Gori ≒ ppdwy632

〈ぼく〉の思索の一回性の偶然性の実験場。

美術館、博物館、企画展、芸術鑑賞

本「建築がすごい世界の美術館  Art Museums with Architectural Beauty (PIE BOOKS)」5

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すごい、Architectural Beauty


建築だけでも見る価値あり! 世界の名建築美術館

王家のプライベートな宮殿がそのまま美術館となったエルミタージュ美術館。建築を見るためにその街を訪れる客が急増したビルバオのグッゲンハイム美術館など、世界には建築の個性が光る美術館があります。本書では、貴族の邸宅を美術館にした壮麗な建物から、発電所や駅舎などを改装して見事な建築に甦らせた美術館、また現代建築家が作り出した奇想天外な美術館まで、建築だけでも見に行きたい世界の美術館を紹介します。


≪目次: ≫

ヨーロッパ・地中海文明博物館(MuCEM) The Musenm of European and Mediterranean Civilisations
 フランス、マルセイユ|ルディ・リチョッティ|2013

フォンダシオン ルイ・ヴィトン Louis Vuitton Foundation
 フランス、パリ|フランク・ゲーリー|2014

ルーヴル美術館 Louvre Museum
 フランス、パリ|イオ・ミン・ペイほか|1793

ルーヴル・ランス The Louvre Lens
 フランス、ランス|SANAA(妹島和世/西沢立衛)|2012

ジャン・コクトー美術館 Jean Cocteau Museum
 フランス、マントン|ルディ・リチョッティ|2011

FRAC マルセイユ FRAC Art Museum
 フランス、マルセイユ|隈研吾|2013

コンデ美術館 ‐ シャンティイ城 Château de Chantilly - Musée Condé
 フランス、オワーズ|ジャン・ビュランほか|1898

column 改装美術館――改装を施すことで 新しく命を 吹き込まれた建築物
オルセー美術館
 フランス、パリ|ドミニク・ブラール、ジャン・ミシェル・ウィルモット、カンバナ・ブラザーズ|2008
ラ ピシーヌ工芸美術館
 フランス、ルーベ|ジャン・ポール・フィリポン|2001
レッド・ドット・デザイン・ミュージアム
 ドイツ、エッセン|ノーマン・フォスター|1997

テート・モダン Tate Modern
 イギリス、ロンドン|ヘルツォーク&ド・ムーロン|2000

リバーサイド交通博物館 Riverside Museum, Glasgow
 イギリス、グラスゴー|ザハ・ハディド|2011

ナショナル・スペース・センター National Space Center Leicester
 イギリス、レスター|ニコラス・グリムショー|2001

インペリアル・ウォー・ミュージアム・ノース Imperial War Museum north
 イギリス、マンチェスター|ダニエル・リベンスキンド|2001

ローリー・センター The Lowry Center, Lowry Art Gallery
 イギリス、マンチェスター|ジェームス・スターリング/マイケル・ウィルフォード|2000

ブレゲンツ美術館 Kunsthaus Bregenz
 オーストリア、ブレゲンツ|ピーター・ズントー|1997

グラーツ美術館 Kunsthaus Graz
 オーストリア、グラーツ|ピーター・クック/コリン・フルニエ|2003

ウィーン美術史美術館 Kunst historisches Musenm Wien
 オーストリア、ウィーン|ゴットフリート・ゼンバーほか|1891

ベルヴェデーレ宮殿 Belvedere Palace
 オーストリア、ウィーン|ヨハン=ルーカス・フォン・ヒルデブラント|1781

セセッション館 Secession, Association of Visual Artists
 オーストリア、ウィーン|ヨーゼフ・マリア・オルブリッヒ|1898

ランゲン・ファンデーション Langen Foundation
 ドイツ、ノイス|安藤忠雄|2004

ユダヤ博物館 Jewish Museum Berlin
 ドイツ、ベルリン|ダニエル・リベスキンド|2001

マルタ・ヘルフォルト美術館 Marta Herford
 ドイツ、ヘルフォルト|フランクリン・ゲーリー|2005

シュターツギャラリー Staatsgalerie Stuttgart
 ドイツ、シュツットガルト|ジェームズ・スターリング|1984

インゼル・ホンブロイッヒ Museum Insel Hombroich
 ドイツ、ノイス|ヘーリッヒ|1987

聖コロンバ教会ケルン大司教区美術館 Kolumba
 ドイツ、ケルン|ペーター・ズントー|2007

ヴィトラ・デザイン・ミュージアム Vitra Design Museum
 ドイツ、ヴァイル・アム・ライン|フランク・ゲーリー|1989

オードロップゴー美術館 (増築) Ordrupgaard
 デンマーク、コペンハーゲン|ザハ・ハディド|2005

column 企業美術館――メセナの一環として 市民とアートの 出会いの場をつくる
カルティエ財団現代美術館
 フランス、パリ|ジャン・ヌーヴェル|1984
ポルシェ美術館
 ドイツ、シュツットガルト|デルガン・マイスル|2009

パウル・クレー・センター Zentrum Paul Klee
 スイス、ベルン|レンゾ・ピアノ|2005

ルクセンブルク・ジャン大公現代美術館(MUDAM) Mudam Luxembourg
 ルクセンブルク|イオ・ミン・ペイ|2006

フローニンゲン美術館 Groninger Museum
 オランダ、フローニンゲン|アレッサンドロ・メンディーニほか|1994

グッゲンハイム・ビルバオ Guggencheim Museum Bilbao
 スペイン、ビルバオ|フランク・ゲーリー|1997

ダリ劇場美術館 Dali Theatre-Museum
 スペイン、フィゲラス|エミリオ・ペレス・ピニェロ/サルバドール・ダリ|1974

バレンシア芸術科学都市 Valencia Science Museum
 スペイン、バレンシア|サンチャゴ・カラトラヴァ|2006

イタリア国立21世紀美術館(MAXXI) Museo Nazionale delle Arti del XXI Secolo
 イタリア、ローマ|ザハ・ハディド|2010

プンタ・デラ・ドガーナ Punta della Dogana
 イタリア・ヴェネチア|安藤忠雄|2009

ヴァチカン美術館 Vatican Museums
 ヴァチカン市国|ミケランジェロほか|1506年頃

エルミタージュ美術館 Hermitage Museum
 ロシア、サンクト・ペテルブルク|フランチェスコ・ラストレリほか|1764

トプカプ宮殿博物館 Topkapi Palace Museum
 トルコ、イスタンブール|メフメト2世|1459〜65年

colimn 歴史を継承する美術館――歴史的建造物や美の空間に 迷い込んだかのような、邸宅や施設
ウフィツィ美術館
 イタリア、フィレンツェ|ジョルジョ・ヴァザーリほか|1769
サー・ジョン・ソーンズ博物館
 イギリス、ロンドン|ジョン・ソーン|1837

ヘイダル・アリエフ文化センター Heydar Aliyev Centre Wins Design
 アゼンルバイジャン、バクー|ザハ・ハディド|2012

イスラム美術博物館 Museum of Islamic Art
 カタール、ドーハ|イオ・ミン・ペイ|2008

デザイン・ミュージアム・ホロン Design Museum Holon
 イスラエル、ホロン|ロン・アラッド|2010

広東省博物館 The Guangdong Museum
 中国、広州|ロッコ・デザイン・アーキテクツ|2010

オルドス博物館 Ordos Museum
 モンゴル、オルドス|MADアーキテクツ|2012

ハノイ国立博物館 Hanoi National Museum
 ベトナム、ハノイ|gmp Architekten|2010

アートサイエンス博物館 ArtScience Museum
 シンガポール、アリーナ・ベイサンズ|モシェ・サフディ|2011

エラワン博物館 Erwan Museum
 タイ、サムットプラーカーン|レック・ウィリヤパン|年不詳

ソウル国立大学博物館 Seoul Museum of Art University Affiliated
 韓国、ソウル|レム・コールハース|2005

ロイヤル・オンタリオ博物館(マイケル・リー・チン・クリスタル) Royal Ontario Museum
 カナダ、トロント|ダニエル・リベスキンド|2007

アートギャラリー・オブ・オンタリオ(オンタリオ美術館) Art Gallery of Ontario
 カナダ、トロント|フランク・ゲーリー|2008

ミルウォーキー美術館 (増築) Milwaukee Art Museum
 アメリカ、ミルウォーキー|サンティアゴ・カラトラヴァ|2001

エリ&エディス・ブロード美術館 Eli & Edythe Broad Art Museum
 アメリカ、ミシガン|ザハ・ハディド|2012

アクロン・アート・ミュージアム (増築) Akron Art Museum
 アメリカ、アクロン|コープ・ヒンメルブラウ|2007

ソロモン・R・グッゲンハイム美術館 Solomon R. Guggenheim Museum
 アメリカ、ニューヨーク|フランク・ロイド・ライト|1959

ウォーカー・アート・センター (増築) Walker Art Center
 アメリカ、ミネアポリス|ヘルツォーク&ド・ムーロン|2005

フォートワース現代美術館 Modern Art Museum of Fort Worth
 アメリカ、テキサス|安藤忠雄|2002

ローゼンタール現代美術センター Rosenthal Center for Contemporary Arts
 アメリカ、シンシナティ|ザハ・ハディド|2003

デンバー美術館 (増築) Denver Art Museum
 アメリカ、デンバー|ダニエル・リベスキンド|2006

サルバドール・ダリ美術館(セントピーターズバーグ) Salvador Dali in St. Peterburg
 アメリカ、フロリダ|ヘルムース・オバタ・カッサバウム|2011

アスペン美術館 Aspen Art Museum
 アメリカ、コロラド|坂茂|2014

ソウヤマ美術館 Museo Souyama
 メキシコ、メキシコシティ|フェルナンド・ロメロ|2011

ニーマイヤー美術館 Museo Oscar Niemeyer
 ブラジル、クリチバ|オスカー・ニーマイヤー|2003

ニテロイ美術館 Niteroi Contemporary Art Museum
 ブラジル、リオ・デ・ジャネイロ|オスカー・ニーマイヤー|1996

INDEX (・美術館名称(和・英)・WEBサイトURL・住所)

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本「鎌倉の古道と仏像 武家の古都を語る (楽学ブックス・古寺巡礼19)」原田寛 写真・文5

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鎌倉の写真を撮り続ける原田氏の美しい風景写真と迫力ある仏像写真で、その土地に秘められた物語を8つのルートに沿って案内します。

「武家の古都・鎌倉」を、歴史をたどれる8つのルートに分け、原田氏の力強い写真と文章で紹介。源頼朝によって幕府が開かれた鎌倉は、将軍を中心にした政治の仕組が作られた武家の古都だ。三方を山に囲まれ一方が海に面している場所に都市が築かれたという点も特徴的で、周囲の山には稜線を掘り下げて「切通」という交通路が整備され、海上には日本最古の築港・和賀江嶋も築かれた。また、山肌に入りこんだ谷(谷戸)は垂直に切り落とされ、武家や僧侶の墓や供養のための仏殿が作られている。そんな歴史の積み重ねが、鮮やかに残る鎌倉の魅力を、「古道と仏像」をテーマに鎌倉を知り尽くしたカメラマンが紹介する1冊。


≪目次: ≫
地図 「鎌倉市街図」

Route 1 武家政権発祥の地を巡る 【鶴岡八幡宮周辺】
鎌倉の中心・鶴岡八幡宮/源氏と鎌倉との繋がり/頼朝の鎌倉入り/鎌倉幕府の興亡の地
Column 鶴岡八幡宮の神事――伝統と文化を受け継ぐ武家の守り神の神事
Route 2 日蓮宗発祥の地を巡る 【小町大路・名越周辺】
松葉ヶ谷の草庵跡/格式の高い日蓮宗寺院
Route 3 潮風香る地を巡る 【材木座周辺】
海辺の古都を代表する寺/まだある海に関わる寺
Route 4 名仏のある寺を巡る 【長谷・極楽寺周辺】
鎌倉を代表する巨像/まだある名仏
Route 5 鎌倉禅発祥の地を巡る 【北鎌倉駅周辺】
北条氏別邸跡に建つ寺/円覚寺の創建
Column 建長寺――復元された鎌倉五山第一位の禅専修道場
Route 6 鎌倉の隠れ里を巡る 【扇ヶ谷・源氏山周辺】
各時代の武家ゆかりの寺/鎌倉の隠れ里
Route 7 鎌倉古道塩の道を巡る 【金沢街道周辺】
塩の道/足利氏ゆかりの地
Route 8 武士たちのやぐら群が続く道 【天園ハイキングコース】
鎌倉独自の墳墓の遺跡
Column 鎌倉独特の中世墳墓「やぐら」――鎌倉時代の姿を伝える貴重な遺構

鎌倉を深く知る
鎌倉仏とは何か
写実的で庶民も親しみやすい鎌倉仏/仏像の世界を変えた天才仏師・運慶の登場/リアルでダイナミックに仏像彫刻の絶頂期/宋様式の影響を受けた立体的な装飾法/仏教彫刻の技が鎌倉彫へと引き継がれる
Column 鎌倉国宝館――至近距離で貴重な鎌倉仏と対面できる博物館
源氏と北条氏の系図
鎌倉の歴史を彩った人々
源義朝(1123-1160)/北条時政(1138-1215)/源頼朝(1147-1199)/源頼家(1182-1204)/源実朝(1192-1219)/北条政子(1157-1225)/北条義時(1163-1224)/北条泰時(1183-1242)/公暁(1200-1219)/日蓮(1222-1282)/北条時頼(1227-1263)/北条時宗(1251-1284)/新田義貞(1301-1338)/足利尊氏(1305-1358)/足利持氏(1398-1439)
鎌倉歴史略年表(寺社関係を中心に)
寺社・史蹟データ一覧

あとがき (原田寛)


※カバー表紙: 杉本寺の仁王像


≪著者: ≫ 原田 寛 (はらだ・ひろし) 1948年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業。古都を中心に撮影し、鎌倉の歴史と文化、自然の撮影をライフワークとしている。また、鎌倉風景写真講座を主宰し後進の指導にもあたっている。主な作品集に『鎌倉』『鎌倉 II』(求龍堂)、『鎌倉 長谷寺』(かまくら春秋社)、『四季鎌倉』(神奈川新聞社)、『花の鎌倉』(グラフィック社)、著書に『古都の写し方入門』(日本カメラ社)、『鎌倉花手帳』『鎌倉の古寺』(JTBパブリッシング)、『図説 鎌倉伝説散歩』(河出書房新社)、『鎌倉のまつり行事小辞典』(かまくら春秋社)など多数。日本写真家協会会員、鎌倉市観光協会理事、鎌倉市在住。HP(http://www.haradahiroshi.com/)「写真家 原田寛 Photographer Hiroshi Harada Official Website



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展覧会「日本彫刻の近代」東京国立近代美術館5

展覧会「日本彫刻の近代」表
日本彫刻の近代
Modern Age in Japanese Sculpture
From its Beginnings through the 1960s


 東京国立近代美術館
 The National Museum of Modern Art,Tokyo
(略称:MOMAT)

展覧会「日本彫刻の近代」東京国立近代美術館 裏東京・上野にある東京藝術大学大学美術館にて開催中の展覧会「岡倉天心 −芸術教育の歩み」から、日本の近代の美術にも抱かれた興味。実は、絵画作品は勿論のこと、彫刻作品の立体的な躍動感に、大いなる関心。
当然に、橋本治の著作「ひらがな日本美術史7(近代篇) −新潮社」の影響も大きい。本に掲載されている写真は、実物のインパクトには敵わない。
実物の、本物の迫力には圧倒される。

彫刻技術の近代、幕末・明治期から1960年代までの、約100点の作品が一堂に会する。

パンフレットの『坑夫 −荻原守衛,1907年』の荘厳さ。
炭坑労働者の肉体的な逞しさ、美。でもモデルの彼は、名もなき一介の労働者だから、どんなに格好良く彫刻作品が作り上げられたとしても、彼の名が冠されることなく「坑夫」。
堀の深い顔の奥に潜む目に瞳の造作はない。彼に目力は必要とされない。何かを見据える、というよりは、傾けられた体や顔から漂う無力感。厳しい労働に、黙々とただただ肉体を駆使する労働者。

うずくまる女性。
表情を窺うことはできない。何をか語る背中、肩。

はたまた、決して美しいとは言い難い人間の姿。老い、深く刻まれた皺、垂れた肉。
それでも、目を背けることができない、惹きつけられる”何か”がある。

立体的な彫刻作品だから、私が動いて角度を変えて、真正面から、下から、横から、後ろからも、見る、見る、見る。

個人的にはやっぱり、明治・大正・昭和初期の、無骨な人間味溢れる彫刻作品に、大きく心を揺さ振られた。



ところで、美術館ってスゴイ。
私は超ビギナーのド素人なので、企画展覧会を狙って行くのだけれども、「常設展も見れますよ」の、常設展が素晴らしい。「え〜、この作家の、この作品が、こんなところ(失礼!?)に、、、え〜、いいのいいの」と、有難く拝むことができちゃう驚き、感動。
なるほど、”美術作品を収集・保存・展示して、文化に関する教育・普及・研究を行なう施設”な訳だから。

今回は何と、東京国立近代美術館所蔵作品展「近代日本の美術」は勿論のこと、東京国立近代美術館工芸館まで観覧できる。一粒で三度美味しい。

特に、工芸館の建物は、明治時代に日本人技術者により建築された洋風煉瓦造を、保存活用したもので、重要文化財に指定されている。




展覧会「岡倉天心 −芸術教育の歩み」東京藝術大学大学美術館5

展覧会「岡倉天心 −芸術教育の歩み」表東京藝術大学創立120周年企画『岡倉天心 −芸術教育の歩み』
 Okakura Tenshin −The Course of Art Education


橋本治の「ひらがな日本美術史7(近代篇)」を読んだら、行かない訳にはいかなくなった。
江戸時代(〜1867)の鎖国政策を開放して、西洋文化がやってきた明治時代(1868〜1912)。フランスパリでは、印象派が登場した時代。と、それ以降の日本の美術史を語る上で、その発展に少なからぬ影響を及ぼした、1887年(明治20年)の「東京美術学校」の開校。後に、現在の「東京藝術大学」に引き継がれ、1952年に閉校する。
アーネスト・フェノロサ(Ernest Francisco Fenollosa,1853.2.18-1908.9.21,アメリカの東洋美術史家哲学者)、狩野芳崖(かのう ほうがい,1828.2月27-1888.11.5)と共に、学校創設に深く関わり、27歳にして第二代校長の座に就いた、天心・岡倉覚三(1863-1913)。
美術の教育指導、環境整備に止まらず、資金調達目的ではあったものの、展覧会を開催したり、制作請負を募り、また一方では、模写による文化財の保護、美術団体の支援、美術行政の整備まで、幅広く精力的な活動が行われた。
その周辺の活動の記録や、関係した作品の数々の展覧会。
岡倉天心自身は、東京大学を卒業した、文部省官僚。晩年の著作こそあれ、絵画などの美術作品を遺していない。現場のプレイヤーではなく、プロデューサーマネージャー
展覧会「岡倉天心 −芸術教育の歩み」裏岡倉天心(1863-1913)は、明治期に活躍した美術家、美術史家、美術評論家、美術教育者。本名は覚三(かくぞう)。横浜生まれ。東京美術学校(現東京藝術大学)の設立に大きく貢献し、日本美術院の創設者としても著名。
福井士だった父親は貿易商で、幼い頃から英語に慣れ親しむ。
東京開成所(のちの官立東京開成学校、現東京大学)入所し、政治学・理財学を学ぶ。
1880年に東京帝国大学卒業、文部省に勤務。英語が得意だったことから、アーネスト・フェノロサの助手となり、フェノロサの美術品収集を手伝い、日本美術の調査を行った。
1882年(明治15年)には、専修学校(現専修大学)の教官となり、専修学校創立時の繁栄に貢献し学生達を鼓舞した。文部省専門学務局内記課との兼任。
そのことが、東京美術学校の創設に活かされ、1886年〜1887年の東京美術学校設立のための欧米視察旅行の後、1887年に東京美術学校幹事。東京美術学校は1889年開校した。1890年に校長に就任の後もさかんに教鞭をとり、横山大観(よこやま たいかん,正字体:大觀,1868.9.18-1958.2.26,本名:横山秀麿 ひでまろ)、下村観山(しもむら かんざん,1873.4.10-1930.5.10)、菱田春草(ひしだ しゅんそう,1874.9.21-1911.9.16)らを育てた。
ところが、1898年に東京美術学校を排斥され辞職。日本美術院を発足。
1901年〜1902年、インド訪遊。
1904年、ボストン美術館 中国・日本美術部に迎えられる。ボストン市を往復することが多くなり、それ以外は茨城県五浦アトリエで過ごす。
晩年には、日本の芸術文化や思想を、英文著作に遺す。
『The Ideals of the East-with special reference to the art of Japan』1903年、日本語訳『東洋の理想』
『The Awakening of Japan』1904年、日本語訳『日本の目覚め』
『THE BOOK OF TEA』1906年、日本語訳『茶の本』
 〜Wikipediaより

茨城県天心記念五浦美術館
 http://www.tenshin.museum.ibk.ed.jp/






国立西洋美術館にて開催していたイベント”光彩時空 '07”
陽が落ちると晩秋の風は冷たく、早々に退散した・・・

イベント「光彩時空 '07」国立西洋美術館 表イベント「光彩時空 '07」国立西洋美術館 裏

展覧会「フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展」国立新美術館5

展覧会「フェルメール」国立新美術館 表展覧会「国立新美術館開館記念 アムステルダム国立美術館所蔵 
フェルメール≪牛乳を注ぐ女≫とオランダ風俗画展
MILKMAID BY VERMEER AND DUTCH GENRE PAINTING
- Masterworks from the Rijksmuseum Amsterdam」


17世紀のオランダ(ネーデルラント)は、当時の世界の覇権国家スペインからの独立(1648年)を果たし、黄金時代を築く。同じキリスト教同士の宗教改革プロテスタントの分離、オランダ独立戦争(1568年〜1648年)。
オランダ海上帝国を築き、植民地を拡げ、海外交易によって急速に発展した経済。莫大な富を手にした市民階級が中心となって、文化・芸術が栄えた。パトロン(後援者)あっての芸術家。経済的な後ろ盾がなければ、芸術の発展はみられない。
経済的に豊かな社会が形成されて、栄えた”オランダ風俗画”。

しかし、イングランドとの三度の英蘭戦争(1652年〜)により疲弊した国力は、フランスとのオランダ戦争(1672年〜1678年)により国家的危機を招く、「災厄の年」1672年。国力の低下により、芸術界にも、フランス古典主義の影が迫るも、継承される”オランダ風俗画”。
写真が発明され(1827年)、19世紀後半のフランス印象派(1874年〜)が発する、遥か昔。
展覧会の目玉は、ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer,1632.10.31-1675.12.15)の『牛乳を注ぐ女 The Kitchen Maid(The Milkmaid)』(1658-60頃,アムステルダム国立美術館)
色鮮やかな”青”、黄色、そして、”白”、光の彩り。

展覧会「フェルメール」国立新美術館 裏フェルメールの作品は一点。
アムステルダム国立美術館の所蔵作品を中心に、17世紀から19世紀末までのオランダ風俗画の多様な展開。経済的発展が、富を得た市民の生活を変え、豪華な工芸品や楽器にも、目を見張る成果があった。

それでも、どんなに経済的な発展があって、富裕層が増えて、国家が繁栄しても、みんながみんな金持ちになって大きな家に住んで豊かな暮らしができる訳ではない。
庶民は、豊かさの恩恵を受けるも、変わらぬ慎ましい生活を営む。
女性には、良妻賢母が求められ、家事労働に勤しむ。主婦であり、女中、乳母として。
一方の男は、酒場で酔い潰れ、給仕の女性を口説き、賭けごとに夢中になり、娼婦と遊ぶ。
薄暗く、雑然と、床に食べ物や食器が転がる、部屋の中。日常生活。

一点、『楽師たち The players』(ヤーコプ・オホテルフェルト,1670-1675頃,油彩)。
金持ちの家の薄暗い玄関で、楽器を手に演奏するみすぼらしい親子(楽師)と、母と娘と、女中。
楽師の父親の冴えない笑顔、満面の営業スマイルを浮かべる子供。生活のため、お金持ちの施しを受けなければ。外からの明かりの影になる楽師たち、闇。
無邪気に笑顔を浮かべる、奇麗に着飾った幼い娘は、ひざまずいた女中を中心に介し、楽師の演奏を愉しむ。娘の笑顔は、母親の歓び。外からの明かりを浴びて、輝く笑顔、光。
階級社会。富める者(母娘)と、貧しい者(楽師)、光と闇。圧倒的に不公平だけど、社会の仕組みだから仕方がない。
ところで、女中はどっち?!
階層的には、貧しい者に属するけれど、立場的には富める者の立ち位置に居る。富める者に対しては服従を誓い、貧しい者に対して見下した態度をとる。それも生きる術。
風俗画。





夕闇迫る、国立新美術館♪』 おでかけガイド -じゃらんnet
http://odekake.jalan.net/reporter/Gori/album/0000009531

展覧会「ムンク展」国立西洋美術館5

展覧会「ムンク展」国立西洋美術館 表エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch,1863.12.12-1944.1.23)は、ノルウェー出身の画家。
時代的には印象派の少し後。
表現主義的な作風。

もっとも有名な作品『叫び Skrik』(1893年,油彩絵)は今回不在ながら、代表作108点の展観は、その生と死、喜びと絶望、不安、孤独、嫉妬、愛、、、烈しい”人間の魂の叫び”に溢れる。

<生命のフリーズ>は、全体として生命のありさまを示すような一連の装飾的な絵画としてかんがえられたものである
  −エドヴァルド・ムンク「生命のフリーズ」より

展覧会「ムンク展」国立西洋美術館 裏1868年、五歳の時に母を病気で亡くし、姉と弟も若くして死ぬ。1889年、二十六歳にしてフランスに留学すると、父も死去してしまう。常に身近に漂う「死」。
何人かの女性と交際するも、生涯独身を通す。友人の妻、人妻との叶わぬ愛。数年ぶりの再会を果たした元恋人とは、トラブルから発砲事件を起こし、左手中指の関節の一部を失う怪我をする、1902年の夏。精神の不安定を訴えはじめ、アルコールに溺れるようになる。
1909年にノルウェーに戻ってからは、徐々に心身の健康を取り戻し、晩年は目を患うも、明るい色彩の作品も見られるようになる。
第二次世界大戦中の1944年、80年の生涯を閉じる。

作品には、うつ病で療養中の妹が描かれる。
交際した女性たちも作品に描かれた。向かって左側に白い朗らかな婦人、一方の右側の婦人は黒。叶わぬ愛「声/夏の夜」。海に映る月明かり。

晩年、故郷オスロの公共施設に描いた壮大な壁画作品。
それまでには、個人宅の装飾画を描くも、時に受け取りを拒否されてしまう。確かに、子供部屋の壁に、緑溢れる自然の公園はいいけれど、抱き合う男女は、よろしくない。抱き合う男女は、自然な行為で、彼にとっては描かずにいられなかった?、まぁ、依頼する方も依頼する方だとも思うが。表現主義特有の、感情を作品中に反映させ、現実をねじまげて表現した作品の数々に囲まれた生活(特に寝室!?)は、ちょっと想像できない。
だから、オスロ大学講堂の壁画に溢れる、人間の英知と悠久の歴史、明るい未来。海を見下ろす小高い丘の上で、少年に語りかける老人。人生を乗り越えてきた先人が、後世を担う若い世代に口述する、”歴史”。そして、緑豊かな山の合間からのぞく海から、今まさに昇らんとする神々しい”太陽”。力強くキャンバスいっぱいに溢れる光が照らす、未来、永遠の力。
オスロ市庁舎の壁画には、力強い労働者の漲る躍動感。真っ白な雪の中にあっても、筋骨隆々の肉体美、生きる力。

豊かな晩年を見届けられて、ホッとした。






ある意味では、オススメできないのだが、国立西洋美術館の常設展がスゴイ。
流石、日本国の西洋美術の美術館を名乗るだけある。

特別展「美しき女性印象派画家 ベルト・モリゾ展 at 損保ジャパン東郷青児美術館」ベルト・モリゾ5

展覧会「ベルト・モリゾ展」損保ジャパン東郷青児美術館 表特別展『美しき女性印象派画家 ベルト・モリゾ展 Berthe Morisot A Retrospective』
 損保ジャパン東郷青児美術館
2007年9月15日〜11月25日

ベルト・モリゾ(Berthe Morisot,1841.1.14-1895.3.2)は、 エドゥアール・マネ(Édouard Manet,1832.1.23-1883.4.30)の絵画のモデルとしても知られる、 19世紀の印象派女性画家。
裕福な家庭に生まれ育つも、女性が正規の美術教育を受ける機会を充分に与えられていなかった時代。それでも、その類い稀なる才能が、印象主義という時代の後押しをも得て、多くの秀作を生み出した、奇跡の女性。実は、印象派にとって、クロード・モネ(Claude Monet,1840.11.14.-1926.12.5)に次いで重要な存在とも。
豊かな”愛”、母の愛、優しさ、穏やかさ。特に、愛娘ジェリーを描いた多くの作品に満ち溢れる母性愛。愛。愛。ベルト・モリゾの生涯。

展覧会「ベルト・モリゾ展」損保ジャパン東郷青児美術館 裏実は、足を運ぼうと決意した出来事に、Wikipedia”ベルト・モリゾ”の少ない情報がキーとなる。
自らの浅はかさを露呈することとなるが、それでも、だからこそ本能的な興味が、結果として素晴しい作品と、素敵な女性の人生に出逢えたのであるから、敢えて書き記す。
”マネに絵画を学びながら、彼のモデルを多く務めた。マネとの恋仲を噂されることもあったが、実際には1874年に彼の弟ウジェーヌ・マネと結婚し、1879年に娘ジュリーを出産。”
この短い文章を、そのまま素直に読むことができなかった。不埒な考えが頭を過ぎり、助平根性を丸出しの卑しい妄想に駆られた。妄想が暴走し、何の根拠も無く勝手に決め付けた。
「悲劇のヒロイン”ベルト・モリゾ”、深く愛し合ってしまったエドゥアール・マネとの許されざる関係は、世間に認められる愛では無かった。だから、不本意ながらも愛しい彼に近い実弟(マネ弟)との婚姻生活を選んだ。ドロドロ。マネ兄を想い愛しているが故に・・・ だから、その烈しい想いをキャンバスにぶつける!」みたいな。あ〜、恥ずかしい。昼のワイドショーの芸能ニュースよりも低俗極まりないゴシップ、インチキ三文記事、超サイテー。
絵画「ベルト・モリゾ」マネ by Wikipedia左の作品(マネ画「ベルト・モリゾ」)にあるように、確かに、マネ兄には、モデルを務めながら絵画を学んだんだけれども、ベルト・モリゾの才能は天才的だった。圧倒的な独自の感性を有していた。だから、自然に離れていった。もしも万が一(有り得ないけれど)、マネ兄と結婚していたら、ベルト・モリゾの絵画作品はこの世に生まれることがなかったであろう。世間一般が女性に求めたのは、絶対的な良妻賢母であり、妻が印象派の中心メンバーの夫(マネ兄)を超えちゃう訳にはいかないから。ベルト・モリゾの才能に対する嫉妬や羨望から、有らぬ噂話も囁かれる、納得納得。
だから現実は、あまりにも絵画の才能が優れていただけに、画家への夢を断ち切れず(彼女の実姉は結婚を機に絵筆を断っている)、結婚に踏み切れない。充分過ぎるほどの財産を有しているし、見合い話は後を絶たないけれども、絵画を捨てて家庭に籠もるつもりは全く無い。そんな時に現われた、マネ弟。公務員で家柄も良いし、絵画への理解もある、何だか不思議な出来過ぎた感がある”縁”だけれど、マネ弟との出逢いが、ベルト・モリゾの才能を大きく花開かせた。
結婚生活は、他人同士の共同生活だから、万事が万事、最初から上手くいったとは思えないけれど、その時ベルト・モリゾ、33歳。充分に社会経験を積んだ大人。子供じゃないから、大切なことの見極めも付く。大好きな絵画を続けられる幸福感。生活の心配も無い。
待望の愛娘ジュリーが生まれたのは、ベルト・モリゾが37歳の時。新しい生命の誕生。可愛くて可愛くて仕方が無い、溺愛状態。新たな創作意欲。作品からも、豊かに満ち溢れる愛情。愛娘ジュリーの成長。少女から大人の女性への変化、表情。
晩年、最愛の夫に先立たれるも、愛娘ジュリーと、女ふたりの生活。親から受け継いだ遺産や年金、夫が残した財産。生活の不自由は無くても、それでも心の痛手は小さくない。マネ弟との運命的な出逢い、そして豊かな結婚生活が、マネ弟の絶対的な存在が、天才画家ベルト・モリゾの根幹に大きく横たわっていた。大きな心の穴、喪失感。
それでも衰えを知らない創作意欲、まさに天才的。

だから『夢見るジェリー』(1894年)。ほの暗く、憂いを帯びた表情で佇む、15歳のジェリー。特別に凝った意匠は無い。母の愛情をたっぷり受けて育つも、純真無垢な少女から大人の女性へと変貌の途上、熱心に描く画家であり母ベルト・モリゾへの想い、そして亡き父への想い。
その翌年1895年、愛娘ジュリーが患ったインフルエンザの看病から、あろうことか自らが同じ病に伏し、類い稀なる才能を惜しまれながら、54年の短い生涯の幕を閉ざすことになろうとは。
何とも非情な現実。






地上42階から見下ろす絶景。
新宿御苑の緑、六本木ヒルズ、東京タワー、、ささやかなオマケ付き♪

写真展「おわら風の盆 宙ヲ舞う風の旋律 at キャノンギャラリーS」榎並悦子5

写真展「おわら風の盆」表キャノンギャラリーSにて開催(8/23〜9/25,日・祝日休館)、
榎並悦子写真展『おわら風の盆 宙(そら)ヲ舞う風の旋律』。
毎年9/1〜3にかけて、越中八尾町(富山県)で行われる「おわら風の盆」は、300年もの歳月を経て、なお多くの人々を魅了する日本の伝統的な祭り
写真展「おわら風の盆」裏目深に編み笠を被って踊る女性の表情は窺えない。
闇夜に舞う艶やかな着物姿。
あんどんが照らす優しい灯り。
叙情であり、漂う哀調。

祭りの起源は、江戸時代まで遡ると伝えられる。
風災害除けと五穀豊穣の祈り、人々の願い、想い。

写真展の会場に凝らされる趣向。
細い路地を想わせる通路は、両脇に配された”あんどん”の灯りに優しく照らされる。薄暗い中、両側に夜祭の趣溢れる写真を眺めながら、遠くに聞こえる、三味線胡弓太鼓の音色に合わせた唄や祭囃子、哀愁を帯びた旋律、そして、秋の虫の音。
プロジェクターから映し出される大きな映像(静止画)に、思わず洩れる溜息。暫し足を止め、浮かんでは消える物語、深い想いに耽る。

踊る女性の艶やかさは勿論、勇壮な男の踊り、男の顔から溢れる笑み、深く刻まれた皺、厳しい眼差し。
一方、子供の幼い顔に浮かぶ笑み。祭りの、晴れの雰囲気に、漲る高揚感。自然な豊かな表情に、馳せる想い、幼い頃の記憶。

目深に被った編み笠が、踊る女性の艶やかさを増す。
窺えない表情。家族の安全、慈しみ深い愛情、祈りや願い。
外側を気にすることが無い視線が向かうは、自らの内側。高まる集中力は、踊り、そして自らに向かう。様々な想いを胸に艶やかに舞う。

祭りを愉しむ男たち。自然に溢れる笑顔。真剣な表情。想い。
地方の山間の旧い街に暮らす人々。旧い街での生活には、決して都会ほどの便利さは無い。どちらかといえば、不自由なことの方が多いであろう、機能を失わない地域社会のコミュニティ(共同体)。守るべき伝統的文化。


美しい日本の祭りに馳せる想いを胸に、後にする展示会場。
そこに広がる摩天楼”品川”、超リアルな現実、近代技術の粋。
こちらも”風の道”を有する妙。





展覧会「ヴェネツィア絵画のきらめき at Bunkamura ザ・ミュージアム」5

展覧会「ヴェネ絵画のきらめきツィア」壁紙ヴェネツィア絵画のきらめき
 栄光のルネサンスから華麗なる18世紀へ”
− Pittura a Venezia da Tiziano a Longhi


目にしたパンフレットにあった、
はじめてヨーロッパを訪れようという若い人たちには、躊躇なくヴェネツィアに行きなさいと勧める。ここは誰にとっても奇跡の都である。・・・
Bunkamura ザ・ミュージアム プロデューサー 木島俊介 のコメントに惹かれた。

新潮社の月刊誌「旅 2007年10月号」の特集”ヴェネツィア”に、運河の街並みと、その歴史と文化に魅せられていた。

そして、物語をより深く愉しむために興味を覚えた、世界情勢、歴史、文化、宗教、民族、地理。
特に、日本人には稀薄な”宗教”。必要とされなくなった、時代背景、社会構成。それでも、信じる人々の心に深く根付く。橋本治は「宗教なんかこわくない!」と嘯く。
キリスト教が、宗教が、国家を世界を統制していた時代。国家としての権能も、キリスト教会から与えられていた。
そして、中世にはヴェネツィア共和国の首都として盛え、「セレニッシマ(晴朗きわまる国)」と愛称され、華麗なる文化と教養を築いた。
ひとつの独立した”文化”。

地理的には、イタリア共和国の北東部に位置し、ヴェネト州の州都、ヴェネツィア県の県庁所在地であり、アドリア海の最深部、ヴェネツィア湾にできた湿地帯ラグーン(潟)」の上に築かれた都市。
1987年、世界遺産に『ヴェネツィアとその潟』として登録される。


展覧会の見どころは、大きくふたつ。
ひとつが、カナレット(Canaletto)、甥のベルナルド・ベッロット(Bernardo Bellotto)らの描く、写真と見間違いそうな”都市景観画(ヴェドゥータ)”。
詳細に描かれる、美しい街、建築物、運河、人々の生活。
街の中央を逆S字に流れる”カナルグランデ(大運河)”。
街の中心は”サン・マルコ広場”。
共和国の統領(ドージェ)が居住し、国政を司った”ドゥカーレ宮殿”。
栄華を誇った時代。

そして、宗教画、肖像画
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)パオロ・ヴェロネーゼ(Paolo Veronese)
ヴィーナス聖母子洗礼者、高級娼婦
信仰の力と宗教的高揚を共同体の発展の礎とした時代。

燃える情熱の”赤”。





展覧会「ヴェネ絵画のきらめきツィア」表展覧会「ヴェネ絵画のきらめきツィア」裏


展覧会「ルドンの黒 −Les noirs de Redon− at Bunkamura ザ・ミュージアム」オディロン・ルドン5

ルドンの黒ルドンの黒
 −Les noirs de Redon

あえて”黒”一色。
暗黒の世界。
暗く哀しく悲観的。
グロテスクな目玉、蜘蛛。
”黒”のイメージ。

ルドンの晩年の溢れる色彩美を抑えて、
だからこそ、あえて”黒”の部分の企画展。


オディロン・ルドン(Odilon Redon,1840.4.22-1916.7.6)は、フランスボルドーに広大な荘園を有するブルジョア家庭に生まれた画家。
印象派と同世代とある。なるほど、印象派を代表するクロード・モネ(Claude Monet,1840.11.14-1926.12.5)は、パリに生まれている。

色濃く漂う、暗く哀しく悲観的な印象は、時代背景、生い立ちからも窺える。
フランスが大敗を喫する、普仏戦争(1870.7.19-1871.5.10)。敗北感、喪失感、将来に対する不安。日常的に戦争が行われていた時代、現在の戦争が無い状態が特異なのかもしれない!?
三人兄弟の次男に生まれ、病弱であったために里子に出され、味わう孤独。学業での挫折。
自らの内へと拡がりをみせる、相容れない独自の世界観。

緻密な黒い線、不気味なほどに暗い。
描かれる横顔、うつむき、まぶたを閉じる。
決して正面を見据えることをしない。


1880年(40歳)、12歳年下のカミーユ・ファルトと結婚。
1886年(46歳)、長男に恵まれるも、6ヶ月で亡くす。
1889年(49歳)、待望の次男 アリを授かる。
画家としての地位と生活の安定と、新しい希望のシンボルを得て、豊かな色彩の作品を描き始める。それまでにも、印象派風美しい色彩の風景作品を描いてはいたが、決して人前に出すことが無かった。自らの心の奥深くに閉じ込められた感情。
それでも、豊かに美しい色彩に彩られた女性が、正面を見据えることは無かった。怪しい美しさを秘めた横顔、うつむき、薄く閉じられるまぶた。




写真展「生命の輝き -前川貴行」5

生命の輝き -前川貴行 表厳しい自然の中に棲息する野生動物たちが垣間見せる表情。

写真家前川貴行が、
”生命の輝き”と題して展示する野生動物たちの姿、約50点の写真。

パンフレットのメインにある、雪の中に身を寄せ合うホッキョクグマの親子、母の愛。
周囲を埋め尽くし、顔にも降り積もる白い雪。
どんなに厚い毛皮を纏っていても、雪は冷たかろう。
白い毛皮が、白い雪と同化していたって、常に外敵からの危険にさらされていよう。
愛しい我が子たちと暖を取り合う安息の瞬間。
閉ざされた眼。丸まった背中。

一方、絶好の瞬間を押さえたカメラマン。
どんなに高性能の望遠レンズを使おうとも、それなりの至近距離まで近付き、自然との同化を果たす必要があろう。
相手は、野生動物だから、至近距離まで近付くことは、常に身の危険が伴う。相手も厳しい自然の中で生き抜くことに真剣。遣るか遣られるか、弱肉強食、自らが生き抜くためには、時に自らの身を護るために、相手に攻撃を仕掛けて倒さなければならない。
自然が相手の撮影は、必要最小限の荷物だけを携え、何時間もひとところに居続けることによって、まずは自然に受け容れられることから始まろう。どんなに長い時間を費やしたところで、相手は気まま、好機はいつ訪れるとも知れない。絶好の瞬間は、たった一瞬。同じ瞬間が、現れることは無い。研ぎ澄まされる緊張。何百カット、何千カット、いや何万カットと撮った中の、たった一枚の、一度きりの好機を獲得するために費やす労は、計り知れない。

広い大空を悠々とはばたくワシ。
温泉で寛ぐサル。
キツネだって、あくびをする。

厳しい自然にあるからこそ、垣間見せる表情に、輝きを見せる生命。

猛々しい角を有した雄シカ同士が、烈しくぶつかり合う、真剣勝負。その瞳に宿る厳しさ。
血が滴るサカナを口に佇むブラックベアー。自らが、厳しい自然の中を生きるために口にする生命体。「生きるために、絶対的に必要なんだよ。」、そう語るかのようなブラックベアーの瞳に宿る悲哀。


 〜 前川貴行オフィシャルサイト『EARTH FINDER』
       http://www.earthfinder.jp/

生命の輝き -前川貴行 裏

「ルオーとグロテスク -汐留ミュージアム」行きました。5

ジョルジュ・ルオー(Georges Rouault, 1871-1958)は、野獣派に分類される19世紀〜20世紀期のフランスの画家。それでも、ルオー本人はフォーヴィスム(野獣派)の「画壇」や「流派」とは一線を画し、ひたすら自己の芸術を追求した孤高の画家であった。 〜Wikipediaより

日本における、ジョルジュ・ルオーの専門美術館と位置付けられる、東京・新橋(汐留)にある「松下電工 汐留ミュージアム」。
5月26日(土)〜8月19日(日)に開催されている企画展『ルオーとグロテスク』。

物語好きの私には堪らない企画展。
だって、
”戦時下の地下室で生まれた自らを「カタコンベの画家」と呼んだルオー”
が、
”一般に奇怪、異様、不気味といった否定的なニュアンスで語られることの多いグロテスク”
な訳だから、溢れる幸せ、豊かさとは、対極の存在。深く暗い歪みを有する。
それは、ある意味では人間の、人間であれば誰もがその心の内に有する本質的な感情。誰もが必ず有しているにもかかわらず、一般的には表出することを恥じる感情。恥じるからこそ、隠したがり、隠したがるから不自然な行動を伴い、不自然な行動は小さく無い歪みを生み出す。その歪みを、さらに隠すために、さらに不自然な歪みを積み重ねる。時にその様相は、圧倒的に不条理な世の中の様相と相まって、滑稽さすら垣間見せる。それでも当事者本人は、自らのことに必死だから、周囲への配慮の余裕など欠片も無い。
それは、神と崇められる”キリスト”であっても、権力者として民衆を支配する傲慢な”裁判官”であっても、一方では、娼婦、道化、サーカス芸人など、社会の底辺にいる経済的には貧しい労働者たちであっても、その表面的な、階級に表出されるほどの差異が無かったりする。だって、みんな同じ人間だから。
それでも、現実的には、それぞれは絶対的に異なる存在であり、決して相容れることは有り得ない。そこには、圧倒的に確立された階級社会があり、その階級社会を構成する階級が、存在するに至る必然があり、その階級によって保たれるバランスがあり、その階級社会を保つために生み出される歪みの存在まで、その裏側の裏側の裏側まで、深い深い深い宿命の連鎖の呪縛みたいなものまで絡まり合い、どうにもこうにも。

解説によると、
”グロテスクの正体である「滑稽と恐怖」、「善と悪」、「美と醜」、「聖と俗」の感情の造形化”
とあり、
”「色、形、ハーモニー」の実体”
なのであり、その深い部分に垣間見える、
”最初は隣人を、最後には自分自身をそこに発見し、私たちは愕然とします。”


7月9日(月)に、作品の展示替えが行われるらしい。


ルオーとグロテスク 表ルオーとグロテスク 裏

















「モネ 大回顧展 -国立新美術館」行きました。5





見ておきたかった!、であり、見て好かった!
六本木 国立新美術館にて、7月2日(月)まで開催の企画展『大回顧展モネ 印象派の巨匠、その遺産 -Claude Monet:L'art de Monet et sa postérité』、何とか閉幕に間に合いました。

クロード・モネ(Claude Monet, 1840-1926)は、印象派を代表するフランス画家


何を隠そう、絵画に興味を抱いたのは、というか、ちゃんと身銭を切って『絵』を見たのは、昨年秋の「アンリ・ルソー -世田谷美術館」からであり、「サルバドール・ダリ -上野の森美術館」、「異邦人(エトランジェ)たちのパリ -国立新美術館」、受胎告知の「レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の実像 -東京国立博物館」でしかなく、、、
正直、”よく分からない”のではあるが、
”本物”とでも言いましょうか、多くの人々の幅広い絶大な支持を受けた、著名な”天才”の、その醸し出す雰囲気であり、溢れるエネルギーを、自らの目で、肌で、体で直接感じたくって、大好きな”物語”を愉しむが如く、足を運ぶ。
可能な限り事前の予習は欠かさないものの、元々、全く興味を有しなかった領域であり、どんなに著名な画家であったとしても、名前を聞いたことがある・・・、というレベルでしかなく、世界や芸術の歴史にも当然に疎いため、”印象派”とか言われても、よく分からない。
ある意味では、”よく分からない”からこそ、先入観を有することなく、一点一点をじっくり眺めることができる。平日に行ける特典を活かして、それでもその高い人気や話題性が故に、混雑は避けられないのではあるが、時間を気にせず、ひたすら列に並んで、間近に作品にがぶり付いてじっくり眺める、隅から隅まで、とにかくじっくりじっくり眺める。何故に、この芸術家は、この作品が、この構図で、この色彩で、このタッチで描かれたのか?、この作品によって描きたかったモノは?、何歳のときに、どんな状況で、何を考えて描いたのか?
作品から、その解説から、時に年表などの資料から垣間見える、芸術家の人間像と、そのある意味では”物語”は、時にその時代背景さえもが、私を妄想の世界へ誘う。


今回の企画展は、印象派の巨匠”モネ”が遺した作品、何と約100点もが一同に集結しちゃっているのであるから、それはまるで”祭り”であり、多くの人々が集まるのも納得できる。

とっても”豊か”な印象を受けた。
明るく美しい色彩によって描かれる、幸福な女性像であり、家族の姿、美しい庭園であり、山や川や海や森の風景。溢れる優しさに、漂う幸福感。
人物像や人間関係の解説が少なかったために、物語的な妄想力を働かせることができなかったのではあるが、、、 だからこそ(?!)、豊かさを烈しく感じた。暗さや歪みを感じることが無かった。それは、もしかしたら彼の”スタンス”であり、”演じた姿”なのかもしれないが、何をどんな手法で描かせても、モネは巧いのである。
とにかく巧くって、同じ素材を、風景を、描く分ける”連作”の手法の見事さは、感動を覚える。特に、”光と色彩の変化を追求した”と解説される通り、霧に煙るロンドンの橋を描いた作品において魅せる光の加減には、言葉を失う。だって、濃い霧の中にぼんやりと浮かぶ橋の姿と、太陽の弱い光、その弱い光が川面を、さらに弱く照らす光の加減、それでも弱い光には弱い光なりの色彩があり、そんなぼんやりとした、表現し辛い素材に焦点を当てる、しかしそこには、歪みを抱えた奇異な表現が一切無く、何処までも素直で正直な表現によって描かれる。
だからこそ、その素直に正直に美しい豊かさが、多くの人々の支持を受けるのであろう。


そしてまた、絵画に、その作家自身の人間性、人間関係、時代背景などの、”物語”を求めてしまう私には、その巧さと、美しさ、豊かさを、素直には受け入れることができなかったりもして、全くもって”よく分からない”、、、


モネ 大回顧展-表モネ 大回顧展-裏















『レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の実像』行きました。5





圧倒的な物語ファンです♪
受胎告知(1472-73年)』に、20代前半の若きレオナルド・ダ・ヴィンチが織り込んだ物語を愉しむべく!

実は恥ずかしながら、新潮社「旅 2007年 05月号」ローマ特集で、イタリアの文化と歴史に紡がれた物語の数々に、その中でも特に、ヴァチカン博物館(ヴァチカン宮殿)内の”システィーナ礼拝堂の天井画”のフレスコ画に興味を覚えた、同じルネサンス期(14世紀〜16世紀)を代表するミケランジェロ・ブオナローティ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni,1475-1564,彫刻家・画家・建築家・詩人)と、すっかり混同しています。

そんな訳で、難しいことはよく分かりませんが、
1974年の「モナ・リザ展」(何と150万人超の入場者を記録し社会現象となった!)以来、33年ぶりに再びレオナルド・ダ・ヴィンチの名画を迎える、新たな歴史の1ページ
と、謳われたら、それは目にしない訳にはいかない!
ただそれだけ!!
それでも、天才が放つパワーを、その織り込まれた物語を、とにかく愉しみたい!

平日の午前中に足を運んだにもかかわらず、大混雑!
(待ち時間さえ、高まる気持ちには丁度いい!?)


特別展「レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の実像  The Mind of Leonardo - The Universal Genius at Work」
会期:2007年3月20日(火) 〜 2007年6月17日(日)
会場:東京国立博物館 本館特別5室・平成館特別展示室

この展覧会は2007年1月までイタリア・フィレンツェのウフィツィ美術館で開催されていた企画展を日本向けに再構成したもので、
”イタリアが誇る至宝「受胎告知」をダ・ヴィンチの創造世界の始まりにすえ、手稿をもとに制作した模型や映像などを用いて、芸術から科学にわたる広範な試みの全てを紹介していきます。500年前に生きた一人の人間が成し遂げた偉大な精神活動の記録を余すところなく概観できる、これまでにない展覧会”
 〜企画展HP みどころ より抜粋〜
と、解説されています。

第一会場、本館特別5室(通称「特5」は、「モナ・リザ」、「ツタンカーメン」、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」など、世界の至宝を飾ってきた歴史的場所!!)では、イタリアフィレンツェウフィツィ美術館 (Galleria degli Uffizi) の至宝「受胎告知」本邦初公開!
とにかく、この目で見ました!
肌で感じました!
間近に、手の届く距離で、本物を!

個人的には、第二会場(平成館特別展示室)が興味深かった。
流石、本場イタリアの美術館で開催されていた企画展だけあって、解説の文章が深い!
こちらも、実際の展示物は人波に揉まれて(とにかく大混雑)、ゆっくり鑑賞することはできませんでしたが、、、
何よりも素晴らしい解説文、それを読み込み、その解釈を深めたいがために、全文のメモを取り、併記されている英文(?!外国語はからっきしダメなんですが、雰囲気と言葉の意味を理解したくて・・・)まで、頭に叩き込んだ。
「万能の天才」として知られる レオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci,1452-1519,絵画・彫刻・建築・土木・解剖学・天文学・数学・飛行学?)の生涯、生い立ちから、思考、哲学など、広範な精神活動の展開がたどられる。
自らを”Homo senza lettere (無学な人)”と称して、それが故に、長い年月をかけておびただしい量の書物を集めた、努力の人。
人間と自然の営みを司る「法則」の探求。
「思考の動き」の解明、
「かたち」の変化と均衡、
「力」によって生じる「運動」、、、
それでも、氏の生涯を通じた思考と探求の結果、あらゆる学術の最上位に位置すると考えた『絵画』。
氏は『絵画』を、様々な法則や原理に基づき、経験による実証と普遍的な知識の上に成り立ち、そして自然界のあらゆる形態を模倣するだけでなく、自然界には存在し得ない形態を生み出すことすら可能な『精神の記述』と捉えた。 それ故に、氏の完成された絵画作品は、極めて少ない。「最後の晩餐」、「モナ・リザ
それだからこそ、後に探求し続ける様々な主題の起点を見出すことができる作品と位置付けられる『受胎告知』。
本物を目にできた幸せ。
「本物」に宿る「力」。

氏の67年の生涯。
今から遡ることおよそ500年前の歴史的な愉しい物語。


天才の実像(レオナルド・ダ・ヴィンチ) 表天才の実像(レオナルド・ダ・ヴィンチ) 裏













写真など「じゃらんnet.お出かけガイド」でも紹介しています!↓
http://odekake.jalan.net/reporter/Gori/album/0000006025

『アンコール遺跡の尊顔』行きました。5

アンコール遺跡の尊顔 表アンコール遺跡の尊顔 裏













”樹木が朽ち果てる時、建造物は永年の呪縛から解き放たれるが自立できずに倒壊してしまう。こうして都は、森の営みと共にゆっくりと土に返って行く。”
 〜 撮影後記 写真家 BAKU斉藤 より抜粋〜


『写真』という方法で、消滅してゆく世界遺産を記録し表現する、その意義。


ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されている、カンボジアの『アンコール遺跡』。
9世紀から15世紀の間に、燦然と輝き続けたクメール文明、19世紀の中頃に再発見されるまでの400年近くの間、熱帯モンスーン特有の巨大樹木に覆い尽くされた密林の中に忘れ去られていた文化遺産。

アンコール遺跡群の『尊顔』は、アンコール王朝(クメール王朝)の中で、もっとも栄華を極めた12世紀後半から13世紀前半に建てられたバイヨン様式期の寺院(四面塔及び城壁門)に残存している、石造建築物である。
クメール的なアルカイック・スマイルと呼ばれる謎めいた笑みを湛えた尊顔建築は、『東洋のギリシャ』などとも呼ばれ、不思議なことに前後の時代には存在しない突然変異の如く現れ、由来も不明のため『謎の尊顔』とも言われてきた。
石造建築物とはいえ、インドシナ特有のラテライト(紅土岩)や軟らかい砂岩で組み立てられているため、1000年余りの間、自然や人的条件により、岩石そのものの劣化が早く崩れやすくなっている。
クメール語で『スポアン』と呼ばれている熱帯雨林特有の榕樹(ガジュマル)は、高さ50m以上にも成長し、アンコール遺跡群全域を覆う。
この榕樹や蔓(つる)草の種子が、風に吹かれ、鳥や獣に運ばれ、積まれた建造物の岩まで成長する。
蔓や根は、地中の養分を吸収し、瞬く間にスカートを広げたような盤根に育ち、巨大な繭のごとき樹木となって建造物を取り込んでしまう。
その様子は、まるで巨大な獲物に絡み付き、飲み干そうとする大蛇を見るようであった。
しかし、この樹木が、風雨に晒されて崩れそうな多くの遺跡を崩壊から守ってきたのである。
 〜 撮影後記 写真家 BAKU斉藤 より抜粋〜

高さが3m〜6mもある尊顔を、比較検証できるように正面から同アングルで、同じ高さから撮影するために組まれた15m〜30mの足場。当然に自然光のみでの撮影。気温40度を超える炎天下、太陽とスコールの洗礼を受けながら撮り降ろされた写真の数々。
全259体の尊顔の撮影には、約10年間の時間を要した、まさに一大プロジェクト。
歴史的物語。


今回、私が足を運んだのは『BAKU斉藤写真展 世界文化遺産 アンコール遺跡の尊顔』調布市文化会館たづくりにて、4月7日(土)〜5月13日(日)に開催されている企画展。
2005年7月〜8月に東京都写真美術館(恵比寿)にて開催された世界文化遺産写真展「アンコールと生きる クメール文明の今」や、2006年10月に大丸ミュージアムで開催された「アンコール遺跡の尊顔」のHPなども参考になろう。


また、アンコール遺跡と共にカンボジアに生きる人々の日常の写真も展示されている。
度重なる内戦や、貧困。
それでも溢れる笑顔を見せる人々。
本当の『しあわせ』とは?!、とふと考えさせられた。


カンボジア政府観光局や、アンコール遺跡群フォトギャラリー(波田野直樹)など、参考になるHPも多数ある。

年間140万人以上が足を運ぶ歴史的観光地(?!)『アンコール遺跡群』、この目にしたい!




「白樺とロダン」に行きました。5

調布市にある”武者小路実篤記念館”の開館20周年企画 特別展「白樺とロダン (〜3月21日)」、彫刻の立体的な造作から溢れる”力”を感じたくて、そして”武者小路実篤”なるお方に触れたくて!

ロダンの彫刻は、小粒な作品ながらも、圧倒的な存在感をしっかりと感じてきました。
それでもやっぱり、ある意味そこの部分(ロダンを企画展の冠に博した)の策略に、気持ちいいほどはまってしまったと言わざるを得ない。 それがとっても心地好い!

何故なら、人間としての”武者小路実篤”にすっかり魅せられてしまったから。
その生涯に発表された数多くの文学作品。 実は、ひとつも手にしたことがない圧倒的不勉強について、まずは恥じなければならないのかもしれない!?
早速、その文学作品を手にせねばと肝に銘じたことは勿論、その美術作品に対する造詣の深さにも感服。 そして、40歳を過ぎて、自らの手から繰り出した優しさに満ちた絵画作品。 身近にある野菜や花などの何気ない絵を添えて書き記された短い言葉とともに、1枚の作品全体から溢れる優しさは、ある意味では圧倒的な自己探求の末に導き出された真理なのかしら。

そして、晩年を過ごした「仙川の家」のその家屋と池と庭園と約5,000屬發良瀉倭澗里”実篤公園”として、同じ施設の中に公開されている。 「水のあるところに住みたい」という想いを叶えるべく、昭和30年、70歳の時に居を構えたものであるが、最愛の妻”安子”と、その創作活動に勤しんだ屋敷を目にすることができる幸せ。 圧倒的にその人物に対する興味が高まる。

自らの不勉強さを自覚して、ますます自己鍛錬に励まなくては。
館内と庭園に溢れる緑が心地好い。



*写真を、”おでかけガイド(じゃらんnet.)”に掲載しています♪





実篤「白樺とロダン」表実篤「白樺とロダン」裏

「異邦人(エトランジェ)たちのパリ 1900-2005」行きました。5

やっと行くことができました♪
六本木に新しくオープンした「国立新美術館」。
生憎の曇天も、逸る私の心には、丁度いいのかもしれない!? ある意味、そんなものかな?!とも。
あの黒川紀章設計によるガラスを多用した圧倒的にカッコいい建築物が、眩しい春の陽射しに照らされて織り成す光の競演は、残念ながら次回に持ち越し。 まぁ、そんなに欲張るな!ってことかも!?
だって今日は、企画自体が楽しみな「異邦人(エトランジェ)たちのパリ 1900-2005 ポンピドー・センター所蔵作品展」♪♪
ピカソも、シャガールも、フジタも集結してるというし、足を運んだ建築士の友人も「良かった!」って言うし、最近ず〜っと行きたい行きたい行きたい行きたい行きたい行きたい、って結構頭の中は一杯だった!

で、よかった!!

絵画は勿論、写真あり、彫刻あり、オブジェあり、しかも100年もの長き(20世紀初頭から現在まで)に、パリに集った芸術家たちの、その才能が溢れる作品 約200点が余すところなく公開されているその壮観さに圧倒される。 あまりの幅広さに、何だか訳がわからなくなってしまって「え〜、何でこんなに沢山集めちゃったの〜?! 遣り過ぎなんじゃないの〜! 訳わかんない〜!?」って思って、一寸休憩の時に資料をパラパラ見ながら考えた。
なるほど!
20世紀初頭のパリに、その自由に魅了されて遥か異国から集結した芸術家たち、そしてその憧れの”芸術の都パリ”でその才能を磨き、開花させた”異邦人たち”。 当然に彼らには何の保証もなく、ただただ圧倒的な憧れと大きな夢を抱いて、それなりに相当な覚悟の上で異国の地に足を踏み入れたことでしょう。 きっと夢破れて帰国したもの、中には野垂れ死んで(不謹慎かな?!)しまったものもいる筈。 だって、異国の地に渡って、最初から上手くいくことって考え辛い。 そんな不遇の時を経ても、孤独と苦悶しながら、それでもその旨に秘めた想いをその圧倒的に内に秘めた才能に満ちた芸術家同士が切磋琢磨し合える状況に中に身を置き、それを成し遂げた彼らと、彼らのその想いに触れることができる幸せ。

作品ごとに表示されるプレートに、作者の出生国と没した国の記載があるのも、この企画展が、パリをその”芸術の都”としての地位を、揺るぎない確固たるモノとすることに尽力した”異邦人(エトランジェ)”たちの対する敬意?!とも感じた。
本家パリの”ポンピドー・センター”も、その時代の彼らの存在を切り取ってひとつの企画展とすることの意義をも、そのメッセージの中に明確にしている。 その意義を感じたときに、またその作品たちに新たな輝きが加わり、新たな感動が湧き上がる幸せ。

溢れる優しさを感じる作品もあれば、当然にその苦悩に悶絶する雰囲気が感じられる作品もある。 その出生国や年齢と、ある限りのデータから私が繰り広げる想像力は果てし無く広がる。

彫刻作品が、今にも動き出しそうにその肉体の筋肉すら感じる様に息を呑む。”フルートを吹くアルルカン(Arlequin a la flute) -パブロ・ガルガーリョ(Pablo Gargallo)作”。

絵画では、藤田嗣治(レオナール・フジタ)の”カフェにて(Au cafe)”に魅せられた。 全くもって何気ない街角のとあるカフェに佇むひとりの女性と、その風景がただただ描かれているだけなのに、漂ってくる匂いすら感じさせる。 手紙とインクとペンを前に、ただたたぼんやりと頬杖を付き、物思いに耽る。 優しいベージュ系の背景の中に存在する女性の、束ねられたブロンズの髪、広く皺のない額、一方では焦点の合わない不均一な眼、少し歪んだ唇、胸元の大きく開いた黒い服から溢れる肉質感、その胸元から除く乳房のふくらみすら、圧倒的な存在感と迫力を感じる。

とにかく、私の陳腐な言葉では言い表わす自信がないので、作品集を購入しました。
ポンピドー・センターがあるパリに行きたい!
セーヌ川を眺めて、”芸術の都”のその匂いを感じたい!









実は、オープン前の晴れた冬の日に訪れていたのです!








国立新美術館「異邦人たちのパリ」表国立新美術館「異邦人たちのパリ」裏

『ダリ回顧展』に行きました。5




20世紀を代表する画家サルバドール・ダリSalvador Dalí,1904-1989 の生誕100周年記念『ダリ回顧展』、上野の森美術館に行ってきました!!

自由奔放で、ユーモアに溢れた独特な作品の数々・・・
何故この色? これは何? どういう意味? 何故ここに描かれているの? 何を意味しているの?
などなど興味が後から後から湧き出でて、激しく惹きつけられるのですが、凡人の私などの理解には到底及びません(笑)!
頑張って目を凝らして、頭をフル回転させたのですが(笑)・・・
途中には、ご親切にもダリの言葉によって「私の作品を理解しようと思うな! 描いている私にも理解できないのだから!!」などと、彼特有のユーモアが用いられており、素直に楽しむことにしました(笑)!

色々な見方、解釈があるのでしょうが、私は、とにかく自由で、底抜けに楽しい!と感じました!!
自分を全て包み隠すことなく素直に正直に表現している!
その豊かな表現力、人間性に、深い感動を覚えました!

ダリ回顧展 表ダリ回顧展 裏

死の苦しみのなかの・・・ (サルバドール・ダリ)

1982年、78歳の『ダリ』にとって、最愛の妻(心の支えであり、不安・不能からの解放をもたらした、特別な唯一の女性)『ガラ』を亡くし、「人生の舵取りを無くした」と嘆き悲しんだといわれ、その失ってしまった深い深い悲しみから生じたであろう、激しく漲る狂気にも似たエネルギー
敬愛するベラスケスと、ミケランジェロをもって表現された大作(『左の窓の背後からスプーンが飛び込んでくる、死の悲しみのなかのベラケスタ』・『「甲冑」もしくは「戦士」ミケランジェロ作「ロレンツォ・ディ・メディチ」による』・『地質学的循環 ラ・ピエタ』)に触れ、ただならぬ何かに惹きつけられて、その場を離れることができない
深い喪失感に打ちのめされ、悲痛な思いに苛まれている

翌1983年には、破滅的な「チェロを残忍に攻撃する・・・」と、シンプルに静かに完成されたかのような「無題 燕の尾とチェロ」が制作される
それ以降、二度と描くことは無かった

人間「ダリ」に触れた、強く惹かれた

『ルソーの見た夢、ルソーに見る夢』に行きました。5




冷たい雨がしとしとと降りしきる中、世田谷美術館に行ってきました。
実は何を隠そう、ちゃんとお金を払って『絵画』を見るのは、何と初めての経験なのです!!
また『アンリ・ルソー(1844-1910)』なる方を存じ上げていなかった、全くの芸術音痴であることも、正直に告白します(笑)!
当然に、ピカソと同じ時代で、『素朴派』と言われている何てことは、全く知りませんでした・・・
何はともあれ、砧(きぬた)公園の緑と、紅葉を目で楽しみつつ、しっかり作品を楽しんできました!
結構な人出で、館内は混雑していましたよ!!

素晴らしい!
ルソーの作品が素晴らしいのは勿論、ルソーの影響を受けた人達が、パリだけでなく日本にもたくさんいて、それぞれの作品がみんな味がある!
真面目に描いているのか、ふざけているのか、最初は戸惑いを感じましたが、非現実的で単純ながらも美しい色に心が惹かれ、すご〜く細かいところまで丁寧にキチンと描かれていて、ペタッとして平らな奥行きが無いようでいて深みがあって・・・ 展示されている作品を一点一点じっくり見ていて飽きることがありませんでした!
それぞれの作品の印象は、細部に目を移していくと、詳細な描写が新たな楽しみを生み、それにより全体の印象が克明になり、その配置、構図に高い完成度を感じるのです!

カミュー・ボンボア、アンドレ・ボーシャン、藤田 嗣治岡 鹿之助植田 正治・・・ みんなよかった!

私は、特に『サン・ニコラ河岸から見たサン・ルイ島』に魅了されました。
きっと、「お月様」を私の心が求めているからでしょうが、美しいセーヌ川、橋、船、木々、サン・ルイ島の街、ノートルダム寺院、サント・チャペル、エッフェル塔、そして人、道、空・・・
シンプルなのに、てんこ盛りで、精密機械のような緻密さを感じるのに優しくて、大満足!みたいな感じが堪らない!!

ん〜、『戦争』と『私自身:肖像=風景』を見に、オルソーとプラハに行きたくなりました(笑)!!

また、何とルソーは40歳から絵画を始めたという遅咲きの画家で、そんなところも、私に勇気を与えてくれるのです。


それから、「建築物」として、
一級建築士の友人から、著名な先生の設計であることを聞いていたので、楽しみにしていたのですが・・・
素晴らしい!
優しい曲線と、細かいデザインが、凛とした趣きを醸し出していました。
天気がいい日にもう一度足を運びたい!


楽しかった〜!!
大満足です!!!

ルソーの見た夢、ルソーに見る夢 (世田谷美術館) 表ルソーの見た夢、ルソーに見る夢 (世田谷美術館) 裏

『宮沢和史の世界』展に

da0f6f76.jpg行きました。

「島唄」「風になりたい」が大好きで、カラオケ(あまり行かないのですが・・・)では、必ず熱唱しちゃいます(笑)。
そして、会場の「世田谷文学館」が思い入れがある場所だから・・・

アーティスト「宮沢和史」を好きになりました。

とっても楽しかったです。
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▲ロスバイク TREK 7.3FX(神金自転車商会 since 2008.8)
写真 Canon IXY900IS(since 2006.12.4) & EOS40D + EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM(since 2008.7.23) + EF100mm F2.8 Macro USM(used, since 2008.9.10) + EF-S55-250mm F4-5.6 IS(used, since 2008.9.30) + EF50mm F1.8 供used, since 2009.4.4)

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