Gori ≒ ppdwy632

〈ぼく〉の思索の一回性の偶然性の実験場。

2009年04月

本「ウィトゲンシュタイン入門 (ちくま新書020)」永井均5

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ウィトゲンシュタイン入門 (ちくま新書)
ウィトゲンシュタイン入門 (ちくま新書020)

○著者: 永井 均
○出版: 筑摩書房 (1995/1, 新書 222ページ)
○価格: 756円
○ISBN: 978-4480056207
おすすめ度: 4.0
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四月二七日、午後に彼は散歩に出かけたが、その夜、病状は急変した。あと数日の命であると伝えるべヴァン医師に、彼ははっきりと「Good!」と言い、翌日、意識を失う直前、徹夜で看病していたべヴァン夫人に「みんなに、僕は素晴らしい一生(ワンダフル・ライフ)を送ったと、伝えて下さい」と言ったという。そして、翌二九日の朝、彼は六二歳の生涯を閉じた。  (P.205、「第六章 最期」)

ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ウィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein, 1889-1951)


死ぬ直前に(意識があったとするなら)「素晴らしい人生だった」と言えるであろうか。ときどき考えなくはない(ときどき真剣に考える)。たとえば、今ぼくが死んでしまうとしたときに、じゃあ誰を呼ぼうか、なにを言おうか、と。ぼくがみずからの死を目前にして(と仮定して)、最期にどうしても会いたい人、なにかを語りたいとぼくが希求する人(いずれ書き記したい、今ではなく)。そう、「ありがとう」とは言いたい。ホントは「ゴメンナサイ」なのかもしれない。そもそもぼくには(死に際であっても)誰をも呼び寄せる資格も権利もないのかもしれないとも思わなくもない。会いたくないと拒絶されるかもしれない(それも仕方があるまい)。それでもぼくは「ありがとう」とは言いたい。ぼくの人生は今、素晴らしくないものではないと思っている。


≪目次: ≫
はじめに   読者の皆さんへ/引用および参照について
序章 ウィトゲンシュタインの光と陰   出会い/「私」の存在――私はなぜ、今ここにこうして存在しているのか/ウィトゲンシュタインの場合/ウィトゲンシュタインの独我論/超越論的(先験的)主観/超越論的(先験的)哲学
第1章 生い立ち   出生と家族/ウィトゲンシュタインのウィーン/青年時代の彷徨/『論考』への道/従軍/教員養成学校/『論考』の出版と小学校教員時代
第2章 像――前期ウィトゲンシュタイン哲学
1 『論理哲学論考』の本質   限界設定の書/言語の可能性の条件/超越論的(先験的)哲学
2 世界はどのようにできているか――論理的原子論   世界・事態・対象/論理空間
3 言語はいかに世界をとらえるか――写像と真理関数   写像/言語・命題・名辞/写像形式――語りえぬもの1/真理関数/アキレスと亀/『論考』は何を語るか/形而上学批判
4 もうひとつの「語りえぬもの」   価値・倫理・神秘――語りえぬもの2/独我論
第3章 復帰   『論考』の影響/接触/ケンブリッジへ/『探究』の開始と告白/教授就任と病院勤務/『倫理に関する講演』
第4章 文法――中期ウィトゲンシュタイン哲学
1 検証と文法――形成   論理から文法へ/写像から検証へ/隣室でピアノを弾く兄――現象と徴候・命題と仮説/行動主義/志向性の問題/反ラッセル/親フッサール
2 文法の自律性――完成   「文法」への一元化/本質は文法の中に/基準と徴候/他人の心/思考と言語表現/予期・意図・思念/文に意味を与えるもの
3 言語ゲームへ――解体   文法から使用へ/規則から習慣へ/中期の独我論論駁/遊び駒/第一人称問題/第一人称問題と独我論
第5章 言語ゲーム――後期ウィトゲンシュタイン哲学
1 言語ゲーム   言語ゲームとは何か/言語ゲームの多様性と慣習/意味と理解/生活形式/家族的類似性/比喩の焦点/ゲームの根底性――規則とゲームの逆転/言語ゲームの無根拠性
2 規則に従う――規則と実践  数列を数える/数列を教わる/規則順守のパラドックス/根拠の不在/色見本のケース/自然誌的/言語ゲームという底なし沼/偶然性と歴史の審判
3 私的言語   規則に「私的に」従う/私的言語の私的性格/天才児の事例/感覚日記/私的言語と歴史の審判/私的に従われた規則
4 意味盲と相貌盲   問題の連続性/意味体験/意味盲/意味盲人は何を失うか/相貌体験と相貌盲/広義の意味盲の場合
第6章 最期   発病と渡米/懐疑と根拠なき信念/世界像/意味と真理/知の主張と根拠/哲学的知の位置/最期
終章 語りえぬもの――光と陰、再び   思想の値段/独我論、再び/倫理、再び/読み換え
おわりに
読書案内


≪著者: ≫ 永井 均 (ながい・ひとし) 1951年東京生まれ。慶応義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科博士課程修了。現在(刊行当時)、信州大学人文学部助教授(現在、日本大学文理学部哲学科教授)。独我論をめぐる問題への関心を通して、自己と世界の意味を深く問いなおし、哲学することの魅力について語る気鋭の哲学者として活躍中。著書に『〈私〉のメタフィジックス』『〈魂〉に対する態度』(いずれも勁草書房)、『自己と他者』(編著、昭和堂)、『エロス』(現代哲学の冒険4、共著、岩波書店)、訳書にネーゲル『コウモリであるとはどのようなことか』(勁草書房)などがある。


Magnolia




本「環境問題をシステム的に考える 氾濫する情報に踊らされないために (DOJIN選書023)」井村秀文5

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環境問題をシステム的に考える 氾濫する情報に踊らされないために (DOJIN選書23)
環境問題をシステム的に考える 氾濫する情報に踊らされないために (DOJIN選書23)

○著者: 井村 秀文
○出版: 化学同人 (2009/3, 単行本 248ページ)
○価格: 1,890円
○ISBN: 978-4759813234
おすすめ度: 5.0
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そうだよね、そもそも「環境問題」ってなにか?、って考えてみたときに、エコだの、地球にやさしいだの、ことばの精確な意味やら本質やら背景やらがキチンと問われることなく、まさに「氾濫する情報に踊れされ」ている印象がつよいかも。とくに企業の広報活動のひとつとして展開される企画には、どうしても限界が見えてしまう感が拭えない。ひとことで「環境問題」といっても、簡単なものではないから、複雑に絡み合って影響し合って、これだけやっておけば大丈夫!、ってものでもなくって、なにかを為した影響は思わぬところに思わぬかたちで表れちゃったりして、案外ぜ〜んぜん環境にやさしくなかったりすることだって少なくないであろうとは容易に想像できる。企業にやさしい(利点が多い)ことはあっても。少なくとも積極的に環境問題に取り組む姿勢をアピールすることによる企業イメージの向上による利得は小さくなかろう、当然の戦略であり否定されるものでもないが。

本書執筆の動機のひとつは、これから環境問題を学ぼうとする若い人びとに参考になる書、できれば教科書のようなものを書きたいという思いであった。  (P.241-P.242、あとがき)

簡単な易しい内容ではないが、「環境問題」を考えるうえでは、いや”環境問題を語ろうとするならば”、まずは現段階における最新の教科書的存在といって過言ではないであろう本書を読んで、横断的に俯瞰して幅広い見識を得てから!、と言いたいところだが、まぁ、無自覚に、声が大きく目立つ存在が、多分に的外れであったとしても、少なからぬ誤解があったとしても、まずは大衆の注目を集めることから始まるのかしら。


≪目次: ≫
まえがき――氾濫する情報に踊らされないために
序章 自然と人間が織り成す相互関係の把握と理解   判然としないものをどう見るか/複雑な問題をどう見るか――環境システムの理解/見えないものを見えるようにする――環境システム分析の役割/自然と人間社会の相互関係の理解/合理的な意思決定に役立てる――IPCCの活動から/ソフトな人間中心主義――開発と保全の政策決定/マクロとミクロ――大局的視点と細部の分析

第1章 宇宙船地球号の制御 
一 地球人間   宇宙船地球号/小さくなる地球/自然と人間の相互関係/地球の有限性を認識し、理解する/成長の限界を認識する/予測の困難
二 地球の許容限界――環境容量を考える   環境のもつ受容能力、扶養能力/環境容量をどう評価するか/技術による環境容量の拡大/時間、空間の境界条件/地球温暖化/環境容量を超えた汚染/環境の自浄能力にも限界がある/化学物質汚染という時限爆弾
・本章のまとめ・ 宇宙船地球号を制御するためのカギ

第2章 地球の気候システムを理解する 
一 水の惑星、地球   地球の大気/水の循環
二 地球の気候   間氷期に起きている地球温暖化/理解の鍵となる時間スケール/縄文海進の時代/中世温暖期、近世の寒冷化
三 地球温暖化は進行している   IPCC第四次評価報告書/地球温暖化進行のスピード/加速する温暖化/気候に影響を及ぼす海洋大循環
四 未来をどう見るか   温度上昇/天気予報と温暖化予測/将来をどう認識するか/モデルによるシミュレーション
・本書のまとめ・ 後悔しない政策の必要性

第3章 地球環境の指標――生物多様性生態系サービス 
一 人類に恵みをもたらす生物多様性   生物大量絶滅の危機/生物の多様性と進化/大量絶滅の原因/地球環境の健全性を示す生物多様性
二 無償の恩恵――生態系の機能とサービス   遺伝資源の価値/生態系サービス――環境の恵沢/バイオテクノロジーとバイオミミックリィ/人間社会を移す鏡――動物の社会
三 生物多様性を守るために   自然保護と生物多様性の保全/生物多様性条約
・本章のまとめ・ さらに重要性を増す生物多様性

第4章 進化論的環境観 
一 変化する世界をどう見るか   変化の法則/成長の限界――無人島のヤギ/盛者必衰の理――ライオンとシカ/蛹からチョウへの変身――パラダイムシフト
二 熱力学的に見た地球   秩序と無秩序――エントロピー定常開放系と地球/自然界における物質循環とエントロピー/人間活動とエントロピー/環境問題とエントロピー/熱機関としての地球/地球温暖化は本当か――水と水蒸気の役割/森が海をつくる
・本章のまとめ・ 人間という小さな存在の大きな影響

第5章 必要とされる文明の転換――低炭素共生循環型社会に向けて 
一 地球の歴史、人間の歴史   一瞬のひとこま/エコノミーとエコロジー/「閉じた経済」と「開かれた経済」/農耕文明/気候と産業革命/産業革命と近代工業文明/新しい文明――低炭素社会
二 持続可能性を目指して   持続可能性とはなにか/環境と経済の波動/進歩の原動力/循環型社会へ/社会経済のパラダイムシフト――所有価値から利用価値へ
・本章のまとめ・ 脱化石燃料依存体質

第6章 コモンズとしての環境をどう管理するか 
一 環境は誰のものか   コモンズの悲劇/コモンズの悲劇はなぜ発生するか/囚人のジレンマ/グローバルコモンズ/人間中心主義かエコ中心主義か/ディープエコロジー/環境の所有者は誰か/空気も水もただではない――廃棄物の捨て場の管理
二 持続可能なローカルコモンズの管理   ローカルコモンズ/利用放棄によるコモンズの悲劇/ローカルコモンズ管理の道
三 負のローカルコモンズをどう管理するか   負のローカルコモンズ――迷惑施設/リスク――慣れによる恐怖心の減退/ゴミ焼却工場――ダイオキシン問題
・本章のまとめ・ 適切なコモンズの管理へ向けて

第7章 環境の経済学 
一 環境経済学の誕生   地球環境と経済学/環境経済学の系譜/市場の失敗――環境税外部経済と外部不経済/私的費用と社会的費用/上流と下流、汚染者負担と受益者負担――コースの定理/環境の価値をどう考えるか/将来世代にとっての価値をどう考えるか
二 環境政策へどうつなげるか   環境情報と消費者の行動/幸福をどう測るか――グリーンGDP/政策の選択はどうあるべきか/公平性――地域間、世代間の平等とは/温室効果ガス(GHG)排出権取引
・本章のまとめ・ 環境と経済に好ましい選択とは

第8章 資源・エネルギー利用と環境負荷 
一 経済活動と資源・エネルギー   資源生産性、エネルギー生産性/隠れた資源フロー/内包エネルギー/人間生活にともなう資源・エネルギーフロー/都市活動と資源循環/エコロジカル・フットプリント/交通と環境負荷――コンパクトシティ/環境資源勘定――マテリアルフロー分析
二 環境へのやさしさを評価する――ライフサイクルアセスメント   環境にやさしい商品とは/製品のLCA/LCAの対象/ライフサイクルインベントリ分析/ライフサイクル影響評価/LCAは万能ではない
三 自然エネルギー利用と省エネ   注目される米国の動きと日本/太陽光発電が問いかけるもの――大規模集中と小規模分散/エネルギーの質――熱力学の第一法則第二法則/細切れにされたエネルギー/エクセルギー/質の悪いエネルギーを有効に使う――熱効率、ヒートポンプ/カルノー効率/バイオマスエネルギー
四 環境に好ましい選択とは   比較評価の条件/マクロの目標管理とミクロの選択行動/ゴミは燃やすべきかリサイクルすべきか
・本章のまとめ・ 適切に判断するために必要な正しい環境情報

終章 アジアの視点から 
アジアの中の日本/日本の経験/アジアの問題への対処/グローバル化の中のアジア/問題の共有と協力

参考文献
あとがき
(二〇〇九年二月 井村 秀文)


≪著者: ≫ 井村 秀文 (いむら ひでふみ) 1947年石川県生まれ。74年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。環境庁、外務省OECD日本政府代表部、横浜市公害対策局、九州大学工学部などを経て、現在、名古屋大学大学院環境学研究科教授。工学博士。専門は環境システム工学、中国の環境問題など。環境問題とは、人間活動によって起こっている問題であるという原点に立ち、科学・技術と経済・社会の両面から総合的、システム的に分析・理解することをめざしている。著書に『中国の環境問題 今なにがおきているのか』(化学同人)などがある。

井村秀文『中国の環境問題 ――今なにが起きているのか』 (DOJIN選書、2007/11)


at dawn




本「翔太と猫のインサイトの夏休み 哲学的諸問題へのいざない (ちくま学芸文庫)」永井 均5

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翔太と猫のインサイトの夏休み―哲学的諸問題へのいざない (ちくま学芸文庫)
翔太と猫のインサイトの夏休み 哲学的諸問題へのいざない (ちくま学芸文庫)

○著者: 永井 均
○出版: 筑摩書房 (2007/8, 文庫 282ページ)
○価格: 924円
○ISBN: 978-4480090928
おすすめ度: 4.5
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「さっきから疑問に思っていたんだけどさ、……そもそも、ものごとがわかるってことはどういうことなの? わかったと思い込んでも、ほんとうはわかってなかったってこともあるよね? だとすると、ほんとうにわかったっていえるのはどういう場合なの? それとさ、同じことかもしれないんだけど、さっきから疑問なのは、意味がわかるってことなんだよ。相手の信念とか考えは、意味がわかりあえているって前提のもとで、相手に聞いてみれば、わかるよね? でも、意味を聞いてみることはできないじゃん。聞いてみたってその答えの意味がまたわからなきゃ、またその意味を聞かなくちゃなんないだろ? 聞いてもみないで、こっちが勝手にわかったと思い込んだって、ほんとうにわかったいるのかどうか、わからないし……」  (P.184-P.185)

簡単にわかるものではないけれど、、、


≪目次: ≫
はじめに
第一章 いまが夢じゃないって証拠はあるか
1 ぼくらは培養器の中の脳か/2 ほんとうであるとは?/3 見える世界とほんとうの世界/4 デカルトのはなし
第二章 たくさんの人間の中に自分という特別なものがいるとはどういうことか
1 他人には心がない?/2 心があるとは?/3 ぼくは存在する!/4 カントのはなし
第三章 さまざまな可能性の中でこれが正しいといえる根拠はあるか
1 善悪の客観的な基準はあるか/2 住んでる世界が違う?/3 意味は存在しない/4 ウィトゲンシュタインのはなし
第四章 自分がいまここに存在していることに意味はあるか
1 人間には自由意志があるか/2 宇宙の果ては――「いま」の神秘?/3 死――人生の意味/4 ハイデガーのはなし
第五章 死と夢

あとがき
文庫版あとがき (二〇〇七年七月 永井 均)
解説「正確で清潔な言葉」――中島義道

*本書は一九九五年十二月二十五日、ナカニシヤ出版から刊行された。


≪著者: ≫ 永井 均 (ながい・ひとし) 1951年東京生まれ。慶応義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科博士課程単位取得。哲学・倫理学を専攻。現在、日本大学文理学部哲学科教授。著書に『〈私〉のメタフィジックス』『〈魂〉に対する態度』『〈私〉の存在の比類なさ』(以上、勁草書房)。『ウィトゲンシュタイン入門』(筑摩書房)、『〈子ども〉のための哲学』『子どものための哲学対話』『私・今・そして神』(以上、講談社)、『転校生とブラック・ジャック』(岩波書店)、『西田幾多郎』(NHK出版)などがある。


ワル




本「パイドロス  ΠΛΑΤΩΝΟΣ ΦΑΙΔΡΟΣ (岩波文庫 青601-5)」プラトン、藤沢令夫 訳5

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パイドロス (岩波文庫)
パイドロス  ΠΛΑΤΩΝΟΣ ΦΑΙΔΡΟΣ (岩波文庫 青601-5)

○著者: プラトン藤沢令夫
○出版: 岩波書店 (1967/1; 第52刷 2006/9, 文庫 210ページ)
○価格: 630円
○ISBN: 978-4003360156
おすすめ度: 5.0
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[ソクラテス] ・・・言葉というものは、ひとたび書きものにされると、どんな言葉でも、それを理解する人々のところであろうと、ぜんぜん不適当な人々のところであろうとおかまいなしに、転々とめぐり歩く。そして、ぜひ話しかけなければならない人々にだけ話しかけ、そうでない人々には黙っているということができない。あやまって取りあつかわれたり、不当にののしられたりしたときには、いつでも、父親である書いた本人のたすけを必要とする。自分だけの力では、身をまもることも自分をたすけることもできないのだから。  (P.136-P.137)

エロース(恋)


≪目次: ≫
凡例
『パイドロス――美について――  ΠΛΑΤΩΝΟΣ ΦΑΙΔΡΟΣ』
登場人物  ソクラテス パイドロス  紀元前五世紀の終わり近く 真夏のある晴れわたった日の日ざかり アテナイ郊外 イリソス川のほとりにて

訳者注
解説
一、プラトンの対話編と『パイドロス』/二、弁論術(レートリケー)/三、「恋」(エロース)――(一)リュシアスとソクラテスの第一の物語/四、「恋」(エロース)――(二)ソクラテスの最後の物語/五、『パイドロス』における主題の統一――ピロソピアーとディアレクティケ――



大垂水峠にて♪





本「ノート〈1〉 万里の長城  Franz Kafka, Beim Bau der Chinesischen Mauer (白水uブックス158、カフカ・コレクション)」カフカ、池内紀 訳5

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ノート〈1〉万里の長城―カフカ・コレクション (白水uブックス)
ノート〈1〉 万里の長城  Franz Kafka, Beim Bau der Chinesischen Mauer (白水uブックス158、カフカ・コレクション)

○著者: フランツ・カフカ池内紀
○出版: 白水社 (2006/9, 新書 215ページ)
○価格: 1,050円
○ISBN: 978-4560071588
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久しぶりに(といっても3週間ぶり)今年5度目のトレーニングは、愛用のクロスバイク(TREK FX7.3)甲州街道大垂水峠を越えて、相模湖津久井湖を経由するコース約90kmを約4時間。ひたすらクルクルクルクルクルクルまわせ!、頭からっぽ(と簡単にはいかないけれどとりあえず)♪

≪目次: ≫
『ノート〈1〉 万里の長城 Beim Bau der Chinesischen Mauer』
ある戦いの記録/村の教師/中年のひとり者ブルームフェルト/屋根裏部屋で/墓守り/橋/狩人グラフス/小ネズミ/万里の長城/中庭の門をたたく/こうのとり/だだっ子/隣人/雑種/鉱山本部/蛇

『万里の長城』の読者のために (池内紀)


≪著者: ≫ フランツ・カフカ (Franz Kafka) 1883‐1924。チェコのプラハに生まれる(当時はオーストリア=ハンガリー帝国領)。両親ともドイツ系ユダヤ人。プラハ大学で法学を専攻。在学中に小説の習作を始める。卒業後は労働者傷害保険協会に勤めながら執筆にはげむ。若くして結核にかかり、41歳で死去。『変身』などわずかな作品をのぞき、そのほとんどは発表されることなくノートに残された。死後、友人マックス・ブロートの手により世に出され、ジョイス、プルーストとならび現代世界文学の最も重要な作家となっている。

[訳者] 池内紀 (いけうち・おさむ) 1940年、兵庫県姫路市生まれ。ドイツ文学者、エッセイスト。主な著訳書:「ウィーンの世紀末」、「二列目の人生」、ゲーテ「ファウスト」他


紫外線♪




本「ニーチェ 〈永劫回帰〉という迷宮 (講談社選書メチエ165)」須藤訓任5

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ニーチェ―〈永劫回帰〉という迷宮 (講談社選書メチエ (165))
ニーチェ 〈永劫回帰〉という迷宮 (講談社選書メチエ165)

○著者: 須藤訓任
○出版: 講談社 (1999/9, 単行本 266ページ)
○価格: 1,680円 (品切重版未定)
○ISBN: 978-4062581653
おすすめ度: 5.0
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時間をそれなりに費やせば、少々の集中力を要するものの、いずれ本は読み終わる。
ふと思い起こしたのが、かつて亀山郁夫の新訳によるドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(光文社古典新訳文庫)を読もうと思いたって、世界的な名著で難解で一筋縄ではいかない、というような評判を目にして不安を覚えたぼくが採用したのは、「まずは訳者である亀山郁夫を読み込もう!」で、先行して数冊の亀山郁夫の著書を読んだのちに、ロシア文学のみならずロシア文化にまでかかる著書を読み慣れたのちに読んだ『カラマーゾフの兄弟』のたのしみは、だからといってわかったとも、理解したとも、おもしろかったとも、簡単には言えないのではあるけれども♪。最近、ロシアからちょっと遠ざかっていることが気にならないわけでない。そういうときなのであろう、無理をする必要はなかろう。必要があれば、無理に求めることをしなくても、自然とむこうからやってくる。やってこないということは、今は必要としてない、他に必要とするものがあるのかな、わからない。わからないものはわからない。開き直ることが好いことであるとは思わないけれど、開き直ることなく、わからない現実を重く捉えて落ち込んで凹んでふさぎこむことよりは、むしろ健全と言えるのではないか。そもそもその比較自体が根柢から正しくないのかもしれないけれども。なんなんだよ、その落ち込んで凹んでふさぎこむって、子どもじゃないんだから、子どもじみた行動が許されるものなのであろうか。では、許されないとするならば、許されないということは、なんらかの罰や制裁を受けるに値するということか。はたして、どのような罪や制裁を受ければよいのやら。ところで、罪や制裁を受けたぼくは、罪や制裁を受けたとするならば、それによって赦されてしまうのか。ぼくの行為は取り消すとこはできないし、ましてや今後も変更不可能、修正不可能、そもそも変更することに意義を見出せないと感じているのであって、しかし、罰や制裁を受けることによって、現状のままのなんら変更がなされない状態でその状況が赦されるとするならば、果たしてそれを赦すことは、なにを赦しているのか、そもそも赦されるべきなのであろうか。考えれば考えるほどに、赦すこと、赦されることには、矛盾だけが明確に浮かび上がる。そんなことを真剣に考えちゃいけないのであろう。そんなことを真剣に考えちゃうと、円滑な社会生活を営むことに困難が生じよう。すでに生じてしまった困難は、果たしてどうして解消しようか。忘却か、無自覚か、意識を逸らせて、視線を逸らせて、目を耳を塞いで見ないように聞こえないように、心を閉ざして考えないようにするか。

本書において“ニーチェ”を追うトピックとしての四つ「始まり」と「耳」と「神」と「『ツァラトゥストラはこう語った』第四部」と。
厳密に、等身大のニーチェを正確無比に描こうとするなら、ニーチェの文章を、一字一句転写するしかないでしょう。いや、転写にしてところで、どこで転写を打ち切るかで、ニーチェ象なるものは、まるきり異なったものになるかもしれません。わたしとしては、トピックのそれぞれを、ニーチェに対するわたしなりの照準点に定めて、ニーチェ思想に切り込みたいと思ったしだいです。  (P.2、「はじめに」)

そう、永井均はその著書「これがニーチェだ」(講談社現代新書、1998)の締め括りに書き記していた。
次の言葉を、私の結びの言葉としたい。「これが私のニーチェだ。本当のニーチェでも、嘘のニーチェでもなく、私のニーチェだ。きみのニーチェはどこか?」万人向けのニーチェなど、存在しないからである。  (P.219、「結語」『これがニーチェだ』)


≪目次: ≫
はじめに
蛙のパースペクティヴ/四つのトピックから追うニーチェ/生に意味はあるのか/ニーチェ思想のインパクト
ニーチェのプロフィール
内向的な性格/思想の転換/「永劫回帰」の極限的衝撃
第一章 ニーチェの「始まり」――INCIPIT…
1 「物語の始まり」(連続性の切断、連続性の産出 始まりの意識、始まりの喪失)/2 自伝を書く少年から哲学者へ(一二歳の自伝 ニーチェの自分探し 探し出された自分 文献学者・音楽家・哲学者 哲学者としてのスタート)/3 『悲劇の誕生』をどう見るか(「自己批判の試み」 破天荒な書 『悲劇の誕生』をもってすべてが始まる 「始まり」を始め直す)/4 少年時の哲学的文章(三つの変化――駱駝、獅子、小児 「歴史と運命」(一八六二年) 後期思想の予兆)/5 「悲劇が始まる」――「パロディーが始まる」(悲劇が始まる 悲劇にしてパロディー 『ツァラトゥストラ』とは「解約聖書」 「悲劇が始まる」対『ツァラトゥストラ』 そのつどあらたに「始める」こと 起源への信仰の切断 針が進む わたしはいま、ここで始めることができる)/6 再び自伝へ――『この人を見よ』(母と妹――永劫回帰への最も深い異論 わたしを取り違えてくれるな 「始まり」としての自己の存在へ)
第二章 「耳」をめぐる攻防
1 ロバの長い耳、ニーチェの小さな耳(耳という不思議な器官 一時について有り余っている者 ロバ――すべてを受け容れる精神 すべてを受け容れることで自己の可能性を閉ざす ましな人間 被支配者と支配者との奇妙な関係 あるかなきかの、しかも決定的な差異)/2 アリアドネの問題圏(ワーグナー夫人コジマ わが愛する人、アリアドネ姫へ 一種の謎かけ ディオニュソスとアリアドネ ディオニュソスへのカウンター・バランス 相互に補完しつつ対立する 一切は解釈である 人間劇の観客としての神々 生の無意味へのカウンター・バランス)/3 世界――外部なき迷宮(神が死んだあとで 自己自身の二重化によるバランス 二重の欲情をもつこの秘密世界 迷宮としての世界 内部を外部にする――迷宮のゲシュタルト・チェンジ 世界はいかにして自己自身になるか)
第三章 『ツァラトゥストラはこう語った』第四部の謎
1 第四部出版事情(人類がもつ最も深い書物 暗示によって示す永劫回帰 第四部は四五部のみ印刷 第四部の存在を漏らしてはならない)/2 秘教的目論見(ニーチェの意図 ましな人間を求めるツァラトゥストラ=ニーチェ ニーチェの弟子ないし生徒 永劫回帰思想を伝達すべき同志 恐るべき才媛ヘレーネ 期待はあえなく 試し刷りも破棄せよ)/3 「語り」の問題(サルトルのモーリヤック批判 神の被害者、最も醜い人間 神の特権的視点 読者への語りかけ 地の文がもつ特有の視点 神話空間創造への意志 理解しあえる者同士の空間 目論みすぎ、盛り込みすぎ)
第四章 知られざる神と隠れたる神
1 オペレッタ『ワーグナーの場合』(ワーグナーとの訣別 「パルシファル」体験 ビゼーの『カルメン』を激賞 ドン・ホセーー憎しみと愛の相互反転 オッフェンバックへの熱狂 オペレッタ『美しいエレーヌ』 『ワーグナーの場合』がかもしだす親密な読解空間 フランス精神への共鳴 始まりを再び始めなおす)/2 隠れたる神の正体(隠れたる神の系譜 あらゆる規定が拒否される 存在も非存在も証明不能 「神の誠実性」 神は余計な説明原理である 神が無に等しくなる ロバこそが隠れたる神 笑いによって人は殺す)/3 世界がゲシュタルト・チェンジする(ニーチェ思想のパロディーとしてのオペレッタ 隠れたる神と永劫回帰の紙一重の差異 意味の一元化 一神対多神 世界解釈の新たな無限 ディオニュソス――虚構としての神々の形象化 知られざる神と隠れたる神の差異 世界が神々の舞踏となる より多くの眼差しを確保する 生のたえざる有意味化 〈ある〉ところのものにいかにして〈なる〉か)
エピローグ (一九九九年七月 須藤訓任)

索引


≪著者: ≫ 須藤訓任 (すどう・のりひで) 1955年、弘前市生まれ。京都大学文学部卒業後、同大学大学院博士課程修了。大谷大学講師・同助教授をへて、現在(刊行当時)、大谷大学教授(現在、大阪大学教授)。専攻は、西洋近・現代思想。論文に、「ミーメーシスとロゴス――スピノザからの問題提起」(岩波講座「現代思想」第14巻)、「屋根から瓦が……――必然・意志・偶然」(「新・哲学講義」第3巻、ともに岩波書店)などがある。


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本「マルクス・アウレーリウス 自省録  Marcus Aurelius, TA EIS HEAUTON (岩波文庫 青610-1)」マルクス・アウレーリアス、神谷美恵子 訳5

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自省録 (岩波文庫)
マルクス・アウレーリウス 自省録  Marcus Aurelius, TA EIS HEAUTON (岩波文庫 青610-1)

○著者: マルクス・アウレーリウス神谷美恵子
○出版: 岩波書店 (2007/2 改版版, 文庫 327ページ)
○価格: 735円
○ISBN: 978-4003361016
おすすめ度: 4.5
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これスゴイ!、スゴクイイ♪
そう、勤務先近くの図書館でふとぼくの目に止まったのは、この改版版が2007年2月と最近出された著書であり、装丁がキレイであったこともひとつの大きな要因で、手にしてぱらぱらとページをめくると文字も小さくないし、総ページ数も「注」を含めて327ページと手ごろだから、あっそうそう、女性の翻訳者であったことも忘れてはいけない。デカルト(René Descartes, 1596-1650)を読んだのは、谷川多佳子の翻訳だった。ハンナ・アレント(Hannah Arendt, 1906-1975)とか。
ところで、なんの知識も情報もないままに手にしたわけだが、なんとなく気になって Wikipedia で「神谷美恵子(1914-1979)」を検索すると、あらまぁ、本業は翻訳家にあらず精神科医、しかしその略歴に興味は増した。さらに本書を手にした後に読んだ、中島義道『哲学の教科書』(講談社学術文庫、2001)の読書案内にあって、神谷美恵子『生きがいについて』(みすず書房)がススメられていた。こりゃたのしみだ♪、と思いながらもそのじつなかなか手が伸びない。やっぱり古典?!哲学はカンタンではない、少なからぬ気合いが必要なのだ(などと言いつつ気合もなにもないままにだらっと読んでしまう)。
で、断片。他人に読ませるつもりも、本にまとめる目的もなく手記として書き記された断片は、心にうかぶ感慨や思想や自省自戒のことば。なるほど、マルクス・アウレーリウス(Marcus Aurelius Antoninus, 121-180)は、大ローマ帝国の第16代皇帝である一方で、ストア哲学に精通した「哲人皇帝」と称される。
断片的な短いことばが、断片的に短い言葉だからこそ、あっちからこっちから予測不可能な方向から、ぐさりぐさりと突き刺さる。えっ、うぉっ、あいたたたたぁ〜♪


一七 適当でないことならば、せずにおけ。真理でないことならば、いわずにおけ。その決断はあくまでも君の一存にあるべきだ。

一八 つねにものの全体を見きわめること。君の脳裡に或る表象を形成するものは、それ自体なんであるか。またこれを原因、素材、目的、それが存在をやめることになるまでの寿命に分析して(自分に)説明すること。

一九 もういい加減で自覚するがいい、君の中には、情欲をかもし出して君を木偶(でく)のごとくあやつるものよりももっと優れた、もっと神的なものがあるということを。わたしの心には今なにがあるか。恐怖ではないか。疑惑? 欲望? その他類似のもの?

二〇 第一に、何事もでたらめに、目的なしにやってはならない。第二に、公益以外の何ものをも行動の目的としてはならない。

二一 遠からず君は何者でもなくなり、いずこにもいなくなることを考えよ。また君の現在見る人びとも、現在生きている人びとも同様である。すべては生来変化し、変形し、消滅すべくできている。それは他のものがつぎつぎに生まれ来るためである。

二二 すべては主観にすぎないことを思え。その主観は君の力でどうにでもなるのだ。したがって君の意のままに主観を除去するがよい。するとあたかも岬をまわった船のごとく眼前にあらわれるのは、見よ、凪(なぎ)と、まったき静けさと、波もなき入江。  (P.236-P.237、「第一二巻」)

一五 君に残された時は短い。山奥にいるように生きよ。至るところで宇宙都市の一員のごとく生きるならば、ここにいようとかしこにいようとなんのちがいもないのだ。真に自然にかなった生活をしている人間というものを人びとに見せてやれ。観察させてやれ。もし彼らに君が我慢ならないなら、彼らをして君を殺させるがよい。彼らのように生きるよりはそのほうがましだから。  (P.196-P.197、「第一〇巻」)

二一 その身体をうらがえしてみてどんなものであるか調べよ。年取るとどんなになるか。死んだときには、息を引取るときにはどうか。
人生は短い。褒める者にとっても褒められる者にとっても、記憶する者にとっても記憶される者にとっても。しかもすべてこの地域のこの小さな片隅でのこと。その上そこでは万人互いに一致しているわけでもなく、個人にしても一人として自己と一致している者はない。また地球全体は一点にすぎない。  (P.148-P.149、「第八巻」)


≪目次: ≫
訳者序 (昭和二十三年九月末日)
新版に対する序 (昭和三十一年四月二日 訳者)

第一巻/第二巻/第三巻/第四巻/第五巻/第六巻/第七巻/第八巻/第九巻/第一〇巻/第一一巻/第一二巻


訳者解説

マルクス・アウレーリウスの生涯/二 『自省録』の思想内容について/三 『自省録』の構成、文体その他について
増訂付記兼利琢也


Iris japonica




本「流刑地にて  Franz Kafka, In der Strafkolonie (白水uブックス156、カフカ・コレクション)」カフカ、池内紀 訳5

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流刑地にて―カフカ・コレクション (白水uブックス)
流刑地にて  Franz Kafka, In der Strafkolonie (白水uブックス156、カフカ・コレクション)

○著者: フランツ・カフカ池内紀
○出版: 白水社 (2006/7, 新書 184ページ)
○価格: 945円
○ISBN: 978-4560071564
おすすめ度: 5.0
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返答は初めから決まっていた。これまで旅行者はいろいろな人生経験をつんできた。いまさら考えがゆらいだりはしないのだ。彼は本来的に誠実であり、勇気ある人間だった。兵士と囚人を目にとめたとき、ほんのひと呼吸ほど躊躇したが、つぎには当然言うべきことを口にした。
「お断りします」
将校は何度も目をパチパチさせた。しかし、その間にも相手から目をそらさない。
「なぜお断りするのか申しあげましょうか?」
将校は口をつぐんだままうなずいた。
「ここのやり方が気に入らないのです」
と、旅行者は言った。
「あなたは打ち明けて話してくださった――その信頼を悪用するつもりは毛頭ありませんが――その際、私は考えました、自分はご当地のやり方に口をはさむ権利があるのか、仮に口をさしはさんだとしても、それにどれほどの効力があるのか。誰に申し立てるべきか、それははっきりしていましたね、むろん、司令官です。いまのお話を聞きながら、ますます心が決まりました。といって、あなたのことばによって決心がついたというのではないのです。あなたの信念には心をうたれましたが、それでもって自分の決心がゆらいだりはしないのです」
将校は黙然と立っていた。・・・   (P.68-P.69、「流刑地にて」)

つまり、われわれは雪のなかの樹木の幹のようだ。のっかっているだけ、ちょいと突けば押しのけられる。いや、そうはいかない。大地にしっかり根を生やしている。しかし、どうだ、それもそうと見えるだけ。  (P.112、「樹木」)

女中に誘惑され、その女中に子供ができてしまった。そこで十六歳のカール・ロスマンは貧しい両親の手でアメリカへやられた。速度を落としてニューヨーク港に入っていく船の甲板に立ち、おりから急に輝きはじめた陽光をあびながら、彼はじっと自由の女神像を見つめていた。剣をもった女神が、やおら腕を胸もとにかざしたような気がした。像のまわりに爽やかな風が吹いていた。
「ずいぶん大きいんだな」
誰にいうともなくつぶやいた。・・・  (P.122、「火夫」)



≪目次: ≫
『判決 Das Urteil』
『流刑地にて In der Strafkolonie』
『観察 Betrachtung』
街道の子供たち/ペテン師の正体/突然の散歩/腹をくくること/山へハイキング/ひとり者の不幸/商人/ぼんやりと外をながめる/もどり道/走り過ぎていく者たち/乗客/衣服/拒絶/持ち馬騎士のための考察/通りの窓/インディアン願望/樹木/不幸であること
『火夫 Der Heizer』

『流刑地にて』の読者のために (池内紀)


≪著者: ≫ フランツ・カフカ (Franz Kafka) 1883‐1924。チェコのプラハに生まれる(当時はオーストリア=ハンガリー帝国領)。両親ともドイツ系ユダヤ人。プラハ大学で法学を専攻。在学中に小説の習作を始める。卒業後は労働者傷害保険協会に勤めながら執筆にはげむ。若くして結核にかかり、41歳で死去。『変身』などわずかな作品をのぞき、そのほとんどは発表されることなくノートに残された。死後、友人マックス・ブロートの手により世に出され、ジョイス、プルーストとならび現代世界文学の最も重要な作家となっている。

[訳者] 池内紀 (いけうち・おさむ) 1940年、兵庫県姫路市生まれ。ドイツ文学者、エッセイスト。主な著訳書:「ウィーンの世紀末」、「二列目の人生」、ゲーテ「ファウスト」他



ぼく、ワルくない・・・?!




本「法という企て  Tatsuo INOUE, Law's Project, University of Tokyo Press, 2003」井上達夫5

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法という企て
法という企て  Tatsuo INOUE, Law's Project, University of Tokyo Press, 2003

○著者: 井上達夫
○出版: 東京大学出版会 (2003/9, 単行本 302ページ)
○価格: 4,410円
○ISBN: 978-4130311731
おすすめ度: 5.0
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法とは何か.本書はこの問いを問い,それに一つの解答を提示する試みである.本書の解答を一言で要約するなら、法とは「正義への企て」である.これは二つのことを意味する.第一に,法とは正義への「企て」である.法は正義とは同一ではない.不正な法も法でありうる.しかし,正義の探究を企ててさえいないとみなされうる秩序は法ではない.第二に,法は「正義への」企てである.法が企てているのは単なる秩序維持や予見可能性保障でも,愛や幸福の成就でもなく,否それら以上に,正義の実現である.・・・  (P.i、「序 法概念論は何のためにあるのか」)

・・・およそ人間に関わる事柄は,数学や論理学とは違って,曖昧さ・不確実性は避けられない.にも拘らず,なぜ法と幸福の関係に対して哲学者特有の職業病的な懐疑を提示するのかというと,人々の幸福への情熱が法に対する無い物ねだりや場違いな批判に転化したり,また幸福の手段としての法の誤用・濫用がかえって人々の幸福の破壊をもたらす危険があるからである.このような危険を自覚し,法と幸福との適切な関係を理解するためには,「法は人間を幸福にできるか?」という問いを,「法はそもそも幸福の実現を自己の目的とすべきなのか」,あるいは「人間の幸福は法によって実現さるべきものなのか」という問題意識にまで掘り下げて考察しなければならない.  (P.264、「第10章 法は人間を幸福にできるか?)



≪目次: ≫
序 法概念は何のためにあるか

第吃堯)〕念論――法とはいかなる企てか
第1章 〈正義への企て〉としての法   1 法は強盗の強迫とどこが違うのか(帰謬法の挑戦 ハート・モデルの限界)/2 法の正義要求(法の規範性と正義要求 正当化を争う権利)/3 正義の論争性(正義は法的安全性の敵か 正義概念と正義構想)/4 正義理念の規制力(普遍主義的要請としての正義 フリー・ライダー問題 二重基準 権利の公共性 集団的エゴイズム 反転可能性から公共的正当性へ)/6 結語
第2章 法の支配――死と再生   1 アンビヴァレンス――堅実と欺瞞(静かで確かな批判 批判性と超然性の葛藤)/2 政治的両義性――理想の支配と恐怖からの自由(二つの政治的モデル 制限政府論の優位? 再統合の必要性)/3 民主政における法の支配――形式化・実体化・プロセス化(形式化プロジェクト――形式的法治国家論と手続的自然法論 実体化プロジェクト――「実定化された自然権」論と「実体的自然法の編入」論 プロセス化プロジェクト――参加代表促進論と熟議の民主政)/4 正義の企て――理想化プロジェクトに向けて(法概念論的基礎 法の支配の〈強い構造的解釈〉)

第局堯)‖減瀟澄宗祝,呂いにして存在しうるのか
第3章 法の存在根拠は決定か正当化か――ケルゼンを突き刺すルール懐疑の毒牙   1 二つの法実証主義(法実証主義とは何か ケルゼンの自己理解)/2 死法的決定の終局性とルール懐疑/3 ルール懐疑家としてのケルゼン(手続的唯我論 「規範」と正当化 法的義務)/4 「決定体系としての法」から「正当化体制としての法」へ(法理論の適格性条件 二つの法的評価次元の区別 規範概念の再考 法適用義務の解明)
第4章 法の存在と規範性――ドゥオーキンにおける法の存在性格   1 重要か?(論争次元の転換 法実証主義のドゥオーキン馴化作戦)/2 「現存法」概念の批判と法命題の理論(ルール・モデル批判から「現存法」観念の批判へ 法命題の理論の再編 論議実践としての法)/3 法の規範性・道徳性(「悪法」の規範性 法‐道徳峻別論再考)

第敬堯)‘安嶇澄複院法宗塾憲主義の葛藤
第5章 法・政治・論争――立憲主義の法哲学   1 ボーク論争(ボークの敗北 「政治化」批判の欺瞞性 真の問題の所在)/2 論争としての法(法適用と法創造 憲法はいつ沈黙するか――コンセンサスとしての法の射程 法固有の正統性――コンセンサスとしての法の破綻 論争的解釈実践としての法の誠実性――「正義への企て」と「純一性」の統合)
第6章 司法的人権保障の現代的課題   1 司法権の本質(司法権の主体としての裁判所――裁判と司法 司法権の意義)/2 司法審査(付随的違憲審査制の意義と限界 司法消極主義)/3 代替的紛争解決手続/4 戦後の人権保障理論の発展(人権と公共の福祉 内在的制約説 二重の基準論 二重の基準論の問題点と今後の課題)/5 新しい人権(新しい権利主張の噴出 社会的な意義と機能)/6 現代型訴訟(現代型訴訟の特色 司法部の機能拡大)

第孤堯)‘安嶇澄複押法宗祝_礎佑慮渋綸発展
第7章 自由と平等の諸相――憲法学との対話   1 自由と平等/2 平等理念の問題状況(平等理念は無用か 複合的平等論 何の平等か 憲法学への期待)/3 自由の問題状況(1)――パターナリズムと自由(個の尊厳 パターナリズムと憲法学 国家からの自立)/4 自由の問題状況(2)――メディアと表現の自由(テレビの憲法理論とトクヴィル 表現の自由における人権と公共財の関係 基本的情報の多義性とメディアの脱階層化)
第8章 共同体と責任――不法行為法における共同体的正義論の意義と限界   1 法哲学論争状況と不法行為法の危機(共同体論と棚瀬理論の接点 共同体論と棚瀬理論の距離)/2 配慮と責任(個人責任原理と関係的配慮との関係 関係的配慮の距離)
第9章 公正競争とは何か――法哲学的試論   1 序――「公正競争」概念の虚と実/2 「公正としての正義」から「正義としての公正」へ(公正概念と正義概念との関係 正義基底的アプローチの優位)/3 公正競争の規範的枠組(競争資源分配の公正化――通時的平等に向けて フェア・プレイの倫理)/4 結語――〈自由対平等〉図式を超えて
第10章 法は人間を幸福にできるか?   1 法は幸福の侍女か(幸福の法哲学 法至上主義への反発)/2 利己主義の罠(法のゲーム化 集団的エゴイズム)/3 功利主義の罠(功利主義の功罪 公共の福祉と人権)/4 パターナリズムの罠(幸福と自由 医療における自己決定権)/5 卓越主義の罠/6 共同体主義の罠(幸福の共同体と個人権 日本的共同体の現実)/7 幸福追求権の現代的意義(法の節度と幸福追求権 情報と競争の多様化に向けて)

あとがき (2003年8月 盛夏 井上達夫)
索引(人名・事項)


≪著者: ≫ 井上達夫 (いのうえ・たつお) 1954年大阪に生れる.1977年東京大学法学部卒業.現在,東京大学大学院法学政治学研究科教授(法哲学専攻).主要著書『共生の作法――会話としての正義』(1986年,創文社),『共生への冒険』(共著,1992年,毎日新聞社),『自由・権力・ユートピア 新・哲学講義7』(編著,1998年,岩波書店),『他者への自由――公共性の哲学としてのリベラリズム』(1999年,創文社),『変容するアジアの法と哲学』(共編著,1999年,有斐閣),『法の臨界』(全3巻,共編著,1999年,東京大学出版会),『現代の貧困 双書 現代の哲学』(2001年,岩波書店),『体制改革としての司法改革――日本型意思決定システムの構造転換と司法の役割』(共編著,2001年,信山社),『普遍の再生』(2003年,岩波書店)

『現代の貧困 (双書 現代の哲学12)』岩波書店、2001年
『普遍の再生』岩波書店、2003年
『自由論 (双書哲学塾13)』岩波書店、2008年


Magnolia




本「ラブレーで元気になる (理想の教室)」荻野アンナ5

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ラブレーで元気になる (理想の教室)
ラブレーで元気になる (理想の教室)

○著者: 荻野アンナ
○出版: みすず書房 (2005/12, 単行本 168ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4622083146
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突然ですが一五三二年のこと。ラブレーは50歳近いおじさんで、当時の国際都市リヨンでお医者をやっていた。この年、巨人伝説を基にした『ガルガンチュア大年代記』が出版されて、一応ウケたらしいのだが、内容も本自体も薄っぺら、巨体ネタだけの単純なものだった。俺ならもっと面白く書いてやる、とラブレーさんが思ったかどうか、定かではないが、専門書しか出したことのないインテリが、突然マンガチックなオハナシに手を染めた。  (P.9)

思想や宗教はしょせん人間の作り物だから、変遷があり消滅もする。今の民主主義と同じ位置を、当然のごとく帝国主義が占めていたわけだし、ヨーロッパで中世までさかのぼれば、現在のEUとほぼ重なる部分が、ひとつのキリスト教文化圏を形成していた。
民衆の話す言葉は国により異なるが、インテリの場合、ラテン語という共通語があり、同じ文化基盤の上に立っていた。(中略)
言葉と思想の、共通の基盤がガタつくのが16世紀。言葉の問題は後まわしにして、まずは思想だが、先ほども言ったように、カトリック(旧教)の腐敗が改革を、改革がプロテスタント(新教)を生んだ。(中略)
・・・プロテスタントが歴史の中に資本主義を呼んで来た。それまでのカトリック教会は、互助精神で、貸し借りは認めるが、無利子という条件がついていた。同じキリスト教徒から利子を取るなんて、とんでもない。だから高利貸しは、非キリスト教徒のユダヤ人に限られており、後のロスチャイルド家など、大銀行は家もほとんどがユダヤ系となる。  (P.41-P.42)

・・・ラブレーの時代は資本主義の萌芽期で、テクノロジーも大いに進化した。
ルネサンスの三大発明って、(中略)新大陸の発見に寄与したのが羅針盤。他に大砲と印刷術で、三大発明だよ。  (P.48)


フランソワ・ラブレー(François Rabelais, 1483-1553)


≪目次: ≫
第1回 よっぱらい
前置き、あるいは『ガルガンチュア』早わかり/へべれけトーク/ラブレーの時代/ラブレーの場合
第2回 うんこ
ガルガン誕生/お子ちゃま/ふきふきトーク/ウンチング・ワールド
第3回 あそび
コンラン先生、大コンラン/小原ガルガン庄助/あそBE/アホバカ

読書案内
『第一之書 ガルガンチュワ物語』渡辺一夫訳、ワイド版岩波文庫、一九九一年
『第二之書 パンタグリュエル物語』渡辺一夫訳、ワイド版岩波文庫、一九九一年
『第三之書 パンタグリュエル物語』渡辺一夫訳、ワイド版岩波文庫、一九九一年
『第四之書 パンタグリュエル物語』渡辺一夫訳、ワイド版岩波文庫、一九九一年
『第五之書 パンタグリュエル物語』渡辺一夫訳、ワイド版岩波文庫、一九九一年
『ガルガンチュアとパンタグリュエル1 ガルガンチュア』宮下志朗訳、ちくま文庫、二〇〇五年
ミハイール・バフチーン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』川端香男里訳、せりか書房、一九七三年
マドレーヌ・ラザール『ラブレーとルネサンス』篠田勝英・宮下志朗訳、白水社(文庫クセジュ)、一九八一年
リュシアン・フェーヴル『ラブレーの宗教――16世紀における不信仰の問題』高橋薫訳、法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス)、二〇〇三年
宮下志朗『ラブレー周遊記』東京大学出版会、一九九七年
荻野アンナ『ラブレー出帆』岩波書店、一九九四年
『渡辺一夫ラブレー抄』二宮敬編、筑摩叢書、一九八九年
宮下志朗『本の都市リヨン』晶文社、一九八九年


≪著者: ≫ 荻野アンナ (おぎの・あんな) 1956年横浜市生まれ。作家。慶應義塾大学文学部教授。1991年『背負い水』で芥川賞、2002年『ホラ吹きアンリの冒険』で讀賣文学賞を受賞(以上、文藝春秋)。著書に『ラブレー出帆』『けなげ』(以上、岩波書店)ほか。現在、金原亭馬生師匠の弟子として「駒ん奈」を名乗る二つ目である。


カマキリ




本「これがニーチェだ (講談社現代新書1401)」永井均5

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これがニーチェだ (講談社現代新書)
これがニーチェだ (講談社現代新書1401)

○著者: 永井均
○出版: 講談社 (1998/5, 新書 221ページ)
○価格: 756円
○ISBN: 978-4061494015
おすすめ度: 4.0
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ニーチェは、一八四四年十月十五日、ライプツィヒの近くのリュッツェルンという町に近いレッケンという小さな村に、プロテスタントの牧師の子として生まれた。母親も牧師の娘であり、幼児期のニーチェは、プロテスタント的な家庭環境のなかで、ささやかな――あるいはささやかぶった――家庭生活を送ったことが推測される。  (P.56、生い立ち)

なぜ人を殺してはいけないか。これまでその問いに対して出された答えはすべて嘘である。道徳哲学者や倫理学者は、こぞってまことしやかな嘘を語ってきた。ほんとうの答えは、はっきりしている。「重罰になる可能性をも考慮に入れて、どうしても殺したければ、やむをえない」――だれも公共の場で口にしないとはいえ、これがほんとうの答えである。だが、ある意味では、これは、誰もが知っている自明な真理にすぎないのではあるまいか。ニーチェはこの自明の真理をあえて語ったのであろうか。そうではない。彼は、それ以上のことを語ったのである。  (P.28-P.29、ニーチェの究極の答えについて)



≪目次: ≫
序文
この本はどこが新しいか/ニーチェの哲学・ニーチェ批判/この本の特徴/参照方法/駱駝・獅子・子供
第一章 道徳批判――諸空間への序章
1 なぜ人を殺してはいけないのか(誇りという嘘/ニーチェの答え/答える人の嘘について/ニーチェの究極の答えについて) 2 道徳を否定する道徳(二種類の道徳批判/誠実という道徳/強さとしての誠実さ/宗教批判) 3 ニーチェの道徳的趣味(恥と同情/社会性自体の拒否/最悪のニーチェ=最高のニーチェ)
第二章 ニーチェの誕生と、『悲劇の誕生』のソクラテス像
生い立ち/『悲劇の誕生』の誕生/『悲劇の誕生』の空間/『道徳外の意味における本当と嘘』/『反時代的考察』/病気と休暇/『人間的あまりにも人間的』/『曙光』と『悦ばしき知識』
第三章 第一空間――ニヒリズムとその系譜学
1 神の死とニヒリズム(二種類の神の死/「神の死」と「神の影」/三種類のニヒリズム/〈神〉の死因) 2 道徳の系譜学(系譜学とは何か/貴族的価値評価と僧侶的価値評価/約束と責任――道徳の内面化/負い目と良心のやましさ/禁欲主義的僧侶と禁欲主義的理想/真理への意志は何を意味するか)
第四章 第二空間――力への意志とパースぺクティブ主義
1 真理と力――第一空間と第二空間の衝突(形而上学の超克――および芸術について/無への意志としての力への意志――力への意志の系譜学/真理への意志としての力への意志/真理と有用性――二つの空間の相互包含) 2 力への意志とパースペクティヴ主義(パースペクティヴ主義/力への意志説とパースペクティヴ主義は語りうるか) 3 「力への意志」説はてつがくたりうるか?(欲動としての力への意志/ニーチェのプラグマティズム――有用性の形而上学) 4 「弱さ」としての「力への意志」(力への意志?/弱さとしてのパースペクティヴ主義/力への意志の胡乱な出自/価値基準の独占/まとめとないものねだり)
第五章 『反キリスト』のイエス像と、ニーチェの終焉
二つの体験――永遠回帰とルー・ザロメ/『反キリスト』におけるイエス像/「キリスト教」の成立/「キリスト教」のその後/発狂と死
第六章 第三空間――永遠回帰=遊ぶ子供の聖なる肯定
1 永遠回帰の襲来(永遠回帰と第三空間/『悦ばしき知識』における永遠回帰/『ツァラトゥストラ』における永遠回帰/永遠回帰を肯定する?) 2 意志の否定――闘う獅子から遊ぶ子どもへ(意志の否定/第三空間の境地/芸術・遊戯・子供/獅子から子供へ?/超人とディオニュソス的肯定) 3 運命愛と〈神〉の復活(「偶然=必然」としての生成/太陽のない光としての世界/世界そのもの、あるいはニーチェの神/〈神〉/聖なる肯定としての永遠回帰/人生の意味――祈りとしての永遠回帰/運命愛のありか/ニーチェ空間の外へ)
結語
謝辞と題名についてのあとがき


≪著者: ≫ 永井均 (ながい・ひとし) 1951年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。同大学院文学研究科博士課程単位取得。現在(刊行当時)、信州大学教授(現在、日本大学教授)。専攻は哲学・倫理学。著書に『〈私〉の存在の比類なさ』勁草書房、『翔太と猫のインサイトの夏休み』ナカニシヤ出版、『〈子ども〉のための哲学』講談社現代新書など。
『ルサンチマンの哲学』(河出書房新社、1997)


どうしてもはずせない♪




本「異邦人 Albert Camus, L'Étranger 1942 (新潮文庫)」カミュ、窪田啓作 訳5

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異邦人 (新潮文庫)
異邦人 Albert Camus, L'Étranger 1942 (新潮文庫)

○著者: カミュ、窪田啓作 訳
○出版: 新潮社 (1954/9; 改版版, 文庫 146ページ)
○価格: 420円
○ISBN: 978-4102114018
おすすめ度: 4.5
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きょう、ママんが死んだ。もしかすると、昨日かもしれないが、私にはわからない。養老院から電報をもらった。
「ハハウエノシヲイタム、マイソウアス」これではなにもわからない。おそらく昨日だったのだろう。
養老院はアルジェから八十キロの、マランゴにある。・・・  (P.6)

勤務先近くと自室近くの図書館はしばらく貸し出し中が続いていて、買っちゃった方がいいのかなぁ、と思わないでもないほどに早く読みたい、読んでしまいたい気持ちがあって、それでも予約して(貸し出し中の本に次の予約が入ると、とくに「早く返せ!」とかアナウンスされるわけではないが貸し出し延長ができなくなる)今読んでる人から奪うような急かすようなことをしたくないなぁ、と偽善者ぶってみたりする。と、なにげなくチェックしてみたら、あら、在庫している♪、で、借りた。読んだ。昭和五十六年五月三十日 七十二刷(定価200円)版。
キッカケは、みすず書房「理想の教室」シリーズ、野崎歓『カミュ『よそもの』きみの友だち』(2006)から。そう、サルトルの『嘔吐』との混同があったっけ。


夏の風♪




本「アウグスティヌスの愛の概念  Hannah Arendt, DER LIEBESBEGRIFF BEI AUGUSTIN: Versuch einer Philosophischen Interpretation (Berlin: Verlag von Julius Springer, 1929).」ハンナ・アーレント、千葉眞 訳5

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アウグスティヌスの愛の概念
アウグスティヌスの愛の概念  Hannah Arendt, DER LIEBESBEGRIFF BEI AUGUSTIN: Versuch einer Philosophischen Interpretation (Berlin: Verlag von Julius Springer, 1929).

○著者: ハンナ・アーレント千葉眞
○出版: みすず書房 (2002/2, 単行本 265ページ)
○価格: 2,835円
○ISBN: 978-4622031123
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本書は、一九二九年、ハンナ・アーレント(Hannah Arendt, 1906-1975)が二十三歳の時に出版した最初の著作の邦訳である。本書の原型は、ハイデルベルク大学においてカール・ヤスパースの指導のもとに完成させたアーレントの博士論文である。・・・  (P.223、訳者解説)

そうだった、「“”ってなんだかわからない」と口外し(書き記し)たことがあったことを思い出した。「だったらぼくには関係ない、すでに興味がいだけない」で思考を停止させてしまって、そのままを書こうとした。ところが、すこし書きあぐねているうちにPCなのかウェブページなのかの調子が悪くなって「じゃあいいや」と先延ばしにすることにして寝た。起きて、他の本を読み始めながらも少し考える時間を得て、だからといって“愛”がなんであるのかがわかることも、“愛”にすご〜く興味をいだくようになることもないのだが、どうやら気にならないわけではないようだ。ホントのところは書き記すほどに知識や理解がないのではあるが、だから「書かない」という選択があるのかもしれない(きっとほとんどコレ)。だって、隣人愛だって、家族愛だって、性愛だって、ひとつひとつそれぞれに「こう考える」ってものがあったりするわけで、そうそう「知を愛する」ことだって広義の“愛”??!。で、そのひとつである“性愛”にだって、まるで無関心を装って「興味がない、関係ない」と決めつけて心を閉ざしているところがぼくにはあるけれど、だからといって欲していないわけではない。欲する気持ちと、現実の状況と、あれやらこれやらいろいろ考えて、あれもこれもと要求することは憚られるから、身の程とかを考えちゃって、このあたりで手を打とう、と採用する行動ってものもあるよね。生活するための糧を得るべく仕事して、仕事以外の自由な時間をぼくは読書とその書き記しと、デジタル一眼レフカメラと、クロスバイクと、その3つに時間を費やしたい、と考えて、ペースを乱されることを嫌い、団体行動や共同作業を苦手とすることから考えるに、結果的に独りを選択することになっている。そしてそんな独りの状態であり状況を、多少の強がりを認めたとしても、とっても心地好いと感じている。そのもの人間関係を得意としなくて、他人との距離感を掴めなくて保てなくて、そんなことばかり考えて引きこもっているうちにまもなく40歳を迎えるからかなぁ、老化現象であろうか、エネルギーも減退してきたような気がしているから、ますます他人との関係に煩わしさばかりを感じてしまうのだ。限られたエネルギーと時間を注ぎこむ対象には限界があろうことから、その範囲や量だって限定されることを考えても、エネルギーが向かう先の選択としての“性愛”は優先順位が低いのであろう。じつは、“隣人愛”についても、そのエネルギーが向かうことがすっかり減少しちゃっている印象があって、ほぼ無関心になっていることが気になっているのだが。独りで生きていくと決めた者としての〈ぼく〉は、そうはいっても独りだけで生きていくことが絶対的に不可能であることを認めつつ、それでも可能な限りにおいて他人の世話にはなりたくない、関わりをもちたくないと考えるに、他人への積極的な働きかけや関係性に意義を見出すことができないわけで、隣人に愛を差し向けることができないことも、隣人に対する愛にもとづく行動を採用することができずに無関心でいることにも、その善悪を別として(悪であると思われようとも)、ぼくには理解できないことではないのである。


≪目次: ≫
はじめに
第一章 「欲求としての愛」Amor qua appetitus

1節 「欲求」appetitus の基本構造/2節 「愛」caritas と「欲望」cupiditas/3節 「秩序づけられた愛」Ordinata dilectio/第一章の付論機紳莪貍呂良嬾性
第二章 「創造者」Creator と「被造者」creatura
1節 「被造者」の起源 Ursprung としての「創造者」/2節 「愛」caritas と「欲望」cupiditas/3節 「隣人愛」Dilectio proximi/第二章の付論
第三章 「社会生活」Vita socialis


訳者解説
   はじめに/1 本書の概要/2 本書の主題/3 世界への愛――世界への弁証法的姿勢/4 英語版の出版(一九九六年)とその意義/おわりに
あとがき (二〇〇二年一月 千葉 眞)


≪著者: ≫ ハンナ・アーレント (Hannah Arendt) 1906年,ドイツのハノーファー近郊リンデンでユダヤ系の家庭に生まれる.マールブルク大学ハイデガーブルトマンに,ハイデルベルク大学ヤスパースに,フライブルク大学フッサールに学ぶ.1928年,ヤスパースのもとで「アウグスティヌスの愛の概念」によって学位取得.ナチス政権成立後(1933年)パリに亡命し,亡命ユダヤ人救援活動に従事する.1941年,アメリカに亡命.1951年,市民権取得.その後,バークレー,シカゴ,プリンストン,コロンビア各大学の客員教授を歴任.1967年,ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチの哲学教授に任命される.1975年ニューヨークで急逝.著書『全体主義の起原』1-3(1951,みすず書房 1972,1972,1974),『人間の条件』(1958, 筑摩書房 1994),『イェルサレムのアイヒマン』(1963,みすず書房 1969),『過去と未来の間』(1954,1968,みすず書房 1994),『ラーエル・ファルンハーゲン』(1959,みすず書房 1999),『暴力について』(1963,みすず書房 2000)他.

[訳者] 千葉眞 (ちば・しん) 1949年,宮城県生まれ.早稲田大学大学院修士課程(政治思想)修了後,プリンストン神学大学(Ph.D.政治倫理学).現在,国際基督教大学教養学部社会科学科教授.著書『現代プロテスタンティズムの政治思想』(新教出版社,1988年),『ラディカル・デモクラシーの地平』(新評論,1995年),『アーレントと現代』(岩波書店,1996年),『デモクラシー』(岩波書店,2000年),『二十一世紀と福音書信仰』(教文館,2001年)ほか.共訳書 シェルドン・S・ウォリン『政治学批判』(みすず書房,1988年),シャンタル・ムフ『政治的なるものの再興』(日本経済評論社,1998年)ほか.

ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』(大久保和郎 訳、みすず書房、新装版1994、1969)
ハンナ・アレント『政治の約束』(ジェローム・コーン 編、高橋勇夫 訳、筑摩書房、2008)
ハンナ・アレント『責任と判断』(ジェローム・コーン 編、中山元 訳、筑摩書房、2007)
アウグスティヌス『聖アウグスティヌス 告白 〈上〉』(服部英次郎 訳、ワイド版岩波文庫、2006)
アウグスティヌス『聖アウグスティヌス 告白 〈下〉』(服部英次郎 訳、ワイド版岩波文庫、2006)


大垂水峠にて♪




本「ニーチェの遠近法 (クリティーク叢書12)」田島正樹5

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ニーチェの遠近法 (クリティーク叢書)
ニーチェの遠近法 (クリティーク叢書12)

○著者: 田島正樹
○出版: 青弓社 (1669/11, 単行本 242ページ, 新装版 2003/1)
○価格: 3,150円
○ISBN: 978-4787210258 (新装版 978-4787210357)
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ニーチェの著書であり人となりを読み解く著書をどんなに読んだとしても、それはニーチェのものではないのであって、それゆえにニーチェを読んだことにはならないであろうことを、それなりに理解して(じつは混乱から抜けだせずにどうにも書きえない)。
さて、本書は、神崎繁『ニーチェ どうして同情してはいけないのか』(日本放送出版協会、2002)の読書案内に紹介されていたものであり、そこで紹介されていた、永井均『ルサンチマンの哲学』(河出書房新社、1997)につづいて、ニーチェ。


≪目次: ≫

第1章 ニーチェの表現形式
   1 アフォリズムの哲学/2 試練
第2章 観点と遠近法   1 病の活用/2 ブルータスの友情/3 ニーチェの道徳批判/4 同情/5 超越論的哲学とパースペクティヴ/6 ハイデガーの場合/7 問題の問題/8 生と判断/9 ベルクソン的自由
インテルメッツォ] モンテーニュ・ノート
第3章 真理と体現   1 アレゴリー/2 『ツァラトゥストラ』のアレゴリー/3 真理の上演──悲劇的真理観/4 俳優問題/5 位階秩序/6 〈永劫回帰〉の最初の覚え書き
第4章 永劫回帰   1 永劫回帰の否定的・機械論的理解/2 永劫回帰の肯定的理解


あとがき


≪著者: ≫ 田島正樹 (たじま・まさき) 一九五〇年、大阪市生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得。東北芸術工科大学教授。哲学専攻。論文に、「形而上学という物語」(『現代哲学の冒険8 物語』所収、岩波書店、一九九〇年)、「アリストテレス倫理学ノート」(「哲学雑誌」第一〇九巻第七八一号所収、一九九四年)などがある。著書に『哲学史のよみ方』(ちくま新書)、『魂の美と幸い』(春秋社)、『スピノザという暗号』(青弓社)などがある。
ウェブログ『ララビアータ ――田島正樹の哲学的断想』(http://blog.livedoor.jp/easter1916/)主宰。


届かぬ想い♪




本「ルサンチマンの哲学 Ressentiment (シリーズ・道徳の系譜)」永井均5

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ルサンチマンの哲学 (シリーズ 道徳の系譜)
ルサンチマンの哲学 Ressentiment (シリーズ・道徳の系譜)

○著者: 永井均
○出版: 河出書房新社 (1997/5, 単行本 151ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4309241890
おすすめ度: 4.0
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「あぁ、ニーチェ(Friedrich Nietzsche, 1844-1900)を読みたい!」と最近ず〜っと思っていたところに、たまたま「最近読んでないなぁ〜」などと思いながらなんとなくチェックしてみた「光文社古典新訳文庫」ウェブページでビックリ!、偶然にも(もしかしたら必然!?)4月の新刊2冊のうちの1冊が『善悪の彼岸(Jenseits von Gut und Böse, 1886)』だったよ♪、さらには、好んで読み進めている“中山元”の翻訳とあっては、大あわてで予約をポチッと(自室近くの図書館で2番目)。ということは、いよいよニーチェがやってくる♪、じつは恥ずかしながらはじめてなんですぅ〜、ニーチェさま。すでに数冊のニーチェを読み解く本が手元にあって、まずはそれらを先に読んじゃわないことには。
ちなみに本書は、神崎繁『ニーチェ どうして同情してはいけないのか』(日本放送出版協会、2002)の読書案内に紹介されていたものである。

定義的にいうと、ルサンチマンとは、現実の行為によって反撃することが不可能なとき、想像上の復讐によってその埋め合わせをしようとする者が心に抱き続ける反復感情のことだ、といえますが、このルサンチマンという心理現象自体がニーチェの問題だったわけはありません。ルサンチマン自体についても、最後に問題にするつもりではありますけれど、ニーチェの問題は、ルサンチマンが創造する力となって価値を生み出すようにあったとき、道徳上の奴隷一揆が始まるということであり、そして実際にそうだった、ということなのです。つまり我々はみなこの成功した一揆で作られた体制の中にいて、それを自明として生きている、ということがポイントなのです。この点を見逃すか無視してしまうと、ニーチェから単なる個人的な人生論のようなものしか引き出せなくなってしまいます。  (P.15-P.16、第一章 ルサンチマンの哲学)


≪目次: ≫
序章 『星の銀貨』の主題による三つの変奏   最初のお話/二番目のお話/最後のお話/あの世での少女たちの会話
第一章 ルサンチマンの哲学――そしてまたニーチェの読み方について   ルサンチマンの本質/ニーチェの真価について/善悪の起源/キリスト教的内面の成立/今日におけるルサンチマン自己罪責化とニヒリズム/ルサンチマンの「克服」
第二章 幸福道徳復讐
新新宗教

見えないヨーロッパ――その原点の点描   見えないヨーロッパ/道徳と狂気告白/忘恩の要求/信仰と忘却/フィロソフィア/犯罪――Once and for all――/差別と愛/試練は存在しない/見えるヨーロッパの逆襲
よく生きることヤテ、そらナンボのもんや?   1 道徳の理由と哲学史/2 ソクラテスプラトンアリストテレス――概念の変造――(『クリトン』のソクラテス プラトンの『ゴルギアス』 アリストテレス)/3 カント、そしてヘーゲル――変造の完成――(カントの道徳フェティシズム カントにおける「ホワイ・ビー・モラル?」の問い ヘーゲルの「人倫」学説)/4 概念変造の一つの帰結――結びに代えて――
怨恨なき復讐――われわれの時代のルサンチマン
第三章 永遠回帰の哲学――あるいはまたニーチェへの問い方について   永遠回帰概念の不整合性/永遠回帰思想のルサンチマン性/私の解する永遠回帰/ニーチェにとっての永遠回帰/空間の被界・選別と躓き
あとがき


≪著者: ≫ 永井均 Nagai Hitoshi 一九五一年一一月一〇日 東京生まれ。一九七四年三月 慶応義塾大学文学部卒業。一九八二年三月 慶応義塾大学大学院博士課程単位取得退学。一九九〇年四月より、信州大学人文学部助教授。一九九五年四月より、信州大学人文学部教授。一九八九年一〇月 和辻賞受賞。著書に『〈魂〉に対する態度』『〈私〉のメタフィジックス』(勁草書房)、『翔太と猫のインサイトの夏休み』(ナカニシヤ出版)、『〈子ども〉のための哲学』(講談社現代新書)、『ウィトゲンシュタイン入門』(ちくま新書)、訳書に『コウモリであるとはどのようなことか』(勁草書房)など。


ワル




本「万物を駆動する四つの法則 ――科学の基本、熱力学を究める  FOUR LAWS THAT DRIVE THE UNIVERSE by Peter Atkins」ピーター・アトキンス、斉藤隆央 訳5

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万物を駆動する四つの法則 ――科学の基本、熱力学を究める  FOUR LAWS THAT DRIVE THE UNIVERSE by Peter Atkins
おすすめ度: 4.0
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書評/サイエンス



早川書房”さまより“本が好き!PJ”経由にて献本、御礼♪
じつは最近“本が好き!PJ”への参画がちょっとご無沙汰気味なんだけど、まぁ無理してなんでもかんでも「いっちゃうよ〜!」という勢いのある時期を経て、適度な距離感のようなものを保ったままの安定状態(平衡?!)というのか、ぼくにとって“本が好き!PJ”の存在は大きかった(過去形だけどかつ現在進行形)と感謝をしているのであって、あの時期、それまでまったくといっていいほど読まなかった本を読み始めたばかりでなにを読もうか迷っていたときに、「こんなのがあるよ〜♪」って道を示してくれた、いや啓いてくれたような印象を、ぼくはいまでも忘れていない。「ありがとうございます♪」、“本が好き!PJ”事務局をはじめとするみなさま、そして献本いただいている出版社のご担当者さまをはじめとするみなみなさま。そんな感謝の気持ちをいだいておきながら、それでも正直なところ献本を受けると、経済的な側面に目を向けないわけにもいかない、ぼくの書き記しは役に立っているのか?!、経済効果というのか経済的な見返りを創造?!しているのか??!とか考えちゃうし、ぼくはな〜んにもわかっちゃいないって自分で思っているから、やっぱりちゃんと書けないよと凹んで落ち込んで、上手に書評を書いている他のメンバーを羨ましく思ってますます凹んで落ち込んだりして、献本を受け取ってもなかなかすぐには本を開けなくて、読了してもすぐに書き記せないことの「いいわけ」なんかを、こうしてくどくどと書いてみたところで、ぼくの遅延?!行為が赦されるわけでもないのであって、まぁこのまま勝手な迷惑?!行動を採用し続けていると、献本申込みの抽選を「永久落選」の烙印を押されるという罰を受ける可能性があることを自認してみたりしている。ぼくが担当だったら、そんな検討をしないことはないからね。
と、冒頭からどうでもいいことを書き記してしまうと、誰もこれ以上に読み進めることがないのではとの懸念をしながらも、
エンタルピー(enthalpy)という名称は、「内部の熱」を意味するギリシャ語に由来している。  (P.53)
ぼくにとっては、これだけわかれば、このことだけを知っただけで、本書を読んだ意義があったと言えちゃうほどに「きたぁ〜〜!」って感じなんだけど、と言ってもぼくには本書まるまる一冊から得られた知識としてのエンタルピーであり、エントロピー (entropy) を正確に理解できている自信がないのであって(だからそのことにつき書き記しえない)、ぼくがこの後に採用する行動としては、同じ著者と訳者によってすでに刊行されて本書でも何度も紹介される、
ガリレオの指 ――現代科学を動かす10大理論
『ガリレオの指 ――現代科学を動かす10大理論』(早川書房、2004)
で、もっと知りたい、この機会に乗じて知っちゃっておこう♪、かなぁ。正直なところ、このような普段は触れることのない物理学熱力学)の基本の入門書を読了した貴重な機会でもなければ、数式や方程式を見ただけで読み飛ばしてしまいたい衝動に駆られ、現にそうしている(恥ずかしく情けない)ぼくにとって、ある意味では与えられた限られたチャンス!!?、逃しちゃぁいけない!、でしょ♪

ところで、「マイナスのナルシス」って哲学者“中島義道”の著書『ひとを愛することができない マイナスのナルシスの告白』(角川文庫、2007)で目にしてから、ぼくのなかでグルグルグルグルまわっていて、ときどきふと思い出してはひとり言のように口にしちゃうんだけど、「他者に向けられた視線が屈折して屈折して歪みを抱えてみずからに向かってる」みたいな、ある意味では病的とも言えちゃうような自己愛の在り方がある。まぁ、ほとんどぼくの状態はこれ(病的?!)に該当しちゃっているかもなぁ、などと苦笑?!していたりするんだけど、比較的最近まではそんなぼくのなかの根柢にある恥ずべき?!状態を忌避して表出してしまうことがないようになにがなんでも隠すことに苦心してきたような印象さえもっているのだが(どう考えてもうまく隠せていたとも思えないが)、そんな意味から考えるに、ぼくのなかの小さくない部分を占めているのもかかわらず、固く鍵を何重にも閉ざして閉じ込めていなければならなかった、表出してしまうことがないように配慮を怠ることができなかった、そんな負のエネルギーに絡め取られたぼくの、他人から見たら「ひとりでなにやってんの?!」って笑っちゃう?!ような、哀しくもアホみたいな状態から、ある意味では解放してくれた(まだ完全に開放されたわけではない!?)、解放するきっかけを与えてくれた事件みたいな出来事なのであって、そんなぼくのなかにうごめいている「内部エネルギー」みたいな解釈を採用してみたりするときに、物理学(熱力学)的な概念、物質やらその質やら量などという考え方や概念が、そのままぼくのなかのマイナスの考え方であり心であり感情の在り方であり、それをエネルギーとして展開される行動やら思索やらへと(そろそろ電池切れ?!)。
・・・無秩序(乱雑さ)からシステムが魔法生まれるときには、必ずその原動力として、もっと大きな乱雑さがどこか別の場所で発生している。だから、ここまで語ったアカデミックな意味で乱雑さをとらえれば、世界の乱雑さは正味の効果として増大する。すでに見てきたとおり、それは実際の熱機関でも当然言える。それどころか、実はすべてに例外なく当てはまるのだ。  (P.103-P.104)
厳密で厳格な理論構成が要求されるであろう(とぼくは理解している)科学分野にあって、それでも採用されちゃっている「乱雑さ」。そう考えるに(飛躍しすぎの感を否めないが)、数式やら方程式にまで理解が及ばずに読み飛ばしてしまっているぼくが、だからこそ物理学(熱力学)の基本的で重要な原則が読み解かれる本書を読む意義がある、などと言ってしまったら勘違いだろうか?、ぼくはな〜んにもわかっちゃいない♪


≪目次: ≫
はじめに
1 第0法則 温度の概念   「系」とそのふたつの特性/「平衡」という概念と温度/統計熱力学と温度/温度は何を示すものか?
2 第1法則 エネルギーの保存   エネルギーと仕事/内部エネルギー/熱とはプロセスである/分子の観点から見た熱と仕事/熱力学における「可逆」過程/エンタルピーという便法/温度とエンタルピーの関係――分子の観点から/保存則と対称性
3 第2法則 エントロピーは増大する   熱力学第2法則の重要性/第2法則のふたつの表現/絶対温度の定義について/自発的な変化とエントロピー/分子の観点から見たエントロピー/残留エントロピー/冷暖房の実際とエントロピー/蒸気機関はいたるところに
4 自由エネルギー どれだけ仕事に使えるか   仕事にかんする熱力学的特性はないのか?/ヘルムホルツ・エネルギー/ギブズ・エネルギー/ケーススタディー:相転移、タンパク質合成、電池切れ
5 第3法則 ゼロには到達できない   第3法則の意義/有限のはしごを使っても、無限には到達できない/絶対零度に到達できないわけ/第3法則は非日常的か?/より自然な温度の尺度、再論/負の絶対温度は熱力学の法則の解釈をどう変えるのか?
結び
さらに知りたい人のために
訳者あとがき
(二〇〇九年二月 斉藤隆央)
索引


≪著者: ≫ ピーター・アトキンス (Peter Atkins) 1940年生まれ。オックスフォード大学化学教授,リンカーン・カレッジ・フェロー。専門は物理化学。『アトキンス物理化学』などの世界的に著名な化学教科書の著者として知られるが、名作『ガリレオの指』(小社刊)『エントロピーと秩序』『元素の王国』などの一般読者を対象としたポピュラー・サイエンスの書き手としても名高い。

[訳者] 斉藤隆央 (さいとう・たかお) 1967年生まれ。東京大学工学部工業化学科卒業。訳書に『ガリレオの指』アトキンス,『超ひも理論を疑う』クラウス,『なぜこの方程式は解けないか?』『黄金比はすべてを美しくするか?』リヴィオ,『タングステンおじさん』サックス(以上小社刊),『ミトコンドリアが進化を決めた』レーン,『サイエンス・インポッシブル』カク,『生命最初の30億年』ノールほか多数。


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本「文明の衝突  The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order, by Samuel P. Huntington (Simon & Schuster, 1996).」サミュエル・ハンチントン、鈴木主税 訳5

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文明の衝突
文明の衝突  The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order, by Samuel P. Huntington (Simon & Schuster, 1996).

○著者: サミュエル・ハンチントン鈴木主税
○出版: 集英社 (1998/6, 単行本 554ページ)
○価格: 2,940円
○ISBN: 978-4087732924
おすすめ度: 4.5
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フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』を読了した勢い(?!、そんなものがぼくにあるとするならば)のままに。
簡単に比べられるものでもないのだが、「リベラルな民主主義」を掲げてヘーゲル・マルクス・ニーチェらを引き合いに展開される“歴史哲学”論としての側面をもつ『歴史の終わり』があって、
・・・フランシス・フクヤマが提起した「歴史の終焉」理論だった。フクヤマの主張によると、われわれが目撃しているのは「……歴史それ自体の終焉、つまり人類のイデオロギーが進化して行きついた終点であり、人による政治の最終的な形態として西欧の自由・民主主義が普遍化していくさまなのかもしれない」。  (P.36、第一部)
と、本書の冒頭で。
一方、西欧を周辺のイスラム・アジア・東方正教会(ロシア)などの文明であり歴史から展開される“国際政治”論としての側面をもつ本書『文明の衝突』であり、
われわれがいま目にしているのは、西欧のイデオロギーが支配する「進歩の時代の終焉」であり、われわれはいま数多くの多様な文明がかかわりあい、競いあい、共存し、助けあう時代に入ろうとしているのだ。このように、世界的な規模で地域主義が起こっていることの証拠として、宗教間の摩擦が世界の各地で多発していることがあげられ、なかでもアジアとイスラムの諸国において、経済的、人口統計的な活性化を主な理由とする文化的復興が起こりつつあることが指摘できる。  (P.138、第二部)
とは、意識をしていないわけではないものの、それぞれにその視線や角度がずいぶんと異なるだけに、その連関であり差異により、案外相乗効果のようなものが生じて理解を助けることにも。
1991年にソ連が崩壊し東西冷戦が終わった後の1990年代に著され、すでに歴史書?!となるふたつの大著を、テクストとしていま。
そう、ぼくの勤務先近くの図書館では本書の所蔵の2冊が貸し出し中で、さらに予約が入っていた。で、あわてて自室近くの図書館で借りることにしたんだけど、きっとテクストとして今でも活用されているのであろうことが想像できたりする。

より広い視野で眺めると、世界全体の宗教復興は、政教分離、道徳的相対主義、自己耽溺にたいする反発であり、秩序、規律、仕事、相互扶助、人間の団結といった価値観をもう一度取り戻そうとする動きであると言える。宗教集団は、国家の官僚機構がないがしろにしてきた社会の欲求を満足させているのである。そこでは、治療活動や医療施設、幼稚園、学校、老人介護などを提供し、人災、自然災害があるとすばやく救援活動に取り組み、経済的な危機に際しては福祉活動、社会的な援護活動なども行なう。秩序と市民社会が崩壊して生じた空間に、宗教的な、そしてしばしば原理主義的な運動が入りこむのである。  (P.144、第二部)
科学や技術がどんなに発展しても、神の不存在が科学的に証明されたとしても、宗教は人間の文化のひとつの大きな柱として在って、消え去ってしまうことはなく、むしろある部分ではますます支持を得ることになるのかもしれない、不思議、なんとなくわからなくもないのではあるけれども。


≪目次: ≫
文明の衝突  The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order, by Samuel P. Huntington (Simon & Schuster, 1996).

日本語版への序文 (サミュエル・P・ハンチントン 一九九八年五月)
はしがき (S・P・H)

第一部 さまざまな文明からなる世界
第一章 世界政治の新時代   序:国旗と文化的なアイデンティティについて/多極的で多文明的な世界/他の世界は?/世界の比較:リアリズムと簡略化と予測
第二章 歴史上の文明と今日の文明   文明の性質/文明と文明のかかわり
第三章 普遍的な文明? 近代化と西欧化   普遍的な文明:その意味/普遍的な文明:根拠/西欧と近代化/西欧化及び近代化への対応
第二部 文明間のバランスのシフト
第四章 西欧の落日:力、文化、地域主義   西欧の力:支配と衰退/地域主義:非西欧文化の復興/神の復讐
第五章 経済、人口動態、そして挑戦する文明圏   アジアを見直す/イスラムの復興/変わる脅威の内容
第三部 文明の秩序の出現
第六章 文化による世界政治の構造変化   グループの形成:アイデンティティの政治/文化と経済協力/文明の構造/引き裂かれた国家:文明の再定義の失敗
第七章 中核国家と同心円と文明の秩序   文明と秩序/西欧の境界を定める/ロシアとその近隣諸国/大中国とその共栄圏/イスラム:つながりのない意識
第四部 文明の衝突
第八章 西欧とその他の国々:異文化間の問題点   西欧の普遍性/兵器の拡散/人権と民主主義/移民
第九章 諸文明のグローバル・ポリティックス   中核国家と文明の断層線(フォルト・ライン)での紛争/イスラムと西欧/アジア、中国、アメリカ/文明と中核国家:新たな提携
第十章 転機となる戦争から断層線(フォルト・ライン)の戦争まで   転機となる戦争:アフガニスタンと湾岸/フォルト・ライン戦争の特徴/事件:イスラムの血なまぐさい国境/原因:歴史、人口構成、政治問題
第十一章 フォルト・ライン戦争の原動力   アイデンティティ:文明意識の高まり/文明の団結:同族国家と離散者(ディアスポラ)/フォルト・ライン戦争を止めるために
第五部 文明の未来
第十二章 西欧とさまざまな文明と単数形の文明   西欧の再生はなるか?/世界のなかの西欧/文明間の戦争と秩序/文明の共通した特性

訳者あとがき (一九九八年五月 鈴木主税)
参考文献
索引
収録図表一覧


≪著者: ≫ サミュエル・P・ハンチントン (Samuel P. Huntington) 1927年ニューヨーク生まれ。ハーヴァード大学政治学教授。同大学のジョン・オリン戦略研究所のディレクターも兼務する。1977〜78年には、国家安全保障政策担当のコーディネーターも務めた。アメリカを代表する戦略論の専門家で、政治学、戦略論、国際関係論に関する著作多数。

[訳者] 鈴木主税 (すずき ちから) 1934年東京生れ。翻訳家。ウィリアム・マンチェスター『栄光と夢』で翻訳出版文化賞を受賞。訳書:J・トレガー『世界史大年表』、ビル・エモット『日はまた沈む』、ポール・ケネディ『大国の興亡』、エリック・ホワイト『アリ王国の愉快な冒険』、デイヴィッド・クォメン『ドードーの歌』、魏京生『勇気』など。著書:『私の翻訳談義』、『私の翻訳図書館』(編著)。


Iris japonica





本「『ヴィーナスの誕生』視覚文化への招待 (理想の教室)」岡田温司5

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『ヴィーナスの誕生』視覚文化への招待 (理想の教室)
『ヴィーナスの誕生』視覚文化への招待 (理想の教室)

○著者: 岡田温司
○出版: みすず書房 (2006/4, 単行本 164ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4622083184
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「新しい中学生活はどうだい?、どうって訊かれても困るかもしれないけれど、どうってこともないのかもしれないけれど」。
テレビや新聞や雑誌をまったく見ないぼくにも、インターネットのニュースの見出しに、「新入生が自殺」のような文字を見ると平静ではいられなくなるんだ。心配したところでどうにかなるものでもないのかもしれないんだけれどもね。
そういえば、小学校の入学式の翌日に、パパ(ぼく)が通勤途中に家の近くの交差点で小雨の降る日に自転車に乗ってて信号無視の車にはねられてケガをしたことがあったね。さいわいにも、救急車で運ばれたけれど入院することもなく、一日会社を休んだだけで次の日からは包帯ぐるぐる巻きのまま会社に行ける程度のケガ(打撲と擦過傷)だったけど、あれ以来は事故なく6年が過ぎたんだね。あのとき、パパがけがしてよかった、と言ったら可笑しいかもしれないけれども、あなたに身になにかがあったらタイヘンなことだけど、身代わりというほどに大げさなものでもないけれど、パパが引き受けた(?!)ような部分があったとしたならば、そりゃぁ本望だ。これからもときどき思い出して(あの交差点は日常的に通るところだからね)、気をつけよう!、なぁ〜んてことも、ホントは顔を見て話がしたいよ。わかっているよ、なんどもなんどもうるさいなぁ、まったく〜、って顔をされても、プイと横を向かれても、大きなお世話だろうがなんだろうが、言わずにはいられないんだ、心配なんだよ。でも、あんまり心配ばかりして、世話を焼きすぎたり、干渉しすぎちゃいけないかもね。そもそもパパはあなたの傍に居てなにかをしてあげることができない。ところが、これまた可笑しなもので、あなたの小学校の先生が客観的に評価する成績表に皮肉にも顕れていたことがあったね。いつもパパは、国語・算数・理化・社会などの科目のなかの項目としての一番目にあげられる「進んで学習に取り組む」の評価を重視している、ということを話したよね。そんな話をしたのは、気にして成績表を見るようになったころ「進んで学習に取り組む」の評価が高くなかったからだろうね(記憶が定かではない)。ところが、6年生の最後には、「進んで学習に取り組む」に高い評価がズラリと並んで全体的にも優秀で、あなたもとっても喜んでいたけど、パパもすご〜く嬉しかったよ。ホントはちょっと複雑な気持ちも交じっていたりするんだけどね。ヘンな話、パパが傍に居なくて、干渉する人が居なくなって、干渉されない分だけ(?!)自分でなんとかしなくちゃ!、と思ったのかどうなのかはわからないけれど、これでもパパは自分自身への反省を含めて、あえて意識して干渉しないようにしているんだ、って話しもしたよね、そのことが吉と出た?!のかもね、って話もしたね。そう、パパのお父さんとお母さんは、なんでもしてくれちゃう人たちで、それだけが原因じゃないんだろうけれども、パパの本質的なところの問題なんだろうけれども、パパにはひとりでできないことが少なくないんだ。もしもパパにいろんな力があって、その責任を引き受けることができるのならば(パパのお父さんやお母さんのようにね)、パパは無制限に干渉することを厭わないかもしれないよ、その善悪を問わずにね。しかし残念ながらパパにはその能力がない。自分が生きていくだけで、哀しいほどに精一杯で、恥ずかしいことに(ホントに情けないことなんだけど仕方がない)、もっとも近しい家族にさえも、なにもしてあげることができない。なにをもしてあげることができないことを前提にして考えたときに、じゃぁ果たしてぼくはなんのために存在しているんだろう?、とかって考えちゃうんだけれども、居ない方がいいんじゃないか?、とも考えなくもないんだけれどね。このことはいろいろもっとちゃんと考えなくちゃいけないことだから、考えてから行動しなくちゃいけないことだから、場を改めて書き記したいと思う。簡単に答えやら結論のようなものが出せちゃうような簡単なものでもないし、軽く流しちゃうことをしたくないんだ。とりあえずは、それでもやっぱりぼくだって生きたい!、ということで話を進めることにするよ。そう、なんにもしてあげることができないぼくの話だったね。なんにもしてあげることができないぼくが、父親を称するのも可笑しな話なんだけど、それでも父親としてすべきこととして考えたときに、逆説的ではあるんだけれど、ひとりで生きる力を身につけるように仕向ける、かなぁと考えている。具体的になにかをするのではなく、あえてなにもしない。ぼくにとっては、積極的になにもしないことが、じつはいちばんタイヘンなことで、ぼく自身が気になることだけを中途半端に無責任に手出し口出しすることを無意識のうちにやってしまっていたりする。ぼく自身が気になるからという理由で、あなたの成長の芽(失敗することだって成長のために必要とされる欠かせないタイセツなことだからね)を摘んでしまうことがあってはならない、とも。ぼく自身があなたにたいして最後まで責任を取れるなら、その能力があるのならともかくとして、ぼくにはその能力がないんだから、やっぱりぼくの行為はますます中途半端にならざるをえなくって、その結果はどうあっても無責任にもなっちゃうんだろうとも思うんだ。
入学式の何日か後(携帯電話の着歴の記録は、4/9 21:22)に電話してくれて、母親からピアノの練習をしないことやらなにやらを咎められて(4月のグレードを練習不足から6月に延期することになって)、どのような経緯でなのか「パパと暮らしなさいとママに言われた」ということに始まっていろいろと少し長いこと話をしたね。ぼくと一緒に暮らすことについては、現実的な問題はともかくとしても、居場所があることって結構大きななことで、居場所がないことの不安って小さくないと思っているから、そんなことも頭にあって、「いいんじゃない、いいよ。それでもよくママと話し合って、問題は誰と暮らすかじゃなくって、やるべきこと、やらなきゃいけないことを、一所懸命やってないってことなんじゃないかなぁ」とか、偉そうなことを言えた義理じゃないけど、少しは長く生きて、同じようなことでつまづいて悩んで、それでも答えのようなものがわかっているわけじゃないんだけれど、「みんな同じようにそうやって、そんなことやらを経験しているんだよ、大丈夫、大丈夫、大丈夫だよ」って、なにが大丈夫なのかよくわからないけれど、ほとんど自分自身に言い聞かせるように話をしたね。

一時期、このブログを始めてからのことだけど、絵画に興味をもって何度か美術館に足を運んで(疎遠になって久しい)、そのなかのひとつに国立西洋美術館で昨年春(2008年3月4日〜5月18日)に開催されていた企画展『ウルビーノのヴィーナス 〜古代からルネサンス、美の女神の系譜』があって、当時まだ小学生だった娘と一緒に鑑賞したっけ。


≪目次: ≫
はじめに
ルネサンスの「誕生」としての《ヴィーナスの誕生》/オリエンテーション1/オリエンテーション2/オリエンテーション3
第1回 絵を見る
作品の観察と記述 その1/作品の観察と記述 その2/パノフスキーによる「解釈の三段階」/神話のシナリオと絵画のシナリオ/図像の源泉――古代との関係/生きつづける異教世界/注文主をめぐって
第2回 絵を読む 
》/新プラトン主義に基づく解釈とその問題点/「祝婚画」/ボッティチェッリメディチ家
第3回 絵を楽しむ 
ヴァールブルクブルクハルトの遺産/イル・マニーフィコ時代のフィレンツェの祝祭とボッティチェッリ/ジョストラとその旗絵/フィレンツェの「ニュンフ」とシモネッタ夫人/さまざまなるヴィーナスたち
おわりに
読書案内


≪著者: ≫ 岡田温司 (おかだ・あつし) 1954年生まれ。京都大学大学院教授。専門は西洋美術史。著書に『もうひとつのルネサンス』『ルネサンスの美人論』『モランディとその時代』(以上、人文書院)、『ミメーシスを超えて』(勁草書房)、『マグダラのマリア』(中公新書)、『芸術と生政治』(平凡社)など。編著に『カラヴァッジョ鑑』(人文書院)ほか。訳書にG・アガンベン『スタンツェ』(ありな書房)、J・クレーリー『知覚の宙吊り』(監訳、平凡社)など多数。


Magnolia





2009.04.19 追記
ボッティチェッリによって先鞭が付けられ、ジョルジョーネによって大きな一歩が画された女神は、十六世紀の前半、ティツィアーノの並外れた絵筆によって、大輪の花を咲かせることになります。(中略)
わたしたちの女神の艶かしさがひとつの頂点に達するのは、同じくティツィアーノの《ウルビーノのヴィーナス》(一五三八年、フィレンツェ、ウフィツィ美術館)を措いてほかにないでしょう。・・・  (P.150-P.152)

本「聖アウグスティヌス 告白 〈下〉  CONFESSIONES 397-400頃 Aurelius Augustinus (ワイド版岩波文庫272)」アウグスティヌス、服部英次郎 訳5

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聖アウグスティヌス 告白〈下〉 (ワイド版岩波文庫)
聖アウグスティヌス 告白 〈下〉  CONFESSIONES 397-400頃 Aurelius Augustinus (ワイド版岩波文庫272)

○著者: アウグスティヌス、服部英次郎 訳
○出版: 岩波書店 (2006/7, 単行本 302ページ)
○価格: 1,260円
○ISBN: 978-4000072724
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聖アウグスティヌス 告白』〈上〉巻につづいて。

ところでぼくは宗教に大いに興味をもっているのだけれども(キリスト教に限られずにイスラームやユダヤ教とかにも)、いまのところ特定の宗教を信仰する気はない。信仰にたよる必要性を感じていない、というのがもっとも大きな理由であろうが、真理(?!)の探求はみずからの手によっておこなうものであろうと考えるに、神に祈ることよりも、その時間や労力をすべて「知を愛する」こと(いわゆるところの哲学というのかしら?!)に費やしたい、かなぁ。
ぼくが生きている今の世の中は、不自然なくらいに「ヘイワ」なんだろうなぁ。死の危険や、死を意識することと疎遠な世の中なのかもしれない。病気になっても高度な医療技術によって簡単には死なない(それでもいつか死ぬことに相違はないけれど)。とりあえず「国家」というシステムのなかに「国民」として法律の下に在る以上は、争いは悪いこととされて、「自力救済」が原則として禁止されていたりして、命を賭けてまで激しく戦うというような機会を想像することが難しい。さらには、すごく豊かではないけれども、貧しくて苦しくて困っちゃうこともない。そんなことも、信仰にたよる必要性を感じさせない一因なのであろうか。。。


五、どのようにして、「はじめにあなたは天地を造られた」かをわたしは聞いて理解しようと思う。モーゼはこのように記した。彼はそれを記して立ち去った。かれはこの世からあなたのもとをはなれて、あなたのもとに立ち去り、もうわたしの前にはいない。もしもかれがわたしの前にいるなら、わたしはかれをとらえてかれに尋ね、かれがわたしにそうしたことを説明してくれるように、あなたを通して嘆願しよう。そしてわたしの身体の耳をかれの口からひびきでる音声のほうに傾けよう。・・・  (P.98、第十一巻 第三章)
一四、しかしわたしたちは、なお「信仰によって」光であるのであって、「見ることによって」光であるのではない。じっさい、「わたしたちは望みによって救われたのである。しかし目に見える望みは救いではない」。いまもなお「深淵は深淵を呼んでいる」が、しかし、それはすでに、「あなたの大きな滝の響きによってである」。いまもなお「霊に属するものに対するように、あなたがたに語ることはできず、肉に属するものに対するように語った」というものも、このように語るものもみずから「捉えたとは考えず、後のものを忘れ、前のものに向ってはげみ」、重荷を負うて嘆息し、その「魂は、鹿が谷川を慕うように生きた神を慕って、いつ(神のお顔を仰ぐために)出ようか」という。・・・  (P.216、第十三巻 第十三章)
・・・かの富めるものは、善なる教師(イエス)に、「永遠の生命を得るためにはなにをなすべきか」と問うた。その善なる教師は――かの富めるものは、かれをただのひとであると考えたが、しかしかれは神であるから善なのである――その善なる教師は、かの富めるものにむかって、「もしあなたが生命に入ろうと思えば、掟を守れ。悪意と不義との苦味を己から遠ざけよ。殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証してはならない」、「乾いた地」が現われ、「父母に対する尊敬と隣人に対する愛とを生みだすために」と答えられた。富めるものは、「これらすべてを守ってきた」という。それでは、地は果実を生ずるのになにゆえかくも多くの茨があるのであるか。行ってはびこる貪欲の繁みを引き抜き、「あなたの所有物を売り払い、貧しい人びとに施して」、豊かな実を結びなさい。「そうすればあなたは天に宝を持つであろう。もし完全になりたいなら、主に従うがよい」。昼と夜とになにを分つべきかを知るあのかた(神)がその間に真理を語る人びとと交わり、あなたもまた、あなたのために天空に光があることを知るようになりなさい。もしもあなたの心がそこにないなら、光はそこにないであろう。あなたが善なる教師から聞いたように、あなたの財宝がそこにないなら、あなたの心もそこにないであろう。しかし、不毛の地は悲しみ、茨は言葉をふさいでいたのである。  (P.232、第十三巻 第十九章)


どうしてもはずせない♪




本「哲学の教科書 (講談社学術文庫)」中島義道5

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哲学の教科書 (講談社学術文庫)
哲学の教科書 (講談社学術文庫)

○著者: 中島義道
○出版: 講談社 (2001/4, 文庫 377ページ)
○価格: 1,155円
○ISBN: 978-4061594814
おすすめ度: 4.5
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日々いろいろな人の著作を読み耽っているが、ぼくにとって“中島義道”ほど違和感をいだくことが少ない人はいない。あぁ、ぼくもこの世に存在しちゃってもいいのかも、と。簡単に安心させてはくれないものの、あくまでもみずからのうちへうちへと向けられる(とぼくには感じられる)論考は、悩みつづけて問いつづけることの意義というのか有用性に導いて、むしろ安易に結論めいた答えのようなものに落ち着いちゃうことによって思考を停止しちゃうことをこそ忌避する。えぇ〜、そんなメンドクサイこと、とりあえずちゃっちゃと簡単に片付けちゃって次に行こうよ、たのしいことを考えようよ♪、と、考えられるのであれば、それを否定することはしない。そうできるのならば、社会生活において不都合や違和感は少ないであろう。無理に考え込むと調子を狂わせることにもなろうから、無理はしない方がいい、と、ぼく以外の他人にたいしては思うよ(ぼくには無理だけど)。苦しむことなく生きられるのなら、その方がいいよ。とか言っちゃうぼくも、大して苦しんでいるわけでもないけれどもね。


≪目次: ≫
まえがき
第一章 死を忘れるな!(Memento Mori!)

1 最大の哲学問題は「死」である/2 死の宇宙論/3 なぜ「死」は悪なのか?/4 ある死刑囚の手記
第二章 哲学とは何でないか
1 哲学は思想ではない/2 哲学は文学ではない/3 哲学は芸術ではない/4 哲学は人生論ではない/5 哲学は宗教ではない/6 哲学は科学ではない
第三章 哲学の問いとはいかなるものか
1 時間という謎/2 因果関係という謎/3 意志という謎/4 「私」という謎/5 「他人」という謎/6 存在という謎
第四章 哲学は何の役にたつか
1 哲学は何の役にも立たない/2 人はいかにして自分自身になるか
第五章 哲学者とはどのような種族か
1 哲学病/2 職業としての哲学
第六章 なぜ西洋哲学を学ぶのか
第七章 なぜ哲学書は難しいのか
1 カントを読む/2 現代哲学の難しさ/3 「哲学入門」入門

原本あとがき(一九九五年 春分 上祖師谷の新居にて 中島義道)
解説/加藤尚武
引用文献一覧
人名索引

*本書は一九九五年、小社より刊行されました。


≪著者: ≫ 中島義道 (なかじま よしみち) 1946年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ウィーン大学基礎総合学部修了。哲学博士。現在(刊行当時),電気通信大学教授(2009年退任?!)。専攻は時間論,自我論,コミュニケーション論。著書に『カントの時間論』(岩波現代文庫)『「時間」を哲学する』(講談社現代新書),『うるさい日本の私』(新潮文庫),『人生を〈半分〉降りる』(新潮OH!文庫),『孤独について』(文春新書)など。


サクラ





2009.04.19 追記
私は小学生のとき以来、他人のすること為すことが羨ましく、他人と比較しては自分を駄目だと思い、他人から言われたことが気になって仕方なく、過去を振り返っては後悔の連続で、何でこんなに自分はぐちゃぐちゃしているのだ、もっとアッサリ生きられないのか、と悩んできました。人に相談すると、必ず、「もっと気楽に考えたら」とか「そんなこと考えたって仕方がないのに」とか「後を見ないで前向きに」とかの返事しか得られずに、私にとって最も難しいことをただポンと提案されるだけなのです。そうできないから、悩んでいるのに!
しかし、最近のことですが、何でぐちゃぐちゃ考えてはいけないんだろう。別にいけないことはないんだ、と思うようになりました。いやもうどうしようもないのだから、諦めるほかはないと悟り、そして「この欠点を伸ばそう」と思いなおしました。つまり、もっともっとトコトンまでぐちゃぐちゃ考えつづけよう、他人を羨み続けよう、他人から言われたことをテープレコーダーのように何から何まで記録し書き留めておこう、過去をヘトヘトになるまで後悔し続けよう、と思いたちました。すると、不思議なことにほっと安心し、こうした一般社会では嫌われる粘着質のしつこさが、哲学には結構合っているのかもしれないなあ、とさえ思うようになりました。  (P.249-P.250、第四章)

A 日本人の書いた入門書
大森荘蔵『流れとよどみ』(産業図書)
左近司祥子『「本当に生きる」ために』(学習院教養新書)
西尾幹二『ニーチェとの対話』(講談社現代新書)
永井均『〈私〉のメタフィジックス』(勁草書房)
中島義道『カントの人間学』(講談社現代新書)
B 西洋哲学の古典から、読みやすいもの
プラトン『パイドン』(角川文庫ほか)
デカルト『方法序説』(岩波文庫ほか)
パスカル『パンセ』(世界の名著、中央公論社ほか)
マルコム『ウィトゲンシュタイン』(平凡社ライブラリー)
ネーゲル『コウモリであるということはどのようなことか』(勁草書房)
C 現代哲学・現代思想関係
別冊宝島『現代思想・入門』(宝島社)
丸山高司編『現代哲学を学ぶ人のために』(世界思想社)
飯田隆『言語哲学大全』機銑掘片α霆駛次
岩波講座『現代思想』全十六巻(岩波書店)
シュテーク=ミュラー『現代哲学の主潮流』全五巻(法政大学出版局)
D 哲学の周辺
神谷美恵子『生きがいについて』(みすず書房)
遠藤周作『聖書のなかの女性たち』(講談社文庫)
三浦綾子『生かされてある日々』(新潮文庫ほか)
鈴木大拙『禅問答と悟り』(春秋社)
高見順『死の淵より』(講談社文芸文庫)
小林秀雄『モオツァルト』(角川文庫ほか)
トルストイ『イワン・イリッチの死』(岩波文庫ほか)
ジッド『地の糧』(新潮文庫ほか)
サルトル『嘔吐』(人文書院)
カミュ『異邦人』(新潮文庫ほか)
カフカ『日記』(新潮社)
ヘッセ『クヌルプ』(新潮文庫ほか)
ヘミングウェイ『日はまた昇る』(新潮文庫ほか)
トーマス・マン『トニオ・クレエゲル』(岩波文庫ほか)
テネシー・ウィリアムズ『ガラスの動物園』(新潮文庫ほか)
キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』(読売新聞社)
カール・ベッカー『死の体験』(法蔵館)
加賀乙彦『ある死刑囚との対話』(弘文堂)
高史明『生きることの意味』(ちくま文庫)
中島義道『ウィーン愛憎』(中公新書)・『戦う哲学者のウィーン愛憎』(角川文庫)  (P.339-P.349、第七章より一部抜粋)


本「『動物農場』ことば・政治・歌 (理想の教室)」川端康雄5

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『動物農場』ことば・政治・歌 (理想の教室)
『動物農場』ことば・政治・歌 (理想の教室)

○著者: 川端康雄
○出版: みすず書房 (2005/6, 単行本 166ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4622083122
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ときどき意識はぼ〜っとしながら、そんなときでも本は読み進められてしまうわけで、んんんん??!、どういう意味だ、なに言ってんだ、なにが言いたいんだ、よくわからんなぁ、でも先を急いでしまうことも少なくない。とくにはじめてのコトは、まぁとりあえず読んでみようかなぁ、で理解をあまり優先しなかったりもする。一冊ですべてを理解することは不可能であろうことから、必要があれば同じ著者の他の著作をさらに読み進めるだけのこと。正直、ぼくは小説や物語を基本的には得意としない(登場人物を覚えられない、複雑なトリックを見破れない)ので、テクストとして。。。

動物農場』ならおもしろい。『動物農場』は物語だ。原題は Animal Farm という。ジョージ・オーウェルというイギリスの作家が書いた。出たのは一九四五年の八月。ちょうど大きなひどい戦争が終わったときだ。  (P.52)
・・・この物語のウクライナ語版の序文で本人が語っているところによると、これを書いた直接の動機は、「だれでもかんたんに理解できて、外国語にもかんたんに翻訳できるような物語によって、ソヴィエト神話の正体をあばこう」とすることだったという。(中略)オーウェルは政治的な目的をはっきりともってこれを書いたということだ。  (P.53)
オーウェルが生きた時代は二十世紀前半だ。少年時代に第一次世界大戦(一九一四−一八年)があり、それからおよそ二十年後には第二次世界大戦(一九三九−四五年)があった。ふたつの大戦の間も平和とはいえず、ファシズムが台頭し、スペイン内戦(一九三六−三九年)があり、ロシア革命後のソヴィエト国家の全体主義化(これが『動物農場』にじかにかかわってくるのだが)があった。(中略)一九三六年以降(これはスペイン内戦がはじまった年)は、自分が本気になって書いた作品は「どの一行をとっても、直接あるいは間接に、全体主義に反対し、私の理解する民主主義的社会のために書いた」とはっきり述べている。  (P.54-P.55)



≪目次: ≫
テクスト――オーウェル動物農場――おとぎばなし』
第一〜三章、第十章(抄)
第1回 「悪い時代」の作家
はじめに/のどを撃ち抜かれて/『カタロニア讃歌』の冗談/全体主義(totalitarianism)の時代/父の仕事/学校体験/植民地インドへ――「絞首刑」と「象を撃つ」/作家になる/「ソヴィエト神話」ってなに?/「粛正」という名のテロ
第2回 おとぎばなしの文法
四本足はいい、では二本足は?/『動物農場』のあらすじ/なぜ「おとぎばなし」なのだろう/「文字どおり」に読むならば/「反ソ・反共作家」というレッテル/隠喩とアレゴリー/ブタはきたない?/癒し系のブタ/ブタのすがたかたち
第3回 ことばのディストピア
ブタばなしのつづき/ディストピアのかたち/政治とことば/〈七戒〉の改竄/大げさなことばづかい/読み書き能力と権力/羊をめぐる冗談/歌いつづける動物たち
読書案内


≪著者: ≫ 川端康雄 (かわばた・やすお) 一九五五年生まれ。日本女子大学教授。専門はイギリス文学・イギリス文化研究。ウィリアム・モリスオーウェルの二人の仕事を読み直す作業をとおして、現代の社会、文化、芸術をめぐるさまざまな問題をかんがえている。サッカーが好き。著書『オーウェルのマザー・グース』(平凡社)『絵本が語りかけるもの』(共著、松柏社)、訳書モリス『ユートピアだより』(晶文社)ほか。


紅バージョン




本「聖アウグスティヌス 告白 〈上〉  CONFESSIONES 397-400頃 Aurelius Augustinus (ワイド版岩波文庫271)」アウグスティヌス、服部英次郎 訳5

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聖アウグスティヌス 告白〈上〉 (ワイド版岩波文庫)
聖アウグスティヌス 告白 〈上〉  CONFESSIONES 397-400頃 Aurelius Augustinus (ワイド版岩波文庫271)

○著者: アウグスティヌス、服部英次郎 訳
○出版: 岩波書店 (2006/7, 単行本 329ページ)
○価格: 1,260円
○ISBN: 978-4000072717
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マクドナルドの床に落ちたドロップ(キャンディ)に思ったこと。少し前の出来事で、それからずいぶん時間が経過してなお、ぼくのなかで消失しない記憶(むしろ増大する)。マクドナルドのフロアー(床)はけっして清潔であるとはいえないであろうけれども。。。
小学校にあがる前の、もしかしたら幼稚園にも行っていないかもしれない年頃の女の子が、ランチタイムに読書にふけるぼくのとなりのカウンター席にひとり座して、注文のために列に並んだ母親を待っている。キティちゃんだったかな、キャラクターが描かれた可愛らしい缶に入ったドロップは、カラカラとその音色が心地好い。脚の長いイスにちょこんと座して、地面のはるか上の方で足をぶらつかせる様は、微笑ましくて可愛らしい(ぼくの娘はすでに12歳、そんなときもかつてあったなぁ)。とはいえじつはぼくは読書に夢中で、とくに目を上げることなく視線を向けることもなく、その気配だけを認知するにとどめ、意識はあくまでも読書から逸れることはない。と、缶入りドロップのカラカラという心地好い音に異音が混じり、なんと、あろうことかドロップがふたつみっつフロアに落ちた。あわてイスから下りる少女。ぼくは哀しくなる、彼女の大事な大切なドロップ。マクドナルドのフロアーは、もちろん土足だから、食べ物の油分や食べこぼしや飲みこぼし、毛髪やらホコリやら、目に見える以上に清潔感とは程遠い。ぼくの娘やぼく自身が、仮にフロアに落としてしまったドロップは、ちょっと迷うであろうけれども、残念ながらサヨナラ、ゴミ箱に行くことになるであろう。食すことにはためらいを隠せない。ところが、少女の行動に迷いはない。拾ったドロップは缶のなかに見事に収まり、ふたたびカラカラと心地好い音が復活した。ぼくは思わず、あっと小さな声をあげそうになって堪えたよ。そう、仮に清潔感が乏しかったとしても、そのことにより病気になったり死することはないであろう。大勢になんら影響はないといっても言い過ぎではあるまい(それでもみずからのことであったら判断に迷うであろうことを否定できない)。もしもそのときにぼくが「汚いからダメだよ」などと声をかけてしまったら、彼女はどうしたであろうか。迷いがなかった小さな彼女。不意を突かれて、みずからの失敗を指摘されて、その事実を認識して泣きだしたかもしれない。ぼくの、小さな彼女に注意する行為に間違い(不当性)はないであろう。むしろ、衛生的な観点からすると、声をかけなかった、判断能力に乏しい子どもの不衛生とも感じられる行動を制止させることをしなかった、ぼくの無責任な行為の方が咎められるかもしれない。みずからのことであったら破棄していたであろう食物(ドロップ)を、みずからのことではないからということで黙認した無責任な行為をも咎められようか。小さな彼女が泣こうがわめこうが、断固とした態度(正義?!)を採用すべきであったのであろうか。今のところ、まったく迷いがないわけではないものの、あのときに「なにもしなかったぼくの行為にたいする後悔(?!)はない」のではある。


“マクドナルド”と“アウグスティヌス(Aurelius Augustinus, 354-430)”に連関はない。語感が似ているわけでもない。
ジャン=ジャック・ルソーにも同名の著書があるが、ローマ時代末期の最大の神学者・思想家と謳われるヒッポのアウグスティヌスが語る魂の遍歴『告白』の上巻。


大垂水峠にて♪




本「読書について」ショウペンハウエル 著、赤坂桃子 訳5

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読書について
読書について

○著者: ショウペンハウエル 著、赤坂桃子 訳
○出版: PHP研究所 (2009/3, 単行本 207ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4569707839
おすすめ度: 3.0
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いわゆる「書評」といえば、アルファブログ『404 Blog Not Found』を主宰する“小飼弾”が挙げられよう。ぼくもRSSリーダーに登録してチェックしてる。やっぱりウマイ、多くの人に読まれるべくして。で、本書が紹介された『母の名は「不遇」 - 書評 - 読書について』を目にして、反応せずにはいられなかったことを明らかにしておこう。ちなみにぼくは、ショウペンハウエル(Arthur Schopenhauer, 1788-1860)は、岩波文庫で『自殺について 他四篇』(斎藤信治 訳、1952)『読書について 他二篇』(斎藤忍随 訳、1960)『知性について 他四篇』(細谷貞雄 訳、1961)を読んでいる(記録がある)。いずれも200ページに満たない小さな(薄い)著書で、読書力(長篇を読破する能力、根気?!)に自信がないものの、由緒ある岩波文庫にラインナップされる歴史的著書に触れたい、というぼくのひ弱なニーズにマッチして、おそるおそる手にして、読んでみたら面白かった、ような記憶がある。とくに『読書について』は印象深く、読書という行為を否定されたような肯定されたような、よくわからないけれど、まぁとにかくぼくには読書を必要と感じていて、なにがどうあっても読みたいのだから、ぼくは読む行為を選択する、ということで気持ちに揺らぎはなく、むしろいっそう読書に励む契機となった印象さえ。
個人的には、読書を人に薦めることをあまりしない、というかしたくないのだけれど、そもそも読書は他人に押しつけられてするものでもなく、読みたければ読めばいいし、読みたくなければ、読む必要を感じていないのであれば、読まないという選択だってあろうかと。ある部分では、本を読むことと考えることは切り離せないところがあろうかと、みずから選択する行為としての読書であり、みずからが選択すべき行為としての考えること。ぼくだって、36歳まではまったくといっていいほど(年1〜2冊しか)本を読まなかった。


≪目次: ≫
まえがき
自分で考えること
著述と文体について
読書について

訳者あとがき


[訳者] 赤坂桃子 (あかさか・ももこ) 1955年生まれ。上智大学文学部ドイツ文学科および慶應大学文学部卒業。ドイツ語・英語翻訳者。ドイツ語通訳者。訳書に『人生があなたを待っている 〈夜と霧〉を越えて』(みすず書房)『いそぐときほど、ゆっくりと』(技術評論社)『宇宙英雄ローダン・シリーズ』(ハヤカワ文庫SF)などがある。


Oxalis articulata




本「城  Franz Kafka, Das Schloß (白水uブックス155、カフカ・コレクション)」カフカ、池内紀 訳5

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城―カフカ・コレクション (白水uブックス)

  Franz Kafka, Das Schloß (白水uブックス155、カフカ・コレクション)

○著者: フランツ・カフカ池内紀
○出版: 白水社 (2006/6, 新書 460ページ)
○価格: 1,470円
○ISBN: 978-4560071557
おすすめ度: 3.5
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〈いま・ここ〉に〈ぼく〉なんて存在しなければ、きっともっとうまくいくであろうに。。。そう感じることがぼくには少なくなくて、最近でもたびたび、幼少のころから記憶している限りにおいて、ずっと。元来、どちらかと言えば黙っていられない性格で、自分で言っちゃうのもヘンだけど、相対的に目立たない存在ではない方で、むしろ無自覚のうちに暴力的なほどに存在を主張しちゃっていることが少なくなかったりして。自分で言ってて、客観的に可笑しいね、哀しいね。
あえて口を出さないように心掛けているんだけど、ということは、口に出したい衝動を抑制していることにもなるわけで、気にならない、聞こえていないわけではない。意識して訓練した(心掛け始めてから6〜7年くらいは経つかなぁ)おかげで、ホントに聞こえてこなくなることも増えたけど、ある部分では口を出さずに閉ざすことによって、ますます聞こえてきちゃうこともなくないような気もしていたりする。ほとんど妄想癖(ビョーキ)とかのレヴェルかもね。
そんなことを考えながら日々生きていて、やっぱりときどきふと気が付くと、ぼくの暴力性が発動しちゃって、それも偶(たま)のことではないから。凹む、落ちこむ、ふさぎこむ。
共同生活に不向きなんだよ、適性を著しく欠いている。だから、独りで生きていくべきだよ(何度も何度も言われて意識」から離れることがない)。独りで生きていれば(現実的にたった独りだけで他者との関わりを完全に断って生きることは不可能であろうけれども)、迷惑をかけたり、不快な思いをさせることはないからね。ぼくだって、相手の悲しむ顔を見たくはないんだ、本音でね。ある意味では、ぼくには、独りで生きる術が、すでに付与されちゃっているのかもしれない。
このあたりのところを、生きている意義とか、生きて在る、在り方みたいなものを、ぼくはちゃんと考えたい、かなぁ。
それには、いろいろな方法があるであろうから、いろいろな方法をぼくは試みてみたい。どんな試みも、間違いってことはないであろうから、仮にそれが適正ではなかったとしても、適正ではないことを理解して認知して、まわり道のように見えるようなことのなかにも、なにか、そのまわり道のようなものの行動に駆り立てるきっかけであり、なんらかがあったハズで、それをやってみた、行動を起こしたということだけでも、意義がないことではない、のでは。考えをまとめるための、書くという作業があって、一方では、あえて書かないという選択もないことはないわけで、書かないという選択を採用してみて、やっぱり、どうしようもないような恥ずかしいような、どうでもいいような、ほんの小さな断片であっても、ことばに記すという行為の有用性に!?


≪目次: ≫
『城 Das Schloß』
1 到着/2 バルバナス/3 フリーダ/4 女将との最後の対話/5 村長のもとで/6 女将との二度目の対話/7 教師/8 クラムを待つ/9 尋問を拒む戦い/10 通りで/11 学校で/12 助手たち/13 ハンス/14 フリーダの非難/15 アマーリアのもとで/16 (残されたKは……)/17 アマーリアの秘密/18 アマーリアの罰/19 乞食行/20 オルガの計画/21 (とうとう起きてしまった……)/22 (なにげなく辺りを……)/23 (このときがようやく……)/24 (もしエアランガーが……)/25 (目を覚ましたとき……)

『城』の読者のために (池内紀)


≪著者: ≫ フランツ・カフカ (Franz Kafka) 1883‐1924。チェコのプラハに生まれる(当時はオーストリア=ハンガリー帝国領)。両親ともドイツ系ユダヤ人。プラハ大学で法学を専攻。在学中に小説の習作を始める。卒業後は労働者傷害保険協会に勤めながら執筆にはげむ。若くして結核にかかり、41歳で死去。『変身』などわずかな作品をのぞき、そのほとんどは発表されることなくノートに残された。死後、友人マックス・ブロートの手により世に出され、ジョイス、プルーストとならび現代世界文学の最も重要な作家となっている。

[訳者] 池内紀 (いけうち・おさむ) 1940年、兵庫県姫路市生まれ。ドイツ文学者、エッセイスト。主な著訳書:「ウィーンの世紀末」、「二列目の人生」、ゲーテ「ファウスト」他


うなじ♪




本「レヴィナスを読む 〈異常な日常〉の思想 (NHKブックス866)」合田正人5

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レヴィナスを読む―「異常な日常」の思想 (NHKブックス (866))
レヴィナスを読む 〈異常な日常〉の思想 (NHKブックス866)

○著者: 合田正人
○出版: 日本放送出版協会 (1999/8, 単行本 301ページ)
○価格: 1,176円 (品切れ)
○ISBN: 978-4140018668
おすすめ度: 2.0
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エマニュエル・レヴィナスは、一九〇六年にリトアニアに生まれたユダヤ系の思想家である。その著作は近年、世界各地で大きな反響を惹き起こしている。自出も国籍も世代も生活環境も異にする人々が今もどこかで、壊れかけた世界と苦しい日々の生活の道標を、レヴィナスの言葉のうちに探し求めているのだろう。
(中略)
幼年期に第一次世界大戦とロシア革命を体験。その後、ストラスブール大学とフライブルク大学に留学して、フッサール、ハイデガーらの教えを受ける。一九三一年にはフランスに帰化。パリのユダヤ人機関「全イスラエル同盟」に勤務するかたわら、数々の哲学論考を発表し始める。第二次世界大戦中はフランス軍捕虜としてドイツで抑留生活を送るが、在リトアニアの彼の親族たちはほぼ全員ドイツ軍によって殺害された。戦後は長く「東方イスラエル師範学校」の校長を務め、一九六一年に『全体性と無限』で国家博士号を取得した後、ポワチエ大学、パリ第一〇大学、パリ第四大学の教授を歴任。一九九五年暮れにこの世を去った。  (P.7-P.9、序章 書物の浜辺)

そもそもレヴィナスにとっては、隣人愛の知恵は、「他人とは私が殺したいと意志しうる唯一の存在者である」(1/360)という認識と不可分のものであった。「なぜ殺してはならないのか」と問うことそれ自体をあざ笑うこの世紀のなかで、殺人と自殺と虐待が日常茶飯事であるこの日々のなかで、眠りを奪われ、心身の平衡を失いながら、レヴィナスは「汝、殺すなかれ」という、あまりにも虚しい古来の命令の意味と無意味を考えつづけた。「近き者にも、遠き者にも、平安あれ、平安あれ」という『イザヤ書』の聖句の意味と無意味を。仮に殺人の禁止が自明の事態であれば、彼が改めてそれを取り上げることはなかったろう。
極限的な状況が語られているのではない。ここにいう殺人が、「あたりまえの生の無垢なる残忍さによって、近き者と遠き者への『潔白なる』無関心によって、さらには、何としても客体化し主題化せんとする高慢な執着心によって(……)犯される緩慢な不可視の暗殺のすべて」(13/185)を含むとするなら、「私は何もしてない」と断言して憚らないあなたは日々、何人のひとを殺しているのだろうか。  (P.16-P.17、序章 書物の浜辺)


≪目次: ≫
序章 書物の浜辺――今、なぜレヴィナスなのか
第一章 境界の思考
1 レヴィナスの軌跡――現象学からタルムードまで
   二つの流れに挟まれた町/西欧への旅立ち/留学の成果/若き思想家とその家族/捕囚の日々の友情/学校長――思索と賄いと釈義/世界への応答(レスポンサ)
2 列車の外傷――満員電車からシオニズムまで   かくも恐ろしき巨大な善/狂った遠近法/娑婆は満員電車である/善きサマリア人法/優しき贈与?/ユダヤ人国家と鉄道/無数の界面/超越論的経験論とは何か/現代思想と超越論的経験論
第二章 孤独というドラマ
1 他者なき実存――「同じもの」は「他なるもの」なのか
   扉も窓もない部屋/「私は思う」のカタストロフ/経験論批判/「超越論的なもの」の変容/クラインの壺/感性と知性の界面――構想力/不可思議な図式論/同じものと他なるもの/「感染」は不可避/恐るべき共犯関係
2 身体という呪縛――人はなぜ疲労するのか   疲労と怠惰の時代/ストレスと疲労の思想家たち/〈私〉と「私の身体」/『わが闘争』解読/血と肉の神話/ハイデガーの身体論/身体制作の陥穽(かんせい)
3 出口なき脱出の方途――私は私から逃げられるか   逃走論の背景/「存在の充足」としての西欧文明/「自己現前」の終身刑/自同律の不快/羞恥と吐き気/レヴィナスを読むサルトル/鏡の不在/自己自身を映す自己
第三章 他者とは誰か
1 実存と実存者――〈ある〉が〈私〉に変身するとき
   「隣人」の不可能性/〈ある〉の文法/〈ある〉とは私たちの日常である/〈ある〉の混沌、〈ある〉のざわめき/「死の欲動」としての〈ある〉/眠りを奪う「力の場」/「眠り」による基体化/〈ある〉の図式と「コーラ」/間(ま)のシステム
2 影と分身――闇の中の伴侶   ヘーゲルとの微妙な関係/影法師/現象学における「影」/イマージュとリズム/「似ている」とはどういうことか/分身から他者へ/正面と側面――他者はどこにいるのか
3 顔と責任――汝、殺すなかれ   死という「他なるもの」/内的限界と外的限界/「間(ま)」をいかに維持するか/甦る鏡/ラカンのL図の射程/対面の非ユークリッド幾何学/絶対的命令?/二人称の死/顔と「物自体」
4 対面と正義――「隣人」をめぐる問いかけ   顔の自同性/老いゆく顔/「素顔」は可能なのか/顔と演技/レヴィナスと女性/父性への逆説的同一化/撒種(さんしゅ)の呪縛と父殺し/家族も他人である/「第三者」の無限連鎖/倫理的配置の変貌/全方位の死角
第四章 家政術と商人術
1 世界は糧か――「環境倫理」という隘路
   まずは食べること、それから/「対面」による所有の審問/「享受」への疑義/食人肉の倫理/「飢え」という岐路/解き放たれたプロメテウスと古き倫理/ユートピア批判と「遠い未来への責任」/人間中心主義の二重の隘路
2 貨幣とは何か――返済不能な債務   贈与は所有の最たるもの?/娼婦と兄弟/〈私〉という「生きた貨幣」/贈与は可能か/捏造された「永遠の債務者」/なぜ「市場」と「類似」が結びつくのか/市場と戦場の界面
3 倫理的言語は可能か――「語りえないもの」を超えて   すべては挨拶から/一度だけの言及――現象学から懐疑論へ/命題化しえないもの/「語りえないもの」に媚びるな/存在の言語と図式/贈与としての命題/言語の限界は突破できるか/相対主義と絶対主義を超えるゲーム
第五章 界面の倫理
1 存在の位相論――レヴィナスとハイデガー
   「中心」とは何か/「無」としての線の位相論/深淵を挟んだ「闘争」と「対話」/「痛みは敷居を石と化したり」/正義・公正の分割線/「界面の超越化」とは何か
2 自己保存の迷宮――レヴィナスとスピノザ   スピノザ・アレルギー/踏み絵としてのスピノザ/「アレルギーなき関係」が可能な三つの理由/レヴィナスの「アトポロジー」/一なる実体の多様性/レヴィナスのスピノザ主義/隷属(servitude)ならざる服従(obéissance)/善と悪、偶然と必然の反転
3 アレルギーの時代に――レヴィナスから新しい倫理へ   界面の螺旋運動/レヴィナスにおける「免疫的寛容」/「逆-免疫」の盲点/調和から混沌のシステムへ――イマージュの蠢き/界面を生きる者たち/二分法を超えて/どのように「界面」を語るのか

主要参考文献
レヴィナス略年表
あとがき (一九九九年七月 合田正人)


≪著者: ≫ 合田正人 (ごうだ・まさと) 1957年香川県多度津町生まれ。一橋大学社会学部卒業。パリ第八大学哲学科に留学。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。琉球大学講師を経て、現在(刊行当時)、東京都立大学人文学部助教授(現在は明治大学文学部教授)。専攻は思想史。著書に「レヴィナスの思想――希望の揺籃」(弘文堂、改訂版がちくま学芸文庫より近刊予定)など。論文に、「境界のラプソディ――ジャンケレヴィッチ試論」(『みすず』に連載中)など。訳書に、レヴィナス『全体性と無限』(国文社)、『固有名』(みすず書房)、『存在の彼方へ』(講談社学術文庫)、『レヴィナス・コレクション』(ちくま学芸文庫)、ベルクソン『講義録』(法政大学出版局)、ジャンケレヴィッチ『最初と最後のページ』(みすず書房)など。


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レヴィナスの著作
1 『レヴィナス・コレクション』合田正人編訳、ちくま学芸文庫、一九九九年
2 『フッサールの現象学の直観理論』佐藤真理人/桑野耕三訳、法政大学出版局、一九九一年
3 『実存から実存者へ』西谷修訳、講談社学術文庫、一九九六年
4 『実存の発見』佐藤真理人他訳、法政大学出版局、一九九六年
5 『全体性と無限』合田正人訳、国文社、一九八九年
6 『困難な自由』内田樹訳、国文社、一九八五年
7 『タルムード四講話』内田樹訳、国文社、一九八七年
8 『他人のユマニスム』小林康夫訳、水声社、一九九〇年
9 『存在の彼方へ』合田正人訳、講談社学術文庫、一九九九年
10 『固有名』合田正人訳、みすず書房、一九九四年
11 『タルムード新五講話 神聖から聖潔へ』内田樹訳、国文社、一九九〇年
12 『観念に到来する神について』内田樹訳、国文社、一九九七年
13 『聖句の彼方』合田正人訳、法政大学出版局、一九九六年
14 『倫理と無限』原田佳彦訳、朝日出版社、一九八五年
15 『外の主体』合田正人訳、みすず書房、一九九七年
16 『暴力と聖性』内田樹訳、国文社、一九九一年
17 『諸国民の時に』合田正人訳、法政大学出版局、一九九三年
18 『われわれのあいだで』合田正人/谷口博史訳、法政大学出版局、一九九三年
19 『神・死・時間』合田正人訳、法政大学出版局、一九九四年
20 『歴史の不測』合田正人/谷口博史訳、法政大学出版局、一九九七年  (P.6)


本「プラトンと反遠近法  Plato and Anti-perspectivism」神崎 繁5

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プラトンと反遠近法
プラトンと反遠近法  Plato and Anti-perspectivism

○著者: 神崎 繁
○出版: 新書館 (1999/2, 単行本 242ページ)
○価格: 2.940円
○ISBN: 978-4403230615
おすすめ度: 5.0
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現実がじつは虚構であり、目の前にしているものが幻や錯覚によるものではないかという日常性の裂け目とでも言うべき体験が、哲学という営みへとわれわれを導いていき役割を果たしていることは、しばしば語られることである。そこから逆に実物よりもその像を、現実よりも虚構を好む心性を、倒錯したものと非難する態度もまた生じる。プラトンの芸術批判はその典型である。・・・  (P.42、「第一章 ミーメーシス」)

『悲劇の誕生』[1872]出版以前のニーチェが、古典文献学者として、一八六九年、二十四歳の若さでバーゼル大学の教授に抜擢されたことは、比較的よく知られたことであろう。・・・  (P.136、「第三章 ミーメーシスからファンタシアーへ」)

神崎繁の『ニーチェ どうして同情してはいけないのか』(日本放送協会、2002)の巻末の「読書案内」に従って、本書をいつも利用している図書館(自室近くと勤務先近くの2カ所)でウェブ検索を試みたところ、「該当書誌(データ)が見つかりません」の表示、残念。それでは、と、自宅(家族が住居している)の最寄の図書館でウェブ検索すると、在庫している様子。往々にしてこういう場面に遭遇すると、なぜか燃える!?、なんだか尋常じゃいられなくなっちゃう(苦笑)。というわけで、愛用のクロスバイクを駆って約30分、すでに本棚にはなく書庫に入れられていた本書とご対面、喜びのあまり(?!)、その場で読み始めたら止まらない。そのまま読了するも、ここに書き記す目的として借りてきたよ。


≪目次: ≫
まえがき
序章 遠近法の神話
遠近法の〈神話〉/〈神話〉としての遠近法/逆光学/プラトンの反光学・反遠近法/現代の反遠近法/「遠近法」研究とニーチェ/認識の〈窓〉モデル
第一章 ミーメーシス
1 詩人追放と画人追放   画人追放?/快楽測定術/二つのミーメーシス/〈語り〉の区分
2 陰影画と背景画   舞台の背景/悲劇上演上の約束と制約/画人幽閉   
3 背景画は遠近法の導入か?   「スケーノグラフィアー」とは何か/ミケランジェロの「ダヴィデ」/ポリュクレイトスのカノン/虚像術
第二章 測定術
1 洞窟の光学   「光学」の位置づけ/アカデメイアの数学研究/『国家』の高等教育における数学/プラトンにおける「光学」の不在
2 不文の教説?   プラトンの失敗講義/学の厳密さとその基準/大小の相互比較と尺度/エウドクソスの影/記憶の遠近法――アリストテレスの場合
3 視覚の空間・思考の空間   古代ギリシアに空間概念はあるか/光の形而上学/円錐空間/縛られたキュクロープス/「視点」の換位/認識の命令的・創出的機能/葛藤と選択/「測定術」と「絵画の比喩」の限界
第三章 ミーメーシスからファンタシアーへ
1 場所・透明体・気息   デモクリトスの石/現われは明らかならざるものの視覚/現象の救済/ミッシング・リンク/懐疑論の〈世界像〉/幾何学と懐疑論/光学小史
2 芸術的専制と専制的芸術   ネロと「ポンペイ第戸夕亜廖拭屮┘フラシス」とイリュージョン/巧みな工匠・ファンタシアー
3 もう一つの世界劇場論   アレクサンドレイア(エル・イスカンダリア)/「閹人」オリゲネス/二つの「多世界論」/世界は舞台、人生は歩く影/再び「洞窟」へ
終章 隠喩としての遠近法
再び「スケーノグラフィアー」/射影幾何学の誕生/アナモルフォーズ――奇妙な遠近法/光学小史供拭慷緝鯑辞書』とスケーノグラフィアー/遠近法と「浮絵」/結びに代えて
あとがき (一九九八年十月二十日 神崎 繁
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≪著者: ≫ 神崎 繁 (かんざき・しげる) 1952年姫路市生まれ。東北大学文学部卒業。東京大学大学院修了後、茨城大学人文学部、東北大学教育学部各講師を経て、現在(刊行当時)、東京都立大学人文学部助教授(現在は専修大学教授)。専攻は、プラトン・アリストテレスを中心とする西洋古代哲学であるが、英国・ケンブリッジ大学における在外研究を機に、ヘレニズム期から古代末期の哲学へと研究関心を拡げる。同時に、古代哲学に現代的衣装をまとわせるのではなく、現代哲学を古代の視覚から裸にする作業にも取り組んでいる。


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本「カンディード 他五篇  Voltaire, Candide, ou l'Optimisme 1758 (岩波文庫 赤518-1)」ヴォルテール、植田祐次 訳5

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カンディード 他五篇 (岩波文庫)
カンディード 他五篇  Voltaire, Candide, ou l'Optimisme 1758 (岩波文庫 赤518-1)

○著者: ヴォルテール植田祐次
○出版: 岩波書店 (2005/2, 文庫 552ページ)
○価格: 987円
○ISBN: 978-4003251812
おすすめ度: 5.0
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『『カンディード』〈戦争〉を前にした青年』(水林章 著、みすず書房、2005)から。じつは、そのテクスト〔ヴォルテール(Voltaire, 1694-1778)の小説『カンディード』〕を読み解く著書について、もうろうとしながらほとんど内容の理解を得ないまま、であった記憶だけが鮮明で。それでも、そこで読み説かれたテクストとしての本書を手にしてみたい、読んでみたいと思ったのは、ひとつには、新訳(本書、2005年刊行)であることも大きな要因ではあるが、それだけではない。いや、もしかしたら、それだけかもしれない。やっぱり、旧い著書は読み易いとは言い難く、新しいものはただ新しいというだけでワクワクするような気分が高揚する効果が少なからずあろう。新しいものを、ただただ新しいからという理由だけで追い求めることに、その姿勢に批判がないわけではないが、むしろ批判をすべきであろうとは考えているものの、ぼくが著書を読むという目的と、どんどん読み進めたいという考えを考慮するには、ある程度読み易いであろうと思われる著書を選択することは合目的的でもあったりもするわけで、ある程度は認められて、そういう意味では避けることができないものでもあろう。悩ましい問題ではあるが悩んでばかりもいられない、悩んでいる時間があったら、次の著作を読むべし!、圧倒的に不足する知識・情報を希求する、と。
ところで、ある部分ではもうろうとしながら理解を得ないままに著書を読み進めてしまっているのはいつものことではあるのだが、とくにそのハッキリとした印象が残っているのはなんでだろう?、と、自分自身のことながら気になって、記録をたどる(記憶は不鮮明)と、そう、アップされている「2009年3月31日 00:00」は、じつは予約機能を活用していたことを思い起こした。じつはその時間は、娘と二人で房総半島を一泊旅行中で、九十九里浜から太平洋を望む(と言うほどに立派なものではないのではあるが)宿泊施設の布団にて早々と惰眠をむさぼっていたハズ。ということは、前日の夜には読み終えてアップしていた可能性が濃厚であり(こちらも記憶は不鮮明)、毎日ブログを更新したいと考えている(そのことになんの意味があろうか??!)ぼくが、旅行から帰宅してその日のうちにアップをすることに不安を感じて(慌てたくない、焦るとロクなことはない)、事前の準備を整えていたのであろうことに相違ない。その日が月末であったことを考慮するに、確か記憶している限りでも仕事はヒマではなかったはずで、さらには月末から月初にかけての連休を取得するために仕事で連関する他のメンバーに迷惑をかけることがないようにとの配慮もしていたハズでもあり、そんな慌ただしいなかを、その後の慌ただしい状況をさらに懸念しての行動であったのであろう、との想像は難くない。なんだか本末転倒のような気がしないでもない、などと苦笑。。。


パングロスは形而上学的=宇宙論的暗愚学を教えていた。原因のない結果はなく、またおよそあらゆる世界の中で最善のこの世界において、男爵閣下の城館は世の城館の中でもっとも美しく、夫人はおよそあらゆる男爵夫人の中でだれよりも立派である、彼はそんなことを見事に証明してみせるのである。
「事態が現にあるよりほかの仕方でありえないということは、とうの昔に証明ずみである」と、彼は言った。「なんとなれば、すべて一つの目的のために作られている以上、必然的に最善の目的のためにあるのだからだ。(中略)したがって、すべては善であると主張した者たちは愚かなことを言ったものだ。すべては最善の状態にあると言うべきであった」
カンディードは一心不乱に聞き入り、無邪気に信じた。・・・  (P.264-P.265、「カンディードまたは最善説」)



≪目次: ≫
ミクロメガス――哲学的物語   第一章 シリウス星団の一住民、土星という名の惑星を旅する/第二章 シリウス星人の住人と土星の住人との間に交わされた会話/第三章 シリウス星人と土星人が二人で試みた旅行/第四章 地球という天体で彼らに持ち上がったこと/第五章 二人の旅行者が経験し、推論したこと/第六章 人間たちを相手に持ち上がったこと/第七章 人間たちとの会話
この世は成り行き任せ――バブーク自ら記した幻覚
ザディーグまたは運命――東洋の物語   出版許可/第一章 片目の男/第二章 鼻/第三章 犬と馬/第四章 ねたみ屋/第五章 寛容の土/第六章 大臣/第七章 論争と引見/第八章 嫉妬/第九章 打ち据えられた女/第十章 奴隷の身分/第十一章 火葬台/第十二章 夕食会/第十三章 密会/第十四章 山賊/第十五章 漁師/第十六章 バシリスク蛇/第十七章 試合/第十八章 隠者/第十九章 謎/付録(ダンス/青い目)
メムノン――または人間の知恵
スカルマンタドの旅物語――彼自身による手稿
カンディードまたは最善説(オプティミスム) 〔ラルフ博士のドイツ語からの翻訳 キリスト紀元一七五九年、ミンデンにおいて博士が没した折、そのポケットから発見された加筆手稿を含む〕   第一章 カンディードはいかにして美しい城館で成長し、またそこを追われたか/第二章 ブルガリア人の国でカンディードの身に起こったこと/第三章 いかにしてカンディードはブルガリア軍を脱走したか、またその身の変転/第四章 カンディードはいかにして哲学の恩師パングロス博士に再会したか、またその後の成り行き/第五章 嵐、難破、地震、そしてパングロス博士とカンディードと再洗礼派のジャックの身に起こったこと/第六章 地震を防止するため、いかにして壮麗な異端者の火刑(オートダフェ)が行われたか、またカンディードはなにゆえ尻叩きの罰を受けたか/第七章 老婆はいかにカンディードを介抱したか、また若者が愛する人と再会したいきさつ/第八章 キュネゴンドの話/第九章 キュネゴンド、カンディード、宗教裁判長およびユダヤ人の身に起こったこと/第十章 カンディード、キュネゴンド、老婆がいかに多くの辛酸をなめながらカディスにたどり着くか、また彼らの乗船のいきさつ/第十一章 老婆の話/第十二章 老婆の不幸、話のつづき/第十三章 カンディードが美しいキュネゴンドや老婆と別れねばならなくなった事情/第十四章 カンディードとカカンボはいかにしてパラグアイのイエズス会の神父のもとに迎えられたか/第十五章 なにゆえカンディードはいとしいキュネゴンドの兄を殺したか/第十六章 二人の娘、二匹の猿、大耳族と呼ばれる未開人と出会った二人の旅人の身に起こったこと/第十七章 カンディードとその従僕がエルドラードの国にたどり着いたこと、そして彼らはその国でなにを見たか/第十八章 エルドラードの国で二人が見たこと/第十九章 スリナムで二人の身に起こったこと、またカンディードがマルチンと知り合ったいきさつ/第二十章 海上でカンディードとマルチンの身に起こったこと/第二十一章 カンディードとマルチンがフランスの海岸に近づきながら、なおも議論すること/第二十二章 フランスでカンディードとマルチンの身に起こったこと/第二十三章 カンディードとマルチン、イギリスの海岸に向かって行き、そこで二人が目にすること/第二十四章 パケットと修道士ジロフレーのこと/第二十五章 ヴェネチアの貴族ポコクランテ閣下邸への訪問/第二十六章 カンディードとマルチンが六人の外国人と同席した晩餮、およびその六人の正体/第二十七章 カンディード、コンスタンチノープルへ旅立つ/第二十八章 カンディード、キュネゴンド、パングロス、マルチンらの身に起こったこと、など/第二十九章 カンディードはいかにしてキュネゴンドと老婆に再会したか/第三十章 結末

訳注
解説 (二〇〇五年正月 植田祐次)   (一) 幸福をめぐるパラドックス/(二) 『カンディード』以前の五篇のコント/(三) 『カンディード』――主人公の誕生と庭の教訓



日蔭の身・・・




本「ニーチェ どうして同情してはいけないのか (シリーズ・哲学のエッセンス01)」神崎繁5

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ニーチェ―どうして同情してはいけないのか (シリーズ・哲学のエッセンス)
ニーチェ どうして同情してはいけないのか (シリーズ・哲学のエッセンス01)

○著者: 神崎 繁
○出版: 日本放送出版協会 (2002/10, 単行本 126ページ)
○価格: 1,050円
○ISBN: 978-4140092996
おすすめ度: 3.5
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そう、ニーチェ(Nietzsche, 1844-1900)を読みたい、読まずにはいられない、と強く思っていて、チラチラと岩波ワイド版文庫の『ツァラトゥストラはこう言った』を横目で気にしながら、気になりながら、それでもなかなかな手が伸びずにいるのは、いきなり読んじゃってもいいんだけど、いきなり読むよりは、すこし遠まわりのようでもいいから、ちょっとまわり道をしちゃったけれどちゃんと辿り着いた、みたいな方法を選択したい、というのか、そのうちぼくの手中に入るべく、ホントに必要とされているのならば、無理をせずとも導かれてくるであろう、というような、そんな自然(?!)な流れに身を委ねたい、というのか、そんな法則のようなものを採用したいのである。というわけで、ニーチェ、ニーチェ、ニーチェ、ニーチェ、ニーチェ、、、との想いが頭の片隅にあったぼくが、いつもの図書館の本棚にて、ニーチェの文字と、まだ記憶に新しい先日、岩波書店の双書哲学塾シリーズにあって、その著作『魂(アニマ)への態度――古代から現代まで』に触れた、そしてその著作の中でも書き記されていた、神崎繁のニーチェ、を目にしたとあっては、あぁ、これぞ思し召し!??!


≪目次: ≫
はじめに   あの事件/他者の苦痛を体験できるか/一つの神話/苦難と距離を取り、それに向き合うこと
機“畄爐ソクラテス――ディオニュソス的二重性   作品としての人生/「書きもの」への引きこもり/ニーチェにおける「三段階の変化」/『悲劇の誕生』――悲劇の起源?/「起源」をめぐる誤解/「他人の災悪を自分のことと感じる」/「自らの災悪を他人のことと感じる」/ソクラテスのデュオニッソス的二重性
供\犬隼爐留鷆疔 宗住衒‖慮海留   病者の視点/海の比喩/ルクレティウスと死者の視点/エピクロス/「アルカディア」幻想/幸福の背景にある死/ニーチェにおける「海山のあひだ」/至福体験と「赤い蜘蛛」/海抜六千フィートからの思考
掘 ̄扮鷁鶺◆宗宗屮瓮縫奪撻◆徂に   『ツァラトゥストラ』における「三段階の変化」/ニーチェの『動物誌』/鷲と蛇――あるいは、飛翔と円環/「パロディのはじまり」とサテュロス劇/「メニッペア」――高みからの哄笑/メニッポス研究の先駆者としてのニーチェ/キュニコス主義=シニズム(冷笑主義)?/世界への「引きこもり」としてのキュニコス主義

ニーチェ小伝
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あとがき (二〇〇二年九月十一日 神崎 繁)


≪著者: ≫ 神崎 繁 (かんざき・しげる) 1952年姫路市生まれ。東北大学文学部卒業。東京大学大学院修了。現在、東京都立大学教授。専門はプラトン、アリストテレスなどの古典哲学。主な著書に『プラトンと反遠近法』(新書館)。
『魂(アニマ)への態度――古代から現代まで (岩波書店、2008)』


ワル





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永井均『これがニーチェだ』(講談社現代新書)
永井均『ルサンチマンの哲学』(河出書房新社)
田島正樹『ニーチェの遠近法』(青弓社)
神崎繁『プラトンと反遠近法』(新書館)
須藤訓任『ニーチェ――〈永劫回帰〉という迷宮』(講談社選書メチエ)
ハイデガー『ニーチェ機Ν供戞丙拊貞雄・杉田泰一・輪田稔訳、平凡社ライブラリー)

本【第2読】「サルトル『むかつき』二ートという冒険 (理想の教室)」合田正人5

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サルトル『むかつき』ニートという冒険 (理想の教室)
サルトル『むかつき』ニートという冒険 (理想の教室)

○著者: 合田正人
○出版: みすず書房 (2006/8,単行本 144ページ)
○価格: 1,575円
○ISBN: 978-4622083207
おすすめ度: 3.5
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そう、ちょっと前に、サルトル『嘔吐 La Nausée』を読んだんだけどね、じつは、その入口としての重要なポジションを占めるテクストとしての本書『サルトル『むかつき』二ートという冒険』があって(今回が第2読)、ところが、あろうことか同じ「みすず書房 理想の教室シリーズ」にライナップされる、野崎歓による『カミュ『よそもの』きみの友だち』と混同しちゃっていて、あれ、太陽は?、殺しちゃわないんだったっけ??、よそもの?、むかつき?、、、ってな具合で、最後まで混同状態からスッキリと抜けだすことができなかった。そんな状態のままに読了して、それを読了としてしまうことに疑問を呈さないわけではないんだけど、まぁ、完全な理解など、どうあっても求められないであろう(ぼくの能力の問題であり、著者と訳者とぼくとは他人だから?!)ことを考えるに、それを一応の読了として次の著書に進む、という選択を採用している。迷いがないことはない、その都度その都度何度も何度も同じようなことを同じように迷いながら、だから同じ選択がつねに同じように採用されるとは限らないけれども、かつてと同じ選択が採用されないことをも想定に入れながら、簡単に結論めいたことに落ち着いちゃうことをもっとも避けたい、かなぁ、願望みたいなものかもね、ぼくにはそれができている自信がないからこそ。
そして、著者“合田正人”をすこし読み進めてみたい考えもあるかなぁ。
というわけでかどうなのか、とりあえず混同を解きほぐすことを主な目的として、休日の朝の混雑していない、都心の会社へ向かう通勤電車のなかで再読したよ。少なからぬ混同の状態も悪くないのかもしれない、との印象をもいだきつつ。。。


≪著者: ≫ 合田正人 (ごうだ・まさと) 一九五七年生まれ。明治大学教授。専門は十九・二十世紀のフランス・ドイツ思想、近代ユダヤ思想史。「生理学」「心理学」「精神分析」「社会学」など十九世紀を通じて醸成された人間科学の諸相を分析し、そこに孕まれた諸問題の現代性を考察している。加えて十七世紀以降のユダヤ人問題とも取り組んでいる。著書『レヴィナス――存在の革命に向けて』(ちくま学芸文庫)、『レヴィナスを読む――〈異常な日常〉の思想』(NHKブックス)、『ジャンケレヴィッチ――境界のラプソディー』(みすず書房)ほか。
第1読『サルトル『むかつき』二ートという冒険』


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本「歴史の終わり〈下〉 「歴史の終わり」後の「新しい歴史」の始まり  THE END OF HISTORY AND THE LAST MAN 1992 by Francis Fukuyama」フランシス・フクヤマ、渡部昇一 訳・特別解説5

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歴史の終わり〈下〉「歴史の終わり」後の「新しい歴史」の始まり
歴史の終わり〈下〉 「歴史の終わり」後の「新しい歴史」の始まり  THE END OF HISTORY AND THE LAST MAN 1992 by Francis Fukuyama

○著者: フランシス・フクヤマ渡部昇一 訳・特別解説
○出版: 三笠書房 (2005/5; 新装版, 単行本 317ページ)
○価格: 2,100円
○ISBN: 978-4837956570
おすすめ度: 3.5
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歴史の終わり〈上〉 歴史の「終点」に立つ最後の人間』に引き続き、読み始めたら一気に読める、読み易い。そう、上巻の表紙裏(と呼んでいいのか?!、カバーの内側、表紙の裏側)に書き記される、訳者:渡部昇一「この本の読者へ」より、
本書は論点にいささかの曖昧さ、不明な点がない。最近の歴史書にはめずらしく、プラトン、カントから始まり、ヘーゲル、マルクス、エンゲルス、ニーチェなどの大思想家たちをふまえ、重厚な歴史論を展開している。そして、われわれが今おかれている立場が歴史上でどのようなところにあるのか、またそこに生ずるこれからの問題は何かを実に明快に説き明かしている。

本書が著された1992年から、およそ17年が経過して、社会情勢はずいぶんと変化してはいる(どう変化しているかを書き記すほどの理解を得ていない)ものの、大きくは1991年のソ連崩壊という歴史的な出来事。世界を二分していた勢力の一極が消滅しちゃって、結果的に勝ち残りのような状態になって、ある意味ではその正統性が支持された?!(と言ってしまうほどには簡単なものではないのであろうけれども)『リベラルな民主主義』(≒アメリカ)を、ひとつの理想形(≒歴史の終わり)、としての広範な歴史を辿っての論説。なのかなぁ??!、そりゃ、知識人は黙っちゃいられない!!?


舞浜駅はディズニーリゾートの駅といってもいいであろうが、その反対側にはフツーに住宅街があってフツーに日常生活が営まれている、なんとなく不思議。というか、ぼくには耐えられないなぁ、と思ったことの考察??!
ちなみにぼくは、昨年9月から12月の3カ月間だけ横浜みなとみらいにある高層ビル内にある事務所に通勤していたんだけど、やっぱり耐えられなかった。それだけが、たった3カ月で再異動した理由ではないけれど、それも大きな理由であったことを否定しない(タイミングに乗じて、ぼくから異動を申し出た)。あの、祝祭というのか、ハレといってもいいであろう、カーニバル的な、なんとなく浮ついた雰囲気が、どうしても好きになれないのだ。そりゃ、ぼくだって観光地やらお祭やらに足を運んで、その非日常性をたのしむことだってあるわけで、その非日常性を求める気持ちはどちらかと言えば弱くない方であろうかと。ところが、非日常性をたのしむには、それなりの心の切り替えと、ある適度みずからを演じることが求められようか。日常生活は、どちらかと言えば、たのしいことよりもたのしくないことの方が多いもので、だからこそ、非日常性のハレを求めるような側面もあろう。日常生活の決して高くないテンションのままに、非日常的な場面に足を踏み入れても(まぁ、一般的にはそこに足を踏み入れることによって、なにかを感知してスイッチ(?!)が切り替わるのかもしれないが)、とくにそれが、自らが没入することができない状況(たとえば仕事)にあって、足を踏み入れざるを得ないと想像するに、、、というか、桜木町駅は、舞浜駅は、悲観的な性格を強く有するぼくにとっては、歓喜に満ち溢れる人々の笑顔と、その心のゆとりゆえであろうかゆっくりとした歩行速度(?!)に、憤りを感じてしまうぼくの狭量さ、それじゃ社会生活を円滑に営むことに困難を伴うのも仕方がないことではあろうけれども、一方では、そのことを認知することによって、どうにも不得手なことから、無理をして演じることからの解放感を得ている、などと言ったら強がりにしか聞こえないであろうか。。。


≪目次: ≫  『歴史の終わり』下巻
第三部 歴史を前進させるエネルギー――「認知」を求める闘争と「優越願望」(承前)
4 「赤い頬」をした野獣―「革命的情勢」はいかにして生まれたのか
   最貧国と最富裕国だけが安定する構造/一本のソーセージと引き換えに売り渡される国家/ベルリンの壁に風穴をあけた「テューモス(気概)」/中国に吹きはじめた「自由な風」
5 人間の「優越願望」が歴史に与える影響   マキャベリの「栄光への欲望」と「優越願望」/歴史の流れに強いられた「サムライの変質」/野心を用いて野心を制する「チェック・アンド・バランス機構」/ヒトラー、スターリンに見るマキャベリ的「優越願望」/深い「矛盾」のなかに取り残された現代人
6 歴史を前進させる「原動力」    「主君」よりは「奴隷」のなかにこそある真の自由、大きな自由の芽/不平等のなかにこそある「真の平等」/人間が作った「神」の力の限界
7 「日の当たる場所」を求めて戦う人間と国家   自由な目と頭をもつ子供の誕生/歴史の終わりに登場する「普遍的で均質な国家」の中身/より高い合理的精神に気づきはじめた最後の「奴隷制社会」/人間を完璧に満足させる「歴史の最終段階」

第四部 脱歴史世界と歴史世界――自由主義経済成功に絶対不可欠な「非合理な“気概”」
1 冷たい「怪物」――リベラルな民主主義に立ちはだかる「厚い壁」
   国家と民族のただならぬ緊張関係/「文化」が民主化への大きな障害物となる理由/プロテスタンティズムが生んだ「自由の精神」/中央集権化の強度と民主主義の強度の相関関係/「国の舵取り」としての指導者の政治力/民主主義の「突然変異」
2 歴史から見た日本人の「労働倫理」   欲望よりは自分の「気概」を満足させるために働く人間の登場/ウェーバーの「亡霊のごとく生きている労働理論」/「武士道」が日本の資本主義にもたらした偉大な影響/経済発展に絶対不可欠な「非合理的な気概」/日本の繁栄を裏から支えている特異な「労働倫理」/自由主義経済の「偉大な生産性」にブレーキがかけられるとき
3 新しいアジアを生み出す「新権威主義の帝国」   欧米先進社会に挑戦する家父長的「アジア社会」/日本社会に残っている生産的な「専制主義」/経済成長の最大の脅威となる「悪平等」/世界史の決定的な転換点にある日本
4 もはや万能ではなくなった「現実主義」   「最悪の国家」の政策にしてはじめて可能な「最良の国家」/国際政治における唯一最強の「通貨」/国家体制を形成する「正統なシステム」と「革命的なシステム」/万能ではなくなった「現実主義」の重大な弱点
5 「権力」と「正統性」との力関係   軍備増強と領土縮小による「力の最大化」/イギリスが植民地にしがみつかなかった最大の理由/強大なワルシャワ条約機構を崩壊させた正統性の変化/近代国家に昇華された「貴族的な優越願望」/様変わりしていく「戦争の経済学」/驚くべき歴史の方向転換を支えた民主勢力の「確かな目」/「現実主義のものさし」だけでは決して測れないこれからの世界
6 国家主義(ナショナリズム)と国益の経済学   意欲に燃え猛威を振るった「近代国家主義(ナショナリズム)」/ヨーロッパが体験した途方もない非合理性/半永久的な「流刑」に処せられた宗教/ようやく目を覚ました「眠れる獅子」たち/「三つの点」で確実に生まれ変わりゆくヨーロッパ/国家主義がリベラルな民主主義国にもたらす「催眠効果」
7 脱歴史世界と歴史世界――二極に大きく分かれいく世界   脱歴史世界と歴史世界間の衝突を引き起こす「移民問題」/歴史を逆流させないための最大の「保証書」/二十世紀の絶望的な嵐から身を守る「避難所」

第五部 「歴史の終わり」の後の新しい歴史の始まり――二十一世紀へ「最後の人間」の未来
1 自由と平等の「王国」のなかで
   右と左からの「自由主義社会」批判/「自助の精神」原理がうまく働かない社会/自由と平等の「緊張関係」こそ自由主義の核心/対応を誤るときわめて危険な諸刃の剣となる「対等願望」/過剰な平等志向が産み落とした矛盾だらけの諸権利/ほとんどの環境保護論者が陥っている自己矛盾と大欠巻/現代人が「相対主義」によって追い込まれた知性の袋小路
2 歴史の終わりに登場する「最後の人間」   リベラルな民主主義国家の致命的弱点/一つの光り輝く星を誕生させるための「混沌」/人生のあらゆる面にわたる「不平等」を求める戦い/歴史の始点にいた「奴隷」と歴史の終点に立つ「最後の人間」の唯一の共通点/現代に出現した新しい形の「奴隷制」/「歴史の終わり」における人間の意味と未来/最後の「約束の地」は真の幸福・満足を約束してくれるのか
3 民主主義社会における「優越願望」のはけ口   歯止めのきかない「対等願望」が歴史に与える悪影響/「優越願望」が育てる真の企業家精神/民主主義下であるがゆえに実現される「野心」/日本のなかの「歴史の終わり」とその後
4 自由主義国家が生み出した「リバイアサン(大怪物)」   民主社会の極端な細分化を防ぐ「防波堤」/資本主義経済のダイナミズムと未来社会/もっとも純粋な「自由主義」の持つ弱点
5 「歴史の終点」には何があるのか   平和と繁栄にあえて反旗をひるがえす人間の存在/「弱肉強食」を正当化する原理/歴史を再出発させる最後の「エネルギー」/歴史の「循環・横揺れ」ははてしなく繰り返される/リベラルな民主主義にとっての「最大の脅威」/人類の乗った「幌馬車」の終着駅

注釈
【訳者解説】これからの日本人にきわめて貴重な「指導原理」を与えてくれる歴史的名著――渡部昇一


≪著者: ≫ フランシス・フクヤマ (Francis Fukuyama) 1952年シカゴ市生まれ。日系三世。ハーバード大学で政治学博士。アメリカ国務省政策企画部次長、ワシントン・D・Cのランド研究所顧問を経て、現在はジョンズ・ホプキンズ大学教授。冷戦後の世界の姿を示した論文『歴史の終わり』は、全世界に非常な衝撃を与えた。その論文の基本テーマについてさらに思考を深め、考察の範囲を広げたのがこの大著である。祖父は大阪商大(大阪市立大の前身)の初代学長を務めた河田嗣郎氏。

[訳者] 渡部昇一 (わたなべ・しょういち) 上智大学名誉教授。深い学識と鋭い評論で知られる。
歴史の終わり〈上〉 歴史の「終点」に立つ最後の人間』


見〜つけたッ♪




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写真 Canon IXY900IS(since 2006.12.4) & EOS40D + EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM(since 2008.7.23) + EF100mm F2.8 Macro USM(used, since 2008.9.10) + EF-S55-250mm F4-5.6 IS(used, since 2008.9.30) + EF50mm F1.8 供used, since 2009.4.4)

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