感傷コンパス
著者: 多島 斗志之
単行本: 231ページ
出版社: 角川書店 (2007/08)



小説家 多島斗志之 が描く、懐かしく温かく、哀しい、心に沁みる、遠い記憶の物語。

物語の舞台は、1955年、伊賀の山奥の分校。全校生徒18名の小学校に赴任した、新任女性教師と子供、村人。
新しい生活への期待と不安は勿論、断ち切りたい想いや、煩わしい世間や人間関係(家族)から逃れたい、逃れることができてホッとしていたりする複雑な想い。
唯一の同僚の女性教師は独身ながらも、何処か翳のある、思い詰めた様子を漂わせる。
当初担任した五年生と六年生の男女六名も、共にそれぞれの家庭環境に、それぞれの複雑な事情を秘めている。
狭い山里の村の中は、皆が知り合い、顔見知り。親戚縁者だったりするから、複雑な事情は、全て筒抜け。プライバシーなど、へったくれも無い。生まれた時から現在に至るまでの全てがお見通し。善いことや、褒められたことだけじゃなくって、ふとした出来心から起こした事件や情事だって、言葉にしないまでも、いつまでも村人たちの胸の内にしっかりと在る。

面倒臭い、煩わしい、人間関係。だから、現在においては、とかく敬遠される地域社会のコミュニティ(共同体)
高度に発達した経済社会、不自由の無い豊かな生活。会社勤めをすれば、比較的容易に手に入れることができる経済力。誰かに頼ることなく、自らの力で営むことが可能な生活。面倒臭い、煩わしい人間関係を避けて、生きることができてしまう現実。ある意味では、コミュニティが失われるのも、当然の成り行き。

病に臥した母親と遠く離れ、最愛の母の回復を祈り、元の家族での生活を夢見て、祖母の元に身を寄せる兄弟。母への想い。
村の呉服屋の妖艶な女将は、常に村の男衆の視線を集め、デレデレする男の妻からのやっかみを受ける。その母を持つ娘は、しっかり者で級長をつとめるも、ホントは母親に甘えたい。母の化粧を真似て覗き見た鏡に映る自分の姿に感じる女。
朝から農業に勤しむ父母に換わって、幼い弟妹を背負い、家事をこなし、面倒を見る女児。

子供だけじゃなくって、大人たちだって、心の内に抱えている何かが在る。
お医者さんの家庭持ちの先生との逢瀬を重ね、その末の自殺未遂事件。社会的地位の高い、常識を持ち得た人物なのに、それだけに動転する姿。駆り立てる衝動の非情なチカラ。
過去に犯した過ちによって、心に深い傷を負い、心を閉ざして漫然と生きる男。誰にも心を開くことなく、猪の研究に没頭する。
最愛の妻を亡くした心の痛手を拭い去れず、妻の命と引き換えに生まれ出た娘とのふたり暮らしを続けるも、10年以上の歳月が経過してもなお、自らの殻に閉じ籠り、育児を放棄し、自らの薬草の研究のみに没頭する男。
何も抱えていない者など、この世の中には存在しない現実。抱えているモノが、大きいか小さいかだけの違いでしかない。必ず誰もが心の内に何かを抱えて生きている。

そんな心の内に何かを抱えている彼らも、何食わぬ顔で淡々と送る日常生活。時折垣間見える異変や、奇異な行動だって、事情を知らぬ者には、ただの変な人、困った人、病んでる人でしかない。関係ないから、無視して、近付かないようにしよう。巻き込まれたくない。無関係を装う。

人間は過ちを犯す生き物である。
過ちを犯さぬ人間など存在し得ない。
過ちを犯してしまった人間を、何も言わずに全てを受け容れる包容力、コミュニティ。
人間ひとりの力は、弱く儚い。往々にして過ちを犯す。
過ちは決して許されるべきではないけれども、犯してしまった過ちは、どんな償いをしたとしたって、決して消え去ることは無い。たとえ死をもって償ったとしたって。心の内にいつまでもいつまでも深く刻み込まれて残る想い。一生背負って生きていかなければならない。