ぽろぽろドール
著者: 豊島ミホ
単行本: 230ページ
出版社: 幻冬舎 (2007/06)




久し振りの”豊島ミホ”。
思い返すと、出会いは、新潮社主催の公募新人文学賞R-18文学賞」受賞作品、「花宵道中 -宮木あや子」であり、「ほしいあいたいすきいれて -南綾子」から抱かれた興味であり、いずれも”本が好き!PJ”からの献本。私の読書遍歴は、このプロジェクト抜きには語れない。改めて感謝の意を表する。
それでも、抱かれた興味は、「青空チェリー」、「檸檬のころ」の二作品で一旦は満了し、私の記憶に留まった。だから、書店で新刊本として見掛けた瞬間に反応を示した。シンプルに「読みたい!」と。
無意識に反応した直感に素直に従い、結果として得られた”深い満足♪”。


物語は、”人形(ドール)”をテーマに描かれる六篇の短編小説。
人形が、人間の姿や形を似せて作られた造作物であり、愛玩する対象物であり、自らの過去の世界を遺し、永遠に不変の存在としての意義を有する。時に、愛玩するが故に、自分自身以外の第三者には決して語ることができない秘密をも内に秘める存在。人形という、生命や意思を有することがない、その非現実性が、リアルにその存在を浮かび上がらせる物語を織り成す。
素直に、感嘆させられた。

やっぱり、最後を締める、書き下ろし作品「僕が人形と眠るまで」が、ある意味では、この物語たちの全てを集約しちゃっているんだけれども、表題にもなる「ぽろぽろドール」であり、「手のひらの中のやわらかな星」に、深い感銘を覚えた。
夕食のあと、クロスを外したテーブルにミシンを置いて、お母さんはつぶやいた。
「咲子、高校に入ってからずっと元気ないみたいだったから。」
私はだだっとミシンを動かして。聞こえないふりをした。
 〜「手のひらの中のやわらかな星」
何気ない母と高校生の娘との日常会話。その短い言葉に秘められた想い、母の愛。自らの腹を痛めてこの世に産み落とし、自らの命を掛けて護り抜きたいと切実に願う存在”我が子”。表面上はともかく、本能的な意識下に、新しい高校生生活に対する不安感を抱く親心。余計なことを口にするまでもなく、その愛しい我が子の、普段とは異なる表情や行動、態度に感じるところは少なくないハズ。それでも、本能的に本質的に愛するが故に、その場しのぎの軽口は叩けない。我が子の痛みは、そのままに親の痛みでもあろう。だから、その表情に明るさを取り戻した瞬間を、決して見逃すことがなく、やっと訪れた安堵。涙なしには語れない、深い深い、母の愛。子供の立場にしてみれば、時に重く、ウザい、などとも感じかねない感情であろうが、親は真剣なのだよ。
だから、子供の成長は、嬉しくもあり、微妙に哀しくもある。

そうして、成長を続け、人間としての人格を形成していく”子供”。
その子供が、成長の過程において愛玩する”人形”。

人間は、生命を宿し、生きているが故に、歳月を経て、その形を刻々と変え続ける。その成長と共に、常に変化し続けることによって、存在することを可能とする。変わり続けることなくして、この世の中に存在することはできない。
一方、人形は、その姿形を変えないことに、その存在の意義を有する。生命や意思を有していないが故に、変わることなど有り得ないのではあるが、その変わり得ない存在であるが故に、人間の不確実な”記憶”という過去の出来事を思い浮かばせ、また、人間が変わり続けているという現実を認識させる”媒体”としての存在。
その存在と、その存在を媒体とした記憶が紡ぎだす物語たちの妙。