LET IT BLEED 

日々の記録。

■事故

転落事故


転落事故


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転落事故の事例(初出=「lliveleak」)

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(転落事故)

機械への巻き込まれ・挟まれ・切断による労災被害


機械への巻き込まれ・挟まれ・切断による労災被害


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海外で発生した巻き込まれ事故の事例(初出不明)

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2015年10月に中国の製紙工場で発生した巻き込まれ死亡事故(初出=「liveleak」)

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機械に体の一部が巻き込まれたり、挟まれたり、
鋭利な部分にあたって切断してしまうというのは、
典型的な労働災害の1つです。

主に、金属などの製造・加工業、食品加工業といった工場内のほか、
機械を使用する様々な現場で発生しています。

典型例

【巻き込まれ事故】

作業中・清掃中に、体や衣服の一部が稼動している機械に巻き込まれ、負傷する事故。

【挟まれ事故】

固定部分と可動部分(または可動部分同士)の間に身体の一部が挟まれ、負傷する事故。

【切断】

鋭利な機械を用いて作業中、刃に手指が接触し、切断する事故。

インド女子大生6階から転落死 2017


インド女子大生6階から転落死 ジップライン実習中の事故
テレビ朝日系(ANN)(インド、ジャイプール、7月25日、映像:SWNS/AFLO)
2017年7月26日


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インドの女子大で7月25日、登山教室のジップライン実習中に、
順番待ちの学生が6階建てのビルの屋上から転落、死亡した。
インド北西部ラジャスタン州のジャイプールにあるインターナショナル・カレッジ・フォー・ガーズで
行われていたジップライン実習中に、屋上で順番待ちしていた登山経験もあるアディチ・サンギさん(16)が、
足を滑らせて転落した。
目撃者によると、サンギさんは腰に結わえてあったロープを掴もうとしたが掴みそこなって転落。
搬送先の病院で死亡が確認された。

※事故に遭われた方のご冥福をお祈り申しげます。

北海道砂川市衝突轢き逃げ事故(産経新聞他)


北海道砂川市衝突轢き逃げ事故(産経新聞他)



北海道砂川市の交差点で軽ワゴン車と乗用車が衝突



6日午後10時35分ごろ、北海道砂川市の国道12号の交差点付近で、
乗用車と軽ワゴン車が衝突する事故があったと110番通報があった。
7人が病院に搬送され、歌志内市歌神の会社員、永桶弘一さん(44)と女性2人の計3人が死亡した。
永桶さんは軽ワゴン車に乗っていたとみられる。

砂川署によると、衝突現場から西側に数百メートル離れた路上で、
別の男性1人が死亡しているのが見つかった。
ひき逃げの疑いがあるとみて、事故との関連を調べている。

現場は国道と道道が交わる信号機のある交差点付近。道道を東へ進んでいた軽ワゴン車と、
国道を北に進んでいた乗用車が出合い頭に衝突したとみられ、乗用車は炎上。
国道の中央分離帯には、車が接触した跡があった。
砂川署が亡くなった男女や負傷者の身元の確認を進めている。
(出典:産経ニュース 6月7日)


北海道4人死亡事故、長男ひき逃げ容疑で26歳男逮捕 「人ひいた認識ない」と否認


北海道砂川市で歌志内市の会社員、永桶弘一さん(44)ら5人家族の4人が死亡した衝突事故で、
高校1年の長男、昇太さん(16)をひきずって放置したとして、
北海道警は9日、道交法違反(ひき逃げ)の疑いで、上砂川町上砂川の解体工、
古味竜一容疑者(26)を逮捕した。

道警によると、古味容疑者は「人をひいたという認識はありません」と否認している。

逮捕容疑は6日午後10時35分ごろ、砂川市西1条北22丁目の国道で、
ピックアップトラックで昇太さんをひき、車体の底に挟んだまま約1・5キロ走行して死なせ、
放置したとしている。
(出典:産経ニュース 6月9日)


直前、5人で居酒屋に 衝突車両の男性ら 北海道の4人死亡事故


北海道砂川市で歌志内市の会社員、永桶弘一さん(44)ら4人が死亡した事故で、
永桶さんの軽ワゴン車と衝突した乗用車に乗っていた土木作業員の男性(27)ら3人が事故前の6日夜、
道交法違反(ひき逃げ)の疑いで逮捕された古味竜一容疑者(26)と同乗者の計5人で、
砂川市の居酒屋で飲食していたことが11日、捜査関係者への取材で分かった。

捜査関係者によると5人はその後、国道12号を通って事故現場の先の滝川市方面に向かっていた。
道警は、乗用車の男性も酒を飲んで運転した疑いがあるとみて、
けがの回復を待って3人から詳しく事情を聴く。

砂川署は11日、道交法違反(ひき逃げ)容疑で、古味容疑者を送検した。

(出典:産経ニュース 6月11日)


入院先から警察施設へ 逮捕された谷越容疑者 北海道家族一家4人死亡事故


北海道砂川市で親子4人が命を落とした6日の事故で、北海道警は12日午前、建設業、
谷越隆司容疑者(27)の逮捕に踏み切った。
事故では自らも負傷し、この日、入院していた市内の病院から警察施設に移された。

午前10時半ごろ。砂川市立病院から警察のワゴン車が走り出た。報道陣のカメラが一斉に光る。
スモークガラス越しに警察官に付き添われた谷越容疑者の姿。うつむいたまま、
報道陣から目を背けているように見えた。

逮捕容疑は自動車運転処罰法違反の危険運転致死傷。
見舞客や近くの住民らも谷越容疑者を乗せた車が走り去るのを見つめていた。

(出典:産経ニュース 6月12日)


ひき逃げ容疑の26歳男、危険運転容疑で再逮捕へ 北海道4人死亡事故


北海道砂川市で歌志内市の会社員、永桶弘一さん(44)の家族4人が死亡、1人が重体となった事故で、
北海道警が、長男の昇太さん(16)に対する道交法違反(ひき逃げ)容疑で逮捕した解体工、
古味竜一容疑者(26)を、自動車運転処罰法違反(危険運転致死)の疑いで近く再逮捕する方針を
固めたことが28日、捜査関係者への取材で分かった。

捜査関係者によると、6日午後10時35分ごろ、砂川市の国道12号で、
永桶さんの軽ワゴン車に衝突した友人の谷越隆司容疑者(27)=自動車運転処罰法違反
(危険運転致死傷)容疑で逮捕=の乗用車に続いて、猛スピードで故意に赤信号を無視して
交差点に進入。軽ワゴン車から投げ出された昇太さんを米国メーカー製ピックアップトラックでひくなどして
死亡させた疑いがもたれている。

(出典:産経ニュース 6月28日)



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砂川市内繁華街

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<砂川一家5人死傷事故>遺族の心に深い傷…6日で1年



毎日新聞 2016年6月6日(月)

◇「もうすべてをあきらめた」

北海道砂川市で軽ワゴン車と乗用車が衝突し、一家4人が死亡、1人が重傷を負った事故から、
6日で1年となった。
事故のあった場所から約1.5キロ離れた人けのない路地裏の道の一角には、
黄色い花が供えられていた。
飲酒運転の暴走車に引きずられて命を落とした男子高校生の遺体が見つかった場所だ。
現場周辺を歩くと、時間は今も止まったままだった。

「私たちは、もうすべてをあきらめた。何をしても息子たちが帰ってくることはないのだから……」

4月下旬、歌志内市に住む一人の女性を訪ねた。顔に深いしわを刻んだ女性は、
記者の取材にそう話したきり、固く口を閉ざした。

玄関先に立った女性と記者との間に、沈黙が流れる。
「もう事件とは関わりたくない」。
しばらくしてから出た女性の言葉を前に、それ以上取材を続けることはできなかった。

女性は、事故で亡くなった歌志内市の永桶(ながおけ)弘一さん(当時44歳)の母。
一家5人で軽ワゴン車に乗っていた昨年6月6日夜、
飲酒運転で競い合いながら信号無視をしてきた乗用車に衝突され、
妻文恵さん(同44歳)、高校3年の長女恵さん(同17歳)、
高校1年の長男昇太さん(同16歳)とともに亡くなった。

事故で昇太さんは車外に投げ出され、
乗用車と並走していたピックアップトラックに引きずられた。

当時中学1年で、一家で1人だけ生き残った次女光さん(13)は脳に重い障害を負い、
今も入院してリハビリを続けている。関係者によると、光さんには、
家族が亡くなったことはまだ知らされていないのだという。

仲のよい家族で、近所の住民は5人が自宅アパートの車庫で
バーベキューをしている姿をよく見かけた。
酒を飲まない弘一さんは気さくで親しみやすい性格で、
子どもたちを山歩きや魚釣りへ連れて行った。
アパートの前ではいつも、きょうだいがテニスを楽しむ笑い声が響いた。

同じアパートに住む主婦(79)は「一家は地域の交通安全運動にも参加して、
夫婦はよく通学する子どもたちを旗を振って見送っていた。
あんな家族がなぜ犠牲に……」。それ以上言葉が続かなかった。

光さんと同じクラスに通っていた女子生徒(13)は、
今も親友の帰りを待ち続けている。
「同じテニス部に入って、放課後や休みの日はいつも一緒に練習していた。
明るい光ちゃんの笑顔を、早くまた見たい」

◇◇砂川一家5人死傷事故◇

北海道砂川市の国道12号交差点で2015年6月6日深夜、
軽ワゴン車と乗用車が出合い頭に衝突し、軽ワゴン車の家族4人が死亡、
1人が重傷を負った。
乗用車を運転していた上砂川町の建設業、谷越隆司被告(28)が
自動車運転処罰法違反(危険運転致死傷)と道交法違反(酒気帯び)で、
並走するピックアップトラックを運転していた同町の解体作業員、
古味(こみ)竜一被告(27)が危険運転致死傷と道交法違反(ひき逃げ)で
それぞれ起訴された。両被告は砂川市内の飲食店で酒を飲んだ後、
競い合いながら走って事故を起こしたとされる。公判期日は未定。


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福岡海の中道大橋飲酒運転事故(ふくおかうみのなかみちおおはしいんしゅうんてんじこ)

福岡海の中道大橋飲酒運転事故(ふくおかうみのなかみちおおはしいんしゅうんてんじこ)
2006年(平成18年)
(NAVERまとめ・blogimg.goo.ne.jp・blogs.c.yimg.jp・WIKIPEIA・2ちゃんねる他)

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※事故発生当日の現場の状況(2006(平成18)年8月25日)


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※今林 大(ふとし)・24歳(2008年撮影)


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福岡海の中道大橋飲酒運転事故(ふくおかうみのなかみちおおはしいんしゅうんてんじこ)とは、
2006年(平成18年)8月25日に福岡市東区の海の中道大橋で、市内在住の会社員の乗用車が、
飲酒運転をしていた当時福岡市職員の男性(当時22歳)の乗用車に追突され博多湾に転落し、
会社員の車に同乗していた3児が死亡した事故。

主犯の加害者に対しては、危険運転致死傷罪が適用されるかが争点になったが、
危険運転致死傷罪と道路交通法違反を併合した懲役20年の刑が最高裁にて確定、執行された。

事故概要


※年齢はいずれも事故当時のもの。

2006年8月25日22時50分ごろ、33歳の会社員・その29歳の妻・3児の家族5人が乗っていた乗用車が、
福岡市西部動物管理センターに勤務していた加害者(当時22歳:以下、「A」とする)
が運転する乗用車に海の中道大橋で追突された。
追突された被害者側乗用車は橋の欄干を突き破り、そのまま博多湾に転落した。
乗用車は水没し、この結果車内に取り残された4歳の長男・3歳の次男・1歳の長女の計3名が
溺れて死亡した。また脱出に成功した会社員と妻も軽傷を負っている。

追突後、Aは逃走を図ったが、追突により車両の左前部が大破していたことから、
事故現場の300m先で停止した。逃走をあきらめたAは被害者を救助する意思もなく、
水を飲むなど飲酒運転の隠蔽工作を試みた後に身柄を確保され、翌26日の早朝に逮捕された。
当夜Aは自宅や複数の飲食店で飲酒をしており、
事故直前には現場近くの交差点で停車中の車に衝突しそうになったという目撃証言がある。
事故当時、Aは80km/hぐらい出していたと供述した。飲酒量もビール数本に焼酎数杯と、
相当量の酒を飲んでいる。また、複数の友人・知人に身代わりを依頼し、断られている事も判明した。

事故後にAに大量の水を飲ませ飲酒運転を隠蔽した22歳の大学生Bが証拠隠滅容疑で、
飲酒運転と知りながら同乗した32歳の会社員Cが道路交通法違反(飲酒運転幇助)の容疑で
逮捕されたがB・Cとも不起訴となった。
Aは危険運転致死傷罪と道路交通法の救護義務違反(ひき逃げ)で起訴された。
福岡市は被告人を分限免職したが、この処分に対し福岡市には900件を超える苦情があり、
8月28日に山崎広太郎市長が陳謝した。
山崎市長は「飲酒運転は厳罰」を表明。2006年9月15日付で被告人を懲戒免職とした[1]。
なお、事件から約3か月後の2006年11月19日の福岡市長選挙では、
山崎は新人の吉田宏に敗れた。

裁判では弁護人は「飲酒運転の影響はまったくなく途中の追突もない正常な運転で、
わき見が原因」[2]、「被害者の父親は居眠り運転をしていた」と主張した。
これについて被害者の父親は「私個人に非があるような言い分は許せない」と批判した。

判 決


一審の福岡地方裁判所は業務上過失致死傷罪のみを認定し、懲役7年6月とするが、
検察が控訴。さらにA側も量刑を不服として控訴した[3]。
この際、初公判で、「悔やんでも悔やみきれません」「まっ黒な海の中でたくさんの水を飲み、
苦しみながら亡くなった子どもたちのことを思うと、どうおわびして良いか、言葉が見つかりません」
「私にできることを誠心誠意行い、償っていきたい」
と涙ながらに反省と償いの言葉を口にしたにもかかわらず、
判決を不服として控訴した被告人に批判が続出した。

二審の福岡高等裁判所は危険運転致死傷罪を認定し、
道路交通法違反と併合して懲役20年の判決を下した[4]。Aは上告した。

最高裁は2011年10月31日、上告を棄却する決定をした[5][6]。
5人中4人の裁判官が危険運転致死傷罪が成立すると判断したが、
田原睦夫(弁護士出身)は危険運転致死傷罪は成立しないとの反対意見を示した[6]。

一方、被害者家族が加害者に対し約3億5,000万円の損害賠償を求めていた民事訴訟は、
2012年10月17日に加害者が謝罪した上、福岡地裁で和解が成立している
(金額は明らかにされず)[7]。

事件の影響


市幹部の処分山崎市長は9月26日、自身の10月分の給料を20%減額すると発表した。
また、男性が勤務していた動物管理センターを統括する保健福祉局の担当者として、
中元弘利副市長も10月分給料の10%を自主的に返上することを表明した。
また、9月29日には、保健福祉局長が10月分給料を10%減給、
生活衛生部長・動物管理センター所長・人事部長が文書訓戒、総務企画局局長が戒告、
西部動物管理センター所長が厳重注意という処分内容を発表する。
祭りイベントAが市職員であったことから、2007年以降、学校関係施設を中心に
アルコールの販売を中止した。
飲酒運転の社会問題化この事件を契機に、飲酒運転関連事件・事故などが重大な社会問題となり、
マスメディアも特集した。
危険運転致死傷罪を逃れようとする隠蔽工作やひき逃げも問題視された。
危険運転致死傷罪の立件が困難なことから「逃げ得」になっていると批判された。
「逃げ得」解消を図るために、2007年道路交通法改正により、
飲酒運転とひき逃げの罰則が強化された。

脚 注


1.^ 飲酒運転3児死亡事故、福岡市が容疑者を懲戒免職
2.^ 2007年11月20日の1審最終弁論。弁護側「事故は全くの偶然」 執行猶予求める。
読売新聞九州版 2007年11月21日
3.^ 3児死亡事故、「量刑不当」とA被告も控訴 読売新聞九州版 2008年1月23日付
4.^ sankei.jp.msn - 幼児3人死亡事故控訴審 1審判決を破棄、危険運転致死傷罪適用で懲役20年。
2009年5月15日閲覧。
5.^ 最高裁判所第三小法廷判決 2011年10月31日 、平成21(あ)1060、
『危険運転致死傷,道路交通法違反被告事件』。
6.^ a b “福岡・3児死亡飲酒事故、懲役20年判決確定へ”.
asahi.com (朝日新聞社). (2011年11月2日) 2011年11月2日閲覧。
7.^ 福岡の3児死亡飲酒事故で和解 受刑者ら謝罪、賠償 共同通信 2012年10月17日
(出典:Wikipedia)
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福岡海の中道大橋

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福岡海の中道大橋

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事故の発生状況(出典:http://blogs.yahoo.co.jp/reikyo0703/30346206.html)

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加害者が乗っていた乗用車:トヨタ・クラウンマジェスタ(CROWN MAJESTA)

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被害者家族が乗っていた乗用車:トヨタ・ランドクルーザープラド(LAND CRUISER PRADO)

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時系列



◆8月25日(金曜日)午後5時


福岡市西区にある福岡市西部動物管理センターで野犬の引き取りやペット飼育の啓発などを
担当している今林 大(ふとし)容疑者(22歳)は、午後5時に退庁し、帰宅後、一人で飲酒します。


◆25日当日7時過ぎ


半年くらい前から常連になっている焼鳥屋で、東区のタイル職人の友人男性(20歳)と32歳の先輩ら、
2名と待ち合わせをしていて、ここで生ビールのジョッキ3杯、焼酎5合瓶(900ml)を飲み干し、
新たに焼酎5号瓶を注文し3分の1を飲んでいます。

午後9時半頃ようやく会計し、今林容疑者は一旦タクシーで帰宅します。


◆25日当日午後10時前


このままテレビを観て寝てしまえば良かったのに、酩酊状態で自家用車を自ら運転し、
この日2軒目の、行きつけのスナックに繰り出します。

ここも、知人と待ち合わせをしていたのでした。

このスナックでも、焼酎やブランデーの水割りをしたたか飲み、
動物管理センターの同僚らに「すごく酔ってる」などとメール送信しています。

事故後、福岡県警は、このスナックを
「道交法違反(酒酔い運転ほう助)容疑」で検挙しようとしますが、

・ 今林大容疑者が普段店からタクシーを呼ぶこともあった事実
・ 今林大容疑者が当日車で来店したのを見ていない

ことから、店が飲酒運転を知りながら酒を提供したのではないと判断し、
立件を見送ったのでした。


◆25日当日午後10時半ごろ


スナックを会計し、今林大容疑者は「ナンパ目的」のため福岡市中心への移動を提案し、
意気投合します。

今林大容疑者は、スナックで飲んだ今林健容疑者とタイル職人の男(20歳)の2人を乗せて、
飲酒運転し、途中、同乗者を一人降ろします。


◆25日当日午後10時50分ごろ


追突された大上哲央(あきお)さん(33才)の運転するRV車は、制限速度50kmの車道を、
「流れに乗って雁の巣から人工島に向かって走行していた」ことから、時速60km前後で 
走行していたと考えられますから、今林大容疑者の乗用車が、「海の中道大橋」
の中央付近で前方不注意のまま、前方のRV車右後部にノーブレーキで激突して、
空中を飛ぶほどの勢いでRV車をはじいたことを考えると、今林容疑者の乗用車は、
「時速80kmくらい」どころではなく、時速120km以上の猛スピードを出していた」
可能性が出てきました。

追突されたRV車には、福岡市博多区千代1丁目の会社員大上哲央(あきお)さん夫婦と
子供3人の家族5人が乗っていました。

追突のはずみで道路左脇の歩道を乗り越え、ガードパイプを突き破って約14m下の博多湾に転落、
夜の暗い海中に沈み、同乗していた大上さんの長男紘彬(ひろあき)ちゃん(4歳)、
次男倫彬(ともあき)ちゃん(3歳)、長女紗彬(さあや)ちゃん(1歳)の3人を水死させ、
大上さんと妻かおりさん(29歳)に軽傷を負わせました。


◆8月25日事故直後


激しい衝突で、前方のRV車は吹っ飛び、今林大容疑者の乗用車も、前部が大破します。

事の重大さを認識した今林大容疑者は、追突したRV車に搭乗した人の救護や警察への連絡より、
逃亡を図りました。

警察や消防署への連絡は、事故の目撃者が行なっています。

たまたま、今林大容疑者の乗用車が大破していたことで、事故現場から約300m先で、
車が走行不能になって止まりました。

走行不能にならなければ、もっと遠くまで逃げていたことでしょう。

今林大容疑者は、逮捕後に、スナックから事故現場までの道順について「覚えていない」
と供述しています。

今林大容疑者の供述は二転三転しています。

今林大容疑者は走行不能の車から降りて外に出て、携帯電話で中学時代の同級生である親友の
大学生・中山勝志(まさし)容疑者(22歳)など複数の友人に「飲酒運転で追突事故を起こしたので、
身代わりに出頭してもらえないか」という身勝手な依頼をし、
当然のことながら全員に断られてしまいます。

そのため中山容疑者には、飲酒運転の隠ぺい工作の助言を求め、大量の水を飲むことで、
血中アルコール濃度を薄めることにして、中山容疑者に事故現場に水を持って来させました。

中山容疑者は2リットルのペットボトル2本を持ってきたようで、今林大容疑者は、
このうちの1本を半分、約1リットルを一気飲みします。

中山容疑者の身勝手な隠ぺい工作の最中に、
暗い海に転落した大山さん夫婦が後部座席の子供たちの救助に懸命になっていました。

母かおりさんは、気丈に子供3人を助けるため4回も暗い海に潜っていたのです。


◆8月25日午後11時半ごろ


激突事故から40分も経ってから、今林大容疑者は、水の入ったペットボトル1本を持ちながら、
事故現場に現われ、追突車両を運転していたことを警察官に申告します。

警察官の見ている前で、ペットボトルの水を飲み出し、警察官に制止されます。

事故から40分も経って、大量の水もガブ飲みした上で、ようやく飲酒検知が行われ、
今林大容疑者の呼気から0.25ml以上のアルコールを検出したことで、
酒気帯びで現行犯逮捕されました。

今林容疑者は飲酒運転の発覚を恐れて逃走しましたが、車が走行不能になり、
これ以上逃げられないと観念し、友人を頼って、身代わり出頭も誰も引き受けないので、
水を大量に飲んだ上で現場に戻ったのでした。


◆8月26日午前1時50分ごろ


すでに、大山さん夫婦の次男倫彬(ともあき)ちゃん(3歳)、長女紗彬(さあや)ちゃん(1歳)は、
レスキュー隊によって病院に搬送され死亡が確認されていましたが、午前1時50分ごろになって、
福岡県警東署は車に閉じ込められていた長男紘彬(ひろあき)ちゃん(4歳)を発見し、
その死亡を確認しました。


◆8月26日早朝


今林大容疑者は、業務上過失致死傷と道交法違反(ひき逃げ)の疑いで逮捕されます。

ここでも、「軽い接触事故だと思った」と供述しているのです。


◆8月26日昼ごろ

福岡市長は、2016年夏季五輪招致の推進番組に出演したので、事故の謝罪会見には
副市長が出席しました。


◆8月27・28日


亡くなった幼児3人の通夜・告別式が斎場で営まれ、友達や両親の知人ら数百人が参列し
冥福を祈りました。告別式には市長も参列しています。


◆9月5日(火曜日)


「容疑者に多量の水を飲ます」証拠隠滅の疑いで中山勝志(まさし)容疑者(22歳)を逮捕し、
飲酒運転を知りながら止めなかった道交法違反(酒気帯び運転ほう助)
で今林健容疑者(32歳)を逮捕しました。


◆9月11日(水曜日)


今林大容疑者の車に同乗していた東区のタイル職人の友人男性(20歳)について、
「飲酒運転を促して同乗したわけではない」ことから、道交法違反(酒酔い運転ほう助)
容疑での立件を見送りました。
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◆【飲酒運転】今林被告よりは幸せ【幼児3人死亡】(出典:2ちゃんねる)



2 :1:2007/09/06(木) 22:01:57 ID:VKmYUVWf0
いくら俺らが負け組みだとしても、こいつと比べれば幸せだよな。
こいつの気持ちになってみろよ?
絶望なんてもんじゃねえぜ。負け組みなんてもんじゃねえぜ。生き地獄だよ。
まあ被害者も生き地獄だろうけど、加害者のほうもかわいそうだよな。
まあ悪いのは本人なんだが、それまでは普通の人生歩んでたのに、
ばら色の未来が待ってたかもしれんのにさ。おれらも他人事じゃねえよ。
いつ交通事故で人死なすかわからんしね。
それにしてもこいつとくらべれば幸せだなあwww

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 15:29:57 ID:7s6jWFI60
>>25
人のこと言えないが、あの大上哲央氏は地味なもてなさそうな顔だなw
子供もブサイクになるんじゃないの?w

福岡市東区で昨年8月に起きた飲酒運転追突事故で、幼児3人を亡くし、
9月16日に女児愛子ちゃんを出産した大上かおりさん(30)と
夫の哲央(あきお)さん(34)が21日、退院に先立ち、
同市内の病院で記者会見した。

かおりさんは、「命の重みを感じ、再びわが子を抱けるという喜びが
込み上げてきた。 本当にうれしい気持ちでいっぱいです」と話した。
出産には「家族で迎えたい」と哲央さんも付き添い、
そばに事故で亡くなった3人の写真を置いた。
体重2926グラム、身長46・6センチの愛子ちゃんが生まれた瞬間、
かおりさんはうれしさで声も出ず、哲央さんは「生まれてきてくれてありがとう」
と声をかけたという。
かおりさんは「3人に愛子ちゃんを抱っこさせてあげたかった。
苦しい思いと誕生の喜びをあわせて、3人に出産を報告しました」
と複雑な思いも吐露した。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070921i414.htm

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 13:59:43 ID:cwdqREex0
運転する側かいえば道路交通法の厳罰化は勘弁してほしい
飲酒の厳罰はともかく

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/06(火) 22:14:36 ID:bB9YEv8f0
福岡の3児死亡飲酒運転、元市職員に懲役25年を求刑

福岡市東区で昨年8月、幼児3人が犠牲になった飲酒運転追突事故で、
危険運転致死傷と道交法違反(ひき逃げ)の罪に問われた元市職員
今林大(ふとし)被告(23)の論告求刑が6日、
福岡地裁=川口宰護(しょうご)裁判長=であった。

検察側は「比類がないほど悪質かつ重大な犯罪で、
逃走したのは自己中心的で卑劣と言うほかない」
として、法定刑の上限となる懲役25年を求刑した。
判決は来年1月8日に言い渡される。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071106i211.htm

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 18:53:38 ID:33BmftMb0
とりあえず、民事で数億とるため、大上さん頑張ってくれ。
飲食業や今林の友人、負け組みはネットで必死だな。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/04(金) 16:25:38 ID:7audIkg/0
当時この事件報道を知った際、とても不思議に感じたのは子供さんを
助けに海に潜った方がお母さんの方だった事。
“お母さん水泳選手だったのかしら?でないと普通父親の方だよね”
と、、思っていたのですが、目が点になったのはドキュメンタリーで
の出産シーン(予告しか見ていません)と退院時の皇室さながらの
満面の笑顔で花束贈呈シーン(ニュース)でした。
後に皇族のお子様名を子供さんに名づけておられると知り、お母様
ご希望のシチュエーションだったのね、と納得しましたが!
香川の祖母姉妹殺害事件後のご両親の連日独占インタビュー姿と、
こちらのご両親が被ってしまいました。
両家共に被害者で、亡くなられた子供さんはとても気の毒なのですが、、

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/08(火) 11:05:55 ID:OnxVSmGR0
まーこれが土木作業員の飲酒運転によってだったら
刑は軽く20年行ってただろうな
今林は市の職員、仮にも福岡市に公式に認められたいわゆる
真面目な人って事で認識されている
裏の工作とか根回しとかもたくさんあっただろうね、
3人殺しても7年半とかふざけすぎ

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/09(水) 05:32:36 ID:ho34WXRh0
福岡飲酒運転死亡事故判決 
3幼児の母親「3人の命が絶たれた意味を彼にわかってほしい」

事故で3人の子どもを亡くした大上 かおりさんは
「彼が犯したことは、どんなことなのか。
彼が奪った命は、どんな子どもたちだったのか。
どんなにかわいい子どもたちだったのか。
ずっとずっとつながるはずだった命が断ち切られてしまったこと。
3人の幼い命とずっと言われてきたけれど、
3人の尊い命が生まれてくる背景には、
ずっとずっと続いてきた、わたしたちを含め、おじいちゃん、
おばあちゃんを含め、 ずっとずっとつながってきた命があって、
ヒロ君、トモ君、サーヤちゃんは生まれてきて、
ヒロ君、トモ君、サーヤちゃんが大きくなって、
これから続いていくはずだろう命も、すべて絶たれたということが、
どれほど大きな意味を持っているのかというのを、
彼にわかってほしかった」と話した。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn/20080108/
20080108-00000942-fnn-soci.html

120 :アルカイダ:2008/01/09(水) 10:53:17 ID:586plJzD0
日本全国の経営者の皆さんにお願いです。
今林被告は控訴無ければ実際はあと5年で出所しますが
その際必ず名前を変え履歴書もでたらめを書き面接に行きます。
絶対に採用しないようにしてください。
社会全体でとことん追い詰めましょう。

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/09(水) 10:59:40 ID:586plJzD0
大賛成!でも絶対に控訴すべき、そして懲役25年が妥当!

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/09(水) 11:20:14 ID:f/e+wrcM0
5年で出てきてもいいんじゃないですか?
民事で数億要求されて、親戚の議員先生に全額払ってもらったら
議員先生でも滝川高校のイジメは隠蔽できても
慰謝料を圧力でもみ消せないでしょう。

そうするうちに、また飲酒運転で人を殺すか。
どっちかしたら死刑か、よくっても刑務所から出れない。

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/22(火) 22:30:11 ID:V/8OlPyy0
福岡市東区の「海の中道大橋」で06年8月に起きた3児死亡事故で、
元市職員の今林大(ふとし)被告(23)側は22日、
業務上過失致死傷罪とひき逃げを併合した上限の懲役7年6月
(求刑・懲役25年)を言い渡した8日の福岡地裁判決を「重すぎて不当」
として福岡高裁に控訴した。

今林大ふざけんな死刑だ!

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 09:26:50 ID:qeIzd6TW0
<福岡3児死亡>控訴審初公判始まる 危険運転の成立争点

福岡市東区の「海の中道大橋」で06年8月に起きた3児死亡事故で
危険運転致死傷罪などに問われ、 1審・福岡地裁で業務上過失致死傷罪を
適用され懲役7年6月(求刑・懲役25年)を言い渡された元市職員、
今林大(ふとし)被告(24)の控訴審初公判が3日午後、
福岡高裁(正木勝彦裁判長)で始まった。1審同様検察側は危険運転致死傷罪
の適用を、弁護側は同罪の無罪をそれぞれ主張するとみられる。
危険運転致死傷罪が成立するかどうかが、控訴審でも最大の争点となる。
 この日正午過ぎからあった傍聴券の抽選には約240人が列をつくり、
市民の関心の高さをうかがわせた。
控訴審で、検察側は新証拠として事故を再現した動画の採用を申請するほか、
裁判官による現場検証を求める模様。
一方、弁護側は飲酒の影響を否定し、「事故原因は脇見による過失」
として業務上過失致死傷罪の適用を主張するとみられる。
 1審では、酒酔い運転による危険運転致死傷罪の適用が争点となったが、
判決は事故原因を今林被告の脇見運転と認定。「酒に酔った状態は明らかだが、
事故前に蛇行運転や衝突事故はなく、正常な運転が困難な状態とは
認められない」とし、危険運転致死傷罪を適用しなかった。
その上で業務上過失致死傷と道交法違反(酒気帯び運転、ひき逃げ)の罪を
併合した上限の法定刑を言い渡した。
1審判決によると、今林被告は06年8月25日夜、飲酒のうえ車を運転し、
海の中道大橋で大上哲央(あきお)さん一家5人が乗った車に追突。
博多湾に転落させ、大上さんの長男紘彬(ひろあき)ちゃん(当時4歳)、次男
倫彬(ともあき)ちゃん(同3歳)、長女紗彬(さあや)ちゃん(同1歳)を水死させ、
大上さん夫婦に軽傷を負わせた。さらに現場から約300メートル逃走し、
身代わりを頼んだ知人が持参した水を飲んで検知を受けた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080903-00000043-mai-soci

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 09:28:07 ID:qeIzd6TW0
検察側、改めて危険運転を主張=飲酒車追突3児死亡事故
−控訴審第1回・福岡高裁
福岡市で2006年、幼児3人が死亡した飲酒運転事故で、業務上過失致死傷と
道交法違反(酒気帯び・ひき逃げ)の罪で懲役7年6月の福岡地裁判決を受けた
元市職員今林大被告(24)の控訴審第1回公判が3日、
福岡高裁(正木勝彦裁判長)で開かれた。
検察側は控訴趣意書で「被告は前方の状況を把握できない状況下で
高速運転していた」と指摘。脇見が原因とした一審判決は誤りとし、
「仮に脇見運転としても(時速100キロで)最大12秒もの脇見はあり得ず、
アルコールによる影響としか考えられない」と破棄を求めた。
被告が友人に身代わりや水を持ってくるよう頼んだのは、事故の衝撃で
「われに返った」ためとし、酒気帯びと判断した警察官の飲酒検知は
著しく正確性を欠くとした。
一方、弁護側は被告は泥酔しておらず、被害者が居眠り運転をしていたと
主張し、量刑不当と事実誤認を訴えた。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080903-00000083-jij-soci

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 09:33:37 ID:qeIzd6TW0
3児死亡事故 終始うつむく今林被告 福岡高裁初公判 傍聴席に一礼

福岡高裁で3日開かれた、飲酒運転による3児死亡事故の控訴審初公判。
一審福岡地裁で懲役7年6月を言い渡された今林大(ふとし)被告(24)は
今年1月の判決以来、8カ月ぶりに法廷に立った。約1時間の公判中、
終始うつむき加減で、静かに陳述を聞いていた。
一審判決時と同様、黒いスーツにネクタイ姿の今林被告は、入廷直後に
傍聴席に向かって深く一礼。顔色は青白く、緊張したような面持ちで
被告席に座った。公判では検察、弁護側の双方が控訴趣意書を陳述。
弁護側は冒頭、「処罰感情を優先させ、適用法令の変更をあおるような
言論は、人民裁判の愚を繰り返すことになる」
と強調して報道を批判したが、今林被告は視線を下げ、手元のファイルを
見つめたまま。時折、ファイルにペンでメモを取る以外は
体を動かすこともなかった。
一方、3児の両親大上哲央(あきお)さん(35)とかおりさん(31)夫妻の
姿は法廷になかった。公判後、代理人の羽田野節夫弁護士は両親の
近況について「心無い誹謗(ひぼう)中傷を受け、心を痛めている」と説明。
被告弁護人が大上さんの居眠り運転を再び主張した点を
「心外。反論したいが今のところは裁判の成り行きをみたい」と話した。
また、一審判決後に今林被告から夫妻に謝罪の申し入れがあったが、
拒否した事実を明らかにした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080904-00000011-nnp-l40

196 :193:2008/09/04(木) 16:30:31 ID:w7ODo4K30>>194
今林被告にも非があるんだよな。追突後逃げたから。
自分が海に飛び込んで助けなくても、その場に留まって119番通報するぐらい
してればよかったんだが。

197 :193:2008/09/04(木) 16:46:47 ID:w7ODo4K30>>191
>一審判決後に今林被告から夫妻に謝罪の申し入れがあったが、
拒否した事実を明らかにした

せっかく今林が謝罪しようと頑張ったのに、大上はそれを受けつけないってか。
世の中には謝罪などせず、被害者に対して逆ギレ罵倒をするやつも多いのに、
今林の誠意を踏みにじりやがって。4人目の子供はロクな人生にならんな。

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/05(金) 14:18:05 ID:dOevZvE90
飲酒運転3児死亡から2年 両親いまだ傷癒えず 福岡
2008年8月25日(月)15:35

福岡市東区で平成18年8月、家族5人の乗った多目的レジャー車(RV)が
飲酒した市職員=懲戒免職=の乗用車に追突されて海に転落、
幼児3人が水死した事故は25日で発生から丸2年となった。
吉田宏市長は事故現場となった「海の中道大橋」を訪ね、
飲酒運転撲滅の誓いを新たにするとともに、 3人の冥福を祈って献花した。

事故を契機に、道交法の改正で飲酒運転が厳罰化されたほか、
運転者の意識の高まりもあり、飲酒運転による死亡事故は全国的に減少。
警察庁によると、全国で今年1〜6月に発生した飲酒運転による死亡事故は
前年同期比40・5%減の132件だったという。
関係者によると、子供たちを海から救おうとして果たせなかった
大上哲央(あきお)さん(35)夫妻は、今も事故の情景が突然よみがえる
などの症状に苦しみ、 福岡市を離れて療養中。
3回忌の法要は7月に親族で済ませたという。
3人と一緒に暮らしていた祖父は「事故を思い出せばたまらない。
今も大変な思いだ」と話している。

233 :夫婦が子供を作った理由:2009/02/02(月) 02:33:55 ID:i7sBdQtd0
>>231
.リスマス
こういう書き込みをしていた人がおりました。

> 458 名前:名無しさん@八周年[sage] 投稿日:2008/01/23(水) 15:25:33 ID:CgISnkeU0
> 普通に考えて、子供が3人死んだ事故が起きたばっかりなのに
> 2ヶ月で新しい子供をつくるという行為はいただけない。

事故は8月25日に起きましたので、2ヶ月後というと10月25日あたり。
たぶん、この書き込みをした人はセックスには興味があっても、
妊娠の事なんて何の興味もない若い♂なんでしょうね。
(「事故直後」言ってる人も大差ないみたいですけどね。)
「十月十日(とつきとおか)」だけは知ってて、普通のカレンダーで
逆算したのでしょう。
出産予定日が2007年9月14日でしたから、夫婦が実際にセックスしたのは、
クリスマスが近付いてきた頃なのにです。
そういう気持ちになったのも無理もないことでしょう。
前年は3人の子供たちのためにクリスマスプレゼントやらケーキやら、
部屋にはどんな飾り付けをしようかとか、考えるのが楽しかったはずですから。
子供たちが大喜びで微笑む姿も脳裏に焼き付いていたでしょう。
精神的にもまだ不安定な中、「今年はどうして子供たちがいないんだろう」
という虚脱感は、他の何をもってしても埋められなかったに違いありません。
ママである事、パパである事は、急にはやめられないのです。
夫婦には子供が必要で、それはサンタクロースからのプレゼント
だったのかもしれません。

234 :夫婦が子供を作った理由:2009/02/03(火) 04:25:48 ID:2y81WwBz0
井上夫妻との交流
一審判決当日、お昼のニュースで判決の事が報じられているのを、
飲食店で食事をしながら見ていたかおりさん(哲央さんもいたかも)の傍らで、
ある夫妻が一緒に食事をしていた様子をTVカメラが写していました。
その夫妻とは、99年11月28日、東京都世田谷区の東名高速道路で、
酒酔い運転の大型トラックに追突されて乗用車が炎上し、
まだ幼かった娘2人を亡くした井上保孝さんと郁美さんです。

井上夫妻にとっても、福岡の3児死亡事故は他人事とは思えなかったのでしょう。
事故直後からマスコミにコメントするなどしていらっしゃったので、
早い時期、おそらく3児の告別式あたりにはもう
大上夫妻との交流が始まっていたのではないかと思います。

同じ境遇が結びつけた2組の夫妻、大上夫妻はこの出会いをきっかけにして、
生きていくための一筋の光明を見出したに違いありません。
というのも、東名の事故当時、乗用車を運転していた郁美さんは妊娠中で、
事故から一ヶ月ちょっとして、三女の典子ちゃんをご出産なさっていらっしゃいます。
その後も井上夫妻は子宝に恵まれており、事故による心身の傷は深くとも、
新たな命を得て幸せな家庭生活を送っている家族がいるという現実を、
大上夫妻は目の当たりにしたのです。

しかも、東名の事故当時の井上夫妻よりも大上夫妻は若かったのですから、
井上夫妻が現在4人のお子さん(大上夫妻と交流が始まった時点では3人)
に囲まれているのなら、自分たちにも同じ以上のチャンスがあると確信し、
現実的な希望として抱いたのは、ごく自然なことだったと思います。

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/04(水) 00:38:02 ID:HC47SDs1O
その井上夫妻のような振る舞いをしていれば叩かれることは無かったと思います。
テレビでの公開出産に、違和感や嫌悪感を持った人は多かったでしょう。
福岡では、ずいぶん前に地元の芸能人(山本さん)が公開出産をしたことがあり
賛否両論巻き起こったことがあります。
事故でお子さんを亡くして間もない被害者の公開出産は、
共感をする人もいるのかもしれないけどそうじゃない人の方が
圧倒的に多いのは予測がつくこと。
ましてや、そこまで公開しておきながら海外生活や無職という噂が
飛び交うような生活態度。
もちろん、当人にしか分からない苦しみや悲しみを背負っているとは思うけど、
なんとなくその言動にちぐはぐなものを感じる。
悲惨な事故だったからこそ、裁判の行方を見届けたい、
ご夫妻のその後を見届けたい(立ち直って幸せになる姿を見届けたい)
っていう人は沢山いるはずなんですけどね・・

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/04(水) 18:55:05 ID:fRDN3c/u0
わざわざテレビで発表するのが駄目なんだよなぁ。
自業自得だよね。

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/04(水) 23:36:38 ID:HC47SDs1O
>>236
その通りだと思います。
この夫婦やそれを擁護する人たちには【喪にふくす】という概念が
欠落しているように感じられます。
それは、事故の悲惨さや責任といったものとは
別の問題じゃないかなと思います。

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/22(金) 19:31:54 ID:mkAA3T3o0
福岡高裁に懲役20年(求刑・同25年)を言い渡された元市職員、
今林大(ふとし)被告(24)=上告中=が20日、福岡拘置所に収監された。
福岡高検が同日、明らかにした。
http://mainichi.jp/seibu/shakai/news/20090521ddp041040027000c.html

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/23(土) 00:14:42 ID:brQvTysu0
刑務所内でまじめにやったとしても
出所するのは45ぐらいか。
どこも就職できないだろうな。
奴は大学出てないしその頃には大卒どころか大学院卒の時代だろう。
できることは老いた親に泣きつくしかないだろうねえ。
あ、親は慰謝料取られて財産ないもんね。
どうしようかねえ、今林犬ちゃんよお!

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/14(日) 01:15:18 ID:mpycAdWE0
正直結果がどうなろうが関係ない。
だが被害者にはこのような加害者も被害者も
報われない事故が起きないように努力してほしい。
賠償金をもらいのうのうと暮らすようなことはしないでほしい。
罪を重くするだけがすべてじゃないだろ

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/14(日) 13:13:43 ID:MQ+16dyV0
>>264
のうのうと暮らせるわけないだろ。一生、子供は帰ってこないんだよ。

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/14(日) 17:56:47 ID:bmXgo26hP
>>264
>だが被害者にはこのような加害者も被害者も
>報われない事故が起きないように努力してほしい。

意味がわからない。
事故を起こすのは加害者であって、被害者に事故が起きないように努力してほしい
というのはどういうこと?
加害者には、賠償金支払いや刑事罰を課す事もなく許せというの?
頭、大丈夫?

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/14(日) 22:39:59 ID:nnm7IBE70
>>266
被害者に責がある事故もあるってことじゃないですか?

小学生のとき、飛び出しをしてバイクとぶつかったことがあります。
突然飛び出してこられたら、対応するのは難しいのではないですか?

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/30(火) 17:08:30 ID:WaRPFNOt0
255>>
福岡飲酒事件について気になることで
今林ばかりが悪いのではないと思います。
福岡市全体、および親にも責任があります!
それなのに、被害者ぶって、出しゃばっていて、
今林よりも親のほうに腹が立つと思いますけど。
親にも子供を守るための責任があったはずです。
自分たちが得するために3人の子供の命を犠牲にした…、
そうでしか思えませんけど、
皆さんはどう思いますか。

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/05(日) 20:37:57 ID:NHPQQ4+QP>>271
子供を守るための責任は命懸けで果たしてるがな。
でも助けられなかっただけ。
同じ事をやれって言われたら、お前はできるのか?

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/09(木) 17:41:54 ID:1NJmQrcI0>>1
まさに生き地獄。弁護の余地が全くないのも凄い。
飲酒、スピード超過、追突、救護放棄、証拠隠滅、偽装工作…

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/19(日) 19:01:41 ID:ENCbl+lyO
新しい子供が出来て仕事も辞めて海外生活
前よりいい生活してる被害者に同情出来ません

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/25(土) 21:08:16 ID:XE/KPbTo0
>>276
前よりいい生活だろうがなんだろうが、失われた3人の子供は2度と戻ってこない。
その心の痛みや想像を絶する。それを踏まえて言えよな。
君の発言自体が君の程度を表している。

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/25(土) 23:34:03 ID:0umoFaXjP
>>276
前よりいい生活してるか?
子供3人殺されて、裁判でもありもしない過失を追及されて、
おまけに賠償金を出し渋られてるのに。
行きたくもない外国に行って生活しなきゃならなくなったのも、
今林を擁護してた得体の知れない連中が流したデマと、マスコミのせいだ。
一体、どこがいい生活なんだ?

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/17(水) 13:52:23 ID:fvdTwjDN0
3児死亡飲酒事故、被告と同乗者らを賠償提訴
福岡市で2006年8月、児童3人が死亡した飲酒運転追突事故で、
車を追突させた元同市職員今林大(ふとし)被告(25)(上告中)ら計5人に対し、
両親が計約3億5000万円の損害賠償を求める訴訟を福岡地裁に
起こしたことがわかった。

提訴は5日付。

両親の代理人弁護士によると、5人は今林被告のほか、車に同乗していた男性2人、
飲酒検知前の今林被告に水を飲ませた男性、車の所有者である今林被告の父。
両親が負った心身の傷と3児の死亡に対する慰謝料などを求めている。

今林被告側は刑事裁判で「被害者の居眠り運転や急ブレーキも事故の原因」とし、
被害者側にも過失があると主張。被害弁償は行われておらず、
両親がこれまでに受け取ったのは自賠責保険の保険金のみという。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100217-OYT1T00050.htm

三人殺しておいて自賠責のみでトンズラするつもりだったのか…

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/17(水) 19:08:24 ID:hl5JBZ8S0
>>293
じゃあ、お前がひき殺された時も、お前の遺族には自賠責の支払いだけで
良いんだな?
加害者の人権を大事にする被害者なんだな、お前はw

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/17(水) 19:27:51 ID:FU8k34C/0
被害者が任意保険に入ってたら、
無保険車傷害保険(対人賠償保険に自動付帯)で無問題。

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/17(水) 20:43:29 ID:fvdTwjDN0
>>295
無保険車傷害保険があるから放ったらかしてたら限度額を超えた
賠償請求が来たでござる

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/18(木) 08:50:00 ID:rBGVzXOY0
>>293
なんだかんだ言って、結局はお金だな。
金が入ったとたんに金の亡者にとりつかれて、
今林よりサイテーな人間になりさがるかどうかは
知ったことではないがな。

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/18(木) 10:57:57 ID:jHUzF/do0
>>297
別に金でなくてもいいぞ。
3人の子供を生かして返せ。

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/18(木) 18:21:15 ID:zcJqayN00
>>298
そういう不可能な事言ってもしょうがないと思わないか?
金が入ってくれば入ってくるだけ良いと思ってると思うがな。

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/18(木) 18:57:27 ID:jHUzF/do0
>>299
加害者は被害者に対して原状回復する義務があるだろう。
それも、心から反省しているなら自発的に行うのが常識だろう。
それなのに、今林はそれを怠ってるだろ。
原状回復が不可能なケースなら、それに代わる方法で
償わなければならないが、
さて、3人の子供を生かして返す以外のどんな方法で償えるんだろうな?
普通に考えて、現金ぐらいしかないんじゃないか?
3億5000万円程度の損害賠償を求めてはいるが、民事裁判を起こすには
何らかの損害があって、それに対する代償を要求するのが当然なんだぜ。
そうでなければ民事裁判の訴え自体が成り立たない。
別にその金額は5円や10円でも構わないだろうが、
世の中には相場ってものがあって、
他の交通事故被害者の裁判にも影響することが考えられるのだから、
5円や10円ってわけにはいかないんだぜ。
今度の民事裁判だって、3億5000万円を5人に対して請求してるんだから、
賠償金としては決して高額ではないし、
そもそも満額支払い判決なんてあり得ないぜ。
良心的な被害者に感謝すべきなんだよ、今林は。

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/18(木) 19:22:25 ID:napdS5AX0
乳幼児三人で3億5000万円のどこが良心的なんだよw

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/18(木) 20:00:03 ID:jHUzF/do0
>>301
例えばこの飲酒ひき逃げの賠償金を見ろ。

控訴審でも同乗者に賠償命令 奄美の飲酒ひき逃げ事故

鹿児島県奄美市で03年に起きた飲酒ひき逃げ事件に絡み、
死亡した大分県国東市の建設会社員、佐藤隆陸さん(当時24)の遺族が、
事故直前まで飲酒運転の車に同乗していた鹿児島県内の男性(25)に
約5400万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が25日、
福岡高裁宮崎支部であった。横山秀憲裁判長は男性に
請求通りの賠償を命じた
一審・鹿児島地裁判決を支持し、男性の控訴を棄却した。
(以下略)
ttp://www.asahi.com/national/update/0225/SEB200902250011.html

運転してた元少年には5500万円の支払いが確定している。
これと比較して、乳幼児3人で3億5000万円は高額だと思うか?
俺は思わないね。
なぜなら、乳幼児3人を一度に失ったのは、ただ一組の夫婦だからだ。
単なる人数ではないんだよ、まさしく幸せのすべてを失ったのと等しい。

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/18(木) 20:04:51 ID:napdS5AX0
>>302
はい、その記事と比較して明らかに高額ですw

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/18(木) 20:35:59 ID:jHUzF/do0
>>303
当然じゃね?
応能負担も考えてあるから、奄美の飲酒ひき逃げの元少年に対する
5500万円がそもそもの額を低く抑えてあるんだから。
それと比較して、同乗してた男性(25)に対して約5400万円ってのは、
払える能力を考えて高くしてある。

さて、今林君の件だと、事故当時に少年だったものが1名、大学生が1名、
ほか3名は立派な社会人だから、額は高くなるよ。
少年4000万
大学生5000万
本人1億2000万
父親8000万
先輩6000万
この配分で3億5000万円だな。

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/18(木) 23:52:49 ID:jHUzF/do0
>>303
うひゃひゃ、スマンやらかした。
ペットボトル運搬係への請求は200万円だとさ。
残り4人に約3億4700万円だってよ。
というわけで計算し直し。

少年5500万
大学生200万
本人1億3200万
父親9500万
先輩6500万

こんなもんかな。

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/19(金) 00:57:52 ID:QsIQ6ZAg0
自賠責のみって、
これ、任意保険おりなかったの?

記事がホントで自賠責しか受け取ってないとしたら、被害者かわいそうだね。

裁判で賠償が決まろうが多分、半分も取れない。
10億請求しようが変わらない。

というか、今林とかは裁判にすら出ないだろうな。

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/19(金) 09:11:13 ID:DONiHpmC0
自賠責だけでも、3000万×3=9000万円貰ってるから、当面の生活には困らない。
仮に裁判で1億5000万円の判決が出れば、合わせて2億4000万円となり、
働かなくても一生生活には困らない。

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/19(金) 20:19:36 ID:2rDNuMnG0
>>303
高額な理由がわかったぞ。

394 名前:Ψ[] 投稿日:2010/02/19(金) 20:16:52 ID:1BQc7XPE0
>>393
俺が保険会社の社員だったら、こんな加害者とは交渉決裂したくもなるわな。

死亡慰謝料の増額事由
「加害者側の事情」
加害者の悪性事情を考慮して、慰謝料を増額を認めたものがあります。
無免許運転、酒酔い運転、居眠り運転等
信号無視、大幅な速度違反
歩行者多数通行中、大型車両
救護義務違反
損害賠償における加害者の不誠実
ttp://zikozidan.seesaa.net/

酒酔い運転、大幅な速度違反、救護義務違反、損害賠償における
加害者の不誠実・・・・・・
増額事由のオンパレードじゃん!

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/23(火) 20:08:09 ID:MHd1gnKe0
>>314
たかられてとか失礼だな
子供3人も殺したら、自発的に払うのが当然だろ
拒否できる理由でもあれば別だがなw

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/24(水) 12:05:24 ID:+dkzxFB70
まだ賠償金受け取ってなかったわけだが、 以前からずっとウハウハだとか、
一生遊んで暮らせるとか言ってた連中は恥ずかしくないんだろうか。

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/24(水) 15:33:02 ID:c/WcF57a0
>>319
被害者夫婦は、保険金で勝ち組

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/25(木) 15:12:29 ID:rWyZEuxd0
自賠責ですでに9000万円を手にしている被害者夫婦
これからどれだけ賠償金取れるか期待

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/25(木) 20:14:58 ID:C5Wm8KQd0
>>321
自賠責では死亡一人当たりは3,000万が限度らしいけど、
かならず3,000万支払われるわけでもないんだろ?
死亡による損害に含まれるのは葬儀費、逸失利益、慰謝料(本人および遺族)
とかみたいだけど、例えば葬儀は別々にやってるわけじゃなく3人一緒だから
減額とかされるんじゃないの?

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/26(金) 10:56:36 ID:ET78llvE0
>>323
それはおかしいな。
葬式を一緒にやってるってのは、被害者が一家族に集中してるからだろ。
例えば、被害者が同じように3人いたとしても、全くの他人だった場合には
葬儀はそれぞれ別々に行われて当たり前なんだし、費用は単純に3倍になるだろ。

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/26(金) 18:47:04 ID:ET78llvE0
結論として、自賠責で9000万円を手にしたかどうかは不明。

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/26(金) 18:51:46 ID:duA8cdzo0
最大9000万円手にできるってことだけど、まあ満額かそれに近い金額は
手にしてるだろうね
そうでなければ、中傷を避けるためとはいえ優雅に海外生活はできませんw

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/26(金) 19:13:23 ID:ET78llvE0
>>327
最は9000万円じゃないけどね。
そこからして間違ってるから。

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/26(金) 19:20:07 ID:duA8cdzo0
>>328
じゃあ、正解を教えてくれ。

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/26(金) 19:29:20 ID:duA8cdzo0
自賠責保険
http://www.ms-ins.com/product/car/jibaiseki/index.html

死亡による損害
葬儀費
逸失利益
慰謝料(本人および遺族)
支払限度額(被害者1名あたり)
最高3,000万円

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/26(金) 20:13:50 ID:ET78llvE0
>>329
正解は、最高額が9000万円では足りないってこと。
被害者は亡くなった子どもたちだけじゃないからな。

ただし、朝日新聞によれば
「両親側がこれまでに受け取ったのは自賠責保険の保険金や任意保険による
治療費の一部などに限られ、3児を失ったことについては弁償がないという。」
って事で、自賠責と任意保険の一括で対処されていることがわかるけど、
それなら「3児を失ったことについては弁償がない」というのは変だ。
これって、加害者側がいつまでも被害者側の過失を主張してるから、
保険会社もそれに便乗して支払い拒否をしてる可能性もあるってこと。
だから、9000万円受け取ったかどうかなんて不明としか言いようがない。

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/26(金) 20:19:08 ID:duA8cdzo0
>>331
日本語でおk?
何言ってるのかわからない
今は自賠責保険の話をしてるんだが

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/26(金) 20:31:19 ID:ET78llvE0
自賠責保険だって、保険会社が支払い拒否することがある。
知らないの?

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/26(金) 20:38:57 ID:duA8cdzo0
>正解は、最高額が9000万円では足りないってこと。
>被害者は亡くなった子どもたちだけじゃないからな。

日本語でおk?はこれに対してのもの
自賠責は一人当たり最高額3000万円、三人なら最高額は9000万円に
何か間違いでもある?

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/27(土) 11:31:24 ID:5fVFzjcy0
>>334
だから、被害者は3人じゃなく5人だもの。
3人にこだわってるほうがおかしい。
最高額なんかググれば誰でもわかるけど、
最終的にいくら支払われてるかなんて、報道されてないからわかるわけない。

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/25(木) 16:19:36 ID:uIg+5RXR0
3児殺人犯のふとし君、民事が始まったようでございますね。
相変わらず同じ主張を繰り返してるようでございますが、
被害者の過失を一体どうやって立証するつもりなんでしょうかね。
理解に苦しみます。

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/03(火) 21:17:34 ID:gIF5+4mX0
元市職員ら、争う姿勢=3児死亡飲酒事故の民事訴訟−福岡地裁
ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=201003/2010032500388
>答弁書によると、今林被告は「飲酒により正常な運転が困難な
状態ではなかった」
>と主張。(飲酒検知前に水を飲ませた)知人男性も
「人身事故とは認識していなかった」
>などとしている。

この知人男性なんだけど、水を飲ませてるわけだから
飲酒運転だったことは薄々わかってたんだろ?
でも人身事故ではなかったと思ってたというなら、
自損事故だとでも思ってたのかね?
マジェスタの損傷具合と橋の上での事故という状況を考えたら、
自損事故ではないだろうなってのは、誰でもわかりそうなもんだがな。
今林の知人て馬鹿ばっかりだな。

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/11(木) 08:43:32.83 ID:85k5B8nz0
そろそろ5年だけど保釈されて裁判終わってなくて懲役20年ってことは
刑期20年丸々残ってるってこと?
満期出所と仮釈放の割合ってどれくらいなんだろ?

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 19:38:14.58 ID:IBCNfVni0
危険運転で懲役20年確定へ 福岡の3児死亡事故
最高裁、適用基準で初判断
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g
=96958A9C93819695E2E0E2E08B8DE2E0E3E3E0E2E3E39191
E3E2E2E2

382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/03(木) 16:27:31.81 ID:E2vjRSFi0
子供3人も可哀想だねぇ。でも3億貰えてこれからは、勝ち組だね。
事故の後子供2人生んでんだな、計5人生めるなんてすごーいwww.
飲酒なんて誰でもやってるじゃん。警官だって裁判官だって、
こいつはたまたま運がなかったから20年なだけで、悪くはないと思うな。

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/03(木) 21:25:43.86 ID:QFOTkggL0
>>382
「交通警察24時」で、飲酒運転やって捕まった人が口をそろえて吐くセリフだよね
「飲酒運転なんて誰でもやってるだろ!」
だけど、誰でもやってるから正当化されるわけでもなく、一発免停くらうよね
虚しい言い訳だよね、「誰でもやってる」って

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/03(木) 23:49:14.12 ID:H6winy+oO
あんな壮絶な事故で三人の子供を失ったショックはでかいはずなのに
もう子供三人いるなんて・・・
なんて言うか悲しいというか身の毛もよだつおぞましさというか、
どんな神経してるのだろうか?そういう行為に及べる神経が怖い

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/15(火) 20:20:00.55 ID:2tPii9Om0
二審が終わった時点で自動的に収監(福岡拘置所)されてるから、
最高裁判決の後は交通刑務所に移送されただろう
だから、収監されたという報道はないよ

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/19(火) 23:51:40.34 ID:7dTTsmez0
疑問何だが 交通事故の遺族って、自らハンドル握る人もいるんだよな・・

考えられん
だって、運転中にいきなり歩行者が信号無視で飛び出して
轢いて死亡事故になったら遺族としては非常にまずいだろ。

犯人を糾弾する立場だったのに、今度は自分が遺族から叩かれる立場に
なるんだろ??

そこらへん皆さんはどう思われる??

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/25(火) 19:09:49.33 ID:1o80WfhtO
コイツはもはや我々と住む世界が違う
自分だったら死んだ方がましだわ
自由なく20年くらって、更に金まで取られて
ハッキリ言ってホームレスの方がまだマシ
山奥に捨てられてる車か廃家で生活した方が自由な分マシだわ
人生一瞬でどうなるかわからん
マジでコイツにならんように気をつけねばいかんわ

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/08(月) 16:58:15.53 ID:rCsbvC9k0
福岡とか大阪って未だに酒のんでも車、運転するのが
あたりまえなんだね。
田舎だな。犯罪者の町!福岡・大阪
絶対に行きたくないな。

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/09(火) 00:13:55.82 ID:OeZmdNk60
夜中に片道2車線の国道を渡る老人
駐車場で遊ぶガキ
赤信号無視で交差点を通過するバイク野郎

普通に運転する人を陥れようとする奴らが多くてうんざりする。
死亡事故起こす恐怖は無いのか・みんなは。

そこんとこどう割り切ってるんですか?
信号無視の相手を轢いて、遺族から罵声浴びせられたらどうする?

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/21(金) 17:43:43.97 ID:
oZpe6elY0おまえら
交通事故被害者遺族の会って知ってるか?
遺族にあって話したこと無いだろ?

俺は学生時代からボランティアで色々と活動しててその中で
彼ら彼女らにあって話をしたが
そこで、みんな口揃えて言うのは

#例え、事故死した自分の祖父や自分の子供たちが、赤信号無視や
自転車で危険運転#してたとしても、轢いた側には極刑を与えてほしい
。。減刑の理由にはならない
#相手が青信号だったとしても、轢いたのは事実なんだから
#裁判で不起訴になっても、自分の命を差し出して償う気持ちはあって
然るべき。家庭を持ったり、幸せになる権利は無い

って仰られてたぞ?殆んどの方々がそうだった
(遺族の純粋な気持ちに俺は涙が出たね・・)

おまえらネットばかりやってる低学歴どもは、
人の人生が如何に尊いものか、微塵もわからないサイコパス人間なんだろうなぁ・・

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/22(土) 02:39:20.32 ID:1csJPjqEO
今林の人生は終わってるマジ悲惨
俺がコイツなら…って考えたくもないが
もしコイツなら
刑務所から出たらソッコー蒸発して、賠償金に縛られない生活を見つける
変装し、適当な仕事に潜り込むか、ホームレスだわ
無人島生活とかの方がまだ人間らしくあれる
自由の無い人生、法や金に縛られた人生なら、人間社会を捨てる方がマシ

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/22(土) 11:16:21.12 ID:7qozNaAP0
例え自分の運転するドラレコに
赤信号無視の歩行者が飛び出したり
横断禁止の幹線道路を夜中に渡りだした痴呆老人
が映っていたとしても、轢き殺したら今林被告と同じような批判を
受けるわけだが、君ら覚悟はできてるよな??
刑事で不起訴、民事でも賠償は小額で済んだとしても
赤信号無視の被害者の遺族が、「死んで詫びるのが当然」とか言ってきたら
従うしかないだろ・・

これが世間の常識だ

467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/21(月) 00:05:36.55 ID:6BR23tJz0
こいつの運のなさはホームラン級 懲役20年とか殺人でもなかなかでないだろ
しかしながら、こいつのせいで飲酒運転が法改正されたことを考えると
酒飲みからの評判は最悪だろうな

468 :飲酒運転厳罰化反対:2014/01/04(土) 22:19:10.02 ID:MSO+T4s+0
話を元に戻しますが、
今林被告がかわいそうで同情します。あの夫妻がガキを三人も仕込まなければ
被告は殺人者にならずに済んだのです。ガキが三人いなければただの
追突物損事故だったのではないでしょうか?

470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/15(水) 05:08:50.60 ID:gyERxUFw0
今林さんがかわいそう。
私は今林さんの味方です。 今後の未来に幸あれ!

日本航空123便墜落事故 (1985年(昭和60年)8月12日月曜日18時56分)(wikipediaほか)

日本航空123便墜落事故/
Japan Airlines Flight 123 Accident


日本航空123便墜落事故(にほんこうくう123びんついらくじこ)は、
1985年(昭和60年)8月12日月曜日18時56分に、
東京(羽田)発大阪(伊丹)行同社定期123便ボーイング747SR-46(ジャンボジェット、
機体記号JA8119)が、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根
(御巣鷹の尾根)に墜落した事故である。

運輸省航空事故調査委員会による事故調査報告書によると、
乗員乗客524名のうち死亡者数は520名、
生存者(負傷者)は4名であった。
死者数は日本国内で発生した航空機事故では
2013年12月の時点で最多であり、
単独機の航空事故でも世界最多である。

夕方のラッシュ時とお盆の帰省ラッシュが重なったことなどにより、
著名人を含む多くの犠牲者を出し、社会全体に大きな衝撃を与えた。
特にこの事故を指して『日航機墜落事故』『日航ジャンボ機墜落事故』
と呼ばれることもある。

1987年(昭和62年)6月19日に航空事故調査委員会が公表した報告書では、
同機が1978年(昭和53年)6月2日に伊丹空港で起こしたしりもち着陸事故後の、
ボーイング社の修理が不適切だったことによる圧力隔壁の破損が事故原因とされている。
これをもって公式な原因調査は終了している。

航空関係者や遺族などの一部からは再調査を求める声があるが、
現在に至るまで行われていない。

事故機

123便に使用されたボーイング747SR型機(機体番号JA8119)は1974年
(昭和49年)1月に製造された。

本機は、日本の航空会社で運航しているボーイング747型(ジャンボ)機が
墜落事故によって登録抹消された初のケースであり、
2013年現在まで日本の航空会社での747型機による墜落事故による
登録抹消は唯一でもある。

墜落前の事故

1978年6月2日、羽田発伊丹行き115便として本機が伊丹空港に着陸しようとした際に、
機体尾部が滑走路と接触し中破する事故が発生した(日本航空115便しりもち事故)。
この事故によって生じた損傷の修理を製造元のボーイングが行った際に、
後部圧力隔壁を修理する中で発生した作業ミスが
本件事故の主原因と結論付けられている。

1985年2月から事故発生までの間に、
本機には客室後部の化粧室ドアの不具合が28件発生している。
事故調査報告書は、しりもち事故によって生じた機体のゆがみによって
化粧室ドアの不具合が発生した可能性は否定できないとしている。

事故の経過
事故当日のJAL123便
当日のJAL123便のフライトプラン:羽田空港18時00分発、
離陸後は南西に進んだ後、伊豆大島から西に巡航、
和歌山県串本町上空で北西に旋回、伊丹空港18時56分着予定。

使用された JA8119(就航以来の飛行回数:約18,800回)の当日の運航予定
503・504便で羽田〜千歳線1往復
363・366便で羽田〜福岡線1往復
123・130便で羽田〜伊丹線1往復
123便で5回目のフライト。

伊丹到着後に折り返し130便として
伊丹発羽田行の最終便を運航する予定であったため、
燃料は3時間15分程度の飛行が可能な量を搭載していた。

乗務員

以下の通り計15人。年齢・総飛行時間はともに事故当時。
コックピット・クルー 機長:高濱 雅己
(たかはま まさみ、49歳・運航部門指導教官 総飛行時間12,423時間41分)
副操縦士:佐々木 祐
(ささき ゆたか、39歳・機長昇格訓練生 総飛行時間3,963時間34分)
航空機関士:福田 博
(ふくだ ひろし、46歳・エンジニア部門教官 総飛行時間9,831時間03分)
コックピットでは機長昇格訓練の為、佐々木副操縦士が機長席に座り操縦、
クルーへの指示を担当。
高濱機長は副操縦士席で佐々木副操縦士の指導、
無線交信などの副操縦士の業務を担当。
当日、福田機関士は羽田〜福岡線363・366便で JA8119に、
佐々木副操縦士は別の機にそれぞれ乗務し、
高濱機長は当日最初のフライトであった。
客室乗務員 チーフパーサー:波多野 純
(はたの じゅん、39歳 総飛行時間10,225時間)
以下女性乗務員11人。
乗客は509人。
搭乗方式はボーディング・ブリッジではなく、
搭乗待合室から地上に降りて徒歩でタラップを
昇る搭乗であった。

18時04分に乗員乗客524人を乗せたJAL123便は定刻をやや遅れて
羽田空港18番スポットを離れ、
18時12分に当時の滑走路15Lから離陸した。

緊急事態発生

18時24分(離陸から12分後)、
相模湾上空を巡航高度の24,000ft (7,200m) へ向け上昇中、
23,900ftを通過したところで緊急事態が発生する。
突然の衝撃音と共に123便の垂直尾翼は
垂直安定板の下半分のみを残して破壊され、
その際ハイドロプレッシャー(油圧操縦)システムの4系統全てに損傷が及んだ結果、
油圧を使用したエレベーター(昇降舵)やエルロン(補助翼)
の操舵が不可能になってしまう。

フゴイドやダッチロールを起こした機体は迷走するとともに上昇、
下降を繰り返すものの、
クルーの操縦により17分間は20,000ft (6,000m) 以上で飛行を続ける。
18時40分頃、空気抵抗を利用する降下手段として
ランディング・ギア(車輪などの降着装置)を降ろした後、
富士山東麓を北上し、山梨県大月市上空で急な右旋回をしながら、
高度22,000ftから6,000ftへと
一気に15,400ft (4,600m) も降下する。
その後、機体は羽田方面に向かうものの埼玉県上空で左へ旋回、
群馬県南西部の山岳地帯へと
向かい出す。123便は衝撃音発生から墜落までの間
破片を落としながら飛行していたようで、
相模湾と墜落現場だけではなく、
東京都西多摩郡奥多摩町日原でも機体の破片が発見されている。

その奥多摩町で、123便を撮影した人がいて、その写真によって、
123便が、垂直尾翼の大部分を失った状態で飛行していたことが、
初めて明らかとなった。

客室内の状況

機内では、衝撃音が響いた直後に、各座席に酸素マスクが落下し、
プリレコーデッド・アナウンスが流れた。
乗客は客室乗務員の指示に従って酸素マスクを着用したほか、
シートベルトを着用し、タバコを消すなど、
非常時の対応を行う。一部座席では着水に備え、
救命胴衣の着用なども行われた。
波多野チーフパーサーは、全客室乗務員に対し、
機内アナウンスで酸素ボトルの用意を指示している。
生存者の証言によれば、機内は、異常発生直後から墜落まで、
さほど混乱に陥ることはなく、
全員落ち着いて行動していたという。

その後、乗客は衝撃に備えるいわゆる「安全姿勢(前席に両手を重ね合わせて
頭部を抱え込むようにし、全身を緊張させる)」をとって、衝撃に備えた。
乗客の中には最期を覚悟し、不安定な機体の中で、
懸命に家族への遺書を書き残した者が複数いた。
これらの遺書は、後に事故現場から発見され、
犠牲者の悲痛な思いを伝えている。
一般的に墜落事故では、異常の発生から、数分の余裕も無く、
墜落に至ることが多いが、この事故では、
18時24分の異常発生から、30分以上にわたって飛行を続けることができたため、
遺書を書く時間があったまれなケースである。

デッドヘッド乗務の生存者によれば
「客室乗務員は終始乗客のサポートをしていた」と語っており、
機体後部に取り付けられていたコックピットボイスレコーダー (CVR)には
幼児連れの親に子供の抱き方を指示する放送、身の回りを確認するよう求める放送、
不時着を予想してか「予告無しで着陸する場合もある」
との放送、「地上と交信できている」との放送が墜落直前まで記録されている。
その他、一人の客室乗務員による不時着後に備えて
乗客に出す指示を列挙したメモや、
異常発生後の客室内を撮影したカメラが、墜落現場から見つかり、
マスコミによって公開されている。

地上との交信


18時24分47秒

緊急救難信号「スコーク77 (7700)」の無線信号を発信。
信号は所沢の東京航空交通管制部 に受信された。
直後に高濱機長が、無線で管制部に対して、
緊急事態発生のため羽田へ戻りたいと告げ、
管制部はそれを了承した。
JAL123便は、伊豆大島へのレーダー誘導を要求した。
管制部は、右左どちらへの旋回をするか尋ねると、
機長は、遠回りとなる右旋回を希望した。
羽田は緊急着陸を迎え入れる準備に入った。

18時27分

東京航空交通管制部が123便に緊急事態を宣言するか確認し、
123便から宣言が出された。
続いて123便に対してどのような緊急事態かを尋ねたが、
応答はなかった。このため、管制部は、
日航本社に123便が緊急信号を発信していることを知らせる。

18時28分

東京航空交通管制部は123便に真東に向かうよう指示するが、
123便は操縦不能と返答。
管制部はこの時初めて123便が操縦不能に陥っていることを知る。

18時31分

東京航空交通管制部は羽田より近い名古屋空港に緊急着陸を提案するが、
123便は羽田行きを希望する。
通常は航空機と地上との無線の交信は英語で行われているが、
管制部は、123便のパイロットの負担を考え、日本語の使用を許可し、
以後の交信では、123便は一部日本語が用いられている。

18時33分頃

日航はカンパニーラジオ(社内無線)で123便に交信を求め、35分、123便から
R-5 のドアが破損したとの連絡があった後、その時点で緊急降下しているので
後ほど呼び出すまで無線をモニターするよう求められ、日航は了承した。

18時40分

東京航空交通管制部は、123便と他機との交信を分けるため、
123便専用の無線周波数を準備し、
123便にその周波数に変えるよう求めたが、応答はなかった。

18時42分

逆に123便を除く全機に対してその周波数に変更するよう求め、
交信は指示があるまで避けるように求めたが、
一部の航空機は通常周波数で交信を続けたため、
管制部は交信をする機に個別で指示し続けた。

18時45分

無線のやり取りを傍受していた在日米軍の横田基地 (RAPCON) が、
123便の支援に乗り出し、123便にアメリカ軍が用意した
周波数に変更するよう求めたが、
123便からは、「操縦不能」との声が返ってきた。
管制部が「東京アプローチ(羽田空港の入域管制無線)と交信するか」と、
123便に提案するが、123便は拒んだ。

18時47分

123便は千葉の木更津へレーダー誘導するよう求め、
東京航空交通管制部は真東へ進むよう指示し、「操縦可能か」と質問すると、
123便から「アンコントローラブル(操縦不能)」と返答がきた。
その後、管制部は東京アプローチの無線周波数へ変更するよう求め、
123便は了承した。

18時48分

無言で123便から機長の荒い呼吸音が記録されている。

18時49分

日航がカンパニーラジオ(社内専用無線)で3分間呼び出しを行ったが
応答はなかった。

18時53分

東京航空交通管制部が123便を呼び出した。
123便から「アンコントロール」と無線が入ってくる。
管制部と横田の RAPCON が返答、RAPCON は、
横田基地が緊急着陸の受け入れ準備に入っていると返答。
東京航空交通管制部も東京アプローチの無線周波数へ変更するよう求め、
123便が了承する。

18時54分

日航も呼び出しを行ったが応答はなかった。
123便から現在地を尋ねられ、
東京航空交通管制部が、羽田から55マイル (100km) 北西で、
熊谷から25マイル (45km) 西と告げる。

18時55分

(この時だけ「日本語にて申し上げます」と前置きして)
東京アプローチから羽田と横田が緊急着陸準備を行っており
いつでも最優先で着陸できると知らせ、
航空機関士が「はい了解しました」と返答する。
この言葉が123便からの最後の交信となった。
その直後に東京アプローチが123便に対し、
今後の意向を尋ねたが応答はなかった。
その後も56分前まで東京アプローチと横田の RAPCON が
123便に対して呼び出しを行ったが、
応答はないままだった。

18時57分

横田の RAPCON が123便に対し、
「貴機は横田の北西35マイル (65km) 地点におり、
横田基地に最優先で着陸できる」と呼びかけ、東京アプローチも、
123便に対して横田基地に周波数を変更するよう求めたが、
この時、すでに123便は墜落していた。

コックピットと機体の状況
衝撃音がした直後、高濱機長は航空管制官への無線交信で、
羽田空港への引き返しを要求している。

その際、管制官の「右と左のどちらへ旋回するか?」という問いに対し機長は、
羽田空港へは遠回りになる「右旋回」を要求している。
このことは「海山論争」として多くの議論を呼ぶ。

コックピットボイスレコーダーの解析によると、
異常発生から墜落まで、操作不能状態の操縦桿やペダルなど、
油圧系の操作は、佐々木副操縦士、進路の巡視・計器類などの監視・
パネルの操作・管制官との交信・クルーへの指示などは、
高濱機長、エンジンの出力調整・緊急時の電動によるフラップとギアダウン、
日航との社内無線交信、さらに副操縦士の補助は、
福田航空機関士がしていたと推測されている。
異常発生直後から、油圧操作の効果がほとんどないにもかかわらず、
繰り返し操縦桿での操舵を試みるなど、
クルーは操縦不能になった理由を、最後まで把握できていなかった模様である。
尾翼部分は、コックピットからは目視できないため、
油圧系統全滅を認識しながらも、パイロットは、油圧での操縦を試みている。


ボイスレコーダーには、18時24分12秒から18時56分28秒までの
32分16秒間の音声が残っている。

初めに残っていた音声は、「最初の衝撃音」直前の客室とコックピットとのやり取り
(これに関しては、シートベルト着用サイン点灯中に、
乗客がトイレに行きたいと申し出たという説と、
現在はハイジャックやテロの防止の観点から禁じられているが、
当時は禁じられていなかったコックピット見学を乗客が申し出たという説の、
2説に分かれている)だった。
本来、当時のコックピット・ボイスレコーダーは30分の
1/4インチ・エンドレステープレコーダー
(始点と終点のない輪になったテープを巻いて用いるもの)であったが、
30分を超える録音が残っているのは、たまたまテープに余分があったためである。

18時24分35秒頃

ボイスレコーダーに、何らかの衝撃音が録音されている。
衝撃音直後に高濱機長は「なんか爆発したぞ」と言っている。
直後に、オートパイロットが解除され、
機体(エンジン、ランディング・ギア等の表示)の点検が行われ、
4つのエンジン、ランディング・ギア等に異常がなかったが、
福田航空機関士が、「ハイドロプレッシャー(油圧機器の作動油の圧力)を見ませんか」
と提案する。
25分、高濱機長は、スコーク77を発信し、東京航空交通管制部に、
羽田へ引き返すことを要求した。
無線交信の後、機長が佐々木副操縦士に対し、
「バンク(傾き)そんなにとるなマニュアル(手動操縦)だから」
「(バンクを)戻せ」
とどなる声が記録されている。しかし、佐々木副操縦士は「戻らない」と返答した。
その際、航空機関士が油圧が異常に低下していることに気づいた。
27分、異常発生からわずか3分足らずで
全ての油圧の喪失を示したとみられる、
「ハイドロプレッシャーオールロス」という航空機関士の音声が記録されている。
事故調査報告書では、異常発生後1分足らずで油圧喪失に陥ったとしている。
同じ頃、客室の気圧が減少していることを示す警報音が鳴っているため、
とにかく、低空へ降下しようとした。
しかし、ほとんどコントロールができない機体には、フゴイド運動や、
ダッチロールが生じ、ピッチングとヨーイング、ローリングを繰り返した。
そのため、墜落の瞬間まで頻繁に、
「あたま(機首)下げろ」「上げろ」という言葉が記録されている。

18時31分頃

航空機関士に対し客室乗務員から客室の収納スペースが破損したと報告が入る。

18時33分

航空機関士が緊急降下(エマージェンシー・ディセンド)と同時に酸素マスク着用を提案、

18時35分

羽田空港にある日航のオペレーションセンターとの交信では航空機関士が「R5のドア
(機体右側最後部のドア)がブロークン(破損)しました」と連絡している。

18時37分

機長がディセンド(降下)を指示するが機首は1,000m余りの上昇や降下を繰り返すなど、
不安定な飛行を続けた。これを回避するために、
38分頃ランディング・ギアを降ろそうとするが、油圧喪失のため降ろせなかった。

18時40分

パイロットは、ランディング・ギアの自重を利用してギアを出すバックアップシステムを用いて、
これを降ろした。この操作によって、機体は右に大半径で旋回しながら降下し、同時に、
ロール軸の振幅が、縮小して多少安定した。

18時46分

高濱機長の「これはだめかも分からんね」との発言が記録されている。

18時47分頃

から、彼らの中でも会話が頻繁になり、焦りが見え始めていた。
この頃から、山岳地帯上空へと迷走していった。右、左との方向転換が繰り返し指示されている。
その会話の中、機長が、操縦している佐々木副操縦士に対して、
「山にぶつかるぞ」と緊迫した会話が数回記録されている。
この時機体は、6,000ft (1,800m) 前後をさまよっていた。

18時48分頃

には、航空機関士が、操縦する副操縦士に「がんばれー」と励ますとともに、
たびたび副操縦士の補助をしていた様子が記録されている。
この頃から、エンジン出力(パワー)の強弱で、
高度を変化させる操縦を行い始めたと思われる。
機長の機首下げの指示に対して副操縦士は、「今舵いっぱい」と返答している。

18時49分頃

機首が39度に上がり、速度は108kt (200km/h) まで落ちて失速警報装置が作動した。
この頃から、機体の安定感が崩れ、何度も機首の上げ下げを繰り返し、その度に、
パワーを操作するよう指示する声が残っている。50分、困惑する副操縦士に、機長が、
「どーんといこうや」と励ます音声が残っている。
機長が「頭下げろ、がんばれ」との励ましに対して、
副操縦士は「今舵いっぱいです」と叫んでいる。
この頃速度が頻繁に変化し、不安定な飛行が続いていたためか、
副操縦士が、速度に関して、頻繁に報告をしている。
51分、依然続くフゴイド運動を抑えるために、電動でフラップが出され、
53分頃から機体が安定しだした。

18時54分

クルーは現在地を見失い、航空機関士が羽田に現在地を尋ね、
埼玉県熊谷市から、25マイル西の地点であると告げられる。
その間、しばらく安定していた機体の機首が再び上がり、
速度が180kt (330km/h) まで落ちた。出力と操縦桿の操作で機首下げを試みたが
機首は下がらなかった。

18時55分01秒

機長は副操縦士にフラップを下げられるか尋ね、
副操縦士は「はいフラップ-10(今10度下がっているという意味)」と返答し、
フラップを出し機体を水平に戻そうとした。
しかし、

18時55分12秒

フラップを下げたとたん、南西風にあおられて機体は右にそれながら急降下を始める。

18時55分15秒

から、機長は機首上げを指示。43秒、
機長が「フラップ止めな」と叫ぶまでフラップは最終的に、
25度まで下がり続けた。45秒、「あーっ」という叫び声が記録されている。

18時間55分50秒頃

機長の「フラップみんなでくっついてちゃ駄目だ」との言葉に混じって、
副操縦士が、「フラップアップフラップアップ」と叫び、
すぐさまフラップを引き上げたが更に降下率が上がった。
この頃、高度は、10000ft (3000m) を切っていた。56分00秒頃、
機長が、パワーとフラップを上げるよう指示するが、航空機関士が、
「上げてます」と返答する。07秒頃には、機首は36度も下がり、
ロール角も最大80度を超えた。
機長は最後まで「あたま上げろー、パワー」と叫ぶ。
墜落
クルーの努力も空しく、JAL123便は降下し続け、

18時56分14秒

に、対地接近警報装置が作動。同17秒頃、機体はわずかに上昇しだしたが、

18時56分23秒

右主翼と機体後部が樹木と接触した。このとき、機首を上げるため、
エンジン出力を上げたことと、急降下したことで、速度は346kt (640km/h) に達していた。
接触後、水切りのように一旦上昇したものの、機体は大きく機首を下げ右に傾いた。

18時56分26秒

右主翼が地面をえぐり、同時に機体の破壊が始まった
(垂直・水平尾翼、右主翼の脱落)。28秒には機体後部が分離。
機体は機首を下げながら右側に回転してゆき、

18時56分30秒

高天原山の斜面に前のめりに反転するように衝突、墜落した。

18時56分28秒

まで録音され続けていたボイスレコーダーには、23秒と26秒頃に衝撃音が残されていた。

18時56分23秒

の衝撃音の直前には、機長の「あーダメだ!」もしくは「もうダメだ!」とも聞き取れる叫び声も、
記録されていた。
ボイスレコーダーに録音されていた音声は、後に活字で公表されたが、
この叫び声は判読不能とされている。

衝撃によって、機体前部から主翼付近の構造体は原形をとどめないほど
バラバラになり炎上した。後の調査によれば、
機体の大部分に数百Gの衝撃が加わったとされ、両主翼も離断し炎上した。
一方、28秒に分離した客室後部と尾翼は、
山の稜線を超えて斜面を滑落していった。
客室後部は尾根への激突を免れて、斜面に平行に近い角度で着地し、
樹木をなぎ倒しながら、尾根の斜面を滑落して時間をかけて減速した。
このため、最大の衝撃が小さく、それ以外の部位と比較して、
軽度の損傷にとどまり、火災も発生しなかった。
これらの要因によって、客室後部の座席に座っていた女性4名は、
奇蹟的に生還できた。
だが、その他の者は即死もしくはそれに近い状況であった。
即死した者も多かったものの、客室後部付近を中心に墜落直後の時点では
かなりの数の乗客が生存しており、翌朝に捜索隊が到着するまでの間に、
次々と息を引き取ったという、生存者の証言がある。

異常事態発生後の123便

123便の飛行記録装置 (DFDR) と音声記録装置 (CVR) は、墜落現場から回収された。
これらのデータによって、異常事態発生後の123便の飛行の様子が明らかになった。

パイロットの操縦

パイロットたちは、123便に発生した異常についてその直後に感知したが、
垂直尾翼や機体後部の損傷状態については最後まで認識できなかった。
同機に発生したフゴイド運動とダッチロールは、
機首上げ角度20度〜機首下げ15度、
機体の傾き右60度〜左50度の動きを周期的に繰り返すもので、
大きな動揺にさらされた。パイロットたちは油圧が失われた状況のもと、
エンジン推力を増減し、また、降着装置(ランディング・ギア)を降ろすことで
空気抵抗を増大させ、機体の安定を図った。
これらの操縦によってフゴイド運動の軽減と高度を下げることに成功した。
しかし、ダッチロールの軽減や針路のコントロールはできなかった。
異常発生の20分後には、高度7,000ftまで降下したが、
そのころ同機は、針路を北西に変え、群馬県南西部の山岳地帯へと向かっていた。
油圧不動作の代替手段として、電動でフラップを展開したが、
機体に大きな傾きが生じた。
機首を下げて急降下しだしたため、パイロットたちは、エンジン推力を増加させ、
機首を上げようとしたが間に合わず、墜落した。

客室内の様子

機内では、衝撃音が響いた直後に、酸素マスクが落下し、
プリレコーデッド・アナウンスが流れた。
乗客は、酸素マスク・シートベルトを着用し、
救命胴衣の着用なども行われた。
生存者の証言によれば、機内は異常発生直後から墜落まで、
パニックに陥ることはなく、ほぼ全員が、落ち着いて行動していたという。
幼児連れの親に向けての子供の抱き方を指示や、
「予告無しで着陸する場合もある」、
「地上と交信できている」などの放送が墜落直前までCVRに記録されている。
また、墜落までの間に、複数の乗客が、家族への遺書を残しており、
その他にも、不時着後に備えて、
乗客に出す指示をまとめた客室乗務員によるメモや、
異常発生後の客室内を撮影した乗客のカメラが、墜落現場から見つかり、
マスコミによって公開されている。

捜索・救難活動

18時28分頃、千葉県愛宕山の航空自衛隊中部航空警戒管制団第44警戒隊
(通称「嶺岡山レーダーサイト」)でも、123便の緊急事態を表す「スコーク7700」を受信した。
ただちに、直属部隊である中部航空方面隊に報告され、航空自衛隊中央救難調整所
(RCC) が開設された。
18時56分、嶺岡山レーダーサイト当直司令は123便が墜落したと判断して、
中部航空方面隊司令部に、スクランブル待機中のF-4EJファントムによる、
緊急発進を提案した。
19時01分、提案を了承した基地司令官の指示で百里基地よりF-4戦闘機が離陸した。
東京航空局東京空港事務所(羽田)は、123便の緊急事態発生を受けて、
東京救難調整本部 (TRCC)を設置し、同機の緊急着陸体制を整えた。
その後、東京管制部のレーダーから、消失(18時59分に受領)という事態となり、
東京救難調整本部は、防衛庁、警察庁、消防庁、
海上保安庁などの関係機関に通報(19時03分)し、
123便の捜索に当たった。一方、レーダー消失直後は、
まだ同機が低空飛行を続けている可能性も
残されていたため、管制や社内無線からの呼びかけも続けられた。

航空自衛隊救難隊KV-107

墜落から約20分後の19時15分頃、米空軍のC-130輸送機が、
群馬・長野県境付近の山中に、
大きな火災を発見と、上空位置での横田タカン方位(305度)・距離(34マイル)を、
航空自衛隊中央救難調整所に通報。
19時21分ごろ、航空自衛隊の百里基地を緊急発進したF-4戦闘機の2機も、
墜落現場の火災を発見して、
上空位置での横田タカン方位(300度)・距離(32マイル)を通報した。
これらの航空機が通報に利用した「横田TACAN」とは、
設置された極超短波電波標識(超短波全方向式無線標識)などを基準にした
方位と距離から、
現場の上空位置を搭載の距離測定装置で測定したものである。
本来、これらの設備や機器は、航空機の航法用として用いられている。
墜落から約1時間後の19時54分に、救難・救助のため、見切り発進した、
百里基地救難隊の、KV-107ヘリコプターは、
46分後の20時42分に現場上空に到着した。
20時33分になって、救難調整本部(東京空港事務所長)から航空自衛隊へ、
航空救難の要請(災害派遣要請)が行われた。
しかし、当時のKV-107救難ヘリは、両側面のバブルウィンドウ横に、
救難用ライト4灯を装備して、夜間の救難作業は可能だったが、
赤外線暗視装置などの、本格的な夜間救難装備の無いことなどを理由に、
事故当夜の救難員が降下しての救助活動は行われなかったとされている。
事故機の遭難から、約1時間40分後と、
遅れて出された航空自衛隊への災害派遣要請の背景には、
運輸省航空局東京空港事務所の幹部判断である、
「位置が確認できないことには、正式な出動要請はできん」
などや、運輸省よりの「レーダーから消えた地点を特定せよ」と、
何度も、東京ACC(東京航空交通管制部)には電話が入るなど、
所管行政当局である運輸省・航空局隷下組織の地上での位置・地点特定に固執した、
混乱や錯綜が窺われる。
陸上からは、群馬県警察・埼玉県警察・長野県警察が墜落現場の捜索にあたった。
20時21分には、
長野県警臼田署のパトカーが「埼玉県と群馬県境あたりに黒煙が見える」と通報。
21時39分には、埼玉・長野両県警のパトカーが三国峠の西北西に赤い煙を発見した。
12日深夜までに、長野県警は、墜落現場は群馬県側の山中であると発表した。
しかし、氏名不詳の110番通報によりもたらされた、
「長野県北相木村のぶどう峠付近に墜落した」
との情報や、日航による22時の広報では「御座山北斜面」、
運輸省は事故現場の緯度経度(北緯36度02分、東経138度41分)の他に
「長野県南佐久郡御座山北斜面」、朝日新聞では防衛庁からとして、
「現場は長野県の御座山北斜面」などの誤報がくりかえされ、これらの情報で、
地上からの捜索は混乱した。消防・警察や災害派遣要請によって出動した、
航空自衛隊の地上捜索隊、陸上自衛隊の各捜索隊は、翌13日の朝まで、
現場に到達することはできなかった。

なお、航空自衛隊第44警戒隊からの情報として、遭難当初から、
東京救難調整本部(運輸省航空局)より公表されていた、
遭難機のレーダー消失地点である「北緯36度02分、東経138度41分」は、
御巣鷹山から北側約2.0kmの群馬県側になるが、
根拠のない情報として、「長野県南佐久郡北相木村」、
「御座山北斜面」が付加され、これにより、緯度・経度情報が、
地上捜索隊の活動に、生かされることはなかった。

海上では、乗客が機外に吸い出された可能性があることから、
東京救難調整本部の通報を受けた、
海上保安庁の巡視艇3隻が駿河湾周辺の捜索を行った。
8月13日午前4時30分過ぎの航空自衛隊救難隊による「墜落機体の発見」、
続く5時10分の、陸上自衛隊ヘリによる機体確認、
5時37分の長野県警ヘリによる墜落現場の確認と、
各自衛隊や警察のヘリによって、次々と墜落現場の状況が確認された。
群馬県上野村の黒沢丈夫村長(当時)は、テレビ報道の映像を見て、
現場が、村内の、「スゲノ沢」であると判断し、
土地鑑のある消防団員に捜索隊の道案内をするよう要請した。
墜落からおよそ14時間が過ぎた午前8時半に、
長野県警機動隊員2名がヘリコプターから、現場付近に、ラペリング降下し、
その後陸上自衛隊第1空挺団員が現場に降下して救難活動を開始。
陸路からは、上野村消防団、群馬県警機動隊、警視庁機動隊、陸上自衛隊、
多野藤岡広域消防本部藤岡消防署の救助隊が現場に到着し、
ようやく本格的な救難活動が開始された。
午前11時前後に、4名の生存者が、長野県警機動隊、
上野村消防団などによって相次いで発見された。
4人とも重傷を負っており、陸上自衛隊のヘリコプターで
上野村臨時ヘリポートまで搬送され、4人のうち2人は、
東京消防庁のヘリに移し換えられて藤岡市内の病院に運ばれた。

放射性物質

事故機には、
多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)が貨物として積載されていた。
また、機体には、振動を防ぐ重りとして、一部に劣化ウラン部品も使用されていた。
これらの放射性物質が、墜落によって現場周辺に飛散し、
放射能汚染を引き起こしている可能性があった。
このため、捜索に向かっていた陸上自衛隊の部隊は、すぐに現場には入らず、
別命あるまで待機するよう命令されたという。

関係機関の連携体制

航空自衛隊百里基地の、F4戦闘機による、
事故直後の19時01分の緊急発進、
百里救難隊による最初の救難捜索機 (MU-2S) や、
救難ヘリ (KV-107) の出動は、航空自衛隊への、
東京空港事務所長からの、災害派遣要請が出される前に行われた。
陸上自衛隊も、群馬、長野の部隊が19時30分頃から、出動態勢を整え、
派遣要請を待っていた。
航空自衛隊からの再三の要請督促を受けた羽田RCC(東京救難調整本部)から、
すでに現場に到達していた航空自衛隊への災害派遣要請は、
20時30分過ぎと遅れ、陸上自衛隊に対しては航空自衛隊への要請が済んでいたため、
要請の必要性を知らずに、21時30分頃とさらに遅れた。
また、当時の東京消防庁航空隊には、サーチライトを搭載した、
アエロスパシアル製救助ヘリコプターが、2機配備されていた。
事故当夜は関係省庁からの要請に備え、いつでも出動できるように待機していたが、
東京消防庁への出動要請はなかった。
のちに、運輸省・警察庁・防衛庁ともに、このヘリの存在を知らなかった
ことが明らかになった。東京消防庁も自ら出動を申し出なかった受身の姿勢だったこともあり、
緊急時における縦割り行政の問題点が浮き彫りになった。
この消防ヘリについては、事実の誤認が有り、
着陸灯を探照灯(サーチライト)と間違った可能性がある。
なお、東京消防庁航空隊は、13日に、陸上自衛隊が事故現場よりヘリで搬送した
生存者4名のうち2名を、上野村臨時ヘリポートで降ろした際に、
同乗した前橋赤十字病院医師の判断で、救急車から消防庁の幹部移送のために
駐機の消防ヘリに載せ替えて搬送している。
民間機遭難を想定した当時の「航空機の捜索救難に関する協定」では、
主に、警察庁と運輸省(航空局)などが中心になっており、
捜索救難の主体は警察が担うことになっていた。
また、警察と各自衛隊との協力は、防衛庁を通しての間接的な連携であり、
航空自衛隊救難隊との直接の無線連絡はもちろんのこと、
航空自衛隊中央救難調整所 (RCC)との連携なども不明確な状態に置かれていた。
また、航空自衛隊のKV-107救難ヘリは、
夜間救難用のサーチライトを装備して、当時でも夜間救難作業に従事するなど、
サーチライトの有無が事故機救難の阻害要因とは考えられない。
なお、航空自衛隊の救難ヘリは、警察の捜索隊との無線連絡のできない中で、
搭載の着陸灯、サーチライトなどを用いて、上野村に派遣された群馬県警捜索隊への、
必死の誘導を試みている。

アメリカ軍による救難活動の情報

1995年8月、当時123便を捜索したロッキードC-130輸送機に搭乗していた、
元在日アメリカ軍中尉が、事故直後に厚木基地のアメリカ海兵隊
(のちに座間のアメリカ陸軍と訂正)救難ヘリを現場へ誘導したが、
救助開始寸前に中止を命じられ、またその事実も他言しないよう
上官から命令されたと証言した。
生存者の証言によると、墜落直後の現場にヘリコプターが接近したが、
やがて遠ざかっていったという。
また、報道機関としては事故現場を最も早く発見した朝日新聞社のヘリは、
現場を超低空で飛行するヘリを目撃している。マスコミ各社は、
「日本側がアメリカ軍の救助協力を断った」
などと報道し、救難体制の不備や、関係当局の姿勢に対する批判が高まった。

報道

時事通信 19時13分、「東京発大阪行きの日航123便がレーダーから消えた」
とのニュース速報を配信。
NHK NHK総合テレビは19時26分、
19時の定時ニュースの終了直前に短く第一報を伝えた。
9時30分より「NHK特集」が始まるが、
19時35分頃に同番組を中断し切り替えた報道特別番組を、終夜放送した。
翌13日も朝から通常番組を休止して臨時ニュースを継続した。
事故関連ニュースは、ラジオ第2放送でも続けられた。
日本テレビ (NNN) 19時45分頃、「大きなお世話だ」放送中に
ニュース速報(テロップ)で第一報を伝えた。
その後は、20時からの「ザ・トップテン」放送中に随時最新情報を伝えた。
20時55分からの「NNNニューススポット」でも最新情報を伝え、
22時より「NNN報道スペシャル」で、続報を伝えた後、
23時の「NNNきょうの出来事」以降、事故関連ニュースを終夜放送した。
翌13日朝も「ルンルンあさ6生情報」以降、
特別編成で夕方まで詳報した。 TBSテレビ (JNN) 19時30分頃、
「クイズ100人に聞きました」放送中にニュース速報(テロップ)で第一報を伝えた。
20時54分からの「JNNフラッシュニュース」は時間延長し、
21時過ぎから映画「東京裁判」放送中もテロップ速報を随時挿入した。
映画終了後、翌13日0時02分から「JNNニュースデスク」は内容変更、
1時30分まで延長。以後6時30分まで関連ニュースを終夜放送で伝え、
6時30分からの「JNNおはようニュース&スポーツ」以降も、報道特番もしくは
それに準ずる態勢で夕方まで詳報した。
フジテレビ (FNN) 19時すぎ、「月曜ドラマランド」開始直後のニュース速報(テロップ)
で第一報を伝えた。
その後テロップ速報のみで対応したが、22時から「FNN報道特別番組」を開始し、
以後CM全面カットで約10時間詳報した。
翌13日朝は「FNNモーニングワイド」以降、
報道特番もしくは準ずる態勢で夕方まで詳報した。
11時30分、「FNNニュースレポート11:30」で墜落現場に到着したスタッフから、
生存者発見の一報を受け、生存者救出映像を現場から唯一生中継した
(他局は生中継機材が間に合わず、録画取材)。
正午からの『笑っていいとも!』は放送開始後10分で番組を中断し、
生存者救出の生中継に変更して、夕方まで詳報した。
テレビ朝日 (ANN) 19時30分頃「月曜スペシャル90」冒頭に
ニュース速報(テロップ)で第一報を伝え、
途中番組を中断して「ANNニュース速報」をニュースデスクから伝えた。
20時55分の定時ニュースに続き21時からの「月曜ワイド劇場」を休止して
「ANN報道特別番組」を放送した。
23時から「ANNニュースファイナル」を30分拡大、
以降終夜放送で詳報した。翌13日も「おはようテレビ朝日」以降、
「モーニングショー」など、報道特番もしくは準ずる態勢で夕方まで詳報した。
ニッポン放送(NRN・AMラジオ) 通常放送の生番組(ヤングパラダイスなど)の中で
随時速報した。13日午前1時からの「中島みゆきのオールナイトニッポン」は休止し、
同日2部担当の同局上柳昌彦アナウンサーが午前5時までの4時間、
全国ネットで詳報した。
毎日放送(MBS テレビ・ラジオ) 当日22時からのラジオ番組「MBSヤングタウン」は
内容のほとんどを、関連ニュースに変更し、ニュース以外は音楽を流した。
新聞各紙 翌朝の新聞一面はこの事故がトップとなったが、夜間だった影響で、
墜落地点の情報が錯綜したまま朝刊締切時間となり印刷され、
「長野で墜落」や「長野・群馬県境付近で墜落」などの見出しとなった。
写真週刊誌など 最初に現場へ到着したカメラマンは、
FLASH(光文社)が専属契約をしていた、大学生アルバイトだった。
カメラマンらの撮影した遺体を含む現場写真の多くが、
Emma(文藝春秋、廃刊)、FRIDAY(講談社)などの写真週刊誌に、
修正なしで掲載された。

乗客

機内はほぼ満席であったが、乗り遅れなどで僅かに空席があった。
事故が発生した日は夏休み中で、「お盆の入り」の前日であった。
同便には出張帰りのビジネスマンのほか、帰省客や観光客が多く搭乗した。
最終便が満席で乗れない客が発生することを防ぐ理由もあり、
最終便1本前である同便は、ほぼ満席の状態だった。
生存者は4人であった(デッドヘッド客室乗務員の26歳女性、
34歳女性と8歳女性の母子、12歳女性)。救援隊の到着時に、
現場で実際何人が生存していたのかについては、
情報が錯綜した。生存者4名は発見から数時間は現場からのヘリ搬送が行われず、
特に、34歳女性と8歳女性の母子はたいへんな重傷で、猛暑の中体力を消耗した。
捜索隊による生存者か遺体かの判別は、呼びかけたり叩いた時に、反応があるか、
手で触って、脈があるかなどで行われていた。
生存者発見後に医師・看護師が墜落現場へヘリで派遣、
生存者4名が病院に搬送され、それ以外は、遺体として、藤岡市民体育館へ運ばれた。

著名人やその関係者

著名人 坂本九(歌手)、 北原遥子(女優・元宝塚歌劇団娘役)、
中埜肇(阪神電気鉄道専務取締役鉄道事業本部長・阪神タイガース球団社長)、
浦上郁夫(ハウス食品代表取締役社長)、塚原仲晃(医学博士・大阪大学基礎工学部教授)、
辻昌憲(元自転車競技選手・シマノレーシング監督)、竹下元章(元広島カープ捕手)
藤島克彦(コピーライター)、緋本こりん(同人漫画家)
著名人の関係者

伊勢ヶ濱親方(現:清國勝雄)の妻子、吹田明日香(タレント)の母、
ダイアナ湯川(バイオリニスト)の父(住銀総合リース副社長)
※ダイアナ湯川自身の出生は、事故から1カ月後。
など


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出典:NHKアーカイブス
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出典:不詳(youtube)
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墜落日航ジャンボ機の乗客・乗員名簿
1985.08.14 東京朝刊 4頁 特設ニュース面 (全19,087字) 


 12日、群馬県の山中に墜落した日本航空123便ボーイング747(ジャンボ)機の乗客氏名や旅行目的などと、乗員氏名は次の通り。(敬称略)


 ▽明石守(54)▽孫の真紀代(3)=明石エンジニアリング代表取締役、大阪府豊中市本町9ノ8ノ10。東京に商用のため、孫娘を伴って日帰り出張した帰り。

 ▽秋山寿男(48)=松下電器システムエンジニアリング本部課長、枚方市池之宮2ノ7、出張からの帰り。

 ▽浅野潤一(36)=浅野木材取締役、宝塚市雲雀丘山手1ノ15ノ7、出張の帰途。

 ▽浅野真一(34)=兼松エレクトロニクス営業推進課主任、奈良市鳥見町4ノ2ノ10ノ401、東京日帰り出張の帰途。

 ▽新井立悦(32)=新井ゴム専務、大阪市生野区巽西1ノ2ノ3、東京日帰り出張の帰途。

 ▽新井健次(32)=会社員、福岡市、夏休みで帰省。

 ▽新井健作(42)=工務店社長▽長女真澄(12)豊中4中1年。

 ▽有田秀止(29)=池田物産社員、横浜市旭区東希望ケ丘。夏休みで実家に帰る途中。

 ▽芦田育三(49)=象印マホービンデザイン室長、尼崎市南武庫荘5ノ19ノ26、東京へ日帰り出張。

 ▽麻木喜一郎(31)出光興産市原工場勤務▽妻良子(29)=夫婦で夫の母の初盆に帰省中。

 ▽猪飼善彦(37)▽長女の小夜(9)▽長男潤(7)=文具店経営、滋賀県栗太郡栗東町小野。小夜、潤は同町立葉山東小4年と2年。父子3人で科学万博を見ての帰り。

 ▽井ノ上一浩(15)=大阪市立淀川中3年、大阪市都島区大東町3丁目3ノ5ノ307、科学万博などに行っての帰り。

 ▽井口利明(50)=塩野義製薬企画部抗菌製剤担当部長、尼崎市立花町2ノ16ノ10、出張から帰阪中。

 ▽石井幸江(36)=主婦▽長女博美(15)=吹田3中3年、吹田市中の島7ノ28、2人で東京の兄の家に行っての帰り。

 ▽池孝三(42)=コンピューター会社経営、奈良市芝辻4ノ2ノ9。

 ▽池上重雄(27)=山崎建設勤務、箕面市牧落2ノ22ノ9、帰省。

 ▽井元淳光(48)=燃料・セメント販売会社役員、吹田市藤白台2ノ2ノ6、日帰りで東京出張の帰り。

 ▽池田隆美(53)=東レ物流常務=茨木市、商用で東京に出張、この便で帰阪と連絡。

 ▽池田五郎(41)=安田火災海上研修生、鎌倉市稲村ガ崎1丁目、私用。

 ▽生駒隆子(26)=無職、池田市桃園1丁目7ノ22、東京へ遊びに行っての帰り。

 ▽石井裕之(59)=敷島紡績専務、兵庫県西宮市甲陽園西山町10ノ18、東京へ日帰り出張。

 ▽石川貞昭(52)=東洋ガラス取締役、千葉市園生町、出張。

 ▽石倉六郎(41)=石倉工業社長、茨木市上野町28ノ301、東京日帰り出張の帰途。

 ▽石田一雄(60)=阪神電鉄常務、神戸市須磨区高倉2丁目1、運輸省への社務で日帰り出張の帰途。

 ▽石崎恵美子(36)=設計会社事務員、滋賀県守山市今宿町72、観光旅行の帰途。

 ▽石野喜一(34)=神栄石野証券社長、西宮市二見町。

 ▽石原孝一(53)=石原ネット社長、大阪市東住吉区湯里、日帰り出張の帰途。

 ▽泉谷淳子(20)=都ホテル大阪社員、大阪府河内長野市南花台4ノ19ノ7、帰省。

 ▽市浦昭(47)=日建設計設計部副部長、千葉市さつきが丘1ノ36ノ45、大阪経由で福岡へ出張の途中。

 ▽市川一彦(53)=KK市川化学研究所社長、羽曳野市羽曳が丘5ノ17ノ1、東京日帰り出張の帰途。

 ▽一木允(56)=松下電器産業システムエンジニアリング本部の部長、大阪府守口市日光町23ノ206。

 ▽出梅治(33)=大鵬薬品勤務▽妻寿子(31)▽長男啓介(3)、転勤のため、家族で東京から大阪に赴任の途中。

 ▽伊藤昭平(20)=仏教大1年、西宮市甲子園四番町12ノ8。

 ▽伊藤寛之(29)=日本興業銀行大阪支店勤務、西宮市伏原町。

 ▽伊藤寿信(50)▽妻誠子(45)▽長女高校2年妙子(16)▽次女中学1年和美(13)=タクシー運転手、大阪市城東区古市3ノ17ノ15ノ203、一家4人でディズニーランド観光からの帰途。

 ▽井上幹雄(41)=うどん会社部長、横浜市保土ケ谷区鎌谷町114、単身赴任で、東京へ出張の帰り。

 ▽井上久子(58)▽孫の理抄(10)▽同健人(6)=理抄、健人は大阪府泉北郡忠岡町の東忠岡小4年と1年。3人で3泊4日の日程でディズニーランドなどを見学しての帰り。

 ▽井原載二(50)▽妻富士恵(45)▽3女智恵(14)=鉄工所経営、大阪市平野区瓜破7ノ1ノ16、東京ディズニーランド、つくば博を見物した帰り。

 ▽今村欣治(41)=松下電工東京支店、大阪府寝屋川市点野3ノ28ノ18、14日から18日まで帰省。

 ▽岩切伸司(34)▽妻圭子(33)▽長男大樹(3)=高校教諭、東京都世田谷区宮坂2丁目。盆休みを利用、家族で大阪府大東市の実家に帰る途中。

 ▽岩井宏之(43)=電通大阪支社第6営業局営業部長、豊中市中桜塚4ノ2ノ1、出張帰り。

 ▽岩城美弥子(43)=主婦。東京都中野区上高田1ノ2ノ51上高田マンション305。

 ▽岩国忠弘(43)=三栄化学工業応用研究部主任研究員、茨木市紫明園11ノ113、東京へ日帰り出張。

 ▽上坂辰男(33)=神戸製鋼社員▽妻久枝(31)▽長女理枝(3)神戸市東灘区本山南9丁目。

 ▽上村登(51)=葬儀会社「加納」社長、豊中市新千里西町2ノ5ノ9、北摂葬祭業協同組合理事長で、東京での業界団体会合に出席しての帰り。

 ▽植田嗣治(55)=住友金属工業銑鋼技術部長、箕面市桜ケ丘3ノ3ノ11、東京への出張からの帰途。

 ▽浮田玲子(47)▽立子(22)=香川県小豆郡土庄町。兵庫医科大4年の立子の夏休みで、母娘で東京旅行しての帰り。

 ▽宇沢克彦(45)=会社員、大阪市西成区玉出西2丁目、日帰り出張の帰途。

 ▽内海浩一(25)=繊維会社員、東京都港区芝浦3丁目236、休暇があけ大阪へ帰任の旅だった。

 ▽鵜木利郎(28)=全日空大阪空港支店勤務、箕面市半町3ノ13ノ28沢田マンションA304、夏休み中で13日に勤務に戻る予定だった。

 ▽浦上郁夫(48)=ハウス食品社長、東京都新宿区若葉1ノ15ノ19、東大阪市の本社へ向かう途中。

 ▽榎谷郁雄(41)=伊藤忠商事大阪鋼板部厚板課長、堺市東上野芝町、東京本社へ日帰り出張の帰途。

 ▽頴川三郎(54)=大阪化学合金社長、西宮市甲東園1ノ4ノ8、東京への日帰り出張の帰途。

 ▽大竹国雄(44)=東京都葛飾区高砂5ノ22ノ8。

 ▽岡田光雄(51)=会社員、尼崎市東園田町6丁目、葬儀のため東京に行き日帰り。

 ▽落合由美(26)=日航国内線アシスタント・パーサー、大阪府豊中市蛍池北町2ノ5ノ10ノ611。

 ▽小野治雄(66)=紙会社専務、大阪府南河内郡狭山町大野台5ノ13、出張の帰り。

 ▽大島久(43)=歌手の坂本九さん。東京都目黒区柿の木坂2ノ18ノ1、所用で大阪へ。

 ▽大橋美知子(37)主婦▽太郎(10)八尾小4年▽理恵(9)同小3年=大阪府八尾市本町2丁目、東京ディズニーランドからの帰途。

 ▽大貫富太郎(40)=住友金属工業和歌山製鉄所経理課長、和歌山市古屋252ノ2、東京出張の帰途、横浜市に妻子を残して単身赴任中。

 ▽小川哲(41)▽妻昌子(41)▽長女知佐子(9)淡輪小3年=会社員、大阪府泉南郡岬町淡輪、ディズニーランドからの帰り。

 ▽奥川利明(39)=レノマ・コスメティック営業部次長、神奈川県大和市つきみ野5ノ8、商用で大阪へ。

 ▽大久保聡昭(50)=伊藤万中国部長、箕面市桜ケ丘3丁目1ノ31、東京へ単身赴任、帰宅途中。

 ▽奥田勝(38)=オーエ勤務、東京都台東区▽長男、奈良県当麻町立当麻小4年和志(10)=夏休みで東京に来ていた和志君が単身赴任の父と関西の家へ。

 ▽奥野順子(37)=大阪市立豊崎小学校教諭、同市東成区中本5ノ9ノ1、友人の久保和子さん(43)と2人で東北旅行からの帰り。

 ▽岡本強(37)=象印マホービン取締役営業副本部長、芦屋市六麓荘町3ノ36、東京への日帰り出張。

 ▽岡本大造(43)=松下電器ゼネラルオーディオ事業部アクセサリー営業部長、大阪府豊中市曽根西町4ノ18ノ19、日帰りで東京に出張。

 ▽岡本正至(55)=大阪府立布施工高定時制教頭、吹田市南金田2ノ18ノ12。6日から札幌市内で開かれた「第36回全国高校定時制通信制教育研究協議会」と教頭協会総会に出席しての帰り。

 ▽岡本武志(69)▽妻明子(60)=無職、尼崎市久々知1丁目。

 ▽岡山博一(32)=日本理容美容専門学校校長、大阪市生野区鶴橋1ノ6ノ34、1週間前から群馬県であった研修会からの帰り。

 ▽奥村隆亮(50)=竜奥興業社長、川西市湯山台1ノ32ノ6、日本水泳連盟評議員、社用で6日から東北地方を回り、帰阪途中。

 ▽小田浩二(15)東京都立秋川高校1年▽陽子(12)桐朋女子中1年=東京都世田谷区桜3ノ17ノ16ノ508、兄妹らで奈良の祖母宅へ遊びに。▽岡本豊(21)=会社員、徳島市川内町沖島、神奈川から帰省の途中。

 ▽小沢慶太(26)=横浜化成大阪営業所員、大阪市東淀川区小松2丁目、東京の実家から戻る途中。

 ▽小沢孝之(29)=ノードソン大阪営業所社員、豊中市新千里西町2ノ24、東京日帰り出張の帰り。

 ▽越智良子(28)=株式会社ワールド社員、東京都港区元麻布3ノ10ノ23、大阪へ出張。

 ▽長田鎮吾(81)=青山学院大常務理事、西宮市北名次町6ノ40、自宅へ帰る途中。

 ▽大幸義典(43)=貿易会社社長▽妻節子(36)▽長男数弥(13)香港日本人学校中学1年▽長女綾子(12)同小学6年=一家4人で香港在住。

 ▽角野恭三(45)=角野刃物専務、和泉市鶴山台2丁目8ノ4、日帰りで東京出張の帰途。

 ▽柏谷伸一郎(25)=大阪三宝電機社員、神戸市東灘区岡本8ノ2ノ18、社用を終え、東京の友人宅に寄っての帰途。

 ▽柏原喜弘(38)、妻幸子(38)、愛子(12)、勇太(6)=フジカラー新日本営業部長、川西市南花屋敷1ノ4ノ5、同僚家族の4人とともに科学万博へ行っての帰り。

 ▽柏崎幸彦(32)=チッソ大阪営業所社員、滋賀県守山市吉身町221、上司の葬儀に出席した帰途。

 ▽片岡三千雄(37)、妻純子(30)、長女麻季(4)=日通関西支店営業部員、奈良市大宮町2丁目、夏休みで、一家で神奈川県の純子さんの実家へ帰省した帰り。

 ▽片桐右弼(41)=生け花みささぎ流副家元、堺市陵西通2丁1ノ5、東京へけいこをつけに行っての帰り。

 ▽勝見隆(32)=東京都新宿区北新宿1丁目。

 ▽勝浦和男(37)=住友重機勤務、千葉市長沼町、父の初盆で徳島県板野町へ帰省中。

 ▽加藤ヒロユキ(21)=飲食業、東京都新宿区、休暇で旅行。

 ▽加藤典子(20)=エース・サングリーン伊丹店社員、尼崎市富松町2丁目、旅行帰り。

 ▽川上君子(34)▽長男竜太郎(8)市立鴨居小3年▽長女紗也子(5)▽次男陽之介(5)、長女と次男は双子=横須賀市鴨居3、会社員信行さん(35)の家族。

 ▽久保克彦(44)=マルニ特殊家具営業課長、品川区東五反田2丁目(単身赴任)、出張を兼ねて和泉市鶴山台3ノ8ノ303の実家に帰る途中。

 ▽児玉洋介(20)=大学生、岡山県苫田郡加茂町桑原、夏季アメリカ留学からの帰途。▽金井孝(51)=会社員、堺市少林寺町西3丁2ノ3、盆の帰省途中。▽川井徹夫(48)=自営業、泉佐野市笠松1丁目8ノ12、出張帰り。

 ▽川北京子(22)=三井物産大阪支店、池田市畑、私用で東京へ出かけていた。

 ▽河口博次(52)=大阪商船三井船舶神戸支店長、芦屋市松浜町。

 ▽川口富士子(23)=東京女子医大3年、東京都新宿区西新宿4ノ7ノ17、岡山市内の実家へ帰省の途中。▽川口寿(40)=山崎建設社員、大阪府高槻市西冠2ノ4ノ9、帰省。

 ▽川上英治(41)、妻和子(39)、長女中学1年慶子(12)、次女小学1年咲子(7)=会社員、島根県簸川郡大社町、一家で北海道旅行の帰路、大阪の姉を訪ねる途中。

 ▽川崎格(41)=松下電器製品開発推進センター副参事、箕面市箕面2ノ8ノ18ノ20。

 ▽河瀬尋文(24)=会社員、貝塚市木積961、友人と東京ディズニーランドへ行っての帰り。

 ▽河添千里(59)=日新電機専務、西宮市柏堂町6ノ17ノ301、東京出張の帰り。

 ▽川戸利文(60)=兵庫県赤十字血液センター製剤課長、神戸市東灘区渦森台2ノ6ノ507、東京出張の帰り。

 ▽河原道夫(63)=歯科医、兵庫県城崎郡城崎町桃島。

 ▽貴志治(44)▽妻真理子(35)▽長女絵里子(7)▽長男論(4)=日本タイプ製造大阪事業所技術課長の一家、千葉県市川市東菅野3ノ14ノ10、単身赴任していた治さんが帰京、家族全員で大阪に引っ越しの途中。

 ▽河野浩子(30)=会社員、大阪市東区法円坂1ノ5ノ1ノ11、休暇で東京の親類宅へ行っての帰り。

 ▽神林展明(33)=日下部電機社員、明石市和坂2丁目、イラン出張の帰途。

 ▽鹿島弘(65)=兵庫県歯科医師会長、神戸市東灘区御影町郡家下山田。

 ▽菊地仁(31)=会社員、大和市草柳1ノ22ノ1、ルックハイツ大和。

 ▽岸本智佳子(23)=幼稚園教諭、豊岡市畑上、東京旅行の帰り。

 ▽吉備雅男(45)=塩野義製薬次長、箕面市大字粟生間2515ノ32、東京出張の帰り。

 ▽菊地豊(43)=自営業、船橋市西習志野2ノ16ノ9、妻の実家へ家族を迎えに。

 ▽木田一男(47)=住友銀行調査第1部長、大阪府池田市旭丘1ノ10ノ2、東京出張の帰り。

 ▽木内静子(17)=大阪府立住之江高校2年、大阪市住之江区南港。同級生の山岡知美さんといっしょに旅行し、帰る途中。

 ▽岸本典子(27)=会社員、大阪市西区南堀江1ノ18ノ27、休暇で友人宅へ遊びに行った帰り。

 ▽久保和子(43)=大阪市立苅田小学校教諭、3年担任。同市西区南堀江2ノ3ノ4ノ905、近畿日本ツーリストの3泊4日東北ツアーからの帰り。

 ▽国武宜孝(43)=味の素ゼネラルフーヅ伊丹工場総務課長、箕面市粟生外院244ノ1、東京へ日帰り出張の帰路。

 ▽小西宏(52)=インテリア「サンコー」社長、神戸市東灘区岡本9ノ3ノ13、日帰り出張の帰途。

 ▽工藤由美(24)=主婦、埼玉県草加市瀬崎605ノ1、神戸市東灘区の実家に結婚後半年目の里帰り。

 ▽栗山良治(51)=会社員、吹田市上山手町2ノ7、出張の帰り。

 ▽栗本雄彦(21)=法政大4年、和歌山市の実家へ帰省途中。

 ▽栗原崇志(33)、妻陽子(29)、祥(1)=池田市神田1ノ22ノ2ノ302。崇志さんは阪大助手。栃木県下の実家へ里帰りし、帰阪途中。

 ▽国永昌彦(52)=松下電器貿易総合企画室長、寝屋川市成田東町6ノ12、東京出張の帰り。

 ▽黒田康弘(45)=三精輸送機勤務、大阪市住吉区。

 ▽小宮勝広(42)=マナセプロダクションチーフマネジャー、千代田区飯田橋2丁目、坂本九さんに同行中。

 ▽小谷敏一(37)▽妻かよ子(32)▽長女小学3年友美(8)▽次女幼稚園児朝美(5)=三洋電機北条工場勤務、兵庫県加西市鎮岩町。

 ▽小谷昭則(36)=団体職員▽妻洋子(29)▽長男小学1年直也(6)▽長女真理(2)加西市鎮岩町。親類の小谷敏一一家と万博帰り。

 ▽小西義員(58)=阪急電気工事技術部長、西宮市西平町6ノ30、東京出張の帰り。

 ▽木場貞夫(51)=ダイハツ工業参与、川西市向陽台3ノ5、東京出張の帰り。

 ▽小西英雄(45)=自営業、八尾市東弓削2丁目、仕事で東京方面へ行った帰り。

 ▽児玉英里(42)=阪急電鉄社員、茨木市竹橋町13ノ7、東京出張の帰り。

 ▽小林法久(43)=会社社長、大宮市蓮沼305ノ3、隠岐へ帰省の旅。

 ▽小谷房次郎=栄光美術専務、箕面市粟生新家544。

 ▽小宮敏幸(27)=松下電器九州特機営業所勤務▽妻悦子(25)、福岡市南区向野1ノ15ノ25、大阪府下の実家へ帰省の途中。

 ▽近藤芳城(63)=神菱電機製造会社海外部勤務、大阪市淀川区東三国3丁目、輸出先の中国から製品を買い入れるグループの来日準備のため、外務省に出かけた日帰り出張。乗客名簿では、同僚が乗る予定だったが母親の病気のため、出張できなくなり、代理の近藤さんが遭難。

 ▽西条善博(43)=大阪府茨木市山手台5ノ4ノ7、日本圧着端子販売会社社員、出張帰り。

 ▽斉藤真由美(20)▽姉直美(23)=会社員、羽曳野市南恵我之荘2丁目、趣味の絵の展覧会を見ての帰り。

 ▽酒井由雄(27)=大阪市阿倍野区橋本町8ノ30、安田生命社員、出張帰り。

 ▽榊原勝(52)=ヤマト金属会社社長、奈良県北葛城郡香芝町逢坂942。

 ▽酒田哲雄(35)=竜奥興業工事課長、伊丹市御願塚3ノ8、東京出張の帰り。

 ▽雑古祐紀代(19)=聖心女子大2年、兵庫県西宮市西平町7ノ3、帰省。

 ▽佐田弘(53)=会社員、東京から大阪へ単身赴任中。東京出張の帰り。

 ▽佐藤マサ子(37)=東京都台東区谷中3ノ17ノ16、コーポ石川103、主婦、大阪の姉の家へ行く途中。

 ▽佐藤保久(44)=野村証券大阪支店営業総務部長、大阪市北区鶴野町4、コープ野村梅田、単身赴任で休暇の帰途。

 ▽佐藤陽太郎(53)=衣服小売業、川西市緑台6ノ2ノ27、東京へ日帰り出張。

 ▽佐藤早苗(39)=大相撲伊勢ケ浜親方の妻、東京都文京区白山5ノ7ノ14、長男、長女とともに帰省途中▽長男喜彦(12)文京区第10中1年▽長女公由江(10)文京区明化小5年。

 ▽塩田芳郎(60)=第1薬工販売社長、大阪市住吉区苅田3ノ8ノ28、東京へ日帰り出張。

 ▽滋賀喜作(45)=伊藤忠商事大阪鋼板部長、枚方市楠葉美咲3ノ7ノ4、東京出張の帰途。

 ▽清水さえみ(29)▽富士子(7)▽宗典(1)=東京都中野区東中野2ノ19ノ5、ホステス。お盆で帰省したらしい。

 ▽四方修文(39)=阪急電鉄社員、宝塚市逆瀬台1ノ8ノDノ515、東京出張の帰り。

 ▽四方秀和(22)=会社員、京都市左京区下鴨下川原、今春、同志社大を卒業、休みを利用、東京の友達に会いに行っていた。

 ▽志間和則(30)=医師、福岡市内で勤務医をしていて先月、東京に転勤。盆の帰省途中。

 ▽島野佳男(40)=三栄化学工業色素企画課長代理、茨木市上穂積3ノ3ノ4、東京へ日帰り出張。

 ▽島田拓夫(47)=東海会社取締役、東京都小平市上水本町1300ノ17、商用。

 ▽志水則昭(49)=兵庫県赤十字血液センター職員、神戸市垂水区神和台1ノ22ノ2、出張帰り。

 ▽下村寛治(47)=日経新聞大阪本社経済部長、伊丹市西台3ノ8ノ16ノ401、東京へ日帰りで出張した帰途。

 ▽柴田宏(54)=ネクタイ問屋社員、吹田市竹見台2ノ1ノCノ2ノ102、夏休みで帰省途中。

 ▽白井克己(52)=段ボール製造会社「昭栄」社長、川崎市川崎区中瀬3ノ14ノ11ノ602。商用で出張。

 ▽島本喜内(61)=オリエント測器レンタル社長、東京都大田区東雪谷3ノ10ノ10。

 ▽吹田暁子(40)=主婦、豊中市西緑丘1丁目、東京の姉の家に寄って帰る途中。

 ▽住本啓示(28)=北里大学医学部生、神奈川県相模原市南台3ノ8ノ42、大阪経由で三重県の実家に戻る途中。

 ▽白井信吾(47)=ダイハツ工業特機部課長、奈良県生駒市、会社は夏休みだが、
商談で東京へ日帰り出張。

 ▽白井俊雄(56)=住金溶接工業常務、西宮市甲子園浦風町8ノ17、
東京出張の帰途。

 ▽白井マリコ(26)=日本航空大阪支店、豊中市。

 ▽白石憲市郎(37)=白石電機、大阪府高槻市高西町16ノ2、
東京出張からの帰り。

 ▽白坂達也(40)=カメイ東京支店石油部販売課長兼大阪出張所長、
東京都千代田区大手町2ノ3ノ6。出張の途中。

 ▽新垣芳男(43)=丸善社員▽長女裕子(11)、
大阪府泉南郡阪南町箱の浦2604ノ432、父は沖縄より東京へ出張、
東京のおばの家に遊びに来ていた長女と合流し帰郷の途中。

 ▽末川久信(59)=高砂鉄工取締役大阪支店長、
大阪府豊中市寺内1ノ10ノ22日商岩井緑地公園第2マンション602号、
東京本社に出張の帰り。

 ▽須永和美(35)=丸紅香港会社駐在員、横浜市港北区大豆戸町、夏休みで一時帰国中。

 ▽須貝和郎(38)=電通大阪支社クリエイティブ局参事、
神戸市灘区篠原台8ノ47、出張帰り。

 ▽鈴木秀(50)=松下電工東京支店、大阪府枚方市西楚野2ノ31ノ5、帰省中。

 ▽陶山林邦(50)=会社員、豊中市東豊中5丁目、日帰りで東京出張の帰り。

 ▽瀬良直司(37)=私立親和女子高教諭、兵庫県明石市西明石町5ノ3ノ31、
修学旅行の下見からの帰り。

 ▽千田周平(47)=大阪総業社長▽妻典子(47)▽長女、
聖心短大2年美樹(20)とトンガ方面へ家族旅行の帰途。西宮市苦楽園四番町5。

 ▽曽田秀治(56)=川商不動産、大阪府箕面市桜井1ノ24ノ34、東京出張からの帰り。

 ▽園田ショウ子(24)=保母、大阪府貝塚市三ツ松西之町、
友人とディズニーランドからの帰り。

 ▽田代豊(34)=会社員、東京都江戸川区東葛西5丁目11ノ15、
妻佐智子(36)、長女香織(9)、長男佳幹(8)の一家4人で和歌山市の親類宅へ行く途中。

 ▽高杉正行(47)=第一勧業銀行大阪支店次長、西宮市花園町8ノ30、
東京の本店へ日帰り出張。

 ▽谷間寛(43)=公認会計士、芦屋市浜町7ノ8、
インド洋セーシェルの国家財政の助言に行って帰る途中。

 ▽高橋晟(51)=BASFジャパン大阪事務所、大阪市東淀川区東中島4丁目、
東京本社での会議を終えての帰途。

 ▽滝井百合子(21)=全日空大阪支店勤務、大阪府箕面市桜ケ丘3丁目、
東京へ友人と旅行に出かけた帰り。

 ▽田中滋(44)=田中建築設計事務所社長、西宮市南昭和町8。日帰り出張。

 ▽立花佑治(41)、桂子(40)=スナック経営、東京都墨田区八広2ノ45ノ4。

 ▽竹島伸幸(25)=会社員、神戸市東灘区田中町2丁目、10日から出張。

 ▽谷口正勝(41)=チッソ株式会社ポリプロ繊維部主任、大阪市北区中之島3ノ6ノ32、
東京へ日帰り出張の帰途。

 ▽滝下裕史(11)=入新井第5小6年、東京都大田区大森北3ノ30ノ13。
大阪の親類に遊びに行く途中。

 ▽竹永修司(24)=日立製作所多賀工場勤務、日立市国分町2ノ1。寝屋川市へ帰省途中。

 ▽田中透(23)=中央設計、東京都練馬区北町8ノ4ノ10、旅行。

 ▽田淵陽子(24)=早川司法書士事務所勤務、大阪市都島区大東町2丁目12ノ16。
妹の会社員満(19)と淀川中3年純子(14)で
科学万博や東京ディズニーランドを見物した帰り。

 ▽多々良千代美(19)=日立自動車部品販売勤務、
大阪市都島区大東町3丁目3ノ5ノ307、科学万博などに旅行しての帰り。

 ▽田村美穂子(19)=会社員、尼崎市大物町2ノ59。友人と科学万博に。

 ▽立花昇(40)=住友精密工業社員、出張から帰る途中。

 ▽竹内誠一(26)=日本理容美容専門学校美容科教員、大阪市生野区鶴橋2ノ5ノ24、
大貫マンション、研修を終え帰宅途中。

 ▽竹原春平(45)=会社員、川西市清和台東1丁目5ノ31、日帰り出張の帰途。

 ▽田畑肇也(22)=日大4年、和歌山市の実家へ帰る途中。

 ▽田中稔夫(55)=日本特殊電線常務、大阪市天王寺区大道3丁目1ノ13、出張の帰途。

 ▽武内芳子(23)=日本航空国際線スチュワーデス、兵庫県伊丹市千僧野末1ノ422、
ホノルルからの帰り。

 ▽武田澄子(41)=飲食店経営、八尾市陽光園1ノ9ノ15、
東京の友人宅へ遊びに行った帰り。

 ▽竹下元章(48)=群馬県高崎市貝沢町1150ノ4、
甲子園大会に出場している東京農大二(群馬)の竹下政宏投手の父。
16日の熊本西戦の応援に行く途中。

 ▽田中愛子(26)=高校教師、神戸市長田区若松町10丁目。

 ▽田中一文(35)=私立親和女子高教諭、加西市両月町250ノ2、
修学旅行の東北地方下見の帰り。

 ▽館(たち)征夫(42)=会社員、神戸市灘区桜ケ丘町、出張の帰途。

 ▽高橋康悦(54)=会社員、埼玉県川越市野田町2ノ16ノ59、大阪へ出張。
 
 ▽高曲康夫(29)=松下電器貿易自動車機器課主任、保谷市下保谷4ノ16ノ6の同社独身寮

 ▽三好恵子(28)=家事手伝い、保谷市富士町6ノ9ノ2。
2人は婚約者同士。東大阪市の高曲家に向かう途中。11月にハワイで挙式予定だった。

 ▽高坂行雄(26)=ディスコ「マハラジャ」従業員、
東京都渋谷区広尾4ノ1ノ10ノ1005。大阪市の実家に戻る途中。

 ▽高橋徹=会社員、東京都千代田区内幸町1ノ1ノ2、大阪の本社に出張。

 ▽大門義信(46)=会社員、堺市西野320ノ29、本社の会議に日帰り出張。

 ▽大福由樹(23)=会社員、西宮市今津曙町。出張の帰り。

 ▽辻昌憲(39)=島野工業レーシングチーム主任、東京五輪自転車選手。
河内長野市小山田73、東京へロードレースの打ち合わせに行った帰り。

 ▽鶴町昭雄(35)=日本アイ・ビー・エム大阪事業所システム室勤務。
大阪市住之江区南港中4丁目。出張帰り。

 ▽塚原幹夫(31)=双栄通商石英特販部営業課長、
千葉県市原市山田橋100ノ1ノ84ノ1ノ7。大阪本社へ出張中。

 ▽塚原仲晃(51)=大阪大学基礎工学部教授、大阪府箕面市桜井2丁目3ノ14、
2、3日前から東京へ行っての帰り。

 ▽辻寛太郎(48)=会社員、箕面市桜井、東京出張の帰途。

 ▽堤大志(31)=中商事常務、東京都大田区東糀谷4ノ4ノ6、大阪本社へ出張で行く途中。

 ▽出原昭一=丸紅合樹製品管理部長、大阪府泉南郡熊取町小垣内、東京の会議で出張。

 ▽堂本裕子(32)=主婦、東京都杉並区松庵3ノ17ノ21。
長女智琴ちゃん(6)と長男智晶ちゃん(3)を連れて、実家へ行く途中。

 ▽土岐竜幸(26)=山崎建設社員、東京都杉並区高井戸、
富山市水橋沖94の実家へ帰省の旅。

 ▽徳満博愛(40)=ツクダ第2関西店店長、宝塚市山本丸橋4ノ7ノ3、出張の帰り。

 ▽土居高子(19)=大学生、東京都小金井市貫井南町3ノ2ノ23、
大阪府枚方市の下宿先に帰る途中。

 ▽富田真理(21)=芦屋大学3年、甲府市国母2ノ4ノ19の実家から帰る途中。

 ▽土居満代(42)=大月真珠勤務、神戸市東灘区魚崎北町3丁目、東京出張。

 ▽徳田浩康(46)=第一勧銀大阪支店外国為替課長、鎌倉市城廻443の6、
大阪に単身赴任で、東京出張の帰り。

 ▽豊島良紀(33)=東邦商事営業部次長、堺市三国ケ丘町2ノ1ノ13、
日帰り出張の帰途。

 ▽豊島富美男(34)=衣料品卸売会社パリス社員、
兵庫県川辺郡猪名川町伏見台4丁目2ノ36、日帰りで東京支社に出張。

 ▽徳丸信広(45)=松下電器勤務、枚方市養父元町7ノ6、厚木出張の帰途。

 ▽塔本正吾(47)=島野工業、堺市八田寺町90、出張。

 ▽戸室泰太(40)=三菱電機半導体事業部製品企画グループ主幹、
川西市湯山台2丁目24ノ1、東京へ日帰り出張の帰り。

 ▽富岡享(46)=チッソポリプロ繊維事業部主席、滋賀県甲賀郡甲西町菩提寺、
上司の葬儀の帰途。

 ▽中島あつ子(33)▽香奈子(4)▽美菜子(7カ月)
=日本航空国際代理店販売部第3課課長補佐、吉盛さんの家族。
川崎市宮前区宮崎2ノ12ノ6宮崎台公園スカイマンション506。
吉盛さんは出張先のホノルルから13日に帰国予定。

 ▽名池和男(55)=食品問屋副社長、川崎市麻生区東百合ケ丘1ノ21ノ2、
大阪本社へ社用で出張。

 ▽内藤実(33)=日本交通公社三宮支店勤務員、吹田市千里丘中、
修学旅行担当係長で、親和女子高教師と東北方面下見の帰り。

 ▽中井敬(28)=大林組開発企画部、三鷹市深大寺3774、大林組三鷹寮、
西宮市の実家へ帰省。

 ▽長岡明男(24)=ユニバーサル証券大阪支店大阪管理部勤務、
東大阪市旭町22ノ27、同社瓢箪山寮、休暇で東京都内の実家へ行っての帰り。

 ▽中島博(37)=日本アイ・ビー・エム大阪事業所営業部勤務、
神戸市東灘区御影町郡家字下山田、東京出張の帰り。

 ▽中西稔剛(38)=日本特殊電線工場次長、大阪市西区南堀江1丁目18ノ27、
四ツ橋セントラルハイツ、日帰り出張の帰途。

 ▽永田昌令(53)=電通クリエイティブ局ディレクター、西宮市大浜町1ノ41ノ308、
出張帰り。

 ▽中田加代子(38)、美加(12)=大塚製薬鳴門工場情報管理課長美徳氏の妻と長女、
徳島市北島町、里帰りの帰路。

 ▽中尾重喜(45)=日祥取締役大阪支店長、兵庫県川西市向陽台2ノ8ノ25、
東京での葬儀の帰り。

 ▽中川秀則(40)=チッソ大阪営業所課長代理、滋賀県草津市大路2ノ5ノ15、
東京での葬儀の帰り。

 ▽中野絵理子(23)=神戸市東灘区深江南町2ノ8ノ32。

 ▽中野忠男(34)=京阪交通社海外旅行業務係、西宮市上ケ原五番町6ノ26、
東京支店にこの朝商用で出張。

 ▽中尾富幸(58)=中央商事大阪営業所長、四条畷市南野2、会議のため東京へ日帰り出張。

 ▽中野肇(63)=阪神電鉄専務、宝塚市仁川宮西町5ノ27。

 ▽中別府弘(48)=日本金銭機械取締役事業部長、大阪市平野区平野宮町1丁目、
商談で東京へ日帰り出張の帰途。

 ▽中村政昭(18)=高校3年、高槻市日吉台六番町、大学受験の下見に上京し帰阪途中。

 ▽中村健児(52)=栗田整備常務、横浜市西区宮ケ谷25ノ2、
三ツ沢ハイタウン3ノ606、大阪の部長会に出張の途中。

 ▽中島誠(38)=日本アイ・ビー・エム社員、横浜市緑区たちばな台2ノ3ノ44、出張中。

 ▽中川英二(38)=新日本電機製作所社長、八尾市恩智中町2丁目325、
陽光ハイツ、東京出張の帰り。

 ▽中上岑子(38)=主婦、奈良県吉野郡下市町下市。長男で下市中1年義哉(12)、
長女で下市小4年佳代子(10)の3人で東京にいる姉の所に行き、
おいとめいの小田浩二(15)、陽子(12)の2人を連れて帰る途中だった。

 ▽永富信義(40)=会社員、豊中市春日町3ノ10ノ7、妻勝子(40)、
長男の市立14中1年孝典(12)の3人で東京の勝子さんの父の1周忌に出ての帰り。

 ▽中山健(52)=エムエフ情報システム常務、寝屋川市太秦東が丘7ノ10、
東京へ日帰り出張。

 ▽長井秀人(26)=会社員、東京都国分寺市西町2ノ9ノ7、ビジネス。

 ▽長岡正通(37)=東京都北区豊島2ノ25ノ5、飛栄産業(不動産)開発部長、社用で出張。

 ▽西井正樹(27)=横浜市緑区しらとり台3ノ4、新日本気象海洋勤務。

 ▽西山俊江(26)▽学(4)横浜三育幼稚園▽顕光(2)
=スナック経営の西山聖次さんの妻、横浜市中区柏葉。

 ▽新田改三(26)=会社員、大阪市住吉区長居東三丁目、商談のため日帰りで東京へ。

 ▽西川忠男(42)=住友精密工業社員、吹田市山手町4丁目18ノ1、
出張で東京へ行っての帰り。

 ▽西川耕司(36)=三田技術コンサルタンツ社員、大阪市港区弁天3丁目9ノ17、
科学万博へ行っての帰り。

 ▽西口昌子(25)=OL、大阪市阿倍野区北畠2ノ11ノ29、
婚約者のK・マシューズさんとイギリス旅行の帰り。

 ▽西川博之(28)=警視庁碑文谷署勤務(巡査部長)、東京都武蔵野市西久保、
大阪の親類の法事出席のため。

 ▽西村庄二(52)=世田谷区奥沢1ノ30ノ13、阪急百貨店取締役有楽町店長、
大阪本社へ出張の途中。

 ▽西山竜夫(33)=象印マホービンデザイン室員、京都府相楽郡加茂町加茂台1ノ13、
東京出張の帰り。

 ▽新田温子(42)=会社員、西宮市上甲東園1丁目18ノ11。

 ▽沼倉愈勇=まさお=(43)、会社員、明石市藤江。

 ▽沼田清(54)=池田市畑3ノ4。

 ▽野口豊(38)=日本育英会大阪支所主任、大阪市北区天神橋4丁目、
日本育英会の会議で東京へ出張した帰り。

 ▽野中哲人(42)=常盤ステンレス工業営業主任、羽曳野市伊賀、
東京の得意先に日帰り出張の帰途。

 ▽能仁千延子(22)=会社員、徳島県那賀郡那賀川町黒地193、
今春上智大を卒業して都内で就職。帰省の途中。

 ▽野上幸雄(33)=エース・サングリーン庄内店社員、尼崎市南塚口町3丁目、旅行帰り。

 ▽早川宏(44)=森脇工機社員、泉南市信達岡中、東京出張の帰り。

 ▽服部征夫(42)=鹿島建設大阪支店勤務、奈良県生駒郡平群町若葉台、
渡米打ち合わせのため上京しての帰途。

 ▽橋詰真治郎(54)=ふじしろ幼稚園園長、吹田市藤白台4丁目、
東京での日本私立幼稚園連盟の会議からの帰途。

 ▽長谷川鉄治(45)=富士電機関西支社機器営業部長、豊中市東泉丘1丁目、
東京本社での打ち合わせの帰り。

 ▽半田春海(56)=大三金属工業東京支店長、東京都千代田区内神田3ノ5ノ5、大阪に商用。

 ▽半田啓三(40)=洋裁仕立業、西宮市能登町。

 ▽長谷川俊介(30)=会社員、実家は和歌山市元寺町、東京へ出張した帰り。

 ▽花川忠彦(55)=大阪府立西野田工高定時制教頭、羽曳野市南恵我野荘8ノ9ノ16、
「全国高校定時制通信制教育研究協議会」に出席しての帰り。

 ▽橋本礼子(28)=事務員、岸和田市今木町、11月に結婚するため
「独身最後の旅行を」と同僚と2人で科学万博を見に行っての帰り。

 ▽林拓也(19)=喫茶店アルバイト、東京都新宿区西新宿4ノ2ノ8、和歌山の実家に帰省。

 ▽原田敬久(28)▽妻恵(23)=シャープ電子部品営業本部員、
東京都調布市東つつじケ丘3丁目、コーポもとき。新婚3カ月、
初めて大阪府堺市内の夫の実家へ里帰り。

 ▽林正典(45)=日本包装運輸社長、西宮市苦楽園二番町16ノ27。

 ▽林義明(44)=松下電器産業ビデオ事業部課長。
大阪府交野市天野ケ原町1ノ22ノ2、東京都目黒区内の関連工場に出張しての帰り。

 ▽蛭田律子(33)▽次女舞(1)=西宮市高須町1丁目、
お盆で東京の実家に帰省しての帰り。

 ▽平野一(29)=天理教職員、天理市田部町。

 ▽東谷志郎(36)喫茶店経営▽妻敏子(36)▽長女の小学校5年亜紀子(10)
=大阪市平野区瓜破西2丁目、ディズニーランドへ行った帰り。

 ▽樋畑進二(42)=オリエント・リース住宅事業部大阪営業課長、
豊中市新千里東町2ノ6A43ノ304、東京出張の帰り。

 ▽布施喜徳(28)=ジャパンサービス社員、大阪市浪速区幸町2、
父の3回忌で千葉へ帰省の帰り。

 ▽日永田利美(34)▽真左子(31)▽真由美(7)
=埼玉県川口市川口2丁目2ノ17ノ43、祖母の初盆で福岡県筑紫野市の実家へ帰省途中。

 ▽房谷清茂(56)=阪急電気工事鉄道技術部次長、大阪市阿倍野区天王寺北、
東京に日帰り出張。

 ▽深水諌(43)=会社員、大阪府池田市八王寺1ノ8、出張。

 ▽藤原美代子(50)=主婦、東京都新宿区若葉1ノ18、
神戸に住む母の白内障の手術(13日)に立ち会うため。

 ▽藤島克彦(47)=電通大阪支社、西宮市満池谷3丁目、東京出張から帰る途中。

 ▽藤井利夫(55)=光洋商事常務、大阪府泉南郡阪南町尾崎285ノ26、
東京本社へ日帰り出張。

 ▽藤本正裕(23)=会社員、宝塚市野上6丁目。

 ▽布施正行(32)=セントラルエキスプレス社員、西宮市郷免町5、
実父の3回忌で千葉県の実家に帰省しての帰途。

 ▽福田清一郎(51)▽3女典子(7)=日刊スポーツ新聞社事業部長、
高槻市富田町1ノ15ノ8、ディズニーランドに行っての帰り。

 ▽福田慎一(27)=同和火災海上保険勤務、横浜市神奈川区神木台1ノ27、出張。

 ▽福田武(56)=浪速エンジニアリング社長西宮市甲子園春風町7。

 ▽古川剛(12)=小学6年生、大阪市東区北新町1ノ13▽古川恵美子(15)=中学3年生、東京都中央区晴海、2人はいとこ同士。恵美子さんの家へ遊びに来ていた剛君が、恵美子さんと大阪へ帰るところだった。

 ▽藤倉嘉郎(43)=三洋電機近畿販売社員、東大阪市宝持4ノ4ノ23、
ディズニーランドを見物した帰り▽長女洋子(16)=高校2年▽次女智子(13)=中学2年

 ▽藤原米雄(58)=常盤薬品工業薬事渉外部長、和歌山市中之島天王町874、
東京へ日帰り出張。

 ▽堀内幸一(54)=京葉電気計装勤務、千葉市今井町1ノ9、大阪の実家に帰省中。

 ▽細川順治(54)=証券新報社社長、横浜市港南区日野、自宅から単身先の大阪へ。

 ▽本郷晴喜(41)=本郷電器常務取締役、大阪市福島区福島7ノ3、出張の帰り。

 ▽本田寧(38)=電通大阪支社第2営業局参事、西宮市松園町1ノ26、 
東京へ出張しての帰り。

 ▽堀岡竜夫(52)=奥村組土木興業営業部長、八尾市亀井町1丁目、
東京出張の帰り。

 ▽増田照雄(53)=会社役員、大阪府吹田市日出町、
単身赴任先の東京からお盆休みで帰省途中。

 ▽益田和彦(49)=会社員、奈良県生駒市東生駒月見町、
東京での上司の葬儀に参列した帰り。

 ▽増田勇生(26)=会社員、千葉市天台2丁目10ノ4、呉市へ帰省の途中。

 ▽増田了一(38)=日本シー・アンド・シーシステムズ取締役部長、
豊中市東豊中町4ノ1ノ45ノ319、東京への日帰り出張の帰途。

 ▽前瀬泰吾(18)=青山レコーディングスクール学生、東京都世田谷区、
和歌山県海草郡美里町の実家へ帰省。

 ▽牧園弘志(37)=会社員、茨木市総持寺台、社長と一緒に東京へ日帰り出張の帰り。

 ▽前田真智子(39)=主婦、和歌山市吉田、▽長女の大新小1年春奈(6)。
母子で福島県いわき市に行っての帰り。

 ▽前田光彦(33)=松下電器ゼネラルオーディオ事業部首都圏営業課係長、
大宮市上小町318ノ106、大阪に帰省途中。

 ▽松本亜規子(21)=日本航空国内線スチュワーデス、
東京都品川区旗の台2ノ1ノ24、盆休みで松山市畑寺1ノ4ノ18の実家に向かう途中。

 ▽松元美智代(23)=松下電器社員、大阪市港区波除5ノ4ノ18、
友人とディズニーランド見物の帰途。

 ▽松下優子(23)=看護婦、豊岡市庄境、東京旅行の帰り。

 ▽松尾敏明(37)=阪急交通社労組委員長、大東市三箇3ノ1ノ16、日帰り出張。

 ▽松尾省一(35)=電通大阪支社、大阪市天王寺区寺田町1丁目、東京出張から帰る途中。

 ▽増永忠彦(67)=無職、東京都千代田区永田町、あいさつ回りに行く途中。

 ▽前田光俊(58)=兵庫県歯科医師会専務理事、神戸市垂水区美山台3丁目、
会長といっしょに日本歯科医師会との連絡業務で日帰り出張。

 ▽巻田進(35)=丸住製紙印刷用紙課長、茨木市紫明園7、東京の会議から日帰り。

 ▽松本圭市(29)=阪急電鉄から東京の民鉄協に出向中、埼玉県狭山市、帰省途中。

 ▽水落哲子(52)=親和女子高校英語教師、明石市西明石西町1ノ19ノ5。

 ▽箕田一行(38)=ダイシン産業東京出張所長、大阪市福島区鷺洲3丁目、
単身赴任先から帰宅途中。

 ▽南慎二郎(54)=松下電器産業システムエンジニアリング本部企画担当参事、
東京在住、打ち合わせのため本社へ出張の途中。

 ▽溝端令子(25)=西宮市鳴尾町5丁目、武庫川高校教諭。

 ▽宮奥誠一(52)=会社員、奈良市帝塚山南4丁目2。

 ▽三崎洋(48)=積水樹脂課長、池田市伏尾台1ノ15ノ5、東京出張の帰途。

 ▽宮根将行(45)=テキスタイルデザイナー、
和歌山市和歌浦中1丁目2ノ10、仕事で日帰りの予定。

 ▽美谷島健(9)=小学3年生、東京都大田区南久が原2ノ31ノ6、
夏休みで大阪のおじさん宅へ遊びに行く途中。

 ▽村山和子(38)=お盆休みを利用して北九州市若松区へ向かう途中。

 ▽村上良平(43)=富士電機サービス課、千葉県柏市布施新町2丁目、
東京から大阪へ出張のため。

 ▽森明子(19)=学生、尼崎市蓬川町。

 ▽森田麻美(22)=松下電器電化調理事業部、尼崎市塚口本町7ノ2ノ25、
同僚と東京ディズニーランドへ行っての帰り。

 ▽本道代(19)=松下電器会社社員、大阪市此花区伝法6丁目、
週末から東京ディズニーランドなどへ遊びに行った帰り。

 ▽森良一(36)=白石電機工業設計課長、大阪市城東区今福西4丁目、
取引先と打ち合わせのため東京へ出張した帰り。

 ▽森秀樹(48)=ミダス取締役西日本営業部長、加古川市加古川寺家町177ノ17、
東京へ日帰り出張。

 ▽森中槙夫(46)=日下部電機社員、奈良市山陵町373ノ27、イラン出張の帰途。

 ▽八木橋昭信(33)=MSTコンサルタンツ、神奈川県横浜市南区唐沢10、
大阪への出張の途中。

 ▽山城栄賢(35)=会社員、那覇市出身で東京在住、
帰省途中に甲子園で高校野球を観戦するために、乗り合わす。

 ▽山本幸男(48)=ミサワホーム専務取締役、東京都杉並区浜田山3ノ16ノ5、
大阪での会議に向かう途中。

 ▽山本明美(30)=会社員、茨木市郡山2丁目、友人と2人でつくば博へ行った帰り。

 ▽矢田万由利(43)=主婦、豊中市石橋麻田町、娘と2人で東京方面へ旅行。

 ▽矢田千晶(23)=会社員、豊中市石橋麻田町、母と2人で東京方面へ旅行。

 ▽矢野嘉宏(25)=矢野組工業専務、岸和田市西大路町107ノ8▽妻敦子(27)
▽長男忠祐(2)10日から東京ディズニーランドに観光に行っての帰り。

 ▽山崎章(47)=住友金属工業製鋼品条鋼技術部主任部員、川西市水明台2ノ1ノ53、
東京出張の帰途。

 ▽保川隆(21)=早大理工学部4年、東京都中央区、堺市三原台3丁目の実家に帰省途中。
大学院に進学予定だった。

 ▽安田侃(49)=三栄化学工業色素研究室長、豊中市千里園1ノ29ノ29、
東京へ日帰り出張。

 ▽山登道雄(45)=サントリーデザイン室勤務、川西市大和西5ノ19ノ5、
商用で東京へ出張、もう1本遅い便の予定だったが……。

 ▽山田エツ子(42)=主婦、東京都中野区弥生町5ノ23ノ7ノ405、友人と会うため。

 ▽山本仁之(44)=山本産業社長、大阪府大東市諸福5ノ20ノ5、東京出張の帰途。

 ▽山本昌司(27)=サントリー勤務、茨木市西中条町、
約1週間前から東京に出張した帰り。

 ▽山本謙二(49)=山本化学合成専務取締役、八尾市刑部1ノ170、
東京出張の帰り。

 ▽山岡智美(16)▽薫(13)=高校2年生、中学2年生、
大阪市住之江区御崎町1丁目、姉妹とその友人3人で東京の知人宅へ遊びに行っての帰路。

 ▽芳崎務(50)=会社員(RKB毎日放送テレビ営業副部長)、
川西市大和東3ノ4ノ2、出張の帰り。

 ▽吉崎優3(38)▽妻博子(34)▽長男充芳(9)▽長女美紀子(8)
▽次女ゆかり(6)=中央宣興大阪支社営業部長、芦屋市若葉町、5人で東京の実家からの帰り。

 ▽矢田敏雄(49)=川崎製鉄社員、船橋市前原東3ノ7ノ7川崎製鉄寮内、
夏休みで帰省途中。

 ▽矢野正数(50)=逗子市池子3ノ12ノ5。三菱電機電子事業部参事。出張。

 ▽湯川昭久(56)=住銀総合リース副社長、目黒区上目黒3ノ29ノ20、
上目黒シティーハウス6号。

 ▽吉岡秀次(59)=恵徳幼稚園勤務、東大阪市新池島町3ノ5ノ2
▽妻美代子(55)▽孫秀倫(8)=市立池島小3年▽同佐幸(7)
=同1年の4人で10日から東京ディズニーランドを観光しての帰り。

 ▽吉田哲雄(35)▽仁美(28)▽有紗(3カ月)=練馬区早宮2ノ25ノ13。

 ▽吉川元啓(32)=ホテルセイリュウ常務取締役、東大阪市上石切町1ノ11ノ12、
東京出張の帰り。

 ▽吉田由美子(24)=女優、元宝塚雪組のスター、横浜市戸塚区東上郷町2ノ10。

 ▽吉田知太(29)=電通大阪支社第2営業局主事、池田市住吉2丁目、東京出張の帰り。

 ▽吉村謙之助(65)=光洋商事副社長、西宮市常盤町7ノ20、
大阪本社から東京本社へ日帰りで出張。

 ▽吉村一男(43)=日建設計社員、横浜市金沢区釜利谷町1905ノ12、福岡へ出張。

 ▽山口勝人(36)=天藤製薬社員、千葉県市原の実家に母の葬儀のため帰省中
 ▽妻静子(32)▽長男昌洋(5)▽長女裕子(2)、
豊中市北緑ケ丘2ノ1ノ12ノ404、4人で帰省しての帰り。

 ▽山内秀樹(41)=松浦電機工業所、大阪府守口市春日町15、出張帰り。

 ▽山本敏雄(36)=チッソ社員、池田市石橋3ノ2ノ10、東京出張の帰途。

 ▽若本昭司(50)=エトー株式会社取締役営業部長、
豊中市曽根南町1ノ20ノ20、東京の本店へ出張の帰り。

 ▽鷲野恵子(19)=銀行員、尼崎市崇徳院3丁目。
同級生2、3人で2泊3日の予定でディズニーランドへ行った帰途。

 ▽渡辺昭夫(58)=大和紡績取締役、箕面市箕面12ノ16、東京出張の帰り。

 ▽渡利京子(23)=神戸市灘区、万博見物の帰り。

 ▽和田浩太郎(36)=東京都渋谷区桜丘町29ノ27ノ503。

 ▽和田浩伸(25)=日本興業銀行員、武蔵野市吉祥寺北町3丁目、休暇で旅行中。

 ▽サクライ・シゲコ

 ▽ソガワ・レミコ(33)

 ▽タガワ・エイジ

 ▽チバ・ヒトシ(40)

 ▽テラニシ・マサツグ(23)

 ▽ナカムラ・Y



 ■外国人■

 ▽グルック・ハラルド(34)=西ドイツ、貿易商。

 ▽J・クラウベルト(50)=BASFジャパン常務、神戸市灘区上野通3ノ10ノ30、
東京からの出張帰り。

 ▽葉瑞祥(37)=西独貿易会社日本支店長、西宮市熊野町8ノ13、
西独人社長を東京に迎え、ともに西宮市へ向かう途中。

 ▽K・ムカージー▽T・ムカージー=ニューデリーの会社員と妻。
旅行と商用を兼ねて先週来日した。

 ▽ワード・ウォラック=日航の委託契約社員で、英会話の講師。

 ▽エドワード・アンダーソン(48)、マイク・ハンソン(40)
=2人とも米国コロラド州デンバー市、化学薬品会社スタンズ・カタリティック社員。
12日来日、大阪市北区の関連会社に商用で行く途中。

 ▽S・チャウチャリア=39歳ぐらいのインド人。カルカッタのアセチレン会社副社長。
商用で来日中。

 ▽キンブル・マシューズ=会社員、イギリス。

 ▽金玉子(42)=韓国系アメリカ人金鍾旭・中央日報大阪支社長の妻▽長男クリストファ(16)ソウル外国人学校高校課程2年▽次男スコット(14)同中学課程2年

 ▽KK・リー(男)、SL・タム(男)、LK・チュン(女)、CD・ユン(女)
=香港の実業家グループ。7日に商用と観光を兼ねて来日。

 ▽ジャンカルロ・モローニ、アンドレア・モローニ(17)=ミラノ市からこの春、
商用で来日したイタリア人父子。大阪へ商談に向かう途中。

 ▽安時懊(52)=マツタケなどの輸出業、ソウル特別市竜山区二村洞新竜山アパート、
商用で来日中。

 ▽鄭順徳(46)=川崎市麻生区、大阪の友人に会いに行く途中。

 ▽リー・ヒー・キョアン(21)=大阪市東住吉区。



 ■日航乗員氏名■

 【機長】高浜雅己(49)=千葉市宮野木町

 【副操縦士】佐々木祐(39)=千葉県四街道市みそら2丁目

 【航空機関士】福田博(46)=千葉県佐倉市井野

 【チーフパーサー】波多野純(39)=千葉県船橋市海神5丁目

 【アシスタントパーサー】木原幸代(30)=東京都荒川区西尾久4丁目▽赤田真理子(31)=港区南青山2丁目▽藤田香(28)=渋谷区恵比寿南2丁目▽宮道令子(30)=品川区南大井1丁目▽対島祐三子(29)=目黒区青葉台1丁目▽吉田雅代(27)=品川区荏原4丁目▽海老名光代(28)=横浜市南区永田山王台35

 【スチュワーデス】白拍子由美子(25)=世田谷区代沢1丁目▽大野美紀子(26)=市川市南八幡3丁目▽大野聖子(24)=練馬区桜台3丁目▽波多野京子(24)=世田谷区桜1丁目

(初出不詳)


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Japan Airlines Flight 123

From Wikipedia, the free encyclopedia

Japan Airlines Flight 123 (日本航空123便 Nihonkōkū 123 Bin?)
was a scheduled domestic Japan Airlines passenger flight from
Tokyo's Haneda Airport to Osaka International Airport, Japan.
On Monday, August 12, 1985, a Boeing 747SR operating this
route suffered an explosive decompression 12 minutes into the flight and,
32 minutes later, crashed into two ridges of Mount Takamagahara in Ueno,
Gunma Prefecture, 100 kilometres (62 miles) from Tokyo.
The crash site was on Osutaka Ridge (御巣鷹の尾根 Osutaka-no-One?),
near Mount Osutaka.

The explosive decompression was caused by a faulty repair performed
after a tailstrike incident during a landing seven years earlier.
A doubler plate on the rear bulkhead of the plane was improperly repaired,
compromising the plane's airworthiness. Cabin pressurization continued
to expand and contract the improperly repaired bulkhead until the day
of the accident, when the faulty repair finally failed,
causing the explosive decompression that ripped off a large portion
of the tail and caused the loss of hydraulic controls to the entire plane.

Casualties of the crash included all 15 crew members and 505 of the
509 passengers; some passengers survived the initial crash
but subsequently died of their injuries hours later,
mostly due to delays in the rescue operation.
It is the deadliest single-aircraft accident in history,
the deadliest aviation accident in Japan, the second-deadliest Boeing
747 accident and the second-deadliest aviation accident behind the
1977 Tenerife airport disaster.

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亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。




福知山線脱線事故(2005年)

福知山線脱線事故(ウィキペディア他)
2005(平成17)年

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概要

JR福知山線脱線事故(ジェイアールふくちやませんだっせんじこ)は、2005年(平成17年)4月25日に、
西日本旅客鉄道(JR西日本)の福知山線(JR宝塚線)塚口駅 - 尼崎駅間で発生した、
列車脱線事故である。
乗客と運転士合わせて107名が死亡した。

2005年(平成17年)、4月25日午前9時18分ごろ、列車は塚口駅 - 尼崎駅間の曲線で脱線し、
先頭の2両が、線路脇のマンション(エフュージョン尼崎)に激突した。

事故は、福知山線の、兵庫県尼崎市久々知の曲率半径300mの、右カーブ区間
(塚口駅の南約1km、尼崎駅の手前約1.4km地点)で、発生した。

事故列車は、宝塚発JR東西線経由片町線(学研都市線)同志社前行きの、上り快速列車である。

列車番号は、5418Mの7両編成で、前4両は、網干総合車両所に所属する、
207系0番台Z16編成(クハ207-17+モハ207-31+モハ206-17+クハ206-129)同志社前行き、
後ろ3両は、同所所属の207系1000番台S18編成(クモハ207-1033+サハ207-1019+クハ206-1033)
京田辺行きである。

列車の前5両が脱線して、先頭2両は、線路脇の、9階建てマンションに激突し、
先頭車は、1階駐車場へ突入、2両目は、マンション壁面へぶつかり、原形をとどめない形で、大破した。
(当初は状況などから、2両が重なるように壁面で大破していると誤解されていた)

事故列車は、直前の停車駅である伊丹駅で所定の停車位置を超過(オーバーラン)していた。
これについて、事故が起きる前に、運転士が車掌に対して、
オーバーランの距離を短くするように打診して、
車掌が、新大阪総合指令所(現在の大阪総合指令所)に対して、約70mのオーバーランを8mと報告し、
JR西日本も、当初、車掌の証言通り、8mのオーバーランと発表していた。
このことから、事故後に他の路線や鉄道会社において発生した、列車のオーバーランについても、
大きくクローズアップされた。

さらに、JR西日本が事故当日に行った発表の中で、線路上への置き石による、
脱線の可能性を示唆したことから、愉快犯による、線路上への置き石や、
自転車などの障害物を置くといったことも、相次いだ。

事故発生と同時刻には、並行する下り線に、新大阪発城崎温泉行きの特急「北近畿」3号が、
接近中だったが、事故を目撃した近隣住民の機転により、近くの踏切支障報知装置(踏切非常ボタン)
が押されて、特殊信号発光機が点灯したために、運転士が異常を察知し、
およそ100m手前で停車して、防護無線を発報しており、二重事故は回避された。

事故後、現場の曲率半径300mの曲線区間は、制限速度70km/hから60km/hに、
(運輸省令における制限速度算式での300R97Cの制限74km/h台を5km/h単位に丸めて制定したもの
であるから、安全に係る技術的な必要性から 制限を厳しくしたわけではない)、
手前の直線区間は120km/hから95km/hへとそれぞれ変更された。

事故列車は、4両編成と途中の片町線(学研都市線)京田辺駅で切り離す予定だった3両編成を、
連結した、7両編成で運転していた。
前から1・4・5・7両目の運転台のある車両に、列車の運行状態(非常ブレーキ作動の前後5秒間)
を逐一記録する、「モニター制御装置」の装備があり、航空・鉄道事故調査委員会が解析を行ったところ、
前から5両目(後部3両編成の先頭車両)と7両目に時速108kmの記録が、表示されていた。

ただし、これが直ちに、脱線時の速度を示しているとは限らない。
先頭車両が、脱線、急減速した影響で、車列が折れ、
連結器部分で折り畳まれるような形になったために、玉突きになって被害が拡大したものとされる。

当時、事故車両の1両目は、片輪走行で左に傾きながら、マンション脇の立体駐車場と、
同スペースに駐車していた乗用車を巻き込み、マンション1階の駐車場部分へと突入して、
壁にも激突。続く2両目も、片輪走行しながら、マンションに車体側面から叩きつけられる状態に加えて、
3両目に追突されたことによって、建物に巻きつくような形で大破。

3両目は、進行方向と、前後が逆になる。4両目は、3両目を挟むようにして、
下り方向(福知山方面)の線路と、西側側道の半分を遮る状態でそれぞれ停止した。

なお、事故発生当初、事故車両の2両目部分が1両目と誤認されており、1両目は発見されていなかった。
のちに、本来存在しているべき車両数と、目視で確認できる車両数が一致しないことから、
捜索され、発見された。

駐車場周辺において、電車と衝突して大破した車から、ガソリン漏れが確認されており、
引火を避け、被害者の安全を確保するために、バーナーや電動カッターを用いることができず、
救助作業は難航した。

また、3両目から順に車両を解体する作業を伴い、徹夜で続けられた救助作業は、
事故発生から3日後の、4月28日に、終了した。

近隣住民および下り列車に対しての二次的被害は免れたものの、直接的な事故の犠牲者は、
死者107名(当該列車の運転士含む)、負傷者562名を出す、未曾有の大惨事となった。
犠牲者の多くは、1両目か2両目の乗客で、ほとんどが、多発外傷や窒息で亡くなっており、
クラッシュ症候群も確認されている。死者数において、JR発足後としては1991年(平成3年)の、
信楽高原鐵道列車衝突事故(死者42名)を抜いて、過去最大となり、鉄道事故全般で見ると、
戦後(国鉄時代含む)では桜木町事故(106名)を上回り、八高線の列車脱線転覆事故(184名)・
鶴見事故(161名)・三河島事故(160名)に次いで、4番目、戦前・戦中に遡っても、関東大震災時の、
根府川駅列車転落事故(112名)を含めた中で7番目となる、甚大な被害を出した。

のちに、事故では負傷しなかった、同列車の乗客やマンション住人、救助作業に参加した、周辺住民
なども、心的外傷後ストレス障害 (PTSD) を発症するなど、大きな影響をおよぼした。

また、マンションには47世帯が居住していたが、倒壊した場合などに備えて、JRの用意した
ホテルなどへ、避難した。事故後も2世帯が残っていたが、8月上旬までに順次マンションを、
離れていった。

阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)の経験が生かされ、迅速な救助活動が行われた。
事故発生当時、いち早く現場へ駆けつけて救助にあたったのは近隣の人々である。
負傷者の人数が、あまりにも多く、救急車での搬送が追いつかなかったため、歩行可能な負傷者、
及び、軽傷者は、警察のパトロールカーや、近隣住民の自家用車などで、病院に搬送された。
また、一度に多数のけが人を搬送するため、大型トラックの荷台に、複数のけが人を乗せて、
病院へ搬送する手段が、取られた。

通常、トラックの荷台に人を乗せて公道を走るのは、道路交通法違反であるが、
一刻を争う緊急事態ということを考慮し、兵庫県警察は、白バイ及びパトロールカーの先導を条件に、
例外的に許可した。これらの結果、負傷者の半数は近隣の人々が医療機関に搬送しており、
震災当時にみられたボランティアの精神が、生かされている。

のちに、救助・救援活動の功績をたたえて、同年7月に、76企業・団体と1個人に対して、国から感謝状が、
8月には、48企業・団体と34個人に対して、兵庫県警察から感謝状が、9月には、32企業・団体と30個人
に対して、尼崎市から感謝状が、それぞれ贈呈された。
また、11月には、日本スピンドル製造と、1個人に対して、紅綬褒章が授与された。

なお、当該列車に、JR西日本社員2名が乗車していたが、職場に連絡をし、上司から、
出勤命令が出たため、社員2名は救助活動をせず、職場に出勤した。後に、救助より、
出勤を優先させる、JR西日本の人命軽視体質は、報道機関から批判された。
また、救急医療関係者が、事故現場周辺に展開して、大量の負傷者が発生した場合の、
トリアージを実施している。

事故から約2時間後には、尼崎市により、事故現場至近の、大成中学校が開放され、
避難所として利用されたほか、緊急車両の待機場や、消防防災ヘリコプターの、
臨時ヘリポートとして、活用された。
兵庫県は、緊急消防援助隊の、応援要請、広域緊急援助隊の出動要請、また、現場に近い、
伊丹に駐屯する、陸上自衛隊第3師団への、災害派遣要請を、それぞれ行った。


原因

兵庫県警察および航空・鉄道事故調査委員会による事故原因の解明が進められ、2007年(平成19年)
6月28日に最終報告書が発表された。

航空・鉄道事故調査委員会の認定した脱線の原因については「脱線した列車がブレーキをかける操作
の遅れにより、半径304mの右カーブに時速約116km/hで進入し、1両目が外へ転倒するように脱線し、
続いて後続車両も脱線した」という典型的な単純転覆脱線と結論付けた。現在では現場にATSが設置
されたが、2005年(平成17年)6月 - 2010年(平成22年)10月までに速度超過で列車が緊急停止する
事態が11件も起こっており、速度が出やすい魔のカーブとされている。

なお、この脱線事故の原因の究明および以後の事故防止のために調査を行う航空・鉄道事故調査委
員会が調査を行っていたが、この組織は2008年(平成20年)10月1日に運輸安全委員会に改組されて
いる。本項では組織名を航空・鉄道事故調査委員会のまま記述する。

当初疑われた原因

事故発生当初は、下記のように種々の原因が疑われた。しかし、最終報告書ではそのほとんどについ
てそれを裏付ける傍証は明示されなかった。

乗用車衝突説

事故発生当初は、現場に大破した乗用車が存在することと列車の脱線の事実のみが伝わったことから、
「踏切内で乗用車と列車が衝突し、列車が脱線した」との憶測が飛び交うなど情報が錯綜した。そしてJ
R西日本の当初発表が「踏切内での乗用車との衝突事故」だったため、報道各社はこのJR西日本発表
を流した。発生2時間後の警察発表後で否定されるまで、乗用車との衝突とする報道は続いた。

塚口駅から同列車が脱線した地点までの区間に踏切は1つも存在せず、乗用車が近隣の建造物や立
体駐車スペースから線路内へと落下した痕跡も確認されなかったことから、この説は明確に否定される。

線路置石説

JR西日本は、事故発生から約6時間後の25日15時の記者会見の中で粉砕痕(置石を踏んだ跡)の写
真を報道機関に示すなどして、置石による事故であることを示唆した。しかし、JR西日本の置石説発表
後に国土交通省が調査が済んでいない段階での置石であるとの断定を否定する発言を行い、JR西日
本も原因が置石であるかのような断定を撤回する発言を行う。

その後、調査が進み、事故列車の直前に大阪方面へ向かう北近畿6号が通過するなど列車の往来が
激しい区間であることから、多数の置石をするのが困難であること、置石の目撃者がいないこと、当初
置石があった証拠として挙げられたレール上の粉砕痕は、航空・鉄道事故調査委員会の調査結果でそ
の成分が現場のバラスト(敷石)と一致し、「脱線車両が巻き上げたバラストを、後部車両が踏んででき
たものと考えるのが自然である」との調査委員会の見解が出された。

しかし、巻き上げられたバラストがレール上で踏まれたなら当然に残るはずの、枕木上のバラストがあ
まり残っていないことなどから、一般には疑問も残った。また、事故後しばらく模倣とみられる置石事件
で逮捕される者が相次いだ。

列車速度超過説

速度の記録から、現場の制限速度を大幅に超えた走行をしていたことが判明している。

事故を起こした列車は、直前の停車駅である伊丹駅で約70mオーバーランしたため、伊丹駅を1分30秒(
異説あり)遅れで発車していた。また、始発の宝塚駅やその次の停車駅である川西池田駅に入線する際
にも、それぞれ停止位置を間違えるなど、極めて不自然な運転を繰り返していたことも判明している。運
転士がその遅れを取り戻そうと制限速度を超えた可能性がある。

現場のカーブは前述の通り半径300mで制限速度は時速70km。当該線区に設置されていた自動列車停
止装置(ATS-SW)はJR西日本では最も古いタイプのものとされ、あたかもこれが事故を防げなかった原
因であるかのような報道がされているが、当該装置でも速度照査用の地上子などの設備を設置すれば速
度照査機能の付加は可能であり、ATS-SWそのものが直ちに事故原因につながるわけではない。ちなみ
に事故現場には速度照査用の地上設備は設置されていなかった。

また、当該線区には新型のATSである自動列車停止装置(ATS-P)の導入が予定されていたが、A
TS-Pでも速度照査用の地上設備が設置されていないと、速度超過した列車を自動で減速あるいは
停止させることはできないのは、ATS-SWと同様である。

速度超過から脱線に至る原因は、せり上がり脱線説と横転脱線説の大きく2つの説があるが、レー
ルの傷跡から後者と断定される。

非常ブレーキ説

カーブ通過中に運転士が非常ブレーキをかけて車輪が滑走した場合、車輪フランジの機能が低下し
て脱線に至る可能性が大きいという説があり、当初、非常ブレーキを動作させなければ脱線および横
転の可能性は少なかったといわれた。のちの解析の結果、運転士はカーブ進入後、車体が傾きだし
ていたのにもかかわらず常用ブレーキを使用していたことが判明。非常ブレーキは脱線・衝突の衝撃
で連結器が破損したことによって作動していた。

また、それ以前に運転士が数回にわたって非常ブレーキをかけていた原因は、0番台の車両と1000
番台の車両のブレーキのかかり方の違いによるものであるという見方もある。0番台と1000番台では
ブレーキの動作が違っているため、207系の運転経験がある運転士は(他形式とは違い)20mほど手
前から転がして微調整をかけるような運転の仕方が必要と話す。

せり上がり脱線説

運転士が、カーブ手前でそれに気づき非常ブレーキをかけたために(のちに否定される)車輪のフラ
ンジとレールとの間で非常に強い摩擦力が起き、2000年(平成12年)3月8日に発生した「日比谷線
事故」と同じような車輪がせり上がって脱線した「せり上がり脱線」が起こり事故が起きたという見方
もある。しかし、通常のせり上がり脱線が発生するためには車輪に非常に高い横圧がかかることが
必要で、現場の半径300mのカーブ程度では通常は考えにくい。

とはいえ、現場の枕木に残された走行痕からせり上がり脱線(乗り上がり脱線)も起きたことは事実で
あろう。これは転覆に至る過程で、車軸が傾いたことによってレールに対する実質のフランジ角が減少
して比較的低い横圧でもせり上がり脱線に至ったのではないかという見方がある。

横転脱線説

また、あるところでは、せり上がり脱線ではなく上記に示したとおり「非常ブレーキ」の作動によって列車の
バランスが崩れ、進行方向(尼崎方面)向かって右側の車輪が浮き上がりそのまま左側に倒れ込んだ「横
転脱線」ではないかとする見方もある。しかし、前述のとおり、乗務員が使用したのは「常用ブレーキ」であ
り、「非常ブレーキ」が作動したのは脱線によって連結器が破損した後であると判明している。

油圧ダンパー(ヨーダンパー)故障説

複数の乗客から「油くさい臭いがした」「異常な揺れを感じた」との証言があり、事故発生直前に車掌から
も輸送指令に「(揺れがひどく)列車が脱線しそうだ」と無線連絡していたことから、新幹線などの高速車
両にも搭載されている横揺れを抑える「油圧ダンパー(ヨーダンパー)」が故障していたのではないかとの
説がある。

油圧ダンパーの故障で空気バネをうまく制御できなかったことにより、直線区間で異常な揺れが発生し
(油圧ダンパーや空気バネが正常であれば高速走行をしても極端な揺れなどは感じない)カーブに入っ
たときに「空気バネの跳ね返り現象」(油圧ダンパーが故障していたことにより、カーブ突入時に本来内
側に傾いたままであるはずの車体がバネの跳ね返りで外側に傾いてしまう現象)が起こり、車体全体
が外側に傾いていたときに、たまたま運転手の焦りから通常減速すべきカーブを減速しないで加わった
強力な横の重力もあって転覆に至ったのではないかとされている。しかし、ヨーダンパーが故障していた
ならば、当然にレールに残る周期的な変形は、航空・鉄道事故調査委員会の調査によって確認されな
かったことから脱線の主要因とは挙げ難くなっている。

油圧ダンパーが故障したとすると、空気バネの制御ができなくなるのと関連してブレーキの制動具合に
かなりの影響を与えるという意見がある。つまり、乗客が多い場合と少ない場合で同じ位置に停止させ
ようとすると異なるブレーキ力を働かせなければならないので、その調整を空気バネの制御で行ってい
るのである。今回の事故において、空気バネの制御ができなくなっていたとするとブレーキの作動が非
常に悪くなっていた可能性があることが専門家から指摘されている。

ただし、本来油圧ダンパーと空気バネは独立したものであり、207系自体、また類似構造の台車を履く
221系も当初ヨーダンパーを装備していなかったことから、ブレーキの効き具合にも直接の影響はない
といえる。

事故の間接的要因

同事故においては多くの問題が指摘された。

JR西日本の経営姿勢が抱える問題

国鉄時代から並行する阪急電鉄などの関西私鉄各社との激しい競争にさらされており、その影響から
か、民営化後のJR西日本にも競合する私鉄各社への対抗意識が強かったとされて、私鉄各社との競
争に打ち勝つことを意識するあまり、スピードアップによる所要時間短縮や運転本数増加など、目前の
サービスや利益だけを優先し、安全対策が充分ではなかったと考えられる。

また同社においては、先述の競争の激しさや、長大路線を抱えている点から、従業員がダイヤの乱れ
た時における乗客からの苦情の殺到を過度に恐れていたとの指摘もある。

同社の安全設備投資に対する動きが鈍かった背景には、先述の私鉄各社との競争などによるスピー
ドやサービス競争を優先させたほか、民営化後多数の赤字路線を抱えていたこと、阪神・淡路大震災
で一部の施設が全壊ないし半壊するなどの被害を受けたことや、山陽新幹線のコンクリート崩落問題
で多額の支出を強いられたこと、さらには一部の株主が利益に対する配当を優先させる要求に出たこ
となどが挙げられる。

日勤教育の問題

目標が守られない場合に、乗務員に対する処分として、日勤教育という、再教育などの実務に関連し
たものではなく、懲罰的なものを科していた。具体的には乗務員休憩室や詰所、点呼場所から丸見え
の当直室の真ん中に座らされ、事象と関係ない就業規則や経営理念を書き写しなどを一日中させら
れ、トイレに行くのも管理者の許可が必要な事例や、ホームの先端に立たされて発着する乗務員に
「おつかれさまです。気をつけてください」などの声掛けを一日中させられる事例など、いわゆる「見
せしめ」、「さらし者」にさせる事例もあれば、個室に軟禁状態にして管理者が集団で毎日のように恫
喝や罵声を浴びせ続けるなどして自殺や鬱に追い込ませる事例も発生している。それが充分な再発
防止の教育としての効果につながらず、かえって乗務員の精神的圧迫を増大させていた温床との指
摘も受けている。日勤教育については事故が起こる半年前に、国会において国会議員より「重大事
故を起こしかねない」として追及されている。また、日勤教育は「事故の大きな原因の一つである」と、
多くのメディアで取り上げられることになった。事故を起こした運転士は、過去に運転ミスや苦情など
で3回の日勤教育を受けていた。国土交通省の事故調査報告書でも日勤教育は「ほとんど精神論」と
断じ、事故原因として「日勤教育等のJR西日本の管理方法が関与したと考えられる」と報告している。

ダイヤ面での問題

事故発生路線である福知山線は、阪急電鉄の宝塚本線・神戸本線・伊丹線と競合しており、他の競合す
る路線への対抗策と同様、秒単位での列車の定時運行を目標に掲げていたとされている。

120km/h運転や停車時間が15秒などもともと全体的に余裕のないダイヤだったうえ、停車駅を次々と追
加したにもかかわらず、所要時間は2003年(平成15年)12月に快速が中山寺駅に停車するダイヤ設定
前と同じであったため、余裕時分を削って以前と変わりない所要時間で走らせ、慢性的な遅延が出てい
ることは問題視されていた。特に当該列車においては基準運転時分通りの最速列車で、事故発生区間
である塚口駅 - 尼崎駅間では2004年(平成16年)10月のダイヤ改正によりさらに短縮されていた。JR西
日本は施策で「余裕時分全廃」を掲げていた。

事故調査委員会が全国のJR・私鉄・公営鉄道事業者のダイヤを調べたところ、余裕時分のないダイヤ
を組んでいたのはJR西日本だけであった。

路線の設備での問題

当該事故発生前は運行本数が多く、速度も比較的高い大都市近郊路線であるにもかかわらず、速度
照査用の設備が設置されていなかった。信号機に対する自動列車停止装置には旧型の速度照査機
能がないATS-SWが利用されていた。ただし、ATS-SW形式でも信号とは独立の速度照査機能を付加
して、必要箇所に地上子対を設置すれば、速度超過に対する緊急停止機能が動作する。有名な例では
東海旅客鉄道(JR東海)の主要路線でこの形式が採用されている。

また、JR東西線との直通に対応した尼崎駅の改良に伴い、過去の線路付け替えで曲線半径が小さくな
った。これは、当初の上り線は現場マンションを挟んだ東側にあり、下り線に併設されていた尼崎市場
への貨物線跡地などを利用する形で現在の上り線が敷設された。この時点で東西線区間には新型ATS
が設置されたが、福知山線においては付け替え区間を含めて設置されなかった。カーブでの高速運転
をするためにカントを付けるが、現場は緩和曲線が短く、カントは上限105mmより少ない97mmなので
その分制限速度が5km/h低くなっていた。半径300mでカント105mm(上限値)での制限速度は75km/h。
従前の「本則」では60km/h - 65km/h。

事故発生現場のカーブには、国土交通省の定める脱線防止ガードの設置基準にも該当せず、脱線防止
ガードは設置されていなかった。ただし、脱線防止ガードがあったとしても、今回のように極端な速度超過
による転覆脱線を起こした場合はほとんど効果が期待できない。

車両の問題

メカニズム面

ブレーキ関係

ブレーキハンドルでは、常用最大ブレーキと非常ブレーキの間にどちらのブレーキ指令も発せられない
ポイントが存在していた。この区間は、0番台・1000番台・2000番台とで異なる位置だった。また事故
を起こした編成の7両目のマスコンは、そのポイントが11°あり、他の車両よりブレーキ緩解区間が広く
なっていた。

207系7両編成の前4両(0番台/日立製作所製)と後3両(1000番台/近畿車輛製)では、主電動機(モ
ーター)の出力などの性能に微妙な差異がある(0番台は155kW・1000番台は200kW)。また、制御装
置にも違いがあり前4両のうちモハ207-31,206-17に三菱電機PTrVVVF制御装置、後ろ3両はクモハ
207-1033に東芝GTOのVVVF制御装置である。ただし、同社の場合、他にも界磁添加励磁制御の22
1系とVVVF制御の223系6000番台との、全く異なる制御方式の系列同士の併結運転が行われている
ことや、私鉄各社でも制御方式の全く異なる車両を併結させることは珍しくなく、中には近鉄30000系ビ
スタカー(抵抗制御)と22000系ACE(VVVF制御)のように特急列車での高速運転の例もある(先述の
221系と223系列同士の運用の場合、最高時速は120km/h)。

また、かつては国鉄でも101系以降の新性能電車の臨時増結に、吊り掛け駆動の旧型車を使用したこ
ともあった(国鉄では当初カルダン駆動方式の「新性能電車」は全て2電動車ユニット方式としたため、
緊急に1両単位で増結するときに旧型車は重宝した)。

車両によってブレーキの利き方に違いがあり、事故車の先頭車は特に癖のある車両だったとの運転士
の証言がある(前4両は、パワートランジスタを搭載していたためブレーキを作動させると他の車両より
違和感がある)。ただし、これも上記の通り、ブレーキ読み替え装置を使っての電磁直通ブレーキ・単
純発電ブレーキの旧型車と電気指令ブレーキ・回生ブレーキの新世代車を連結して高速運転している
例は多くあり、各鉄道会社の運転士からは「(特定の編成または複数の編成の組み合わせによっては
)癖があって正確に停車させるにも苦労する」と言う話は多数あれど、それが直接的・間接的要因とな
って発生した事故は皆無である。

台車

「使用している鉄道車両の台車がヨーダンパ付ボルスタレス台車(端梁なし台車DT50・TR235)であっ
て、ねじれに弱い」と鉄道評論家の川島令三などが指摘している。そのねじれによりヨーダンパが跳ね
上げ運動を起こし脱線したと論じており京浜急行電鉄・京阪電気鉄道・阪急電鉄などでは、台車は安
全上軽量化すべき箇所ではないという考え方からボルスタアンカ付の台車を採用していることを論拠
としている。また、異常振幅により空気バネが片方では大きく縮み、もう片方では大きくふくらんだため
車体が傾いたのが脱線原因、とした報道もあった。
しかし一方で、軟弱地盤を抱えながらも高速運転を行っている東武鉄道では、古くからボルスタレス台
車が使用されている。さらに、ボルスタレス台車の構造が事故原因とする川島令三の著書内容につい
て、鉄道ジャーナル誌に鉄道評論家・交通研究家の久保田博による反論文が掲載。台車の基本的
構造はボルスタアンカの有無にかかわらず変わるものではなく、また異常振幅に対するストッパは存
在しており、空気バネが大きく伸縮することはあり得ないと反論した。

なお、福知山線事故・最終報告書は、台車については論じておらず、これに対してボルスタレス台車が
事故原因である旨の具体的なデータを伴った充分な再反証は提出されていない。note-89 鉄道車両の
台車 技術士、佐藤R&D代表取締役・佐藤国仁は、ボルスタレス台車について、事故時のような極端な
超過遠心力が発生したときに初めて露呈する不備であって、通常走行の限りでは顕在化するものでは
ない、とし、ボルスタレス台車の本質的な構造そのものを疑問視する意見には与しない、と前置きしなが
らも、ストッパ制限いっぱいまで変位するような極端な超過速度で曲線に進入した際には、台車のストッ
パ構造上ボルスタレス台車はより転覆限界速度が低い、と論じている

客室内の設備

客室内設備についても、事故発生時における被害軽減の観点から、手すりの配置、形状の改善などを
検討するべきとの航空・鉄道事故調査委員会からの所見を受けて、JR西日本では207系全車と117系
・115系の一部車両について車内吊り手を増設している。

車体面

事故を起こした207系車両がステンレス鋼製の軽量構造で、旧来の板厚の大きい鋼鉄製に比べ、車体
側面からの衝撃に弱いという報道が相次いだ。しかし、一般的に、長尺物はその材質によらず、側面
方向の衝撃が一点にかかるとそこにエネルギーが集中するので破壊がおきやすい(飲料水などの金属
製の缶類がわかりやすい例として挙げられる)。ステンレス鋼自体も普通鋼と比べると、鋼板の粘りなど
で有利な面もあり、一概に強度が低いとは言えないと言う反論もある。また、錆が出ないため、経年劣化
が著しく少ないという点でも有利である。

また、207系車両は従来の車両に近い構造の車体設計となっており、のちに登場した同社の223系200
0番台や321系においても、製造コスト削減と量産体制の簡素化を図りながら、従来の車両と同等の強
度を確保することを両立させるため、梁を省略する代わりに車体側板の強度を上げることにより、車体
全体を支える設計思想に基づく車体構造となっている(これはJR東日本の209系以降の通勤・近郊型
車両でも、ほぼ同じ設計思想である)。

実際に同年12月に発生した羽越本線特急脱線転覆事故でも、国鉄時代に製造された、旧来の普通鋼
製車体の485系3000番台車両の一部が『くの字型』に折れ曲がるという結果からも、このような状況で
は車体強度への批判はほとんど意味がない(要はこのような状況を未然に防ぐシステムの構築の方が
はるかに重要)という見解に落ち着きつつある。

ただし、「客室内の空間が確保されるよう車体構造を改善することを含め、引き続き車両の安全性向上
方策の研究を進めるべき」との所見が航空・鉄道事故調査委員会から提出されている。これをうけて、
223系5500番台以降の新型車両で、屋根と車体側面、台枠と車体側面への結合部材の追加、戸袋部(
ドア)柱への補強の追加、車体側面の外板の材質変更をおこなっている。[9]。

保守面

車両のメンテナンスが大味であるとの指摘もある。ほかの鉄道会社の車両でも日常的におこっている
車輪が滑走した際にできる偏摩耗の補修放置が最たる例で、放置すればするほどに車輪が真円でな
くなり、走行中に非常に耳障りな音がでる。裏を返せばそれだけの負担を車輌にかけなければならな
い運行体制であるともいえる。ただし、この傾向は他のJR各社でも多かれ少なかれ見られる面もある。

また、4年に1度速度計の精度を検査するよう義務付けられているにもかかわらず、車両メーカーから
の納入後1度も検査していなかったことが分かり、2%までの誤差は許容範囲とされているが3 - 4%の
誤差があった可能性があったことが判明した。ただし、仮にそのような誤差があったとしても、事故現
場の制限速度が発生当時は70km/hとなっていた事から4%の誤差があったと計算して約73km/hとな
る事から、これで事故が発生すれば発生現場での速度制限値自体の問題となり、該当事故の直接的
な原因にはならなかったとの見方が強い。

事故乗務員の問題

本件事故を起こした運転士は運転歴11か月で、運転技術や勤務姿勢が未熟だった可能性がある。こ
の背景には、国鉄分割民営化後の人員削減策で、特にJR西日本においては他のJR各社と比べると
長期間にわたって新規採用者を絞り、定年退職者がまとまった数になったのを契機に採用者を増やし
たため、運転士の年齢構成に偏ったばらつきが出て、運転技術を教える中堅およびベテラン運転士が
少なくなったと言われている。

事故当日の運転士の行動

事故当日は、前日24日から2日間にわたっての勤務で、6時48分に放出駅から乗務し、松井山手駅
まで回送し、松井山手発快速尼崎行き、尼崎発宝塚行き回送、宝塚発快速同志社前行きに乗務し、
9時38分に京橋駅で乗務を終える予定だった。乗務開始から事故発生までに運転士は数回にわた
ってミスがあった。
1.8時23分ごろ、加島駅手前のカーブ手前で、速度超過によりATS(自動列車停止装置)によるブレー
キ作動。
2.8時54分ごろ、宝塚駅手前の分岐器に進入する際、速度超過によりATSが作動し、本来の停車位
置より手前に停車。更に指令員の許可が必要なATSの復帰扱いを無断で行い発車。
3.8時56分ごろ、宝塚駅構内で再度ATSが作動し停車。
4.9時前、宝塚駅停車中、折り返しのため、車掌が尼崎方1両目から7両目に移動した際、運転士が
最後部の運転席で3分以上座っており、車掌に気付き室内から出た際、車掌が直前の停車に対して
「(ATS) Pで止まったん?」との問いに運転士は不機嫌な様子で無言のまま立ち去った。
5.9時1分ごろ、本来運転士が使用することのない無線の試験信号が指令所に受信される。
6.9時15分ごろ、伊丹駅到着の際、停車ボイスの1回目の「停車です、停車です。」との警報音声が
作動するがブレーキ操作を行わず、2回目の「停車、停車。」との警報音声でブレーキを操作するが
72mオーバーラン。停車位置を修正する際も速い速度で行う。
7.伊丹駅を1分30秒で出発後、車掌を呼び出し「まけてくれへんか?」と求め、車掌が「だいぶと行
っとるよ?」と返答すると再度「まけてくれへんか?」と言ったところで乗客が車掌を呼び止めたため
電話が切られる。
8.9時18分ごろ、塚口駅通過後、制限速度70kmのカーブに116kmで進入、ブレーキを操作するが
脱線。

事故調査報告書によると運転士は度重なったミスにより、宝塚駅到着前後にはすでに心身的に影
響があったとしている。度重なったミスを車掌が指令所に報告しないか確認するため無線に気を取
られ伊丹駅手前の停車ボイスを聞き逃し、伊丹駅を72mオーバーランした。

伊丹駅出発後、車掌に過小報告を求める間に車掌が乗客に呼び出され、途中で電話を切られた
ことに対して後部の状況を知らない運転士は虚偽報告を拒否されたと思い、再度運転士は車掌と
指令員の交信内容に注意を払っていた。そのためカーブの認識が遅れ、ブレーキを操作するも間
に合わず脱線した。また、運転士の右手の手袋が外れており、運転席に赤鉛筆が落ちていたこと
から、事故直前、運転士は交信内容をメモしていたと思われる(メモは運転士用時刻表のケースに
記されたと思われるが、事故の衝撃でケースが粉砕されたため内容は確認されなかった)。

報告書では、列車が事故現場のカーブを無謀とも言える速度で進入したのは運転士が意識的に
行ったのではなく、車掌と指令員の交信に気を取られ、ブレーキ操作が大幅に遅れ、充分減速で
きないまま現場カーブに116km/hで進入し、脱線したとしている。

事故直前の運転士を目撃した生存者が「電車が傾き始めても運転士はレバーを握ったまま慌てる
様子もなく、普段の運転姿勢のまま斜めになっていた」と証言しており、ブレーキの操作記録も、弱
いブレーキから徐々に強めるなど、習慣的なブレーキ操作であったことなどから、運転士は事故の
瞬間まで危険を認識していなかったとの意見もある。

その他の問題

JR西日本が絡んだ重大な列車事故として、1991年(平成3年)5月に発生した信楽高原鉄道での同
社線内列車とJR西日本からの直通列車との正面衝突事故がある。JR西日本は信号システムを信
楽高原鉄道に全く連絡せずに改変するなどの行為があったが、結局刑事告訴はされなかった。しか
し、その後遺族側が事故原因を究明するため、1993年10月にJR西日本と信楽高原鐡道を被告と
する民事裁判を提訴、1999年の大津地裁判決で両社の過失が認定された。しかしJR西日本は過失
責任を否定し控訴、2002年の大阪高裁判決も同社の過失を認定、同社は上告を断念し判決が確定
した。さらに、JR西日本が補償費用の肩代わり分として約25億円の支払いを信楽高原鐡道や
県、市に求めた訴訟の判決で、大阪地裁は2011年4月27日、JR西日本に3割の責任があると認定
した。当該事故とは性質は異なるものの、その後、2002年に東海道線救急隊員死傷事故(日本
の鉄道事故 (2000年以降)参照)も発生し、先の事故を起こした体質に対する反省や教訓がなされ
ぬまま、安全を軽視し、再び当該事故を招くことになったとの指摘がある。

また、事故列車にJRの運転士が2人乗車していたが、運転区長の業務優先や執行役員・大阪支社
長の講演会への出席の指示により救助活動を行わなかった。このほか、JR西日本管内のATSで
制限速度の設定を誤っていた箇所が多数確認される。

路線の周辺環境

電車が激突したマンションは、2002年(平成14年)11月下旬に建てられた。線路とマンション間の
距離は6mに満たなかった。海外メディアは事故当初、この点について強く指摘していたが、日本
の都会の土地・住宅事情を考慮すればやむを得ないことであり、そのような場所は日本全国に多
数存在している。[要出典]フランスのTGVでは、開業当時の線路と最寄の住居の距離は150mだ
った。

運休から運転再開へ

この事故により福知山線の尼崎駅 - 宝塚駅間で運転が休止された。また、同線を経由して運行さ
れている特急「北近畿」「文殊」「タンゴエクスプローラー」も福知山駅以北の区間のみの運行となっ
た。なお運休による減収は1日約3,000万円が見込まれていた。

復旧工事は同年5月31日から開始された。その後、同年6月7日から試運転を開始。2006年(平
成18年)3月までの暫定的な運行ダイヤを提出し、同年6月19日午前5時、55日ぶりの全線運転
再開となった。

振替輸送

福知山線の運転休止期間中、福知山線沿線である三田市・宝塚市・川西市・伊丹市周辺と、大阪・
神戸市周辺を結ぶ経路において、振替輸送が実施される。

事故後、福知山線利用者の多くは競合している阪急の振替輸送を利用し、事故から約1か月後の
5月23日には阪急ホールディングス(現在の阪急阪神ホールディングス)が1日平均で約12万人の
乗客を振替輸送していることを発表した。

仮に並行私鉄である阪急宝塚線急行または、阪急神戸線特急と、西宮北口駅で阪急今津線を乗
り継ぐ利用する方法で大阪(梅田)と宝塚の間を移動する場合、所要時間そのものは福知山線の
快速を利用した場合に比べて約10分多く要する程度であるが、これに乗車駅や降車駅での乗り換
え・乗り継ぎに要する時間がそれぞれ加わることによって、合計で20 - 30分程度の時間が余分に
必要となり、通勤・通学など利用者の大きな障害となった。

また、振替輸送を行った路線では、事故以前からの既存利用者にも列車・バスの車内や駅などの
混雑という形で影響がおよび、ゴールデンウィークがあけた5月9日からは、混雑緩和のため阪神
電気鉄道や同線に至る路線などが新たに追加された。

その後

EB・TE装置整備(装備)車のEBリセットスイッチ
(JR西日本クモハ223-2000形)

塗色の塗り替え過渡期の207系
事故を起こした列車の列車番号である「5418M」は無期限の欠番となり、同時刻を走る列車は「5818M」
を名乗るようになった。その後この運転系統の快速列車には5420Mから始まる番号が振られるようにな
り、ほぼ同時刻を走る列車の列車番号は「5438M」となっている。なお、事故による欠番はこれまで鉄道
業界では例がなかったが、航空業界では日本航空123便墜落事故での123便の例がある(同じく永久
欠番)。

2006年春に行われたダイヤ改正において、同社の路線全体におけるダイヤの余裕時分を増やし(例:
新快速列車の三ノ宮駅 - 大阪駅間の所要時間が、現行の19分から20分に)、駅ごとの乗降数に応じて
停車時間も10秒 - 1分ほど延長されるほか、それに伴って乗務員が不足する状況への苦肉の策として、
同社の路線全体で140本の列車が削減された。

この改正により、山陽本線(JR神戸線)の須磨駅 - 西明石駅間の各駅停車列車を現行の毎時8本から
4本に半減させるなど、昼間時の利用率の低い区間の列車が削減されたが2008年春に行われたダイ
ヤ改正で昼間時の毎時2本が再び西明石駅発着に戻っている。

事故の後、乗客の一部がJR西日本の安全性、企業の姿勢に不安を感じ阪急宝塚線に流れているが、
JR西日本の発表によると9割方の乗客が戻っている。ただし実数は未調査のため不明である。

遺族感情への配慮などのため、その後に登場した321系のラインカラーが、当初予定されていた青2
色から、紺・オレンジを基本とする配色に変更された。また、事故列車と同じ207系も同年11月25日か
ら同様に配色変更された車両の営業運転が順次開始され、2006年3月末までに対象車両全477両の
配色変更を終わらせた。

地上側では速度照査機能を持ち、曲線区間の手前で充分に減速、あるいは非常停止が行えるATS-
Pが、車上側では運転士のマスコン・ブレーキ・警笛・EBリセットスイッチなどの無操作が約60秒続く
と5秒間警報が鳴動し、さらに操作がない場合は自動的に非常ブレーキが作動するデッドマン装置
の一種である緊急列車停止装置(EB装置)と、列車の異常時に操作することで、防護無線をはじめ
とする必要な処置を一斉に行う緊急列車防護装置(TE装置)の導入が進んだ。しかしその後、同社
がEB装置設置済みの車両について、一時的にしても取り外したままにしていたり、スイッチが切れ
ていたりする状態で、福知山線や片町線、山陰本線、大糸線、湖西線、東海道本線、草津線などで
運行していたことが判明している。

事故車両は兵庫県警察に押収され、兵庫県姫路市の市之郷付近の新幹線高架下に作られた保管
施設に保管されているが、公判で証拠として使用することがなくなったとして2011年2月1日付け
でJR西日本に返還された。


補償問題

JR西日本は電車が激突したマンションを買い取り、慰霊碑を建てることを検討していると発表した。
しかし、マンションの住民のうち買い取りを望んでいない住民もいて、住民内でも意見が分かれてい
る。2006年(平成18年)春までに解決する予定とのことだったが、2013年(平成25年)8月現在、現
場マンションは取り壊されていない。

JR西日本は2007年(平成19年)10月に現場の線路脇に残る脱線の痕跡の上に砂とコンクリートを
敷設して作業用の通路としたが、翌年現場を訪れた遺族がJR西日本に抗議した。同年12月5日に
行われたJR西日本の掘り起こし作業により痕跡が残っていることが判明し、JR西日本は翌6日に保
存を決めた。

沿線への影響

運休が2か月近くに及んだため、駅周辺の商店街の利用者が激減し、営業時間の短縮・休業により
商店街への売り上げの影響を受けている。福知山線の駅周辺の商店街が経営難に陥り閉店する恐
れがあると懸念されていると報道された。

伊丹駅周辺

この事故で復旧するまでの間、JRと阪急の駅の客足が大きく変化している。伊丹市の玄関口は阪急
伊丹駅が震災で全壊したのを機にJRの伊丹駅に移り、事故後にJRが不通になると阪急伊丹駅の乗
客数は震災前の乗客の多かった時期を超えて増え、事故前の乗客数23,000人に対し事故後は47,
000人と阪急にシフトした。駅ビルのおよそ1,200台収容できる地下駐輪所はすぐに埋まり、自転車放
置禁止の場所にまで駐輪する者がいた。しかし、JR伊丹駅周辺のおよそ2,000台収容できる駐輪所
はガラガラの状態だった。JR伊丹駅隣接のダイヤモンドシティ・テラス(現在のイオンモール伊丹)も、
JRを利用して訪れる客は2割はいるので影響を被っており、事故後に1割ほど減っている。

JR西日本人事への影響

被害があまりにも甚大だったため、経営陣の引責辞任は不可避であると見られていたが、後継人事は
難航した。結局、2006年(平成18年)2月1日付で南谷昌二郎会長と垣内剛社長は退任し、事故後就任
した山崎正夫副社長が社長に昇格、外部の住友電工から会長として倉内憲孝を迎えることになった。
なお、相談役であり、国鉄民営化の立役者としてJR西日本への影響力が強かった井手正敬もその職
を辞した。

2009年(平成21年)7月8日、神戸地方検察庁は当時の安全担当役員だった山崎社長を業務上過失
致死傷罪で在宅起訴した。これを受けて山崎は社長を辞任し、後任として佐々木隆之副会長が社長
に就任することとなった。

2009年(平成21年)7月23日、JR西日本は山崎正夫社長の在宅起訴を受け、同社長のほか事故当
時の会長であった南谷昌二郎、社長であった垣内剛両顧問のほか、幹部ら29人の処分(報酬減額な
ど)を発表した。会見した真鍋精志副社長は、「事故を組織的、構造的課題と認識しており、経営を担
ってきた者に重い責任がある」とし、「会社全体の責任としてとらえなければならない」として、歴代の社
長のほか事故当時の執行役員、現在の役員も処分の対象に加えたと説明した。

2012年(平成24年)3月8日、JR西日本は、事故の列車に乗務していた当時の車掌について、乗客の
救護を怠ったことや、他の列車に事故発生を知らせなかったことなどを理由に、出勤停止7日間の処
分とした。この車掌は、事故後、病気を理由に休職していたため、処分が見送られており、その後復
職したことを受けての処分となった。

刑事裁判

2009年(平成21年)7月8日、神戸地方検察庁は、当時の安全担当役員だった山崎正夫社長を、業務
上過失致死傷罪で在宅起訴した。起訴理由は、山崎が福知山線のJR東西線への乗り入れの線形改
良工事の前年に函館本線で発生した日本貨物鉄道の脱線事故を受け、この事故が起きた地点の線
形に注目し、当該区間にATS-Pを設置すれば事故が防げる趣旨の発言から、福知山線の線路付替の
危険性を認識していたことを理由としている。

なお、山崎の上司役員は、山崎から報告を受けていなかったとして、当時の社長を含めて関係する役
員を不起訴処分とし、当時の事故車両の運転士も当人が死亡により同様に不起訴処分としている。し
かし、2009年(平成21年)10月22日、神戸第一検察審査会は、不起訴となったJR西日本の歴代社長
3人(井手正敬、南谷昌二郎、垣内剛)について、「起訴相当」と議決したことを公表した。

2009年(平成21年)12月4日、神戸地検は上記3人について再び不起訴処分としたが、検察審査会
はその後、自動的に再審査を開始[22]し、2010年(平成22年)3月26日、神戸第一検察審査会が再
び起訴相当と議決したため、強制的に起訴されることとなった[23]。

2010年(平成22年)4月23日、裁判所の指定する弁護士が検察官に代わってJR西日本の歴代社長
3名を起訴し、公判が始まった。

2010年(平成22年)1月29日、この脱線事故で業務上過失致死傷容疑で書類送検され、神戸地検
が不起訴とした元運輸部長2人について、神戸第一検察審査会は20日付で不起訴不当を議決した。
不起訴不当は、検察審査会の委員11人の過半数が「不起訴が妥当でなく、地検に再審査を求める」
意見の場合に議決される。

2012年(平成24年)1月11日、神戸地裁はJR西日本の山崎正夫前社長に対し、「危険性を認識してい
たとは認められない」などとして無罪判決を言い渡した。

2013年(平成25年)9月27日、神戸地裁はJR西日本の歴代社長3名に対し、無罪判決を言い渡した。

事故調査委員会の情報漏洩

2009年(平成21年)9月25日、事故当時鉄道本部長だった山崎正夫前社長が、先輩である当時の事故調
査委員の1人であった山口浩一元委員に対し、お土産持参で接待し、事故の調査報告を有利にするため
の工作と情報漏洩が発覚した。結果的には、事故調査報告書に反映されなかったが、幹部が事前に内容
を知っていたという事実が明らかとなった。

翌9月26日、今度は幹部のJR西日本東京本部の鈴木善也副本部長が、先輩である航空・鉄道事故調査
委員会の鉄道部会長だった佐藤泰生元委員に接触を図ったことが発覚。土屋隆一郎副社長(事故対応担
当審議室室長兼任)から指示を受けて接触し、「中間報告書の解説や日程を教えてもらった」と説明。会社
ぐるみで事故調の委員に接触を図っていた実態が判明した。鈴木副本部長は「情報を早く入手し、安全対
策に貢献したかった。軽率で不適切だった。」と謝罪した。ただし、「昔からの付き合い。会社ぐるみとは思
っていない。」と釈明もした。

この2つの報告書漏洩を受け、JR西日本は山崎取締役・土屋副社長の辞任を発表した。

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Amagasaki rail crash



From Wikipedia, the free encyclopedia

The Amagasaki rail crash
(JR福知山線脱線事故 JR Fukuchiyama-sen dassen jiko?,
lit. "JR Fukuchiyama Line derailment") was a fatal railway
derailment which occurred on 25 April 2005 at 09:19 local time (00:19 UTC),
just after the local rush hour.
A seven-car commuter train came off the tracks on the JR West Fukuchiyama
Line in Amagasaki, Hyogo prefecture (near Osaka),
just before Amagasaki Station on its way for Dōshisha-mae
via the JR Tōzai Line and the Gakkentoshi Line, and the front two carriages
rammed into an apartment building.
The first carriage slid into the first floor parking garage
and as a result took days to remove.
Of the roughly 700 passengers (initial estimate was 580 passengers) on board
at the time of the crash, 106 passengers, in addition to the driver,
were killed and 562 others injured. Most passengers
and bystanders have said that the train appeared to have been travelling too fast.
The incident was Japan's most serious since the 1963 Tsurumi rail accident
in which two passenger trains collided with a derailed freight train,
killing 162 people.


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犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。





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