小説修業
著者: 小島信夫、保坂和志
単行本: 213ページ
出版社: 朝日新聞社 (2001/09)




若い小説家“保坂和志”(1956.10.15- )が、小島先生と慕う“小島信夫”(1915.2.28-2006.10.26)と、往復書簡で語り合う文学論は、果てしなく・・・
41歳の年齢差は、当然にピッタリ噛み合うことを阻む。というよりも、そもそも他人同士、仮に世代が同じであってもピッタリ噛み合うことなど有り得ない。果たして、ピッタリ噛み合う必要があるのかどうなのか? とどのつまりは、相対しながらも、生きるのはひとり、自分自身。
それでも、互いに深い信頼と愛情を湛え合う、語り合う歓び。

80歳も半ばを迎え、老いから、特別な眼メガネがないと小さな活字を読むこともままならなず、すでに妻に先立たれ、自ら「長くない」と口にする小島信夫。
一方、『小説家として少なくともあと30年はやっていかなければならない(P.139)』40代半ば、働き盛りの保坂和志は、さらに『小説全体の価値が低下するのをただ黙って見ているわけにはいかないので、せめていま私の小説を読んでくれている人たちには、「小説家は小説という仕組みを使って何かを考えようとしている」という了解を取りつけておかなければならないのです。(P.139)』と。

保坂和志の中に大きな位置を占める小島信夫、『小島先生はふだん私と話しているときでも、「まあ、この話はこの辺でやめにしておきましょう」と言います。この書簡の中でも、「いずれまた書くことになるだろう」とか「私はあとになって響き合うような書き方を好む」というような書き方をします。何かキーワードを出して、そのキーワードに引きずられて、あんまりそれにこだわると、もともと考えていたことと別のものが膨らんできてしまうからです。それはそれでかまわないのかもしれませんが、そのときに結論めいたことが出てきてしまうのが具合が悪いのです。結論めいたことが出てきてしまうと、読者でなくて自分自身がそれにだまされてしまうからです。本当に考えようとしていることはもっとずっと茫漠としているからです。(P.83)』

『・・・チェーホフも「百年後」という想像力を提示したにとどまって、展開はさせられなかったのです。この往復書簡でもう何度も書いていることですが、ジョイスやウルフやムージルがかれこれ百年前に考えたこと以上には、何も進展していないのですから・・・。しかし、いま私にはそのことしか関心がないのです。(P.117)』

『私はただここにいる。それでじゅうぶんじゃないか(P.146)』


≪目次:≫
 1 リアリティ、『杜子春』、夢、猫、鬼、喜怒哀楽
 2 偶然、リアリティ、『私の作家遍歴』、トルストイ、平凡なるもの
 3 『プレーンソング』、身をやつす、“使い尽くす”、“自然ぜんたい”、“人間ぜんたい”、トルストイ、「さらば、我ら何をなすべきか」
 4 小泉八雲、トルストイ、ストーリー/人間、“平凡”、“当たり前すぎるために私たちが日頃気づきそびれていること”
 5 ゴーギャン、作品に先立つチェーホフのモチーフ、ジョイス、「進化論」
 6 トルストイ、「百年前の作品だが、それから少しも文学は進んでいない」、部分は全体を写さない、『うるわしき日々』の“黄金律”
 7 科学的な思考/比喩的な思考、『変身』、「カフカの散文が思考を述べることは滅多にない」
 8 カフカ、悪夢、「チェホフ戯曲の秘密」、フィクションが現実に従属しない原理、『審判』
 9 チェーホフの芝居、「生」と「死」、「記憶を渡り歩いている」、『この人の閾』
 10 “同時進行”の小説、フィクションのウソくささ/文学的思考から生じるウソくささ、『美濃』、“方法”と“中身”、“意味”と“行為”
 11 科学、『世界のはじまりの存在論』、死、『うるわしき日々』、“泣く”、“若い小説家の手紙”
 12 郷里、『美濃』、『アメリカン・スクール』、猫は猫、小説に書かされている
 13 「何をもって小説か」、小島信夫というシステム、三島由紀夫、『杜子春』、『生きる歓び』
 14 “見る”と“見える”、「創作コース」のカリキュラム、メルロ=ポンティ、「小説に奉仕する」
 15 「私が死んだ後にも宇宙はある」、文学の危機、死、システムという人間観、肉体との連絡、“対等である”、ベケット、「これからは楽しくやっていきましょう」