ブログネタ
読んだ本 に参加中!
城―カフカ・コレクション (白水uブックス)

  Franz Kafka, Das Schloß (白水uブックス155、カフカ・コレクション)

○著者: フランツ・カフカ池内紀
○出版: 白水社 (2006/6, 新書 460ページ)
○価格: 1,470円
○ISBN: 978-4560071557
おすすめ度: 3.5
クチコミを見る



〈いま・ここ〉に〈ぼく〉なんて存在しなければ、きっともっとうまくいくであろうに。。。そう感じることがぼくには少なくなくて、最近でもたびたび、幼少のころから記憶している限りにおいて、ずっと。元来、どちらかと言えば黙っていられない性格で、自分で言っちゃうのもヘンだけど、相対的に目立たない存在ではない方で、むしろ無自覚のうちに暴力的なほどに存在を主張しちゃっていることが少なくなかったりして。自分で言ってて、客観的に可笑しいね、哀しいね。
あえて口を出さないように心掛けているんだけど、ということは、口に出したい衝動を抑制していることにもなるわけで、気にならない、聞こえていないわけではない。意識して訓練した(心掛け始めてから6〜7年くらいは経つかなぁ)おかげで、ホントに聞こえてこなくなることも増えたけど、ある部分では口を出さずに閉ざすことによって、ますます聞こえてきちゃうこともなくないような気もしていたりする。ほとんど妄想癖(ビョーキ)とかのレヴェルかもね。
そんなことを考えながら日々生きていて、やっぱりときどきふと気が付くと、ぼくの暴力性が発動しちゃって、それも偶(たま)のことではないから。凹む、落ちこむ、ふさぎこむ。
共同生活に不向きなんだよ、適性を著しく欠いている。だから、独りで生きていくべきだよ(何度も何度も言われて意識」から離れることがない)。独りで生きていれば(現実的にたった独りだけで他者との関わりを完全に断って生きることは不可能であろうけれども)、迷惑をかけたり、不快な思いをさせることはないからね。ぼくだって、相手の悲しむ顔を見たくはないんだ、本音でね。ある意味では、ぼくには、独りで生きる術が、すでに付与されちゃっているのかもしれない。
このあたりのところを、生きている意義とか、生きて在る、在り方みたいなものを、ぼくはちゃんと考えたい、かなぁ。
それには、いろいろな方法があるであろうから、いろいろな方法をぼくは試みてみたい。どんな試みも、間違いってことはないであろうから、仮にそれが適正ではなかったとしても、適正ではないことを理解して認知して、まわり道のように見えるようなことのなかにも、なにか、そのまわり道のようなものの行動に駆り立てるきっかけであり、なんらかがあったハズで、それをやってみた、行動を起こしたということだけでも、意義がないことではない、のでは。考えをまとめるための、書くという作業があって、一方では、あえて書かないという選択もないことはないわけで、書かないという選択を採用してみて、やっぱり、どうしようもないような恥ずかしいような、どうでもいいような、ほんの小さな断片であっても、ことばに記すという行為の有用性に!?


≪目次: ≫
『城 Das Schloß』
1 到着/2 バルバナス/3 フリーダ/4 女将との最後の対話/5 村長のもとで/6 女将との二度目の対話/7 教師/8 クラムを待つ/9 尋問を拒む戦い/10 通りで/11 学校で/12 助手たち/13 ハンス/14 フリーダの非難/15 アマーリアのもとで/16 (残されたKは……)/17 アマーリアの秘密/18 アマーリアの罰/19 乞食行/20 オルガの計画/21 (とうとう起きてしまった……)/22 (なにげなく辺りを……)/23 (このときがようやく……)/24 (もしエアランガーが……)/25 (目を覚ましたとき……)

『城』の読者のために (池内紀)


≪著者: ≫ フランツ・カフカ (Franz Kafka) 1883‐1924。チェコのプラハに生まれる(当時はオーストリア=ハンガリー帝国領)。両親ともドイツ系ユダヤ人。プラハ大学で法学を専攻。在学中に小説の習作を始める。卒業後は労働者傷害保険協会に勤めながら執筆にはげむ。若くして結核にかかり、41歳で死去。『変身』などわずかな作品をのぞき、そのほとんどは発表されることなくノートに残された。死後、友人マックス・ブロートの手により世に出され、ジョイス、プルーストとならび現代世界文学の最も重要な作家となっている。

[訳者] 池内紀 (いけうち・おさむ) 1940年、兵庫県姫路市生まれ。ドイツ文学者、エッセイスト。主な著訳書:「ウィーンの世紀末」、「二列目の人生」、ゲーテ「ファウスト」他


うなじ♪