LET IT BLEED 

日々の記録。

■村上春樹 HARUKIMURAKAMI

村上春樹ロングインタヴュー(抜粋)(考える人)(2010)

村上:習慣はすごく大事です。とにかく即入る。
小説を書いているときはまず音楽は聴きませんね。
日によって違うけれども、だいたい五、六時間、九時か
十時ころまで仕事します。

− 朝ごはんは食べずに。

村上:朝ごはんは、七時ころにチーズトーストみたいなのを焼いて
ちょっと食べたりするけど、
時間はかけない。

− あとはひたすら書いているのですか。

村上:そうですね。だれとも口をきかないで、ひたすら書いています。
十枚書くとやめて、
だいたいそこで走る。

− 十枚というのは、
四百字づめの原稿用紙に換算しての十枚。

村上:そう。僕のマックの書式だと、二画面半で十枚。
書き終わると、九時か十時くらいになります。
そしたら、もうやめてしまう。即やめる。

− そこから先は書かないんですか。

村上:書かない。もう少し書きたいと思っても書かないし、
八枚でもうこれ以上書けないなと思っても
何とか十枚書く。もっと書きたいと思っても書かない。
もっと書きたいという気持ちを明日のためにとっておく。
それは僕が長距離ランナーだからでしょうね。
だってマラソン・レースなら、
今日はもういっぱいだなと思っても
四十キロでやめるわけにはいかないし、
もっと走りたいからといってわざわざ四十五キロは走らない。
それはもう決まりごとなんです。

− たとえば青豆と天吾の章が交互に出てくるBOOK2で、
青豆とリーダーの対決のシーンが
終わったところが、その日の六枚目だとしても、
つぎの章を四枚書くわけですか。

村上:もちろん。

− どうしてペースを守ることが大事なんでしょう。

村上:どうしてだろう、よくわからない。
とにかく自分をペースに乗せてしまうこと。
自分を習慣の動物にしてしまうこと。一日十枚書くと決めたら、
何があろうと十枚書く。
それはもう『羊をめぐる冒険』のときからあまり変わらないですね。
決めたらやる。弱音ははかない、愚痴は言わない、
言い訳はしない。なんか体育会系だな(笑)。

今僕がそう言うと「偉いですね」と
感心してくれる人がけっこういますけど、
昔はそんなこと言ったら真剣にばかにされましたよね。
そんなの芸術家じゃないって。
芸術家というのは気が向いたら書いて、気が向かなきゃ書かない。
そんなタイムレコーダーを押すような書き方ではろくなものはできない。
原稿なんて締め切りがきてから書くものだとか、しょっちゅう言われてました。

でも僕はそうは思わなかった。
世界中のみんながなんと言おうと、
僕が感じていることのほうがきっと正しいと思っていた。
だからどう思われようと、
自分のペースを一切崩さなかった。早寝早起きして、
毎日十キロ走って、一日十枚書き続けた。
ばかみたいに。結局それが正しかったんだと、
いまでもそう思いますよ、
ほんとうに。まわりの言うことなんて聞くもんじゃないです。
− 「ピーター・キャット」の七年、八年というのも、
村上さんの小説家としての姿勢に
少なからぬ影響を与えたということですね。

村上:店をやるのにくらべれば、
小説を書くなんて本当に楽なものだと当時は思いました。
こんなに楽でいいのかと思ったから、
ある程度、自分に規制をかけないと駄目だと思ったんです。
こんな楽をしていちゃ人間が駄目になると思った。
だから日々走るようになったところもある。
書きたいときでなくても書くというのは、
考えてみれば当たり前のことなんですよ。
労働というのはそういうものです。
店は時間がきたらあけなくちゃならない。
今日はやりたくないなと思っても、
やらないわけにはいかない。いやな客だなと思っても、
いらっしゃいませとにこにこしないわけにはいかない。
そういう生活を長く続けていれば、
書くということに対しても、
同じ労働倫理を持ち込むのは当たり前になってきます。
もし僕が学生からそのまま作家になったとしたら、
労働倫理というような考え方はまず出てこなかったでしょうね。


村上春樹氏ご尊父について語る (無造作な雲) (icchan0000)

村上春樹氏 エルサレム賞受賞−春樹さん、ご尊父について語る

エルサレム賞授賞式でのスピーチ*1に関しては、
やはりネットでもさまざまな意見が飛び交っているが、
ボクの率直な感想としては、想像以上に踏み込んだ内容で意外だったし、
想像以上に政治色の濃い内容で意外だったし、
そして聞くものに感銘を与える素晴らしいものだと思います。

しかしまあ、極めてクレバーな春樹さんのことだから、
きっと無難にこの「難局」を乗り切って、
どちらの立場の顔もつぶさないスピーチをするんじゃないかと、
個人的には思うけれどどうだろう。

村上春樹氏 エルサレム賞受賞 - 無造作な雲という
以前のエントリでのボクの予想は、まぁ、あたったといえなくもないけれども。

ところでスピーチで意外だったのは、
春樹さんがご尊父のことについて触れていたということ。

昨年私の父は90才でなくなりました。
彼は元教師でたまにお坊さんとして働いていました。
彼は大学院にいた時、徴兵され中国に送られました。
戦後生まれの子供として、
父が朝食前に長く深い祈りを仏壇の前で捧げていたのを目にしましたものです。
ある時、私がどうしてお祈りをするのかたずねたところ
戦争で死んだ人々のために祈っていると答えてくれました。

味方と敵、両方の死んだ人たちすべてに祈りを捧げていると父はいいました。
仏壇の前で正座する彼の背中をながめると、
父にまとわりつく死の影が感じられるような気がしました。

父は亡くなり彼の記憶も共に消え、それを私が知る事はありません。
しかし父に潜んでいた死の存在感は今も私の記憶に残っています。
それは父から引き出せた数少ない事のひとつであり、
もっとも大切な事のひとつであります。

村上春樹: 常に卵の側に
雪見さんも掲示板で触れておられたように、
春樹さんが親について言及しているのってほんと珍しい。
少なくともボクが熱心に読んでいた1997年ころまでは、
エッセイでたまにチラっと触れる程度だったような。

と思っていたら、「村上春樹はなぜ両親について語らないのか
―全共闘世代のルーツ」という興味深いエントリを見つけました。

このエントリでは、『イアン・ブルマの日本探訪―村上春樹から
ヒロシマまで』という本で、春樹さんがイアン・ブルマ氏に語ったという
言葉が引用されています。

イアン・ブルマの日本探訪―村上春樹からヒロシマまで
作者: イアンブルマ,Ian Buruma,石井信平
出版社/メーカー: 阪急コミュニケーションズ

非常に興味深いので、そのエントリからの孫引きですが、
引用しておきます。改行位置はボクが改めています。

村上は自分の父親について話しはじめた。
父親とは今では疎遠になっており、
滅多に会うこともないということだった。

父親は戦前は将来を期待された京都大学の学生だった。
在学中に徴兵で陸軍に入り、中国へ渡った。

村上は子供の頃に一度、父親がドキッとするような
中国での経験を語ってくれたのを覚えている。
その話がどういうものだったかは記憶にない。
目撃談だったかも知れない。
あるいは、自らが手を下したことかも知れない。
ともかくひどく悲しかったのを覚えている。

彼は、内証話を打ち明けると言った調子ではなく、
さり気なく伝えるように抑揚のない声で言った。
「ひょっとすると、
それが原因でいまだに中華料理が食べられないのかも知れない」

父親に中国のことをもっと聞かないのか、と私は尋ねた。
「聞きたくなかった」と彼は言った。
「父にとっても心の傷であるに違いない。
だから僕にとっても心の傷なのだ。
父とはうまくいっていない。子供を作らないのはそのせいかも知れない」。

私は黙っていた。彼はなおも続けた。
「僕の血の中には彼の経験が入り込んでいると思う。
そういう遺伝があり得ると僕は信じている」。

村上春樹はなぜ両親について語らないのか―
全共闘世代のルーツ - BUNGAKU@モダン日本 -
Yahoo!ブログ

また、詳細はわからないが、
やはり以前に外国人記者によるインタビューでも、
両親との関係について語っているらしい。

そういえば、「ガイジンによる、ガイジンのための、
ムラカミハルキ」(LAタイムマガジン)という村上春樹への
インタビューの翻訳版(1992年5月)を持っているのだが、
そこでも両親との微妙な関係を語っている。
この翻訳版は結構希少価値があるのでは…と思っているのだ。

ちっちの寺子屋: 村上春樹『意味がなければスイングはない』
上のエントリには明記されていないが、
インタビューの翻訳が載ったのは『月刊PLAYBOY』1992年9月号。
それに触れたサイトがあったので引用しておく。

村上春樹の小説に父親が出てくることは少ないが、
『月刊PLAYBOY』(1992年9月号)に掲載された「ガイジンによる、
ガイジンのためのムラカミ・ハルキ」というインタビューの中で、
父親が「家族を支配していました」
と語っている。そして、別のところで次のように語っているという
(宮脇俊文『村上春樹ワンダーランド』いそっぷ社に再録)。

日本は男性に支配されている国です。
ぼくはそこがいやでした。
ぼくとオクサンは対等のパートナーで一緒に働いています。
両親はぼくを愛してくれたので、幸福な子供時代を送ることができました。
しかし、18や19歳になったときには幸福ではありませんでした。
たぶん父親が強すぎたのです。
結果的にぼくは自分で満足できる生き方を見つけました。

父性の創造------知性と感性の間
村上春樹ワンダーランド
作者: 宮脇俊文
出版社/メーカー: いそっぷ社
含むブログ (8件) を見る

こちらはまだ新刊で入手できるようだ。

2009-2-19 追記
春樹さんのお父さんに学校で教わったという方のエントリを発見。
春樹さんが描く父親の像とはまた違う面が感じられる。

村上千秋先生がご逝去されたとの葉書が届き、驚く。

村上先生は、僕の中学2年のときの担任の先生で、
中学3年間を通しての国語の先生だった。
そして、日本を代表する作家である、
村上春樹さんのお父さんでもある。

ほんとうに温厚で優しい先生で、あのとき村上先生に教わったことは、
かけがえのない経験だったと、今でも思う。
その当時も、息子の春樹さんのことはたまにお話されていたけれど、
それも控えめに、ほんの少し、はにかんで語るだけだった。
なかなかハードで余裕のないシビアな進学校の中で、
村上先生の授業には、めずらしく
「ゆったり」した感じがいつも流れていて、
ときに僕にも声をかけて下さったりして、
僕は、いつも、村上先生のその気配に、救われていた。

享年90歳。合掌。
トラヴァース・ノート : 村上先生ご逝去

もいっちょ追記
予備校で村上春樹さんのお父さんにならったという方のエントリもありました。
上の方のエントリ以上に、春樹さんが描く像とのギャップが大きい。
(改行はボクが改めました。)

わたしは神戸育ちで(小学校卒業までは神戸高校の近くに住んでいた)、
今回のスピーチで村上春樹氏が─これまでになく─言及されている
お父上の村上千秋先生に神戸のとある予備校で国語(古典)を習ったのが、
わたしが村上春樹をきちんと読み始めたきっかけになっている。

6月頃だったか、村上先生は授業を中断し、
名前を伏せて息子の話を始められた。
幼少時代の息子のほほえましいエピソード
(そのなかには息子からポニーをねだられた─
そしてさすがにそれは買ってあげられなかった
─というエピソードもあった。
ほしがったものは結構、
買い与えていたとおっしゃっていたように記憶している)、

息子は頑固だった(というより何かほしかったときには意志がかたかった)
ということ、テーブルに日本文学や古典を山積みになっていたような
自宅だったが息子は高校時代から洋書を読み始めたこと、
早稲田大学に入ったが数年かけて卒業し、店をはじめたりし……など。

先生は最後に「今は作家をしている」その息子とは「村上春樹だ」
と名前を明かされた。
人にはいろいろな道がある、浪人したからといって諦めるな、
といったような励ましだった。

村上春樹エルサレム賞受賞スピーチ - 雪街音楽メモ

世界の終わりと・・・(Wikipedia)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(せかいのおわりとハードボイルド・ワンダーランド)
は村上春樹の4作目の長編小説。
1985年、第21回谷崎潤一郎賞受賞
(30歳代での受賞は大江健三郎以来史上二人目)。


1985年(昭和60年)に新潮社から刊行され、後に新潮文庫として上下巻で文庫化された。
また『村上春樹全作品 1979~1989〈4〉』に収録され、このとき若干の修正が加えられている
。村上にとっては外国語訳された二冊目の小説であり、
『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』へとつづく
新潮社系村上長篇作品の第一作である。

作品は「世界の終り」と「ハードボイルド・ワンダーランド」の章に分かれており、
世界を異にする一人称視点(「僕」と 「私」)からの叙述が、章ごとに交互に入れ替わりながら、
パラレルに進行する。
但し、厳密な意味でのパラレルとは言えない(『海辺のカフカ』の同時間軸とは異なる)。
『ノルウェイの森』(単行本)のあとがきの中で
、村上はこの小説を自伝的な小説であると位置づけている。

また「世界の終り」は『文學界』(1980年9月号)に発表された中篇小説『街と、
その不確かな壁』に基づいているが、
主人公の選択する結末はまったく逆のものとなっている。

2002年時点で、単行本・文庫本を合わせて162万部が発行されている。


ストーリー
世界の終り
「世界の終り」は、一角獣が生息し「壁」に囲まれた街、
「世界の終り」に入ることとなった「僕」が「街」の持つ謎と「街」が生まれた理由を捜し求める物語。
外界から隔絶され、「心」を持たないが故に安らかな日々を送る「街」の人々の中で、
「影」を引き剥がされるとともに記憶のほとんどを失った「僕」は葛藤する。
「僕」は図書館の夢読みとして働きつつ、影の依頼で街の地図を作り、
図書館の女の子や発電所の管理人などと話をし、街の謎に迫っていく。時間軸的には
『ハードボイルド・ワンダーランド』の「私」がシャフリングを行ったのと同時に
(すなわち、「私」の思考システムが「第三の思考システム」に切り換わったのと同時に)
『世界の終り』のストーリーが始まるものと思われる。

登場人物

僕 : 「世界の終り」における主人公。「外の世界」から「街」に入った後、
「図書館」で「夢読み」という職に就く。「影」を引き剥がされた際、「外の世界」の記憶の殆どを失った。

影 : 主人公の影。「街」に入る際に「門番」によって「僕」から引き剥がされる。
主人公の記憶の殆どを所持しているが、うまく使うことができない。

門番 : 「街」の唯一の門を守る男。「獣」達や「影」の世話をしている。
仕事がら膨大な数のナイフを所持している。

大佐 : この街を守っていた元軍人。
「僕」の隣人の「街」で唯一チェスに強い関心を示す。

図書館の女の子 : 「図書館」の司書。「図書館」で「古い夢」を読む「僕」を補佐する。
「街」の他の人々と同様、「心」を持たないが…。

発電所の管理人 : 「街」で唯一の発電所を管理する。不完全な「心」を有しており、
その所為で「街」には入れないが、森に追いやられることもない。

獣 : 「街」に生息する一角獣。きよらかで美しい生き物。「ある理由」から冬多くの個体が死ぬ。
しかし彼らは再び春に生まれると言われている。

鳥 : 「壁」を飛び越え「街」と「外の世界」を自由に行き来できる唯一の存在。
つまり彼らの存在が「壁」の外の世界がある事を示している

ハードボイルド・ワンダーランド
「ハードボイルド・ワンダーランド」は、
近未来と思われる世界で暗号を取り扱う「計算士」として活躍する「私」が、
自らに仕掛けられた「装置」の謎を捜し求める物語である。
半官半民の「計算士」の組織「システム」とそれに敵対する「記号士」組織「ファクトリー」は、
暗号の作成と解読の技術を交互に塀立て競争の様に争っている。
「計算士」である「私」は、暗号処理の中でも最高度の「シャフリング」を
使いこなせる存在であるが、その「シャフリング」システムを用いた仕事の依頼を
ある老博士から受けたことによって、状況は一変する。

私:「ハードボイルド・ワンダーランド」における主人公。人間の潜在意識を利用した数値変換術
「シャフリング」を使用できる、限られた「計算士」の内の一人。
古い映画や文学、音楽を愛好する。

老博士:フリーランスの生物学者。富豪。都会の地下を流れる水脈の滝の裏に、
秘密の研究所を持つ。
計算士である「私」に「シャフリング」の依頼を行う。

太った娘:博士の孫娘。「私」曰く、理想的な太った体型。ピンク色の衣服を好み、
フレグランスはメロンの香り。博士から英才教育を受け、射撃、乗馬、株など特技は多いが、
常識に疎い部分も多い。

リファレンス係の女の子:調べもののため「私」が訪れた図書館のリファレンス係の女の子。
髪が長く、スレンダーであるが胃拡張であり、「私」曰く、「機関銃で納屋をなぎ倒すような」
食欲の持ち主。夫と死別している。

大男:「私」の家に訪れる謎の二人組みの内の一人。元プロレスラー。

ちび:「私」の家に訪れる謎の二人組みの内の一人。大男の面倒を見ている。二
人は「システム」にも「ファクトリー」にも属さない第3の勢力に属すると主人公は予測する。

やみくろ:地下に生き汚水を飲み、腐ったもののみを食べる生物。東京の地下にあるとされる
巨大な巣に生息している。彼らについて多くは解っていないが知性や宗教の様な物があると
考えられている。東京の地下鉄の発展と共に勢力を広げた。
光が降りそそぐ世界に住む人間達を憎んでいるが人間たちの殆どはその存在を知らない。
記号士たちと一時的に手を組んでいる。
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