Gori ≒ ppdwy632

〈ぼく〉の思索の一回性の偶然性の実験場。

2009年01月

本「いまこそ読みたい哲学の名著 自分を変える思索のたのしみ (光文社文庫)」長谷川 宏5

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いまこそ読みたい哲学の名著  自分を変える思索のたのしみ (光文社文庫)
いまこそ読みたい哲学の名著 自分を変える思索のたのしみ
 (光文社文庫)

○著者: 長谷川 宏
○出版: 光文社 (2007/4,文庫 255ページ)
○価格: 520円
○ISBN: 978-4334742409
おすすめ度: 5.0
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自由な社会とは、矛盾に満ちた社会のことだ。
わたしがヘーゲル哲学から学んだ重要なものの見方の一つがそれだ。矛盾を突きつけられれば、人びとはそれを解決しようと努力を重ねる。その努力があらたな矛盾をうみだす。そのようにして前へとすすんでいくのが自由な社会だ。ヘーゲルはそう考えた。  (P.121、「自由な社会のむずかしさ」)

ドストエフスキーは「永久に」「孤独な存在であることを意識しなければならない」のだったが、孤独のなかで、まわりの世界への理解が深まり、とともに、下層の人びとへの信頼感が深まっていった。  (P.142、「小説家の獄中生活」)

愛は対等な関係のもとになりたつもの、信仰は下位のものが上位のものにたいしていだくもの、と二つを区別した上で、フォイエルバッハは愛こそが類としての人間を結ぶにふさわしい心性だと考える。そして、愛の深まりと広がりが、おのずと信仰を無用の心性として破棄するに至ると考える。類的な人間の無限の全体世界に神がとりこまれるということは、心性に即していえば、愛のうちに信仰が溶解していくことにほかならない。  (P.192、「無限なる人間存在」)



≪目次: ≫
機/祐
『幸福論』アラン――健全なる精神
リア王W・シェイクスピア――愚かさの魅力
方法序説デカルト――世間という大きな書物
供〇弸
饗宴プラトン――古代ギリシャのエロス
論語』――序列意識の根深さ
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神マックス・ヴェーバー――歴史の奥を見る目
掘ー匆
社会契約論ルソー――人間への限りない信頼
自由論J・S・ミル――自由な社会のむずかしさ
死の家の記録ドストエフスキー――小説家の獄中生活
検/仰
告白アウグスティヌス――聖なるドラマ
パンセパスカル――隠れた神
『キリスト教の本質』フォイエルバッハ――無限なる人間存在
后“
悪の華ボードレール――美の王国
『色彩について』ウィトゲンシュタイン――色の現象学
『眼と精神』M・メルロ=ポンティ――世界の誕生

あとがき(二〇〇四年五月三十一日 長谷川 宏)
光文社文庫版へのあとがき(二〇〇七年二月十四日 長谷川 宏)
出典一覧
本書のおもなキーワード〈索引〉

*二〇〇四年七月 光文社刊


≪著者: ≫ 長谷川 宏 (はせがわ ひろし) 1940年島根県生まれ。東京大学文学部哲学科卒業、同大学大学院博士課程修了。哲学者。1974年『ヘーゲルの歴史意識』刊行。その後ヘーゲル主著作の翻訳活動に入る。主な訳書に『ヘーゲル哲学史講義』(上中下)、『精神現象学』ほか多数。主な著書に『哲学者の休日』『丸山眞男をどう読むか』などがある。


ネギとキャベツと・・・





本「となりのカフカ (光文社新書164)」池内紀5

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となりのカフカ (光文社新書)
となりのカフカ (光文社新書164)

○著者: 池内紀
○出版: 光文社 (2004/8,新書 218ページ)
○価格: 735円
○ISBN: 978-4334032647
おすすめ度: 4.0
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フランツ・カフカ (Franz Kafka, 1883-1924)プラハユダヤ人、独身。

当時、五年がかりで書いていた『カフカの生涯』と題した評伝(二〇〇四年七月、新書館より刊行)を、書き終えてから二年ばかり、うっちゃらかしていたのは、熱をさまして、冷静になって手を入れよう、との考えがあったから、で、それとなくカフカの手引きする小さな本としての、編集者との合意のなかから雑誌「小説宝石」への一年間の連載による方法が採られて書籍化された、と本書の生い立ち(?!)が「あとがき」に明かされる、カフカ初級クラス・十二回講義、修了祝いのプラハ旅行つき♪


≪目次: ≫
はじめに
第1章 サラリーマン・カフカ
第2章 カフカ家の一日
第3章 虫になった男
第4章 メカ好き人間
第5章 健康ランドの遍歴
第6章 手紙ストーカー
第7章 性の匂い
第8章 ユダヤ人カフカ
第9章 独身の選択
第10章 日記のつけ方
第11章 小説の不思議
第12章 カフカ・アルバム――プラハ案内とともに
    「カフカの生きたプラハ」地図
    フランツ・カフカ 略年譜
あとがき(二〇〇四年七月 池内紀)


≪著者: ≫ 池内紀 (いけうちおさむ) 一九四〇年兵庫県姫路市生まれ。ドイツ文学者、エッセイスト。一九六六〜一九九六年、神戸大、都立大、東大でドイツ語、ドイツ文学の教師。その後は文筆業。主な著書に『諷刺の文学』(白水社、亀井勝一郎賞)、『海山のあいだ』(マガジンハウス・角川文庫、講談社エッセイ賞)、『ゲーテさんこんばんは』(集英社、桑原武夫学芸賞)など。主な訳書は、ゲーテ『ファウスト』(集英社、毎日出版文化賞)、『カフカ小説全集』(全六巻、白水社、日本翻訳文化賞)など。旅のエッセイも多数。


蝋梅(ろうばい)の・・・



本「怒りについて 他二篇  Seneca, DE PROVIDENTIA, DE CONSTANTIA SAPIENTIS, DE IRA (岩波文庫 青607-2)」セネカ 著、兼利琢也 訳5

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怒りについて 他二篇 (岩波文庫)
怒りについて 他二篇  Seneca, DE PROVIDENTIA, DE CONSTANTIA SAPIENTIS, DE IRA (岩波文庫 青607-2)

○著者: セネカ、兼利琢也 訳
○出版: 岩波書店 (2008/12,文庫 407ページ)
○価格: 903円
○ISBN: 978-4003360729
おすすめ度: 5.0
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ira ira ira ira

怒りに対する最良の対処法は、遅延である。怒りに最初にこのことを、許すためではなく判断するために求めたまえ。怒りには、はじめは激しい突進がある。待っているうちに熄(や)むだろう。全部取り去ろうとしてはならない。一部ずつ摘み取っていけば、怒り全体を克服できるだろう。  (P.174、怒りについて 二九-1)

・・・その間、息が続くかぎり、われわれが人間のあいだにいるかぎり、人間愛を養おうではないか。誰の恐怖にも、誰の危険にもならないようにしよう。損害、不正、悪口、嘲笑を軽んじ、大きな心で短い災厄に耐えようではないか。よく言われるように、わが身をひねって振り返っているうちに、死はすぐそこにいるのだから」。  (P.263-P.264、怒りについて 四三-5)

ルーキウス・アンナエウス・セネカ(Lucius Annaeus Seneca、前四頃-後六五)


≪目次: ≫
凡例

ルーキーリウスに寄せる『摂理について De Providentia』――摂理が存在しながらも、なぜ善き人に災厄が起きるのか
セレーヌスに寄せる『賢者の恒心について De Constantia Sapientiis』――賢者は不正も侮辱も受けないこと
ノウァートゥスに寄せる『怒りについて De Ira』(第1巻・第2巻・第3巻)

訳注
解説  セネカの生涯/セネカの「対話編(ダイアロギー)」


ツブツブ




本「ヘーゲル『精神現象学』入門 (講談社選書メチエ153)」長谷川宏5

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ヘーゲル『精神現象学』入門 (講談社選書メチエ)
ヘーゲル『精神現象学』入門 (講談社選書メチエ153)

○著者: 長谷川 宏
○出版: 講談社 (1999/3,単行本 238ページ)
○価格: 1,680円
○ISBN: 978-4062581530
おすすめ度: 4.0
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ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel、1770-1831) 精神現象学』(Phänomenologie des Geistes、1807)

≪目次: ≫
第一章 『精神現象学』のむずかしさ  若いヘーゲルの気迫と気負い/「誕生の時代」のなかで/時代の総体と思想的に対決する/ヘーゲルの矛盾/ロマン主義批判と異端の覚悟/スピノザへの牽引と反発/否定・分裂・対立の重要性/安定した円に近いスピノザの世界/主体こそが真理である――ヘーゲルの世界観の核心/分裂は忌むべきことではない/ヘーゲルとアドルノの弁証法/はげしく動く現実、はげしく動く哲学
第二章 意識の根本性格  ヘーゲルの主体の思想/手さぐりの旅/意識の強靭な否定力/宿命としての不安/絶えず自己と世界を超えて/意識は外からながめられない/意識は運動しつづける/徹底した現実化ヘーゲル/絶対の真理はどこにあるか/意識の経験は後もどりできない/古い経験をふくみつつ、新しい経験は進行する
第三章 地図のない知の旅  絶望の道/『精神現象学』という旅/ヴィルヘルム・マイスターの旅/意識のなかを経験が通過する/万人がわたしであり、わたしが万人なのだ/古代ギリシャのポリスが意味するもの/ファウストとグレートヒェンの恋/引き裂かれたヘーゲルの思考/『群盗』の世界/心の掟が現実の掟となるとき/万人の万人にたいする闘い/ドン・キホーテの人物像/地図のない旅/逆流する歴史/歴史の森に足を踏み入れて
第四章 知の旅程  意識の経験の旅をたどる  1 意識・自己意識・理性  【1 感覚】 裸の意識と裸の対象がむきあう/ただあるということ/「このもの」から一般論経験へ/【2 知覚】 「このもの」から物へ/物の外へ/【3 科学的思考】 力のたわむれ/カントと物自体の世界/現象界と内面世界/数理を嫌ったヘーゲル/【4 生命】 運動体としての生命/根本衝動としての欲望/人と人との関係のありようを問う/【5 自己と他者】 二つの自己意識がむきあう/生死を賭けた闘争/主人と奴隷の弁証法/不幸な意識における内部分裂/【6 理性という境地】 幸福な理性/理性は自在に世界と交流する/2 精神の種々相  【1 理性から精神へ】 観察する理性/共同体にやすらう意識/共同体に亀裂が生じるとき/【2 古代ギリシャの共同体】 精神は共同体から生まれる/精神は意識化される/ヘーゲルがあこがれた古代ギリシャ/人間の掟と神の掟/【3 古代ローマの反共同】 ローマ――精神なき共同体/人間の自然なすがたとは/権力が諸個人を統合する/【4 疎外と教養】 二重の対立・矛盾/教養が個人に社会性を与える/高貴な意識と下賤な意識/社会批判の目/教養の深まり/【5 啓蒙思想とフランス革命】 啓蒙と信仰の対立/フランス革命とキリスト教をともに肯定する/教養の俗臭と血なまぐささを越えて/【6 道徳】 自由な内面をいかに確保するか/堂々めぐりをおわらせる/カントをさらに越えて/美しい魂の弁証法/3 宗教から哲学へ  主人公は集団の意識/【1 自然宗】 古代オリエントの宗教/ピラミッドとオベリスク/【2 芸術宗教】 芸術と宗教の一体性/芸術作品の三種類/ギリシャの神々/【3 啓示宗教】 新しい思想としてのキリスト教/キリスト教思想の独自性/無垢であっても善ではない/原罪神話を読みかえる/神と人の本性は同じ/イエスの脱神格化/【4 絶対知】 知の光がすべてをおおう/永遠の運動としての学問
第五章 思考の奇怪さについて  足元をゆさぶられる問い/老いを知らぬ新鮮な思考/ドイツ観念論をつきぬけるヘーゲル/ヘーゲルの戦闘宣言/同時代人の無理解/驚くべき巨大な知的好奇心

注・ブックガイド・あとがき(一九九九年一月八日 長谷川 宏)・索引


≪著者: ≫ 長谷川 宏 (はせがわ・ひろし) 一九四〇年、島根県生まれ。東京大学文学部卒業後、同大学大学院博士課程修了。専攻は、哲学。現在、「ヘーゲル翻訳革命」と評される斬新な翻訳に取り組み、ドイツ政府よりレッシング翻訳賞を受賞。著書に、『ヘーゲルの歴史意識』(講談社学術文庫)、『ことばへの道』(勁草書房)、『同時代人サルトル』(河出書房新書)、『新しいヘーゲル』(講談社現代新書)など、翻訳書に、『精神現象学』『美学講義』(ともに作品社)、『哲学史講義』(河出書房新書)、『歴史哲学講義』(岩波文庫)ほかがある。


ツブツブの実!?





*2009/2/4 追記(引用)
意識が個としての自分や、個としての「いま」、個としての「ここ」にこだわり、そこに最大限の価値を認めようとするとき、唯一無二の体験、とか、一回かぎりの経験、とか、後にも先にもない自分、といったものいいがなされる。
ヘーゲルは、意識の経験の一つの極限のかたちとして、「いま」と「ここ」の尖端でなりたつ経験を想定しながら、それを他の経験から切り離された唯一無二の経験とはとらえない。抽象化の極限にある無内容な経験であるがゆえに、かえって、どんな内容をもそこに盛りこむことのできる経験――そういう意味で一般的な経験――なのだというのが、「いま」と「ここ」からヘーゲルの導きだす論理である。その経験は「この人」の経験であるだけでなく、「どんな人」が、どんな場合にも経験できる経験だという意味でも、一般的な経験だということができる。  (P.103-P.104)

そもそも、ものを書くということが思考の暴走に歯どめをかけることなのだ。どんなによく知っていること、よく考えぬいたことでも、さてそれを文章に書きしるすとなると、あらためてどう書いたものかと構想を練る必要があるのは、思考することとものを書くこととのあいだに、容易に超えがたいへだたりがあるからである。
思考は自分だけを相手に展開することが可能で、自分さえ納得すればどんな逸脱も暴走もゆるされるが、文章に表現するとなるとそうはいかない。ことばというものは、一定の社会に共有される表現にないし伝達の規範であって、思考をことばで書きしるそうとすれば、そこにどうしても、自分の思考を他人の目で見るという過程が入ってこざるをえないのである。
思ったままを書く、などということはもともと不可能なことで、そんなつもりでペンを握っては、なにも書けはしない。書くことと思考することとの落差にさまざまな角度から光をあてたフランスのモラリスト、アランは、もの書きの心得は、思うように書くのではなく、書くように思うことだ、との至言を残している。  (P.220)

本「カントの時間論 (岩波現代文庫 学術40)」中島義道5

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カントの時間論 (岩波現代文庫)
カントの時間論 (岩波現代文庫 学術40)

○著者: 中島義道
○出版: 岩波書店 (2001/1,文庫 280ページ)
○価格: 1,050円
○ISBN: 978-4006000400
おすすめ度: 4.0
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もっとていねいに「書くこと」をしたほうがいいんだろうなぁ、とは思わないでもないでもない。もっとも「書くこと」のみならず、「読むこと」にもていねいさを欠いている気がしないでもないでもない。月末のあわただしいなかでも、あわただしいからこそ?!、移動の時間が確保できたりして、なんとか「読むこと」が滞ることなくすすむ、と言っても、相変わらず理解には及んでいないわけだから、果たしてそれを「読んだ」としていいものなのかと思わないわけでもないのだけれども、読んだことには相違ないのであり、明確な事実として「読んでない」わけではない、ゆえに「読んだ」ことになろうか。書くことについても、とくに心掛けるようにしている、ということは、明確にできていない、そして問題があるのではなかろうか?、と認識していることとしての、思索を停止しない、停止させない書き方であり、丁寧に言葉をつないで費やして、可能な限りの努力を惜しむことなく、他人にみずからの意志を伝達すること。小気味よく断定する、断定してしまうことによって、他人の異論反論を寄せつけない、そんな意図とその必然性は、自信の欠如にあったりすろことも承知して、だからこそ、もっとていねいに、ありたいとは思いつつ、、、

本書の基礎を成すものは、(中島義道みずからが)一九八三年五月にウィーン大学基礎総合科学部哲学科に学位請求論文として提出し受理された“Kants Theorie der Zeit-Konstruktion”の翻訳である。  (P.Xiii 凡例)



≪目次: ≫
時間論の書としての『純粋理性批判』――文庫版への「まえがき」に代えて(二〇〇〇年晩秋 中島義道)
凡例
序章 問題の提起
第一章 時間を構成する作用としての〈われ思う〉

1 超越論的統覚/2 私の現存在/3 私の身体
第二章 時間の経験的実在性(機法宗住間構成と物体構成
4 「内的感官の形式」としての時間/5 「純粋直観」としての時間/6 「運動の尺度」としての時間/7 超越論的時間規定/8 (経験的)主観的時間の問題
第二章 時間の経験的実在性(供法宗住間構成と自我構成
9 観念論論駁/10 自己規定/11 自己触発/12 二重触発について/13 過去・未来・現在の構成
第四章 時間の超越論的観念性
14 理念としての時間(機法宗渋莪譽▲鵐船離漾次15 理念としての時間(供法宗渋荵哀▲鵐船離漾
あとがき(一九八七年盛夏 中島義道)
参考文献・事項索引・人名索引

*本書は、『カントの時間構成の理論』(理想社、一九八七年)を改題し、加筆したものである。


≪著者: ≫ 中島義道 (なかじま・よしみち) 一九四六年福岡県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ウィーン大学基礎総合学科学部修了。哲学博士。現在、電気通信大学教授。著書に『ウィーン愛憎』『時間と自由』『哲学の教科書』『「時間」を哲学する』『人生を〈半分〉降りる』『カントの人間学』『哲学の道場』『孤独について』『空間と身体』『ひとを〈嫌う〉ということ』『「哲学実技」のすすめ』など。


玉ボケ♪




本「格闘する理性 ヘーゲル・ニーチェ・キルケゴール (洋泉社MC新書027)」長谷川 宏5

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格闘する理性―ヘーゲル・ニーチェ・キルケゴール (洋泉社MC新書)
格闘する理性 ヘーゲル・ニーチェ・キルケゴール (洋泉社MC新書027)

○著者: 長谷川 宏
○出版: 洋泉社 (2008/4,新書 236ページ)
○価格: 1,785円
○ISBN: 978-4862482488
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雑誌「文藝」に発表した三本の論文をまとめ、『格闘する理性――ヘーゲル、ニーチェ、キルケゴール』と題する単行本として世に出したのが一九八七年。それから二十一年の歳月を経て、同じ本があらたに新書版として世に出ることになった。感慨なきをえない。・・・  (P.226)

ヘーゲル(1770-1831)サルトル(1905-1980)のあいだ、ニーチェ(1844-1900)キルケゴール(1813-1855)マルクス(1818-1883)


≪目次: ≫
格闘する理性――ヘーゲル精神現象学』を読む
はじめに/1 悲劇の弁証法/2 クレオンとアンティゴネー/3 歴史における断絶と連続/4 キリスト教徒の対決/5 イエスの生と死/6 理性の格闘
反近代はいかにして可能か――ニーチェを読む
1 悪意の由来/2 アポロン対ディオニソス/3 反近代・反歴史/4 デカダンスへの目/5 道徳の奴隷性/6 美における救済
単独者の内面と外界――キルケゴール『死に至る病』
はじめに/1 単独者/2 絶望/3 死/4 信仰/5 書くこと

あとがき(一九八七年六月十日)
ヨーロッパ十九世紀をどう見るか――新書版へのやや長いあとがき(二〇〇八年二月二十二日  長谷川 宏)

*本書の原本は一九八七年八月、河出書房新社から刊行されました。


≪著者: ≫ 長谷川 宏 (はせがわ・ひろし) 1940年島根県生まれ。哲学者。東京大学文学部哲学科博士課程単位取得後退学。1970年、大学の研究室を離れ赤門塾を開き、小・中学生に勉強を教えながら、哲学研究に従事している。「ヘーゲル翻訳革命」と評される斬新な翻訳に取り組む。『精神現象学』の翻訳により1998年ドイツ政府よりレッシング翻訳賞を受賞。著書、『ヘーゲルの歴史意識』(講談社学術文庫)、『ことばへの道』(勁草書房)、『同時代人サルトル』(講談社学術文庫)、『丸山眞男をどう読むか』(講談社現代新書)、『いまこそ読みたい哲学の名著』(光文社文庫)。訳書、ヘーゲル『精神現象学』『法哲学講義』『美学講義』(以上、作品社)、ヘーゲル『歴史哲学講義』(岩波文庫)、フッサール『経験と判断』(河出書房新社)、アラン『芸術の体系』(光文社古典新訳文庫)など。







本「哲学の道場 (ちくま新書159)」中島義道5

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哲学の道場 (ちくま新書)
哲学の道場 (ちくま新書159)

○著者: 中島義道
○出版: 筑摩書房 (1998/6,新書 235ページ)
○価格: 756円
○ISBN: 978-4480057594
おすすめ度: 4.5
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毎日毎日本読んで書き記して本読んで書き記して本読んで書き記してを繰り返しているのは、それをせずにはいられないから。
中島義道の『カントの読み方 (ちくま新書、2008/9)』を読んだ後に、古典哲学書の原著を読んでみたいだのどうだのと、調子こいて書き記してしまったのは、そんな野望がないわけじゃないけれど、野望があることを否定することはしないけれども、その後にしばらくスッとしないなにかが引っかかっていて、ぼくは哲学書の原著をホントに読みたいのか?、とみずからに問うてみて、とりあえずのところ今は読みたいと思っていない、あくまでも今であり、しばらく当面は。会社勤め(忙しくないけど暇ではない)をしながら、通勤時間やら細切れの時間をやりくりして、本を読んで書き記してを毎日繰り返す作業は、ぼくみずからの意志による行動であるとはいえ、誰に頼まれたり強制されたわけでもなく好き好んでやっていることだから、厭なら止めればいい、ただそれだけのこと(自己満足)なんだろうけれど、ラクなことではない。しかしぼくがなんとかバランスを保ちながら生きていくために、ぼくにとっては必要な行動(だから続いている?!)と考えている。多くの人々にとってはとるに足らない(のであろうと想像する!?)些細なことであっても、ぼくには不快に感じることが、この世の中には少なくない。ふと気が付くと怒りを抱いているぼくがいて、少し前までだったらその怒りの感情を忌避して、自らが抱いている怒りの感情を否定することによって、自分としては表面(表出する部分)を整えていたつもりであっても、むしろ小さくない歪みを生む結果となって、結局は制御を失ってしまう状態を繰り返してきた(と、今では解釈している)。そんなぼくは、まずは他人と、世の中の出来事全般と、距離をおく必要を感じている。距離をおいて、気にしない、気にならないような状態を確保したい。たとえば、通勤などの電車の中においては、ヘッドフォンをして読書に耽るのも、その一つの方法、自衛策。考えること(考えなくちゃいけないと思っていること)はいろいろあるから、考えないことは、今のぼくにとってちょっとできない注文で、考えることは悪い事でも困った事でもないのだろうけど、考えや妄想が悪い方向に暴走して歯止めがきかなくなったりすると厄介だったりするのかなぁ。大したことを考えているわけではないんだけれど、考えていることの少しでも書き記して(考えたことはほとんど書き記せていないのだが)、考えをまとめる作業であり、ガス抜きであったり、ガス抜きであると考えるに、それは本を読むという、ぼくが考えるに生産性がある行為の後に許される行為が書き記すことであり、本には著者がいて出版社があって成立している一大事業であるから礼を失することがないような配慮が求められてしかるべきであろうことも考えないわけでなかったりもする。そんな、必要性にも求められて本を読んで書き記す行為を繰り返しているぼくは、毎日の繰り返しが必要であると考えるのであって、そう考えるに(そもそもその能力を有していないのではあるが)難解な哲学書の原著に挑むことを、今(十年後、五年後、三年後、一年後はわからないけど今)のぼくは求めてはいないと考える。
ぼくはとりたてて『哲学』という「学問」をしたいわけではない。


≪目次: ≫
はじめに――哲学はやさしくない
哲学は難しい/私が死ぬことの不条理/死は状態ではない/哲学は幸福を目指すものではない/あなたは哲学していない!
第一章 哲学にはセンスが必要である
死の恐怖/驚き/哲学は知識ではない/悩む技術を習得する/とっぴなお話を作る/たえず問い続ける/自分で問い自分で答える/キルケゴールの『死に至る病』を読む/死に切ることしか救いはない/死ぬことも生きることもできない/絶望の三段階/絶望と哲学
第二章 哲学には暇が必要である
長い長い修業期間/「分析哲学」との出会い/哲学的大革命の予感/一九年間の迷い
第三章 哲学には師と仲間が必要である
年取って哲学を続けているのは滑稽である?/大森荘蔵先生の授業/東大紛争のころ/「日暮れて道遠しです」/多彩な仲間たち/ウィーンから帰ってみると/今からでも哲学はできる/哲学の道場とは?
第四章 哲学には修行が必要である
1 哲学的思索の修行  哲学の問いはすぐ言葉がなくなる/哲学は常識にもとづく/ヒュームのこだわり/プラトンの「洞窟の比喩」/私が「机」を見るとはいかなることか?/心身問題は時間問題である/神も一〇〇ターラーも「ある」/主観的普遍性/問いの変質という罠/自分は哲学してきたのか?
2 哲学的議論の修行  実感に沿って語る/サルトルの言葉/肉体の言語/横光利一の『旅愁』から/トーマス・マンの『魔の山』から/哲学的客観主義/相対論/懐疑論と独断論/ライプニッツの『人間知性新論』
3 哲学書の読み方  『純粋理性批判』を読む/Subjektの三重の意味/翻訳は不可能である/誤訳をくぐりぬけて/「直観」とは何か?/だんだんわかってくる/自我は各人に共通にあるものではない/超越論的Subjekt/表象一般の形式としての自我/自我は情報の束ではない/単一性の誤謬推理/文法的単一性と実体的単一性/人格性の誤謬推理/私自身の観点と他者の観点との違い/現実性の誤謬推理/実践理性の要請としての「不死」/哲学者の成立
おわりに――哲学は役に立たない
あとがき〈一九九八年三月二一日(お彼岸) 中島義道〉


≪著者: ≫ 中島義道 (なかじま・よしみち) 1946年、福岡県生まれ。1977年、東京大学大学院修士課程修了。1983年、ウィーン大学哲学科修了。哲学博士。現在、電気通信大学教授。専攻はドイツ哲学、時間論、自我論。著書に『ウィーン愛憎』(中公新書)、『カントの人間学』『時間を哲学する』(いずれも講談社現代新書)、『哲学の教科書』(講談社)、『うるさい日本の私』(洋泉社)、『人生を〈半分〉降りる』(ナカニシヤ出版)、『〈対話〉のない社会』(PHP新書)などがある。








本「私家版・ユダヤ文化論 (文春新書519)」内田樹5

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私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)
私家版・ユダヤ文化論 (文春新書519)

○著者: 内田樹
○出版: 文藝春秋 (2006/7,新書 241ページ)
○価格: 788円
○ISBN: 978-4166605194
おすすめ度: 4.5
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ユダヤ人」というのは日本語の既存の語彙には対応するものが存在しない概念である (P.17)
ことの理解をまずは求められるんだけど、わかるようでよくわからない。ユダヤ人が、国民名でも人種でもユダヤ教徒でもない、とするならば、、、過去二千年にわたる迫害(隔離、差別、追放、虐殺)のなぜ??


≪目次: ≫
はじめに
第一章 ユダヤ人とは誰のことか?
1 ユダヤ人を結びつけるもの/2 ユダヤ人は誰ではないのか?/3 ユダヤ人は反ユダヤ主義者が〈創造〉したという定説について
第二章 日本人とユダヤ人
1 日猶同祖論/2 『シオン賢者の議定書(プロトコル)』と日本人
第三章 反ユダヤ主義の生理と病理
1 善人の陰謀史観/2 フランス革命と陰謀史観/3 『ユダヤ的フランス』の神話/4 〈バッド・ランド・カウボーイ〉/5 騎士と反ユダヤ主義者/6 モレス盟友団と個人的な戦争/7 起源のファシズム
終章 終わらない反ユダヤ主義
1 「わけのわからない話」/2 未来学者の描く不思議な未来/3 「過剰な」ユダヤ人/4 最後の問い/5 サルトルの冒険/6 殺意と自責/7 結語/8 ある出会い
新書版のためのあとがき(二〇〇六年四月四日 内田樹)


≪著者: ≫ 内田樹 (うちだ・たつる) 1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業、東京都立大学大学院博士課程(仏文専攻)中退。現在、神戸女学院大学文学部教授。専門は、フランス現代思想、映画論、武道論。2007年、本書により小林秀雄賞受賞。主な著書に『「おじさん」的思考』『期間限定の思想』(晶文社)、『ためらいの倫理学』(角川文庫)、『死と身体』(医学書院)、『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)、『先生はえらい』(ちくまプリマー新書)、『他者と死者』(海鳥社)、『街場の現代思想』『街場のアメリカ論』(NTT出版)などがある。

橋本治と内田樹 (筑摩書房、2008/11)』


Euryops pectinatus.




本「建築家 安藤忠雄  Tadao Ando ARCHITECT」安藤忠雄5

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建築家 安藤忠雄
建築家 安藤忠雄  Tadao Ando ARCHITECT

○著者: 安藤忠雄
○出版: 新潮社 (2008/10,単行本 383ページ)
○価格: 1,995円
○ISBN: 978-4103090519
おすすめ度: 5.0
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かっちょえぇなぁ♪
建築とは本来的に、環境に負荷を与えざるを得ない行為である。真面目に考えれば考えるほどそのジレンマがあって、余り理念を追いすぎると、“何もつくれない”という状況にも陥りかねない。それゆえ建築の分野の環境配慮というと、とかく「設定された目標数値をクリアする」というような、消極的な方向に進みがちだ。
だが根本において、「自身を取り巻く空間がどうであってほしいか」と建築を考えることは、環境を考えることと同義である。建築単体で、環境に働きかけるのが難しくても、例えばその建築が立地する地域、システムにまで視野を広げ、ソフトも含めて総合的に考えることで、見えてくるものはあるはずだ。
環境問題を新しい創造の機会とするような気概と発想力を、建築のつくり手は持つべきである。その挑戦をときに受け止められるような勇気を、社会には期待したい。  (P.313、「建築の世紀に向かって」)

都市の豊かさとは、そこに流れた人間の歴史の豊かさであり、その時間を刻む空間の豊かさだ。人間が集まって生きるその場所が、商品として消費されるものであってはならない。旧同潤会青山アパートは、建物が時間に耐えて建ち続ける中で、閑静な住宅地から徐々に手を加えられて、新旧の入り混じる魅力的な場所へと姿を変えて都市に生き続けた。
この社会の変化を受け止める許容力、そして時間をつないでいける強さこそが、消費文化に浸されきった現代の建築に、今もっとも必要なものだろう。旧アパートの跡につくった〈表参道ヒルズ〉は、その課題に対する、私なりの一つの解答だった。  (P.144、「都市に挑む建築」)

そう、みずからを“ゲリラ”と謳うほどに烈しく情熱的、対話というのか、なにごとにも真摯に向き合う姿勢に圧倒される、ビジュアル自伝。 ⇒ 特設ページ(新潮社)


≪目次: ≫
序章 ゲリラの活動拠点  安藤忠雄の活動拠点/「ゲリラ集団」安藤忠雄建築研究所/ボスとスタッフ、1対1のシンプルな関係/新人研修「サマースクール」/ゲリラの海外進出
第1章 建築家を志すまで  祖母の教え/遊び場は木工所/プロボクサーから建築の道へ
第2章 旅/独学で学ぶ  独学で建築を学ぶ/日本一周、TeamURへの参加/初めての世界/1960年代に20代を生きたこと
第3章 建築の原点、住まい  住吉の長屋――批難を浴びたデビュー作/モダンリビングの流行、下町の人々の暮らし/都市ゲリラ住居/住まうとは何か/都市ゲリラの新たな展開/コンクリート打ち放しの大邸宅〈小篠邸〉/社会とのズレ/家づくりを続ける意味
第4章 都市に挑む建築
表参道ヒルズ〉と〈住吉の長屋〉/都市への眼差し/見捨てられた商業建築から/レンガの壁の向こうに/都市の広場/失われた都市の水際空間を取り戻す/“バブル期”の建築/表参道ヒルズ/“時間”をつなげるための仕掛け/対話で乗り越えたプロセス/建築から都市へ
第5章 なぜコンクリートか  アントニオ・ガウディの建築/コンクリートにこだわる理由/自分なりのコンクリートを探す/次の時代のコンクリート
第6章 断崖の建築、限界への挑戦  現代の懸造り/死地につくる建築/法規制の壁/ギリギリの建築/命がけの工事/集合住宅の理想、ル・コルビュジエの構想力/二度目の挑戦、六甲の集合住宅兇離好拭璽函唇貳屬いい箸海蹐鬟僖屮螢奪スペースに/終わらない建築/集まって住む豊かさ
第7章 継続の力、建築を育てる  日没閉館/原点から問い直す/文化による島の再生/地中美術館/文化を創るのは個人の情熱
第8章 大阪に育てられた建築家  大阪から通え/建築家とクライアント/大阪人の反骨精神/考える自由を失わない/無謀な挑戦/地元に育てられた建築家
第9章 グローバリズムの時代に  灼熱の地に挑む/大阪から世界へ/海外で学べること/対話を通じて、共生する世界へ/多様な豊かさを求めて
第10章 子供のための建築  空き地と放課後/こどもの館/ほったらかしの場所をつくる
第11章 環境の世紀に向かって  新しい渋谷の地下駅/経済の世紀から環境の世紀へ/環境のために、建築が出来ること/建築の再生、再利用/逆転の発想――大谷地下劇場計画/つくらないという都市戦略――東京の再編計画/海の森プロジェクト/なぜ木を植えるか
第12章 日本人のスピリット  阪神淡路大震災淡路島蓮池の下にお堂をつくる/伝統の精神/もう一つの日本文化/新しい日本の力――淡路夢舞台の再生
終章 光と影  60年代を駆け抜けた表現者/夢の前に立ちふさがる、厳しい現実/究極のローコスト建築――光の教会/モノづくりの誇りが完成させた建築/光と影


≪著者: ≫ 安藤忠雄 (あんどう・ただお) 1941年大阪生まれ。建築家。世界各国を旅した後、独学で建築を学び、1969年に安藤忠雄建築研究所を設立。イェール大、コロンビア大、ハーバード大の客員教授を務め、1997年東京大学教授、2003年から名誉教授に。作品に〈住吉の長屋〉〈セビリア万博日本政府館〉〈光の教会〉〈大阪府立近つ飛鳥博物館〉〈淡路夢舞台〉〈兵庫県立美術館〉〈フォートワース現代美術館〉など多数。1979年に〈住吉の長屋〉で日本建築学会賞、2002年に米国建築家協会(AIA)金メダルほか受賞歴多数。著書に『建築を語る』『連戦連敗』(いずれも東京大学出版会)『ル・コルビュジエの勇気ある住宅』(新潮社)など。


カマキリ





本「政治の約束  Hannah Arendt, THE PROMISE OF POLITICS, Schocken Books, 2005」ハンナ・アレント、ジェローム・コーン 編、高橋勇夫 訳5

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政治の約束
政治の約束  Hannah Arendt, THE PROMISE OF POLITICS, Schocken Books, 2005

○著者: ハンナ・アレント、ジェローム・コーン 編、高橋勇夫
○出版: 筑摩書房 (2008/1,単行本 278ページ)
○価格: 3,150円
○ISBN: 978-4480863805
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師(先生)と仰ぐ“中山元”の翻訳による『責任と判断 (ハンナ・アレント 著、ジェローム・コーン 編、筑摩書房、2007/2)』の続編的な位置づけというかシリーズというのか、じつはハンナ・アレントが女性であることも読み始めてから知ったくらい(なにも知らない)で、ドイツのユダヤ人家庭に生まれ、ナチスのユダヤ人迫害を逃れるためにフランスに渡り、後にアメリカに亡命したという経歴に、その立場から語られる言説に、わからないなりに惹かれるものを感じちゃって、つい調子に乗って『イェルサレムのアイヒマン』を読んでみようかなぁ、と思って検索してみたところ(最寄りの図書館は貸し出し中だった)、もっとも最近(2008/1)に刊行された本書が目に留まり、中山元の翻訳じゃないのかぁ、とちょっとだけ不安感を抱きながら(不安は的中する)も、、、

えぇぃ、そもそも(ぼくが考えるに)読書だってこうしてブログという公開された空間に書き記すことだって、自己満足であろう。本を読んだぼくは、費やした労力と時間に対してなんらかを得る。なんらかが得られるのは、本を読んだぼくだけ。書き記すぼくは、書き記したいと思うことはいろいろあっても、いざとなるとなかなか思い通りに言葉に表することができなくて、書きたいことと実際に書かれたことの乖離は否定できない。あえて心にもないことを書き記したりすることだってないとは言えない(往々にしてある)。書きたいことでも、躊躇することだってある(ホントのことだけに冗談にならない)。誰にも見せることのないノートに書いて鍵のかかる机にしまっておくならば、なんとでも書けるかもしれないけれど、いちおう公共性のある(誰でも見れちゃう)ブログに書き記す(公開する)となると、最低限のマナーというのか、目にした人に不快感を与えないような配慮をしないわけにはいかないと考えるから、そのあたりがぼくにとってはほどよい緊張感とブレーキ(抑制)が働いて好ましいと考える、自己満足。
せめて、読んだ本を掲げる(リンクやトラックバックする)のならば、書評の体を整えるべきであろうなぁ、と思いつつも、まずは理解が及ばないことが少なくないから、さらには、ぼくじゃなくても上手な書き記しをする人が大勢いるから、とかなんとか苦しい言い訳しながら、無関係なことばかり書き散らすのは、著者に失礼であろうことを少しだけ気にしながらも、、、ぼくのなかでは、卵が先か鶏が先か、って、子どもの頃から悩み続けてきたことなんだけど(まだ完全には脱却できていない)、なにごとにも心配性で不安が拭えなくて自信が持てないぼくは、他人から、自信をもってやってみなさい!、と言われても、なにを根拠に自信が持てるのか理解ができなくて、それなりに経験や知識があれば(積み重ねた後であれば)自信だって持ちようがあろうけれど、と尻込みして体が動かない。要領(頭)のいい人(ぼくは要領がすごく悪い)だと、とりあえず堂々と開き直って失敗をおそれずにやってみて、失敗したら失敗したで経験が積めて習得できるわけで、上手くいったら上手くいったで結果オーライで、、、ぼくみたいにウジウジと考え込んでばかりで行動しないことを、もっとも避けるべきなのであろう。

で、全体主義ってなぁに??


≪目次: ≫
序文……ジェローム・コーン
謝辞・諸言

第一章 ソクラテス
 哲学の始まりと政治の終わり/ ソクラテスの説得術/プラトンの懐疑/プラトンによる転倒/善の理念(イデア)/哲学者vs.ポリス/真理vs.意見/ソクラテスの問答法/友情と公共世界/一者にして二者/自分自身との共生と倫理学の起源/変幻自在なもうひとりの自己と世界の変化/思考と行動/思考と言論/善き人/孤独と良心/ソクラテスによるドクサの破壊/哲学の敗北と政治からの撤退/魂と身体の衝突/プラトンの洞窟の寓話/哲学の起源/驚き(タウマゼイン)と言葉の喪失/根源的な問い/哲学的衝撃/共通世界からの疎外/驚愕の延長と複数性の喪失/哲学の有用性/複数性と新しい政治哲学へ
第二章 政治思想の伝統
伝統の終焉/共通感覚の衰退/近代的歴史意識/伝統による「偉大な経験」の排除/創建と家庭――ローマ的経験/ローマの創建――宗教・権威・伝統の三位一体/ローマ精神の持続――カトリック教会の創建/支配の概念の起源/ギリシア哲学の受容/伝統と哲学/観照的生活と活動的生活/人間的活動の不確実性/赦し/赦しと新しい始まり/始める能力/人間の複数性/差異と平等
第三章 モンテスキューによる伝統の修正
本性の非活動性/活動を鼓舞する原理/平等と卓越/恐怖、無力、孤立
第四章 ヘーゲルからマルクス
 世界史観/絶対的なるもの/ 転倒/遠近法的思考/方法としての弁証法/伝統の切断と過程(プロセス)的思考/歴史の狡知/無階級社会と官僚制/人間の新しい定義/労働する動物
第五章 伝統の終焉
 必要悪としての政治/独自の起源を持たない政治/労働と哲学の派生物としての政治/政治に対する軽蔑/孤立=観照=哲学と共生=実践=政治の分離/ヘーゲル哲学の継続/ 経験に先立つ支配の概念/法の無効化――マルクスの国家概念/統治概念の台頭/マルクスの四つの統治形態/古代的支配様式の持続/思考の媒体としての活動
第六章 政治入門
機\治とは何か? 複数性/差異/政治/歴史と自由/政治の任務/供\治に対する偏見と現代における政治の実相 偏見/恐怖と希望/忘却と無力感/偏見の根深さ/偏見と判断 社会的領域における偏見の役割/偏見に潜む過去の判断/標準に基づく判断と標準を持たない判断/危機の到来と偏見のイデオロギー化/判断能力/今日の不安の種――人間/世界に対する気遣い/政治は何を意味しているか? 政治がもたらす災厄/全体主義と原子爆弾/政治の無意味化/無限の不可能事――奇跡――新しい始まり/自由という軌跡を起こす能力――活動/政治の意味 ポリス/政治の正当化/アリストテレスの「政治的動物」/ポリスの自由/平等と言論の自由/自由と政治的空間/近代的歴史意識と自由/家庭(=生活)と自由/公的空間と政治/ホメロス的経験とポリスの創建/活動から言語へのシフト/「自由であること」と「何かを新しく始めること」/活動の自由と他者たちの存在/互いに語り合う自由/政治的空間/少数者の自由――プラトンのアカデメイア/政治に対する無関心/政治の地位の低下/初期キリスト教による政治の拒絶と再定義/初期キリスト教の政治からの自由/隔離と善の本性/アウグスティヌスによる政治の再釈放/公的空間としての教会/社会の出現/目的としての自由、手段としての政治/政治は自由のためにあるのか、生活=生命(ライフ)のためにあるのか/暴力の怪物化/近代世界――「必要」の台頭/国家による暴力の独占/暴力と権力の結合/偏見から判断へ/恐怖に基づく政治不信/戦争の問題 破壊のクライマックス/生産と破壊の均衡/自然的領域内の破壊/超自然的エネルギー――原子爆弾の発見/絶滅戦争の恐怖/全面戦争(トータル・ウォー)の現実化/限界を踏み越えた暴力/全体主義の台頭と破壊される関係性の世界(=政治的な世界)/トロイア戦争――絶滅戦争の原型/ホメロスの公平性/ポリスにおける戦争の非政治性/闘技(アゴーン)精神と「現れ」/言語による多数の視点の出現/政治的人間の自由/平等なる他者の存在と人間の間の空間の存在/家庭――自由の欠如/ポリスにおける闘争(ストラグル)のゆくえ/敗者の大儀――ローマ的政治の起源/世界は複数の視点が存在するときに限り出現する/敵対的出逢いから人間的出逢いへ――徹底的な絶滅から持続的な何ものかへ/条約と同盟/持続するつながり――ローマの法概念/境界を定める――ギリシアの法概念/王としての法――ポリスの法概念/戦争と外交――ローマ的政治原理/赦しと条約――ローマの拡大/ギリシアの法(ノモス)、ローマの法(レックス)/ローマ中心主義/ローマによる「世界」の創始――間の空間の政治問題化/絶滅戦争による中間地帯の破壊――政治の消失/政治はいまでも何らかの意味を有しているか? 戦争と革命/政治的活動における目標、暴力における目的/目的(エンド)、目標(ゴール)、意味(ミーニング)/活動の原理/問われ続ける政治/政治の意味/目標としての平和/戦争の狭間の平和
エピローグ
砂漠(=無世界性)の拡大/順応への誘惑――全体主義と心理学/オアシス/現実逃避/世界への愛

原注・訳注
訳者解説……高橋勇夫


≪著者: ≫ ハンナ・アレント (Hannah Arendt) 一九〇六年、ドイツのユダヤ人家庭に生まれる。マールブルク大学ではハイデガー、ハイデルべルク大学ではヤスパーのもとで、哲学を学ぶ。一九三三年、ナチスの迫害を逃れフランスへ、四一年にはアメリカへ亡命。二〇世紀の全体主義と対峙し、新たに始める人間の奇跡的能力を信じて、真の自由を実現することを生涯の課題とした。一九七五年没。著書に『全体主義の起源』『人間の条件』などがある。

[訳者] 高橋勇夫 (たかはし・いさお) 一九五三年、岩手県生まれ。東京大学英文科卒業。専修大学准教授。著訳書に、『詭弁的精神の系譜――芥川、荷風、太宰、保田らの文学的更生術』、リーチ『アメリカ文学批判史』、シノット『ボディ・ソシアル』、ポランニー『暗黙知の次元』など。


Dianthus superbus var. longicalycinus





本「カントの読み方 (ちくま新書740)」中島義道5

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カントの読み方 (ちくま新書)
カントの読み方 (ちくま新書740)

○著者: 中島義道
○出版: 筑摩書房 (2008/9,新書 202ページ)
○価格: 735円
○ISBN: 978-4480064271
おすすめ度: 4.5
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ぼくが、死ぬまでに古典哲学書の原著を読めるかどうかはわからない(普通に考えれば不可能であろう)けれど、今のぼくには日本語の字面を追うのに精一杯で、日本語以外の外国の言語(英語もダメ)は理解不能チンプンカンプン♪、入門書と位置づけられる本書だって、ニヤニヤしながら(なぜだか快い)読了しちゃうんだけど、それなりの時間を費やせば物事の終わりは来る。きっと、ちゃんとした(?!)理解を得るには、どなたか精しい方に教授いただく方法(たとえば著者が主宰する「哲学塾カント」とか)があるんだろうなぁと考えつつ、、、真剣さが足りないんだろうかもしれないけれど、教えてもらうのは厭だ!、その結果習得できず理解できないままに死んでしまったとしても、それならそれでもいいかなぁ♪、何とも要領(頭)の悪いおバカさん。


≪目次: ≫
プロローグ――カントはなぜ難しいのか?  すざまじい難しさ/翻訳の問題か?/初心者に向けて/ある程度読み込んでいる人に対して/第一版と第二版の差異/『カントの自我論』との関係 
第1章 実体としての魂の批判  “Subjekt”とは?/「誤謬推理」の基本構造/ich(私)はSubjekt(実体)である/超越論的統覚と実体的統覚/「実体性の誤謬推理」を読み解く/誤訳に対処する/抽象的概念の束/カントの思索過程を感得する/超越論的意識/単純性の誤謬推理/理念としての実体
第2章 意識の単なる形式としての私  超越論的統覚の出自/内容空虚な「私」/代名詞と固有名詞のあいだ/超越論的主観と超越論的統覚
第3章 経験を可能にする私  超越論的対象/第一版における超越論的統覚/第二版における超越論的統覚/超越論的統覚の支配領域/超越論的統覚の「究明」/表象・現象・物自体/超越論的観念論と超越論的実在論/超越論的観念論について語る視点
第4章 内的経験  表象というあり方/空間と身体/経験的外的と経験的内的/カントのライプニッツ批判/時間関係は内的関係である/河を下る船の知覚と家屋の知覚/第一版と第二版の「内的経験」の差異/超越論的対象=私の全過去/過去の二重性/超越論的対象=超越論的主観
第5章 他者  「人格の同一性」の意味/私の時間と他者の時間/自己意識の同一性と「主観(Subjekt)」の同一性/自己(Selbst)と他者
第6章 表象の手前――存在する私  超越論的統覚の「あり方」/カントのデカルト解釈/「私は存在する」は経験命題である/私の現存在と知覚/存在するという感じ/「私が存在する」ということ/「表象」に取り込まれず。その手前に「ある」もの
エピローグ(二〇〇八年五月 新緑のまぶしいウィーン郊外で 中島義道)


≪著者: ≫ 中島義道 (なかじま・よしみち) 1946年福岡県生まれ。77年、東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。83年、ウィーン大学基礎総合学部修了(哲学博士)。現在は電気通信大学教授の傍ら、「哲学塾・カント」を主宰している。主な著書に『哲学の道場』(ちくま新書)、『哲学者とは何か』『たまたま地上にぼくは生まれた』『日本人を〈半分〉降りる』『人生を〈半分〉降りる』(いずれも、ちくま文庫)、『時間論』『カントの法論』(いずれも、ちくま学芸文庫)、『悪について』(岩波新書)、『孤独について』(文春新書)、『ウィーン愛憎』(中公新書)、『哲学の教科書』(講談社学術文庫)、『カントの自我論』(岩波現代文庫)などがある。


ダイコン




本「発言 米同時多発テロと23人の思想家たち」中山元 編訳5

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発言―米同時多発テロと23人の思想家たち
発言 米同時多発テロと23人の思想家たち

○編訳: 中山元
○出版: 朝日出版社 (2002/1,単行本 247ページ)
○価格: 1,680円
○ISBN: 978-4255001418
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二〇〇一年九月一一日のアメリカ同時多発テロ事件直後の、二三人の思想家たちの二三通りの発言を、中山元による編訳で読む。そう、
この事件がたんにアメリカとイスラム諸国の問題ではなく、ぼくたちのだれもが考え抜くべき思想的な問題 (P.246、編訳者あとがき)
であることには、すでに事件後七年以上の歳月を経た後(何名かはすでに故人)にもなんら変わりはなかろう。


≪目次: ≫
1 西洋とイスラムの対立ではなく (エドワード・サイード オブザーバー、二〇〇一年九月一六日   アメリカ人の「世界」の狭さ/傲慢な権力の代名詞/知識人の責任/安直な思考モデル
2 軍事国家アメリカ (リチャード・ローティ ディ・ツァイト、三九号別冊、二〇〇一年九月   アメリカ民主主義への打撃/民主主義の将来
3 文明の衝突ではない、少なくともまだ…… (サミュエル・ハンティントン ディ・ツァイト、三九号別冊、二〇〇一年九月   新しい戦争/イスラム諸国の協力なくしては、ほんとうに「文明の衝突」が起きる
4 予測が的中して残念だ (ポール・ヴィリリオ フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング、二〇〇一年九月二〇日   映画を引用する現実/メディアはテロの共犯者/グローバリゼーションの最初の戦争
5 秘密の共犯関係 (ジョルジョ・アガンベン フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング、二〇〇一年九月二〇日   死のシステム/民主主義の政治の課題
 6 だれも無実ではない (ジャック・デリダ 南ドイツ新聞、二〇〇一年九月二四日   哲学者の責任/「夢の政治学」
7 まったく新しい戦争 (ドナルド・ラムズフェルド ニューヨーク・タイムズ、二〇〇一年九月二七日   銀行員もプログラマーも兵士
8 妖怪が世界をさまよう……。 (アンドレ・グリュックスマン) ディ・ヴェルト、二〇〇一年九月二八日   「二〇〇一年九月一一日」はつねに起こる/絶対的な戦争の端緒/エロストラート症候群/共通のうぬぼれ/ビンラディンを助けている者
9 「無限の正義」の算術 (アルンダティ・ロイ ガーディアン、二〇〇一年九月二九日   テロの根本の原因/世界の風穴/無限の正義の口やかましい算術/世界最悪の災厄/アフガニスタンのアイロニー/パキスタンとインドの悲惨/不安な夜/幽霊からの招待状/暗い分身(ドッペルゲンガー)
10 ドルのタリバンと石油のタリバンの戦い (アントニオ・ネグリ ル・モンド、二〇〇一年一〇月三日   シェイクスピアの悲劇さながら/戦争のマシン
11 日常の生活に戻ろう (サルマン・ラシュディ ガーディアン、二〇〇一年一〇月六日   友人を作るとき/なになら命を懸けられるか/わたしたちの武器
12 左翼的思考の敗北 (アラン・フィンケルクロート) ル・モンド、二〇〇一年一〇月八−九日   イスラム原理主義者の怒り/反米感情はアメリカの外交政策が生んだのではない
13 西洋の勝利 (フランシス・フクヤマ ガーディアン、二〇〇一年一〇月一一日を参照、初出はWSJ一〇月五日   足による投票/歴史は終焉したままだ
14 宗教の声に耳を傾けよう (ユルゲン・ハーバーマス 南ドイツ新聞、二〇〇一年一〇月一五日   テロのうちで表現されているのもの/コモンセンスの役割/価値の多様性を認める理性/コモンセンスから奪えないもの/多なる声/神の掟と道徳/宗教的な伝統の翻訳
15 複数のグローバリゼーション (サスキア・サッセン 南ドイツ新聞、二〇〇一年一〇月二〇日   新しい非対称性の時代/政治を語る新しい言語
16 半理性主義の極み (ピエール・ルジャンドル ル・モンド、二〇〇一年一〇月二三日   ニヒリズムの到来/ローマ法の遺産/国家の役割の放棄/妄想の啓蒙
17 爆撃のほかに道はある (タリク・アリ) 南ドイツ新聞、二〇〇一年一〇月二三日   爆撃の目的/イスラム世界の若者が絶望する理由
18 パパ、イスラムってなあに (タハール・ベン・ジェルーン) フランクフルター・ルントシャオ、二〇〇一年一〇月二四日   テロがもたらしたもの/イスラムの「死への愛」/テロに故郷はない
19 北京にて、その翌日 (オギュスタン・ベルク) 特別寄稿、モールパにて、二〇〇一年一〇月二八日   テロとはなにか/ビンラディン現象を生んだもの/攻撃されたものはなにか/共生の意志/〈世界システム〉の再生産/長期的な危険
20 地球的な規模のミメーシス的な競争 (ルネ・ジラール ル・モンド、二〇〇一年一一月六日   ミメーシス的な模範としてのアメリカ/殉教のミメーシス/イスラム教とキリスト教の違い/西洋の自己批判
21 近代テロの指標 (ペーター・スローターダイク) フランクフルター・ルントシャオ、二〇〇一年一一月一七日   近代テロの誕生/「大気−兵器」の時代/テロのもたらす不安/新たな国家の時代の到来/テロと遺伝子工学――秘密の結びつき/「どのように機能するか」という問い/宗教と技術
22 イスラムの原理主義が興隆した背景 (ピエール・ブルデュー フランクフルター・ルントシャオ、二〇〇一年一一月二一日   ダブル・スタンダードの論理/アメリカは世界の警察官でも裁判官でもない/社会科学のモデルの重要性
 23 現実の砂漠にようこそ (スラヴォイ・ジジェク   〈現実〉を追い求める帰結/現実とは、現実にもっともよく似たみせかけである/現実のヴァーチャル化/脱現実化した現実/〈球〉に包まれたアメリカ/イメージが現実に侵入した/ブーメランのように戻ってきた暴力/純粋な悪/無能なアクティング・アウト/パラノイア的な戦争の時代/文明の衝突ではなく/民主主義の限界/アメリカの無垢?/テロの教訓/〈より悪い〉二つの物語/罪の意識の卑猥な算術/傷ついたナルシシズム/まやかしの純粋性/真の正義

読書案内(中山元)
初出・クレジット一覧
編訳者あとがき(二〇〇二年一月 中山元)


≪編訳: ≫ 中山元 (なかやま・げん) 1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。哲学者・翻訳家。インターネット上で哲学サイト〈ポリロゴス〉を主宰。著書に『思考の用語辞典』(筑摩書房)、『フーコー入門』『書くためのデジタル技法』(共著)(ちくま新書)、『新しい戦争?』(冬弓舎)がある。また訳書にはジークムント・フロイト『自我論集』『エロス論集』、ミシェル・フーコー『精神疾患とパーソナリティ』、モーリス・メルロ=ポンティ『ポンティ・コレクション』(ちくま学芸文庫)、エマニュエル・レヴィナス『超越と知解可能性』(彩流社)、オギュスタン・ベルク『風土学序説』(筑摩書房)などがある。


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本「不幸論 (PHP新書223)」中島義道5

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不幸論 (PHP新書)
不幸論 (PHP新書223)」

○著者: 中島義道
○出版: PHP研究所 (2002/10,新書 206ページ)
○価格: 693円
○ISBN: 978-4569624594
おすすめ度: 3.5
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ぼくは、ながく(フルコミッションの営業職に挫折する三〇歳すぎまで)みずからが今現在不幸であることを認めようとせずに、いつかラクして儲かる夢のような幸運がどこかから舞い降りてくるんじゃないか、などとボンヤリと(強い願望をこめて)本気で思っていた。少し考えれば、バカじゃないの、って話になるんだけれど、それでも(それだから)なんとか生活できたし、調子に乗って勘違いして、結婚も子供も新築マンションも新車も手に入れた(親の援助と借金で)。現実を直視しない(理解する能力を有しない)ことで、将来に絶望することなく生きることができたわけだから、そういう意味では満たされない思いはつねにあった(?!)けれども、不幸ではなかった、と思う。
三〇歳をすぎて、営業職に不向きである自分を、喰えない(生活を維持する必要な報酬を得ることができない)という現実の壁にぶち当たったら、ぼくはともかくとしても女房子供に我慢をさせるのはカッコ悪い(まだまだ甘いなぁ)と思ったけど、それでも不幸は認識したくなかったから、その結果として採用したのが、不幸をちょっだけと認識して(ぜんぶは受け容れられない、耐えられない)幸福なふりを演じる戦略。だって、ぼくは才能も家柄もとくに優れているわけではないから、さらには努力や一所懸命をカッコ悪いと冷笑していたグウタラで、経済的であり社会的な地位などの目に見える部分で他人と比べて幸福になれる可能性は天変地異でも起こらない限り(まず起こらないだろうなぁ)ゼロに等しい。であるならば、そんなカッコ悪い(とぼくは感じる)自分自身は絶対的に直視したくないから、直視しないで幸福を演じちゃうしかない、と考えを切り替えたのは、少しでも好く生きたい、とにかく生きたいという本能的な行動でもあったろう。
そんなぼくの哀しい努力を打ち破る(簡単に打ち破られてしまうほどに貧弱な考えではお話にならない)なんてヒドイ♪


≪目次: ≫
はじめに――どんな人生も不幸である  幸福に対する反感/極限的不幸/気を紛らすこと
第1章 幸福のための条件 「幸福」と「しあわせ」/幸福の外的側面と内的側面/特定の欲望がかなえられていること/幸福は対象のうちにはない/一般的信念にかなっていること/世間から承認されていること/幸福は善ではない/他人を不幸に陥れないこと/見通せない因果関係の網の目/怠惰だから幸福を感ずる/私は人を助けることができない/私は幸福になってはならない
第2章 さまざまな幸福論  不幸であることがもたらす宝/エピクロス派ストア派ヒルティの幸福論/社会のためになる仕事と幸福/アランの幸福論/ラッセルの幸福論/苦痛の不在論/苦痛の不在は錯覚である/幸福になる秘訣はない
第3章 幸福がもたらす害悪  幸福ゲーム/アランの不思議な発想/幸福であるかのようなふりをする義務/「私は幸福だ」と語る人/他人を幸福にする義務/マジョリティの暴力/幸福の社会化/特殊日本的幸福論者/フーテンの寅さん/真実を真実ゆえに知る/おまえのためを思って/幸福教の布教/強い自己中心主義/「私の」死の絶対的重み
第4章 相対的不幸の諸相  どうしようもない不平等/ひとが集まるところを避ける/有名になってはならない/不当な扱いを受ける利点/読者からのゴウゴウたる非難/私は何をほんとうに望んでいるか/ひとは苦しいことをも望む/他人の承認を求める病的な仕方/幸福であると思われたい症候群/不幸を演ずることによる救済/幸福を追求することをあきらめる/幸福であることの負い目/永劫回帰/不幸であるための修行/半穏遁後の生活/精神的自傷行為
第5章 「死」という絶対的不幸  死ぬかぎり幸福はない/エピクロス派とストア派の死への態度/まったくの無としての死/幸福と死/不幸と死
第6章 自分自身の不幸を生きる  さまざまな不幸のかたち/自分自身を選ぶこと
あとがき(二〇〇七年七月一日 早く夏休みにならないかなあと思いつつ成田へ向かう全日空の機内で 中島義道)


≪著者: ≫ 中島義道 (なかじま・よしみち) 一九四六年福岡県生まれ。一九七七年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。一九八三年ウィーン大学哲学科修了。哲学博士。現在、電気通信大学教授。専門は時間論、自我論、コミュニケーション論。哲学が好きな一般の人たちを対象に哲学の道場「無用塾」を主宰している。著書に『ウィーン愛憎』(中公新書、角川文庫)、『孤独について』(文春新書)、『ひとを〈嫌う〉ということ』『生きにくい……私は哲学病。』(以上、角川文庫)、『働くことがイヤな人のための本』(日本経済新聞社)、『うるさい日本の私』(新潮文庫)、『カイン』『たまたま地上にぼくは生まれた』(以上、講談社)、『〈対話〉のない社会』(PHP新書)など多数。


これも春の訪れ?!




本「帰郷者 DIE HEIMKEHR by Bernhard Schlink (新潮クレスト・ブックス)」ベルンハルト・シュリンク、松永美穂 訳5

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帰郷者 (新潮クレスト・ブックス)
帰郷者 DIE HEIMKEHR by Bernhard Schlink (新潮クレスト・ブックス)

○著者: ベルンハルト・シュリンク松永美穂
○出版: 新潮社 (2008/11,単行本 355ページ)
○価格: 2,310円
○ISBN: 978-4105900724
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通勤時間はぼくの貴重な読書タイムで、本を読みたいがために比較すると空いている各駅停車を選んで乗ったりするんだけど、今朝乗り合わせた車両は(普段は周囲を見回すことなく独り本の世界に入り込むのに)、ふと周囲を見回すとほとんどみんなが本を読んでいた(ビックリ)。たしかに、朝の通勤時間帯の超満員の急行電車では本を読むどころではなく、なにをすることもなくひたすら意識をなくして目的地に運ばれるまで時間が経過するのをただただ耐えるのみだけど、各駅停車は電車2〜3本分の余裕(これを捻出するのは多少の困難を伴う)を持つことによって得られる、ゆとり♪。
新潮クレスト・ブックスは装丁が特徴的で、カチッとしすぎないやわらかい印象があって(ぼくは好きだなぁ)一目でわかる。ぼくの隣で読書に耽る男性が読んでいたのは、チラリと見えた表紙が、タイトル部分だけシンプルなオレンジ色に囲われていたから、あれはきっとジュンパ・ラヒリ『見知らぬ場所 (2008/8)』♪、物語があまり得意ではない(ミステリやサスペンスがまるでダメ)ぼくも、この新潮クレスト・ブックス光文社古典新訳文庫のシリーズは、ときどき読むようにしている(読みたくなる、というほど積極的ではないものの、読んでおこうかなぁ、と)。手の込んだ物語性よりも、物語の形を採用して織り込まれる大切なことであり、メッセージを拾い集める作業(?!)に勤しむ。

・・・どうやって悲しみを消化すればいいのだろう? じっくりと考えることによって? 何について? どれくらいのあいだ家にこもってレコードを聴いたり本を読んだりすればいいのだろう? どれくらい頻繁に友人と、自分の心の痛みや悲しみについて話せばいいんだ? 彼らは困惑しながら耳を傾け、ぼくを傷つけることなくまたすぐにいつもの友だち付き合いに戻れたらいいのに、と願う。愛の喪失を悲しむ作業が、すぐそばにいる人の腕のなかに飛び込むということではないのはわかる。どっちみちぼくはそんな気分ではない。
しかしぼくは、結婚や恋愛が破綻した後ですぐに次の関係をもっと若い女と築き上げてしまう友人や同僚たちが、未消化の過去から立ち直り、それを克服したのだとは考えない。あるいは愛の喪失後に引きこもっていた人間が、その後、より強い人間となって人生を歩み始めるとも思わない。ときには、抑圧と消化が、世代が変わるごとに勧められたり戒められたりしてきた、赤ん坊のうつぶせ寝と仰向け寝のように思えてしまう。・・・  (P.124)

あと数日で、ぼくがひとり暮らしを始めてから丸二年が経過する。ずいぶんとひとりの生活にも慣れて、ひとりの気楽さを心地好く感じていることは確かだけれども、、、寂しくないと言ったら嘘になる。もともと心配性だから不安は少なくない。混乱から脱した、とはとても言える状態にない。それでも、いずれ時間の経過とともに、あのときは、、、などと振り返って語れるときが来るのかもしれないけれど、記憶は徐々に薄れて環境に適応するのであろうが、今は安易に流されたくない気持が強いかな!?


≪著者: ≫ ベルンハルト・シュリンク Bernhard Schlink 1944年ドイツ生まれ。ハイデルベルク大学、ベルリン自由大学で法律を学び、1982年以降、ボン大学などで教鞭をとる。現在フンボルト大学法学部教授。1987年、ヴァルター・ポップとの共著『ゼルプの裁き』で作家デビュー。1992年発表の『ゼルプの欺瞞』でドイツ・ミステリー大賞を受賞。1995年、『朗読者』刊行。2000年には短篇集『逃げてゆく愛』を発表している。『朗読者』は映画化され、2009年に公開予定。
朗読者 Der Vorleser (松永美穂 訳、新潮クレスト・ブックス 2000/4、新潮文庫 2003/5)』
過去の責任と現在の法 ドイツの場合 (岩波書店 2005/2)』

[訳者] 松永美穂 愛知県生れ。東京大学、ハンブルク大学などでドイツ文学を学び、現在は早稲田大学教授。訳書にベルンハルト・シュリンク『朗読者』(毎日出版文化賞特別賞受賞)、ジークフリート・レンツ『遺失物管理所』、マーレーネ・シュトレールヴィッツ『ワイキキ・ビーチ。』などがある。


ろうばい




本「生活を哲学する (双書哲学塾15)」長谷川宏5

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生活を哲学する (双書哲学塾)
生活を哲学する (双書哲学塾15)

○著者: 長谷川宏
○出版: 岩波書店 (2008/9,単行本 159ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4000281591
おすすめ度: 4.0
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個人は自由になった分だけ孤独になったのです。自由と孤独とが表と裏になっているのが近代社会における個人のありのままのすがたです。  (P.137、「第6日 個人、家族、地域」)

ふと、あのとき(子供の頃であったり、最近であったり)に感じていた違和感というのか座りの悪さというか言いえぬ思いの、原因と言えるのかどうなのか断定はできないけれども、もしかしたら、そういうことだったのかなぁ、、、、などとボンヤリと思い浮かんできて考えたりすることがときどきあって、本を読んでいて集中力が途切れたとき、PCに向かっているとき、なんにも考えないときはないから、あのときのあれ(違和感や座りの悪さ)は自然な異常ではない正常な感情だったんだろうなぁ、などと考えてみて、それでもどうしても哀しい気分を拭い去ることはできない。あのとき苦しかった思いが消失することはないからね。さらには、日常生活において違和感を感じることが、最近ますます増えている、というか、明確に違和感を感じていながらも、その違和感や居場所のなさを不快に感じなくなってきているんだろうな、とも思っていて、だから違和感をそのまんま受け容れちゃっている。違和感を忌避して排除しようとして、どんなに抗ってみたところで、ぼくの能力なんてたかが知れているから、排除できない不甲斐ない自分にも苛立つ結果は火を見るより明らかで、そんな蟻地獄的な愚行をぼくは何度何度も繰り返し経験し続けてきた気がしている。


≪目次: ≫
講義の六日間 生活を哲学する
第1日 生活と哲学とのあいだ  日常と非日常/戦争とファンタジー――日常からの飛躍 その一/聖なるもの――日常からの飛躍 その二/イデアと「われ思う、ゆえにわれ在り」――日常からの飛躍 その三/日常への帰還
第2日 子育ての経験  孤独と自由――高校・大学・大学院の時代/塾と子育て――共に生きる時間へ/松田道雄の思想
第3日 大衆の原像とは  「知識人/大衆」という図式の転倒――吉本隆明/「生活の幅」と「工作者」――埴谷雄高谷川雁/原像へと還っていく/日々の暮らしこそ価値の源泉
第4日 晴れと褻(け)  日常の時と非日常の時/共同体の結びつきをたしかめる/個人が演出するイベントとなった「晴れ」/未知の共同体へ
第5日 夏合宿という生活経験  十泊十一日の褻/晴れの行事/信頼する・信頼される/自然体の生活/褻への執着
第6日 個人、家族、地域  近代の孤独と自由/「いじめ」の基本型/つながりを求めて、孤独をおそれず/情感の共有/さまざまな関係の網の目のなかで/自由と孤独と共同性を生きる


≪著者: ≫ 長谷川宏 1940年生まれ.専攻,哲学.東京大学大学院博士課程単位取得後,大学アカデミズムを離れ,在野の哲学者として,多くの読書会・研究会を主宰する.また,38年にわたって続いている私塾・赤門塾は,ユニークな活動をもって知られる.著書:『ヘーゲルの歴史意識』(講談社学術文庫),『ことばへの道――言語意識の存在論』(勁草書房),『赤門塾通信きのふ・けふ・あす』(現代書館),『黒田喜夫――村と革命のゆくえ』(未来社),『同時代人サルトル』(講談社学術文庫),『ヘーゲルを読む』(河出書房新社),『丸山眞男をどう読むか』(講談社現代新書),『日常の地平から』(作品社),『高校生のための哲学入門』(ちくま新書)ほか.


Larus




本「最後の「ああでもなくこうでもなく」 そして、時代は続いて行く――」橋本治5

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最後の「ああでもなくこうでもなく」―そして、時代は続いて行く
最後の「ああでもなくこうでもなく」 そして、時代は続いて行く――

○著者: 橋本治
○出版: マドラ出版 (2008/12,単行本 346ページ)
○価格: 2,310円
○ISBN: 978-4944079766
おすすめ度: 5.0
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よく分かんない言葉って、使わない方がいいですよ。使わないと、「なにそれ?」って、向こうから説明を求められて困ることもないし。「知らない」ですんじゃうし。私自身、カタカナ言葉を一つも使わない文章を十数年間、一万八千枚も書いちゃったので、カタカナ言葉が使えないような体質になってしまった。おかげで、それを使う時、一々説明するという、厄介な体質にもなってしまったし。
そもそも、「人にものを説明する」という行為はむずかしい。だから、当たり前に流通している言葉を使って、「分かるだろ?」的な合意を図ろうとする。
でも、「なんとなく分かるが、明確には分からない」という状態が一般的になってしまうと、世の中が歯槽膿漏になった葉みたいに、グラグラになってしまう。・・・  (P.217-P.218)

で、ぼくはなんのために、なにを欲して、なにを求めて目的として、こうも日々言葉を浪費してしまっているのか?、などと考えてみても、そもそもぼくが答えを求めていない(簡単に答えを出してたまるものか!?)のだから、じつは問うぼくは答えを求めるために問うているわけではなく、問うことをせずにはいられないなんらかを有して、そのサイン(外部へのアピール)としての投げ掛けを発している、などとグダグダ言葉を連ねてみるのは、前置きを準備運動として言いたいことのなにごとかを煙に巻くように紛れ込ませてみたりする意図がないわけでないのであろうか。このところ「越権行為」が気になっているんだけど、果たしてその人(ぼくであったり他人であったり)に行為する権利であり、行為する能力を有しているのか?、と。ぼくはたびたび勘違いを起こす。えぇ〜っ、そんなつもりじゃなかったのにぃ〜、なんて言われることが少なくないと感じるのは、気のせいではないはずだ。思い込みが激しくて、ほぼ妄想状態なのであろうかもしれない。冷静な状態の時の判断において、結論めいた方向性を決定しておきながらも、グラグラ揺れて優柔不断を発動することってあるよね?(あんまりないのかなぁ?、ぼくはよくあるんだけど、そのこと自体が問題かなぁ)、そんなに簡単に決められないし、気持ちや考え方がコロッと変わることって、ないことではないよね?(これもあんまりないのかなぁ?、ぼくはよくよくあるんだよねぇ、困ったなぁ)。ぼくは勘違いを封じ込めたい。別居中の娘がね、こんなこと、パパに言っちゃっていいのかなぁ、とか言いながら、ぼそっと教えてくれたことのうちのひとつなんだけど、ぼくが迷いに迷っていることであり、きっと娘もどうしていいか分からないながらも、いろいろ考えちゃっているんだろうなぁ、まだ12歳なのに?!、と申し訳なく思わないわけでもないのだが、ぼくだって娘を困らせたくって(悪意から)こんなふうにしたわけでもない(原因がぼくにあることを否定はしない)わけだし、不自由ない混乱のない生活を与えることが親の役目である(円満で平安が望ましいことは否定しないが)とも考えないし、いずれ遅かれ早かれ結婚するなり社会に出るなりすれば、他人(配偶者だって原初は他人)との人間関係が円滑にいくことばかりではないし、乗り越えなければならない壁が訪れるのであろうから、その状況が深刻(とも限らないかな?!)で、タイミングがちょっと早いかもしれないが、などと解釈しちゃったら、それはぼくの自分勝手がすぎるかなぁ。娘ともね、同居は無理だよねぇ、ということでほぼ合意していて、別々に暮らすことの不都合や困難は、同居していたときの厭な思いであり、険悪な関係により生じる不快感や不安感(ぼくが加害者?!、娘は被害者?!)にはるかに及ばない。そもそも娘の母親が強く拒絶していることを、ぼくも本人から直接何度も確認しているんだけれども、、、そう、確認しているんだよ、明確に。あなた(ぼく)はコロコロ考えや態度を変える(変わる)かもしれないけれど、わたしは変わらない、って言われているんだよ。経済的にも、具体的な収入の金額の多い少ないということ以上に、生活していく力量というのか本能的ななにか強いもの(ぼくに著しく欠落している部分)を持っているようだと、最近では考えるようにしている、現にそうであろうと思われるから。そう考えないと、変な固定概念(男が女を養う)に凝り固まっているぼくは混乱のまま逆噴射だってしかねない。そう、ぼくは変われなかったんだよ、努力しなかったわけではなかった(と思っている)、努力が足りなかったのかもしれないけれど、およそ15年、ぼくだって変わりたい、変えたいと思っていた。でも変われなかった、ってことは、どうやら無理ってことだろうね。そう考えないといけないんだよね。娘の母親のその母親の同居は、困っている状況を見かねたぼく(偽善)が持ち掛けたことだった。家族3人で暮らす予定で購入した広くはない3LDKの集合住宅では、それぞれ個性が強すぎる大人3人には無理があるってことさえも想像できなかった、のは、若かった(すでに若くはない)から、と言ってしまうには重すぎる罪だ、なんて無責任なことは言えないよ。仮にそれが解消されるよていである、としても、すでに時遅し、だよ。勘違いしないでね、勝手な妄想して暴走しないでね。覆水盆に返らず、っとことわざ、ぼくはキライだ。


≪目次: ≫
最終巻の第一回 やっぱり、世の中がおかしいんじゃないの?  398 いやな世の中だな/399 日本死は必修じゃないんだ……/400 それで、四十年前を思い出した/401 やっぱり、「選択肢は一つしかない」ということなんだろうな
最終巻の第二回 学校教育が「方向」を失っていることについて  402 なんかへんだ/403 教育の混乱/404 学校教育が不要なはずはないはずだが/405 教育が「方向」を失っても、社会が「方向」を失ったわけではない/406 誰が「いじめ」の対象になるのか?
最終巻の第三回 世の中がシステム化されて  407 たとえば「二〇〇七年問題」/408 個々人的なあり方とは無関係に存在してしまっている社会/409 人から「バカだ」と思われることが、どれほどのことか?
最終巻の第四回 宮崎県から地球まで  410 宮崎県知事/411 相変わらず私もまた、どういう広げ方をするんだろうか――/412 もっと広げよう/413 「信用する」という大問題
最終巻の第五回 フィギュアスケートの話ではなく――  414 ほんとは世界フィギュアのことが書きたかったんだけれど/415 「軍による強制はなかった」だけでいいのか?/416 それでなにが言いたいのか
最終巻の第六回 「日本国憲法」を考える  417 「日本国憲法」を考える/418 憲法第九条第一項/419 憲法第九条第二項/420 加害者と被害者/421 そんな話、聞いたことがない/422 「日本古来のあり方」ってなんだ?
最終巻の第七回 哀しい人達  423 社会保険庁がまたやった/424 それで、その人達はどうなるんだ?/425 「子供を公務員にしたがる親」が一方では当たり前にいて/426 「みんなでなんとかすればいい」というシステムの中にある欠落
最終巻の第八回 権力の日本人達  427 まだ終わらない……/428 政治家に必要なのは、アクの強さらしい/429 どうして人の言うことが聞けないのか?/430 アクの強くない政治家/431 なんで平安時代なんだ?/432 貴族の政府と武士の政府はどう違う?/433 「昔は昔」で、参考にしかならない
最終巻の第九回 源平歌合戦  434 やっと終わった……/435 国はあっても国はない/436 日本の二大政党制/437 阿久悠が死んだので思うこと
最終巻の第十回 日本政治の三十年  438 へばった/439 はい、起きました/440 古い政治家が一人/441 日本政治の三十五年/442 政治は最後にやって来る
最終巻の第十一回 プランBのない男  443 先月の続き/444 不安なことを数え上げても――/445 もう「そういう構造」じゃない/446 なんで「新しいリーダー」は、こうも次から次へとだめなの?/447 プランBのない男
最終巻の第十二回 日本で最も遅れたジャンル  448 ゴタゴタしていて、でも「一つ」/449 そういうジーさんが、ほんとにいたんだ――/450 新聞の社説を読んだことがありますか?/451 これ以上の「政界再編」って、なんなんだ?/452 政界の妖怪か、政界のゴーストか/453 民主党って、なんなんだ?
最終巻の第十三回 お話変って、俗世では――  454 謝罪会見て、必要なのかな?/455 たとえば、沢尻エリカの場合/456 「悪役(ヒール)」扱いでいいんだろうか?/457 「パフォーマンス」のなんたるかを、ちゃんと説明出来ますか?/458 なぜそんなにすぐ壊れるんだ?/459 で、なにが問題だったんだろう?/460 次回の予告篇――あるいは、あなたは「昨日の大福」を食いますか?
最終巻の第十四回 あなたは、ビニールの袋入りの菓子パンを食べますか?  461 ビニール袋に入った菓子パンや調理パンを食いますか?/462 町の子のパン屋/463 製麺所が近所に二軒もあった頃/464 私が食品表示の改竄現場に居合わせた頃/465 スーパーマーケットに行ってなにも買わなかった頃/466 なぜ田舎にパン屋を作ろうとしなかったか
最終巻の第十五回 だから言ったじゃないか――  467 先月のつづき/468 じゃ、他にどういう手があるんだ?/469 道路なのか、ガソリンなのか、なんなのか/470 哀しい金があっちこっちをさまよっている/471 貧乏人のことを考えない経済/472 世界経済はやっと日本に追いつくのかなァ、などと――
最終巻の第十六回 『大脱走』的組織論  473 『大脱走』ショック/474 なんだってそんなものが好きなの?/475 なにが「ショック」だったの?/476 それでみんな、平気で掃除当番をさぼってたのか――/477 そういう人間達が「リーダー」になると
最終巻の第十七回 「ものは考えよう」という考え方  478 きっと、大変なんだろうけれど/479 ものは考えようで/480 これは「国民の選択」に関する試金石なんだろうか?/481 日本中にやたらの数の「財政再建団体落ちした自治体」が増えたら、どうなっちゃうんだろう?
最終巻の第十八回 老人を孤独にしておくと、ロクなことがない  482 原油は、中国は、高齢者は、ミャンマーは――/483 そんなの、前から分かっていることなのに――/484 「貧しい老人」と「貧しくない老人」/485 私が「病院になんか行きたかねェや」と思う理由/486 老人を孤独にしておくと、ロクなことがない/487 一体この話は、中国のチベット問題や四川大地震や世界的な原油高と、どう結びつくんだ?
最終巻の第十九回 そして、初めに戻る――  488 その犯人について/489 「なぜ秋葉原なのか?」という問い/490 もう少し違う考え方/491 日記を書く人の心理/492 その理解は正しいのか?/493 そのグルグル回り――
あとがき――あるいは、一九八〇年代の『広告批評』 

*初出「ああでもなくこうでもなく」広告批評二〇〇六年十二月号〜二〇〇八年八月号


≪著者: ≫ 橋本治 (はしもとおさむ) 一九四八年三月東京生まれ。東京大学文学部国文科卒。在学中の六八年に描いた「とめてくれるなおっかさん」の駒場祭ポスターで、全共闘世代の共感を集める。イラストレイターとして活躍後、七七年作家に転身、『桃尻娘』で講談社小説現代新人賞佳作。以降、小説・評論・戯曲・古典の現代語訳・エッセイ、芝居の演出等あらゆるジャンルで精力的な活動を行う。主な著作に『桃尻語訳枕草子』『窯変源氏物語』『貧乏は正しい!』『「わからない」という方法』『上司は思いつきでものを言う』『ひらがな日本美術史』(全七巻)『双調平家物語』(全十五巻)など。『宗教なんか恐くない!』で第九回新潮学芸賞、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』で第一回小林秀雄賞、『蝶のゆくえ』で第十八回柴田錬三郎賞受賞。近著に『小林秀雄の恵み』『日本の行く道』『夜』。


神宮外苑




本「人生の短さについて 他二篇  Lucius Annaeus Seneca, DE BREVITATE VITAE, DE TRANQUILLITATE ANIMI, DE VITA BEATA (ワイド版岩波文庫46)」セネカ 著、茂手木元蔵 訳5

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人生の短さについて 他二篇 (ワイド版 岩波文庫46)
人生の短さについて 他二篇  Lucius Annaeus Seneca, DE BREVITATE VITAE, DE TRANQUILLITATE ANIMI, DE VITA BEATA (ワイド版岩波文庫46)

○著者: ルキウス・アンナエウス・セネカ、茂手木元蔵 訳
○出版: 岩波書店 (1991/6,単行本 229ページ)
○価格: 1,050円
○ISBN: 978-4000070461
おすすめ度: 4.0
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繰り出す言葉に不安を覚えないときはないんだぁ、と言ってもいいほどに、あれやこれやと考えて、思ったことのどれほどを言葉に表することができていることやら。言葉が、他人とのコミュニケーションを図るツールとしてあって、ところが他人とぼくとはまったく別の個性(パーソナリティ)を有する人としてあって、考えていることも、たとえばひとつのもモノを見たときに受ける印象や感じ方も、完全に一致することはどうやらなさそうだし、むしろ一致しないからこそ、一致しないという前提のもとにすり合わせる必要があるのでもあろうし、その意見や感想をすり合わせたりして交わし合うことが、いわゆるコミュニケーションといわれるものなのかなぁ、などと考えてみたりして。
ぼくのこのブログは、とくに表記していないけど、寄せられたコメントはすぐに反映(掲載)される設定にしてある(トラックバックは承認制)。ときどきはビックリするような、ぼくの書き記しとは直接無関係の第三者や世間(?!)に対して誹謗中傷のような趣旨のコメントがあったりして、そんなときでも苦笑いしながら「下書き」設定に変更しちゃう。管理者としての責任というのか(その責任ってなんだろうか?)、ぶっちゃけ、ぼくは自分が気持ち好く(快く)なるために展開している空間(ブログ)が乱されて、その結果ぼくが不快を感じることには耐え難いと感じたときに、ぼくが採用する行動を考えるに、それでもぼくと他人とは価値観も相違するわけで、ぼくの価値観だけを基準として判断を下すことに疑問を抱かないものでもないけれど、コメントを書き込んだ人のさまざまな状況(厭なことでもあったのかなぁ、とか)を想像してみて、可能な限りで善い方向に解釈を試みて、ぼくは判断を下していく権利ぐらいは、きっと越権行為には該当しないだろうなぁ、許されるでしょう、などと考えている。案外困ってしまうのは、じつは最新のコメントを昨日久しぶりにいただいていて(2008年9月20日以来、およそ三カ月ぶり!?)、「まぁ珍しいことだ、どなたからかしら?」などと呑気に構えていたんだけど、差出人が特定できない。さらには、二年以上も前に書き記した(2007年1月6日)ヒットした映画を遅れて劇場で観て感動のあまり手にした脚本の小説だったりして、なんだかぼくが高揚しちゃっている気分は伝わるものの、なにがなんだか、、、あぁ恥ずかしい。ところで果たして、二年前のぼくを恥ずかしいと感じるぼくの今現在は、どれほどのものかと考えるに、大して変わっていない、相も変わらずわけがわからない、恥ずかしいことに変わりないなぁ、と思っちゃったのが正直なところ。一回性やら、偶然性やら、実験場、なんて言葉を掲げているぼくとしては、その趣旨に内在するひとつの方針としての、記録を残す、という目的があって、残された記録を後から加筆・修正しない、なんてことを考えていたりする。ぼくの解釈(言葉の定義?!するところ)が間違っていなければ、そこに一回限りの一所懸命を注ぎ込みたい(逆に無理して書かない、選択もあったりする)、であり、ぼくの変化(善きにつけ悪しきにつけ)の過程を公開するのは、どこまでもぼくの自己満足にすぎないことをそれなりに承知してなお。

一 大部分の人間たちは死すべき身でありながら、パウリヌス君よ、自然の意地悪さを嘆いている。その理由は、われわれが短い一生に生れついているうえ、われわれに与えられたこの短い期間でさえも速やかに急いで走り去ってしまうから、ごく僅かな人を除いて他の人々は、人生の用意がなされたとたんに人生に見放されてしまう、というのである。このような、彼らのいわゆる万人に共通な災いに嘆息するのは、単に一般の大衆や無知の群衆だけのことではない。著名な人々にさえも、このような気持が嘆きを呼び起こしている。それゆえにこそ、医家のなかでも最も偉大な医家の発言がある。いわく「生は短く術は長し」と。・・・  (P.9、「人生の短さについて」)


≪目次: ≫
凡例
人生の短さについて De Brevitate Vitae
心の平静について De Tranquillitate Animi
幸福な人生について De Vita Beata
訳注
解説(昭和五五年八月 訳者)

セネカ入門 セネカと私 (茂手木元蔵、東海大学出版会、1994/6)

天気予報依存症♪




本「地球温暖化の予測は「正しい」か? 不確かな未来に科学が挑む (DOJIN選書020)」江守正多5

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地球温暖化の予測は「正しい」か? 不確かな未来に科学が挑む (DOJIN選書020)
書評/サイエンス
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ぼくがマイバッグをつねに持ち歩いて、買い物するたびにレジで「レジ袋はいらないです」と言うようにしているのは、自室にレジ袋がたくさんあって「じゃまだなぁ」と思ったからであり、お店によっては2円割引きがあったり、ポイントが付いたりと特典があるから。クロスバイクを購入したのは、運動不足の解消と体力増強もあるけど、「少し遠くに写真を撮りに行きたいなぁ」と思ったとき、高価な自動車を購入して維持(ガソリン、駐車場、保険、車検、税金など)する資力がなかったから。

ぼくは天気予報がだいすきで、といってもテレビも新聞も見ないからもっぱらウェブ上でチェックするんだけど、会社がある区と自室がある市のピンポイント天気情報を、それぞれPCのお気に入りに登録してある。夜には翌日の天気と気温と降水確率をチェックするようにしていて、外出時の服装を考えたり、折り畳み傘の用意をしたり、、、そう、雨に降られて不快な思いをすると、まずはみずからが天気予報の確認を怠っていなかったか、天気予報を基に下したぼくの判断に誤りはなかったか、と振り返って、ぼくに落ち度があった場合には、最終的には「仕方がないなぁ」に落ち着くんだけど、落ち着くまでにはひとしきり腹を立てて悪態をついて(振り上げてしまった拳はそのまま下ろすことができない)、蓄えられてしまったエネルギーを発散させる手続きを採る(そんなに冷静なものではないが)。ぼくに落ち度がなかった場合には、天気(自然現象)の確率論に収まらない気紛れさを恨む(やっぱり腹を立てて悪態をつく、おこりんぼう)。しかし、ぼくがどんなに恨んで怒りを露わにしたところで、そもそも天気予報が科学的な見地から収集したデータを分析して確率論的に予測して報じるものであることを考えるに、「勝手に勘違いしないでよ」(怒、笑)!?

冬だからあたりまえなんだろうけれど寒い。寒いと低血圧のぼくはすぐに手足が冷たくなって痺れて痛みを感じてしまうから、どんなに防寒対策を講じても外出する気力が湧かない。それはそれで暖房が効いた室内で読書に励むことができるから喜ばしいことではあるんだけど、、、やっぱり太陽の下で風を感じて、クロスバイクで走りたい!、写真を撮りたい!!、最高気温が10度を超えたら行けるかな?、15度かなぁ?!、ますます天気予報から目が離せない。
天気予報なんてなければいいのに♪


≪目次: ≫
まえがき
第1章 地球温暖化はどんな問題か?
一 温暖化はなぜ起こるのか?/二 温暖化はすでに起こっているのか/三 温暖化は人間のせいか?/四 温暖化が異常気象をもたらしているのか?/五 温暖化はどんどん進むのか?
第2章 未来をどうやって予測するのか?
一 未来を探るシナリオ/二 温室効果ガスはどれくらい大気中に残るか/三 気候の変化と影響を予測する
第3章 コンピュータの中の地球
一 物理法則による予測/二 気候モデルに教えていること/三 気候モデルの方程式/四 パラメタ化/五 気候モデルのチューニング/六 天気予報と気候モデル/七 気候モデルの性能
第4章 何が予測されているのか?
一 気温は何℃上がるのか/二 場所によって異なる変化/三 異常気象は増えるのか/四 日本の気候はどう変わるか/五 海面上昇/六 人間社会への影響
第5章 予測は「正しい」か
一 予測のどの部分に自信があるか/二 不確かさを測る/三 不確かさを狭める/四 不確実な情報をもとに判断する
第6章 地球温暖化予測の今後
一 超高解像度モデル/二 気候モデルはいくつ要るか/三 IPCC第五次報告書に向けて

参考文献
あとがき(二〇〇八年九月 江守正多


≪著者: ≫ 江守正多 (えもり せいた) 1970年神奈川県生まれ。97年東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻博士課程修了。博士(学術)。97年より国立環境研究所勤務、2006年より国立環境研究所地球環境研究センター温暖化リスク評価研究室長。海洋研究開発機構地球環境フロンティア研究センターグループリーダー(2004年より)ならびに東京大学気候システム研究センター客員准教授(2006年より)を兼務。専門は気象学。とくにコンピュータ・シミュレーションによる地球温暖化の将来予測。


Tokyo Tower




本「責任と判断  Hannah Arendt, RESPONSIBILITY AND JUDGMENT, Schocken Books, 2003」ハンナ・アレント、ジェローム・コーン 編、中山元 訳5

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責任と判断
責任と判断  Hannah Arendt, RESPONSIBILITY AND JUDGMENT, Schocken Books, 2003

○著者: ハンナ・アレント、ジェローム・コーン 編、中山元
○出版: 筑摩書房 (2007/2,単行本 392ページ)
○価格: 3,990円
○ISBN: 978-4480842732
おすすめ度: 4.5
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ぼくは日本に生まれて、ずっと日本に暮らしている。ぼくが生まれたとき(一九七〇年)には、すでに日本が参戦した最後の戦争(第二次世界大戦)が終わって二五年が経過していた。

いずれにしても次のことだけはたしかであり、これをもはや信じないわけにはゆかない。「アウシュヴィッツでは誰もが、善人であるか悪人であるかを、自分で決めることができた」ということである(だからドイツの裁判所がいま、悪人も善人にも正義をもたらすことができないとしたら、それはグロテスクなことではないだろうか)。そしてこの決定は、その人がユダヤ人であるか、ポーランド人であるか、ドイツ人であるかを問わないのである。この決定はその人が親衛隊(エスエス)の隊員であるかどうかも問わないのである。
この恐怖のただなかにおいても、収容所の中に「平和の島」を築きあげたフラッケ上等兵のような人物もいるからだ。ある収容者は、最後には「われわれのすべてが殺害される。証人は一人も生き延びることを許されないだろう」と主張したのだが、フラッケは同意せず、この収容所に「親衛隊のうちにも、そんなことが起きないようにする多数の隊員がいるはずだ」と答えたのである。  (P.319、「裁かれるアウシュヴィッツ」)
ぼくには自信がないなぁ、「ボガー吊し」の拷問とかの詳細(訳注)を目にしただけで、受けるのはもちろん、受けているのを目にすることさえ耐えられそうもない。縮みあがってしまって、判断能力を失いそうだ。

編者 ジェローム・コーンが解説する、
アレントはニヒリストでもアモラリストでもなく、みずからの思考の赴くままに思索する思想家であった。しかしアレントの思考の赴くままに書かれた文章を読む者には、一つの能力が求められる。知性や知識ではなく、みずから思考する能力である。アレントが提示するのは理論的な解決策ではなく、みずから思考するための豊富な刺激なのである。危機の時代にあっては、そして真の転換期においては、「過去は未来を照らすことをやめ、人間の心は闇を彷徨する」というトゥクヴィルの洞察がきわめて重要だと、アレントは考えていたのである。こうした瞬間には(そしてアレントは現代がこうした瞬間であると信じていた)、くっきりと見えてくるのは人間の心の闇であり、そのことによって、人間の責任の意味と判断の能力について、新たに考察する必要性が明らかになるのである。  (P.353)



≪目次: ≫
プロローグ(ソニング賞受賞スピーチ)(コペンハーゲン 一九七五年四月一八日)
晴れがましい出来事/同化と言語/デンマークへのこだわり/デンマークの二つの特異性/公的な場に現れること/公的なものに背を向ける流れの一つ――思考の優先/公的なものに背を向ける流れの一つ――時代の流行/「著名人の集まり」/名誉という謎/ペルソナ(仮面)

第一部 責任
独裁体制のもとでの個人の責任
(一九六四年)
アイヒマン論争の奇妙さ/裁く権利/『神の代理人』論争/道徳の自明性/「協調」の道徳的な問題/戦争犯罪の特異性/判断のアポリア/政治的な責任/「歯車理論」の虚偽/裁判で裁かれるもの/全体主義の特徴――犯罪性/全体主義の特徴――公的な地位の犯罪性/「より小さな悪」の論拠/「より小さな悪」の論拠の実例/国家理性(レゾンデタ)/合法性のアポリア/ナチス体制の異例性/二つの問い/自分との仲違い/服従の概念
道徳哲学のいくつかの問題(一九六五〜六六年)
〈第一講〉 チャーチルの言葉/道徳性の崩壊/全体主義の二つの体制/真の道徳的な問題/道徳性の崩壊の〈怪物性〉/司法の偉大さ/裁判で問われるもの/道徳的な混乱/道徳の源泉/宗教と道徳/宗教の掟と道徳/神の命令と道徳の命令/道徳と自己/世界の立法者/神の命令による義務/自由の法/命法/意志の自由/意志の概念の発見/宗教と悪/文学作品における悪
〈第二講〉 道徳と良心/「できない」という確信/悪の誘惑/善の誘惑/傾向性と自由/法と神話/道徳性とイデア/まなこで見る真理/良心の失墜/ソクラテスにおける自己/対話の重要性/哲学の条件としての無言の対話/悪と記憶/人格と根源性/人間の複数性/知的な殺人者たち
〈第三講〉 孤独(ソリチュード)/孤立(ロンリーネス)/孤絶(アイソレーション)/単独性のさまざまなありかた/道徳哲学と土地の法/ソクラテスの「罪」/思考と行動/人間の単独性と複数性/良心と道徳性/道徳性の空虚さ/スカンダロン(躓きの石)と二つの実例/人格の喪失/新しい二つの問い/意志の概念/自由の発見/自己から他者へ/パウロの意志の概念/意志の無力/アウグスティヌスにおける意思の哲学/意志の分裂の特徴
〈第四講〉 思考/ソクラテスの悪の定義/イエスの悪の定義/意志の概念の逆説/意志と幸福/意志と行動/意志と快楽/意志と力/意志の命令する機能と判断する機能/共通感覚(コモンセンス)/拡張された心性/複数性/図式論/結論として
 アレントの『基本的な道徳命題』の異稿
集団責任(一九六八年)
罪と責任/集団責任の概念/集団責任が問われるための条件/道徳と倫理/宗教と道徳/道徳と自己/政治からの自由/良心という根拠/複数性
思考と道徳の問題――W・H・オーデンに捧げる
悪の凡庸さ/悪行についての問い
〈一〉 神の終焉/思考と知識の区別/思考の無力/三つの主張
〈二〉 思索者のモデル/ソクラテスの「概念」/概念の特異性/ソクラテスの比喩――アブ、産婆、シビレエイ/思考の風/思考の危険/思考しないことの危険性/思考とエロス
〈三〉 神話の意味/ソクラテスの二つの命題/ソクラテスの第二の命題/良心の恐ろしさ/思考と悪/思考と判断力

第二部 判断
リトルロックについて考える
(一九五九年)
全人格的な一体性/親の権利/憲法と差別/黒人差別問題の地位/平等の原則/公民権計画/平等と差別/差別の実例/プライバシー/連邦政府と州政府の権利の対立/家庭の権利
『神の代理人』――沈黙による罪?(一九六四年)
カトリック教会の「責任」/カトリック教会の反論
裁かれるアウシュヴィッツ(一九六六年)
〈一〉 アウシュヴィッツ裁判と世論/被告と証人たち/ブロード・レポート/迎合性/裁判の行方
〈二〉 「小物」理論/「大物たち」の証言
〈三〉 告発理由/国家の継続性/個人の発意/ルーカス博士の事例
〈四〉 語るも恐ろしきこと/アウシュヴィッツにおける人間の要因
〈五〉 世界を担うこと
身からでたさび(一九七五年)
アメリカの政治的な混乱/マーケティングと政治/嘘の帰結/ニクソン政権の犯罪/〈身からでたさび〉/歴史の教訓

解説……ジェローム・コーン
状況に応じた問いと答え/道徳性の崩壊の謎/『イェルサレムのアイヒマン』問題/良心の概念/根源的な悪/思考と自由/善の逆説/判断という能力
テクストについて

訳者あとがき……中山元


≪著者: ≫ ハンナ・アレント (Hannah Arendt) 一九〇六年、ドイツのユダヤ人家庭に生まれる。マールブルク大学ハイデガーに、ハイデルべルク大学ヤスパーに師事、哲学を学ぶ。一九三三年、ナチスの迫害を逃れフランスへ、四一年にはアメリカへ亡命。二〇世紀の全体主義を生み出した現代大衆社会の病理と対決することを生涯の課題とした。一九七五年没。著書に『全体主義の起源』『人間の条件』などがある。

[訳者] 中山元 (なかやま・げん) 一九四九年生まれ。東京大学教養学部中退。思想家・翻訳家。著書に『思考のトポス』『フーコー入門』『思考の用語辞典』『〈ぼく〉と世界をつなぐ哲学』などがある。カント『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』、バタイユ『呪われた部分 有用性の限界』、デリダ『パピエ・マシン』(上下)など訳書も多数。


Cosmos bipinnatus




本「カイン 自分の「弱さ」に悩むきみへ (新潮文庫)」中島義道5

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カイン 自分の「弱さ」に悩むきみへ (新潮文庫)
カイン 自分の「弱さ」に悩むきみへ (新潮文庫)

○著者: 中島義道
○出版: 新潮社 (2005/7,文庫 222ページ)
○価格: 420円
○ISBN: 978-4101467252
おすすめ度: 4.0
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お前の話はよくわからない、、、要点ををまとめて、手短に、結論から言え、、、説明や言い訳は要らない、結論だけでいい、、、とは、社会人になって、いや、子どもの頃から、言われてきた記憶がある。とくにぼくは、売上という具体的に目で見える数字の結果を要求される営業職に長く携わってきたから、そして今でも営業会社に籍を置いていることもあってか、その都度ある程度結論めいたことを表明することを、無意識のうちに常としている自分にふと思い至った。

カイン、、、『旧約聖書』の「創世記」第四章
・・・たんなる悪人ではない。彼は共同体から追放されたのだが、殺されることのない者、死ぬことさえできぬ者、孤独を噛みしめてひとりで生き抜くしかない者、みずからの運命にたいして――ヨブと同様――「なぜなのだ?」と問いつづけて生きるしかない者なのだよ。 (P.81)



≪目次: ≫
はじめに ぼくはいかにして「強く」なったか
1 どんなことがあっても自殺してはならない April
2 親を捨てる May
3 なるべくひとの期待にそむく June
4 怒る技術を体得する July
5 ひとに「迷惑をかける」訓練をする August
6 自己中心主義を磨きあげる September
7 幸福を求めることを断念する October
8 自分はいつも「正しくない」ことを自覚する November
9 まもなくきみは広大な宇宙のただ中で死ぬ December
あとがきに代えて 三〇年前の自分へのメッセージ(二〇〇一年九月二九日(母が亡くなった日) 中島義道)

人間を形作るものの不思議……山田詠美

*この作品は二〇〇二年一月講談社より刊行された。


≪著者: ≫ 中島義道 Nakajima Yoshimichi 1946(昭和21)年福岡県生れ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ウィーン大学基礎総合学部修了。哲学博士。現在、電気通信大学教授。著書に『ウィーン愛憎』『哲学の教科書』『うるさい日本の私』『〈対話〉のない社会』『孤独について』『人生を〈半分〉降りる』『私の嫌いな10の言葉』『働くことがイヤな人のための本』『続・ウィーン愛憎』『偏食的生き方のすすめ』『悪について』などがある。


The eye of an insect




本「聖戦と聖ならざるテロリズム イスラームそして世界の岐路  Bernard Lewis, THE CRISIS OF ISLAM, Holy War and Unholy Terror, Random House, 2003」バーナード・ルイス、中山元 訳5

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聖戦と聖ならざるテロリズム イスラームそして世界の岐路
聖戦と聖ならざるテロリズム イスラームそして世界の岐路  Bernard Lewis, THE CRISIS OF ISLAM, Holy War and Unholy Terror, Random House, 2003

○著者: バーナード・ルイス中山元
○出版: 紀伊國屋書店 (2004/12,単行本 244ページ)
○価格: 1,785円
○ISBN: 978-4314009751
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モクレンの、毛皮をかぶったつぼみがふくらんでいたよ♪、そこ(↓PICS、二年前に撮影)は白い花だったかなぁ、、、花を咲かせる植物の、花を咲かせるタイミングは、花が咲く直前の気温や日照などの条件に因ることなく、すでに二カ月前に花を咲かせるためのスイッチ(のようなもの)が入って、その間に着々と準備を整えて、花が咲く瞬間の条件は(ほとんど?!)考慮されない、なんて記述を目にして以来、この春を待つ時期が愉しみだった。案の定、寒さに枯れてちじこまっているように見える植物たちも、近づいてよぉ〜く見てみると、ふふふふふ♪

巻頭に、地中海を中心とした地図が四点。『カリフの時代(イスラーム帝国)』と、『オスマントルコ帝国(1300〜)』と、『帝国主義の時代(イギリス領・フランス領・イタリア領・スペイン領・ロシア領と独立年)』と、『今日の中東』と。大まかに四つの時代の勢力分布図。恥ずかしながら不勉強から世界地図が頭の中で描けない。イスラームは、井筒俊彦の口語訳による『コーラン 上・中・下 (ワイド版岩波文庫、2004/4)』を一読(精読に及ばない)してしまったほどに興味を抱いていて、これを好機とばかりに読みとばすことなく、何度も何度も国名と地図とをにらめっこ。ぼくには見慣れない、地中海を中心とする地図が、ぼくの理解を助ける。
地中海を中心とする地図に登場しない(遠い国?!)アメリカ。強いアメリカに抱く反感(ぼくは潜在的に反感を有しているみたい)を、簡単に「出る杭は打たれる」的に言い放ってしまって、そこで思考をシャットダウンしてしまうのは得策ではない、と思わせるほどに、深く複雑に絡み合う歴史的出来事がこれでもかこれでもかというほどに幅広く展開されて編集されて、簡単には読み解けない愉しみ。それでも、全244ページとコンパクトにまとまっている。“あとがき”に明かされる、
本書の核となったのは、『ニューヨーカー』の二〇〇一年一一月号に掲載された記事である。この記事を現状にあわせて書き直しているうちに、最初は長い論文にすぎなかったものが、一冊の書物に成長することになった。 (P.236)
ぼくとしては、イスラームの共同体精神みたいな概念って、悪くないと思うんだけどなぁ(ぼくが共同体に馴染めるかどうかは別として)。豊かで便利なことって、そんなに素晴らしいことなのかなぁ?!、と疑問を抱いてしまうぼくは、自らが豊かさを享受できていないことに対する嫉妬かもしれないことを考慮しながら、、、


≪目次: ≫
日本語版への序文
序章 イスラームを知るということ
イスラーム世界の味わった屈辱/イスラーム世界の歴史感覚/国名の不思議/ジハードファトワーアラビアという土地の重要性
第一章 イスラームとは何か
イスラームの広がり/宗教としてのイスラーム/キリスト教の三つの違い/イスラーム社会の二重性/イスラーム教の二つの伝統/イスラーム世界と国際政治/イスラーム世界と国内政治/国家とアイデンティティー/イラン革命の脅威/イスラーム運動の悩みと強み/「イスラーム原理主義」/西洋はイスラームの敵か/西洋とイスラームの対立
第二章 戦争の館――ジハードについて
ジハードとは/ジハードの歴史/ジハードと十字軍/ジハードの規定/キリスト教への挑戦
第三章 十字軍から帝国主義まで
十字軍の意味/新しい時代の幕開け/イスラームと帝国主義/パトロンの不在
第四章 アメリカの「発見」
アメリカのイメージ/反米主義の流行/イラン政変の教訓/クトゥブとクトゥブ主義
第五章 悪魔とソ連
ソ連の進出/パレスチナ問題の重要性/アラブにおけるソ連の地位/イスラエルとアメリカの絆
第六章 ダブルスタンダード――アメリカの中東政策
ダブルスタンダードへの非難/ダブルスタンダードの実例
第七章 近代化の失敗
イスラーム世界の立ち遅れ/政治の近代化の失敗
第八章 サウジアラビアの権力とワッハーブ派の教義の合体
ワッハーブ運動/サウジアラビア王国の建国/ワッハーブ派の世界的な影響/原理主義とその優位
第九章 テロリズムの抬頭
原理主義とイスラーム教/ファトワーの逸脱/アサッシンとテロリスト/テロリストの新しい戦略/テロリストと領土問題/自殺テロ/自殺の罪/九・一一同時多発テロ/アメリカへの要求/アルカイダの野望

あとがき(バーナード・ルイス)
訳者あとがき(二〇〇四年一一月 中山元)
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≪著者: ≫ バーナード・ルイス (Bernard Lewis) 1916年、ロンドン生まれ。外務省勤務、ロンドン大学教授を経て、1974年に渡米、プリンストン大学教授を務める。現在は同大学名誉教授。中東イスラーム史研究の第一人者として名高い。邦訳されている著書に、『イスラム世界はなぜ没落したか?』(日本評論社)、『イスラーム世界の二千年』(草思社)、『ムスリムのヨーロッパ発見』(春風社)、『アラブの歴史』(みすず書房)、『暗殺教団』(新泉社)がある。

[訳者] 中山元 1949年生まれ。思想家・翻訳家。万人のための哲学サイト「ポリロゴス」を主宰している。著書に、『はじめて読むフーコー』(洋泉社新書y)、『思考の用語辞典』(筑摩書房)、『〈ぼく〉と世界をつなぐ哲学』『フーコー入門』(以上、ちくま新書)など、訳書に、ウッド『資本の帝国』ドロワ&トナック『ギリシア・ローマの奇人たち』(以上、紀伊国屋書店)、バタイユ『呪われた部分 有用性の限界』フロイト『エロス論集』(以上、ちくま学芸文庫)、フーコー『真理とディスクール』(筑摩書房)、『発言――米同時多発テロと23人の思想家たち』(編訳、朝日出版社)などがある。


新芽




本「「死」を哲学する (双書哲学塾05)」中島義道5

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「死」を哲学する (双書哲学塾)
「死」を哲学する (双書哲学塾05)

○著者: 中島義道
○出版: 岩波書店 (2007/10,単行本 140ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4000281553
おすすめ度: 5.0
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じつは少し前にふと「他人」と「他者」って違いはなんだろう?、と漠然とした疑問を抱いて、ぼくとしてはそれぞれの定義や差異を理解することも探究することもなく、なんとなくの印象で「他人」に冷たい感覚を覚えて「他者」を採用していたのだが、心のどこかでは「そのうちわかるさ♪」とあえて放置プレイ、歩みを緩めることなく(止まることをおそれ)先を急ぐ!?
私は(レヴィナスと異なって)、「他者」という言葉によって、私を超越する「他なるもの一般」を意味し、それがとくに人間である場合を「他人」と表わします。・・・ (P.80)
なるほど“中島義道”流の解釈によれば、ぼくは自分自身以外の人間のことを指し示していたので「他人」であろうか。

ぼくには正直なところ『死』の概念が希薄で、なかなか現実のものとして捉え難いのではあるが、そうは言っても『死』を意識しないことはない。ときに自分の存在を疎ましく思い、自らの存在の意義(無意味・不必要)を問うことがないわけではない。


≪目次: ≫
はじめに
講義の7日間 「死」を哲学する
第1日 死と人生の意味
第2日 死ぬ時としての未来(1)
第3日 死ぬ時としての未来(2)
第4日 私の死・他人の死
第5日 不在と無
第6日 「無」という名の有
第7日 「無」という名の無・死の超克


≪著者: ≫ 中島義道 (なかじま よしみち)
1946年生まれ.専攻,時間論,自我論,コミュニケーション論.現在,電気通信大学人間コミュニケーション学科教授.
著書:『カントの人間学』(講談社現代新書),『時間と自由』(講談社学術文庫),『戦う哲学者のウィーン愛憎』(角川文庫),『孤独について』(文春新書),『「時間」を哲学する』(講談社現代新書),『哲学の道場』(ちくま新書),『うるさい日本の私』(新潮文庫),『カントの時間論』(岩波現代文庫),『時間論』(ちくま学芸文庫),『悪について』(岩波新書),『カントの自我論』(岩波現代文庫)ほか.


紫陽花の新芽




本「高校生のための哲学入門 (ちくま新書666)」長谷川 宏5

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高校生のための哲学入門 (ちくま新書)
高校生のための哲学入門 (ちくま新書666)

○著者: 長谷川 宏
○出版: 筑摩書房 (2007/7,新書 212ページ)
○価格: 735円
○ISBN: 978-4480063601
おすすめ度: 5.0
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ぼくが〈思索(論理的に筋道を立てて考えること)〉したことを、書き記しを試みるんだけど、〈教養(ヽ慳筺幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。⊆匆饑験茲魃弔狆紊派要な文化に関する広い知識)〉が不足しているからであろう、まずは言葉の定義・意味で行き詰まることが少なくない、というか、ほとんど先に進まない、理論的に筋道を立てることができない。
数日前に三九歳の誕生日を迎えて(翌日に仕事で不動産売買の重要事項説明をした顧客に宅地建物取引主任者証記載の生年月日を見られて「おめでとう」と祝われ、恥ずかしかったけど正直に嬉しかった♪、のはそれが今年唯一の祝福だった。いまさら誕生日という年齢でもないのであろうが、それでもやっぱり、、、だったら普段からもう少し素直に可愛く生きたら?、できるものならそうしたい!?)、だからというわけでもないが、ブログのタイトルを変えた。「ふどうさんやさん」を掲げる必要性は、昨年の一〇月第三日曜日に宅地建物取引主任者資格試験が終了して(会社で講師をしたときに作成した全一五回の解説レジュメも)、すでに失していた。ぼくのことを日常生活で「Gori」と呼称する者は現在同僚に一人いる(写真の先輩)だけで、これまでにそう呼ばれた(あだ名された)ことがないわけでもないが明確な記憶にはない。だから、むしろWeb上で通用(ぼくを識別)する〈記号〉と言っていいのであろう。ぼくのブログのアドレス(http://blog.livedoor.jp/ppdwy632/)は、たしか自宅のインターネット環境を整備した時に提供されたと記憶しているのだが、語呂が悪くないと感じた!?ので、そのままときどき採用している〈記号〉。そもそも、ぼくが住民票や戸籍という制度上で使用(ぼくを識別)している〈名前〉だって、ある側面においては〈記号〉。それぞれの〈記号〉はすべて、〈ぼく〉という存在を表していて、そういう意味では同じようなものであり、しかしまったく異なる性質をも持ち合わせている。(どこかで読んだ受け売りである、きっと)
そんなことばかり考えて、本来思索を重ねて自らの言葉にしたいと考えていることが、ちっとも進まないぼくには、「入門」であり、もっといえば、不勉強であった「高校生」レベルから、基本の“き”から取り組む必要があろう。
著者“長谷川宏”は、思うところあって大学を去り(本書に記述あり)、小中学生を相手に学習塾の教師を三十七年間続けながら、在野の哲学者・翻訳者としても活躍する。ぼくにとっては、光文社古典新訳文庫にラインナップされた『芸術の体系 (アラン・ポー 著、2008/1)』で出会い(著者ポーが江戸川乱歩の命名由来であることも知らず)、しばらくして何気なくワイド版岩波文庫『歴史哲学講義〈上・下〉(ヘーゲル 著、2003/5)』と、翻訳著書に縁があって、いずれも「簡単(安易な理解)」とは程遠いところにある長大な著作でありながらも、丁寧に慎重に途切れることなく一歩一歩確実に前に進んでいる安定感(のようなもの?!)に、不思議な安心感を覚えた。略歴にある、学習塾を営む在野の哲学者、にも下世話?!ながらも興味を持った。だから、「高校生」を掲げられても、反感を抱くことなく(些細なことにも反応して闘いを挑む習性が発動することなく)、素直に「読もう、読みたい!」と思ったことを明確にしておこう。


≪目次: ≫
はじめに(二〇〇七年三月十六日  長谷川 宏
第1章 自分と向き合う
第2章 人と交わる
第3章 社会の目
第4章 遊ぶ
第5章 老いと死
第6章 芸術を楽しむ
第7章 宗教の遠さと近さ
第8章 知と思考の力


≪著者: ≫ 長谷川 宏 (はせがわ・ひろし) 1940年島根県生まれ。1968年、東京大学文学部哲学科博士課程修了。自宅で学習塾を開くかたわら、原書でヘーゲルを読む会を主宰するなど在野の哲学者として活躍。一連のヘーゲルの翻訳に対し、ドイツ政府よりレッシング翻訳賞を受賞。著書に『新しいヘーゲル』『丸山眞男をどう読むか』(講談社現代新書)、『ことばへの道』(勁草書房)、『いまこそ読みたい哲学の名著』(光文社文庫)など。ヘーゲルの訳書に『哲学史講義』(河出書房新社)、『歴史哲学講義』(岩波文庫)、『美学講義』『精神現象学』『法哲学講義』『論理学』『自然哲学』『精神哲学』(作品社)などがある。

歴史哲学講義 〈下〉 (ワイド版岩波文庫226、ヘーゲル 著、長谷川宏 訳、2003/5)』
歴史哲学講義 〈上〉 (ワイド版岩波文庫225、ヘーゲル 著、長谷川宏 訳、2003/5)』
芸術の体系 (光文社古典新訳文庫、アラン・ポー 著、長谷川宏 訳、2008/1)』


at dawn




本「続・ウィーン愛憎 ヨーロッパ、家族、そして私 (中公新書1770)」中島義道5

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続・ウィーン愛憎―ヨーロッパ、家族、そして私 (中公新書)
続・ウィーン愛憎 ヨーロッパ、家族、そして私 (中公新書1770)

○著者: 中島義道
○出版: 中央公論新社 (2004/10,新書 225ページ))
○価格: 777円
○ISBN: 978-4121017703
おすすめ度:3.5
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ウィーン愛憎 ヨーロッパ精神との格闘 (中公新書、1990/1)』から一四年、続編。一四年(一九七九年一〇月、著者三三歳の時にウィーンに私費留学した時からは二五年!)の歳月を経て(歳をとって)、変わったのは、ウィーンなのか、ヨーロッパにおける日本の位置づけなのか、著者なのか、家族なのか、、、(サブタイトルにおいて「そして私」の『私』は最後のおまけのつけたし、ではなく、とっておきのもっとも大切な『私』と解してよいのか?!)。そもそも「変わらないことなど、ない!」と言いたいところではあるが、「そんなに簡単に変われるものなのか?」という疑問がないわけでもない。
ところで、つくづく不思議に思う(だから思索する)のだが、『結婚』って何だろうと考えて、ひとつ重要なこととしての「生殖」(が適切か?!)があろうか。街で見かける、幼い子供を連れた家族。幸せそうな雰囲気を漂わせるファミリーがあり、しかし親の一方または双方が険悪な雰囲気のファミリーも少なくない。かつての同僚で(業界的に再婚率?!が低くない)、二度目の結婚の奥さんとは(必ずしも温厚なだけの男ではない)、「一度も喧嘩らしきものをしたことがない」と言っていた言葉を、そのままに受け取ることはできないのかもしれないけれども、子どもにも恵まれて、確かに幸せそうな家庭を育んでいる(ように見えた)。その前後に興味を抱いて既婚者の男の数名に聞いてみたところ、やはり他にも「ほとんど喧嘩らしきものはしない(喧嘩にならない)」という回答を得て驚いた記憶がある(その他の多くは、当然のように喧嘩すると聞いて妙にホッとした!?)。


≪目次: ≫
一、一〇年ぶりのドナウ川
ああ、ドナウ川だ!/ブリュッセル/一杯のコーヒー/なんとすべては快適なのだろう!/フランクフルト上空で/雨のウィーン/この一〇年間はなかったのかもしれない/ウィーンはずいぶんきれいになった/かつての下宿アウマンプラッツを訪ねて/傷つき呻き声を上げていたあのころ/新しいウィーン日本人学校/旧東ドイツに旅立つ/強制収容所のようなホテル/ゲーテの庭園の館/妻と息子がやって来る/ヴェネチア旅行
二、ウィーン半移住計画
ウィーンで書く/夏休みという危機/お父さんのお守り/妻子をウィーンに呼ぶ/バイエルンミュンヘンの見学/マンネリ化/無謀な計画/「ねえ、私ウィーンに住みたいの」/「もう親でもない! 子でもない!」/学術振興会の在外研究員に選ばれる/息子を英会話教室に通わせる/ドイツ語の特訓/ドイツ文学教養コース/息子とふたりで成田を出発
三、フンガーベルク通りの家
ホテル「カイザー」のメゾネットへ/格安の門出祝い/家を血まなこで探す/すばらしい屋上/時間がない!/契約成立/フンガーベルク通りの家への引っ越し/四七箇の段ボール箱/ふたたびウィーンへ/なだらかな丘に広がるキャンパス/この道をずっと行くよりほかはない
四、妻の大事故
「ママが入院して面会謝絶だよ!」/息子も倒れる/私もあわや死にそうだった
五、アメリカン・インターナショナル・スクール
「あと三本鉄棒が入っているのよ」/リハビリ/「受かったらしいぞ」/送金した二〇〇万円が別の口座に入ってしまう!/二〇万円の損失?/AISガイダンス/アメリカのスーダン攻撃/アメリカ人の母親たちの集まり/秋の遠足/サッカーの遠征試合/熱心な家庭教師/オープンハウス/ペアレンツ・コンファレンス
六、あたかも大学生のように
ストライキの中の自主ゼミの体験/「ソクラテスよ、なぜですか?」/中高年在外研究者の実像/苦労しよう!/おびただしい数の授業に出る/学生たちの驚くべき行儀の悪さ!/ヨーロッパ中心主義に対する過度の「反省」/相互文化哲学とは何か?/ヨーロッパ中心主義の最終形態?/学生であふれかえる「禅」の授業/ヤパノロギー(日本学)の地位向上/「できれば、日本に行きたいです」/上級日本語の授業風景/ランチボックス・ユニバーシティー/タチション、ツレション
七、ウィーンの街の物語
一〇〇軒はある寿司屋/「熱燗二合」がわからない日本料理のウェイター/大相撲の結果までテレビで観られる/原節子のしゃべり方は「おかしい!」/はるかに「音」が増えた/音に鈍感なウィーン人たち/階下の家との死闘/私は古典的ヨーロッパ人?/古きよきウィーンの滅亡?/「十九区婦人」の絶滅/物は便利になり、人は粗暴になる/老人に席を譲らない若者たち/「チャンチュンチョン」がほぼ消滅する/依然として残る「カフカの世界」/ビザの更新をめぐる大紛糾
八、ウィーン家族
仕事ができない!/コーベンツル通りの家/それぞれの道
あとがき(二〇〇四年八月末 ひさしぶりにひとりで過ごすウィーンのわが家で 中島義道)


≪著者: ≫ 中島義道 (なかじま・よしみち) 1946年(昭和21年)福岡県に生まれる.1971年,東京大学教養学部教養学科卒業.76年,東京大学法学部卒業.77年,東京大学大学院人文学科学研究科修士課程修了.83年,ウィーン大学基礎総合学部哲学科修了(哲学博士).現在,電気通信大学教授.専攻,哲学,コミュニケーション論.編著『カントの時間論』(岩波現代文庫),『ウィーン愛憎』(中公新書),『哲学の教科書』(講談社学術文庫),『うるさい日本の私』(新潮文庫),『人生を〈半分〉降りる』(新潮社OH!文庫),『〈対話〉のない社会』(PHP新書),『孤独について』(文春新書),『ひとを〈嫌う〉ということ』(角川文庫),『私の嫌いな10の言葉』(新潮文庫),『働くことがイヤな人のための本』(新潮文庫),『カイン』(講談社),『不幸論』(PHP新書)ほか


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本「ドリアン・グレイの肖像  Title:THE PICTURE OF DORIAN GRAY 1891 Author:Oscar Wilde (光文社古典新訳文庫)」ワイルド、仁木めぐみ 訳5

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ドリアン・グレイの肖像 (光文社古典新訳文庫)
ドリアン・グレイの肖像  Title:THE PICTURE OF DORIAN GRAY 1891 Author:Oscar Wilde (光文社古典新訳文庫)

○著者: ワイルド、仁木めぐみ 訳
○出版: 光文社 (2006/12,文庫 447ページ)
○価格: 780円
○ISBN: 978-4334751180
おすすめ度: 4.5
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「なんと悲しいことなんだ」ドリアン・グレイは自分の肖像から目を離さずに言った。「なんと悲しいことなんだ! 僕は歳を取っていく。そして醜い姿になっていく。この絵は若さを失わない。六月のある日以上に決して歳をとることはないんだ……。これが反対だったらいいのに! いつまでも若さを失わないのが僕のほうで、この絵が老いていけばいいのに! そうできるなら、そのためなら、僕は何だって差し出すよ。そうさ、この世の何だって差し出す! 魂だって差し出すよ!」  (P.56)

いや、じっさい、ドリアンの心の中で一番重いのはバジル・ホールワードの死ではないのだ。生ける屍となっている自分の魂について、もっとも悩んでいるのだ。(中略)殺してしまったのは純粋に瞬間的な狂気のせいだ。(中略)自分には関係がない。  (P.413)

美しいもの(快)への執着と、醜いもの(老醜、不快)へのおそれ。


≪目次: ≫

ドリアン・グレイの肖像』 The Picture of Dorian Gray 1891

解説……日高真帆(清泉女子大学専任講師)
ワイルド年譜
訳者あとがき(二〇〇六年十月)


≪著者: ≫ オスカー・ワイルド Oscar Wilde [1854−1900] アイルランド出身の作家・劇作家。外科医で著述家の父と、詩人であった母との間に次男として生まれる。自身の唱える芸術至上主義を身をもって実践し、ロンドン社交界で人気者となる。29歳で結婚。『サロメ』『ウィンダミア卿夫人の扇』などの話題作を発表し時代の寵児となるが、同性愛の罪で逮捕・投獄。出獄後フランスに渡るも、3年後の1900年、パリにて客死。

[訳者] 仁木めぐみ Niki Megumi 翻訳家。主な訳書に『ローマ人が歩いた地中海』(T・ペロテット)、『琥珀蒐集クラブ』(S・ベリー)、『ナイトクラブの罠』(H・ローウェル)、『悪魔のピクニック』(T・グレスゴー)など。


Dianthus superbus var. longicalycinus





本「セネカ入門 セネカと私」茂手木元蔵5

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セネカ入門 セネカと私
セネカ入門 セネカと私

○著者: 茂手木元蔵
○出版: 東海大学出版会 (1994/6,単行本 207ページ)
○価格: 1,890円
○ISBN: 978-4486012740
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およそ二十年の間セネカを翻訳し続け、その最後の『自然研究』を訳し終ってホッとしていたら、「セネカ入門」を書けという。困ったことになったという思いで、直ぐには返事が出来なかった。
入門書なるものを私はかつて書いたことはない。そういう類いのものは、ややもすると毒にも薬にもならないようなダイジェスト版に陥る危険がある。大思想や大著作のすべてを、限られた頁数の中にあんばい良く納めようとすれば、いきおいそうならざるを得ない。入門書がそういうものであってよいとは思わない。
一体セネカのような思想は、たとえ一篇でも二篇でも、まず本文を読んでみることである。その方が入門書や解説書を一冊読むよりも、ずっと良くセネカを理解させ、興味も湧いてくる。難解なところはあっても(翻訳の不完全なところもあるが)そんなところは飛ばしても、まず全篇を読了した方がよい。セネカに限らず名著には一方に難解なところがある。むしろ始めから苦労して読む方が、それだけ多く教えられるところがある。 (P.1-P.2)

ルキウス・アンナエウス・セネカ(Lucius Annaeus Seneca、 紀元前1年頃-65年4月)

そう、中島義道はその著書『人生を〈半分〉降りる 哲学的生き方のすすめ (ちくま文庫、2008/1)』の冒頭より(著書全般にわたって)セネカを軸に「哲学的な生き方」としての〈半穏遁〉を解いた。
セネカは、いかに時間が大切か言葉を尽くして語っています。彼の言う時間とは「余暇(Otium)」と言いかえてもよく、公的なことや義務的なことのために使う時間ではなく、「自分のために使う時間」のことです。ほんとうに、彼はあたりまえのことを言っているのに、多くの人は彼の言葉にうなずきつつ反対のことをなしている。そして、そのまま死んでゆくのです。  (『人生を〈半分〉降りる 哲学的生き方のすすめ (ちくま文庫、2008/1)』 P.9)



≪目次: ≫
第一章 はじめに
入門書というもの/私のセネカ入門
第二章 日本人のセネカ「入門」
中学生の作文/大正の多忙な成金時代以降/時間を上手に使う/大正時代のセネカ邦訳書/昭和初年のセネカ邦訳書/セネカ理解と中国思想/ラテン語原典訳/日本人の西洋哲学の取り入れ方/日本の西洋文化輸入のデメリット/日本の多忙な時代
第三章 私のセネカ翻訳の動機
昭和初年不況時代の哲学学生/哲学はドイツ哲学の代名詞/哲学の本流から外れていたヘレニズム哲学/趣味のセネカ翻訳/セネカの主要著作一覧表
第四章 多忙な時代とセネカ
一般人のセネカへの関心/ローマの繁栄とその内面/暇な生活/暇、ないし余暇/余暇を選ぶ/余暇(otium)とは何か/アリストテレスの「余暇」観/アリストテレスとセネカの「余暇」観の相違/尊敬すべきローマの英雄たち/セネカに影響されたフランシス・ベイコン
第五章 人間本来の仕事
セネカ思想の要点/勇気で満たす哲学/不幸に対する「戦闘」の哲学/セネカの言う賢者(sapiens)/セネカのアリストテレス批判/アリストテレスの「四原因」/形相と形態/セネカの「目的因」/能動的理性(ratio faciens)/ベイコンのギリシア哲学批判
第六章 感心か、感動か
わが子を失った親の悲しみ/過度の悲しみは自然の情に反する妄念/時が悲しみを和らげる前に放棄すること/不幸は自然の命令ではなく、運命の不意の支配/運命による災いは万人に起こる/運命の借り物は、いつか元に戻される/運命の冷酷さと気紛れさ/人間とは何か/わが子を育てたこと自体が報酬/悲しむべきは人生の全体/死を如何に見るか。「善悪無縁」の思想/亡き子への賞賛/魂の宇宙への参加
第七章 自然と運命
ストア派の自然観/ストア派出現の由来(理性より感性へ)/「自然に従って生きる」/パンと水と幸福/心の中で成熟した理性の要求するもの/難しいアリストテレスの「自然」の定義/分かり易いセネカの「自然」の説明/「自然」の認識は哲学の勉強に通ずる/自然に従う善と、自然に反する善/自然に従って生きることに貪欲は無関係/ストア派の運命感/自然の必然と運命の偶然/運命の暴力に対する備えは平穏の時から/運命と理性
第八章 死生観
セネカの死/死期迫るセネカ/「死」その一、西洋古代の死生観/ギルガメシュ王の死/『弁明』のソクラテスの死/『パイドン』のソクラテスの死/アリストテレスの死生観/古代ギリシア人と死/「死」その二、ストア派とエピクロス派の死生観/ストア派/エピクロス派/ヘレニズム哲学の末期状況/「死」その三、セネカの死生観/死は、それ以前に善く生きること/毎日毎日が死/善く生きるとは/「余暇」の生活/哲学の恩恵
第九章 哲学の意義
哲学の三分類/道徳の哲学/哲学は英知への愛/哲学以外の「自由な勉強」の目的/「自由な勉強」は徳への用意/哲学の本質/本質を知る観察と類推/理性(ratio)
第一〇章 自然現象と道徳生活
自然科学の大要/神の本性の研究/神の本性と人間の本性/大気圏の火、ないし光、特に虹/虹と鏡/鏡の悪用/鏡は鑑(かがみ)/贅沢な鏡/阿諛(あゆ)と追従(ついしょう)/松岡洋右が騙されたスターリンの「お愛想ぶり」/電光と雷/陸地の水/ナイル川/雹(ひょう)と雪/風のいろいろ/地震/彗星/セネカの自然研究の学的水準/評価と教訓/文理両学の統合/自然災害への対応/学問、原理の探究/自然科学物語的教科書/生き物のような自然現象/宇宙の謎は永遠の謎/あとがき/セネカの顔


≪著者: ≫ 茂手木元蔵 (もてぎ・もとぞう) 1912年,山梨県甲府市生まれ。東京大学文学部哲学科卒業。横浜市立大学名誉教授。著書(主著)『アリストテレス大道徳学研究』(快楽論および運命論)理想社、(主翻訳)アリストテレス全集(14)『大道徳学,エウデモス倫理学,徳と悪徳について』『人生の短さについて、他二篇(『心の平静について』『幸福な人生について』)』『怒りについて、他一篇(『神慮について』)』岩波書店,セネカ『道徳論集(全)』『道徳書簡集(全)――倫理の手紙集』『自然研究(全)――自然現象と道徳生活』東海大学出版会,その他の著書,論文,句集など。


Larus




本「小さな国の大きな奇跡 キューバ人が心豊かに暮らす理由」吉田沙由里5

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小さな国の大きな奇跡-キューバ人が心豊かに暮らす理由
小さな国の大きな奇跡 キューバ人が心豊かに暮らす理由

○著者: 吉田沙由里(NPO法人アテナ・ジャパン代表)
○出版: WAVE出版 (2008/5,単行本 222ページ)
○価格: 1,680円
○ISBN: 978-4872903508
おすすめ度: 4.0
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キューバ(República de Cuba)♪

≪目次: ≫
はじめに
プロローグ――長い旅の始まり
ハバナへ向って/セピアの街から始まった旅
1 ALWAYS――小さな国のささやかな暮らし
ALWAYS 人情味あふれるハバナの街で/4世代9人2万円の生活――グラナド家の一日/食の好みは保守派?――キューバの食卓/2つの通貨、2つの値段/生きる奇跡のクラシックカー/世界遺産に暮らす人々/「もったいない」の精神/子供は世界の希望/キューバ人の怖いものは?/キューバ人は3度結婚する?/たくましい男と美しい女の関係/性教育は国家のプログラム/カリブ海の日本に!
2 奇跡を生んだヒーローたち――小さな国の歩んできた道
社会主義って?/老人と革命/キューバ独立の使徒ホセ・マルティ/世界で一番かっこいい男、チェ・ゲバラの理念/愛される権力者、フィデルという男/日系移民の戦い/アメリカがキューバを憎むわけ/帰らなかった亡命者
3 反格差社会に生きる幸福――小さな国の生きる知恵
経済難民たちが見た現実/亡命とマクドナルド/増幅する経済格差/社会主義の中の資本主義社会/有機農業で自給自足!/地球温暖化とエネルギー革命/社会をケアするソーシャルワーカー/明日できることは今日するな!
4 祈りとプライド――小さな国の文化と教育
愛しのブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ/音と踊りと祈りと/信じるものは己の力!/教育はすべて無償!/野菜好きの子供を育てる――小学校の食育/フィデルが育てたアーティスト――芸術に酔いしれる国/天才を生みだすシステム/国技は野球
5 世界をリードする医療と国際貢献――小さな国の大きな奇蹟
世界でも長寿の国、キューバ/国民が餓死しなかったわけ/最高の制度と悲惨な設備/よみがえる伝統的自然医療/世界を救う人道的国際貢献/他国のために医師を育てる――ラテンアメリカ医科大学の試み/800万人に光を!――奇跡の計画/チェルノブイリの子供たち――タララ診療所/ヘンリ・リーブ国際救助隊/サハラの子供たち――教育支援プログラム

特別寄稿 チェ・ゲバラがつないだ私と日本……アレイダ・ゲバラ

おわりに(二〇〇八年四月 吉田沙由里)


≪著者: ≫ 吉田沙由里 (よしだ・さゆり) 奈良県出身。海外を中心にヘアメーク、ビデオ制作、ジャーナリスト、絵画、執筆などの活動を行う。OL経験を経て、2007年、「ひとりの想いが世界を変える」をコンセプトに、広島とキューバを平和の灯でつなぐ「世界ともしびプロジェクト」を推進するNPO法人アテナ・ジャパンを設立し、代表を務める。


カマキリ



本「人生を〈半分〉降りる 哲学的生き方のすすめ (ちくま文庫)」中島義道5

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人生を「半分」降りる―哲学的生き方のすすめ (ちくま文庫)
人生を〈半分〉降りる 哲学的生き方のすすめ (ちくま文庫)

○著者: 中島義道
○出版: 筑摩書房 (2008/1,文庫 286ページ)
○価格: 735円
○ISBN: 978-4480424129
おすすめ度: 5.0
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ぼくは自分自身の『不幸』さについて自覚する必要があるのかもしれない。
ぼくは、不幸な自分自身を直視することを避けて、ときにおどけて「幸福」(な風)を装ってみたりする。世の中には、ぼくよりもっと不幸な人たちが大勢いる、だからぼくはその人たちと比較して、不幸とは言えないのではないか、それゆえに、ぼくは不幸ではなく、不幸ではないということは幸福であろう、と(強引にも無理を承知で)。さらには、「不幸」って世間体として恥ずかしいもの、という印象をぼく自身が潜在的に抱いているのであろう、不幸であってはいけない、自らが不幸であると口外することはいけないこと、恥ずかしいこと、という固定概念があることも否定できない。そして、自ら「不幸であること」を口外しちゃったら、まさに紛れもなく不幸であるぼくは、その忌避すべき不幸の重圧に耐えることができない、自己防衛から拒否反応を示しているのかもしれない。おどけて、軽薄にも「幸福」を口にすることの、ウソ、欺瞞。誠実にありたいと心掛けるぼくは、そのじつ誰よりも不誠実な偽善者なのかもしれない。
しかし、全身に不幸や悲壮感を漂わせて、周囲に不幸を嘆きつづけて生きるのも、きっと違うような気がする(あぁもうわからない)。不幸は、誰にとってもけっして心地好いものではない(はずだ)から、一般的には不快な印象を受ける不幸な人とは、関わりたくないのが本音であろう。ぼくだって、不幸な人と積極的に関わりたいとは思わない、自然に避ける。しかし、仮に本音がそうであっても、ホントに不幸な人(自らの意思とかかわりなく誰の身にもふりかかる可能性がある)は、ぼくだって何とかしてあげたいと思わないことがないわけではない(と思う)。そうして、ホントに不幸な人は、その不幸を抱え込んで苦悶して死んでしまう前には、一般的には(不幸のままに死んでしまう人もいるであろうが)善意の他者の救済が受けられる(のかもしれない)。自らの不幸を表出することがない人は、そういう意味においてはホントに不幸ではないのかもしれないし、仮にホントに不幸であったとしても他者の救済を必要としない強さ(精神的・経済的)を持ち合わせている、ともいえるのかもしれない。

与えられた「今ここ」に立脚して自分の「私的な問題」から眼を逸らさず、ごまかさずにそれと格闘すること、それがすべてです。 (P.179)



≪目次: ≫
プロローグ あなたはまもなく死んでしまう
自分のための時間を確保せよ/帰りなんいざ/スピノザルソー/何をすべきではないか/公職から離れる/実在論者と唯名論者/実感の相違/社会的に有益な仕事から手を引く/研究のための時間は自分のための時間ではない
一章 「繊細な精神」のすすめ
繊細な精神と思いやりの精神/学者を分類する/ものを書けば書くほど考えなくなる/「名前を知られたい」という愚かしさ/もの書きのモラル/「高級な会話」のイヤラシサ/「日常生活」から眼を離してはならない/モラリストスノッブ類型学/暴力的な「和」の雰囲気/「明るさ」の重荷
二章 「批判精神」のすすめ
理性の自己批判/一流の学者や芸術家が陥る罠/芥川と三島/トンカツの男女同権/ユマニストの傲慢さ/なぜ男はスカートをはかないのか/善人たち、ああ善人たち!/専門バカ/膨大な論文の生産/蛭の脳髄学者の叫び/ニーチェを「研究する」おかしさ/哲学研究者になるためには/語ることと行うこと/哲学者とその生活/学者の生態/名誉を求める戦い/自分はいかにエライか/人間嫌いは人間好きである
三章 「懐疑精神」のすすめ
デカルトの懐疑/モリヌークス問題/理性理論と実践理論/なぜ嘘をついてはいけないのか/今ここで何をすべきか/道徳的行為と自負心/正しいことをしようとする者は正しくない/勝つことは醜い/勝者と敗者の力学/「戦い」はわれわれの「自然」である/気を紛らすこと/アンドレイ公爵の呟き/人間のなすことで不可解なことはない/哲学の誤りは滑稽なだけ/だれも哲学などに期待していない/哲学は無用である/哲学の道場「無用塾」
四章 「自己中心主義」のすすめ
「自己中心的な生き方」は嫌われる/テスト氏の自己探究/「私」という謎/私の過去/世間一般とのズレを伸ばす/自宅に閉じこもる/シュジュギュイ=子供/純粋なシュジュギュイたち/「純粋な」青年の自殺/女性は性的存在である/女性は非哲学的?/女性嫌悪と女性恐怖
五章 「世間と妥協しないこと」のすすめ
「献本」されると窮地に陥る/ウソばっかりの出版記念会/廣松渉先生の退官にあたって/〈半穏遁〉と職業/みんなが〈半穏遁〉する心配はない/哲学をしたければしなさい!/世間が許さない?/最大の敵は親である/「恩」は与えたくも受けたくもない/「恩」はほんとうのことを言わせなくする/他人を避ける/「会いたくない」権利の尊重/「会いたくない」ことをどう伝えるか/「偏食」の思想/社会から転落する
六章 「不幸を自覚すること」のすすめ
エピローグ そして、あなたはまもなく死んでしまう

引用文献一覧
あとがき(一九九七年 如月 中島義道)
解説……哲学者ではないが哲学的であるということ(中野翠 二〇〇〇年八月)
ちくま文庫版へのあとがき(二〇〇七年師走 還暦を過ぎても、「耳順(したが)う」こともなく…… 中島義道)

*本書は一九九七年五月、ナカニシヤ出版より刊行された。


≪著者: ≫ 中島義道 (なかじま・よしみち) 1946年福岡県生まれ。77年、東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。83年、ウィーン大学基礎総合学部修了(哲学博士)。現在は電気通信大学教授。主な著書に『哲学の道場』(ちくま新書)、『哲学者とは何か』『たまたま地上にぼくは生まれた』(いずれも、ちくま文庫)、『時間論』『カントの法論』(いずれも、ちくま学芸文庫)、『悪について』(岩波新書)『孤独について』(文春新書)『ウィーン愛憎』(中公新書)、『哲学の教科書』(講談社学術文庫)などがある。


Tokyo Tower




本「月と六ペンス  Title:THE MOON AND SIXPENCE 1919 Author:William Somerset Maugham (光文社古典新訳文庫)」モーム、土屋政雄 訳5

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月と六ペンス (光文社古典新訳文庫)
月と六ペンス  Title:THE MOON AND SIXPENCE 1919 Author:William Somerset Maugham (光文社古典新訳文庫)

○著者: モーム土屋政雄
○出版: 光文社 (2008/6,文庫 433ページ)
○価格: 800円
○ISBN: 978-4334751586
おすすめ度: 4.5
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ジンチョウゲのつぼみを見つけたよ♪」、ぼくは寒いのが大嫌い。冷え症で低血圧(血液をおくるポンプの機能が劣っている?!)からか、手足が冷たくなってしびれて痛くなる。だから冬は好きじゃない。けどね、ユリオプスデイジーの黄色い花は冷たい風に負けじと揺られながらも咲きほこっている(葉や茎は白い毛に護られて?!)。梅のつぼみも膨らんでいたよ。そう考えると冬も悪くない、春がたのしみだなぁ♪、ジンチョウゲの赤い、ちょっとグロテスクにも見えるつぼみは、そのうちにあま〜い匂いを漂わせる小さな白い花を咲かせるよ。ジンチョウゲの花そのものは、どうってこともない小さな小さな色気のない花なんだけど、あの花の匂いにはぼくの足を止めさせる、心を惹きつけるなにかがあるんだよねぇ♪、あぁ堪らないなぁ〜。そういえば最近、自転車(クロスバイク)に乗って速く走ることに夢中になって、ゆっくり立ち止まって花を愛でる機会を失していたなぁ、、、
などと感傷にひたっている場合ではない。しかし、泣いちゃったよ。ぐいぐい物語に引き込まれて、読み進めたくて堪らなくて、地下鉄の通路を歩きながら(意外に貴重な読書タイム)後半の部分を読んでいたときに、人通りが少ないことをいいことに込み上げてくるものを我慢しきれない。どうして我慢する必要があろうか。さすがにウルッとするだけに止めて鼻をすすって涙は数滴だけにしておいたけど、まぁ簡単に感動しちゃうのも考えものだけど、あぁ堪らない。付箋を貼った(書き抜きたい)個所は数知れず、ステキに響くフレーズは数々あれど、さすが含蓄のある解説を読んじゃったら、なんだか簡単に書き抜く(抜粋する)ことが憚られて、かといって簡単には他者に「読め!」と薦めるものでもない。
ところで、長篇の物語のなかに何組かの結婚生活(の破綻?!)が描かれるんだけど、『結婚』(という制度)ってなんだろう?、とか、『愛』ってなに?、ってず〜っと考え続けているぼくが、「なるほど!」と妙に納得しちゃって記憶に残っている論考があって、“橋本治”の最新著書『あなたの苦手な彼女について(ちくま新書、2008/12)』に説かれていた、「『結婚』に求められる要素としての『エンターテイメント性』」。『愛』などという感情は、突発的に盛り上がり、一気に結婚まで進展させるものの、それが人間という不完全な生き物が有する絶対的に安定性を欠く感情である以上、そもそも永く継続されるはずもなく、そう考えるに『愛』が結婚生活を維持させるものではないことは明確であろう。『愛』はあっという間に冷める、新しいモノに興味は移る。故に、相手を飽きさせない、相手の心であり関係をつなぎ止めるためには、とどのつまりが『エンターテイメント性』なんじゃないか!?、と。最低限それくらいのサービス精神を持ち合わせないと、関係(結婚)を維持することはできない。むしろ、愛よりもエンターテイメント性が持続性が高い、ということか。愛も一種のエンターテイメント的な性質をあわせもつとも言えようか?、そもそも人間関係の最も緊密なあり方(共同生活)である側面を考えるに、緊密な人間関係を維持させる(パートナーを飽きさせないための、関係を維持させるためのエンターテイメント性の発揮などの)努力が継続されないこととは、すなわち、その必要性に乏しい、ということでもあろうから、当事者の一方が要求して、もう一方が相手のその要求に応えられないときには、その互いの関係はバランスが崩れることが必至であり、特別な事情でもない限り、維持されている状態の方が不自然でもあろう。変化することは自然なことであり、永遠に不変なものなどないんだろうなぁ、、、


≪目次: ≫

月と六ペンス』 The Moon and Sixpence 1919

解説……松本朗(上智大学准教授)
ウィリアム・サマセット・モームの生涯/「ある天才芸術家の肖像」に隠された物語/「ある天才芸術家の肖像」の外枠――グローバルな世界の変容
モーム年譜
訳者あとがき
(二〇〇八年四月 土屋政雄)


≪著者: ≫ ウィリアム・サマセット・モーム William Somerset Maugham [1874-1965] イギリスの劇作家、小説家。イギリス人の両親のもと、フランスで生まれ、イギリスへ転居。当初医者を目指したが、その後劇作家として成功し、心理小説、スパイ小説などを執筆した。第一次世界大戦中は情報部に勤務し、諜報活動に従事した。45歳のときに、画家のポール・ゴーギャンをモデルにした『月と六ペンス』が刊行される。ほかの作品に『魔術師』『人間の絆』『かみそりの刃』など。

[訳者] 土屋政雄 (つちや まさお) 翻訳家。訳書に『コンゴ・ジャーニー』(レドモンド・オハンロン)、『エデンの東』(ジョン・スタインベック)、『日の名残り』『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ)、『日本文学の歴史 古代・中世篇』(ドナルド・キーン)、『イギリス人の患者』(マイケル・オンダーチェ)ほか多数。


ジンチョウゲ




本「プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか?  PROUST AND THE SQUID : The STORY and SCIENCE of the READING BRAIN」メアリアン・ウルフ、小松淳子 訳5

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プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか?  PROUST AND THE SQUID : The STORY and SCIENCE of the READING BRAIN
書評/サイエンス
Amazonで購入 おすすめ度: 4.0
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ぼくが日々読書に勤しむ理由のひとつには、「こんなぼくでもこの世の中に存在しちゃっていいのかも」という解放というのか、救いが得られる(?!と感じる)ということがあったりする。そんなこともあって自ら好んでほぼ毎日一冊以上の読書を自らに課し続けて約二年以上。ところが読書に慣れて読むスピードがあがった今でも、理解に自信が抱けない。不安症であることを差し引いても、わかった!、という感覚など到底持ちえない。とくにカタカナ表記が苦手で、たとえば『ディスレクシア』はどうしても『ディスクレシア』と混同してしまう。途中でハッと「あれっ、これって『ディスクレシア』じゃなくて『ディスレクシア』かも!?」などと気が付くのだが、そうするとますます混乱して、「あれっ、どっちだ?」と気になって読み進めることができなくなる。『ジャック・デリダ』(正)か『ジャック・ダリデ』(誤)なのか。右と左がどっちがRでLなのかわからない。i-Podのヘッドフォンを装着する時にも、今は文字が擦れて判読不能になったために形状で判別することによって事なきを得ているのだが、右利きのぼくは右側から装着することが常であるため先に装着する方をR(right)と覚えた(今では忘れてしまったので、このためにWeb上で調べた)。『りえ』と『えり』は覚えられない。無理に覚えようとしたり判別しようと試みると、そのことに注意が向きすぎて、本来すべきことが疎かになってしまう。脳科学者の池谷裕二も、その著書で掛け算の九九ができない(覚えられない)、と言っていたが、計算するときには九九を使わない方法で対処するために、とくに不都合は生じないのだそうだ。そう考えるに、必要な時に何らかの方法で対応することにして現時点では気にしないことが、じつはもっともベストな選択だったりする。を理由にしたぼくは、内容の理解が得られなくても読み進める、という読書方法を採用していることを隠すつもりがない(いちいち言う必要もなかろうが)。それは生物の多様性(の必要性)によっても担保される。

本書では、読字のまったく異なる二つの側面を説明するため、メタファーとしては有名なフランスの作家マルセル・プルーストを、また、研究例としては非常に過小評価されているイカを取り上げてみる。 (P.20)
そう、光文社古典新訳文庫にラインナップされる『失われた時を求めて』第六篇「消え去ったアルベルチーヌ (光文社古典新訳文庫、プルースト 著、高遠弘美 訳、2008/5)」を読んで、「なんだかよくわからないけれども、『失われた時を求めて』全篇に挑んでみたいなぁ」と思ってしまったぼく♪


≪目次: ≫
はじめに
Part機’召呂匹里茲Δ砲靴篤匹瀛を学んだか?
第1章 プルーストイカに学ぶ

文字を読む脳とニューロンのリサイクリング/口承の文化から文字の文化へ、文字の文化から新たな文化へ/読み方を学ぶ幼い脳――生後五年間の環境が将来を左右する/ディスレクシア(読字障害)と情報インテラシー
第2章 古代の文字はどのように脳を変えたのか?
“読むこと”の始まり/人類が初めて口にした言葉?/文字の起源――シンボルと認知の飛躍的向上/楔形文字――ロゴシラバリーの登場と脳内回路の拡張/現代の最先端を既に実践していたシュメールの読字教育/シュメール語からアッカド語へ/ヒエログリフが育んだ活発な脳/竜骨・亀甲・結縄――他の古代書記体系にに見られる興味深いサイン
第3章 アルファベットの誕生とソクラテスの主張
初期アルファベットとその特徴/アルファベットの成り立ち/アルファベットを読む脳は、優れているのか?/ソクラテスはなぜ書き言葉の普及を非難したのか

Part供’召論長につれてどのように読み方を学ぶか?
第4章 読字の発達の始まり――それとも、始まらない?

小児期を分ける二つのシナリオ/第一のシナリオ――早期リテラシーの大切さ/第二のシナリオ――恵まれない読字環境
第5章 子どもの読み方の発達史――脳領域の新たな接続
私の“マドレーヌ”を探して/文字を読む発達のプロセス――それは奇跡のような物語/読字発達にかかわる五つのタイプ/まだ文字を読めない子ども/読字初心者の段階/“解読に取り組んでいる読み手”の段階
第6章 熟達した読み手の脳
アメリカの子どもの四〇パーセントは“学習不振児”/“流暢な解読者”から“戦略的な読み手”へ/熟達した読み手の脳とは?

Part掘’召読み方を学習できない場合
第7章 ディスレクシア(読字障害)のジグソーパズル

ディスレクシアを見直す/ディスレクシアになる四つの原因/遺伝子原因説の検討/ディスレクシアの歴史からわかること
第8章 遺伝子と才能とディスレクシア
エジソンダ・ヴィンチアインシュタインもディスレクシアだった/複数の遺伝子座の関与
第9章 結論――文字を読む脳から“来るべきもの”へ
“より多く、より速い”はよいことか?/オンライン・リテラシーの進展によって何が失われるのか?/知的潜在能力を伸ばせているか?/“超越して思考する時間”という贈り物/読者へ――最後に考えていただきたいこと

謝辞
注・参考文献、転載の許諾
解説(本書出版プロデューサー 真柴隆弘)


≪著者: ≫ メアリアン・ウルフ (Maryanne Wolf) タフツ大学のエリオット・ピアソン小児発達学部教授、読字・言語研究センター所長。専門は認知神経科学、発達心理学、ディスレクシア研究。優れた業績により、アメリカ心理学会、国際ディスレクシア協会、アメリカ国立小児保健・人間発達研究所などより数々の賞を受賞している。本書も、読字に関する最良図書としてマーゴット・マレク賞を受賞。米・マサチューセッツ州ケンブリッジ在住。

[訳者] 小松淳子 (こまつ じゅんこ) 翻訳者。訳書に『インナー・ウォーズ――免疫細胞たちの闘い』(ニュートンプレス)、『グレン・グールド 写真による組曲』(アルファベータ)、『オシムが語る』(集英社インターナショナル)、『別冊日経サイエンス:脳から見た心の世界』、『同:進化する脳』、『同:脳と心のミステリー』(日経サイエンス/共訳)など。


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