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デリダ、脱構築を語る シドニー・セミナーの記録
デリダ,脱構築を語る シドニー・セミナーの記録  Jacques Derrida: Deconstruction Engaged, The Sydney Seminars, ed. by Paul Patton and Terry Smith, Sydney: Power Publications, 2001

○著者: ジャック・デリダ、ポール・パットン/テリー・スミス 編、谷徹/亀井大輔 訳
○出版:岩波書店 (2005/10, 単行本 201ページ)
○価格: 2,205円 (品切重版未定)
○ISBN: 978-4000240161
おすすめ度: 4.5
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ぼくがほとんど鼻歌でも歌わんばかりに快調(?!)に本書を読みとばしているときに(と記憶しているが定かではない)フト思ったよ。いや、Amazonかなにかのレビューを見た後に、その記述が思い起こされて思ったことであるような気もするなぁ。いずれにしても、ジャック・デリダ(Jacques Derrida, 1930-2004)に興味を抱いていて、著作(書いたものに限られず、言ったこと話したことまで本になっている)を好んで読むのは、やっぱりその読書が心地好いとぼくが思うからに他ならない。そう、どうやらぼくには理解しようという意欲が希薄で、わからなくてもわからないままにとりあえず読み進めていることを否定しない。わからなくても止まることがない。その読み方が正しいかどうか確信はない。間違っていると言われても反論できない。そもそも反論する意義を見出せないし、他人の指図を受けたくもない。仮にぼくの行為(読書方法)が間違っていたとして、その正しくない行為をなしたぼくが受けるべき制裁(があるとするならば)や負担は、ぼくが負えばいいものであって、他人に負わせるべきではないし、他人は負うことができないものであろう。みずからやってみなければわからない。失敗したっていいじゃない。そもそも失敗って、そんなに恥じたり忌避すべきことじゃないとぼくは考えていて、経験でしょ。最初から上手くいったら、そりゃ運がいい。ある意味では失敗して当たり前といったら甘すぎるかしら?、最初はなにもわからない。わからないけど、そのわからない不安を抱えながら挑戦するわけだから、失敗を恐れるならば、どうしても失敗したくないならば(かつてのぼくがそうであったように)なにもしなければいい、一歩踏み出すことをしなければいい。果たして、失敗を恐れてなにも行動しないことは、失敗をしないということにおいては、正しい選択であるとも言えなくもない。しかし、なんの進歩もない。器は今以上に大きくならない。周囲は失敗を恐れることなく新たな挑戦を続けていて、上手くいって自信をもって、失敗して経験を積んで、その場所に今のままで止まることがない。ぼくは、かつてのぼくとなにも変わっていないかもしれない、きっと変わっていないであろうと思う。いまだになんの自信をももつことができない。

訳者あとがきより、
本書は、序文に述べられているとおり、一九九九年八月、デリダがはじめてオーストラリアを訪れたときに開かれた二回のセミナーの記録である。各章では、まず研究者が問題を提起し、それにデリダが答えるという形式をとっている。デリダは、一部の原稿をあらかじめ準備していたが、それ以外はその場で返答している。しかし、どちらの場合も、デリダは「英語」で語っている。英語に堪能なデリダではあるが、そうはいっても、英語は彼にとって外国語である――いやデリダ的に言えば、母語のフランス語も他者の言語だから、英語はデリダにとって二重の他者の言語だということになるだろうか。デリダがフランス語で書いたものは、概して多義的な意味内容を含み、難解であるが、他方、デリダが(フランス語で)語った話し言葉は、概して明快・明解である。しかしながら、右のような――フランス語を駆使できない――状況のなかでデリダが語った英語の話し言葉は、さらにいっそう、あるいは驚くほど、明快・明解である。デリダ自身は、この話し言葉よりも、書いたもののほうがましだ、ということを――いかにもエクリチュールの思想家らしく――このセミナーで述べているが、いやいやどうして、デリダのこの(英語の)話し言葉は、その思想に入門したいと思う者にとっては、まことに好適である。それだけではない。「脱構築」の語によって知られる――あるいは誤解される――デリダの思想はなにか批判的・否定的なニュアンスで受け取られることが多いが、本書では、晩年のデリダが示した「肯定的」傾向が強く示されている。また、デリダの芸術論やメディア論も、そのエッセンスが示されている。かくも明快で豊かな内容をもった、デリダ自身の(他者の)話し言葉にもとづくテクストは少ない。そうであるかぎり、これは、日本の読者のために、ぜひとも訳しておきたい。こういう次第で、訳者は本書の翻訳に(身を入れて)取り組む(エンゲージ)ことになった。  (P.195-P.196、訳者あとがき)



≪目次: ≫
序文 (二〇〇一年二月、シドニー ポール・パットン テリー・スミス)
第汽札潺福次〇覲个鮹構築する (シドニー・タウンホール、一九九九年八月一二日 ジャック・デリダとテリー・スミスの議論)
1 盲目の視界のなかで――書くこと,見ること,触れること……/2 芸術家,投射体/3 メディアの亡霊たち
第競札潺福 肯定的な脱構築 (シドニー大学シーモア・センター、一九九九年八月一三日 ジャック・デリダとジェネヴィーヴ・ロイド、デイヴィッド・ウィルズ、ポール・パットン、ペネロピ・ドイチャーの議論)
1 時間と記憶,メシア性と神の名前/2 肯定的な脱構築,遺産相続,テクノロジー/3 正義,植民地,翻訳/4 歓待,完成可能性,責任/5 公開討論


著者紹介   ジャック・デリダ(Jacques Derrida)/ペネロピ・ドイチャー(Penelope Deutscher)/ジェネヴィーヴ・ロイド(Genevieve Lloyd)/ポール・パットン(Paul Patton)/テリー・スミス(Terry Smith)/デイヴィッド・ウィルズ(David Wills)
解説とキーワード   一 デリダのプロフィール/二 初期デリダの思想形成(1 フッサール現象学 2 ハイデガーの「形而上学の解体」)/三 前期デリダのキーワード(現前の形而上学 métaphysique de la présence ロゴス中心主義 logocentrisme 囲い込み・閉域 clôture 脱構築 déconstruction 差延 différance・痕跡 trace エクリチュール écriture 反復可能性 intérabilité)/四 後期デリダのキーワード(アポリア aporie 責任 responsabilité・決定 décision・正義 justice 贈与 don 赦し pardon 歓待 hospitalité メシアニズムなきメシア的なもの le messianique sans messianisme)/五 デリダ思想と芸術 (谷 徹・亀井大輔)
訳者あとがき (訳者 谷 徹・亀井大輔)


ジャック・デリダ (Jacques Derrida) 1930-2004.フランスの哲学者.脱構築と呼ばれる形而上学批判で知られるが,哲学にとどまらず,文学・芸術・言語学・心理学から法・政治・倫理・宗教まで,幅広い領域にわたって独自の議論を展開した.

ポール・パットン (Paul Patton) ニュー・サウス・ウエールズ大学,哲学教授.
テリー・スミス (Terry Smith) シドニー大学,現代芸術教授.

谷 徹 (たに とおる) 1954年生.慶応義塾大学大学院文学研究科哲学専攻博士課程単位取得退学.現在,立命館大学文学部教授.著書:『これが現象学だ』(講談社現代新書,2002),『意識の自然――現象学の可能性を拓く』(勁草書房,1998)ほか.訳書:M.ジェイ『暴力の屈折』(共訳,岩波書店,2004),E.フッサール『ブリタニカ草稿』(ちくま学芸文庫,2004)ほか.
亀井 大輔 (かめい だいすけ) 1973年生.立命館大学大学院文学研究科西洋哲学専攻博士後期課程修了.現在,立命館大学非常勤講師.論文:「デリダにおける「無限」のありかた」(『アルケー』No.13,2005),「エクリチュール論の形成」(『実存思想論集』XIX,2004)ほか.


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