Gori ≒ ppdwy632

〈ぼく〉の思索の一回性の偶然性の実験場。

2007年12月

本「復刊ドットコム奮戦記 −マニアの熱意がつくる新しいネットビジネス」左田野渉5


復刊ドットコム奮戦記 −マニアの熱意がつくる新しいネットビジネス
Amazonで購入
書評/ルポルタージュ



築地書館から、かつて”本が好き!PJ”経由の献本著作の自腹シリーズ!、ちょっぴりゴールが見えてきた!?、単なる自己満足?!

本好きが昂じて入社した、本の問屋(出版取次)大手”日販(にっぱん)”の堅実なシステム担当課長から、何の因果か前人未到の出版ベンチャー『復刊ドットコム fukkan.com』の責任者として立ち上げに携わり、成功に導いた五年間の奮闘記!
出版業界にも詳しくない僕には、その流通の複雑なシステムへの理解に、まだまだ不安を残すも、出版不況と言われて久しい由々しき問題の一端を窺い知る。
「”本好き”を語る方に、ぜひ読まれたい!」と言ってみて、ハテしかし、築地書館のHPの重版情報をチェックするに、、、、一般消費者(読者)は、なかなかに手厳しい。
ところで、ちょっとオチャラケ気味の表紙のカバーイラストだって、そりゃ好みはあろう(僕だって最初はチョット、、、って思った)が、何と実は、”藤子不二雄A”による。詳しくは本書を読まれたいが、「あの大御所が、この手の書籍のカバーイラストを買って出る!」と言うべき大変な出来事ではないかと。
中途に紹介される、復刊のリクエストがあった作品たちは(僕には全く馴染みがないのだけれども)、好きな人には堪らないネタがゴロゴロザクザク満載されて、しかも、かつて一世を風靡した作者に纏わる秘話が盛り沢山(僕には興味がないけど、好きな人なら喜びそうだ、と想像くらいはできる)で、それだけでも、この著作を手にする価値があるのでは?!、と思わせるに余りある。
それでも既に、発売から二年半近く経過しちゃっているから、その歳月が長いのか短いのか、、、 出版業界の流通問題云々の前に、世の中自体が二年半の間に大きな変貌を遂げちゃっているから、僕はあんまり感じなかったけれど(無知に感謝?!)、既に本書に書き記されている内容が過去のものになってしまっている側面を否定できないのかもしれない。

ベンチャービジネスの厳しさ、があって、出版業界の流通形態が抱える問題にも、その要因のひとつはあるのかもしれないが、大手出版社にだって大企業なりのそれぞれの複雑な事情を抱えていて、大勢の従業者であり、関係する多数の企業を、何よりもブランドを維持して、それらを養う(?!)だけの利益を確保して、存続していかなければならない、大変な使命を負っている。企業規模が小さければ、小回りが利いて、方向転換や、方針の変更だって、チョチョイのチョイ、ってな具合に、トップダウンの即断実行で乗り切れちゃうけど、母体が大きいと、そう簡単に末端にまで行き渡らない。だから、何事にも万能、って状況はなかなかに有り得なくって、大手は大手なりの、中小やベンチャーもまたそれなりの、役割分担というのか、領域というのか棲み分けみたいなものが、自然に上手くできていたりする。


≪目次: ≫
 1 復刊ドットコムストーリー
  1 手に入らない本が多すぎる
  2 儲からない試行錯誤から読者が望む復刊へ
  3 ニッチなサイトが成功したわけ)
 2 熱い復刊リクエストから見えてくる人気本の秘密
  1 人気の本とは?
  2 復刊ブックガイド
  3 子ども時代の夢を果たす「復刻ブーム」)
 3 復刊にまつわるエピソード
  1 岡田あーみんはなぜ復刊できないのか?
  2 憧れの著者に会いに行く!
  3 時代の波に揺られて復刊された本)
 4 本好きのためのパラダイスとは?
  1 熱意がビジネスを超える
  2 新しいコミュニケーションを創造する
  3 一〇〇万人の自給自足の読者生活をめざして)

≪著者: 左田野 渉≫ 1958年北九州市生まれ。1981年、東京都立大学法学部卒業後、日本出版販売株式会社(日販)に入社。主に、設備投資関係のプロジェクトに関わる。1999年、日販の子会社であるブッキングに出向。「復刊ドットコム」は個人的な嗜好にもはまり、夜討ち朝駆けで楽しく仕事している。深夜までメールや掲示板をチェックし、日々、読者のリクエストに応えるべく奮闘中。

復刊ドットコムHP








305(26,16,20,21,29,22,27,27,24,29,30,34)

本「辺境・近境」村上春樹5


辺境・近境
著者: 村上春樹
単行本: 252ページ
出版社: 新潮社 (1998/04)




旅行を綴るエッセイ集。
「やっぱり上手いなぁ」などと、その表現と言葉運び(?!)の妙に、今更ながら感嘆を漏らす。僕を読書の愉しみへと誘った”村上春樹”、まだまだ僕が未読の著作が少なくない。

そう、”忘れないこと(P.190)”、ノモンハンの旅行記を締め括る言葉。
それは、神戸を歩いて、”喪失感をもたらした、記憶の集積(僕の貴重な資産)”、1995年1月17日”阪神・淡路大震災”であったり、都市化されて様相を変えた街並。関連して思い起こされる、1995年3月20日にオウム真理教が起こした無差別テロ”地下鉄サリン事件”。
メキシコのチアパスの先住民族であるインディオたちがかつて侵略を受け、迫害されてきた歴史があって、失われた文化、そして今だって続く血なまぐさい抗争の舞台としての緊張。
1939年5月〜9月のノモンハン事件の傷跡をそのままに残す乾いた大地。
山口県の瀬戸内海に浮かぶ無人島の、日が暮れた後に何処からかゾロゾロと姿を現す”自立した生態系”にある、フナムシやらゾウリムシみたいなのやらの小さな生き物たち、ザワザワと不気味な音を立てて蠢き出しちゃったら、狭いテントの中に閉じ籠って朝を待つしかない人間の”闖入者”たる無力さ。
あぁ、忘れないこと!?


≪目次:≫
 イースト・ハンプトン 作家たちの静かな聖地 (1991.秋)
 無人島・からす島の秘密 (1990.8)
 メキシコ大旅行 (1992.7)
 讃岐・超ディープうどん紀行 (1990.10)
 ノモンハンの鉄の墓場 (1994.6)
 アメリカ大陸を横断しよう (1995.6)
 神戸まで歩く (1997.5)
 辺境を旅する (雑誌「波」1990年9月号)








本「人間行動に潜むジレンマ −自分勝手はやめられない? (DOJIN選書013)」大浦宏邦5


人間行動に潜むジレンマ −自分勝手はやめられない? (DOJIN選書013)
Amazonで購入
書評/サイエンス



今回はまたまた手強い!!?、化学同人 DOUJIN選書 第13弾、”本が好き!PJ”でも高い人気を博し、献本を逃し自腹で参画!

進化ゲーム理論を道案内とする自分勝手の物語”と、サラリと”あとがき”に書き記されているんだけど、、、
ぶっちゃけ、”囚人のジレンマ”までは、ふ〜ん、だったんだけど、既に32ページにして、”ナッシュ均衡”であり、”パレート効率”、、、??!
1979年の”アクセルロッド・シュミレーション”では『しっぺ返し』が、二度目も優勝しちゃって、戦略として「上品」で「短気」で「寛容」がお得。
”協力的”は”非協力的”に勝つことができない。だから(?!)、”サンクション(非協力者が受ける罰)”が生じた。充分な”サンクション”が機能すると”協力率”を高める、しかし手間が掛かるし”コスト”の負担は”二次ジレンマ”を生む。
とそこで、30億年くらい前の生命の起源まで遡り、”遺伝子”、”細胞”、”免疫”、で、”共感”と”攻撃性”から”抑制”、”アクセルとブレーキ”、そして”裏切り者モジュール”を身に付けた”ホモ・サピエンス”が18万年前〜18万年前のリス氷河期を乗り切り、大いに発展させた”言語”による”規範”で”サンクション”を厳格化し、それが一方では”権威主義”の登場を促した。適度に許容されるべき”個人主義”。
社会的動物”たる人間。

まるで、苦し紛れに無理矢理に原稿用紙のマス目を埋めてる読書感想文みたいになっちゃうくらい(あぁ、ホントはこんなことしちゃいけない、うっ、ジレンマ!?)に、とてもとても気軽にサラリと愉しく読める!、って訳じゃないけれど、、、多少なりとも、最近読み重ねてきた”動物行動学”の著作の記憶(知識とまでは言い切れない)と慣れが役に立った!?、で、何とか読了。

そうそう、サンクションと権威主義が興味深い。
”権威主義的な攻撃性をもつ人は、些細な規則違反やミスに対して過剰に反応して罰を与えようとする傾向をもつ。これは、権威主義的な人が他者を攻撃して服従を引き出したり、鬱憤を晴らしたりすることに利益を見いだしているからである。第3章でも言及したように、自分勝手な行動に罰を与えると、脳内に快感物質であるドーパミンが分泌されるという報告もされている。これは、コストをともなうサンクション行動をスムーズに実施させるメカニズムとして進化したものと考えられるが、こういうシステムが存在すると、ドーパミンの分泌を求めて必要以上に道徳的攻撃を行う人が現われてきても不思議ではない。
ところで、サンクションというものは本来、自分勝手な行動を抑えて全員の利益を高める点に意味がある。ところが、自分勝手な行動が常に全員の利得を引き下げるかというとそうではない。第1章で説明したように、他人に大きな迷惑をかける「悪い自分勝手」は全員の利得を下げる働きをするが、迷惑の小さな「良い自分勝手」は逆に全員の利得を引き上げる働きをもつ。したがって、サンクションの対象は他人に大きな迷惑をかける「悪い自分勝手」に限定しないと、かえって全員の利得を下げてしまうことになる。
ところが、権威主義的な攻撃は自分の利益や満足のためにサンクションをかける、いわば「自分勝手なサンクション」なので、全員の利得を上げることなどお構いなしに、些細な自分勝手にもサンクションをかけがちである。こういうサンクションを「オーバーサンクション」というが、権威主義的攻撃はオーバーサンクションを招くことで全員の利得を下げる結果を招きやすい。”(P.185-P.186)


ところで、僕は何故に”自分勝手”(副題)の本を読むのであろう?!
何を隠そう、今日も手厳しく諭されてしまった、僕の自分勝手な性格。
まさしく、”人間行動に潜むジレンマ”。あぁ、、、


≪目次:≫
 序章 自分勝手とはなにか
 第1章 二種類の自分勝手の発見 ―囚人のジレンマゲーム理論
   1 どの戦略が最善か?
   2 二つの自分勝手
 第2章 上品、短気、寛容 ―進化ゲーム理論と協力の進化
   1 自分勝手と非協力
   2 確かに存在する協力
   3 進化ゲーム理論と囚人のジレンマ
   4 しっぺ返しの効果
 第3章 協力するのはお得? ―多人数協力の進化
   1 社会的ジレンマの発生
   2 協力は非協力より得か?
   3 二次ジレンマを回避する
 第4章 闘争は回避できるか ―社会秩序の始まり
   1 生体のジレンマ
   2 攻撃性の発生
   3 動物界における秩序
 第5章 共感と攻撃性のコントロール ―ヒト社会への道
   1 共感はいかに進化したか
   2 裏切り者探知モジュール
 第6章 みんなに合わせる ―現代社会と自分勝手
   1 仲間意識と協力
   2 自分勝手への過剰反応
   3 自集団勝手の回避は可能か
   4 他人志向の若者たち
 終章 自分勝手はやめられるか


≪著者: 大浦宏邦≫1962年京都府生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程卒業。帝京大学経済学部経営学科准教授。専門は数理社会学、進化ゲーム理論、社会的ジレンマ、秩序問題。








漫画「夕凪の街桜の国」こうの史代5


夕凪の街桜の国
Amazonで購入
書評/歴史・時代(F)



双葉社より、”マンガを語る快楽”企画を開催する”本が好き!PJ”を経由して献本、御礼!
そう、”快楽(快感)”に辿り着かなきゃいけない!、というか、辿り着きたい!、素敵な企画。

ところで、第二次世界大戦末期の1945年8月6日、アメリカが広島原子爆弾を投下し、たった一発の爆弾により、一般市民十数万人が死亡し、都市が壊滅した歴史的な出来事があって、それは、実戦で使用された世界初の核兵器による都市攻撃であり、都市を対象とした爆撃では史上最大の規模であった。その後の8月9日には長崎にも原子爆弾が投下されて、ついには8月15日正午の昭和天皇による玉音放送をもってポツダム宣言の受諾を表明し、日本は敗戦し、戦争は終わった。〜Wikipediaより。戦争に負けてボロボロになった日本は、幸か不幸かそれ以降の60年以上の長い歳月に亘り、戦争をしていない。

1968年生まれの著者”こうの史代”も、広島に生まれ育ちながらも、東京で漫画家として生計を立てていて、ふとしたことから編集者に、
『広島の話を描いてみない』
と言われて揺れる胸の内を”あとがき”に書き記す、
『遠い過去の悲劇で、同時に「よその家の事情」・・・』
『何より踏み込んではいけない領域・・・』
そんな自らを、
『不自然で無責任だと心のどこかでずっと感じていた・・・』

それでも、60年以上の歳月が確実に刻まれていて、戦争や原爆の記憶は、良くも悪くも風化している。軽薄な言葉は慎むべきかも知れないけれど、戦争や原爆を直接的に伝えることができる人びとの存在さえもが希少になってしまった現在においては、悲劇や悲惨さを直接的に表現する今までの表現手法とは異なる、深い部分の記憶に訴え掛ける手法が、より自然で受け容れられ易いのかもしれない。
今を生きる、戦争も原爆も知らない世代が描く後世に遺すメッセージ(物語)は、歳月を超えて紡がれる記憶の糸に手繰り寄せられる。











本「農で起業する! −脱サラ農業のススメ」杉山経昌5


農で起業する! −脱サラ農業のススメ
Amazonで購入
書評/ビジネス



つい先日(12/24)読了した著者の第二弾『農!黄金のスモールビジネス すごい経営余裕の黒字!』に触発されて、慌てて手にした、第一弾。第二弾では既に前提とされて抜け落ちていた情報が、なるほど氷解する。スーパービジネスパーソンによる”起業”の成功哲学。
著者は、元々技術屋で、外資系メーカーの営業現場で非情なまでに手厳しい経営戦略を経験した後の1990年、50歳にして未知の”農業”を見知らぬ宮崎で起業した。溢れるバイタリティで、幾多の困難な壁をも乗り越えて、やっと掴んだ現在の”悠々自適で週休4日”。緻密な計算と計画、冷静な勘に頼らない経営手腕の賜物だけど、何よりも大きい家族の協力、奥さんとの二人三脚が上手くいかなければ、成し得なかった!?、そして、地元農家の仲間たちとの軋轢さえも、真剣な熱意は誰にだって通じるものがある。誰よりも一生懸命だから、そんな姿を見掛けたら、やっぱり放っておけない、人間味、コミュニティ。
それでもやっぱり、国の農業政策、補助金制度、技術支援策や、JA(農協)の在り方は、それにベッタリ頼っていたら、ビジネスとして成立しない由々しき問題。
それでも、サラリーマン(給与所得者)じゃない自営業(個人事業主)なんだから、酸いも甘いも全て自己責任

ところで、著者に身近の首都圏からの脱サラ組では、数少ない成功組の就農(鶏飼い)夫婦の生活ぶりや仕事ぶり、価値観や考え方の、その対比に、実は救われる想いを隠せない。なかなかに著者ほどのスーパービジネスパーソンぶりは、見習いたくても能力や適性に大きく左右されて、誰にでもすぐに真似できるものではない。著者の短い記述からだけでは、その詳細まで窺い知ることはできないから、見えないところで何らかの企業努力を怠っていないのであろうが、まさにスローライフ、ガムシャラじゃない自由を満喫する生活。


≪目次:≫
 プロローグ 脱サラ百姓のススメ
  1 ストレスで胃に穴があく前に転職を考える
  2 サクッと就農する
  3 営農計画はじっくり立てる
  4 賃料は労働で返して一石多鳥
  5 週休4日のためには労働生産性を上げる
  6 収益性を上げるテクニック
 1 農業経営もビジネス 〜こうすればうまくいく
  1 ニッポン農業の3大時代遅れ「肥料」「計測」「情報」を克服しろ
  2 農協の指導に従っていたのでは、ムリ、ムラ、ムダが多い
  3 土づくりはムダ
  4 経験を積まなくとも、農業はできる
  5 農業は情報産業だ 〜週休4日を実現するためには時短
  6 農家につけ込む「ワラワラ詐欺」!
  7 楽しい農業の極意は「最適化農業」
 2 ニッポンの農業事情
  1 味とは関係ない、見た目のオリンピックと化した果物市場
  2 消費者が守られていない本当の理由
  3 有機農業についての誤解
  4 農業の常識のウソ、ホント −産地モノには注意!
  5 後継者について 〜世襲に頼らない後継者への経営委譲はなるか?
 3 理想のライフスタイルを手に入れた
  1 毎日が土曜日!
  2 農村でうまくやっていくには?
  3 営農視察を有効に活用する
  4 農と自然をとりまく将来は








本「高校野球が危ない!」小林信也5


高校野球が危ない!
Amazonで購入
書評/ルポルタージュ



読書三昧を決め込んだ正月休みに読む本を漁る僕の、ふと目に留まった表紙”太陽に向かって走る高校球児たちの背中”、そう言えば、かつて草思社より、”本が好き!PJ”経由の献本があって、その時には、”高校野球に興味がない僕が献本を申し込む本じゃない”と即断した記憶が思い浮かんだ。これも何かの縁?!、でサラッと読了。

表向きは、特待生問題で揺れる高野連(財団法人日本高等学校野球連盟)、何より”甲子園”というある種の特殊な夢の舞台を巡り「勝てばいい」の価値観に覆われる高校野球界が抱える様々な問題を、プロ野球は勿論、ボーイズリーグ、本場の大リーグなど、多角的に客観的に紐解くルポルタージュ
著者”小林信也”は、1956年新潟県生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒。スポーツライター。

で、僕は高校野球に何らの興味を有しないから、「ふぅ〜ん、そうなんだぁ〜」と、客観的に読み進む。多くの人びとが、善良な奉仕者として高校野球界全体の発展であり、少年(高校生)の健全な心身の育成に情熱を注ぎ、自らの時間の多くと、時に私財まで擲つ人びとがいる一方で、一部の監督や部長やコーチやブローカーらが、学校やらの組織をも巻き込んでの拝金主義に傾倒していたり、スポーツマンシップに著しく逸脱するような言動が散見される問題は、特に高校野球界に限ったことではない。決して許されるべきではないけれども、どんな業界においても一定の確率で存在し得るし、今に始まった問題ではない。その問題が発生し得る、それまでの様々な経緯や歴史があり、表面的な規制を加えたところで、なかなか本質的な解決に至らない根深い問題。
だからと言って黙って見過ごす訳にはいかない訳で、誰かが声を挙げなければ何も変わらない。長い時間を経て築かれてしまった現在の状況に急激な変化(改革)を加えることは、必ず何処かでは歪みが生じて、、、時に噴出する、複雑に絡み合った利害関係、人間の欲。
あぁ、、、

そうそう、この本は、高校野球を前面に掲げつつ、実のところ、著者が師と仰ぐ空手家”宇城憲治”を讃え、武道精神論を語る本!?


≪目次:≫
 第1章 熱狂の陰で
 第2章 特待生をめぐる現実
 第3章 ボーイズリーグの実態
 第4章 現場の声
 第5章 日本高野連の体質
 第6章 高校野球とフェアプレー
 第7章 最後の夏の負け方
 第8章 人格を育てる高校野球
 第9章 高校球児は泣かない







本「小説の自由」保坂和志5


小説の自由
著者: 保坂和志
単行本: 360ページ
出版社: 新潮社 (2005/6/29)




保坂和志”との出逢いは、実はつい先月(2007/11/11)、草思社から”本が好き!PJ”を経由して献本を受けた『「三十歳までなんか生きるな」と思っていた』であり、その副題の”結論に逃げ込まずに、「考える」行為にとどまりつづけろ!”のインパクトたるや。

”小説論”なるものを展開する本書においても当然に、何ら結論めいたことは書き記されない。もっと言えば、堂々巡りの繰り返しで、一見すると果たして前に進んでいるのかとの疑いすら抱く。語りは、常に脇道へと逸れ、果てしない拡がりの先にさえ、結論めいたマトメとしてきれいに収束されることはない。
そこには、簡単に纏められてしまうような、ある意味では薄っぺらな結論は用意されていない訳で、そしてまた僕が結論としてきれいに纏めようとすることさえも、何ら求められないし、またそのこと(結論めいたことを纏めること)に何ら意義をも有しない。だから僕は、保坂和志の頭の中で考えていることが、その考えられていることの一部分(全部ではない)をそのまま、それでも頭の中に思い浮かんだ事柄を言葉に書き記す段階の作業において、既に纏めるという作業工程が加わってしまっている訳で、そのままにという訳にはいかないのだけれども、それでも、、、を、窺い知ることができることに、大いに歓心を得る。

まったくもって、僕がこうしてダラダラと一見して無為に文字列を書き並べ、ウダウダと考えを巡らせることに、一体全体「何の意味があるんだ?!」と、僕だって考えない訳じゃない。むしろ、そんなことばかりを考えている、と言った方が正しいとさえ。
既に起こされた自らの言動であり、他人の言動に対して、どうしてそうなるのか、どうしてそうなったのかを考える。僕は否定的で後ろ向きな考えを抱き易い性格なので、ホントのところ、まずは否定から入ることがほとんど。本心では、自らを防御し、相手に攻撃を仕掛けたい。
だって、相手との関係は、絶対的に対等じゃないから、優劣というか、上下というのか、対面した瞬間に形づくられちゃうから、本能的に無意識の内にそんなことばかり考えちゃっている僕(本来、僕自身のそのような考察パターンの善悪を問い質し、直ちに修正を課すべきであろうが、どうやら不可能と判断している)は、絶対に誰にも負けたくない。頭の中では、得手不得手があるのだから時に負けることだってあるし、ましてや勝ち続けることなど不可能で、また僕が勝つということは、相手は負けることになる訳で、相手の負けの上にしか僕の勝ちが存在しない、「そんなエゴに、何の意味があるんだ!?」、とか、そりゃぁ冷静に考えを巡らせれば、すぐに理解できない訳じゃないけれども、、、正直なところ、自分でも哀しくなるほどに、最初からそんな当たり前のことが思い浮かばなかったりする。

≪目次:≫
 1 第三の領域
 2 私の濃度
 3 視線の運動
 4 表現、現前するもの
 5 私の解体
 6 桜の開花は目前に迫っていた
 7 それは何かではあるが、それが何なのかは知りえない
 8 私に固有でないものが寄り集まって私になる
 9 身体と言語、二つの異なる原理
 10 彼が彼として生きる
 11 病的な想像力でない小説
 12 視覚化されない思考
 13 散文性の極致








漫画「孤独のグルメ」久住昌之、谷口ジロー5


孤独のグルメ
Amazonで購入
書評/グルメ・食生活



扶桑社より、特別企画”マンガを語る快楽”開催中”本が好き!PJ”を経由して献本、御礼!
オビには、”メシを食うことが、これほどのドラマを生む!”で、10万部突破!! なるほど、Wikipediaにもあった、『孤独のグルメ』、原作・久住昌之、作画・谷口ジローによるグルメ漫画

そう、腹が減ったから食らう”メシ”。
あらかじめ計画を立てた”グルメ(食通)”を堪能するのもいいけれど、もっともっと日常的で本能的な食欲(空腹)を満たす摂食行動、だからこそ滲み出る極上の深みと味わい、人間味。
だって、深夜のコンビニエンスストアで衝動的にあれもこれもと買い漁ってしまった惣菜やらが、ひとつの物語を醸しちゃう。言うなれば、格式と雰囲気を重んじる(?!)グルメと対極の、利便性が売りのコンビニエンスストア。明るく清潔で開放的な店構えで、誰もが気軽に入り易い敷居の低さが顧客の間口を拡げる営業手法には、希少性はないけれども、利便性という付加価値は相応の対価を支払うに値する。
そう考えるに、現代社会における、”腹が減ったから食うメシ”の物語に、違和感無く溶け込んでいることの違和感、コンビニエンスストア!?

ところで、自らの社会性の低さから”ひとりで生きる”を選択した僕は、
とにかく”ひとりでメシを食う”。
それは、僕に与えられた貴重な限られた自由時間、誰にも邪魔されたくない!?、ところが、哀しいことに財力に不安を抱える僕は、限られた予算と、得られる満足との、苦慮を強いられる。しかし”予算”など、あってないようなものなので、奮発するか否かは僕の腹積もりひとつだから、一方の”満足”に重点が置かれる。ガッツリ満腹中枢を満たすことに専念するのか、空腹を癒す程度に抑えて財力を温存するのか、両方を確保するためには行列に並ぶとか清潔感に乏しく落ち着かない環境を許容するのか、その都度、お腹と財布との真剣な相談。どちらかと言えば、一日三食をしっかり食べることを重要視している”食いしん坊”だから、どうでもいいようなことのようのようで、馬鹿みたいに「何を食べるか?!」を真剣に考えちゃう。あまりにも真剣に考えちゃうから、そうするとどうしても、他人に合わせることができなくなっちゃう、合わせることにストレスを感じちゃう。だったらやっぱり、ひとりで勝手気ままに、自分のペースで好き勝手がいい、となっちゃう。
特に僕にとっては、まずは食欲(空腹)が満たされること、そして何より、急かされることなくゆっくりと満ちて行く食欲を堪能できること、を強く求める。

考えてみたら、実は数年前まで、僕はひとりで食事ができなかった、というか、ファーストフードを含む一切の飲食店に、ひとりで入店することができなかった。そういう習慣がなかった、想い及ばなかった。
思い返すと、自らが考え判断を下すことをしてこないままに、何となくダラダラと生きてきて、自分自身が選択(決断)しない(できない)クセに、第三者に委ねていたクセに、なのに結果的に自らの身に降りかかった事柄に対して何かと不平不満ばかりを言っていた。

僕は、自らの行動を自ら決断し、自らの意志で行動し、だから当然に全ての責任を自ら負う、受け容れることを心掛けてから、いい意味で”幸福感”に満たされる機会を得た。
例え、たかだた本能的な食欲(空腹)を満たす”メシを食う”という行動であっても、自らが得る”幸福感”の追求をしてしまう僕には、他人に無理をしてまで合わせることによって感じるストレスを忌避し、付き合いを断ることによって生じてしまう疎外感を厭わない。











漫画「カラスヤサトシ」カラスヤサトシ5


カラスヤサトシ
Amazonで購入
書評/サブカルチャー



講談社より、”マンガを語る快楽”キャンペーン企画中の”本が好き!PJ”を経由して献本、御礼!

カラスヤサトシ”は、1973年大阪生まれ、西東京市在住、独身。
1995年、ギャグマンガ家としてデビュー。

担当編集者T田氏との巻末対談に垣間見る濃密(偏屈)な人間模様、というか、相当に痛いぞ、カラスヤサトシ、しかし他人事とは思えない!?
読者(顧客、一般消費者)に対して見せる顔とのギャップ。
読者は、あくまでも”お客さま”だから、一歩引いた客観的な態度を崩さない。ダメでドジでカッコ悪い”私”を演じる。そう、”演じる”であり、確かに色々と曝け出してもいるんだけれど、やっぱりどこかで、演じている。”演じる”ことは、”お客さま”に”ウケル”ために必要な行動で、ありのままの”素”だけの状態では、単行本を二冊も出すには至らない。プロフェッショナルとしてのプライド。
一方の編集者は、こちらも”お客さま”なんだけれど、ビジネスの真剣勝負を挑む対等(本人はそう思っていて、そう思いたいけれど)、若しくは目上(ホントは全然レベルが雲泥の差ほどに違う)の闘うべき対象。雑誌に掲載してもらって、単行本を出版してもらって、報酬を受け取る、絶大な存在(絶大すぎて腹が立つ)。どうしようもない、それが社会システムで、そういう仕組みになっているんだけれども、漫画家としての才能と何より高いプライドを有している”カラスヤサトシ”(そろそろ僕のひどい妄想)にとって、編集者は何ら作品を生み出さない、なのに偉そう(?!)に催促ばかりして指示を出す。「才能ある俺サマのおかげで・・・」と思うかどうか、僕は知らない。プロのプライド。

読者に対して客観的に冷静でいる分だけ、どうしても生じちゃう歪み。
涙を流したり、感情的に起伏の激しい、感受性の豊かな部分を有していて、だからこそ、素敵な共感を呼ぶ作品を生み出せるのであって、
距離が遠くてひとりひとりの顔が見えずに、ひとりひとりを見ることなく、全体として大きく捉える”読者”と、一方では一対一で顔を突き合わせて近しく親密な関係の”編集者”、どうしたっても見たくない部分だって見えちゃうし、近すぎるが故に時に過度の期待をしてしまったり、甘えて一線を越えてしまう無礼を働いてしまったり、
元来の性格に社会性が高いのであれば、漫画に世界に浸りきって閉じ籠もる(執筆)ことなどない、オープンな社会生活(職業)を選択するであろうから、
”カラスヤサトシ”の側から一方的に描かれる漫画の世界と、T田氏にも主張の機会が与えられた”対談”、それでもそこは”カラスヤサトシ”の世界であり、悔しいけれど、T田氏はしっかり担当編集者を演じている。











本「反★進化論講座 空飛ぶスパゲッティ・モンスターの福音書」ボビー・ヘンダーソン、片岡夏実 訳5


反★進化論講座 空飛ぶスパゲッティ・モンスターの福音書
Amazonで購入
書評/サブカルチャー



僕はやっぱり、どうしてもアメリカン・ジョークが好きになれない。
あくまでも好みの問題、これはこれで「悪くない」と言いながら、ほとんど内容は頭に残っていない、活字を高速回転で読み進み、ひたすらに興味が湧きそうなポイントを探しているうちに読み終えてしまって、それはそれでホッとした、さぁ〜次に行けるぞ!?
築地書館が、かつて”本が好き!PJ”経由の献本で自腹シリーズ、実は密かに”King of Book”(?!)を入手して、正月休みの愉しみを確保、ルンルン♪

きっと、『進化論』とかを、それなりにちゃんと理解していたり、宗教やら何やらの幅広く深い知識があったら、素晴らしく面白いんだろうなぁ、などと、ちょっとイジケちゃう。まぁ、イジケたところで、理解ができなかった”結果”に何ら相違はないから、早々に気持ちを切り替えて、リベンジを誓う!、と行きたいところだが、果たして再読すべきか?、と考えて、機会があれば読むかもしれない、まぁ〜きっともう読まないだろうね、チャンチャン。

そうそう、僕は物語好きが昂じて、フィクションの虚構の世界に浸っていたくて、日々の読書を習慣とするようになったんだけど、あんまりにも無教養で無知で、物語を愉しむのに必要とされる、基本的な情報が圧倒的に不足していることを痛切に感じた。これまでに、本に触れる習慣がなく、学習することを怠ってきたツケは小さくなかった。
そんなこともあって、ジャンルを問わずに読書を心掛けるようになり、気が付いた時には、既に本無しではいられない依存症に、、、おまけに、元来の生真面目な貧乏症から、手にした本を中途で放棄できない。ホントは、ん、これは違うかも!?、とか思ったらすぐに止めることができたら、どんなにか楽だろう?!、と思いつつ、もしかしたらこれから愉しいことがあるかもしれない!?、との期待を捨て切れずに、ズルズルズルズル、、、それ(貧乏症)が功を奏する場合も、たまぁ〜にはあるから、ますます踏ん切りがつかない。何より、最後までなぁ〜んにも無かったとしても、たかだか2〜3時間のロスでしかなくって、全く何にも得るモノがなかった、ってことは実は今までに一度もない、それもまたまた貧乏症が機能して、小さくても何かしらの得るモノを無理矢理にでも見出して、転んでも只では起きない!、そんなことに何の意味があるんだ、とか考えない訳じゃないけれども、とどのつまりが、時間を費やした僕自身が、その労力に見合った満足を得れば、それが無理矢理であろうが、こじつけであろうが、「それはそれでいいじゃん!」と僕は考える。
そんな訳で、「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教団」なる宗教団体が、米メディアの注目(?!)を浴びていて、何やら僕には理解も興味も何もないけど至極もっともらしい論説が、現実と虚構さえも跳び越えて展開されて、その言葉のリズムを愉しむ”文化”があること、それが著作として出版されて、さらに翻訳(原作を読みたいような読みたくないような!?)までされている訳だから、
僕は読みました。

”The Gospel of the Flying Spaghetti Monster”








本「農!黄金のスモールビジネス すごい経営余裕の黒字!」杉山経昌5


農!黄金のスモールビジネス すごい経営余裕の黒字!
Amazonで購入
書評/ライフスタイル



「僕は幸せだなぁ〜♪」
だって、何気なく手にする本が素晴らしい著作ばかりで、読み進めることが愉しくて愉しくて。
興味津々”築地書館”、かつて”本が好き!PJ”経由にて献本、自腹シリーズ!?
話題を集めた(らしい!?)、前作「農で起業する! −脱サラ農業のススメ(築地書館,2005.2)」(早速に手配した!)に次ぐ第二弾。かなりいい調子でブッ飛ばしている様子が随所に窺えるが、的を得た痛快さが、僕にとっては至極心地が好い。
ただ単に、「農業やろう!」成功哲学の手引き的ビジネス書として読むだけでは勿体ない。
著者”杉山経昌”が、農業に真剣に心血を注いだ紆余曲折、試行錯誤の連続の17年間の熱い熱い想いがぎゅ〜〜っと凝縮された本作は、”はじめに”に著者が書き記すとおり、まさに「これで1,600円は安い!」
宣伝文句(?!)の「悠々自適な週休4日、上司もいない田園生活!」は、17年の成果であろう。まさに夢のような生活は、決して最初から得られるものではなく、最低でも5年(もっと?!)の成果(収益、報酬)が得られない時期を経て(適正な対価を得られる農作物が一年目から充分な量の収穫ができるとは想像できない)、数々の失敗を経験して、夢破れるような辛く苦しく悔しい出来事の積み重ねの後に、自らが自らを信じて費やし続けた努力の結果として、夢のような生活を具体的に思い描いて考えて計算して考え抜いてデータを蓄積してさらに分析して実行して、相応以上の時間と労力を費やして、それでもまだ足りないぐらいの様々を経て、やっとやっとやっと、、、フ〜ッ!?
そう、農業17年間の綴られた想いは、物語であり、経済学、経営学、生物学、哲学、宗教、環境問題、多岐に亘る。ある意味では、そこまで広範な学術を網羅する労力を考えると、ノンビリ気ままなサラリーマンの方が気楽だ!?、という人生の選択も、否定をしない。
で、締め括りの”あとがき”は、”妻への手紙「小さな生活」”だもんね。
あぁ〜、堪らない♪

そう、”小さな生活”は、最近僕も身に沁みて考えていて、、、
それでも生活は、”豊かで実りある”でありたいと強く望む。そのためには、やっぱりそれなりの資力が必要で、一般的には自らの労働によって得られる対価(報酬)に大きく左右される。生きて食べていくだけで精一杯の報酬しか得られなければ、なかなか”豊かで実りある”とはいかない。だからといって、多額な報酬を手にしても、費やす時間が膨大で、自由な時間を確保できなければ、それもまた”豊かで実りある”とは程遠いと言わざるを得ない。自分自身の”人生で大切なこと”が何であるのか?!、あれもこれもと、抱えきれないほどに欲張っても、どうしたっても身に付かないで毀れ落ちてしまうから、”どうしても譲れないこと”に的を絞って、身の丈に合わせて、そう”スモールビジネス”。
生活の糧を得ることも、自分の時間の使い方も、自らが考え、判断して選択して、全ての責任を自らが負う。そんな当たり前のことだって、一億総サラリーマン時代(?!)にあっては、失われつつある感覚!?、そう言う僕だって、本来であればサラリーマン(上司の指揮命令監督下にある給与所得者)に甘んじることなく、自らと自らの大切な人たちのために心血を注いで、頭を働かせて知恵を絞って、自らが思い描く”豊かで実りある”生活を目指す心意気を失っちゃいけない!、とは時々しか考えなくなっている。あぁ、、、


≪目次:≫
 1 まずは価値観の転換からはじまる
  1 真の自由を手に入れる、創造的ビジネス
  2 小さな経営に宝あり!
  3 自分の価値は自分で決めてしまえ
  4 なぜ、「米」をつくってはいけないのか?
  5 JA(農協)とどう付き合うかですべてが決まる!
 2 スギヤマ式スモールビジネスのコツ
  1 「ムリ」「ムラ」「ムダ」をはぶく
  2 ”6倍の価格設定”が適正!
  3 サービス業のマインドは絶対必要
  4 顧客管理のコツは引き算!
  5 ”スギヤマ式”ぶどうのつくり方
  6 趣味の作物づくりで一石二鳥
 3 人生で大切なことは農で学んだ
  1 ”週休4日”で”上司もいない”田園生活
  2 太陽の恵みを回収しつくす
  3 本当の美味しさとはなんだろう?
  4 弱々しいものほど繁栄する


≪著者: 杉山経昌≫ 1938年東京都生まれ。千葉大学文理学部化学科卒業。通信機器メーカー、半導体メーカー勤務を経て宮崎県で農業を始める。果樹100アール、畑作30アールの専業農家。








本「動物たちの喜びの王国 −Pleasurable Kingdom」ジョナサン・バルコム、土屋晶子 訳5


動物たちの喜びの王国 −Pleasurable Kingdom
Amazonで購入
書評/サイエンス



インターシフトより、”本が好き!PJ”を経由して献本、御礼!!
動物行動学、さらに、快楽行動学、動物たちの”喜び(=幸福!?)”。
ところで、”動物”と一言では片付けられないほどに”多種多様(生物多様性)”であることを、僕はついつい見過ごしてしまうのだけれども、そして、”人間(ヒト)”が、生物学上のとして、”ホモ・サピエンス(Homo sapiens,知恵のある人)”という学名を得ていて、分類学的には、”動物界脊椎動物門哺乳綱霊長目(サル目)・真猿亜目・狭鼻下目・ヒト上科・ヒト科・ヒト属・ヒト種”に属する、生物の一種だったりする。何より往々にして”ヒト(人間)”は、地球上における特別な存在であり、他のどんな生物よりも優れている、と思い上がっている節があって、当然に僕もそう信じて疑わない部類に属する訳で、そんな思い上がりが強ければ、「生物界の頂点に君臨する人間以外の生物には、感情など有しない!」であり、ましてや、「高等(?!)な感情、特に”喜び(快楽)”なんて絶対的に有しない!」としちゃった方が、人間にとって有利に物事が展開することは、僕にだって想像が難くない。能力的な優位性を担保として、多くの生物たちを支配し、家畜化し、時に研究の名目において消費(?!)する。そのように人間に無感情のままに、まるで機械的(?!)に扱われちゃう生物たちにも、高等な感情(喜びや快感)が有する、と学術的に証明されちゃったら、、、 世論の後押しもあってか、世界各国では、動物の生きる権利(?!)、人間だったら基本的人権に相当する、最低限の権利(基本的欲求)を擁護する動き(法律の制定、厳罰化など)が活発化しているらしい。

ところで、僕は最近”デジタルオーディオプレーヤー”を手に入れて、快適な読書環境を得た。どうやら精神的に過敏なところを有する僕は、移動の電車の中で様々な(ノイズ,話し声など)に過剰に反応して集中力の継続を困難なものとする。それは、僕の””の機能的な性格というか、特性なのだと解釈しているので、上手く付き合っていくしかない。そんな僕にとっては、音楽を聴くことよりも、あくまでも読書環境を整えることが主目的であり、その主目的に対して想像していた以上の効果が得られ、なおかつ音楽を愉しむというという副次的な”喜び(幸福、快感)”を得ている。
そんな訳で、横着者の僕のiPodに入っている曲は、いまだに以前からお気に入りだったCDアルバム一枚分だけで、いつまでもいつまでも、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy,1937.7.6- )のピアノが奏でるショパン(Frédéric François Chopin,1810-1849)の調べのみが、グルグルグルグルグルグル廻っている。それでも聴く度に、何らかの新しい気付きがあったりして、他の音楽を取り込む手間が面倒ということが一番大きいけれど、それでも充分な満足(喜び)を得ている。戦争を彷彿させる勇壮なリズムに乗って、気が付くと僕だけの至福の世界に浸り、軽快なテンポで読書に勤しむ。だから、読書に多少理解不足の箇所が生じちゃうかもしれないけれど、それはそれで、ご愛嬌!?、100%の理解は有り得ない。

ところで、多くの生物たちが良好な社会性を保つ努力行動に勤しむ。タッチ(第7章)であり、セックス(第6章)であり、本能的な生殖行為としてのみならず、何と自己性愛や同性愛に励むことは、いまや生物学上においては日常的でノーマルな行動の範疇に入る、らしい。アシカなどは、メスと全く性交渉をもたないオスの方が圧倒的に多く、平均して一生に3〜4回しかメスと交わることがないらしく、当然に欲求不満は軽減されなければならないし、いざという時に上手くいくように予行演習(?!)だって必要とされるであろう、しそして何より喜び(愉しくて、気持ちいい)が伴うからこそ円滑になる仲間との関係、社会性。
セックスまでの親密度はなくとも、触れ合い、なでたりさすったり、タッチによって保たれる社会的関係。例えば、戯れじゃれ合う仔犬たちにもルールがあって、本気で争うことをしない。ところが、中には適応性に欠け、それは隔離されて育った環境などによる経験不足の場合があり、脳の機能障害の場合があり、時に本気の格闘が繰り広げられたりする。
時にドラッグアルコールを嗜み、酔っぱらってハイになってみたり、絵画音楽を愛で、魅惑的な”喜び(快楽)”を、適応的に反するにも拘らず強く求める。
それさえも感性や個性であり、驚くことには、昆虫ハエにだって、”喜びを感じる”行動が確認されている。


≪目次:≫
 第1部 なぜ「動物の喜び」なのか?
  第1章 もっとも幸せなものが生き残る
  第2章 禁じられた喜び
  第3章 動物の賢さ
 第2部 動物はどんなときに喜ぶのか? 
  第4章 遊び
  第5章 食べ物
  第6章 セックス
  第7章 タッチ
  第8章 愛
  第9章 もう一歩上の喜び
  第10章 ハエから魚まで
 第3部 動物の喜びから                
  第11章 よいことをすれば、気分もよい








本「先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます! −鳥取環境大学の森の人間動物行動学」小林朋道5


先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます! −鳥取環境大学の森の人間動物行動学
Amazonで購入
書評/サイエンス



そうか、”動物行動学”って言うのね!?
興味津々”築地書館”が、かつて”本が好き!PJ”を経由しての献本をいただいていて、気軽な気持ちで自腹で参画!
ホントに深く考えることをせず、読む本を選ばずに何となく読書しちゃって、しかも併読までしちゃうから、気が付いたら今読んでる最中の大作(400ページ弱の翻訳本)も動物の行動学の本で、軽い混同を感じながらも、「あぁ〜、易しく書いてくれて、ありがとう♪」
教授を務める”鳥取環境大学”の内外であり、林や山や湖、洞窟から自宅まで、身近なところで起きた事件(当然に、愛すべき野生生物たちが引き起こす!?)を具体的に検証して解説し、それが、堅苦しさや小難しさを全く感じさせない、愛と優しさに溢れるミステリ風(?!)の軽快な物語調。それでいて気が付けば、しっかり学術的な展開、豊かな自然と野生生物と人間と、環境問題まで交えて、人間動物行動学に親しむ。
脳の働き、癖、適応的、行動様式、知識様式、遺伝、、、まだまだ僕には理解が足りなくって、自らの言葉で上手く書き記すことができないんだけれども、野生生物の本能的な行動の理解は、僕の日常生活における行動規範の構成要素、判断基準として役に立つ。

それでもやっぱり、人間動物行動学の研究に勤しむ”人間”の行動が興味深い。ヘビを見掛ければ、すぐに捕獲を試み、時に指を飲み込まれるアクシデントに見舞われたって、脂汗を掻きながらの貴重な研究体験!?、研究室に飼育する野生生物たちのために、正月休みの最中にも世話やら何やらで、職場である大学の研究室に足が向く。自宅でも飛べないドバトを飼っていて、他に庭にはカメやらカナヘビ(トカゲの一種)が棲んでいて、奥さんも息子さんも動物好きで、、、


≪目次:≫
 「巨大コウモリが廊下を飛んでいます!」
   ―人の“脳のクセ”とコウモリ事件
 ヘビが逃げた!ハムスターも逃げた!
   ―人工空間の中の生態系のお話
 イモリを採取していてヤツメウナギを捕獲したTくん
   ―自然が発する信号に無意識に反応する脳
 大学林で母アナグマに襲われた?話
   ―神話と伝承をつくり出す“脳のクセ”
 無人島に一人ぼっちで暮らす野生の雌ジカ
   ―私はツコとよび、Kくんはメリーとよんだ
 ヒミズを食べたヘビが、体に穴をあけて死んでいたのはなぜか
   ―因果関係を把握したいという欲求
 化石に棲むアリ
   ―机の上の生態系小宇宙にひかれるわけ
 動物を“仲間”と感じる瞬間
   ―擬人化という認知様式
 カキの種をまくタヌキの話
   ―植物を遺伝的劣化から救う動物たち
 飛べないハト、ホバのこと
   ―ドバトの流儀で人と心通わすハト
 鳥取環境大学ヤギ部物語

〈著者:小林朋道〉1958年岡山県生まれ。岡山大学理学部生物学科卒業。京都大学で理学博士取得。鳥取環境大学教授。専門は動物行動学、人間比較行動学。








本「「新しい貯金」で幸せになる方法 −あなたの生活を豊かにする「NPOバンク」「匿名組合」のススメ」樫田秀樹5


「新しい貯金」で幸せになる方法
Amazonで購入
書評/経済・金融



”幸せ”と”お金”の関係のひとつの考え方。
実は最近、個人的に密かに気になっている出版社”築地書館”が、かつて”本が好き!PJ”を経由した献本をいただいていた書籍を中心に制覇を目論む。
ところが、いきなりつまづいた!?、後に読了した三作品に遅れること、やっと書き記す、ホッ。

日々読書に依存している僕は、読了した順に何らかの書き記し(敢えて書評とは言わない!?)をすることを旨としている。読むに至る経緯であり、思い浮かんだ事柄や記憶、考えたこと、時に一見何ら関連性を有しないような日常生活における出来事だって、本を読んで書き記す作業の過程において自らの精神的均衡の必要性に応じて吐き出しちゃうことも少なくない。
僕は精神的に弱くて流され易いから、プラス思考に前向き前向き、表面的には(心で泣いても!?)笑顔を絶やさず!、否定的な後ろ向きな言動を忌避する。

そう、
何も考えることなく当然のように郵便局やら銀行に預けているお金が、知らないところでぐるぐると巡り巡って、結果的に戦争やら環境破壊などの”不幸”な目的に使われてちゃっているから、諸外国では盛んな活動を展開している「NPOバンク」や「匿名組合」など、利益優先の金融機関が融資をしない「環境」や「福祉」などの明確な資金使途目的を持った出資(投資)による、責任のあるお金の預け方(使い方)を心掛けて、ささやかな幸せを手にしましょう!、と説く。

「素晴らしい!」と言うべきなんだろうと思う。ひとつの考え方だから、「そうなんだ!、へぇ〜」でいいんだろう、、、
世の中のお金の流れに偏りがあって不平等なのは、いつの時代も世の常で、決して許されるべきではない、とは思いつつも「仕方がないよね〜」に落ち着いちゃう、グダグダ。
戦争や環境破壊にお金が流れている実態だって、最初からそのような”不幸”(そう書かれてます!?)な使われ方を目的としている訳じゃなくて、複雑な国際情勢における国家間の取り引きの中に、どうしても結果的に戦争に使われちゃうことを避けられない状況や事情がある、であり、国内外の多岐に長期に亘り巨額を投じる大規模事業には、結果的に有益な効果を上げることができずに無駄に終わり、時に社会や環境に悪影響を残し大失敗とされる事業が発生することを避けられない、のであって、100%完璧!、ってことなど有り得ないから、やっぱり確率の問題で、結果的な不幸や無責任も止むを得ずかと。
糾弾していただくことは、大いに必要と思うから敢えて否定をしない。
利益を優先すべき金融機関が、個人事業や起業に融資しないことだって、「えっ、当てにしてたの??!」。こと大手金融機関に限れば、手を出しちゃいけない分野。何でもかんでも対応できちゃうのは、小回りが利く中小企業の得意分野、棲み分けだって必要。

そんなこんなで、厳しく世知辛い世間の荒波に揉まれちゃって凹んでる僕は、なかなかに信用をすることができない。ましてや、起業しても成功する確率は決して高くない。
確かに、「環境」や「福祉」などに出資する意義はあろう。
色々な考え方があっていい。








本「中国の環境問題 −今なにが起きているのか (DOJIN選書012)」井村秀文5


中国の環境問題 −今なにが起きているのか (DOJIN選書012)
Amazonで購入
書評/ルポルタージュ



例えば、「遠くない将来に中国と日本が戦争する!?」なんて情報は、全く可能性のない話しではないみたい。
詳しくは、草思社中国・ロシア同盟がアメリカを滅ぼす日 一極主義 vs 多極主義、北野幸伯:著』を読まれたい。現在の世界情勢を一極で掌る覇権国家”アメリカ”のすでにボロボロの実情を踏まえ、虎視耽々とその座を狙う中国であり、ロシア。過去の世界情勢の歴史的に紐解くと、国家のライフサイクルには法則性を見出すことができて、一度覇権国家として栄華を誇り、やがてその座を陥落させられ衰退を経験した国家は、もう二度と覇権国家に成り得ない。かつて、栄華を誇り世界中に名を轟かせた、スペインイギリス、そして冷戦時代に二極の一端を担ったロシア(ソ連)。いまだに、かつての栄光を随所に垣間見ることはできても、既に一国で覇権国家として機能するほどの国力(経済力、軍事力)を有しない。だから、EU(欧州連合)だって結託した。日本だって、実態はアメリカの属国(?!)でしかなくって、仮に経済力に秀でていたとしても、軍事力を有しないし、あまりにも平和ボケしちゃっているから、強烈な個性を有して駆け引きに長けた強者揃いの世界各国を率いて覇権国家として機能することなど、想像し得ない。何だかんだ言われながらも、覇権国家として君臨し続けるアメリカは、そういう意味では、やっぱりスゴイ国家で、その善悪を問わずに言うなれば、あれくらい横暴(?!)でなければ、覇権国家たり得ない!?

と、そこで”中国”の登場!、三千年以上の歴史を誇り、幾つもの王朝の興亡を経たものの、実はいまだ覇権国家になってない。そして何より、国連常任理事国の座にある大国ながら、発展途上国に位置付けられ、今現在なお成長期にあり、経済力と軍事力の増大発展、大いなる可能性を秘めた注目すべき国家の筆頭。2008年の北京オリンピックで、ますます勢いに乗りたい!

成長期の過程においては、ある程度の混乱は当たり前で、既に成長期をとっくに過ぎて成熟期から衰退期へと向かう日本が1950年代〜70年代にかつてそうであったように、もみくちゃのぐちゃぐちゃの、ただただ勢いだけで突っ走っている状態の恐ろしいほどのパワー。何よりも優先されちゃう(結果的に)勢いに、既に誰しも追い付くことができない、もうどうにも止まらない!?、冷静に判断分析している傍から、既に刻々と急速な変化を遂げ、混乱の中にいる当事者たちの想像すら及ばない混沌。仮に日本のかつての経験を参考にしたところで、当然に共通点は沢山あるけれど、それぞれに培われた歴史や文化や風土、環境などに相違点は少なくない。

環境問題を大きく前面に打ち出しているものの、複眼的な視野から立体的、俯瞰的に描くことによって、浮かび上がる背景事情との関連性が、僕の興味に充分に応えてくれた。
素晴らしき、化学同人DOJIN選書”シリーズ第12弾は、”本が好き!PJ”を経由した献本を逃し自腹で参画!


≪目次:≫
 第1章 国境なき環境問題
 第2章 中国の環境問題をどう理解するか
 第3章 拡大する資源消費、めざす循環経済
 第4章 国家の命運を握る水問題
 第5章 広範な影響を及ぼす大気汚染
 第6章 中国を支える農業と自然
 第7章 実行力をともなうか?―環境管理システム
 終章 中国の風景―あとがきにかえて

≪著者: 井村秀文≫ 1947年石川県生まれ。東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。名古屋大学大学院環境学研究科教授。工学博士。専門は環境システム工学、中国の環境問題など。








漫画「闇金ウシジマくん 1」真鍋昌平5


闇金ウシジマくん 1
Amazonで購入
書評/経済・金融



小学館より、特別企画”マンガを語る快楽”を開催中の”本が好き!PJ”を経由して献本、御礼!

日々活字ばかりの”本”を読み耽る僕が、”マンガ(漫画)”の献本を受けよう!、と思ったのは、殆ど勢い!?、迷ったらとりあえずGo!、やってみましょ、ダメで元々何事も挑戦!?
気が付いたら僕は、漫画は勿論、雑誌も新聞もテレビも見ない生活が既に11ヶ月。ニュースなどの日常会話についていけない時が無い訳じゃないけれど、取り立てて困った状況に陥ることなく日々の社会生活は淡々と過ぎて行く。

という訳(?!)で、Wikipediaにもあります、『闇金ウシジマくん』、ビッグコミックスピリッツに2004年から連載、真鍋昌平による人気の漫画作品。

闇金融「カウカウファイナンス」の社長、23歳の丑嶋を主人公に描かれる、人間の欲望、人間社会の闇!?
既に、”闇金融”という商売の善悪を問うまでもなく、それを必要とする人びとがいて、必要に求められて商売が成り立っている。違法な高金利であろうが、冷静な判断を欠くまでに追い詰めらて、闇の世界に手を染める人びと。しかしそれは、決して誰かに意図的に追い詰められた訳でもなく、自らの心の闇の部分に、まるで自らが進んで引きずり込まれるかの如く、ずぶずぶずぶずぶと沈み行く。
瞬時に豹変するリアルな絵が、表情が、人間の欲望の悲哀を色濃く醸す、笑えない。
一方では、非道な丑嶋だって、金主から年利15%で調達している資金の返済を迫られる。貸し倒れのリスクがあったって、顧客に貸し付けて利益を得なければ、事務所を構えることも、従業員を雇うことだってままならない、必死。資金を手元に遊ばせておいても、金主への利息の支払いは期日通りに必ずやって来るから、何とか頭を捻って、知恵を絞って新規顧客の獲得に励む。決して心休まることがない日々。
ウサギと戯れ相好を崩す。













本「小説 夕凪の街 桜の国」こうの史代、国井桂 著5

小説 夕凪の街 桜の国

小説 夕凪の街 桜の国
原作: こうの 史代
脚本: 国井 桂、佐々部 清
著者: 国井 桂
単行本: 175ページ
出版社: 双葉社 (2007/07)




あぁ〜、映画見て大泣きしておけばよかったかなぁ、やっぱりちゃんとグズグズになるまで泣いておかないと、しっかり吐き出しておかないとダメみたい。仕事の休みの都合や、何やらかにやらで一ヶ月以上も映画見てない、危ない危ない禁断症状。ホントは原作を読みたかったのだけれども、ハハハハハ!?、映画の脚本バージョン小説版。

電車の中では何とか堪えたけれども、深夜の静まりかえった住宅街を、小さく嗚咽をあげながら家路を急ぐ。まぁまぁ、他にも色々あってね、本はそのキッカケでしかなかったのだけれども、充分にキッカケに成り得る”本”。科学の分野の本では、どんなに泣きたくても決して涙することなど有り得ない。

しかし、映画の脚本家は巧い!、計算高い!?
僕は、この本を手にした段階で既に、実はとっても泣きたかった、泣かなければならない時期(タイミング)だったんだと、そう思わせるほどに徹底的に泣かされる仕掛けが、随所に鏤められる。
映画の観客のツボを心得たプロの脚本家が、その威信を懸けて巨額の資本と莫大な時間と労力を費やして仕上げる”映画”、その脚本は、計算ずくであることを充分に承知しながら、そんなことを頭の片隅に置きながら(イヤラシイ奴め!?)、それでもそれでも、えぇ〜い、辛抱堪らん、えぇ〜ん、えぇ〜ん、うっ、うっ。。。


う〜ん、、、広島と長崎に原爆を落とされて、昭和20年に戦争に負けた日本は、それ以来、長く戦争をしていない(様々な策略はここでは語らないが)、とっても平和な国”日本”。戦争によって破壊し尽くされた街は急速な復興を遂げ、今や世界に名立たる経済国家となった。
あまりにも平和すぎて、日常生活において戦争を意識する機会など皆無に等しい。平和を当然のものとして日々の生活を送る。
その平和な状態自体は、とっても素晴しいことに相違は無い。
「戦争を忘れるな!」なんて陳腐で軽薄なことは言えない、僕は戦争を知らない。










夕凪の街桜の国
Amazonで購入
書評/歴史・時代(F)

本「子どもにいちばん教えたいこと −将来を大きく変える理想の教育」レイフ・エスキス、菅靖彦 訳5


子どもにいちばん教えたいこと
Amazonで購入
書評/教育・学習



草思社より、”本が好き!PJ”を経由して献本、御礼!
日々読書による内省を続ける僕にとっては、ヒット作(心にガツンとヒット!?)が続く嬉しい悲鳴♪、ひぇえ〜っ?!
にしても、原題の”Teach Like Your Hair's On Fire (髪の毛が燃えるほど熱中して教えよう)”ってさ、”訳者あとがき”にもあるけど、日米の文化の違いというのか、”割愛した部分がある”って断りを入れてるくらいだから、原題のままで原文のままだったら間違いなく、僕は手にしてなかった。僕は人間的に小さく、打たれ弱いから、どぎついアメリカンジョークだったら勘弁願いたい。だから、日本風に優しくソフトにアレンジされた翻訳作品を手にできた幸せを、僕はじんわりと噛み締める。あくまでも僕の勝手な想像でしかないのだけれど。
副題の”将来を大きく変える理想の教育”であり、主題”子どもにいちばん教えたいこと”、僕にとっての幸せは”穏やか”である状態、特別なことなど何もない、普通に静かに安らぐ心持ち。僕が一番に求めるもの。

僕は自分の人生を、37年(間もなく38歳になる)生きてきて、恥ずかしながら今が一番”学習”(この言葉が最も適切だと思う!?)している。とにかく、時間を惜しんで読書に勤しみ、次から次へと際限なく押し寄せる知識の習得が愉しくて仕方がない。最近では、ちょっぴり難しい”科学”の本なんかも好んで読むようになり、どちらかと言えば非日常的な分野の知識など、日常生活において直接的に有効なことは何もないようでいて、実は意外や意外、物事の成り立ちや普遍的な原理原則を理解することによって、大局的な考察による客観的な判断力の育成に、驚くほどの効果を発揮する。自分で言ってちゃ世話ないけれども(笑)。
しかし残念なことに、僕はこれまでのレベルが低すぎて、本来であれば、たとえば本書においては小学校の五年生レベル(我が娘の世代)でも習得できちゃう学習や能力(六つの倫理レベル)を、37歳にして今さらながらに行っている。そんな僕は不幸なのか?
まぁ確かに、習得すべきことを長年に亘って避けてきたが故に、結果的に積もり積もって支払わされた代償が小さくなかったから、結果として37歳になった今現在に習得している訳だから、中途半端に無為に過ごしてしまった、取り返しのつかない20年前後の歳月をもって”不幸”と看做すか、はたまた、何も知らずに辛いことを経験することなく過ごしてこれちゃった今までを”幸せ”と捉えるのか、いずれにしても今現在が、僕の人生における通過点のひとつでしかなく、今現在の状態が過去の出来事の積み重ねの”結果”でしかなくって、その”結果”は絶対的な”結果”として変えようがないものであって、それでも通過点における”結果”は”結果”としては絶対的な存在なのだけれども、その”結果は永遠に絶対的なものなどではなく、あくまでも通過点における”結果”でしかない。
それ故に僕は今一度、今現在における僕自身の”結果”を、真っ正面から真摯に受け止めて、受け止めて受け容れた上で、はたまた僕はどうあるべきか、どうしたいかをとことんまで内省し、一方では闇雲に抗うことなく自然の流れに身を委ねて、それでも自らの力で、頭で手で足で切り拓いていけばいい!?

僕は元来、無責任なほどの”放言癖”を有していて、周囲の迷惑や、後先のことを深く顧みることなく、言いたい放題やりたい放題、好き勝手に生きてきた。そんな勝手などいつまでも通用する筈もなく、当然に訪れる破綻、自業自得。でも、笑っちゃうけど、何処かホッとしている部分を否定できない、悲哀。
それはある意味では、知らなかったから、何でも言えた、好き勝手なことができた。自らの身の程を知らず、まるで自らが超人の如く全て正しくて絶対に過ちを犯さない、スーパーマン。僕が世間の常識、スタンダード、チャンチャラ可笑しい。
笑っちゃうけど、現実を直視せず一切受け入れることなく、現実から逃避することによって、結構平気で成し得る言動。知らないってことは、ある意味では”幸せ”なこと、表裏一体の”怖さ”を併せ持つけれども。
実は、”怖さ”はまた、”知る”ことによっても強く感じる、それは全く異質な”恐怖”。知らなければ、無責任な言動にも、何も感じることがなかった。何かを考え、判断する術(能力)を有しなかった。知っちゃうと、尋常ではいられなくなる、身が竦む、何もできなくなる、僕のたったひとつの言動が引き起こす周囲への影響の数々を想像するに。
一方では、そんな内省の段階を自らの力で乗り超え、新たな道を切り拓いてしまったら、あとは自らの内に蓄積された経験から導かれる豊かな想像力(思い遣り)と、揺るぎない行動規範の確立は、敢えて語るまでもない。
勝手な想像に、そんな今現在の過渡期を苦しみながら、どこか愉しんでる僕がいる。だって、地道に時間を費やして一歩一歩確実に足を踏み出していけば、方向さえ大きく間違っていなければ、仮にちょっとくらい誤った道を進んだとしても、いずれ僕のオリジナルの道が拓けるって、そう考えると、今がちょっとくらい辛くて苦しくて哀しくたって、不思議とウキウキしてきちゃう、って考えるようにしている、あぁやっぱりちょっと無理があるかなぁ、そんなことはない、愉しいよ〜♪、うん、愉しい!

そんなこんなで、本来すべき時を大きく逃し、今現在がまさに学習の最中である僕(全て自己責任、、、)は、”教育”に対して”いい印象”がない。特に”教師”に対する反感は小さくない。
ぶっちゃけて言っちゃえば(無礼を承知で)、「教育者(教師)なんて、エゴの塊りだ!」とさえ思っている。だって、他者を教育するってことは、自らが他者を教育するに値する確立された存在である、という前提があって、他者を教えて育てる、コントロール(支配)する立場だから、、、と考える僕は、教師には絶対になれない。小さい人間。
そんなくだらない羨望が大いに籠められた戯言などをものともせず、自らの信じる道をひたすらに、心血を注いで私財を投げ打ち、自らの可能な限りの時間を全て費やして、教育に勤しむ姿、その理念。
エゴがなければ、これほどまでに、栄誉ある賞を讃えられるまで成し得ない。強烈なエゴがあったからこそ、そこまでできた。
素直に、素晴らしい!
まさに、”Teach Like Your Hair's On Fire”、悪くない。








本「月へのぼったケンタロウくん」柳美里5


月へのぼったケンタロウくん
著者: 柳美里
単行本: 159ページ
出版社: ポプラ社 (2007/04)




僕が本を読む時に心掛けることは、頭を空っぽにすること。
でき得る限り、先入観や固定概念を排除する努力をする。と既に”排除する”と言葉にしている時点で、先入観や固定概念の存在が自らの中に在ることが明確な訳で、宣言さえも必要とする、虚弱体質。
当然にその作業は、読む本を手にする前の段階から始まっているのであって、何らかの自然な流れに導かれるまま、ジャンルを問わずに本を手にする。

と、僕は児童書を手にしている”おとな”を正当化する”言い訳”を展開する。あぁまったく、既に先入観バリバリ!?、素直に「柳美里が読みたかった!」でいいじゃないか!?、「あの柳美里が、どんな児童書を書き記すのか興味があった」んでしょ?!、「ハイ、そうです。。。」


堪らない、、、
濃密な”死”の世界を描く物語は、不思議な共感を覚える。思い起こされる自らの子供の頃の記憶、”死”に対する得体の知れぬ”怖れ”。

僕は、幸か不幸か現時点においては、ごく身近な大切な人を亡くしていない、経験が記憶がない。とはいえ、それなりの年齢を生きてきて、それなりの社会生活を送っているので、身近な仲間にまで対象を広げると、日常的という言葉は決して適当ではないと思いつつも、少なからず思い当たる。親であり、親友であり、、、、大切な人を失い悲嘆に暮れる仲間の姿に、僕は掛ける言葉を失う。その心中を察するに、落ち込んでいるからと言って簡単に励ますのもどうかと思うし、無理に元気を装う姿には痛々しさを感じてしまう、何をどうしたって当事者だって、どうしていいやら心中穏やかならざる状態で混乱をしているであろうし、その混乱を拭い去る術を僕は持たない、無責任な言動は失礼に当たると慎重にならざるを得ない、無力感。

”死”を迎えることによって、この世の中における”存在”は失われる。
それまで在った、人間の肉体という”存在”の”不存在”。日常の中に少なからず”存在”していた、空間であり、痕跡、記憶。無意識な程に日常的な”存在”は、無意識であったが故に、敢えて意識をせずとも、ふと思い起こされる、記憶、痕跡、空間、匂い、、、 ”死”が絶対的に”存在”を有しない訳だから、新たな上書き(更新)がされることは無いけれども、どうしたって歳月を経ることによって薄れていっちゃうことを否定できないけれども、だからこそ、だからこそ、だからこそ、募る想いがあろう。募る想いを大切にしたい、大切にして欲しい。
”死”について、真剣に考えれば考えるほどに、”生きる”ことが絶対的に浮き立つ。
”生きる”ことを全うすることなく、”死”してなるものか!!


一方では、どんなに抗ってみたところで、無情とも思える”死”の絶対的な存在。







本「その痛みは「うつ病」かもしれません −ストレス神話をくつがえす新しい考え方」大塚 明彦5


その痛みは「うつ病」かもしれません
Amazonで購入
書評/健康・医学



草思社より、”本が好き!PJ”を経由して献本!、感謝!!
「すっげぇ〜、救われた!」とだけ先に書き記す。

何を隠そう「うつ病」のキーワードに迷わず手を挙げた僕は、躁状態の時と鬱状態の時の感情の起伏が激しいという、”軽度の躁鬱病”の自覚があり、最近では自ら口外しちゃっている。実は時折、感情コントロール不能状態に陥る危険人物!?
今日も真面目な会議で真面目な提言をした僕に対して「提言を支持し応援しますけれども、ひとつだけ気を付けて欲しいこと、、、感情的にならないように!、宜しくお願いします。」などと、僕より年若いメンバーに真顔で言われてしまっては、流石に神妙な面持ちで「ハイ!」と答えざるを得ないでしょ?!、「なに〜!?、うるせ〜な、コノヤロー!!」と目を三角にして睨みつけて、、、とはならないのが平常時。自分でも少しは分かっている。危ない危ない。

ところで、3〜4年前に既に僕は最も近しい人物から「精神科に行った方がいい」と進言されていた。とても残念(?!)なことに、その頃の僕は「認知障害」状態にあって、それはこの著作を読了した今だからこそ、その当時の記憶として振り返っているのであって、その当時は真剣に「何だとコノヤロー!!」としか考えられなかった。だから、もしかしたら当時の僕の場合の「認知障害」は、「能力不足」という表現に置き換えられるのかもしれない?!
そんな訳で、素直に認知できなかった僕は確かその後に、いつだったか新聞の折り込みチラシに見掛けた「うつ病新薬の治験参加者募集」の文字の自己診断HPにこっそりアクセスした。幸か不幸か参加要件には”二週間以上の鬱状態の継続”という項目があり、瞬間湯沸し器的衝動型(?!)で躁鬱状態共に継続性に乏しい僕は、応募資格がないことが判明して、それは即ち、もしも僕が精神科を訪れたとして、仮に軽い精神安定剤などの処方をしてもらえたとしても、具体的な治療が施されることがないであろう、という想定が成立してしまった。という訳で、残念ながら(?!)僕は今日に至るまで、精神科を訪れるに至っていない。それが問題だったのかもしれない、精神科医の門を叩いて適格な治療を受けていたら、もしかして、、、


本書は、千葉県で精神科”大塚クリニック”を開業して25年、精神科医歴40年と経験豊富な著者”大塚 明彦”が解く「治るうつ病」。
そう、「うつ病」は、”心”の病気などではなく、”脳”の病気、機能障害である、という自論を展開する。現実的に治療効果をあげている訳で、非常に明快な解説がなされる、なるほど納得。
多少批判的とも取れなくはないが、多くの精神科医であり心療内科医が、医学という壮大な神話の上に胡坐をかき、充分な社会経験や治療能力を有しないままに行われる、不明瞭な治療がより深刻な病状を引き起こしている現状に警鐘を鳴らす。

僕にとっては正直なところ「うつ病」が、”心”の病気じゃない、って言ってくれたことに、実は大きな安堵感を得た。だってさ、”心の病気”なんて言われちゃったらさ、僕という人間における最も重要と考えられるハート(心)の部分、いわゆる人間性が病んでいて、人間としての人間性の不完全さが明確に証明されちゃうような、そんなどうしようもなく塞ぎ込んだ哀しい気分になっちゃう。
ところが、”脳”の機能障害であって、しかも適切な薬による治療によって治る、って言われたら、僕自身の人間の人間としての人間性の欠陥は、一時的なものであって、しかも誰にでも通常に成り得るもので、然るべき処置によって治るもの、な〜んだ、普通のことじゃん♪、って、あまりにも短絡的過ぎるかしら?!



≪目次:≫
 第1章 患者さんの症例から見えること
 第2章 医師が患者を見捨てるわけ
 第3章 精神科医が語る壮大な神話
 第4章 うつ病の新しい考え方
 第5章 「うつ病」は治る








本「カイマナヒラの家 −Hawaiian Sketches」池澤夏樹、写真:芝田満之5


カイマナヒラの家 −Hawaiian Sketches
著者: 池澤夏樹
写真: 芝田満之
単行本: 213ページ
出版社: ホーム社 (2001/03)




そういえば、しばらく写真(コンデジ)を撮ってない、、、
昨年の今頃は確か、新しいカメラを手に街に溢れるきらびやかなイルミネーションを夜な夜な追い求めていた。眩い光に彩られた繁華街に溢れる人波、喧騒に安堵した。
何より僕は、ひとりにならなくちゃいけない現実から、深く自分自身を内省し考えるという行為から、ただただ逃避したかった。自らとも誰とも向き合うのが怖かった?、現実を受け容れたくなかった?、だからか、その当時暮らしていた”家”には、とにかく帰りたくなかった、帰るのが嫌だった。
ふと思い起こされる記憶。


僕は、池澤夏樹の計算の感じられない作品を好む。
まぁ、実際には全く計算がなされない作品なんて存在し得ないだろうから、作品としての構成という意味での計算は当然のものとしても、不器用なまでに無骨な、時に感じさせる取っ付き難さや生真面目さまで含めて心地好さを感じる。

そう、池澤夏樹は、”Hawaii”を”ハワイイ”と表記する、確かに”i”はふたつ。
一見どうでもいい(?!)ようなこと、と思うかもしれないけれど、このこだわりが僕には堪らない。強い思い入れであり、何気なく見逃してしまうよう日常的な事柄の仔細にまで、鋭く見詰める眼光がある。
だから、写真家”芝田 満之”の数々のハワイイの写真が、物語に彩りを添える。
例えば、ひとつ空を撮っても、青、オレンジ、赤、紫、蒼、、、、刻々とその表情を変え、同じものはふたつとない。雄大な自然の恵み。

豊かな自然に抱かれたハワイイの文化を遺す、広くて立派で、細かいところまで美しい”家”に、不思議な”縁”から吸い寄せられるように集う人びと。それぞれの様々な事情がある中で、偶然にも同じ屋根の下に集う仲間は、人を呼び寄せる、豊かな”家”だからこそ。
元々が一時的な事情で偶発的に”家”に寄り集まっただけの仲間たちだから、流れゆく年月に、少しずつ、しかし確実に、その関係に生じる変化。変わらないものなど何もない。失われる生命、消える存在、生まれ出る生命。

実は最後には、仲間が寄り集まった”家”を失う(他人の手に渡る)ことになるんだけれど、その”家”をベースにして築かれた人間関係だけは、絆として残る。新たな関係が生じ、展開が繰り広げられ、”かたち”のある”家”において築かれた、”かたち”のない”人間関係”はいつまでも”かたち”を変えながら残り続ける。
でもだからこそ、”家”、ハワイの文化、伝統、”カイマナヒラの家”の”家”に集う”人びと”の物語。








本「フランス父親事情」浅野素女5


フランス父親事情
Amazonで購入
書評/社会・政治



「僕ってなんだ?」と自らに問い続けながら、鬱々と今日も読みました。
最近気になってる”築地書館”、相当に個性的なクセ者(著作)揃いで、日頃から大量の文字が並ぶ本に親しみが無いと拒絶反応を示すことになっちゃうだろうから、決して闇雲にオススメはできないんだけれども、自らの無知を自認しちゃって知識や情報を欲しちゃっている僕にとって、身震いを感じちゃうほどの”お宝の山”、大判小判がザクザクザックザク♪、プンプン臭う(匂う?!)!
実はかつて”本が好き!PJ”を経由しての献本を受け付けていたのを見掛けて気になっていて、しばらく経ったつい先日、そういえば、、、と振り返った時に、ふとキーワードとしての”フランス”に少々、何よりも”父親”に大きく反応してしまった。僕は父親失格の烙印を、結果として自らが押してしまった男だから、父親を語る資格なんか全くないんだけれども、だからこそ、やっぱり気になるじゃない?!、父親が父親事情が、果たしてどう語られるか?! 築地書館さんが書籍化を決めたツボに触れたい、愉しみたい!?
などとは言っても僕の場合、完全に”本”に依存して生きているから、何よりも怖れて忌避するのが、手元に読む本がないドラッグ切れ状態、キャーッ。だから、ほとんど手当たり次第に何となく深く考えることなく、200ページ前後の本であればほぼ何も考えずに、300ページを超える本だと流石に一日二日で読み切れない可能性が高いから、ちょっとだけ読むに値するかを考えるんだけど、あくまでも自然な流れに身を委ねて、あるがまま思うがままに本の世界を漂う至福。


そう、著者”浅野素女”(1960年生まれ、二児の母、フランス在住20余年)がフランスの父親事情を語るとき、旧くローマ時代まで遡る。「私が親だ!」と宣言した者が”親”として認められ、血の繋がりを求めることをしなかった。そこには、自ら産む母親と違って、
”父親になるかどうか意志の問題であり、選択の問題”(P.181)
という概念が根底に流れる。
その上で、今現在では高い出生率(2.0人)を誇るフランスが、かつて辿った歴史であり、時代や文化の変遷を解明して多角的に展開される”父親論”。
ところが一方では、いまや二組に一組は離婚するのが大都市パリでの現状で、ますます増えてゆく複合家族、養子縁組、同性愛など、一筋縄ではいかない由々しき問題にも、真正面から取り組む。

最初に、女性が書き記す”父親論”だって、僕は確かに認識していました。フランスの法的に解放され優遇されている育児環境、労働事情などが、実際のフランスで生活する父親たちの生の声としてインタビューを交えて書き記されて、なるほどなるほどと頷きました。当然に現状が示され歴史的客観的な解説をした後には、自論の展開があります。語りたいから本を書き記す訳であり、語るがための根拠です。
父親である男性が、仮に父親を語ると、確かになかなかに書き記し辛い部分が想像できる。一般的に父親には成り得ない女性が書き記すから、ここまでの論説が展開されるのであり、男性には成し得ないのかもしれない。当然のことながら、僕自身はこの本を何かの縁があって、とりあえず読んでおこう、と、気軽に手にした一読者でしかなく、専門的な知識や見解を有している訳でもなく、何よりも本として書き記されている内容は、著者”浅野素女”の、「私はこう考えた!」であり、その考えに至る論拠が綴られているに過ぎない。
なるほど、そういう考え方もあるのね。フムフム。
異文化に触れて、やっぱり「僕ってなんだ?」に立ち返る。


≪目次:≫
 1章 パパになった
 2章 父性をめぐる現代史
 3章 あんなパパ、こんなパパ
 4章 神と精神分析
 5章 父性をめぐる西欧史
 6章 男ってなんだ?
 7章 「父親学」の現在








本「迷宮の将軍  El general en su laberinto 1989」ガブリエル・ガルシア=マルケス、木村栄一 訳5


迷宮の将軍  El general en su laberinto 1989
著者: ガルシア・ガブリエル=マルケス
訳者: 木村榮一
単行本: 363ページ
出版社: 新潮社 (2007/10)




僕は何故に生きているのか?!
何故に生きていかなくっちゃいけないの?、僕なんか居なくったって何も変わらないし、居なくて困っちゃうことなど何もない。辛くて苦しく哀しいことばっかりで、何をどうしていいのやら、、、込み上げる想いに涙が溢れそうになっても、泣くことだってエネルギーが必要とされるんだね、重く垂れ籠める無力感。いっそのこと、涙が枯れるまで泣き尽くしたら、泣き尽くすことができるのならば、心の痛みが少しは軽くなれるのかもしれないね、などと考えながらも、それには僕は少し年を取り過ぎていて、余計な経験をしちゃったみたい、なのかもしれない?!、、、2007年12月12日14時58分。
時間は、書き記されちゃうとただの文字列による記号でしかなくって、刻々と経過する時の流れの中においては””でしかない。なるほど、点とは”空間における正確な位置のみを定義する概念”(Wikipediaより)とある。特別な意味を成さない。
正直、な〜んにもしたくない、何も考えたくない、ず〜っとひとりで殻に閉じ籠っていじけていたい、云々、、何だかんだと言いながらも、生きていくことを自ら選択しちゃう僕にはこれしかないから書き記す。書き記したいから、本を読む、読むしかないんだよ、自分との約束。小さな約束ほど、ちゃんと守っていきたいんだ、誰も気に掛けていなくても、みんなが忘れ去ろうとも、それは僕自身との約束、できない約束をしないことも僕にとっては大切にしたい約束。そんなことを考えながら、ひたすらに流れに身を委ねて、今日もいつもと何も変わることなく、思うがままに本の世界に漂う。


僕は、古くから仕えている”召使”のホセ・パラシオスかなぁ。絶対的に”将軍”には成り得ないね、残念ながら僕は一般大衆、庶民だもんね。とっても従順で、将軍に絶対服従を誓い、常に黒子に徹する彼にだって、実は誰にも言えない内緒の秘密があったりして。

物語は、実在の人物で、1830年12月17日午後1時7分に”死”を迎える”将軍シモン・バリボールの最期、老い衰え没落して国を追われマグダレーナ河を下る旅と、その旅に纏わる記憶が綿々と綴られる。
実は、本としては全363ページなんだけど、将軍の年表やら解説やら何やらで、実際の物語の正味は全291ページだから、ガブリエル・ガルシア=マルケスの物語としては、決して長篇(百年の孤独 492ページコレラの時代の愛 528ページ)の部類に属されず(多分!?)、1989年に発表されているから1982年のノーベル文学賞受賞後の成功と名声を得た後の作品で、比較的に読み易い、まとも(?!)な作品、僕でも随分と(何とか?!)理解ができた。憧れだけで、これまでにガブリエル・ガルシア=マルケスの九作品を読んできたけど、やっと文字を追うだけの作業から少しは解放された?! まぁ、僕が初めて手にした彼の作品「わが悲しき娼婦たちの思い出  Memorias de mis putas tristes 2004」を読んでから、実に一年の歳月が経過しようとしていて、その間に読了した本は300冊を下らないと思うから、完全に理解できて愉しむ領域まで到達するには、あと三倍くらいの1,000冊、今のペースで三年くらいあれば、何とかなるかしら?!(笑)

何がって、劇的なフィナーレは筆舌し難い!、陳腐な言葉だけど”感動”モノでしょう。
ホントは、感動のフィナーレのセリフを書き記しちゃいたいんだけど、僕はそれまでガブリエル・ガルシア=マルケスが丹精込めて積み重ねてきた物語の298ページまで読み切って、そこまでの時間と労力を費やしたからこそ盛り上げられた気分の上に感動が得られるのであって、その美味しいところだけをぺろっと出しちゃったところで、それはまるで前菜を経ることなくいきなりコース料理のメインディッシュを出しちゃうことであり、まだまだピンピンしていてこれから闘おうとしている怪獣にとどめのスペシウム光線を仕掛けちゃうことであり、何重にも複雑なトリックが仕掛けられているミステリ作品のネタを最初に明かしちゃうような、それこそ無味乾燥なものにしてしまったら、この秀作をこれから読もうとしている読者は勿論、大変な労力を惜しみなく注ぎ込んだ著者ガブリエル・ガルシア=マルケスに申し訳が立たない!?

ところで、”将軍”って、やっぱり特別な存在で、大勢の軍隊を率いて指揮を執るトップ(頂点)。
物語に描かれる将軍シモン・バリボールは、ラテンアメリカの広大な土地を、当時栄華を誇っていた宗主国スペインから奪い取り、自由で統一のとれた連合国家を存続させるために、何と20年もの長きに亘り、戦場で指揮を執り統治してきた、国民的な”英雄”。当然に軍人である以上、死を避け難いものと考えていて、実際に幾度となく目の当たりにしてきた死、奇跡的に暗殺の難などを逃れて、何とか生き延びてきた壮絶な47年の生涯。大陸でも屈指の名家に生まれ、何代にも受け継いだ莫大な財産がありながらも、早くに両親と死に別れ、結婚した妻にも早くに先立たれ、後継ぎを残すことなく孤独に耐え、祖国ラテンアメリカのために莫大な財産を使い果たして、40代にして健康を損なうまでに身を呈したからこそ、将軍と讃えられた男の最期。
著しく損なわれた健康状態で第一線に立ち続けることは不可能かもしれないけれど、だからと言って、長老として名誉職の座が用意されるほど悠長な世界じゃない、弱肉強食、厳しい実力の世界。 かつての栄光や権力が一瞬にして奪われちゃう、厳しい現実。
そう、「敗北者には絶望が似合っている」(P.214)









 将軍は言葉巧みに説明する医師の話しを聞いていなかった。これまで数々の不幸、災厄に見舞われながらも、夢を捨てずに狂ったように駆け続けてきた。だが、とうとう今、最終のゴールにたどりついたのだ、目のくらむようなその啓示を受けて思わず体を震わせた。あとに残されたのは闇だけだった。
「くそっ」と溜息まじりに言った。「いったいどうすればこの迷宮から抜け出せるんだ!」
 死を間近に控えた人特有の洞察力で部屋の中を見回していた将軍は、はじめて事実を発見した。将軍を迎えることになるベッドは借りもので、傷だらけの化粧台につけられた鏡は曇っていて、いくら顔を近付けても映らないにちがいない、水を張った陶器の洗面器はあちこち欠けているし、タオルと石鹸はほかの人が手を洗うのに使っている、そして八角形の時計は、将軍が死を迎えることになる十二月十七日午後一時七分にむかって無情にも休みなく時を刻んでいる。胸の上で両手の指を組んだ将軍の耳に、圧搾機のところで聖母マリアをたたえる六時の祈りをとなえている奴隷たちの輝くような声が聞こえてきた。窓を通して、やがて永遠に見ることのできなくなる空にダイヤのように輝いている宵の明星が、万年雪が、新しい蔓草が見えた。次の土曜日は喪に服して家が閉め切られ、そのせいで窓の外に咲く黄色い花を見ることはできなかった。さらに、生命のきらめくような光がみられた。それ以後何世紀にもわたってふたたび現れることのない輝きだった。 (P.290-P.291)

本「偽装請負 −格差社会の労働現場」朝日新聞特別報道チーム5


偽装請負 −格差社会の労働現場
著者: 朝日新聞特別報道チーム
新書: 211ページ
出版社: 朝日新聞社出版局 (2007/05)




そうそう、実は先月末頃にひょんなことから、築地の朝日新聞社東京本社ビルに行く機会があって、僕は几帳面にも誰かと待ち合わせをする時は、概ね15分から20分前に到着すように電車の乗り換えや時刻をキッチリと調べ上げて、さらに予定よりも少し早めに出発しちゃう。早めに到着したところで目的地を確認して、後は約束の時間までブラブラウロウロしているだけだから、その分ゆっくり時間通りに出発すれば、時間の有効活用になるのになぁ、、、、などと考えながらも、やっぱり時間がギリギリのスケジュールでは落ち着かなくって、途中で何かがあったらどうしよう、電車が遅れたり、道に迷ったり、考えれば考えるほどにその確率は低いのだけれども、それでもやっぱり落ち着かないものは落ち着かないから、どうにもこうにも仕方がない。
そんな訳で、新聞社のビルの中にある書店を覘き、「そうだ、読んでおかないと!」と相成った。
偽装請負』。

サラッと書いちゃうけど、
僕が生活の糧を得ている不動産業界でも、ある部分ではスタンダードな業務請負契約。
今現在の僕は実のところ、営業職の業務請負契約の厳しさに耐え切れず(喰えなかった)に大きな挫折感を味わって、その結果として自ら雇用契約を選択している。本来僕は20歳前後の頃から独立(社長)を夢見ていた訳で、それは自らが会社として労働者との雇用契約を結ぶ側に立つことであり、決して会社との雇用契約を結ぶ側ではなかったハズ。ところが現実的には、そもそもが明確なビジョンを持たぬままに、何となくカッコいいから、、、、くらいの不純な脆弱な動機だったから、僕の”身のほど”を痛いほどに沁みて分からせるために必要な歳月だったんだ、と今では理解している。
不動産の売買の取引には大きな金額が動き、多額の報酬が生じる。ところが目の前にチラつく多額の報酬には、多分にドラッグ的な側面を含んでいて、欲望を衝動的に駆り立て、判断を惑わせる。そのせいもあってか、往々にして安定性が大きく損なわれる結果が生まれる。会社側と労働者側の主張には、どうしても大きな隔たりが生じる。たまに大きな売上をあげる労働者は、あげた売上に見合う大きな報酬を得たい。たまにしか売上をあげない労働者には、会社はその分を見越して安定した報酬(給与)を支払うことに不安を抱く。そう考えると、”成功報酬”(出来高払いの業務請負)って、お互いに現実的だったりする。
ところが、僕もそうだったんだけれども、やっぱり向き不向きというのか、センスというのか、きっと能力なんだろうと思うんだけれど、上手く廻っている時はいいんだけれども、必ず何時か何処かに綻びが生じちゃう、絶対的な確率の問題としても。
でもね、面白いもので、世の中って冷静にじっくり眺めてみるとホントに上手くできている。羨ましいほどに金銭的な執着がなく、毎月決まった報酬(給与)を手にすることがなくても、場合によって暫く何もなく(無収入)ても、一向に困ることなく平然と生活できちゃう人だって結構いるんだよね。僕なんかすぐに精神的に参っちゃうから、全く想像もつかないんだけど現実的にいる訳で、とどのつまりがそんなことは、あくまでも僕の中での”ちっぽけな常識”でしかない。そういう人に僕の常識を当てはめちゃうと、哀しいほどに浮かび上がってくる、”ちっぽけな僕”。もう、ホントにい嫌になっちゃう、正直なところ。何を言っても、チャンチャラ可笑しい。

社会を掌る”法律”が社会規範として存在していて、その解釈の仕方によって隙を突いた事件が発生しちゃうんだけど、
ところが僕の拙い経験則からしても会社の役所(行政)対策は念入りで、会社って絶対的に免許や処分というものが死活問題に直結するから、行政を取り込むのも重要な営業戦略(贈賄はダメだけど)だったりして、行政側も特に贈賄工作などしなくったって結構親切に手解きしてくれたりするんだよ、そこまでやっちゃうとこの部分のこの方法がダメ(違法)だけど、とか具体的に、法律に縛られずに活用する手法、
そんな訳でそこもまた解釈の問題だったりするんだけれども、既に発生しちゃった事件に対して然るべき手続きに基づいて新たに制定される法律。
法律に背く行為は違法行為で、絶対的な矛盾を含んでいるんことに相違ないのだけれども、だからと言って違法行為を単純に排除すれば問題が解決するか?!、って考えたときには、違法行為自体がその必要に求められて形成されて、保たれちゃっている均衡(バランス)があったりする。形式的に違法行為が排除されちゃうことによって、新たに表出する問題だって看過できない。
法律が人間が過去の事例に基づいて制定する規範であって、万能なものではない。
何より現代社会は急速な勢いで変化し続けている。過去には正しいと信じられていてことだって、全く正反対の判断を下されちゃうことだって珍しいことではない。何よりも過去の成功事例や成功哲学なんてものは、そのまま現代社会において通用するとは到底思えないよね。

矛盾って、それはそれで保たれている均衡があったりもする!?



≪目次:≫
 プロローグ 若者の死が意味するもの
 第1章 キヤノン「偽装請負」工場
 第2章 松下の超奇策
 第3章 巨大請負会社の盛衰
 第4章 偽装請負が「安全」を脅かす
 第5章 脱「合成の誤謬」へ









本「鮨に生きる男たち」早瀬圭一5


鮨に生きる男たち
Amazonで購入
書評/ルポルタージュ



本が好き!PJ”を経由して新潮社より献本!
何と、最初の献本を受けて書き記したのがちょうど一年前の2006年12月10日で、今回が95作品目!、いつも感謝!!

無類の鮨好きを語るジャーナリストでノンフィクション作家”早瀬 圭一(1937.12.14-)”が、自らの足と舌で確かめた逸品の”鮨屋”十七店の、その道を極めた鮨職人たちの人物列伝は、実は職人同士の横の繋がりであり、店を切り盛りする”おかみさん”との馴れ初めだったり、厳しい職人としての修行時代の秘話であり、実に人間味に溢れる素敵なヒューマンドラマ、十七篇。


そうそう、ぶっちゃけ僕がつい先日に娘(小五)とふたりで行ったのは”スシロー”で、グルグルグルグル廻る回転寿司。僕が十皿、娘が十一皿、〆て会計2,205円也。(桁がひとつ違う!?)

ところで、モノの値段ってそれなりの根拠があって、安いものはやっぱりそれなりで、それなりの相当な金額(対価)を支払うとそれなりの満足が得られるから、世の中ってやっぱり上手くできている。
鮨屋などの飲食業の場合、人間の本能的な三大欲求のひとつ”食欲”に直結する。誰だって必ずお腹が空く。だから、満たされていないと感じた欲求(食欲)を満たすために食べる
で、特に外食をする場合(意外にこれが多い)、僕なんかは財布の中身が気になっちゃうから、効率良く空腹(食欲)が満たされる方法に苦慮を重ねる。と言いながらも、純粋な摂食行動として””のみの追求をするほどに若くはなくって、それでも限られた予算では贅沢は言えないんだけれども、最低限の””が保たれていることと、何よりも過ごす”空間”であり、そこに流れる”時間”であり、要するに”サービス”の重要性を考えちゃう。食欲という欲求を満たす目的だけだったら、美味しかろうが美味しくなかろうが、どんなに劣悪な環境下であっても、腹がいっぱいになれば何も問題とされない。
そんなことを考えながらも、ファーストフードチェーン店での摂食行動(食事)に偏りがちな僕だって、美味しいモノへの欲求は決して低くない(と思っている)。
同じ金額と時間を費やすのであれば、お腹だけじゃなくって、心持ちにも満足感を得たい!、いや、仮にいつもより多くの金額(対価)を支払ったとしたって、穏やかな心持ちで満たされる心地好い空間で過ごす時間、そこでの摂食行動は何物にも替え難い、まさに”至福”。それこそが、僕が本来ならば対価を支払うべき、摂食行動のあるべき姿で、一日三食の全てを毎日、、、とはいかなくっても、たまには”自分へのご褒美”があったっていいよね。

行き過ぎた低価格競争が一息付いて、不安定な世界情勢を反映して高騰する原油価格の影響などを受けて、全般的に本来の水準を戻しつつある物価?! それでも、いまだに物価が低い水準あることに間違いない。
だから、一皿(二貫)105円の寿司を職人が丹精込めて握っていたら、それは商売として絶対的に成立しない。徹底したコスト(材料費、人件費)管理の下、高度なシステム化が行われる。薄利多売で回転率を上げて、巨額の資本が投下されて、熾烈な勝ち残り合戦。そりゃ、混雑していて行列してようが、騒々しかろうが、決して快適とは言えないまでも、質と味が一定して、財布にやさしい訳だから、それなりのバランスが確保されている、何事にも100%は有り得ないから、そういう時があってもそれはそれとして割り切ろう!?

そう考えると、商売って難しい。当たり前のことだけど、利益を目的とする経済活動だから、どんなにお客さんが沢山来て忙しくて、多額の売上が上がったとしても、利益が出なければ意味がない、ボランティア!?
価格を低く設定したモノ(商品)のひとつひとつからは、絶対的に多くの利益は生み出せないから、どうしたって数量を多く売り上げなければ、必要とされる利益の確保ができない。システム化され、極限までカットされる人間味、サービス。殺伐(?!)とした環境から得られる満足も、ある意味では本能的。
一方では、モノ(商品)に付加価値を付けて、例えば特殊なサービスを提供して、より高い満足が得られるように加工をすれば、それを必要とし、高額の対価を支払ってでも、その商品を得ようとする顧客もまた存在する。但しこちらは、本質的な満足に対する価値観が重視され、低価格の顧客に比較すると、顧客の絶対数がどうしても少なくなってしまう。高価な商品を扱えば、取引に潜むリスクだって一般的には比例して大きくなる。加工したからといって、満足度を高めたからといって、必ずしも一般消費者に受け容れられるとは限らない。顧客の真剣度合いだって、相当なものであろう。

僕は、ファーストフードを否定はしないけれども、否定しちゃうと僕自身の存在や生き方を否定しちゃうことになっちゃうし、世の中に必要とされて存在しているものだから、
それでもやっぱり、本書に掲載されるレベルの鮨屋の、本質的なサービスを理解できて、その対価を惜しみなく支払える能力(残念ながら、これはやっぱり能力だと思う、金銭的な経済力だけじゃなくって)を有して、心から堪能できる”大人の男”になりたいなぁ・・・



≪目次:≫
 油井隆一「喜寿司」(東京・人形町)
 水谷八郎「鮨水谷」(東京・銀座)
 田島道弘「神保町鶴八」(東京・神田)
 石丸久尊「新橋鶴八」(東京・新橋)
 鈴木隆久「奈可久」(東京・六本木)
 青木利勝「鮨青木」(東京・銀座)
 原田昭徳「鮨徳助」(東京・尾山台)
 荒木水都弘「あら輝」(東京・上野毛)
 太田龍人「鮨処喜楽」(東京・経堂)
 飯田壯夫「すし処司」(千葉・我孫子)
 大野勝輝・晃稔「鮨処成田」(名古屋・東新町)
 佐藤功一「寿し銀」(名古屋・御園銀座)
 酒井正賢「吉野鮓」(京都・先斗町)
 吉田勝昭「千取寿し」(金沢・石引)
 斎田清「松乃寿司」(静岡・焼津)
 小澤諭「鮨処おざわ」(東京・銀座)
 小野二郎「すきばやし次郎」(東京・銀座)








本「星の王子さま −Le Petit Prince」アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ、池澤夏樹 訳5


星の王子さま −Le Petit Prince
著者: アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ
訳者: 池澤夏樹
単行本: 125ページ
出版社: 集英社 (2005/08)




おとなになってから初めて読みました、池沢夏樹の翻訳による永遠の名作と謳われる『星の王子さま (Le Petit Prince , 1943.4)』は、フランスの作家で飛行機乗りアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ (Antoine de Saint-Exupéry,1900.6.29-1944.7.31)ファンタジー(異説あり!?)小説。
いやぁ〜ん、こ〜んなにも物議をかもしている作品だなんて、全く存じ上げませんでした、Wikipediaを紐解くまでは。無知な僕としては、ただただ池沢夏樹を読みたかった、それだけだったのに、、、それが読書の愉しみでもあったりする♪  シンプルな物語の一冊の小さな本に籠められた人びとの様々な想い、時代を超え国を超えて果てしなく拡がる解釈。


東京都内とはいえ郊外の低層住宅地に暮らす僕は、都心での仕事を終え深夜に辿り着いた最寄駅からシャッターの下りた商店街を抜け、街灯の乏しい住宅街を家路に向かう南の空に煌めく”星”を見上げ、特に冬の季節に大きく明るいオリオン座が大好きで、それは見付け易いことが最大の要因なんだけど、ふとグルグルグルグルと巡る想い。時に込み上げる想いが不意に涙を誘い、時に穏やかな心持ちに満たされる。生きていれば、絶対的に愉しいことばかりじゃないから、時に自らの不遇を嘆く、どうして僕は、、、何で僕ばっかりが、、、それでも、何があっても何もなくても、仮に雲に遮られて目視できなかったとしたって、いつも変わらず、何も語らず、そっと静かに煌めく”星”。
そう、おとなだと思っている今現在の僕。








本「沢田マンション超一級資料 −世界最強のセルフビルド建築探訪」加賀谷哲朗5


沢田マンション超一級資料 −世界最強のセルフビルド建築探訪
Amazonで購入
書評/ルポルタージュ



築地書館の本の底知れぬ(?!)魅力に抱かれる興味は、”本が好き!PJ”つながり。

とにかくスゴイです!、”沢マン”でWikipediaでヒットする”沢田マンション”は、高知県高知市に建つセルフビルドの鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階付6階建の賃貸集合住宅。僕は知らなかったけど、マスコミでも度々取り上げられている、超有名建築物らしい。
1973年に第1期工事が完了して最初の入居が始まっているから、既に三十年以上の歳月を経過してなお未完成を思わせる佇まいは、スペインの建築家アントニ・ガウディ(Antoni Plàcid Guillem Gaudí i Cornet ,1852.6.25-1926.6.10)の代表作サグラダ・ファミリア(Sagrada Familia ,1882年着工、いまだ工事中の聖家族贖罪教会)を彷彿させる。
そして何と、今現在も約六十室の住居に営まれる日常生活、コミュニティ、今は亡きオーナー”沢田嘉農(さわだ かのう,1927.8.11-2003.3.16)”の心意気が随所に溢れる!
著者”加賀谷哲朗”(1978年東京生まれ、初代沢マン調査隊隊長)が、東京理科大学大学院生時代に纏めた”修士論文”を基に、その後の調査を重ね、建築学的見地からも綴られる著作。豊富なカラー写真や、詳細な図面は、なるほど”超一級資料”、それだけでも目を通す価値あり!

まがりなりにも僕は”ふどうさんや(不動産屋)”を自負する宅地建物取引主任者で、しかも営業職(どうしても利益や売上が優先される)じゃないから、法令を遵守して安全な不動産取引を日常的に心掛ける。
本来”法令”は社会生活を営むにあたり、その必要に求められて然るべき手続きに基づいて制定されている社会法規だから、一個人の都合や勝手は許されない、遵守すべきもの。悪意を持って悪事を働き、社会や他者に損害を与えて自らが不当な利得を得る輩を放置する訳にはいかない。
だから、2005年に耐震偽装事件(構造計算書偽造問題)が明るみになっちゃって、それまでは「建築士はその筋のプロフェッショナル(そのための国家資格であり免許)だから、セコイことや悪いことはしないだろう」という大前提が覆されてしまって、それまでにも欠陥住宅やら何やらで平成11年に施行された「住宅の品質確保の促進等に関する法律」に引き続き、所轄の国土交通省(旧建設省)は大わらわの大混乱!?
そんなこんなで新たな法令が制定されて、とばっちりを受けちゃうのは、いつも真面目な人びと。悪事を働く輩はどんなの時代にも存在して、法令は絶対的に完璧なものじゃないから、その隙を突いて不当利得を得ようと躍起になる。いたちごっこの様相を呈する。悪事は決して許すべきじゃないけれど、ある程度の確率で発生しちゃうのは仕方が無いことなんだろうとも思うけど、やるせない想いに駆られる。悪事を働く輩が、必ずしも極悪人であるとは限らない。むしろ、止むに止まれぬ事情によって悪事に手を染めてしまった状況すら垣間見えたりする。法令自体が、予見して制定するものではなく、既に発生した事案に対して再発を防止する側面が強いものだけに、真面目にやってる人びとにしてみれば、新たな法令の制定は既存不適格を生じさせる要因ともなりかねない訳で、全くもって迷惑な話でしかないけれど、それさえも仕方が無いことで、行政としても既存の権利に関して、その違法となってしまった行為や状態を追求することをしない。

まぁ、この”沢田マンション”のように、当初から建築確認申請手続きを経ることなく建築され、度重なる増改築を繰り返している建築物が、その行為自体の善悪は別にして(明確に違法だから)、現存している事実を僕は微笑ましく思う。


≪目次:≫
 00 調査の背景と目的〜まえがきに代えて
 01 沢田マンションという建築物
 02 沢田マンションの歩き方―沢マンを読み解く13のキイワード
 03 沢田マンションに暮らす人々と生活
 04 沢田マンション図面集成








本「異国の客」池澤夏樹5


異国の客
著者: 池澤夏樹
単行本: 217ページ
出版社: 集英社 (2005/12)




”若い時にフランス語やフランス文学を本気で学ばなかったのは明らかに父への反発だった。ついでに言えば、文学を仕事として選んで詩や評論を書きながら三十代後半まで小説を書かなかったのも父への反発だった。血縁の父、遺伝の父、一つ屋根の下で暮らしたことがほとんどない抽象的な父がフランス文学者であったことをぼくはまるで遺恨のように思っていた。”
 〜「始まりの日々」P.15
と語る池澤夏樹が、2004年より暮らすフォンテーヌブロー (Fontainebleau)は、フランスパリ郊外の都市。
それまで長く暮らした沖縄、かつて住んだ異国はギリシャ、、、
”完成されたというか、現代にあって安定し繁栄もしている国。”
には、そもそもあまり興味がなかったから、
”住みやすい国ではないだろうかと考えた。”
ことに自分でも少し驚いた。
と語りつつ、14か月のフォンテーヌブローでの暮らしのその時どきに綴ったエッセイ(メールコラム?!)全十篇は、文芸雑誌すばる」2004年11月号から2005年8月号に掲載。

還暦を前にしてフランスに辿り着いた、と言ったら大袈裟かしら?
フランスは絶対的に視野にあった、執着があった。歴史があり、文化を誇り、格式を重んじるフランスに、フランスを我がものにするために、地道に積み重ねてきた歳月。確立した自己を誇るためには、自らの母国(日本)とその文化を誇れることが大前提。母国の何たるかを理解するために、外界に踏み出し客観視することもひとつの方法。母国内の異端、辺境への理解だって欠かせない。自らの言葉で、母国とそして何より自らを誇る。
きっと無意識のうちに導かれたであろうフランスへの移住。”運がよかった”と語る。ふとした友人の紹介からぴったりの家が見つかった。様々なタイミングがぴったりとこなければ、家族を伴っての移住には困難が伴う、成し得ない。運がよく事が運び、結果的にそうなった、だけじゃない不思議な縁。
案外、無理矢理願望を唱えて自然な流れに抗うよりも、与えられた現状の中での最善の努力だけを絶やさず、流れに身を委ねてしまった方が、結果的に思わぬ方向から幸運が転がり込むものなのかしらとも考える。そして、ダラダラと無気力に無為に過ごす生活の中から幸運の道が開けることはない、などとも思うのだが、一方では、そんな努力すら不自然で流れに抗っていることにもなりかねないなどと考えると、果たして僕は今、何をすべきかなどとますます迷ってしまう。確かに、仮に現状が不遇であると感じていたとしても、今現在の状況に至るにあたっては、それなりの必然があった訳で、現状を否定しちゃうことは、即ち自らの存在を否定することにつながってしまう。それなりの必然の流れの中で大局的に客観的に状況判断をするに、無理に抗って打破すべきではないのかもしれない。

ふと立ち寄った美術館(博物館?!)で目にして心を奪われた、画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥール (Georges de La Tour ,1593.3.19-1652.1.30)「妻に嘲笑されるヨブ」、
”絵とは鑑賞するものではなく、いうまでもなく研究するものでもなく、いきなり心を引き込み、つかんで放さないものだった。”
 〜「緯度と夜、EU憲法、フロランスとフセインの帰還」P.194
一枚の絵画との衝撃的な出逢い、感動。言葉の限りを尽くして綴られる熱い想いに、そういえば最近引きこもり気味で、すっかりご無沙汰してしまっている美術館へと僕を駆り立てる。あの興奮!、引きこもってなんかいられない!?


≪目次:≫
 始まりの日々
 空港、町の景観、車
 個人と社会
 黄色い空、学校、宣言
 広場、古道具屋、ティタンとスカーフ
 川の風景、マニフ、記憶論とチベット
 雪と春、ヨーロッパの記憶装置、三人の少年
 高校生、法王の死、シャルトルと須賀敦子
 アスパラガスと茸、ベルリンの記念碑、ヨブの妻
 緯度と夜、EU憲法、フロランスとフセインの帰還








本「生き物たちの情報戦略 −生存をかけた静かなる戦い (DOJIN選書011)」針山孝彦5


生き物たちの情報戦略 −生存をかけた静かなる戦い (DOJIN選書011)
Amazonで購入
書評/サイエンス



大好き!、化学同人DOJIN選書シリーズ第11弾!
書評は、”本が好き!PJ”のメンバーが書き記してます、ご覧あれ!

先生、真面目すぎます!、努力は認めます、紀行文風にくだけた感じと身近さを演出して、難解な専門用語を避けて10代の若者にも、、、との心意気は感じました。生物学の考え方自体が、先生の専門分野が難解なのかもしれません。きっと、普段から生真面目に大好きな研究に没頭されて、、、羨ましいです、正直。とっても気持ちよさそうに、のびのびと、いいなぁ〜。
僕なんか、ここのところちょっと書き記すのがしんどくなってきていて、「あぁ〜、書けない、書きたくない、、、」などと思いつつも、僕にとって書き記さないことは、誰とも話しをしないことと同一のことで、それって結構ストレスでしょ?!、どこかでバランスを保たないと、必ずどこかに歪みが生じちゃう。

46億年前の地球誕生から先カンブリア代とか、やっぱり基本というか、スタートが肝心なんでしょうが、不勉強な僕には難しすぎて分からないことばかり、鬱々として気分が乗らなかったからだけじゃないと思う、やっぱり難しいよ。
後半になって、環世界とか、行動様式、適応的、合目的的あたりの具体的な事例が挙げられて、やっと苦痛から少し解放される。
それでもやっぱり科学は面白い、やめられない。


ところで、最近僕はipodを手に入れた。
実は携帯音楽プレーヤー、初体験。わざわざ外出してまで音楽を聴きたいと思わない、とか、シャカシャカ音が漏れて迷惑だ、とか、耳が悪くなる、とか、外界からの逃避、引きこもりだ、などなど、否定する理由が山ほどあって、その頑なさから手にする機会がなかった。ところが僕は、どちらかと言えば神経質な方で、周囲の音に過敏に反応してしまう。電車内では読書に耽るのを常としているのだが、例えば近くで会話をされるだけで集中力が途切れてしまう、聞きたくないのに意識を奪われてしまう。シャカシャカ音漏れする携帯音楽プレーヤーなど言語道断。僕はただただ読書に集中できればいいだけなのに。
耳栓は随分前に購入して常時携行しているが、流石に電車内でおもむろに耳栓をするのもどうかと考えてしまう。周囲の目を気にしてしまって、なかなか使えない。
そういえば、会社の同僚に、どうしても集中して仕事をしたくて、話し掛けられたくない時に、音楽を聴く訳でもないのにヘッドフォンをしている、って聞いたことがあった。耳栓代わりの使用方法、で、家電量販店に下見に行ったら、あらあら何と壱萬円以下で売っているじゃないですか、アップルもいいけど、やっぱり本家本元ソニーウォークマンかなぁ、、、などと考えていたところに、近所のパソコン量販店でチラシを発見、台数限定 ipod shuffle 金4,970円也!、開店一時間前から寒空の下並んでゲット。根っからの貧乏症(笑)!
ウラディーミル・アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy)のピアノが奏でるショパン(Frédéric François Chopin,1810.2.22-1849.10.17)の調べに酔う、至福の時間。

僕は自らの過敏さをipodで覚醒させることによって、意識の集中が阻害されることなく、読書に没頭できる、しかも心地好い音楽に身を委ねながら。
ところが、あまりに長くヘッドホンを装着していると、不慣れなためか耳に違和感を感じる。確かに耳に異物(ヘッドホン)を挿入する訳だから、本能的に異物感を察知して、情報処理をしている?! 元々は、素のままの耳で生活していて集中力を保っていた訳だから、常時装着というより、集中力が阻害された緊急時に自己防衛策としての活用、その安心感の効用に重きを置く。



≪目次:≫
 第1章 多様な生き物たち
 第2章 生き物はいかに多様化したのか
 第3章 生物がもつ時計 ―多様な生物の共通性
 第4章 多細胞生物の設計原理
 第5章 生き物たちの存在様式
 第6章 生き物たちの情報戦略
 第7章 驚異のナビゲーション能力
 第8章 生物がつくりあげる世界 ―環世界
 第9章 環境への適応戦略
 第10章 環世界と文化的行動








本「国家の品格」藤原正彦5


国家の品格 (新潮新書)
著者: 藤原
新書: 191ページ
出版社: 新潮社 (2005/11)




今更って気がしないでもないんだけど、僕にとっては今だった。
気にはなってた、何かと話題になってて、でも手にとるまでは至らなかった、、、とある本で目にして、「やっぱり読んでおかないとダメだ。語れないじゃん!?」って気が付いちゃった。
そのとある本”紙屋高雪『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』築地書館”は、30代の真面目なサラリーマンでオタクでコミュニスト(共産主義者)の著者が主催する漫画評論サイト「紙屋研究所」で語った広範で膨大な書評を書籍化した本なんだけど、締め括りがこの「国家の品格」の書評だった。だから、僕の中で、『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』がやっと終わった。しかし早速同僚の希望者にレンタル中で、振り返りようがない、しまった(笑)。

あまりにも話題の著作だから、その影響が大き過ぎたからか、僕が耳にする評価は押し並べてよろしくない印象。
確かに軽い。講演記録をもとに執筆した著作だとかで、しかも新書で、全191ページ、じっくり語るより、親しみ易く分かり易く広く世間一般に。
物足りなさは拭えない。それでも、ベストセラー新語・流行語大賞

そうか、そうだったのか。僕は読了後、書き記す前に一応簡単な調査をすることにしているんだけど、著者”藤原正彦”は、数学者だけの人だとばかり思い込んでいたら、しかもそれも「博士の愛した数学」がらみの記憶なんだけど、両親(新田次郎藤原てい)を作家に持つエッセイストとしても有名で、翻訳まで手掛け、国語教育の重要性を説いていて、それ以前のエッセイでも、しばしば「武士道」やら「祖国愛」やら「情緒」やらが登場していた。とWikipediaにあった。

気持ちよく語られる自論。








訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

since 2007.11.19

Categories
じゃらんnet 宿・ホテル予約

Amazon
honto
TagCloud
本が好き!
本が好き!
記事検索
管理人・連絡先
管理人 Gori が書き記しています。 不適切な表現及び解釈などありましたら連絡ください。
ppdwy632@yahoo.co.jp
livedoor プロフィール

Gori

主として“本”が織りなす虚構の世界を彷徨う♪

‘表 BLOG (since 2006.8)
▲ロスバイク TREK 7.3FX(神金自転車商会 since 2008.8)
写真 Canon IXY900IS(since 2006.12.4) & EOS40D + EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM(since 2008.7.23) + EF100mm F2.8 Macro USM(used, since 2008.9.10) + EF-S55-250mm F4-5.6 IS(used, since 2008.9.30) + EF50mm F1.8 供used, since 2009.4.4)

Archives
Recent Comments
Recent TrackBacks
父が子に語る近現代史 (本の宇宙(そら) [風と雲の郷 貴賓館])
本「父が子に語る日本史」小島毅
BlogRanking
  • ライブドアブログ