June 29, 2016

大きなイベントをやるといつも感じる祭りの後の寂しさ。
ただし今回はやらなければならないことが山盛りでさびしさを味わう間もありません。

BaO

まだ開業準備はほとんどできていません。
場所と器具はそろってます。
ホームページは開設しましたが、ここでトレーニングしたいという一般の方には全く伝わっていません。
それがこれからの課題。
急げ!!

デザイン

本日は大阪と赤穂へ出張。
昨日は久しぶりにデザインに頭を使いました。
本来の場所に戻った感じがして気持ちいい。

スポルテック

JPPFがかかわる次のイベントはこれ。
大勢の人が集まるので、これをがっちり利用しなくては!

その他の体験イベント

いろんな話が来ていますが、大事なのにJPPFに伝わってこないイベントもあるようです。
健常者と障害者のパワーリフティングは別のスポーツだということが皆さん分からないからですね。

2018年アジアオープン

ジャパンカップが終わったので、いよいよあと2年。
効率的に準備を進めたいです。
そのためには組織図つくりから。

その他いろいろ。
書き切れません。

(05:26)

June 28, 2016

ジャパンカップは好評のうちに終わりました。
大会を開催するのは大変ですが、今回は次の日も盛りだくさん。

1、2018年アジアオープンの会場視察

IMG_1163IMG_1161












この大会はIPCの直接の監修のもとに開催します。
IPCの視察は実に細かなことを含んで予定時間をかなり超えたました。
ステージの奥行きを実際に測ってみないと納得しないジョン・エイモス。
疲れますが、この細かな気の使い方が世界各地で素晴らしい大会を開催させているパワーなんですね。

2、市長訪問

今回の北九州市滞在中の2回目の訪問となります。
IPCパワーリフティング幹部と北橋市長の和やかな会話の場となりました。
ジャパンカップで選手の試技に引き込まれたという市長の感想がうれしかったです。

3、北九州市とIPCパワーリフティング幹部との打ち合わせ
  
2018年に向けての具体的な動きが昨日始まったという感じです。
マーケティング、宿泊、送迎、様々なアイテムで解決していかなければならない問題はたくさんあります。
じわじわ計画的に話を進めましょう。

4、オリンピック・パラリンピック組織委員会とIPCパワーリフティング幹部との打ち合わせ

場所を変えホテルにてじっくり打合せ。
2020年のパラ・パワーリフティング会場と2018年アジアオープンの会場はどちらも劇場。
スケールの大きさに差はありますが、共通したところが多いです。
図面をはさんでの、これまた細部にわたるやりとり。
彼らのこだわりもすごいですが、東京の会場は導線、バック諸室でかなり制限が多いです。
アジアオープンに比べて難しい問題が多そうなので、テストイベントが絶対的に必要だという話も出ました。

毎年大変なことになりそうです。
でも、そういう流れの中でパラ・パワーリフティングを多くに人に知ってもらうことができれば最高です。

(06:44)

June 27, 2016

08








2016IPCパワーリフティング・ジャパンカップが終了しました。
ほっとしました。
広い体育館の中で如何に観客の集中力を一人ひとりの選手に集めさせるか?
そして選手の緊張感、気合、喜び、無念感などをどうやって共有するのか?

IPCパワーリフティングの幹部が見守る中、試合は多少押しましたがほぼ時間通りに進みました。
個別の選手のがんばりを書き出すとこの部ログは雑誌の記事ぐらい長くなってしまうので手短に。

09リオパラリンピック代表の大堂、西崎両選手は順調に仕上がりつつあると思います。
あと2ヵ月半で完璧に仕上げてほしいと思います。
ベストリフター男子は中辻。
女子は小林。


意地を見せたのは宇城。
見事不調から復活したのは三浦、佐野。
新しい可能性を見せてくれたのは馬嶋、假屋。
初出場の新しい選手が増えたのはうれしいです。
その中で一ヶ月のトレーニングで初出場した山本は試合の厳しさを味わいましたが、逆にやる気も上がったみたいです。


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050607IPCからはいい大会だったとお褒めの言葉。
ただひとついいたいのは「会場が暑かった。」だと。
体育館にはエアコンないんですよ。

設営は乃村工藝社と綿密な打ち合わせを進めてきました。
劇場と違って、体育館では照明や音響を個別にコントロールするには逆にお金がかかります。
限られた予算の中で音響はニッポン放送プロジェクトに入ってもらいました。
試合を含むこのプロジェクトの全体の後押しは電通。

もちろん北九州市の後押しも絶大。
九州国際大学のウェイトリフティング部にも補助や表示板設営などお世話になりました。
網羅できませんが、皆さんの力が終結した結晶でした。
皆さんお疲れ様でした。
そしてありがとうございました。

(06:28)

June 26, 2016

IMG_2237昨日で3日間のIPCコーチコースが終了しました。
3日間朝から夕方までジョン・エイモスは熱心に指導してくれました。
トレーニングの基本からコーチとしての資質、心構え、作戦などあらゆる項目を網羅してくれました。
3日間しっかり出席してくれた方には修了証書。
これは資格ではありませんが、IPCでは誰がこのコースを終了したかはしっかりと記録してくれています。
今後日本や国際舞台でコーチとして活躍するには以下の二つが必要です。
1、今後経験と実績を積むこと
2、JPCのコーチ資格を獲得していくこと
皆さんの活躍をお祈りします。

IMG_2250コースの終了後、スペシャル授業として、ジョン・エイモスのストラップ講習会が試合会場で。
ジョンが言うには、ストラップの巻き方、呼吸、視線で記録は数キロアップするはずと。
特にわれわれの眼のうろこが落ちたのはストラップ。
なかなか一言では言えませんが、その人の障害からくるベンチ上のゆがみをストラップの巻き方で矯正できるようです。

IMG_2261安定感のなさもストラップひとつで変わります。
これも一人ひとり違います。
ジョンも選手の体と挙げ方をじっと観察して、それからモデルとなった人にアドバイスしていました。
なかなか奥が深いです。








IMG_2273試合会場のセッティングは乃村工藝社さんにお願いしました。
図面で何度かの打ち合わせをしました。
体育館が広すぎるのでいろいろ苦労しましたが、いい感じで立ち上がっています。


IMG_2263大切なのは観客の目を選手に集中させること。
きっといい試合が展開されると思います。
いよいよ日曜日の11時から試合開始です。(開会式は10時45分から)

(03:28)

June 25, 2016

IMG_2205北九州市でのIPCコーチコースは順調に進んでいます。
昨日はベンチプレスで働くさまざまな筋肉についての話から、トレーニングプログラムの考え方まで具体的に広範囲の話がありました。
私ももう少し勉強しなくてはと思ったのは肩周りのさまざまな小さい筋肉。
どういう動きのときにどの小さな筋肉がどう動くのか?
経験的にベンチプレスを見ると、「これは安全で力が入りやすい」「、これでは力も出ないし危ない」 というのは直感で分かるのですが、どの小さな筋肉に無理がかかっているのかははっきりとは見えません。
コーチには解剖学的知識が必要だなと再認識。

IMG_2208その間にタイチームが来日。
JPPFメンバーは動きが取れないので出迎えなど北九州市にずいぶんお世話になってます。
市のホストタウン構想でタイとスポーツなどを通じて交流を深めようという動きの中での招聘でもあるので、われわれも助かっています。
ホテルで一服した後市長訪問。
北橋市長と約30分和やかに会談しました。

選手3名、役員3名のタイチームリーダーはジェネラル・カシンさん。
ジェネラルというのは陸軍の最高峰の役職です。
ずいぶん偉い人だったんですね。
現在は引退して、王様の名誉アドバイザーの一人だそうです。

IMG_2212彼は18年ほど前からパラ・パワーリフティングチームをサポートし続け、パラリンピックのメダルを狙えるチームに育て上げてきました。
ここ2年間で長年コーチをしてくれた方を2人亡くしたそうです。
そのために、選手たちの実力が多少落ちてリオには2名の選手しか派遣できないそうです。
リオ代表にも来日してもらいたかったのですが、ナショナル合宿のために抜けられなかったと。

彼らは26日のジャパンカップで日本チームとともに戦います。
かなりの実力の選手たちですから彼らのパフォーマンスも楽しみです。



(05:02)

June 24, 2016

昨日はIPCコーチコースの第一日目。
午前中は「コーチに求められる資質、あるいは能力は何か?」という命題から始まりました。
信頼
リスペクト
技術力
経験
人間力
などたくさんのキーワードをみんなで出し合いながら、議論。
こういう進め方の講習会は日本ではあまりないので皆さん真剣。
ぐっと引き込まれます。
そんな感じで第一日目が終わりました。

IMG_2183その後は小学校訪問をしてIPCパワーリフティングの特別授業。
講師のジョン・エイモスのパラリンピックの歴史を含んだわかりやすい話から。
生徒たちは西小倉小学校の6年生全員。
一通りの話の後、城選手の実技。
彼はみんなのお父さんより年上。
こんなに筋肉もりもり。
触られまくりで人気でした。

IMG_2167つづいて100人の子供たちのベンチプレス体験。
ベンチは3台用意されていました。
7kg、12kgの重さにみんなが挑戦。
元気な男の子たちは12kgで10レプスは楽勝。

最後に質問コーナー。
たとえばーー
Q: ジョンがなぜ車椅子になったのか? 
A: トラックを運転中、橋から落下して瀕死の重症をおってから。
Q: 一番つらかったのは?
A: その時とキリマンジャロへの挑戦をいったんあきらめたとき。
Q: キリマンジャロの話を聞かせて
A: イギリスの女子チームのナショナルコーチだったときに、資金集めのためにチームを作ってキリマンジャロ車椅子登頂をもくろんだ。
1回目は雪で途中断念。私はもっと上りたかったが、チーム全員の安全を考えて中止。
このときはつらかった。
でも、あきらめず次の挑戦で成功した。
世界初だった。
君たちもつらいことがあってもあきらめてはだめだ。

などなど

予定時間を大幅に超えた授業でした。
子供たちの素直で純粋な気持ちが伝わってくるすばらしい体験でした。
IMG_2193 

(08:13)

June 22, 2016

IMG_2137今日から北九州。
朝7時に羽田に到着したジョン・エイモスIPCパワーリフティング技術代表を出迎え、一緒に北九州へ。
北九州では一足早く到着していたサムIPCパワーリフティング・マネージャーと合流し、タクシーでリーガロイヤルホテルに到着。
九州は大雨です。

一休みして夕方は明日からのIPCコーチ・コースの通訳と下打合せ。
そして、北九州市主催の歓迎の夕食会。
ここではエネルギッシュなジョンの独り舞台。
車椅子で世界で始めてキリマンジャロを征服した話。
高さは6000m級の山を登ったのですから、これぞアドベンチャー。
なぜこんな無謀なことをしたのかというと、コーチをしていたイギリスのパラ・パワーチームの資金集め。
猛烈な人です。

彼の熱意と熱心な指導であっという間にイギリスはパラ・パワーリフティングで金メダルを取れる国になりました。
そのノーハウを学ぼうというのが今回の3日間の講習会。
得ることは大きいと思います。

夕食会ではおいしい日本料理に舌鼓を打ちながら、日本酒も進みました。
改めて、北九州市の皆さんのご好意に頭が下がりました。
ありがとうございます。
明日から、講習会とともにいろんなイベントもあります。
忙しいですが、楽しみです。

(20:36)

June 21, 2016

IMG_2061月曜日の19日。
北九州市へ日帰り出張。
なぜかというとーーー

6月26日、北九州市でJPPFのジャパンカップという(JPPFにとって)大きな大会が開かれます。
大きいといっても登録選手が約40名のJPPFですから、まだ規模は小さいです。
でも大会開催に向けて気合が入っています。
試合と併設してIPCのコーチコースと言う講習会が3日間。
IPCパワーリフティングの技術トップ、ジョン・エイモス氏が英国から講師として駆けつけてくれます。
同時に北九州市ホストタウン交流事業で、タイチームを呼んでいます。
選手3名、役員3名が来日します。
試合に参加したり、小学校を訪ねたり、市長訪問したりします。

IMG_2092さらに試合の終わった後の6月27日は様々な打ち合わせが目白押し。
その中の重要な案件がIPCによる2018年アジアオープンの会場視察。
会場は北九州市芸術劇場の大ホール。
1200名収容の本格的劇場。
ステージの大きさは、2020年パラリンピック・パワーリフティングの会場、東京フォーラムより少し小さいぐらい。
パラリンピック本番の使い方の参考にもなるのでIPCからも3名参加。
迎え撃つ日本側も、オリパラ組織委員会、JPC、北九州市などが加わってかなりの人数。
こちら側もしっかり準備が必要。
と言うことでの北九州市芸術劇場の緊急事前視察。

大ホールは高さがあってとても気分のいい空間。
ステージも広大で、真ん中で仕切って観客側が試合のプラットフォーム、奥が選手のアップ場。
これは2020パラリンピックの大きな参考となります。

IMG_2074建物は15年ほど前に完成した巨大コンプレックスの中。
設計はジョン・ジャーディ。
私は20年ほど前よくジャーディさんの事務所を訪れました。
当時担当していた小樽の巨大施設の基本設計がジャーディさんだったから。
その時事務所にこの施設のスタディー模型がありました。
不思議な形態が絡み合うジャーディさんらしい空間に魅入られたのを思い出します。



いろいろ因縁のあるこの施設。
事前に図面を読み込んで行ったので、複雑な内部がすでに知っているように良く分かりました。
不思議な感覚でした。

(04:54)

June 20, 2016

IMG_2266パワーハウスのメンバー竹花君(通称タケッパ)が転勤になりました。
入会したのは10年前。
当時東京のベンチ大会でこいつは怪物だと思われる少年がいました。
確か加藤君と言いました。
まだ18歳、75kg級でノーギヤ170kgぐらい。
将来の日本チャンピオン、いや世界を狙えるということで声をかけてパワーハウスへ。
その時、一緒にトレーニングをしているという小さな少年も一緒にメンバーに。
おまけかな。
それがタケッパ。

加藤君は天才肌。
欲がなかったのか、あまりに簡単に強くなったので逆にやる気が続かなかったのか、早いうちに来なくなりました。
タケッパは弱かったですが、ベンチプレスが大好き。
やがてパワー3種目もやるようになりました。

強くなるにつれて、やる気はどんどん高まります。
第一回世界ジュニアベンチプレス選手権に寿子が連れて行き優勝。
次の年は就職が決まってあまり練習ができませんでしたが、一年置いてまた優勝。
好きが高じて、パワーハウスで使わなくなった公式ベンチをもらってくれて、自宅に置くようにもなりました。
もう立派なパワーハウスを代表する選手の一人です。

彼が社会人になり6年。
会社の人事異動で7月から福島へ移動することに。
残念ですが、これも人生。
社会人としても、パワーリフターとしてもさらなる上を目指すには、どんな環境でも頑張らないと。
そんな気持ちで先日送別会をやりました。

タケッパはシャイを絵にかいたような少年。
入会したころは誰が話しかけても返事も出来ません。
ジムに来て帰るまで一言も発しないことも普通。
送別会では皆の前で一生懸命しゃべってくれました。
一人の少年がここまで成長したかと、親のようにうれしかったです。
と言うことで、その気持ちでお姫様抱っこ。(王子様抱っこ)
2年続いた接戦の末の全日本パワー2位。
また王者に返り咲いてくれるのを待ってます。
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(04:08)

June 19, 2016

IMG_6137もう一つ強烈な車体験。
Hトラックが手元になくなって、もぬけの殻と言うかがっくりしていた私。
いのうえこーいちからもう1台、車のオファーがありました。
オースチンヒーレー・スプライト・マークワン。
1000ccに満たない小さなエンジンの小さなオープンカー。
かわいい顔にいろんなあだ名がつきました。
生産国のイギリスではFrog Eye(カエルの目)。
日本では「かに目」。

いのうえこーいちはこの車の大ファン。
あまりにこの車が好きなのでなんと2台所有してました。
そのうちの1台を貸してくれると。

車の作りはシンプルそのもの。
2人が乗れる最小の大きさ。
後ろにはトランクがありません。
運転席の後ろ側から物を入れるだけ。
奥に入るとちょっと取り出しにくいです。

オープンにするとスッポンポン。
これで道を走るともろに風に当たります。
オープンだから当たり前。
最近のオープンは 「風の巻き込みが少ない工夫がされている」 なんて言ってますが笑っちゃいます。
風を感じるのがオープンカーでしょ。

25年前に借りていたころにすでに製造後30年。
スピードは80kmぐらいが上限。
この車でヒストリックカーフェスティバルの「つくばトロフィー」に参加しました。
スピードはビリクラス。

ある夜、中央道を走っていたら、徐々にヘッドライトが暗くなってきました。
府中に近づく前に完全にライトはシャットダウン。
追突されたらアウトだなと思いながら、府中料金所まで頑張りました。
ウインカーも出ません。
真っ暗。
料金を支払おうと停止すると車が完全にダウン。
動きません。
お金を払った後一人で車を押して駐車スペースへ。

深夜だったのでどうすることもできずに車を置いたままタクシーを呼んでもらって帰りました。
次の日、いつもお世話になっているニホンモーターズに調べてもらうと、発電する部分が完全に壊れていて、バッテリーが走行中に上がったんだそうです。

別の日、今度は昼間。
また中央道を走っていると、突然バカンと大きな音がして、その後ボンネットから白い煙がもうもうと上がりました。
あわてて側道に止めると、どうやらラジエターから水蒸気が猛烈に漏れている様子。
このまま水が抜けてしまうとエンジンがやられる。
迷った結果、次の出口まで数キロなので高速から出てしまうことを考えました。
水蒸気を吹き出しながら数分頑張って走っていると、水蒸気は止まりましたが(水が完全に抜けた)今度は青っぽい煙が出始めました。
いよいよエンジンがおしまいか?
と言うときに調布インターから一般道へ。
そこでエンジンを切って電話。

JAFがすぐに来てくれました。
ニホンモーターズまでけん引してくれましたが、なぜか牽引車の助手席に乗せてくれず、不動になった「かに目」の運転席に座ったまま牽引。
こんな恥ずかしいのは初めて。
完全オープンですからね。

10年近くスプライトとの生活は続きました。
箱根の山で登りは遅く、下りは早いということも分かりました。
登りはトラックに追いまくられ、下りはスカイラインを追うなんてことも。
ものすごく面白い車でした。
しかし徐々に動かないことが増えて、最後はこーいちさんにお返ししました。
分倍河原でパワーハウスをやっている頃の思い出です。

(05:10)