古河


      鷹見泉石


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鹿嶋


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大洗



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もみじ谷 2


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続きを読む

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もみじ谷 1


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コキアの丘

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      緑色は遅咲きコスモス

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                   国営ひたち海浜公園




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時の過ぎゆくのがなぜ早いのか


時の経ぎゆくことが近ごろは特に早いと思っていたのですが、なぜそうなのか、間違っているか知れませんが分かって来たような気がしてきました。

それは、いろいろな知識が入り過ぎたり、交通手段の発達により他所への行き来が楽になったり多くなってきたからではないかと思うのです。今のいまをじっくりと時間をかけて考えたり、変わり映えしない同じ風景を見詰め思いや風景を幾度となく租借し、退屈な日々を送ることがなくなってきたからだと思うのです。

交通手段の発達により、数多くいろいろな所に出向きいろいろな知らなかったことを見たり聞いたり体験したりします。昔はあまり沢山は手に入らなかった本を数多く読むことが多いです。しかも、ほとんどが繰り返し読むのではなく、一度しか読まない。テレビからいろいろな情報がつぎからつぎへと絶えまなく入る、ネットからも入ります、携帯からも入ります。

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いろいろな流行が大手を振ってまかり通ることにより、刻々変わる知識を入れ忘れる。そういう行為が昔の人より極めて激しく目まぐるしい。脳を通過して行くものが多すぎたり早すぎたりします。それにはもちろん仕事も関係してくる。職場に行けばもう戦場という人は多いでしょう。

ランプの灯を見つめじっと座り、さまざまなことをじっくり思う。ため息をつく。そして渋茶を飲み、またさまざまなことに思いを馳せる。そのようなことをしている人はいまはどれほどいるでしょうか。

昔の人も、過ぎて見れば一炊の夢などと、人生なんてアッと言う間だとは思ったものでしょうが、毎日まいにちの過ぎて行く体で感じる時間というものはゆっくりしていたのではないかと思います。私も子供の頃は、何もない生活でしたので、退屈との戦いでもありました。父がランプのない暗い部屋で、じっと座禅をしている姿をよくみたことがあります。その脇に行って、いっしょに座ったこともありました。

離島や砂漠、都市からかなり離れた田舎にいくと時がゆっくり流れているような気がします。若い頃、友だちとペリリュー島という所にいったことがありましたが、そこにはジャングルと太陽と、真っ白な砂に繰り返し押しては引いていく波しかありませんでした。時は実にゆっくりと流れて行くのを感じました。

浜辺で薪ひろいをしていたおばさんに挨拶をすると、「 内地のみなさんによろしくね。」 という返事が返ってきました。かの地では戦争が終わって半世紀 ( その当時はまだ半世紀くらいでした ) もたつのに、日本のことをまだ 『 内地 』 と呼んでいるのです。

もう、私たち日本人はゆっくり過ぎて行く時間の上では生きることはできません。かなり早い時間の帯の上であくせくと暮らすことしかできないのです。





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地名の話を少し


 沢山の人にブログを訪問してもらいたいという気持ちは分からなくないでもないが、かと言って訪問者の数を増やすという手があるのだろうか、どこかをボチっと押してくださいなんていうのを見かけることがある。それはちょっと・・・と言いたいけれど、結局はお遊びだから問題ないかな。

 私は全然そういう希望は無い。このブログ、昨日は五人で今日も五人で止まりそうな感じがする。その五人の方々が、へたくそな私の話をしっかり読んでくれると思えば有難い。

 アクセス数というのが編集者つまり私は知ることが出来る。また、二日くらいなのか誰が訪問してくれたかは分からないが、どの記事を見ていただいたのかは分かる。この二三週間みていると、一番多くアクセスしてくれた記事はアウグストゥスの記事のようだ。それから、大筋では地名の由来を読んでくれた人が多いような気がする。

 地名の由来は、いろいろと説があるのでこれだとは断言できない。が、断言できないくらいの方が何かロマンがありそうな気がして、面白いと思えることが多い。中には、アイヌ語が語源とか中央アジアあるいは中東の方の言葉が語源なんてのも出てきかねないが、それはどうかな?? 分からない。中には一つか二つくらいは偶然そんな由来もあるかも知れない。が、真相は疑問だ。

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 地名は面白い。コロンブスがアメリカを発見したのだそうだが、アメリカ大陸ではなく、カリブ海に浮かぶ島、サン・サルバドル島(聖なる救世主)に上陸したとか。で、コロンブスと言う名前はアメリカと言う地名についていない。アメリカというのは大陸を探検した人の名前にちなんだものなのだそうだ。

 では、コロンブスに因んだ地名は? ある。コロンビアがそうだ。アメリカのまたの名と言ってよいのかどうかは分からないが、アメリカの別名?はコロンビアなのだ。詩語とか雅語などと言うのだろうか、コロンビアという言葉は地名、人名、企業名などに使われている。コロンビア大学、コロンビア計画、コロンビア(レコード会社)などなど。

 イギリスは正式名ではない。イギリスはイングランドのことで、日本で言うイギリスという国の一部。正式名は大ブリテン北アイルランド連合王国と言う The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland 略して GB 。 で、イギリスのまたの名をアルビオンと言う。シーザーはイギリスまで遠征した。その時につけた名前かどうかは私は知らないが、ローマ人はアルビオンと言った。あるいはアルビオンという語に近い発音で呼んだ。

 アルビオンというのは、白亜という意味で、あのドーバー海峡を越えてイギリスが見えるようになったときに白い崖が見えることから名付けたのだと思う。アルビオンのアルブに当たる意味は「白(い)」だ。アルバム、アルバミン(タンパク質)、アルプス(白い山々)・・・・。

 地名にまつわる話はおもしろい。



potatojagapotatojaga  at 22:25  |  この記事をクリップ! 

鵜の岬 




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 鵜の岬 茨城県日立市十王町伊師640

松林の散策


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長いトンネルを進んで行くと

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鵜を取る図 ( 掲示板の一部を写したもの )

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鵜を入れるかご

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鵜を取る小屋 (絶壁の上にあります)

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小屋の屋根

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 http://blog.goo.ne.jp/classic555/e/b88b7b82bbc93ff15c62609c9b8946da
と併せてご覧ください。

 

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悲しい歌


悲しい歌をひとつ


  韓衣(からころも)裾に取り付き泣く子らを
            置きてぞ来ぬや母(おも)なしにして

          万葉集 第二十巻 他田舎人大嶋(おさだとねりおおしま)

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  裾にすがって行かないでと泣く子供らを置いてきてしまった。母もいないのに。

 信濃の国の小県郡から北九州へ派遣された防人の歌だそうです。とても悲しい歌です。ちっちゃな子どもたちは、母親もいない家でどうなったんでしょうね。おじいさん、おばあさんはいたんだろうか。それとも、みなしご同然になってしまったのか。一歩いっぽ家から子らから遠ざかる父親の心はいかばかりか。

 奈良時代に、はるか九州まで出かけて行った防人たちのほとんどは帰ることが出来なかったそうです。国からの命令で軍役につくために出かけて行ったのに、帰るお金がない。身体をこわしてしまうこともあるでしょう。旅の途中で事故にあったり悪い人に命を奪われることもあったでしょう。

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 おそらくはこの人も この時が子どもたちと今生の別れとなってしまっただろう と考えられそう。気の毒に。1,300年さかのぼって天皇や高級官僚たちに「だめじゃないか。帰してやりなさい」と迫ってやりたい気持ちが起こります。腹が立ってしかたがない。本当に気の毒。

 この父にこの子らに同情して泣くことで慰めることしかできません。




potatojagapotatojaga  at 16:53  |  この記事をクリップ! 

今朝の・・・


今日の朝日新聞。今朝の朝日新聞。どっちが多く使われるだろう。「今朝の」というと期間限定のように感じられ、午後になったらもう捨てるほかなし、というのも極端だが、それに似た気持ちを起こさせるかもしれない。文章としては少しおかしく感じられるかもしれない。

だが、「今日の」というと「枕草子」ではないが、お日さまが高く登って空気がゆるみ、栓を抜いてしばらく経ってしまったようなビールみたいに気が抜けて、清々しさが強く感じられないような感じがする。やっぱり『今朝の』と言う方が新鮮味があるかな。そして、朝刊と言うから、やっぱり「今朝の・・」と言うのが良いのかも知れない。

その、今朝の朝日新聞によると、イタリアでは財政危機のために大幅に教育費を削減するとか。教育機関はどこでも困っているようだ。財政危機はイタリアだけでなく、ヨーロッパ全域に及んでいるらしい。いま、一人気勢を上げているのは中国。インドもそうかもしれないがあまり伝わってこない。

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日本も今はダメだねえ。あのバブルの頃の勢いは無理だとしても、もうちょっと良い話を聞きたい。だが、アメリカで散々ひどい目にあったトヨタにはやっと笑顔が戻るかもしれない。トヨタの欠陥車には欠陥がなかったとか。バッシングは国民を煽りたいへんなものだった。どこかアメリカの自動車会社関係者が組織的に始めたバッシングなのではないだろうか。それに対して裁判は起こさないのだろうか。トヨタはやらないかもしれない。アメリカの会社ならやるだろうね。アメリカは互いに訴え合っている社会だから。

訴え合っていて、仕組みをがんじがらめにして行ったら、そこからは発展は望めない国にやがてなるだろう。PL法は大切な法律だが、それが進み過ぎるとコストは高くなり売れなくなり、物を作るのが恐ろしく感じるようになる。パーフェクトな物と言うのは在りはしないのだ。そして経済は発展しなくなる。私のような素人には難しすぎる問題だ。考えても行き当たりばったりの意見しか出せない。

日本は、今はちょっと元気ないなあ。日本の技術者が国内で求められていないので、しかたがない外国で仕事をするしかない。これは技術の流出だ。もったいない。損だ。日本で雇い切れないからだねえ。何とかしてこの悪い輪廻を経ち切って良い輪廻にしなくては。それじゃ、素人はどうすれば良いんだろう。

結局、何もなされないのだから誰にも分からないんだろうね。分かっていれば、それを実施するはずだから。経営の神様なんて言われる人がいたけど、波に乗っている時代なら能力はあまり無くたって、うまくその波を捉えられたら神様扱いになってしまうのだ。経営の神様ではない証拠に、不景気の時に力を発揮できないだろう。そういう神様なんか居ないよ。





potatojagapotatojaga  at 23:41  |  この記事をクリップ! 

オーデコロン

 塩野七生(しおのななみ)という女性が書いた「ローマ人の物語」を文庫本で読んでいます。現在、40巻でています。これからも続巻が出ると思うのですが、おそらく全巻で42冊になるかと想像しています。私はまだ29巻を読んでいる最中です。あ〜〜〜先が長い。

 その中で、ドイツの町ケルンのことが何度か出てきましたので取り上げてみます。ケルンというのはローマの言葉、つまりラテン語のドイツ訛りの地名だそうです。このケルンの元の名前はローマの言葉ではコローニア・アグリッピナという名前でした。アグリッピナはローマの初代皇帝アウグストゥスの腹心アグリッパの娘の名前です。

 アウグストゥスについては、
 http://blog.livedoor.jp/potatojaga/archives/51264655.html

           220px-Agrippa_pushkin_museum[1]
                    アグリッパ

 コローニアは英語でコロニー(colony)つまり植民地という意味です。コロニーの元の意味は「耕作する人」です。そのコロニーがなまってケルンという名前になったとか。

 オーデコロンのコロンは、そのケルンがフランス語に訛ったもの。オー(eau)というのは「水」。つまり「ケルンの水」という意味。オー・ド・トワレなんていう化粧水がありますが、これこそ「トイレの水」つまり化粧水ということに。

 訛りばかりの化粧水。大丈夫なんでしょうかね。



potatojagapotatojaga  at 21:52  |  この記事をクリップ! 

御礼


 訪問していただいている方々のお名前は分からないのですが、最多訪問者は106回の方です。
有難うございます。更新は気ままでむらがありますが、とてもうれしく思います。

 初めて訪問される方々も有難うございます。とても励みになります。よろしくお願いします。

                                potatojaga

potatojagapotatojaga  at 23:27  |  この記事をクリップ! 

ココアと飲むチョコレートの違い

 「素朴な疑問ですけど、ココアと、飲むチョコレートって、どう違うんです」
 昔から、疑問が頭に浮かぶと、すぐに聞きたくなる方だった。確か、チョコレートもココアも、原料は同じ豆だった。
 白いエプロンの人は、泡立て器をちいさくしたようなマドラーを手にしながら、
 「はい。チョコレートはカカオ豆から出来ます。ココアは、そこからカカオバターをぬいたものです。当店では、薄めたミルクでチョコレートを溶いております」
 よどみなく答えた。
 「ああ、チョコレートの方が、脂肪が多いんだ。 − だから、ミルクそのままだと、濃くなり過ぎるんですね。」
 「いえ、いけない − というわけではないんです。その辺はお店次第ですね。薄めないで使うところもありますから」
 女の人は、手鍋にチョコレートの粉を入れ、マドラーでかき混ぜ始める。カチャカチャという賑やかな音がする。

                          --------------------------------


                   「ひとがた流し」 北村 薫   から

                                                   マドラー

potatojagapotatojaga  at 14:12  |  この記事をクリップ! 

常陸の国 地名の由来

 今の茨城県は昔の常陸の国と下総の国の一部から成り立っています。常陸と下総の境は鬼怒川という川がおおむね境になっていました。なお、残りの下総、利根川より南の部分は千葉県になりました。

 さてその常陸に国の名前の由来ですが、話が二つあります。

 そのうちの一つは、大昔、日本武尊(やまとたけるのみこと)は、足柄の坂から東のあづまの地方を八つの国に分けました。そのうちの一つを常陸の国と名付けたそうです。

 その常陸という国の由来は、日本武尊が今の茨城県の新治(にいはり)というところに来た時に、新しく井( 湧き水や川の流水を汲み取る所)を掘らせると、水は清らかで良く澄みわたり美しいので、その水を愛でて手ですくったのですが、その時に袖が泉に垂れて濡れてしまったのだそうです。それで衣が漬(ひた)ったということで、「衣袖漬ちの国(ころもでひたちのくに)」と名付けたのだそうです。

   補)新治についてはhttp://blog.livedoor.jp/potatojaga/archives/51585619.html   

   常陸の国


        補)図の上部のもやもやした辺りは現在の大子町というあたりですが、
          昔は常陸の国ではなく、陸奥の国の一部であったそうです。
  
 また別な話は、常陸の国は道路が大きな山や川などで隔てられず群や郷が次から次へと山、川、峰など続き直道(ひたみち: まっすぐな道。また、そのようにまっすぐであるさま)であるということが元になったのだそうです。利根川のような大きな川はありますが、比較的渡り易かったのかなと想像しています。山は多少あっても、山岳地域のような山ではなく低く越えやすいです。

 別な話の方が本当の由来のように思われそうですが、最初の話のほうがロマンがあって楽しいと思います。

  補)八つの国
      相模(さがみ) 武蔵(むさし) 上総(かずさ) 下総(しもうさ、しもふさ)
      上野(こうずけ) 下野(しもつけ) 常陸(ひたち)
      陸奥(むつ)= 現在の福島、宮城、岩手、青森の各県と秋田県の一部

potatojagapotatojaga  at 14:21  |  この記事をクリップ! 

十の心得


 寒い時にウォーキングする時の工夫

   ひとつ : 耳隠し帽子をかぶる。耳だけでなく首のあたりまで暖かくなる。
   ふたつ : あったかい服を着る。一番上に羽織るものは袖にふかふか綿の
         ようなものが入って腕より長いもの。手を袖の中に入れちゃう。
         どんな手袋よりあったかい。
         暑く感じたら前を開ける。それでも暑かったら脱いじゃえ。
   みっつ : 速く大股で歩くとあったかくなる。耳は大丈夫。
   よっつ : 首をあったかくする。襟巻かジャージを首までファスナーを。
   いつつ : 飴玉を一つか二つ用意。
   むっつ : 一緒に歩く話相手が居ない時にはウォークマン。ただし車などに
         ちうい(注意)。
   ななつ : 沿道の人と顔見知りになる。うっとうしいこともあるが、楽しい。
         あったかみを感じる。
   やっつ : 楽しむ。何かを発見したりする。いっ時でも寒さを忘れるから。
   ここのつ: どうしても寒いときには背中にホカロンを一枚ペタッ。
   とお  : できればカメラを持ち歩き、面白そうなものを撮る。
         寒さをちょっとの間だけでも忘れることができる。
         気に入ったものが撮れたら。寒くてもまた明日歩きたくなる。


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potatojagapotatojaga  at 23:05  |  この記事をクリップ! 

愚鱈(ぐーたら)な生活

 かつては、暖房マットで冬を過ごしていた。特に寒い夜などは毛布を足にかけると、炬燵のようになる。あるいは、あまり利用はしなかったが石油ストーブを補助的に利用。

 しかし、事情が変わり普段居る部屋を変えた。つまり居間を変えたということ。詳しくは言わないが、とにかくそういう住宅事情にある。新しく居間にした部屋には掘りごたつがある。これがまた良い。座椅子を使って、背中の傾斜を適宜変えながら過ごしている。

 背中が座椅子の背にあたっているので寒く感じない。なので、炬燵にあたりながら本を読んだりテレビを見たりしながら居眠りができる。マットの時には毛布を広げて眠れる。その点ではどっちも良い。

 テレビで映画を見ている時など、いつも感じることは、映画が終わってから帰る必要が無いということだ。帰る必要は無い。ここは我が家なのだから。それから、マナーを守ろうとしない人を不愉快に思いながら見る必要もない。録画ものなら、用事が出来たら適当なところでストップし、そのあとはいつでも続きが見られる。録画していないものでも、そこから録画しちゃえばいいのだ。

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 映画は迫力や大音響ですごさを感じられる。が、私はその点は追求しない派だ。あまり小さな画面では困るが、まあ今一般家庭に普及している程度の画面で見られりゃ良しとする派だ。大音響も要らない。だから、テレビを見るのに都合よくできている。何がって? 私の性格さ。つまり安く済ませられるということ。

 炬燵に入ると出られなくなるという人が多いようだ。出られなくなるというのは、ちょいと立ちあがって用事を済ますのが億劫ということだろう。私は幸いそんなことがない。サッと立ちあがって、電話にでも出られるし、読みたい本を持ってくることもできる。だから炬燵は良い。

 ただ、晴れた良い日には炬燵の周辺は暗すぎる。やっぱりお日さまを拝みたくなる。外にでて散歩でもしたくなる。それはそれでそうすればいいのだ。が、一日中それもやっていられない。午後になりゃ綿みてえな雲がお山のほうからぽかりポカリと流れて来て・・・(「りんご追分」の歌詞を一部改変)と、翳りがでてきてさぁーっと風が起こる。そしてブルブルっと背中が・・・・。となるとやっぱり炬燵だっぺ。


 この炬燵のおかげで、冬は楽しく過ごすことが出来る。炬燵って良いなあ。



potatojagapotatojaga  at 23:29  |  この記事をクリップ! 

戦い


 どこだか良く分からないが私は道を歩いていた。すると向こうに変なものが見えた。変な形が沢山歩いて来る。どうみても木の枝のようなものだ。おかしい。それらはもじゃもじゃと動いてこっちに来るのだ。どう見ても何か生き物のようだ。

 カタカタと音もする。大勢だから、カタカタカタカタと言うこまかい音になる。それぞれ一つずつ目がある。片方だけしか見えないから、とりあえずそれぞれに目がひとつ。なんかおかしい。まさか夢ではあるまいなと思った。

 私は、額にびっしょりと汗をかいているようだ。脇の下にも汗が出てきて、脇を伝って下へ流れているのがわかる。くすぐったいのだが、くすぐったいなど気にしている心のゆとりは全くなかった。パニック状態になってきた。

夢の中でなら、はっきりとはよく覚えてはいないが変なことに出くわすことがあるという記憶はある。私は自分のどこかをつねってみようとしたが、指もあわてているせいか、どこをつまんでよいかそのゆとりがない。
       
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 逃げる、という気持ちは起こらなかった。そこまでゆとりがない。ただそこに立ちつくして、その変な生き物の塊を見ているだけだった。どうも自分は、このような想像のつかない場面に遭遇すると、脳が働かなくなるらしい。そのまま少しずつ自分の進む、つまりこちらに歩いて来ている。つまり、私はそれらに近づいているし、そいつらもこちらに近づいてきている。立ち止まる。なんてことができないのだ、そいつらに気を取られているせいか、足を止めるなんてことができなかったのだ。

 恐ろしく感じていると同時に好奇心も働いていることもたしかだ。そいつらが私に害を与えると決まっているわけではない。ただ、ごく当たり前の物ではなく、非日常的な物体に出あったので危ないと思っているだけなのかもしれない。

 が、彼らは私をからかうように、あるいは攻撃の序奏でもあるかのように、地面をたたくような音を立て始めた。カタカタカタカタ。細かいたくさんの音がしてくる。攻撃してくるのかも知れない。近づいてきた。

 「 ふざけんな、コノヤロー。」 と言って、私は彼らに殴りかかった。しかし、彼らの数が多い。私は夢中で両手のコブシを握って戦った。彼らの体は堅い。が、軽い。戦い甲斐はあった。コブシが痛かった。手首も彼らの堅い身体がぶつかって痛い。そうとう痛い。手ごたえは確かにある。彼らが倒れているのか、あるいは倒れていないのかは分からないが、数が多いので、夢中で戦った。

 と、突然意識がはっきりした。私はベッドの鉄製の落下防止の梯子のような枠の間に手を入れて振り回していたのだ。やっぱりまた夢を見ていたのだっだ。


 

potatojagapotatojaga  at 11:49  |  この記事をクリップ! 

ゆめ 2 


 楽しい夢の話をしたが、内容はちょっと短いが「 ゆめ 」と言う言葉について。

 「 ゆめ 」には、眠っている時に見たり、希望を表す「 夢 」のほかに別な「 ゆめ 」がある。副詞、つまり動詞にかかって「 決して、つとめて、気をつけて、絶対、夢にも 」という意味の「 ゆめ 」がある。

 「 ゆめ思うなよ。」とか「 こんなことになるなんてゆめにも思わなかった 」、「 ゆめ疑うなよ 」の「 ゆめ 」だ。どちらの文も「 思う 」にかかる副詞だ。ちょっと話が難くなってしまった。

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 その場合は「 ゆめにも思わなかった 」という言い方の場合は「 夢 」を当てるが、それ以外には見る夢と区別して、「 努 」という漢字を当ててきたそうだ。今はあまり使われない。ひらがなで書いてしまえば言いと思う。ちょいとややこしい。現代語ではあまり使われないかと思う。使われる場合には、やや気取ったり昔風の雰囲気をそこだけ出して言いたい場合などに、やや限定されるだろうかと思う。

 言葉は、何気なく使っていることが多いが、ちょっと立ち止まって考え始めると難しくなってくる。「 あれ? こんな使い方をしてもいいんだっけ?」 などと分からなくなってしまうことがある。面白くもあり、ややこしくもあるものだなあと思うことがよくある。


 

potatojagapotatojaga  at 12:43  |  この記事をクリップ! 

ゆめ


 夏目漱石の作品に「こんな夢を見た。」で始まる「夢十夜」というのがある。彼が見た夢を詳しく書いているという設定だ。だが、夢は一作々々少々長い作品にできる程は覚えていられるはずがない。
 もっとも、漱石は優秀な人物なので、私のような凡人と違って見た夢を長い間覚えていたり、あるいは思い出したりできる業を備えていたのかも知れない。自分がそうだからと言って、他人も同じだろうと思うのが間違いかも知れない。

 他人(ひと)のことは他人のことであって別なのだからそれはそれとして、自分のことを言うことにしよう。それで、その夢というのを私は目覚めてから長い間覚えていることが出来ない。しかし、本当に数えられるくらいしか無いが、しっかり覚えていることができる夢もあった。

 不思議なことに、同じ風景を夢見ることが何度もある。あるいは別々に見た風景を繋いで、あっちに行ったらこの川があり、反対方向に行けば山がある、なんてつながった風景を作り上げることも出来るくらいの時もある。それは目覚めたあと、断片的にその風景を覚えているからだ。

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 この頃は、本を読んでいるといつの間にか眠ってしまい、夢を見ていることが多い。テレビを見ていても、そういうことがある。せっかくの面白い場面が台無しになる。本は読みなおせば良いが、テレビは録画でもしていない限りは、それっきりになってしまうことが多い。

 しかし、実際は本当には困ってはいない。どうしてかと言うと、夢が楽しいからだ。恐ろしい夢を見ないとも限らないが、大抵と言ってもどのくらいかと言うと95%くらいは楽しい夢だから、途中で眠ってしまっても全く損をしたという気持ちは無い。

 夢というのは物語だ。例えば「不思議な国のアリス」。あの本は夢から夢へと写っていく物語なのではないかと思うことがある。読んでいる方も夢で類似した経験があるから面白いと思うのかも知れない。違うかも知れないが、夢の学者ではないので真偽のほどは分からないが、そうなのではないかなと思うことがよくある。

 幸い、仕事に追われる日々では無いので、本やドラマ、映画などの世界に入り込むことが出来る生活をしている。絵を見れば絵の中に入り、そこで遊んでみる。音楽を聞けばまたその世界で遊ぶ。ついでに、目覚めていながら夢の世界に入り込み、その世界で遊ぶことだって出来る。だから、毎日は楽しく退屈は絶対にしない。これ、私の特技。

 夢って楽しいなー。



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