きみの歌が聞きたい
著者: 野中柊
単行本: 279ページ
出版社: 角川書店 (2006/4/22)




ん〜、何が私をここまで惹き付けるのか?!
野中柊、好きなんです♪
とっても切なくって、哀しくって、ついつい眉間に皺が寄ってしまう。
痛い、痛すぎるんだよ! だから好いのかな?!
共感できる部分もあるんだけれども、それでも、個人的には絶対に受け容れ難い部分も結構あって、絶対的に受け容れたく無い部分もあるから、「どうして?、どうしてそういうことになっちゃう訳?!」、ってな具合に、裏側や、その心の内を知りたくって、探りたくって、ついつい読み込んでしまう。「なるほどなるほど、だからそうなっちゃう訳ね!」って、その登場人物たちの状況の、背景の、その人格が構成されるに至る経験や事件や出来事、幼少の頃の記憶、生い立ち、家族環境や、両親の不仲や離婚、死別だったり、、、その行動や言動や思考に至る、現在までの過去の歳月に刻まれた数々の経験。しかも、今だって、現在進行形で生きている訳だから、その現在の様々は刻々と変化し続ける状況だって、そこには加味されてきちゃう。その直前に厭な事があれば、機嫌や、虫の居所が悪くなっちゃうことだって、ごくごく普通に有り得る。そんなところまでは、本人だっても、ある意味では不可抗力的要因に抗うことができないのに、だから完全な理解やコントロールをすることは、自分自身のことであっても絶対的に不可能だ。だから、自分自身をも理解し得ないのに、自分以外の第三者への理解だなんて、”よく分かんない”の世界、橋本治ワールド。

それが近しい夫婦関係や身内や家族、恋人であったって、自分以外の第三者には変わりなくって、ついつい全部理解している気になってしまうのだけれども、とどのつまりは、よく分かんない。
だから私も、野中柊の物語が、よく分かんない!
よく分かんないから、それでも知りたいから、理解したいから読むのであって、そこには、知りたい、理解したい欲求が絶対的に存在していて、投げ遣りな、いい加減な感情よりも、むしろかなり真摯な態度であったりもする。


描かれる物語は、日常の、とっても日常の、人間が、それぞれ個人が固有の人格として、淡々と一生懸命に精一杯に生きていく、生きていく三人の男女の姿。幼馴染みと、アクセサリーの製作会社を営む、美和と絵梨。そこに、根無し草の不思議な少年、ミチル。三人共に、それぞれに、それぞれの胸の内に、そっと抱えているものがあって、だからこそ、互いが互いを必要として、共に生きる必然に導かれて、保たれるバランス、関係。
居る場所や、帰る場所を、それぞれが求め、感じている。
その存在が、五つの物語に分かれていて、それぞれ三人の視点で語られる。それぞれの語り口によって、自らのこと、相手とのこと、今現在と、過去に遡って、揺れ動く心の様子や、その胸の内が、そこに何の恥じらいも無く、ズバリはっきりと明かされる本音、正直な気持ち、自己分析。

大好きな人の死があり、離別があり、それでも新しい出会いがあり、新たな生命の誕生もあり、そこに描かれる迷いや悩み、苦しみ。


実は、野中柊は、「祝福」から、最近の著作から手にし、デビュー作(1991年)の「ヨモギ・アイス(アンダーソン家のヨメ)」に違和感と衝撃を感じた。もっとも私は、最近の著作を好んでいるのではあるが、、、その刻まれた約15年の歳月に、私は深い興味を抱いている。 何が、現在の私が深い興味を抱く”野中柊”を形成しているのであろうか?!、違和感を感じながらも惹き付けられる、よく分からない”何か”を探りたい。