Gori ≒ ppdwy632

〈ぼく〉の思索の一回性の偶然性の実験場。

2009年03月

本「『カンディード』〈戦争〉を前にした青年 (理想の教室)」水林章5

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『カンディード』〈戦争〉を前にした青年 (理想の教室)
『カンディード』〈戦争〉を前にした青年 (理想の教室)

○著者: 水林章
○出版: みすず書房 (2005/7, 単行本 164ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4622083085
おすすめ度:4.5
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・・・テクストがどのように書かれているのか、その仕組みや構造を明るみにしながら、そこに仕組まれている意味を生み出すメカニズムないし構造を記述し、テクストを理解・説明しようというのです。それがここでいう「じっくり読む」、あるいは「解釈」という行為です。
「解釈する」にあたるフランス語の動詞は interpréter ですね。ところが、フランス語でも英語でも「解釈する」を表すこの動詞は、「演奏する」という意味にもなります。ということは、わたしたちがあるテクストを「解釈する」という行為は、音楽家が楽曲を「演奏する」という行為にたとえることができるということです。これはちょっと面白いですね。音楽の演奏家は、ある作品を演奏するにあたって、まずひとつひとつの音符を読みとってゆく譜読みという作業に多くの時間を割きますが、わたしたちがここで行おうとするのも、この譜読みに似た作業です。
音楽の「演奏」に訓練や練習が必要であることはだれもが認めるでしょう。しかし。テクストの「解釈」となると、言葉はだれでも話せるのだから、だれだったできるはずだと思っていないでしょうか。実は、テクストの「解釈」にも訓練や練習が必要なのだと、わたしは思うのです。この授業はいわばピアノのレッスンみたいなテクストの解釈のレッスンです。
テクストは意味を生み出します。そしてその意味は往々にして、あえて問う必要がないほどの自明のもののように見えます。このとき、わたしたちは生産された意味が浮き上がって見えるのに気を奪われて、生産する装置としてのテクストを忘れてしまいがちです。テクストがいわば不可視の対象になり、不問のまま取り残されるのです。ですからここでは、そういうことがないように、テクストの不透明な物質性、音楽でいえば、楽譜の上の音符のつらなりにあたるものに十分な注意を払うように努めたいと思います。  (P.17-P.18、「第1回 「きれいな戦争?」」)

・・・以上の考察から、もしも、ヨーロッパ「近代」が本格的に始動しようとしていた十八世紀中葉に出現した『カンディード』をあえてひとことで性格づけるという暴挙が許されるならば、私は次のように言ってみたい気がします。『カンディード』とは、あるひとつの世界秩序のなかに置かれている人間の意識の、当の世界秩序を正当化し存立せしめている言語的な体制に対する無自覚な服従からの自由を描くことによって、まさに世界秩序の転換=近代世界の誕生を告知する作品である、と。  (P.124、「第3回 間近から見る戦場」)

ヴォルテール(Voltaire, 1694-1778)


≪目次: ≫
第1回 「きれいな戦争」?
テクストを「読む」ということ/『カンディード』――どんな作品か
機\鐐茲離ぅ瓠璽検憤譟   カフェで労働力を売る/「近代国家」とは何か/身分制社会について/視覚的な美/聴覚的な美/婉曲語法/秩序の感覚/言葉のポリフォニーオクシモロン(撞着語法)/「哲学者のように震える」/「きれいな戦争」
第2回 カンディードは言葉の囚人?
供‐襪寮こΔ旅渋ぁ宗渋莪貍呂鯑匹   城、始まりの世界/コノテーション/登場人物たち/理想の世界/愚弄される世界/破綻の兆候/歴史感覚/崩壊する古い世界/私生児カンディード/語りの構造に目を向ける/二つの語りのスタイル、二つのヴィジョン/時制の不思議――単純過去/時制の不思議――半過去/二つの時制の組み合わせ/世界の初期状態を提示する半過去/単純過去の機能――ロラン・バルトに導かれて/単純過去は物語のしるし/〈静〉と〈動〉のコントラスト/なぜウェストファリアなのか/七年戦争の記憶/共同体から分離された個人/ジュリアンジャン=ジャック/一風変わった教養小説/パングロス――言葉の絶対的支配者/聞く人カンディード/「カンディード」という名前
第3回 間近から見る戦場
掘\鐐茲離ぅ瓠璽検米鵝   逃亡するカンディード/戦争と音楽/変化の兆候――俯瞰的視点から個別的ヴィジョンへ/雑多な事象の散乱/顔、そして苛まれる肉体/断片化される身体/シンメトリックな戦争の野蛮/美的なヴィジョンからの脱却/『ジョヴァンニ・アルノルフィーニとその妻』に見る「入れ子構造」/「鏡」――全体を映し出す細部/「入れ子構造」と作品の主題/テクスト分析をふりかえって――言語的専制からの自由/言説の専制的支配
検,泙箸瓠宗塾鮖砲梁腓な変わり目とその表現   クリティック=批評/兆候としてのテクスト/歴史を読む――兆候的読解/第一の「兆候」――父殺し/第二の「兆候」――パングロスの沈黙/第三の「兆候」――自律へと跳躍するカンディード/自律的個人の誕生/オペラ版『キャンディード』による誤った解釈/退く神
補講 「断片化した身体」から見えてくるもの
兆候としての「断片化した身体」/労働する身体/ミシェル・フーコー『監獄の誕生――監視と懲罰』/「身体」が作られる三つの場所

読書案内
Voltaire, Misromégas, Zading, Candide, Introduction, notes, bibiliographie, chronologie par René Pomeau, Garnier-Flammarion, 1994.
Voltaire, Candie on l'optimisme, suivi du texte apocryphe de 1760, par jena Goldzink, col. Texte et Contextes, Magnard, 1985.
『カンディード』(岩波文庫)、植田祐次訳、二〇〇五年。
ミハイル・バフチン『小説の言葉』(平凡社ライブラリー)、伊藤一郎訳、一九九六年。
ロラン・バルト『零度のエクリチュール』渡辺淳・沢村玉、みすず書房、一九七一年。
エミール・バンヴェニスト『一般言語の諸問題』、河村正夫訳、みすず書房、一九八三年。
テリー・イーグルトン『新訳・文学とは何か』、大橋洋一訳、岩波書店、一九九七年。
大橋洋一『新文学入門――T・イーグルトン『文学とは何か』を読む』、岩波書店、一九九五年。
前田愛『文学テクスト入門』(ちくま学芸文庫)、一九九三年。
ジョナサン・カラー『文学理論』荒井映子・富山多佳夫訳、岩波書店、二〇〇三年。
水林章「構造と錯覚――社会文化史的アプローチとしての「文学研究」についてのノート」、『岩波講座 文学』別巻「文学理論」所収、二〇〇四年。
ジャン・スタロバンスキー『病のうちなる治療薬――啓蒙の時代の人為に対する批判と正当化』、小池健男・川那部保明訳、法政大学出版局、一九九三年。
ジャン・スタロバンスキー『ルソー 透明と障害』、山路昭訳、みすず書房、一九九三年。
ジャン・スタロバンスキー『フランス革命と芸術――一七八九年理性の標章』、井上尭裕訳、法政大学出版局、一九八九年。
ジャン・スタロビンスキー『自由の創出――十八世紀の芸術と思想』、小西嘉幸訳、白水社、一九八二年。
ジャン=マリ・アポストリデス『機械としての王』、水林章訳、みすず書房、一九九六年。
水林章『幸福への意志――〈文明化〉のエクリチュール』、みすず書房、一九九四年。
水林章『ドン・ジュアンの埋葬――モリエール『ドン・ジュアン』における歴史と社会』、山川出版社、一九九六年。
水林章『公衆の誕生、文学の出現――ルソー的経験と現代』、みすず書房、二〇〇三年。
フィリップ・アリエス『〈子供〉の誕生――アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』、杉山光信・杉山恵美子訳、みすず書房、一九八〇年。
オットー・ブルンナー『ヨーロッパ――その歴史と精神』、石井紫郎・石川武他訳、岩波書店、一九七四年。
ミシェル・フーコー『監獄の誕生――監視と処罰』、田村俶訳、新潮社、一九七七年。
ゲルハルト・エーストライヒ「ヨーロッパ絶対主義に関する諸問題」、フリッツ・ハルトゥング他著『伝統社会と近代国家』、成瀬治編訳、岩波書店、一九八二年所収。
ノルベルト・エリアス『文明化の過程(上)――ヨーロッパ上流階層の風俗の変遷』、赤井慧爾・吉田正勝・中村元保訳、法政大学出版会局、二〇〇四年。
ノルベルト・エリアス『文明化の過程(下)――社会の変遷/文明化の理論のための見取図』、波田節夫・羽田洋・溝辺敬一・藤平浩之訳、法政大学出版会局、二〇〇四年。
エドワード・Wサイード『裏切られた民主主義――戦争とプロパガンダ4』、みすず書房、二〇〇三年。
ジル・ドゥルーズ『記号と事件――一九七二〜一九九〇年の対話』、宮林寛訳、河出書房新社、一九九二年。


≪著者: ≫ 水林章 (みずばやし・あきら) 1951年生まれ。東京外国語大学教授。専攻は17-19世紀前半のフランス文学。近世・絶対王制期の西欧に現代の世界システムの直接的な起源があるという視点に立ち、近代成立期のフランス文学・思想を歴史的・社会的変容とのかかわりにおいて読み直す作業を進めている。著書に『幸福への意志――〈文明化〉のエクリチュール』『公衆の誕生、文学の出現――ルソー的経験と現代』(以上、みすず書房)、『ドン・ジュアンの埋葬――モリエール「ドン・ジュアン」における歴史と社会』(山川出版社)ほか。訳書に、ジャン=マリ・アポストリデス『機械としての王』(みすず書房)ほか。


名乗らずとも・・・




本「変身  Franz Kafka, Die Verwandlung (白水uブックス152、カフカ・コレクション)」カフカ、池内紀 訳5

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変身―カフカ・コレクション (白水uブックス)
変身  Franz Kafka, Die Verwandlung (白水uブックス152、カフカ・コレクション)

○著者: フランツ・カフカ池内紀
○出版: 白水社 (2006/3, 新書 147ページ)
○価格: 599円
○ISBN: 978-4560071526
おすすめ度: 4.5
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池内紀”による“フランツ・カフカ(Franz Kafka, 1883-1924)”評伝の集大成(?!)的な著書『カフカの生涯 (新書館、2004)』を読もうと思って、ところが残念なことに(むしろ残念ではないのだが)、ぼくが好んで活用する2カ所の図書館ではいずれも貸し出し中で、なるほど、そうとあれば悩む間もなく早速に、『断食芸人』を読んだ“白水uブックス カフカ・コレクション全8巻”の、その著作を先に読破せよ!、ということだなぁ、と大きくない怒気を込めて、小さくない闘争心を燃やして。しかしまったくなにゆえに、わざわざ怒気やら闘争心をもち出して、ただ認知するのみならず、それを書き記す行為にまで駆り立てるのであろう。その衝動が、ぼくを日々の読書にむかわせる原動力であろうけれども、そもそも衝動であるからして、予測不能であり考察するに値しない、などと切り捨てて、みずからの思考を停止させることをもっとも避けたい。結論めいたものを導き出すことを目的とする必要はないであろうことから、ゆるゆるとあ〜でもなくこ〜でもなくと思索の冒険、アヴァンチュール♪
テクストとしての“フランツ・カフカ”♪

ある朝、グレゴール・ザムザが不安な夢から目を覚ましたところ、ベッドのなかで、自分が途方もない虫に変わっていることに気がついた。甲羅のように固い背中を下にして横になっていた。頭を少しもち上げてみると、こげ茶色をした丸い腹が見えた。アーチ式の段になっていて、その出っぱったところに、ずり落ちかけた毛布がひっかかっている。からだにくらべると、なんともかぼそい無数の脚が、目の前でワヤワヤと動いていた。
「どういうことなんだろう?」
と、彼は思った。夢ではなかった。・・・・  (P.5)


≪目次: ≫
変身 Die Verwandlung

『変身』の読者のために(池内紀)
カフカという人/カフカの作品/『変身』について/フランツ・カフカ 略年譜


≪著者: ≫ フランツ・カフカ (Franz Kafka) 1883‐1924。チェコのプラハに生まれる(当時はオーストリア=ハンガリー帝国領)。両親ともドイツ系ユダヤ人。プラハ大学で法学を専攻。在学中に小説の習作を始める。卒業後は労働者傷害保険協会に勤めながら執筆にはげむ。若くして結核にかかり、41歳で死去。『変身』などわずかな作品をのぞき、そのほとんどは発表されることなくノートに残された。死後、友人マックス・ブロートの手により世に出され、ジョイス、プルーストとならび現代世界文学の最も重要な作家となっている。

[訳者] 池内紀 (いけうち・おさむ) 1940年、兵庫県姫路市生まれ。ドイツ文学者、エッセイスト。主な著訳書:「ウィーンの世紀末」、「二列目の人生」、ゲーテ「ファウスト」他


届かぬ想い♪




本「普遍の再生――普遍を操る権力の恣意と、普遍を殺す知性の恣意。現代を支配する両者は同根である。力への深き欲動である。」井上達夫5

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普遍の再生
普遍の再生
――普遍を操る権力の恣意と、普遍を殺す知性の恣意。現代を支配する両者は同根である。力への深き欲動である。
○著者: 井上達夫
○出版: 岩波書店 (2003/7, 単行本 307ページ)
○価格: 3,360円
○ISBN-13: 978-4000246200
おすすめ度: 5.0
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そうか、天皇の戦争責任って、言われてみれば、たしかに考えれば考えるほどに、問わないことの方が不自然であり、なんら疑うことなく問うことがない姿勢自体を懸念すべきかもしれない。なぁ〜んて、少し前に知り得たぼくが、偉そうな口を叩くことの無自覚。ところが、無自覚さは、完全に否定されるべきものでもないような気がしていて、一定の無自覚な行動が、社会性のようなものを担保して、それなりの方向へと揺り動かして導く原動力へと、善きにつけ悪しきにつけ?!
・・・従って、問題は、天皇に道義的・政治的責任があるか、ではなくて、何故、かくも多くの日本人が天皇の道義的・政治的責任さえ否定したがるのだろうか、である。どす黒いエゴを剥き出しにして世間を渡る我々の薄汚れた良心の慰めとして、幼児のように純粋無垢な存在をどこかに置いておきたい、という気持が底流にあるのかもしれない。それに付き合いたくはないが、理解はできる。・・・
(中略)
・・・天皇の責任として問題にさるべきは、アジア近隣諸国に対する侵略責任は言うまでもなく、国民に対する責任についても、敗北責任ではなく、侵略責任と不可分の不当戦争犠牲責任である。天皇は「敗れたから」責任を問われるのではなく、してはならない不正な侵略戦争をした、あるいは軍部にさせてしまったことにより、国民に多大の犠牲を払わせたから、責任を問われるのである。  (P.40、P.43、第吃 第1章 戦争責任という問題)



≪目次: ≫
序 状況から――「普遍の死」に抗して

第吃堯々餡箸鮑曚普遍
第1章 戦争責任という問題――「昭和末」の狂躁から

1 狂宴の後/2 言論と責任,あるいは言論の責任/3 「悲しく美しい真実」/4 戦争責任の倫理的成立根拠/5 二重戦争観を超えて/6 天皇の責任/7 責任と自己批判/8 そして,これから
〔追記〕 自己肯定と自己否定の罠

第2部 覇権を超える普遍
第2章 アジア的価値論とリベラル・デモクラシー――欧米中心主義をいかに超えるのか

はじめに/1 欧米的規範言語の濫用(国家主権の神聖化 自由に対する生存の優位)/2 オリエンタリズムの呪縛(二つの欧米中心主義批判 アイデンティティの罠)/3 宗教的・文化的多様性の包容(「文明の衝突」を越えて リベラルな多元主義に向けて)/4 個人主義と共同体主義の緊張(欧米の共同体主義とアジアの個人主義 内的緊張の包容と相補化)/おわりに
第3章 グローバル化の両価性
1 国際化からグローバル化への位相変換/2 価値のグローバル化と権力のグローバル化/3 権力のグローバル化に代わるもの

第敬堯‖晋祇を開く普遍
第4章 国民国家の生成と変容――テクストからの展望

はじめに/1 二つの啓蒙,二つの国家観――アダム・スミス『道徳感情論』/2 ナショナリズムの象徴学――ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』/3 ナショナリズムの社会学――アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』/4 リベラル・ナショナリズムと多文化主義の接合――ウィル・キムリッカ『固有語による政治』
第5章 多文化主義の政治哲学――多文化共生への三つの思想戦略
1 多文化主義の問題性/2 アイデンティティの三極構造/3 対立連携の錯綜――問題複合の解析/4 自律と多様性
第6章 フェミニズムとリベラリズム
はじめに/1 思想と現実の乖離――二つの応答/2 ミルの女性解放論と改革実践の重層化――飛躍論証が隠蔽する可能性/3 第二波フェミニズムの両極分解とその克服
第7章 普遍の再生――歴史的文脈主義から内発的普遍主義へ
1 あるシュンポシュオン/2 歴史的文脈主義の虚妄/3 内発的普遍主義に向けて


あとがき
(二〇〇三年六月 紫陽花が濡れ輝く頃に 井上達夫)


≪著者: ≫ 井上達夫 (いのうえ たつお) 1954年生まれ.専攻,法哲学.東京大学法学部卒業.現在,東京大学大学院法学政治学研究科教授.主著:『共生の作法――会話としての正義』(創文社),『共生への冒険』(共著,毎日新聞社),『自由・権力・ユートピア』(「新・哲学講義7」共著,岩波書店),『他者への自由――公共性の哲学としてのリベラリズム』(創文社),『変容するアジアの法と哲学』(共編著,有斐閣),『法の臨界』(全3巻,共編著,東京大学出版会),『現代の貧困』(「双書 現代の哲学」岩波書店).
現代の貧困 (岩波書店 、2001)』
自由論 (双書哲学塾、岩波書店、2008)』


かぜにまけるなベイヴィ〜♪




本「声と現象 フッサールの現象学における記号の問題入門  Jacques Derrida, La voix et le phénomène――Introduction au problème du signe dans la phénoménologie de Husserl (ちくま学芸文庫)」ジャック・デリダ、林好雄 訳5

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声と現象 (ちくま学芸文庫)
声と現象 フッサールの現象学における記号の問題入門  Jacques Derrida, La voix et le phénomène――Introduction au problème du signe dans la phénoménologie de Husserl (Presses Universitaires de France, 1 édition: 1967, 2 édition corrigée: 1998, 3 édition: 2003) (ちくま学芸文庫)

○著者: ジャック・デリダ林好雄
○出版: 筑摩書房 (2005/6, 文庫 334ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4480089229
おすすめ度:5.0
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訳者解説より、
本書はすでに、初版に基づいた既訳(高橋允昭訳、理想社、一九七〇年)があるが、本翻訳は、デリダ自身によって訂正された第二版(第三版)に基づいている。フッサール(Edmund Husserl, 1859-1938)の『論理学研究(Logische Untersuchungen)』の読解という特殊な事情もあって、デリダの著作の中でも最も読みにくいものであると同時に、アカデミックな論文の体裁を遵守しているという点では、最も読みやすいものではないかと思われる。・・・  (P.334、訳者解説)


たとえば、ぼくが本書から“デリダ(Jacques Derrida, 1930‐2004)”を読み始めていたとしたら、そんなことを考えることに意義があるか否かをとりあえず横において、もしかしたら中途で挫折してしまって、その後にデリダを読まなかったかもしれない。などと考えてみて、それくらいに難解で、少なからぬ苦痛に似た心情を抱きながら、それでもリズムと“ことば”を愉しみながら(かなり無理を感じながらも)なんとか読了しているのだが。しかし、もしも本書を最初に手にして、仮にも挫折を味わったとしても、ぼくの多くはない経験からすると、遅かれ早かれ、ぼくにとって意義のあるテクストは、ぼくの手元にやってくる♪、そして、そのときにはチンプンカンプンであったとしても、ぼくが読んだテクスト(著書)は、ぼくの内に小さくないなにかを刻み込む。きっとほとんど時間とともに忘失してしまう記憶にあって、どうだろう、棘のような断片というような表現が適当であるのかどうか、まぁ、ホントに必要なら忘れようとしたってなにか引っ掛かるであろうし(希望を込めて!?)、無理に覚えることをしなくても何度か現われることにもなるのであろう。


≪目次: ≫
序論
第一章 記号、いくつかの記号
第二章 指標の還元
第三章 独語としての意‐味
第四章 意‐味と表象=代理(ルプレザンタシオン)
第五章 記号と瞬き(まばたき)
第六章 沈黙を守る声
第七章 根源の代補
訳注
訳者解説   フッサールを読むデリダ/純粋に、単純に/還元と脱構築

*本書は「ちくま学芸文庫」のために新たに訳出されたものである。


≪著者: ≫ ジャック・デリダ (Jacques Derrida) 1930‐2004年。アルジェリア生まれ。エコール・ノルマル卒業。西洋形而上学のロゴス中心主義の脱構築を企てた哲学者。著書に『声と現象』『グラマトロジーについて』『エクリチュールと差異』『精神について』『マルクスの亡霊たち』『アポリア』『死を与える』ほか多数。

[訳者] 林 好雄 (はやし・よしお) 1952年生まれ。東京大学仏文科卒業。駿河台大学教授。著訳書に『知の教科書 デリダ』(共著)『言葉にのって』『ニーチェは、今日?』『死を与える』(共訳)ほか


見〜つけたッ♪




本「生きてるだけでなぜ悪い? 哲学者と精神科医がすすめる幸せの処方箋」中島義道×香山リカ5

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生きてるだけでなぜ悪い?―哲学者と精神科医がすすめる幸せの処方箋
生きてるだけでなぜ悪い? 哲学者と精神科医がすすめる幸せの処方箋

○著者: 中島義道×香山リカ
○出版: ビジネス社 (2008/6, 単行本 237ページ)
○価格: 1,470円
○ISBN: 978-4828414331
おすすめ度: 3.0
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香山リカの一言
生まれたから、とりあえず生きてみる。それでなにが悪い?  (P.192、「第五章 生きがいなんてなくていい」)

対談著書。
結婚・仕事・お金、、、ぼくにとっても重要なテーマで、いつか自分の言葉でしっかり言葉を尽くして書きたい、それ以前に考えるべきことが山積みで、そもそもが結論めいた答えのようなものをぼくは求めていなくて、結論づけてしまいたい衝動を否定しないけれども、問い続けることを、とりあえずのところ自分自身に課している。ユラユラユラユラ揺れながら、何度も何度も同じ問いを同じことを繰り返し繰り返し、それでも二度目三度目は、一度目と同じようでいて、なにも変わっていないであろうけれども、繰り返すことは無意味ではないと信じている、信じたい。なにを求めて、なにを目指して、なにも求めなくてもいいんじゃないかな、なにかを目指さなくてもいいんじゃないかなぁ、なんの確信はないけれども、印象として。
さて、どれくらいだろうか、記録がない(図書館での受け取りと同時に予約した日に関するデータは消失してしまう)のでわからないが、ずいぶんと待ったような気がするが、次の予約もあるようなので、と言い訳するもホントは中島義道が読みたい!、読みたかった!、サクッと積読書籍たちを横目に、割り込み♪
各章が終わるごとにそれぞれ一言が書き記されるだが、香山リカのズバッと一行、まさに一言!、に対する“中島義道”は簡単にはいかない。当然に対談中にあっても、軽く流すことをしない場面もあって、コミュニケーション。


≪目次: ≫
まえがき (二〇〇八年五月 中島義道)
第一章 結婚なんかしなくていい!
やっぱりモテないとダメですか?   モテない男よりモテない女のほうが悲惨?/男と女はだましだまされる関係!?/モテのハードルが高くなっている/男性が養い女性が養われる関係は不変ではない/プライドと学力は反比例する?/やっぱりかわいいほうが得をする
結婚すると幸せになれますか?   専業主婦志向が増えている?/結婚に意味を見出す雇均等世代/なぜ女性の生き方が揺らぐのか/女性が上がれない場所って……/見られていることを意識する女たち/結婚は考えないでするもの?/女性社会特有の厳しさ/社会を支える糟糠の妻
第二章 就職なんかしなくていい!
何のために働くのですか?   下積みを我慢できない若者たち/大人は嫌なことをしてお金を儲ける/就職は社会のシステムの一つ/人聞きのいい仕事やオシャレな会社を選ぼう
夢がないといけませんか?   やりたいことを一つに絞らない生き方/夢と折り合いをつける方法とは/屈託がない天才たち/一歩踏み出せば何かが変わる/適性は自分では分からない/他人の生き方をモデルにしない方がいい/自分自身に忠実に生きる/マイナス評価でいいじゃないか
第三章 金持ちなんかにならなくていい!
格差って本当にありますか?   若者はホームレスに抵抗がない!?/失敗するチャンスを回避する若者たち/お金を稼いでもむなしいのはなぜ?/お金の話をするのははしたない/金銭感覚は人それぞれ
お金がなくても生きていけますか?   幸せな生活とは何だろう/お金の稼ぎ方が多様化した/お金持ちも普通の人もお金の使い方は同じ/お金持ちの暮らしがうらやましくなくなった/お金で買えないものにこそ価値がある/上流階級は成り上がりを受け入れない
第四章 常識なんかなくてもいい!
今どき常識って必要ですか?   知のレベルが落ちている現代人/大学四年間で学生が劣化するのは当たり前?/つつがない毎日でなぜ悪い?/好きなことに没頭すると他人が気にならない/「楽をする」ことにこだわる若者
人生の目的って何ですか?   スピリチュアルにはまる女性たち/なぜ他人の評価を気にするのか/知識の吸収にいそしむ高齢者たち
第五章 生きがいなんかなくていいい!
生きていると面白いことがありますか?   暇になると人間はロクなことを考えない/自分を棚にあげる人の精神構造/幻想の中で生きてはいけない/いつかは自立するときが来る
生きがいがないといけませんか?   単純作業の繰り返しに生きがいを見出す/今どきの若者は日本が大好き?/日本は本当にいい国になったのか
第六章 人間関係に悩まなくていい!
人間関係がうまくいくコツはありますか?   対人関係をうまくやることは人生のスキル/異質なものを排除しない社会に/不合理な縦社会はなくならない/他人に期待するから傷つけられる/「明日の食糧」のために生きればいい
人間関係はどうあるべきですか?   人生の出来事はすべて偶然にすぎない/「強者のコミュニケーション」で乗り切ろう/与えられた役割をただ演じればいい/人間の心には善と悪の両面がある/本当のことを言い合おう/居酒屋で上司の陰口を言って何が悪い?
あとがき (香山リカ)

用語・人物解説
ニーチェ(一八四四−一九〇〇)東電OL殺人事件アスペルガー症候群カント(一七二四−一八〇四)カミュ(一九一三−六〇)ゴッホ(一八五三−九〇)ランボー(一八五四−九一)マリア・カラス(一九二三−七七)ヴィトゲンシュタイン(一八八八−一九五一)二宮尊徳(一七八七−一八五六)ドストエフスキー(一八二一−一八八一)サルトル(一九〇五−八〇)シラー(一七五九−一八〇五)ゲーテ(一七四九−一八三二)魔法のiらんどアダルトチルドレンフロイト(一八五六−一九三九)キルケゴール(一八一三−五五)カフカ(一八八三−一九二四)パスカル(一六二三−六二)円谷幸吉(一九四〇−六八)


≪著者: ≫ 中島義道 (なかじま・よしみち) 1946年生まれ。77年東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程修了。83年ウィーン大学基礎総合学部哲学科修了、哲学博士。現在、電気通信大学電気通信学部人間コミュニケーション学科教授。著書に『哲学の教科書』『時間と自由』(講談社)『哲学実技のすすめ』(角川書店)『働くことがイヤな人のための本』『生きることも死ぬこともイヤな人のための本』(日本経済新聞社)『ぐれる!』『醜い日本の私』(新潮社)『〈対話〉のない社会』『「人間嫌い」のルール』(PHP研究所)ほか。

≪著者: ≫ 香山リカ (かやま・りか) 1960年生まれ。東京医科大学医学部医学科卒業。精神科医。学生時代より雑誌等に寄稿。現在、立教大学現代心理学部教授。著書に『〈私〉の愛国心』『〈いい子〉じゃなきゃいけないの?』(筑摩書房)『就職がこわい』『生きづらい〈私〉たち』『結婚がこわい』(講談社)『若者の法則』『いまどきの「常識」』(岩波書店)『貧乏クジ世代』(PHP研究所)『キルる大人はなぜ増えた』(朝日新聞社)ほか。


ワル




本「『白鯨』アメリカン・スタディーズ (理想の教室)」巽 孝之5

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『白鯨』アメリカン・スタディーズ (理想の教室)
『白鯨』アメリカン・スタディーズ (理想の教室)

○著者: 巽 孝之
○出版: みすず書房 (2005/7, 単行本 166ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4622083078
おすすめ度: 2.5
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一九世紀アメリカのロマン主義文学を代表する文豪ハーマン・メルヴィル Herman Melville(一八一九−九一)の長篇小説『白鯨』Moby-Dick(一八五一年)といえば、すでに世界文学水準の古典的名作として評価が定まっています。聖書、シェイクスピアに続くほどの位置を、文学史上の『白鯨』は占めているといっても決していいすぎではありません。  (P.46、はじめに)

かくして『白鯨』の出版された一八五一年というのは、アメリカが「明白なる運命」のもとに領土拡張の気分を西漸運動に結実させ、西海岸の果てにハワイを、さらには捕鯨基地としての日本さえも射程距離に収めていた時期であり、まさにそのために我が国は五三年に開国を迫られたわけですね。『白鯨』のピークォド号は、まだ大西洋から太平洋へ抜けるパナマ運河も開通していないころですから、アメリカ東海岸を出て大西洋からアフリカ喜望峰経由でインド洋を航海し、最終的に日本沖捕鯨三角海域(ジャパン・グラウンド)をめざしますけれど、その東への航海は、じつは西漸運動の帰結だったのです。  (p.76-P.77)

「大接戦をきわめるアメリカ合衆国大統領選挙」(Grand Contested Election for the Presidency of the United States
「イシュメールなる男、捕鯨の旅へ」(WHALING VOYAGE BY ONE ISHMAEL)
「アフガニスタンにて血みどろの死闘」(BLOODY BATTLE IN AFFGHANISTAN)  (P.14、テクスト――『白鯨』第1章)


池澤夏樹 『世界文学を読みほどく (新潮選書、2005/1)』
アーサー・C・クラーク 『幼年期の終わり (池田真紀子 訳、巽孝之 解説、光文社古典新訳文庫、2007/11)』


≪目次: ≫
テクスト――メルヴィル白鯨』より(巽孝之訳)
「第1章 霧の彼方より」/「第135章 追跡――第三日目」/「エピローグ」
第1回 世界はクジラで廻っていた
はじめに/1 時空を超える『白鯨』(鯨油文化の秘密 マンハッタンから始まる)/2 ニューヨーク作家メルヴィル(メルヴィル小伝 ジャーナリズムの中心都市)/3 「明白なる運命」の光と影(文豪ホーソーンと出会う アメリカン・ルネッサンスの背景 一八五〇年のアメリカ)
第2回 恋に落ちたエイハブ船長
1 神々の戯曲(運命の三人の女神 ハイパーフィクションの先駆)/2 エイハブ対モビイ・ディック(みなしごたちの挑戦 エイハブはいかに死んだか? 映画版とマンガ版)/3 拝火教徒フェダラーとは誰か?(怒りのアフガン ツァラトゥストラは死なない ジャズ・エイジの『白鯨』)
第3回 核の文学、文学の核
1 復讐するは「我」にあり(フェアプレイの精神 鯨とロケット)/2 米ソ冷戦時代の想像力(クラークの白鯨 レムの白鯨 ブッラッドベリの日本怪獣 核想像力の起源)/3 モビイ・ディック・リハーサル(オーソン・ウェルズとその時代 白鯨とゴジロ)/さいごに

読書案内
Melville, Herman. Moby-Dick. 1851. Ed. Hershel Parker and Harrison Hayford. New York: Norton, 2002. 八木敏雄訳『白鯨』上・中・下(岩波文庫、二〇〇四年)。
Bradbury, Ray.“Remembrance of Books Past.”Wall Street Journal (February 2, 2004): A18. Newman, Lee Bertani Vozar, ed. A Reader's Guide to the Short Stories of Herman Melville. Boston: G. K. Hall, 1986.
Otter, Samuel. Melville's Anatomies. Berkeley: U. of California p., 1999.
Philbrick, Nathaniel. In the Heart of the Sea: The Tragedy of the Whaleship Essex. New York: Penguin, 2000. ナサニエル・フィルブリック『復讐する海――捕鯨船エセックス号の悲劇』(相原真理子訳、集英社、二〇〇四年)。
Rollyson, Carl and Lisa Paddock. Herman Melville A To Z. New York: Checkmark, 2001.
大橋健三郎編『鯨とテキスト――メルヴィルの世界』(国書刊行会、一九八三年)。
川澄哲夫『黒船異聞――日本を開国したのは捕鯨船だ』(有隣堂、二〇〇四年)。
研究社刊〈英語青年〉二〇〇二年一月号(特集・白鯨ウォッチング)。
杉浦銀策『メルヴィル――破滅への航海者』(冬樹社、一九八一年)。
青土社刊〈ユリイカ〉二〇〇二年四月号(特集・メルヴィルから始まる)。
巽孝之他編『幸福の逆説』(慶応義塾大学出版会、二〇〇五年)。
牧野有通『世界を覆う白い幻影――メルヴィルとアメリカ・アイディオロジー』(南雲堂、一九九六年)。
森田勝昭『鯨と捕鯨の文化史』(名古屋大学出版局、一九九四年)。
八木敏雄『「白鯨」解体』(研究社、一九八六年)。


≪著者: ≫ 巽 孝之 (たつみ・たかゆき) 一九五五年生まれ。慶應義塾大学教授。専門はアメリカ文学。植民地時代以降のアメリカ文学思想史を現在批評の最前線から再検討している。著書に『サイバーパンク・アメリカ』(勁草書房)、『メタフィクションの思想』(筑摩書房)、『ニュー・アメリカニズム』(青土社)、『アメリカン・ソドム』(研究社)、『リンカーンの世紀』(青土社)、『メタファーはなぜ殺される』(松柏社)、『アメリカ文学史』(慶應義塾大学出版会)ほか。


日本電波塔





2009/3/27追記。
クジラ」であり「鯨油」について、かつて詳細な情報をぼくに与えてくれた著書の存在が「記憶」として気になっていて、しかしどうにもぼくの「記憶」は不確実で頼りがなくて、、、化学同人のDUJIN選書シリーズだったかなぁ、なんだったかなぁ、とか、しばらく考えあぐねて、ときに忘れて他のことを考えて、また思い出したりして、、、やっぱり「記録」に頼ることになる。どうやら、石油 最後の1バレル (ピーター・ターツァキアン 著、東方雅美・渡部典子 訳、英治出版、2006)』のようだ。エネルギー問題の視点から、時代であり文化を築く一つの小さくない要因としての、主要なエネルギー資源としての、人びとの生活を支えて、潤し、良くも悪くも変えた?!「鯨油」。なるほど、そうきたかぁ♪

本「アラン 幸福論  Alain, Propos sur le bonheur, 1928, Gallimard (ワイド版岩波文庫216)」アラン、神谷幹夫 訳5

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幸福論 (ワイド版岩波文庫)
アラン 幸福論  Alain, Propos sur le bonheur, 1928, Gallimard (ワイド版岩波文庫216)

○著者: アラン神谷幹夫
○出版: 岩波書店 (2002/10, 単行本 330ページ)
○価格: 1,260円 (品切重版未定)
○ISBN: 978-4000072168
おすすめ度: 4.0
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憂鬱な人に言いたいことはただ一つ。「遠くをごらんなさい」。憂鬱な人はほとんどみんな、読みすぎなのだ。人間の眼はこんな近距離を長く見られるように出来ていないのだ。広々とした空間に目を向けてこそ人間の眼はやすらぐのである。夜空の星や水平線をながめている時、眼はまったくくつろぎを得ている。全身の緊張がほぐれて、腹の底まで柔らかくなる。自分の力で柔らかくしようとしてもだめなのだ。君の意志が君の中にあって、君に対して注意を払い、すべてをあらぬ方へ引っ張り、しまいには自分の首をしめてしまう。自分のことなど考えるな、遠くを見るがいい。
憂鬱は正真正銘の病気なのだ。・・・  (P.172、51 遠くを見よ)

悲観主義(ペシミスム)は気分によるものであり、楽観主義(オプティミスム)は意志によるものである。・・・  (P.314、93 誓わねばならない)

解説より、
著名アラン。本名エミール・シャルティエ Emile Chartier、一八六八年モルターニュ・オ・ペルシュ生まれ。一九五一年ル・ヴェジネ歿。四十年間(一八九二−一九三三)、リセ(高等中学校)の哲学教師を務めた。アンドレ・モーロワシモーヌ・ヴェイユらはアランの教えを受けた。また、新聞に「プロポ(哲学断章)」を毎日書いた。一九〇六年から一九一四年まで『ラ・デペシュ・ド・ルーアン』紙に、一九二一年から一九三六年まで『リーブル・プロポ』紙に。一九一四年には(第一次大戦の時)、一兵卒として兵役を志願し、砲兵として従軍した。主な著作には『マルスあるいは裁かれた戦争』『芸術論』『神々』『思想と年齢』『海辺の対話』などがある。
アランの『幸福論』。原題は Propos sur le bonheur.「幸福についてのプロポ」。「プロポ」というのは、紙葉一枚二ページに書かれた断章で、アランのつくり出した文章形式である。書きたい日も、書きたくない日もアランは毎日プロポを書いた。二時間で一気に書き上げた。修正することなく。そこには、だから、一つのリズムがある。無理なところのない、自然なリズムが。
本書は、したがって、「幸福論」ではない。アランは論じてはいない(日本では、アラン『幸福論』としてすでに定着しているようなので、訳題はそれに従った。)  (P.323-P.324、「解説」)



≪目次: ≫
モール・ランブラン夫人への献辞 (一九二五年五月一日 アラン
プロポ一覧
1 名馬ブケファラス Bucéphale/2 いらだつこと Irritation/3 悲しみのマリー Marie triste/4 ノイローゼ Neurasthénie/5 憂鬱 Mélancolie/6 情念について Des passions/7 恐れは病気だ Crainte est maladie/8 想像力について De l'imagination/9 想像上の苦痛 Maux d'esprit/10 アルガン Argan/11 医学 Médecine/12 ほほ笑みたまえ Le sourire/13 事故 Accidents/14 悲劇 Drames/15 死について Sur la mort/16 心のしぐさ Attitudes/17 体操 Gymnastique/18 祈り Prières/19 あくびの技術 L'art de bâiller/20 気分 Humeur/21 性格について Des caractères/22 宿命 La fatalité/23 巫女の心 L'âme prophétique/24 われわれの未来 Notre avenir/25 予言 Prédictions/26 ヘラクレス Hercule/27 欲すること Vouloir/28 人はみな,己が欲するものを得る Chacun a ce qu'il vent/29 運命について De la destinée/30 絶望しないこと Ne pas désespérer/31 大草原の中で Dans la grande prairie/32 隣人に対する情念 Passions de voisinage/33 家族の中で En famille/34 心遣い Sollicitude/35 家族の平和 La paix du ménage/36 私生活について De la vie privée/37 夫婦 Le couple/38 退屈 L'ennui/39 スピード Vitesse/40 賭け Le jeu/41 期待 Espérance/42 行動すること Agir/43 行動の人 Hommes d'action/44 ディオゲネス Diogène/45 エゴイスト L'égoïste/46 王さまは退屈する Le roi s'ennuie/47 アリストテレス Aristote/48 楽しい農夫 Heureux agriculteurs/49 労働 Travaux/50 始めている仕事 Œuvres/51 遠くを見よ Regarde au loin/52 旅行 Voyages/53 短剣の舞 La danse des poignards/54 大げさな言い方 Déclamations/55 泣き言 Jérémiades/56 情念のみごとな説得力 L'éloquence des passions/57 絶望について Du désepoir/58 憐みについて De la pitié/59 他人の苦痛 Les maux d'autrui/60 慰め Consolation/61 死者のための祭儀 Le culte des morts/62 とんまな人間 Gribouille/63 雨の中で Sous la pluie/64 興奮 Effervescence/65 エピクテトス Epictète/66 ストア主義 Stoïcisme/67 汝自らを知れ Connais-toi/68 楽観主義 Optimisme/69 結び目をほどくこと Dénouer/70 我慢強く Patience/71 親愛の情 Bienveillance/72 罵詈雑言 Injures/73 上機嫌 Bonne hummeur/74 一つの治療法 Une cure/75 精神の健やかさ Hygiène de l'esprit/76 乳への讃歌 L'hymne an lait/77 友情 Amitié/78 決断拒否 De l'irrésolution/79 儀式 Cérémonies/80 新年おめでとう Bonne année/81 お祝いのことば Vœux/82 礼儀正しさ La politesse/83 処世術 Savoir=vivre/84 楽しませること Faire plaisir/85 名医プラトン Platon médecin/86 健康を維持する方法 L'art de se bien porter/87 克服 Victoires/88 詩人たち Poètes/89 幸福は徳である Bonheur est vertu/90 幸福は気前のいい奴だ Que le bonheur est généreux/91 幸福になる方法 L'art d'être heureux/92 幸福にならねばならない Du devoir d'être heureux/93 誓わねばならない Il faut jurer

解説   1 アランを読む/2 アランを訳す (一九九七年十月九日 フランス、ヴィロフレーにて 神谷幹夫)

芸術の体系 Alain, le Système des beaux-arts (光文社古典新訳文庫、アラン 著、長谷川宏 訳、2008/1)』


オレンジ♪




本「現代の貧困 (双書 現代の哲学12)」井上達夫5

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現代の貧困 (双書・現代の哲学)
現代の貧困 (双書 現代の哲学12)

○著者: 井上達夫
○出版: 岩波書店 (2001/3, 単行本 282ページ)
○価格: 3,150円 (品切重版未定)
○ISBN: 978-4000265836
おすすめ度: 4.0
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リベラリズムの根本理念は、異質で多様な自律的人格の共生である。それは個人の自由を尊重するが、自由な個人の関係の対等化と自由の社会的条件の公平な保障を要請する平等の理念をも重視し、自由と平等とを、正義を基底にすえた共生理念によって統合する。「自由主義」という通例の訳語を私が使わない理由はここにある。  (P.23、第吃 第1章 天皇制を問う視覚)

新しい千年紀の到来をことほぐ気分に私はなれない。はなばなしく未来を語る書物は山とあるのに、わざわざこんな陰気な表題の本の扉を開いたあなたも、パレードに背を向けて佇立する人なのだろう。祝祭の多幸感(ユーフォリア)に酔えないのはなぜか。西暦の偶発的な節目にすぎぬものに、時代の大転換を見る欧米中心主義的歴史認識の軽薄さから距離をとりたいという気持ちも一因ではある。しかし、それだけではない。輝かしい未来を語るには、私たちの現実はあまりにも貧困ではないか。そんな思いが私を捕えている。
たしかに「来るべき新たな社会」の像を描く言説は巷間にあふれている。しかし、それは現実の閉塞感を打開する私たちの購買力の豊かさよりむしろ、その貧困を示しているように私には見える。「情報化」やら「グローバル化」やらの決まり文句を羅列して描かれる未来像の、うんざりするような月並みさだけが問題なのではない。「時代の大転換」を語る言葉への需要の高まりが、現実を変革する意志の強さではなく、それをなしえぬ無力感の心理的補償欲求を反映しているところに問題の深刻さがある。  (P.后⊇ 〈哲学の貧困〉から〈貧困の哲学〉へ)

  

≪目次: ≫
序 〈哲学の貧困〉から〈貧困の哲学〉へ

第吃堯ヾ愀犬良郎
第1章 天皇制を問う視角――民主主義の限界とリベラリズム
1 「経済大国」の自画像と天皇制
   1 二つの戦後日本物語(戦争以降の風景 幸福なる結婚論 未成熟依存症論)/2 第三の視点(共通前提の懐疑とリベラリズム 民主主義理解の問題)
2 王様を愛する民主主義   1 「民主主義に王様はいらない」か?(共生理念と市民生活 市民生活と民主主義――王様をめぐる葛藤)/2 下からの天皇論(日本村 元号法制化 愛の民主主義――津田左右吉の場合)
3 リベラリル・オールタナティヴ   1 民主主義より根源的なもの(評価基準の転換 〈関係の豊かさ〉をめざして 〈人間が豊かな共生社会〉の政治的条件 憲法の哲学)/2 原理による統治(人権原理と天皇制 異質性の不可視性 原理による統合)
〔付論〕補足と解題―天皇制・民主主義・リベラリズム
1 背景(昭和末の狂宴 見えない問題)/2 生活者の天皇論と民主主義(戦後思想の四象限 「革新」の風化と幸福なる結婚論 生活者の反乱と未成熟依存症論 「無力の共鳴」と「無責任の体系」)/3 下からの天皇論(ラディカルな両立論 民主主義の共同体的基盤 「日本村」の普遍性 ナショナリズムと民主主義 エリート・大衆・天皇)/4 現代日本とリベラリズム(豊かさの意義転換とポスト五五年体制 新ノモス主権論――戦後憲法の再発見)

第局堯ゞζ雲の貧困
第2章 個人権と共同性――「悩める経済大国」の倫理的再編

序論/1 「権利の領国」における共同体への要求(共同体論の諸相 並行的・呼応的な理論展開)/2 「共同体の領国」における個人権への要求(現代日本における共同体論と社会主義 日本的共同性の陰――象徴死としての過労死)/3 開いた共同性の基礎としての個人権/結論

第敬堯々膂佞良郎
第3章 合意を疑う

1 問い/2 真理と合意――存在の豊饒性/3 正統性と合意――民主制の問題
第4章 政治的知性の蘇生に向けて
1 変わらざる五五年体制/2 問題はどこにあるか/3 政治的意思決定システムと選挙制度/4 リベラル・デモクラシーの制度戦略
第5章 コンセンサス社会の危機と変革
序論――コンセンサス社会日本の栄光と挫折/1 価値の亀裂――アンビヴァレンスと方向感覚喪失(成熟志向と成長志向の葛藤 個人主義と集団主義の錯綜)/2 コミュニケーションの亀裂(世代間亀裂の深まり 仕切られたコミュニケーション 談合政治の破綻)/3 変革の展望(コミュニケーションの構造転換――〈融合〉から〈会話〉へ 共依存からの自立――自己決定・自治・情報公開 政治の構造改革――批判的民主主義の構想)


あとがき
(二〇〇一年二月 立春を過ぎて 井上達夫)


≪著者: ≫ 井上達夫 (いのうえ たつお) 1954年生まれ.専攻,法哲学.東京大学法学部卒業.現在,東京大学大学院法学政治学研究科教授.主著に『共生の作法――会話としての正義』(創文社),『共生への冒険』(共著,毎日新聞社),『自由・権力・ユートピア』新・哲学講義7(共著,岩波書店),『他者への自由――公共性の哲学としてのリベラリズム』(創文社),『変容するアジアの法と哲学』(共編著,有斐閣),『法の臨界』(全3巻,共編著,東京大学出版会).
自由論 (双書哲学塾、岩波書店 、2008/3)』


春ということばを使うことなくして今日ぼくが冷たい北風にあって感じた春をあらわす試みとしての・・・・・・




本「知の教科書 デリダ (講談社選書メチエ259)」林 好雄、広瀬浩司5

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知の教科書 デリダ (講談社選書メチエ)
知の教科書 デリダ (講談社選書メチエ259)

○著者: 林 好雄、広瀬浩司
○出版: 講談社 (2003/1, 単行本 238ページ)
○価格: 1,575円
○ISBN: 978-4062582599
おすすめ度: 5.0
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ジャック・デリダ(Jacques Derrida, 1930-2004)

1 エクリチュール(écriture)
フランス語の「書く(エクリール) écrire」という動詞に対する名詞で、一般的には、書かれたもの、書き方、書く行為を意味するが、デリダは、音声言語(パロール)であれ文字言語(エクリチュール)であれ、言語を発現させる活動(ジュ)、その活動を可能にする、言語の差異的構造(つまり「差延(ディフェランス)」)を、エクリチュール(原−エクリチュール)と呼んでいる。この「エクリチュールの学(シアンス)が、グラマトロジーである。
プラトンの『パイドロス』(藤沢令夫訳、岩波文庫)の中で、ソクラテスは、声に出して語られる「言葉(ロゴス)〔=パロール〕」こそが真の言葉であり、「正しきもの、美しきもの、善きものについて教えの言葉、学びのために語られる言葉、魂の中にほんとうの意味で書きこまれる言葉」であるのに対して、「書かれた言葉〔=エクリチュール〕の中には、その主題が何であるにせよ、多分に慰みの要素が含まれて」おり、「言葉というものは、ひとたび書きものにされると、どんな言葉でも、それを理解する人々のところであろうと、ぜんぜん不適当な人々のところであろうとおかまいなしに、転々とめぐり歩く。そして、ぜひ話しかけなければならない人々にだけ話しかけ、そうでない人々には黙っているということができない」と語る。「語られる言葉(パロール)」こそが「正嫡の息子」であり、「自分で自分の力によって内から思い出す」「記憶(ネムーメ)の秘訣(パルマコン)〔毒=薬〕」であるのに対して、「書かれる言葉(エクリチュール)」はいわば父親のいない私生児であって、「自分以外のものに彫りつけられたしるしによって外から思い出す」ための「想起(ヒュムポネーシス)の秘訣(パルマコン)」にすぎないとされるのである。  (P.84-P.85、「デリダ思想のキーワード」)

すでに何度も目にしているフレーズながら、やっぱスゴイわぁ♪


≪目次: ≫
プロローグ――デリダは難解か?
●デリダの生涯と思想   アルジェリアユダヤ人に生まれて/戦争とサッカー少年/文学か哲学か?/学校嫌い/ノルマリアン・デリダ/ユルム街からユルム街へ/構造主義の季節/テル・ケル派になる/五月革命前後/「差延(ディフェランス)」から「散種(ディセミナシオン)」へ/『テル・ケル』誌からガリレ社へ/哲学教師デリダ/デリダと大学/麻薬密売人の顔/デリダのアンガジュマン/書名と遺産継承
●デリダ思想のキーワード   1 エクリチュール(écriture)/2 形而上学批判/3 差延(différance)/4 脱構築(déconstruction)/5 散種(dissémination)/6 代補/7 反復可能性(itérabilité)/8 アポリアの経験/9 亡霊学
●知のみなもとへ   1 『グラマトロジーについて』(1967)/2 『声と現象』(1967)/3 『絵画における真理』(邦訳上下二巻)(1978)/4 『シボレート――パウル・ツェランのために』(1986)/5 『ユリシーズ グラモフォン』(1987)/6 『精神について』(1987)/7 『他の岬――ヨーロッパと民主主義』(1991)/8 『法の力』(1994)/9 『たった一つの、私のものではない言葉――他者の単一言語使用』(1996)/10 『滞留』(付/モーリス・ブランショ『私の死の瞬間』)(1998)
●三次元で読むデリダ   1 哲学対文学/2 主体と共同体/3 デリダと自伝/4 デリダと女性/5 歓待/6 反人権論とデリダ/7 デリダと現象学/8 テクノロジーと機械/9 宗教の回帰とメシア的なもの/10 赦しの世紀――赦しえぬものを赦すこと
●知の道具箱   デリダを読むためのブックガイド/知の練習問題/デリダの軌跡――年譜
索引


≪著者: ≫ 林 好雄 (はやし・よしお) 一九五二年生まれ。東京大学文学部フランス文学科卒業。同大学大学院修士課程修了。現在、駿河台大学助教授。主な訳書に、『言葉にのって』(ジャック・デリダ著)、『ニーチェは、今日?』(ピエール・クロソウスキー他著)(ともに共訳、ちくま学芸文庫)などがある。

≪著者: ≫ 広瀬浩司 (ひろせ・こうじ) 一九六三年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科卒業。同大学大学院総合文化研究科博士課程中途退学。現在、筑波大学現代語・現代文化学系助教授。パリ第一大学新制博士号(哲学)。主な訳書に、デリダ『歓待について』(産業図書)などがある。


Oxalis articulata





2009/3/26 追記
知の練習問題 (P.228-P.230)
(1)マルクス主義、人間、歴史、労働、近代的主体、冷戦、イデオロギー、文学、哲学、「大きな物語」(リオタール)など、二〇世紀にはさまざまなものが終わった、と宣言されました。そうした「終焉についての言説」を探し、デリダ的な視点から批判的に分析してください。いわゆる「ポストモダン思想」とデリダの「正義の思想」の違いに注意すること。(「脱構築」『法の力』「反人権論とデリダ」参照)
(2)正常で主流なものによって排除されているもの(エクリチュール、非西欧、女性、死、障害、技術など)に対して、脱構築的な思考はどう対処するのでしょうか。それがたんなる主流と非主流の逆転や「抑圧されたマイノリティの復権」「疎外からの解放」などではにことに注意しながらデリダ的な実践を再現してみましょう。(「脱構築」「デリダと女性」「エクリチュール」『たった一つの、私のものでない言葉』参照)
(3)デリダのいう「反復可能性」が変質の可能性であることに注意しながら、反復可能なマークの例をひとつ挙げ、それがはらんでいる「差延」のはたらきを具体的に説明してください。たとえば「現前」が重んじられるさまざまな場面(宣誓、署名、証言、真摯な告白、友人との生き生きとした会話など)を思い浮かべ、この概念がどのようなずれや遅れをもたらすかを考えてみるとよいでしょう。(「形而上学批判」「差延」「散種」「反復可能性」『滞留』参照)
(4)一般に私たちが「自然」であると考えるもの(自分の身体、母語、真摯な告白の言葉、心からのお詫び、人間としての義務など)をひとつ思い浮かべ、そうした自然なもののなかにどのように「代補」という自然でも人工でもないものが介入しているか分析してみましょう。(「代補」「テクノロジーと機械」『グラマトロジーについて』『ユリシーズ グラモフォン』参照)
(5)デリダというのは極端で異常な人なのでしょうか。デリダの著作のおもしろさは、デリダのような生まれや経歴(アルジェリア生まれのユダヤ人? フランスのスノップな知識人? フランスで嫌われ、アメリカや日本のポストモダン思想にもてはやされた保守思想家?)に共感できる人にしかわからないのでしょうか。自分のおいたちや生活環境、政治的な環境を思い浮かべ、「デリダ的なもの」がどのように自分の中に入り込んでいるか考えてみましょう。(「デリダの生涯」『たった一つの、私のものではない言葉』「デリダと自伝」「アポリアの経験」参照)
(6)責任をもって発言したり、行動したりするとはどういうことなのでしょうか。しっかりとした自我やアイデンティティーを持ち、伝統的な規範を尊重し、同じようにしっかりとした他者と対話することなのでしょうか。デリダはこのような近代の責任概念を解体し、アイデンティティーなどくだらない、伝統などは虚構にすぎない、今は多文化社会・多言語社会なのだから、軽やかに越境し、過去の傷などは忘れ、無数の他者へと接続しよう、と言おうとしているのでしょうか。責任が他者への「応答可能性」であることに注目し、デリダの「責任」の取り方について考えてみましょう。(「主体と共同体」『他の岬』「哲学対文学」「歓待」「亡霊学」参照)
(7)親しい他者を不意に失ったり、自分の身体や性格などになにか欠けたものがあるように感じたりして絶望したとき、デリダの思考はどのように答えてくれるでしょうか。絶望して暴力的に反抗したり自滅したりしないためには、どのように肯定的に行動すればよいのでしょうか。そのとき他者とどのような関係を持つことができるのでしょうか。デリダの一見否定に満ちた思想が、じつは「肯定の思想」であることに注目しながら、彼の言う「他者の到来」にどのような行動で応えたらよいのか考えてみましょう。(「代補」「宗教の回帰とメシア的なもの」「歓待」『ユリシーズ グラモフォン』参照)
(8)デリダの思想との出会いを刺激にして、文学、絵画、演劇、建築など自分なりの創作活動を試みてみましょう。いわゆる文学批判が、「文学」を日常的な言語や哲学と対立した自立したものと考え、この「文学」に対してさまざまな理論をあてはめて分析しようとするのに対して、デリダはこうした区別そのものを攪乱するような理論をあてはめて分析しようとするのに対して、デリダはこうした区別そのものを攪乱するような言語的実践を遂行し、創作の可能性(と不可能性)を問うています。だとすればデリダの言語的実践は、分野を問わず、新たな創作のきっかけとなるはずです。たとえば「代補」や「パレルゴン」や「痕跡」はどのような作品で実現されるのでしょうか。またデリダ的な自画像や自伝はどのようなものになるのでしょうか。(「哲学対文学」「デリダと自伝」『絵画における真理』『たった一つの、私のものではない言葉』『滞留』参照)  (P.228-P.230、「知の練習問題」)

本「脳はあり合わせの材料から生まれた それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ  KLUGE: The Haphazard Construction of the Human Mind by Gary Marcus」ゲアリー・マーカス、鍛原多惠子 訳5

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脳はあり合わせの材料から生まれた それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ  KLUGE: The Haphazard Construction of the Human Mind by Gary Marcus
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書評/サイエンス



ぼくは「完璧」じゃないことを自覚して受け容れてから、すこしラクに(とっても有意義に!!)生きられるようになったような気がしているョ♪
などと軽々しくも口外しちゃうぼくだって(そんな軽薄さを懸念しつつ)、記憶しているかぎりの幼少の頃からず〜っと、完璧に在りたい!、と意気込み続けてきたことを隠すことをしない。

なるほど、心理学科の大学教授にして幼児言語センターの所長をも務める著者“Gary Marcus(ゲアリー・マーカス)”が本書(原著)タイトルに掲げる“KLUGE”とは?!、ネタバレ??!、などと気にしないわけでもないが、このネタを明かさずに本書は語れないであろう。
・・・ヒトの心は、私に言わせれば、まさに「クルージ(Kluge)」にほかならない。クルージとは技術用語であり、「エレガントにはほど遠く無様であるにもかかわらず、驚くほど効果的な問題解決法」というような意味だ。(中略)
・・・技術者は慰みにクルージをつくることがある。不可能に思えるものを実際につくって誇示したり、無精癖がこうじて中途半端なものをつくったりする。また難局で発揮される機知からクルージが生まれることもある。(中略)なにしろこの「ヒトの心」は、進化がこれといった見通しも持たずに創りあげた、風変わりだが類い稀なる作品なのである。  (P.9-P.10、第1章 歴史の遺物)


さて、本書は“早川書房”さまより“本が好き!PJ”経由にて献本を受けた(御礼!)ものであるが、、、記録(記憶ではなく)を辿ると、「出荷日」が2月5日、2月9日に「読者受取」(ぼくがサインしている)とある。記憶(記録ではなく)しているかぎりでは、受け取った後にしばらくは、興味をもっている“脳科学”系の著書みたい(どちらかというと脳よりも mind 心、進化心理学?!)だから、すぐにでも読みたいんだけど、読み始めたらあっという間に(しかるべき時間を費やすことによって)読み終わっちゃうでしょ、でもでも、興味がある分野だから、やっぱりちゃんと「書きたい」し、そう考えると、ちょっと今は書きえる状態ではないかも、と躊躇して(そんな選択権やら能力やらがぼくにあるかどうはともかくとして)、グズグズしているうちに、およそ1カ月くらいは積読状態で、さすがに手元に見えるところに置いたままにしてあると、そりゃ気にならないわけはないわけで、さらには、記憶しているかぎりでは、読み終えた後にもなんだかんだと言い訳しながらズルズルと「書くこと」を先延ばしにしている、まったくもって「トホホ」だねぇ、どうなっているんだ、ぼくの「心 mind」??!
ところが、開き直って考えるならば、その間に、いわゆる「ダーウィン進化論」を読み解く著書である、ダーウィン『種の起源』を読む (北村雄一 著、化学同人、2009/2)』を読了していたりして、そうするとなると“訳者あとがき”において説かれる、「創造論進化論の根深い対立」であり、本書の根柢にある進化論の概念やらその理解やらに、フムフムフムフム♪、創造論者にも一定の理解を示しつつ、やっぱりぼくとしては進化論を採用したいし、精確に理解を深めたい。北村雄一はその著書において、今から150年も以前に著された論説「種の起源」が正しく理解されていないこと、むしろ正しく理解しようとしない、理解できない現実を嘆いていた。そして、あわせてオススメするならば(誰に対して?!)、新しくはない著書ではあるが(図書館を活用すべし!?)、動物行動学から攻撃 悪の自然誌 (コンラート・ローレンツ 著、日高敏隆・久保和彦 訳、みすず書房、1985年)』であり、精神医学から孤独 (アンソニー・ストー 著、吉野要 監修、三上晋之助 訳、創元社、1999年)』!、いずれも300ページを超える著書だけど、その気になれば、1ページを1分の読書ペースとして換算するに約300分≒約5時間、その気になれば、あっという間だぁ♪
と、どうでもいいことを書き連ねてしまうぼくはどうやら、自己防衛本能というのか、他人との距離のようなものが気になって仕方がなくて、常に距離を測るような行動をほぼ無意識のうちに採るようだ(自覚が希薄で分析途上)。たとえば、ほとんど言い訳のようでありながらも、悪びれることなく展開してきたこれまでの駄文は、ぼくの迷いであり、なかなか定まることなく揺れ動く心情を表していたりする。それでもぼくには必要なんだ。もっと上手に書評を書きたい!、もっともっと献本を受けたい!、との野望を抱くぼくは、まったく書評の体をなしていない自らの在り様の現実に、凹んだりイジケてみたりしながらも、なんとかしがみついて離されないように(存在をアピールしたりして)、不器用にも足掻いてみたりするわけデス。

そう、ぼくはそんな冗長なクルージとうまく付き合っていきたい♪
一方、クルージに打ち克ちたい人には、最終章において挙げられる「入念な実験によって実証された一三項目の提案」が用意される。


≪目次: ≫
第1章 歴史の遺物
第2章 記憶
第3章 信念
第4章 選択
第5章 言語
第6章 快楽
第7章 すべてが壊れていく
第8章 真の叡知

謝辞
訳者あとがき (二〇〇八年一二月 鍛原多惠子)
参考文献


≪著者: ≫ ゲアリー・マーカス (Gary Marcus) 1993年、マサチューセッツ工科大学(MIT)より博士号取得。現在はニューヨーク大学心理学科教授、同大幼児言語センター所長。専門は言語獲得とコンピュータ・モデリング。著書に『心を生みだす遺伝子』ほか。

[訳者] 鍛原多惠子 (かじはら・たえこ) 翻訳家。1977年米国フロリダ州ニューカレッジ卒業(専攻は哲学・人類学)。訳書にスピーロ『ポアンカレ予想』(共訳、小社刊)、ポリトコフスカヤ『プーチニズム』『ロシアン・ダイアリー』ほか。


Ipheion Pink Star




本「自由論 (双書哲学塾13)」井上達夫5

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自由論(双書 哲学塾)
自由論 (双書哲学塾13)

○著者: 井上達夫
○出版: 岩波書店 (2008/3, 単行本 164ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN-13: 978-4000281638
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むむむむむ(易しくない)、『自由の秩序』(“自由”っていったいなんなんだ??!)、法哲学。。。

自由の秩序の構想が応えるべき最も基本的な「秩序問題」は、「国家権力はそもそも、またなぜ、必要なのか?」です。ロバート・ノージックが『アナキー・国家・ユートピア』(Robert Nozick, Anarcky, State, and Utopia, Basic Books, 1974[嶋津格訳、木鐸社、一九九二年])で使った表現を借りれば、「なぜアナキーのままでいないのか(Why not have anachy?)」です。われわれは本来、自由な身として生まれたはずなのに、現実には国家という鉄鎖に繋がれている。国家という「人為的」拘束はわれわれの「自然的」自由といかにして、またそもそも両立可能なのか。ルソーをはじめとする近代社会契約説のこの問題意識は、自由の秩序の構想にとって国家の存在理由が最初に問われるべき「秩序問題」であることを端的に示しています。
国家については「人倫の最高の発展形態」だの「民族精神の具現」だの、種々定義はあるでしょうが、一切の虚構を廃した即物的定義をすれば、それは「刀狩り」です。人々が自分の武器と自分の判断で自分の権利を守る権利、すなわち自力救済権の剥奪ないし制限です。・・・  (P.44-P.45、「第4日 秩序のトゥリアーデ――国家・市場・共同体」)



≪目次: ≫
講義案内
講義の7日間 『「自由秩序」を哲学する』
 第1日 アルバニアは英国より自由か
 第2日 自由の秩序性と両義性
 第3日 自由概念の袋小路
 第4日 秩序のトゥリアーデ――国家市場共同体
 第5日 専制のトゥリアーデ――全体主義資本主義共同体主義
 第6日 自由の秩序の相対性と普遍性
 第7日 世界秩序をめぐる討議
場外補講 『リベラリズムにおける自由と正義の位置』
あとがき (二〇〇七年一二月二七日 井上達夫)

*本書は「新・哲学講義」第七巻『自由・権力・ユートピア』(岩波書店、一九九八年)に収録された拙稿「講義の七日間――自由の秩序」に、新たに書き下ろした拙稿「場外補講――リベラリズムにおける自由と正義の位置」を付したものである。旧稿部分の加筆修正は書誌情報や状況記述の更新、表現の補正等の形式的・末梢的なものに限り、旧稿執筆後の私の思索の進展は「場外補講」に組み込むことにさせていただいた。 (P.163、あとがき)


≪著者: ≫ 井上達夫 (いのうえ たつお) 1954年生まれ.東京大学大学院法学政治学研究科教授.専攻:法哲学.著書:『共生の作法―会話としての正義』(創文社),『他者への自由―公共性の哲学としてのリベラリズム』(創文社),『現代の貧困』(岩波書店),『普遍の再生』(岩波書店),『法という企て』(東京大学出版会)ほか.


Larus




本「『こころ』大人になれなかった先生 (理想の教室)」石原千秋5

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『こころ』大人になれなかった先生 (理想の教室)
『こころ』大人になれなかった先生 (理想の教室)

○著者: 石原千秋
○出版: みすず書房 (2005/7, 単行本 155ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4622083061
おすすめ度: 4.0
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ぼくが毎日毎日欠かさず、一日一冊の読書とその書き記し(このブログ)を心がけているのは、本を読まずにいられないからであるが、そこには、自らの不足する知識や情報を充足する目的であり、ともすると否定的な後ろ向きな考えに襲われることからの逃避(読書への依存)であり、無為な時間を浪費することに対する焦りや嫌悪の回避であり、、、まぁ、たかだか一日一冊の読書であることから、そう大した労力を要することはなく(と言ってみる)、給与所得者であるぼくは、雇用関係にある会社の要求する(要求されているであろう程度の?!)労働を提供して、それ以外の通勤時間やら昼食休憩やら移動時間やらなにやらの時間の遣り繰りの努力さえ怠らなければ、それらの時間を確保さえすれば(それによって切り捨てられる事柄は少ななくないけど、人づきあいをしないとか)、あとはただただひたすらに時間を費やして集中して本に向かいさえすれば、始まったものはいずれ終わりのときを迎えるが如く。
いずれにしても、ぼくの行動に一般性(社会性)を欠いていることを否定しないけれど、とくに一般的で社会的でジョウシキ的である必要性を、ぼく自身はなんら感じていないのであって、さらにはどうやらぼくは、この今の在り方に一定の『快さ』(≒幸福)を感じているのであり(苦痛がないわけではないが)、それが今生きて在る〈ぼく〉の原動力のようなものかなぁ。それさえあれば、ほかはなにもいらない、みたいな。。。

で、どうやらぼくは(確信を抱いているわけではないものの、おぼろげに思い抱いて考察するに)著書をテクストとして捉えている傾向があるのかしら。そう、テクストとしての小説(フィクション)は、じつは物語をたのしむどころのシンプルなものではないような、なにか高貴?!な印象を強くしている。(うっ、この先がどうにも展開できない、、、)


≪目次: ≫
はじめに

テクスト――夏目漱石こころ
「上 先生と私」/「下 先生と遺書」
第1回 なぜ見られることが怖いのか
長すぎた遺書/眼差しへのこだわり/眼差しが怖い/仮面を作ること/心は器械だろうか/叔父の裏切り/人生の指針を受け取ること/尊敬すべき友人/屈折した感情/敗北としてのKの恋/自殺の理由/仕組まれた恋/大人になる儀式
第2回 いま青年はどこにいるのか
 語る人間の物語/冒頭と末尾の矛盾/隠された感情/青年の敬愛と先生の倫理/解らないということ/擦れ違う二人/謎の言葉/奥さんを「批評的」にみること/先生の禁止を破る青年
第3回 静は何を知っていたのか
「先生」と呼ぶ理由/エリートのための純粋培養システム/高等教育の中の出会い/「先輩」としての先生/趣味を見分ける目/ほころびの意味/手紙の数/Kの墓参り/静は何を知っていたのか/本当はすべて知っていたのでは?/愛は止められない

おわりに
あらすじ
年表
学校系統図

読書案内
三好行雄編『別冊国文学夏目漱石辞典』(学燈社、一九九〇年七月)
夏目鏡子述・松岡譲筆録『漱石の思ひ出』(岩波書店、二〇〇三年十月)
小宮豊隆『夏目漱石』上・中・下(岩波文庫、一九八六年十二月〜一九八七年二月)
江藤淳『漱石とその時代』第一部〜第五部(新潮選書、一九七〇年八月〜一九九九年十二月)
小田切進『新潮日本文学アルバム 2 夏目漱石』(新潮社、一九八三年十一月)
蓮實重彦『夏目漱石論』(青土社、一九七八年十月)
小森洋一『漱石を読みなおす』(ちくま新書、一九九五年六月)
小山慶太『漱石が見た物理学』(中公新書、一九九一年十二月)
半藤一利『漱石先生ぞなもし』(文藝春秋、一九九二年九月)
石原千秋『漱石と三人の読者』(講談社現代新書、二〇〇四年十月)


≪著者: ≫ 石原千秋 (いしはら・ちあき) 一九五五年生まれ。早稲田大学教授。専門は日本近代文学。文学テクストを現代思想の枠組みを使って分析、時代状況ともリンクさせた斬新な読みを展開する。また、「国語」教育について入試国語の読解を通した問題提起を積極的に行っている。著書に『反転する漱石』(青土社)、『テクストはまちがわない』(筑摩書房)、『大学受験のための小説講義』(ちくま新書)、『教養としての大学受験国語』(同)ほか。
『秘伝 大学受験の国語力 (新潮選書、2007/7)』


Narcissus tazetta




本「孤独 〈新訳〉  Anthony Storr: SOLITUDE――The School of Genius, André Deutsch, 1998.」アンソニー・ストー、吉野要 監修、三上晋之助 訳5

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孤独―新訳
孤独 〈新訳〉  Anthony Storr: SOLITUDE――The School of Genius, André Deutsch, 1998.

○著者: アンソニー・ストー、吉野要 監修、三上晋之助 訳
○出版: 創元社 (1999/3, 単行本 332ページ)
○価格: 3,360円
○ISBN: 978-4422111988
おすすめ度: 5.0
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哲学者“中島義道”のいずれの著書であったか記憶が定かではないのだが(目にしてから時間もずいぶん経過してしまっている)、紹介されていて気になって手にした著作。先日同じ経緯から本書に先行して読了した、コンラート・ローレンツ著『攻撃 悪の自然誌 (みすず書房、1985/5)』に負けず劣らず、、、簡単に言葉にできない、したくない。(ホントのところはぼくの能力が及ばず書き得ない。それだけは明確!)

そう、ぼくはずっと孤独に対して弱い(耐えられない)と思い込んでいて、現におよそ2年前にいろいろあった末に合意のうえで11年弱の婚姻(関係に基づく同居)生活を解消することがいよいよ避けられなくなって独り暮らしがはじまって、それでも合意したとはいえ、ぼくには独り暮らしはきっと耐えられないだろうと当初から思っていた(だからずいぶんと抵抗を試みた)し、たしかにたった2年間に寂しさや不安に打ちひしがれて落ち込んだりしたことも、一度や二度どころではなくたびたびあったことを否定しない。今でも寂しいなぁとは、ときどき思わないわけでもない。パートナーがいたら、こんなには寂しい思いや不安な気持ちにはならないだろうなぁ(愉しいだろうなぁ)とも思わないわけではない。
で、その先の展開を想像する時間が、ぼくには与えられている(孤独の効用!?)。本来(試みたが行き詰った、まだまだ未成熟)であれば、ぼくが考察した道程のさまざまをことばで再現して編集を加えて、論説を展開したいのだが、、、すっとばして取り急ぎ結論めいたことからすると、ぼくには良好な人間関係を長く保つ必要が求められる同居による共同生活に著しく適格性を欠いるようである。もっといえば、ぼくは孤独を欲している、さらに孤独に対する適性を有している、とまで感じている。本書を読んでますますその思いを強くし、孤独に対する後ろめたさのようなマイナスの印象(最近ではずいぶん薄れてきてはいたものの)が払拭されて、さらには孤独に対する自分自身の在り方に肯定的な印象を得ることができた気がしている。無理をしてまで円滑な人間関係の構築や維持に少なからぬ労力を費やすことを要求されないことが担保されたとあっては、ますますぼくは孤独に勤しむ!、でしょ♪

監修者あとがきより、
イギリスの精神医学者アンソニー・ストー(一九二〇−)は、幅広い著作活動を通して、日本においてもよく知られている。邦訳されている主な著書を挙げると、『ユング』『人格の形成』『性の逸脱』(以上、岩波書店)、『人間の攻撃性』『創造のダイナミックス』(以上、晶文社)、『人間の破壊性』(法政大学出版会)、『フロイト』(講談社)などがある。
本書は SOLITUDE――The School of Genius, André Deutsch, 1998. の全訳(一九九四年初訳〔創元社〕の改訳版)である。ストーは「創造性」について高い関心を持ち、本書において、偉大な多くの先駆者たちや、ごく平凡な一般の人々の人生において示される創造的活動をとりあげ、孤独が果たす機能を広く深く言及し、深層心理学的考察を行っている。

私たちは、今世紀、豊かさを追求し、相当な努力と犠牲の上に、それを成し遂げてきた。私たちの生活は便利になり、物があふれ、とても豊かで幸せな生活になったと喜び、さらに一層の豊かさを求めて努力している。しかしながら、一方では多くの矛盾が噴出してきている。その一つは、私たちがいつの間にか、自然と対話して共生していくことの大切さを見失ってしまったことではないだろうか。それも、私たちの内的な自然との対話。共生を失ったことが、もっとも大きな痛手といえるのではなかろうか。この結果として、私たちは、いつも何かが変だと漠然と感じながらも、捉えどころのない不安におびえて生きるようになったのではないだろうか。  (P.309-P.310、監修者あとがき)



≪目次: ≫
賛辞
日本語版への序 (一九九〇年夏 アンソニー・ストー)

序章
第一章 人間関係の意義
第二章 一人でいられる能力
第三章 孤独の有用性
第四章 強いられた孤独
第五章 想像力の飢餓
第六章 個人の重要性
第七章 孤独と気質
第八章 分離、独立、想像力の発達
第九章 死別、抑うつ状態、修復
第十章 統一性の追求
第十一章 第三期
第十二章 完全性願望とその追求


監修者あとがき (一九九九年二月七日 吉野 要)
引用文献


≪著者: ≫ アンソニー・ストー (Anthony Storr) 1920年生まれ。ウィンチェスター大学およびケンブリッジ大学で学び,1944年,医師の免許を取得。後に精神医学を専攻。1974年,オックスフォード大学医学部精神神経科講師に就任。主要著書:『ユング』『人格の成熟』『性の逸脱』(以上,岩波書店)『人間の破壊性』(法政大学出版会)『人間の攻撃心』(晶文社),その他。

[監修] 吉野 要 (よしの かなめ) 1941年,東京の下町に生まれる。東京空襲を逃れて,父の郷里である山形の山里に疎開し,1968年,京都大学大学院教育学研究科(心理学専攻)修士課程を修了後,愛知県立大学,愛知県立女子短期大学(兼任)に就職。現在,同大学教授。専攻は,臨床心理学,人格心理学。主要著書に『子どもの臨床心理学』(共著,樹村房),『中学・高校生の心理と指導』(共編著,ナカニシヤ出版),『終末期医療』(共著,最新医学社),『メンタルヘルスの実践』(共著,朱鷺書房)などがある。

[訳者] 三上晋之助 (みかみ しんのすけ) 1934年,島根県に生まれる。1957年,広島大学教育学部高校教育科外国語(英語)科卒業。元・広島県立福山誠之館高校,同広島国泰寺高校教諭。本書著者ストーの“Solitude”“Music and the Mind”を読んで感銘を受け,それ以降同氏に私淑する。


crocus




本「デリダ,脱構築を語る シドニー・セミナーの記録  Jacques Derrida: Deconstruction Engaged, The Sydney Seminars, ed. by Paul Patton and Terry Smith, Sydney: Power Publications, 2001」ジャック・デリダ、谷徹/亀井大輔 訳5

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デリダ、脱構築を語る シドニー・セミナーの記録
デリダ,脱構築を語る シドニー・セミナーの記録  Jacques Derrida: Deconstruction Engaged, The Sydney Seminars, ed. by Paul Patton and Terry Smith, Sydney: Power Publications, 2001

○著者: ジャック・デリダ、ポール・パットン/テリー・スミス 編、谷徹/亀井大輔 訳
○出版:岩波書店 (2005/10, 単行本 201ページ)
○価格: 2,205円 (品切重版未定)
○ISBN: 978-4000240161
おすすめ度: 4.5
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ぼくがほとんど鼻歌でも歌わんばかりに快調(?!)に本書を読みとばしているときに(と記憶しているが定かではない)フト思ったよ。いや、Amazonかなにかのレビューを見た後に、その記述が思い起こされて思ったことであるような気もするなぁ。いずれにしても、ジャック・デリダ(Jacques Derrida, 1930-2004)に興味を抱いていて、著作(書いたものに限られず、言ったこと話したことまで本になっている)を好んで読むのは、やっぱりその読書が心地好いとぼくが思うからに他ならない。そう、どうやらぼくには理解しようという意欲が希薄で、わからなくてもわからないままにとりあえず読み進めていることを否定しない。わからなくても止まることがない。その読み方が正しいかどうか確信はない。間違っていると言われても反論できない。そもそも反論する意義を見出せないし、他人の指図を受けたくもない。仮にぼくの行為(読書方法)が間違っていたとして、その正しくない行為をなしたぼくが受けるべき制裁(があるとするならば)や負担は、ぼくが負えばいいものであって、他人に負わせるべきではないし、他人は負うことができないものであろう。みずからやってみなければわからない。失敗したっていいじゃない。そもそも失敗って、そんなに恥じたり忌避すべきことじゃないとぼくは考えていて、経験でしょ。最初から上手くいったら、そりゃ運がいい。ある意味では失敗して当たり前といったら甘すぎるかしら?、最初はなにもわからない。わからないけど、そのわからない不安を抱えながら挑戦するわけだから、失敗を恐れるならば、どうしても失敗したくないならば(かつてのぼくがそうであったように)なにもしなければいい、一歩踏み出すことをしなければいい。果たして、失敗を恐れてなにも行動しないことは、失敗をしないということにおいては、正しい選択であるとも言えなくもない。しかし、なんの進歩もない。器は今以上に大きくならない。周囲は失敗を恐れることなく新たな挑戦を続けていて、上手くいって自信をもって、失敗して経験を積んで、その場所に今のままで止まることがない。ぼくは、かつてのぼくとなにも変わっていないかもしれない、きっと変わっていないであろうと思う。いまだになんの自信をももつことができない。

訳者あとがきより、
本書は、序文に述べられているとおり、一九九九年八月、デリダがはじめてオーストラリアを訪れたときに開かれた二回のセミナーの記録である。各章では、まず研究者が問題を提起し、それにデリダが答えるという形式をとっている。デリダは、一部の原稿をあらかじめ準備していたが、それ以外はその場で返答している。しかし、どちらの場合も、デリダは「英語」で語っている。英語に堪能なデリダではあるが、そうはいっても、英語は彼にとって外国語である――いやデリダ的に言えば、母語のフランス語も他者の言語だから、英語はデリダにとって二重の他者の言語だということになるだろうか。デリダがフランス語で書いたものは、概して多義的な意味内容を含み、難解であるが、他方、デリダが(フランス語で)語った話し言葉は、概して明快・明解である。しかしながら、右のような――フランス語を駆使できない――状況のなかでデリダが語った英語の話し言葉は、さらにいっそう、あるいは驚くほど、明快・明解である。デリダ自身は、この話し言葉よりも、書いたもののほうがましだ、ということを――いかにもエクリチュールの思想家らしく――このセミナーで述べているが、いやいやどうして、デリダのこの(英語の)話し言葉は、その思想に入門したいと思う者にとっては、まことに好適である。それだけではない。「脱構築」の語によって知られる――あるいは誤解される――デリダの思想はなにか批判的・否定的なニュアンスで受け取られることが多いが、本書では、晩年のデリダが示した「肯定的」傾向が強く示されている。また、デリダの芸術論やメディア論も、そのエッセンスが示されている。かくも明快で豊かな内容をもった、デリダ自身の(他者の)話し言葉にもとづくテクストは少ない。そうであるかぎり、これは、日本の読者のために、ぜひとも訳しておきたい。こういう次第で、訳者は本書の翻訳に(身を入れて)取り組む(エンゲージ)ことになった。  (P.195-P.196、訳者あとがき)



≪目次: ≫
序文 (二〇〇一年二月、シドニー ポール・パットン テリー・スミス)
第汽札潺福次〇覲个鮹構築する (シドニー・タウンホール、一九九九年八月一二日 ジャック・デリダとテリー・スミスの議論)
1 盲目の視界のなかで――書くこと,見ること,触れること……/2 芸術家,投射体/3 メディアの亡霊たち
第競札潺福 肯定的な脱構築 (シドニー大学シーモア・センター、一九九九年八月一三日 ジャック・デリダとジェネヴィーヴ・ロイド、デイヴィッド・ウィルズ、ポール・パットン、ペネロピ・ドイチャーの議論)
1 時間と記憶,メシア性と神の名前/2 肯定的な脱構築,遺産相続,テクノロジー/3 正義,植民地,翻訳/4 歓待,完成可能性,責任/5 公開討論


著者紹介   ジャック・デリダ(Jacques Derrida)/ペネロピ・ドイチャー(Penelope Deutscher)/ジェネヴィーヴ・ロイド(Genevieve Lloyd)/ポール・パットン(Paul Patton)/テリー・スミス(Terry Smith)/デイヴィッド・ウィルズ(David Wills)
解説とキーワード   一 デリダのプロフィール/二 初期デリダの思想形成(1 フッサール現象学 2 ハイデガーの「形而上学の解体」)/三 前期デリダのキーワード(現前の形而上学 métaphysique de la présence ロゴス中心主義 logocentrisme 囲い込み・閉域 clôture 脱構築 déconstruction 差延 différance・痕跡 trace エクリチュール écriture 反復可能性 intérabilité)/四 後期デリダのキーワード(アポリア aporie 責任 responsabilité・決定 décision・正義 justice 贈与 don 赦し pardon 歓待 hospitalité メシアニズムなきメシア的なもの le messianique sans messianisme)/五 デリダ思想と芸術 (谷 徹・亀井大輔)
訳者あとがき (訳者 谷 徹・亀井大輔)


ジャック・デリダ (Jacques Derrida) 1930-2004.フランスの哲学者.脱構築と呼ばれる形而上学批判で知られるが,哲学にとどまらず,文学・芸術・言語学・心理学から法・政治・倫理・宗教まで,幅広い領域にわたって独自の議論を展開した.

ポール・パットン (Paul Patton) ニュー・サウス・ウエールズ大学,哲学教授.
テリー・スミス (Terry Smith) シドニー大学,現代芸術教授.

谷 徹 (たに とおる) 1954年生.慶応義塾大学大学院文学研究科哲学専攻博士課程単位取得退学.現在,立命館大学文学部教授.著書:『これが現象学だ』(講談社現代新書,2002),『意識の自然――現象学の可能性を拓く』(勁草書房,1998)ほか.訳書:M.ジェイ『暴力の屈折』(共訳,岩波書店,2004),E.フッサール『ブリタニカ草稿』(ちくま学芸文庫,2004)ほか.
亀井 大輔 (かめい だいすけ) 1973年生.立命館大学大学院文学研究科西洋哲学専攻博士後期課程修了.現在,立命館大学非常勤講師.論文:「デリダにおける「無限」のありかた」(『アルケー』No.13,2005),「エクリチュール論の形成」(『実存思想論集』XIX,2004)ほか.


クロッカス♪




本「壊れゆく地球 気候変動がもたらす崩壊の連鎖  FORECAST: The Consequences of Climate Change, from the Amazon to the Arctic, from Darfur to Napa Valley by Stephan Faris」スティーヴン・ファリス、藤田真利子 訳5

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壊れゆく地球 気候変動がもたらす崩壊の連鎖
壊れゆく地球 気候変動がもたらす崩壊の連鎖  FORECAST: The Consequences of Climate Change, from the Amazon to the Arctic, from Darfur to Napa Valley by Stephan Faris

○著者: スティーヴン・ファリス、藤田真利子
○出版: 講談社 (2008/2, 単行本 270ページ)
○価格: 1,890円
○ISBN: 978-4062146692
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果たして、地球温暖化であり気候変動が、本書に挙げられる現象・諸問題の元凶なのであろうか?
たしかに地球上に暮らす同じ人間として、さまざまな問題に無関心でいることはいいことではない。なんらかの行動を起こした方がいいであろう。そういった意味で、なんとなく身近に感じられる『地球温暖化』や『気候変動』という「ことば」を掲げて(ぼくには関連性の根拠に言説にどうにも無理があるような気がしてならないのだが)地球上の諸問題に目を向ける機会が得られることの必要性。(書きあぐねて意見を展開できないぼくの知識不足であり無能力が腹立たしい)。

訳者あとがきにある、
本書の原題は FORECAST、予測・予報という意味になる。 (P.262)

なるほど、アラン・ワイズマン(ベストセラー『人類が消えた世界 THE WORLD WITHOUT US(早川書房、2008/5)』)推薦!!


≪目次: ≫
1 アメリカ西海岸 (The West Coast)――暑い夏がワインを変える   カリフォルニアのワイナリーにて/最高級のワインは最高級の葡萄から/気候変動はワインにも影響を与える/何かが変われば現状も変わる/早まる葡萄収穫期/葡萄畑も北をめざす/地球温暖化はワインの質の向上に貢献する?/あと一度気温が上昇したら/ドイツ産のキャンティ?/リバプールが南仏になる日/それでも夢を見ることはできる
2 ブラジル (Brazil)――不安定な生態系と蔓延する疫病   ブラジル大気汚染の元凶/森林が伐採され……/疫病はなぜ大発生したのか/開拓地を求めマラリアの餌食に/アメリカで発生した謎の病気の正体/気候変動が疫病の移動を促す/マラリア流行地域も北へ/二酸化炭素減少と疫病流行の関係/アマゾンは七〇年以内に消滅する?/気候変動による死者は三〇年で倍増する/病気と気候変動の戦いに人は勝てるのか
3 北極 (The Arctic)――氷が融けて資源争奪戦が始まる   ホッキョクグマの町/氷が融け始めた/忘れ去られていた町/地球温暖化で潤う/探検家たち受難の歴史/閉ざされた海峡の氷がなくなった/海が温かくなっていく/北西航路から氷が消えた/氷が融けて資源戦争が起きる/領土問題が集中する地域に/ロシアも参戦/世界で最も熱い場所は北極
4 南アジア (South Asia)――消える氷河と迫り来る生存の危機   ヒマラヤからベンガル湾に注ぐ大河/気候変動で大洪水が頻発/呪われた地域/二〇〇〇人以上が殺された村/バングラデシュを襲う地球温暖化/かつては“地球の楽園”だったカシミール/失踪させられた夫/氷河の後退がさらなる不安定化を促す/水資源を巡る確執/雪が降らず雨が降るようになった/世界中で水争いが激化する/南アジア発の大規模な人道的危機が/今や世界一危険な場所に
5 ダルフール (Darfur)――気候変動が紛争を引き起こす   古老の予言/男は殺され、女はレイプされた/沙漠化が遊牧民を追い詰める/ボスニアコソボを超える悲劇/森林伐採や過放牧だけが原因ではない/地球温暖化の影響はどこに現れるか/南米ハイチに見る苦悩/ある日突然ダムができ……/悪循環を断ち切れない数多くの問題/気候変動は社会をもろくする
6 メキシコ湾岸 (The Gulf Coast)――水温が上がれば住民が追い出される   水温上昇で珊瑚が死んだ海/気候変動で海が人間を襲う/海に沈む陸地/襲いかかるハリケーン/海抜一メートル地帯に住む人々/地域経済を危機に陥れるハリケーン/気候変動は保険料も引き上げる/保険料が払えず町を捨てる住人/経済復興に重くのしかかるもの/ニューオーリンズは空き家になる?/世界各地で発生する異常気象現象/カトリーナに追い出され、保険に追い出される
7 ヨーロッパ (Europe)――環境保護を利用する人々   オオウミガメの島に押し寄せる難民/気候変動は不法移民も生む/戦争より環境災害による避難民のほうが多い/収容所の不法移民たち/不法移民反対強硬派の理屈/恐怖と共感――移民政策を利用する人々/イタリアだけでなくイギリスでも/お行儀のいいスキンヘッド/ナショナリズムと環境保護主義を結びつける/環境保護の観点から移民を規制するという考え方/地球温暖化への不安で台頭する極右政党/極右政党党首の不気味な予言
エピローグ――わたしたちはいかに行動すべきなのか   対立する利益/二酸化炭素排出を制御するつもりはあるのか?/気候変動にどれほど真剣に取り組むか/残された時間はもはやない
訳者あとがき (二〇〇九年一月 藤田真利子)


≪著者: ≫ スティーヴン・ファリス (Stephan Faris) ジャーナリスト。コロンビア大学修士課程修了。発展途上国に関する記事を専門とする。2000年以来、リベリア内戦ソマリアにおけるイスラム勢力の擡頭、ルワンダ虐殺ダルフール問題、中国のインターネット検閲などのテーマを、『タイム』『フォーチューン』『アトランティック・マンスリー』誌や salon.com などに精力的に発表している。2003年のイラク侵攻では、クルド人居住区で従軍の身分なしの取材に成功、『ニューヨーク・デイリーニューズ』紙に発表した。現在はローマに在住。英語の他、フランス語、イタリア語に堪能。

[訳者] 藤田真利子 (ふじた・まりこ) 1951年生まれ。訳書にキャサリン・ブラックリッジ『ヴァギナ 女性器の文化史』(河出書房新社)、アンナ・アルテール他『体位の文化史』、マルク・ボナール他『ペニスの文化史』(以上、作品社)、ノーム・チョムスキー他『グローバリズムは世界を破壊する』(明石書店)、フレッド・ヴァルガス『論理は右手に』(東京創元社)など多数。


ワル




本「『ロミオとジュリエット』恋におちる演劇術 (理想の教室)」河合祥一郎5

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『ロミオとジュリエット』恋におちる演劇術 (理想の教室)
『ロミオとジュリエット』恋におちる演劇術 (理想の教室)

○著者: 河合祥一郎
○出版: みすず書房 (2005/6, 単行本 152ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4622083023
おすすめ度: 5.0
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永遠の恋愛悲劇『ロミオとジュリエット』は、青春のエネルギーにあふれ、親や社会を半ば敵に回すようにして密かに恋を貫こうとしながら、度重なる不運によって死を迎える“Star-crossed lovers”(不幸の星のもとに生まれた恋人たち)の悲しくも美しい恋の物語です。演劇界では短く『ロミ・ジュリ』と呼ばれて親しまれていますが、このはかなくも短い悲恋の物語がどれくらい短いかご存知でしょうか。クイズにしてみましょう。これは何日間の物語でしょう?
  3日間    4日間    5日間    6日間
ただし、ご注意ください。このクイズはシェイクスピア的なクイズです。「シェイクスピア的な」というのは、1たす1は2にならないかもしれないし、正解はひとつに限らないという意味です。それはそうなのだけれど、そうではないという矛盾する世界、表があれば裏がある世界、好きなのに嫌いといった世界――それがシェイクスピア的な世界なのです。
論理学には「Aであって、なおかつAでないということは、ありえない」という矛盾律がありますが、シェイクスピア矛盾律など気にしません。シェイクスピアには、「きれいは汚い、汚いはきれい」(『マクベス』)とか、「陽気な悲劇」「熱い水」(『夏の夜の夢』)といったように、常識的には矛盾したことを表わすオクシモロン(撞着語法、矛盾語法)という表現がたくさん出てきます。・・・  (P.6-P.7、第1回 時間のトリック――構造)

あんまり理知的で賢いと、恋はできません。みなさんは「賢いこと」が良いことだと信じてきたかもしれませんが、恋愛に関する限り、そうではないのです。
恋は狂気だとシェイクスピアは言います。ほかの人には理解しがたい世界に入ってしまうのですから、理性的でないことだけは確かです。詩を書いたり、恋をしたりするときに、人は非理性的な想像力の世界に入り込むのだというのがシェイクスピアの考えです。そこでは理性は無力となります。理性を捨てて、感性に身を委ねるのです。  (P.9、第1回 時間のトリック――構造)


戯曲って、ぼくには縁がないというか、そもそも演劇を観賞する習慣もないし興味もないし関係ないだろうと思っていて、さらにはなんだかちょっとツンとスカしてお高くとまっているような印象をもっていて、どうにも卑屈なぼくにはじつは耐えられなかったり(コバカにされて見下されているように感じちゃう、誰もそんなこと思っちゃいないだろうけれども!?)してみたりして忌避していた側面もあるのかなぁ。それでも、さまざまなテクスト(著書)を読み進めるなかで、シェイクスピアを読んでいないことを障害に感じることが少なくなかったりして、それは、前提とされる共通の理解を得ることができない疎外感というのか、ちょっとした屈辱みたいなものを感じて、と言ったら大袈裟かもしれないけれど、ジョウシキなんだろうなぁ、シェイクスピア(William Shakespeare, 1564-1616)って。まぁ、ジョウシキがない、とか、ヒジョウシキ、なんて言われたり思われたりすることには、どちらかと言えばぼくのなかではフツーに慣れちゃってはいるんだけれど、それでも、言われたり思われたりすること以上に、理解できないことはやっぱりどうにも受け容れ難い。というわけでだったかどうだったか記憶は定かでなないのだけれども、好んで読み進めていた(最近ご無沙汰!?)“光文社古典新訳文庫”にラインナップされた、安西徹雄 訳のヴェニスの商人 The Merchant of Venice』リア王 King Lear』ジュリアス・シーザー Julius Caesar』十二夜 Twelfth Night』マクベス Macbeth』を読んで、その解説に学んで(なんと「ロミ・ジュリ」を読んでない!!)、、、それから先が続かなかった、ということは、それで満足(理解??!)したのか、やっぱりダメ(好みに合わない?!)だったのか、、、理解できた気はちっともしていないし、とくにダメなことはない、そうだとすると、気にはなっていたけれども、なかなか手が出せずにいた、かな??!


≪目次: ≫
第1回 時間のマジック――構造
第2回 命かけて恋――テーマ
恋は夢/悲劇はなぜ起こったか/恋する男は女々しいか?/ふにゃふにゃロミオ?/「名誉」をかけた争い/ロミオは男になれるか/男の「名誉」と女の「名誉」/恋は社会体制を越えて――ジュリエットの死の意味
第3回 恋は詩にのせて――テクスト
出会ってから14行のセリフでキスする恋のテクニック/――手がかり  ̄な犬辰堂拭/――手がかり◆ 岷ぁ廚辰堂拭/――手がかり 韻がなくても韻文とは、これいかに?/――そして種明かし/リズムに乗せてキスを奪え/ソネット形式のセリフ/啖呵を切りながら韻を踏む、キザなティボルトのレトリック/2行連句の劇的効果/テクストに盛り込まれたシェイクスピアの演出/速い散文/空間のトリックとセリフのレトリック/ロミ・ジュリ伝説から名作へ

もっと知るために――読書案内
[翻訳]
小田島雄志訳『ロミオとジュリエット』(白水Uブックス、一九八三)
松岡和子『ロミオとジュリエット』(ちくま文庫、一九九六)
河合祥一郎『新訳 ロミオとジュリエット』(角川文庫、二〇〇五)
アーサー・ブルック著、北川悌二訳『ロウミアスとジューリエット』(北星堂、一九七九)
[テクスト]
岩崎宗治編注、大修刊シェイクスピア双書『ロミオとジュリエット』(大修刊書店、一九八八)
Jill L. Levenson, ed., Romeo and Juliet by William Shakespeare, Oxford World's Classics (Oxford: Oxford University Press, 2000)
[研究書]
Jay L. Halio, ed., Shakespeare's‘Romeo and Juliet’: Texts, Contexta, and Interpretation (Delaware: University of Delaware Press; London: Associated University Press, 1995)
Joseph A. Porter, ed., Critical Essays on Shakespeare's‘Romeo and Juliet’(New York: G. K. Gall & Co., 1997)
[一般書]
『フォトブック ロミオとジュリエット』(双葉社、二〇〇五)
高田康成ほか編『シェイクスピアへの架け橋』(東京大学出版会、一九九八)
『アエラムック シェイクスピアがわかる』(朝日新聞社、一九九九)
C・ウォルター・ホッジス著、河合祥一郎訳『絵で見るシェイクスピアの舞台』(研究社、二〇〇〇)
高橋康也編『シェイクスピア・ハンドブック』新装版(新潮社、二〇〇四)
松岡和子『シェイクスピア「もの」語り』(新潮社、二〇〇四)
河合祥一郎『シェイクスピアは誘う 名せりふに学ぶ人生の知恵』(小学館、二〇〇四)
[辞典]
高橋康也ほか編『研究社シェイクスピア辞典』(研究社、二〇〇〇)
荒井良雄ほか編『シェイクスピア大辞典』(日本図書センター、二〇〇二)


≪著者: ≫ 河合祥一郎 (かわい・しょういちろう) 一九六〇年生まれ。東京大学大学院助教授、放送大学客員助教授。専攻はイギリス演劇・表象文化論。演劇の現場と結びついた精緻なシェイクスピア読解が注目される。著書に『謎解き「ハムレット」』(三陸書房)、『ハムレットは太っていた!』(白水社)、『シェイクスピアは誘う』(小学館)ほか。訳書に『二人の貴公子』、『エドワード三世』(以上、白水社)、近年上演の「ハムレット」(ジョナサン・ケント演出、野村萬斎主演/蜷川幸雄演出、藤原竜也主演)のための翻訳『新訳 ハムレット』、『新訳 ロミオとジュリエット』(以上、角川文庫)ほか。


♪♪




本「哲学者とは何か (ちくま文庫)」中島義道5

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哲学者とは何か (ちくま文庫)
哲学者とは何か (ちくま文庫)

○著者: 中島義道
○出版: 筑摩書房 (2000/4,文庫 287ページ)
○価格: 819円 (在庫×)
○ISBN: 978-4480035585
おすすめ度: 2.5
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ホント、哲学者とは何かネ?
まぁ、ぼくが哲学者ではないことはカクジツだけど、哲学という学問を学問として研究する者であろうか??!。大学教授であり本書の著者である“中島義道”であり、氏が師事した“大森荘蔵”であり、その専門家としての“イマヌエル・カント(Immanuel Kant,1724-1804)”であり。。。


≪目次: ≫
ニホンコクからの手紙――まえがきに代えて
1 日本で哲学するとはどういうことか

拝啓 哲学さま/哲学者のいない哲学ブーム/無用塾/ニーチェは「彼ら」の哲学者/われわれに哲学がない理由/音環境のひどさ/男性解放の難しさ/日本で哲学するとはどういうことか
2 常識からの解放
自分自身になること[人はいかにして自分自身になるか 自分の内部の声を聞く 欠点を伸ばす 自分の人生の「かたち」をつくる]/哲学に「志」はいらない[ニセモノの志 のたれ死にしても仕方がない 志がはっきりしていればいるほどニセモノ 志を捨てよ]/差別感情と「好き・嫌い」[無差別感情は自然である 嫌いだから嫌いなのだ!では、どうするべきか?]/〈こころ〉とは何か[〈こころ〉の不可解さ 「心身問題」の核心 誰(何)が判断しているのか 言葉遣いの問題ではない 疑いつつ認め、認めつつ疑う]/真に自由な時間とは[漠然と自由を求めている現代人 時計時間と内的体験 虚しい現代の余暇論 生と死の認識 ただ広大な宇宙のただなかに]
3 イマヌエル・カントという名の男
カントの女性観[女性とは性欲に支配され男を支配する創造物である 母アンナ・レギーナ・ロイター 性愛の対象としての女性 結婚相手としての女性 絶対的他者としての女性]/孤独な哲学者・カント[人間観察者 不幸な少年時代 非社交的社交性(die ungesellige Geselligkeit) 超越論的独我論]/モラリストの笑い[モラリストの笑いではないさまざまな笑い ラ・ロシュフコー、ラ・ブリュイエール、モンテーニュの笑い モラリスト・カントの笑い]/「哲学の権化」像を打ち破って
4 哲学者の死
大森荘蔵(おおもり しょうぞう 一九二一年生まれ。東京大学物理学科卒業後、同大学哲学科卒業。哲学者。東京大学教授、放送大学教授などを歴任。著書に『言語・知覚・世界』、『物と心』、『流れとよどみ』、『新視覚新論』、『知の構築とその呪縛』などがある。一九九七年二月一七日死去。)
哲学者の死軽蔑し、軽蔑される大森哲学の遺産[,海海蹇´驚き C粒弌´つ砲漾´ダ犬隼燹蓮過去は幻か(大森荘蔵×中島義)[想起と同一性 時間のリアリティー 点時刻の運動不可能性 ゲシュタルトとしての「今」 「今」の二重文法 記憶の持続的同一性批判 想起――可能性/潜在性 想起の身体性 夢と現実の差異 語りの存在論 表象の時間と空間化 ゼノンのパラドックス タイムトラベルの過去観 過去変更への欲望 未来と過去の絶対的差異 死としての未来 時間「と」自我]/時間・我・史(大森荘蔵×中島義道)[原生的な時間概念 自我概念の形成 自我と時間 過去の真理性について 想起と一般概念 「時間」は風呂敷概念である 現在とは何か? 内的経験と他我問題 未来について考えるとは? 私は今もう死んでいる]

あとがき (一九九七年七月九日(私の誕生日) 中島義道)
文庫版へのあとがき (二〇〇〇年 正月 中島義道)
初出一覧
解説 ホンモノの哲学と卑俗な哲学 松原隆一郎

*本書は一九九七年九月、洋泉社より刊行された。


≪著者: ≫ 中島 義道 (なかじま・よしみち) 1946年、福岡県生まれ。1977年、東京大学大学院修士課程修了。1983年、ウィーン大学哲学科修了。哲学博士。現在、電気通信大学教授。専攻はドイツ哲学、時間論、自我論。著書に『ウィーン愛憎』(中公新書 角川文庫)、『カントの人間学』『時間を哲学する』(いずれも講談社現代新書)、『哲学の教科書』(講談社学術文庫)、『うるさい日本の私』(洋泉社 新潮文庫)、『人生を〈半分〉降りる』(ナカニシヤ出版)、『〈対話〉のない社会』(PHP新書)などがある。


水仙♪




本「ダーウィン『種の起源』を読む」北村雄一5

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ダーウィン『種の起源』を読む
ダーウィン『種の起源』を読む

○著者: 北村雄一
○出版: 化学同人(2009/2,単行本 301ページ)
○価格: 2,100円
○ISBN: 978-4759811704
おすすめ度: 3.0
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まえがきより、
一八五九年、イギリスの博物学者チャールズ・ダーウィンは一冊の本を世に出した。題名は On The Origin of Species by means of natural selection on the preservation of favoured races in the struggle for life である。日本語にすると

 「自然選択」または「存続をめぐる争いにおいて有利な種族の保存」による種の起源について

ということになろうか。これこそかの有名な『種の起源』である。彼はこの本で一つの画期的な理論を提示してみせた。自然界に存在する生物とその秩序がいかにして生まれたのか? それには「遺伝する変異」と「存続をめぐる争い struggle for existence 」そして「自然選択 natural selection 」という条件があればよい。これらがあれば生物は自律的に多様な種族を生みだし、今のような世界をつくるのだと。  (P.5、まえがき)


ぼくのなかで(あくまでも個人的に)本書の理解に役立った(中途に何度か記憶にあがってきた)著書として、
攻撃 悪の自然誌 (コンラート・ローレンツ 著、日高敏隆・久保和彦 訳、みすず書房)』
風土 人間学的考察 (岩波文庫、和辻哲郎)』

すでにぼくが読んだ、本来難解な著書である『種の起源』を易しく読み解く本書の著者・サイエンスライター“北村雄一”の著作として、
深海生物ファイル あなたの知らない暗黒世界の住人たち (ネコパブリッシング、2005/11)』
深海生物の謎 彼らはいかにして闇の世界で生きることを決めたのか (サイエンス・アイ新書、2007/8)』


≪目次: ≫
まえがき 『種の起源』を読む意味とはなんだろうか  神を必要としない強固な理論/理解を阻まれてきた難解な理論/欠けていたメンデル遺伝/混合遺伝という古典/現実との格闘/梯子ではなく樹木/問題は私たちの側にある/一五〇年前から来た現代
1 変異があれば品種ができる Variation under Domestication(飼育栽培のもとでの変異)   ダーウィンの考えた変異とは/変異には種類がある/経験が遺伝する場合はありうるか?/「発生の相関」も考慮して/「混合遺伝」理論および「復帰」現象との格闘/飼育栽培品種から自然界の種を論じられるか?/家畜バトの品種とその起源を例に/品種改良は選択を積み重ねて行われる/進化理論のエッセンスと疑問に対する基本的回答/◎コラム――メンデルとダーウィン
2 種と変種は違うのか Variation under Nature(自然のもとでの変異)   ダーウィンが考える「種(species)」とは?/種だけは神が創ったもの?/品種から種へのドミノ倒し/それは変種(variety)なのか種(species)なのか?/中間的なもので連結されている種/疑わしい種(doubtful species)/種は実在しない/始まりの種(incipient species)/変種のありさまから理論を検証する/理論の説明能力を競う/小さな構造と大きな構造の類似/テストにより理論は検証できる/◎コラム――「分類階級」の階級
3 生物どうしの争いが重要 Struggle for Existence(存続をめぐる争い)   それは存続をめぐる争いがあるからだ/過去からの木霊/見よ、生物が増える力/生物はおたがいに圧力を与えあっている/存続をめぐる争いが生物の様相を決定する/複雑だが予測は可能である/似たものほど競争は激しい/そして生物の機能に答えが与えられる/◎コラム――ルイセンコ騒動
4 自然選択が種を生みだすしくみ Natural Selection(自然選択)   自然界には地位がある/自然選択とは/ライチョウの例/プラムとワタとアリとハチの例/花と昆虫の関係がどう進化したか具体的に考えてみる/花はなぜ蜜をだす?/では昆虫のほうはどんな自然選択を受けるのか?/雑種強勢(heterosis ヘテローシス)のしくみとその影響/それでもなぜ自家受精をするのか?/混合遺伝の世界における自然選択の働き/生きた化石(living fossils)がいる理由/近いものほど不利、違うものほど有利/特徴の分岐(Divergence of Character)/自律的に分岐する生物の系統/分類体系の背後にあるもの/生命の樹(Tree of Life)/◎コラム――性選択(sexual selection)
5 変異と遺伝のしくみ Laws of Variation(変異の法則)   用不用説?/ツコツコの目/不用(disuse)をどう考えていたのか/では目はどうして退化する?/節約の利益によって退化が起きる/油断するとあふれかえる変異/選択が変異性を大きくする/安定化するまでは時間がかかります/属の特徴は古いから安定している/ウマに縞模様が現れるわけ/◎コラム――科学の方法とダーウィンの論証
6 進化理論に不都合な現象 Difficulties on Theory(学説の難点)   中間的な品種(transitional varieties)はなぜこんなに少ない?/中途半端なものも生きている/飛行の進化――鳥の場合/トビウオがもしも鳥になったら/転職の融通がきくキツツキ/複雑な構造の眼が進化できるのか?/使い方を変えられたら/デンキウナギとデンキナマズ/理論の質は説明能力と予測とテストで示される/◎コラム――発電器官の収斂と分岐学
7 複雑な本能も進化で説明可能か Instinct(本能)   品種改良における例――ポインター/自然界への応用――カッコウ/奴隷をつくるアリ/ミツバチの巣/働きバチはなぜ進化できたのか?/血縁淘汰/妹の四分の三は私/理由はあれどもごくつぶし/◎コラム――血縁淘汰群淘汰
8 交配できないと別種なのか Hybridism(雑種)   稔性(fertility)と不稔性(sterility)の二つの意味/そのルールに根拠はあるか/実は恣意的な線引きです/雑種が子供を産めなくなっていくのは/動物ではどうでしょう?/創造理論的な解釈では説明できない/しかし自然選択でも難問である/関係が離れると雑種ができにくい傾向はあるが/雑種ができないのは自然選択の間接的な結果/種は特別なものではない/◎コラム――サクラソウの二つの花
9 中間種の化石が見つからないわけ On the Imperfection of the Geological Record(地質学的記録の不完全について)   中間種(intermediate)って具体的に何?/時の経過について/隆起する地層/地質学は長大な時間を示す/誤差はあれども/地層と化石の記録は連続的ではありません/連続して堆積した地層であっても/気候が変化すると生物が移動する/地層ができている場所自体も変化する/断続的なデータの誤り/いきなり複雑な生物が出現した?/◎コラム――グールドカンブリア爆発
10 化石記録からわかる進化の証拠 On the Geological Succession of Organic Beings(生物の地質学的連続について)   変化しない種族は何を支持する?/ちょっとマデイラの話を/絶滅した種は戻ってこない/グループの絶滅はなぜ起こる?/グループの動向を理論で説明する/絶滅した化石ウマ/アンモナイトの急激な絶滅/ほぼ同時に生物が変化するのはなぜか?/中間種が分岐する系統を埋める/昔より今のほうが高度(higher)か?/その地にはその地の生物が/◎コラム――停止した進化?
11 生物の分布が進化の証拠に(1) Geographical Distribution(地理的分布)   動物地理区(zoogeographic region)/分布パターンは進化の証拠/スミレ(Viola)パンジー(Melanium)アヤメ(Iridaceae)クロッカス(crocus)/移住してもおたがい同じ/他人のそら似という説明/それぞれの種はそれぞれの起源を一つだけもつ/沈んだ大陸というアイデアもあるけれど/氷河期/昔は暖かかった/北と南で孤立したもの/◎コラム――ダーウィンとウォレス
12 生物の分布が進化の証拠に(2) Geographical Distribution−continued(続・地理的分布)   淡水の生き物は全世界に分布する/空飛ぶ二枚貝/白亜紀のタガメ/ガラパゴス諸島/衛星としての種族たち/種類の数が少ないのは移住のせい/固有の種類が多いのは移住と進化が原因/哺乳類爬虫類の話/コウモリはいるけどカエルがいない/属のありかたと、そして……/◎コラム――ナンキョクブナと大陸移動説
13 分類・形態・発生も進化理論で Mutual Affinities of Organic Beings: Morphology: Embryology: Rudimentary Organs(生物の相互類縁、形態学発生学痕跡器官)   分類学にはいかなる根拠があるのか?/入れ子構造に潜む証拠/使えるものと使えないもの/他からのサポートしだい/相互的な検証が証拠を示す/結果の偏りは何?/飼育栽培品種という具体例/相互的に判断する理由/顎と足が同じもの?/発生学/◎コラム――系統学以後の分類学
14 進化理論の論証のまとめ Recapitulation and Conclusion(要約と結論)   「ありえない」ことはない/交配ができるか否か/カエルはどこからやってきた?/どっちつかずの中間種は滅びる/化石記録を有効に/説明の質が問われる/生物学を統一する理論/
あとがき (二〇〇九年一月 北村 雄一)

ブックガイド
『種の起源(上・下)』C・ダーウィン/八杉龍一訳(岩波書店 1990)
『ビーグル号航海記(上・中・下)』C・ダーウィン/島地威雄訳(岩波書店 1979)
The Variation of Animals and Plants under Domestication C.Darwin(Kessinger Publishing's Rare Reprints 1885)
『人間の進化と性淘汰 機Ν供C・ダーウィン/長谷川眞理子訳(文一総合出版 1999)
『植物の受精』C・ダーウィン/矢原徹一訳(文一総合出版2000)
『現代によみがえるダーウィン』長谷川眞理子・三中信宏・矢原徹一(文一総合出版 1999)
『利己的な遺伝子』R・ドーキンス/日高敏隆・岸由二・羽田節子・垂水雄二訳(紀伊国屋書店 2006)
『クジャクの雄はなぜ美しい?』長谷川眞理子(紀伊国屋書店 2005)
『性選択と利他行動 クジャクとアリの進化論』H・クローニン/長谷川眞理子訳(工作舎 1994)
『ネコの毛並み 毛色多型分布』野沢謙(裳華房 1996)
『白亜紀に夜がくる』J・L・パウエル/寺嶋英志・瀬戸口烈司訳(青土社 2001)
『日本のスミレ 第二版』橋本保(誠文堂新光社 1968)
『家畜の細胞遺伝学的研究』牧野佐二郎(日本学術振興会 1954)
『生物の社会進化』R・トリヴァース/中島康祐・福井康雄・原田泰志訳(産業図書 1991)
アリの性比をめぐる親子の対立 長谷川英祐『親子関係の進化生態学』第1章(北海道大学図書刊行会 1996)
『蟻の自然誌』B・ヘルドブラー&E・O・ウィルソン/辻和希・松本忠夫訳(朝日新聞社 1997)
『銃・病原菌・鉄 一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎(上・下)』J・ダイヤモンド/倉骨彰訳(草思社 2000)
『カンブリア紀の怪物たち 進化はなぜ大爆発したか』S・C・モリス/松井孝典監訳(講談社現代新書 1997)
『系統樹思考の世界 すべてはツリーとともに』三中信宏(講談社現代新書 2006)
『動物地理学』W・ジョージ/吉田敏治訳(古今書院 1968)
『サクラソウの目 繁殖と保全の生態学 第2版』鷲谷いずみ(地人書館 2006)
Primulas of Europe & America editor J. E. Good(The Alpine Garden Society 1987)
On the Nature of Limbs R. Owen, Edited by R. Amundson(The University of Chicago Press 2007)
『動物進化形態学』倉谷滋(東京大学出版会 2004)
『熱帯の自然』A・R・ウォレス/谷田専治・新妻昭夫訳(平河出版社 1987)

チャールズ・ダーウィン Charles Darwin
1809年 2月12日,イギリスのシュルーズベリーで誕生/1825年 エディンバラ大学医学部に入学/1827年 エディンバラを退学/1828年 ケンブリッジ大学入学,ヘンズローと会う/1831年 ビーグル号に乗船,南半球を周航/1835年 ガラパゴスに上陸/1836年 帰国/1837年 ロンドンへ移住,進化論のノートを書き始める/1838年 マルサス『人口論』を読む/1839年 エマと結婚,フッカーと会う,『ビーグル号航海記』/1842年 ダウンへ移住,進化論の要旨を執筆/1844年 進化論の概要を極秘で清書し妻に渡す/1858年 リンネ学会でウォレスとともに進化論を発表/1859年 『種の起源』第一版/1868年 『飼育栽培下における動植物の変異』/1871年 『人間の由来』/1872年 『種の起源』第六版,『人間と動物の感情表現』/1881年 『ミミズの作用による栽培土壌の形成』/1882年 4月19日,死去

『種の起源』 On the origin of species by means of natural selection or the preservation of favoured races in the struggle for life
第一版 1859年/第二版 1860年/第三版 1861年/第四版 1866年/第五版 1869年/第六版 1872年 (いずれも John Murray 社より)


≪著者: ≫ 北村 雄一 (きたむら・ゆういち) 1969年長野県生まれ。サイエンスライター&イラストレーター。深海生物、恐竜、進化、系統学などの分野を中心に執筆・制作活動を行っている。おもな著書に、『深海生物ファイル』(ネコ・パブリッシング)『深海生物の謎』(ソフトバンククリエイティブ)、『ドラえもんのびっくり古代モンスター』(小学館)、『ありえない!? 生物進化論』(ソフトバンククリエイティブ)、『深海魚摩訶ふしぎ図鑑』(保育社)などがある。
ホームページ http://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili/


見〜つけたッ♪




本「断食芸人  Franz Kafka, Ein Landarzt und andere Drucke zu Lebzeiten Kritische Ausgabe herausgegeben von Wolf Kittler, Hans-Gerd Koch und Gerhand Neumann (白水uブックス157、カフカ・コレクション)」カフカ、池内紀 訳5

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断食芸人―カフカ・コレクション (白水uブックス)
断食芸人  Franz Kafka, Ein Landarzt und andere Drucke zu Lebzeiten Kritische Ausgabe herausgegeben von Wolf Kittler, Hans-Gerd Koch und Gerhand Neumann (白水uブックス157、カフカ・コレクション)

○著者: フランツ・カフカ池内紀
○出版: 白水社 (2006/8,新書 232ページ)
○価格: 1,050円
○ISBN: 978-4560071571
おすすめ度: 5.0
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みすず書房のシリーズ「理想の教室」にラインナップされた『カフカ『断食芸人』〈わたし〉のこと (三原弟平 著、2005/12)』にあってテキストとして掲げられ、詳細に解説されていたのが短篇小説『断食芸人 Ein Hungerkünstler 1924』であった。一見してなんら関連を見出すことができないような著書でありながら、ほぼ同時並行的に読んでいた『同時代人サルトル (長谷川宏 著、講談社学術文庫、2001/8)』にあって二〇世紀を代表する作家のうちのひとりとして掲げられていたのが“フランツ・カフカ (Franz Kafka, 1883-1924)”であった。たった一箇所の短い記述ではあったが、そこに記述が在った。
ぼくのなかで示した反応は、とりあえずあらためて『断食芸人』を読んでみよう、であって、比較的最近の刊行であることと、すでに二作を読んでいることから、訳者池内紀の本書に。


≪目次: ≫
『田舎医者 (Ein Landarzt 1920)』短篇集
新しい弁護士/田舎医者/天井桟敷で/一枚の古文書/掟の門前/ジャッカルとアラビア人/鉱山の来客/隣の村/皇帝の使者/家父の気がかり/十一人の息子/兄弟殺し/夢/ある学会報告
『断食芸人 Ein Hungerkünstler 1924)』四つの物語
最初の悩み/小さな女/断食芸人/歌姫ヨゼフィーネ、あるいは二十日鼠族
〈新聞・雑誌に発表のもの〉
女性の聖務日課/祈る人との対話/酔っぱらいとの対話/ブレンシアの飛行機/ある青春小説/永の眠りについた雑誌/マックス・ブロート フランツ・カフカ共著『リヒャルトとザームエル』第一章/はじめの長い鉄道旅行(プラハ−チューリヒ)/大騒音/マトラルハザ便り/バケツの騎士

『断食芸人』の読者のために/池内 紀


Uブックス「カフカ・コレクション」刊行にあたって
このシリーズは『カフカ小説全集』全六巻(二〇〇〇−二〇〇二年刊)を、あらためて八冊に再編したものである。訳文に多少の手直しをほどこし、新しく各巻に解説をつけた。


≪著者: ≫ フランツ・カフカ (Franz Kafka, 1883-1924) チェコのプラハに生まれる(当時はオーストリア=ハンガリー帝国領)。両親ともドイツ系ユダヤ人。プラハ大学で法学を専攻。在学中に小説の習作を始める。卒業後は労働者傷害保険協会に勤めながら執筆にはげむ。若くして結核にかかり、41歳で死去。『変身』などわずかな作品をのぞき、そのほとんどは発表されることなくノートに残された。死後、友人マックス・ブロートの手により世に出され、ジョイス、プルーストとならび現代世界文学の最も重要な作家となっている。

[訳者] 池内 紀 (いけうち・おさむ) 1940年、兵庫県姫路市生まれ。ドイツ文学者、エッセイスト。主な著訳書:「ウィーンの世紀末」、「二列目の人生」、ゲーテ「ファウスト」他
ゲーテさんこんばんは (集英社文庫、2005/11)』
となりのカフカ (光文社新書、2004/8)』


Narcissus tazetta




本「デリダと歴史の終わり  POSTMODERN ENCOUNTERS DERRIDA AND THE END OF HISTORY by Stuart Sim (ポストモダン・ブックス12)」ステュアート・シム、小泉朝子 訳、富山太佳夫 監修5

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デリダと歴史の終わり (ポストモダン・ブックス)
デリダと歴史の終わり  POSTMODERN ENCOUNTERS DERRIDA AND THE END OF HISTORY by Stuart Sim (ポストモダン・ブックス12)

○著者: ステュアート・シム、小泉朝子 訳、富山太佳夫 監修
○出版: 岩波書店 (2006/10,単行本 114ページ)
○価格: 1,575円
○ISBN: 978-4000270823
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≪目次: ≫
日本語版によせて (シリーズ編者 リチャード・アピニャネージ,編集部 訳)
デリダと歴史の終わり (DERRIDA AND THE END OF HISTORY)   歴史を疑問視する/デリダを理解するために/終焉論/フクヤマ歴史の終わりボードリヤールと歴史の終わり/リオタールと歴史の終わり/意識と歴史の終わり/差延とは何か? 脱構築エトス/脱構築の政治学/精神、亡霊、終わりの先送り/理想と現実――フクヤマを突き崩す/今日的な問いかけなのか?

原注
文献
基本概念
   イデオロギー(ideology)構造主義的マルクス主義(Structural Marxism)最後の人間(last men)脱構築(ディコンストラクション,deconstruction)人間原理(anthropic principle)/認識論的断絶(epistemological break)/ヒューマニズム(humanism)ポストモダン(postmodern)/メタナラティヴ(metanarrative)/(目的のある)歴史(History(with a purpose))/モダン(modern)/ロゴス中心主義(logocentrism)
〈解説〉フクヤマ、誰? (富山太佳夫)
読書案内 (富山太佳夫)   ジャン=フランソワ・リオタール『ポスト・モダンの条件』/フクヤマ『世界の終わりと最後の人間』/野家啓一『物語の哲学』(岩波現代文庫、二〇〇五)/『マルクスの亡霊たち』/J・ヒリス・ミラー『小説と反復』(玉井瞕ほか訳、英宝社、一九九一)/O・クルマン『キリストと時』(前田護郎訳、岩波書店、一九五四)/ミルチャ・エリアーデ『永遠回帰の神話』(堀一郎訳、未来社、一九六三)


≪著者: ≫ ステュアート・シム (Stuart Sim) イギリス,サンダーランド大学教授.批評理論・文化理論.本シリーズで他に『リオタールと非人間的なもの』を執筆.また『現代文学・文化理論家事典』(編,松柏社)ほかの編著がある.

[訳者] 小泉朝子 (こいずみ・あさこ) 1969年生まれ.早稲田大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学.早稲田大学大学非常勤講師.イギリス文学.ジョナサン・スペンス『毛沢東』(岩波書店).

[翻訳監修] 富山太佳夫 (とみやま・たかお) 1947年生まれ.青山学院大学教授.イギリス文学.『笑う大英帝国』(岩波新書)ほか.


Ipheion Pink Star




本「世界を語るということ 「言葉と物」の系譜学 (双書哲学塾10)」清水哲郎5

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世界を語るということ―「言葉と物」の系譜学 (双書哲学塾)
世界を語るということ 「言葉と物」の系譜学 (双書哲学塾10)

○著者: 清水哲郎
○出版: 岩波書店 (2008/1,単行本 161ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4000281584
おすすめ度:4.0
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≪目次: ≫
集中講義 『世界を語るということ』
第1講 人間における「語り」=ロゴスの成立
   「ロゴス」ということ/人間の生活における「なぜ・どうして」の起源/言葉についての言葉であるロゴス
第2講 ロゴスとピュシス   「フィロソフィア philosophia」という語の用法を遡る/哲学の起源に遡って/ピュシスに向かってロゴスを問う/生成消滅を司る秩序としてのロゴス
第3講 〈ある〉の途を辿るロゴス   ロゴスの中にロゴスを求める/再び、何についての議論か
第4講 ロゴスとフィロソフィアの途   プラトンのフィロソフィア
第5講 語りかけ、創り出すロゴス   神のロゴスの参加/永遠の言葉――人間の言葉
第6講 三位一体説の形成   イエス・キリストの神格化/アレイオス論争とニカイア信条(論点1「生まれる」は時の内の変化ではない 論点2「……から」と「ウーシアが同じ」 〈同じ〉ということ ニカイア信条のまとめ)/ニュッサのグレゴリオス――ウーシアとヒュポスタシス(神は一つ/人も一つ 三つのヒュポスタシスのコイノニア)/個は対話の相手として浮かび上がってくる
第7講 言葉が先か世界が先か   アルクィヌスの言葉理解/アンセルムスの存在理解と言葉の問題(信を横によけておいて、理に徹する思索 神の存在証明 音声言葉――心の言葉 世界に先立つ言葉)/ペトルス・アベラルドゥスと一一−一二世紀の普遍戦争(《普遍》ということ――論争のテーマ 音声言語論vs実在論)/実在論派の諸理論(a質料としての存在者本体(essentia materialis)論 b無差異(indifferens)論 ウーシア−ヒュポスタシス理解を想起して)/アベラルドゥスの挑戦(音声=言語論者としてデビュー 理論の改訂1――事態 理論の改訂2――表示の働き 創造に先立つ神のうちなる概念 唯名論派の成立 概念論?)/固体化をめぐる発想
第8講 普遍の認識か個の認識か   トマス・アクィナスドゥンス・スコトゥスオッカムのウィリアムと一四世紀的唯名論/普遍であるのは概念=理解する働き(概念は言葉の側に 個物の認識=言葉の把握 創造に先立つ神の認識)
第9講 方法としての論理と語りかける働きとしての言葉   元祖オッカムの剃刀は論理=ロゴスの方法論/修正版剃刀――近代自然科学をリードする理性/ルターと神の語りかける言葉の再発見/私の現場に戻って

参考文献
ヘロドトス『歴史』松平千秋訳、『世界の名著5 ヘロドトス トゥキュディデス』村川堅太郎編、中央公論社、一九七〇年
トゥキュディデス『戦史』久保正彰訳、『世界の名著5 ヘロドトス トゥキュディデス』村川堅太郎編、中央公論社、一九七〇年
Hermann Diels/Walther Kranz, Die Fragmente der Vorsokratiker, Berlin, 1954.
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』(上・中・下)加来彰俊訳、岩波文庫、一九八四−九四年
井上忠『パルメニデス』青土社、一九九六年
G・E・L・オーエン『エレア派の問い』山本巍訳、『ギリシア哲学の最前線1』井上忠・山本巍編訳、東京大学出版会、一九八六年
プラトン『ソクラテスの弁明・クリトン』久保勉訳、岩波文庫
プラトン『パイドン――魂の不死について』岩田靖夫訳、岩波文庫
清水哲郎「ソクラテスのオデュッセイア――「ヒッピアス(小)」の複層構造」、北海道大学哲学会『哲学』二四号、一−二一頁、一九八八年
清水哲郎「魂の配慮としての哲学――『ソクラテスの弁明』が提示すること」、東北大学哲学研究会『思索』二八号、一−一七ページ、一九九五年
清水哲郎『パウロの言語哲学』岩波書店、二〇〇一年
エチエンヌ・トロメク『キリスト教の揺籃期――その誕生と成立』加藤隆訳、新教出版、一九九八年
清水哲郎「ヨハネの福音書の『律法』解釈とキリスト論」、思想とキリスト教研究会編『途上』二五号、一四九−一六六頁、二〇〇三年
坂口ふみ『〈個〉の誕生――キリスト教教理をつくった人びと』岩波書店、一九九六年
V・ロースキィ『キリスト教東方の神秘思想』宮本久雄訳、勁草書房、一九八六年
清水哲郎『医療現場に挑む哲学供宗修海箸个僕燭觧笋燭繊捍α霆駛次二〇〇〇年
P.Schaff, The Creeds of Christendom, with a history and critical notrs, Vol. 2.
O・クルマン『キリストと時――原始キリスト教の時間観及び歴史観』前田護郎訳、岩波書店、一九五四年
ニュッサのグレゴリオス「ウーシアとヒュポスタシス」、Saint Basile, Lettres Texte établi et traduit par Yves Courtonne, 2vols., Collection Budé, Paris, 1957.
Shimizu, T., “Alcuin's Theory of Signification and System of Philosophy”, Didascalia 2, pp. 1-18, 1996.
F. S. Schmit, ed., S. Anselmi Cantnariensis Archiepiscopi Opera Omnia, 1946.
アンセルムス「モノロギオン」古田暁訳、『中世思想原典集成7 前期スコラ学』平凡社、一九九六年
アンセルムス「言の受肉に関する書簡(初稿)」古田暁訳、『中世思想原典集成7 前期スコラ学』平凡社、一九九六年
清水哲郎「人生天語――初期中世における言語理解とアンセルムス」、哲学会編『ギリシア・中世哲学研究の現在』(『哲学雑誌』第一一三巻七八五号)、九四−一一二頁、有斐閣、一九九八年
清水哲郎「アンセルムスの存在論的証明と普遍問題」、思想とキリスト教研究会編『途上』一五号、四七−六九頁、一九八五年
Shimizu, T.,“Words and Concepts in Anselm and Abelard”, in J. Biard, éd., Langage, sciences, philosophie au XIIe siécle,Paris, Vrin, 1999.
Shimizu, T.,“Words and Esse in Anselm and Abelard”, G. E. M. Gasper & H. Kohlenberger, eds., Anselm and Abelard: Investigations and Juxtapositions, Pontifical Institute of Medieval Studies, 2006.
Iwakuma, T.,“Vocales,' or early nominalists”, Traditio XLVII, 1992.
ペトルス・アベラルドゥス「ポルフェリウス註訳(イングレディエンティブス)」清水哲郎訳、『中世思想原典集成7 前期スコラ学』平凡社、一九九六年
ピエール・アベラール/エロイーズ『アベラールとエロイーズ――愛と修道の手紙』畠中尚志訳、岩波文庫
清水哲郎「唯名論−論理学の視点へ――アベラール表示理論の展開」、日本哲学会編『哲学』四三号、四九−七〇頁、一九九三年
Shimizu, T., “From Vocalism to Nominakism: Progression in Abelard's Theory of Signification”, Didascalia 1, pp. 15-46, 1995.
Shimizu, T.,“The place of intellectus in the theory of signification by Abelard and ars meliduna”, in Intellectvet imagination dans la Philosophie Médiévale: Actes du XIIe Congrés International de Philosophie Médiéval de la Société International pour l'Étude de la Philosophie Médiévale (S.I.E.P.M.) Porto, du 26 au 31 août 2002, pp. 927-939, Brepols, 2006.
稲垣良典『抽象と直観――中世後期認識理論の研究』創文社、一九九〇年
清水哲郎『オッカムの言語哲学』勁草書房、一九九〇年
清水哲郎「オッカムにおける方法としての論理学」、『中世における知と超越』創文社、一九九二年
Shimizu, T.,“Time and Eternity: Ockham's Logical Point of View”, Franciscan Studies 50, PP. 283-307, 1990.
清水哲郎「元祖《オッカムの剃刀》――性能と使用方法の分析」、『季刊哲学』一一号、八−二三頁、一九九〇年
清水哲郎「ルター」、伊藤博明編『哲学の歴史4(15-16世紀)ルネッサンス』中央公論社、二〇〇七年
清水哲郎『医療現場に挑む哲学』勁草書房、一九九七年


*本書は、『新・哲学講義1 ロゴス その死と再生』(一九九八年、岩波書店)に収録された「講義の七日間 ロゴスの遍歴」を大幅に加筆・訂正したものである。


≪著者: ≫ 清水哲郎 (しみず てつろう) 1947年生まれ.東京大学大学院人文社会系研究科次世代人文学開発センター上廣死生学講座教授.専攻,哲学.著書:『パウロの言語哲学』(岩波書店),『オッカムの言語哲学』(勁草書房),『医療現場に臨む哲学』(勁草書房)ほか.


かぜにまけるなベイヴィ〜♪




本「ここにも神々はいます (双書哲学塾11)」内山勝利5

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ここにも神々はいます (双書哲学塾)
ここにも神々はいます (双書哲学塾11)

○著者: 内山勝利
○出版: 岩波書店 (2008/1,単行本 144ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4000281614
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・・・われわれには、「知らないと知る」ことしか許されていないとしても、それはまた、われわれのそのつどの「思いなし(ドクサ)」について、「そうではない、として知る」ことでもあるはずです。傍目には一方的な「論駁」と見えようとも、知の否定の過程が、とりもなおさず知の追求の過程にほかならない。知を求めながらの論駁は、けっしてもとの無知へと舞いもどるものではありません。それはかならず、より高次の思いなしを誘発し、より真理に近接した知の可能性をさぐりあて、そしてふたたびそれの吟味と論駁をうながしつづけることになるでしょう。そのようにして反復される否定的論駁をくぐり抜けながら、「人間の知恵」はよりすぐれた質を獲得していくのであり、おそらくその無限のかなたには、完全な知を望み見ることができるでしょう。  (P.52、第4日)

エロースはまた、美しきものの中での出産を目指しもします。異性間の恋愛では、まさにそういうしかたで相手を求め合うわけですが、これも「死すべき者」たちにとっては必然的な行為なのです。なぜなら、われわれに与えられた「よきもの」はたえざる生成消滅の過程の中にしかありえず、したがって再生産の連鎖によってしかその存在を確保できないからです。不死なる神々であればやすやすと実現していることを、不断の滅びを懸命にとりつくろうことによって、われわれはかろうじて、その影のようなものをなぞりとっている。いや、身体的な永続性についてだけではありません。精神の領域においても事は同様です。知識や徳でさえも、われわれは幾度も学びなおし思い出しなおしながら、つまり生成と消滅をくり返しながら、何とか身につけているのが実情でしょう。そして、それらをさらに長く保持するためには、すぐれた若者たちを見つけ出して、彼らの中に(ちょうど子種を宿すようにして)芽生えさせるようにしなければならない。その欲求(エロース)の発動が「少年愛(パイデラスティアー)」というかたちをとるのです(ですから、これはかならずしも同性間だけで成立するものではありえません)。  (P.60-P.61、第5日)

あるとき、初期哲学者の一人ヘラクレイトスのもとを訪れた客人たちは、彼が調理場の竈(かまど)のそばで暖をとっているのを目にして近づきかねていると、当の主人は彼らにこういったとのことです。「遠慮なくお入りなさい、ここにも神々は在(い)ますから」。おそらく厨房のようなところへは、普通は客人が足を踏み入れたりしないものだったのでしょう。しかし、ミレトス派の考え方を発展させたヘラクレイトスにとって、燃えている火は、宇宙的エネルギーの顕現として世界の実相を如実に示すものだったのであり、それゆえに彼は台所で燃えている火をも神々と呼んでいるのです。あるいはさらに、彼は、神々が世界のすみずみにまで遍在していることをもいわんとしていたのかもしれません。  (P.13-P.14、第一日)



≪目次: ≫
講義の七日間 『神・自然・理性』
第1日 「ここにも神々は在(い)ます」
第2日 原因としての神
第3日 実在と生成のパラドックス
第4日 理性を越えるもの
第5日 美のイデア
第6日 無神論とアトミズム
第7日 神・人間・世界
補講 愛知(フィロソフィア)の言語と文体

さらに考察を深めたい人のための読書案内
ホメロス
『イリアス』(上・下)平松千秋訳、岩波文庫
『オデュッセイア』(上・下)平松千秋訳、岩波文庫
ヘシオドス
『神統記』廣川洋一訳、岩波文庫
『仕事と日』平松千秋訳、岩波文庫
ヘロドトス
『歴史』(上・中・下)平松千秋訳、岩波文庫
初期ギリシア哲学者たち
『ソクラテス以前哲学者断片集』(5分冊+別冊)内山勝利編、岩波書店
『プラトン全集』(15巻+別巻)田中美知太郎・藤沢令夫編、岩波書店
『ソークラテスの弁明・クリトーン・パイドーン』田中美知太郎。池田美恵訳、新潮文庫[『ソクラテスの弁明・クリトン』久保勉訳、岩波文庫/『ソクラテスの弁明・クリトン』三嶋輝夫・田中享英訳、講談社学術文庫]
『饗宴』久保勉訳、岩波文庫[『饗宴』森進一訳、新潮文庫/『饗宴・パイドン』(西洋古典叢書)朴一功訳、京都大学学術出版会]
『国家』(上・下)藤沢令夫訳、岩波文庫
『パイドロス』藤沢令夫訳、岩波文庫
『法律』(上・下)森進一・池田美恵・加来彰俊訳、岩波文庫
アリストテレス
『形而上学』(上・下)出隆訳、岩波文庫

G・S・カーク/J・E・レイヴン/M・スコフィールド『ソクラテス以前の哲学者たち』内山勝利他訳、京都大学学術出版会
廣川洋一『ソクラテス以前の哲学者』講談社学術文庫
R・S・ブラック『プラトン入門』内山勝利訳、岩波文庫
藤沢令夫『プラトンの哲学』岩波新書
G・E・R・ロイド『アリストテレス――その思想の成長と構造』川田殖訳、みすず書房
山口義久『アリストテレス入門』ちくま新書

*本書中の「講義の七日間」は『新・哲学講義2 神と実在へのまなざし』(岩波書店、一九九八年)に収録されたものを加筆訂正したものである。「補講」は「定年退職講義録」を加筆訂正したものである。


≪著者: ≫ 内山勝利 (うちやま かつとし) 1942年生まれ.京都大学名誉教授.専攻,ギリシア哲学.著書:『対話という思想』(岩波書店),『哲学の初源へギリシア哲学論集』(世界思想社)ほか.






crocus

本「カミュ『よそもの』きみの友だち (理想の教室)」野崎 歓5

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カミュ『よそもの』きみの友だち (理想の教室)
カミュ『よそもの』きみの友だち (理想の教室)

○著者: 野崎 歓
○出版: みすず書房 (2006/8,単行本 154ページ)
○価格: 1,575円
○ISBN: 978-4622083214
おすすめ度: 3.5
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きょう、母さんが死んだ。きのうだったかもしれないが、わからない。老人ホームから電報が届いた。「ハハウエシス/ソウギアス/オクヤミモウシアゲマス」。これではさっぱりわからない。きっときのうだったのだろう。
老人ホームはアルジェから八十キロのマランゴにある。・・・  (P.6、テクスト 第一章 第一部)

物語の舞台、アルジェリアの海(地中海)と、太陽と、、、
・・・一八三〇年にアルジェはフランス軍の前に陥落し、植民地支配が始まります。支配側の理屈とはどういうものだったでしょう? 野蛮にして狂信的な「劣等人種」たる「原住民」に「文明」と「理性」を授けてやる――それが自分たちの使命だというのです。イスラム教徒やユダヤ教徒、そしてそのさきに先住民であるベルベル人らからなる「原住民」たちは政治的権利をうばわれ、支配階級への隷従を強いられたのでした。そうした状況への不満は高まりつづけ、同時に植民地主義の横暴に対して批判のまなざしを向けるフランス人も声を上げ始めます。一九三〇年、アルジェリア征服百年が賑々しく祝われた陰で、アラブ人たちは「次の百周年はあるまい」とうわさした。『よそもの』が刊行された三年後には、ベルベル人たちの反乱が起こり、鎮圧されたものの、これを契機に独立運動は本格化しました。運動を封じようとする勢力とのあいだの熾烈な戦いを経て、ついに一九六二年、アルジェリアは独立国となるのです。  (P.77、第二回 太陽と旋律)



≪目次: ≫
テクスト――カミュ(Albert Camus, 1913-1960)よそもの (L'Étranger, 1942)』より(野崎歓訳)
第一部 第一章(抄)/第六章(抄)/第二部 第一章(抄)

第1回 ムルソー、きみはいったいだれなんだ?
よそものと出会うために/冒頭からびっくり/感情ゼロの実験/正直者を愛せるか?/目のいい男/少しだけ文学史を/健康な男/庶民の知恵/黙した母/ムルソー、メルソー、そしてカミュ
第2回 太陽と戦慄
作品自体がよそものである/アフリカ小説の誇り/「太陽のせいです」/女の涙/男の人生/「運命の数学」/物語の照応/アラブ人はなぜ殺されたのか?/最初の人間
第3回 ムルソーを死刑に処すべきか?
解決篇の始まり/母親殺しの罪/言葉づかいの問題/『よそもの』の言葉/死の明らかさ/盲目の羊/あの世はあるのか/未来の底から/愛すること/しるしの世界へ

読書案内
[テクスト]
Albert Camus, L'Étranger, Gallimard, 1942.
Albert Camus, L'Étranger, Le Club du meilleur live, 1954.
Albert Camus, L'Étranger, in Théâtres, récits, nouvelles, préfaces par Jean Grenier, textes établis et annotés par Rpger Quillot, Gallimard, “Bibliothèque de la Pléiade”, 1962.
Albert Camus, Œuvres complètes : 1931-1944, édition publiée sous la direction de Jacqueline LéviValensi, Gallimard, “Bibliothèque de la Pléiade”, 2006.
カミュ『異邦人』窪田啓作訳、新潮文庫、一九五四年
『カミュ全集』全一〇巻、佐藤朔・高畠正明編集、新潮社、一九七二〜七三年
[研究・評論]
ジャン=ポール・サルトル「『異邦人』解説」(一九四三年)窪田啓作訳〔『シュチュアシオン 機戞淵汽襯肇訌棺 11)所収、人文書院、一九六五年〕
モーリス・ブランショ「異邦人の小説」(一九四三年)粟津則雄訳〔『踏みはずし』所収、筑摩書房、一九八七年〕
ロラン・バルト『零度のエクリチュール』(一九五三年)渡辺淳訳、みすず書房、一九七一年
アラン・ロブ=グリエ「自然、ヒューマニズム、悲劇」(一九五八年)平岡篤頼訳〔『新しい小説のために』所収、一九六七年、新潮社〕
ルネ・ジラール「『異邦人』のもう一つの扉」(一九六八年)織田年和訳〔『地下室の批評家』所収、白水社、一九八四年〕
コナー・クルーズ・オブライエン『カミュ』(一九七〇年)富士川義之訳、新潮社、一九七一年
エドワード・W・サイード「カミュとフランス帝国体験」(一九九四年)大橋洋一訳〔『文化と帝国主義 機拿蠎、みすず書房、一九九八年〕
オリヴィエ・トッド『アルベール・カミュ〈ある一生〉』(一九九六年)有田英也・稲田晴年訳、毎日新聞社、二〇〇一年
西永良成『評伝アルベール・カミュ』白水社、一九七六年
三野博司『カミュ『異邦人』を読む――その謎と魅力』彩流社、二〇〇二年
三野博司『カミュ 沈黙の誘惑』彩流社、二〇〇三年
内田樹『ためらいの倫理学』〔『ためらいの倫理学 戦争・性・物語』角川文庫、二〇〇三年所収〕
[CD録音]
L'Étranger lu par Albert Camus, Frémeaux & Associés, FA5052.
[映画化作品]
ルキノ・ヴィスコンティ監督『異邦人』(一九六七年)
[アルバム]
Daniel Rondean, Camus ou les promesses de la vie, Mengès, 2005


≪著者: ≫ 野崎 歓 (のざき・かん) 一九五九年生まれ。東京大学助教授。専門はフランス近・現代文学、映画論。十九世紀文学の研究に右足を、現代小説の翻訳・紹介に左足をおき、映画も視野に収めて文化研究の新たな可能性を追う。著書に『ジャン・ルノワール 越境する映画』(青土社)、『フランス小説の扉』(白水社)、『谷崎潤一郎と異国の言語』(人文書院)、『香港映画の街角』(青土社)、『五感で味わうフランス文学』(白水社)、『赤ちゃん教育』(青土社)など。訳書にルノワール『ジョルジュ大尉の手帳』(青土社)、トゥーサン『愛しあう』(集英社)、ウエルベック『素粒子』(筑摩書房)、グランベール『ある秘密』(新潮社)、ガイイ『ある夜、クラブで』(集英社)、バルト『いかにしてともに生きるか』(筑摩書房)など。


花とおじさん♪




本「言葉にのって 哲学的スナップショット  Jacques Derrida, SUR PAROLE――Instantanés philosophiques (Édition de I'Aube, 1999) (ちくま学芸文庫)」ジャック・デリダ、林好雄・森本和夫・本間邦雄 訳5

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本「言葉にのって 哲学的スナップショット」ジャック・デリダ
言葉にのって 哲学的スナップショット  Jacques Derrida, SUR PAROLE――Instantanés philosophiques (Édition de I'Aube, 1999) (ちくま学芸文庫)

○著者: ジャック・デリダ、林好雄・森本和夫・本間邦雄 訳
○出版: 筑摩書房 (2001/1,文庫 254ページ)
○価格: 998円
○ISBN: 978-4480086136
おすすめ度: 4.0
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 デリダ――私がどのように私の死を想像するのか、あなたに言うことはできません。あまりにも多くのしかたでそれを想像するのです。その点については、私は、あまりにも多くの想像力を費やしているので、それであなたの耳をうんざりさせるのは慎むことにします。もちろんそうしたイメージの特に何度も繰り返して現われるいくつかの形があって、自動車事故だとか水死だとかを私は想像します。自殺劇は今でも見られますが、相変わらず不信心な誰かのためのものです。なぜなら、私はしばしばそのことを考えますが、私の自殺はありえないと思うからです。そのことは、私が頭の中で、しょっちゅ自殺のシナリオを自演する妨げにはなりませんが……。  (P.078、肉声で)


もし仮に、私にとってこれほど不確かなことはないのですが、あらゆる危険を冒して、人前でこうし話を即興でしなければならなかったとして、そのあとは、時を越えて、沈黙や忘却の手に委ねてしまったほうがよかったのではないか。
最初の間違いを直さないのは、第二の間違いを早めることになる、と言われます。それなら、私にとってこれほど不確かなことはないのですが、言いなりになって、一瞬無防備なこれらの言葉が一つの著作の中に書き留められることに、納得しなければならなかったのでしょうか。
すんだことはしかたがないと、いくつかの親しい声が私に言います。すでに公開されたのだから、公表されたのも同じだ。スナップショットはとられた。それはきみをとった。写真でとるように。そして、他者の目にきみをさらしたのだ――本物の姿ではないにしても、少なくとも一連の徴候として。
となると、ただ一つの規則は、ごまかさないこと、一字一句書き写すときに、何も変えないこと。たとえ一つ一つの文句が、豊かな展開によって、解釈や複雑さによって、もっと説得力のある分析、ニュアンス、洗練された言葉づかいによって、時にはそれ自身に対する異議や取消しによって、未決定な状態におかれているように私に見えるときでも。とりわけ口調の変化によって、そう見えるときでも。遅すぎるのです。だから、自由に行なわれたのは、いくつかの句読法に関するものだけ。生き生きとした言葉の息吹が、時に《生放送》の直接的な書き写しにあらがって、それをものともしないような場合に。それと何箇所か、めったにないのですが、ただ明快さのために、二つか三つの語を付け加えてありますが、つねに〔 〕に入れて示しててあります。  (P.007-P.008、序)

フランス・キュルチュールにおけるラジオ番組《肉声で》の一環として、カトリーヌ・パオレッティは、一九九八年の十二月十四日から十八日までの一週間、ジャック・デリダと対談しました。その対話からは、哲学の豊かで多様な道程が姿を現わしています。私たちはここに、その対談をノーカットで書き写したものを再録します。
アントワーヌ・スピール制作の番組《スタッカート》の何回かの放送は、ジャック・デリダによって論じられたいくつかの独自の考察テーマに割かれています。すなわち、歓待について(一九九七年十二月十九日)、正義と赦し(一九九八年九月十七日)、政治における虚言について(一九九九年一月七日)、現象学について、およびマルクス主義について(一九九九年七月六日)です。それらは、たんに清書されたあとで、抜粋の形で、入念な配慮のうえ、ここにまとめられています。  (P.009、刊行者ノート)



≪目次: ≫

刊行者ノート


肉声で
歓待について
現象学について
政治における虚言について
マルクス主義について――ダニエル・ベンサイードとの対話
正義と赦し

訳註(林 好雄・本間邦雄)
訳者解説(訳者を代表して 林 好雄)  〈顔〉と〈声〉/〈現象学〉と〈マルクス主義〉/〈歓待〉の〈法(ロワ)〉
【デリダの著作】
1 『フッサール哲学における発生の問題』 le problème de la genèse de Husserl, PUF, 1990.
2 『エクリチュールと差異』 L'écriture et la différence, Seuil, 1967. (阪上修ほか訳、法政大学出版局、一九七七年、一九八三年)
3 『声と現象』 La Voix et le phénomène, PUF, 1967. (高橋允昭訳、理想社、一九七〇年)
4 『グラマトロジーについて』 De la grammatologie, Minuit, 1967. (足立和浩訳、現代思潮社、一九七二年)
5 『余白――哲学の/について』 Marges―― de la philosophie, Minuit, 1972.
6 『弔鐘(グラ)』 Glas, Galilée, 1974.
7 『拍車=衝角(エプロン)――ニーチェの文体』 Eperons, Les styles de Nietzsche, Flammarion, 1978. (『尖筆とエクリチュール』白井健三郎訳、朝日出版社、一九七九年)
8 『郵便絵葉書』 La Carte postale, de Socrate à Freud et au-delà, Flammarion, 1980.
9 『視線の権利』 Droit de regards, Minuit, 1985. (鈴村和成訳、哲学書房、一九八八年)
10 『パラージュ(海域)』 Parages, Galilée, 1986.
11 『ユリシーズ蓄音器――ジョイスのための二つの言葉』 Ulysse gramophone, Deux mots pour Joyce, Galilée, 1987.
12 『精神について――ハイデガーと問い』 De l'esprit, Heidegger et la question, Galilée, 1987. (港道隆訳、人文書院、一九九〇年)
13 『哲学への権利/法から哲学へ』 Du droit à la philosophie, Galilée, 1990.
14 『盲者の記憶――自画像およびその他の廃墟』 Mémoires d'aveugle, L'autoportrait et autres ruines, Réunion des musées nationaux, 1990. (鵜飼哲訳、みすず書房、一九九八年)
15 『解釈の戦争――カント、ユダヤ人、ドイツ人』 Interpretations at war, Kant, le juif, l'Allemand, in Phénoménologie et Politique, Ousia, 1990. (鵜飼哲訳、『現代思想』一九九九三年五〜八月号)
16 『他の岬』 L'autre cap, Minuit, 1991. (高橋哲哉・鵜飼哲訳、みすず書房、一九九三年)
17 『割礼告白』 Circonfession, in Jacques Derrida, Le Seuil, 1991.
18 『マルクスの亡霊たち』 Spectres de Marx, Galilée, 1993.
19 『友愛の政治学』 Politiques de l'amitie, Galilée, 1994.
20 『法の力』 Force de loi, Le 〈Fondement mystique de l'autorité〉, Galilée, 1994. (堅田研一訳、法政大学出版局、一九九九年)
21 『アポリア』 Apories, Galilée, 1996. (港道隆訳、人文書院、二〇〇〇年)
22 「信と知」 Foi et savoir―― les duex sources de la 〈religion〉 aux limites de la simple raison, in La religion, Seuil/Laterza, 1996. (松葉祥一・榊原達哉訳、『批判空間』彊谿譟前貉郵罅一九九六年〜九七年)
23 『万国の世界主義者よ、さらに努力を』 Cosmopolites de tous les pays, encore un effort!, Galilée, 1997. (港道隆訳、『世界』一九九六年一一月号)
24 『世界主義的観点から見た哲学の権利』 La droit à la philosophie du point de vue cosmopolitique, Unesco, 1997.
25 『賭けられたマルクス』 Marx en jeu, Descartes, 1997.
26 『歓待について』 De l'hospitalité, Calmann-Levy, 1997. (廣瀬浩司訳、産業図書、一九九九年)
27 『エマニュエル・レヴィナスへの訣別』 Adien à Emmanuel Levinas, Galilée, 1997.
28 『住まい/住みつく――モーリス・ブランショ』 Demeure, Maurice Blanchot, Galilée, 1998.
29 『死を与える』 Donner la mort, Galilée, 1999.

*本書は「ちくま学芸文庫」のために新たに訳出されたものである。


≪著者: ≫ ジャック・デリダ (Jacques Derrida) 1930年、アルジェリア生まれ。エコール・ノルマン卒業。脱構築の哲学者。著書に『声と現象』『グラマトロジーについて』ほか多数。

[訳者] 林 好雄 (はやし・よしお) 1952年、東京大学仏文科卒業。駿河台大学助教授(現在 駿河台大学教授)。
[訳者] 森本和夫 (もりもと・かずお) 1927年生まれ。東京大学仏文科卒業。東京大学名誉教授。駿河台大学教授。
[訳者] 本間邦雄 (ほんま・くにお) 1951年生まれ。東京大学哲学科卒業。駿河台大学教授


クロッカス♪




本「同時代人サルトル (講談社学術文庫)」長谷川 宏5

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同時代人サルトル (講談社学術文庫)
同時代人サルトル (講談社学術文庫)

○著者: 長谷川 宏
○出版: 講談社 (2001/8,文庫 364ページ)
○価格: 1,155円(品切重版未定)
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Jean-Paul Sartre, 1905-1980

仲たがいすることが「いっしょに生きていくためのもうひとつの生きかた」だといえるとすれば、逆に、仲よくすることはべつべつに生きるためのもうひとつの生きかただといえるかもしれない。すくなくともサルトルはさまざまな人びとと出会い、またわかれながら、そのように自分の孤独を生きていたように思われる。もっとも親しかったボーヴォワールとの関係においても、孤独の意識がもたらす距離は保たれていたのではなかろうか。『別れの儀式』で、ボーヴォワールを相手に自分の女性関係や性欲についてあけすけにかたるサルトルに、わたしはそのような距離を見てとれるように思う。  (P.43-P.44、1 サルトルの若さ、時代の若さ)

・・・知の普遍性に生きることが生活の安定をゆるがしかねない、という漠然たる恐怖感が広がっている。普遍的な知の分泌する批判の毒は、ゆとりと享楽の社会には、にがすぎるのだ。
そうした生活感覚が行きわたるなかで、知の普遍性をどうつらぬくか。おそらくそこに知識人たるもののもっとも現代的な課題がある。
課題の追求が知識人をさらに孤独に追いやるかもしれないが、それはさしたる問題ではない。問題は、孤独のなかで、なお社会とのあいだに現実に接点をもちうるかいなかにある。不用意に社会に身を投じれば、知識の普遍性は享楽の一種にすぎなくなるし、逆に身をかたくすれば、高踏の自己満足となる。
サルトルは多分に悲壮な思いをこめて知識人の孤独について語ったが、いま知の普遍性に生きようとするものに要求されるのは、現実との距離を測りつつ、孤独をさりげなく自然に生きることであるように思われる。  (P.125-P.126、)

(追記)書名『嘔吐』は、フランス語“La Nausée”の日本語訳として適切ではない。「嘔吐」の二字は第一義として「へどを吐くこと」を意味するが、ロカンタンはいちどもへどを吐いたりはしないし、サルトルもそんな意味で La Nausée といっているのではない。ここでの La Nausée は、存在の不条理がよびおこす不快感をいうもので、当然、「嘔気」とか「むかつき」といった訳語があてられるべきである。わたしは文中で、書名以外は「嘔気」をあてたが、書名だけは『嘔吐』がすっかり定着しているのであえて変更しなかった。以上、執筆中たえず気にかかっていたことを追記しておく。  (P.163-P.164、4 処女作『嘔吐』)

ひとりの人間がほかならぬその人間としてこの世に生きているという、その生きかたの根はどこにあるか。いいかえれば、ひとりの人間の人生の軌跡を根本的に左右するものはなにか。
先天的な資質ではない、環境でもない、才能でも良心でも愛でも努力でもない、とサルトルは考える。ひとりの人間をまさしくその人間たらしめる真価は、その人間の根源的選択にある。そうサルトルは考える。
根源的選択とはなにか。
ひとりの人間が社会の総体をむこうにまわして、それとどうかかわって生きていくか、その生きかたをみずから主体的にえらびとること――それが根源的選択である。たいせつなのは、そこにいたる過程がどれほど外的に強制されたように見えても、選択そのものがあくまで主体的になされるという点だ。ひとりの人間がある選択へと追いこまれること、その選択をあえておこなうこととのあいだには、因果の鎖によってはどうしても橋わたしできない深淵が横たわっていて、それは主体の決意によって飛び越えるほかはない。外界からの強制や拘束をおおいに受けつつも、選択はそのぎりぎりの極点で、強制や拘束をふりきるようにしてなされる。
こういう選択がひとりの人間の生涯を根本的に左右すると考えるのは、思えば、きわめてあやうい人生観だといわねばならない。因果の鎖といい、外界からの強制や拘束といい、それらは一面で生活上の確たるリアリティを構成するものにほかならず、それをふりきることは、人を空虚な地点に立たせずにはおかないのだから。そのとき人は否応なく不安や孤独に見まわれる。そして不安や孤独をのがれようとして、世間の常識や社会通念にたちもどろうとする。
それはそれでやむをえぬ処世術ともいえようが、サルトルにはそれがゆるせない。それがいかにも没主体的な自己欺瞞に見えるのだ。主体的に生きるべき人間が、われわれから主体性をふうじこめるように見えるのだ。
サルトルの人生観にしたがえば、人は不安や孤独に見まわれたとき、みずからそれに耐えなければならない。そして、まさしく不安と孤独のただなかで、選択し決意しなければならない。それがおこないえたときはじめて、人間は意識主体として生きているといえる。  (P.276-P.278、8 悪の弁証法)


本書は、雑誌『文藝』(一九八八年夏季号から一九九〇年冬季号まで)の九回にわたる連載評論に、加筆し、修正をほどこしたものである。
標題に「同時代人」という形容語を付したのは、サルトルの身近さをあらわすとともに、サルトルを論じつつ日本の戦後という自分の生きた時代をふりかえってみたい、という思いがあったからである。・・・  (P.356、あとがき)



≪目次: ≫
学術文庫版へのまえがき(二〇〇一年六月十日 長谷川 宏)
1 サルトルの若さ、時代の若さ
2 政治思想の視座
3 知識人の孤独
4 処女作『嘔吐』
5 混沌のなかの主体性
6 ヨーロッパ二十世紀のサルトル
7 歴史にむかって
8 悪の弁証法
9 戯曲のおもしろさ

あとがき(一九九四年五月十三日)
解説(桑田禮彰 駒澤大学教授)

*本書は、河出書房新社刊『同時代人サルトル』(一九九四年八月)を底本とした。


≪著者: ≫ 長谷川 宏 (はせがわ ひろし) 1940年、島根県生まれ。東京大学文学部卒業後,同大学大学院博士課程修了。専攻は哲学。ヘーゲルの斬新な翻訳により,ドイツ政府よりレッシング翻訳賞を受賞。著書に『ことばへの道』『新しいヘーゲル』『丸山眞男をどう読むか』など,訳書に『精神現象学』『歴史哲学講義』など,学術文庫にも『ヘーゲルの歴史認識』がある。


ワル




本「カフカ『断食芸人』〈わたし〉のこと (理想の教室)」三原弟平5

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カフカ『断食芸人』“わたし”のこと (理想の教室)
カフカ『断食芸人』〈わたし〉のこと (理想の教室)

○著者: 三原弟平
○出版: みすず書房 (2005/12,単行本 155ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4622083153
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この物語は、一方では書いてあることを字義通りにとる読み方が求められつつも、またその一方で、書いてあることとはべつのことがらが意味されているという、そうした読み方が同時存在的に求められている。けっして一方の読み方だけに収斂させることができない、そうしたたぐいの物語なのです。書かれてあるのとは別のことが意味されている、とくれば、それは寓話です。すなわちこの物語には、寓話的な性格があるのです。しかし、寓話そのものにはなりきっていません。というのもカフカの書く文章は、どの文章も読む者に「解釈せよ」とせまってくる。その意味では寓話的です。そこくせ、どの文章もそれを許そうとはしない。その点では寓話になりそこねています。寓話になりそこねている寓話なのに、いや、それゆえにこそ、読む者をなおさらいっそう激しく魅きつける。・・・  (P.94)



≪目次: ≫
テクスト――カフカ(Franz Kafka, 1883-1924)『断食芸人(Ein Hungerkünstler, 1922)』(三原弟平訳)
はじめに   「五つのWと一つのH」/準備運動として語句の説明を受ける〈断食芸〉〈サーカス〉〈インプラザーリオ(興行主)〉〈動物小屋〉/各節の行数かぞえ
第1回 読解ゲーム   1節、断食芸人たちと、この断食芸人/檻とガラスの箱/2節、〈公衆〉/大衆と事情通/監視人、その二つのタイプ/物語の動力は齟齬/食欲と睡眠欲/3節、真の齟齬、真の不満/四〇日/興行のフィナーレ、千秋楽四〇日目の式次第/4節、後産の節/写真/5節、暗転/6節、〈ワラヒ〉と〈エミ〉/7節、徒党間の葛藤に身をふるわせる/子どもたちにとって断食とは何であったろう/生肉嫌悪/8節、感じとれないものに理解させることはできない/意味上の疑問/文法上の疑問/9節、ホーフマンスタール「チャンドス卿の手紙」/自然奇術/ガラスを喰う出版人/否定的な味覚への殉教/断食だけとなった断食のすがた/10節、豹のいる終わり方/自由と肉食
第2回 〈わたし〉の寓話   作品と作者/寓話になりそこなった寓話/アルキメデスの点/「つき刺さった矢が……」/リゾーム状に通じあっているところ/ふたりの女のエピソード/「断食芸人」の死の場面と、『審判』の最後/「自由」と猿たち
第3回 〈わたくし小説〉と〈私小説〉   私小説の伝統とカフカ/カフカとカサイ/「贋物」(1917)/「不幸であること」(一九一〇)/自由で無拘束な文学的ジャンル/幽霊との対話

読書案内
『ある流刑地の話』本野亨一訳、角川文庫、一九六三年
『城』前田敬作訳、新潮文庫、一九七一年
『審判』本野亨一訳、角川文庫、一九五三年
『決定版カフカ全集』全一二巻、新潮社
『カフカ最後の手紙』三原弟平訳、白水社、一九九三年
グスタフ・ヤノーホ『カフカとの対話』吉田仙太郎訳、筑摩書房、一九六七年、ちくま学芸文庫、一九九四年
ハンス=ゲルト・コッホ編『回想のなかのカフカ』吉田仙太郎訳、平凡社、一九九九年
マックス・ブロート『フランツ・カフカ』辻瑆・林部圭一・坂本明美訳、みすず書房、一九五五年、再版一九七二年
クラウス・ヴァーゲンバッハ『フランツ・カフカ』塚越敏訳、理想社、一九六七年
クラウス・ヴァーゲンバッハ『若き日のカフカ』中野孝次・高辻知義訳、竹内書店、一九六九年、ちくま学芸文庫、一九九五年
谷口茂『フランツ・カフカの生涯』、潮出版社、一九七三年
アンソニー・ノーシー『カフカ家の人々』石丸昭二訳、法政大学出版局、一九九二年
池内紀『カフカの生涯』、新書館、二〇〇四年
ヴァルター・ベンヤミン「フランツ・カフカ」、「カフカについての手紙」(『ボードレール他五篇――ベンヤミンの仕事2』野村修編訳所収、岩波文庫、1994年)
ヴァルター・ベンヤミン「カフカ『万里の長城がきずかれたときに』」(『ベンヤミン著作集13 新しい天使』野村修編訳所収、三原弟平訳、晶文社、一九七九年)
テオドール・W・アドルノ「カフカおぼえ書き」(『プリズメン』所収、三原弟平訳、ちくま学芸文庫、一九九六年)
マルト・ロベール『カフカ』宮川淳訳、晶文社、一九六九年
ギュンター・アンダース『カフカ』前田敬作訳、彌生選書、一九七一年
エリアス・カネッティ『もう一つの審判』小松太郎・竹内豊治訳、法政大学出版局、一九七一年
ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『カフカ――マイナー文学のために』宇波彰・岩田行一訳、法政大学出版局、一九七八年
池田浩士・好村冨士彦・小岸昭・野村修・三原弟平『カフカの解読』、駸々堂、一九八二年
三原弟平『カフカ・エッセイ』、平凡社、一九九〇年
三原弟平『カフカとサーカス』、白水社、一九九一年
三原弟平『カフカ「変身」注釈』、平凡社、一九九五年
三原弟平「スライドするパラドクス――カフカにおけるイメージの変歪と現実』(『講座・20世紀の芸術5 言語の冒険』所収、岩波書店、一九八八年)
三原弟平「向きをかえるカフカの物語」(『日本病跡学雑誌 第56号』所収、金剛出版、一九九八年)
三原弟平「盲亀の浮木――私的カフカ研究書誌」(『ユリイカ 3月号 特集*新しいカフカ』所収、青土社、二〇〇一年)
三原弟平「ドイツ二〇世紀小説にみられたある感受性の革命」(『岩波講座・文学3 物語から小説へ』所収、岩波書店、二〇〇二年)
三原弟平「パサージュに落ちたカフカの影」(『大航海 第50号 特集 カフカと現代思想』所収、新書館、二〇〇四年)
水林章『公衆の誕生、文学の出現』、みすず書房、二〇〇三年
坂本種芳『奇跡の世界』、力書房、一九四三年
ヴァルター・キャウレーン『わが友・出版人――エルンストローヴォルトとその時代』平田達治・鎌田道生訳、ありな書房、一九八三年
柳田国男『不幸なる芸術・笑の本願』、岩波文庫、一九七九年


≪著者: ≫ 三原弟平 (みはら・おとひら) 一九四六年生まれ。京都大学教授。専門はドイツ文学。二〇世紀初頭のドイツ文学、とくにカフカ、ベンヤミンを中心に二〇年代、三〇年代の作家・思想家たちを問題にしている。著書『カフカ・エッセイ』(平凡社)、『カフカとサーカス』(白水社)、『カフカ「変身」注釈』(平凡社)、『ベンヤミンの使命』(河出書房新社)、『思想家たちの友情――アドルノとベンヤミン』(白水社)、『ベンヤミンと女たち』(青土社)。訳書『カフカ最後の手紙』(白水社)ほか。


花粉症対策♪




本「いのちの平等論 現代の優生思想に抗して」竹内章郎5

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いのちの平等論―現代の優生思想に抗して
いのちの平等論 現代の優生思想に抗して

○著者: 竹内章郎
○出版: 岩波書店 (2005/2,単行本 271ページ)
○価格: 3,045円
○ISBN: 978-4000221474
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そう、竹内章郎『新自由主義の嘘 (双書哲学塾09、岩波書店、2007/12)』から、もっともっとしっかり理解したくて早速に手にした。
本書は、「今では生命倫理学としてまとめられる分野」について、その全体像・根幹・輪郭を明らかにしたいと思って、私が書いてきた論文のいくつかを集めたものである。・・・  (P.后△呂犬瓩)

ある意味では、セネカが、死を生の完成を目指す最後の自由としてとらえ、同時に「肉体に人手を煩わすようになったとき、自殺は宇宙の秩序、神の心の合致とし」(サルダ,1988[335])た思想も、その根底においては、「やむをえざること」としての死の肯定以上の意味は持っていない。そもそも、死を肉体と魂との分離としてとらえたスコラ哲学全般がそうであるように、セネカも、自殺をいわば、問題多き現実から合理的脱出を求める自由として把握している。つまり、問題多き現実自体への諦念を前提にして、死を肯定しているにすぎない。しかも、そのように、諦念を持ってとらえた現実とは、端的には、人手を借りて肉体の維持を図るような状況であり、この状況をただちに肉体と魂との分離(死)にふさわしい状況だとして、死を肯定しているにすぎない。いいかえれば、セネカが、死を生の完成を目指す最後の自由だとしたのは、人手を借りる生への忌避感によることなのであり、こうした死の規定は、せいぜい歴史的制約をともなった「やむをえざること」としての死の肯定以上ではあり得ない。  (P.99-P.100)

ヒポクラテス的病気観は、 嵒袖ぁ廚魄果決定論的にとらえず、相互規定的にとらえる。そのため、◆嵒袖ぁ廚禄個人ごとに異なる、いわば心身医学的な内部環境・体質のホメオスタシスの崩れそのものとなる。この崩れは、また気候から食物にいたる外部環境との調和的関係の崩れでもあり、さらにこの関係において成立する住居から食生活にいたる生活のあり方や社会関係の問題でもある。したがって、ぁ嵒袖ぁ廚僚個人間における無差別同一性は考えられず、ゼN鼎癲一方で諸個人の体質に焦点をあわせ、他方で食生活の改善などに期待し、究極的には諸個人ごとに異なる、いわゆる自然治癒力に重きをおくものである。  (P.135)


≪目次: ≫
はじめに

機,い里舛鮗蕕
第一章 「弱者」のいのちを守るということ――「重度障害者」が提起するもの (初出「いのちを守る」、伊坂青司・佐藤和夫・竹内章郎共著『生命の倫理を問う』大月書店、一九八八年)
1 「安楽死」は「本人のため」か (1)「安楽死」を語るということ (2)人間をみる眼 (3)激痛はしかたないか (4)生命のなかの社会・文化/2 優生思想はどこに (1)不十分な学問 (2)「自然な」とは (3)近代的ヒューマニズムの弱み (4)〈健康〉対〈病気・障害〉か/3 人間性を求める営み (1)人間らしさと「定まった生活過程」 (2)「重度障害」ということは? (3)社会・文化の「水平的展開」へ
第二章 「脳死」論の帰結を考える (初出「「脳死」論の一つの帰結」、唯物論研究協会編『思想と現代』第三五号、白石書店、一九九三年)
1 「脳死」 という一点からの全面把握/2 「脳死」 に内在する臓器移植/3 自然科学主義的・啓蒙主義的「脳死」論/4 哲学学主義的「脳死」論/5 博愛主義的「脳死」論/6 「脳死」を真に把握しうる哲学を!
第三章 死ぬ権利はまだ正当化できない (初出 同名論文『岐阜大学地域科学学部研究報告』第四号、一九九九年)
1 「死ぬ権利」論を反駁する手順/2 「死ぬ権利」論の横行/3 「死ぬ権利」を助長する現実的基盤/4 倫理学的問い全般からの論点/5 やむをえざる死,歴史的産物としての死/6 自己決定論の陥穽/7 生命自体の自己保存・自己存続志向

供’塾呂龍ζ雲論のために
第四章 病気と障害から能力問題を考える (初出「病気と障害をめぐるイデオロギー」、東京唯物論研究会編『唯物論』第五九号、一九八五年)
1 能力主義をとらえる視角/2 三つの病気観 (1)特定病因論的病気観 (2)社会医学的病気観 (3)分子生物学的遺伝学的病気観/3 病気観の位相/4 二つの障害観 (1)〈「障害(者)」である人〉から〈「障害」をもつ人〉へ (2) 能力「不全」自体の関係性――小括をかねて/5 〈障害=損傷と社会との相互関係自体としての能力不全〉と〈「障害」をもつ人〉
第五章 身体は私的所有物か――身体と能力をめぐる私有と共同性 (初出「身体の私的所有と共同性について」、唯物論研究会編『思想と現代』第三〇号、白石書店、一九九二年)
1 身体をめぐる哲学と社会科学/2 私的所有の対象としての身体/3 私的所有における分離と共同性/4 身体の共同性論の射程
第六章 能力にもとづく差別を廃棄するために――近代主義と向き合う (初出「能力に基づく差別の廃棄」、日本哲学会編『哲学』第四九号、法政大学出版局、一九九八年)
1 能力上での「弱者」差別の存在/2 市民社会期の 「能力」 による差別の歴史的位置/3 能力にもとづく,ということも制度次第/4 個体能力観の克服へ/5 「能力の共同性論」の必要性/6 能力論と責任論との結合を

掘\菽式緡鼎販冤
第七章 先端医療技術は何を隠すか (初出「先端医療技術が隠すもの」、東京唯物論研究会編『唯物論』第七五号、二〇〇一年)
1 先端医療科学・技術の「進歩」をどう問うか?/2 出生前検査・診断技術の概要とその一般的評価/3 羊水検査以降の 「進歩・発展」 の表裏/4 出生前検査・診断技術が隠すもの/5 隠されたものによる差別・抑圧の克服を
第八章 生殖技術と倫理との関係を問う――商業的優生学との対抗 (初出「生殖医療と倫理――商業的優生学との対抗」、中部哲学会編『中部哲学会年報』第三五号、二〇〇三年)
1 生殖医療を問う枠組/2 認識哲学・認識論的枠組/3 社会哲学・価値論的枠組/4 最大の差別・抑圧としての死および 死に近い生のはなはだしい軽視/5 健康願望と現代の商業的優生学――市場(商業化)・資本の論理との関係/6 哲学の現実化としてのすべての生と生活の実現

おわりに (二〇〇四年一一月 竹内章郎)
文献表


≪著者: ≫ 竹内章郎 (たけうち・あきろう) 1954年生まれ.専攻,社会哲学生命倫理学.一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学.現在,岐阜大学地域科学部教授. 著書:『「弱者」の哲学』(大月書店,1993),『現代平等論ガイド』(青木書店,99),『平等論哲学への道程』(青木書店,2001). 主要論文:「能力と平等についての一視角」,『権威的秩序と国家』(東京大学出版会,1987),「コミュニズム論における自己否定の論理」,『ドイツ・イデオロギーの射程』(創風社,92),「「弱さ」の受容文化社会のために」,『ラディカルに哲学する 2』(大月書店,94),「日常的抑圧を把握するための一視角」,『ラディカルに哲学する 4』(大月書店,95),「平等・平等主義の必要性」,『問い』応用倫理学講義7(岩波書店,2004)ほか.


Narcissus tazetta




本「サルトル『むかつき』二ートという冒険 (理想の教室)」合田正人5

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サルトル『むかつき』ニートという冒険 (理想の教室)
サルトル『むかつき』ニートという冒険 (理想の教室)

○著者: 合田正人
○出版: みすず書房 (2006/8,単行本 144ページ)
○価格: 1,575円
○ISBN: 978-4622083207
おすすめ度: 3.5
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さあ、きみの先輩を紹介しよう。きみのお父さん、いやお爺さんたちが一生懸命読んだ本の主人公だ。書いたのはジャン=ポール・サルトルという哲学者で、『嘔吐』という名で知られている本に出てくる。出版は一九三八年、きみの先輩といったのは、この日記形式の小説の書き手として登場する「ロカンタン」のことだ。きみもブログで日記を書いているよね。Roquentin――フランス語の辞書をどこかで探してこの単語を引いてみよう。擬音語だ。「余韻のない音」「咳の音」を表す「ロック」(rock)が語源で、「通俗風刺歌謡の歌手」「耄碌した老人」「若づくりの老人」「退役軍人」などの意味をもっている。自分で「負けた人間」と言っている。どの意味も後の話とつながってくる。実は、ブーヴィルには「廃兵街」があるし、また、小説中、rauque(ロック)という単語が一箇所だけ、「青空(ブルースカイ)」という曲を歌う女性歌手の声を形容するものとして出てくる。「しわがれた声」という意味だ。サルトル自身「奇妙な声」をしていたらしい(海老坂武『サルトル』岩波新書)。  (P.45-P.46)

・・・ボーヴォワールって知っているかな。『第二の性』、『老い』(とっても大事な本だよ)の著者だね。彼女がサルトルの同伴者だったけれど、彼女以外の女たちとの関係――ユダヤ人の女との関係が多い、これは本質的なことじゃないかな――も盛んで、娘のように若いユダヤの愛人(エルカイム・アルレット・サルトル)を最後には養女にした。  (P.47-P.48)

・・・タイトルの『嘔吐』(La Nausée)について。「メランコリア」(鬱)――アルブレヒト・デューラーという一五世紀ドイツの画家の作品に「メランコリア」という題の銅版画がある――など、いろいろなタイトルが候補に上がった後で、このタイトルに決まったのだけれど、いろんな人が言っているように、nauséeはギリシャ語の「ナウティア」に由来し、「ナウティア」は「ナウス」(船)が語源で、「船酔い」を意味する語だ。主人公ロカンタンが世界のさまざまな場所を船で旅したこと、彼が今暮らしている「ブーヴィル」(泥の町、最果ての町の意味をもつと考えられるが、ル・アーブルというフランス北部の港町――サルトルはそこで高校の教師をした――をモデルにしていると言われている)が港町であることとも密接に連関したタイトルで、本文での、「ぼくは漂っている(フロット)」といった表現の使用にも反映されている。
船酔いはむしろ嘔吐できないから苦しい。事実、ロカンタンは吐かない。「酔っても吐かない」とわざわざ言っているくらいだ。つまり、「ノゼ」は吐き気がする、胸がむかつくといった漠たる不快感、いやサルトル自身(『存在と無』で)言っているように、生理的な吐き気にも還元されない根本的雰囲気を表す語で、そこでだ、この授業では思い切って『むかつき』と訳すことにする(以下、講義中は拙訳で引用。数字はプレイヤード版、漢数字は人文書院版のページ)。  (P.54-P.55)

・・・「冒険(アヴァンチュール)」は『むかつき』の全体を貫く強迫観念のようなもの・・・  (P.85)



≪目次: ≫
テクスト――サルトル嘔吐』より(白井浩司訳)
第1回 正常異常者の屈折光学
投壜通信――来ない者に/チョーむかつく/サルトルって誰?/「アンガジュマン」のトポロジー/引き籠もりの哲学者/船酔いの唄/ハイデガーの『形而上学とは何か』/判読不能な手紙/物語・歴史・記述/隅‐遇/三人のアントワーヌ/瞬間と持続/それの抗争/死と外部――むかつきの終身刑
第2回 ぼくの居場所は?
驚異/クローズアップ/背後から抱かれて/鏡の回廊/他者鏡と顔/肖像画――ジンメル、ジャンケレヴィッチ/背中と背後/寸断された身体/さまざまな鏡と窓ガラス/図式と心の闇と未知の根/バレスの根無し草/想像的なもの・象徴的なもの・リアルなもの/物自体と質料/エートル‐エグジスタンス――帰属‐離脱/なぜ無よりもむしろ何かが存在するのか/偶然性と充足理由律/居場所って?/贈与・交換・分配――ランティエ/すし詰めと含羞/実存と関係――関係の外在性
第3回 「むかつき」な人々
おせっかいな単独者/畜群性の諸相/共依存とRPG/性のかたち・汚辱・人間の条件/家族の肖像/黒い聖母とドルイド教/微笑み/曙光

読書案内
≪テクスト≫
サルトル『嘔吐』白井浩司訳、人文書院、改訳新装版、一九九四年。
≪参考文献≫
梅木達郎『サルトル――失われた直接性を求めて』NHK出版、二〇〇五年。
海老坂武『サルトル――「人間」の思想の可能性』岩波新書、二〇〇五年
澤田直『〈呼びかけ〉の経験』人文書院、二〇〇二年。『新・サルトル講義』平凡社新書、二〇〇二年。
ジェイムソン(フレドリック)『サルトル――回帰する唯物論』論創社、一九九九年。
末次弘『サルトル哲学とは何か』理想社、二〇〇二年。
鈴木道彦『サルトルの文学』紀伊国屋新書、一九九四年。
スタラザーン(ポール)『90分でわかるサルトル』青山出版社、一九九八年。
長野潤『図解雑学サルトル』ナツメ社、二〇〇三年。
長谷川宏『同時代人サルトル』講談社学術文庫、二〇〇一年。
パルマー(ドナルド)『サルトル』ちくま学芸文庫、二〇〇三年。
三宅芳夫『知識人と社会――J=P・サルトルにおける政治と実存』岩波書店、二〇〇〇年。
レヴィ(ベルナール=アンリ)『サルトルの世紀』藤原書店、二〇〇五年。
現代詩手帖特集版『いま、サルトル――サルトル入門』思潮社、一九九一年。
別冊環『サルトル1905-80【他者・言葉・全体性】』藤原書店、二〇〇五年。


≪著者: ≫ 合田正人 (ごうだ・まさと) 一九五七年生まれ。明治大学教授。専門は十九・二十世紀のフランス・ドイツ思想、近代ユダヤ思想史。「生理学」「心理学」「精神分析」「社会学」など十九世紀を通じて醸成された人間科学の諸相を分析し、そこに孕まれた諸問題の現代性を考察している。加えて十七世紀以降のユダヤ人問題とも取り組んでいる。著書『レヴィナス――存在の革命に向けて』(ちくま学芸文庫)、『レヴィナスを読む――〈異常な日常〉の思想』(NHKブックス)、『ジャンケレヴィッチ――境界のラプソディー』(みすず書房)ほか。


水仙♪




本「攻撃 悪の自然誌  DAS SOGENANNTE BÖSE――Zur Naturgeschichte der Aggression 1963 von Konrad Lorenz」コンラート・ローレンツ、日高敏隆・久保和彦 訳5

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本「攻撃 悪の自然誌」コンラート・ローレンツ
攻撃 悪の自然誌  DAS SOGENANNTE BÖSE――Zur Naturgeschichte der Aggression 1963 von Konrad Lorenz

○著者: コンラート・ローレンツ日高敏隆・久保和彦 訳
○出版: みすず書房 (1985/5,単行本 385ページ)
○価格: 3,990円
○ISBN: 978-4622015994
おすすめ度:4.5
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哲学者中島義道のどの著作であったか記憶が定かではないのだが、さらっと紹介されていた。

この書で扱うのは、攻撃性(Aggression)、すなわち動物と人間の、同じ種の仲間に対する闘争行動のことである。  (P.1、まえがき)

真実の愛にはみな、潜在的な、連帯によってかくされた攻撃性が大量にひそんでいるので、このきずながいったんちぎれてしまうと、わたしたちが憎しみといっているあの恐ろしい現象が表面に出てくるのである。攻撃性を含まぬ愛はないが、また愛なき憎しみも存在しないのだ。  (P.297、第十一章 連帯のきずな)

・・・個人的に知り合いになるということは、攻撃欲を抑止する複雑なしくみのための前提であるばかりではなく、それだけでも攻撃性からその牙を抜き去るのに役立つ。相手を知らないということは、攻撃行動の開発をきわめて容易にするからだ。  (P.366、第十四章 希望の糸)

訳者あとがきより、
コンラート・ローレンツは変わった動物学者である。一九〇三年、ウィーンに生まれた。幼いときから動物が好きで、次々と動物を家へもちこんだ。ウィーン大学教授であった父も、また母も、それを黙認してくれたらしい。大きくなっても、動物好きは消えなかったどころか、ますますつのっていったようである。
やがて、アルテンベルクの彼の家は、真の意味で動物園になってしまった。つまり、家には、コクマルガラスやオウムが自由にくらしており、ゆっくり食事をしようと思えば、窓をしめねばならなかった。ローレンツ夫人は、危険な動物たちから守るために、彼女の娘をおりに入れることがしばしばであったという。
(中略)これらの研究の中から彼は、動物の行動というものは、本来遺伝子的にもっている行動のパターンが、それに対応する刺激によって「解発(auslösen――release)」されること、動物における「仲間(Kumpan――companion)」とは、相互に刺激を与えあって、次々と遺伝的行動を解発しあう同種の動物に他ならぬことなど、動物行動学の上での決定的な重要性をもつ概念を認識するに至った。  (P.381-P.382、訳者あとがき)



≪目次: ≫
まえがき
第一章 海の序章
第二章 研究所での続き
第三章 悪の役割
第四章 攻撃の自発性
第五章 習慣、儀式、魔法
第六章 本能の大議会
第七章 道徳類似の行動様式
第八章 無名の群れ
第九章 愛なき社会
第十章 ネズミたち
第十一章 連帯のきずな
第十二章 けんそんのすすめ
第十三章 この人を見よ
第十四章 希望の糸

訳者あとがき(訳者を代表して 日高敏隆)


≪著者: ≫ コンラート・ローレンツ (Konrad Lorenz) 1903年ウィーンに生まれる.父はウィーン大学医学部教授.コンラートもウィーン,ニューヨークで医学を学んだのち,ウィーン解剖学研究所の助手となる.幼いときから動物好きでハインロートらの影響のもとに動物行動学を学び,1937年比較解剖学と動物心理学で博士号を得る.ケーニヒスペルク,ミュンスターの大学教授,マックス・プランク水生動物研究所の動物行動学部の部長をへて,現在,ゼーヴィンゼンのマックス・プランク行動生理学研究所の主任.主著は本書のほか『ソロモンの指輪』(早川書房,1963),『人イヌにあう』(至誠堂,1968),『八つの大罪』(思索社,1973)などがある。1973年,ノーベル生理学・医学賞を受ける.1989年歿.

[訳者] 日高敏隆 (ひだか・としたか) 1930年東京に生まれる.東京大学理学部動物学科卒業.現在,京都大学教授(動物行動学).著書『動物にとって社会とは何か』(至誠堂,1966),『人間に自由があるか』(共著,三省堂,1972),『人間に就いての寓話』(風濤社,1972).訳書 ティンペルへン『動物のことば』(みすず書房,1957),ローレンツ『ソロモンの指環』(早川書房,1963),モリス『裸のサル』(河出書房,1969),アイブル=アイベスフェルト『愛と憎しみ』(みすず書房,1974),リヴィングストン『破壊の伝統』(文化放送開発センター,1974)ほか多数.滋賀県立大学学長を経て、現在、総合地球環境学研究所所長.

[訳者] 久保和彦 (くぼ・かずひこ) 1928年ソウルに生れる.東京大学大学院生物系研究科(動物学),東京大学大学院人文科学研究科(独語独文学)修了.元千葉大学教授(ドイツ文学).訳書 トラークル『詩集』(平凡社,1959),シュヴァイツァー『水と原生林の間で』(平凡社,1961),イリース『人間の動物学』(晶文社,1973),アイプル=アイベスフェルト『愛と憎しみ』(共訳,みすず書房,1974)ほか.1989年歿.


crocus




本「新自由主義の嘘 (双書哲学塾09)」竹内章郎5

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新自由主義の嘘 (双書 哲学塾)
新自由主義の嘘 (双書哲学塾09)

○著者: 竹内章郎
○出版: 岩波書店 (2007/12,単行本 158ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4000281645
おすすめ度: 5.0
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この講義の表題は、『新自由主義の嘘』と堅苦しいのですが、実は若いみなさんの生活のどこにでもある身近な「私のもの」の話です。特に「私のもの(私有物)」を市場で巧くやり取りすればすべてオーケーという、新自由主義がふりまく嘘を暴き、私有や市場の問題と共に、その反対側の共同ということを真剣に考える講義でして……。  (P.1)

私的所有を焦点に、市場や市場ルールや市民権、市場とその外部との関係や社会権について話をし、私的所有や市場についての新自由主義の嘘を暴きながら、「能力の共同性」論にまで話を延長してきました。「能力の共同性」論は、新自由主義の嘘に対抗する拠点として、本講義の結論であるとともに、真の共生(共に生きること)への契機でもあります。  (P.153、講義を終えて)



≪目次: ≫
第1日 私のもの、私的所有物、市場は当たり前?――開講の辞にかえて
身近な私的所有/「自分のもの」は「自分のもの」?/新自由主義の問題――講義の二日目以降への橋渡し
第2日 私的所有の世界と市場はどうなっていて、どんなルールがあるか?
自己チュウは公共心の欠如?――自己チュウと私的所有/身近な私的所有と市場の四つのルール/私的所有権とは/自由な契約権と等価交換/私的所有物の自由な処理
第3日 私的所有と市場は数々の問題を引き起こす
「私的所有物の自由な処理」の大問題――私的所有物の無駄使い/私的所有権が生む貧富の格差/自由な契約権がもたらす不公平
第4日 どんなことが公平であり公正である、と言えるか?
同一ルールの同一適用は公平・公正か? スポーツのルールは公平か?/スポーツと市場は違う/「同一ルールの同一適用」の不公平/市場には、その外部が必要だ/市場ルールの規制
第5日 権利が不公平で不公正になる場合がある
市民的権利と政治的権利の不公平・不公正/社会権抜きには不公平・不公正なままだ/『人権宣言(人及び市民の諸権利宣言)』の不平等と社会権の登場による平等化/
第6日 権利はお金の流れと関連する――市民権〔法〕的世界と社会権〔法〕的世界とお金
〇埔譴任了篥財産の等価交換/非市場での累進課税の不等価交換/H昌埔貪な,鉢△涼羇屬箸靴討亮匆駟欷
第7日 経済の基本的な仕組みにとっても、市場の外側は重要だ
市場の外部抜きには市場は成立しない/経済の仕組みと市場の外部/自然環境の無償利用――膨大な市場の外部の一つ目/社会の安全性の無償利用――二つ目/貧富の格差の無償利用――三つ目/労働の在り方の無償利用――四つ目/家庭生活の無償利用――五つ目/人間個人の無償利用――六つ目
第8日 新自由主義を、その根本から批判する
a 「強者」仕様の新自由主義/b 国家介入による不平等/c ルール主義による不平等/d 市場の外を否定する不平等/e 自由主義との共通性、自由主義以上の不平等
第9日 能力が個人の私的所有物である理由
近代の幕開けとしての能力による差別/ジョン・ロックの理論と能力による差別/同じ私的所有でもさまざまな意味がある――まずは、プロパティ(property)としての所有/オウナーシップ(ownership)としての所有/ポゼッション(possession)としての所有/ハヴ(have)としての所有
第10日 私的所有物としての能力は疑わしい
その所有者から「離れて」も存在する能力/自立せよ、が間違っている理由/他者に依存した自分の能力/「弱者性」の普遍性、作られる「弱者性」
第11日 「能力の共同性」ということを考えよう
能力の私的所有は社会・文化が決める/個人の生命力も共同体的なものである/「能力の共同性」と個人の自然性/「能力の共同性」の定式/能力の私的所有は「後から」のこと/共同・共生全般を「能力の共同性」から考える

講義を終えて
参考文献
バーネット/島津格・森村進監訳『自由の構造』木鐸社、二〇〇〇年
Ewald, F. Der Vorsorgestaat, aus dem Französischen ins Deutsche von W. Bayer und H. Kocyba, Suhrkamp Verlag, 1993(Titel der Originalausgabe; L'Etat providence, Bernad Grasset, 1986)
後藤道夫・吉崎祥司・竹内章郎・中西新太郎・渡辺憲正『格差社会とたたかう』青木書店、二〇〇七年
ハイエク、F・A・西沢千明・矢嶋釣次監修『自由の条件』と『法と立法と自由』の各三分冊(ハイエク全集五−一〇巻)春秋社、一九八六年
貝原益軒/伊藤友信現代語訳『養生訓』講談社学術文庫、一九八二年
金子勝『市場と制度の政治経済学』東京大学出版会、一九九七年
加藤尚武『倫理学の基礎』日本放送出版協会、一九九三年
ロック、J/伊藤宏之訳『統治論』柏書房、一九九七年
マーシャル、T・H/岩崎信彦・中村健吾訳『シチズンシップと社会階級』法律文化社、一九九三年
マルクス、K/マルクス=エンゲルス全集刊行委員会訳『資本論』全三巻、大月書店、一九六八年
ミーゼス、L/村田稔雄訳『ヒューマン・アクション』春秋社、一九九一年
中西新太郎『〈生きにくさ〉の根はどこにあるのか――格差社会と若者のいま』JRC、二〇〇七年
ノージック、R/島津格訳『アナーキー・国家・ユートピア』上下、木鐸社、一九八五、八九年
スミス、T/藤原孝訳者代表『権利の限界と政治的自由』サンワ・コーポレーション、一九九七年
平子友長「カント『永遠平和のために』のアクチュアリティ」東京唯物論研究会編『唯物論』七九号、二〇〇五年
竹内章郎・中西新太郎・後藤道夫・小池直人・吉崎祥司『平等主義が福祉をすくう――脱〈自己責任=格差社会〉の理論』青木書店、二〇〇五年
竹内章郎『「弱者」の哲学』大月書店、一九九三年
竹内章郎『平等哲学への道程』青木書店、二〇〇一年
竹内章郎『いのちの平等論――現代の優生思想に抗して』岩波書店、二〇〇五年
竹内章郎「「障害者自立支援法」がもたらす不平等の克復のために」共著『障害者自立支援法と人間らしく生きる権利』かもがわ出版、二〇〇七年
渡辺治『構造改革政治の時代 小泉政権論』花伝社、二〇〇五年
渡辺憲正「無所有の歴史的ポテンシャル」唯物論研究会編『唯物論研究年誌第七号 所有をめぐる〈私〉と〈公共〉』青木書店、二〇〇二年


≪著者: ≫ 竹内章郎 (たけうち あきろう) 1954年生まれ.専攻,社会哲学・生命倫理学・障害者論.現在,岐阜大学地域科学部教授.著書:『「弱者」の哲学』(大月書店),『現代平等論ガイド』『平等論哲学への道程』(青木書店),『障害者を位置づけた哲学的人間学の研究』(科研費報告書),『いのちの平等論』(岩波書店)ほか.


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