姿勢矯正士の独り言

日本ではじめて姿勢矯正士を名乗る! 姿勢矯正のパイオニアが語る、姿勢矯正の素晴らしさ! 優秀な姿勢矯正士(姿勢矯正のプロ)を募っていきたい。                                                   

カテゴリ: 雑学

姿勢矯正士の西本です。

今から50年も前になるだろうか?

小学5年生か6年生の時だったと思う。

担任の松田先生からこんな話をして貰った。

苦しみから逃れる為に死を選ぶのは小さな勇気だと…

苦しみから立ち向かっていく事が大きな勇気だと…

大勇と小勇の話。

今でも忘れられない。


姿勢矯正士の西本です。

以前ワコールの創始者である塚本幸一さんが話をされていた内容を編集された、塚本幸一語録「生かされて」の中に載っている話を紹介した。

今回もまた「ちょっとうなる話」を紹介しよう。



『人生にリハーサルはない』

私は、仕事でも生活でもリハーサルなどやったことがない。

書や原稿もぶっつけ本番で書く。

講演の準備もしない。

ところが、なにごとにもまず練習をし、その後に本番があると考える人が多い。

練習は、あくまでも練習であって、本番ではないという気楽さをもって臨んでしまう。

それは、現在を大切にしていないという意味で人生の無駄遣いだ。

実際の人生には、練習というリハーサルの時間はないのだ。

人生はリハーサルなき本番の連続だ。

常に真剣勝負でなければならない。

塚本幸一語録「生かされて」より



整体のスクールの教え方に『寸止め授業』という教え方がある。

こう実際に矯正すると歪みが取れるが、その手前で止めておく。

スクール生は、先生の言う事を、きっとそうなるに違いないと信じる。

しかし実際に矯正してみると全く違う結果になる。

動かそうと試みても全く動かないか、動いっても全く症状は取れない。

そこで初めてだまされていた事に気が付く。

寸止め授業は、あくまでリハーサルであって、本番ではない。

これはやはり時間の無駄遣いであると言える。

私はリハーサルなき本番授業を目標にしている。


姿勢矯正士の西本です。

前回もまたワコールの創始者である塚本幸一さんが話をされていた内容を編集された、塚本幸一語録「生かされて」の中に載っている話を紹介した。

今回も「いい話」を紹介してみます。



【原因なき結果はあり得ない】

私は、何か問題が発生した時は、即座にその問題の原因(本質的原因)は何かをつかむ事に注力する。

物事に原因なき結果はあり得ないからである。

何か事が起こった時に、その現象面だけに振り回されて右往左往している人は、原因をつかむことを怠っている。

原因をつかみさえすれば、後は淡々と必要な手を打てばいい。

私は「即断即決の男」だとよくいわれるが、私とて原因がつかみ切れない時はイライラして夜も眠れないことがある。



私も整体の業界に入って、原因と結果(症状)との間にいつも違いを感じる事が多い。

例えば、

腰痛の原因が腰になく、股関節に有ったり、

膝痛の原因が膝になく、股関節に有ったり、

五十肩の原因が肩関節になく、肩甲骨に有ったり、

肩こりの原因が僧帽筋になく、前鋸筋に有ったり、

頭痛の原因が脳になく、首に有ったり、

腰を反ってみて痛い所に原因がなく、別の反れない関節の原因が有ったりする。

数えるときりがない。

だから張っているところを揉むという発想はない。

しかし私には身体の不調が全て頸椎の1番にあるみたいな単純な発想もない。

もうぼちぼちと、もっと画期的な治療スタイルを確立しないといけないかも…

今も私は解剖学と本と骨格模型の前でにらめっこしている。




姿勢矯正士の西本です。

前回ワコールの創始者である塚本幸一さんが話をされていた内容を編集された、塚本幸一語録「生かされて」の中に載っている話を紹介した。

今回も「うなる話」を紹介しよう。


【とにかく行動してみよ】

人間は「考えてから走る」か「走りながら考える」のタイプがある。

私は後者で、とにかくやれるところから始めてみる主義である。

なにはともあれ階段を一段上ってみれば、必ずその結果がでる。

そして、一段でも高い所に立てば視界が広がり、また新しい展望が開けてくるはずだ。

考えて、考えて、なお上がらない(行動しない)人と、多少拙速であっても、とにかく上がってみて(行動して)しまう人とではどんどん差がついてくる。

成果の差はこれに尽きる。

するかしないかに、迷った時は、失敗を恐れずにとにかく行動する事である。



私が西院整体院を開業した時も、今ちょっと自信がないからと開業に躊躇したスクールの同期生がいた。

15年たった今も整体の仕事はしていない。

彼は今では、整体は完全に自信喪失になっていると思う。

姿勢矯正士の西本です。

今日は6時に目が覚めたので、パソコンに向かって、「一流」と「超一流」の違いについて、調べてみた。

ブログにこんな記事が掲載されていて「なるほど!」と唸ったので拝借した。



「一流」と「超一流」の差

エジソンの言葉に「天才とは1パーセントのひらめきと99パーセントの努力である」というのが有名ですね。

他にも「ほとんどの人はこれ以上アイデアを考えるのが不可能だというところまで行き着き、そこでやる気をなくしています。

いよいよこれからなのに!」という言葉もあります。

これの意味は、失敗ばかりでものすごく苦しい、これ以上我慢できない。

という心理的限界に達すると、多くの人たちはそこで諦めてしまいます。

どうしても、他人と比べてしまうからです。

ここが「一流」と「超一流」の大きな違いです。

例えば、スポーツの世界で活躍している人は皆一流です。

だけど、人との比較でやっている人は、途中で苦しいことがあると諦めます。

あるいは人より結果が上だと、満足します。

しかし、どこまでいっても満足しない、どんなに苦しくても諦めない、自分の心の中のイ
メージを追求し続ける人がいます。

そういう人が「超一流」のスポーツ選手となるのです。

だから、エジソンも超一流になれたのです。スポーチ選手で、監督から干された時に「将来トップ選手になって見返してやる!」と諦めずに努力したからトップになれという話しもよくききますね。

これが普通の会社員だと「こんなに一生懸命やっているのに、どうして認めて貰えないんだろう、やっぱり自分には無理なんだ」と諦めてダメになる人が多いのです。

「油断大敵」という言葉がありますが、一流選手になったら油断しません。

実際は「不満大敵」です。

素質のある選手でも監督や周囲の環境に不満を持ち始めた瞬間から、ダメになってしまいます。

だから自分を信じて、努力し続ける人が超一流になれるのです。

「能力とは、目標に向かって努力する情熱の持続心」と林野宏氏(クレディセゾン社長)がおっしゃっています。

どれだけの時間、目標を達成するために集中して生きているかで能力の差がでる、ということです。

「フロー」状態になって、集中して仕事としていると時間が経つのを忘れることがあります。

優秀な人ほど、集中する能力がある、逆に集中できるから優秀に慣れたのだと言えるでしょう。

「一流」で満足しないで「超一流」を目指す、諦めない情熱を持ち続けることが、どんなことにも共通することです。

〜ブログ「ネットワークビジネスで海外生活」より〜



「三流」→「二流」→「一流」→「超一流」と進歩していきたいものですが、今現在どの辺にいるのだろうか?

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