脳と仮想 −The Brain and Imagination
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書評/サイエンス



「うわあ〜、わかんない!」とことば(もじ)にしてみる。
といつておきながら、さいごのしようでひょうかいをえた。「どつちなんだよ!?」、どつちもほんと。とつてもわかりやすいんだよ、わかりやすいのに、わからない。そこらへんのところを、おおきくみつつ、かんがえてみる。

かつて、”ほんがすき!ぷろじえくと”けいゆのけんぽんが、しんちようしやから。ちよしやの”もぎけんいちろう”にも、いぜんからきようみはあつた。

さすがに、ぶんがくしよう(こばやしひでおしよう)をとつているだけあつて、せんもんてきでありながら、じれいやいんようもほうふで、じつくりじつくりと、かんがえさせながらじわじわと、てんかいされるろんせつに、なるほどなるほど、ふむふむ、むふふふふ。


さてと、わかつたようなわからいような「くおりあ」。ぼくにとつては、なんとなくきいたことがあるようなきがしないでもないけれども、ちやんとりかいをはかつたのは、はじめてのことなので、いきなりわかろうはずもない。
というわけで、いきなりしよつぱなから、けつまずく。

そう、「くおりあ」をとなえ、けんきゆうにいそしむ”もぎけんいちろう”だつて、ぼくにとつてははじめてふれるわけだから、このほんをよんで、いつきにきようみがかりたてられて、これからますます「しりたい!」。「しりたい!」とかんがえることは、ぜんていに「しらない(わからない)」があるのであつて、そう、ぼくにとつては、とつてもとつてもよろこばしいこと。うれしいうれしい、うれしいなあ。
わからくつて、うれしいな、これが「わかんない!」ひとつめ。

このほんには、ちよめいなぶんげいひようろんかの「こばやしひでお」(1902.4.11-1983.3.1)が、そのまんなかに、おおきくよこたわつていて、こばやしひでおをぬきにかたることができない。
たしか、あまぞんのしよひよう(れびゆー,いつもさんこうにさせていただいています)にも、どなたかが、「こばやしひでおを、もつとよみたくなつた!」とひようしていたかとおもつたんだけれども、それほどに。
ところでぼくは、こばやしひでおをしらない。ぼくが、さいきんこのんでよみすすめている、「はしもとおさむ」であり、たしか「ほさかかずし」にも、そのほかにもときおりかおをだす、きんだいにほんのぶんがくかいに、おおきなえいきようをおよぼしたじんぶつ。
ということもあつて、ぼくもおおいにきようみをいだいていて、いずれてにしたい!、とかんがえていて、じつは、さくねんまつ(2007.12)にしんちようしやからはしもとおさむがだしている「こばやしひでおのめぐみ」をてはいずみで、それをてがかりにして、こばやしひでおをよみほどきたい!、ともくろむ。「もくろん」でいるぼくは、だからとうぜんに、「わかんない!」、ふたつめ。

さいごに、これがいちばんたいへんで、ぼくをとほうにくれさせるんだけれども、「わたしはかんがえる、ゆえにわたしはそんざいする(Je pense,donc je suis.)」をとなえた、せいようてつがくしや「でかると(René Descartes,1596.3.31-1650.2.11)」であり、このほんには「ぶつしつてきごうりしゆぎ」なんてかいてあつたりするんだけれども、わはははははははははは、とわらつてごまかすしかないんだよね、しようじきなところ。
それでも、まちがいないことは、ぼくは「しりたい!」とおもつているつてこと。しりたい、しりたい、りかいしたい!、そんざいであり、ぶつしつであり、いしきであり、そして、のうにゅうろんくおりあ、、、、、そしてなによりも、てつがくぶんがく!!
そのためにも、まずは「わかんない!」。

こんだけ、みつつも、おおきな「わかんない!」があつて、ぼくはとつても、「うきうきわくわく、たのしいなあ♪」

さいきんは、たんこうぼんばかりてにしていて、ひさしぶりにぶんこぼん(たんこうぼんぶんこか)をてにしたんだけど、「わかんない!」、ぼくにとつては、あとがきのあとに、ぶんこかにあたつてのあとがきがあつて、さらには、ほかのひと(なかざわしんいち)によるかいせつまであつて、ぼくのつたないりかいをたすける。

さんたくろーすへのおもいがうんだ、こころにくいものがたり!?


≪目次:≫
 序章 サンタクロースは存在するか
 第1章 小林秀雄と心脳問題
 第2章 仮想の切実さ
 第3章 生きること、仮想すること
 第4章 安全基地としての現実
 第5章 新たな仮想の世界を探求すること
 第6章 他者という仮想
 第7章 思い出せない記憶
 第8章 仮想の系譜
 第9章 魂の問題