May 15, 2017

Hatfield[1]1980年代から90年代までパワーリフティングシーンの話題の人だったフレッド・ハットフィールドが亡くなりました。
彼はパワーリフティングでは私の師匠とも言える人。
親しさをこめてフレッドと呼ばしてもらいます。


フレッドとはじめての出会いは1982年の南アフリカ招待試合。
私の最初の世界選手権は1980年アメリカ、テキサス。
そのときの会議で、当時アパルトヘイトで世界中から非難を浴びていた南アフリカを認めるかどうかで紛糾。
反対多数で否決されました。

その時賛成したのはアメリカ、イギリス、スペイン、日本だけ。
2年後、南アフリカのパワー連盟はこの4カ国からそれぞれ2名ずつの選手を呼び初の国際大会を開きました。
そのときのアメリカ代表がフレッド・ハットフィールドともう一人黒人の軽量級選手(名前忘れました)。
日本からは因幡さんと私。


南アフリカでの5日間。
強烈な印象が残っています。
フレッドのスクワットの凄まじさ。
試合前の軽い練習で300kgを数レプス(ノーギヤ)。
ものすごいスピードで立ち上がり、肩の上で300kgが跳ねてました。
そしてとてつもない酒飲み。
試合後のパーティーから始まって、ほとんど一晩中ウイスキーを飲み続け、しゃべり続けていました。
トレーニングのことを沢山教えてもらいました。
何しろアメリカの大学のスポーツ科学の教授でしたから。

その後トレーニングセミナーで日本に来たこともありました。
彼と再会し、彼の勧めで作ったパワーハウスに招待し、食事もしました。
当然彼は飲みまくりましたが、けろり。

screenshot2014-06-11at102205amパワーハウスは彼の影響で作ったところもあります。
大学の教授をやりながら、彼もジムを持っていました。
パワーハウスのトレーニング内容も彼の影響は大きいです。
100kg級で世界で始めて400kgスクワットを成功させたのは彼です。
1000ポンド(約450kg)スクワットを成功させた一番体重の軽い人間は彼でした。
世界チャンピオンでもありました。

歳は私の10ぐらい上。
私にとってはパワーの先生。
最近体調を壊していたとは聞いていました。
とことん突き進むフレッド。
無理がたたったのでしょうか?
ご冥福を祈るばかりです。

(08:29)

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