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悪について (岩波新書935)
悪について (岩波新書935)

○著者: 中島義道
○出版: 岩波書店 (2005/2,新書 216ページ)
○価格: 735円
○ISBN: 978-4004309352
おすすめ度:5.0
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つい先日乗り合わせた昼間(仕事で移動中)の路線バス内でのこと、制服姿の中学生と思しき学生たちが大勢乗っていて(乗客は男女の学生たちと老人たちばかり)、バスは思いのほか混雑していて、途中のバス停から乗り込んだぼくは、「座りたいなぁ」と思うも吊革につかまって立っていた。座席を占めて、ゲームに興じたり、おしゃべりをする学生たちに、うるさいなぁ、目障りだなぁ、と思ったことは事実で、そのうちに途中の停留所で、足元がおぼつかないおじいちゃんが乗りこんできた。よろよろしながらバスに乗りこんできたのに、おじいちゃんが目の前に現われても、座席を譲ろうとしないでしゃべっている男子中学生。おばあちゃんも立っている。おもわずぼくは、男子学生のひとりの頭を叩いて、「立て!、おじいちゃんに席を譲れ!」と怒鳴っていた。かわいそうに、3人組の男子学生のうち、ぼくに頭を叩かれた少年はポカンとするも、「おまえらみんな立て!」とぼくに怒鳴られて、おずおずとしながらも3人とも立ち上がった。「さぁ、おじいちゃん、おばあちゃん、座って座って!」と言うぼくは明らかに偽善者だ。その後に乗り合わせた電車では、座席に座っていたぼくは初老の女性を見掛けて「腰掛けますか?」と声を掛けたところで、そこで座席を譲ってみても、これもまた偽善だ。ぼくは、何の疑いもなく“悪”。

出口はないのだ。いかにしても、われわれは道徳的に善くはなれないのである。私にはたえず「道徳的に善い行為をせよ!」という命令だけが聞こえる。しかし、私はみずからそれを実現することができない位置にいることも知っている。
定言命法は、道徳的に善い行為を絶対的に命じるのであって、そうした行為を全体的に実現させるのではない。定言命法は、(いわば)地面に石が落下するように、必然的にわれわれを道徳的に善い行為へと導くのではない。それは、ただ道徳的に善い行為へと向かう指針をわれわれに与えるだけである。
われわれは、この世に人間として生きるかぎり、自分の名誉を守るために、家族を守るために、他人の幸福を守るために、知人を傷つけたくないために、つまり幾重もの自己愛から(自他の幸福を求めて)嘘をつかざるをえない。われわれは、生きるかぎり、何をなそうと、自己愛の臭みを消すことはできない。
われわれは、自己愛の動機を道徳法則に対する尊敬の動機より優先させることしかできない。われわれはこの「転倒」をするように運命づけられている。それがわれわれに与えられた状況なのであり、つまりわれわれの自然的な性癖なのであり、ここに根本悪が潜むのである。
しかし、それでもなお、われわれはみずからを「正しくない」と断罪することができる。自己を告発することができる。われわれは、理性によってこの命令が課せられていることを知っているからこそ、それを実現できないこと、みずからが「正しくない」ことを知るのだ。こうして、われわれは何を実現しても悩むべきである。「われわれは悩むべきであるから、悩むことができる」のでなければならない。われわれは道徳法則からの“Achtung!”という信号を無視できず、それに尊敬(Achtung)を抱いているからである。 (P.202-P.203)


≪目次: ≫
はじめに
第一章 「道徳的善さ」とは何か
ラスコーリニコフ/思索によってではなく行為によってはじめて道徳的世界が開かれる/道徳的センス/善意志/「義務に適った行為」と「義務からの行為」/道徳法則と定言命法/格律と性格/命法と行為のあいだ/目的としての人間性/形式としての悪/肥沃な低地
第二章 自己愛
誰も自己愛の引力圏から抜け出すことはできない/「うぬぼれ」というもの/自己愛と定言命法/自殺について/より完全になろうとする義務/社会的功績は負い目である/賢さの原理/世間的な賢さと私的な賢さ/道徳的善さと純粋さ/善を求めると悪に陥るという構造/幸福の追求/幸福を受けるに値する/苦行の否定/他人に同情すべきか/自己犠牲的行為
第三章 嘘
適法的行為を器用にこなす人々/道徳法則に対する尊敬/真実性の原則/真実性と友の生命/窮余の嘘/愛と嘘
第四章 この世の掟との闘争
適法的行為と非適法的行為/義務の衝突/何が適法的な行為であるか/迫害されている者たち/道徳性と世間のしがらみ/漱石は道徳的である/息子を殺さねばならない
第五章 意志の自律と悪への自由
意志の自律と他律/「文字」と「精神」/自己愛以外の意志の他律/アブラハム/私は貝になりたい/「文字」が「精神」を獲得するとき/アイヒマン/私が誤っていないという保証はどこにもない/堕胎について、プランテラの場合/良心の法廷/ウィーンでの出来事/悪への自由
第六章 文化の悪徳
意志(Wille)と意思(Willkühr)/動物と悪魔のあいだ/悪の場所/動物性の素質と人間性の素質/実践理性と人類の発展史/悪への性癖
第七章 根本悪
人間心情の悪性/悪性の格律を選択する性癖/道徳秩序の転倒/根本悪はあらゆる格律の根拠を腐らせる/出口なし/課せられているが答えることができない問い/ふたたびプランテラの場合/根本悪と最高善

あとがき(二〇〇四年 師走 中島義道


≪著者: ≫ 中島義道 (なかじま・よしみち) 1946年福岡県生まれ。1977年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。1983年ウィーン大学基礎総合学部修了(哲学博士)。現在、電気通信大学教授。著書、『ウィーン愛憎』『続・ウィーン愛憎』(中公新書)、『哲学の教科書』(講談社学術文庫)、『「時間」を哲学する』(講談社現代新書)、『うるさい日本の私』(新潮文庫)、『カントの人間学』(講談社現代新書)、『孤独について』(文春新書)、『ひとを〈嫌う〉ということ』(角川文庫)、『働くことがイヤな人のための本』(新潮文庫)、『時間論』(ちくま学芸文庫)、『カントの時間論』(岩波現代文庫)、『不幸論』(PHP新書)、『カイン』(講談社)、『「私」の秘密』(講談社選書メチエ)、『カントの自我論』(日本評論社)ほか。


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