12月31日。宿を出ると雪が降っていた。また寒波が来て大雪を降らすらしい。計画どおり乗りつぶして、さっさと帰京することにしよう。
最初に乗りつぶすのは小野田線だ。山陽本線の小野田から分岐し宇部線の居能に至る路線と、途中の雀田で分岐し長門本山へ至る支線から形成されている。この長門本山行の支線が難物で、一日三往復しか運行されていない。朝に二本、夕方に一本で、冬期だと陽のある間に走るのは一往復だ。それに乗るために宇部新川発7時03分の小野田行に乗車した。
宇部線から分れてまたも厚東川を渡り15分、雀田に着く。ここで自分も含め五、六人下車し、みな長門本山行に乗り換えた。
という描写があるが、無人の駅舎と雑貨屋すらも存在しなくなっている。だいたい、寄らば大樹の陰と言わんばかりに小野田線の一部として隠れていたから現存しているようなものの、これが単独路線だったら国鉄末期に廃線になっていただろう。小野田線が大樹と言えるかはさておく。
雀田へ戻り、再び小野田行に乗車する。市街地の中をトコトコと走り、小野田には8時04分に着いた。
次に乗りつぶすのは、岩国と櫛ヶ浜を結ぶ岩徳線だ。櫛ヶ浜は徳山の一つ東の駅である。まず徳山へ向かうわけだが、その間に通る宇部から新山口までの山陽本線も未乗区間だ。厚東の辺りは初日の新幹線から見下ろしたなぁと思いながら山の中を右往左往し、新山口に着く。乗ったのが新山口行であったので、ここで後続の岩国行へ乗り換え、徳山には10時06分着。次の岩徳線は11時14分発なので、駅前に出てみた。
写真6 徳山駅
最初に乗りつぶすのは小野田線だ。山陽本線の小野田から分岐し宇部線の居能に至る路線と、途中の雀田で分岐し長門本山へ至る支線から形成されている。この長門本山行の支線が難物で、一日三往復しか運行されていない。朝に二本、夕方に一本で、冬期だと陽のある間に走るのは一往復だ。それに乗るために宇部新川発7時03分の小野田行に乗車した。
宇部線から分れてまたも厚東川を渡り15分、雀田に着く。ここで自分も含め五、六人下車し、みな長門本山行に乗り換えた。
五分で終点長門本山に着いたが、廃屋のような無人の駅舎と、風が強いせいか店を半分閉じたような雑貨屋が一軒、駅に接してあるきりだった。折り返しの電車に乗る客もいない。
という描写があるが、無人の駅舎と雑貨屋すらも存在しなくなっている。だいたい、寄らば大樹の陰と言わんばかりに小野田線の一部として隠れていたから現存しているようなものの、これが単独路線だったら国鉄末期に廃線になっていただろう。小野田線が大樹と言えるかはさておく。
雀田へ戻り、再び小野田行に乗車する。市街地の中をトコトコと走り、小野田には8時04分に着いた。
次に乗りつぶすのは、岩国と櫛ヶ浜を結ぶ岩徳線だ。櫛ヶ浜は徳山の一つ東の駅である。まず徳山へ向かうわけだが、その間に通る宇部から新山口までの山陽本線も未乗区間だ。厚東の辺りは初日の新幹線から見下ろしたなぁと思いながら山の中を右往左往し、新山口に着く。乗ったのが新山口行であったので、ここで後続の岩国行へ乗り換え、徳山には10時06分着。次の岩徳線は11時14分発なので、駅前に出てみた。
写真6 徳山駅
徳山駅には市立図書館が併設されている。CCCに業務委託しているいわゆる「ツタヤ図書館」のようで、中には蔦屋書店やスタバが併設されていた。ツタヤ図書館をフリーハンドに賞賛する気にはなれないが、年末年始にも開いていて老若男女が集っているのを見ると、完全否定するのもまた難しい。図書館に何を求めるのか、ということが問われているのだろう。
写真7 岩徳線
写真7 岩徳線
岩徳線は単行の気動車で、乗るのが遅かったのでそれなりに席が埋まっていた。それでもボックスシートの一角を確保できた。
櫛ヶ浜で山陽本線と別れ、山の中へと入っていく。車窓には並走する山陽新幹線の高架が続く。柳井経由の山陽本線に比べて岩国までの距離は格段に短く、新幹線はおろか国道二号線や山陽自動車道も岩徳線と同じようなルートを取っている。
そもそも岩徳線は元々山陽本線を短絡するために建設され、実際に一時期は山陽本線であった。戦中の輸送力増強で山陽本線の複線化をする際に、単線規格のトンネルしかなかった現岩徳線のルートで実施すると工期が伸びることと、山の中を突っ切る都合上勾配が発生するのが嫌われ、開通当初の経路にして現在の山陽本線の経路である柳井回りが山陽本線に復帰し、岩徳線は一ローカル線へと転落した。かような歴史的経緯から、現在でも岩国以東と徳山以西間の切符は岩徳線経由の運賃で計算することとなっている。
かつて本線であった名残はホームの長さくらいにしか見られない。車窓を見ていても、長大な貨物列車や特急列車が通過する光景は想像しがたい。たしかに途中、長めのトンネルが何本かあり、通りながら、最初から複線規格で掘っておけば良いものを……、と思ったりした。どうせ幹線で複線化するのは時間の問題だったのだから、単線二本掘るよりも複線一本掘る方が手間は少ないように思う。当時の土木技術では難しかったのだろうか。
柱野と川西の間で錦川鉄道と合流するがそれは見逃し、終点岩国に着いたのは12時31分であった。これにて今回の旅での乗りつぶしは終了である。
写真8 岩国駅
櫛ヶ浜で山陽本線と別れ、山の中へと入っていく。車窓には並走する山陽新幹線の高架が続く。柳井経由の山陽本線に比べて岩国までの距離は格段に短く、新幹線はおろか国道二号線や山陽自動車道も岩徳線と同じようなルートを取っている。
そもそも岩徳線は元々山陽本線を短絡するために建設され、実際に一時期は山陽本線であった。戦中の輸送力増強で山陽本線の複線化をする際に、単線規格のトンネルしかなかった現岩徳線のルートで実施すると工期が伸びることと、山の中を突っ切る都合上勾配が発生するのが嫌われ、開通当初の経路にして現在の山陽本線の経路である柳井回りが山陽本線に復帰し、岩徳線は一ローカル線へと転落した。かような歴史的経緯から、現在でも岩国以東と徳山以西間の切符は岩徳線経由の運賃で計算することとなっている。
かつて本線であった名残はホームの長さくらいにしか見られない。車窓を見ていても、長大な貨物列車や特急列車が通過する光景は想像しがたい。たしかに途中、長めのトンネルが何本かあり、通りながら、最初から複線規格で掘っておけば良いものを……、と思ったりした。どうせ幹線で複線化するのは時間の問題だったのだから、単線二本掘るよりも複線一本掘る方が手間は少ないように思う。当時の土木技術では難しかったのだろうか。
柱野と川西の間で錦川鉄道と合流するがそれは見逃し、終点岩国に着いたのは12時31分であった。これにて今回の旅での乗りつぶしは終了である。
写真8 岩国駅
この後は岩国空港から飛行機で帰ることとする。新幹線も考えたが、大雪で関ヶ原付近が不通になるのが恐ろしかった。次の羽田行の便は14時50分発なので、空港へ向かう前に錦帯橋だけ見ることにする。
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