ブログネタ
読んだ本♪ に参加中!
新編 普通をだれも教えてくれない (ちくま学芸文庫)
新編 普通をだれも教えてくれない (ちくま学芸文庫)

○著者: 鷲田清一
○出版: 筑摩書房 (2010/2, 文庫 350ページ)
○価格: 1,260円
○ISBN: 978-4480092700
クチコミを見る



ほんとに「フツー」ってなんだろう?、ケッコウ真剣にぼくはすこしまえから考えつづけていて、それは、幼少のころからず〜っといだきつづけてきた「なんかチガウ気がする」(よくもわるくも、よくもありよくなくもある?)違和感を、世間や周囲や社会にたいするなんとも言いえない(ということはきっとたいしたことではないんだろう)複雑なおもいを、すこしずつ
そう、フツーって、これまでアタリマエのようにおもいつづけてきて恩恵にあずかってきた(じつは大して長い期間ではなかったりするのだが)「便利で清潔で快適な」現在の生活が、どうなんだろ、揺れまくって揺らぎまくって、そろそろ冷静に見詰めなおす時期に、考えをあらためないといけないようなタイミングにあったような気がしているのは(たぶんぼくだけじゃないような気がしている、渋谷のスクランブル交差点の夜の暗さ、久しぶりに乗った地下鉄の空調のない息苦しさ、、、)
「教えてくれない」は、どうなんだろう、ぼくの体験としては、教えてもらったところで分かりえない、教えてもらったとしても(教え諭したとしても)そうそうカンタンには分からない、それなりの時間を年月を歳月を経て年齢に達して、それなりの紆余曲折の経験を酸いも甘いも(痛みや苦しみを、むしろ失敗を)積み重ねて、、、などといったようなものなのか、ぼくにはよく分からない


「普通」とは、人が生きていく上で本当に拠りどころとなること。ところが今、周りを見渡してみても、そんな「普通」はなかなか見出せない。私たちが暮らす場も大きく変わり、人と人との結ばれ方も違ってきた。自由で快適で安全な暮らし。それが実現しているようでその実、息苦しい。時として私たちは他人を、そして自らを傷つける。一体、「普通」はどこにあるのか? この社会の「いま」と哲学的思考とが切り結ばれる珠玉のエッセイ集。


≪目次: ≫
はしがき
I 普通をだれも教えてくれない――人生のベーシックス    自然とか普通ということ 1997 夏/外部化された料理――〈働く〉ことの現在 1996 春/学校と制服1――ジャージという制服こそ脱ぐべき 1996 春/学校と制服2――服が問題なのではない 1997 春/電話という罪1――より深い孤独に陥るためのメディア 1996 春/電話という罪2――「おねがいします」 1996 秋/電話という罪3――煙草とケータイ 2006 夏/浅い言葉、浅い仕事 1998 冬/固い社会、柔らかい社会 1997 秋/社会人ってだれ? 1998 春/不況の社会学――バブル時代に培われた認識 1994 冬/「もう限界です……」 2004 夏/「たいがいにしときや」 2006 秋/納得がゆかない…… 2002 夏/哲学の「発見」 2007 冬/「哲学」はまだ始まっていない? 2008 春 
II ひとは日付に傷つく――神戸児童虐殺事件阪神大震災    透明なボク――行き場を失った残酷さ 1997 夏/息つまる“快適な街” 1997 秋/事件が映す不安 1997 秋/「おとな」の事件 1997 秋/リアルの変容 1997 秋/被災の周辺に〈顔〉が感じられる 1995 冬/受け身の存在として――一九九五年前半の断面 1995 夏/記憶のかたち――ひとは日付に傷つく 1996 冬
III からだが悲鳴をあげている――パニック・ボディ    もう食べたくない 1997 夏/寂しくなってきた性 1997 夏/からだの艶、からだの鏝(こて)光り 1996 夏/身体の傷つきやすさ――人生の皺に挑む三宅一生 1997 夏/ものには旬というものが…… 2006 夏/藝と余韻 2007 秋/遠ざかる病い 1988 春/〈わたし〉が遠くに見える――人体の不思議展 1996 夏/身体、この遠きもの 1994 秋/身体はだれのものか? 1998 冬
IV ずっとこのままだったらいい――干上がる私的な空間    いまが消えてゆく――フェイド・アウト感覚 1997 秋/できないということ 2002 秋/「わたしが悪いのではない」 2008 冬/「勝ち組・負け組」 2006 冬/私的なものの場所(「わたしはだれ?」/しらじらと干上がる私的空間/「私生活に欠けているのは他人」?/綻びはじめた「所有」の観念/アイデンティティの別のステージ) 1996 冬/変容する私的空間 1995 夏/「わたし」の家 1996 秋/家族はいま? 2007 秋/眼、ひとつ。 2002 秋
V 街が浅くなった――都市の肌理(きめ)    「普通」が消えたまち 2006 春/街の陰り、街の深み 1998 春/都市の逆説 2009 夏/だれでもないということ――「箱男」のデモクラシー 1993 秋/コンビニという文化 1997 夏/現代の巫女、メディア 1997 春/リメンバー・ザ・エイティーズ――マガジン文化の時代を回顧して 1996 秋/東京ローカル 2002 秋/ボランティア活動の密やかな意味 2009 春/子どもが窒息しないように 2007 冬/リベラルな街 2008 夏/「集客都市」という物言い 2009 冬/ホップ・ジャンプ――時代の最先端に跳ぶ上海 1994 秋
VI 思いがとどくだろうか――ホスピタリティについて    情報を減量するバブル――「(ハル)」のパソコン通信 1996 春/ささえあいの形――映画「森の中の淑女たち」 1994 冬/「ほうーっ」――感心する才能 2009 春/見て見ぬふりをするのではなく 2006 春/歌い、鳴らし、聴く音楽――音楽療法の試み 1998 春/身を引き裂かれるままに――「もののけ姫」のもどかしさ 1997 秋/スポーツの悲しみ 1997 冬/歳は離れていても 1996 秋/スケーマ、あるいは恋愛の標的 1993 冬/おしゃれな名刺 2006 夏/とどかぬ想い――絵馬のはなし 1995 夏/遠い死、近い生 1997 春/われわれの死後の姿とは? 1998 春/合掌 2008 秋

あとがき (一九九八年五月 鷲田清一)
文庫版あとがき (鷲田清一)
初出一覧
解説/苅部 直 (政治学者・日本政治思想史)


※本書は一九九八年七月五日、潮出版社より刊行された。


≪著者: ≫ 鷲田清一 (わしだ・きよかず) 1949年、京都市生まれ。1977年、京都大学大学院文学研究科博士課程修了。大阪大学大学院文学研究科教授を経て、大阪大学総長。専攻は哲学・倫理学。1989年『分散する理性』(のち『現象学の視線』に改題(講談社学術文庫))と『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫)でサントリー学芸賞を、2000年『「聴く」ことの力』(阪急コミュニケーションズ)で桑原武夫学芸賞を受賞。その他の著書に、『ちぐはぐな身体』(ちくま文庫)、『思考のエシックス』(ナカニシヤ出版)、『噛みきれない想い』(角川学芸出版)などがある。

鷲田清一 『噛みきれない想い』(角川選書、角川学芸出版、2009年) '11/03/13
鷲田清一 『「待つ」ということ』(角川選書、角川学芸出版、2006年) '11/02/05
徳丸吉彦/青山昌文編著、鷲田清一/卜田隆嗣/寺内直子/加藤厚子/福岡正太著 『芸術・文化・社会 〔改訂版〕 '06』(放送大学教材、放送大学教育振興会、2006年) '10/11/29





人気ブログランキングへ