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幻想の未来/文化への不満 (光文社古典新訳文庫)
幻想の未来/文化への不満 (フロイト文明論集1) DIE ZUKUNFT EINER ILLUSION 1927/DAS UNBEHAGEN IN DER KULTUR 1930/DER MANN MOSES UND DIE MONOTHEISTISCHE RELIGION 1939  Author: Sigmund Freud (光文社古典新訳文庫)

○著者: フロイト中山元
○出版: 光文社 (2007/9, 文庫 439ページ)
○価格: 760円
○ISBN: 978-4334751401
おすすめ度: 5.0
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基本的にぼくは同じ本を一度しか読まないで、次々とあらたな本を読むようにしているんだけど、まぁそこにはみずからの理解能力不足を自認していたりして、一度読んでわからないものをもう一度読んだからといってわかるものではないだろう、という開き直りにちかいような思いと、数量をこなして経験値?!を上げて理解能力を高めたいという願望のようなものがあったりする。前回本書を読んだのが2008年8月、いまからおよそ10カ月前のこと。案の定ひとこともみずからのことばを書き記していない(苦笑)。
いまぼくが興味をもっていろいろな関連する著書をすこしづつ読み進めている分野?!というのか時代としての、ナチス・ドイツの第三帝国の興亡(1900年代前半、第一次世界大戦から第二次世界大戦)であり、ユダヤ人(ユダヤ教)。まだまだその部分を語るには至らないみたい(能力不足)。

そう、ぼくの〈おとこのこ〉としての。書き記そうかどうしようかさんざん迷って、まぁ迷っているということは、ぼくの意識としては書き記したいという意思を有しているのであって、書き記してしまうことによって生じる他者(関係者?!)への影響を懸念して躊躇していることを認知して、ところでホントに書き記せるの?、などと思いつつ、とりあえず書けるところまで、中途までであっても書いてみよう!
エディプス・コンプレックスというのかしら、その深層はまだまだ探求中ではあるものの、ママン(母親)にたいする欲求?!。ほとんどマザコンと言ってしまったほうが納得がいく。ぼくが女性を見る目のどこかには、ママンを求める想いが少なからず(つよく)あるみたい。そう思い返してみると「わたしはあなたの母親じゃない(怒)!」とは娘の母親からよく言われたもので、そのときには意識することはなかった(まったく意識していなかったわけではなかったが、どうやらぼくがマザコンであることを認知したくないという意識がよりつよくはたらいていたようだ)のだが、このところ、ひとりでいろいろ考えるに、ひとりの心細さ(不安、寂しさ)をかみしめながら同居の可能性やらその在り方について考えるには、パートナー(共同生活をいとなむ異性)との関係において、いまのところその気はまったくないのではあるが、なんらかの偶然が重なって重なって重なって、かりに実現するとするならば、ぼくが求める(無意識のうちに求めてしまうであろう、どう頑張っても抗えないと思う)ものとして。
記憶にある幼少のころのこと、ぼくは男3人兄弟の長男ということもあってか、4歳年下の弟が生まれるまで(記憶はないのだが、聞かされた話や旧い写真などから想像するに)父と母の愛情や関心を一身に浴びて育った。元来?!の性格的にも欲深く、ひねくれていて、イジケタところがあったのかどうか、生まれたばかりの弟は自分ではなにもできない(保護を必要とする)わけだから、それまでぼくだけに向けられていた(とぼくは感じていた)愛情や関心などのエネルギーは、当然のようにぼくに向けられる割合が大幅に減少する。さらには、「あなたは、お兄ちゃんだからガマンしなさい」というようなことを言われたのかどうか記憶にはないのだが、その後になにかにつけて弟を執拗にイジメた?!ことから想像するに、ぼくだけをもっともっと構って欲しかった、愛情や関心などのエネルギーを独占したかったようで、そのことにたいする欲求不満は小さくなかったようだ。そう、弟をイジメタことは、ぼくも明確に記憶しているし、弟からはおとなになってからなにかの機会(身内の結婚式での酒席だったか?!)にハッキリと面と向かって、笑いながらではあったが「兄ちゃんは見えるところではイイ子にしていたけど、見えないところで意地悪でズルかった」と言われたんだけど、まったく否定できなかった。
そして、そんな弟の存在以上に厄介(ジャマ?!)な存在としての〈父親〉。そのときはそんなことに思いもよらなかったであろうが、いま考えるにはそのことを否定する必要もなかろう。弟へ向けられるエネルギー(愛情や関心)は、さらに4歳年下の弟が生まれることによって、弟が成長する(保護を要しなくなる)ことによって希薄なものとなり、だからと言ってぼくに向けられるエネルギーが復活して増大するわけでもなく、ぼくはすでに弟以上に成長しているのであることからも、一度失われたエネルギーがぼくに復活して差し向けられることはない。ぼく自身だって、表面的には成長していることもあって気恥ずかしさもあって、今さらエネルギーを求めることは、くだらないプライドみたいなものもあってか、できようはずもない。もどかしさ?!を感じていなかったと言ったら嘘になるんだろうけれど、マザコンはカッコイイものではない、恥ずかしいものだという、無意識のうちにジョーシキ?!みたいなものに縛られて、認知したくないという気持ちの方がつよかった。そして、最近になって、ふと気がついた、ママンのエネルギーを、ぼくが欲していながら得ることができずに不満を抱えていたエネルギーを、ただひとり変わらず享受しつづけている存在としての〈父親〉。んん??!、もしやこれが、いわゆるところの“父殺し”かと。
こうして、ぼくがことばにして書き記すことによって、ぼくのうちに鬱積した永年の歪みを抱えたエネルギーは開放を得る。


≪目次: ≫
『幻想の未来』(Die Zukunft einer Illusion, 1927)
『文化への不満』(Das Unbehagen in der Kultur, 1930)
『人間モーセと一神教(抄)』(Der Mann Moses und die monotheistische Religion, 1939)

解説――フロイトの宗教批判/中山元
フロイト年譜
訳者あとがき


≪著者: ≫ ジークムント・フロイト Sigmund Freud [1856−1939] 東欧のモラビアにユダヤ商人の長男として生まれる。幼くしてウィーンに移住。開業医として神経症の治療から始め、人間の心にある無意識や幼児の性欲などを発見、精神分析の理論を構築した。1938年、ナチスの迫害を逃れ、ロンドンに亡命。‘39年、癌のため死去。主著に『夢判断』『精神分析入門』『自我とエス』など。

[訳者] 中山元 Nakayama Gen 1949年生まれ。哲学者、翻訳家。主著に『思考のトポス』『フーコー入門』『はじめて読むフーコー』『思考の用語辞典』『〈ぼく〉と世界をつなぐ哲学』ほか。訳書に『自我論集』『エロス論集』(共にフロイト)、『呪われた部分 有用性の限界』(バタイユ)『パピエ・マシン〈上・下〉』(デリダ)『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』(カント)『責任と判断』(アレント)ほか多数。


淡い想い!?