2012年子どもの理解を深めるための連続講座の第三回として
山梨県立大学人間福祉学部の西澤哲先生の講演が行われました。
タイトルは
「家族機能の回復をめざして 見守るから、支えるへ」。
今回も例のごとく18枚もスライドがあったにも関わらず
使用したのは10枚程度www
しかも後半はかなり端折りながら・・・・それでも十分ではありましたがw
冒頭の挨拶から講演へ入り込むことが多い西澤先生ですが
今回はどれだけ忙しかったのかという経過報告からww
(もうここに来るのも12回目(つまり12年連続)なのでこれで最後だから
言いたいこと全部言って終わりにするんだとか
児相と何かあったんだろうかと勘ぐってしまう挨拶もあり)
一般的にこういう挨拶をしたら
あまり講演者に対していい印象を持たないのじゃないかと思うけれど
やっぱり西澤先生は別格ですね。
かなり毒舌なんだけれど、ユーモアとペーソス(と言うより自虐?)と
どこまで行っても真摯に問題に取り組んでいる姿勢に
これが西澤先生(西澤節)だと思ってしまうんです。
(あ、今回も盟友・・いやライバル?wの杉山先生への一言がありましたw)
さて、その講演内容。
「乱用」(abuse)する親の心理から。
「虐待」という言葉ではなくて「乱用」という言葉を使う方がいいとのことで
その「乱用」とは何かから。
*子どもの存在や関係を利用して親が何かを得ている関係
*未充足の愛情欲求:役割逆転
*支配欲求:無力感の代償
@PAAIによる世代間伝達の乱用心性の理解
*体罰肯定観:被虐待体験の納得
*自己欲求の優先傾向:子ども期の欲求の持ち越し
自分自身がよく生きれていないことを
子どもを支配することによって払拭しているのではないかと。
自分も体罰を受けて育ってきた親は、体罰を肯定し、
自分が受けてきた体罰を自分自身納得させる。
自己欲求の優先傾向に関しては
例えば、自分がドラマのDVDをレンタルしたくても
まずは子どもがポケモンのDVDを借りたいと言ったら
そちらを優先させてあげる等、健全な関係だと、
自分自身(親)の欲求があっても優先順位を譲ることができるが
それが出来ないと、恋愛を優先させてネグレクトなどが起こったりする。
問題だけを捉えるのではなくて、
これらの問題がどこから来ているのかを考えることが必要であるとのことでした。
この考え方は今回の講演で一貫して述べられていました。
「乱用」する親の心理
@誰のための育児か?
*健康的な育児 : 子どもの幸せ、幸せのお裾分け
*乱用的な育児 : 自分の幸せ、欠けたものを補う
→ 一般的な少子化傾向と社会的養護の多子化傾向
@親密な関係に限局された暴力の意味
*「甘えの構造」の関与?
乱用的な育児は、自分の幸せのために子どもを生み、育児をする
それによって自分の中の欠けたものを補おうとしているものである。
このスライドで自明ではあったけれど、改めて認識したのは
一般的に少子化というのは言われているし、数値にも表れているけれど
一方でその少子化にも関わらず、社会的養護を受ける子どもの数は
多くなっているという現実です。
子どもの数は減っているのに家で暮らせない子どもが増えているのは
どうしてだろうということを考えていく必要があります。
虐待・社会的養護の生成過程に関するモデル
@「妊娠先行結婚」(いわゆるできちゃった婚)の増加
*出生に占める割合 : 10代80%、20代前半60%
*少子化 しかし10代の出生数の増加
*妊娠先行の意味(子どもの利用)と夫婦関係の脆弱性
*2010年国勢調査による単独世帯の増加
@若年母子家庭の増加と経済的困窮
*約80%は母親が親権
*母子家庭の平均所得 : 約2.130.000円
@母親(特に若年母親)の稼働状況
*職業技術・経験の欠如
*夜間の飲食・風俗関係
@子どものネグレクトと社会的養護の増加
これに関しては断定するわけではないけれどと前置きをしながら
この流れ(モデル)によって虐待・社会的養護が
生成されていっているのではないかという懸念を強く訴えておられました。
少子化だけれども、10代の出生数が増加しているというのは
上記の「妊娠先行結婚」にリンクしているところがあり、
二人の結婚への意識が高まって結婚するというプロセスではなく
「子どもができてしまったから結婚する」と言った
いわば、「子どもを利用した(理由にした)」結婚であるため、
夫婦関係はかなり脆弱であるといえる。
夫婦関係が脆弱であると、早くして別れる可能性が高く、
(出来ちゃった婚は3年で破綻する率が高い)
「妊娠先行結婚」では10代、高校在学中に妊娠などのケースも多く
若年母子家庭(母親が親権を持つことが多い)が増加することにつながる。
若くして結婚したため、いうなれば社会性が未熟で仕事経験もないため
結局そういう若い母親がどのような職についていくかというと
夜間の飲食業、そして風俗関係となっていくパターンが多い。
(風俗関係では同企業で無認可託児所を設けているところも多い)
それがネグレクト・社会的養護の増加につながってゆくとのこと。
風俗へ行ってしまう前にどう止めていくか
若年母子家庭をどう支えていくか、その必要性とともに
このような経過(流れ)を分析する必要性を訴えられました。
社会的養護におけるFSW(ファミリーソーシャルワーク)のあり方
@すべての子どもに「家族」はある→子どもすべてがFSWの対象
@現実の家族のみならず、内的世界の「家族」も扱う
@家族のためではなく、子どものためのFSW
→子どもの支援のために家族が内を提供出来るのかという視点
@「家族再統合」ではなく「家族機能の回復」
ここでは「家族再統合」と言い出したのは自分で、
自分の思惑とは違った再統合の言葉のイメージが広がってしまったと
謝罪した上で、「家族機能の回復」を目指すべきとの言葉がありました。
昔は、精神障害の親の状態が酷いときに、医師より、
親のために子どもを離しては(親子分離しては)いけないとの意見で
分離をしなかった時期があったけれども、
子どもを救うのが一番で、大切であるということを忘れてはいけないこと、
その子のマイナスになっているのは何かを考え
手だて(手当)を考えていく、在宅(親子分離しない)でゆくのであれば
こういう支援の方法を考えていかなければならないという話があり
当たり前のことではあるけれども、忘れがちになる視点を思い出した話でした。
社会的養護におけるFSWの実践
@家族のもとに帰ることが出来ない子ども
*「親をあきらめる」ための支援 : 事実への直面化とサポート
*親の「説明責任」(accountability)
@親との接触が全くない子どもにも必要なFSW
*内的世界の家族への接近
@「家族調整」的FSWが陥る危険性
*親の自己欲求優先傾向 :継続する子ども乱用
*無自覚・無計画な家族との接触の危険性
・子どもの「罪悪感」の強化
・parentified child (caretaker)
・見捨てられ感の強化
親が子どもに自分にはこんな問題があって
だからあなたを育てられないのだという説明をすべきであり
これによって子どもは状況(あの母では自分を育てられないのだ)を
理解するというもの。
これは厳しい意見かもしれないけれど、とても共感できるものでしたね。
子どもは自分の問題によってこういう状況になっているのだと思うので
それは違うのだということを、きちんと親の言葉で説明し謝罪するのは
親としての責任でしょう。
このことと、親の「問題」への支援は別問題なので
それをきちんと別物として捉えることが支援者としては必要と思いましたね。
parentified child (caretaker)子どもとして生きられない子どもに関しては
例えば、小さい弟や妹の面倒をみることを強いられた子どもは
このままで生きると将来、病理となる可能性があり
それを支援するのであれば、子どもに戻れる時間を作ってあげる等の
支援が必要ということでした。
長くなってきましたので、端折ります。
個人的に大事だなと思ったポイントだけ。
社会的養護におけるFSWの現状と問題点で、
家族のアセスメントと支援プランの問題として
「養護問題」の発生に至ったフォーミュレーション(力動的説明)の不在
をあげ、カテゴリは一緒(つけられる病名は同じ)だけど
背景を考えないと支援につながらない、
何故この問題が起こってきたのかという診断(フォーミュレート診断)が
必要であるとの話があり、
また何が問題かを共有しないと支援が出来ないとも。
前に述べたFSWの実践の話で触れたことにつながるけれど
親への支援も子どもに伝えることが必要で
これがないと子どもが親の心配をしてしまうとのこと。
親を支援することを考えて実践していくのは
あなた(子ども)の仕事ではないということを明確に伝えてあげるべきとのことでした。
虐待傾向のある親・家族への支援として
大変難しいけれど、子どもに対する「共感性」への道筋の模索
子どもの視線に立てる支援の大切を話されました。
また、過去と現在の切り離しの工夫として
過去のことが現在のことに影響はしているけれども
過去された虐待と現在は違うと言うことを伝えていくこと。
そして、これは全体の締め括りとなるのでしょうが
単に親への支援ではなく、社会全体で支援を保障し
考えていかなければ難しく、意識を変えるということは
制度を変えると言うことであり、社会制度で取り組んでいかなければならないと。
最後に家族や親の持つ「力」への着目では
病理の一方で、力や健康さという、持っている力や健康にも注目して
強化していく必要性を挙げられました。
失敗したことや問題ばかりに目を向けるのではなく
成功した事例を検討することはとても意味があり、
どうすれば上手な支援につながっていくかがそこにあるという言葉は
事例を検討しているときに常々思っていたことなので心強く思いました。
児童の問題ではあるけれど「共感性」に関してや
支援者の視点についての問題は
私の今関わっている高齢者の問題にも当てはまり
とても共感出来、有意義な時間を過ごすことができました。
願わくば、もうこれがラストと言わず、
また西澤先生に講演して頂けたら嬉しいですね。
山梨県立大学人間福祉学部の西澤哲先生の講演が行われました。
タイトルは
「家族機能の回復をめざして 見守るから、支えるへ」。
今回も例のごとく18枚もスライドがあったにも関わらず
使用したのは10枚程度www
しかも後半はかなり端折りながら・・・・それでも十分ではありましたがw
冒頭の挨拶から講演へ入り込むことが多い西澤先生ですが
今回はどれだけ忙しかったのかという経過報告からww
(もうここに来るのも12回目(つまり12年連続)なのでこれで最後だから
言いたいこと全部言って終わりにするんだとか
児相と何かあったんだろうかと勘ぐってしまう挨拶もあり)
一般的にこういう挨拶をしたら
あまり講演者に対していい印象を持たないのじゃないかと思うけれど
やっぱり西澤先生は別格ですね。
かなり毒舌なんだけれど、ユーモアとペーソス(と言うより自虐?)と
どこまで行っても真摯に問題に取り組んでいる姿勢に
これが西澤先生(西澤節)だと思ってしまうんです。
(あ、今回も盟友・・いやライバル?wの杉山先生への一言がありましたw)
さて、その講演内容。
「乱用」(abuse)する親の心理から。
「虐待」という言葉ではなくて「乱用」という言葉を使う方がいいとのことで
その「乱用」とは何かから。
*子どもの存在や関係を利用して親が何かを得ている関係
*未充足の愛情欲求:役割逆転
*支配欲求:無力感の代償
@PAAIによる世代間伝達の乱用心性の理解
*体罰肯定観:被虐待体験の納得
*自己欲求の優先傾向:子ども期の欲求の持ち越し
自分自身がよく生きれていないことを
子どもを支配することによって払拭しているのではないかと。
自分も体罰を受けて育ってきた親は、体罰を肯定し、
自分が受けてきた体罰を自分自身納得させる。
自己欲求の優先傾向に関しては
例えば、自分がドラマのDVDをレンタルしたくても
まずは子どもがポケモンのDVDを借りたいと言ったら
そちらを優先させてあげる等、健全な関係だと、
自分自身(親)の欲求があっても優先順位を譲ることができるが
それが出来ないと、恋愛を優先させてネグレクトなどが起こったりする。
問題だけを捉えるのではなくて、
これらの問題がどこから来ているのかを考えることが必要であるとのことでした。
この考え方は今回の講演で一貫して述べられていました。
「乱用」する親の心理
@誰のための育児か?
*健康的な育児 : 子どもの幸せ、幸せのお裾分け
*乱用的な育児 : 自分の幸せ、欠けたものを補う
→ 一般的な少子化傾向と社会的養護の多子化傾向
@親密な関係に限局された暴力の意味
*「甘えの構造」の関与?
乱用的な育児は、自分の幸せのために子どもを生み、育児をする
それによって自分の中の欠けたものを補おうとしているものである。
このスライドで自明ではあったけれど、改めて認識したのは
一般的に少子化というのは言われているし、数値にも表れているけれど
一方でその少子化にも関わらず、社会的養護を受ける子どもの数は
多くなっているという現実です。
子どもの数は減っているのに家で暮らせない子どもが増えているのは
どうしてだろうということを考えていく必要があります。
虐待・社会的養護の生成過程に関するモデル
@「妊娠先行結婚」(いわゆるできちゃった婚)の増加
*出生に占める割合 : 10代80%、20代前半60%
*少子化 しかし10代の出生数の増加
*妊娠先行の意味(子どもの利用)と夫婦関係の脆弱性
*2010年国勢調査による単独世帯の増加
@若年母子家庭の増加と経済的困窮
*約80%は母親が親権
*母子家庭の平均所得 : 約2.130.000円
@母親(特に若年母親)の稼働状況
*職業技術・経験の欠如
*夜間の飲食・風俗関係
@子どものネグレクトと社会的養護の増加
これに関しては断定するわけではないけれどと前置きをしながら
この流れ(モデル)によって虐待・社会的養護が
生成されていっているのではないかという懸念を強く訴えておられました。
少子化だけれども、10代の出生数が増加しているというのは
上記の「妊娠先行結婚」にリンクしているところがあり、
二人の結婚への意識が高まって結婚するというプロセスではなく
「子どもができてしまったから結婚する」と言った
いわば、「子どもを利用した(理由にした)」結婚であるため、
夫婦関係はかなり脆弱であるといえる。
夫婦関係が脆弱であると、早くして別れる可能性が高く、
(出来ちゃった婚は3年で破綻する率が高い)
「妊娠先行結婚」では10代、高校在学中に妊娠などのケースも多く
若年母子家庭(母親が親権を持つことが多い)が増加することにつながる。
若くして結婚したため、いうなれば社会性が未熟で仕事経験もないため
結局そういう若い母親がどのような職についていくかというと
夜間の飲食業、そして風俗関係となっていくパターンが多い。
(風俗関係では同企業で無認可託児所を設けているところも多い)
それがネグレクト・社会的養護の増加につながってゆくとのこと。
風俗へ行ってしまう前にどう止めていくか
若年母子家庭をどう支えていくか、その必要性とともに
このような経過(流れ)を分析する必要性を訴えられました。
社会的養護におけるFSW(ファミリーソーシャルワーク)のあり方
@すべての子どもに「家族」はある→子どもすべてがFSWの対象
@現実の家族のみならず、内的世界の「家族」も扱う
@家族のためではなく、子どものためのFSW
→子どもの支援のために家族が内を提供出来るのかという視点
@「家族再統合」ではなく「家族機能の回復」
ここでは「家族再統合」と言い出したのは自分で、
自分の思惑とは違った再統合の言葉のイメージが広がってしまったと
謝罪した上で、「家族機能の回復」を目指すべきとの言葉がありました。
昔は、精神障害の親の状態が酷いときに、医師より、
親のために子どもを離しては(親子分離しては)いけないとの意見で
分離をしなかった時期があったけれども、
子どもを救うのが一番で、大切であるということを忘れてはいけないこと、
その子のマイナスになっているのは何かを考え
手だて(手当)を考えていく、在宅(親子分離しない)でゆくのであれば
こういう支援の方法を考えていかなければならないという話があり
当たり前のことではあるけれども、忘れがちになる視点を思い出した話でした。
社会的養護におけるFSWの実践
@家族のもとに帰ることが出来ない子ども
*「親をあきらめる」ための支援 : 事実への直面化とサポート
*親の「説明責任」(accountability)
@親との接触が全くない子どもにも必要なFSW
*内的世界の家族への接近
@「家族調整」的FSWが陥る危険性
*親の自己欲求優先傾向 :継続する子ども乱用
*無自覚・無計画な家族との接触の危険性
・子どもの「罪悪感」の強化
・parentified child (caretaker)
・見捨てられ感の強化
親が子どもに自分にはこんな問題があって
だからあなたを育てられないのだという説明をすべきであり
これによって子どもは状況(あの母では自分を育てられないのだ)を
理解するというもの。
これは厳しい意見かもしれないけれど、とても共感できるものでしたね。
子どもは自分の問題によってこういう状況になっているのだと思うので
それは違うのだということを、きちんと親の言葉で説明し謝罪するのは
親としての責任でしょう。
このことと、親の「問題」への支援は別問題なので
それをきちんと別物として捉えることが支援者としては必要と思いましたね。
parentified child (caretaker)子どもとして生きられない子どもに関しては
例えば、小さい弟や妹の面倒をみることを強いられた子どもは
このままで生きると将来、病理となる可能性があり
それを支援するのであれば、子どもに戻れる時間を作ってあげる等の
支援が必要ということでした。
長くなってきましたので、端折ります。
個人的に大事だなと思ったポイントだけ。
社会的養護におけるFSWの現状と問題点で、
家族のアセスメントと支援プランの問題として
「養護問題」の発生に至ったフォーミュレーション(力動的説明)の不在
をあげ、カテゴリは一緒(つけられる病名は同じ)だけど
背景を考えないと支援につながらない、
何故この問題が起こってきたのかという診断(フォーミュレート診断)が
必要であるとの話があり、
また何が問題かを共有しないと支援が出来ないとも。
前に述べたFSWの実践の話で触れたことにつながるけれど
親への支援も子どもに伝えることが必要で
これがないと子どもが親の心配をしてしまうとのこと。
親を支援することを考えて実践していくのは
あなた(子ども)の仕事ではないということを明確に伝えてあげるべきとのことでした。
虐待傾向のある親・家族への支援として
大変難しいけれど、子どもに対する「共感性」への道筋の模索
子どもの視線に立てる支援の大切を話されました。
また、過去と現在の切り離しの工夫として
過去のことが現在のことに影響はしているけれども
過去された虐待と現在は違うと言うことを伝えていくこと。
そして、これは全体の締め括りとなるのでしょうが
単に親への支援ではなく、社会全体で支援を保障し
考えていかなければ難しく、意識を変えるということは
制度を変えると言うことであり、社会制度で取り組んでいかなければならないと。
最後に家族や親の持つ「力」への着目では
病理の一方で、力や健康さという、持っている力や健康にも注目して
強化していく必要性を挙げられました。
失敗したことや問題ばかりに目を向けるのではなく
成功した事例を検討することはとても意味があり、
どうすれば上手な支援につながっていくかがそこにあるという言葉は
事例を検討しているときに常々思っていたことなので心強く思いました。
児童の問題ではあるけれど「共感性」に関してや
支援者の視点についての問題は
私の今関わっている高齢者の問題にも当てはまり
とても共感出来、有意義な時間を過ごすことができました。
願わくば、もうこれがラストと言わず、
また西澤先生に講演して頂けたら嬉しいですね。