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暇と退屈の倫理学
○著者: 國分功一郎
○定価: 本体1,800円+税
○ISBN: 978-4255006130






朝日新聞やニューヨークタイムズのインタビューで注目を浴びる気鋭のスピノザ研究者が、「3.11以降の生き方」を問う。潑剌と、明るく、根拠をもって「よりよい社会」を目指す論客のデビュー。


≪目次: ≫
まえがき

序章 「好きなこと」とは何か?

第一章 暇と退屈の原理論――ウサギ狩りに行く人は本当は何が欲しいのか?
パスカルという人/人間の不幸の原因/ウサギ狩りにいく人はウサギが欲しいのではない/欲望の原因と欲望の対象/熱中できること、自分をだますこと/もっともおろかな者/パスカルの解決策/苦しみをもとめる人間/ニーチェと退屈/ファシズムと退屈――レオ・シュトラウスの分析/緊張のなかにある生/ラッセルの『幸福論』/幸福であるなかの不幸/ラッセルとハイデッガーの驚くべき一致/退屈の反対は快楽ではない/人は楽しいことなどもとめていない/熱意?/ラッセルの結論の問題点/東洋諸国の青年、ロシアの青年は幸福である?/熱意の落とし穴/スヴェンセン『退屈の小さな哲学』/みんなと同じはいや!/スヴェンセンの結論の問題点

第二章 暇と退屈の系譜学――人間はいつから退屈しているのか?
退屈の歴史の尺度/人類と遊動生活/遊動生活についての偏見/強いられた定住生活/定住と食料生産/遊動生活と食料/なぜ一万年前、中緯度帯であったか?/最近一万年間に起こった変化/そうじ革命・ゴミ革命/トイレ革命/死者との新しい関わり方/社会的緊張の解消/社会的不平等の発生/退屈を回避する必要/負荷がもたらす快適さ/〈暇と退屈の倫理学〉という一万年来の課題/※遊動生活者と定住生活者についての注/※定住革命の哲学的意味についての注

第三章 暇と退屈の経済史――なぜ“ひまじん”が尊敬されてきたのか?
暇と退屈はどう違うか?/尊敬される“ひまじん”/有閑階級と所有権/暇の見せびらかし/顕示的閑暇の凋落/ヴェブレン理論の問題点/アドルノのヴェブレン批判/ヴェブレンvsモリス/暇を生きる術を知る者と知らぬ者――「品位あふれる閑暇」/ラファルグの労働賛美批判/ラファルグの思い込み/労働者を使って暴利を貪るにはどうすればよいか?/フォーディズムの革新性/労働としての休暇/グラムシによる禁酒法の分析/管理されない余暇?/自分の欲望を広告屋に教えてもらう――ガルブレイス/「新しい階級」/仕事の充実/ポスト・フォーディズムの諸問題/不断のモデルチェンジが強いる労働形態/〈暇と退屈の倫理学〉とハケン

第四章 暇と退屈の疎外論――贅沢とは何か?
必要と不必要/浪費と消費/人は何を消費するのか?/「原初の豊かな社会」/浪費を妨げる社会/消費対象としての労働と余暇/『ファイト・クラブ』が描く消費社会/タイラーとの出会い/消費社会とそれに対する拒否/タイラーとはだれか?/現代の疎外/疎外と本来性/疎外を再考する/ルソーと疎外/ホッブズの自然状態論/戦争状態から国家形成へ/ルソーの自然状態論/利己愛と自己愛/自然状態は何の役に立つのか?/本来性なき疎外/マルクスと労働/マルクス疎外論はどう読まれたか?/疎外論者たちの欲望/労働と仕事――ハンナ・アレント/アレントによるマルクスのテキストの改竄/マルクスにおける〈暇と退屈の倫理学〉

第五章 暇と退屈の哲学――そもそも退屈とは何か?
哲学の感動/気分を問う哲学/根本にある気分/退屈を二つに分けてみる/退屈の第一形式/退屈は何でないか?/気晴らしと時間/〈引きとめ〉/〈空虚放置〉/言うことを聴いてくれない/駅舎の理想的時間/退屈の第二形式/気晴らしはどこにあるか?/葉巻と事を構えているのではなく……/ついに見つかった気晴らし/第二形式における〈空虚放置〉と〈引きとめ〉/成育する〈空虚放置〉/放任しても、放免しない〈引きとめ〉/第二形式によって明らかになるもの/第二形式と人間の生/第二形式の「正気」/退屈の第三形式/気晴らしはもはや許されない/第三形式における空虚放置と引きとめ/第三形式と第一形式の関係/第三形式と第二形式の関係/開放と自由

第六章 暇と退屈の人間学――トカゲの世界をのぞくことは可能か?
ひなたぼっこするトカゲについて考える/ある物をある物として経験する/石/動物/人間/ダニの世界/吸血のプロセス/三つのシグナル/環世界/ダニの驚くべき力/時間とは何か?/ベタの時間、カタツムリの時間/時間の相対性/環世界から見た空間/物そのもの?/ミツバチを語るハイデッガー/〈とりさらわれ〉と〈とらわれ〉/トカゲの環世界、宇宙物理学者の環世界/天文学者の環世界/人間と動物の違い/盲導犬から考える――環世界間移動について/環世界と退屈/退屈する動物

第七章 暇と退屈の倫理学――決断することは人間の証しか?
人間と自由と動物についてのハイデッガーの考え/目をつぶれ! 耳を塞げ!/決断の奴隷になること/決断後の主体/第一形式と第三形式の意外な関係/決断の電車旅行/第二形式の特殊性/人間が人間らしく生きること/コジェーヴ――歴史の終わり、人間の終わり/既に訪れていた歴史の終わり/アメリカ人は動物/人間であり続ける日本人/コジェーヴの勘違い/勝手な理想化/テロリストたることの勧め?/習慣のダイナミクス/肝試しと習慣/考えること/ドゥルーズにおける「考えること」/ハイデッガーの生きた環世界の崩壊/快原理/人間らしい生からはずれること/人間的自由の本質

結論
一つ目の結論/スピノザと分かることの感覚/なぜ結論だけを読むことはできないか?/二つ目の結論/楽しむための訓練/日常的な快/再びハイデッガーについて/消費社会と退屈の第二形式/モリス、芸術、社会変革/三つ目の結論/〈動物になること〉の日常性/楽しむことと思考すること/待ち構えること/〈暇と退屈の倫理学〉の次なる課題――暇の「王国」に向かって

あとがき (二〇一一年九月 國分功一郎)


≪著者: ≫ 國分功一郎 (こくぶん・こういちろう) 1974年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。高崎経済大学経済学部准教授。専攻は哲学。著書に『スピノ ザの方法』(みすず書房)、訳書に、デリダ『マルクスと息子たち』 (岩波書店)、コールブルック『ジル・ドゥルーズ』(青土社)、ドゥルーズ『カントの批判哲学』(ちくま学芸文庫)、共訳として、デリダ『そのたびごとにただ一つ、世界の終焉』(岩波書店)、フーコー『フーコー・コレクション4』(ちくま学芸文庫)、ガタリ『アンチ・オイディプス草稿』(みすず書房)がある。

ジャック・デリダ 『マルクスと息子たち  Marx & Sons, 2002 』(國分功一郎 訳、岩波書店 (2004年) '09/09/22
ジル・ドゥルーズ 『カントの批判哲学  La philosophie critique de Kant, 1963 』(國分功一郎 訳、ちくま学芸文庫、2008年) '09/08/11

西田正規 『人類史のなかの定住革命』(講談社学術文庫、2007年) '10/10/01
岡村道雄 『縄文の生活誌』(日本の歴史01、講談社学術文庫、2008年) '10/12/03
ヤーコプ・フォン・ユクスキュル 『生命の劇場  Das allmächtige Leben”, 1950 』(入江重吉/寺井俊正 訳、講談社学術文庫、2012年) '12/03/22


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