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哲学の道場 (ちくま新書)
哲学の道場 (ちくま新書159)

○著者: 中島義道
○出版: 筑摩書房 (1998/6,新書 235ページ)
○価格: 756円
○ISBN: 978-4480057594
おすすめ度: 4.5
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毎日毎日本読んで書き記して本読んで書き記して本読んで書き記してを繰り返しているのは、それをせずにはいられないから。
中島義道の『カントの読み方 (ちくま新書、2008/9)』を読んだ後に、古典哲学書の原著を読んでみたいだのどうだのと、調子こいて書き記してしまったのは、そんな野望がないわけじゃないけれど、野望があることを否定することはしないけれども、その後にしばらくスッとしないなにかが引っかかっていて、ぼくは哲学書の原著をホントに読みたいのか?、とみずからに問うてみて、とりあえずのところ今は読みたいと思っていない、あくまでも今であり、しばらく当面は。会社勤め(忙しくないけど暇ではない)をしながら、通勤時間やら細切れの時間をやりくりして、本を読んで書き記してを毎日繰り返す作業は、ぼくみずからの意志による行動であるとはいえ、誰に頼まれたり強制されたわけでもなく好き好んでやっていることだから、厭なら止めればいい、ただそれだけのこと(自己満足)なんだろうけれど、ラクなことではない。しかしぼくがなんとかバランスを保ちながら生きていくために、ぼくにとっては必要な行動(だから続いている?!)と考えている。多くの人々にとってはとるに足らない(のであろうと想像する!?)些細なことであっても、ぼくには不快に感じることが、この世の中には少なくない。ふと気が付くと怒りを抱いているぼくがいて、少し前までだったらその怒りの感情を忌避して、自らが抱いている怒りの感情を否定することによって、自分としては表面(表出する部分)を整えていたつもりであっても、むしろ小さくない歪みを生む結果となって、結局は制御を失ってしまう状態を繰り返してきた(と、今では解釈している)。そんなぼくは、まずは他人と、世の中の出来事全般と、距離をおく必要を感じている。距離をおいて、気にしない、気にならないような状態を確保したい。たとえば、通勤などの電車の中においては、ヘッドフォンをして読書に耽るのも、その一つの方法、自衛策。考えること(考えなくちゃいけないと思っていること)はいろいろあるから、考えないことは、今のぼくにとってちょっとできない注文で、考えることは悪い事でも困った事でもないのだろうけど、考えや妄想が悪い方向に暴走して歯止めがきかなくなったりすると厄介だったりするのかなぁ。大したことを考えているわけではないんだけれど、考えていることの少しでも書き記して(考えたことはほとんど書き記せていないのだが)、考えをまとめる作業であり、ガス抜きであったり、ガス抜きであると考えるに、それは本を読むという、ぼくが考えるに生産性がある行為の後に許される行為が書き記すことであり、本には著者がいて出版社があって成立している一大事業であるから礼を失することがないような配慮が求められてしかるべきであろうことも考えないわけでなかったりもする。そんな、必要性にも求められて本を読んで書き記す行為を繰り返しているぼくは、毎日の繰り返しが必要であると考えるのであって、そう考えるに(そもそもその能力を有していないのではあるが)難解な哲学書の原著に挑むことを、今(十年後、五年後、三年後、一年後はわからないけど今)のぼくは求めてはいないと考える。
ぼくはとりたてて『哲学』という「学問」をしたいわけではない。


≪目次: ≫
はじめに――哲学はやさしくない
哲学は難しい/私が死ぬことの不条理/死は状態ではない/哲学は幸福を目指すものではない/あなたは哲学していない!
第一章 哲学にはセンスが必要である
死の恐怖/驚き/哲学は知識ではない/悩む技術を習得する/とっぴなお話を作る/たえず問い続ける/自分で問い自分で答える/キルケゴールの『死に至る病』を読む/死に切ることしか救いはない/死ぬことも生きることもできない/絶望の三段階/絶望と哲学
第二章 哲学には暇が必要である
長い長い修業期間/「分析哲学」との出会い/哲学的大革命の予感/一九年間の迷い
第三章 哲学には師と仲間が必要である
年取って哲学を続けているのは滑稽である?/大森荘蔵先生の授業/東大紛争のころ/「日暮れて道遠しです」/多彩な仲間たち/ウィーンから帰ってみると/今からでも哲学はできる/哲学の道場とは?
第四章 哲学には修行が必要である
1 哲学的思索の修行  哲学の問いはすぐ言葉がなくなる/哲学は常識にもとづく/ヒュームのこだわり/プラトンの「洞窟の比喩」/私が「机」を見るとはいかなることか?/心身問題は時間問題である/神も一〇〇ターラーも「ある」/主観的普遍性/問いの変質という罠/自分は哲学してきたのか?
2 哲学的議論の修行  実感に沿って語る/サルトルの言葉/肉体の言語/横光利一の『旅愁』から/トーマス・マンの『魔の山』から/哲学的客観主義/相対論/懐疑論と独断論/ライプニッツの『人間知性新論』
3 哲学書の読み方  『純粋理性批判』を読む/Subjektの三重の意味/翻訳は不可能である/誤訳をくぐりぬけて/「直観」とは何か?/だんだんわかってくる/自我は各人に共通にあるものではない/超越論的Subjekt/表象一般の形式としての自我/自我は情報の束ではない/単一性の誤謬推理/文法的単一性と実体的単一性/人格性の誤謬推理/私自身の観点と他者の観点との違い/現実性の誤謬推理/実践理性の要請としての「不死」/哲学者の成立
おわりに――哲学は役に立たない
あとがき〈一九九八年三月二一日(お彼岸) 中島義道〉


≪著者: ≫ 中島義道 (なかじま・よしみち) 1946年、福岡県生まれ。1977年、東京大学大学院修士課程修了。1983年、ウィーン大学哲学科修了。哲学博士。現在、電気通信大学教授。専攻はドイツ哲学、時間論、自我論。著書に『ウィーン愛憎』(中公新書)、『カントの人間学』『時間を哲学する』(いずれも講談社現代新書)、『哲学の教科書』(講談社)、『うるさい日本の私』(洋泉社)、『人生を〈半分〉降りる』(ナカニシヤ出版)、『〈対話〉のない社会』(PHP新書)などがある。