第38回すばる文学賞 決定


第38回(2014年度)すばる文学賞が決まりました。

受賞作は 「その静かな、小さな声」 上村亮平 「島と人類」 足立 陽


【受賞の傾向と対策】


新人文学賞のなかではエンターテイメント要素の強い賞です。
さらに言えば、エンタメ寄りの文学作品が好まれます。
その分、斬新な設定、ストーリーテリング力などが
文学性とともに必要です。

混乱して複雑化した現代を生きる若者を描く小説が
選ばれる傾向にあります。

毎年、実力のある作家が育ち
コンスタントに文芸誌に小説を発表しています。
受賞後も編集者が熱心に指導してくれる賞です。
純文学を読む人にしか知られていないのが、残念なくらいです。

芥川賞受賞といった派手さとは縁遠いかもしれませんが
長く作家として活躍できる新人賞です。



直木賞のすべて 余聞と余分2008年7月12日 (土)


第139回候補・三崎亜記 3年9ヵ月前に第17回小説すばる新人賞受賞 「新人賞の選考会で、「この作者は天才かもしれない」という発言を耳にしたのは、私は今回が初めての経験でありました」

 デビュー作にしてベストセラー、のハナシだったら三崎亜記さんのも負けちゃいません。記憶に新しすぎて、振り返るのも憚れますけど、『となり町戦争』が発売から1年4ヵ月後に映画化されたときのニュースソースでは「16万部」の文字が躍っています。

 この小説を小説すばる新人賞に選んだのは5人の選考委員でした。そのうちの4人が、10ヵ月後にもう一度、同じ作品を直木賞で選考することになって、褒めてるのか不安がってるのか、よくわからない選評を書いてしまった、っていうのはすでにワタクシたちが目にした過去です。

 今日のエントリー・タイトルには、5人のうち直木賞委員ではなかった唯一の人、宮部みゆきさんの言葉を使わせてもらいました。

「蛇足ながら、新人賞の選考会で、「この作者は天才かもしれない」という発言を耳にしたのは、私は今回が初めての経験でありました。」

 宮部さん自身が「天才かも」と言ったわけじゃない、ってのがミソでして、宮部さんは悩みに悩んで、結局はこの作品を“推した”わけではないことが、選評に滲んでいます。

「『となり町戦争』という課題作を与えられ、解答用紙を手渡され、何日も悩んだ挙句、私は設問のどれひとつに対してもちゃんとした解答を書くことができませんでした。」(宮部みゆき「解答用紙の裏側に」より)

 この応募作、かなりの“難問”だったようで、大なり小なり選考委員のみなさんに、「これって才能なのか。それとも、たまたま書けちゃっただけなのか」と思わせてしまったのは確からしいです。ただひとり、自信満々の賛辞を塗り重ねたアノ委員を除いて。

 何の疑いも差し挟まず、とにかく褒め言葉を羅列した、といえば、もちろん井上ひさしさんです。他の委員が「才能」の面にこだわって、ああでもないこうでもない、と悩んでいるらしいのに、ひさしさんだけは、そんな難しいハナシをすっ飛ばして、とにかく作品の出来の高さだけをベッタベタに評価しました。

 ひさしさん賛辞のことばは、直木賞のときにも繰り返されましたので、第133回(平成17年/2005年・上半期)の選評の切れ端をご覧いただくことにしまして、ここでは、ダンディ北方の言葉を引用させてもらいます。

「『となり町戦争』は、わからない小説である。わからないなりに、読む者を惹きつけるのは、細部の描写の巧みさにある。」

「どうにでも解釈できるところがあり、引きこまれて読むことができ、しかしなにを書きたかったのだという批判が出ることも見える。気づくと作品だけがそこにある。明日読むと、また違う意味を傍受してしまうかもしれない。この作品に賞を与えることは、冒険であった。しかし、必要な冒険であろう。そういう冒険ができたことは、選考委員として喜びでもある。」(北方謙三「人はこれをどう読むか」より)

 冒険ですか。読者からすれば大歓迎ですよ。だいたい、守りに入った文学賞なんてものは、主催者や出版社、選考委員(つまり既成作家)っていう、ソッチ側の人たちだけが快い、自慰行為に明け暮れちゃいますからね。謙三アニキには、とくに「たまには冒険」じゃなくて「常に冒険」を、心から期待してしまいます。そういうことのできそうな人ですもん。

 そんな謙三アニキがデビューした頃にはすでに文学賞の選考委員をやっていたのが、五木寛之さん。直木賞の舞台に登場した三崎さんの候補作については、『となり町戦争』は大絶賛、次の『失われた町』(第136回 平成18年/2006年・下半期)に対してはゼロ回答でしたが、そもそも三崎さんのデビューに立ち会った段階で、こんなハナシをされておりました。

「悪夢をこれほど清澄に、妄想をこれほど細密に描くことのできる才能は、はたして文芸ジャーナリズムの要求する拡大再生産に耐えうるだろうか、というのが私の最大の興味である。」(五木寛之「『となり町戦争』を推す」より)

ほう、文芸ジャーナリズムってやつは、拡大再生産を要求するもんなんですね。“文芸ジャーナリズム”が、いったい何を指し示した概念なのか、はっきりとはわかりませんが、ともかくデビュー以来、常に“それ”と対峙して長年耐えてきた五木さんならではの言い回し、と言ったら言い過ぎでしょうか。

まあ、拡大再生産を要求しない世界も、この世の中にはきっとありますから、だいじょうぶ、三崎さんにはのんびりやっていっていただきましょう。