Gori ≒ ppdwy632

〈ぼく〉の思索の一回性の偶然性の実験場。

2009年05月

本「夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録  EIN PSYCHOLOG ERLEBT DAS KONZENTRATIONSLAGER, Österreichische Dokuments zur Zeitgeschichte 1 von Viktor E. Frankl」V.E.フランクル、霜山徳爾 訳5

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夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録
夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録  EIN PSYCHOLOG ERLEBT DAS KONZENTRATIONSLAGER, Österreichische Dokuments zur Zeitgeschichte 1 von Viktor E. Frankl

○著者: V.E.フランクル霜山徳爾
○出版: みすず書房 (2002/1 新装; 初版 1961, 単行本 208ページ)
○価格: 1,890円
○ISBN: 978-4622006015
おすすめ度: 4.5
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どうしてカンタンに書きえよう。
うしろめたい気持ちというか、なんとも言えない違和感をもちながら、ぼくなんかが著書を読ませていただいておきながら、その理解を得ないままに、こうして著書を掲げて中途半端に書き散らかして、まったく礼を失する、なにさまのつもりかしら?!、などと思いながらも、それだからこそ、ヒリヒリしながら書き記しちゃう♪
新版『夜と霧』(池田香代子訳、2002)と2冊が仲よく並んだ状態で目にとまって、どちらとも選択しかねて両方とも入手(図書館で借りた)して、先行して読むことにした新版の記憶があたらしいうちに。
予定では、サラサラッと読み終えて、巻末の資料“写真図版”をじっくり見て、、、などと考えていたのだが、たしかに新版の方が読み易いということもあろうが、大幅に時間を費やすことになったのは、巻頭の詳細な“解説”によって。もしかしたら、本文とほぼ同量の情報量があるのかもしれない(2段組みで文字が小さく間隔が狭い、P.7-P.73)。新版ですでに本書の内容は、理解しているとまでは言えないものの一読しているだけに、ちょっと油断?!していたのかもしれない。ホントにぼくはなんにも知らない、恥ずかしいほどに。きっと学校で勉強してきたんだろうし、文字や映像などで目にしたり耳にしたりしてこなかったわけではないハズなんだけど。
新版にはない“解説”は、本書がこのカンタンではない“解説”があるからこそ旧版にならずに併存できるのかな?、新版を出すうえでは、読み易さを考慮してオモタイ“解説”は収録されなかったのかな?、ぼくには詳しい事情はわからない、気にならないわけではないけれど、だからといってどうなるものでもないんだけれど、いやぁ〜、マイッタ♪


≪目次: ≫
出版者の序
解説
アウシュヴィッツベルゼンブッヒェンワルトダッハウノイエンガムラヴェンスブリュック

一 プロローグ
二 アウシュヴィッツ到着
三 死の蔭の谷にて
四 非情の世界に抗して
五 発疹チブスの中へ
六 運命と死のたわむれ
七 苦悩の冠
八 絶望との闘い
九 深き淵より


訳者あとがき(一九五六年七月 霜山徳爾
写真図版


≪著者: ≫ V.E.フランクル (Viktor Emil Frankl, 1905-1997) 1905年、ウィーンに生まれる。ウィーン大学医学部卒業。1955年いらいウィーン大学教授(精神学、精神医学)。実存分析、ロゴテラピーの創始者。ロゴテラピーは人間の意味への指向・その意志を重視し、深層における精神的実存的人間の発見を意図する療法である。1997年9月歿。著書『死と愛・実存分析入門』『時代精神の病理学』『神経症――その理論と治療』『精神医学的人間像』『識られざる神』(以上、1961-62、みすず書房刊)。

[訳者] 霜山徳爾 〈しもやま・とくじ〉 1919年東京に生れる。1942年東京大学文学部心理学科卒業。宗教哲学・心理学専攻。上智大学名誉教授。著書『人間の限界』(岩波新書、1975)、『人間へのまなざし』(中公叢書、1977)、『素足の心理療法』(みすず書房、1989)、『霜山徳爾著作集』(全7巻、学樹書院、1999-2001)。訳書、フランクル『死と愛』(1961)『神経症』供1961)、メダルト・ボス『東洋の英知と西欧の心理療法』(共訳、1972)(以上、みすず書房)。



夜と霧 新版
夜と霧 新版  Viktor E. Frankl, EIN PSYCHOLOG ERLEBT DAS KONZENTRATIONSLAGER, in ...trotzdem Ja zum Leben sagen (Kösel-Verlag, München 1977)

○著者: ヴィクトール・E・フランクル池田香代子
○出版: みすず書房 (2002/11, 単行本 169ページ)
○価格: 1,575円
○ISBN: 978-4622039709
おすすめ度: 4.5
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ヴィクトール・E・フランクル 『夜と霧 新版』 (池田香代子訳、みすず書房、2002)
フリードリヒ・A・ハイエク 『隷従への道 全体主義と自由  THE ROAD TO SERFDOM 1944』 (一谷藤一郎訳・一谷映理子訳、東京創元社、1992、1954)
エーリッヒ・フロム 『自由からの逃亡 ESCAPE FROM FREEDOM 1941』 (日高六郎訳、東京創元社、1965、1951)
ウィリアム・L・シャイラー 『第三帝国の興亡 全五巻』 (松浦伶訳、東京創元社、2008〜2009、1960)
ハンナ・アーレント 『イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』 (大久保和郎訳、みすず書房、1994、1969)


ぼく、ワルくない・・・?!




本「なぜ人を殺してはいけないのか? (シリーズ・道徳の系譜)」永井均×小泉義之5

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なぜ人を殺してはいけないのか? (シリーズ 道徳の系譜)
なぜ人を殺してはいけないのか? (シリーズ・道徳の系譜)

○著者: 永井均×小泉義之
○出版: 河出書房新社 (1998/12, 単行本 148ページ)
○価格: 1,470円
○ISBN: 978-4309242101
おすすめ度: 3.0
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人を殺したいと思うことがないわけではない、死んでしまったほうがいいんじゃないかと思うことがないわけではない、などとブッソウ?!なことを言ってみたりして、いまぼくはこの世に、勾留?!されることなく(自由?!に)存在している、いまのところ。
いわゆる「悪い(と世間で一般的に言われる?!)こと」って、ホントによくないことなのか?、などと真面目にキチンと考えてみることを試みると、あまりそんなことはフツーはしないのであろうけれど、そんなことを考えることになんの意義があるのかと問われても、ぼくには意義があると感じられる、とだけしか(いまのところ)言えないのだけれど(ホントは理論的に語りたい)、さらにはそんなことを考えちゃうことによって、いわゆる反社会的とも言われかねないような行動を採用することにもなりかねないとも感じていて(現におもいあたることがないわけではない)、考えなくて済むのならその方がいいかもね、などと言ってみたりもする。
道徳やら倫理やら、正義やら法やらは、なるほど、神やら僧侶やらを登場させて語るに相応しい??!
そう、人を殺したいとも死んでしまったほうがいいんじゃないかとも、一切考えることがない人(きっと少なからず存在するであろう?!)は、あえて問う必要はないのであろうけれど、すこしでもチラリとでも考えたことがあるのであれば、考えてしまうのであれば、「それはいけない(許されない)ことだ!」などと、人殺しや自殺などいわゆる「悪いこと」とされているようなことについて、雁字搦めに否定して、思い浮かべて考えてしまった事実を押し殺して、闇(心の奥深く?!)に封じ込めて、そこで思考を停止させてしまうよりは、認知して冷静に考えてみた方がいい、などと言ってみるぼくが、はたしてそれ(悪いことがなにかを問うこと)をキチンとして(経て)きたか??!と、みずからに問うてみるに、ぼくにはなんら意見することができないことが明確だ。


≪目次: ≫
第1章 道徳は殺人を止められるか?――対話
自己決定で何でも許されるのか/傷が残らないように/学校での殺人と道徳的支配/僧侶はどこにいるのか/ニーチェなら何と答えるか?/殺さない趣味/おまえは殺されていいのか?/答えはあり得るのか?/それでも殺したいのなら/殺人は偶然か?/内面のプロセスに殺人を閉じ込める/道徳的狂信者がいない/殺す・殺さないとは関係のないところで (1998.3.11)

第2章 きみは人を殺してもよい、だから私はきみを殺してはいけない――永井均
一 はじめに   1 対談について/2 話題について
二 対談における個々の論点についての補足   1 「自己決定で何でも許されるのか」と「傷が残らないように」について/2 「学校での殺人と道徳的支配」について/3 「僧侶はどこにいるのか」について/4 「ニーチェなら何と答えるか?」について/5 「殺さない趣味」について/6 「おまえは殺されていいのか?」について/7 「答えはあり得るのか?」について/8 「それでも殺したいのなら」について/9 「殺人は偶然か?」について/10 「内面のプロセスに殺人を閉じ込める」について/11 「道徳的狂信者がいない」について/12 「殺す・殺さないとは関係のないところで」について
三 きみは人を殺してもいい   1 人は人を殺してはいけない/2 私は人を殺してよい/3 きみは人を殺してよい/4 私はきみを殺してよい

第3章 なんで殺ったらいけないのかだって? 殺ってもイケルしイケテルのに――小泉義之
0 問う者を問う   どうしてお前を殺してはいけないのか/奴らが殺したいのは、殺されないことを願う人間だ/どうして殺してイケルのか?
1 生きるために殺す(死体化する)   生きるためなら何をやっても構わない/飢えたる者は殺してもよいのか?/殺さなくてもイケテイル
2 生きるためにではなく殺す(死体化する)   殺人は何の役にも立たない殺生である
3 殺人の相対的価値(悪)   こんな自分でも大学へ行けるでしょうか/世間は、殺人を一律に悪いと評価していない/舞台を破壊するか、舞台から降りるか
4 殺人の絶対的価値(罪)   殺人は罪である/罪の償いは、罪を犯せなくなることだ
5 〈殺してはいけない〉というルールはない   わたしたちは殺さないルールに従っているわけではなく、ただ殺さないのだ/「殺してはいけない」というルールは存在しない/学校化された思考法
6 最初の後知恵   人類最初の言葉は「これは食物である」だった


≪著者: ≫ 永井均 Nagai Hitoshi 1951年、東京生まれ。1974年3月、慶應義塾大学文学部卒業。1982年3月、慶應義塾大学大学院博士課程単位取得退学。1990年4月より、信州大学人文学部助教授。1995年4月より、信州大学人文学部教授。1998年9月より、千葉大学文学部教授。(現在、日本大学文理学部教授)。著書に、『〈魂〉に対する態度』『〈私〉のメタフィジックス』『〈私〉の存在の比類なさ』(勁草書房)、『翔太と猫のインサイトの夏休み』(ナカニシヤ出版)、『〈子ども〉のための哲学』『これがニーチェだ』(講談社現代新書)、『ウィトゲンシュタイン入門』(ちくま新書)『ルサンチマンの哲学』(河出書房新社)

≪著者: ≫ 小泉義之 Koizumi Yoshiyuki 1954年、札幌生まれ。1988年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程哲学専攻退学。1990年より、宇都宮大学教育学部講師。1992年より、宇都宮大学教育学部助教授。(現在、立命館大学院先端総合学術研究科教授)。著書に、『兵士デカルト――戦いから祈りへ』(勁草書房)、『デカルト=哲学のすすめ』(講談社)、『弔いの哲学』(河出書房新社)。


ファイヤー!!




本「『感情教育』 歴史・パリ・恋愛 (理想の教室)」小倉孝誠5

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『感情教育』歴史・パリ・恋愛 (理想の教室)
『感情教育』歴史・パリ・恋愛 (理想の教室)

○著者: 小倉孝誠
○出版: みすず書房 (2005/7, 単行本 165ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4622083108
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このところだいぶ精神状態?!がよくない、というか、イライライライラしてばかりいるような気がしている(と平然と言ってしまうのもどうかと思わなくないのだが)のは、仕事が忙しくないわけでもなく、疲れが抜けないからなのかもしれないなぁ、と思ってみて、果たしてぼくはそう言ってしまうほどに仕事をしているのか?、成果をあげているのか?、と冷静に問うてみると、言うほどに仕事をしているわけでも成果をあげているわけでもないことは明らかで、たしかに休みを予定通りにとれていないかもしれない(でも今日こうして休んでいる)、契約(不動産売買の契約に立会うのがぼくの仕事で、そのために物件調査したり書類作成したりする)の予定が立て込めば、いつも以上に朝早くからあちらこちらへと出向いて対応しなければならないこともあるし、緊張状態がつづいてピリピリすることもあろう。ますます他者との関係を断ちたい心持ちになり、どうでもいいようなことが気になってしかたがなくなってしまう。たとえば、電車のなかでぼくの体にとなりの人の荷物があたることは、混雑した電車内においては仕方がないことなのかもしれないが、それを気にならない人(ぼく以外のフツーの大勢の人びと、そして穏やかなときのぼくというものがあるとするならば、フツーはそこに含まれるハズ?!)がいて、気にならない状況や状態があって(気にする方がオカシイ!?)、そんなことを少なからず認識しながらも、気になって気になって仕方がなくて、他者との関係を断ちたいと意図して読み耽る本であり、耳栓としてのヘッドフォンであり、しかめっ面であり。そんな状態で読み進める著書の内容が、それでなくとも不勉強であるにもかかわらず気もそぞろでは、、、あぁまったくなにをやってることやら、トホホホホ♪
いまさら恋愛?!をするつもりもなければ、その不適格さばかりが明確なものとして認識されているぼくであっても、社会に生きて存在して生活している以上、男であること、オスであることを意識することは少なくない。それは、女性でありメス(と捉えた方がぼくには理解し易い)の存在があってのこと。オスとメスは一緒になりたがる傾向(あくまでも傾向として一般的!?に)があって、かつてはぼくもなんの考えもなく当然のこととしてそうあるべきというか、そうあってフツーだと思っていたのだが、、、、ひとりで暮すようになって、やっぱりさびしいと思うこともないわけじゃない、しかし、そもそもなんで一緒にいる必要があるんだろうか?、とかケッコウ真剣に考えちゃう。たとえば、種の保存というのか生殖(コレとってもタイセツ!)としての子育てを目的とするならば、合目的的であろう。メスが単独で子育てをするには、ヒトの子どもの成長には時間も労力をも要する。オスの協力を必要とすることに納得もいく。しかし、オスとメスでは性差による差異がある以上、違っているから一緒にいる、違うものを求めて一緒にいる、ということなのかもしれないが、それ以上に快楽としての性交があるのであろうか?、求めるものが快楽であるとするならば、その関係は持続は困難であろう、快感は持続しない、より新しいものの方がより高い快感を得られるであろうことは想像に難くない。そして、見られる存在としてのメス(誘惑?!)。見られる存在であるメスは、明確に、見る存在としてのオスを意識しているのであろう。おっと、中途半端に考え途中のことを思わず書き記してしまったが、まだまだ考え中でなにもまとまりを得ていない上に、浅いところ狭いところに止まったままなので、まだぼくのなかに止めておいて表出する気はなかったのだが、まぁ消去するのもなんだから(なんなんだ?!)そのままにしておこう♪


≪目次: ≫
はじめに
小説の時代/フロベールと『感情教育』
第1回 歴史
テクスト――1848年2月の革命の場面

歴史小説と日本人/ヨーロッパの歴史小説/二月革命という事件/歴史をいかに表象するか/戦闘の場面のレトリック/民衆の表象/模倣としての二月革命
第2回 パリ
テクスト――(1) フレデリックがパリをさまよう (2) シャン=ド=マルス競馬場からの帰り道 (3) 物憂げなパリ (4) 夜のパリ

都市は体験する/十九世紀パリと文学/オスマンのパリ/愛と野心の都市/シャン=ゼリゼ大通りの誘惑/パリの倦怠/セーヌ河の風景/彷徨と通過儀礼の物語
第3回 恋愛
テクスト――(1) フレデリックとアルヌー夫人の出会い (2) 別離の場面

愛の物語の現在/愛は普遍的な現象か/教養小説と恋愛のテーマ/不倫の恋はいかに語られてきたか/それは幻のようであった/別離の場面/娼婦と貴婦人と田舎娘
読書案内


≪著者: ≫ 小倉孝誠 (おぐら・こうせい) 1956年生まれ。慶應義塾大学教授。専門は近代フランスの文学と文化史。特に身体、病理、ジェンダーなどを手掛かりに、十九世紀の文学、芸術、社会、思想を総合的に読み解いている。また、回想録、自伝、日記など、自己を語るエクリチュールの体系的な研究をめざしている。著書に『19世紀フランス』(人文書院)『歴史と表象』(新曜社)『〈女らしさ〉はどう作られたのか』(法藏館)『推理小説の源流』(淡交社)『『パリの秘密』の社会史』(新曜社)など。


今日も紫陽花♪




本「プラトンの哲学 (岩波新書537)」藤沢令夫5

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プラトンの哲学 (岩波新書)
プラトンの哲学 (岩波新書537)

○著者: 藤沢令夫
○出版: 岩波書店 (1998/1, 新書 227ページ)
○価格: 777円
○ISBN: 978-4004305378
おすすめ度: 4.5
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ふと目に入った『プラトンの哲学』であり「藤沢令夫」著、岩波新書だから?!、難易度はそんなに高くないハズ、と。


≪目次: ≫
機―章「海神グラウコスのように」――本来の姿の再生を!
供 巵惣堯――生の選び
1 ソクラテスの刑死まで/2 二つの方向を「一本の大道」に!
掘 嶌欧鬚發沈犬た言葉」――プラトン哲学の基層としてのソクラテス
1 ソクラテスから受けとめたもの/2 なぜ「対話篇」なのか
検 嵌しき邁進」――イデア論とプシューケー論
1 「プラトン哲学」への助走(a 対決宣言 b イデア論への助走)/2 陣形の確立(a イデア論の初表明――「まさに〈美〉であるところのもの」(『饗宴』) b イデア論の拡充(『パイドン』) c 魂と身体、二つの生き方(『パイドン』) d 〈物〉的自然観との闘いへ向けて――〈善〉原因とイデア原因(『パイドン』))/3 《善》とディアレクティケー(a 「哲人王」宣言から「太陽」の比喩へ。そのメッセージと謎 b 「線分」「洞窟」の比喩。教育理念と国家統治の基本原則)/4 イリソス川のほとりにて――魂の遍歴とエロース(『パイドロス』)
后 崙鮗身を引き戻せ」――反省と基礎固め
1 イデア論の不備に気づく(『パルメニデス』)/2 再出発――知覚の徹底分析と〈知識〉(『テアイテトス』)
此 嵌しく善き宇宙(コスモス)」――コスモロジーに成果の集成を見る
1 『ティマイオス』と『法律』第十巻のコスモロジー/2 「ソクラテス以前の哲学」との関係
察 峅未討靴覆闘い」――現代の状況の中で

あとがき (1997年歳末近く 藤沢令夫)


≪著者: ≫ 藤沢令夫 (ふじさわ・のりお, 1925-2004) 1925年長野県に生まれる。1951年京都大学文学部哲学科卒業。専攻:西洋哲学史、ギリシア哲学。京都大学名誉教授(刊行当時)。著書:『ギリシア哲学と現代』(岩波新書)、『イデアと世界』『哲学の課題』『世界観と哲学の基本問題』(以上、岩波書店)、『実在と価値――哲学の復権』(筑摩書房)ほか。訳書:「プラトン全集」(共同編集、岩波書店)、ソポクレス『オイディプス王』(岩波文庫)ほか。


主張!




本「隷従への道 全体主義と自由  Friedrich A. Hayek, THE ROAD TO SERFDOM, 1944, pp. vii+248」フリードヒ・A・ハイエク、一谷藤一郎 訳、一谷映理子 訳5

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隷従への道―全体主義と自由
隷従への道 全体主義と自由  Friedrich A. Hayek, THE ROAD TO SERFDOM, 1944, pp. vii+248

○著者: フリードリヒ・A・ハイエク、一谷藤一郎 訳、一谷映理子 訳
○出版: 東京創元社 (1992/7 改版; 初版 1954, 単行本 322ページ)
○価格: 2,625円
○ISBN: 978-4488013035
おすすめ度: 4.0
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全体主義(totalitarianism)”なることばを意識したのは、記憶しているかぎりでは、ハンナ・アレント『責任と判断』(ジェローム・コーン編、中山元訳、筑摩書房、2007)からかと。なにゆえに“全体”なんだろうとか?、との疑問をいだかなかったわけではないけれど、「ふ〜ん、そういうことば(イデオロギー)があるんだぁ〜」とわからないままにしていて、気にならなかったわけではない(残念ながら無理に知識を習得しようとしてもどうにも理解が及ばない、気になる状態のままに放置をして期が熟するのを待つしかない!?)。とくになにもわかったことなどないし、わからないことに変わりはない(エラそうに言うことじゃないけれども)。
東京創元社の『第三帝国の興亡 全五巻』(ウィリアム・L・シャイラー著、松浦伶訳、2008〜2009、1960)を読了して(最終巻の書き記しが未了)、その流れというのか、そこからの展開として、エーリッヒ・フロム『自由からの逃亡 ESCAPE FROM FREEDOM 1941』(日高六郎訳、東京創元社、1951)に次いで。
自由」“freedom”and“liberty”。
計画経済社会主義

そうかぁなるほど本書が改版された「1992年」。巻末の“改版に際して”の追記より、
・・・先生(ハイエク教授)は三月二十三日、ドイツのフライブルクで、九十二歳の天寿を全うされた。
アメリカ合衆国ブッシュ大統領は、昨一九九一年(同年ソ連共産党活動停止、ついでソ連邦崩壊、前年一九九〇年には、東ドイツが西ドイツに合併される)、米国政府が文民に与える最高勲章である「自由勲章」を教授に贈り、御逝去の二十三日には追悼声明を発表して、「現代の最も偉大な思想家の一人」と、ハイエク教授を称えたとのことである。・・・  (P.322、「改版に際して」)



≪目次: ≫
一九六七年版 序言
アメリカ版への序言(一九五六年)
日本語版への序言(一九五三年四月)

序説(一九四三年十二月 ケンブリッジ ロンドン大学経済学部 F・A・ハイエク)
第一章 見捨てられた道
第二章 大きなユートピア
第三章 個人主義集産主義
第四章 計画化の「不可避性」
第五章 計画化と民主主義
第六章 計画化と法の支配
第七章 経済統制と全体主義
第八章 だれがだれを支配するか
第九章 保障と自由
第十章 なぜ最悪なものが最高の地位を占めるか
第十一章 真理の終焉
第十二章 ナチズムの社会主義的根源
第十三章 われわれの中の全体主義者
第十四章 物質的条件と理想目的
第十五章 国際秩序の展望
第十六章 結論

参考文献註
訳者解説(一九五四年四月十八日、一九七九年一月三十一日追記 一谷藤一郎)
改版に際して(一九九二年 一谷映理子)


≪著者: ≫ フリードリヒ・A・ハイエク (Friedrich A. Hayek) 1899年ウィーンに生れる。1931〜50年ロンドン大学経済学部教授。その後、シカゴ大学、フライブルク大学の教壇に立つ。1974年ノーベル経済学賞受賞。1992年没。

[訳者] 一谷藤一郎 (いちたに とういちろう) 1928年、京都帝国大学経済学部卒。専攻、経済学、とくに金融論。大阪大学、名古屋市立大学各名誉教授。著書の他に訳書ハイエク『資本の純粋理論』改訳版(1952)。1979年没。
[訳者] 一谷映理子 (いちたに えりこ) 1945年兵庫県立第一神戸高女卒。1948年京都府立第一高女高等科卒。フランス、パリ大学留学。


Taraxacum





本「後悔と自責の哲学 (河出文庫)」中島義道5

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後悔と自責の哲学 (河出文庫 な 24-1)
後悔と自責の哲学 (河出文庫)

○著者: 中島義道
○出版: 河出書房新社 (2009/5, 文庫 198ページ)
○価格: 704円
○ISBN: 978-4309409597
おすすめ度: 5.0
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あぁ、ぜんぜんぼくはカンタンになにごとも書き記しすぎてしまっている。もっともっとことばを尽くして、ていねいにていねいにあるべきなのに。前提とされるものを、あたりまえと思ってしまって、ちゃんと考えることもなく、なにげなく書き記しているそのことば、その概念は、はたして「真実」であろうか??!、そんな真実を追究する姿勢を採用しつづけることによって、失われるものも少なくないのであろうけれど(その筆頭としての「幸福」!?)、そもそもそこで失われてしまうものは、ホントに必要としているものなのか?、失ってホントに困るものなのか?。なにも失うことなく、得ることだけをつづけることには限界があろう。なんらかを得ることは、その一方で失われているものが少なからぬあろう、気がついている場合もあれば、気がついていないところで行われている場合もあろう。
まさにタイトルにあるとおり『後悔と自責の哲学』について。


≪目次: ≫
A 後悔
1 意図的行為に対する後悔
   なぜ後悔するのか?/「そうしないこともできたはずだ」という根源的思い/自由の「認識根拠」としての後悔/無差別均衡の自由/自由と偶然とを区別するものとしての「意志」/他行為可能性をめぐる理論/過去における自由/過去における自由と現在における自由とのあいだ
2 非意図的行為に対する後悔   「思わずしてしまった」ことに対する後悔/「気がつかなかった」ことに対する後悔/いかなる理論も後悔を打ち砕くことはできない/後悔と過失/人格形成責任/「可能な」私の範囲/「投げ込まれていること」と「企て」
3 後悔と偶然   鯖の味噌煮/エピクロスの斜行運動/九鬼周造ライプニッツの最善説/根本的疑問/充足理由律と微小表象/偶然否定論/目的論的観点は消えない/意図的=目的論的行為/意図の重層的構造/目的的消極的偶然/賭けと偶然/元寇のさい台風が来襲したことは偶然か?/マックス・ウェーバーの適合的因果性の理論/「そうでないこともありえたはずだ」/阿部一族/状況における自由/超越論的無差別均衡の自由?/自由による因果性の正体/偶然起こったことを後悔する
4 後悔と運命   運命は「あとから」意味づけられる/運命の要件/台風は神風であった?/日常の「しきたり」に組み込まれた「もう一つの要因」/運命と決定論/すべての真剣な恋愛は運命を感じさせる/意図と記述/「異質なもの」の一回的な継起と「同一のもの」の繰り返し/「同一のもの」と関心/「同一のもの」と確率/どんなに確率が小さい出来事も現に起こる/偶然と運命/『ドナウよ、静かに流れよ』/運命とニヒリズム/後悔することによって見えてくるもの

B 自責
5 苦しみあえいでいる人に対する自責
   「どこかおかしい」/後悔と自責/幸運な人の不運な人に対する義務/同情と自責/成田空港のレストランで/報われていない人・与えられていない人の立場/なんで、私ではなくこの人が?

あとがき (二〇〇六年三月十五日 ウィーン郊外にて 中島義道)
解説 (大崎善生

*本書は、二〇〇六年一〇月、河出書房新社より単行本として刊行されました。


≪著者: ≫ 中島義道 (なかじま・よしみち) 1946年生まれ。哲学者。著書『カントの自我論』『〈時間〉を哲学する』『悪について』『孤独について』『人生に生きる価値はない』『哲学者というならず者がいる』『「死」を哲学する』など多数。


淡い色合い・・・




本「夜と霧 新版  Viktor E. Frankl, EIN PSYCHOLOG ERLEBT DAS KONZENTRATIONSLAGER, in ...trotzdem Ja zum Leben sagen (Kösel-Verlag, München 1977)」ヴィクトール・E・フランクル、池田香代子 訳5

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夜と霧 新版
夜と霧 新版  Viktor E. Frankl, EIN PSYCHOLOG ERLEBT DAS KONZENTRATIONSLAGER, in ...trotzdem Ja zum Leben sagen (Kösel-Verlag, München 1977)

○著者: ヴィクトール・E・フランクル池田香代子
○出版: みすず書房 (2002/11, 単行本 169ページ)
○価格: 1,575円
○ISBN: 978-4622039709
おすすめ度: 4.5
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とてもとてもカンタンには書きえない。
フシギな(本書との)出会いは、冷蔵庫をお願いしたリサイクルショップのおじさんからの連絡をちょっとイライラしながら待つ、自室近くの図書館分館の書棚にて。なにかメボシイ本はないかなぁ〜とボンヤリながめるぼくの目にふととびこんできた『夜と霧』のタイトルであったのか、それとも旧版のサブタイトル「ドイツ強制収容所の体験記録」であったのか、いまとなっては記憶が定かではないのだが、いずれであったとしてもその偶然というにはあまりにも出来すぎた出会い♪、しかも、新版である本書と旧版(霜山徳爾訳)とが並んであって、見比べてみたものの、どちらか一方だけを選択することができなくて両方とも借りることにしたのだった。ぼくのなかで高い信頼をおく“みすず書房”が出していることも、ぼくを積極的な行動に駆り立てたひとつの小さくない要因であろう。まずは新訳から読むことにしたのは、旧い翻訳より新しい翻訳の方が読み易いことがいちばんにあげられよう。ことばづかいであり、表現や解釈が新しいものの方が、より深い理解を求めるぼくには、いや能力に自信がないぼくにはなじみ易い。それでも、旧い翻訳にある、その時、その時代の臨場感というのか、新訳とはまた違った味わいがあろうかと。どちらがいいとかよくないとかではなく、どちらにもその特有の意義があろうとも。
せつない、とだけ書き記すに止める。


≪目次: ≫
心理学者、強制収容所を体験する
知られざる強制収容所/上からの選抜と下からの選抜/被収容者一一九一〇四の報告――心理学的試み
第一段階 収容
アウシュヴィッツ駅/最初の選別/消毒/人に残されたもの――裸の存在/最初の反応/「鉄条網に走る」?
第二段階 収容所生活
感動の消滅(アパシー)/苦痛/愚弄という伴奏/被収容者の夢/飢え/性的なことがら/非情ということ/政治と宗教/降霊術/内面への逃避/もはやなにも残されていなくても/壕のなかの瞑想/灰色の朝のモノローグ/収容所の芸術/収容所のユーモア/刑務所の囚人への羨望/なにかを回避するという幸運/発疹チフス収容所に行く?/孤独への渇望/運命のたわむれ/遺言の暗記/脱走計画/いらだち/精神の自由/運命――賜物/暫定的存在を分析する/教育者スピノザ/生きる意味を問う/苦しむことはなにかをなしとげること/なにかが待つ/時機にかなった言葉/医師、魂を教導する/収容所監視者の心理
第三段階 収容所から解放されて
放免

『夜と霧』と私――旧版訳者のことば (霜山徳爾 二〇〇二年九月)
訳者あとがき (二〇〇二年九月三十日 池田香代子


≪著者: ≫ ヴィクトール・E・フランクル (Viktor Emil Frankl, 1905-1997) 1905年、ウィーンに生まれる。ウィーン大学卒業。在学中よりアドラー、フロイトに師事し、精神医学を学ぶ。第二次世界大戦中、ナチスにより強制収容所に送られた体験を、戦後まもなく『夜と霧』に記す。1955年からウィーン大学教授。人間が存在することの意味への意志を重視し、心理療法に活かすという、実存分析やロゴテラピーと称される独自の理論を展開する。1997年9月歿。著書『夜と霧』『死と愛』『時代精神の病理学』『精神医学的人間像』『識られざる神』『神経症』(以上、邦訳、みすず書房)『それでも人生にイエスと言う』『宿命を超えて、自己を超えて』『フランクル回想録』『〈生きる意味〉を求めて』『制約されざる人間』『意味への意志』(以上、邦訳、春秋社)。

[訳者] 池田香代子 (いけだ・かよこ) 1948年東京生まれ。ドイツ文学翻訳家。主な著書に『哲学のしずく』(河出書房新社、1996)『魔女が語るグリム童話』(正は宝島社、1999 続は洋泉社、1998)『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス、2001)『花ものがたり』(毎日新聞社、2002)など。主な翻訳にゴルデル『ソフィーの世界』(NHK出版、1996)、『完訳クラシック グリム童話』(全5巻、講談社、2000)などがある。『描たちの森』(早川書房、1996)で第1回日独翻訳賞受賞(1998)。


夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録
夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

○著者: V.E.フランクル霜山徳爾
○出版: みすず書房 (1985/1, 単行本 208ページ)
○価格: 1,890円
○ISBN: 978-4622006015
おすすめ度: 4.5
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標高392m♪




本「「民法0・1・2・3条」 〈私〉が生きるルール (理想の教室)」大村敦志5

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「民法0・1・2・3条」〈私〉が生きるルール [理想の教室]
「民法0・1・2・3条」 〈私〉が生きるルール (理想の教室)

○著者: 大村敦志
○出版: みすず書房 (2007/10, 単行本 165ページ)
○価格: 1,680円
○ISBN: 978-4622083276
おすすめ度: 5.0
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じつは、同じ“理想の教室シリーズ(みすず書房)”にラインナップされる『「日本国憲法」まっとうに議論するために』(樋口陽一 著、2006)と同時に入手して、どちらを先行して読もうかすこし迷って、なにゆえに“民法”に先行して“憲法”を読もうと思ったのであろうか、記憶がたしかではないのだが、上位のものから順番に従ってということであろうか。いずれも、明治時代に制定されたものであり、開国を迫られ不平等条約を結ばざるをえなかった欧米諸国に倣って(でいいのかなぁ、自信がない)。そのあたりの19世紀後半から20世紀前半までの歴史の出来事であり流れでありの理解を多角的に深めたいとの目論見もあって。
そう、直前に読んだ エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』(日高六郎 訳、東京創元社)にあって説かれていた“自由(Freedom)”であり“個人”であり、、、切り口はまったく異なるように見えて、同じではないけれど、うまく説明できないところで微妙に絡み合っているような気がしている♪


≪目次: ≫
はじめに   「民法」って知っていますか?/道具としての民法・思想としての民法/「0・1・2・3条」から民法を読み解く/三つの補足

第1回 民法典の制定――一九世紀型民法(国民国家の民法)の移植
民法制定までの経緯
機仝彊貍髻宗宗私権」の(抽象的)主体としての「   原一条の文章を読む/書かれていること――「権利能力」の始期/はっきりとは書かれていないこと・その1――「法律上の人」とは何か/はっきりとは書かれていないこと・その2――「法律上の人」でないもの/書かれていない大切なこと/原一条の思想をつかむ/原一条の思想・その1――権利能力平等の原則の意義/人間中心主義/フィクションとしての法人と胎児/原一条の思想・その2――「私権」に関する二つの考え方/法と権利の関係/キーワードとしてのシヴィル civil/civil の両面性/民法における droits civils/条文の書き方・読み方/マンガの読み方――「あしたのジョー」は死んだか?
供仝尭鷯髻Ω胸鮎髻宗宗崢觜饋談院焚班稍后法廚箸靴討痢嵜諭   原二条――「帝国臣民」と外国人との区別/国籍規定との関係/原三条――「健康な成年男子」と「婦女子・聾唖者瘋癲(ふうてん)」の区別/排除された人々・その1――「平民」でない者=「新平民」「旧土人」「朝鮮人」/排除された人々・その2――「納税者」でない者=「小作人」「職工細民」/二〇世紀前半へ――経済面での不平等の緩和

第2回 民法典の改正――二〇世紀型民法(福祉国家の民法)への変貌
戦後改革
機/薫貍鯑鷙犹姐燹宗衆貳名鮃爐砲茲觚⇒の社会化   信義誠実 bonne foi ということ/新一条二項――信義誠実の原則の明文化/法律と判例・学説/校則と比べると…/新一条三項――権利濫用の禁止の明文化/新一条二項の思想――契約自由の原則の制限/新一条三項の思想――所有権絶対の制限/新一条二項による新ルール・その1――契約で定められていない義務の創設/新一条二項による新ルール・その2――解除権の制限/信義則と権利濫用の使い分け/具体的なルールと一般条項/権利濫用の濫用?
供^貍鬟瞭鵑反薫貍魄豺燹宗淑薪の出現と福祉の強調   憲法から民法へ――応急措置法の制定/応急措置法の内容/男女平等のインパクト/憲法第二四条と民法一条ノ二の関係/現在における意味/憲法の領分と民法の領分/一条ノ二と新一条一項の「個人=公共」像/「公共の福祉」とは何か・その1――「生活利益」「競争利益」/「公共の福祉」とは何か・その2――「人間の尊厳」?/発展的な解釈の指針/日常的な法生成の場としての民法/二〇世紀後半へ――困窮者・被害者の社会的救済

第3回 民法典の再改正へ――二一世紀型民法(共和国の民法)模索
第三の法制改革期=大立法時代?/何が行われているのか?/何が残されているのか?/いくつかの先駆的な立法/民法の「憲法化」をめぐって/「改正仮私案」に即して
機‘鷯鬚瞭鸞莪豺狄契澆ら新々二条二項一号へ――人格権の保護   新々二条二項一号/現行民法における人格権/名誉毀損/名誉回復処分と差止め/人格権と財産権/民法に書かれていない問題・その1――プライヴァシーの保護/プライヴァシーの限界/民法に書かれていない問題・その2――人身の尊重/民法に書かれていない問題・その3――自己決定の尊重/「人」のイメージの変化・その1――「私権」の複合性/「人」のイメージの変化・その2――「主体」の複合性
供〇鮎魄豺狄契澆ら新々一条・新々二条二項二号へ――市民であること・人間であること   新々一条「私権=公共」から「市民的権利=公共空間」へ/プライヴァシーの例に即して/「市民的自由」について/「公共空間」の担い手としての「人=市民」/「個人の尊厳」とは?――「個人の尊厳」か「人間の尊厳」か/「個人の・人間としての・尊厳」の意味すること
掘/憩鷯鬚瞭鸞萋鷙狄契澆ら新々三条へ――マイノリティへの着目   新々三条/「男女平等」から「平等原則」へ/「平等」から「差別是正(社会的支援)」へ/二一世紀前半へ――「共和国」の確立と拡大へ

補講――新たな法典論争のために   残された問題/現一条二項三項・現三条二項の行方/民法の体系をどうするか/民法の三大原則とは?/民法改正に必要な手順――「三〇〇日問題」を例に/新たな法典論争と法典調査会を、そして法教育=法学習を

付録1――民法の目次
付録2――民法の主要条文
読書案内


≪著者: ≫ 大村敦志 (おおむら・あつし) 1958年生まれ。東京大学教授。専門は民法。概説書に、『基本民法機銑掘戞◆悗發Δ劼箸弔隆靄槎泳´機Ν供戞◆慍搬暇 戞◆愍暖饉塰 戞憤幣紂⇒斐閣)、『民法総論』(岩波書店)、『他者とともに生きる』(東京大学出版会)、入門書に、『生活民法入門』(東京大学出版会)、『父と娘の法入門』(岩波ジュニア新書)、法学的なエッセイに、『フランスの社交と法』、『生活のための制度を創る』(以上、有斐閣)など。


花粉!?




本「自由からの逃走 新版  Erich Fromm, ESCAPE FROM FREEDOM 1941 (現代社会科学叢書)」エーリッヒ・フロム、日高六郎 訳5

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自由からの逃走 新版
自由からの逃走 新版  Erich Fromm, ESCAPE FROM FREEDOM 1941 (現代社会科学叢書)

○著者: エーリッヒ・フロム日高六郎
○出版: 東京創元社 (1965/12 新版; 初版 1951, 単行本 337ページ)
○価格: 1,785円
○ISBN: 978-4488006518
おすすめ度: 4.5
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思い通りに事が運ばないことはフツーにあることで、そもそもぼくがあらかじめ意図していた事柄に正当性があるのかどうかを疑うべきかもしれない。などと、すこし時間を経て冷静に考えればなんてこともないことであっても、順応性が低いというのか、頭がカタイというのか、混乱して尋常ではいられないからか、その場面においてはイライラカリカリ、ますます周囲からは人が遠ざかっていく。本来のぼくの予定では土曜日あたり(2日前)に読み終えているはずだった。もっとも本書を手にしたキッカケは、東京創元社『第三帝国の興亡 第五巻』(読了した後に書き記せていない)の巻末の宣伝広告?!にあって、第三帝国(ナチズム)に連関する著書であろうことが気になってのこと。そう、本書の第六章には「ナチズムの心理」として、ひとつの章をついやして説かれる(本書が発表された1941年は、まさにヒトラーの全体主義に世界が震撼するその最中、とある)。書き記さなければならないにもかかわらず(献本を受けているため)、なにかと言い訳をして先延ばしにして、先延ばしにしているということもさることながら、言い訳しているみずからにたいする嫌悪感をいだいてみたり、先延ばしにしている間にも本は淡々と読み進められているわけで、関連する情報やら知識やらがあらたに上書きされ、あたりまえのように時間の経過とともに肝心の記憶は薄れていく(消失してしまうものは重要なものではなかったとも言えなくもないのだが)。さらには、本書の次に手にした著書がサラッと昼間の予期せず生じた移動時間で読了してしまい、さらにさらにその次に手にした著書についても仕事帰りの電車で読了してしまっては、いずれも遠からぬ関連性を帯びていないわけでもなく、なにがなにやら混乱した状態にあることを否めず、どうしていいものらや♪


≪目次: ≫
序文
第一章 自由――心理学的問題か?
第二章 個人の尊重と自由の多義性
第三章 宗教革命時代の自由

1 中世的背景とルネッサンス/2 宗教改革の時代
第四章 近代人における自由の二面性
第五章 逃避のメカニズム

1 権威主義/2 破壊性/3 機械的画一性
第六章 ナチズムの心理
第七章 自由とデモクラシー

1 個性の幻影/2 自由と自発性
付録 性格と社会過程

訳者あとがき (一九五一年十二月十二日 訳者)
新版にさいして (一九六五年十一月十八日 日高六郎)


≪著者: ≫ エーリヒ・フロム (Erich Fromm) 1900年、ドイツのフランクフルトに生まれる。ハイデルベルク、フランクフルトの大学で社会学、心理学を専攻し、1925年以降は精神分析学にも携わり、精神分析方法を社会現象に適用する新フロイト主義の立場に立ち、社会心理学界に重要な位置を占めた。ナチに追われてアメリカに帰化し、メキシコ大学などの教授を歴任。1980年没。主著は、『自由からの逃走』1941、『人間における自由』1947、『精神分析と宗教』1950、『愛するということ』1956、『疑惑と行動』1962、『革命的人間』1963、『希望の革命』1968。


生きる・・・




本「図説 聖地イェルサレム (ふくろうの本)」高橋正男=文、石黒健冶=写真5

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図説 聖地イェルサレム (ふくろうの本)
図説 聖地イェルサレム (ふくろうの本)

○著者: 高橋正男=文、石黒健冶=写真
○出版: 河出書房新社 (2003/1, 単行本 127ページ)
○価格: 1,890円
○ISBN: 978-4309760254
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「イェルサレム」の“ェ”に小さい文字が使われていることになんとも不思議な印象をもったのは、ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』(大久保和郎 訳、みすず書房、新装版1994、1969)にあって。
もっとも近いところでは、参画させていただいている“本が好き!PJ”から献本を受けていて、すでに読了していながらなんだかんだと言い訳を繰り返して書き記しがノビノビになってしまっている(東京創元社さまゴメンナサイ)『第三帝国の興亡 第五巻』最終巻。そうこう言いながら、橋本治『二十世紀』(上下巻、ちくま文庫、2004年)であり、大川周明『回教概論』(ちくま学芸文庫、2008年)であったり。イスラームへの関心は、やっぱりキリスト教にたいする興味であり、ユダヤ教でありユダヤ人へと。民族問題に宗教、とくに信仰をもたないぼくにとっては、まったくこれまでピンときていなかった事柄。詳しいことはよくわかんないけど、ぼくには直接的には関係ないことでしょ!!?、であっても、なんの不都合もないんだけれど、ぼくがみずからのことばで語りたい!、と考えたときに、少なくとも認識せずには語ることが許されない、重大な問題、知らなかったでは済まされない、知らずに軽々しくも言及できるものでもない。

洗濯機をお願いしたリサイクルショップのおじさんからの連絡を待つ自室近くの図書館にて。


≪目次: ≫
序章 イェルサレム歴史と宗教のモザイク都市
はじめに/イスラエルの国土/水資源/イェルサレムの水源確保/パレスティナ最古の地図――メデバ・モザイク地図/ユダヤ教キリスト教イスラーム(教)/ユダヤ人/イスラエルの国家紋章メノラー/イスラエルの国旗ダビデの星
コラム「死海死海文書
第1章 イェルサレム聖都案内
八つの城門/神殿の丘の外壁/神聖な祈祷所西壁/観光用西壁水路トンネル/岩のドーム/黄金のドーム/旧市街/城壁アル-アクサー・モスクヴィア・ドロローサ(「十字架の道行き」)/聖墳墓教会聖堂
第2章 イェルサレム聖都の成立
イェルサレム遷都/統一王国の分裂/南王国ユダ滅亡前夜/第一回バビロニア捕囚/第二回バビロニア捕囚/第三回バビロニア捕囚/イエスのイェルサレム入城から磔刑まで/要塞マサダでの最後の抵抗/記述資料と踏査の歴史/マサダ要塞
第3章 祝祭都市イェルサレム
安息日/現代イスラエルの祝祭日/過越の祭り/サマリア人の過越の祭りと仔羊の犠牲/ハヌカーの祭り/割礼と宗教儀式/割礼式に列席/成人式
コラム「キブーツ」
第4章 激動のイェルサレム
ヘルツェルの丘/ヤッド・ヴァシェム/建国運動の発端からイスラエル建国へ/ヘブライ大学の創設――一九二五年/イスラエル博物館/委任統治終了、イスラエル国独立宣言、武力衝突
コラム「日本人巡礼者」
主要参考文献抄
イェルサレム関係略年表


≪著者: ≫ 高橋正男 (たかはし・まさお) 1933年、福島県生まれ。58年、中央大学経済学部卒業。64年‐65年、イェルサレム‐ヘブライ大学留学(イスラエル政府給費生)。66年、中央大学大学院文学研究科博士課程修了。専攻はイェルサレム史。1966年、独協大学教養部専任講師、現在、独協大学外国語学部教授。おもな著書・訳書に『旧約聖書の世界――アブラハムから死海文書まで』(時事通信社、1990年)、『世界史大年表』(分担執筆、山川出版社、1992年)、『年表 古代オリエント史』(時事通信社、1993年)、『』図説 イェルサレムの歴史』(D=バハト著、東京書籍、1993年)、『イェルサレム』(世界の都市の物語14、文藝春秋、1996年)、『死海文書――甦る古代ユダヤ教』(講談社、1998年)、『旧約聖書の王歴代誌』(J=ロジャーソン著、月森佐知訳、日本語版監修、創元社、2000年)、『地中海の暦と祭り』(共編著、刀水書房、2002年)ほか多数。

≪写真: ≫ 石黒健治 (いしぐろ・けんじ) 1935年、福井県生まれ。59年、桑沢デザイン研究所修了。同年、写真協会新人奨励賞受賞。カメラマン、作家。現在、学校法人東京綜合写真専門学校理事・講師。主な写真展に『不幸な若者たち』、『ナチュラル』、『夫婦の肖像』など。そのほかにもミステリードキュメントとして『サキエル氏のパスポート』(光人社、2001年)、また映画『人間蒸発』(今村昌平監督の撮影担当)、『無力の王』(監督)など多方面で活躍。最新の仕事としては『日本カメラ』誌に「シアター2002」を連載。


ワル




本「孤独について 生きるのが困難な人々へ (文春文庫)」中島義道5

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孤独について―生きるのが困難な人々へ (文春文庫)
孤独について 生きるのが困難な人々へ (文春文庫)

○著者: 中島義道
○出版: 文藝春秋 (2008/11, 文庫 210ページ)
○価格: 550円
○ISBN: 978-4167753184
おすすめ度: 5.0
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およそ5カ月前、まだ中島義道を読み始めたばかりのころに、文春新書版(1998年刊行)で読んだときの印象はなんとなく残っていて、あぁそうだった、そうそう、とか口にしながらも、じっくり時間をかけて読んだ。
ますますぼくは孤独であること、孤独に生きることについて、つよく自覚していて、ときにヒリヒリとした違和感のようなものをみずから好んで選択したりもしている。他人(もっとも近い家族を含めた)とのあいだに少なからぬ違和感をもちながら、無理をしてまで関係を築く必要はあるのか?!、とか考えて、すこし考えてすぐにそんな必要はなかろうという方向づけを見出すと、さびしさのようなものをまったく感じないと言ったらウソになるけれど、不思議とすがすがしい心持にもなっていたりして。あぁ、ぼくは孤独にたいするなんらかの適性が備わっているんだろうなぁ、抗えないよなぁ。生きることを、ラクチンなことだと思うことはこれっぽちもないけれど、だからと言って困難だと感じることもあんまりない。およそ2年5カ月前にひとり暮らしを始めるまでは、ぜったいに孤独には耐えられないと思っていたし、じっさいにひとり暮らしがはじまって(それ以外の選択がなく不本意ながら)、ホントに心細かったし不安で不安で、あぁなんで生きているんだろう??!、と溜息を吐きながら、ときに涙を流しながら、孤独でカワイソウなぼくちゃんを哀れむ〈ぼく〉に酔っていた。


≪目次: ≫
序章 孤独に生きたい
他人を警戒する/小さなうめき声をあげている人々/孤独になる技術/運命愛
第一章 ずっと孤独だった
封建的な父母の家/父、カリフォルニアで生まれる/七歳までに五度の引っ越し/川崎と世田谷/東大法学部病/哲学がしたい!/クラスで一人だけ留年する/授業についてゆけない/「美しい敗者」になりたい!/何もしない青春/「風」が吹いてくる
第二章 孤独な少年時代
母の怨念/虚栄の家/死ぬのが怖い!/離人症体験/小便を漏らす/リアルで矮小な悩み/人間恐怖症/カインとアベル
第三章 孤独な青年時代
ふたたび留年する/「社会復帰」をめざす/八方塞がり/自殺しようと思う/法学部学士入学/そうだ、ウィーンへ行こう!/背水の陣/日本人学校の英語講師に採用される/東大助手になる
第四章 孤独を選びとる
世間嫌いの完成/Y教授による「いじめ」のはじまり/私は狡い/職がないのはおまえのせいだ!/「きみ、髭を剃ったらどうだ?」/おじきはこうするのだ!/「うちの芝生を刈ってくれないか?」/お金を渡すべきか?/学科長に訴える/そして私は助教授になった/人生を〈半分〉降りる
第五章 孤独を楽しむ
孤独な最近の生活/孤独と結婚/ゆきずりの関係がいい/孤独の実験場/孤独の条件/書くこと/書いて刊行すること/故郷喪失者
終章 孤独に死にたい
あとがき (一九九八年五月二十二日(妻の誕生日) 中島義道)
解説南木佳士

*本書は一九九八年、文春新書として刊行されました


≪著者: ≫ 中島義道 (なかじま・よしみち) 1946年生まれ。東京大学教養学部・法学部卒業。同大学院人文科学研究科修士課程修了。ウィーン大学基礎総合学部哲学科修了。哲学博士。現在(刊行当時)、電気通信大学人間コミュニケーション学科教授(2009年3月退任)。専門は時間論、自我論、コミュニケーション論。著書に『ウィーン愛憎』『哲学の教科書』『時間を哲学する』『人生を〈半分〉降りる』『カントの人間学』『うるさい日本の私』『愛という試練』『悪について』『私の嫌いな10の人びと』『「死」を哲学する』『観念的生活』『カントの読み方』など。


Mt.Fuji




本「象は世界最大の昆虫である ガレッティ先生失言録  Das größte Insekt ist der Elefant, Professor Gallettis sämtliche Kathederblüten (白水uブックス1079)」ヨーハン・G・A・ガレッティ、池内紀 編訳5

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象は世界最大の昆虫である (白水Uブックス)
象は世界最大の昆虫である ガレッティ先生失言録  Das größte Insekt ist der Elefant, Professor Gallettis sämtliche Kathederblüten (白水uブックス1079)

○著者: ヨーハン・G・A・ガレッティ、池内 紀 編訳
○出版: 白水社 (2005/6, 新書 218ページ)
○価格: 945円
○ISBN: 978-4560073797
おすすめ度: 4.5
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すこし前から調子が悪かった洗濯機をあたらしくした。といっても、中古品から中古品への買い替えで、自室近くにあってぼくがなにかと頼りにしているリサイクルショップで無理を言ってのこと。同時に扇風機も購入して(偶然にもふたつともナショナル製品)、あわせて金14,800円也(搬送、設置、引取りまですべてお任せ)。耳たぶがギョウザみたい?!なのは、きっと柔道かなにかをやっていたのだろうか、小柄でちょっとくたびれた感じの気のいい(わるくない)おじさんが、とにかくにくめないキャラクターできらいになれない(怒る気になれない?!)、素直にスキなのだ。考えてみると、ぼくの部屋のなかにある家電製品は、ほとんどすべてがおじさんのところで調達したもの。PCに向かうぼくが座っているイスもデスクも電気スタンドも、冷蔵庫も掃除機もコタツも。そもそもが、長くひとり暮らしをするつもりもなく、まさにボストンバッグひとつ、もともと所有物がすくなかったとはいえ、寝具と着替えだけといってもいいような状態で、寝るために借りたようなこの部屋も、すでに1回契約更新をしてさらに5カ月が経過している。この部屋にず〜っと住みつづけるかどうかは別にしても、この環境をいまのところは変える気がしていないのであって、もっといえば、共同生活に適格性を欠くことをつよく認識してしまっているというのがホンネのところだったりする。大家さんの駅前のお米屋さんのおばちゃんには、すこし前に自室の玄関の鍵を会社に忘れてきて困ったとき、夜11時すぎだったにもかかわらず、イヤな顔ひとつせずに(本心はどうか知らないけれど)マスターキーを貸してくれたこともあった(翌日夜に洋菓子詰め合わせのお礼の品と共にお返しした♪)し、更新の際には無理を言って家賃の値下げ(月額壱阡圓也)にも応じてもらっている。閑静な(ホントに静かな)住宅街にある全8部屋の木造2階建アパートの入居者は半分の4部屋だけで、かつて居住していたうるさい入居者(駅前のさびれたスナックにつとめるダミ声の太ったおばちゃんであり、耳が遠いのであろう朝はや〜くから夜おそ〜くまで大音量のテレビが止むことがないおばあちゃんであり)は退去してくれたおかげで、いまでは窓を開けていても聞こえてくるのは、ホントにときど〜きしか通らない車の音と犬の鳴き声くらいで、気に障るテレビの音も話し声も一切ない。ときどき怖くなるくらいに静かで、音全般にたいして敏感で過剰に反応してしまって、気になって気になってしかたがない、どうにも耐えられない(かつて室内でヘッドフォンをしていた)ぼくにとっては嬉しいかぎり。一方では、いつこの平穏(静寂)な生活が破られるかと考えると気が気ではない。アパートに掲げられている「空室有り」の看板が恨めしいが、大家さんの心情を考えると。。。トレーニングに励むクロスバイクは、老舗の“神金自転車商会”が近くにあるからこそ、メンテナンスまですべてお任せ、なにかと気軽に相談して教えてもらえて、だから飽きることなくつづいているのであろうと思う。家電製品は、新品を買う気がしないので、リサイクルショップのおじさんのところでたいていのものはなんでも揃う。
などとどうでもいいことをつらつらと書き記せるのも、洗濯機があたらしくなって、大きなストレスがひとつ解消したことによるものが大きいのだ。とにかく、これまで使用していた東芝製のDDインバーターの洗濯機は、脱水機能に不具合がたびたび生じていて、なんどもなんどもすすぎを繰り返して(かたより防止センサー作動?!)いっこうに洗濯が終わる気配を見せないで水ばかりを浪費していた。洗濯機のなかに洗濯物を放置しておきたくない、干してから次の作業に移りたい(干し終えてからでなければ気がかりで次の作業にかかれない)ぼくとしては、そのストレスたるや!!?。おかげで、前回の休みも今回の休みも半日が無駄に費やされてしまって(だったらすぐに買い替えればいいものを貧乏症のぼくはずいぶん前から先延ばしにしていた)、いよいよ意を決して。ところが、物事はそううまくは運ばないもので、おじさんが社長で、留守番のおばさんに店番を手伝ってもらっているリサイクルショップは、午後からの営業で、12時に訪れておばさんにその旨を伝えて(購入する品物も決めて)携帯電話の番号をお知らせして、15時すぎにお店に戻ってくるというおじさんの連絡を待つことに。その間も、気が気じゃないわけです、なにも手につかず、読みたいと思っていた本も読む気になれず、書き記したい(いよいよ書かないと)と思っていた書き記しだって手につかない(たんなる言い訳、オトコらしくない?!)、すこしイライラカリカリしながら(短気はよくない)お店に足を運んだのがたぶん夕方5時前くらいかなぁ。店番のおばさんが帰っちゃうと出張(運搬やら設置やら)ができなくなっちゃうと見越してのこと。店番のおばさんいわく、一旦は戻ってきたんだけど1時間くらいしかいなかったから、すぐに出掛けちゃって、と恐縮してはいるものの、すこしあきれ気味のぼくに気をつかってか、ごめんなさいねぇ、とか言いながらおじさんに連絡をとってくれて、すぐに戻るからとかなんとか(蕎麦屋の出前よろしく?!)、、、けっきょく、おじさん(が戻ったという店番のおばさん)からの連絡があってぼくがお店に到着したのが6時前。案の定?!、おばさんは帰り支度をしている。のんびりしたおじさんは、イライラしているぼくに気がつくこともなく、平然と「言ってくれればすぐに戻ってきたのに」と言ってのける。さらには、いまから留守番を寄越させるから1時間後の7時ころに届けるとのこと。仕方がない、不平不満を言ったところでどうにもなるものでもない、待つしか方法はない。ここで怒りを爆発させてしまうと、ぼくの怒りは破滅的であり、カンタンにすべてをぶち壊しかねないのであり、ただひたすらに目的とする(すでに代金を支払っていて、朝から丸一日の時間を費やしている)洗濯機が手に入らないことにもなりかねない(間違いなくそうなることは想像に難くない)。まったくなにも手につかないままに時間はゆっくりゆっくりとすぎていく。あぁ、7時すこし前に携帯電話の着信(バイブ)が。おじさんから、「雨が降りそうなので、片付けをしてから行くから遅くなる」と。電話に出るときにはあえてノー天気に「もっしもぉ〜し♪」と出るようにしているぼくは、そうでなければ間違いなく不機嫌に低い声で無愛想なのだ。極力言葉を発することなく「待ってます」とだけ言って切る。そうする以外にその場を切り抜ける自信がない。おじさんはいい人だ。重たい洗濯機を一所懸命運んで(ぼくも手伝った)、ちゃんとセッティング(給排水)して、旧い調子の悪い洗濯機を引き上げて、軽トラックで帰って行った。ありがとう、おじさん♪


昼間、借りていた本を返却しに行った近くない図書館の分館の書棚になにげなく見かけて手にして、気もそぞろ?!ながら。。。

ドイツに実在のガレッティ先生(1750-1828、文豪ゲーテと同時代)の全七〇五項にわたる失言録。


≪目次: ≫
古代の世界
歴史学
自然地理、ならびに政治地誌学
天文学と物理学
数学、幾何学、算術
年代記
博物学
人類学
言語学と文学
授業風景
私事
経験と省察

あとがき (池内 紀
白水Uブックス版に寄せて (二〇〇五年六月 池内 紀

*本書は1992年に単行本として小社から刊行された。(翻訳は“Das größte Insekt ist der Elefant”――Professor Gallettis sämtliche Kathederblüten――hrsg. Helmut Minkowski, 1965 München により、まず全訳として、一九八〇年、創土社より刊行をみた。)


≪著者: ≫ ヨーハン・G・A・ガレッティ (Johann G. A. Galletti) 1750年、ドイツの小都市アルテンブルクに生まれ、ゲッティンゲン大学で法律・地理・歴史を学ぶ。1778年母校ゴータ・ギムナージウムの教授に就任。引退後は著作執筆に励んだが、不幸にしてその名が世に知られるようになったのは彼が教壇で発した膨大な量の失言のおかげだった。


ぼく、ワルくない・・・?!




本「ニーチェは、今日?  NIETZSCHE AUJOURD’HUI? (ちくま学芸文庫)」J・デリダ、G・ドゥルーズ、J=F・リオタール、P・クロソウスキー、林好雄 訳、本間邦雄 訳、森本和夫 訳5

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ニーチェは、今日? (ちくま学芸文庫)
ニーチェは、今日?  NIETZSCHE AUJOURD’HUI? (ちくま学芸文庫)

○著者: ジャック・デリダジル・ドゥルーズジャン=フランソワ・リオタールピエール・クロソウスキー、林好雄 訳、本間邦雄 訳、森本和夫
○出版: 筑摩書房 (2002/1, 文庫 366ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4480086792
おすすめ度: 4.5
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数学のわからなさを抱えたままに読み始めて、そう、つねにかばんのなかには2冊以上の本を持ち歩いていて読む本が途切れることをもっとも嫌う(ほとんど強迫観念に近い?!)のであり、間髪を入れずに、振り返ることも感慨に耽る間もなく、集中力を持続させたままに、次の本(本書)へと。そもそもデリダをはじめとする著名な哲学者の言説でありその著書を好んで手にしているものの、わかったためしがないのであり、すこしも理解できた気がしていないにもかかわらず、なんとなく読んでしまうのだ、いや、文字を追って最後まで終えてしまう、が正しいのであろう(読んだとは言いえない!?)。
そう考えるに、こうして書き記すことの無自覚さに小さくない矛盾を感じていないわけではないけれど、積極的に読み進めるには(必要を感じてつよく欲している)なんらかの動機というのか、鼻先のニンジン?!が必要なのよねぇ♪、などと考えていて、毎日書き記すために、書き記し続けるために、書き記す内容がなにであれ、その内容を深く問う(それなりに結論めいた回答を求める)ことをするよりは、書き記すことによってその著書についての記録であり、みずからの記憶との関連づけであり、問いの解放というのか、まずは考えることのきっかけとして、のようなものと位置づけたい!!?


一九七二年七月、フランス・ノルマンディー地方の小村スリジー=ラ=サルで、「ニーチェは、今日?」というテーマの討論会(コロニック)が開かれた。十日間の会期のあいだ、原則として毎回一人が発表を行ったあとで、出席者による活発な討論が繰り広げられた。
その発表報告と討論の概要は、翌七三年、『ニーチェは、今日?』(全二巻)として10/18叢書から出版された。第一巻は、「強度(アンタンシテ)」・・・(中略)。また、第二巻「情熱(パッシオン)」には、・・・(中略)
二十世紀後半のニーチェ研究は、フランスにおいて、むしろドイツ本国におけるよりも、いっそうの活況を呈していたと言っても過言ではない・・・(中略)
この討論会が開かれた一九七二年といえば、六八年のいわゆる五月革命の四年後であり、現行の政治体制や制度に対する有効な《対抗(コントル)=運動(ムヴマン)》として、従来どおりの《政治的活動》では不充分であって、体制や制度の《調子を狂わせる》ような「闘争と戦略の新しい活動」(本書一一三頁)の再創造の必要性が痛感されていた。・・・  (P.009-P.011、「はじめに」)



≪目次: ≫
はじめに(訳者)
悪循環(ピエール・クロソウスキー)
 訳註
 解説 陰謀とパロディ(林好雄)
回帰と資本についてのノート(ジャン=フランソワ・リオタール)
 訳註
ノマドの思考(ジル・ドゥルーズ)
 訳註
 解説 強度のメタモルフォーズとノマディスム(本間邦雄)
尖鋭筆鋒の問題(ジャック・デリダ)
 原註
 訳註
 解説 女性と真理の問題(森本和夫)
訳者あとがき(林好雄)


≪著者: ≫
ジャック・デリダ (Jacques Derrida) 1930-(2004)。『声と現象』『グラマトロジーについて』ほか。
ジル・ドゥルーズ (Gilles Deleuze) 1925-95。『千のプラトー』『差異と反復』ほか。
ジャン=フランソワ・リオタール (Jean-Francois Lyotard) 1924-98。『現象学』『ポストモダンの条件』ほか。
ピエール・クロソウスキー (Pierre Klossowski) 1905-2001。『わが隣人サド』『ニーチェと悪循環』ほか。
[訳者]
林 好雄 (はやし・よしお) 1952年生まれ。東京大学部仏文科卒業。駿河台大学助教授(現在は駿河大大学教授)。
本間邦雄 (ほんま・くにお) 1951年生まれ。東京大学哲学科卒業。駿河台大学教授
森本和夫 (もりもと・かずお) 1927年生まれ。東京大学仏文科卒業。東京大学名誉教授。


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本「はじめての現代数学 (講談社現代新書909)」瀬山志郎5

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瀬山志郎「はじめての現代数学 (講談社現代新書)」
はじめての現代数学 (講談社現代新書909)
○著者: 瀬山士郎
○出版: 講談社 (1988/7, 新書 209ページ, 絶版)
○ISBN: 978-4061489097
おすすめ度: 5.0
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ぼくが、不思議?!としか言いようがないご縁があって参画させていただいている“本が好き!PJ”の存在は大きい。ずいぶんと沢山の本(献本137冊)に出会わせていただいた。その当時(2006年12月3日登録)、本を読み始めたばかりのころで、村上春樹の往年の著書を読み進めていたときだった(と記憶している)。いまその書き記しを読み返してみるとかなり恥ずかしい。しかし、なにもわかっていないなりに一所懸命にがんばっている様子がうかがえて、わがことながら悪い印象はない(と思ってしまう、甘いなぁ!?)。もっとも、いまだって大して変わっていない、まともなことを書き得ていないことになんら変わりはない、かなしいほどに、それが現実かと!?。(それゆえに過去の書き記しには手を加えない、可能な限り残置する)
久しぶりのミス・サス以外の献本だから、申し込みすることを前提としていろいろ下調べをするわけです。講談社現代新書シリーズは秀逸な著書が少なくない。難解にすぎず、軽薄にすぎず、ぼくのなかでの印象は悪くない。図書館で検索すると、早川書房の文庫版(これが今回の献本)はすでに貸出中でさらに数件の予約が入っていて、いまでは絶版の講談社現代新書版も貸出中で予約が。ところが、自室から近くない図書館の分館に在庫があるとこをなにげなくチェックして、それでもわざわざ行くまでもない、と思ったにもかかわらず、なぜか偶然にもトレーニングの帰路にその図書館分館に(借りていた本の返却で)寄ることになろうとは、ちょ〜っと興奮を抑えきれずに、カウンターにいた女性職員に声をかけると、ちょっと興奮しちゃっていて要領を得ないぼくの断片的で錯綜しちゃった情報を、的確な判断でピタリと発見、アリガトウ♪(彼女も一緒に喜んでくれた)、というわけで、喜び勇んで勢いに任せて読んでみたはいいけれど、文字を追うのは日常茶飯事?!、ひっかかりを求めて(ひっかかりがないとそのままサラサラと読み終えてしまう)淡々と読むぼくを不安にさせるほどにひっかからない(ただたんにピンときていない、理解できていないだけ)。なんとか終盤に2カ所ほど付箋を貼りつけた(ひっかかりのしるし)ものの、とてもとても(多少の編集が加えられた?!復刊版を献本を受けたところで)書評らしきものを書き記せる気がしない。で、献本申込を見送って、しかし気にならないわけではない(あぁ悔しい?!)ので、ポチッと予約は8番目(ハヤカワ文庫版)、そのころまでにすこし頭のなかを整理しておこう(どうやって??!)。


≪目次: ≫
まえがき
1 「モノ」から「コト」へ
1 現代数学のイメージ(現代数学を比喩的に語る クラシックからモダンへ)/2 代数方程式の解法についての構造主義的方法(ギリシアの三大作図問題 定規とコンパスを代数的に見れば 作図できるとはどういうことか 数の拡大 方程式の解法理論 秘術としての三次方程式 五次方程式が解けない「こと」の証明 ガロアによる群の発見)/3 非ユークリッド幾何学の発見と別世界への旅(ユークリッドの原論 第五公理の異和 非ユークリッド幾何学前史 ガウスの登場 ボヤイとロバチェフスキー 非ユークリッド幾何学の無矛盾性 非ユークリッド世界のモデル 平行線が何本もある世界 数論の無矛盾性は保証されていない)/4 解析学における無限とり扱いマニュアル(ギリシアにおける無限 無限のパラドックス 「コト」としての無限 納得と説得の違い コーシーによる無限とり扱いマニュアル 「モノ」と「コト」)
2 無限の算術・集合論
1 再び「モノ」的無限へ(超越数π,eの問題 集合論の登場 集合論の最初の金字塔 集合の名づけ親カントール 一対一対応 無限を数える 無限という怪物 アレフゼロ 対角線論法 対角線論法を実行する 実数のほとんどは無理数 超越数の存在証明 実数のほとんどは超越数だった!)/2 果てしない無限の彼方(平面上の点の個数 対角線論法のエッセンス 無限に続く無限のはしご 連続体仮設)/3 集合論内の矛盾の発見と数学の危機(ラッセルのパラドックス 数学の危機と形式主義 公理的集合論は成功したか 数学者の二つの立場)
3 柔らかい空間・トポロジー
1 近さの発見から位相空間へ(距離空間の定義 近さの概念の導入 位相空間 差異化の構造)/2 位置とつながり方の幾何学(1)――グラフ理論(ケーニヒスベルクの橋の問題 グラフ理論の現代的可能性 植木算を一般化する JR線路網の切断 オイラー・ポアンカレの定理の証明)/3 位置とつながり方の幾何学(2)――ホモロジー理論(トーラスの切断 バラバラになるということ ホモロジー理論――デジタル量への変換 ホモロジー理論の限界 数学オブジェの復活)/4 位置とつながり方の幾何学(3)――ホモトピー理論(ホモトピー理論とは トーラスの結び目 カテゴリーとファンクター)/5 ポアンカレ予想と四次元空間(ポアンカレ予想の高次元での解決 異球面の発見 四次元空間の不思議)
4 形式の限界・理論学とゲーデル
1 納得、説得と論理(再び、納得と説得について 幾何学と論理)/2 論理の記号化(命題と真偽 命題を記号化する 真理表を作る “ならば”の意味づけ 複合命題の真理表 命題の差異化 自同律は不快か)/3 正しいことと証明できることの違い(意味論的方法 トートロジーの性質 「正しい」とは「証明できる」ことか 無意味な記号列としての論理式 形式的証明の方法 統辞論的方法 意味と形式)/4 模型としての論理の無矛盾性と完全性(Pの無矛盾性と完全性 弱いシステム、強いシステム)/5 形式の限界・ゲーデルの不完全性定理(自己言及による不思議の輪 ゲーテルの不完完全性定理 「この命題は証明できない」 決定不能命題 ゲーテルのコード化 システムとメタシステム 神の論理・人の論理)
5 現代数学の冒険
1 あいまいさの数学・ファジイ理論(「あいまいさ」と「でたらめさ」 主観に数値を与える ファジイ集合の性質 和集合・共通部分)/2 複雑さの数学・フラクタル理論(次元とは何か 「雪片曲線」の次元 カントールの不連続体の次元 自然の形とフラクタル)/3 不連続現象の解析・カタストロフィー理論(不連続現象の記述 カタストロフィー理論を見る トムの基本定理 現代数学の多様性)/5 コンピュータと現代数学・四色問題をめぐって(“悪名高い”難問 グラフ理論の置きかえ 手仕事の段階 コンピュータの登場 証明か否か)/5 現代数学・その意味と形式(再び「モノ」と「コト」について 「モノ」の復活 意味と無意味と)


≪著者: ≫ 瀬山士郎 (せやま・しろう) 1946年、群馬県生まれ。1968年、東京教育大学理学部数学科卒業。現在、群馬大学教養部教授。専攻は、位相幾何学、数学教育。1980年頃より、数学教育、とくに幾何教育に興味を持ち、数学絵本などの可能性を追いかけている。自宅でも、児童向けの「山猫文庫」を開いている。著書に、『ぐにゃぐにゃ世界の冒険』(福音館)、『トポロジー・柔らかい幾何学』(日本評論社)などがある。


山の緑はますます濃くなり、富士山の山影はますます薄くなり・・・・・・





はじめての現代数学 (数理を愉しむ)シリーズ (ハヤカワ文庫NF)
はじめての現代数学 (数理を愉しむシリーズ、ハヤカワ文庫NF)

○著者: 瀬山士郎
○出版: 早川書房 (2009/3, 文庫 240ページ)
○価格: 777円
○ISBN: 978-4150503468
おすすめ度:5.0
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書評/教育・学習

本「回教概論 (ちくま学芸文庫)」大川周明5

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回教概論 (ちくま学芸文庫)
回教概論 (ちくま学芸文庫)

○著者: 大川周明
○出版: 筑摩書房 (2008/8, 文庫 266ページ)
○価格: 1,050円
○ISBN: 978-4480091673
おすすめ度:5.0
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イスラーム”を知りたいと思ってすこしずつ関連する著書を読み進めているんだけど。いつもはあまり足を運ばないすこし遠い図書館で目にとまって、パラパラと見たところで難しそうだったからなんどかパスしたんだけど、やっぱり気になって他の本を目的として足を運んだ際に意を決して。旧い語り口で読み易くなくカンタンではないけれど♪

中村廣治郎による“解説”より、
ところで、日本は明治の開国によってイスラム世界と接するようになり、それと共にイスラムへの関心も徐々に生まれてくる。すなわち、日本は東アジアをめぐる欧米諸国やロシアとの国際政治の渦に巻き込まれていく一方、多くの日本人が商人、外交官、政府使節団、留学生としてイスラム世界を訪れ、あるいはそこを通過するようになる。明治の中頃からは日本人ムスリムも現れ始め、日露戦後の同四十二年には山岡光太郎が日本人最初のメッカ巡礼を行なう。彼はそこで大歓迎を受け、帰国後に『世界の神秘境――アラビア縦断記』を出版している。
この頃の注目すべきことは、すでに明治十年(一八七七)前後に、エジプトの法律文書が相次いで翻訳されたことである。不平等条約の改訂と日本の植民地政策への指針のために政府は、植民地化への瀬戸際にあったエジプトなどの実情をつぶさに知ろうとしていたのである。他方では、現地を訪れ、白人による有色人の迫害や虐待を目の当たりにして、同じ有色人として同情と義憤を覚える日本人も出てくる。例えば、東海散士はセイロン島に流刑の身にあったエジプト民族運動の闘士オラービー・パシャと会見して感銘を受け、その筆跡を政治小説『佳人之奇遇』(明治十八〜三十年)と『埃及近世史』(明治二十二年)にまとめている。このような流れの中から、日本を盟主とするアジア解放の思想が出てくるのである。  (P.254-P.255)


≪目次: ≫
はしがき
第一章 序説
第二章 アラビア及びアラビア人
第一節 アラビア半島/第二節 「天幕の民」/第三節 「屋壁の民」/第四節 アラビア人の宗教的信仰
第三章 マホメット
第一節 メッカに於けるマホメット/第二節 メディナに於けるマホメット/第三節 人間としてのマホメット
第四章 古蘭及び聖伝
第一節 古蘭の成立/第二節 古蘭誦出の年代/第三節 聖伝の発生/第四節 聖伝の編纂
第五章 回教の信仰
第一節 回教の信と行/第二節 アルラー/第三節 天使/第四節 予言者と経典/第五節 来世/第六節 定命
第六章 回教の儀礼
第一節 清浄 Tahâra/第二節 礼拝 Salât/第三節 捐課 Zakât/第四節 斎戒 Saum/第五節 参詣 Haji
第七章 回教教団の発達
第一節 初代四カリーファ時代/第二節 ウマイヤ朝と回教教団の分離/第三節 シーア諸派の興亡/第四節 回教に於ける政権と教権/第五節 政治団体としての回教教団の特質
第八章 回教法学の発達
第一節 回教法学の根本要素/第二節 回教法学の建設/第三節 回教法学の大成/第四節 回教法学及び法律の現在

解説 (中村廣治郎、東京大学名誉教授)

*本書は一九四三年三月、慶應書房より刊行された単行本版を底本としたが、アラビア語のローマ字表記における誤字脱字を可能な限り改め、適宜ルビをつけた。また一九九二年一月、中央公論社より刊行された文庫版を適宜参照した。


≪著者: ≫ 大川周明 (おおかわ・しゅうめい) 1886年山形県生まれ。1957年没。戦前の代表的な思想家。五・一五事件に関与したとして禁固5年の判決をうけ、戦後A級戦犯として起訴されるが病を理由に不起訴となる。インド独立運動に協力するなど、アジア主義的言論を繰り広げる。特にコーランの全文翻訳を成し遂げ、日本のイスラム研究に大いに貢献した。著書に『復興亜細亜の諸問題』『日本二千六百年史』『古蘭』『安楽の門』『大川周明全集』などがある。

佐藤優 『日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、2006)
井筒俊彦 『イスラーム文化 その根柢にあるもの』(ワイド版岩波文庫、1994)
井筒俊彦 『コーラン 〈上〉』(ワイド版岩波文庫、2004)
井筒俊彦 『コーラン 〈中〉』(ワイド版岩波文庫、2004)
井筒俊彦 『コーラン 〈下〉』(ワイド版岩波文庫、2004)


標高392m♪




本「孤独な少年の部屋」中島義道5

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孤独な少年の部屋
孤独な少年の部屋

○著者: 中島義道
○出版: 角川書店 (2008/3, 単行本 199ページ)
○価格: 1,575円
○ISBN: 978-4048839891
おすすめ度: 3.5
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子どものころの記憶をときおり想い起こして、とくに感傷に浸るでもなく、むしろ辛くて苦しかった、できることなら記憶から消し去ってしまいたいような触れたくないようなところをじくじくと、カンタンに結論めいたところに落ち着かせることをしたくない。今のぼくは、ぼくの在り方は、ひとつの考え方として、過去のさまざまな集積であり、ぼくがぼく自身をちゃんと知って理解するためのひとつの方法として(いまさらながらぼくは、ぼくがなにものであるのかちゃんと理解しておきたいのだ)、過去の出来事を記憶をさかのぼり、あらためて整理する作業に意義があるのかどうなのか。
なんでこんなに迷いまくって揺れまくって、考えが落ち着くことがないのか。そもそも落ち着くとは、考えがある程度まとまった状態を示すものであろうか。逆説的ではあるが、いっそのこと考えることを放棄して一切停止してしまうと、迷いや悩みは消えるのだろうとは真剣に考えている。考える主体としてのみずからの在り方を放棄して、他者(社会)に身を委ねて依存する在り方は、とりたてて実生活において不都合が生じることもなく、むしろ社会生活を円滑に営むうえでは必要とされるものであろうかとも。主体として在りたいと希求するから、その在り方に懸命だからこそ悩み迷うのであり、こだわりの度合いが高くなければ悩むことも迷うことも考えることもない、平安。
そんなあ〜でもないこ〜でもないことをつねに考えつづけているぼくだって、平安(のようなもの)を求める気持ちがないわけではない。気がつくと周囲の他人との距離にますます隔たりを感じるのがつねで、な〜にやっちゃてるんだか、たったひとりで、、、と淋しい思いがしないこともない(すぐに淋しさはみずから否定されて表面的には解消されてしまう、根っこの切れ端をより深くに残したままに?!)。しかし、ぼくが考えをまとめたいとつよく希求するぼく自身のことについては、あたりまえだけど考えるのはぼくひとりだ。ぼく以外の他人にはぼく以上に真剣に考えることはできないであろうし、最終的な判断をくだして行動をとるのは、やっぱりぼくひとり。そう考えるぼくがひとりになることは避けられないことであり、ごくごく自然(当然?!、必然!?)なことであるとも。


≪目次: ≫
地図 臣録洵◆娠宙/大豆の観察/昆虫採集・植物採集/紙芝居/歴史年表/理科ノート/製図/小遣い帳/ピアノ/英語/(絵)日記
あとがき (二〇〇八年 二月四日 立春 中島義道)

*本書は、小社のPR誌「本の旅人」(2006年8月号〜2007年9月号)に連載された作品を収録しました。


≪著者: ≫ 中島義道 (なかじま・よしみち) 1946年、福岡県生まれ。電気通信大学人間コミュニケーション学科教授(2009年3月退任)。専攻は時間論、自我論、コミュニケーション論。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ウィーン大学基礎総合学部哲学科修了。哲学博士。『うるさい日本の私』『孤独について』『醜い日本の私』『カントの時間論』『「死」を哲学する』『「哲学実技」のすすめ』『ひとを〈嫌う〉ということ』『生きにくい……私は哲学病。』『怒る技術』『ひとを愛することができない マイナスのナルシスの告白』など著書多数。


だいじょうぶ、だいじょうぶ、だいじょうぶだよ♪




本「人生、しょせん気晴らし」中島義道5

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人生、しょせん気晴らし
人生、しょせん気晴らし

○著者: 中島義道
○出版: 文藝春秋 (2009/4, 単行本 224ページ)
○価格: 1,550円
○ISBN: 978-4163711607
おすすめ度: 4.5
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ちょうど時間論についての考え方というのか向き合い方というのか姿勢というのかについて、どうしたものかと考えあぐね(カンタンにわからないと言及したくない!?)ながら、ぼくが勉強でつまずいたことの情景のひとつとして明確に思い浮かんだ、18歳で高校を卒業して浪人して、父親がすすめるままに(その当時ほとんどのことをぼくは決める必要がなかった)大手予備校の指定された教室に入って最初に受けた授業のチンプンカンプン。大勢の人びと(生徒)の視線のさきにはひとりの講師がホワイトボードに向かってマイクを使って早口でしゃべりながらはげしく書きまくっていて、それまで受験勉強らしきことをちゃんとしてこなかった(ぼんやりのんびりした)ぼくは、その雰囲気に怖気づいたのか、わからない、さっぱり勉強が、なにをやっているのかわからない理解できない、これだけの人たちに勝てる(受験で勝ち残って合格を勝ち取れる)気がしない、ぼくには無理だ、ここはぼくが居るべき場所じゃない?!、ぼくがここに居なくてもなにも変わらない誰も気がつかない、ぼくには無関係な場所だ!?、と思ってしまったのかどうなのか、すでに闘う前から意気消沈して尻尾をまいた負け犬。案の定、すぐに教室から足が遠のいてしまい、そんなへっぴり腰で大学に合格できちゃうほどに世の中は甘くない。どうしていいのかわからなかった。なにがわからないのかわからないままに、わからないままに途方にくれて、誰にも相談することもできないまま、ぼんやりしたままに時間だけは残酷なまでに精確にすぎていった。いまでもそんな状況になんの変わりも進歩もないのかもしれない。

「気晴らし」とは、パスカルの有名な言葉“divertissement”を翻訳したものです(「紛らせること」という翻訳もある)。・・・  (P.223、「あとがき」)



≪目次: ≫
「自由な生き方」という気晴らし
趣味の食卓/半穏遁の美学を貫く/単独者協会/後世に何も残したいものはない/悪が私を生かしてくれる/美しい不幸/おやじの思い出
「読書」という気晴らし
気になる他者、小林秀雄/不遇の時に読む本/私を変えた一冊/私の血となり肉となった三冊
「社会批判」という気晴らし
若者にきれいごとを語るなかれ/「生意気な学生」が絶滅した/テレビよ、さらば!/没落日記
「哲学」という気晴らし
ひきこもりと哲学/「恩師」ではない恩師/生命倫理学への違和感/「統覚」と「私」のあいだ/ショーペンハウアーの時間論
「人生相談」という気晴らし
20の質問と回答――哲学は人生を救えるか?
「対談」という気晴らし
意志は疎通しない(+パックン)/怒りにどう向き合うか?(+宮子あずさ)/騒音撲滅、命がけ(+呉智英
あとがき
初出一覧


≪著者: ≫ 中島義道 (なかじま よしみち) 1946年生まれ。東京大学教養学部・法学部卒業。同大学院人文科学研究科修士課程修了。ウィーン大学基礎総合学部哲学科修了。哲学博士。専門は時間論、自我論。「哲学塾カント」を主宰。著書に『ウィーン愛憎』『哲学の教科書』『時間を哲学する』『人生を〈半分〉降りる』『カントの人間学』『うるさい日本の私』『愛という試練』『悪について』『私の嫌いな10の人びと』『「死」を哲学する』『観念的生活』『カントの読み方』などがある。


ワル




本「モーツァルトの息子 史実に埋もれた愛すべき人たち (光文社知恵の森文庫)」池内紀5

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モーツァルトの息子   史実に埋もれた愛すべき人たち (知恵の森文庫)
モーツァルトの息子 史実に埋もれた愛すべき人たち (知恵の森文庫)

○著者: 池内 紀
○出版: 光文社 (2008/2, 文庫 283ページ)
○価格: 720円
○ISBN: 978-4334784997
おすすめ度: 5.0
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「Take it easy…」と、ふと思い浮かんだ。
なんとなく気が向くままに日々本を読み耽り好き勝手思いつくままに書き記しているぼくの本職?!は「ふどうさんや」の事務職(おもに個人住宅の売買契約にかかわる)で、どうやらそれで飯を食って家族を養って(子どもの養育費)いくことになるのだろうなぁ、などとボンヤリと思っているのだが、このままなんとなく時間がすぎて、なんとなく死んでしまうのかと思うと、きっとそうなのであろうと思えば思うほどに、だからと言ってなにがしたいということも明確にはない(じつはないこともない?!)のではあるが、気負ってみたところで一足飛びにカンタンになんらか成し遂げられるものでもなかろうが。。。
ところで、「なるようにしかならない」とは、かつてはなんの根拠もないままに(さらには努力を怠っていながらも)楽天的に考えることができていた(無自覚に、宝くじが大当たりしたり?!、大革命でも起こるべく??!)のだが、まさにみずからの行動の責任はその過去の怠惰さをも含めた行動の蓄積をすべて負うべく、「なるようにしかならない」のであり、一見して悲観的に考えてしまいそうになるのだが、一旦は悲観的に考える(自覚する)べきであるのかもしれないが、そもそもが「なるようにしかならない」(たかが知れている?!)のでもあろうことを考えるに、悲観したところでどうにもしようがないのであり、まぁ「なるようにしかならない」のであろうと♪


≪目次: ≫
機 .ュゼラーク来たる/モーツァルトの息子/リーケ叔母さん/国王を殺したら?/財政の天才/殺される理由/貴族の血/悪の哲学
供 \産あらわれる/欺瞞の辞典/ゲーテの愛でし子/顔に憑かれた男/黒い書簡集/家具の名づけ親
掘 .侫蝓璽瓮ぅ愁麒典/食通王/屋根裏のひとり者/七色の声/スザンヌの微笑/居酒屋の画家/アメリカの哲人
検 〇僂両辰景/耳なしウィリー/聖アドルフの帝国/自由に生きる/森の聖書/室内旅行家/尻の哲学恋人のつとめ/ヒトラーの兄弟
文庫版のためのあとがき (二〇〇八年一月 池内 紀)

*本書は『姿の消し方』(一九八八年/集英社刊)を改題のうえ、文庫化したものです。


≪著者: ≫ 池内 紀 (いけうち おさむ) 1940年兵庫県姫路市生まれ。ドイツ文学者、エッセイスト。1966〜1996年、神戸大、都立大、東大でドイツ語、ドイツ文学の教師。その後は文筆業。主な著書に『諷刺の文学』(白水社、亀井勝一郎賞)、『海山のあいだ』(マガジンハウス・角川文庫、講談社エッセイ賞)、『森の紳士録』(岩波新書)、『ゲーテさん、こんばんは』(集英社文庫、桑原武夫学芸賞)、『となりのカフカ』『なぜかいい町一泊旅行』(光文社新書)など。主な訳書は、ゲーテ『ファウスト』(集英社文庫、毎日出版文化賞)、『カフカ小説全集』(全6巻、白水社、日本翻訳文化賞)など。旅のエッセイも多い。


月夜見第一駐車場(奥多摩周遊道路)♪




本「時間は実在するか (講談社現代新書1638)」入不二基義5

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時間は実在するか (講談社現代新書)
時間は実在するか (講談社現代新書1638)

○著者: 入不二基義
○出版: 講談社 (2002/12, 新書 315ページ)
○価格: 819円
○ISBN: 978-4061496385
おすすめ度: 4.5
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記憶している限りでは“永井均”の著書において、つよくすすめられていて(いずれの著書であったかの記憶はないが)本書を手にした♪
あいもかわらず読み終えたにもかかわらず、まったくわかった気はしていないので、著書の記述内容について触れる(要約したり批評?!したりする)ことはできない(無能力)のではあるが、それでも、なんだかんだと言いながらも読み切ってしまっていることを考えるに、どうしてもダメというわけではないようだ。さすがに300ページを超える著書を読み切るにはそれなりの時間と気力を要するのであって、拒否反応を示したままに耐えられるものではないハズであり、好んで手にすることを止める気配がないようでもある。そもそもいきなり最初からわかってしまうようでは、ぼくが天才であるか(その可能性は残念ながらないようだ)、もしくは著書の記述内容のレヴェルが高くないか、ということでもあろうことから、なんとも生意気なことに「カンタンな著書を読む気がしない!」などと言ってみたりしちゃう、無自覚。ますます著書を読んだことに(ただただ読んだというだけでしかないのに)かこつけて、無関係なことを書き記してしまうことに、ヒリヒリとした違和感?!をいだきながら、「とりあえず」、〈ぼく〉が思索するためのキッカケとしての、解放であったり理解であったりを得るための書き記しと位置づけたい!


この本がこれから試みるのは、イギリスの哲学者J・M・E・マクタガート(John McTaggart Ellis McTaggart, 1866-1925)の「時間の非実在性」についての議論をゆっくりとていねいに追いかけることであり、その議論を内側から徹底的に批判することであり、さらにその議論を超えて、私自身の「時間の形而上学」を描くことである。読者にそのプロセスをいっしょに辿ってもらうことによって、一つの哲学的な思考を追体験してもらえるならば、筆者としてはとても嬉しい。
マクタガートが提示した「時間の非実在性」の証明は、「時間は実在しない」ことを論証しようとするユニークな試みである。その試みは、完璧に成功しているとは言えない。しかし、その証明は、「失敗」を抱え込むことによって、少しも価値は下がらない。むしろ、その「失敗」こそが固有の価値であり、時間についての新たな思索へと通じる開口部に他ならない。  (P.7、「はじめに」)


≪目次: ≫
はじめに
第一章 「時間の非実在性」はどう考えられてきたか
「実在」の第一の意味/「飛ぶ矢のパラドックス」の拡張/パラドックスのその先/アリストテレスによる批判/「今」についてのディレンマ/ディレンマは解消できるか?/「時が過ぎゆく」ことの否定――『中論』第二章の場合/「実在」の第二の意味と第三の意味/心(魂)へ依存する時間――アウグスティヌスの場合/過去・現在・未来の三区分――『中論』第十九章の場合/ナーガールジュナとマクタガートの接点/時制と時間/まとめ
第二章 「時間の非実在性」の証明(1)――証明の前半
証明のアウトライン/述べられていない前提――矛盾と実在/ステップ1 A系列とB系列/ステップ2 B系列と時間/B系列は「変化」をほんとうに説明できないのか/ステップ3 A系列と時間/A系列は時間にとってほんとうに不可欠か/架空の話の中の時間/複数の実在する時間/A系列とB系列の依存関係/C系列/C系列+A系列=B系列/三つの立場
第三章 「時間の非実在性」の証明(2)――証明の後半
証明の後半のアウトライン/実在(reality)と存在(existence)/時間的な存在と無時間的な存在/A系列は矛盾を含む/A系列は矛盾を含まない/それでもA系列は矛盾を含む/証明のゴール/反論の検討(1)――「時間」を究極的とみなす議論/反論の検討(2)――「未来」についての議論/反論の検討(3)――「体験される時間」についての議論/残る「実在」
第四章 証明は成功したのか
この章の概略/ 「実在しない」とは、どのようなことであるべきだったのか?(客観的なものとしての実在/「現実性としての現在」という実在/全体としての実在/「未来」について)/ A系列が矛盾することは、ほんとうに証明されたのか?(矛盾と循環・無限後退/時間的な排他性/もう一つの循環・無限後退/A系列論者とB系列論者/時制(テンス)の消去を批判する――A系列論者/無時制的(テンスレス)な時間を擁護する――B系列論者/時制を持った時間を、無時制的な時間へと翻訳する/再び時制(テンス)の消去を批判する――翻訳の失敗/バージョンアップしたB系列論者/A系列論者とB系列論者の対立/矛盾を捉え直す/三つの形而上学的な立場)/ A系列とB系列の関係は、ほんとうはどのようなものなのか?(A系列とB系列の区別と関係/A系列の内なるB系列/A系列と変化)
第五章 もう一つ別の時間論――第四の形而上学的な立場
全体と局所と矛盾/「とりあえず性」/そのつどの分割/二種類の差異を反復する「である」/関係としての時間(時間の関係的な側面)/永遠の現在(nunc aeternum)/最小限のA系列/A特性の「あいだ」/「なる」という推移/動く「今」の誤解/無関係としての時間(時間の無関係的な側面)へ/「とりあえず」という原-抑圧/「無」でさえない未来/夢の懐疑/現在だったことのない過去/第四の形而上学的な立場をふり返る/過去と未来の区別がなくなっていく/矛盾再説/「時間は実在するか」という問い


文献案内
あとがき(二〇〇二年十月一日 入不二基義)


≪著者: ≫ 入不二基義 (いりふじ・もとよし) 1958年11月11日生まれ。東京大学文学部哲学科卒。同大学院博士課程単位取得。現在(刊行当時)、山口大学助教授、山口大学時間学研究所主任研究員(現在は青山学院大学教授)。専攻は哲学。著書に『相対主義の極北』(春秋社)、『時間と時』(共著、学会出版センター)などがある。


cloudy




本「日本国憲法」まっとうに議論するために (理想の教室)」樋口陽一5

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「日本国憲法」まっとうに議論するために (理想の教室)
「日本国憲法」まっとうに議論するために (理想の教室)

○著者: 樋口陽一
○出版: みすず書房 (2006/7, 単行本 177ページ)
○価格: 1,575円
○ISBN-13: 978-4622083221
おすすめ度: 4.5
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「あぁ歳とっちゃったなぁ〜」と思ったのは、会社の若い(といっても30歳前後の中堅どころの)スタッフたちが、会社のやり方(経営方針?!)にたいする不平不満をあげて、なにやらあ〜したほうがいいだのこ〜したほうがいいだのと内輪で画策しているのを目にして耳にして、、、ぼくは知らんぷりを装って、もっともすでに革命的などと言ってみたら大袈裟にすぎるかもしれないけれど「現状を打破して改革せよ!」みたいなノリにはいまとなっては興味も関心もまったくないのであって、やりたけりゃ好きにやりたいように気が済むまでやってみればいい、ご自由にどうぞ♪、(なるようにしかならないのだから!?)が、ぼくのスタンスかなぁ。ところがそんな冷めた態度のぼくだって、かつて(能力であり権限でありを自覚しちゃうことになる前まで)は黙っていられなかったし、ずいぶんと闘った。だから気持ちがわからないわけではない。むしろ、よくわかるだけに、やるな、とも、やめろ、とも、無駄だ、とも言う気はない。闘う気力があるうちには、ぜひとも闘いを挑むべきだと思う。

橋本治『二十世紀(上・下)』(ちくま文庫、2004)にあって1900年代を幅広く読み解かれて、それまでぼくが漠然といだいていた1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終戦を神聖化しちゃって畏れ多く近づきがたい印象であり解釈をもって忌避しちゃっていた部分を、ほぐしていきたいと思ったのかどうなのか?!、テクストとしての『日本国憲法』、1947年5月3日施行。


≪目次: ≫
はじめに
迷路へのチャレンジ/言葉の重み/全体としての国民と、ひとりひとりの国民個人/「Nation」とは?/国民国家か民族国家か/統合型と多元型
第1回 「憲法」とは ―― 四つの八九年
憲法を「確定」するということ/「憲法」を制定するということ/「人類普遍の原理」/日本近代のはじまりと立憲主義/帝国憲法のあゆみ――光と影/四つの八九年/憲法に「自国らしさ」を?/誰にとっての「おしつけ」?/外来のものが定着した例/二つの『敗戦日記』から/「最高法規」としての憲法/憲法「制定」権力と憲法「改正」/「憲法改正の限界」/憲法を「尊重し擁護する」義務/「自由の敵には自由をみとめない」?
第2回 「人」としての権利(1)―― 個であることの「淋しさ」に耐える
「個人として尊重される」/「人」権の含意/主権――個人の解釈と個人への抑圧/「恩賜的」民権と「恢復的」民権/「人」権に対する疑問と難論/「強い個人」という想定/「私の個人主義」の「淋しい心持」/「因襲を破る」危険な自由/「権力」vs「自己本位」/「金力」vs「自己本位」/国家からの自由と社会的権力からの自由/信教の自由vs政教分離/「みんなで決めてはいけないことがある」/「自分でも決めてはいけないことがある」?/「家」の旧秩序を否定/「自己本位」と家族の間の緊張?/「ジェンダー」とジャンル
第3回 「人」としての権利(2)―― 自由と・または公正
「公共の福祉」が出てくる条文/「プロパティ」の意味/「社会的権利」の登場/「胸の肉一ポンド」は?/独占禁止法の論理は/独占の自由か独占からの自由か/「真理と虚偽を組打ちさせよ」/言論市場の閉塞?/「等しきものを等しく」/条件の等しさを求めて
第4回 「市民」としての権利 ―― 公共社会を自分たちがつくる
「市民」の権利――主権に参加すること/権力の分立/権力の集中を前提とした分立/権力分立論者ルソー/権力分立機構と国民とのつながり/「代表」――個別利益の代弁を禁止/「半代表」という考え方/政党の位置づけ/議会政治and/or政党政治/責任内閣へのあゆみ/「国会」に対する責任/二院制には今日なお意味がある/「責任」とは/裁判する権力――二つの見方/日本は――アメリカ型でもヨーロッパ型でもなく?/裁判官の「職権」の独立/「裁判官」の職権の独立/「判例」というもの/裁判官を hire し fire する?/違憲審査という問題性/「ただ乗り」と「わる乗り」?
第5回 第九条 ――「汝、平和を欲すれば…」
主権国家と国際法/国家の主権の相対比/憲法九条の背景にあるのもの/第二項の意義/九条改憲?
おわりに
日本人のDNA?/Land と Nation と State/「かたち」の中身を埋めるのは/「近代の超克」?/自己への疑いをつきぬけて

資料:日本国憲法 [全文] (一九四七年五月三日施行)
読書案内


≪著者: ≫ 樋口陽一 (ひぐち・よういち) 1934年、仙台市生まれ。憲法研究者。東北大学法学部卒業。東北大学教授、パリ第二大学客員教授、東京大学教授などを歴任。現在、日本学士院会員、フランス学士院準会員。著書として、専門書 :『憲法』(創文社)、『憲法 近代知の復権へ』(東京大学出版会)、入門書 :『一語の辞典/人権』(三省堂)、『もういちど憲法を読む』(岩波書店)、新書 :『憲法と国家』(岩波書店)、『個人と国家』(集英社)、ブックレット :『先人たちの「憲法」観』(岩波書店)ほか。


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ここで世界の流れを大きくふりかえってみますと、立憲的意味の憲法は、曲折を経ながらも、たしかに、大づかみにいえば、「人類普遍」に向けてあゆんで来ています。私はそれを、「四つの八九年」という言い方で表現しています。
まずはイギリスで一七世紀の内戦と革命の決着としての一六八九年「権利章典」があり、ついでフランス革命一七八九年人権宣言があります。一八八九年はほかならぬ大日本帝国憲法であり、立憲主義が展開してきた西欧文化圏の外側からの参入をこころみ、一九三〇年代後半の世界規模の危機の中で破局を経験しながらも、日本国憲法によってあらためて「人類普遍の原理」を掲げることになりました。そして一九八九年です。立憲的意味の憲法の核心にある権力制限の原理に対し、「権力の民主的集中」を掲げて対抗してきた旧ソ連・東欧諸国での一党支配の解体です。  (P.29、「四つの八九年」)


本「思考のトポス 現代哲学のアポリア」中山元5

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思考のトポス-現代哲学のアポリアから
思考のトポス 現代哲学のアポリア

○著者: 中山 元
○出版: 新曜社 (2006/6, 単行本 288ページ)
○価格: 2,625円
○ISBN: 978-4788510043
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とてもとてもわかった気がしなくて気が遠くなりそうだけど、目の前の山(壁のように立ちはだかる)はのぼるためにあるのであって、そこに山があるからのぼるのかなぁ。ぼくが選択する方法のひとつにはしっぽをまいて逃げだす、見ないふり見えないふりをして忘れてしまう、だってあろうけれど(ラクであろう選択への迷いがないわけではない)、どこまでいけるのかなぁ、とりあえず一歩一歩進んでみる、をぼくは選択したい。

現代の哲学の最大の特徴は、近代の哲学的な枠組みかが崩壊し、さらにそれまでの道徳的な原理そのものが破砕されたところから出発しなければならなかったことにある。アドルノが明言したように、哲学は「アウシュヴィッツの後で」、いかにして可能となるかという問いから始めなければならなかったのである。
アウシュヴィッツが明らかにしたのは、ナチズムが近代の哲学の枠組みからの逸脱であると同時に、近代の哲学の一つの帰路でもあるということだった。・・・  (P.3、「はじめに」)



≪目次: ≫
はじめに
第一章 危機の哲学
表象の文化とテクノロジー/第一哲学/道具的理性
第二章 哲学のアポリア
モナドの神学/司牧者の権力/ロゴス中心主義/ファロス中心主義/動物論的差異
第三章 病の診断
生の権力/確率論的理性/自己免疫/剥き出しの生/アルカイックなもの
第四章 方法論
見えるものと見えないもの/問題構成(プロブレマティック)/装置/ミメーシス/シミュラークル/リゾーム/ミクロロギー/脱構築
第五章 言語と公共性
私秘的な言語/治療法としての哲学/普遍的語用論/相互承認/コミュニケーション的理性/社会システム論/オートポイエーシス/生活世界/パレーシア/公共性
第六章 差異と同一性
争異/ヘテロロジー(異質なものの学)/このもの性/アポリア差延/コーラ/性的差異
第七章 他なる知と身体
暗黙知/異言と舌語/インファンス/遊歩/欲望する機械
第八章 時間と他者
記憶と想起/あとから性(事後性)/忘却の力/イリヤ/友愛の政治学/よそ者性/痕跡/人質/ヴァルネラビリティ(脆弱性)

索引


≪著者: ≫ 中山 元 (なかやま・げん) 1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。哲学者,翻訳家。主な著書に,『思考の用語辞典』『〈ぼく〉と世界をつなぐ哲学』『フーコー入門』(いずれも筑摩書房),『はじめて読むフーコー』(洋泉社)がある。またデリダ『パピエ・マシン』(筑摩書房)ファーン『考える道具』(角川書店)ウッド『資本の帝国』(紀伊国屋書店)など,多数の翻訳書がある。


at dawn




本「マンガは哲学する (岩波現代文庫)」永井均5

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マンガは哲学する (岩波現代文庫)
マンガは哲学する (岩波現代文庫)

○著者: 永井 均
○出版: 岩波書店 (2009/4, 文庫 254ページ)
○価格: 945円
○ISBN: 978-4006031831
おすすめ度: 5.0
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わかっていない(わからない)ままに書き記している、不安!?、なんてカンタンなものじゃない、カンタンにはカテゴリできない違和感(のようなもの)、ことばにできない(単純に能力不足)ヒリヒリとしたものをつねに感じながら、だからこそ書き記すのかもしれないね。ぼくの越権行為性であり、無自覚さ無能力さを考えるに、どう考えても書いちゃいけないよ。書くことが許されるはずなどあるわけがないがない!、と思わないときはない(だからすぐにカンタンになにも書けなくなっちゃう)。誰の目にも触れることがない個人的なノートにでも書き記して机の引き出しに鍵でもかけてしまいこんでおくのならともかく、公開されたウェブ空間にあるブログに、さらには著者がいる(心血を注ぎこんだ)著書を読んだことに乗じて書き散らすだなんて、いい歳した大人のやることじゃない!?、礼を失するにもほどがあるよ。などと言われたら、反論することばもない。それでも止めることはできないだろうなぁ。ぼくには必要なんだよ。そのことに意味があるのか意味などないのか、どんな意味があるのか、ぼくにはうまく説明をすることはできないけれど、意味がないことはない、との確信をいだいていると言ったらオカシイだろうか。


≪目次: ≫
まえがき (一九九九年十一月 永井 均)
第一章 意味と無意味
1 相対主義の原理と限界――藤子・F・不二雄「気楽に殺ろうよ」,「流血鬼」/2 異文化との出会い?――藤子・F・不二雄「ミノタウロスの皿」,「サンプルAとB」,「絶滅の島」/3 この話に作者はいるか――手塚治虫「ブラック・ジャック――第七話 幸運な男」/4 言語ゲームと哲学的感度――吉田戦車『伝染るんです』/5 感情の客観性(1)――中川いさみ『クマのプー太郎』/6 感情の客観性(2)――諸星大二郎「感情のある風景」/7 感覚の客観性――城アラキ・甲斐谷忍『ソムリエ』/8 合理性の洞察――福本伸行『カイジ』
第二章 私とは誰か?
1 死んだのは誰か――萩尾望都『半神』/2 愛は記憶を超える?――萩尾望都『A―A'』/3 私は記憶を超える?――吉野朔美『ECCENTRICS』/4 この身体は私のものか――士郎正宗『攻殻機動隊』/5 もうひとりの私――高橋葉介「壜の中」/6 私は二人いる――川口まどか「ツイン・マン」/7 今はオレだ!――田島昭宇・大塚英志『多重人格探偵サイコ』
第三章 夢――世界の真相――
1 夢はわたしに覚める――高橋葉介「夢」/2 固有の夢こそが現実をつくりだす――佐々木淳子「赤い壁」/3 現実という性質は客観的か――佐々木淳子「メッセージ」/4 現実は映像か――佐々木淳子「Who!」/5 夢の懐疑とロボットの懐疑――諸星大二郎「夢みる機械」/6 神の不在証明は可能か――楳図かずお『洗礼』
第四章 時間の謎
1 ドラえもんは何のためにいるのか――藤子・F・不二雄『ドラえもん』/2 殺されつづけるのは誰か――手塚治虫『火の鳥――異形編』/3 過去に対して悪をなすことは悪か――星野之宣『ブルーホール』/4 回帰は実在するか――佐々木淳子「リディアの住む時に」/5 自分会議の決定を尊重すべきか――藤子・F・不二雄「自分会議」
第五章 子ども VS.死――終わることの意味
1 未来にまかれた種としての子ども――楳図かずお『漂流教室』/2 子どもという狂気――楳図かずお『わたしは真悟』/3 なぜ子どもは大人になるのか――諸星大二郎「子供の遊び」/4 大人のなり方(1)――松本大洋『鉄コン筋クリート』/5 大人のなり方(2)――吉野朔美『ぼくだけが知っている』/6 純化された死――永井豪「霧の扉」/7 包み込まれていく死――しりあがり寿『真夜中の弥次さん喜多さん』
第六章 人生の意味について
1 被差別空間の感触――西原理恵子「はにゅうの夢」/2 人生の意味と幸福――業田良家『自虐の詩』/3 「真実の愛」が見つかるまで――しりあがり寿『ヒゲのOL藪内笹子』/4 捨てるべきものがあれば――坂口尚『あっかんべェ一休』/5 いながらにしていない――つげ義春「無能の人」/6 これが究極超人か!――ゆうきまさみ『究極超人あ〜る』/7 これも究極超人だ――赤塚不二夫『天才バカボン』
第七章 われわれは何のために存在しているのか
1 倫理から存在論へ――星野之宣『2001夜物語』/2 答えを超える問い――石ノ森章太郎『リュウの道』/3 何も守らぬ闘い――永井豪『デビルマン』/4 守るべきもののリアリティ――岩明均『寄生獣』/5 私は何のために生まれてきたの?――星野之宣『スターダストメモリーズ』

あとがき
著作の秘められた意図――講談社+α文庫版のためのあとがき (二〇〇四年七月)
現代文庫版のためのあとがき (二〇〇九年二月)
解説 哲学の旅 (萩尾望都)


*本書は,講談社より二〇〇二年二月単行本として、二〇〇四年八月講談社+α文庫の一冊として、それぞれ刊行された。底本には講談社+α文庫版を用いた。


≪著者: ≫ 永井 均 (ながい ひとし) 1951年東京生まれ.慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得.専攻は哲学・倫理学.千葉大学教授などを経て,現在日本大学文理学部哲学科教授.主な著書に『〈私〉のメタフィジックス』『〈私〉の存在の比類なさ』(勁草書房),『〈子ども〉のための哲学』『これがニーチェだ』『私・今・そして神』(講談社現代新書),『ウィトゲンシュタイン入門』(ちくま新書)『西田幾多郎』(日本放送出版協会),『転校生とブラック・ジャック』『なぜ意識は実在しないのか』(岩波書店)ほか.


Tokyo Tower




本「転校生とブラック・ジャック 独在性をめぐるセミナー (双書・現代の哲学)」永井均5

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転校生とブラック・ジャック―独在性をめぐるセミナー (双書・現代の哲学)
転校生とブラック・ジャック 独在性をめぐるセミナー (双書・現代の哲学)

○著者: 永井 均
○出版: 岩波書店 (2001/6, 単行本 203ページ)
○価格: 2,940円
○ISBN: 978-4000265850
おすすめ度: 5.0
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哲学やら倫理学やらが学問にカテゴリーされるものであり、学ぶ存在(主体?!)としての生徒(学生)がいて、教授するべく先生がいて、そうして学問として成立するのかしら。そこでいわゆる先生と呼ばれる立場に立つ自信もなければ希望もしない(と言ってしまうと意識していないわけではないことがバレてしまう?!)のであり、さらには生徒の立場になる気はまったくない、などと言ってしまうと、すでに学問の枠からハズれてしまうであろうことから考えるに、哲学って若い人向け、とくには学生にたいするものなのかしら(ぼくはすでに歳をとりすぎているのかもしれない)。そう、教えてもらうなんて、ぼくのなかには表面的には場面に応じて演じてみせることはあっても、本心からそう思うことは想像できないんだなぁ。いったん教えられちゃったら、その立場というのか上下関係というのか主従関係というのかは基本的に不変のものとして固定されちゃうものだろうと勝手に解釈しちゃっていて、そうじゃないケースもあることをも理解していないわけじゃない、まずは生徒を経て先生の教授を経て、ときに挑んでみたりして、生徒を経なければ先生になることだってできなかろうけれどね。ぼくはね、過剰に反応しすぎていることを否定できないんだけど、「お前はダメだ」とか「バカだなぁ」「ダメだなぁ」などと言われてしまうと、もっと言うと、そう言われているのを目にして耳にするだけでもメチャクチャ凹んで落ち込むんだ。気にしすぎだと思うよ。軽い冗談だよ、本気で言ってるわけじゃないよ、ってことだって、わからないわけじゃない。そうだと思うよ、本気で言ってるわけじゃないだろうと、ぼくだって思わないわけではないよ。気にする必要なんて、まったくないと頭でわかっていながら、しっかり体は反応してしまう、とってもとってもかなしくなって、ホントにホントにふさぎこみたくなる。


≪目次: ≫
序章 火星に行った私は私か
第1章 人称の秘密――デカルト『省察』からの逸脱的セミナー
第2章 私的規則の本質――Dのレポート
第3章 「転校生とブラック・ジャック」――本文の提示と、それをめぐる短いセミナー
第4章 なぜぼくは存在するのか――Eのレポート
第5章 存在と持続――パーフィットの『理由と人格』第三部をめぐる継続的セミナー
セミナー1 火星への遠隔輸送は可能か/セミナー2 デカルトはカントを超える?/セミナー3 独在性とは何か
第6章 中心化された可能世界――Fのレポート
第7章 談話室――哲学的議論のための要諦
第8章 記憶の変化は記憶できない――Gのレポート
終章 解釈学・系譜学・考古学
初出一覧


≪著者: ≫ 永井 均 (ながい・ひとし) 1951年生まれ.専攻,哲学・倫理学.慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得.現在(刊行当時),千葉大学文学部教授(現在、日本大学教授).主著:『〈私〉のメタフィジックス』『〈魂〉に対する態度』『〈私〉の存在の比類なさ』(勁草書房),『ウィトゲンシュタイン入門』(筑摩書房)『翔太と猫のインサイトの夏休み』(ナカニシヤ出版), 『これがニーチェだ』(講談社現代新書)


だいじょうぶ、だいじょうぶ、だいじょうぶだよ♪




本「倫理とは何か 猫のアインジヒトの挑戦 (哲学教科書シリーズ)」永井均5

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倫理とは何か―猫のアインジヒトの挑戦 (哲学教科書シリーズ)
倫理とは何か 猫のアインジヒトの挑戦 (哲学教科書シリーズ)

○著者: 永井 均
○出版: 産業図書 (2003/2, 単行本 239ページ)
○価格: 2,310円
○ISBN: 978-4782802090
おすすめ度: 5.0
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≪目次: ≫
序章
アインジヒトとの遭遇 何が問題か?
第1章
M先生の講義機プラトンアリストテレス(真の幸福について)
1、プラトン――調和と恋/2、アリストテレス――幸福と中庸
アインジヒトとの議論機/佑呂澆兵分の幸福を求めているか?
第2章
M先生の講義供ホッブズヒューム社会契約について)
1、ホッブス――社会契約説の原型として/2、ヒューム――社会「黙約」説
アインジヒトとの議論供ー匆餬戚鵑浪椎修?
第3章
M先生の講義掘ルソーカント(「自由」について)
1、ルソー――一般意思としての「自由」/2、カント――断えざる社会契約としての「自由」
アインジヒトとの議論掘功利主義の普遍化は不可能か?
第4章
M先生の講義検ベンサムミル(利己主義について)
アインジヒトとの議論検利己主義と《魂》に対する態度
第5章
アインジヒトのはじめての講義 ニーチェとキリスト教道徳
第6章
M先生の講義后仝渋緡冤学(メタ倫理学正義論
アインジヒトとの議論后,海譴らの論議のどこがつまらないか?
第7章
アインジヒトとM先生の直接対決 なぜ道徳的であるべきか?
第8章
アインジヒトとの最後の議論 語りえぬことについては黙ってやらざるをえない
あとがきにかえて
索引


≪著者: ≫ 永井 均 (ながい ひとし) 1951年 東京都に生まれる。1974年 慶応義塾大学文学部卒業。1982年 慶応義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得。現在(刊行当時)、千葉大学教授(現在、日本大学教授)。専攻/哲学・倫理学。著訳書 『〈私〉のメタフィジックス』(勁草書房),『〈魂〉に対する態度』(勁草書房),『〈私〉の存在の比類なさ』(勁草書房),『翔太と猫のインサイトの夏休み』(ナカニシヤ出版),『ウィトゲンシュタイン入門』(ちくま新書)『〈子ども〉のための哲学』(講談社現代新書)『これがニーチェだ』(講談社現代新書)『ルサンチマンの哲学』(河出書房新社),『子どものための哲学対話』(講談社),『マンガは哲学する』(講談社),『転校生とブラック・ジャック』(岩波書店),他。


ぼく、ワルくない・・・?!




本「二十世紀 〈下〉 1946〜2000  Osamu Hashimoto, The 21th century 1946〜2000 (ちくま文庫)」橋本治5

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二十世紀〈下〉 (ちくま文庫)
二十世紀 〈下〉 1946〜2000  Osamu Hashimoto, The 21th century 1946〜2000 (ちくま文庫)

○著者: 橋本 治
○出版: 筑摩書房 (2004/10, 文庫 337ページ)
○価格: 756円
○ISBN: 978-4480420206
おすすめ度: 4.0
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1946年から始まる『二十世紀』下巻は、単純で軽薄で「そうだよねぇ〜、やっぱり第二次世界大戦を境目にして世の中は大きく変わるんだよねぇ〜」と信じて疑わないぼくにとって、えぇえぇぇ〜♪、そもそもたったいちねんでなにが大きく変わりえようか?、ところが変わらないことなどはなにもない。いちねんごとに、橋本治がみずからあとがきに明かす、最も個人的な本であり、子どものころにいだいた「自分の生きている社会はどっかがへんだ」「どんないきさつで“こんな時代”になったのだろう」がもととなって書き連ねられる。カンタンにわかるものではない。ところどころがつながって、新たな情報がさらなる混乱を起こして、二十世紀♪

二十世紀 〈上〉 1900〜1945

1946〜2000
あとがき

*本書は二〇〇一年一月三十日、毎日新聞社より刊行されたものを二分冊のうえ文庫化したものです。


≪著者: ≫ 橋本 治 (はしもと おさむ) 1948年3月東京生まれ。東京大学文学部国文科卒業。'77年『桃尻娘』で講談社小説現代新人賞佳作。以後、小説・評論・古典の現代語訳・エッセイなど、精力的に執筆活動中。著書に『桃尻語訳枕草子』『絵本徒然草』『窯変源氏物語』。ちくま文庫収録作に『これも男の生きる道』『宗教なんかこわくない!』『これで古典がよくわかる』など。


紫外線♪




本「西田幾多郎 〈絶対無〉とは何か (シリーズ・哲学のエッセンス24)」永井均5

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西田幾多郎―「絶対無」とは何か (シリーズ・哲学のエッセンス)
西田幾多郎 〈絶対無〉とは何か (シリーズ・哲学のエッセンス24)

○著者: 永井 均
○出版: 日本放送出版協会 (2006/12, 単行本 109ページ)
○価格: 1,050円
○ISBN: 978-4140093368
おすすめ度: 4.5
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倫理と論理と理論と、えぇ〜い、ぼくにはいずれも“ことば”の定義が不明確なうえに、なんだか似ていてまぎらわしくて、、、いくらなんでも、わからない!、と開き直るのはおとなげない気がしないわけでもない。わかる努力を放棄することは、他人ならともかく(他人のことはぼくの関与するところではない)、みずからのこととしてはどうにも許したくない。しかし、現実としてぼくの能力の程度とはそんなもので、まずは現状の低いレヴェルを自覚してこそ、今が低いからこそ高いところを目指すことができようか。ときにイライラしてみたり、落ち込んでみたり、嫉妬して羨望して、凹んで、、、まぁフツーに違和感というのか、むかつきやら吐き気やら嘔吐なんてことばであらわされてしてみたりするのかなぁ、カンタンにストンと落ちることなく、どうにもこうにもスッキリしないままにある状態を安易に放棄しちゃわない、そのヘンな状態にとどまりつづける。そんなことになんの意味があるんだろう♪

ぼくのうちにず〜っと抱えつづけてきた違和感(のようなもの?!)がいま、なんだか好い感じに違和を醸していて?!、ちょっとこの“おかしなヤツ”を、なんとかことばにしたいと思っているんだけど、そのうちに消失しちゃうんじゃないかとときに焦ってみたり、まぁそんなことで消失しちゃうようなものはそもそもその程度のものでしかなくて、仕事が忙しいとか忙しくないとか、ぼくの頭のなかではつねにグルグルグルグルうごめきまわっていて、ところがいざ書き記そうとすると、そうカンタンにはいかないね♪、じっくりつきあっていこうじゃないの〜!!


≪目次: ≫
はじめに
第一章 純粋経験――思う、ゆえに、思いあり
1 長いトンネルを抜けると――主客未分の経験(無私の視点 日本語的把握と英語的把握)/2 知即行――真理と意志は合致する(意志はどう捉えられるか 知識・倫理・宗教――主客の合一としての)/3 デカルトVS.西田幾多郎(観念論的要素を取り去れば 「われ思う、ゆえに、われあり)の第一の二義牲 「われ思う、ゆえに、われあり)の第二の二義牲 西田はデカルトの何を拒否したのか)
第二章 場所――〈絶対無〉はどこにあるのか
1 言語哲学者としての西田(確信犯ウィトゲンシュタインとの対決)/2 自覚――「私を知る」とはどういうことか(「英国に居て完全なる英国の地図を」 私に於いて私を知る)/3 場所としての私(「私」は主格ではありえない! 私は存在しないことによって存在する)/4 場所的論理――西田論理学の展開(「がある」と「である」 真の個物とは何か――超越論的主語面と超越論的述語面 場所の自己限定のプロセス)/5 絶対無(無の場所としての意識 自覚において有は無化され、言語において無は有化される)
第三章 私と汝――私は殺されることによって生まれる
1 思想の体系化/2 田辺元の西田批判(種の論理と場所の論理 「西田先生の教を仰ぐ」 西田と田辺の対立の意味)/3 存在する私への死(私と汝は絶対に他なるものである 汝は神のごとく私の底から動く 私は主格となり、一個の自我となる)

西田幾多郎小伝
読書案内
あとがき (二〇〇六年九月 永井 均)


≪著者: ≫ 永井 均 (ながい・ひとし) 1951年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科博士課程単位取得。千葉大学文学部教授(現在、日本大学教授)。専攻は、哲学・倫理学。著書に、『倫理とは何か――猫のアインジヒトの挑戦』(産業図書)、『マンガは哲学する』(講談社)、『ウィトゲンシュタイン入門』(ちくま新書)、『〈子ども〉のための哲学』『これがニーチェだ』『今・私・そして神――開闢の哲学』(ともに講談社現代新書)など多数。


月夜見第一駐車場(奥多摩周遊道路)♪





本「二十世紀 〈上〉 1900〜1945  Osamu Hashimoto, The 21th century 1900〜1945 (ちくま文庫)」橋本治5

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二十世紀〈上〉 (ちくま文庫)
二十世紀 〈上〉 1900〜1945  Osamu Hashimoto, The 21th century 1900〜1945 (ちくま文庫)

○著者: 橋本 治
○出版: 筑摩書房 (2004/10, 文庫 330ページ)
○価格: 756円
○ISBN: 978-4480420190
おすすめ度: 4.0
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ホントは本書とさらにもう一冊くらい読んじゃって、すでに読み終えているけどまだ書き記していない献本を受けた本の書き記しをして、よぉ〜し、、、などと目論んでいた休日だったんだけど。午前のトレーニングのあとに油断してアルコール(缶チューハイ)を口にしたのがいけなかったのかなぁ、午前のトレーニングの大垂水峠越え(約90km)クロスバイクランがキツかったのかなぁ、早起き(といっても朝6時起き)が前日までの仕事の疲れが残っていたのかなぁ、、、あぁ〜ダメダメダメダメ、ダメオトコ!

そう、歴史が苦手なぼくは、ナチス・ドイツの『第三帝国の興亡』なる大著を読んで、戦争について、そもそも戦争ってなんだろう?、なんで戦争する(した)んだろう?、逆に今はなんで(主だった国家において表面的には)戦争しないんだろう??、さらには、ドイツがヨーロッパのはずれ(辺境)で、フランスやイギリスがその頃(1900年代初頭)のヨーロッパの中心であったであろうハズで、いや待てよ、イギリスなんてヨーロッパの地理的にははずれもはずれの島国でどうあっても中心ではないなぁ、植民地を求めた大航海時代や産業革命による繁栄からなのかなぁ、中心といわれるようになったのは?、ん、紀元前にまでさかのぼれば地中海が文化(文明)の中心であったみたいだし、時代を経てルネサンスはローマ、イタリアだよなぁ、、、情報がつながらない混乱ははげしさを増すばかり(ホントにわからない)。などと言いながらも、まぁいいかぁ〜、だったのが正直なところだけどね。


総論 二十世紀とは何だったのか
一 「十九・九世紀」とか「十九・八世紀」という考え方/二 その昔は、戦争に「正しいやり方」なんてものがあった/三 国家が平気でメチャクチャなことを考えていられた時代があった/四 その昔には「植民地(コロニー)建設」というとんでもなくヘンテコリンな発想があった/五 商売というものは、けっこう危険で厄介なものだ/六 総論の結論
1900〜1945


≪著者: ≫ 橋本 治 (はしもと おさむ) 1948年3月東京生まれ。東京大学文学部国文科卒業。'77年『桃尻娘』で講談社小説現代新人賞佳作。以後、小説・評論・古典の現代語訳・エッセイなど、精力的に執筆活動中。著書に『桃尻語訳枕草子』『絵本徒然草』『窯変源氏物語』。ちくま文庫収録作に『これも男の生きる道』『宗教なんかこわくない!』『これで古典がよくわかる』など。


緑がすこし濃くなったかなぁ……




本「善悪の彼岸  Friedrich Nietzsche, Jenseits von Gut und Böse 1886 (光文社古典新訳文庫)」ニーチェ、中山元 訳5

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善悪の彼岸 (光文社古典新訳文庫)
善悪の彼岸  Friedrich Nietzsche, Jenseits von Gut und Böse 1886 (光文社古典新訳文庫)

○著者: ニーチェ中山元
○出版: 光文社 (2009/4, 文庫 529ページ)
○価格: 1,000円
○ISBN: 978-4334751807
おすすめ度:5.0
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「Why be moral?」と言うのかしら?、道徳とか倫理とかを、ちょっと深めてみたいような(ホントは究めたい!と言いたいのだがカンタンなものではない)気持ちがあるのかどうなのか。すこし“永井 均 (1951- )”の著書を遡って読み進めようかなぁ、と。で、日本でいうところの「道徳家」と、いわゆる16世紀から18世紀にフランスにおける「モラリスト」のちがい(説明できるほどには理解が及んでいない)について“中島義道 (1946- )”の著書になんどか説かれていたね。
本書においては「道徳家」にルビがふられて「モラリスト」となっていて、一瞬ふむっと思ったんだけど(知ったかぶりをしてみたかった)、ダイレクトに「モラリスト」とカタカナで書き記すよりも、一般になじみのある(と思われる?!)「道徳家」と書き記して「モラリスト」のルビをふる表記の方が、より広い理解が得られるのかしら!?、などと納得(する権限がぼくに付与されているとはどうにも思えないのだが)。

真理が女であると考えてみては――、どうだろう? ・・・  (P.11、序)



≪目次: ≫
善悪の彼岸 未来の哲学の序曲 (Jenseits von Gut und Böse, Vorspiel einer Philosophie der Zukunft)』

(オーバーエンガディンのジルス・マリアにて 一八八五年六月)
第一篇 哲学の先入観について
1 真理の価値の問い/2 〈危険なおそらく〉の哲学者たちの到来/3 思考と本能の深い関係/4 虚偽の判断の必要性/5 哲学者の手品/6 哲学と道徳/7 エピクロスの語った悪口/8 驢馬の登場/9 哲学の暴力/10 現実と仮象/11 カントの「発明」の魅力/12 悪魂の原子論/13 自己保存の欲動/14 物理学の機能/15 身体とその外界/16 直接的な確実性の迷信/17 エスが考える/18 反駁の意志/19 意志の多様性/20 文法の呪縛/21 不自由な意志という神話/22 自然の合法則性の虚偽/23 新しい心理学の課題
第二篇 自由な精神
24 単純さの欺瞞/25 哲学者の殉教/26 キュニコス派の哲学者/27 理解されることの難しさ/28 ドイツ人の文体/29 独立不羈(ふき)/30 洞察の功罪/31 青春の幻滅/32 道徳の三つの時代とその超克/33 「利害関係のない直観」の美学の誘惑/34 虚構と仮象の世界/35 善と真理の探究/36 力への意志の根源性/37 大衆向きの言葉/38 過去の解釈/39 良き哲学者の資格/40 仮面/41 自己の試練/42 誘惑者/43 来るべき哲学者/44 新しき哲学者
第三篇 宗教的なもの
45 大いなる狩/46 キリスト教の信仰と古代精神/47 宗教的な神経症/48 ラテン民族と北方の民族/49 ギリシアとキリスト教/50 宗教的な忘我/51 聖者への敬い/52 旧約聖書と新約聖書/53 有神論の没落/54 反キリスト教的な哲学/55 宗教的な残忍さの〈梯子〉/56 悪循環の神/57 永遠の子供/58 無関心な不信心者/59 表面的な存在/60 人間愛/61 宗教の効用/62 宗教の代価
第四篇 箴言(しんげん)と間奏曲
63 教師とは/64 認識そのもののための認識/65 認識の魅力/66a 罪/66 神の羞恥心/67 唯一神への愛/68 記憶と誇り/69 殺す手/70 性格/71 カント/72 持続/73 理想/74a 孔雀の誇り/74 天才/75 性的な特徴/76 自虐/77 原則/78 自己軽蔑者/79 心の澱/80 自己知/81 真理の辛さ/82 同情/83 本能/84 女の憎悪/85 男と女/86 女なるもの/87 精神の自由/88 当惑/89 恐るべき体験/90 陰鬱な人物/91 冷たさの熱/92 評判の良さ/93 愛相の良さ/94 男の成熟/95 不道徳の恥/96 生との別れ/97 偉人/98 良心の調教/99 幻滅/100 安らぎ/101 認識者/102 愛の実り/103 幸福の危険/104 人間愛の無力/105 教会への理解/106 音楽の力/107 強い性格/108 道徳的な現象/109 犯罪者の成熟/110 弁護人の手腕/111 うぬぼれ/112 信仰者/113 当惑の力/114 女性と性愛/115 女性の愛憎/116 人生の偉大な時間/117 情動の意志/118 無邪気な称賛/119 不潔さへの嫌悪/120 肉欲と愛/121 ギリシア語と神/122 称賛/123 婚姻/124 比喩/125 見損ない/126 民族/127 女性と学問/128 真理と感覚/129 悪魔/130 隠れ家/131 女性と猫/132 美徳の罰/133 理想/134 感覚の産物/135 ファリサイ派/136 対話/137 学者と芸術家/138 交際/139 女性の野蛮さ/140 忠告/141 下半身/142 恋愛/143 道徳の起源/144 不妊の動物/145 脇役と化粧/146 怪物との闘い/147 女と鞭/148 隣人の意見/149 善の隔世遺伝/150 神の物語/151 才能/152 知恵の樹/153 愛と道徳/154 精神の健康さ/155 悲劇と官能/156 時代の狂気/157 自殺の効用/158 暴君/159 善悪への報い/160 認識と伝達/161 詩人と体験/162 隣人の隣人/163 愛の力/164 律法/165 司牧者/166 嘘/167 内密な関係/168 エロスの神の堕落/169 自己を隠蔽するには/170 称賛の押しつけがましさ/171 同情/172 人間愛/173 憎悪/174 功利主義/175 欲望への愛/176 虚栄心/177 誠実さへの逆説/178 人権侵害/179 行為の結果/180 嘘の無邪気さ/181 呪われた人/182 馴々しさ/183 騙し/184 思い上がった善意/185 憎しみ
第五篇 道徳の博物学のために
186 道徳の科学の虚妄/187 情動の身振り言語としての道徳/188 道徳の圧制の効果/189 断食の効用/190 プラトンとソクラテス/191 本能と理性の対立/192 認識の「創造力」/193 夢の習慣/194 所有欲/195 道徳における奴隷の叛乱/196 道徳の心理学/197 道徳的人間と熱帯的人間/198 哲学における情動の制御の伝統/199 命令者の道徳的な偽善/200 弱者と誘惑者/201 家畜の群れの道徳命法/202 家畜の群れの道徳/203 新たな哲学者の登場
第六篇 われら学者たち
204 科学と哲学/205 真の哲学者/206 学者たるもの/207 中身のない人間/208 偉大な政治の世紀/209 ドイツ的な懐疑/210 来るべき哲学者の資質/211 真の哲学者/212 人間の偉大さ/213 哲学者の位階
第七篇 わたしたちの徳
214 概念の辮髪(べんぱつ)/215 多彩な道徳/216 敵を愛する/217 道徳的な識別力/218 善良な人間の解剖/219 精神の高さ/220 利害関係をもたない者/221 利己主義を否定する道徳/222 同情の宗教/223 神の道化師/224 歴史的な感覚の逆説/225 同情に抗して/226 義務という鎖/227 誠実さの罠/228 功利主義のモラル/229 残酷さの享受/230 認識への意志/231 〈教えることのできないもの〉/232 女とは/233 三人実例/234 料理人としての女性/235 母親らしい金言/236 永遠の女性的なもの/237 格言集/237 迷い鳥/238 アジア的な理性/239 女性解放運動
第八篇 民族と祖国
240 ヴァーグナーとドイツの魂/241 偉大な政治/242 ヨーロッパの民主化の帰結/243 ヘラクレス座/244 ドイツ的な魂の解剖/245 シューマンとドイツ音楽/246 ドイツ語の文体/247 ドイツ散文の傑作/248 二種類の天才/249 自己のうちの最善のもの/250 ユダヤ人の遺産/251 ドイツにおけるユダヤ人問題/252 イギリス人と哲学/253 イギリスと近代の理念/254 フランスのドイツ化/255 新しい音楽/256 ヴァーグナーとカトリック
第九篇 高貴なものとは
257 貴族社会の起源/258 貴族階級の本質/259 搾取の機能/260 二つの道徳/261 虚栄心の謎/262 凡庸の道徳/263 位階への本能/264 教育と教養の役割/265 高貴な者のエゴイズム/266 他者の尊敬/267 自己矮小化/268 平均化への道/269 愛の「力」/270 仮装の心理学/271 純潔の意味/272 高貴であるとは/273 孤独の毒/274 カイロスの前髪をつかむ手/275 高貴さと低劣さ/276 高貴な魂の脆さ/277 完成のメランコリー/278 二枚目の仮面/279 悲しみの幸福/280 跳躍の前/281 自己認識の〈謎〉/282 食後の吐き気/283 他者の称賛/284 孤独の徳/285 星からの光/286 下をみる人/287 高貴さの確信/288 感激の徳/289 隠遁者の哲学/290 共感の情/291 道徳とは/292 哲学者とは/293 苦悩の礼讃/294 笑いの哲学/295 ディオニュソス神/296 思想の〈午後〉
高き峰々より 結びの歌

訳注
解説――『善悪の彼岸』の位置 (中山 元)
ニーチェの目論見/新しき哲学者/西洋哲学の伝統の批判/三つの批判
ニーチェ年譜
本書の読み方について――訳者あとがきに代えて (中山 元)


≪著者: ≫ フリードリヒ・ニーチェ Friedrich Nietzsche [1844−1900] ドイツの哲学者。プロイセンで、プロテスタントの牧師の家に生まれる。ボン大学神学部に入学するが、古典文献学研究に転向。25歳の若さでバーゼル大学から招聘され、翌年正教授に。ヴァーグナーに心酔し処女作『悲劇の誕生』を刊行したが、その後決裂。西洋哲学の伝統とキリスト教道徳、近代文明を激烈に批判、近代哲学の克服から現代哲学への扉を開いた。晩年は精神錯乱に陥り1900年、55歳で死去。主な著書は本書『善悪の彼岸』『道徳の系譜学』『悲劇の誕生』『ツァラトゥストラかく語りき』ほか。

[訳者] 中山 元 Nakayama Gen 1949年生まれ。哲学者、翻訳家。主著に『思考のトポス』『フーコー入門』『はじめて読むフーコー』『思考の用語辞典』『賢者と羊飼い』ほか。訳書に『自我論集』『エロス論集』『幻想の未来/文化への不満』『人はなぜ戦争をするのか』(以上、フロイト)、『パピエ・マシン(上下)』(デリダ)『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』(カント)『責任と判断』(アレント)『人間不平等起源論』『社会契約論/ジュネーヴ草稿』(共にルソー)、『職業としての政治 職業としての学問』(ウェーバー)ほか多数。


須藤訓任 『ニーチェ 〈永劫回帰〉という迷宮』 (講談社選書メチエ、1999)
永井均 『これがニーチェだ』 (講談社現代新書、1998)
田島正樹 『ニーチェの遠近法』 (青弓社、1996、新装版 2003)
永井均 『ルサンチマンの哲学』 (河出書房新社、1997)
神崎繁 『プラトンと反遠近法』 (新書館、1999)
神崎繁 『ニーチェ どうして同情してはいけないのか』 (日本放送出版協会、2002)


ワル




本「橋本治という考え方  What kind of Fool am I 」橋本治5

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橋本治という考え方 What kind of fool am I
橋本治という考え方  What kind of fool am I

○著者: 橋本治
○出版: 朝日新聞出版 (2009/4, 単行本 238ページ)
○価格: 1,470円
○ISBN: 978-4022505705
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さすがにまだ半袖ワイシャツのサラリーマンはぼくだけだろう(多分)、もし仮にいたとしても多くはないはず(上着もネクタイもなし)。いちにち雨天で最高気温はおよそ20度くらいだったであろうから、朝の通勤時間帯に土砂降りの雨だったことからも、コートを羽織っている人も少なくなかったような気がしている。気がしている、と書いたのは、ぼくは電車の中はもちろんのこと駅構内でもほぼ顔を上げることなく、ひたすら読書に耽っているから、まわりの風景や人に視線を向けることがないから、雰囲気だけで直視したわけではなく詳細はわからないから。そもそもまわりがどうであろうとも、ぼくはぼくが快いと思う行動をみずから選択するだけであり(関係もなければ関心も興味もないのだが)、雨が降ると湿気が不快であり、とくに気温が冷房するほどには高くないからこそ空調が中途半端で不快指数はさらにアップする。長袖ワイシャツという選択もあるけれど、雨に濡れると不快であり、だったら雨に濡れてもサッと拭ける素肌をむきだした半袖にかぎる♪、あと、半袖シャツは自分でアイロンかけられるからクリーニング代が不要で安上がり(その分の多少の手間と労力と時間はかかるけど)、クロスバイクでのトレーニングで日焼けした腕を見せびらかしてみたり(誰も見てはいない)、そうそう、クロスバイクでコケたときの右肘の外傷が大きなかさぶたになっていて、まだちょっとジュクジュクしていたり、治りかけでかゆくなったりで、外気にさらしていたいこともあったりする。ますますどうでもいいことだね。

私は書き始める前、ろくに考えていない。「書き始めればなんとかなるだろう」と思っていて、緻密な構成などというものはない、ほとんどない。「えーと、ああなって、こうなって」と、ほんの二、三行分の文章を頭の中でグチャグチャ組み立ててつぶやいて、それを書き始めると、たちまち変わってしまう。・・・  (P.153、「規範と壁」)

書き記されたことばを、そのままに受け取っちゃダメよ♪、考え方、『橋本治という考え方』でしょ♪


≪目次: ≫
「なにも知らない」からのスタート
「全然ものを知らない人たち」について/マイナスを埋めるためのプラス/なんでそんなに寛容なんだろう/文芸批評は、まず「あらすじ」だろう/人との接点/「本を読む」ということ
「上司は思いつきでしかものを言わないからな」と思っていた頃
ものは考えよう/「あり方」を考える/話すことと書くこと/参加と参考/そう言われても――/批評の傘/マーケティングという傘
「風景」について
個人の中で時代は終わる/アンゲロプロスにはまる/遠い風景/きっかけはヴィスコンティ/些か個人的な事情/「テーマ」という風景
ほんのちょっとだけの近代文学史
三つの文体/言文一致体って、そんなにたいしたものか?/文体だけが近代か/普通じゃない普通/特殊な人の特殊な語り――『卍』/色のついてる窓口/色気のある近代/「自分」という文体
再び「風景」について
規範と壁/描写と説明/阿久悠氏が死んだので/再び「風景」について/文字は音だと思うけど/果たして漢字は「音」なのか/小津安二郎的美しさ
閑話休題
間奏曲/時代が終わる/ハリウッドは現実を見ない/あまり考えたくないこと/それがなくなる可能性
人は哀しや
あのおばさんは「不条理」だったか……/人は誰もが「主役」かもしれないが/誰もが「主役」になってくれるわけではない/自分に合わない考え方/誰かそろそろまとめてくれないかな

*初出「行雲流水録」として「一冊の本」二〇〇五年二月号から二〇〇八年五月号に連載。単行本化にあたり掲載順を並びかえ「橋本治という考え方  What kind of fool am I 」と改題した。


標高933m♪




本「職業としての政治 職業としての学問  Max Weber, Politik als Beruf 1919 / Wissenschaft als Beruf 1919 (日経BPクラシックス)」マックス・ウェーバー、中山元 訳5

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職業としての政治 職業としての学問 (日経BPクラシックス)
職業としての政治 職業としての学問
  Max Weber, Politik als Beruf 1919 / Wissenschaft als Beruf 1919 (日経BPクラシックス)

○著者: マックス・ウェーバー中山元
○出版: 日経BP社 (2009/2, 単行本 272ページ)
○価格: 1,680円
○ISBN: 978-4822247225
おすすめ度: 4.5
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ぼくが持っている(自分の)名刺には、「営業促進部 サポートマネージャー」と書いてあって、「宅地建物取引主任者」「不動産コンサルティング技能登録者」の資格が書き記してある。今は変更して消除してしまったが、ブログタイトルには「ふどうさんや」を記して、不動産業に従事していることを明示していた(無関係で無意味なので変えた)。
すでにおよそ14年半、営業職として約5年半、その後に30歳のときからは契約(重要事項説明)業務に関わる事務職として、それなりにいろいろな経験を積んできたから、まぁそれでも戸惑うことやまだまだ知らないことがあって冷や汗かくことがときどきないわけじゃないんだけれど、なんとかその場を独力で遣り繰りしてまとめるくらいの力量はあると自負している。とくに仕事として好きというわけでも愉しいわけでもないけれど、どちらかといえば嫌いで不快なことが少なくないんだけど、それでもどうやら他の仕事をする気はないらしい。


≪目次: ≫
職業としての政治 Politik als Beruf
講演のテーマについて 政治/ポリティックという語 国家とは何か 支配の要件 内的な正当性の三つの根拠  支配に必要な二つの要素 行政スタッフ 行政手段 国家の二つの類型 近代国家の発展の歴史 第一のカテゴリーの職業的な政治家 「副業的な」政治家について 職業的な政治家の類型 政治と財産 専門の官僚制度の確立 議院内閣制の成立 二種類の公務員 企業の「主権者」 職業的な政治家、その五つの階層 弁護士と民主主義 官僚と政治家の違い デマゴーグの由来 ジャーナリストと政治 ジャーナリストと職業的な政治家 ジャーナリストの経歴と課題 職業的な政治家としての政党の職員 政党の支配構造 イギリスの政治クラブと政党組織 ドイツとフランスの初期の政党 現代的な政党システムの登場 指導者のカリスマ的な魅力 新しい政党システムと名望家システムの対立 イギリスの初期の政党組織 政党システムの恩恵と効果 イギリスの指導者の選出プロセス アメリカでの政党システムの役割 猟官システムとボス政治の功罪 ドイツの政治運営の三つの条件 ドイツの職業的な政治家の機能 新しい転換の兆し ポピュリスト的な指導者の〈代価〉 政治家に必要な資質 信念の必要性 政治家のエートス(気風) 敗戦の倫理問題をめぐって 政治と倫理 真理と政治 信条倫理と責任倫理 善き目的と悪しき手段 目的は手段を正当化するか 弁神論の問題と人生の不条理 宗教と政治 「装置」への報奨 魂の救済と暴力による政治の対立 真の人間とは 一〇年後には 政治家の資質 

職業としての学問 Wissenschaft als Beruf
アメリカとの比較 アメリカ化するドイツの大学 教師の人事の背景 研究と教育という二つの「顔」 学者の情熱 霊感の大切さ 個性と体験という偶像 学問と「進歩」 世界の脱呪術化 進歩の意味 学問と真理 概念の発見 実験の採用 近代の初頭における自然科学の意味 学問の無前提性 自然科学、医学、美学の問いと前提 教師と政治 価値判断と事実判断 学問の無前提性についての宗教史の実例 教師の倫理的な達成 時代の宿命 アメリカの学生の例 教師と指導者の資質の違い 学問の〈効用〉 学問という職業の価値 神学の前提とするもの 知性の犠牲 時代の宿命

訳者あとがき (二〇〇九年一月一五日、九〇年前のローザ・ルクセンブルクの死を悼みながら  中山 元)
講演の背景 政治家の類型と特質 政治家の歴史的な発展 政治家の直面する難問 政治家のエートス 信条倫理と責任倫理 『職業としての学問』 


≪著者: ≫ マックス・ウェーバー (Max Weber) 1864〜1920。社会学の創始者といわれ、経済学でも多くの実績を残したドイツを代表する社会科学者。論文『プロデスタンティズムの倫理と資本主義の精神』では、ヨーロッパにおける資本主義発展の原動力は世俗内禁欲を生活倫理とするプロテスタンティズムが担ったと分析。下部構造が上部構造を規定するという唯物史観に真っ向から異を唱えた。宗教社会学、法社会学、経済史など広範な分野で膨大な業績を残した。政治学の丸山真男、経済史の大塚久雄など日本を代表する学者に大きな影響を与えた。主著に『宗教社会学論集』『経済と社会』など。

[訳者] 中山 元 (なかやま・げん) 思想家・翻訳家。1949年生まれ。東京大学教養学部中退。著書に『フーコー入門』(ちくま新書)、『思考の用語辞典』(ちくま学芸文庫)、『賢者と羊飼い』(筑摩書房)、訳書にカント『永遠平和のために』ルソー『社会契約論/ジュネーブ草稿』(以上、光文社古典新訳文庫)、フーコー『わたしは花火師です』(ちくま学芸文庫)ほか。インターネットの哲学サイト「ポリロゴス」を主宰。

マックス・ヴェーバー『職業としての政治』(脇圭平 訳、岩波文庫、1980)
マックス・ウェーバー『職業としての学問』(尾高邦雄 訳、岩波文庫、1936)


だいじょうぶ、だいじょうぶ、だいじょうぶだよ♪





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