脳と日本人
著者: 松岡正剛、茂木健一郎
単行本: 225ページ
出版社: 文藝春秋 (2007/12)




茂木健一郎の著作を探していて、「何だか知らない人(ただただぼくが無知なだけ)との共著だから」という理由で、実は一度パスしていた。
そんな時に、池田晶子14歳からの哲学(トランスビュー,2003.3)」であり、「14歳の君へ(毎日新聞社,2006.12)」と、10代の多感な、その後の人生を方向付ける大切な時期にこそ、真剣に伝えたい真実のメッセージ♪、穢れを知らない若者だから、知識も経験も少なくて、人間的にも未成熟だからこそ、決して多くを語らず、大切なことだけ、理解し易く噛み砕いて。そう、ぼくは既に38歳だけれども、10代の時を振り返ると、自らの不勉強から、このような素晴らしい本との出会いを経ていない。20代の時にも勿論。38歳にして出会って、「あっ、ぼくはこの辺(10代)のレベルから始めた方がいいかも!?」と思った。そう思ったぼくは、「11歳の我が娘のための」などと言いながら、10代の若者に向けた著作を真剣に読み解く。自らのために。自ら乗り越えることをせずに来てしまった時間を取り戻すべく。
で、目に留まったのが、松岡正剛17歳のための世界と日本の見方(春秋社,2006/12)」、全363ページもある著作で、未知との遭遇。むふふふ「初めての経験は、やっぱり怖いんでちゅぅ〜♪」と臆病風を吹かしていたら、「ん?!、そう言えば確か」と記憶が蠢き出しちゃう不思議。「ぼくが既に知っている“茂木健一郎”との対話を愉しんだ後に判断しよう」と。

2006年11月12日と13日の2日間にわたって“二期倶楽部(栃木県那須町)”にて行われた対談の書籍化。
そう、対談の書籍化といえば、池谷裕二、糸井重里「海馬(新潮文庫,2005.6)」の、凸凹ぶりに目覚めてしまった興味、異分野のプロフェッショナル同士の巧みな絡みによって、思いがけず飛び出す知識の果てしない増幅!、ワクワクドキドキ、なるほどなるほど♪
で、そんな対談の舞台、秋の那須、「嫁に食わすな!」は秋茄子!?、挿し込まれる写真がまたまた味わい深い。煉瓦組みの暖炉、秋の穏やかな陽射しを受けた那須の森、紅葉。いい〜♪
[松岡] ありがとう(笑)。スタンド・アローンにはじまって、ニューロンの話をして、国民国家をめぐって、気がつくと伊勢神宮の話から「真水」になっていたというのは、ぼくにとって久々のことでしたよ。
[茂木] ぼくも、松岡さんと一緒にずいぶん遠くまで漂流して、それから自分の一番大切な場所に新たな気持ちで還って来たように思います。 (P223)
ホントに愉しそうな語らい。1944年生まれの松岡正剛と、1962年生まれの茂木健一郎には、18もの年齢差。専門分野だって異なるのだから、ピッタリ噛み合うどころか、何処までも果てしがなく展開される話題。僅かな関連性から見出されて飛び出す話題が、さらに互いの興味を刺激する。うっ、羨ましい、カッコいい♪、あんなに対話を展開させることができたら、そりゃぁ〜愉しかろう。紅葉する穏やかな秋の陽射しの下で、重厚な煉瓦造りの暖炉の前で、、、
[茂木] 毒って、体内に取り込むと、吹き出物とかになって外に出てきますよね。もともといらないものが出てくるわけですね。人間にとっては、二酸化炭素などもそうですね。だから、創造という現象も、毒出しというか、排泄という観点からみると面白い。脳の神経系による「毒出し」の行為が、すなわち創造でもあると。
[松岡] その通りでしょう。
[茂木] たとえば、こうやって話すと楽になりますよね。楽になるというのは、自分にとってやっかいなものを排出しているからかもしれない。普通、コミュニケーションというのは気楽なものだと思われているけれども、実は、毒出しかもしれない。
[松岡] お互いに毒を出させあっていたりして(笑)。
 (P.135)

≪目次: ≫
 第一章 世界知を引き受ける
 第二章 異質性礼賛
 第三章 科学はなぜあきらめないか
 第四章 普遍性をめぐって
 第五章 日本という方法
 第六章 毒と闇
 第七章 国家とは何ものか
 第八章 ダーウィニズムと伊勢神宮
 第九章 新しい関係の発見へ