禁煙ファシズムと戦う
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書評/社会・政治



僕と”小谷野敦”との出逢いは、新潮選書「日本売春史 −遊行女婦からソープランドまで (2007/9)」(2007.10.28読了)で、正直その時は、ただただ言葉を失っちゃうほどの衝撃を受けちゃって、しばらくず〜っと言い知れぬ後を引いていて、どうやらそれは他人事とは思えない近しさ!?、その論調の烈しさに垣間見える苦しみ、辛い、痛みを伴い、軽薄な言葉で簡単に表現することを憚られる、どうにもしようがない”何か”の存在。そんな訳で、なかなか簡単には次の著作に手を伸ばすことができなかった。
そんなこんなで、やっと二作目。手にしてから気が付いたことだが、かつて、”本が好き!PJ”経由の献本がベストセラーズからあった。その献本の記憶が僕の中にあったから、今回手にしたのかどうかは定かではない。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない、、、

ところで僕はタバコを吸わない。もっと言えば、37年の人生で一度もタバコを口にしたことがない。「機会がなかったから」と言うと驚く人も多いが、あまり人と交わることを得意としなかったせいか、家族(両親)に喫煙の習慣がなかったからか、一度も興味を抱くことがなかった。

そんなこともあって、一時期は真剣にタバコを嫌悪した。臭くて煙くて健康に悪影響を及ぼし(寿命は遺伝の影響が著しく大きく、節制しても大した変化をもたらさないことが、2003年のヒトゲノム解明により判明している)、中毒症状(依存症)を引き起こす、絶対に許されない行為だ!、と。
そう、権威主義傾向が強い僕は、自分が負けそうにない攻撃対象を選別した上で、自己都合をひた隠して、”偽善”を振りかざした。
「正義が悪を討つ!」とばかりに。ところで、そんな僕はホントにホントに正義?、何のための?、誰のため(都合)の??

そういう時期を経て、と言っても今だってタバコの煙や臭いは嫌いだから、禁煙の店(席)を選んで確認するようにしているし、歩行喫煙している人を見掛けたら、歩行ルートを変えたり、気にならない距離を保ち、関わらないように(僕は神経が過敏だから)、自ら努力や工夫をしている訳で、タバコであり喫煙行為に対する嫌悪感に変化はないが、、、例えば、僕はアルコール飲料を止められない、カフェイン(珈琲)を止められない、インターネット(ブログ)を止められない、その他にも、止められないこと、依存していること、それらの数知れぬ行為の上に、何とか保たれる精神の安定。
たまたま僕には喫煙の機会がなかったから習慣がない(小谷野敦のようにタバコ屋の孫に生まれていたら・・・)だけで、僕の神経が過敏だから喫煙行為が気になるというだけで、様々なものに依存しなければ生きていけない僕に、喫煙行為を咎めることができようか?、もし仮に違法行為(ちなみにタバコは合法で、貴重な税収源)であったとしたって、その人にとって精神の安定が得られるものであるとするならば、状況やら原因に一切触れることなく、表面的な禁止のみを加えることに、何の意義があろう。


≪目次: ≫
 第吃 禁煙ファシズム・闘争宣言 【小谷野 敦
 第局 「禁煙ファシズム」の狂気 【斎藤 貴男
 第敬 嫌煙と反‐嫌煙のサンバ 【栗原 裕一郎】
 第孤 反・禁煙放談 【小谷野 敦 × 斎藤 貴男
 付録 エンストローム論文 (2003年 UCLA発表)