Gori ≒ ppdwy632

〈ぼく〉の思索の一回性の偶然性の実験場。

2008年09月

本「おれにはアメリカの歌声が聴こえる――草の葉(抄)  Title:LEAVES OF GRASS 1855-1892 Author:Walter Whitman (光文社古典新訳文庫)」ホイットマン、飯野友幸 訳5

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おれにはアメリカの歌声が聴こえる――草の葉(抄)  Title:LEAVES OF GRASS 1855-1892 Author:Walter Whitman (光文社古典新訳文庫)

○著者: ホイットマン飯野友幸
○出版: 光文社 (2007/6,文庫 189ページ)
○価格: 460円
○ISBN: 978-4334751319


おれは矛盾しているだろうか。
まあそれでもいい、おれは矛盾しているのさ
(おれは巨大だ、おれは多様性をかかえている)。
  (P.34、「おれ自身の歌」51歌)

はじめに、
ホイットマンは一九世紀はじめに生まれ、約七十年間の生涯の間にアメリカはヨーロッパの先進国と肩を並べるまでに成長しました。まさに激動の時代だったといえるでしょう。しかし、進歩と発展があった一方で、詩人として出発した数年後には国を二分する南北戦争が起こり、また戦争直後にはリンカーン大統領が暗殺されました。
ホイットマンはそのような時代の光と影をつぶさに眺め、狂喜したり悲嘆したりしながら詩を書きつづったのです。
二〇世紀は「アメリカの時代」とも呼ばれ、政治・経済・軍事などの面で世界のは覇権を握りました。けれども、二一世紀に入った途端、テロ攻撃で出鼻をくじかれ、急に様々な問題を露呈しています。その元を辿れば、一九世紀に行きつくでしょう。
詩人の作品には多かれ少なかれ時代が反映されるはずなので、この詩人の言葉のうちに、現代の日本に住むわれわれと実は関係のあるひとつの時代の流れ、その匂いを、若い方々にも感じとっていただければ幸いです。それぞれの詩に解説もつけたので、参考にしてください。  訳者  (P.3)


≪目次: ≫
はじめに

自己なるものをおれは歌う  One's-Self I Sing
おれにはアメリカの歌声が聴こえる  I Hear America Singing
おれ自身の歌(抄)  from Song of Myself
おれは電熱の肉体を歌う(抄)  from I Sing the Body Electric
おれはルイジアナで一本の樫の木が生えているのを見た  I Saw in Louisiana a Live-Ork Growing
オープンロードの歌(抄)  from Song of the Open Road
揺れやまぬゆりかごから  Out of the Cradle Endlessly Rocking
鷹の睦みあい  The Dalliance of the Eagles
農家の図  A Farm Picture
ランナー  The Runner
浅瀬をわたる騎兵隊  Cavalry Crossing a Ford
灰色にかすむ払暁の野営の光景  A Sight in Camp in the Daybreak Gray and Dim
リラの花が先ごろ戸口に咲いて(抄)  fromWhen Lilacs Last in the Dooryard Bloom'd
おお船長! わが船長!  O Captain! My Captain!
ふらりと出歩く子がいた  There Was a Child Went Forth
結局、わたしは  What Am I After All
インドへの道(抄)  from Passage to India
音も立てずじっとしている一匹の蜘蛛  A Noiseless Patient Spider
さらば、わがうちなる空想の人よ!  Good-bye My Fancy!

Leaves of Grass (英文原典)

解説/飯野友幸
ホイットマン年譜
訳者あとがき


≪著者: ≫ ウォルト・ホイットマン Walter Whitman [1819−1892] アメリカの詩人。ニューヨークのロングアイランドに生まれ、十代からジャーナリストとして活動したのち、詩人に転じる。1855年に発表した詩集『草の葉』を、生涯にわたって改訂、増幅させた。自由詩のリズムを全面的に使い、おおらかで気宇壮大な詩風をうちだした。また、アメリカを賛美するとともに、民主主義も唱導し、評論『民主主義展望』を著わした。アメリカ現代詩の父と呼ぶにふさわしい存在。

[訳者] 飯野友幸 Iino Tomoyuki 1955年生まれ。上智大学文学部教授。アメリカ文学専攻。著書に『ジョン・アッシュベリー ――「可能性への賛歌」の詩』、訳書に『壁の文字――ポール・オースター全詩集』、『ブルースピープル』(ジョーンズ)などがある。


Cosmos bipinnatus




本「自殺について 他四篇  PARERGA UND PARALIPOMENA: KLEINE PHILOSOPHISCHE SCHRIFTEN 1851 Arthur Schopenhauer (岩波文庫 青632‐1)」ショウペンハウエル、斎藤信治 訳5

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自殺について 他四篇  PARERGA UND PARALIPOMENA: KLEINE PHILOSOPHISCHE SCHRIFTEN 1851 Arthur Schopenhauer (岩波文庫 青632-1)

○著者: ショウペンハウエル、斎藤信治 訳
○出版: 岩波書店(1952/10,1979/4 改版,1989/11 第44刷;文庫 107ページ)
○価格: 420円
○ISBN: 978-4003363218


[トラシュマコス] ・・・僕は、僕は、僕は生きたいのだ! これこそは、僕の切なる願望だ。理屈で以て漸くそれは僕のものだという風に納得させられねばならぬような現存在(Dasein)などは、僕にはどうでもいいのだ。
・・・  (P.29-P.30)
・・・たしかに生は夢なのであって、死はまた目覚めであるという風に考えることができる。ところでその場合、個性・個体は夢みるところの意識に属しているのであって、目覚めたる意識に属しているのではないのである。それだからこそ、個体にとっては死は破滅として現われてくるわけなのである。だがいずれにしても、このような観点からすれば、死は我々にとって全く新しい見慣れぬ状態への移行と看做されるべきものではなく、むしろそれはもともと我々自身のものであった根源的状態への復帰にほかならなぬものと考えられるべきなのである、――人生とはかかる根源的状態のひとつの小さなエピソードにすぎなかった。  (P.14)
・・・早い話が、幸福な人間は誰もいない。ただ誰もが自分の思いこんだ幸福を目指して生涯努力し続けるのであるが、それに到達することは稀である。よしまた到達するとしても、味わうものは幻滅だけである。普通は、誰もが結局は難破し、マストをうち砕かれて、港のなかにはいっていく。もしそうだとすれば、要するに持続のない現在だけから成り立っていたこの人生、そうしていまや終わりをつげたこの人生において、自分が一体幸福であったかそれとも不幸であったかなどということは、結局どうでもいいことなのではないか。  (P.36)
それにしても、もしも大気の圧力が我々の肉体からとりさられたとしたら、我々の肉体は破裂してしまうに違いないように、もしも困窮とか辛苦とか災難とか努力の挫折とかの圧力が人間の生活からとりさられたとしたら、人間の傲慢はふくれあがってしまって、たとい破裂するまでにはいかないにしても、奔放極まる調子はずれの現象否狂乱の現象さえも呈するにいたるであろう。――誰でもが、しっかりとまっすぐに進むことができるためには、あたかも船が底荷を必要とするように、或る程度の心労乃至苦痛乃至困窮が必要なのである。
労働と心労と困苦と困窮とは、たしかに、その全生涯を通じて、殆んど一切の運命でsる。けれども、もしかりに一切の願望はそれが生ずるや否やもうすでに充たされてしまうものだとしたら、その場合人間の生活は一体何によって埋められ、時間は何によって費やされることになるのであろうか。(中略)――してみれば、こういう種属にとっては、やはりいまのような舞台、いまのような現存在が、一番柄にあっているということになるのだ。  (P.50)
・・・大いなる羨望に価する人間は誰もいない、大いなる憐憫に値する人間は数知れずいる。――
人生は労苦して果さるべき課役である、――この意味でdefunctus〔故人に冠する言葉で、課役を果した人、死者の意〕というのは素晴らしい表現だ。――
一度まあ考えて見られるがいい。もしも生殖の行為が慾情にともなわれた要求ではなしに、純粋な理性的考慮の仕事だとしたら、人類は一体それでもなお存続しえたであろうか。むしろ誰もがきたるべき世代に対して深い同情を感じて、なるべくなら彼らには現存在の重荷を負わせたくないものだと思ったり、乃至は少なくとも自分ではそういう重荷を無情にも彼らに背負わせるような真似はしたくないと思ったりはしないであろうか。――
世界はまさしく地獄にほかならない。そして人間は一方ではそのなかでさいなまれている亡者であり、他方では地獄の鬼である。――
またしても私は、お前の哲学には慰めがない、という声を聞かねばならぬのだろうか。・・・  (P.62) 
以上述べてきたように、どのような人間の生活も、これを総観すれば、悲劇としての性質を帯びている。人生というものは、通例、裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ち、の連続にほかならないことが、知られるのだ。・・・  (P.98)

「訳者跋」より、
ここに訳出された数篇は、アルテゥル・ショウペンハウエル(一七八八−一八六〇)の晩年の著作、否最後の著作『パレルガ・ウント・パラリポーメナ』(一八五一年)のなかの一部である。彼の主著は、言うまでもなく、『意志と表象としての世界』(一八一九年)で、これは三十歳にして早くも大成せられたものであり、彼の哲学体系の根本はこのときすでに、その後の長い生涯を通じて少しも揺らぐことなく、確立せられたのである。その後の彼の思索はこの主著の根本思想の推敲であり、その後の彼の労作はいわばこの主著に対する註釈・附録・補遺にほかならないとも言われうるであろう。青年の日のおのが主著に対するこのような自意識と自負心とは、『パレルガ・ウント・パラリポーメナ』という彼の最後の著作の題名のうちにも窺われるように思われる、――「パレルガ」とは、主著に対しての付随的著作、いわばその「附録」の謂であり、「パラリポーメナ」とは、その「補遺」の謂である。
『パレルガ・ウント・パラリポーメナ』は、その内容からいえば、ショウペンハウエルの「哲学小論集」である。この書は相当大部の二巻から成っているが、その叙述は、断片的にではあるが、殆ど自然と人生のあらゆる部門にわたる雑多なものを含んでおり、いわば彼の哲学随筆集とでもいうべき趣きを呈している。ただしその根柢にはどこまでも彼の主著における彼自身の哲学体系が存しているのであって、この書の序文において彼がその読者達に対して、彼の哲学体系に対する理解を根本前提として要望しているのも当然のことであると言えよう。しかし、彼がそこですぐにまた附け加えているところによれば、そういう理解はあくまで希ましいものであるにしても、そういう理解をもちあわせていないひとびとにとっても、この書は「僅かの個所」を除けば、それはそれ自身として理解もせられえ味わいもせられうるのである。同時にまたこの書が主著の根本思想に対して光明を投ずる面も存している。いずれにしても、従来、この書は主著と相並んで、或いはむしろ主著以上に、ひとびとに愛読されてきたきたものであるが、それというのも、自然と人生に関する厭世哲学的に透徹した洞察が、あたかも珠玉のような洞察が、随筆的・断片的に近づき易く親しみ易いかたちでこの書の随所に流露せられているその魅力によるものであろう。  (P.103-P.104)


≪目次: ≫
我々の真実の本質は死によって破壊せられえないものであるという教説によせて
現存在の虚無性に関する教説によせる補遺
世界の苦悩に関する教説によせる補遺
自殺について
生きんとする意志の肯定と否定に関する教説によせる補遺

訳者跋

自殺について 他四篇 (岩波文庫 青632-1、斎藤信治 訳、1952/10)
読書について 他二篇 (岩波文庫 青632-2、斎藤忍随 訳、1960/4)
知性について 他四篇 (岩波文庫 青632-3、細谷貞雄 訳、1961/1)

Cortaderia selloana




本「海に住む少女  Title:L'ENFANT DE LA HAUTE MER Author:Jules Supervielle (光文社古典新訳文庫)」シュペルヴィエル、永田千奈 訳5

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海に住む少女  Title:L'ENFANT DE LA HAUTE MER Author:Jules Supervielle (光文社古典新訳文庫)

○著者: シュペルヴィエル、永田千奈 訳
○出版: 光文社 (2006/10,文庫 189ページ)
○価格: 500円
○ISBN: 978-4334751111


・・・はっきりと言及されていなくても、そこには「何か」がある。そして、また無理に言葉を重ねれば重ねるほど、その「何か」から遠ざかっていってしまうのだ。
シュペルヴィエルを訳しているあいだ、何だか自分が透き通ってゆくような不思議な感覚を覚えた。悲しみでも苦しみでもない、切ない気持で胸がいっぱいになり、ふと涙がこぼれそうにあるのだ。たとえ、一瞬であっても、読者とそんな思いを分かち合うことができれば、訳者としてこれ以上の幸せはない。  (P.188-P.189、「訳者あとがき」より)
本書は、一九三一年、シュペルヴィエル四十七歳の時の作品『海に住む少女(L'enfant de la haute mer, Gallimard, 1931)』から全八編、さらに、一九三八年の第二短編集『ノアの箱舟(L'Arche de Noé, Gallimard, 1938)』から、表題作および「牛乳のお椀」を収録した。いずれも、シュペルヴィエルらしさを感じさせる作品だ。・・・
・・・【少女】・・・【海】・・・【動物たち】・・・【死後の世界】・・・【悪意】・・・【孤独】・・・  (P.177-P.180、「解説」より)



≪目次: ≫
海に住む少女  L'enfant de la haute mer
飼葉桶を囲む牛とロバ  Le bœuf et l'âne de la crèche
セーヌ河の名なし娘  L'inconnue de la Seine
空のふたり  Les boiteux du ciel
ラニ  Rani
バイオリンの声の少女  La jeune fille à la voix de violon
競馬の続き  Les suites d'une course
足跡と沼  La piste et la mare
ノアの箱舟  L'Arche de Noé
牛乳のお椀  Le Bol de lait

解説
ジュール・シュペルヴィエル年譜
訳者あとがき


≪著者: ≫ ジュール・シュペルヴィエル Jules Supervielle [1884−1960] ウルグアイの首都、モンテヴィデオで生まれた。両親はフランス人。10歳のときにフランスに戻り、フランス語で書くことを選ぶ。2つの国に引き裂かれた人生から、独特の複眼的な視点による、幻想的な美しい作品を描いた。詩人、作家。詩集『重力』など。戦後日本の詩人たちに大きな影響を与え、現在に至るまで、コアなファンをもっている。

[訳者] 永田千奈 Nagata China 東京生まれ。翻訳家。早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒。主な訳書に『ある父親』(シビル・ラカン)、『それでも私は腐敗と闘う』(イングリッド・ベタンクール)、『サーカスの犬』(リュドヴィック・ルーボディ)などがある。


Summer




本「知性について 他四篇  PARERGA UND PARALIPOMENA KLEINE PHILOSOPHISCHE SCHRIFTEN Arthur Schopenhauer (岩波文庫 青632-3)」ショーペンハウエル 著、細谷貞雄 訳5

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知性について 他四篇  PARERGA UND PARALIPOMENA KLEINE PHILOSOPHISCHE SCHRIFTEN Arthur Schopenhauer (岩波文庫 青632-3)

著者: ショーペンハウエル、細谷貞雄 訳
出版: 岩波書店 (1961/1,1973/12 第14刷、文庫 180ページ)
価格: 588円
ISBN: 978-4003363232


ここに訳されたのは、ショーペンハウエル(一七八八−一八六〇)の老年期の著作『哲学小論集』(一八五一)の一小部分である。岩波文庫には、このほかに、斎藤信治、斎藤忍髄の両氏によって、それぞれ『自殺について』『読書について』という表題で訳されている部分がある。しかしそれでも、まだ全体の一部分にすぎない。だから、これらは全体の姿を伝えないものであるし、さらにこの本は、著者が青年時代に書きあげた主著『意志と表象としての世界』(主要部分は一八一九年に完成)にたえず言及し、じっさいそれの根本思想にもとづいて人生万般について随筆的につづった余論というべきものでもあるから、彼の年齢と時代精神の変化に応じて両者の間に多少のニュアンスのちがいがみられるとはいえ、ここで主著の人生観の要約を試みておくことは、読者の参考になるであろう。
(中略)・・・「個人的意思は、あくことを知らず、そのためにいかなる満足もすぐに新しい願望を生み、かくしてその欲求はいつまでもみたされずに、限りなくあえいでゆく」。それゆえ、現実の生は、ただ深い苦患と苦悩のみにたどりつくように定められている。
そこには二つの道があるのみである。一生の間、さまざまな希望にほんろうされて、いわば踊りつつ死の腕に抱かれてゆくか、それとも、この虚仮の生からめざめて、あらゆる矛盾と不幸の源泉である幸福への期待を断念し、人生のもっとも直接の目的はただ苦悩のみであることを悟るか。そして真理と一致する生活はただひとつ、禁欲と、幻想なき受苦の生活である。無への避難、世界からの疎隔、永遠に無意味に反復される生と歴史とに対する超然たる観照、それがただひとつの享楽である。  (P.177-P.179、「あとがき」)


≪目次: ≫
凡例
哲学とその方法について
論理学と弁証法の余論
知性について
――知性一般について、あらゆる連関からの考察――
物自体と現象との対立についての二三の考察
汎神論について

あとがき


玉ボケ♪




本「社会学の根本概念  SOZIOLOGISCHE GRUNDBERGRIFFE 1922 Max Weber (岩波文庫 白209-6)」マックス・ヴェーバー、清水幾太郎 訳5

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社会学の根本概念  SOZIOLOGISCHE GRUNDBERGRIFFE 1922 Max Weber (岩波文庫 白209-6)

○著者: マックス・ヴェーバー清水幾太郎
○出版: 岩波書店 (1972/1,2006/10 第48刷、文庫 104ページ)
○価格: 420円
○ISBN: 978-4003420966


この『社会学の根本概念』は、マックス・ヴェーバー(Max Weber,1864-1920)の死後に編纂出版された『経済と社会』(Wirtschaft und Gesellschaft,Tübingen,J.C.B.Mohr,1922)の巻頭の論文(Soziologische Grundbegriffe)の翻訳である。
マックス・ヴェーバーの生涯や著作については既に広く知られているが、長い間、宗教、経済、政治、法律などの領域で多くの個別的な社会的研究を積み重ねてきた彼が、その死に先立って、社会学上の重要な諸概念を定義的に明らかにしようと試みたのが、この論文である。残念なことに、この試みは、結局、未完成に終わってしまったけれども、社会学に関する彼の根本的な考え方を知る上で、この短い論文――原本で三〇頁――は非常に貴重な文献である。私の翻訳によって初学者が右の論文の大意を汲むことが出来れば、私の望みは足りる。  (P.99、「訳者の言葉」)



≪目次: ≫
はしがき
第一節 社会学と社会的行為
 一 方法の基礎/二 社会的行為の概念
第二節 社会的行為の種類
第三節 社会的関係
第四節 社会的行為の諸類型――習慣と慣習
第五節 正当なる秩序の概念
第六節 正当なる秩序の種類――慣例と法
第七節 正当なる秩序
第八節 闘争の概念
第九節 共同社会関係と利益社会関係
第一〇節 開放的関係と閉鎖的関係
第一一節 代表権
第一二節 団体の概念と種類
第一三節 団体の秩序
第一四節 行政秩序と規制秩序
第一五節 経営、経営団体、任意団体、強制団体
第一六節 権力と支配
第一七節 政治団体と宗教政治団体

訳者注
訳者の言葉


小河内貯水池




本「猫とともに去りぬ  NOVELLE FATTE A MACCHINA by Gianni Rodari 1973 (光文社古典新訳文庫)」ロダーリ、関口英子 訳5

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猫とともに去りぬ  NOVELLE FATTE A MACCHINA by Gianni Rodari 1973 (光文社古典新訳文庫)

○著者: ロダーリ、関口英子 訳
○出版: 光文社 (2006/9,文庫 287ページ)
○価格: 560円
○ISBN: 978-4334751074


・・・
「どうやらこの家には、四十年も国鉄を立派に勤めあげた、年金生活者の居どころはないようだ。こうなったら、荷物をまとめて出てってやる。かならず実行してみせるぞ。猫といっしょに暮すんだ」
そして、ある朝ほんとうに、ロトクジを買ってくるといって家を出たまま、帰らなかった。古代ローマの遺跡に多くの猫が棲みついている、アルジェンティーナ広場に向かったのだ。
石段をおり、猫の縄張りと自動車の縄張りを隔てている鉄柵を越えると、彼の姿は猫になっていた。
すぐさま、後の足の裏をぺろぺろとなめまわした。スタートしたばかりの新しい生活に、人間の靴の泥を持ちこみたくなかったからだ。すると、ところどころの毛の薄くなったメス猫が近づいてきて、彼をじっと見ている。……まだ見ている。やっぱり見ている。しまいには話しかけてきた。
「失礼ですが、アントニオさんじゃございませんこと?」
「そんなことは思い出したくもありません。アントニオは辞めることにしたのです」
・・・  (P.9-P.10、「猫とともに去りぬ」)

解説より、
ジャンニ・ロダーリ(一九二〇〜八〇年)は、イタリアを代表する児童文学作家であり、詩人、ジャーナリスト、教育者として知られている。
ファンタジーを、「この世に生まれたすべての人の精神や人格をつくりあげている特質」と捉え、それを法則化することによって、誰もが物語を創る楽しさを味わえるようにした画期的な試み『ファンタジーの文法』は、日本でもご存じの方が多いのではないだろうか。
イタリアでは、もはや児童文学の枠を超え、二十世紀を代表する作家の一人として、イタリア文学史の流れのなかに位置づけられている。・・・  (P.260)
本書『猫とともに去りぬ』は、七二年から七三年にかけて日刊紙「バエーゼ・セーラ」に掲載された短編を、ロダーリ自身が編み、七三年に単行本としてエイナウディ社より刊行されたものである。
七七年には、同社の中学生向きの読み物のシリーズの一冊として収められているし、九三年には、フランチェスコ・アルタンの挿絵入りで、エイナウディ・ラガッツィ社より、子ども向けの抜粋版も出ている。
オリジナルタイトルの《 Novelle fatte a machina 》は、「機械でつくった物語」という意味である。ここでの“機械”は、「タイプライター」と解釈することもでき、廃れる一方の“鉛筆”の対極にあるものとして、スピード化された現代社会を象徴する存在である。
オリジナル版には、全部で二十六の短編が収録されている。・・・  (P.274-P.275)


≪目次: ≫
猫とともに去りぬ  《 Novelle fatte a machina 》
1 猫とともに去りぬ Vado via con i gatti/2 社長と会計係 あるいは 自動車とバイオリンと路面電車 Padrone e ragioniere ovvero L'automobile, il tram da corsa/3 チヴィタヴェッキアの郵便配達人 Il postino di Civitavecchia/4 ヴェネツィアを救え あるいは 魚になるのがいちばんだ Venezia da salvare ovvero Diventare pesci è facile/5 恋するバイカー Il motociclista innamorato/6 ピアノ・ビルと消えたかかし Pianoforte Bill e il mistero degli spaventapasseri/7 ガリバルディ橋の釣り人 Il pescatore di ponte Garibaldi/8 箱入りの世界 Il mondo in scatola/9 ヴィーナスグリーンの瞳のミス・スペースユニバース Miss Universo dagli occhi color verde-venere/10 お喋り人形 La bambola a transistor/11 ヴェネツィアの謎 あるいは ハトがオレンジジュースを嫌いなわけ I misteri di Venezia ovvero Perchè ai piccioni non piace l'aranciata/12 マンブレッティ社長ご自慢の庭 Il giardino del commendatore/13 カルちゃん、カルロ、カルちゃん あるいは 赤ん坊の悪い癖を矯正するには…… Carlino,Carlo,Carlino ovvero Come far perdere ai bambini certe cattive abitudini/14 ピサの斜塔をめぐるおかしな出来事 Strani casi della Torre di Pisa/15 ベファーナ論 Trattato della Befana/16 三人の女神が紡ぐのは、誰の糸? Per chi filano le tre vecchiette?

解説/関口英子
ジャンニ・ロダーリのおもな邦訳作品
ジャンニ・ロダーリ年譜
訳者あとがき


≪著者: ≫ ジャンニ・ロダーリ Gianni Rodari [1920-1980] イタリアを代表する児童文学作家・詩人・ジャーナリスト・教育者。「ファンタジーは人間の精神・人格を形成する大切なもの」と考え、画期的論考『ファンタジーの文法』や童話『チポリーノの冒険』などを著した。教訓におちいることなく、人類愛、反差別、自由の概念を、上質な笑いとともに表現。1970年“児童文学のノーベル賞”『国際アンデルセン賞作家賞』を受賞した。

[訳者] 関口英子 Sekiguchi Eiko 埼玉県生まれ。大阪外国語大学イタリア語学科卒業。翻訳家。児童書から映画字幕までイタリア語の翻訳を幅広く手掛ける。主な訳書に『マルコとミルコの悪魔なんかこわくない!』(ジャンニ・ロダーリ)、『霧に消えた約束』(ジュゼッペ・ペデリアーリ)、『きっと天使だよ』(ミーノ・ミラーニ)などがある。


麦山浮橋




本「イスラームの世界観 「移動文化」を考える (岩波現代文庫 社会 161)」片倉もとこ5

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イスラームの世界観 「移動文化」を考える (岩波現代文庫 社会 161)

○著者: 片倉もとこ
○出版: 岩波書店 (2008/2,文庫 237ページ)
○価格: 1,050円
○ISBN: 978-4006031619


「もし、愛するものといっしょにいたいのなら、なにもかもあきらめる用意をしなければならない。いのちそのものでさえも。そのとき、神、アッラーのお力によって、心から願うことをかちとることができるのだ」  (P.205、『ルーミーの寓話』)
「所有」は、「自由」とひきかえになってしまうことがおおいから警戒する――、移動する人たちはそういう哲学をもっている。
荒野のどまんなかの石でかこっただけのつつましい遊牧民の祈祷所であろうが、カイロダマスカスの歴史に名高い立派なモスクであろうが、なかにはいってみると、床に敷物がひいてあるぐらいで、ほかにはなにもない。キブラとよばれるメッカの方向を示すくぼみがあるだけで、がらんとしている。広い中庭や、まあるく、空の光をとりこむ天井。いかにものびやかな空間がひろがっている。バチカンの教会には、信者たちの寄進のものの数々がところせましとおかれ、物の洪水に息苦しさを感じるという人もいるが、それとは対照的に、モスクにはなにもない。なにもない快さに心がのびやかになるという。  (P.78-P.79、「所有」しないこと)
からだもこころもうつろっていくことを前提とするかれらは、「ハサブ・ル・ズルーフ」という言葉を日常生活のなかでよく使う。「そのときの状況しだい」という意味である。すべての「時間」は「現在」に集約されると考え、大事なのは、同じ時間を同じ空間でわかちあっているこの瞬間、現在しかないのだという。明日はこうしようとおもっていても、次の朝起きてみると状況がうごいているかもしれない。母が危篤とか、本人が熱を出したとか、そういうときはその状況にしたがって行動するしかない。そこで約束事には、日本では悪名高い「インシャラーアッラー」(神の御意志あらば)という言葉をそえて処方箋とする。人間の意志だけで、ものごとはうごくわけではない。昨日が今日をしばることもできない。晴耕雨読感覚で生きるということになるだろうか。  (P.10-P.11)


≪目次: ≫
プロローグ――「移動文化」との出会い
動きのある世界/動かない方がいい社会/「移動文化」との出会い/水陸両棲の遊牧民/都会の遊牧民/イスラームの「動の思想」/日本にもある「動の思想」
第一話 海の遊牧民
海に出ていった遊牧民たち/「バーディヤ」とは/真珠とりの起源/真珠とりの遊牧民/「大きな季節」/詩や歌の役割/手づくりの香り
第二話 大海へおどりでた人びと
「海の民」アラビア人/海上交易ことはじめ/季節風にのって/商人だったムハンマド/アラビアの大征服時代/女性商人の活躍/水先案内人たち/海の民の文化遺産/移動する学者たち
第三話 移動の哲学
「巡礼の道」シルクロード/旅の原型「巡礼」/旅人保護の制度/「所有」しないこと/みえないものを大事にする/よどませない経済/無利子金融とは/根づくイスラーム銀行/国境を軽やかにこえて/「ナショナリズム」から「トランスナショナリズム」へ
第四話 文化の移動――エジプト人の場合
属地的文化と属人的文化/流動的なエジプト社会/バンクーバーのエジプト人/異文化対応の三類型/社会的ネットワーク/ふるさととの関係/「アラビア語」の問題/イスラーム学校/食と飲酒の習慣/「契約」意識の強い結婚/葬儀と墓地/断食と礼拝/クリスマスをどう過ごすか/たかまるイスラームへの関心
第五話 共存か共生か
「共存」と「共生」/「平和共存」という共存/同化の限界/「共存」の実態/「まあい共生」とは/ミッレト制/ダマスカス――「迎えいれる文化」/「非構造的共生」の社会/「愛着空間」と墓
第六話 日本にもある「動の思想」
遷宮――日本文化の基底にある「動」/永遠をささえる「動の思想」/「ゆっくり」と品格/古代・中世――移動民の時代/漂泊へのあこがれ/ゆたかな「動」の時代へ
第七話 ホモ・モビリタス――あたらしい遊牧民の時代へ
移動によって「人類」は「人間」になった/みえない地図/「移動」をつねとする人びと/『ルーミーの寓話』/個人移動の時代へ/二一世紀はハイモビリティ時代
エピローグ――「目的へまっしぐら」からの脱却
「しめきり時間」ではじまった湾岸戦争/直線か曲線か/自然は曲線でできている/目的志向からの脱却/道中を楽しむ/天女たちの舞い
岩波現代文庫版あとがき

*本書は一九九五年一月、日本経済新聞社より刊行された。底本には、同時代ライブラリー版(岩波書店、一九九八年七月刊)を用いた。


≪著者: ≫ 片倉もとこ (かたくら もとこ) 一九三七年奈良県生まれ。七二年東京大学大学院地理学博士課程修了。理学博士。現在、国際日本文化研究センター所長(2008年退任)、国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。著書に『イスラームの日常世界』(岩波新書)『アラビア・ノート』(ちくま学芸文庫)『沙漠へ、のびやかに』(筑摩書房)、編著に『イスラーム世界事典』(明石書店)『イスラーム世界』(岩波書店)ほか多数。


Lagerstroemia indica




本「ヴェネツィアに死す  Title:DER TOD IN VENEDIG 1912 Author:Thomas Mann (光文社古典新訳文庫)」マン、岸美光 訳5

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ヴェネツィアに死す  Title:DER TOD IN VENEDIG 1912 Author:Thomas Mann (光文社古典新訳文庫)

○著者: マン、岸美光 訳
○出版: 光文社 (2007/3,文庫 166ページ)
○価格: 440円
○ISBN: 978-4334751241


「奥様、よそ者が余計なお世話とは存じますが、一つご注意させて下さい。皆がエゴのために言わずにいる警告です。出発してください、いますぐに、タッジオとお嬢さんたちを連れて! ヴェネツィアに伝染病が広まっています」。それから、嘲笑的な神の手先にされた少年の頭に別れの手を乗せ、きびすを返してこの泥沼から逃げ出してもいいわけだ。しかし彼は同時に、そういう一歩を望む気持などさらさらないということも感じていた。もしそうできれば、その一歩は彼を連れ戻してくれるだろう、自分自身に返してくれるだろう。しかしいったん自分から外れてしまった者は、再び自分に戻ることを何よりも嫌うのである。彼は夕日に輝く碑文に飾られた白い建物を思い出した。あの時、そこに透けて見えた神秘に彼の心の目は夢中になったのだ。それからあの奇妙な旅人の姿を思い出した。あれが老いてゆく男の胸に、遠い異郷をさまよう若者の憧れを呼び起こしたのだ。そして帰郷だの、思慮だの、冷静だの、苦労だの、熟練だのといったことを考えると、嫌悪のあまり顔が歪んで肉体的な不快が露わになった。「黙っていなければならない!」彼は小声で激しく言った。「黙っていよう!」自分も知っているという意識、自分も同罪だという意識が、少量のワインが疲れた顔を酔わせるように彼を酔わせた。災厄に見舞われて荒れ果てた町の姿が、荒涼と眼前に浮かび、心の希望に火をつけた。不可解な、理性などまたぎ越す、とてつもなく甘い希望だった。ついさっき一瞬見た優しい幸福など、この時期に比べたら何だろうか。カオスのもたらす利点に比べたら、芸術や得が何だろうか。彼は黙して動かなかった。  (P.131-P.132)
・・・何かを間に入れる必要があった。準備なしのその場凌ぎ、無為徒食の日々、異郷の空気、新しい血の導入、夏が耐えやすい実り多いものになるように。そうだ、旅に出よう、――心が満たされるのを感じた。遠くに行く必要はない、何も虎のいるところまで。一晩寝台車に乗って、三、四週間の午睡、愛すべく南方の、誰もが喜ぶような避暑地で……   (P.16)

解説より、
トーマス・マンは十九世紀末のデカダンスの雰囲気の中で、作品を書き始めました。『ヴェネツィアに死す』は一九一二年、マン三十七歳の時に発表されました。・・・  (P.156)


≪目次: ≫
ヴェネツィアに死す

解説/岸美光
マン年譜
訳者あとがき


≪著者: ≫ トーマス・マン Thomas Mann [1875−1955] リューベックの富裕な家庭に生まれたドイツの作家。ヴァーグナー、ニーチェなどの影響を受ける。ミュンヘンに移住後、長編小説『ブデンブローク家の人々』を発表(1901年)、注目を浴びる。1929年、ノーベル文学賞受賞。1933年、旅行中にスイスで亡命生活に入り、ナチスに対してつねに反対の姿勢をつらぬく。作品に『トーニオ・クレーガー』『魔の山』『ヨセフとその兄弟たち』『ヴァイマルのロッテ』『ファウストゥス博士』、エッセイに『非政治的人間の考察』など。

[訳者] 岸 美光 Kishi Yoshiharu 1948年埼玉県生まれ。翻訳業。元・東京都立大学教授。18世紀ドイツ文学専攻。主な訳書に『大きなケストナーの本』(ケストナー、リスト編、共訳)がある。


late summer




本「すばらしき愚民社会 (新潮文庫)」小谷野敦5

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すばらしき愚民社会 (新潮文庫)

○著者: 小谷野敦
○出版: 新潮社 (2007/1,文庫 317ページ)
○価格: 500円
○ISBN: 978-4101306711


表出する言説や表現に惑わされて、本質を見誤ることを避けたい。
聞こえのいい言説が、だからと言って、即ち正しい、ということは、、、ほとんどない。耳障りがいいことを常に言い及ぶのは、究極的には、自らの腹を痛めて産み落とした母親だけ。それ以外の他者にあっては、何らかに意図に基づく作為に満ちる。
否定して拒絶して排除するにしても、その本質であり、中身を見定めることがなくては、その判断すら採用することが憚られる。
小谷野敦にあって、展開される情報量と、その編集力に魅せられる。

私が「愚民」と呼んでいるのは、豆腐屋や靴屋やトラックの運転手や、競馬やパチンコの好きなお父さんではない。電車の中で七人がけのところに六人で座って詰めようとしない連中や、携帯メール中毒になってじっと携帯を見つめている若者は、部分的に愚民ではあるが、もし大量に愚民が存在する領域があるとしたら、それはいわゆる知識人、つまり「大学」や「学者社会」、そして大学院生や学生たちなのではないかという気が、今ではしている。月曜になると、『週刊現代』や『週刊ポスト』を、煽情的な記事やらヌード写真目当てに買う人々は、どちらかというと愛している。愚民向け雑誌といえば、『AERA』や『SPA!』ではないか。前者のお父さんたちは、自分が選良だなどとは思っていないだろうから、愚民ではない。自分らが選良だと思っている者たちのほうが愚民なのである。  (P.306)


≪目次: ≫
序 大衆論とその後
今や「大衆」は司馬遼太郎さえ読まない/「ハリポタ」をリクエストする東大生
第一章 バカが意見を言う世の中
「大衆社会」から「大衆教育社会」へ/高校と大学の数を減らすべき/ネット肯定論者の不誠実/バカはネットで物を言う/論争はネットにお任せ?
第二章 迷走する階級・格差社会論
階級・格差社会論の萌芽/遺伝というものがあるではないか/何のための三流大学なのか/戦後日本の中流・平等幻想/「西洋社会=平等社会」幻想/「階級」を認めない日本人/格差? やっとバブルが終わっただけ……/ニート論の欺瞞をめぐって/バカな若者をこれ以上甘やかすな
第三章 日本の中間階層文化
二十年前の「大衆」/バカに選挙権を与えていいのか/なぜ「名前連呼」が選挙運動か/独特な日本の中間階層文化/近代批判の流行と近世への思考停止
第四章 「近世」を忘れた日本知識人
歴史は近代から始まるわけではない/非歴史的な「日本論」/『太平記』の凋落、南北朝を巡る混乱/なぜ「歴史」が抜け落ちてしまうのか/日本知識人と近世/インチキ現代思想より、近世を!
第五章 「説得力ある説明」を疑え!―― カール・ポパー復興
通俗心理学を疑え!/「何でも説明できる」からこそいかがわしい/政治的に利用される心理学/岸田秀の場合……/「――とは何か」とは、一体何なのか?/「お手軽分析」がまかり通る世の中/「時代論」に気をつけろ!/政治と研究をごっちゃにするな/「分からない」は「分からない」で良いではないか
第六章 他人を嘲笑したがる者たち
やんちゃな文体/意見を言うようになったバカ/ネット言論の功罪/「2ちゃんねる」とマスコミと知識人/表現の自由と匿名性/「まじめ」を忌避し、「笑い」を求める/「2ちゃんねらー」と江戸町人文化/元来「笑い」とは嗜虐的かつ猥褻なものである/「笑い」の変化と強制/日本に「西洋風ジョーク」は似合わない/「笑ったもん勝ち」は許せない/「正論」なき時代の「シニシズム」/「笑われること」を恐れるな!
第七章 若者とフェミに媚びる文化人
「正しいおじさん」と「わがままな若者」/オヤジとギャルの二項対立/なぜ文化人は若者に媚びるのか/日本の新たなタブー/「中立を認めない」と「中立を目指す」の差/ポストモダニズムは「やけくそ哲学」/「事実」が言説による構築ならば……/「生物学的男女差」と「政治的男女差」/フェミニズムにおける不平等/離婚慰謝料における「男女差」
第八章 マスメディアにおける性と暴力
ポルノグラフィーは性犯罪を助長するか/検閲ではなく批判を/性・暴力表現を甘受してはいけない/「リベラル」ぶるのもいい加減にしろ!/暴力表現に寛容なのがそんなに進歩的か?/暴力が好きな映画評論家たち
第九章 アカデミズムとジャーナリズム
「新書戦争」に物申す!/新書に「世界史」が、ない/アカデミズムとジャーナリズムの溝/「国文学の三悪人」/「文学研究者」という悲しい職業/「論争」を忌避する学者たち/粗製濫造される「へなちょこ学問」/「研究」とはかくも難しいものなのである
第十章 禁煙ファシズムと戦う
反煙草運動の急速な広がり/強制力のない法律を前に自己規制/非学問的な「受動喫煙」被害/身体に悪いものなどほかにもあろうに/「禁煙医師連盟」に精神科医がいないわけ/たばこ屋の孫に生まれて/喫煙は単なるニコチン中毒か/酒はいいのか、酒は!/比較は公正にすべし/ストレス社会こそ元凶/禁煙ファシズムが隠蔽しているもの
あとがき
文庫版あとがき


*この作品は平成十六年八月に新潮社より刊行された。


≪著者: ≫ 小谷野敦 Koyano Atsushi 1962(昭和37)年生まれ。東京大学文学部英文科卒業、同大学院比較文学比較文化専攻博士課程修了。学術博士。2007年現在、東京大学非常勤講師。2002(平成14)年、『聖母のいない国』でサントリー学芸賞を受賞。著書は『〈男の恋〉の文学史』『もてない男』『バカのための読書術』『恋愛の超克』『退屈論』『中庸、ときどきラディカル』『俺も女を泣かせてみたい』『反=文藝評論』『片思いの発見』『なぜ悪人を殺してはいけないのか』『谷崎潤一郎伝』など多数。


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本「車輪の下で  Title:UNTERM RAD 1906 Author:Hermann Hesse (光文社古典新訳文庫)」ヘッセ、松永美穂 訳5

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車輪の下で  Title:UNTERM RAD 1906 Author:Hermann Hesse (光文社古典新訳文庫)

○著者: ヘッセ松永美穂
○出版: 光文社 (2007/12,文庫 308ページ)
○価格: 600円
○ISBN: 978-4334751456


「よろしい、それでいいよ、きみ。手を抜いちゃいかんよ、さもないと車輪の下敷きになってしまうからね」
彼はハンスの手を握り、ハンスはほっと息をつきながらドアに向かった。すると校長は彼を呼びとめた。
・・・  (P.159)
・・・ハンスの細い顔に浮かぶどうしようもない微笑の背後で、破滅しつつある魂が苦しんでおり、溺れそうになりながら心配そうに水面で辺りを見回しているのだということに気づいてはいなかった。そして、学校と父親や何人かの教師の野蛮な虚栄心が、無邪気に広がっていた穏やかな子どもの魂のなかで遠慮会釈なく暴風雨のように吹き荒れることで、このもろくて繊細な人間をすっかり追い詰めてしまっているとは、誰一人考えなかったのだ。どうして彼は、もっとも感じやすく危うい少年時代に、毎日毎日夜遅くまで勉強しなければならなかったのだろうか? どうして人々は彼からウサギを取り上げ、ラテン語学校の同級生を意図的に遠ざけ、釣りや散歩を禁じ、子どもを疲労困憊させるようなみすぼらしい虚栄心から来る、空っぽでちっぽけな理想を植え込んだのだろう? どうして試験の後でさえ、ちゃんともらえるはずの休暇を与えてやらなかったのだろう?
いまや過度にしごかれた小馬は道端に倒れ、もう役に立たない状態だった。
どうしてこんなことを? と尋ねられたら、教師たちは疑いなく笑ったことだろう。こんなにもたくさんの他の生徒たちが、すでに同じような特訓に耐えたではないか? このように例外的に繊細な少年の神経に対して、嗅覚と感情のいたわりの気持ちを働かすべきだなどと、誰が教師に要求できるのだ? せめて自然な情愛のこもった思いやりを持つべきだというのか?
・・・  (P.188-P.189)
・・・大きな失望と先の見込みのなさゆえに、彼は過去の楽しかった時代、まだ希望に満ちて、押し入ることのできない奥の方に恐ろしい危険や魔法をかけられた宝石やエメラルドの城を隠した巨大な魔法の森のような世界が未来に待ち受けていた時代に逃避しようとしていた。彼はほんのちょっとだけ、この荒野のなかに足を踏み入れてみたが、奇跡が起こる前に疲れてしまい、いまではまた謎めいた薄暗い入口にたたずんでいるのだった。しかも今回は締め出された人間として、無為な好奇心を抱いて。・・・  (P.214-P.215)
そう、見える世界が異なる。これまで目にしたとしても、認識されなかった、けっして認識されることがなかった事柄――締め出された人間としての無為な好奇心??!――が、否応なく意識される。大きな失望は、目線をさげる。通常(?!)であれば、顔をあげて本来目にすべき事柄について、直視できなくなり避ける。どんなに避けたとしたって、目を閉じ、耳を塞いだとしても、何らかの情報が、生きている以上は、認識される。認識される情報の、情報に対する“まなざし”に、その差異は歴然とあらわれる。

解説より、
・・・「車輪」と訳した単語 Rad は、有為転変を意味する言葉でもある。人間を押し潰そうとする、運命の車輪。ハンスが機械工見習いとなって最初にやすりをかけさせられる歯車も Rad だし、年末宝くじの抽籤の際にぐるぐると回すダーツの的も Rad である。Unter die Räder geraten(車輪の下敷きになる)という言い回しは、「落ちぶれる」という意味でもある。運命に翻弄され、エリート路線から脱落したハンスは、まさにこうした車輪の下で喘ぐことになる。  (P.298)
・・・ヘッセが二十五歳だった一九〇三年五月に書き始められ、その年の終わりには完成していたらしい。  (P.296)


≪目次: ≫
車輪の下で
解説/松永美穂
ヘッセ年譜
訳者あとがき


≪著者: ≫ ヘルマン・ヘッセ Hermann Hesse [1877−1962] ドイツの作家。両親はキリスト教伝道者。神学校に進むが学校生活になじめず、神経を病み退学。その後も高校退学、3日で書店を退職するなど挫折を繰り返す。しかし独学で勉強し、27歳で出した初めての小説『ペーター・カーメンツィント』で成功を収め、有名作家となる。主な作品に『車輪の下で』『デーミアン』『シッダールタ』『荒野の狼』。1946年ノーベル文学賞受賞。1962年脳内出血のため自宅で睡眠中に死去。

[訳者] 松永美穂 Matsunaga Miho 東京大学大学院人文社会研究科博士課程満期単位取得。早稲田大学教授。訳書に『朗読者』『逃げてゆく愛』(シュリンク)、『ワイキキ・ビーチ。』(シュトレールヴィッツ)、『リスとお月さま』(メッシェンモーザー)などがある。


Habenaria radiata




本「読書について 他二篇  Authur Schopenhauer PARERGA UND PARALIPOMENA: KLEINE PHILOSOPHISCHE SCHRIFTEN 1851 (岩波文庫 青632‐2)」ショウペンハウエル 著、斎藤忍随 訳5

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読書について 他二篇  Authur Schopenhauer PARERGA UND PARALIPOMENA: KLEINE PHILOSOPHISCHE SCHRIFTEN 1851 (岩波文庫 青632‐2)

ショウペンハウエル 著、斎藤忍随
○出版: 岩波書店 (1960/4;1983/7 第26刷改版;2006/9 第63刷,文庫 158ページ)
○価格: 525円
○ISBN: 978-4003363225


無知は富と結びついて初めて人間の品位をおとす。貧困と困窮は貧者を束縛し、仕事が知にかわって彼の考えを占める。これに反して無知なる富者は、ただ快楽に生き、家畜に近い生活をおくる。その例は、日々目撃することができる。だが富者に対する非難は、これに尽きない。富と暇の活用を怠り、富と暇に最大の価値を与える生活に意を用いなかった点をさらにとがめるべきである。

読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。習字の練習をする生徒が、先生の鉛筆書きの線をペンでたどるようなものである。だから読書の際には、ものを考える苦労はほとんどない。自分で思索する仕事をやめて読書に移る時、ほっとした気持ちになるのも、そのためである。だが読書にいそしむかぎり、実は我々の頭は他人の思想の運動場にすぎない。・・・ (P.127-P.128、「読書について」)

自ら思索することと読書とでは精神に及ぼす影響において信じがたいほど大きなひらきがある。そのため思索向きの頭脳と読書向きの頭脳との間にある最初からのひらきは、ますます大きくなるばかりである。すなわち読書は精神に思想をおしつけるが、この思想はその瞬間における精神の方向や気分とは無縁、異質であり、読書と精神のこの関係は印形と印をおされる蠟のそれに似ているのである。読書にいそしむ精神が外から受ける圧迫ははなはだしい。衝動的なつながりはもちろん、気分的なつながりさえ感じない、いろいろなことを次々と考えていかなければならないのである。しかし自ら思索する精神は、厳密な意味では外界あるいは何らかの警告によって拘束はうけても、読書する精神とは逆に自らの衝動に従って動く。すなわち目に映る世界は読書と違って精神にただ一つの既成の思想さえ押しつけず、ただ素材と機会を提供してその天分とその時の気分にかなった問題を思索させるのである。このようなわけで多読は精神から弾力性をことごとく奪い去る。重圧を加え続けると発条(ばね)は弾力を失う。つまり自分の思想というものを所有したくなければ、そのもっとも安全確実な道は暇を見つけしだい、ただちに本を手にすることである。もともと愚鈍で精神を持ち合わせていない普通の人たちが、学問をつむにつれてその傾向をいよいよ強め、彼らの著作が結局失敗するのもこの安全な道を歩むからである。彼らはポープの嘲笑の言葉どおりに、「永遠に読まれざるため、永遠の読書を続けている」(Pope, Dunciad , 194)のである。 (P.6-P.7、「思索」)

簡単に多読が否定されるものではない。
前提には、頭脳(思索向きの頭脳と読書向きの頭脳との間)のひらき――能力の差異――があろう。
確かに、読書にいそしむ間は、思索を所有することができない。
また、その安楽さであり、現実逃避を求めて読書する自らを否定できるものではないが、、、

ここに翻訳した「思索」、「著作と文体」、「読書について」は、ショウペンハウエル(一七八八−一八六〇)の著作『パレルガ・ウント・パラリーポメナ』(Arthur Schopenhauer: Parerga und Paralipomena, herausgegeben von E. Griesebach, Reclam)に収められている“Selbstdenken”,“Über Schriftstellerei und Stil”,“Über Lesen und Bücher”の三篇にあたり、字義通りに訳すと、「自ら考えること」、「著作と文体について」、「読書と書物について」となる。 (P.153、「あとがき」)


≪目次: ≫
思索 “Selbstdenken”
著作と文体 “Über Schriftstellerei und Stil”
読書について “Über Lesen und Bücher”
訳注
あとがき


Mt.Fuji




本「ワールドインク なぜなら、ビジネスは政府よりも強いから  Bruce Piasecki, WORLD, INC., Sourcebooks, 2007 [DIPシリーズ]」ブルース・ピアスキー、東方雅美 訳5

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ワールドインク なぜなら、ビジネスは政府よりも強いから  Bruce Piasecki, WORLD, INC., Sourcebooks, 2007 [DIPシリーズ]

○著者: ブルース・ピアスキー、東方雅美 訳
○出版: 英治出版 (2008/4,単行本 352ページ)
○価格: 1,995円
○ISBN: 978-4862760241


WORD INC.
When it Comes to Solutions
―Both Local and Global―
Business are Now More
Powerful than Goverment.
Welcome to World Inc.


本書は複雑でいろいろな意味合いが含まれているが、その中心となる問いかけは、次のようにきわめてシンプルだ。
「競争や勝利への欲望が人間の本質において重要な部分を占めているが、それでもわれわれは、自分自身や自分の企業を見直し、社会的な責任についてもっと考慮することができるようになるのだろうか」
われわれは大規模な競争の価値やその魅力について、とてもよく理解している。企業は競合他社より良いものを作ることで自尊心を満たし、消費者は優れた製品を手に入れる。しかし、優れた二一世紀に企業は、社会的ニーズについて理解し、正しく認識し、その価値をうまく活用しようとしているだろうか。
ある企業が成功するという予測は、市場が常に動いていること、また予測そのものの性質により、不確実である。確実なことは、やがて石油やガスがなくなること。家を暖め、自動車を動かし、今ある形での工業製品を作りつづけるための燃料がなくなることである。これは事実だ。大手石油会社、自動車会社、消費財メーカー、農産物の会社などでは、石油時代の終焉について、取締役会で議論され、懸念されることが増えている。世界の最大手三〇〇社は、この新たな世界秩序、新たな社会領域について研究を進めつつある。彼らが生き残り、さらに栄えるためには、社会のニーズを考えたイノベーションの方法を開発し、向上させていかなければならない。石油供給の減少により空いてしまう穴を埋めるための新たな方法、社会における責任を果たす方法を探さなければならない。われわれはこの、ビジネスにおける社会に関連した側面を「Sフロンティア」と呼ぶ。
ワールドインクは複雑な理論であり、一つのリストにまとめるのは難しい。それでも図4のイメージで、次の三つの現実を表すことができる。
/靴燭弊こ市場の情報の速さ(Swiftness)
△錣譴錣譴料阿卜ちはだかる主要な社会問題の厳しさ(Severity)
社会対応(Social Respones)の資本主義の必要性  (P.44-P.45)



≪目次: ≫
まえがき……パトリシア・アバディーン
第1部 静かなる革命
第1章 ワールドインクの時代――企業の役割が変化する

ハビブ博士の講演から見えてきた、企業の社会的な課題/企業のグローバル化の始まり/グローバル化の進展と企業の社会的役割/優れた製品開発が社会を変える/ハビブ博士への最後の質問
第2章 Sフロンティアをめざせ――「社会対応」とは何か
消費者から企業への期待/社会的責任とSフロンティア/トヨタとのプロジェクト――本書の起源/消費者がより良い製品を求める動き/企業がより良い製品を開発する意義/社会対応――企業戦略の新しい要素/第2章のまとめ/再掲:これまでに起きた資本主義の変化
第3章 社会対応型資本主義(ソーシャル・レスポンス・キャピタリズム)――経済は根本から進化する
社会対応型資本主義を定義する/社会対応型資本主義の現状と幅の広がり/優れた企業が上る階段――社会対応型の製品開発/社会対応型資本主義を形成する/それぞれの企業の動き/GEのエコマジネーション/よく似たイノベーションが起こるとき/第3章のポイント
第2部 変革の視点
第4章 トヨタに学ぶ――「持続可能な成長」への戦略

持続可能な成長を目指す/トヨタのアメリカでの展開と社会対応への動き/社会的なイノベーションから得られるもの/GMフォードホンダなどの動き/トヨタがリスクを取れた理由
第5章 隠れた企業価値を探せ――屋敷の構造を解き明かす
ナレッジの深さ/ナレッジの階層/ナレッジの耐性/ナレッジへの依存/第5章のまとめ
第6章 信頼できるリーダーを育てる――10のレッスン
レッスン〇埔譴寮約の中から優れた製品を作り出す/レッスン▲丱薀鵐垢鬚箸蝓▲悒奪犬鬚垢襦織譽奪好鶚リーダーシップとは社会におけるあり方のことである/レッスンぅ蝓璽澄爾論睫世垢詛塾呂ある――トゥーグッドの著作から学ぶ/レッスンゼ匆馘リーダーのモデル、リンカーン/レッスンΕ蝓璽澄爾論長のための新しい道筋を見出す――トムズ・オブ・メインの事例から学ぶ/レッスンР礎祐僂鮟纏襪垢襦宗愁撻ぅ鵑涼作から学ぶ/レッスン┳阿寮こΔ箸修瞭阿について知る――バージニア・メイソン病院の事例から学ぶ/レッスン憧れの企業から発想を得る――GEのエコマジネーションから学ぶ/レッスン企業文化が勝者を決める。その逆ではない/言いつづけることと抑制すること/第6章のまとめ
第3部 ピープルインク――資本主義の未来
第7章 ヒューレット・パッカードの世界観――すべては「あなた」次第だ

HP本社の雰囲気/経営陣の交代と維持されたビジョン/持たざる人に向けてのビジネス/HPの社会におけるリーダーシップとイノベーションの歴史/HPの競争上の課題/社会反応がHPのポジションを守る/「ボトム・オブ・ザ・ピラミッド(BOP)」に見出す事業機会/BOP事業から生じるリスクをどのように管理するか/二〇三〇年における企業のリーダーシップと世界の文化
第8章 お金は自分では動かない――投資家が変わる、市場が変わる
「買い手は注意せよ」シンドロームを打ち破る/グローバル・エクイティ文化のロジック/企業の新しい価値を評価する/一般的な株式評価モデルにおける「業界一律」の誤り/サンコア・エナジ――持続可能性を企業価値に結びつける/格付け機関が企業の無形の価値を評価する/誰がお金をコントロールするのか
第9章 われわれの新たな責任――価値の変化にどう向き合うか
魅力を増す無形の価値――バリュー・クリエーション・インデックス(VCI)/社会面からのスクリーニング――カルバート・グループ/隠された価値を見出す――インベスト・ストラテジック・バリュー・アドバイザー/株主の動きとその影響――IRRCのリサーチから見えてくるもの/社会的要素を企業評価に取り入れる――S&Pの力と影響力/社会的リーダーシップとSフロンティア
エピローグ
あとがき「お金の力と消費者の力 投資の観点から見た社会対応」……ジョージ・ダラス
訳者あとがき
補遺(A・B)


≪著者: ≫ ブルース・ピアスキー Bruce Piasecki 企業による環境問題への対応について専門性を有する経営コンサルティングファーム、アメリカン・ハザード・コントロール・グループ(AHCグループ)の創設者・会長。エネルギー・環境問題に関して、トヨタ、BP、シェブロン、デュポンなど数多くの有名企業のアドバイザーを務める。ベストセラーとなった『優れた環境を求めて』(In Search of Environmental Excellence,1990)のほか、『環境マネジメントと事業戦略』(Environmental Management and Business Startegy:Leadership Skilla for the New Century,1998)、『企業の環境戦略』(Corporate Environmental Strategy:The Avalanche of Change Since Bhopal,1995)、『有害廃棄物管理者におけるアメリカの未来』(America's Future in Toxic Waste Management,1988)、『投棄の先に』(Beyond Dumping:New Stategies for Controlling Toxic Contamination,1984)など、環境問題と企業の社会的責任に関する著書多数。本書は数々のビジネスリーダーとの25年余にわたる実践的研究活動の集大成である。

≪訳者: ≫ 東方雅美 Masami Toho 慶應義塾大学法学部卒。バブソン大学経営大学院博士課程修了。大手出版社にて雑誌記者として勤務した後、教育関連企業の出版部門にて、経済・経営書の企画・制作に携わる。現在は独立し、書籍の翻訳、編集、執筆、および企画・コンサルティング等を行う。翻訳書に『論理思考力トレーニング法』、共訳書に『リーダーを育てる会社・つぶす会社』、『石油 最後の1バレル』、『グラミンフォンという奇跡』(以上、英治出版)、共著書に『MBAクリティカルシンキング』(ダイヤモンド社)などがある。



Tokyo Tower




本「帝国主義論  Title:ИМПЕРИАЛИЗМ 1917 Author:Ленин (光文社古典新訳文庫)」レーニン、角田安正 訳5

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帝国主義論  Title:ИМПЕРИАЛИЗМ 1917 Author:Ленин (光文社古典新訳文庫)

○著者: レーニン、角田安正 訳
○出版: 光文社 (2006/10,文庫 306ページ)
○価格: 600円
○ISBN: 978-4334751128


)椽颪寮擬阿塀靆召蓮◆愡駛楴腟舛虜嚢發涼奮としての帝国主義――一般向け概説書――』であるが、表紙のタイトルは通称に従って『帝国主義論』とした。 (P.3、「凡例」)
本書の執筆時期は、一九一六年一月から六月にかけてである。
最初に活字になったのは一九一七年半ば。ペトログラードのパールス社が、小冊子の体裁で刊行した。 (P.254)


仮に帝国主義をできるだけ簡潔に定義付ける必要に迫られたら、「帝国主義とは、資本主義の独占段階のことである」と述べればよかろう。このような定義であれば、最重要点が盛り込まれる。なぜか。第一の理由はこうだ。金融資本は銀行資本である。銀行資本を所有しているのは、独占体と化した少数の巨大銀行である。そしてその銀行資本は、産業界の独占団体の資本と融合している。第二に、世界分割は、植民地政策の変容にともなう過渡的な現象である。植民地政策は元来、いずれの資本主義大国もまだ占有していない領域に向かって思う存分拡大することを目指すものである。しかしそれは、分割しつくされた領土の独占的所有を特徴とする植民地政策へと転換するのである。
しかし、極端に簡潔な定義は、重要な点をまとめているという点では都合が良いけれども、定義すべき現象の本質的な特徴をつかみ取ろうとすると、やはり不十分なところが出てくる。それでは、どうしたら良いだろうか。・・・ (P.174-P.175)

カルテルシンジケートトラスト、、、

解説より、、、
本書を一読すれば分かることだが、ドイツ社会民主党の理論家カール・カウツキーに対するレーニンの攻撃は、尋常ではない。レーニンは本書の中で、カウツキーはマルクス主義を放棄したと繰り返し力説する。カウツキーに対する批判は、ほとんど偏執的と言って構わないほど執拗である。 (P.282)
レーニンの激烈なカウツキー批判は、ロシア・マルクス主義者の西ヨーロッパ革命待望論の裏返しである。当時ロシアのマルクス主義者は、ロシア一国で革命を成就するのは難しいとの見方でほぼ一致していた。それらの見方の中で最も極端だったのが、トロツキーの永久革命論である。トロツキーは、ロシア革命の成功にとって西ヨーロッパの革命は不可欠な条件であると見ていた。・・・ (P.286-P.287)

いずれにせよ、資本主義の変容を迫った社会主義経済体制は、一九九一年のソ連崩壊後、世界のごく一部を国を例外として姿を消した。社会主義経済を意識する必要のなくなった資本主義は、マルクスの描いた資本主義、つまりレーニンが理解していた資本主義に近づきつつあるようにも見える。今、あらためてレーニンの『帝国主義論』を読む意義が復活しているように思われる。 (P.293)



≪目次: ≫
序文
フランス語版およびドイツ語版の序文

序章
第一章 生産の集中化と独占の出現
第二章 銀行とその新しい役割
第三章 金融資本と金融寡占制
第四章 資本輸出
第五章 世界の分割――独占団体相互間で
第六章 世界の分割――列強の間で
第七章 資本主義の特殊な段階としての帝国主義
第八章 資本主義に見られる寄生と腐敗
第九章 帝国主義批判
第一〇章 帝国主義の歴史的位置
原注
付録  バーゼルにおける国際社会主義者臨時大会(一九一二年一一月二四日〜二五日)の宣言 (井上万秀 訳)

解説/角田安正
レーニン年譜
訳者あとがき
人名索引


≪著者: ≫ ウラジミール・イリイチ・レーニン Владимир Ильич Ленин [1870−1924] ロシア社会民主労働党ボリシェヴィキの指導者。1917年10月、史上初の社会主義革命であるロシア革命を成功に導いた。初代人民委員会議議長(首相)。「レーニン」は「レナウ川の人」を意味するペンネームで、本名はウラジミール・イリイチ・ウリヤーノフ。著書に『国家と革命』、『唯物論と経験批判論』など。

[訳者] 角田安正 Tsunoda Yasumasa 1958年生まれ。防衛大学校教授。ロシア地域研究専攻。在ロシア日本国大使館専門調査員を経て現職。訳書に『国家と革命』(レーニン)、『上からの革命――ソ連体制の終焉』(コッホほか)、共訳書に『生気の売却――第二のロシア革命の内幕』(フリーランド)がある。

永続革命論 (光文社古典新訳文庫,トロツキー 著、森田成也 訳,2008/4)』
レーニン (光文社古典新訳文庫,トロツキー 著、森田成也,2007/3)』

Cortaderia selloana




本「芸術の体系  Title:SYSTÈME DES BEAUX-ARTS 1926 Author:Alain (光文社古典新訳文庫)」アラン、長谷川宏 訳5

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芸術の体系  Title:SYSTÈME DES BEAUX-ARTS 1926 Author:Alain (光文社古典新訳文庫)

○著者: アラン長谷川宏
○出版: 光文社 (2008/1,文庫 544ページ)
○価格: 960円
○ISBN: 978-4334751470


一九一四年、第一次世界大戦が勃発し、フランスがドイツにたいして宣戦を布告すると、アランはみずから志願兵として前線に立つ決意を固めた。砲火のなかで戦争を考え、戦争の是非を判断する。それがアランのみずから選んだ道だった。従軍を決意した心境を、友人宛ての手紙のなかでアランはこう記している。「目の前に火事が起こったのと同じで、最大限可能なことは、言うまでもなく(詭弁は無用)武器を取ることだ。それが兵役を志願した理由だ。」
時にアランは四十六歳。召集本部は年齢を考えて軽微な勤務を用意するが、アランは重砲兵隊勤務を希望し、希望通り、重砲第三連隊に配属される。以降、一九一七年十月まで、およそ三年間の従軍生活を送った。
ヴェルダン付近の激戦に参加し、踝に傷を負って入院もしたが、そうした戦闘の合い間にアランはいくつもの原稿を書きつづけた。『芸術の体系』は、そのようにして書かれたものの一つだ。草稿は、従軍生活の最後の十か月、一九一七年一月八日から同年十月十六日にかけて書かれた。 (P.523-P.524、「解説/長谷川宏」)


≪目次: ≫
はじめに
第一章 創造的想像力

1 想像力/2 夢と夢想について/3 像と対象について/4 人体について/5 情念のなかの想像力/6 対象に固有の力について/7 素材について/8 儀式の作法について/9 自然に即した分類について/10 芸術の一覧表
第二章 ダンスと装飾
1 軍隊のダンスについて/2 馬術その他の芸術について/3 曲芸師について/4 愛のダンスについて/5 宗教的ダンスについて/6 衣装について/7 流行について/8 装飾について/9 礼儀について/10 快適と優雅さについて/11 人体の美しさについて
第三章 詩と雄弁
1 話されることば/2 記憶術としての詩について/3 詩と音響学について/4 詩のリズムについて/5 叙事詩について/6 哀歌について/7 瞑想詩について/8 寓話について/9 雄弁と音の響きについて/10 情念と雄弁について/11 説得の芸術について/12 雄弁の種類について
第四章 音楽

1 リズムのある音について/2 音とメロディについて/3 民謡について/4 合唱について/5 楽器について/6 ハーモニーについて/7 模倣と変奏と装飾について/8 音色とオーケストラについて/9 音楽の種類について/10 音楽的表現について
第五章 演劇
1 演劇の形式について/2 悲劇と運命について/3 登場人物の性格について/4 劇詩について/5 音楽劇について/6 朗踊と動きについて/7 涙について/8 笑いについて/9 喜劇の力について/10 情念の真実/11 喜劇の教訓について/12 パロディと道化音楽について
第六章 建築
1 動く芸術と動かぬ芸術について/2 遠近法について/3 形について/4 記号について/5 装飾について/6 家具について/7 都市について/8 民衆建築について/9 機械について/10 様式について予備的考察
第七章 彫刻
1 模倣とモデルについて/2 形の創作について/3 運動について/4 情念について/5 言語としての彫刻について/6 寓意について/7 衣装について/8 胸像について/9 裸体について/10 思考について
第八章 絵画
1 見かけについて/2 色について/3 形について/4 暴君の強制について/5 動きについて/6 肖像画について/7 感情について/8 象徴について/9 裸体について/10 風景について
第九章 デッサン
1 身ぶりと文字について/2 線について/3 運動について/4 形について/5 色のついたデッサンについて/6 思い出と創作について/7 逸話について/8 戯画について/9 二つの言語
第十章 散文
1 散文に固有の方法について/2 詩と散文について/3 散文と雄弁/4 散文の領域/5 歴史について/6 小説について/7 魂の状態について/8 登場人物について/9 小説における想像力の規制/10 小説における悲劇的なものについて/11 常套表現について/12 文体論
追記
機 屬呂犬瓩法廚砲弔い董伸供‖莪貍呂3――像について/掘‖萋鷯 とくに、ダンスについて/検‖荵余蓮宗酬歃僂諒類における音楽の位置について/后‖荵余呂9――音楽と理念について/此‖荵余蓮宗酬築としての音楽について/察‖菷章の4――構成について/次‖莇緇呂4――デッサンと肖像画について/宗‖莇緇呂5――パステル画について

解説/長谷川宏
アラン年譜
訳者あとがき


≪著者: ≫ アラン Alain (Emile-Auguste Chartier) [1868-1951] フランスの思想家。フランス各地の公立高等中学校で教師生活を送るかたわら、執筆活動を続ける。1903年、新聞で「プロポ」と題する短文の連載を始め、その後、この短文形式がアランの自由で柔軟な思想を表現する最適な形となった。1914年、46歳で第一次大戦に志願兵として従軍し、苛酷な戦場で『芸術の体系』を書く。1951年5月、文学国民大賞を受賞。同年6月、パリ西郊ヴェジネの自宅で死去。主な著書に『幸福論』『教育論』『文学についてのプロポ』『芸術二〇講』などがある。

[訳者] 長谷川宏 Hasegawa Hiroshi 1940年島根県生まれ。東京大学文学部哲学科博士課程単位取得退学。哲学者。著書に『高校生のための哲学入門』『新しいヘーゲル』『丸山真男をどう読むか』『いまこそ読みたい哲学の名著』など。主な訳書に『精神現象学』『歴史哲学講義』『法哲学講義』『美学講義』(ヘーゲル)、『経験と判断』(フッサール)などがある。


Cosmos bipinnatus




本「職業としての学問  Max Weber WISSENSCHAFT ALS BERUF 1919 (岩波文庫 白209‐5)」マックス・ウェバー、尾高邦雄 訳5

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職業としての学問  Max Weber WISSENSCHAFT ALS BERUF 1919 (岩波文庫 白209‐5)

○著者: マックス・ウェーバー尾高邦雄
○出版: 岩波書店 (1936/7;1980/11 改訳;2006/6 第86刷、文庫 91ページ)
○価格: 420円
○ISBN: 978-4003420959


本書はマックス・ウェーバー(Max Weber,1864-1920)が一九一九年一月にミュンヘンでおこなった講演Wissenschaft als Berufの邦訳である。この講演は、最初自由学生同盟の依頼による職業問題に関する一連の公開講演のひとつとして発表され(いまひとつは『職業としての政治』)、おなじ年に単行のパンフレットの形で出版されたが、のちに『科学論論集』(一九二二年)のなかにおさめられた。 (P.85、「旧訳の序」)
仕事(ザッヘ、職業)への献身の必要ということ――個性も自我も没却して仕事(ザッヘ)に献身することが、その仕事の達成を通じて永遠の個性ある自我を生かす道であるということ―― (P.84、「あとがき」)
第一次大戦後の混迷のドイツ

≪目次: ≫
職業としての学問
訳注
あとがき
旧訳の序


Halyomorpha halys




本「草すべり その他の短篇」南木佳士5

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草すべり その他の短篇

○著者: 南木佳士
○出版: 文藝春秋 (2008/7,単行本 216ページ)
○価格: 1,575円
○ISBN: 978-4163271804


黙すしかなかった。
  (P.118、「旧盆」)


≪目次: ≫
草すべり   「文學界」二〇〇八年一月号
旧盆     「文學界」二〇〇六年九月号
バカ尾根   「文學界」二〇〇七年八月号
穂高山    「文學界」二〇〇六年一月号

浅間外輪山、黒斑山の草すべり上部からトーミの頭/撮影・梅香亮一


≪著者: ≫ 南木佳士(なぎ けいし) 一九五一年、群馬県に生れる。秋田大学医学部卒業。現在、長野県佐久市に住む。一九八一年、内科医として難民医療日本チームに加わり、タイ・カンボジア国境に赴き、同地で「破水」の第53回文學界新人賞受賞を知る。一九八九年、「ダイヤモンドダスト」で第100回芥川賞受賞。著書に、短篇集「神かくし」「家族」、長篇小説「阿弥陀堂だより」「医学生」、中篇小説「海へ」、「トラや」、連作短篇集「こぶしの上のダルマ」、エッセイ集「ふいに吹く風」「医者という仕事」「天地有情」「急な青空」などがある。


玉ボケ♪




本「ほんとうの環境問題」池田清彦、養老孟司5

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ほんとうの環境問題

○著者: 池田清彦養老孟司
○出版: 新潮社 (2008/3,単行本 189ページ)
○価格: 1,050円
○ISBN: 978-4104231041



・・・私はヤケクソなのである。(中略)
・・・池田さんと二人で、ブツブツいうしかないのである。新潮社もこんな本を出して、どういうつもりなんだろうなあ。 (P.189、「あとがき/養老孟司」)

池田] 地球温暖化というのはいまや自明のことのように言われているけれども、ほんとうのところはどうなのか、よくわからない。化学的に話を煮詰めて、裏づけとなるデータがないと、ほんとうは何がどうなのかわからないはずでしょう。薬師院仁志(帝塚山学院大学教授。専攻は社会学)は、かなり前から、地球温暖化論に疑問を呈している。彼が『地球温暖化論への挑戦』(八千代出版)という本を出したときに、僕は読売新聞の読書委員をやっていて、真っ先にその本を書評で取り上げたんですけれども、彼はまず、地球温暖化そのものを疑っている。将来の気候というものは予測可能なのか。地球温暖化論の根拠となっている数理シミュレーションモデルによる予想は実証性があるものなのか。そういった、人為的温暖化論に対する疑問を、社会学者の彼がいくら挙げても、専門家の科学者たちは黙殺している。
そもそも、IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change=「気候変動に関する政府間パネル」)というのは、学者の自由な集まりではない。政府から派遣された学者たちだから、そこにはすでに政治的バイアスがかかっている。いまは地球温暖化を前提にして学者を派遣しているから、地球温暖化論以外の意見というのはまず出ようがない。地球温暖化が前提となってしまっている。 (P.134-P.135、「掘 峇超問題」という問題」対談)

正直、ずいぶん前に図書館に予約を入れたものの、読むべきか否か、ちょっと迷って(軽薄な印象を否めなかった!?)、それでもキャンセルするのも面倒(手間が掛かることはないものの)と感じたのかどうなのか、、、現実にキャンセルしなかったのだから、何か気になるところがあったのであろう。“エコロジー”に含まれる“エゴイズム(利己主義)”、とりあえず読んでおきたい一冊。
言葉を、言葉(額面)通りに受け取ることなく、まさに「ほんとうの」本質的な部分に目を向けるべきであり、“問題”とされているものが、問題であるところの前提を問う姿勢を持ちたい。新自由主義的資本主義社会において、煽られた戦略的な情報を、そのままに受け入れて行動することは、一歩間違えれば加害者(環境破壊者)にもなりかねない。
環境問題が、地球上に生存する人類にとって避けることができない問題であることに何の疑いもない。


≪目次: ≫
はじめに……池田清彦
I 環境について、ほんとうに考えるべきこと……養老孟司
石油とアメリカ/文明エントロピー/本気で考えていない/環境問題とは何か/自然とは何か/環境と安全保障/何を考えるべきか
環境問題の錯覚……池田清彦
一 何が「環境」の「問題」なのか
かつては環境問題といえば自然保護と公害のことだった/環境問題には「流行」がある/有機物の循環/下肥までをも組み込む形での物質循環が行われていた江戸/増えているのは炭酸ガスだけではない/自然界にもともとあるものと、ないもの
二 身の回りの環境問題――ゴミリサイクルをめぐる誤謬
ペットボトルのリサイクルはムダ/リサイクルに向くものと、向かないもの/自治体指定のゴミ袋はエコロジカルではない/リサイクルの何が良くて何がダメなのか/ゴミがないと困るハイテクのゴミ焼却炉/やればやるほどムダが出る
三 ほんとうの環境問題――エネルギー食料
自然破壊人口増加/人口が増加に転じた要因/エネルギーと食物の関係性/持続可能なエネルギーはない/石炭と石油が自然環境を救った/本来、最もエネルギー効率が良いのは水力発電だが/なぜアメリカがバイオ燃料に力を注ぐのか/日本におけるバイオ燃料の可能性は?/貧民から食料を奪うことにつながるバイオ燃料/風力発電やエコカーはペイするかが問題/太陽光発電の問題点と優位性/余った電力を揚水式ダムに用いる/憲法でエネルギーは買えない/食料自給率は上がるか/フード・マイレージと農業振興/少子化対策に金をばらまくのは錯誤
四 環境問題は「人間の問題」である――人口問題のジレンマ
「中国人とインド人の惑星」化/世界の出生率を下げるには/少子化の何が問題なのか/人口問題が解決すればすべての問題は解決する?
五 地球温暖化の何が問題か
京都議定書を守っても二酸化炭素の量は減少しない/地球はこれまで何度も温暖化と寒冷化を繰り返してきた/気温が何℃上がるというのか/温暖化によってどんなダメージがあるのか/海面三五センチの上昇の何が問題なのか/京都議定書を守っても日本が温度上昇抑制に貢献できるのは〇・〇〇四℃/一〇〇年後の温度がどうなるかを計算しても意味がない/景気を悪くしないかぎり、CO2の排出は減らせない/問題の予防よりも、問題が生じた後の対策を
掘 峇超問題」という問題……池田清彦×養老孟司
一 政治的な「地球温暖化」論

そもそも「地球温暖化」はほんとうなのか/日本の負担は「六〇分の一」でいい/「温暖化歓迎」という意見はなぜないのか/何でも地球温暖化のせい?
二 エネルギーと文明の関係
地球温暖化論の背景にあるエネルギー問題/石油は日本に使わせろ/アメリカと中国の問題/環境問題と石油会社/油から歴史を見る/いちばん重要な問題は何か/石油中心社会からどう脱するか/システムを変えられるか/持続可能な人口
三 生きる道
全世界の食料援助量の三倍を棄てている国/問題を細かく見ること/食料自給率を金額ベースで考える/環境と秩序のありよう/中間項の喪失/「環境立国」よりも、モノづくり
あとがき……養老孟司


≪著者: ≫ 池田清彦(いけだ・きよひこ) 一九四七年、東京都足立区生まれ。東京都立大学大学院生物学専攻博士課程修了。現在、早稲田大学国際教養学部教授。著書に『構造主義科学論の冒険』『分類という思想』『昆虫のパンセ』『新しい生物学の教科書』『正しく生きるとはどういうことか』『他人と深く関わらずに生きるには』『環境問題のウソ』等。

≪著者: ≫ 養老孟司(ようろう・たけし) 一九三七年鎌倉市生まれ。東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。一九九五年、東京大学医学部教授を退官し、同大学名誉教授に。一九八九年『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。著書に、『唯脳論』『身体の文学史』『人間科学』『バカの壁』『いちばん大事なこと』『死の壁』『養老訓』等。


Habenaria radiata




本「永続革命論  Title:ПЕPМАНЕНТНАЯ PЕВОЛЮЦИЯ 1930 Author:Л.Д.Троцкий (光文社古典新訳文庫)」トロツキー、森田成也 訳5

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永続革命論  Title:ПЕPМАНЕНТНАЯ PЕВОЛЮЦИЯ 1930 Author:Л.Д.Троцкий (光文社古典新訳文庫)

○著者: トロツキー、、森田成也 訳
○出版: 光文社 (2008/4,文庫 512ページ)
○価格: 880円
○ISBN: 978-4334751555



革命家トロツキーレーニン  Title:О Ленине:Материалы для биографа 1924 Author:Л.Д.Троцкий (光文社古典新訳文庫、2007/3)』から。


≪目次: ≫
永続革命論 Портреты революционеров
二つの概念――英独版への序文
序論
第一章 本書の強いられた性格とその目的
第二章 永続革命はプロレタリアートによる「飛躍」ではなく、プロレタリアートの指導下での国民の刷新である
第三章 「民主主義独裁」の三要素――諸階級、諸課題、政治力学
第四章 永続革命論は実践においてどんな姿で現れたか?
第五章 「民主主義独裁」はわが国において実現されたのか、そしてそれはいつのことか?
第六章 歴史的段階の飛び越えについて
第七章 民主主義独裁のスローガンは東方にとって今日何を意味するか?
第八章 マルクス主義から平和主義へ
エピローグ
永続革命とは何か?(基本的命題)

付録
1 オリミンスキーへの手紙
2 レーニンとの意見の相違
3 ラデックと反対派
4 ロシアにおける発展の特殊性(『ロシア革命史』第一巻より)
5 永続革命(『スターリンの偽造学派』より)

解説 悲劇の革命家と革命論の悲劇/森田成也
トロツキー年譜
訳者あとがき
人名一覧



≪著者: ≫ レフ・トロツキー Лев Давидович Троцкий 〔1879-1940〕 ロシアの革命家、第4インターナショナルの創設者。南ウクライナの自営農の家に生まれ、10代の頃より革命運動に従事。最初の逮捕と亡命後にレーニンらの『イスクラ』に寄稿。1905年革命で指導的役割を果たした。1917年革命の際にはレーニンと密接に協力して10月革命を指導。レーニンの政治的離脱後、官僚主義の克服と工業化を訴えるがスターリン派によって弾圧される。1929年に国外追放。1940年8月、スターリンの刺客にピッケルで頭を打ちぬかれて死亡。著書に『総括と展望』『レーニン死後の第3インターナショナル』『ロシア革命史』『わが生涯』など多数。

[訳者] 森田成也 Morita Seiya 1965年生まれ。大学非常勤講師。主な著書、『資本主義と性差別』『資本と剰余価値の理論』。訳書は『多数派の専制』(ラニ・グイニア)、『わが生涯〈上〉』(トロツキー)など多数。


THE NATIONAL ART CENTER,TOKYO





ロシア史における基本的で最も揺るぎのない特徴は、その発展の緩慢さであり、ここからロシアの経済的後進性、社会形態の原始性、文化水準の低さが生じている。 (P.386、「付録 4 ロシアにおける発展の特殊性(『ロシア革命史』第一巻より)」)

本「社会主義 Der Sozialismus. Rede zur allgemeinen Orientierung von österreichischen Offizieren in Wien 1918:Max Weber (講談社学術文庫)」マックス・ウェーバー、濱島朗 訳・解説5

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社会主義 Der Sozialismus. Rede zur allgemeinen Orientierung von österreichischen Offizieren in Wien 1918:Max Weber, Gesammelte Aufsätze zur Soziologie und Sozialpolitik, 1924,SS,492-518 (講談社学術文庫)

著者: マックス・ウェーバー、浜島朗 訳
出版: 講談社 (1980/8、2006/8 第28刷,文庫 124ページ)
価格: 630円
ISBN: 978-4061585119


・・・晩年のウェーバーが一九一八年六月にウィーンでオーストリア将校団をまえにして行なったこの啓蒙的な時局講演は、社会主義に対するかれの態度・見方をまとまった形で表明した唯一の文献であるという点で、すくなからぬ興味をそそるものがある。 (P.4、「はしがき」)


≪目次: ≫
はしがき
読者への手引き
機,泙┐き
予備的な事柄/三等車内で見聞したこと/啓蒙活動と軍事的権威/労働運動における指導者と大衆/軍隊と組合に共通するもの
供〔閏膽腟繊Υ盈柔度・社会主義
民主主義とは/直接民主主義の貴族主義的性格/アメリカの民主主義/素人による行政/アメリカ労働者の役人観/専門官僚制の出現とそれにともなう大学の性格の変化/身分的感情の高まり/アメリカで経験したこと/全般的官僚制化の不可避性/工場の官僚制化/大学・研究所の官僚制化/軍隊の官僚制化/国家機構の官僚制化/社会主義は官僚制化を回避できるか
掘〇駛楴腟舛伴匆饉腟
私経済的秩序/生産の無政府状態/企業家的需要充足の歴史的諸形態/都市ギルドによる統制/工場生産と規律/競争・淘汰・失業/利潤動機による合理化と機械化/人に対する物の支配/共同経済としての社会主義/国営化と官僚統制/だが、じっさいには産業による国家の統制/国家社会主義は労働者を隷属させる/企業家社会主義?/消費者社会主義/消費は社会化されうるか
革命への希望とその挫折――『共産党宣言』批判――
『共産党宣言』とその予言/未来のヴィジョン/人に対する人の支配の消滅?/資本主義は没落するか/窮乏化法則と産業予備軍/窮乏化論の放棄/労資二大陣営への分解/ホワイトカラーの増大/恐慌の見とおしと革命/恐慌論の破綻/生産の社会化と資本家の退場/証券民主化と受益層の増大/機械化による労働者階級の統一性の崩壊/監督者(=産業下士官)の増大/標準化の影響/職員層の身分的・脱プロレタリア的性格/大破局説から修正主義へ/現実政治への傾斜
后ー匆饉腟舛力線上の諸問題
政党と労働組合/政治主義の革命路線/経済主義の現実路線/サンディカリズムと直接行動/ゼネストテロル/既成秩序への挑戦/議会主義の否認/改良主義への敵対/だれが生産を管理するのか/革命指導者のロマン主義的傾向/ロシアにおける実験/プロレタリアートの独裁の現実をどうみるか/一国社会主義か世界革命か
此ヽ很燭療庫召鬚瓩阿觚讐爾両況
革命とその結果に対する社会主義の態度/メンシェヴィキの立場/革命はなにをもたらしうるのか/農民の保守性/革命の展望は暗い/社会主義者と講和問題/講和か革命か/社会主義者との対決/社会主義と国民的利益
訳注

〈解説〉社会主義をめぐるウェーバーの思想と行動/濱島朗
1 社会・労働運動への態度
ブルジョア的近代化の路線/行動の軌跡/福音社会派の対抗運動/「市民的自由の国民政党」をめざして/労資関係の近代化に向けて/市民化を介しての国民化
2 社会民主党への態度
社会民主党批判の基本的立場/ドイツ社会主義運動の宿命/頽廃した社会民主党の内情/革命待望主義/プチブル根性と政治的無気力/党官僚制化の病弊
3 社会主義批判の論点
社会主義へのアンビヴァレントな態度/セカンドハンドの社会主義批判/唯物史観批判の概要/教条主義への反対/理念の役割/辺境革命論と合理化史論/社会主義批判の基調/所有説対支配説/資本主義自動崩壊説批判
4 ドイツ革命への対決――レーテ権力と社会化の問題をめぐって――
ドイツ革命の性格/「血なまぐさいカーニヴァル」/革命反対の態度で一貫/穏健派には好意的、過激派には敵対的/市民層の延命をめざす「左翼への戦術的接近」/レーテ権力よりも政治形態の民主化を/完全社会化を阻止するために/人民投票的大統領制提案のねらい/行政による経済運営のコントロール/自由な企業家の経済運営能力への信頼/社会主義は合理的経済計算を低下させる/計画経済における強制と無能率/社会化委員固辞と政治離脱



≪著者: ≫ マックス=ウェーバー(Max Weber) 1864年エルフルト生まれ。ドイツの社会科学者。理念型にもとづく社会科学の方法論を提起し,マルクスと並んで後世に絶大な影響を与えた。1920年没。著書に『職業としての学問』『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』『経済と社会』など多数がある。

≪訳者: ≫ 濱島朗(はましま あきら) 1926年東京都生まれ。社会学者。東京大学文学部社会学科卒業。元東京学芸大学教授。著書に『ウェーバーと社会主義』,訳書として『権力と支配』(ウェーバー著)などがある。

職業としての政治  Max Weber POLITIK ALS BERUF 1919 (岩波文庫、マックス・ヴェーバー 著、脇圭平 訳、1980/3;2006/6 第44刷)


The eye of an insect




本「自由論  Title:ON LIBERTY 11859 Author:John Stuart Mill (光文社古典新訳文庫)」ミル、山岡洋一 訳5

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自由論 (光文社古典新訳文庫)

著者: ミル山岡洋一
出版: 光文社 (2006/12,文庫 271ページ)
価格: 540円
ISBN: 978-4334751197


うわぁあぁ〜、一九世紀ヨーロッパ、イギリス、、、自由論。
*この部分を書いた直後に、まるでこの見方に強く反論するかのように、一八五八年の言論摘発事件が起こった。この事件は政府が言論の自由に不用意に干渉したものだが、だからといって、この部分を書き換える必要は全く感じていないし、政府がパニックに陥らないかぎり、イギリスで政治に関する議論に刑罰をくわえる時代は終わったという確信も変わっていない。・・・ (p.42)


≪目次: ≫
第一章 はじめに
第二章 思想と言論の自由
第三章 幸福の要素としての個性
第四章 個人に対する社会の権威の限界
第五章 原則の適用
解説/長谷川宏(哲学者)
ミル年譜
訳者あとがき



≪著者: ≫ ジョン・スチュアート・ミル John Stuart Mill [1806−1873] 19世紀イギリスを代表する哲学者、経済学者。父、ジェームズ・ミルは有名な功利主義哲学者、歴史家。幼少時から父による厳格な教育を受け、ギリシャ語、ラテン語、論理学、経済学などを学ぶ。学校教育は受けていない。17歳から35年間、東インド会社に勤務し、専門職としての学者生活を一度も送ることはなかった。著書に『論理学体系』、『経済学原理』、『功利主義論』など。死後『ミル自伝』出版。

[訳者] 山岡洋一 Yamaoka Yoichi 翻訳家。1949年生まれ。訳書に、『ネオコンの論理』(R・ケーガン)、『バブルの歴史』(E・チャンセラー)、『アメリカへの警告』(J・ナイ)、『地政学で世界を読む』(Z・ブレジンスキー)、『ビジョナリーカンパニー特別編』(J・C・コリンズ)、『富の未来』(A・トフラー&H・トフラー)ほか多数。


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本「人間不平等起源論  Title:Discours sur l'origine et les fondements de l'inégalité parmi les hommes. 1755 Author:Jean-Jacques Rousseau (光文社古典新訳文庫)」ルソー、中山元 訳5

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人間不平等起源論  Title:Discours sur l'origine et les fondements de l'inégalité parmi les hommes. 1755 Author:Jean-Jacques Rousseau (光文社古典新訳文庫)

○著者: ルソー、中山元 訳
○出版: 光文社 (2008/8,文庫 414ページ)
○価格: 780円
○ISBN: 978-4334751623
≫Amazon


近刊『社会契約論/ジュネーヴ草稿 (光文社古典新訳文庫,2008/9/9)』をあわせて読もう♪

『人間の不平等の起源と根拠についての論文』
  ジュネーヴ市民 ジャン=ジャック・ルソー
ディジョンのアカデミーが提起した問題
人間の不平等の起源はどのようなものか、
それは自然法(ロワ・ナチュレル)のもとで認可されるものか (P.48)

愛のもたらすもの
人間の心をかき立てるさまざまな情念のうちで、熱く、激しい情念が一つある。それは男が女を、女が男を求める激しい情念であり、あらゆる危険をものともせず、あらゆる障害を撥ねのけて進むものである。この情念はそもそも人類を存続させる役割をはたすはずなのだが、、あまりに激しくなると反対に、人類を破滅させる役割をはたすかのようである。抑えがきかず、粗暴であり、恥も慎みも知らぬこの情熱に支配され、人間たちが日夜、血を流してまでも愛する者を求めて争いあったとしたら、人類はどうなるだろうか。
最初に確認しておくべきことは、情熱が激しければ激しいほど、それを抑えるためには法が必要となるということである。しかしこの情熱が毎日のようにわたしたちのうちでもたらしている無秩序と犯罪を考えるだけで、いかに法がこの情念に無力であるかは明らかである。だからむしろ調べてみるべきなのは、法そのものがこうした無秩序をもたらしているのではないかということである。法にこうした情念を抑える力があるのならば、法が存在していなかったならば生まれるはずのない悪は、少なくとも防止してもらいたいと願わざるをえないからである。
まず愛の感情のうちに含まれている精神的(モラル)な要素と肉体的な要素を区別することから始めよう。肉体的な要素とは、男を女に、女を男に結びつけようとする欲望そのもののことである。精神的な要素とは、この欲望を限定し、ある一つの対象だけに固定させるもののことである。あるいは少なくとも、この選り好みした対象にさらに多量のエネルギーを投入させるもののことである。・・・ (P.109-P.110)


・・・ダーウィン以前、まだ遺伝という概念が存在していない時代のルソーにとって・・・ (P.315、「解説」)



≪目次: ≫ 人間不平等起源論
献辞 ジュネーヴ共和国へ捧げる
望ましい国家像/ジュネーヴの長所/望ましい祖国/同胞市民へ/為政者へ/牧師たちへ/女性たちへ/結語

自己知/構成における変化/問題の難しさ/自然法の定義/自然人/二つの原理――自己愛と憐れみの情/注について

人間の不平等の起源と根拠についての論文
[前文]二種類の不平等/この論文の目的/読者への呼び掛け
第一部
原初の人間の像/野生人と文明人の比較/自然状態について/人間の真の敵/病気について/野生人と文明の技術/野生人の身体的な生/人間と動物の違い/自己改善能力(ペルフェクティビリテ)/野生人の情念/火と農業/野生人と思考/言語の起源/身振りと分節言語/一般的な観念/言語の起源についての新たな難問/野生人の生活の〈惨めさ〉/野生人と道徳/憐みの情/愛のもたらすもの/結論
第二部
所有という観念の発生/生まれつつある人間/約束と共同体の成立/私有財産の発生/固有言語の形成/自尊心の誕生/社会の端緒/鉄と小麦/所有権の誕生/私有財産のもたらした文明/文明の無秩序と悲惨/社会と法律の起源/戦争の惨禍/国家の起源のさまざまな理論の批判/自由は放棄できない/社会契約/契約の撤回の可能性/さまざまな統治形態/不平等の激化/腐敗の極みのいたる道/新たな自然状態/結語
原注
注一 主権の制限についての歴史的な逸話/注二 哲学者が尊敬するビュフォンの引用/注三 四足歩行について――四足歩行の実例――四足で歩行した場合の問題――結論/注四 大地の豊饒さについて/注五 肉食獣と草食獣/注六 野生人の能力/注七 馬の寿命/注八 草食動物と肉食動物を区別する別の基準/注九 奢侈について――人間の不幸の大きさ――人間の邪悪さ――文明の悲惨――腐敗の極み――父権の悪弊と道徳の乱れ――職業病――奢侈の弊害――都市と農民――「自然に帰れ!」/注一〇 類人猿について――人間における差異の大きさ――類人猿の観察例――観察における偏見――偏見の原因――民族研究の目的/注一一 野生人の身体的な欲求について/注一二 男女の結びつきについて/注一三 言語の制度化について/注一四 数の発明について/注一五 利己愛(アムール・プロープル)と自己愛(アムール・ド・ソア)の違いについて/注一六 欧化された未開人の逸話/注一七 悪からの離脱の道について/注一八 軍隊における詐欺/注一九 配分的正義について

訳注

解説 ジュネーヴ共和国市民、ルソー/中山元
第一章 『人間不平等起源論』
第一節 序――方法論の考察
ルソーの啓示体験/『人間不平等起源論』の方法論的な限定/ルソーの自然法/不平等の定義/ホッブス批判/グロティウス批判/プーフェンドルフとロック批判
第二節 第一部――自然状態とは
野生人の身体的な生/野生人の精神的な側面――自由と自己改善能力/野生人の善性/自己愛と憐れみの情
第三節 第二部――社会状態の形成
生まれつつある人間――社会形成の第一段階/言語と家族の起源――社会形成の第二段階/私有財産と利己愛の誕生――社会形成の第三段階/文明の成立――社会形成の第四段階/国家の成立についての理論/社会契約
第二章 「献辞」の意味
ジュネーヴ共和国/ピエール・ファティオ事件(一七〇七年)/匿名の手紙/一七三四年の「課税事件」から一七三八年の「調停決定」へ/政府側の反論/市民の武装蜂起/ルソーの「献辞」/政府側への反論/市民側への戒め

ルソー年譜

訳者あとがき



≪著者: ≫ ジャン=ジャック・ルソー Jean-Jacques Rousseau [1712-1778] フランスの思想家。スイスのジュネーヴで時計職人の息子として生まれる。16歳でカトリックに改宗。家庭教師等をしながら各地を放浪し、大使秘書を経て、37歳で応募したアカデミーの懸賞論文『学問芸術論』が栄冠を獲得。意欲的な著作活動を始める。本書『人間不平等起源論』と『社会契約論』で人民に主権があると主張し、その思想はのちのフランス革命を導くこことなった。主著に『新エロイーズ』『エミール』『告白』など。

[訳者] 中山元 Nakayama Gen 1949年生まれ。哲学者、翻訳家。主著に『思考のトポス』『フーコー入門』『はじめて読むフーコー』『思考の用語辞典』『<ぼく>と世界をつなぐ哲学』ほか。訳書に『自我論集』『エロス論集』『幻想の未来/文化への不満』『人はなぜ戦争をするのか』(以上、フロイト)『呪われた部分 有用性の限界』(バタイユ)、『パピエ・マシン(上・下)』(デリダ)、『永遠平和にために/啓蒙とは何か 他3編』(カント)、『責任と判断』(アントレ)ほか多数。


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本「ハイデガー『存在と時間』の構築 (岩波現代文庫 学術9)」木田元 編著5

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ハイデガー『存在と時間』の構築 (岩波現代文庫 学術9)

編著: 木田元
出版: 岩波書店 (2000/1,文庫 250ページ)
価格: 1,050円
ISBN: 978-4006000097



哲学者“木田元”による、謎解き『存在と時間  Sein und Zeit 1927 Martin Heidegger(1889-1976)

“あとがき”に明かされる、
存在と時間』の未刊部を再構築するという無茶なことをやってしまった。
冗談からはじまった話である。・・・ (P.247)
とは言いながらも、
・・・「冒涜だ」「けしからん」と非難を浴びそうだが、それくらいのことは覚悟のまえ。私も、ハイデガーの『存在と時間』を読みたい一心で哲学の勉強をはじめたのだし、ほとんど半世紀間この人の本を読んできて、いまだにその思想を面白いと思いすごいと思ってはいるが、別にこの人を信心する気はないので、これで『存在と時間』の理解がいくらかでも深まるなら、冒涜くらいいくらしてもかまわないと思っている。
ハイデガーが『存在と時間』の未刊部で書こうとしていたのはそんなことではないと思われる方は、ぜひ別の再構築をやってみせていただきたい。そちらの方が納得がいくようなら、いつでも私の試みは撤回するつもりでいる。いろいろな試みがあっていいと思う。むしろこれまでなかったのがおかしいくらいだ。 (P.248-P.249)

・・・いくら哲学者がわけの分からないことを言うからといっても、こんな無意味なことを言うわけはない。・・・ (P.154)


なお、本書で『存在と時間』や『ニーチェ』講義から引用する際、だいたいは細谷貞雄さんの訳文を借用した。私にはいちばん使いやすい翻訳だからである。・・・ (P.250、「あとがき」)



≪目次: ≫
略語表
序章 『存在と時間』という本
一 二〇世紀最大の哲学書
二 未完の書
三 発想の順序
四 「ナトルプ報告
五 中断の事情
六 第一部第三篇「時間と存在」
第一章 『存在と時間』既刊部の概要
一 哲学の根本問題「存在とは何か」
二 なにかがあることの驚き
三 存在了解
四 世界内存在
五 〈世界〉
六 〈内存在〉
七 時間性
第二章 『存在と時間』本論の再構築
一 『現象学の根本問題』
二 存在のテンポラリテート
三 「時間と存在」
四 時間性と世界内存在
五 シンボル機能
六 シグナルとシンボル
七 存在の企投
八 時間性とその地平
九 テンポラリテートと存在
第三章 『存在と時間』第二部の再構築
一 存在論の歴史の解体の試み
二 『根本問題』第一部について
三 カントの存在概念
四 中世存在論の存在概念
五 古代存在論の存在概念
六 〈現前性としての存在〉のテンポラリテート
七 もう一つの存在概念
八 ニーチェハイデガー
九 自由な企投
終章 『存在と時間』以降
一 挫折の理由
二 自然的思考と形而上学的思考
三 哲学史観の修正


参考文献
あとがき


≪著者: ≫ 木田 元(きだ げん) 1928年山形県生まれ。哲学者。中央大学名誉教授。東北大学文学部哲学科卒業。主著に、『現象学』『現代の哲学』『ハイデガー』『メルロ=ポンティの思想』『哲学と反哲学』『ハイデガーの思想』『反哲学史』など。翻訳に、メルロ=ポンティ眼と精神』『行動の構造』(共訳)、カッシーラーシンボル形式の哲学』(共訳)など。

哲学と反哲学 (岩波現代文庫,2004/8)』
プラトンの「国家 (名著誕生 4,サイモン・ブラックバーン 著、木田元 訳,ポプラ社,2007/12)』
新人生論ノート (集英社新書,2005/2)』
反哲学入門 (新潮社,2007/12)』


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本「イスラームとコーラン (講談社学術文庫)」牧野信也5

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イスラームとコーラン (講談社学術文庫)

著者: 牧野信也
出版: 講談社 (1987/10;20005/9 第17刷,文庫 206ページ)
価格: 840円
ISBN: 978-4061588059


井筒俊彦訳『コーラン』(岩波文庫)を、ひとつ目指して。

現実主義的側面と内面性重視の側面、スンニ派シーア派、メッカメディナ、、、


≪目次: ≫
はじめに
第一部 イスラームとは何か
 第一章 なぜイスラームは日本人に理解しにくいか
 第二章 現実主義の強調
 第三章 内面性の重視
第二部 コーランとは何か
 第一章 コーランの独特な性格
 第二章 唯一なる神
 第三章 万有を創造する神
 第四章 終末を惹(ひ)き起こす神
 第五章 最後の審判
 第六章 神への怖れ
 第七章 神への感謝
 第八章 日々行なうべきこと
第三部 コーランとイスラームの二面性
 第一章 メッカ時代とメディナ時代
 第二章 コーランの啓示の二面性
あとがき


≪著者: ≫ 牧野信也 1930年千葉市生まれ。1960年慶応義塾大学大学院文学研究科(東洋史学)博士課程修了。現在、東京外国語大学教授。アラブ思想史専攻。文学博士。著書『創造と終末』『マホメット』『アラブ的思考様式』など。訳書『アラブ古詩抄』『ムハンマド』『意味の構造』など。


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本「職業としての政治  Max Weber POLITIK ALS BERUF 1919 (岩波文庫 白209-7)」マックス・ヴェーバー、脇圭平 訳5

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職業としての政治  Max Weber POLITIK ALS BERUF 1919 (岩波文庫 白209-7)

○著者: マックス・ヴェーバー、脇圭平 訳
○出版: 岩波書店 (1980/3;2006/6 第44刷,文庫 121ページ)
○価格: 483円
○ISBN: 978-4003420973


本書は、“あとがき (P.117)”によると、一九一九年一月二八日の夕、シェヴァービング地区のシュタイニッケ書店の中にあった「暗くて細長い」小ホール(収容人員は約一五〇名)にて、ミュンヘンのある学生団体(自由学生同盟)のためにおこなった公開講演(*Wikipediaには「ミュンヘン大学に招聘され、そこで講演」とある)を纏めたものであり、、、
一九一九年といえば、第一次世界大戦における敗戦の結果、ドイツ全土が騒然たる革命の雰囲気に包まれていた時期、とある。

好んで手にする“佐藤優”の影響が大きいことを自覚しつつ、、、
そして、東京創元社『第三帝国の興亡(ウィリアム.L.シャイラー、松浦伶 訳)』全五巻を、ぼちぼちと読み進めていることも、ドイツにおける一九三三年以前への興味へと。
なにより、初心者(ぼく)にも読み易く(理解はともかくとして!?)新訳された“光文社古典新訳文庫”シリーズの恩恵♪

・・・国家とは、ある一定の領域の内部で――この「領域」という点が特徴なのだが――正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である、と。国家以外のすべての団体や個人に対しては、国家の側で許容した範囲内でしか、物理的暴力行使の権利が認められないということ、つまり国家が暴力行使への「権利」の唯一の源泉とみなされているということ、これは確かに現代に特有な現象である。
だから、われわれにとって政治とは、国家相互の間であれ、あるいは国家の枠の中で、つまり国家に含まれた人間集団相互の間でおこなわれる場合であれ、要するに権力の分け前にあずかり、権力の配分関係に影響を及ぼそうとする努力である、といってよいであろう。 (P.9-P.10)

・・・ここでは、われわれの考察のために必要な純粋に概念的な点だけを確認しておくことにする。――近代国家とは、ある領域の内部で、支配手段としての正当な物理的暴力行使の独占に成功したアンシュタルト的な支配団体であるということ。そしてこの独占の目的を達成するため、そこでの物的な運営集団は国家の指導者の手に集められ、その反面、かつてこれらの手段を固有の権利として掌握していた自律的で身分的な役職者は根こそぎ収奪され、後者に代わって国家みずからが、その頂点に位置するようになったということ。以上を確認するにとどめる。
さてこの政治的収奪過程――この過程は成果のちがいこそあれ、地上のすべての国でおこなわれた――の中で、第二の意味での「職業政治家」が、さし当たっては君主に奉仕するという形で登場してきた。彼らは、さきに述べたカリスマ的指導者とちがって、自分から進んで支配者になろうとはせず、政治的支配者に奉仕した「職業政治家」であり、しかもその第一号だったわけである。彼らはこの収奪をめぐる闘いの中で君主の手足となって働き、君主の政策をおこなうことによって、一方で物質的な生計を立て、他方で精神的な内実を得た。・・・ (P.18-P.19)

民間の経済経営でもまったく同じである。政治における「国民」に相当する本来の「主権者」はここでは「株主総会」であるが、それは経営の実際面では、専門官僚に統治された国民と同じく無力である。同様に、経営の政策を動かすお歴々、つまり「重役会」にしても、銀行に頭を抑えられていて、業務上の指示を与えたり経営の実務担当者を選んだりするだけで、経営を技術面で管理する力はもっていない。今日の革命国家の構造も、この点ではなんら根本的な変革を意味しない。その革命国家ではズブの素人たちが、機関銃をおさえたおかげで行政権まで手に入れたが、その彼らにしても、どうせ内心では、専門的に訓練された官僚たちを命令執行の頭脳として手足として利用しようというに過ぎないからである。現代の制度の難点はこれとは別のところにあるのだが、今日のところはこれに触れないことにする。―― (P.35)

さて、ドイツではいま〔敗戦という〕大きな崩壊――世間ではふつう、革命と呼んでいる――の結果として、一つの転換が多分進行している。多分であって、確実に、ではない。まず新しい政党装置の萌芽が現われてきた。・・・ (P.73)


≪著者: ≫ マックス・ヴェーバー (Max Weber,Karl Emil Maximilian Weber、1864-1920) ドイツの社会学者・経済学者。プロイセン王国エルフルトにて、父は政治家、母は上流階級出身の敬虔なプロテスタントの裕福な家庭に長男として生まれる。社会学の黎明期の主要人物としてエミール・デュルケーム (Émile Durkheim、1858-1917)ゲオルグ・ジンメル (Georg Simmel、1858-1918)カール・マルクス (Karl Heinrich Marx、1818-1883)などと並び称されることが多い。 Wikipediaより


Coccinellidae




本「哲学と反哲学 (岩波現代文庫)」木田元5

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哲学と反哲学 (岩波現代文庫)

○著者: 木田 元
○出版: 岩波書店 (2004/8,文庫 283ページ)
○価格: 1,155円
≫Amazon


哲学の勉強をしていると、おかしな話だが、不断に〈哲学とは何か〉という問いに迫られる。ことに、もともとphilosophiaに当る言葉をもたず、したがってそれによって名指される知の様式をもったこともないにちがいないわれわれ日本人が、西洋にしか生まれなかったphilosophiaの勉強をするという、考えようによっては滑稽な立場に身を置いていると、この問いはいっそう切実なものになる。その時どき、なんとか自分を納得させて勉強を続けることになるが、しかしその納得の仕方は必ずしも一貫したものではなく、恥ずかしい話だが、そのつど変わってゆく。
もっとも、〈哲学とは何か〉というこの問いに迫られるのは、われわれが日本人だからということではなさそうである。ヨーロッパの現代哲学者たちも、一様にこの問いを真剣に問い、それぞれが哲学に対してある態度決定をしているように思われる。・・・ (P.鵝◆屬泙┐き」)

ここでハイデガーは次のように主張する。フィロソフィアという言葉がギリシアに生まれ、ギリシアにしか生まれなかったということを見れば、哲学こそ「ギリシア精神の実在」(WP6)を規定するものである。そして、それにとどまらず、フィロソフィアには、このギリシア語の響きと、それによって名指される知の在り方を継承した「われわれの西洋的=ヨーロッパ的歴史の最も内的な根本動向」(WP7)をも規定することことになった。逆に言えば、「西洋とヨーロッパは、そしてそれらだけが、そのもっとも内的な歴史の歩みにおいて根源的に〈哲学的〉なのであり」(WP7)、したがって「西洋哲学」とか「ヨーロッパ哲学」という言い方自体まったくの「同語反復(トートロジー)」でしかない。そして、西洋とヨーロッパに歴史の内的な歩みが〈哲学的〉だというこのことは、この歴史の歩みから諸科学が発生したということによって証言される、とハイデガーは付けくわえる(WP7)。・・・ (P.6、「機‥学と反哲学」)

はじめに

まずこの巻の標題に眼をとめていただきたい。〈身体・感覚・精神〉というこの三つの概念の並べ方はけっして尋常とは言えないであろう。〈身体〉が頭に据えられていること、〈感覚〉が精神と身体とを媒介する位置に置かれていることからも、この問題圏へのここでの切りこみ方のうちに、精神に対する〈身体の復権〉とか、理性に対する〈感性の復権〉といった前世紀末来始動していたモティーフが織りこまれていることが知られよう。そして、身体の復権と言えばまずニーチェが、感性の復権と言えばまずエルンスト・マッハが思い起こされる。ともに、その知的活動のアクメーは、いまからちょうど一世紀前、一八八〇年代の半ばに位置する。やはりこの時期に著作活動を開始したベルクソンをそこにくわえ、彼らのもとで〈身体〉や〈感覚〉が何を意味していたかをふりかえることからはじめたい。 (P.84、「掘/搬痢Υ恭弌精神」)

靴の利用のされ方を観察するよりも、ゴッホの絵を見つめることによって、靴の道具としての在り方がいっそうよく見てとられうるというのも、ハイデガーによれば、それはゴッホの絵が靴を描くだけではなく同時に、その靴が属している農婦の世界をもそこに開き示してくれるからなのである。偉大な芸術作品は、物が物として、道具が道具として存在しうるような〈世界〉をはじめて開いて見せてくれる。これは、われわれが文学作品を通して、たとえばドストイェフスキーの世界が、フォークナーの世界が開かれるのを感じたり、絵画を通してセザンヌの世界が、ゴッホの世界が開かれるのを感じるあの体験を思い起こしてみれば、あながち比喩とばかりは言いきれないであろう。ハイデガーは、芸術作品によって一つの世界が開かれるというこの事態を、ギリシアの神殿のように、何を模写しているわけでもない建築作品を例にして、こんなふうに説き明かしてみせる。
・・・ (P.172、「検〃措上学としての芸術」)

私はこの覚書の冒頭で問題の整理くらいはできそうな気になったと書いたが、書いているうちに、整理どころか混乱の度合いを深めただけのような気がしてきた。しかし、私もハイデガーにふりまわされっぱなしであったが、あるいはハイデガーもライプニッツにふりまわされているのではなかろうか。少なくともほかの哲学者を料理するようには、ライプニッツをうまく料理できないでいるのではないか、というのが私のいまの実感である。が、他日準備を整えなおしてもう一度この問題に取り組むことを心に銘じて、いまはこの覚書の筆を置くしかない。 (P.278、「此.魯ぅ妊ーとライプニッツ」)



≪目次: ≫
まえがき
機‥学と反哲学
はじめに――〈反哲学〉としての現代哲学
一 哲学以前の思索と哲学
二 存在の歴史としての形而上学
三 〈野生の存在〉の存在論あるいは〈反哲学〉
供\こΔ伴然――現象学的世界概念の系譜
はじめに
一 中期フッサールの世界概念
二 後期フッサールの世界概念
三 シェーラーの世界概念
四 ハイデガーの世界概念
五 メルロ=ポンティの世界概念
六 世界から自然へ
掘/搬痢Υ恭弌精神
はじめに
一 ニーチェ――〈肉体を手引きとする〉世界考察
二 ベルクソン――〈純粋知覚〉に開かれる世界
三 エルンスト・マッハ――〈感性的要素一元論〉
四 世紀末思想史の一断面
付録 ウィトゲンシュタインの周辺
1 フッサールとウィトゲンシュタイン/2 ハイデガーとウィトゲンシュタイン/3 ソシュールとウィトゲンシュタイン
検〃措上学としての芸術
はじめに
一 生の形而上学的活動としての芸術(ニーチェ)
二 芸術の生理学(ニーチェ)
三 感覚的なものの存在論としての芸術(メルロ=ポンティ)
四 真理の生起としての芸術作品(ハイデガー)
后.魯ぅ妊ーと「形而上学」の歴史
はじめに
一 ハイデガーの思索の「転回(ケーレ)」について
二 〈存在=現前性〉という伝統的存在概念の成立
三 「存在の歴史としての形而上学」
1 本質存在と事実存在/2 ピュシス的存在了解/3 ピュシスとテクネー/4 プラトンと形而上学の開始/5 プラトンとアリストテレス/6 エネルゲイアとしての存在/7 「始原の存在」とエネルゲイアとしての存在
四 形而上学の開始と進行
此.魯ぅ妊ーとライプニッツ――覚え書
はじめに
一 ライプニッツとドイツ形而上学の系譜
二 『存在と時間』と存在史的思索
三 一九二八年の講義におけるライプニッツの読み方
四 「存在の歴史としての形而上学」のライプニッツ観
岩波現代文庫版あとがき


本書は、一九九〇年一一月岩波書店より刊行された『哲学と反哲学』に、第詐蓮屮魯ぅ妊ーとライプニッツ――覚え書」を増補して、一九九六年九月、「岩波同時代ライブラリー」として刊行された。


≪著者: ≫ 木田 元(きだ げん) 1928年山形県生まれ。哲学者。中央大学名誉教授。東北大学文学部哲学科卒業。著書に、『ハイデガー』『ハイデガー「存在と時間」の構築』(以上、岩波現代文庫)、『現象学』『ハイデガーの思想』『偶然性と運命』(以上、岩波新書)、『現代の哲学』『メルロ=ポンティの思想』『反哲学史』『わたしの哲学入門』『最終講義』『マッハとニーチェ』ほか

プラトンの「国家 (名著誕生 4,サイモン・ブラックバーン 著、木田元 訳,ポプラ社,2007/12)』
新人生論ノート (集英社新書,2005/2)』
反哲学入門 (新潮社,2007/12)』


cloudy




本「野性の呼び声  Title:THE CALL OF WILD 1903 Athor:Jack London (光文社古典新訳文庫)」ロンドン、深町眞理子 訳5

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野性の呼び声  Title:THE CALL OF WILD 1903 Athor:Jack London (光文社古典新訳文庫)

○著者: ロンドン、深町眞理子 訳
○出版: 光文社 (2007/9,文庫 238ページ)
○価格: 500円
≫Amazon


放浪への原始の渇望が湧きあがり、
 習慣の鎖にいらだつ。
その冬の眠りよりいまふたたび、
 野生の血筋がめざめる。  (P.8)

彼はたたきのめされた(そのことはわかっていた)。だが、心まで打ちのめされたわけではなかった。棍棒を持った人間には勝ち目がないということ、この一事をこのときかぎり、深く肝に銘じたというだけのことだ。教訓としてこのことを胸に刻みこんだ彼は、以降、終生それを忘れることがなかった。男の棍棒は、ひとつの啓示であった。それは原始の掟が支配する領域への第一歩であり、そこへの途中で、いまその掟の洗礼を受けたのだ。この避けがたい生の実態は、やがて、より過酷な様相を帯びてくるが、そうした局面に恐れることなく立ち向かってゆきながらも、同時に彼はそれを、生まれ持った本性が呼びさましてくれた、隠れたる抜け目のなさで受けとめてゆくことになる。 (P.25-P.26)

・・・とてつもない恐怖が怒涛のように全身に荒れ狂った――罠にかかることにたいして、野生のものがいだく恐怖。これはひとつの証左だった――彼がいつのまにか自分本来の生をさかのぼり、先祖のそれへと逆行しつつあるというあかし。なぜなら彼は文明化された犬、それも過度に文明化された犬であって、自身の経験だけでは、罠などというものを知るべくもなく、したがって、それへの恐怖心を持つこともありえなかったのだから。全身の筋肉が本能的に、また痙攣的に収縮し、首の毛、肩の毛が逆だった。そして狂暴な咆哮もろとも、彼はまっすぐ上方へ、まばゆい白日のなかへと跳躍した。・・・ (P.42)

この最初の盗みこそは、〈北方地域〉のきびしい環境のなかで生き抜いてゆくにあたり、バックが適性をそなえていることを示していた。それは彼の順応性を、すなわち、移り変わる四囲の条件に自分を合わせてゆける能力をあらわしていて、この能力を欠けば、遠からず悲惨な死が待っている。さらに、盗みを働いたことは、彼の生来の道義心の頽廃、なしは崩壊をも示しているが、生存のための非情な闘いのなかでは、道義心などは所詮、無益なものであり、障害にしかならない。〈南国〉にあって、愛と友情という掟のもとで暮らしているかぎりは、私有物や個人の感情といったものを尊重するのは、まことに結構なことではある。けれども、〈北方地域〉の棍棒と牙の掟のもとにあっては、だれであれ、そういうものに配慮するやからは愚か者であり、そんな態度を墨守しているかぎり、そいつがうまくやっていくことはおぼつかないのだ。
とまあこういったことを、バックが順序だてて考えたというわけではない。彼は適応した。それだけのことだ。意識せずして、自分を新たな生活様式に適合させていっただけだ。・・・ (P.48-P.49)

人間をある一定の間隔で喧噪の都会から追いたて、森や草原へと駆りだして、化学的に発射される鉛の弾で生き物を殺させる、あのむかしながらの本能のうずき、血への渇望、殺戮の喜び――これらはバックもまたそなえているものだった。ただ人間の場合よりも、かぎりなく奥深く、切実なものであるにすぎない。いま彼が群れの先頭を切って、先を行く野生の生き物を、生の肉を追っているのも、自らの牙でそれを咬み殺したい、その温かな血に、目までひたりたいという欲求からなのだった。
生き物には、生の絶頂にやってくる陶酔感がある。それよりも上へ、生命感が高まることはない。そして、ここにこそ生の矛盾がある――その陶酔が訪れるのは、もっとも生きいきと生きているときであり、同時にそれは、生きていることを完全に忘れ去るというかたちで訪れる。・・・ (P.76-P.77)

たぶん、今回の旅暮らしでいちばん気に入ったのは、焚き火のそばで横になって、後脚を体の下で折り畳み、前脚は前方にのばして、頭をもたげ、目を細め、夢見るようにまばたきしながら、炎を見つめているときだったろう。そんなとき、ときとして彼は、日ざしあふれるサンタクララ・ヴァレーの、ミラー判事のあの広い屋敷や、水浴び用のコンクリートの貯水槽のことを思い浮かべたし、また、メキシカン・ヘアレスのイサベルや、日本生まれの狆のトゥーツのことを思いだしもした。けれども、それ以上にたびたび脳裏によみがえるのは、赤いセーターのあの男の記憶であり、カーリーの死であり、スピッツとの死闘であり、さらには、これまでに食べたか、あるいは食べてみたいと思うごちそうのこと、なのだった。ホームシックは、彼には無縁のものだった。日ざし輝くあの土地は、いまではひどく遠く、おぼろげなものになっていて、そうした記憶から、彼が影響を受けることはなかった。それよりもはるかに強かったのは、先祖から受け継いだ記憶の力であり、その影響があればこそ、これまで一度も見たことのないものにも、ひとまず親近感らしきものを覚えるのだし、その後の時代に衰えていた本能(本能とはつまるところ、習慣となった先祖の記憶にすぎないのだから)が、最近なって彼の身内によみがえり、ふたたび活発になってきたというのも、やはりその力のおかげなのだ。 (P.94-P.95)



≪目次: ≫
第一章 原初の地へ
第二章 棍棒と牙の掟
第三章 太古の野獣の血が支配する
第四章 覇者となったもの
第五章 橇引きの苦難にあえぐ
第六章 ひとりの男への愛のために
第七章 呼び声が響く

解説/信岡朝子(日本学術振興会特別研究員)
放浪者、社会主義者、作家――様々な貌(かお)を持つロンドン/「最後のフロンティア」と自然回帰運動/大論争を経て、なお読み継がれるロンドン

ジャック・ロンドン年譜

訳者あとがき



≪著者: ≫ ジャック・ロンドン Jack London [1876−1916] アメリカの小説家。サンフランシスコで貧しい家庭に育ち、15歳の頃から牡蠣密猟、アザラシ猟船乗組員、発電所の石炭運搬など様々な職につき、各地を放浪する。1897年、クロンダイクのゴールドラッシュに参加するが壊血病にかかり帰郷。1903年、北方での見聞をもとに書いた『野性の呼び声』が大ヒットし、人気作家となる。以後、『どん底の人々』『海の狼』『ホワイト・ファング』などを精力的に発表する。40歳で死去。

[訳者] 深町眞理子 Fukamachi Mariko 1931年生まれ。英米文学翻訳家。訳書に、『ザ・スタンド』(キング)、『ルーンの杖秘録』シリーズ(ムアコック)、『光の王』(ゼラズニイ)、『渇きの海』(クラーク)、『親指のうずき』(クリスティー)、『くじ』(ジャクスン)、『アンネの日記 増補新訂版』(フランク)ほか多数。著書に『翻訳者の仕事部屋』がある。


Mt.Fuji




本「レーニン  Title:О Ленине:Материалы для биографа 1924 Author:Л.Д.Троцкий (光文社古典新訳文庫)」トロツキー、森田成也 訳5

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レーニン  Title:О Ленине:Материалы для биографа 1924 Author:Л.Д.Троцкий (光文社古典新訳文庫)

著者: トロツキー、森田成也 訳
出版: 光文社 (2007/3,文庫 533ページ)
価格: 880円
≫Amazon


「何というプチブル! 何という俗物!」 (P.278,P.274,P.266,P.261)

本書は完成されたものではない。しかも二つの意味でそうだ。まず第一に、本書はレーニンの伝記ではないし、レーニンの性格描写を行うものでも、レーニンの見解や行動方法の完全な記述を与えるものでもない。本書はただ、将来誰かがまとまった著作を書くための(もしかしたらそれは本書の筆者かもしれないが)単なる大雑把な材料、素描、スケッチにすぎない。しかしながら、このような「下書き」的なアプローチは不可避であり必要でもある。通俗的な伝記や一般的な性格描写と並んで、現在、われわれの目に映ったままのレーニンの生活と個性にまつわる個々のエピソードや個々の特徴をしっかりと記憶に刻みつける、詳細で入念な作業も必要になっているからである。本書の最も主要な部分は、一五年の月日で隔てられた二つの時期における筆者の思い出にもとづいている。旧『イスクラ(火花)』の最後の半年と、十月革命をあいだに挟んだ決定的な一年、すなわち一九一七年半ばから一九一八年秋までの時期である。 (P.14-P.15、「序文」)


そして、訳者“森田成也”が解説する、ウラジーミル・イリイチ・レーニン (Владимир Ильич Ленин, 1870-1924)と、レフ・ダヴィドヴィチ・トロツキー (Лев Давидович Троцкий, 1879-1940)、二人の男の緊密な関係。
トロツキーは、レーニンとともに活動すればするほど深く彼を敬愛(崇拝ではない)するようになっていった。ボリシェヴィキメンシェヴィキの両者の対立の中間にあってしばしば孤立しがちであったトロツキーを全面的に受け入れ、全幅の信頼を示してくれたことに、トロツキーが感動しないわけがなかった。(中略)
「トロツキーは刺があって高圧的な人物である。だが、ボリシェヴィキに合流した後には、レーニンに対してだけは、心を打つような柔和な従順さを示したし、今も示している。そして真に偉大な人々に特有の謙虚さをもってレーニンに優位性を認めている」(ルナチャルスキー『革命のシルエット』、筑摩書房、四六頁)
ある意味ではトロツキーは、レーニンという大きな屋根のもとでこそ、存分にその能力を発揮することができたとも言える。レーニンはけっして権力を誇示したがらなかったが、権力を容赦なく用いることができた。トロツキーはしばしば権力を誇示していると思われたし、そう思われても仕方のない振る舞いをしていたが、実際には権力を用いることにどこか常に道徳的な葛藤を感じていた。だからこそ、レーニンによる上からのお墨付きかソヴィエト大衆の下からの支持がトロツキーには必要だった。古くからのボリシェヴィキ幹部からは嫉妬と反感の目で見られ、またそうでなくてもしばしば他者から「尊大」だとみなされがちであったトロツキーが、あの危機的な革命と内戦の時期に、その内的諸力のいっさいを最高度に発揮することができたのは、ソヴィエト大衆の下からの熱烈な支持とレーニンの上からの全面的庇護があったからこそである。それだけに、ソヴィエト大衆の革命的エネルギーの衰退と軌を一にして起きたレーニンの政治的死(一九二三年)と肉体的死(一九二四年)は、トロツキーの運命をあらかじめ決定したと言える。  (P.467-P.468)



≪目次: ≫ レーニン――伝記のための覚書
序文  L.T 一九二四年四月二日
レーニンと旧『イスクラ』  一九二四年三月五日
レーニンとの最初の出会い/プレハーノフザスーリチマルトフ/講演旅行と社会主義派の教会/パリのレーニン/レーニンの演説/労働解放団のメンバー/第二回党大会の準備と組織問題/プレハーノフとの衝突/ザスーリチと自由主義者/レーニンの進化/衝突の不可避性/『イスクラ』とインテリゲンツィア急進主義
一九一七年十月  一九二四年四月六日
1 十月前/2 革命/3 プレスト・リトフスク/4 憲法制定議会の解散/5 政府の仕事/6 チェコスロバキア軍団と左翼エスエル/7 壇上のレーニン/8 俗物と革命家
人間レーニン
1 レーニンにおける民族的なもの――レーニン五〇歳の誕生日によせて(『プラウダ』第八六号、一九二〇年四月二三日)/2 レーニンの負傷(一九一八年九月二日、全露ソヴィエト中央執行委員会会議での演説)/3 レーニンの病気(一九二三年四月五日、第七回全ウクライナ党協議会での報告より)/4 レーニンの死(チフリスの駅にて 一九二四年一月二二日)

付録
1 マルクスとレーニン(一九二四年四月二三日の東方勤労者共産主義大学創立三周年記念式典での演説より)/2 レーニンについての本当と嘘――ゴーリキのレーニン論についての一考察  キスロヴォツク、一九二四年九月二八日(一九二四年一〇月七日付『プラウダ』)/3 小さな人々と大きな人――子供たちの見たレーニン  キスロヴォツク、一九二四年九月三十日(一九二四年一〇月八日付『プラウダ』)/4 過剰な熱意――批判者への反論  『ボリシェヴィーク』第一二・一三号、一九二四年一〇月二〇日号/5 二人のトーリー党員による革命論――チャーチルとバーケンヘッドのレーニン論  一九二九年三月二三日(『革命家群像』より)

解説 トロツキーの鏡に映ったレーニン/森田成也
トロツキー年譜
訳者あとがき
人名一覧



≪著者: ≫ レフ・トロツキー Лев Давидович Троцкий 〔1879-1940〕 ロシアの革命家、第4インターナショナルの創設者。南ウクライナの自営農の家に生まれ、10代の頃より革命運動に従事。最初の逮捕と亡命後にレーニンらの『イスクラ』に寄稿。1905年革命で指導的役割を果たした。1917年革命の際にはレーニンと密接に協力して10月革命を指導。レーニンの政治的離脱後、官僚主義の克服と工業化を訴えるがスターリン派によって弾圧される。1929年に国外追放。1940年8月、スターリンの刺客にピッケルで頭を打ちぬかれて死亡。著書に『総括と展望』『レーニン死後の第3インターナショナル』『ロシア革命史』『わが生涯』など多数。

[訳者] 森田成也 Morita Seiya 1965年生まれ。大学非常勤講師。主な著書、『資本主義と性差別』。訳書は『多数派の専制』(ラニ・グイニア)、『わが生涯〈上〉』(トロツキー)など多数。


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本「マホメット (講談社学術文庫)」井筒俊彦5

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マホメット (講談社学術文庫)

○著者: 井筒俊彦
○出版: 講談社 (1989/5,第22刷 2006/9,文庫 141ページ)
○価格: 630円
≫Amazon


マホメットとは何者か?」――十五年も前から私の胸に去来して止まぬこの執拗な問いに私は自分流の解答を作ってみたかったのである。 (P.21、「序」)

今から振りかえってみると、茫漠とした遠い時間の彼方の出来事であるこのようでもあり、かと思うとまた、つい昨日のことのような気もする。昭和二十七年、弘文堂刊行の叢書「アテネ文庫」の一冊として、私は『マホメット』を書いた。今回の講談社「学術文庫」版は、その本を可能なかぎり忠実に再現したものである。
(中略)多くの欠陥はあるにしても、およそ原本なるものには、原本だけに特有の味わいと面白さがある、と信じるようになったからである。
とまれ、この形での『マホメット』は、今から四十年近くも前の作品。若い日の私の胸中に渦巻いていたアラビア沙漠の浪漫を、なんの制約もなく、ただ奔放に形象化したような、私自身にとってこよなく懐かしい書物である。 (P.3-P.4、「学術文庫」版まえがき)



≪目次: ≫
学術文庫」版まえがき/平成元年二月
一 序
二 沙漠騎士道
三 享楽と苦渋
四 マホメットの出現
五 預言者召命
六 メッカの預言者
七 メディナの預言者

解説 井筒イスラーム学の全体像と『マホメット』/牧野信也
独特な精神形成/博く高い研究業績/原典をして語らしめる方法/東洋哲学の根源的思想パターンを探究する壮大な学問体系/『マホメット』、その際立った特色/論述を貫流する著者の熱き血潮


≪著者: ≫ 井筒俊彦(いづつ・としひこ) 1914年東京生まれ。1937年慶応義塾大学文学部卒。慶応義塾大学教授、カナダ・モントリオールのマックギル大学教授、テヘランのイラン王立哲学アカデミー教授を歴任。慶応義塾大学名誉教授、日本学士院会員、パリ国際哲学会(Institut International de Phiro-sophie)会員。文学博士。専攻は東洋思想、言語哲学。主著に『イスラーム思想史』『イスラーム文化』『意識と本質』(以上岩波書店)『神秘哲学』(人文書院)、主な訳書に『コーラン』(岩波文庫)『ルーミー語録』(岩波書店)等。1993年没。


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本「石油 最後の1バレル  A THOUSAND BARRELS A SECOND : The coming Oil Break Point and the challenges Facing an Energy Dependent World by Peter Tertzakian」ピーター・ターツァキアン、東方雅美・渡部典子 訳5

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石油 最後の1バレル  A THOUSAND BARRELS A SECOND : The coming Oil Break Point and the challenges Facing an Energy Dependent World by Peter Tertzakian

著者: ピーター・ターツァキアン、東方雅美・渡部典子 訳
出版: 英治出版 (2006/12,単行本 384ページ)
価格: 1,995円
≫Amazon


今日の世界では、石炭ウラン原油天然ガス再生エネルギーである風力太陽エネルギーなど、さまざまな燃料を使って灯りがともされている。しかし、わずか一五〇年前までは、鯨油が世界の灯りの主な燃料だった。ここ数十年の原油探索は、広い世界を相手にした確かに厳しいものである。しかし、人間がクジラを追いかけて、エネルギーに対する渇望を満たそうとしていた時代はさらに厳しかった。一七〇〇年代中盤に拡大し始め、一八〇〇年代中盤にピークを迎え、一八七〇年に突然落ち込むまで、捕鯨は単なる漁業ではなかった。それは世界を明るくする光源を求める、必死の捜索だったのである。 (P.30)



≪目次: ≫
日本語版 訳者まえがき
謝辞
序章 変貌する石油
「巨象」はいなくなった/エネルギー・サイクルの仕組み
第1章 最後の鯨油ランプに火をともす――争いの幕開け
鯨蝋ロウソクの誕生/燃料としての鯨油を求めて/最後の鯨油ランプ
第2章 33%の優位性――なぜ人類は石油を選んだのか
新たなエネルギー源を求めて/蒸気機関の発明/蒸気機関の圧倒的な優位性/第一次世界大戦の勝敗を分けたもの/スタンダード石油の市場支配/第二次世界大戦とアメリカ時代へ/石油をめぐる冷戦
第3章 車輪がまわらない――石油依存国と各国の思惑
経済成長と比例関係/セブンシスターズによる市場支配/ボイラーは爆発寸前/一九七〇年代のブレークポイントへの対処/一九七〇年代のブレークポイント後の再調整の動き
第4章 地球の果てへ――変化する経済とライフスタイル
石油価格の高騰と警戒音/適正範囲からの逸脱/需要サイドの問題/供給サイドの問題/国際政治における圧力/再び大争奪戦が始まった/統計データに関わるリスク/ブレークポイントの足音
第5章 技術という切符――テクノロジーに何ができるか
新技術到来までの時間/エジソンが電気照明で成功した理由/次のエネルギーに移行するためには/宇宙に豊富にあるもの――水素/昔の道を新しい方法で通る
第6章 迫り来る足音――ブレークポイントへの対処法
第一段階――不平を言いながら、お金を払う/第二段階――節約し、効率化を図る/第三段階――代替エネルギーを使い始める/第四段階――社会やビジネス、ライフサイクルを変える
第7章 新たなる黄金時代――不確実な未来とその可能性
二〇一七年の世界/二〇一七年から過去十二年を振り返る/現実に戻る――二〇〇六年とその後/政府の可能性/アメリカの可能性/中国の可能性/その他の国の可能性/企業の可能性/起業家の可能性/投資家の可能性/個人の可能性/これから先の未来へ


≪著者: ≫ ピーター・ターツァキアン Peter Tertzakin エネルギーを専門とする世界有数のプライベート・エクイティ企業、ARCフィナンシャル・コーポレーションのチーフ・エコノミスト。地球物理学、経済学、ファイナンスを学び、起業家精神溢れるターツァキンは、現場での石油探査フィールドワーカーからスタートし、国際的に有名なトップランクのアナリストとなった。国際的な企業や組織の経営幹部からも支持されている。世界のエネルギーのトレンドをまとめたARCエネルギーチャートを毎週発行している。

≪訳者: ≫ 東方 雅美(とうほう・まさみ) 慶應義塾大学法学部卒。バブソン大学経営大学院博士課程修了。大手出版社にて雑誌記者として勤務した後、教育関連企業の出版部門にて、経済・経営書の企画・制作に携わる。現在は独立し、書籍の翻訳、編集、執筆、および企画・コンサルティング等を行う。翻訳書に『論理思考力トレーニング法 気がつかなかった数字の罠』(中央経済社)、共訳書に『リーダーを育てる会社・つぶす会社』『グラミンフォンという奇跡』『ワールドインク』(英治出版)、『MBAクリティカル・シンキング』(ダイヤモンド社)などがある。

≪訳者: ≫ 渡部 典子(わたなべ・のりこ) お茶の水女子大学卒。アメリカの公立高校で日本語教師を経た後、日本技術貿易に入社。慶應ビジネス・スクールでMBAを取得後、グロービスで研修講師、教材開発、出版事業に従事。現在は独立し、書籍の翻訳、編集、研修講師、出版やマーケティング関係のコンサルティング等を行う。翻訳書『ブランド・ストレッチ』(英治出版)、共著書『新版 MBAマネジメント・ブック』(ダイヤモンド社)などがある。


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本「永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編  Zum ewigen Frieden/Beantwortung der Frage: Was ist Aufklärung?  Author:Immanuel Kant (光文社古典新訳文庫)」カント、中山元 訳5

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永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編  Beantwortung der Frage: Was ist Aufklärung? 1784 / Idee zu einer allgemeinen Geschichte in weltbürgerlicher Absicht 1784 / Mutmaßlicher Anfang der Menschengeschichte 1786 / Das Ende aller Dinge 1794 / Zum ewigen Frieden 1795  Author:Immanuel Kant (光文社古典新訳文庫)

○著者: カント、中山元 訳
○出版: 光文社 (2006/9,文庫 387ページ)
○価格: 680円
≫Amazon


◇啓蒙の定義
啓蒙とは何か。それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜けでることだ。未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということである。人間が未成年の状態にあるのは、理性がないからではなく、他人の指示を仰がないと、自分の理性を使う決意も勇気ももてないからなのだ。だから人間はみずからの責任において、未成年の状態にとどまっていることになる。こうして啓蒙の標語とでもいうものがあるとすれば、それは「知る勇気をもて(サベーレ・アウデ)」だ。すなわち「自分の理性を使う勇気をもて」ということだ。

◇未成年の利点
ほとんどの人間は、自然においてはすでに成年に達していて(自然による成年,ナートゥラーリテル・マーイヨーレネス)、他人の指導を求める年齢ではなくなっているというのに、死ぬまで他人の指示を仰ぎたいと思っているのである。また他方ではあつかましくも他人の後見人と僭称したがる人々も跡を絶たない。その原因は人間の怠慢と臆病にある。というのも、未成年の状態にとどまっているのは、なんとも楽なことだからだ。わたしは、自分の理性を働かせる代わりに書物に頼り、良心を働かせる代わりに牧師に頼り、自分で食事を節制する代わりに医者に食餌療法を処方してもらう。そうすれば自分であれこれ考える必要はなくなるというものだ。お金さえ払えば、考える必要などない。考えるという面倒な仕事は、他人がひきうけてくれるからだ。 (P.10、「啓蒙とは何か」)

…賈椶砲靴晋曲犬離謄ストは、アカデミー版のカント全集第八巻『一七八一年以降の論文』である。この全集はボン大学のサイト(http://www.ikp.uni-bonn.de/kant/verzeichnisse-gesamt.html)で行番号つきで公開され、参照しやすくなった。 (P.3、凡例)


≪目次: ≫
凡例
啓蒙とは何か――「啓蒙とは何か」という問いに答える(一七八四年) Beantwortung der Frage: Was ist Aufklärung
啓蒙の定義/未成年の利点/未成年状態から抜けだせない理由/公衆の啓蒙/理性の公的な利用と私的な利用/三つの実例/人間性にたいする犯罪/君主の役割/フリードリヒ大王の世紀/啓蒙の広がり/啓蒙の逆説

世界市民という視点からみた普遍史の理念(一七八四年) Idee zu einer allgemeinen Geschichte in weltbürgerlicher Absicht
自由の発展/自然の意図/第一命題/自然にそなわる素質の目的/第二命題/類としての存在/第三命題/自然の配慮/第四命題/非社交的な社交性/悪の起源/第五命題/市民社会という〈檻〉/第六命題/支配者のパラドクス/第七命題/国際的な連合の樹立/永遠平和の思想/自然の目的/世界市民状態/輝ける悲惨/第八命題/自然の隠された計画/進歩の諸条件/世界国家へ向けて/第九命題/自然の計画/人間の歴史の記述/歴史記述の役割

人類の歴史の憶測的な起源(一七八六年) Mutmaßlicher Anfang der Menschengeschichte
憶測による歴史の可能性/漫遊/エデンの園/神の命令/原初の侵犯――掟に対する違反/いちじくの葉/死の不安/自然の目的としての人間/楽園の夢/補足/悪の端緒/文化が自然に/端緒の歴史の終わり/農耕者と牧畜者の分離/統治機能と不平等の発生/都市の誕生/結論として/摂理/第一の逆説――戦争の悪とその役割/第二の逆説――寿命の短さとその役割/第三の逆説――ユートピアの空しさと不平等の役割/端緒の歴史の帰結とその教訓

万物の終焉(一七九四年) Das Ende aller Dinge
永遠という思想/最後の審判/救いに関する二つの体系/恐るべき世界の終焉/補足/終焉という理念の役割/万物の終焉の三つの概念/反自然的な概念/神秘的な終焉の概念/人間の愚かしさ/摂理/キリスト教の愛/愛と権威の矛盾/自由を重視する考え方/キリスト教と報い/万物の終焉の到来

永遠平和のために――哲学的な草案(一七九五年) Zum ewigen Frieden
留保条項
第一章 国家間に永遠の平和をもたらすための六項目の予備条項
戦争原因の排除/国家を物件にすることの禁止/常備軍(ミーレス・ペルペトゥウス)の廃止/軍事国債の禁止/内政干渉の禁止/卑劣な敵対行為の禁止/予備条項の性格の違い
第二章 国家間における永遠平和のための確定条項
自然状態(スタトゥス・ナーチューラーリス)の廃棄/永遠平和のための第一確定条項/協和的な体制の条件/共和制と戦争/三つの体制/第二確定条項/自然状態にある国家/〈法・権利〉の根拠/平和連盟(フェドス・パーキフィクム)の役割/消極的な理念としての連合/永遠平和のための第三確定条項/歓待の権利/世界市民法の可能性/第一追加条項/自然の配慮/氷の海と砂漠/戦争/戦争の意味/自然の意図/天使の国と悪魔の国/世界王国/商業の役割/第二追加条項 永遠平和のための秘密条項/許される秘密条項/法律家と哲学者/付録/政治と道徳の「対立」/永遠平和が「不可能な」理由/道徳的な政治家とは/実務的な法律家の過ち/三つの詭弁的な原則/政治と道徳の対立/理性の二つの原理/戦略問題と政策問題/普遍的な意志の威力/正義はなされよ……/悪の原理/神と人間の悪/政治と道徳の「対立」/公開性/公法の成立の条件/国内法における公開性の原則の実例――革命/国際法における公開性の原則の実例――他国との約束、他国への攻撃、合併/二重人格の二律背反(アンチノミー)/超大国への攻撃の二律背反(アンチノミー)/小国の合併の二律背反(アンチノミー)/世界市民法における公開性の実例/政治の策略/政治の二枚舌/公法の超越論的な原理再論/永遠平和という課題


カント年譜

解説――カントの思考のアクチュアリティ/中山元
第一章「啓蒙とは何か」
啓蒙の概念/自分で考える/哲学者の役割/この論文の新しさ/公的なものと私的なもの/自律した思考の原則
第二章「カントの歴史哲学」
三つの歴史哲学論文/歴史哲学の役割
第一節「世界市民という視点からみた普遍史の理念」
自然の狡智/個人の原理/非社会的な社会性/市民的な体制/支配者のパラドックス/戦争の逆説/世界市民状態へ
第二節「人類の歴史の憶測的な起源」
善悪の認識/原初の否定性――神の掟の侵犯/第一の反自然性――性の欲望/第二の反自然性――死/第三の反自然性――人間の平等/歴史の終焉の可能性
第三節「万物の終焉」
歴史の終焉/倒錯した歴史の終焉
第三章「永遠平和のために」
第一節 序
平和条約の予備条項/平和条約の確定条項
第二節 国家法における平和の条件
三つの国家体制/構成的権力/三つの理念/天使の国と悪魔の国/個人の意志と普遍意志
第三節 国際法における平和条項
国家の自然状態
第四節 世界市民法における平和の条件
歓待の権利と植民地の戒め
結論に代えて
自然の概念/自然の配慮/カントの思考のダイナミズム/希望、格律、原則

訳者あとがき


≪著者: ≫ イマヌエル・カント Immanuel Kant [1724-1804] ドイツ(東プロイセン)の哲学者。近代に最も大きな影響を与えた人物の一人。『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』のいわゆる三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における「コペルニクス的転回」を促した。フィヒテシェリングヘーゲルとつながるドイツ観念論の土台を築いた。

[訳者] 中山元 Nakayama Gen 1949年生まれ。哲学者、翻訳家。主著に『思考のトポス』『フーコー入門』『はじめて読むフーコー』『思考の用語辞典』『〈ぼく〉と世界をつなぐ哲学』ほか。訳書に『自我論集』『エロス論集』(以上、フロイト)、『呪われた部分 有用性の限界』(バタイユ)、『パピエ・マシン(上・下)』(デリダ)ほか多数。

幻想の未来/文化への不満 (フロイト文明論集1,2007/9,光文社古典新訳文庫)』
人はなぜ戦争をするのか エロスとタナトス (フロイト文明論集2,2008/2,光文社古典新訳文庫)』


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