りや車の通行量は少なかったということです。

警察は2つの現場が近く、いずれも人通りが少ない場所で
女性が刃物で襲われるという共通点があり、
関連があると見て捜査していましたが、有力な目撃者などがおらず、
捜査は難航していました。

帰宅途中に事件に巻き込まれる

殺害された黒沼由理さん(当時27歳)は、
11年前の平成18年9月23日の午前0時すぎ、
川崎市宮前区のJRの高架下のトンネルで血を流して倒れているのが見つかりました。
黒沼さんは胸と腹を刃物で刺されていて、
まもなく死亡しました。
抵抗する間もなくいきなり刺されたものと見られています。

事件が起きた夜、黒沼さんは東京駅の近くでアルバイト先の送別会に
参加したあと、午後11時40分ごろ、
自宅の最寄り駅の東急田園都市線の梶が谷駅で降りたあと、
自宅に帰る途中に事件に巻き込まれたと見られています。

黒沼さんは当時、東京のお菓子作りの専門学校に通い始めていて、
「将来はケーキ教室を開きたい」と話していたといいます。

警察は通り魔事件として捜査を始めましたが、
これまで有力な目撃情報は得られず、事件を裏付ける証拠も見つかっていませんでした。

黒沼さんの父親「驚いている」

亡くなった黒沼由理さん(当時27歳)の父親は8日、NHKの取材に応じ、
「今まで長い間、進展がありませんでしたので、
今後、犯人が逮捕されるということを知り、驚いています。
これから先に進んでいけたらと思います」と話していました。
(出典:NHK 2017年10月8日)


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11年前の川崎通り魔殺人 服役中の男逮捕



11年前、神奈川県川崎市のトンネルで27歳の女性が刃物で刺され
殺害された通り魔事件で、神奈川県警は10日朝、
別の通り魔事件で服役していた37歳の男を逮捕した。
殺人の疑いで逮捕されたのは、栃木県の黒羽刑務所に服役中の
鈴木洋一容疑者。捜査関係者によると、鈴木容疑者は2006年9月、
川崎市宮前区のトンネルでアルバイトの黒沼由理さんの胸などを刃物で刺し、
殺害した疑いが持たれている。
鈴木容疑者は黒沼さんが殺害された約半年後、
現場のトンネルから1.5キロほど離れた路上で女性会社員を刃物で刺し、
重傷を負わせた別の通り魔事件で懲役10年の判決を受け、服役していた。
去年1月、神奈川県警あてに鈴木容疑者から「事件について話す」
と犯行をほのめかすはがきが届いたことから、
捜査員が刑務所で任意の事情聴取を行っていた。
鈴木容疑者は「女性から虐待を受けた経験があり、
女の人を刺したい衝動があった」
「切り裂きジャック事件にあこがれていた」
などと話したということだが、その後、
事件への関与を否定するなど供述を二転三転させたという。
しかし、黒沼さんの遺体の傷の状況と鈴木容疑者の説明が一致したことなどから、
容疑が固まったとして、逮捕に踏み切った。
神奈川県警は今後、鈴木容疑者の身柄を
特別捜査本部のある宮前警察署に移し、本格的な取り調べを行う方針。
(出典:日テレNEWS-24-2017年10月10日)


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関連記事


川崎宮前区通り魔事件 2007(平成19)年



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被害者のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

島根女子大生死体遺棄事件(Wikipedia)


島根女子大生死体遺棄事件

2009(平成21)年
 


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出典:file.arlecchino.blog.shinobi.jp

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島根女子大生死体遺棄事件(しまね じょしだいせいしたいいきじけん)は、
2009年(平成21年)11月6日に発覚した死体遺棄事件。浜田事件、
浜田学生遺棄事件、島根女子大性殺害事件、島根女子大生バラバラ殺人事件
と記載されることもある。

2012年10月26日の死体遺棄罪単体での公訴時効成立後も
容疑を殺人罪に切り替えて捜査が行われていた。
長らく未解決であったが事件から7年が経った2016年、
捜査機関は過去に事故死していた人物が被疑者であると特定した。


目次
1 事件の概要 1.1 事件発覚
1.2 犯行の状況
1.3 犯行の特徴
1.4 遺留品など
1.5 被害者

2 これまでの経過
3 犯人のプロファイリング
4 捜査状況 4.1 捜査対象及び捜査
4.2 その他の関連事実
4.3 島根県警本部長が訓示
4.4 警察庁長官が決意

5 懸賞金
6 事件の影響
7 出典
8 関連項目
9 外部リンク



事件の概要

事件発覚

2009年11月6日、
広島県と島根県の県境に近い広島県北広島町の臥龍山(がりゅうざん)山頂付近で、
女性の頭部が発見された。
DNA鑑定の結果、島根県浜田市で10月26日から行方不明になっていた
19歳の女子大生と確認された。
死亡時期は約1週間前から2週間前。
広島県警・島根県警は合同捜査本部を設置して残りの遺体発見、
被疑者特定などの捜査を開始。
11月7日に左大腿骨の一部、11月8日に両手足の無い胴体部分、
11月9日に左足首、11月19日に爪が発見された。

犯行の状況


死亡推定時期は2009年10月26日 - 31日。
遺体状況から連れ去りに近い時間に死亡。
頭部に殴打された跡。
首を絞められた可能性が高い。
遺体損壊に鋭利な小型の刃物が使用。

犯行の特徴


手口の異常性・残虐性、損壊・遺棄の執拗さ・異様性。

遺留品など


被害者の血がつき、胴体に付着していたビニール片が遺留品となっている。
捜査本部はNTTが電話帳の配達に使用するポリ袋の一部とみている。
配達の年・地域によって色や文字・デザインが異なることがある。
犯人の遺留品とみて、包装資材業者など流通ルートを調べた。
その結果、インクの成分から1995年初めに広島県の5市
(三次市、安芸高田市、東広島市、呉市、三原市)
に配達されていたものであることが判明したと報道された。

2016年12月に事件直後に死亡した男の実家があった
山口県下関市内でも同種のポリ袋が配布されていたことが新たに判明した。


被害者


被害者の女子大生は出身地の香川県の商業高校を卒業後、
浜田市にある島根県立大学に進学。学業やサークル活動、
アルバイトなどまじめで特定の異性交遊はなかった。
また目立ったトラブルはなかった。

被害者は殺害の約半年前まで出身地である香川県の坂出市に居住し、
事件当時の両親も同地に在住していた。そのため、
香川県は事件現場と隣接も近接もしていないが、
香川県内のテレビ(同じ放送エリアである岡山県のテレビ局も含む)・新聞
といったマスメディアは、全国ニュース以外のローカルパートでも
この事件を盛んに報道し、周辺住民や元教諭がインタビューに答えるなどした。
また、被害者は前年度まで高松市の
香川県立高松商業高等学校英語実務科に在籍していたことから、
同校では緊急の全校集会を開いて全員で黙とうを行い
校長が生徒らに事件の説明したり、
その後元担任が記者会見を開いて行方不明後の心配や
当時の心境を語ったりするなど、事件は遠く離れた地元・香川県でも
大きな衝撃を与え、異例の扱いとなっている。
その影響は坂出市の実家周辺にも及び、過熱する報道に対して
両親が遺族らへの取材自粛を求めるコメントを広島・島根両県警を通じて発表
したほどであった。


これまでの経過

2009年 10月26日 - 浜田市内のアルバイト先(ショッピングセンター)を出た後、
足取りが途絶えた。
10月26日 - アルバイト先を出た後、後を追うように走る白い車
(セダン・旧型マークII)が目撃されている。
10月28日 - 両親が捜索願を提出。
11月2日 - 島根県警が公開捜査に踏み切る。
11月6日 - 臥龍山で遺体の一部を発見。
11月7日 - 広島・島根両県警が合同捜査本部設置。
11月30日 - 学生寮への帰宅ルート付近(寮まで約500メートル)で靴を発見
(ただし、その靴は被害者のものとは特定できず)。
12月26日 - 合同捜査本部が情報提供を求めるフリーダイヤル開設。

2010年 1月20日 - 安藤隆春警察庁長官が犠牲になった女子大生の
遺影に黙とう、早期解決を誓う。
2月26日 - 本件に捜査特別報奨金制度適用。
4月26日 - 情報提供を呼びかけるビラ1万1千枚配布。
9月22日 - 浜田市が10月26日を「いのちと安全安心の日」と制定。
10月26日 - 島根県警本部長が「総力をあげて事件解決を」と訓示。
10月28日 - 警察庁長官が未解決事件を「1件残らず解決のため全力尽くす」
と表明した。

2011年 1月7日 - 島根県警は署長会議を開き、
本部長が「粘り強い捜査で早期解決を」と訓示。
2月9日 - ロシア海洋国立大、犠牲になった女子大生をしのび奨学金創設。
2月24日 - 犠牲になった女子大生の両親「一日も早い解決を」とコメントした。
2月26日 - 警察庁、捜査特別報奨金制度の適用を1年延長。
島根・広島合同捜査本部、臥龍山周辺などで情報提供呼びかけのチラシを配布。

2012年10月26日 - 死体遺棄罪単体での公訴時効3年を迎えたため、
容疑を時効のない殺人罪に切り替えて捜査を継続することを発表した。
浜田市内で追悼のろうそくが灯され、同級生、教職員が黙とうをささげた。
島根、広島両県警が情報提供を求めるチラシ配布

2016年12月20日 - 島根・広島両県警合同捜査本部は、
遺体が見つかった2日後の2009年11月8日に
山口県内の高速道路で事故死した当時30代の会社員の男が
本事件に関わった疑いが強いとみて、
被疑者死亡のまま松江地方検察庁へ書類送検した。
捜査は難航していたが、2016年の頭から
過去に性犯罪歴のある人物を捜査し直していた所で
事件当時益田市に在住していた被疑者が浮上した
(男は事件から5年前の2004年に通りかかった女性に
わいせつな行為をしようとしてけがをさせるなど3つの事件を起こし、
懲役3年6ヶ月の判決を受けていた)。
被疑者と被害者との間に接点は無かった。
また、被疑者の遺品であるデジタルカメラとUSBメモリーから
死亡直前に削除されていた画像を復元し、
行方不明後の被害者の遺体や包丁など57枚の画像が確認された。
逮捕の決定打とされる画像は複数枚あるが、
中でも被疑者宅の壁や風呂場を背景に被害者が撮影されていた
画像データが揺るがぬ証拠となった。


犯人のプロファイリング

警察庁科学警察研究所(科警研)による犯人像
被害者の通勤路沿線などに居住(一定の土地勘がある)。
20〜40歳代程度の男。
単独犯。
夜間から早朝にかけ遺体が運ばれる(日中は臥龍山を訪れる人が多い)。

捜査状況

捜査本部は女子大生の帰宅ルートで通行車両などに情報提供を求めたりした。

捜査対象及び捜査

事件前後に臥龍山につながる道路を通行した車両。
靴発見現場でのカンガルーバーが付いた四駆車両。
同現場付近に不審な動きをしていた、黒のワゴン車の目撃情報も。
被害者の勤務先付近で目撃された、白いセダン。
残虐なシーンのあるビデオを借りた者。
目撃情報・被害者の交友関係に関する聞き込み。
刃物購入者の画像分析。
臥龍山に至る沿線の空き家の捜査(遺体損壊現場特定のため)。

2010年9月末までに、延べ6万人の捜査員を投入した。
9月末現在、捜査本部に寄せられた情報は約1690件。

その他の関連事実

被害者の実家に無言電話があり、捜査。

島根県警本部長が訓示

行方がわからなくなって1年を迎えた2010年10月26日、
広島・島根合同捜査本部が置かれている浜田警察署で
高瀬隆之島根県警本部長は訓示で、総力をあげて事件解決をするよう指示した。
高瀬本部長は9月に臥龍山に登り、必ず犯人を摘発すると誓った。
「犯人を一日も早く法の裁きの場に引きずり出し、
法の鉄槌を加えるとの固い決意で捜査を指揮するつもりであり、
周辺の住民には数々の情報提供を受け感謝しています」と述べた。
また、「断片的でもいいので、1件でも多くの情報を
寄せていただきたいと思います」と呼びかけた。

今後の捜査について、収集した情報の徹底した再検討・分析を通じ、
県警の総力で犯人検挙を指示した。

警察庁長官が決意

2010年10月28日、警察庁の安藤隆春長官は記者会見で、
島根女子大生死体遺棄事件など未解決事件について
「1件残らず解決するという決意の下、
捜査に全力を尽くすつもりであります」と述べた。


懸賞金

2010年2月に捜査特別報奨金制度の対象になった。
通常は発生から半年以上経った事件に適用されるが、
本件は発生から3ヶ月余で適用されており異例である。
以降毎年更新され、
事件解決・被疑者検挙に直接つながる有力情報の提供者
(警察関係者は除外)に最大300万円が支払われることになっていたが、
有力情報の提供者は最後まで現れなかった。


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島根・女子大学生殺害 容疑者死亡で不起訴

フジテレビ系(FNN) 2017年2月1日



2009年、島根・浜田市の女子大学生の遺体が
広島県の山中で見つかった事件で、
事件直後に交通事故で死亡した男が、
殺人などの疑いで書類送検されていたが、
松江地検は1月31日この男を不起訴処分にした。

不起訴処分になったのは、事件当時、島根・益田市に住んでいて、
遺体発見の2日後、山口県内で交通事故を起こし死亡した、
矢野富栄容疑者(当時33)。

矢野容疑者は2009年10月、島根・浜田市の当時、
島根県立大学1年生だった平岡 都さん(当時19)を殺害し、その後、
広島県の臥龍山に遺体を遺棄したとして、2016年12月、
殺人や死体損壊などの疑いで書類送検されていた。

松江地検は、単独犯と断定したうえで、1月31日、
容疑者死亡のため、不起訴処分にした。


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被害者のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

28歳看護師殺害事件(2016)


28歳看護師殺害事件
2016(平成28年)


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「プレゼント渡したが踏みにじられ」28歳看護師殺害
(2016(平成28)年12月14日 テレ朝NEWS)



宇都宮市の女性看護師殺害事件で、
逮捕された男が「プレゼントを渡したが、踏みにじられた」
などと供述していることが分かりました。

菅野龍容疑者(27)は10日ごろ、
宇都宮市のアパートで根本紗貴子さん(28)の胸などを刃物で刺して殺害した疑いで
14日朝、送検されました。
警察によりますと、事件当日は根本さんの誕生日で、
菅野容疑者は前の日に根本さんのアパートへ行き、
一緒にドライブをするなどして過ごしていたということです。
その後の捜査関係者への取材で、菅野容疑者が「プレゼントを渡したが、
踏みにじられる行為をされた」
という趣旨の供述をしていることが新たに分かりました。
警察は2人の間に交際を巡るトラブルがあったとみて
詳しい動機を調べています。

中野区女性劇団員殺害事件


中野区女性劇団員殺害事件

(2015(平成27)年)


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玄関先で女性変死、首に絞められたような跡 東京・中野



2015年8月27日(朝日新聞)

26日午後10時ごろ、東京都中野区弥生町3丁目のマンションの一室で、
この部屋に住むアルバイト店員、加賀谷理沙さん(25)が死亡しているのを
警察官が発見した。
加賀谷さんは玄関先で衣服を身につけていない状態で倒れており、
首に絞められたような跡があった。警視庁は27日、
殺人事件として中野署に捜査本部を設置した。

捜査本部によると、加賀谷さんは仰向けで、
顔にタオルケットがかけられた状態だった。
首を絞められた時にできる幅約1〜2センチの圧迫された跡があった。
死後1〜2日とみられる。27日に司法解剖し、死因を調べる。

加賀谷さんは一人暮らしで、玄関や窓は施錠されていた。
室内を荒らされた形跡はないという。
25日午後11時に勤務予定だったアルバイト先に出勤しなかったため、
店長らが26日夜、「連絡が取れない」と署に届け出ていた。

同じマンションに住む男性(28)は
「現場となった部屋で1カ月ほど前、男女の争う声がした。警察が来ていた」と話した。

現場は新宿駅から西に約2キロの住宅街の一角。



遺体発見前日に殺害か 未明にLINE 中野・女性変死



2015年8月28日(朝日新聞)

東京都中野区のマンションの一室で26日夜、この部屋に住むアルバイト店員、
加賀谷理沙さん(25)が死亡しているのが見つかった事件で、
加賀谷さんが25日中に殺害された可能性のあることが警視庁への取材で分かった。
同庁は部屋から加賀谷さんのスマートフォン2台を押収し、
交友関係を調べている。

捜査関係者によると、25日未明に加賀谷さんのスマートフォンから知人に、
無料通信アプリ「LINE(ライン)」を送った形跡があるという。
加賀谷さんは25日午後11時からのアルバイトを無断欠勤しており、
捜査本部は、犯行時間帯を慎重に調べている。

また、今のところ、加賀谷さんの部屋の鍵や財布は見つかっていないという。
司法解剖の結果、加賀谷さんはひも状のもので首を絞められ、
窒息死したとみられている。
アルバイトに来ないことを不審に思った店長らが26日午後8時ごろ、
加賀谷さん宅を訪れ、異変に気づいたという。



被害女性のバッグ公開、情報提供呼びかけ 中野の変死



2015年8月30日(朝日新聞)

東京都中野区のマンションで26日夜、アルバイト店員、
加賀谷理沙さん(25)が自室内で死亡していた事件で、警視庁は、
加賀谷さんが持っていて事件後になくなったトートバッグと同型のものを公開した。

中野署捜査本部によると、トートバッグは布製で縦横ともに約40センチ。
白地に紺色の字で「OLD NAVY」と書かれている。
衣料品ブランド販売店の開店時などに配布されたものという。
自宅近くの防犯カメラの24日早朝の映像では、黒いリュックサックを背負っていたほか、
白いトートバッグを持つ姿が映っていたが、いずれも発見されていない。

捜査本部は「このバッグを持っている不審人物を見たり、
捨てられたりしている場合は情報を」と呼びかけている。
情報は、捜査本部(03・3366・0110)へ。

一方、加賀谷さんのスマートフォンから知人に無料通信アプリ「LINE(ライン)」
のメッセージが最後に送られた時間は、
25日午前0時40分ごろと判明。
加賀谷さんは同日午後11時から出勤予定だったアルバイトに無断欠勤していることから、
捜査本部は送信後から同日中に殺害されたとみている。


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中野女性変死、面識ない人物の犯行か 遺体から男の唾液



2015年8月31日(朝日新聞)

東京都中野区のマンションで26日夜、
アルバイト店員加賀谷理沙さん(25)が自室内で死亡していた事件で、
加賀谷さんの遺体から男の唾液(だえき)などが検出されていたことが、
捜査関係者への取材でわかった。
交友関係者とは一致せず、警視庁は、
加賀谷さんが面識のない者に襲われた可能性もあるとみて調べている。

捜査関係者によると、唾液などは加賀谷さんの体に付着していたという。
中野署捜査本部が交友関係者からDNA型鑑定のために
試料の任意提出を受けて調べているが、今のところ一致した人物はいない。
また、警察庁のDNA型データベースに一致したものもないという。


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当時の服装や所持品の画像公開 中野の女性殺害から半年



2016年2月24日(朝日新聞)

東京都中野区のマンションで昨年8月、アルバイト店員加賀谷(かがや)理沙さん(当時25)
が自室で殺害されていた事件で、警視庁は24日、
事件から半年になるのを前に、
なくなった加賀谷さんの服やリュックサックなどの画像を公開した。

公開したのは、事件発覚前日の25日午前0時半ごろ、
自宅近くのコンビニエンスストアで買い物中の加賀谷さんの画像。
黒と白のワンピースに、ピンク色の半袖カーディガンを着ている。
服は見つかっておらず、中野署捜査本部は何者かが持ち去ったとみている。

他にもリュックサックやトートバッグ、布団カバーなど計十数点がなくなっていた。
リュックサックは黒の合皮製で、縦横ともに約30センチ。
トートバッグは布製で縦横ともに約40センチ。
白地に紺色の字で「OLD NAVY」と書かれている。
布団カバーはイチゴ柄で縦約2メートル、横約1・5メートル。

情報は、捜査本部(03・5342・0110)へ。


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初の舞台目前の凶行 殺害された加賀谷さん、仲間が語る



2016年3月12日(朝日新聞)

事件発覚から約200日。東京都中野区の加賀谷理沙さん(当時25)を殺害したとして、
当時、現場近くに住んでいた戸倉高広容疑者(37)が逮捕された。
亡くなった加賀谷さんは、アルバイトをしながら、
劇団員として初めての舞台を心待ちに稽古を積んでいた。

中野の女性殺害容疑の37歳逮捕 DNA一致、本人否認

仙台市出身の加賀谷さんは、地元の高校で文芸部に所属。
俳句を学び、新聞社の俳壇に入選歴もあった。
宮城大学を卒業後、上京して複数のアルバイトをしながら俳優を目指し、
劇団に所属していたという。

所属劇団の関係者によると、加賀谷さんは昨年夏前ごろから練習に参加し、
事件後の9月10日からの舞台に出演予定だった。
加賀谷さんは劇団のブログに、
「個性的なメンバーが集まって作るこの舞台、とってもハートフルな作品になるだろうなぁと、
今からワクワクしています」と書き込んでいた。

病院の入院患者や家族をめぐる物語で、
加賀谷さんは看護師役の予定だった。初日の舞台で代役を務めた女性は
「芝居が大好きで、舞台に立つのを楽しみにしていた。
稽古だけでなく、雑用なども一生懸命やってくれた。
一緒にこの舞台に立ちたかった」と話した。

加賀谷さんの自宅は、中野区の住宅街にある築20年の3階建てマンション。
戸倉容疑者が当時住んでいたとされるのは、
北西に約300メートル離れた4階建てのマンションだった。
住人の男性は「3カ月ほど前に警察官が来て事件のことを聞かれた。
容疑者が住んでいたことは知らず、驚いている」と話した。


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中野の女性殺害容疑の37歳逮捕 DNA一致、本人否認



時事通信 3月12日(月)

東京都中野区のマンションで昨年8月、
アルバイト店員で劇団員の加賀谷(かがや)理沙さん(当時25)が殺害された事件で、
警視庁は12日、現場近くに当時住んでいた福島県矢吹町中町、
職業不詳戸倉高広容疑者(37)を殺人容疑で逮捕し、発表した。
「被害者については全く知りません。被害者の所に行った記憶はありませんし、
殺していません」と容疑を否認しているという。

中野署捜査本部によると、
戸倉容疑者は2015年8月25日午前0時半ごろ〜翌26日午後10時ごろの間、
自宅マンションにいた加賀谷さんの首を圧迫するなどの暴行をして窒息死させた
疑いがある。
加賀谷さんの遺体から検出された皮膚片などのDNA型と、
2月中旬に任意提出を受けた戸倉容疑者のDNA型が今月、
一致したという。

加賀谷さんのアルバイト先の店長の届け出を受けて、
加賀谷さん宅を訪れた中野署員が26日夜に発見。玄関先で倒れ、
衣服をつけておらず、顔にはタオルケットがかけられていた。
部屋からは、衣類やバッグ、自宅の鍵、布団カバーなど十数点がなくなっていたといい、
捜査本部は戸倉容疑者が持ち去ったとみている。

捜査本部の調べでは、
戸倉容疑者は現場から約300メートル離れたマンションに住んでいたが、
加賀谷さんとの交友関係はなかったとみられる。
事件後に矢吹町の実家に転居しており、12日午前、
自宅で逮捕されて東京・霞が関の警視庁に移送された。


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【劇団員女性殺害】
消えた荷物多数…近所に絞り、引っ越し先も割り出す 
DNA型は1000人超から提供


2016年3月12日(産経)

アルバイトをしながら女優という夢に向かって歩んでいた加賀谷理沙さんが
殺害されているのが見つかってから約半年。
捜査本部は当初、現場に残された犯人のDNA型を頼りに捜査を進めたが、
思うように進まなかった。突破口になったのは、
事件後に引っ越していたいくつかの世帯の行方。
その中の1人が、戸倉高広容疑者だった。

加賀谷さんの部屋からは、シーツやバッグなど十数点がなくなり
「かなり大きな荷物」(捜査幹部)だったが、
現場付近には車が止まっていた形跡はなかった。
防犯カメラにも大きな荷物を持ち歩く人物の画像はなく、
捜査本部は直近に住む者の犯行との見方を強めていた。

加賀谷さんの爪の中に残っていた微物などから男性のDNA型を検出。
捜査本部は親交のあった男性以外にも、
現場付近に住む劇団や映像関係者などの男性をリストアップし、
DNA型の任意提出を求め照合していく作業を重ねた。
DNA型の提供を受けたのは1000人を超えた。

DNA型を集める作業と並行して捜査本部は
現場マンション周辺の聞き込みを継続。
事件後に引っ越した世帯を調べ、転居先を割り出していった。
こうした捜査で、戸倉容疑者が事件発覚の数日後に
福島県矢吹町の実家に戻っていたことが判明。
2月中旬に捜査員が戸倉容疑者と接触し任意提出を受けたDNA型が、
今月に入り遺留DNA型と合致、捜査は急展開した。


劇団員殺害“引っ越し準備で東京にいた”


2016年3月13日(日テレ)

東京・中野区で劇団員の女性が殺害された事件で、逮捕された男が、
「事件が起きた頃は引っ越しの準備で東京に来ていたが、現場に行っていない」
などと供述していることが分かった。

警視庁によると逮捕された福島県矢吹町の戸倉高広容疑者(37)は去年8月、
中野区のマンションで、劇団員の加賀谷理沙さん(当時25)の首を絞めて
殺害した疑いがもたれている。

捜査員が先月中旬に福島にいた戸倉容疑者を訪ねた際、
戸倉容疑者は「6月に会社を辞めてその頃に福島に来た」と説明したが、
その後の調べで、戸倉容疑者は事件直後の8月末に引っ越しの手続きを始め、
9月に引っ越していたとみられることが分かっている。

戸倉容疑者は逮捕後の調べに対し、
「事件が起きた頃は引っ越しの準備で東京に来ていたが、
現場に行っていない」などと話し、容疑を否認しているという。

また、警視庁は12日、福島の自宅を捜索したが、
事件現場から持ち去られていた加賀谷さんのバッグなどは
見つからなかったという。

当時、戸倉容疑者は、加賀谷さんの自宅から約400メートルのマンションに住んでいたが、
以前勤務していた不動産会社も加賀谷さんのアルバイト先から
約300メートルの場所にあったという。

ただ、事件現場に残されていた加賀谷さんの携帯電話に戸倉容疑者の連絡先はなく、
これまでに2人の接点は確認されていないという。





事件直前に福島から中野へ 劇団員女性殺害



2016年3月14日(日テレ)

去年8月、東京・中野区で劇団員の女性が殺害された事件で、逮捕された男が、
事件の直前に実家のある福島から、
事件現場で自宅のある中野区に戻って来ていたことがわかった。

警視庁によると、逮捕された戸倉高広容疑者(37)は、
加賀谷理沙さん(当時25)が殺害されたとされる日の前日8月24日の夕方前、
現場近くの防犯カメラに、
黒いキャップをかぶり黒のTシャツを着て1人で歩く姿が映っていた。

その後の捜査関係者への取材で、この直前に、戸倉容疑者が実家のある福島県から、
事件現場で自宅のある中野区に戻って来ていたことが新たにわかった。
先月中旬、福島の実家に住む戸倉容疑者を捜査員が訪ねた際には、
「去年6月に会社を辞めてその頃に福島に来た」と説明していた。

しかし、その後の調べで、会社を辞めた後は引っ越しをしないまま、
実家のある福島と中野区の自宅を行き来していたこともわかったという。
戸倉容疑者は事件直後の8月末に区役所を訪れ、
福島の実家に住民票を移して、引っ越しをしていて、
警視庁が事件当時の行動を詳しく調べている。



逮捕の男「私が殺した」=否認一転、認める供述
―劇団員女性殺害・警視庁



時事通信 3月14日(月)

東京都中野区のマンションで劇団員の加賀谷理沙さん=当時(25)=が殺害された
事件で、戸倉高広容疑者(37)=殺人容疑で逮捕=
が警視庁中野署捜査本部の調べに対し、「私が殺したことに間違いありません」
と容疑を認める供述を始めたことが14日、捜査関係者への取材で分かった。
 
捜査関係者によると、同容疑者は12日の逮捕当時、
「被害者は全く知らないし、家に行った記憶もない」などと容疑を否認。
しかし、13日夜になって認め始め、「責任を取ります」と供述しているという。

捜査本部によると、戸倉容疑者は昨年8月25〜26日、
加賀谷さんの首を絞めて殺害した疑いが持たれている。
同容疑者は当時、加賀谷さんのマンションから約300メートルのアパートに住んでいたが、
事件直後の8月末に福島県に転居。
捜査員が今年2月に転居先を訪れ、DNAの任意提出を受けていた。
鑑定の結果、遺体に残されたDNA型と一致し、今月12日に逮捕された。 


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「事件直前に見かけてついていき殺害」中野



日本テレビ系(NNN) 3月14日(月)

去年8月、東京・中野区で劇団員の女性が殺害された事件で、逮捕された男が、
調べに対し「事件直前にみかけて気になったのでついていって殺害した」
などと供述していることがわかった。

警視庁によると、逮捕された福島県矢吹町に住む戸倉高広容疑者(37)は、
去年8月、東京・中野区のマンションで、
劇団員の加賀谷理沙さん(当時25)の首を絞めて殺害した疑いがもたれている。

戸倉容疑者は逮捕直後の調べに対し、
「被害者をまったく知りません」「事件が起きた頃は、引っ越しの準備で東京に来ていたが、
現場に行っていない」と容疑を否認していた。

しかし、13日の夜になって一転して容疑を認める供述をし始め
「私が殺しました。責任を取ります」と話し、
さらに「事件直前に見かけて気になったので、
ついていって殺害した」などと供述しているという。

警視庁は、犯行の動機や2人の接点などの解明を進めることにしている。



劇団員殺害 
逮捕男、事件前日バスで東京に



日本テレビ系(NNN) 2016年3月15日

東京・中野区で劇団員の女性が殺害された事件で、逮捕された男が、
女性の部屋からバッグなどを持ち去り、
「引っ越しの時にゴミとして捨てた」と供述していることがわかった。

警視庁によると、殺害された加賀谷理沙さん(当時25)の自宅からは、
バッグや衣服など十数点が持ち去られていたが、
その後の調べで、戸倉高広容疑者(37)が持ち去ったことを認めた上で、
「引っ越しの時に、自分のマンションにゴミとして捨てた」と供述していることがわかった。

戸倉容疑者は事件直後の去年8月末に福島の実家に住民票を移し、
9月に引っ越していた。また、
戸倉容疑者は事件前日の朝に福島から高速バスで東京・北区王子に来たのち、
電車で東京・中野区まで移動していたということで、
警視庁は事件前後の行動や動機の解明などを進めている。



【劇団員女性殺害】

戸倉容疑者「殺害後、遺体を拭いて逃げた」と供述 
DNA型鑑定恐れて証拠隠滅?



2016.3.16 (産経)

東京都中野区のマンションの一室で昨年8月、
アルバイト店員で劇団員の加賀谷理沙さん=当時(25)=が殺害された事件で、
殺人容疑で逮捕された福島県矢吹町の職業不詳、
戸倉高広容疑者(37)が「殺害後、遺体を拭いてから逃げた」
などと供述していることが15日、捜査関係者への取材で分かった。
警視庁中野署捜査本部は、
戸倉容疑者がDNA型鑑定で関与が浮上するのを免れるため、
遺体に付着した唾液などをぬぐっていたとみて、詳しい経緯を調べる。

捜査関係者によると、加賀谷さんは全裸の状態で死亡しているのが見つかった。
爪や顔には皮膚片など微物が残っていたが、
ほかの部位からは検体は見つからなかった。

戸倉容疑者は加賀谷さん宅からバッグや布団シーツなどを持ち出したことも認めている。
犯行後、自宅マンションのゴミ捨て場に捨てたという。
エアコンのリモコンについては「記憶がない」としており、
シーツなどを持ち出す際に紛れ込んだ可能性がある。
また、犯行直前に「現場マンションの廊下で、
加賀谷さんにLINE(ライン)を交換しようと声をかけた」と供述していることも判明。
「加賀谷さんは驚いて部屋に入ったが、
すぐに追いかけて自分も入った。
声を出されそうになったので首を絞めた」などと説明しているという。



「首絞めたコード状のもの持ち去り捨てた」



日本テレビ系(NNN) 2016年3月17日

去年、東京・中野区で劇団員の女性が殺害された事件で、逮捕された男が、
「首を絞めたコード状のものは持ち去って捨てた」と供述していることがわかった。

警視庁によると、戸倉高広容疑者(37)は去年8月、
中野区のマンションで加賀谷理沙さん(当時25)の首を絞めて殺害した疑いで
逮捕されている。これまでの調べに、戸倉容疑者は
「大声を出されそうになり、首を絞めた」と話しているが、
その後の捜査関係者への取材で、
「首を絞めたコード状のものは持ち去って捨てた」と供述していることがわかった。

戸倉容疑者はこれと一緒に加賀谷さんのリュックや衣服など
十数点を持ち去ったとみられ、
警視庁は戸倉容疑者が証拠隠滅を図ったとみて調べている。


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被害に遭われた女性のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

名古屋・闇サイト殺人事件 (2007年)


名古屋・闇サイト殺人事件 (Wikipedia他)

(2007(平成19)年)


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闇サイト殺人事件(やみサイトさつじんじけん)とは、
2007年(平成19年)8月24日に
愛知県名古屋市内で発生した強盗殺人事件。
闇サイトが犯行グループ結成に利用されたことが注目された。
愛知女性拉致殺害事件ともよばれる。

概要


犯行まで2007年8月24日午後10時頃、
名古屋市千種区の路上を歩いていた31歳の女性を、
男3人は道を尋ねる振りをして、強盗目的で拉致した。
犯行グループ3人は日常生活で面識はなく、
知り合って犯行を行うきっかけとなったのが
携帯電話サイト
「闇の職業安定所」という犯罪者を募集する闇サイトである。

にわかつくりの犯罪実行グループであった。
この闇サイトで無職の40歳男川岸健治が投稿し、
朝日新聞の新聞拡張員だった36歳男神田司と
無職の32歳男堀慶末の2人の男が参加し犯行を決め、
女性を殺害して現金を奪うことにし、8月24日に決行。
被害者の女性は偶然見かけただけという通り魔的犯行であった。

犯行当日8月24日午後10時頃、
名古屋市千種区で帰宅途中の路上を歩く女性を
車に連れ込んで、手錠をかけて拉致。
約6万円とキャッシュカードを奪う。さらに包丁で被害者を脅して、
キャッシュカードの暗証番号を聞き出し、
8月25日午前0時頃、愛西市佐屋町の駐車場で
被害者を殺害する。
被害者の女性は「殺さないで下さい」
「話を聞いて」と何度も命ごいをしたが聞き入れられず、
容疑者は犯行が露見するのを恐れ、
被害者の顔に粘着テープを巻きつけた上にポリ袋をかぶせ、
ハンマーで頭を数十回めった打ちにし、
遺体を岐阜県瑞浪市の山中に埋めて逃走した。

女性の死因は窒息死とみられている。
この男ら3人以外に男1人(第4の男D)も
「闇の職業安定所」で知り合って行動を共にしていた。
一緒に女性拉致事件の前日に
名古屋市内の事務所に窃盗目的で侵入したものの、
途中で怖くなり逃げ出し
女性拉致事件直前の時間に警察に自首した
(Dは裁判で窃盗未遂罪と強盗予備罪で懲役2年・執行猶予3年が確定)。

女性を殺害した翌日の8月25日午後1時になり、
容疑者のうち川岸が愛知県警に
犯行をほのめかす電話をし、逮捕に至った。
警察に事件に関与したことを話した理由は
「死刑になりたくなかったから」とのことだった。
逮捕後なお、当該事件を報道で
「犯罪の温床」と大きく取り上げられた闇サイト
「闇の職業安定所」は8月27日に閉鎖された。
また被害者の女性は趣味のブログを公開しており、
そこには被害者に対し
哀悼のコメントが殺到した。
被害者の母親がマスコミ宛に
「もう少しで自宅につけたのに」「犯人を絶対に許せない」
という趣旨の手記を寄せた。
のちに母親は容疑者らを極刑にするために
陳情書の署名を集めるホームページを設立、
2007年10月1日に10万人、
2008年12月18日に目標の30万人を超える署名を集めた。

海外に住む日本人や外国人の署名もあったという。
なお、被害者の母親は容疑者3人全員の極刑を求めている。

公判


容疑者3名は強盗殺人罪・営利目的略取罪・逮捕監禁罪・
死体遺棄罪、
うち1名に強盗強姦未遂罪を加えて起訴された。

第一審


2008年9月25日に名古屋地方裁判所で公判が開始した。
公判のなかで被疑者3名がお互いに罪をなすりつけ合い
(特に神田と堀の間でそれが顕著だった)、
反省の態度を見せなかった。
また、神田が知人に対して手紙を出し
自身の意見を述べるブログを掲載した。
そのなかには遺族の感情を逆なでするような内容があった。
そのため、
被害者女性の遺族は死刑を求める運動を続けている。

2009年1月20日検察は被告人3名に死刑を求刑。
2009年3月18日午前10時開廷の判決公判では、
主文を後回しにするかたちで同日正午過ぎに
強盗殺人罪の主犯格の被告人神田と堀の2名に死刑、
強盗強姦未遂罪の主犯である川岸には
無期懲役の地裁判決が言い渡された。
なお、無期懲役が言い渡された理由として判決によれば
「死刑になりたくなかったから」
と捜査機関へ出頭したことを「自首」と認定、
罪一等軽減したというものであった。

無期懲役の地裁判決が言い渡された川岸は判決後に
「被害者は運が悪かっただけ。
今でも悪いことは、
ばれなきゃいいという気持ちは変わらない。
生かしてもらえてよかった。ありがたい」とコメント、
無反省どころか完全に開き直っていた。
なお、死刑判決が下った神田は即日控訴、
堀は判決から6日後に控訴した。
また、名古屋地方検察庁も川岸の無期懲役は
「量刑が軽く、不当」として3月27日に控訴した。
なお、即日控訴した神田はその後、
同年4月13日に控訴を取り下げたため、
死刑が確定している。

控訴審


川岸と堀については名古屋高等裁判所で公判が続行され、
2011年4月12日に、川岸に対し地裁の判決を支持、
堀に対し地裁の死刑判決を破棄して、
両名に無期懲役の判決が下った。
判決理由は、犯行の計画・実行での神田との重要度の差や、
川岸・堀両名の前歴から
更生の余地があるものと判断したことによる。

川岸については、検察側が上告を断念したため、
無期懲役が確定した。堀については、
検察側が最高裁判所に上告した。


上告審


最高裁判所は2012年7月11日付の決定で
堀に対し上告棄却の決定をし、
堀の無期懲役が確定した。

なお、堀は本事件で収監中の2012年8月3日、
1998年に愛知県碧南市で夫婦が
殺害され現金を奪われた強盗殺人事件の主犯として、
共犯E(本項目事件外)と共に再逮捕された。
さらに堀とEは2006年に名古屋市守山区で
老女が首を絞められて
現金を奪われた強盗殺人未遂事件にも関与したとして、
2013年1月16日に再逮捕されている。

2015年6月25日、死刑が確定していた神田司死刑囚(44)
=名古屋拘置所=の死刑が執行された。


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被害者の磯谷利恵さん(事件当時31歳)

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被害者の磯谷利恵さん

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被害者の磯谷利恵さん

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被害者の磯谷利恵さん

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被害者の磯谷利恵さんと母親の富美子さん

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葬儀の様子

葬儀


被害者の磯谷利恵さんの母親の磯谷富美子さん

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被害者の磯谷利恵さんの母親の磯谷富美子さん

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被害者の磯谷利恵さんの母親の磯谷富美子さん

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事件現場

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事件現場

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事件現場

事件現場3


事件現場

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事件現場

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神田 司

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神田 司

神田2


神田 司

神田3


神田 司

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堀 慶末

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堀 慶末

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川岸健治

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川岸健治

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川岸健治

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川岸健治

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報道番組『NEWSZERO』(日本テレビ・2008年12月23日放映)の中で紹介された川岸健治直筆の手紙
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報道番組『NEWSZERO』(日本テレビ・2008年12月23日放映)の中で紹介された川岸健治直筆の手紙
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報道番組『NEWSZERO』(日本テレビ・2008年12月23日放映)の中で紹介された川岸健治直筆の手紙
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報道番組『NEWSZERO』(日本テレビ・2008年12月23日放映)の中で紹介された川岸健治直筆の手紙
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報道番組『NEWSZERO』(日本テレビ・2008年12月23日放映)の中で紹介された川岸健治直筆の手紙
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報道番組『NEWSZERO』(日本テレビ・2008年12月23日放映)の中で紹介された川岸健治直筆の手紙
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報道番組『NEWSZERO』(日本テレビ・2008年12月23日放映)の中で紹介された川岸健治直筆の手紙
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報道番組『NEWSZERO』(日本テレビ・2008年12月23日放映)の中で紹介された川岸健治直筆の手紙
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報道番組『NEWSZERO』(日本テレビ・2008年12月23日放映)の中で紹介された川岸健治直筆の手紙
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報道番組『NEWSZERO』(日本テレビ・2008年12月23日放映)の中で紹介された川岸健治直筆の手紙
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報道番組『NEWSZERO』(日本テレビ・2008年12月23日放映)の中で紹介された川岸健治直筆の手紙
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報道番組『NEWSZERO』(日本テレビ・2008年12月23日放映)の中で紹介された川岸健治直筆の手紙
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報道番組『NEWSZERO』(日本テレビ・2008年12月23日放映)の中で紹介された川岸健治直筆の手紙
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報道番組『NEWSZERO』(日本テレビ・2008年12月23日放映)の中で紹介された川岸健治直筆の手紙
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報道番組『NEWSZERO』(日本テレビ・2008年12月23日放映)の中で紹介された川岸健治直筆の手紙
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報道番組『NEWSZERO』(日本テレビ・2008年12月23日放映)の中で紹介された川岸健治直筆の手紙
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報道番組『NEWSZERO』(日本テレビ・2008年12月23日放映)の中で紹介された川岸健治直筆の手紙
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報道番組『NEWSZERO』(日本テレビ・2008年12月23日放映)の中で紹介された川岸健治直筆の手紙
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報道番組『NEWSZERO』(日本テレビ・2008年12月23日放映)の中で紹介された川岸健治直筆の手紙
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名古屋・闇サイト殺人事件(2ちゃんねる)


1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/07(水) 01:32:14.67 ID:???
闇サイトで犯行グループが結成され、OLの磯貝さんが彼らに拉致されて殺害された事件

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/07(水) 14:48:08.06 ID:afaPFHpE
殺人犯3人のうち、1人が死刑で2人が無期懲役。
無期懲役を受けた奴の1人は最初は死刑だったのがなぜか刑を軽くされてしまった。
これは被害者の母親にとってはたまったもんじゃないだろう。
裁判長の真意が知りたい。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/07(水) 21:45:06.79 ID:A+GtOMdG>2
自首したから。
刑法で自首は罪の減軽の対象としてる。
しかし厳密には「強盗殺人罪」は任意。
つまり減軽する、しないは裁判官の意思に委ねられる

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/08(木) 00:03:45.35 ID:tk42lV9R>>3
それは川岸のことでしょう。
後に刑が軽くなったのは堀のことではないですか?

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/08(木) 00:41:28.00 ID:niCnFqQd>>4
おっしゃる通りです。
失礼しました。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/13(金) 18:12:18.31 ID:???
堀被告の無期懲役確定へ 名古屋闇サイト事件
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120713/trl12071317500003-n1.htm
名古屋市千種区で平成19年、「闇サイト」で知り合った男3人が、会社員の
磯谷利恵さん=当時(31)=を拉致、殺害した事件で、強盗殺人罪などに問われ、
1審で死刑、2審で無期懲役とされた堀慶末被告(37)の上告審で、最高裁
2小法廷(千葉勝美裁判長)は、検察側の上告を棄却する決定をした。11日付。
無期懲役が確定する。
闇サイト事件では、すでに共犯の神田司死刑囚(41)の死刑と、
川岸健治受刑者(45)の無期懲役が確定しており、これで裁判は終結する。
被害者が1人の事件で死刑が選択されるかが焦点となった。
同小法廷は「動機に酌量の余地はなく、刑事責任は重大だ」と指摘。しかし、
2審名古屋高裁判決が、インターネットを悪用した犯罪であることについて
「過度に強調するのは相当ではない」などとして、
「死刑の選択がやむを得ないといえるほど悪質だとは断じがたい」
と結論づけたことに、同小法廷は「判断が誤りとはいえない」と支持した。
2審判決によると、堀被告は神田死刑囚らと共謀し、19年8月、磯谷さんを車で拉致し、
現金を奪い、金づちで頭部を殴るなどして殺害。岐阜県内の山林に遺体を遺棄した。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/14(土) 12:03:52.38 ID:???
闇サイト殺人、被害者の母「結果報告できない」
「娘に何もしてあげられなかった」。
名古屋市千種区の契約社員磯谷利恵さん(当時31歳)が殺害された「闇サイト殺人事件」
から間もなく5年。強盗殺人罪などに問われた堀慶末被告(37)の無期懲役判決が確定
することに、最愛の一人娘を失った富美子さん(60)は大粒の涙を流し、声を振り絞った。

富美子さんは13日午後5時頃、代理人を務める弁護士からの電話で、最高裁が検察側の
上告を棄却したことを知り、全身の力が抜けた。仏壇の前に座り込んで利恵さんの遺影に
手を合わせ、「ごめんなさい」と謝るしかなかったという。
名古屋市の自宅で読売新聞の取材に応じた富美子さんは
「本当に悔しい。こんな結果を娘に報告できない」と、唇をかんだ。
厳刑を求める署名はさらに増え33万人分を超えたが、思いは届かず、
「被害者がないがしろにされている。量刑は、被害者の数で決めるべきではない」
と悔しさをにじませた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120714-00000302-yom-soci

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/14(土) 17:44:21.90 ID:???>>66
神田司は自分で控訴を取り下げたので一審の地裁判決が確定
なのに確定してから死ぬのが怖くなったのか再審請求をしてるヘタレ


98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/03(金) 17:24:28.37 ID:???
「闇サイト」受刑者が夫婦殺害関与の疑い 愛知県警逮捕
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2012080390144539.html

愛知県碧南市で1998年6月、パチンコ店責任者夫婦が殺害された事件で、
名古屋市の女性が拉致、殺害された「闇サイト殺人事件」で無期懲役刑が確定した
堀慶末受刑者(37)が関与していた疑いがあることが分かり、
愛知県警は堀受刑者と共犯の計3人を強盗殺人容疑で3日、逮捕する。
捜査関係者が明らかにした。
碧南の事件は、碧南市油渕町四、
パチンコ店責任者馬氷(まごおり)一男さん(45)=当時=と妻の里美さん(36)
=同=が1998年6月29日未明、小学生の息子を残して行方不明となった。
その後、馬氷さんの車が自宅から約4キロ離れた愛知県高浜市の路上に
放置されていたのが見つかり、トランクに夫婦の遺体があった。
死因はともに窒息死だった。事件直前、不審な男3人組が馬氷さん宅を訪れており、
県警は3人の行方を追っていた。 その後の捜査で、
堀受刑者らが関わっていた疑いが浮上した。

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/03(金) 17:51:49.07 ID:???朝日
http://www.asahi.com/national/update/0803/NGY201208030010.html
別の事件で服役中の無職佐藤浩(36)と鹿児島県枕崎市中央町、
建築作業員葉山輝雄(43)の両容疑者も共犯の疑いで逮捕した。
3人とも容疑を認めているという。
毎日
http://mainichi.jp/select/news/20120804k0000m040008000c.html
ほかに逮捕されたのは、
住所不詳、無職、佐藤浩(36)と
鹿児島県枕崎市、建築作業員、葉山輝雄(43)の各容疑者

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/03(金) 17:53:26.39 ID:???
闇サイト堀受刑者、別の殺人容疑で逮捕 14年前の事件
闇サイト殺人事件と夫婦殺害事件
名古屋市で2007年、磯谷(いそがい)利恵さん(当時31)が拉致、
殺害された「闇サイト殺人事件」で、強盗殺人などの罪で無期懲役とした
二審・名古屋高裁判決が確定した堀慶末(よしとも)容疑者(37)について、
愛知県警は3日、1998年に同県碧南市の夫婦を殺害したとして強盗殺人
の疑いで逮捕し、発表した。
別の事件で服役中の無職佐藤浩(36)と鹿児島県枕崎市中央町、建築作業員
葉山輝雄(43)の両容疑者も共犯の疑いで逮捕した。
3人とも容疑を認めているという。
愛知県警によると、3人は1998年6月28日午後4時半ごろ、
碧南市油渕町4丁目、パチンコ店店長の馬氷(まごおり)一男さん(当時45)
宅を訪れ、翌29日午前2時ごろまでの間に、馬氷さんと妻の里美さん(当時36)
を窒息させて殺害。
室内から現金6万円とブレスレット1本などを奪った疑いがある。
http://www.asahi.com/national/update/0803/NGY201208030010.html

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/03(金) 17:55:35.62 ID:???
闇サイト殺人:堀受刑者、別の夫婦殺害容疑で逮捕
名古屋市で07年、会社員磯谷利恵さん(当時31歳)が男3人に拉致され
殺害された「闇サイト殺人事件」で、強盗殺人などの罪で無期懲役が確定
た堀慶末受刑者(37)が、愛知県碧南市で98年にパチンコ店店長の
馬氷一男さん(当時45歳)と妻の里美さん(同36歳)夫婦が殺害された
事件に関与していた疑いが強まったとして、県警は3日、堀受刑者と別の男
2人の計3人を強盗殺人容疑で逮捕した。
ほかに逮捕されたのは、住所不詳、無職、佐藤浩(36)と鹿児島県枕崎市、
建築作業員、葉山輝雄(43)の各容疑者
容疑者は夫婦を殺害して金品を奪おうと共謀。98年6月28日午後4時半ごろ、
碧南市油渕町4の馬氷さん方を訪れ、同29日午前2時ごろまでの間に、
夫婦を何らかの方法で窒息により殺害した上、里美さん所有の現金6万円と
一男さんのブレスレット1本などを奪ったとしている。
馬氷さん夫婦は98年6月29日未明、碧南市の自宅から行方不明となり、
同年7月4日、同県高浜市の路上に放置されていた馬氷さんの車のトランク
から遺体で発見された。
http://mainichi.jp/select/news/20120804k0000m040008000c.html

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/04(土) 11:53:44.08 ID:???
闇サイト事件の遺族「娘が教えてくれた」
07年に名古屋市で女性が殺害された「闇サイト事件」の堀慶末受刑者
(37)が98年の強盗殺人事件で逮捕されたことを受け、
闇サイト事件の遺族が3日に会見し、心境を語った。
強盗殺人の疑いで逮捕されたのは、堀容疑者と群馬県の無職・佐藤浩容疑者(36)、
鹿児島県の建築作業員・葉山輝雄容疑者(43)。
警察の調べによると、3人は98年、愛知・碧南市で会社役員・馬氷一男さん(当時45)
と妻・里美さん(当時36)を殺害し、現金やブレスレットを奪った疑いが持たれている。

堀容疑者は09年、名古屋市千種区で磯谷利恵さん(当時31)が殺害された闇サイト事件で、
無期懲役が確定していた。
裁判で堀容疑者の死刑を求めた磯谷さんの母・富美子さん(60)は3日、会見で
娘が無期懲役の判決に納得しておらずに、『違うよ』と教えてくれたのではないかと」と語った。

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/07(火) 22:26:43.39 ID:???
「聴かれなかったから」=闇サイト逮捕後、自供せず−愛知夫婦強殺
愛知県碧南市で1998年、パチンコ店店長夫婦が殺害された事件で、
強盗殺人容疑で逮捕された堀慶末容疑者(37)が、2007年に
名古屋市で起きた「闇サイト殺人事件」での逮捕後、夫婦殺害を自供
しなかった理由について「(取り調べで)聴かれなかったから」と
供述していることが7日、捜査関係者への取材で分かった。
堀容疑者は闇サイト事件で共犯の男2人と共に強盗殺人などの罪に問われ、
無期懲役が確定している。
捜査関係者によると、県警が夫婦殺害事件の遺留物を再鑑定した結果、
現場の飲食の跡から検出された唾液のDNA型が堀容疑者のものと似て
いることが判明。捜査員が先月、本人に事情を聴いたところ容疑を認めたという。
しかし、闇サイト事件で逮捕された07年8月以降の取り調べや公判では、
反省の弁を述べる一方、夫婦殺害事件については一切供述していなかった。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012080700046

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/07(火) 22:52:49.46 ID:???パチンコ店夫婦殺害の役割だが
堀・・・・強盗殺人発案。被害者選定。計画の大筋を立てて殺害を主導。夫を絞め殺す。
佐藤・・・・計画への関与程度は不明。堀が夫を殺している時に体を抑える。妻を絞め殺す。
葉山・・・・計画への関与程度は不明。堀が夫を殺している時に体を抑える。妻の殺害実行には関与せず。
という感じみたいだな。
堀は確実に死刑だろうが
佐藤は、死刑と無期、どちらにでも転びそう。
殺害計画でさほど意見を出さず、現場でも堀に指示されていたなら、無期になる可能性が大きいだろうな。
葉山は、無期どまりだろう。

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/08(水) 08:28:47.49 ID:???
★死刑囚の一日
07:00起床
07:20開房点検
07:30朝食
09:00(被執行者お迎え)
(自由時間)
11:30昼食
(自由時間)
16:20夕食
16:50開房点検
17:00自由時間
20:00仮就寝
21:00就寝減灯
(自由時間)

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/08(水) 09:49:54.32 ID:???
「堀容疑者が夫絞殺」と供述 強盗殺人で共犯容疑の男
http://www.47news.jp/CN/201208/CN2012080801001367.html

愛知県碧南市で1998年、会社役員馬氷一男さん=当時(45)=夫婦が
殺害された事件で、強盗殺人容疑で堀慶末容疑者(37)=闇サイト殺人事件
で無期懲役が確定=とともに逮捕された佐藤浩容疑者(36)が「堀容疑者が
馬氷さんの首を絞めて殺した」と供述していることが8日、捜査関係者への取材
で分かった。
これまでの調べでは、逮捕した3人のうち堀容疑者が犯行を主導したとみられ、
このうち堀容疑者を含む2人がロープで夫婦を絞殺したと説明している。
碧南署捜査本部は、それぞれの供述を突き合わせ、慎重に役割分担を調べる。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/09(木) 16:36:24.10 ID:???
名古屋闇サイト
     地裁   高裁  最高裁    
神田司  死刑   控訴せず  
川岸健治 無期   無期
堀慶末  死刑   無期  無期確定

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/09(木) 18:09:21.30 ID:???
堀慶末は他にも人を殺しているのを隠しながら、
どういう心境でこれを書いていたんだろうか?

過ちと向き合い凛と生き 第1回      Y・堀 
過ちと向き合い凛と生き 第2回       Y・堀
過ちと向き合い凛と生き 第4回      Y・堀  
死刑存置八割について考える        Y・堀 
生きる意味                   Y・堀
死刑から一転無期刑へ           Y・堀 

ユニテ通信「希望」

ここ使えば堀にメッセージ送れるかもしれないし、
聞いてみたいな・・・・

138 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/08/10(金) 08:56:37.97 ID:44p2g39c
09年3月 神田と堀に死刑、川岸に無期懲役
同年4月 神田上告取り下げ死刑確定
(この間、政権交代、それに伴い死刑執行が滞る)
10年7月 千葉法相が死刑執行
同年8月 控訴審
11年4月 控訴審で堀と川岸に無期懲役
(判決言渡し直前に東日本大震災、福島原発事故が発生、
震災犠牲者多数で命の尊さと事件の風化等で無期懲役を言渡した?)
同年同月 堀最高裁上告、川岸は無期懲役確定
12年7月 堀の無期懲役確定


156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/20(月) 14:54:27.74 ID:i7t8P/nd

山口母子殺害の鬼畜殺人犯を守る21人の弁護士
http://ameblo.jp/bellet/entry-11167771175.html

【裁判】
光市母子惨殺元少年 「死刑は反対。僕1人の命で2人の命を償えない」
「等身大の僕を分かって」…東日本大震災で募金も
http://logsoku.com/thread/uni.2ch.net/newsplus/1329702659/

【光市母子殺害】
「2人の命を失わせたが、生きて償いたい」
大月死刑囚が再審請求へ★6
http://logsoku.com/thread/uni.2ch.net/newsplus/1338109162/

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/20(月) 14:59:08.05 ID:i7t8P/nd
※死刑囚アンケートより
渡辺清(娼婦4人殺害)「週に1度のDVDとテレビの視聴が楽しみ」
藤井政安(殺し屋連続殺人)「新法による総量規制は悪法である」
大道寺将司(連続企業爆破)「逆風の中死刑廃止に尽力されている方に感謝します」
益永利明(連続企業爆破)「現代の社会は寛容を失っている」
荒井政男(三崎事件)「死刑制度に反対します」
高田和三郎(友人3人殺人)「取調官の誘導により誤った調書が作成されてしまった」
佐々木哲也(両親殺人)「死刑判決は誤りです」
大城英明(内妻一家4人殺人)「死刑制度は社会を荒涼とさせる」
浜田武重(3連続保険金殺人)「現在北京オリンピックをテレビで見ています」
小林薫(奈良女児誘拐殺人)「検察調書を頭から信じ込んでしまっている裁判は茶番だ」
小林光弘(弘前武富士放火)「(拘置所生活で一番楽しいことは)面会が出来ること」
鎌田安利(指定122号事件)「国家は殺人を禁じているのに死刑の執行は明らかな犯罪」
岡崎茂男(指定118号事件)「(拘置所でつらいことは)歯痛と食事が悪いこと」
迫康裕(指定118号事件)「じん肺、坐骨神経痛でしばらく運動に出ていないのは悲しい」
小田島鉄男(マブチモーター)「自分と同じく父のいない子をフィリピンに残していく
ことを案じています」
上田宣範(大阪愛犬家殺人)「松本健次氏は知能が低いので死刑執行はやめて欲しい」
松本健次(京都滋賀連続殺人)「福島瑞穂ちゃんへ。文通する相手を紹介して欲しい。
電波をやめて欲しい」
間中博巳(同級生連続殺人)「生きることはとても辛いが生かしてもらって有難い」
松本美佐雄(妙義山連続殺人)「一審、二審の弁護士のおかげで死刑判決に」
中村喜代司(安中親子3人殺害)「東拘第一区長Fの虐待行為を告発したい。
死刑は人命を無視」
神宮政晴(広域115号事件)「私の娘は20歳で自殺してしまった」
関光彦(市川一家殺害)「うな丼が喰いたい・・」
澤地和夫(山中湖連続殺人)「死刑囚の待遇改善を求める。甘やかさなくていいが、
読む・書くなどはしっかりやらせて欲しい」
朴日光(名古屋福岡連続殺人)「人はみな罪深い存在。
罪あるものは人を罰することはできない」
佐藤哲也(ドラム缶女性焼殺)「被害者のことを考え、再審請求を取り下げた。
新法になり確定死刑囚は投稿ができなくなったのはつらい」
西本正二郎(長野愛知連続4人殺害)「刑が確定してから請願作業を始めた。
今まで働いたことはなく、盗みばかりしていたが死の時まで働き続けて
少しでも被害者のために償いたい」
宮前一明(坂本弁護士一家殺害)「ほとんどの人は死刑囚の実態を知らない。
感情的に切り捨てるのではなく、なぜその事件が起きたのか、背景を探ることも必要。
一日も早く成熟した社会が訪れることを求めたい」
向井義巳(静岡愛知2女性殺害)「拘置所から、逆らう者から先に執行されると言われた。
事実を調べて欲しい」
石田富蔵(2女性殺害)「特別許可をもらい仏壇を設置しました」
宇治川正(伊勢崎2女子中学生殺人)「刑の執行を発表されることは
遺族に迷惑がかかる」
金川一(熊本主婦殺人)「私は殺していない。絶対に無実を勝ち取る」
山野清ニ郎(不動産会社連続殺人)「警察の誤った取り調べで
死刑判決が出された」
横田謙二(川口バラバラ殺人)「一日中ずっと座っているのがつらい」
長勝久(栃木妻と知人殺し)「殺人については無実なので死刑は廃止すべき」
長谷川静央(宇都宮実弟殺し)「投稿許可が下りなくなってしまった」
岡本啓三(コスモリサーチ)「反省した人を神仏は許すのに人はなぜ許さないのだろうか。
死刑囚は一瞬一瞬を大切に生きている」
陳徳通(川崎中国人6人殺傷)「規則が分からずよく懲罰を受ける。
日本語が理解できずイライラがたまって大声を出してしまうことがあるが
その度に保護房に入れられ、懲罰を受ける」
篠沢一男 (宇都宮宝石店強盗放火殺人) 「死刑になるのか、
きもちの整理がつきません。死刑とは残酷なものです」
山地悠紀夫 (大阪姉妹刺殺)  「死刑でいいです」

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/20(月) 15:08:15.97 ID:i7t8P/nd

服部純也 享年40
三島女子短大生焼殺事件
02. 1.22

強盗致傷で仮釈放中の服部は、女子大生をナンパしようとして断られるも
車に引きずり込んで強姦。
そのまま半日ほど監禁、連れ回す。たっぷり陵辱。
しかし性欲が収まると今度は覚醒剤が打ちたくなり、
急に女子大生が邪魔になる。
犯行の発覚を恐れて殺害を決意。
市道で女子大生を粘着テープで縛り上げ、
灯油をかけてライターで火をつけて焼殺。

服部は裁判で明確な殺意を否定。一審は無期懲役判決。
有期刑を求める服部はこれを不服とし、控訴。
しかし二審でまさかの死刑判決。上告は最高裁で棄却され、死刑確定。

●確定後、収監中の服部のことば

「何を言っても言い訳になってしまいますが、人の命を奪うという
人として一番してはいけないことをしてしまったからこそ
命の尊さや大切さが知ることが出来たし、
被害者や遺族の苦しみや悲しみや怒りも知ることが出来たのです。
何を今更と思うかもしれないですが、
この思いは誰よりも強く感じています。
出来ることならもう一度最後のチャンスが欲しいです。
誰よりも誰よりも命の大切さを知っているのが死刑囚なのです。
わかってください。

(質問:新法の施行についてどう思うか?)

外部交通も制限されているし、もっと幅広く考えて欲しい。
何のための誰のための新法ですか?今のままだと役人の
都合のいい新法でしかなく、
私たちのことを考えた新法とは言えないです」


159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/20(月) 16:26:06.04
ID:???
神田司
「室温40℃の中、汗が止まらず体力も限界。
このままいけば国に殺されます。たすけて下さい!!
税金で人殺しをまだするのか?民に訴えたい」

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/07(金) 04:46:34.21 ID:???
『目には目を』
被害者と同じ苦しみ、もしくはそれ以上の苦しみを体でもって受けさせてから、
通常通り“絞首刑執行”の流れとすればよい
被害者、ならびに被害者遺族の悲しみ憎しみはいつまで経っても
計り知れないものなのだから

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/07(金) 16:18:37.90 ID:???
謹啓 福島みずほ先生
私が、お願いしたい事は、法の適正化と統一化です。
今の現状は各拘置所の長が我々の生活処遇を勝手にきめていますが、
法の内容があいまいすぎていて、
身勝手に限度なく厳格化して行くばかりです。(ナゴヤでは)
そればかりか職員の公務態度も、この2年間ひどく様変わりしてしまい、
処遇部長はまるでここの“ボス”気どりで全くしまつにおえません。
どうか国会で法相にナゴヤはどうなってるのか問い質して下さい。
ナゴヤの法務局刑事部は、くさってます! たすけて下さい!!
室温約40℃の中、汗が止まらず、自慰もできず体力も限界です……
精神的にも一杯一杯で、他にも訴えたいこと山積ですが、
用紙のみしか私用を認められず、とても書ききれず残念です。
このまま行けば、国に殺されます。悔悟の念むなしく……
もっと多くの民に、国が犢駝鵜瓩鮖Δ靴討い襪海箸函
そのことを認めていることに自問して欲しいです。
「税金で人殺し」をまだするのか? 民に訴えたいです。
私は、人殺しですが鬼ではなく人間です。それだけは忘れないで下さい。

名古屋拘置所 神田司

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/16(水) 15:56:08.22 ID:fXicJx6b
闇サイト殺人犯が守山区の事件も
7年前、名古屋市守山区の住宅で当時69歳の女性が2人組の男に襲われ、
金庫が奪われた事件で、愛知県警は、別の強盗殺人事件で逮捕・起訴されている
堀被告ら2人を逮捕しました。
この事件は、2006年7月、守山区脇田町の住宅にリフォーム会社を名乗った
2人組の男が訪れ、玄関のドアを明けた当時69歳の女性が2人にいきなり首を
絞められて軽いケガをした上、室内にあった金庫が奪われたものです。
警察は強盗殺人未遂事件として2人の行方を追っていましたが、
1998年に起きた碧南市夫婦強盗殺人事件で去年8月に逮捕・起訴した
堀慶末被告(37)ら2人が事件に関与していたことがわかり、愛知県警は、
16日、2人を強盗殺人未遂などの疑いで逮捕するとともに特別捜査本部を設置しました。
堀被告は、2007年に起きた闇サイト女性殺人事件の裁判で
無期懲役の判決を受けています。(16日11:58)

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/16(水) 16:09:13.07 ID:fXicJx6b
7年前の強盗殺人未遂容疑で、男2人逮捕
15年前、愛知県碧南市の住宅に押し入り夫婦を殺害するなどして去年8月に逮捕され、
6年前に名古屋市千種区で会社員の女性が殺害された闇サイト事件の裁判で無期懲役の判決が
確定している男らが同市守山区の住宅でも強盗殺人未遂事件を起こしていたとして
16日、逮捕された。
強盗殺人未遂などの疑いで逮捕されたのは堀慶末容疑者(37)と佐藤浩容疑者(36)。
警察の調べによると、堀容疑者らは7年前の7月、守山区脇田町の住宅に押し入り、
この家に住む女性(当時69)の首をひものようなもので絞めたうえ現金約13万円と
金庫や貴金属などを奪って逃走した疑いがもたれている。
調べに対し、佐藤容疑者は容疑をおおむね認めており、「金目的でやった」などと供述しているという。
堀容疑者と佐藤容疑者は15年前、碧南市の住宅に押し入り夫婦を殺害し金品を奪ったとして、
去年8月に逮捕されていた。
堀容疑者は6年前、名古屋市千種区で会社員・磯谷利恵さん(当時31)が殺害された
闇サイト事件の裁判で、無期懲役の判決が確定していた。
警察は2人に対して、今回の事件の経緯などを厳しく追及する方針

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/16(水) 16:36:32.31 ID:fXicJx6b
闇サイトの堀容疑者再逮捕 名古屋・守山の強殺未遂
愛知県碧南市で1998年6月、パチンコ店責任者夫妻が殺害された強盗殺人事件で
昨年8月に逮捕、起訴された本籍岐阜県、無職堀慶末(よしとも)被告(37)と本籍群馬県、
無職佐藤浩被告(36)が、2006年7月に名古屋市守山区の民家で金庫などを奪い、
女性を殺害しようとした疑いが強まったとして、愛知県警は16日、
強盗殺人未遂と住居侵入の疑いで2人を逮捕した。
県警は同日、守山署に特別捜査本部を設置した。
堀容疑者は07年8月に名古屋市千種区で女性が拉致、殺害された「闇サイト殺人事件」で、
無期懲役刑が確定している。
堀容疑者らは、秋田さん宅を実際にリフォームした建築会社の名前をかたって訪問していた。
特捜本部によると、堀容疑者は「弁護士と話してからしゃべる」と認否を保留しており、
佐藤容疑者は「ほぼ間違いありません。金目的だった」と大筋で認めている。
佐藤容疑者の供述から2人の犯行の疑いが強まり、
貴金属の一部が質店に売られていたことも判明。特捜本部が押収し、裏付け捜査をした。
事件当時、堀容疑者は守山区、佐藤容疑者は隣接する名古屋市名東区にそれぞれ居住。
2人は仕事仲間だったが、秋田さんとは面識がなかったとみられる。

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/08(金) 13:14:29.61 ID:???
実体験!大阪拘置所から帰ってまいりました!
http://king888.blog116.fc2.com/blog-entry-27.html
大阪拘置所(通称ダイコウ)での8年6月間の拘禁生活実体験!
‥‥‥ 未決囚で4年・受刑者として4年6ヶ月間のダイコウ!裏と表の実体験!

死刑囚の生活は‘活字や映像‘で知る様な、毎朝、看守の足音を気にしながら、
捨てられた子犬のようにビクビクし看守の様子を伺う様な生活はしていない。
大抵の者が再審請求していたり上告しているので、
その間は執行の心配はなく、朝は暖かいカップコーヒーを飲んでいる。
数十年経ってからの執行なんて絶対に必要ない!
僕は死刑囚に触合い、会話し強くそう感じた!!

全ての死刑囚がそうでは無いと最後に記しておきます。

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/02(火) NY:AN:NY.AN ID:???
愛知夫婦殺害 DNA枝豆から検出(東京新聞2012年8月7日)

愛知県碧南市で一九九八年六月、パチンコ店責任者馬氷一男さん=当時(45)、
里美さん=同(36)=夫妻が殺された強盗殺人事件で、堀慶末容疑者(37)ら
三人の逮捕の決め手となったDNAは、現場に残っていた枝豆の皮に付着していた
唾液から検出されたことが、捜査関係者への取材で分かった。
三容疑者は六月二十八日、馬氷さん宅を訪れ、里美さんから枝豆などのつまみや酒
を提供された。県警は犯人が食べた跡とみられる枝豆の皮などを保存。昨年夏、
皮に付着した唾液を再鑑定し、二〇〇七年の「闇サイト殺人事件」で無期懲役刑が
確定している堀容疑者のDNAと酷似していることが分かった。
その後の捜査で、現場で採取した別の唾液のDNAが、佐藤浩容疑者(36)のもの
と酷似していることも判明。葉山輝雄容疑者(43)は馬氷さんの子ども二人の
見張り役だったとみられ、現場に唾液が残っていなかったが、佐藤容疑者の供述から
関与が浮上したという。

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/15(月) NY:AN:NY.AN ID:???
名古屋拘置所の神田司さんに、支援の差し入れをお願い致します。
神田司さんはたった一人しか殺していないのに死刑確定後、
弁護人やご家族以外とは、面会も手紙のやりとりも一切許されない状態が
続いています。
しかし、現金や切手は、弁護人や親族以外でも神田さんに届けることは可能です。
たった三畳程度の監視カメラ付き独房に閉じこめられ、
いつも絶望的に孤独な状態で過ごしている神田さんにとって、
ささやかな差し入れでも、外部の人の応援は大きな励みになります。
よろしくお願い致します。

【神田司さんの住所】
〒461-8586 愛知県名古屋市東区白壁1−1

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/01/24(土) 23:45:51.56 ID:???
▼死刑容認8割=「廃止」は1割満たず―内閣府調査
内閣府は24日、死刑制度の是非など「基本的法制度に関する世論調査」
の結果を発表した。
死刑制度について「やむを得ない」と答えた人は、80.3%で、
「廃止すべきだ」の9.7% を大きく上回った。
被害者感情への配慮や、凶悪犯罪に厳罰を求める意見が強く、
多くが死刑制度を容認していることが分かった。
2009年の前回(85.6%)、04年の前々回(81.4%)の調査でも、
死刑容認派が8割を超えており、傾向は変わっていない。
これまで「場合によっては死刑もやむを得ない」としていた回答の選択肢を、
今回から「死刑もやむを得ない」に変更した。
死刑制度を容認する理由(複数回答)は
「廃止すれば、被害者やその家族の気持ちがおさまらない」(53.4%)、
「凶悪犯罪は命をもって償うべきだ」(52.9%)が上位を占めた。
死刑廃止を求める理由(同)については、トップが
「裁判に誤りがあったとき、取り返しがつかない」(46.6%)で、
次いで「生かして罪の償いをさせた方がよい」(41.6%)の順だった。
今回、新たに「仮釈放のない終身刑が導入されるならば、
死刑を廃止する方がよいと思うか」との質問
を設けたが、「廃止しない方がよい」が51.5%、
「廃止する方がよい」は37.7%で、
死刑存続を求める声が多かった。
調査は昨年11月13〜23日、全国の成人男女3000人に個別面接方式で実施。
有効回収率は60.9%だった。 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150124-00000069-jij-pol

死刑制度について
「やむを得ない」と答えた人は、80.3%、
「廃止すべきだ」の9.7%

死刑制度を容認する理由
「廃止すれば、被害者やその家族の気持ちがおさまらない」(53.4%)、
「凶悪犯罪は命をもって償うべきだ」(52.9%)

死刑廃止を求める理由(同)については、
「裁判に誤りがあったとき、取り返しがつかない」(46.6%)、
「生かして罪の償いをさせた方がよい」(41.6%)

仮釈放のない終身刑が導入されるならば、
死刑を廃止する方がよいと思うかとの質問
「廃止しない方がよい」が51.5%、
「廃止する方がよい」は37.7%


463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/25(木) 11:21:50.16 ID:???
神田司の死刑執行!!!!!!!!!!

★死刑囚1人の死刑執行 第2次安倍内閣以降7回目
6月25日 10時23分

法務省によりますと、25日午前、死刑囚1人の死刑が執行されました。
第2次安倍内閣以降で死刑が執行されたのは、去年8月以来、7回目で、
合わせて12人になりました。

464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/25(木) 13:37:46.86 ID:???
上部康明  12.03.29執行 犯行後12年06月 確定後03年08月 小川敏夫 下関通り魔事件
松田康敏  12.03.29執行 犯行後10年03月 確定後05年01月 小川敏夫 宮崎連続強盗殺人事件
古沢友幸  12.03.29執行 犯行後09年07月 確定後04年04月 小川敏夫 横浜元妻家族3人殺人事件
服部純也  12.08.03執行 犯行後10年06月 確定後04年05月 滝実 三島女子短大生焼殺事件
松村恭造  12.08.03執行 犯行後05年06月 確定後04年03月 滝実 京都神奈川親族連続強殺事件
江藤幸子  12.09.27執行 犯行後17年03月 確定後04年00月 滝実 須賀川祈祷師殺人事件
松田幸則  12.09.27執行 犯行後08年11月 確定後03年05月 滝実 宮崎連続強殺事件
金川真大  13.02.21執行 犯行後04年10月 確定後03年01月 谷垣禎一 土浦連続殺傷事件
加納恵喜  13.02.21執行 犯行後10年11月 確定後05年10月 谷垣禎一 名古屋市スナックママ強殺事件(旧姓武藤)
小林 薫  13.02.21執行 犯行後08年03月 確定後06年04月 谷垣禎一 奈良市女児誘拐殺人事件
浜崎勝次  13.04.26執行 犯行後08年00月 確定後01年04月 谷垣禎一 市原市ファミレス内組員2人射殺事件
宮城吉英  13.04.26執行 犯行後08年00月 確定後03月10月 谷垣禎一 市原市ファミレス内組員2人射殺事件
熊谷徳久  13.09.12執行 犯行後09年03月 確定後02年06月 谷垣禎一 横浜中華街店主銃殺事件
加賀山領治13.12.12執行 犯行後04年10月 確定後01年04月 谷垣禎一 中国人留学生強殺事件/DDハウス事件
藤島光雄  13.12.12執行 犯行後27年09月 確定後18年06月 谷垣禎一 山梨新潟2連続殺人事件
川崎政則  14.06.26執行 犯行後06年07月 確定後01年11月 谷垣禎一 香川県坂出市3人殺人事件
小林光弘  14.08.29執行 犯行後13年03月 確定後07年05月 谷垣禎一 武富士弘前支店強殺放火事件
高見沢勤  14.08.29執行 犯行後11年12月 確定後01年10月 谷垣禎一 群馬県安中市組員3人射殺事件
神田司   15.06.25執行  犯行後07年10月 確定後03年03月 上川陽子 名古屋闇サイト殺人事件 ←New

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(補遺)“闇サイト”無期の男 別の強殺で死刑判決


2007年、愛知県名古屋市で起きた“闇サイト事件”で無期懲役の判決が確定した男が
別の強盗殺人事件に関わったとされる裁判で、15日、男に死刑判決が言い渡された。

裁判は午後3時半ごろに閉廷した。
裁判所は一連の犯行を堀慶末被告(40)が主導したとして死刑判決を言い渡した。

起訴状などによると、堀被告は17年前の6月、他の男2人と共謀し、碧南市内の住宅で
馬氷一男さんと妻・里美さんを殺害し、現金約6万円とブレスレットなどを奪ったなどとして、
強盗殺人などの罪に問われている。

これまでの裁判で検察側は、「身勝手極まりない犯行」などとして死刑を求刑。
一方の弁護側は無期懲役が相当と主張していた。

15日の判決公判で名古屋地裁は、「生命軽視の度合いが甚だしい」などとして
検察側の求刑どおり死刑を言い渡した。

堀被告は名古屋市で起きた「千種闇サイト事件」の1審で死刑判決を言い渡されたが、
2審で、「矯正の可能性もある」として無期懲役の判決を受け、刑が確定。
その後、今回の事件で逮捕されていた。

闇サイト事件で、娘を殺害された磯谷富美子さんは、「その言葉を直接、裁判長の口から聞いて、
やっぱりほっとしました」「じっくり自分の罪と向きあって、
控訴することなく結審させてほしい」とコメントしている。

死刑が言い渡されたとき、堀被告はまっすぐ前を向き、裁判長に向かって最後に一礼した。
弁護側は判決を不服として控訴する方針。(日本テレビ他)


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被害者のご冥福を心よりお祈り申し上げます。












神戸連続児童殺傷事件(1997年)


神戸連続児童殺傷事件(WIKIPEDIA他)

1997年(平成9年)

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「少年A」が育った家
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「少年A」の逮捕を報じるニュース(1997年6月29日・日曜日)
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ケーブルテレビの施設(アンテナ基地)(神戸市須磨区友が丘九丁目22番地)
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「タンク山」(俗称)
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最終的な頭部遺棄現場:神戸市立友が丘中学校 正門(神戸市須磨区友が丘七丁目283番地1)
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「第二の事件」(1997年(平成9年)3月16日)の発生現場(神戸市須磨区竜が台)
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「第二の事件」(1997年(平成9年)3月16日)の発生現場(神戸市須磨区竜が台)・被害者の山下彩花さん(当時10歳)
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神戸家庭裁判所から関東医療少年院に移送される「少年A」(1997年(平成9年)10月13日)
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神戸連続児童殺傷事件(こうべれんぞくじどうさっしょうじけん)とは、
1997年(平成9年)に兵庫県神戸市須磨区で発生した当時14歳の中学生
(以下「少年」と表記)による連続殺傷事件。
別名『酒鬼薔薇事件』『酒鬼薔薇聖斗事件』とも呼ばれる。
この事件で、2名が死亡し、3名が重軽傷を負った。


概要


数ヶ月にわたり、複数の小学生が殺傷された事件である。
通り魔的犯行や遺体の損壊が伴った点、特に被害者の頭部が「声明文」とともに
中学校の正門前に置かれた点、地元新聞社に「挑戦状」が郵送された点など、
強い暴力性が伴なう特異な事件であった。
また、犯人がいわゆる「普通の中学生」であった点も社会に衝撃を与えた。

兵庫県警察は聞き込み捜査の結果、
少年が動物虐待行為をたびたびおこなっていたという情報や、
被害者男児と顔見知りである点などから、比較的早期から彼に対する嫌疑を深めていたが、
対象が中学生であるため、極めて慎重に捜査は進められた。


事件の発覚


1997年5月27日早朝、神戸市須磨区の中学校正門に、切断された男児の頭部が
放置されているのを通行人が発見し、警察に通報。
5月24日から行方不明となっていた近隣マンションに住む11歳の男児のものとわかった。
耳まで切り裂かれた被害者の口には、「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」名の
犯行声明文が挟まれており、その残虐さと特異さからマスメディアを通じて
全国に報道された。6月4日に犯人から第二の犯行声明文が神戸新聞社に郵送され、
報道はさらに過熱。
警察の捜査により、6月28日に犯人逮捕。
マスコミが報じていた推定犯人像(がっちり体型の30〜40代)と異なり、
犯人が14歳の中学生であったこと、連続殺傷事件であったことが判明した。


《事件の経緯》



第一の事件


1997年(平成9年)2月10日午後4時ごろ、神戸市須磨区の路上で小学生の女児2人が
ゴムのショックレス・ハンマーで殴られ、1人が重傷を負った。

犯人がブレザー着用、学生鞄を所持していたと聞いた女児の父親は、
近隣の中学校に対し犯人がわかるかもしれないので生徒の写真をみせてほしいと要望する。
しかし、学校側は警察を通して欲しいとして拒否したため、
父親は兵庫県警察に被害届を出して生徒写真の閲覧を再度要求したものの、
結局、開示されることはなかった。

この事実により、犯人逮捕後、学校側に対し、
「この時点で何らかの対応をしていれば第二・第三の事件は防げたのではないか」、
「結果的に犯人をかばっていたことになる」との批判が起こった。

なお、この事件に関しては被害者の家族の要望もあり、非公開とされていた。


第二の事件


3月16日午後0時25分、神戸市須磨区竜が台の公園で、
付近にいた小学4年生の女児に手を洗える場所はないかとたずね、
学校に案内させた後、「お礼を言いたいのでこっちを向いて下さい」
(少年の日記より)といい、振り返った女児を八角げんのう(金槌の一種)で殴りつけ
逃走した。女児は病院に運ばれたが、3月23日に脳挫傷で死亡した。

さらに、午後0時35分ごろ、別の小学生3年生の女児の腹部を
刃渡り13センチの小刀で刺して2週間の怪我を負わせた。
ナイフの刃先は胃を貫通して、背中の静脈の一歩手前で止まっていた。
仮に静脈まで達していたら、救命は不可能だったという。
また、手術の時に、1.8リットルの輸血を要した。


第三の事件


5月24日午後、通称「タンク山」と呼ばれている近所の高台に付近に住む小学5年生の
男児を誘い出し、殺害。

少年は人を殺したいという欲望から、殺すのに適当な人間を探すために、
昼過ぎにママチャリに乗って家を出た。
町内を約10分くらいブラブラしながら自転車を走らせ、その後、多井畑小学校の北側を
東西に走っている道路の北側の歩道を、東から西に自転車を走らせていたところ、
多井畑小学校の北側の歩道上に少年とは反対に、西から東に、
1人で歩いてくる男児を偶然見つけた。

男児は同地区に住む放射線科医師の次男で、当時11歳であった。
男児は祖父の家に行くといって午後1時40分ごろ、自宅を出ていた。
少年が男児を知った時期ははっきりとは覚えてはいないものの、
多井畑小学校の5年生ころで同じ小学校のなかに、
身体障害者のための「なかよし学級」があり、そのなかに男児がいることを知った。
その後、男児が少年の家に遊びに来るようになった。
これは少年が直接知り合ったわけではなく、
少年の一番下の弟が同級であったからである。
その際に少年の家で飼っていたカメに男児が興味を示したことから
カメが好きなことを知る。

咄嗟に「○君なら、僕より小さいので殺せる」と思い、男児の方へ近づいた。
少年は男児に対し「向うの山にカメがいたよ。一緒に見に行こう」とタンク山に誘い出し、
その場で絞殺して遺体を隠した。

殺害は絞殺であったが、当初は腕で締めていたものの、
なかなか死なないため腕が疲れ、さまざまな体位で試み、ナイフで殺そうと考えるが、
ナイフを忘れたことに気付く。そこで埋まっていた石があったため、
撲殺を思いつき石を持とうとするが土中深く埋まっていたため、動かなかった。
このため、今度は自らの運動靴の紐で絞殺をしようと考え、
左足の運動靴の紐を少しずつ解いていき、それを輪にして首にかけ
うつ伏せになった男児の腰付近に馬乗りになり、力一杯両手で持ち上げる。
殺そうとするが死なない男児に対し、少年は腹を立て、
男児の顔や頭を踵で蹴ったり顔を殴ったりしている。
最後は、仰向けになった男児の腹部に馬乗りになり靴紐を力一杯引く。
この時、少年の手には首の肉にギュッと食い込む手応えがあり、
しばらく締め続けたところで呼吸音が止まった。
さらに、死んだかどうか分からなかったため、
靴紐の端を施設のフェンスか桟に結びつけ、さらに締め続けた。
ようやく死んだと思い、その後、男児の左胸に右耳を当て心音を確認し、
心音が聞こえなかったので、完全に死んだと確認した。

男児をそのままにして少年は登ってきた道順と同じ道順でタンク山を降り、
ママチャリに乗り、5分ほど走らせて、コープリビングセンター北須磨店へ向かった。
そこで、糸ノコギリと南京錠を万引きした。そして、山へ引き返し、
アンテナ施設を取り囲んでいるフェンスの入り口に掛けられている古い南京錠の
Uの字部分を金鋸で切り、死体を施設の中に運び入れた。
金鋸をフェンスに沿った溝側にたまっている落ち葉の下に隠し、
入り口に新しい南京錠を掛け替えて山を下りた。

友人と4時にビデオショップ「ビブロス」の前で待ち合わせしていたため急いで向かい、
4時30分ごろに着いた。その後家に帰ると、
少年の母が「○君がおらんようになったみたいよ」と言うと、
少年は「ふうーん」と返事をした。

午後8時50分に被害男児の家族より須磨警察署に捜索願が提出された。

5月25日

少年は10時から12時にかけて起床し、自分でパンを焼いて食べ、午後1時から3時の間に、
男児の首を切るために自宅を出た。少年は男児の頭部を入れるため、
黒色のビニール袋2枚を準備する。
ケーブルアンテナ施設の枯葉に隠していた金鋸を運び出すために、
学校で使用している補助カバンも持って出る。
さらに、「龍馬のナイフ」と呼んでいる鞘付きのくり小刀を一本、
ジーパンのポケットか腹に差して持って出た。

検事調書では、「ママチャリに乗って、直接「タンク山」へと向かいました」と言っているが、
少年の父親によれば正午前後にコープ北須磨の自転車置き場で出会っており、
ビブロスの方向に走って行ったという。
タンク山はビブロスと反対方向にあるが、ビブロス方向に走って行ったことに関して、
父親は「よく思い出せません」とも話している。

黒いビニール袋の上に置いた男児の遺体を、糸ノコギリの両端を持ち、
一気に左右に2回切ると、ノコの歯が細かったためか、スムーズに切れ、切り口が見えた。
人間の肉が切れることを確認した少年は左手で男児の額のあたりを押さえながら、
右手で首を切っていく。この時、少年は「現実に人間首を切っているんだなあと思うと、
エキサイティングな気持ちになった」と供述している。
首を切っていく内に、段々と頭の安定が悪くなったため、男児の首の皮が1枚になった時に
左手で髪をつかんで上に引っ張り上げ、首の皮を伸ばして一気に首の皮を切った。
その後、しばらく地面に置き、正面から鑑賞しながら、
「この不可思議な映像は僕が作ったのだ」という満足感に浸った。
首を切断して射精した。

ところが、しばらくすると、男児の目は開いたままで、眠そうにみえ、
どこか遠くを眺めているように少年には見えた。さらに、男児は少年の声を借りて、
少年に対して、「よくも殺しやがって 苦しかったじゃないか」という文句をいった、
と供述している。それで、少年は男児に対し、
「君があの時間にあそこにいたから悪いんじゃないか」といい返した。
すると、男児の首はさらに文句をいった。
少年は、これは死体にまだ魂が残っているためだと考え、魂を取り出すため、
また、眠たそうな男児の目が気に入らなかったため、
「龍馬のナイフ」で男児の両目を突き刺し、さらに、2、3回ずつ両方の瞼を切り裂き、
口の方からそれぞれ両耳に向け、切り裂いた。その後は文句を言わなくなったという。
さらに、「殺人をしている時の興奮をあとで思い出すための記念品」として持ち帰ろうと考え、
舌を切り取ろうとしたが、死後硬直でかなわなかった。
さらに、ビニール袋に溜まった男児の血を飲むが、
金属をなめているような味がしたと述べている。
少年は血を飲んだ理由として、「僕の血は汚れているので、純粋な子供の血を飲めば、
その汚れた血が清められると思ったからです。
幼い子供の命を奪って、気持ち良いと感じている自分自身に対する
自己嫌悪感の現れなのです」と供述している。

少年は、人目につかない場所でもう一度じっくりと鑑賞しようと思い、タンク山を下りて、
北須磨高校への獣道をたどり入角ノ池へ向かう。
入角ノ池の水辺の木の根元でビニール袋をひらいて頭部を眺めた。
思ったより感動はなかったため、2、3分ほど眺めたあと、再びビニール袋にもどし、
木の根元に隠した。
首の切断に使った金鋸は、友が丘西公園のとなりにある向畑ノ池に投げ捨てた。

5月26日

男児の行方不明事件として午前11時40分に須磨警察署が公開捜査を開始。
警察、PTA、消防団合わせて150名が捜索にあたった。

少年は昼過ぎに「首をじっくり鑑賞したい」と池へ向かったが、興味を失ったため、
男児の頭部を家に持ち帰る。そして、土や木の葉で汚れた頭部を、
風呂場で15分ほどかけて洗って、自分の部屋の天井裏に隠した。
少年は首を洗った理由を
「理由は二つ。一つは、殺害場所を特定されないように、頭部に付着している土とか
葉っぱ等を洗い流すためでした。あと一つの理由は、警察の目を誤魔化すための
道具になってもらう訳ですから、血で汚れていたので
『せいぜい警察の目から僕を遠ざけてくれ。君の初舞台だよ』という意味で、
顔を綺麗にしてやろうと思ったのです」と供述している。
少年は首を洗った時も興奮して勃起し、髪の毛にクシを入れながら射精した。

事件の舞台のひとつの中学校。
少年は「警察は自分の学校に首を置くはずはないと思い、
捜査の対象から逸れると考えた」と、友が丘中学校の正門前に男児の首を
置くことを決めた。
また、ただ首を置くだけでは捜査が攪乱できるかどうかわからないと考え、
「偽りの犯人像」を表現する手紙を咥えさせようと考えた。
漫画「瑪羅門の家族」第3巻の目次から引用したり、別の本で覚えていた言葉を
組み合わせて、手紙を書き上げた。

さあゲームの始まりです
愚鈍な警察諸君
ボクを止めてみたまえ
ボクは殺しが愉快でたまらない
人の死が見たくて見たくてしょうがない
汚い野菜共には死の制裁を
積年の大怨に流血の裁きを
SHOOLL KILL
学校殺死の酒鬼薔薇


5月27日

5月27日未明、頭部が入ったカバンを自転車の前カゴに入れて、
中学校の校門前に遺棄した。正門前に頭部を置いて、手紙を口に咥えさせ、
その光景を5、6分見ていた。少年は初め、正門右側塀の上に首を置こうとしたが、
据わりが悪く、地面に落ちたため「正門の前だと一番目につくところだし、
地面なら据わりもいいだとろうと思い、
正門の鉄扉の中央付近に顔を道路側に向けて置きました。
手紙を取り出し"酒鬼薔薇聖斗"の文字が見えるように縦に『酒』いう文字の方を
口にくわえさせたのです」と供述しており、
その時の光景を「学校の正門前に首が生えているというような
『ちょっと不思議な映像だな』と思って見ていたのです」と供述している。
また、この時少年は「性的興奮は最高潮に達し、性器に何の刺激も与えてないのに、
何回もイッてました」という。少年はのちにその時の光景を「作品」と呼んでいる。

警察は記者会見で「酒鬼薔薇聖斗」を「さけ、おに、ばら…」と文字ごとに分割して読み、
何を意味するか不明と発表、報道機関も発表と同じ表現をした。
テレビ朝日の特別報道番組でジャーナリストの黒田清が
「サカキバラセイトという人名ではないか」と発言。
これ以降、マスコミや世間でも「さかきばら・せいと=人名」という解釈が広がった。
犯人が未成年で本名が公開されなかったことから、事件解決後の今でも、
この事件の犯人を「酒鬼薔薇」または「酒鬼薔薇聖斗」と呼ぶ人もいる。

5月28日以降

6月4日、神戸新聞社宛てに赤インクで書かれた第二の声明文が届く。
内容はこれまでの報道において「さかきばら」を「おにばら」と誤って読んだ事に強く抗議し、
再び間違えた場合は報復する、としたものだった。
「鬼薔薇」と聞いたのは、5月27日に児童相談所でニュースを見ていた時である。
また自身を「透明なボク」と表現、自分の存在を世間にアピールする為に殺人を犯した、
と記載している。この二通目の声明文には校門前で発見された男児に添えられていた
犯行声明文と同じ文書が同封されていた。
最初の犯行声明文は一部文面を修正した形で報道されていたが、
神戸新聞社に届いた声明文に同封されていた犯行声明文の一通目には、
修正前と同じ文章で同封されていた。
具体的には、遺体と共に発見された文面の5行目は
「人の死が見たくて見たくてしょうがない」だが、
「人の死が見たくてしょうがない」と変更して報道された。
神戸新聞社に届いた文面には、事件に関わった人物しか知ることができない
「人の死が見たくて見たくてしょうがない」と書かれていたため、
この声明文はいたずらではなく犯人によるものだと確定された。
いわゆる秘密の暴露である。
声明文を書くにあたって、少年は次のような犯人像をイメージして書いたという。

高校時代に野球部に所属したことがある三十歳代の男。父親はおらず、
母親からは厳しいスパルタ教育を受けながら、学校では相手にされず孤立している。
学校関係の職場で働いていたが解雇され、今は病身の母親と二人暮らし。
学校時代にいじめにあったので、自分を「透明な存在」と思うようになり、
そんな自分を作り出した義務教育を怨んでいる。
被害妄想と自己顕示欲が人一倍強く、社会を憎み、密かに復讐を考えている。

しかし、少年は「はっきり言って、調子づいてしまった」と供述しており、
「新たに手紙を書けば、僕の筆跡が警察に分かってしまうと思ったが、僕自身、
警察の筆跡鑑定を甘く見ていた。『あれで捕まるんやないか、失敗したなぁ』と思ったが、
どうしようもなかった」と逮捕後供述している。
捜査関係者によると「もともと、数多く著作からの寄せ集めだから、
原本は簡単に割り出せなかったが、Aが浮上して彼の作文などを調べたら、
すぐに同一人物の筆致だと分かったよ。
特に『懲役13年』という作文は大いに参考になった」という。
また、用紙の余白に「9」という数字を書いたことについて少年は
「僕が1番好きな数字が9であり、切のいい数字が10だと思っているので、
その一つ前がいいからだ」と供述しているが、
少年が浮上した段階で間接証拠の一つとして使われていたという。
なお、少年の作文と二つの犯行声明文の筆跡鑑定を行ったが、
鑑定結果は「類似した筆跡が比較的多く含まれているが、
同一人の筆跡か否か判断することは困難である」というものであり、
そのために少年の逮捕状を請求出来なかったという。

神戸新聞社へ
この前ボクが出ている時にたまたま、テレビがついており、それを見ていたところ、
報道人がボクの名を読み違えて「鬼薔薇」(オニバラ)と言っているのを聞いた
人の名を読み違えるなどこの上なく愚弄な行為である。表の紙に書いた文字は、
暗号でも、謎かけでも当て字でもない。嘘偽りないボクの本名である。
ボクが存在した瞬間からその名がついており、やりたいこともちゃんと決まっていた。
しかし悲しいことにぼくには国籍がない。
今までに自分の名で人から呼ばれたこともない。
もしボクが生まれた時からボクのままであれば、
わざわざ切断した頭部を中学校の正門に放置するなどという行動は
とらないであろう やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむ事も
できたのである。ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、
そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、
せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。
それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、
義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない
だが単に復讐するだけなら、今まで背負っていた重荷を下ろすだけで、
何も得ることができない
そこでぼくは、世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人に
相談してみたのである。すると彼は、
「みじめでなく価値ある復讐をしたいのであれば、
君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて
復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えていけばいいのですよ、
そうすれば得るものも失うものもなく、
それ以上でもなければそれ以下でもない君だけの新しい世界を
作っていけると思いますよ。」
その言葉につき動かされるようにしてボクは今回の殺人ゲームを開始した。
しかし今となっても何故ボクが殺しが好きなのかは分からない。
持って生まれた自然の性さがとしか言いようがないのである。
殺しをしている時だけは日頃の憎悪から解放され、安らぎを得る事ができる。
人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである。
最後に一言
この紙に書いた文でおおよそ理解して頂けたとは思うが、
ボクは自分自身の存在に対して人並み以上の執着心を持っている。
よって自分の名が読み違えられたり、
自分の存在が汚される事には我慢ならないのである。
今現在の警察の動きをうかがうと、どう見ても内心では面倒臭がっているのに、
わざとらしくそれを誤魔化しているようにしか思えないのである。
ボクの存在をもみ消そうとしているのではないのかね
ボクはこのゲームに命をかけている。
捕まればおそらく吊るされるであろう。
だから警察も命をかけろとまでは言わないが、
もっと怒りと執念を持ってぼくを追跡したまえ。
今後一度でもボクの名を読み違えたり、またしらけさせるような事があれば
一週間に三つの野菜を壊します。
ボクが子供しか殺せない幼稚な犯罪者と思ったら大間違いである。
———— ボクには一人の人間を二度殺す能力が備わっている ————


6月28日、現場近くに住む少年に朝から任意同行を求め、
事情を聞いていたところで犯行を自供。少年は当初犯行を否認していたが、
取調官が第一の犯行声明文のカラーコピーを取り出して、
「これが君の書いたものであるということは、はっきりしている。
筆跡が一致したんや」と突きつけると、声を上げて泣き出し、
自供を始めた(前述のように実際には少年の筆跡が一致したという証拠はなかった)。
午後7時5分、殺人及び死体遺棄の容疑で少年を逮捕。
同時に、通り魔事件に関しても犯行を認めた。

事件の舞台となった須磨ニュータウンは神戸市中心部から六甲山脈を隔てた
北西部に位置し、もともと山地と農村地帯が広がる丘陵地であったが、
1964年(昭和39年)から開発が始まり、ニュータウンとして早い地区で
1970年から入居が始まった地域である。
その後1969年(昭和44年)の西神戸有料道路(現市道夢野白川線)開通、
1984年(昭和59年)の山麓バイパス開通、1977年(昭和52年)の
神戸市営地下鉄西神・山手線開通によって神戸市中心部とのアクセスが
飛躍的に向上し、ベッドタウンとしてこのニュータウンは急拡大していった。
そのうち第三の事件は南部にある北須磨団地内で起こった。

殺害・遺体損壊現場として何度もその名が登場する「タンク山」は通称であり、
地名としての山名は竜の山(たつのやま)である。
タンク山の通称はこの山の東側中腹に巨大な給水タンクを備えた
神戸市水道局北須磨特1高層配水池があることによるもので、
竜の山自体が小高い丘のような山であるため周辺からは
非常に目立つ存在であった。

1.男児連れ去り現場:多井畑小学校北側路上
- 神戸市須磨区友が丘三丁目106番地先
2.殺害現場:タンク山山上 ケーブルテレビ受信施設 出入口前(敷地外)
- 神戸市須磨区友が丘九丁目22番地座標: 北緯34度40分13.2秒 東経135度5分37.5秒
3.切断器具窃盗現場:コープリビングセンター北須磨店
- 神戸市須磨区多井畑字渋人谷上1番地1
4.遺体切断現場:タンク山山上 ケーブルテレビ受信施設 局舎西側(敷地内)
- 神戸市須磨区友が丘九丁目22番地
5.切断器具処分現場:向畑ノ池
- 神戸市須磨区友が丘四丁目19番地
6.一時的な頭部遺棄現場:入角の池 畔の山林
- 神戸市須磨区多井畑字入角20番地
7.最終的な頭部遺棄現場:神戸市立友が丘中学校 正門
- 神戸市須磨区友が丘七丁目283番地1

少年逮捕以降の動き
6月28日 - 少年逮捕。
6月29日 - 兵庫県警察捜査本部は、少年を男児殺害・死体遺棄容疑で
神戸地検に送検。10日間の拘置が認められる。
6月30日 - 頭部を一時、自宅に持ち帰ったなどの供述が報道される。
7月1日 - 頭部切断は儀式とする供述が報道される。
7月2日 - 逮捕少年の顔写真が掲載された写真週刊誌『FOCUS』が発売される。
犯行の経緯について「カメを見せる」と誘ったなど供述が報道される。
7月6日 - 兵庫県警察が向畑ノ池の捜索を開始。
7月8日 - 拘置期限が切れたこの朝、地検は拘置延長を請求。
神戸地裁は10日間の拘置延長を認める。池から金槌が発見される。
7月9日 - 別の金槌2本と細刃のナイフが向畑ノ池で発見される。
3月の通り魔事件と2月の殴打事件に使われた凶器と特定。
7月11日 - 少年をバスに乗せ、タンク山とその周辺を実況見分。
7月15日 - 2月と3月の通り魔事件で少年を再逮捕。
7月16日 - 午前に捜査本部は通り魔事件で少年を送検、
10日間の拘置請求が地検で認められる。
7月19日 - 少年宅から押収された犯行メモの内容が報道される。
7月21日 - 警察官2名が、少年の二人の弟に対し、
少年が再逮捕された通り魔事件について、少年の学校での行動、
言動などを聞く。特に少年の母方の祖母の死の前後の様子を執拗に尋ねる。
7月24日 - 警察官が少年の両親に対して、被害者側に対し電話なり、
詫びをすることを促す。この際、警察官は「誤認逮捕はありえない。
もし、誤認逮捕であれば、兵庫県警は今後存続しないでしょう」と話す。
切断された男児の首を校門の塀の上に置けなかったことに関し
「作品を完成できずに悔しい」と供述した旨の報道がされる。
午後、少年を伴い通り魔事件の実況見分。
7月25日 - 神戸地検が、男児殺害、通り魔事件で神戸家裁に一括送致。
午後には少年は神戸家裁から神戸少年鑑別所に移送。
午後、須磨署捜査本部が解散。
8月1日 - 神戸家裁により少年の審判開始が決定される。


精神鑑定結果と犯行の動機


成人の刑事裁判と異なり、少年審判は非公開であり、審判の内容は公開されず、
審判の結果も公開されないか報道されない事例が大部分であり、
多くの人々に注目された事件の審判の結果
(初等少年院、中等少年院、医療少年院への送致など)が公開され報道される
程度であるが、この事件は人々からの注目度が著しく高かったので、
家庭裁判所は例外的に精神鑑定の結果を公開した。

精神鑑定結果として下記に示す少年の特徴が解明された。

脳のX線検査、脳波検査、CTやMRIによる脳の断層検査、染色体の検査、
ホルモン検査に異常は無い。
非行時・鑑定時とも精神疾患ではなく、意識は清明であり、
年齢相応の知的能力がある。
非行時・鑑定時とも離人症状と解離傾性(意識と行為が一致しない状態)
があるが、犯行時も鑑定時も解離性同一性障害ではなく、
解離された人格による犯行ではない。
未分化な性衝動と攻撃性の結合により、持続的で強固なサディズムが
この事件の重要な原因である。
直観像素質(瞬間的に見た映像をいつまでも明瞭に記憶できる)者であり、
その素質はこの事件の原因の一つである。
自己の価値を肯定する感情が低く、他者に対する共感能力が乏しく、
その合理化・知性化としての虚無観や独善的な考え方が
この事件の原因の一つである。
この事件は長期的に継続された多様で漸増的に重症化する非行の
最終的到達点である。

少年は小学校5年の時から動物に対する殺害を始め、
最初はなめくじやかえるが対象だったが、その後は猫が対象になった。
少年自身が友人に、全部で20匹ぐらいの猫を殺したと語っている。
標準的な人は性的な発育が始まる以前の段階で、
性欲や性的関心と暴力的衝動は分離されるが、
少年は性的な発育が始まった時点で性欲や性的関心と暴力的衝動が
分離されず(鑑定医はその状態を未分化な性衝動と攻撃性の結合と表現した)、
動物に対する暴力による殺害と遺体の損壊が性的興奮と結合していた。
性的な発育過程にある標準的な感覚の男子は、
自分の周囲の同年代の女子や少し年上の女性を、
性欲を発散する対象として想像しながらオナニーをして
(または生身の女性と現実の性交をして)性欲を発散し、
性的な経験を積み重ねながら肉体的・精神的な成長をして行くのだが、
少年は動物を殺害して遺体を損壊することに性的な興奮を感じるようになり、
猫を殺して遺体を損壊する時に性的な興奮や快楽を感じて
性器が勃起し射精した。少年はその性的な興奮や快楽の感覚や要求が、
人を殺害して遺体を損壊することによって、
猫の殺害と遺体損壊よりも大きな性的な興奮や快楽を得たいとの欲求へと
エスカレートし、それが自分の運命と思い込むようになり、
この事件を行ったのであり、殺人の動機の類型としては快楽殺人である。

少年は鑑定医から被害者を殺害したことについて問われると、
自分以外は人間ではなく野菜と同じだから切断や破砕をしてもいい、
誰も悲しまないと思うと供述した。被害者の遺族の悲しみについて問われると、
あの時あの場所を通りかかった被害者が悪い、運が悪かったのだと供述した。
女性に対する関心はあるかと問われて、全く無いと答えた。

精神鑑定結果は、少年に完全な責任能力はあるが、
成人の反社会性パーソナリティ障害に相当する行為障害
(18歳未満の場合は人格形成途上なので行為障害と表現する)があり、
鑑定医の意見としては、行為障害の原因を除去して、
少年の性格を矯正し、Aが更生するためには、
長期間の医療的処置が必要(医療少年院への送致が最も適切な処遇)
との提案がされた。


その後の少年の処遇


神戸家庭裁判所1997年(平成9年)10月13日 - 神戸家庭裁判所は
少年を医療少年院送致が相当と判断、関東医療少年院に移される。
1999年(平成11年) - 第二の事件で死亡した女児の遺族と少年側で
約8,000万円の慰謝料を支払うことで示談成立。
2001年(平成13年)11月27日 - 治療が順調であるとの判断から、
東北中等少年院に移る。
2002年(平成14年)7月 - 神戸家庭裁判所は、治療は順調としながらも、
なお綿密な教育が必要として、収容継続を決定。
2004年(平成16年)3月10日 - 成人した少年は少年院を仮退院。
この情報は法務省を通じ、被害者の家族に連絡された。
2005年(平成17年)1月1日 - 少年の本退院が認可される。
2005年(平成17年)5月24日 - 被害者少年の八周忌。
少年が弁護士を通じて、遺族に献花を申し出ていた事が明らかになる。
遺族は申し出を断った。
2007年(平成19年)3月 - 第二の事件で死亡した女児へ、
医療少年院退院後、初めて謝罪の手紙が届けられた。
しかし遺族は「必死に生きようとする姿が見えてこない」
と賠償についても疑問を投げかけた。現在遺族への慰謝料は、
少年の両親が出版した本の印税の他、
1ヶ月に少年から4,000円と両親から8,000円支払われていると報道された。


少年の更生


法務省は従来の矯正教育計画を見直し、
収容期間を2年以上に延長した新課程「G3」を新設し、関東医療少年院は、
精神科医や法務省教官など専門家で作るプロジェクトチームを編成した。

精神鑑定で家庭における親密体験の乏しさを指摘されたのに対し、
関東医療少年院は男性の主治医を父親役、
女性の副主治医を母親役に配するなど「疑似家族」を作り上げるという
前例のない治療体制が組まれた。更生は一定の効果を見せたように思えたが、
少年が入院して1年ほど経った頃、少年院の工作の実科(授業)で、
新聞広告のチラシを切り抜いて画用紙に貼り付け、
コラージュを制作した時に、少年は乳児の写真を目や耳、
手足など部位別に一つ一つハサミで細かく切り刻んで、
それを画用紙にわざとバラバラに貼った作品を作って、
「精神と肉体の融合」の題を付けて発表した。
また、少年が「理想の母親のような」人と慕う女性精神科医について、
院生の一人が「色っぽい白ブタ」と発言し、その途端、
少年は物凄い形相で激昂して、近くにあったボールペンを逆手に持って、
院生の目を突き刺そうとした。
少年院関係者は「この言葉によって、少年の殺意の引き金がひかれてしまい、
それまでやっと積んできた矯正教育の成果がパーになってしまったわけだ」
と語っている。
また、少年自身が少年院仲間に「いくら遺族の手記を読んでも、薬を飲んでも、
治らないんだよ。僕は性格が異常なんだから……」
「闘争と破壊こそ真の世界の姿だが、少年院ではいい子にしていなければ
出られないから気をつけなくちゃ……」と発言している。

2001年11月、東北中等少年院に移送された後に、院生からいじめを受け、
さらに院生の一人がたまたま教官の持っていた書類を盗み見たところ、
少年が偽名であることが発覚。
「お前、まさかあの酒鬼薔薇なのか」と問いかけると、
少年がニヤッと笑って頷いたという噂がひろまり、
少年の正体が一部の収容者にばれたという。その後、いじめが過激になり、
2002年初夏に突然、半裸状態で意味不明の奇声を発し、
職業訓練で使うカッターナイフを振り回し、周りを威嚇し始めたという。
教官らが駆けつけ、ほかの院生を連れ出し、
少年を取り囲んで説得を始めたが、
カッターナイフで自分の性器を切り付けたという。
少年は直ちに個室に軟禁されて、事情聴取を受けたが、
なかなか興奮が冷めず危険なうえ、動揺が激しく、
何を言っているのか分からなかったため、最終的に「奇行」と断定された。

この騒動の後、神戸家裁が
「少年の犯罪的傾向はまだ矯正されているとは言えない」と判断を下し、
2004年末まで少年院収容継続を決定した。しかし、関東医療少年院は
2003年3月に少年の仮退院を申請している。
被害者からは「神戸家裁の判断から半年余という短い期間で突然、
少年が変身したとでも言うのか」という批判や疑問の声が上がった。


少年の現在


一橋文哉が、2004年秋に法務省幹部に取材を行ったところ、
「ある団地の一室で法務省関係者と同居し、一緒に炊事や買い物を行うなど
社会勉強中です。少年院で取得した溶接の資格を生かし、
仮退院の数日後から毎朝8時、篤志家の一人が経営する工場に歩いて出勤し、
仕事ぶりは極めて真面目。夕方5時に退社後は、
保護司宅で面談を受ける日々です。ほかに毎週1回、
精神科医のカウンセリングを受け、10日に1回程度は、
母親とも会っているようです」と語っている。
また、法曹関係者は「別の身元引受人と養子縁組して名前を変えたほか、
出生地や学歴など偽のプロフィールを用意し、
同僚や付近住民も正体を分かっていません。年齢も22歳になり、
少年院で毎日、5階までの階段ダッシュを15往復、
腕立てと腹筋を各100回こなし、身長170センチ、体重70キロと
心身ともに逞しくなった。事件当時の写真を見た人でもまず、
今の彼は分からないでしょう」「犯罪者予防更生法で1週間以上の旅行は
許可が必要など、ある程度の制約は受けていますが、酒は飲めるし、
好きなテレビゲームに嵌まるなど基本的に自由な生活を送っています。
しかも04年末までの保護観察期間が過ぎれば、
同居者も姿を消し完全フリーになるんです」と語っている。

少年の居住地や勤務先について、法務省は「彼の更生には世間の温かい理解と
協力が重要だ。公表は支障をきたす」とノーコメントを通し、
マスコミや市民団体に、意図的に偽情報を流しているフシがあるという。
全国各地で「酒鬼薔薇が東京都内の保護司宅で新しい生活を始めた」
「埼玉県に住む身元保証人と養子縁組し、全くの別人に生まれ変わった」
などの情報が乱れ飛んだ。
少年が住んでいた神戸市でも、地元住民が「少年が家族とともに
舞い戻るのではないか」と疑心暗鬼に陥っているという。

一橋の取材によると、少年の更生プログラムの病理診断の欄に
「現時点にあっても、少年の病理は『寛解』段階に過ぎない」とあり、
「現時点」は「退院しても問題ない」とされる「総括期」を指しており、
少年の性的サディズムは治癒しておらず、退院直前でも再発する可能性が
十分あることを、法務省が認めていたことになっている。また、
前述のように退院間近の少年が少年院で問題を起こして、
誰もが「性障害が完治していなかった」と医療少年院に戻されると思っていたが、
「何しろ、この段階で少年を送り帰そうものなら、仮退院はパー、
国家の威信をかけた更生プログラムを組んだ法務省の面子は丸潰れになる。
そこで院内には厳重な箝口令が敷かれ、何と少年の奇行はウヤムヤになり、
社会復帰のための最終的な研修は予定通り終了したことになってしまった。
上層部は保身に走り、現場の少年院も『やるべきことはすべてやった。
こうなれば一刻も早く、少年を手放したい』という腫れ物に触るような
弱腰姿勢が見え見えだった。もっとも更生したかどうかの決定的な証拠など、
何もないからね」と法務省幹部が語っており、一橋は「冗談ではない。
人間の一生や人々の安全というものは、
役人の面子や保身で決める話ではあるまい」と批判している。

2015年6月11日、少年は自身の犯行理由や医療少年院を出た後の
生い立ちなどを綴った「絶歌」というタイトルの手記を書き、
太田出版から刊行した。
被害者の少年の父親は「文字だけで反省の弁を綴ったものであり、
反省した態度から出たものではない。」と評して出版自体を批判しており、
手記出版はそれらの批判を押し切る形でなされたものであった。


少年に関するエピソード


少年が在籍していた友が丘中学校の当時の校長である岩田信義は、
少年には問題行動、正確にいえば、風変わりな行動が多かったと証言している。

他の生徒の靴を隠して燃やす、ラケットで何もしていない生徒の頭を叩く、
カッターナイフで他の生徒の自転車のタイヤを切るといった行為があったといわれ、
少年が在籍していた小学校からは「刃物を一杯突き刺した不気味な粘土細工を
制作していた」という報告を受けたという。

担任の話によると、少年の表情は総じて動きに乏しく、
注意しても教員の顔を直視することがなく、心が別のところにあり、
意識がずれ、言葉が届かない感じを受けたという。

しかし、これら少年の行動は思春期前期の子供にままみられるパターンであり、
非行と奇行のはざまにある行動だと岩田は指摘している。

中学校では入学早々から繰り返される少年の問題行動に手を焼いていた。
少年の保護者も精神科医に診察を受けさせていたが、
精神科医は学校の中で指導する方がいいという判断を下し、
児童相談所には通所させなかった。それを受けて、
学校は重点的に少年を指導し、事実、1年生の2学期になると
問題行動は減ったという。

それでも、教員の一部にはうちの学校で事件をやったとするならば
少年ではないかという認識が煙のように漂っていたという。
岩田はそういう話を聞くたびに「軽々しく口にすべきではない」と制止したが、
岩田も「ひょっとしたら」と思っていたという。

1996年(平成8年)5月11日、当時、中学2年生の少年は母の日のプレゼントに
母の花嫁姿の絵を描いて渡す。
前日に「母さん、何がほしい?」と聞く少年Aに、母は「気持ちさえこもっていたら、
別に何でもええよ。無理せんで」と答える。すると、
少年は両親の結婚式の写真を押入れから出すと、「母さん、この女の人、誰や?」
と問うので、「母さんなんやけど」と答えると「へー」といって、
少年はその写真を見た後、マンガ用の画用紙の裏に一気にその絵を描き上げ、
母に手渡すと、スーッと2階へ上がっていった。
少年が母にプレゼントをしたのはこれが初めてであった。

少年は、第3の事件の犯行の9日前の5月15日から、友が丘中学校には登校せず、
母親とともに神戸の児童相談所に通い始めていた。
これは、5月13日に同級生を公園に呼び出し、自分の拳に時計を巻き付けて殴り、
歯を折るなどの怪我を負わせたため、5月14日に学校から父親が呼び出しを受け、
その後、両親が相談の上、学校を休ませ、児童相談所を紹介してもらったためである。
暴行の原因は「竜が台の通り魔事件の犯人にまちがいない」
と被害者の同級生がいいふらしていたためと少年の仲間は答えているが、
少年は「犯行ノート」に「アングリ(聖なる儀式)」を遂行する第一弾として
学校を休むことにした」と書いていた。

加害者である少年の父親はその後文藝春秋より『「少年A」この子を生んで…』
を刊行している。事件後、父親は親戚の元へ身を寄せ、
また離婚して苗字を改名した。他にも弟二人がいたが、追及を避けるため、
別の土地で暮らす手段が採られた。

ある時、被害者への謝罪に関し、警察官は少年の父に対しこう質問した。
「お父さん、2月10日、3月16日の被害者の名前はご存知ですか?」
−これに対し、少年の父は答えられなかった。警察官は、父親に、
加害者家族の苦痛を斟酌した上で、それ以上に被害者の家族が苦しみながら
生きていることを諭した。


マスコミ報道の様子


被害少年の首が学校の校門に晒されるという猟奇的な事件であった点から、
マスコミはこの事件の報道を連日行った。
この事件は海外においても報道の対象になっている。


犯人像


読売新聞大阪本社版の朝刊では「劇画やアニメの影響を受けた無口な犯人」
と報道した。言語学者からは、挑戦状に出てくる難しい熟語は劇画では頻繁に登場し、
長文ながら口語調がほとんどない点について、
犯人が日頃会話が少ないことの表れと分析している。

朝日新聞には多数の意見が寄せられ、「高い教育程度」「孤独な30代」
「複数の可能性」などの犯人像が報じられた。

犯行声明文の文章の組み立ても論理的なことから高い教育を受けている。
—弁護士

年齢は30歳代と思う。10代や20代の若者では、声明文にあった「銜える」などの
漢字を使おうという発想を持たないだろうし、
逆にあえてこの漢字を使ったところに若さが抜けない30代ならではの背伸びを感じる。
—作家

単独犯人説が強いが、私はあえて知的レベルの高い複数犯と考える。
—作家

南京錠
5月30日付の朝日新聞大阪本社版の朝刊で「金物店に同型の南京錠求める
不審な男性」が浮上と報道した。男性は30代半ばで身長165センチ、
ベージュの作業着に紺色のズボンと報道。

読売新聞でも、アンテナ基地の南京錠と同じメーカーの錠を求めて5月初め、
垂水区内の金物店を訪れた男は30-40歳と報道。

しかし、6月23日付の産経新聞で、捜査本部が南京錠を購入するための
金物店を訪れた二人の男性は無関係と報道した。
したがって、「南京錠を探していた男」の線は無くなった。

スクーター

6月2日付の朝日新聞で「不審なスクーター目撃、『タンク山』へ向かう」
という見出しが掲載された。記事によると、タンク山の入り口付近で
遺体が発見された前日の5月26日夕方、スクーターで山に向かう不審な
男性が目撃されているという。運転していた男性は40代で身長170センチ、
眼鏡はかけておらず、白色のジャンバー姿だったという。
しかし、スクーターの男性が名乗り出たため、事件とは無関係と判明した。

ところが、6月7日付の毎日新聞で、再びスクーターの男が浮上。
頭部が遺棄された時間帯に目撃された不審なスクーターがあるという
情報が寄せられた。当日は晴れていたにもかかわらず、
紺色の雨合羽上下を着用し、つばのある黒いヘルメットをかぶっていた。
この男が、前かごから黒いポリ袋を落として走り去ったという。
その後の報道で、この男は黒いポリ袋をさげて歩いていた男と
同一人物ではないかとされた。

一旦は車説が浮上したためスクーター説がなくなったが、再浮上。
6月23日付の朝日新聞で、「二輪車タイヤ痕採取」と報道。
頭部が置かれる直前の5月27日早朝、正門付近を猛スピードで走る
スクーターが目撃されているころが判明。
黒のブルーバードに加えてスクーターについても事件に関連している
疑いがあるとみて特定を急いでいる、と報道された。
しかし、この後にスクーターに関する新たな目撃談は取り上げられなかった。



犯行に使用された車として多くの目撃情報が寄せられたのが
「黒のセダン」と「白い車」であった。不審車の目撃情報を追ったのは、
被害者と犯人が路上で一緒にいるところを見たものがいないこと、
被害者がいつも愛用している自転車を使わなかったこと、
などがら犯人が車を使って拉致したと考えたからである。

まず、浮かび上がったのは「黒のセダン」で、新聞各社が、
被害者の頭部が遺棄された5月27日午前5時過ぎ、
友が丘中学校正門前で不審な旧式の黒い乗用車が目撃されている、
と報じられた。
さらに、被害者が行方不明になった5月24日の昼過ぎにも、
自宅マンション近くに黒っぽい不審な乗用車が停止しているのを
近くの住民が目撃していた。

また、胴体部が発見された「タンク山」でものふもと付近の市道でも、
事件前の5月22、23日の夜間に二日続けて黒い乗用車が
停止しているのを近くの主婦が目撃したと報道。
この「黒のセダン」が犯行に使われた可能性が高いとして
一気にクローズアップされた。
タンク山のふもと付近では、不審な中高年の目撃証言もあり、
毎日新聞によれば、男は35-40歳、身長160-170センチで短髪の
がっちり形で、目がぱっちりしているのが特徴だという。

そして、6月12日付の朝日新聞大阪本社版で、
被害者の自宅周辺などで相次いで目撃された不審な黒い乗用車について、
捜査本部は、角張った車体の特徴などから、
車種を日産の旧型ブルーバードと特定した、と報道した。

その一方で、注目されたのが「白い車」だった。
頭部が発見された5月27日早朝、友が丘中学校付近で白いワゴン車が
目撃されているという。6月9日付の産経新聞では、最も重要視しているのは
白っぽい車を使った身長170センチ前後、20-40歳の男と報道。
「黒のセダン」と「白のワゴン」の2台の不審車両の割り出しが
犯人逮捕につながると各社は取材につとめた。

黒い袋の男

マスコミは逮捕直前まで、「黒い袋の男」を追いかけていた。
5月28日付の産経新聞夕刊で、30歳くらいの不審者が頭部が発見された
中学校正門前で目撃されたという情報が報じられた。
目撃された男は30歳代くらいで身長170-180センチで白っぽい上着を着用。
普段歩かない車道を歩いていたため不審に思ったという。

5月31日付の読売新聞朝刊では、中学通用口にゴミ袋を持ってかがみ込んでいる
不審な30歳代の男について報道。

6月3日付の朝日新聞夕刊で「中学校校門近くに黒い袋持つ男」
の目撃証言を掲載。男は40歳前後、身長170センチぐらい。
続けて6月9日付の朝刊に「黒い袋の男、3度目撃」と報じた。
目撃された日はゴミ収集日ではないこと、
男の行動は極めて不自然として捜査本部も強い関心を寄せているとし、
犯人である可能性が高いことを匂わせたという。

6月24日付の朝日新聞で、「『黒い袋の男』最重要視」と報道。

犯人像として浮かび上がったのは「30-40歳、身長170センチ前後」
と各社ともだいたい同じだったが、最も具体的なのは読売新聞だった。
6月13日付朝刊で、「目撃証言のゴミ袋男はスポーツ刈り
後ろ姿の絵作成へ」とゴミ袋の男がスポーツ刈りだったと報じられた。
新聞によれば、捜査本部は数回に及ぶ事情聴取の結果、
スポーツ刈りで、がっちりした体格の男との証言を得たという。
2日後には、行方不明になる前後にタンク山にいた不審な男の
目撃証言も取り上げた。
この男の特徴も角刈り風の短髪、がっちりした体つきで目付きが鋭く、
ゴミ袋の男と酷似している、と報じている。

産経新聞でも、ゴミ袋の男は身長170センチ前後の筋肉質で
横わけできないほどの短髪であると報道。
さらに、新たな目撃証言では、がっしりした体格でホームベース形の
角張った顔、短髪という具体的な犯人像が浮かび上がった。
「ホームベース形の角張った顔」「横わけできないほどの短髪」
という目撃情報が加わることにより、犯人像がどんどんひとり歩きした。

6月24日付読売新聞では、兵庫県警察捜査本部は犯人像を
「二十代から四十代前半までの身長一メートル七〇前後、
スポーツ刈りの男」との見方を強め、
不審者を約40人に絞りこんだ模様、と報じている。

テレビ、週刊誌も新聞同様に「黒のブルーバード」「白いワゴン」
「30-40歳の短髪男性」などをキーワードに犯人像の特定に励んだという。

6月中旬、あるスポーツ紙が「本誌が全身像を作成」と
独自に犯人のイラストを掲載。
「不審な30-40歳の男」は自社取材で肉付きがよく引き締まった顔、
きつい目、首と腕が太い、などの特徴があることがわかったとし、
それらのデータを元に全身像を作成した、という。
夕刊紙にも、スポーツ紙と似た「(本紙が)目撃情報をもとに
独自に作製した『酒鬼薔薇聖斗』の似顔絵」をカラーで掲載。

さらに、民放のワイドショー番組でも似顔絵を数種類作製し、
不審人物を目撃したという市民に見せて回るという犯人捜しが行われた。

右利きと左利き

5月29日付の産経新聞では「犯人は左利きか」という記事を掲載。
3月の連続通り魔事件では、重傷を負った女児のけがの特徴から
犯人が左利きである可能性も指摘されているとし、犯人が残した挑戦状は、
この特徴を隠すために定規を使ったのではないかと推測している。

その一方で、6月17日付の朝日新聞大阪本社版では「犯人は右利きか
遺体の舌の骨折れず」と報じた。
両手で首を絞めた場合、強い力が加わり舌骨が折れることが多いが、
被害者の首には右手の指の跡しか残っておらず、捜査本部は、
犯人の利き腕が右手であると見ている、と報じた。

なお、少年は右利きである。

その他

中国語

台北発として産経新聞は「挑戦状の一部が中国語と符合」と報じた。
記事によれば、犯人が被害者に残した挑戦状に中国語と類似する表現が
含まれていることが、犯罪問題に詳しい台湾筋などで指摘されているという。
被害者の口に残されたメモには「酒鬼薔薇聖斗」など、
日常の日本語とはかけはなれた感じの表記が多く見られるという。
台湾筋の指摘によると、「酒鬼」は「大酒飲み」を意味する標準中国語(北京語)
の口語表現、「学校殺死」として登場する「殺死」も、「殺害する」という意味の
動詞であり、中日大辞典は「殺死」の項目で
「首を切り落として殺すことをいうことが多い」と説明している。
しかし、挑戦状の新しい解釈として興味をひかれたものの、
犯人との結びつきについては言及していない。


アメリカでの報道


事件当初、アメリカでは大した規模での報道は行われていなかった。
しかし、犯人が14歳の中学生と分かった翌日の6月29日に各紙で取り上げられた。
日本社会に大きな影響を与えた事件として、事件の全容を概括している。

1ヵ月前に発生した猟奇的殺害事件は、
比較的凶悪犯罪の少ない日本全体を震撼させる大事件であり、
橋本総理も解決に全力を傾けるよう、警察当局に指示を与えていた。
犯人は警察や新聞に「殺人が楽しくてたまらない」など挑戦状を送り付け、
次の犯行予告まで行い、犯罪心理学者らはその犯人像を20-40歳と推測していた。
警察当局は500人の警官を投入して遂に被疑者逮捕にこぎ着けたが、
発表によると被疑者は同地区に居住する14歳の中学生ということであった。
この地域は最近、猫が殺されるなど残虐行為の痕跡があり、
これをつめることが逮捕に至ったようだ。

容疑者逮捕は一応、人々の心を落ち着かせたようだが、
容疑者が14歳であるという事実が再度、国中に衝撃を与えているようだ。
社会の風潮、インターネットなど、今度はかかる若年者を殺人者に仕立てていく
日本の内部構造の解明が新たな要望として浮上してくる。

— ワシントン・ポスト

日本をゆるがした小学生殺人・遺棄事件で、
日本社会全体をはじめ警察をも犯人を凶悪な大人と想定して調査を続けてきたが、
28日、この事件は14歳の中学三年生が容疑者として連行され、事情聴取の末、
自白に追い込むという結末を迎えた。
日本では19歳以下を少年法対象として保護するが、
本件犯人も少年で刑事被告の対象とならない。
最終的には20歳までの保護処分といったことになろう。
日本はこの事件のショックに動揺し、改めて家庭、社会、教育に関する
議論が活発となる。10代の倫理道徳に関する議論も盛んとなっている。
だが、日本の犯罪は統計的に見れば欧米のそれよりも遥かに低い。

— ニューヨーク・タイムズ

日本中を騒がせた猟奇殺人事件で14歳の中学生が容疑者として逮捕された。
少年は被害者の知己であり、地域社会の普通の中学生である。
この犯人は書状を新聞社などに送り付け、捜査を混乱させるとともに、
世間には変質的な大人の犯行を思わせてきた。
近隣の住民は犯人逮捕に安堵したと同時に、それが地域内の少年であった事実に
ショックを隠せない。警察は当初から大人数の捜査官を投入していたが、
鳩や小動物を殺していた学生を犯人として追い込んだ手順に関しては
その説明を拒否している。

— ワシントン・タイムズ


少年の情報漏洩騒動


少年法61条に、「家庭裁判所の審判に付された少年犯の氏名、年齢、住所、
容貌などが明らかとなる記事や写真を、新聞および出版物に掲載してはならない」
と制定されている。だが「審判に付される前」を狙って、
新潮社が少年の顔写真を掲載した雑誌を出版した。

写真週刊誌『FOCUS(フォーカス)』(1997年7月9日号)に少年の顔写真と実名が
掲載されることが判明すると、直ちに大半の大手業者は販売を自粛決定したが、
新潮社は回収せず販売を強行、一部の書店で販売された(即刻完売)。
さらに翌日、『週刊新潮』が少年の顔写真を目隠し入りで掲載して販売。
翌日、法務省が『FOCUS』および『週刊新潮』に回収勧告するが、双方は拒否。
『FOCUS』発売直後、ウェブサイトで犯人の顔写真が数多く流布された。

また、審判終了後、『文藝春秋』(1998年3月号)に、
検事供述調書が掲載される事が判明。一部で販売自粛、
各地の公立図書館で閲覧停止措置となる。
後の法務省の調査で、供述調書は革マル派が神戸市の病院に侵入して
コピーしてフロッピーディスクに保存していたことが判明し、
塩田明男が逮捕された(神戸事件をめぐる革マル派事件)。
立花隆は、これを雑誌に掲載するか否かについて当時の編集長平尾隆弘から
緊急に相談を受け、2時間で7枚に及ぶ調書を精読、
「どんなことがあっても掲載すべき」との判断を下す。
少年法61条に抵触するか否かについては、この法令が報道することを禁じているのは、
あくまで、本人のアイデンティティを推知できるような要素であって、
それ以上ではない-従って、この調書を載せること自体は
少年法61条に抵触することは全くないと判断。
掲載を推薦し「文藝春秋」(1998年3月特別号)に掲載された。
立花隆自身バッシングが起こることは確実と予想してのことであった。
立花は『FOCUS』に少年の顔写真と実名が掲載されたことについては、
別の理由から反対している。

その後も『FOCUS』には、少年の犯行記録ノートや神戸市教育委員会の
指導要録など、本来なら外部に流出するはずのない資料が次々と掲載された。

なお、ワイドショーで少年の家を映した際、表札が見えたという証言がある。


被害者側の人権


特に、この事件をきっかけにして、大きくクローズアップされだしたのが、
被害者側の人権問題であった。これまでも、この種の少年犯罪による事件では、
犯罪者側の人権は十分に保護されるにもかかわらず、
被害者側は個人のプライバシーまで暴き出され、
マスコミからもさまざまな迷惑や圧力を蒙ることが問題視されてきたが、
特に世間が大きく注目したこの事件がきっかけとなり、その後、
多少の変化の兆しが見られるようになった。また、被害者側の働きかけにより、
この事件の審判の過程においても異例の措置がとられるなど、
司法側にも幾分の配慮が見られた。


少年法の壁


いわゆる少年事件では加害者の住所氏名すら被害者に伝えられず、
審判は非公開でどんな事実認定がなされたかすら知るよしもない。それは、
わが子を失った親が、「子供はどれほど苦しんだのか。
何か言葉を残したのか。そして、目は閉じていたのか」(土師守『淳 それから』)
すら知りえるすべがないということである。
加害者が嘘をついたり、被害者に対し中傷したとしても、
被害者側は反論や否定すら出来ない上、処分が出てもその内容すら知りえない。
被害者側は完全に蚊帳の外に置かれる。
第三の事件の被害者の父とその弁護人である井関勇司が取り組んだのは、
まず「少年審判への関与と情報開示の要求」であった。
そのため、まず担当判事である井垣康弘に要求したのは
「加害者の法律記録および社会記録(鑑別結果、調査票など)を見せてほしい」
ということであった。これらは、
加害者側の弁護人には閲覧や謄写が認められているが、
被害者側の弁護人には認められていない。従って、この要求に対して
井垣判事は拒否した。
また、「遺族に審判廷で意見を述べさせてほしい」との要求も行ったが、
これも否認された。これに対して「それならば、少年は退廷させてからでいいから、
審判廷で意見を述べさせたい」との要求を行ったが、これも却下された。
しかし、その後の粘り強い井関弁護士の交渉が実を結び、
最終的には、公式の審判では無理だが、
判事室で判事が被害者遺族に会って話を聞くということになった。
これは、画期的な異例の事態であった。

この「異例の意見聴取」は、第4回審判が開かれたのと同じ10月13日、
約30分間にわたって行われた。17日には神戸家庭裁判所での最終審判で、
少年Aの医療少年院送致の保護処分が決定したが、家裁は「正確な報道のための
資料提供の観点から」という理由で「処分決定の要旨」をマスコミに公表した。
これはあくまでもマスコミに向けたものであって、
被害者へはあくまでもマスコミを通して知らされた。言うまでもなく、
それまでも事件に関する情報は、被害者側が知るルートはすべてマスコミであった。


マスコミによる暴力


上記のごとく、被害者側が知りえる事件の情報はすべてマスコミを通じたものであったが、
同時に被害者はマスコミから24時間監視され、
多大な苦痛を味わっている。特に猟奇的な犯行であった第三の事件では、
犯人が逮捕されるまでは、被害者宅に数多くのマスコミが張り付き、
周囲の道路は違法駐車の車で交通渋滞ができ、
被害者宅ではカーテンすら開けられない状況が続いた。
かつ、犯人は両親ではないかとの憶測すら乱れ飛んだ。
土師守はこれを「マスコミによる暴力」と表現した。
また、1998年(平成10年)2月10日には、文藝春秋社から、
犯人の供述調書(検事調書)7枚分が掲載され「少年Aの全貌」という見出しの
『文藝春秋』3月号が発売された。
事前に警察からこの情報を聞かされていた土師守は勤めている病院の売店で
買い求めるが、最初の解説の部分を少し読んだだけで、
その後の記事は読んでいない。奇しくもこの日は、被害男児の誕生日でもあった。
弁護士の井関勇司は「遺族の心情を考慮すると問題だ、
興味本位で読まれるのはつらい」と土師にかわってコメントを発表した。


民事訴訟


1998年(平成10年)8月26日、第三の事件の被害者の両親は、
少年およびその両親に対して総額1億4000万円の支払いを求める民事訴訟を起こす。
訴訟に先駆け、弁護人である井関勇司らによって、
少年の両親の資産状況が調査されたが、すんでいた家屋も借家で、
支払能力なし、との判断であり、また訴訟に対して犯人の両親は事実関係を
すべて認めるとの意思を示していたため、争点にならず、
開示も期待できない状況であったが、「裁判所という公式なものの中で、
きちんと犯人の両親の責任を認めてほしい」という2人の強い意志により、
訴訟は起こされた。途中、和解勧告が出されたものの、成立せず、
1999年(平成11年)3月11日に全額の支払いを命ずる判決が出た。
両親は、「現在の法律では、少年犯罪の場合、
その責任の所在と償いということがうやむやになっている場合が多いが、
その意味においても、この判決は意義のあるものだと思います」
とのコメントを出した。

このしばらく後に、少年の両親が手記を出版することになった
(『「少年A」この子を生んで…父と母悔恨の手記』 文藝春秋)。
被害者の両親の疑問に答えること、賠償金支払いの目的などがあったとされるが、
内容が少年Aを終始擁護する記述であったため、
被害者側は不快に感じ、出版の中止を望んだ。


世間の反応


14歳の中学生が起こした事件として、世間は大きく騒がれた。
以下の調査は神戸小学生殺人事件を考える会によるもの。

犯人が14歳の中学生

犯人が14歳の中学生であったことに関して、半数以上が「驚いた」という意見だった。
その次に多かったのが「信じられなかった」という意見である。
その一方で、少数ではあるが「やはり、と思った」という意見もあった。
しかし、その中でも「10代だとは思っていた。しかし14歳とは……」
という意見が多数だった。
逆に、「14歳だからかえってあんな事ができたのか」という人も少数ながらいた。
また、「恐ろしい」という意見もあった。
「14歳でこんなことをしてしまう酒鬼薔薇が怖い」
「こんなことが中学生にできてしまうという現実が恐ろしい」などがあったが、
何を恐ろしいとするかは人それぞれだった。

少年法

犯人が少年法に守られていることに関して、「許せない」「納得できない」
といった意見が7割を占めた。その一方で、「仕方ない」といった意見も多く、
「そうなっているなら仕方ない」「仮に少年法が改正されても、
酒鬼薔薇には適用されない。ここまで放置してきてしまったのだから、
もう遅い」「おかしいとは思うけど、法治国家とはこういうものでは?」
「酒鬼薔薇だけ特例にしたら、秩序がなくなる」
などの意見があった。
30歳以上の中には「14歳では責任能力がない。成年と同じ処罰を与えるのは無理」
と、「守られて当然」という意見もあった。
しかし、10代はほぼ全員「許せない」「納得できない」という意見だった。

フォーカス

犯人である少年の顔写真が掲載されたフォーカスを手に入れた人は
1割にも満たなかった。
しかし、コピーを含めると約4割が見たことがあるという。

顔写真を見た印象としては、「普通の子と変わらない」という意見が最も多かった。
次に多かった順に、「恐い」「陰湿な印象」といった意見だった。

フォーカスに顔写真を載せたことに関しては、6割以上が賛成といった意見だった。

有識者の反応

事件の特異性から、各分野の専門家がそれぞれの立場から事件に対する意見を表明した。
愛知教育大学の2006年の研究報告によると、
佐木隆三は「日本の凶悪犯罪史上において、犯行者の低年齢化という意味で、
エポックメーキングな出来事」、小田晋は「快楽殺人」という観点から生物学的問題を指摘、
町沢静夫は行為障害、性的サディズムとした精神鑑定を妥当としながら
注意欠陥・多動性障害を追加、福島章は行為障害、青年期発症型重症と診断のうえ
「喪と殺人」という視点を提起、宮台真司は少年が『寄生獣』を愛読していたことから
少年の犯罪は「自分の意思であると同時に神に捧げられており、
これは弱い人間がノイズに満ちた環境から身を守るための智慧といえるが、
年若い少年がこれほど強力な自己防衛ツールを発動したのは
母親とのコミュニケーションが原因ではないか」と推測し、
高山文彦も少年が造り上げた奇怪な想像世界の分析により、
母親による虐待を大きな原因とし、無理心中に近い行為と指摘、
村瀬学はイニシエーションという観点から、境界を意識した人間の行為と考察、
岩宮恵子もイニシエーションに関し、学校という異界での試練を挙げた。


事件の影響


この事件を教訓に、こども110番の家が設置されるようになった。
事件の残虐性に加え、逮捕されたのが14歳の少年であった点も、
社会に強い衝撃を与えた。結果、この事件を境に、少年事件やそれに関連する法整備、
少年事件における「マスコミの対応」などが大きく注目されるようになった。
さらにこの事件を皮切りに当時の内閣が少年法改正に動く事にまで影響が及んでいる。

また、テレビ番組が少年に与えた影響が取りざたされたため、
猟奇シーンの含まれる番組(『銀狼怪奇ファイル』、『エコエコアザラク』など)
の放送や新シリーズ制作が中止になったり、特撮番組においてヒーローが
切断技で怪獣の首をはねたり胴体を真っ二つに切断し倒す演出が
自粛されるようになった。

また当時、大人気であったミニ四駆の全国大会「ジャパンカップ」関西大会の地区予選が、
社会情勢を考慮するとの理由で中止になっている。


少年は冤罪か


逮捕された少年が犯行を認め、関連する犯罪についても述べているものの、
冤罪を指摘する声もある。 その多くは被害少年の首を切断した際の
警察の報告書に対する疑問点や、捜査の手法、判決を批判したものである。
また、物的証拠に不足、不自然な点があるとも指摘される。

多くの冤罪事件を手がけてきた弁護士の後藤昌次郎や、
『神戸事件を読む―酒鬼薔薇は本当に少年Aなのか?』(鹿砦社)の著者の熊谷英彦、
少年が在籍していた中学校の校長(当時)の岩田信義らが冤罪であると主張しており、
特に、熊谷の著作は冤罪主張派にとって重要視されている。
冤罪説の指摘のうち主なものを以下に記す。
第二の事件で殺害された女児の頭の傷は八角げんのうを左手に持って
殴りつけてできたと考えられ、右利きの少年がやったとは考えにくい
(「#右利きと左利き」も参照)。
第三の事件で殺害された男児の首は遺体を冷凍して切断した可能性が考えられる。
岩田は若いころ、来客に料理をふるまうためにニワトリを屠殺した経験があり、
ニワトリの首は簡単に切れなかったと述べている。
岩田は糸ノコギリで人間の首は切断できないのではないかと疑問を呈している。
筆跡鑑定の結果は声明文が少年によって書かれたものだと断定はできない
というものであった。
のちに、鑑定結果を弁護士から知らされた少年は「騙された、悔しい」
といって泣いたといわれている。
ただし、赤インクの太字と定規を使用したと見られる直線で描かれたもので、
筆跡をごまかしているため、鑑定の結果自体は冤罪の根拠とはならないという意見もある。
ただし、少年の中学での国語の成績は入学以来常に5段階評価の「2」で、
事件直前の授業の作文と比較して犯行声明のような高度な文法や複雑な
読みまわしの漢字を書く能力があったかどうかには疑問が残っている。
取り調べにおいて警察は声明文の筆跡鑑定が確定的であるかの様に説明し、
それを受けて少年は自白を始めた。これは違法行為であるため、
家裁審判においてこの自白調書は証拠として採用されなかったが、
少年の弁護士は非行事実について争おうとはしなかった。
少年の素行についての証言が逮捕直後から多数報道されていたが、
調査してみると多くは伝聞情報ばかりで直接の目撃証言が確認できない。
判決文による非行事実は荒唐無稽で実行不可能な部分が多い。
14歳少年に実行可能な犯罪とは到底考えられない。
犯行声明文は14歳少年が作成したものとは思えないほど高度である。
岩田は、この犯行声明文は全体的に難解な論理を特異な比喩を使いながら
展開しているにもかかわらず論旨は明快で、
成績の悪い少年Aに到底書けるとは思えなかったと述べている。

少年の母が2002年5月に少年と面会し、
「お母さん、あんたの口からハッキリと聞いておきたいことがある。○君を殺したの?
○君を殺したんは、本当にお前なんか? あの事件は冤罪ということはあり得へんの?」
と冤罪の可能性について尋ねた際、
彼は「あり得へん。間違いなくそうです。自分がやりました」と語っている。


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1997年6月28日のニュース映像

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1997年6月28日のニュース映像

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「少年A」の素顔(「フォーカス」1997年7月9日号)

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「フォーカス」1997年7月9日号『「14歳酒鬼薔薇聖斗」の学校と殺人動機』)

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『現在の「少年A」の素顔』であるとして2015年頃にインターネット上に拡散されていた画像(ソース不詳)

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殺人被害者の土師淳君(当時11歳)

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殺人被害者の土師淳君(当時11歳)

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殺人被害者の土師淳君(当時11歳)

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殺人被害者の土師淳君(当時11歳)

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殺人被害者の土師淳君(当時11歳)

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殺人被害者の土師淳君(当時11歳)

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殺人被害者の山下彩花さん(当時10歳)
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殺人被害者の山下彩花さん(当時10歳)
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1997年の5月27日に神戸市立友が丘中学校の正門に遺棄された被害者の頭部が
咥えさせられていた第一の声明文と6月4日に神戸新聞社宛に届いた第二の声明文

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1997年6月4日に神戸新聞社宛に届いた第二の声明文

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1997年の5月27日に神戸市立友が丘中学校の正門に遺棄された被害者の頭部が
咥えさせられていた第一の声明文

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1997年6月4日に神戸新聞社宛に届いた第二の声明文を郵送した際に犯人が使用した封筒

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1997年6月4日に神戸新聞社宛に届いた第二の声明文を郵送した際に犯人が使用した封筒

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1997年6月4日に神戸新聞社宛に届いた第二の声明文を郵送した際に犯人が使用した封筒

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1997年の5月27日に神戸市立友が丘中学校の正門に遺棄された被害者の頭部が
咥えさせられていた第一の声明文が入れられていた短冊状の封筒

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1997年の5月27日に神戸市立友が丘中学校の正門に遺棄された被害者の頭部が
咥えさせられていた第一の声明文が入れられていた短冊状の封筒

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事件が発生した神戸市須磨区のベッドタウン(「タンク山」から望む)(wikipedia)

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友が丘周辺地図(『神戸事件の真相を究明する会編パンフレットシリーズ神戸小学生惨殺事件の真相』)

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友が丘周辺の空撮画像

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最終的な頭部遺棄現場:神戸市立友が丘中学校 正門(神戸市須磨区友が丘七丁目283番地1)

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最終的な頭部遺棄現場:神戸市立友が丘中学校 正門(神戸市須磨区友が丘七丁目283番地1)

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最終的な頭部遺棄現場:神戸市立友が丘中学校 正門(神戸市須磨区友が丘七丁目283番地1)

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最終的な頭部遺棄現場:神戸市立友が丘中学校 正門(神戸市須磨区友が丘七丁目283番地1)

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最終的な頭部遺棄現場:神戸市立友が丘中学校 正門(神戸市須磨区友が丘七丁目283番地1)

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最終的な頭部遺棄現場:神戸市立友が丘中学校 正門(神戸市須磨区友が丘七丁目283番地1)

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最終的な頭部遺棄現場:神戸市立友が丘中学校 正門(神戸市須磨区友が丘七丁目283番地1)

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最終的な頭部遺棄現場:神戸市立友が丘中学校 正門(神戸市須磨区友が丘七丁目283番地1)

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最終的な頭部遺棄現場:神戸市立友が丘中学校 正門(神戸市須磨区友が丘七丁目283番地1)

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「タンク山」への近道である「チョコレート階段」(wikipedia)

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ケーブルテレビの施設(アンテナ基地)(神戸市須磨区友が丘九丁目22番地)(wikipedia)

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1997年5月25日時点での殺人被害者男児の遺体の胴体の状況
(ケーブルテレビの施設(アンテナ基地)(神戸市須磨区友が丘九丁目22番地)内
(『神戸事件の真相を究明する会編パンフレットシリーズ神戸小学生惨殺事件の真相』)

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正面から見たアンテナ基地の全景(『神戸事件の真相を究明する会編パンフレットシリーズ
神戸小学生惨殺事件の真相』)

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通称「タンク山」(神戸市須磨区友が丘九丁目22番地)近辺

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通称「タンク山」(神戸市須磨区友が丘九丁目22番地)近辺

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通称「タンク山」(神戸市須磨区友が丘九丁目22番地)近辺

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通称「タンク山」(神戸市須磨区友が丘九丁目22番地)近辺

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通称「タンク山」(神戸市須磨区友が丘九丁目22番地)近辺
慰霊碑は事件の犠牲者の冥福を祈る目的で一九九八年に建立された

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慰霊碑表側

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慰霊碑裏側(『平成十年八月二十四日 神戸市須磨区仏教会』)

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少年が万引きをしたコープリビングセンター北須磨店のあった場所
(神戸市須磨区多井畑字渋人谷上1番地1)(wikipedia)

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少年と男児が通っていた多井畑小学校
(神戸市須磨区友が丘三丁目106番地先)(wikipedia)

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「バモイドオキ神」を描いた、犯人の自筆イラスト。「バモイドオキ神」とは、犯行当時14歳であった神戸児童
連続殺傷事件の犯人が創作し、崇拝していた「神」の事を指す。「フォーカス」97年3月11日号。

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「バモイドオキ神」を描いた、犯人の自筆イラスト。「フォーカス」1998年3月11日号
(『初公開!少年Aが描いた実物の「バモイドオキ神と血判」』)

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「バモイドオキ神」を描いた、犯人の自筆イラスト。「朝日新聞」1997年7月19日
(※注:当時、マスコミによって報じられた犯人自筆とされるバモイドオキ神のイラストには、上図と本図
の二種類があり、どちらか一方がマスコミによって捏造されたものであるとする指摘がネット上に散見される)

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以下は、 3月の連続通り魔事件後の4月はじめごろ書いた作文で、
捜査の過程において押収されたもの。(「文藝春秋」1998年3月号に掲載)
本文中にある、 「魔物(自分)と闘う者は、その過程で自分自身も魔物
になることがないよう、 気をつけねばならない。深淵をのぞき込むとき、
その深淵もこちらを見つめているものである」
という一節は、ニーチェからの引用(ベストセラーになった『FBI心理分析官』
からの孫引きだとの指摘がある)。


H9.3.16
愛する「バモイドオキ神【しん」】」様へ
今日人間の「こわれやすさ」をたしかめるための「聖なる実験」を行いました。その記念として
この日記をつけることを決めたのです。実験の内容は、まず公園に一人であそんでいた女の子に
話しかけ、「ここらへんに手を洗う場所はありませんか?」と聞き、「学校にならありますよ」
と答えたので案内してもらうことになりました。2人で歩いている時、ぼくはあらかじめ用意していた
ハンマーかナイフかどちらで実験を行うか迷っていました、最終的にはハンマーでやることに決め、
ナイフはこの次にためそうと思ったのです。しばらく歩くと、ぼくは「お礼を言いたいのでこちらを
向いて下さい」と言いました。そして女の子がこちらを向いたしゅん間、ぼくはハンマーを取り出し、
女の子は悲鳴をあげました。女の子の頭めがけて力いっぱいハンマーをふりおろし、ゴキッという音が
聞こえました。2、3回なぐったと思いますが、こうふんしていてよくおぽえていません。そのまま、
階だんの下に止めておいた自転車に乗り、走り出しました。走っていると中、またまた小さな男の子を
見つけ、あとをつけましたが団地の中に入りこみ、見失ってしまいました。仕方なくもと来た道を
自転車で進んでいると中、またまたまた女の子が道を歩いているのが見えました。その女の子が
歩いている道の少し後ろの方に自転車を止め、公園を通って先回りし、道から歩いてくる女の子を
通りすがりに今度はナイフをつかってさしました。まるでねん土のようにズボズボっとナイフが
めりこんでいきました。女の子をさした後にその後の方に止めておいた自転車に乗り、家に向かって
走り出しました。家に帰りつくと、急きゅう車やパトカーのサイレンの音がなりひびき、
とてもうるさかったです。ひどくつかれていたようなので、そのまま夜までねむりました。今回の
「聖なる実験」がうまくいったことを、バモイドオキ神さまに感しゃします。
H9.3.17
愛する「バモイドオキ神」様へ
今日の朝新聞を読むと、昨日の「聖なる実験」の事がのっていたのでおどろきました。内容を読んで
みると、どうやらあの2入の女の子は死んでいなかったようです。ハンマーでなぐった女の子の方は、
意識不明の重態で入院し、ナイフでさした方の女の子は軽いケガですんだそうです。人間というのは
壊れやすいのか壊れにくいのか分からなかったけど、今回の実験で意外とがんじょうだということを
知りました。
H9.3.23
愛する「バモイドオキ神」様へ
今日の朝目が覚め、階段をおりて下に行くと、母が「かわいそうに、通り魔におそわれた子が亡くなった
そうよ」と言いました。新聞を読んでみると、死因は頭部の強打による頭蓋骨の陥没だったそうです。
頭をハンマーでなぐった方は死に、お中をさした方は順調に回復していったそうです。人間というのは
壊れやすいのか壊れにくいのか分からなくなってきました。容疑も傷害から殺人と殺人未遂に
変わりましたが、以前として捕まる気配はありません。
目撃された不審人物もぽくとはかけはなれています。これというのも全てバモイドオキ神様のおかげです。
これからもどうかぼくをお守り下さい。  
H9.5.8
愛する「バモイドオキ神」様ヘ
バモイドオキ神様、ぼくは今現在14歳です。もうそろそろ聖名をいただくための聖なる儀式、
「アングリ」を行う決意をせねばなりません。ぼくなりに「アングリ」についてよく考えてみました。
その結果、「アングリ」を遂行する第一段階として、学校を休む事を決めました。いきなり休んでは
あやしまれるので、まず自分なりに筋書を考えてみました。その筋書きとはこうです。
 
― 中略 ―
 
懲役13年

1.いつの世も・・・、同じことの繰り返しである。

止めようのないものは止められぬし、

殺せようのないものは殺せない。

時にはそれが、自分の中に住んでいることもある・・・

「魔物」である。

仮定された「脳内宇宙」の理想郷で、無限に暗くそして深い腐臭漂う心の独房の中・・・

死霊の如く立ちつくし、虚空を見つめる魔物の目にはいったい、

"何”が見えているのであろうか。

「理解」に苦しまざるを得ないのである。

2.魔物は、俺の心の中から、外部からの攻撃を訴え、危機感をあおり、

あたかも熟練された人形師が、音楽に合わせて

人形に踊りをさせているかのように俺を操る。

それには、自分だったモノの鬼神のごとき「絶対零度 の狂気」を感じさせるのである。

とうてい、反論こそすれ抵抗などできようはずもない。

こうして俺は追いつめられていく。「自分の中」に・・・

しかし、敗北するわけではない。

行き詰まりの打開は方策でなく、心の改革が根本である。

3.大多数の人たちは魔物を、心の中と同じように外見も怪物的だと思いがちであるが、

事実は全くそれに反している。

通常、現実の魔物は、本当に普通な“彼”の兄弟や両親たち以上に普通に見えるし、

実際そのように振る舞う。

彼は徳そのものが持っている内容以上の徳を持っているかの如く人に思わせてしまう・・・

ちょうど、蝋で作ったバラのつぼみや、プラスチックでできた桃の方が、

実物が不完全な形であったのに、俺たちの目にはより完璧に見え、

バラのつぼみや桃はこういう風でなければならないと俺たちが思い込んでしまうように。

4.今まで生きてきた中で、“敵”とはほぼ当たり前の存在のように思える。

良き敵、悪い敵、愉快な敵、不愉快な敵、破滅させられそうになった敵。

しかし、最近、このような敵はどれもとるに足りぬちっぽけな存在であることに気づいた。

そして一つの「答え」が俺の脳裏を駆け巡った。

「人生において、最大の敵とは自分自身なのである。」

魔物(自分)と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になることがないよう、

気をつけねばならない。

深淵をのぞき込むとき、

その深淵もこちらを見つめているものである。

「人の世の旅路の半ば、ふと気がつくと、

俺は真っ直ぐな道を見失い、暗い森に迷い込んでいた。」
 

@@@@@@@@@@


神戸連続児童殺傷事件(2ちゃんねる)



1: :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/06(水) 17:34:04 ID:QQhlqH2s.net
無いので立てた
これほど衝撃的だった事件も少ないだろう


3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/06(水) 17:55:36 ID:???.net
確かに報道は凄かったな
恐らく90年代の事件ではトップクラスだったと思う


4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/06(水) 18:29:40 ID:0D7GGJsA.net
>>3
報道がそんなに凄かったっけ?


5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/06(水) 18:44:47 ID:???.net
報道凄かった。どのチャンネルもこれって感じだったな
俺が関西だからかもしれんが、犯人が14歳と分かった時のマスゴミのテンションは凄まじかった
ここぞとばかりの報道ジャックだった


8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/06(水) 19:48:13 ID:???.net
5月の連休の時だったかな?被害者の生首が発見されたのは
生首発見のニューステロップは衝撃的だった


9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/06(水) 20:45:13 ID:???.net
事件発生以後、新聞も毎日のように1面か社会面トップで報じてたな
倉庫の鍵を持った不審な男性が目撃、とかあやふやな情報が飛び交ってた
そして1ヶ月ほど経過して、犯人が14歳と分かった日にゃ・・・


10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/07(木) 00:01:38 ID:???.net
最初は30歳すぎの中年男による犯行じゃないかと言われてたような


12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/07(木) 03:49:37 ID:0i4CiZL2.net
となりの学校だったから、凄かった。
事件当日は普通に登校で、昼のニュースで生首って
わかって。緊急下校になる学校もあってあの一帯は
ピリピリしてたなあ、、、、


81 :サカキバラ何かたくらんでるのかな?何かの作戦?:2010/03/21(日) 17:32:50
ID:5w+HX2MN.net
神戸児童殺傷 元少年から手紙
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100321-00000414-yom-soci
2010年3月21日15時5分配信 読売新聞
神戸市須磨区で1997年に起きた連続児童殺傷事件で
殺害された山下彩花(あやか)ちゃん(当時10歳)の遺族に
当時14歳だった加害男性(27)から謝罪の手紙が届いた。
23日の命日に合わせた手紙は4年連続。彩花ちゃんの母、京子さん(54)は
「私たちの苦しみも想像しようとしていると感じた」と話している。
京子さんらによると、手紙は18日夜、神戸市内で男性の両親らから手渡された。
便せん4枚に小さく丁寧な字でびっしりと横書きされていた。これまでは差出人名がなく、
封も開いていたが、今年は初めて封筒に男性の名が記され、封もしてあった。
文面は謝罪の言葉で始まり、男性が人の優しさなどに触れながら暮らしていることが
垣間見られたという。
京子さんは「他者の存在によって自分を見つめられている」と感想を述べた。毎年、
手紙が届いたことを公表してきたが、男性が本心を書けなくなる可能性もあるとし、
今後は公表を控える意向も示した。男性は2005年に医療少年院を本退院し、社会復帰している。


102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/17(土) 15:26:50 ID:???.net
>>100 以下コピペ
週刊新潮2005年1月20日号より
女医を襲った!「少年A=東慎一郎」
今年(2005年)1月1日、神戸児童連続殺傷事件の「少年A」こと東慎一郎(22)が、
ついに関東医療少年院を正式に退院した。はたして病気は完治したのか。
事件は昨年(2004年)12月下旬に起こった。東慎一郎が、カウンセラーの精神科の女医を
暴行しようとしたというのだ。本来ならば、即刻、仮退院は取り消しのはず。だが、その事実は
密かに闇に葬られ、東真一郎は社会に放たれた。2004年12月24日、法務省は
「少年Aの保護観察が31日で終了し、年明けに完全に社会復帰する」との見通しを発表した。
はたして東慎一郎の病気は完治したのだろうか。被害者のみならず、一般の関心が
その点に向かうのは当然である。しかし、法務省は、「被害者への贖罪の気持ちを持ち続けている。
定職に就き、更生に向けた努力を重ね、精神的にも安定した生活を送っている」
と、そっけない説明を加えただけだ。加害者の人権に配慮するあまり、具体的な居住地や
仕事の内容、生活ぶりなどには一切触れていない。事件の被害者にも納得できる説明はなかった。
「昨年12月中旬頃、神戸の保護観察所で、法務省の方から最終報告という形で少年の
現状について一通りの説明を受けました」と話すのは、東慎一郎にナイフで刺されて
重傷を負った少女(当時9歳)の父親の堀川耕一郎さんである。「精神的な面でも何ら問題がなく
更生していると聞きました。ただし、法務省の人たちは絶対に具体的な話をしてくれないのです。
我々が突っ込んだ質問をしても、それについてはお答えできませんと繰り返すばかりです」
堀川さんは半信半疑で聞くしかなかった。「法務省の説明では、関東医療少年院からずっと
彼を担当している精神科のドクターが、定期的にカウンセリングを行ってきた。
そのドクターが、今後、一切、薬物の投与も必要ない、本人がそういった形で更生しているので、
再犯の恐れはない、とお墨付きを与えたということでした。
我々としては法務省の言うことですから、100%信用せざるをえない」だが、それで被害者の
不安が払拭されたわけではなく、不信感が残っただけだ。「法務省の方とは、昨年8月にも
一度お会いして話を聞きました。その8月時点と12月では、
相も変わらず同じ話を繰り返しているだけなんです。本人は更生しています、12月いっぱいで
我々の手を離れます、と。こう言っては何ですが、野放し状態になるわけですよ。
ですから我々は、8月のときにも、可能であれば、年が明けてからも監視のようなものを
幾分でも継続できないかとお願いしてみたのです。が、それに関しては一切できない、と。
代わりにボランティアの人たちがどういう状況で生活しているのかということを定期的に
我々の方に報告いただけるということでした。本当にお役人というか、そうしたことを淡々と
言うものですから、決められたことは仕方がないんだな、と感じただけでした」
少年犯罪としては異例の7年余にわたる入院期間だった。東慎一郎は、平成9年10月に
東京都府中市にある関東医療少年院に収容された。平成13年11月から1年間、宮城県の
東北少年院で職業訓練を受けた後、再び関東医療少年院に戻り、昨年3月にいよいよ
社会復帰に向けて仮退院。法務省は、年明けの退院までの手続きを、滞りなく進めることだけに
腐心していたかのような印象を受けるのだ。事件はその最中に起こっていた。


103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/17(土) 15:27:32 ID:???.net
東慎一郎が心を開いた相手
仮退院中の東真一郎の居住地について、法務省は 「近畿地方以外」としか発表していないが、
彼は、首都圏近郊で生活している。法務省関係者はいう。「彼は、ひきこもりや不登校の
子供たちを支援し、就労などの世話をする民間の団体の関係先にいます。その団体には
協力企業が何社かある。その団体の自立支援プログラムに沿って、彼はそのうちの1社で
働いています」東慎一郎には、保護観察官が24時間体制で張り付いていた。
また、関東医療少年院で担当だった精神科の女医のカウンセリングを、1週間に1度の割合で
受けていた。退院に向けて、順調に回復しているように見えたのだろう。だが、それは彼を
更生させたいという当局の希望的観測に過ぎなかった。昨年12月のことである。「実は、
東慎一郎が、カウンセリングの最中に、その女医を押し倒して暴行を働こうとしたのです」
と、先の法務省関係者は打ち明けるのだ。「それで大騒ぎになり、東慎一郎本人も精神的に
非常に不安定になったので、急遽、精神病院に入院させた。とてもじゃないが、
社会復帰させられる状態ではなかった」東慎一郎は、居住地に比較的近い国立の精神病院に
ひとまず入院させられた。ところが、そこでまた問題が生じたという。「東慎一郎を入院させた
直後にわかったのですが、昨年秋に、その病院の井戸からヒ素が検出されて問題になり、
新聞沙汰になったことがあった。ヒ素の件でまたマスコミが取材に来たら、東慎一郎が
入院していることも漏れてしまうんじゃないか、という恐れがあり、法務省や警察庁の
担当部局は転院先を探すので、一時、てんやわんやの騒ぎになった。「結局、その病院は出て、
別の病院に転院したのです」(同)東慎一郎は、どうしてその女医を襲ったのか。
「彼は、その女医に心を開いており、医者と患者を超えた信頼関係があった」と話すのは、
関東医療少年院の関係者である。「東慎一郎の性的サディズムなどの異常な性格は、
母親との関係が大きく影響していた。彼は母親を憎んでおり、心を閉ざした彼を治療する
ためには、職員が擬似家族的な関係を作ってカウンセリングに当たる必要があったのです。
そのために彼女がスタッフとして加わった。東慎一郎の母親より3歳年下ですが、
細身で髪の長い面長の女性で、年齢よりずっと若く見える。松本零士のマンガに出てくる
女性のような美人です。彼女が親身になって接したおかげで、彼は心を開くようになった」
別の関係者もこう話す。「彼は最初は女医を母親のように思っていたが、やがて恋心に
変わっていったようだ。院生の話によれば、その女医に『キスしてください』と頼んだことが
あったし、院生の1人が東慎一郎の前で女医の悪口を言ったら、東慎一郎は本当に怒って、
ボールペンでその院生を刺そうとしたこともあったのです」東慎一郎の性的関心が、
残虐行為からようやく異性に向けられるようになった。彼にとっては、閉ざされた医療少年院の
生活の中で、深い触れ合いを持った唯一の女性だったのである。
攻撃性に性衝動が結びついた
だが、そうした性衝動は、必ずしも東慎一郎の病気が完治したことにはならない。帝塚山学院
大教授の小田晋教授は語る。
「カウンセリングの過程で、感情転移ということが起こる。精神分析的な療法をやる際に、
心の絆を作るために母親のような愛憎を与えようとすると、相手は本当に好きになって
しまうんですね。しかしその感情に母親役の女医は当然応えられなくなってしまう。
東慎一郎にしてみれば、裏切られたという気持ちになって、そうした行動に出たのだと思う。
彼は、東北少年院で、他の院生から、からかわれて、自分の性器を切断しようとした
一件があった。これは衝動性に、性的なことが絡んでいる傾向が切れていないということです。
攻撃性に性衝動が結びついている。女医に手を掛けたということは、まだ性と結びついた
衝動性が治っていないということなのです」精神科医の町澤静夫氏もいう。「女医を襲った
という行為は、東慎一郎が性的な感情のコントロールを十分にできていないととらえる
ことができる。仮に性的サディズムが克服されていても、それでは、私たちは安心する
ことはできない。また、性的サディズムがある一方で、普通の性愛もあるということは
非常によくあるケース。現在の状態は、性的サディズムが心の奥に隠れて表に出なくなった
だけということも十分ありえます」 専門家は、現状での退院に疑問を呈するのである。


190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/11(金) 23:47:02 ID:???.net
酒鬼薔薇くん、医療少年院での奇行
ゴキブリを食べる「君たち、こんな事で驚いていちゃいけないんです」母についてのイメージ
「かわいいブタ、死ね」陶芸作品「贅肉の精」七夕の短冊「ミドリガメの甲羅をエアガンで
木っ端微塵に吹っ飛ばしたような人と出会って欲しい」赤ちゃんの写真がハサミで切り
刻まれた作品「肉体と精神の融合」46歳の女医に「キスしてください」女医を侮辱した院生
に対し、ボールペンを突き付ける。HITOEちゃんを不細工とディスる院生に対し「褒める
練習をしなさい」罰ゲームのモ娘。を大声で堂々と歌い、踊る。Kiroroのピアノがタイプ


359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/04(日) 01:59:59.57 ID:???.net
酒鬼薔薇ってエロビデオとか見るのかな?


360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/04(日) 11:09:24.07 ID:fAiCsW4d.net
>>359
確か友達と一緒にAV見たことがあったって記述が14歳の肖像かなんかにあった気がするよ
でも全然興奮しないし、何が面白いのかわからなかったらしい
彼の性的な欲求の対象はそのころにはもう、血とか内蔵とかそういうグロテスクなものに
向けられていて、だから人を殺してその内蔵をかみちぎり、血をすする妄想で自慰をした
……とかそんなことが書かれてたような気がする


384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/05(木) 11:39:39.63 ID:???.net
薔薇の居住地は、
1,私の住んでる千葉県某所(前出の市橋が住んでた市)
  噂の根拠は大きな精神病院があるから。
2,義実家のある福井県某市
  根拠は薔薇両親が逃げ住んで家を建てたとの噂
3,従兄弟が住んでる北関東某市
  根拠はスポクラのサウナではこの話題で持ちきり。
  出所は薔薇を引き受けた某町内会役員の愚痴
4,ご近所さんの実家のある平塚
  これは既出
などなど、誰もが自分の周辺でこの噂がある。


425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/28(土) 17:27:06.45 ID:???.net
―そんな事を話しながら、駐車場から団地内のバス停まで歩いた所で、少年は、
「少しだけここで待ってて。いいものを見せる」と言うと、どこかに姿を消した。
五分ほどたって戻ってきた時、海苔の佃煮の空き瓶のような小さな瓶を手に持っていた。
塩をいっぱいに詰めた中に、三個の肉片が入っていた。それを見せながら、少年は言った。
「猫の舌や。校門に猫の死体を三匹置いたんやけど、知らんか」友人らは「知らない」と答えた。
少年は「学校に仕返しをする」とも言ったが、それ以上は語らなかった。


426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/28(土) 17:42:18.91 ID:???.net
二十四日夕、友人らとの約束の集合時間を三十分ほど過ぎてから、
黒いかご付き自転車で現れた少年の髪は洗い立てのように濡れ、紫色のトレーナーの
背中や脇に土や草がついていた。「どうしたん?」不審に思った友人が尋ねると、
少年はこたえた。「山で寝とったんや」友人たちは「そういう事をやりそうなやつだから、
別に気にもとめなかった」と、のちに話している。十分ほど歩いて三角公園に移動し、
さらに話を続けた。少年が同級生に暴力を振るった場所だ。「ここで殴ったんや」
少年は長さ二十センチほどの鞘の付いたナイフを手でもてあそびながら、
こんな事を口にした。「そのうち俺は大きな事をする。見とってみ」


459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/29(金) 10:25:38.18 ID:???.net
★酒鬼薔薇聖斗(東真一郎)と家族の近況  (週刊新潮)
出所前の面会で母親が「出所しても親らしいことはしてあげられない。
篤志家の方々に支えてもらって自立して生きていってください」。
事実上絶縁、母は関西で酒鬼薔薇の親だと知られずパーで働く。
上の弟は学者目指して大学工学部進学後、現在はアニメの学校。
下の弟は高校中退で働いてる。


460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/29(金) 10:51:54.59 ID:???.net
◆「酒鬼薔薇聖斗」逮捕から15年 30歳になる「少年A」の手紙 (週刊新潮)
親族談「両親はいまはあの子とは会っていません。東北少年院などには母親が度々面会に
行ってました。その時”社会に出たら親として支えることはできないし、あなたが自立
できるためにも会わないようにする。周囲の皆さんに助けられながら生きる道を探し、
一人で頑張るんだよ”と告げたのです。以来親子の関係を切りました」
あの事件以降、少年Aの両親は追われるように西日本の地方都市で生活。親族談「父親は
ある電機関連会社で技師として働いています。周囲は誰もあの子の父親とは知らない
そうです。母親はスーパーでパートしている。切り詰めた生活をし、できるだけ被害者の
ご家族への賠償金に充てるようにしています」「上の弟は大学に進学し、一時は工学系の
研究者を目指していた。いまはその道を諦め、アルバイトをしながらアニメ関連の
勉強をしている。下の弟は高校卒業後、家計を支えるために進学をせず、量販店に
就職しました。でも、若くして責任ある立場を任されたことで精神的なプレッシャーが重なり
その会社を辞めて別の仕事を始めました」


461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/29(金) 11:07:40.30 ID:???.net
現在、両親と少年Aの連絡の手段は手紙のみ。時折彼から「元気でいます。
心配しないでください」などと書かれた手紙が送られてくる程度だという。
なぜ電話でやり取りをしないのかと言うと万が一にも発信記録から少年Aの居場所が
第三者に特定されてしまう恐れがあるため、使わないようにしているそうだ。


539 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/01(土) 16:38:00.37 ID:???.net
この事件はこいつが犯人じゃないよ。猫殺しやハンマーで殴ったってのは事実。
首を校門に置くには当時160cm位のAが198cmの塀に置くのは難しい。
11歳の平均体重は40kgとして頭部はやく5kgをバランスよく置くのは不可能。
ましてや自宅でどうやってバラすんだよ(自宅でバラしたことになってるけど、血痕は発見されてない)
カバンについてた血痕は後から付けようと思えばできる)
(江戸時代のさらし首を置いていた時でも周りに粘土で固定していたくらいなのに)
繊維片については97/6/2付けの毎日新聞に記載されている
消印が分からなくするためにコーティングされてたのはご存知かな?
これは素人には無理、また、科捜研の鑑定では犯行声明文とAの筆跡は一致していない
ここで事件の核心について
警察(公安)は当時革マル、過激派の検挙に全力を挙げていた
当時関西では革マル派がNTT、JR労組の関わりが騒がれており、とりわけ須磨には
共産党が強い地域でこの事件を利用して、非公然に摘発したいという意図があった。
その後、半世紀に渡り人権派(革マル)団体がAは冤罪であると訴えてきた。
後に革マル派はAの供述調書を盗んだとして(無実主張!)非公然アジトが摘発されている。
この事件後少年法の改正議論が加速したのは偶然か?同様の事案はたくさんある
東京のナンペイ事件はわざと解決しない。八王子近辺は創価大や真如苑、当時は
オウムキャンプもあったしヤクザも点在してた。宗教団体にはなかなかは入込めないが、
解決しなければ未来永劫捜査という名のもとにいつでも介入できる。


540 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/01(土) 17:17:18.22 ID:???.net
>>539
まず、ちゃんと事件の詳細を読みなさい。
アホな妄想ばっかして、アンタきっと近所の人からキチガイとか知恵遅れとか言われてるよw


598 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/24(金) 18:19:57.58 ID:???.net
<神戸児童連続殺傷>被害者の父 16年 癒えぬ心境吐露
神戸市須磨区で1997年に起きた小学生連続殺傷事件で、小学6年だった土師(はせ)淳君
(当時11歳)が殺害されてから丸16年となる24日を前に、父守さん(57)が
報道各社に手記を寄せた。「どれほどの年月がたとうとも、親としての子供への思いが変わる
ことはありません」とつづり、いまだ癒えることのない心境を吐露した。さらに各社の取材に、
今年も加害者の元少年(30)からの手紙を代理人弁護士を通じて受け取ったことを明かし、
「昨年に比べても変化があり、自分自身ときちんと向き合い、さらに深く考えるようになっている
と感じました」と答えた。手記では、元少年について「彼自身の言葉で、私たち遺族に説明
してほしいと思っています」と訴えた。また、各地の自治体で制定が進んでいる犯罪被害者支援に
関する条例に触れ、「犯罪被害者が声を出すことができるということは精神的には非常に大きな
影響を及ぼす」と歓迎した。法制審議会が2月に答申した少年法改正要綱については、審判を
傍聴する対象者の範囲拡大や成育歴などを記した社会記録の閲覧許可などが盛り込まれて
いないとし、「少年法は、被害者の犠牲の上に成り立っている法律であることには変わりは
ありません」と苦言を呈し、今後の継続的な見直しを求めた。


714 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 18:10:51.52 ID:d3FM3FRt.net
明日発売の月刊誌【文藝春秋】5月号から
⇒衝撃スクープ:少年A(酒鬼薔薇聖斗)神戸連続児童殺傷、家裁審判「決定(判決)」全文公表
■裁判所が認定した事実こそ少年事件を考える原点であるべきだ 佐々木央(共同通信編集委員)
http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/1276


715 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 20:41:11.37 ID:???.net
家裁決定全文を掲載=神戸連続殺傷事件で文芸春秋
神戸市須磨区で1997年に起きた連続児童殺傷事件で、当時中学3年の加害男性を
「医療少年院送致」とした神戸家裁の決定全文が、10日発売の月刊「文芸春秋」
5月号に掲載されることが分かった。
家裁は決定時に要旨のみの公表にとどめていたが、文芸春秋の担当者は
「この事件は現在も続く重大少年事件の原点。全貌を知ることで汲み取れる教訓
は多いと考えた」と話している。
神戸家裁は97年10月、逮捕時14歳だった男性の審判で、小学6年土師淳君=当時(11)
=らを殺傷した非行事実を認定し、「医療少年院送致」の保護処分を決定。
事件が社会の注目を集めたことを考慮し、「少年事件の秘密性および審判の非公開性
の原則に抵触しない限度」で要旨を公表した。
神戸家裁の裁判官として決定を出し、公表に関わった井垣康弘弁護士は「公表される全文
でも加害男性の名前は出ていない。少年法には触れない」と説明。「要旨では男性の成育歴
が大きくカットされた。事件の特殊性や、その後も重大な少年事件が相次いでいることにかんがみ、
全文を国民に読んでもらうべきだ」と話した。 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150409-00000069-jij-soci


732 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/10(水) 09:07:45.89 ID:???.net
神戸連続児童殺傷事件、元少年・東慎一郎が手記出版
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150610-00000007-asahi-soci
1997年に神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件の加害男性東慎一郎(32)が、
「元少年A」の名で手記「絶歌」(太田出版)を出す。犯行に至った経緯や事件後の生活、
現在の心境などをつづっている。早ければ10日から書店に並ぶ。
太田出版の岡聡社長は「少年犯罪が社会を驚愕させている中で、彼の心に何があったのか
社会は知るべきだと思った」と出版の意図を説明。「本は本人の手紙を添えて遺族に届けたい」
と話している。当時14歳だった元少年東慎一郎は、
97年2〜5月に同じ区内に住む児童5人を襲い、小4の女児と小6の男児を殺害、
3人に重軽傷を負わせた。事件は社会に大きな衝撃を与え、刑事罰の対象年齢を
16歳から14歳に引き下げる少年法改正のきっかけにもなった。
手記は全294ページ。「精神鑑定でも、医療少年院で受けたカウンセリングでも、
ついに誰にも打ち明けることができず、二十年以上ものあいだ心の金庫に仕舞い込んできた」
として事件前からの性衝動を明かし、犯行に至るまでの自身の精神状況を振り返っている。
また後半では2004年に医療少年院を仮退院後、家族と離れて身元を隠し、
溶接工や日雇いアルバイトで暮らしていたことを書き記している。
現実社会の厳しさに直面しつつ、周囲の人々の支えによって罪と向き合う姿がつづられる。
一方で「自分の物語を自分の言葉で書いてみたい衝動に駆られた」などとして、
書くことが生きる支えになっていたことも明かしている。
巻末では「被害者のご家族の皆様へ」と題し、「どれほど大切なかけがえのない存在を、
皆様から奪ってしまったのかを、思い知るようになりました」とつづった。


766 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/13(土) 14:37:52.99 ID:SCvhOcPK.net
名前: 名無しさん 投稿日:2005/07/07 13:15 ID:SgSoC4iA
酒鬼薔薇聖斗こと東真一郎の現居住地についてはさまざまな情報が入り乱れているが、
「近畿地区ではない」(関東地方更生保護委員会)ことだけは、被害者遺族に説明されている。
そこで近畿地区は除外することとして、具体性が高い情報をいくつか列挙する。
1.東京都多摩市(聖ヶ丘1丁目の都営住宅)酒鬼薔薇の退院騒動から取材を続けている
週刊誌記者いわく「昨年末から市役所には問い合わせがあったそうです。
少年A入居反対の署名を集め市役所に提出するものまで現れた、とか。
4月10日の退院騒動以降は、具体的なマンション名まであげた所在情報が飛び交っています。
もう、噂というより、真実として受けとめている人のほうが多いですね」
2.長崎県西彼杵郡時津町(浜田郷スカイマンション)就職先はすぐ近くにある三菱電機。
清掃工場勤務との説も。2004年に入ってからは「すでに引っ越して来た」「姿を見かけた」
という話まで流れた。地元の小学校では父兄に対し、注意をするようにという通知が配達された、という。
3.岐阜県各務原市(東山ニュータウン)酒鬼薔薇の父親は事件当時、
神戸の川崎重工に務めていた。その後も退社することなく、神戸から各務原の工場に配置転換。
東山ニュータウンは、 川崎重工の社員が多数住んでいる団地だった。
家では父親と2人で同居。団地では注意を呼びかける回覧板が回された、という。
ちなみに酒鬼薔薇の現状は「溶接の資格を生かして、毎朝8時にある篤志家が経営する
工場に歩いて出勤」とのこと。
また東という苗字を捨て、別の苗字(西田?)を名乗っている可能性が高い。
ちなみに神戸市須磨区に事件当時から今なお残る酒鬼薔薇の家(空家)には現在
「西田」という表札が掲げられている。
体格は、19歳当時のデータで身長165僉紳僚46kg。


768 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/13(土) 16:17:35.65 ID:???.net
神戸連続児童殺傷 遺族が出版社に抗議文 加害男性の手記出版受け
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150613-00000007-kobenext-soci
1997年に神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件で、加害男性(32)が手記
「絶歌(ぜっか)」を出版したことを受け、小学6年の土師(はせ)淳君=当時(11)
=を殺害された父親の守さん(59)と代理人弁護士が発行元の太田出版(東京都)に
抗議文を送ったことが分かった。手記の速やかな回収を求めている。送付は12日付。
抗議文では、手記の出版について「突然報道で知らされ、唖(あ)然とした」
「多大な衝撃を受けており、いたたまれない気持ち」とした上で、加害男性について
「これまでの謝罪の手紙は何だったのか?」「心からの謝罪だったとは到底思えなくなった」
と不信感をあらわにし、「(事件から)18年もたって今更、事件の経緯、特に淳への冒涜的行為
を公表する必要があったとは思えない。むしろ、自己を正当化しているように思える」と強く非難。
太田出版に対しては「貴社の出版行為によって事件があらためて社会の耳目を引くことになり、
また淳への残忍な行為が広く社会に知られることとなった」とし、同社の担当者が報道で
「批判はあるだろうが」「反発やおしかりも覚悟している」などと発言したことについて
「遺族の二次被害について検討した形跡が全くなく、むしろ二次被害もやむを得ないと考えているようで、
極めて配慮を欠き悪質」と指摘している。
さらに「加害者側がその事件について手記などを出版する場合には被害者側に配慮すべきであり、
被害者の承諾を得るべきだ。出版・表現の自由は無制約のものではなく、
他者の権利・利益を侵害することは許されない」と強く抗議している。
 


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補遺:『存在の耐えられない透明さ』について


『存在の耐えられない透明さ』は、本件の加害者とされる男性が、2015年から
2016年にかけて開設していたサイトの名称である。
自作アート作品の画像や自身が鑑賞した小説等のレビューなどによって
構成されていた(サイト画像8枚)。


SnapCrab_NoName_2015-9-10_11-48-4_No-00


SnapCrab_NoName_2015-9-10_11-48-26_No-00


SnapCrab_NoName_2015-9-10_11-48-52_No-00


SnapCrab_NoName_2015-9-10_11-49-16_No-00


SnapCrab_NoName_2015-9-10_12-31-45_No-00


SnapCrab_NoName_2015-9-10_12-32-29_No-00


SnapCrab_NoName_2015-9-10_12-32-52_No-00


SnapCrab_NoName_2015-9-10_12-33-34_No-00


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