Gori ≒ ppdwy632

〈ぼく〉の思索の一回性の偶然性の実験場。

武者小路実篤

「真理先生 -武者小路実篤」読みました5

真理先生 -武者小路実篤

真理先生
著者: 武者小路実篤
文庫: 311ページ
出版社: 新潮社; 改版版 (1952/06)




『真理』とは、
歪曲や隠蔽や錯誤をすべて排したときに明らかになる事のありようをいう。本当のこと、また本当であること。由来するラテン語のvereは、ありのままのものの意。ギリシア語:αλήθεια(aletheia)、ラテン語:veritas、英語:truth、ドイツ語:Wahrheit、サンスクリット:satya
 〜Wikipediaより〜
とある。

武者小路実篤、64歳の1949年(昭和20年)頃より連載された長編小説である。

対話形式で綴られる物語に織り込まれた、著者の人生経験より積み上げられた(であろう?!)”真理”の数々が、”山谷五兵衛”の口から語られる。
真理先生との出会い、その人となりに始まり、平易な表現で詳細に丁寧に描かれる物語。
真理先生は、60歳を少し過ぎた初老の男性。特定の仕事も住居も金銭も有せず、一切の物欲や金銭欲などの欲求から開放され、弟子達の好意により生活が営まれている。寝る所も、食べるものも、身の回りの世話も、お金の遣り繰りも、一切に関わることなく、為されるがままの、ある意味では仙人みたいな生活。訪ねてくる人との対話、弟子たちへの説法(?!)などが生活の殆ど全て。何とも羨ましい限りの生活である。
物語は、真理先生と、石かき先生(馬鹿一、純朴な画家)、泰山先生(書家)、白雲先生(有名画家、泰山先生の兄)、愛子(真理先生の弟子の美人娘)、杉子(白雲先生の弟子でモデル)、真理先生の下に集まる弟子たちを交えた、日常生活の中の何気ない、ありふれた出来事、その遣り取りの対話を中心に描かれる。

全ての欲求から開放された、決して『勝ち組』には成り得ないけれど、人間的に”いい人”の真理先生の周りには、当然に”いい人”たちしか集まり得ない。
石かき先生は、最初は石と雑草しか描けない無名の画家。一生懸命な努力の人で、才能は有るんだけど、頑固で卑屈な性格や、周りの環境に恵まれずに、不遇の時代が長く、”馬鹿一”と皆から蔑まれている。山谷先生や真理先生との出会いにより、その道が開かれ、美しい人物画(何と裸婦!!、羨ましい?!)を描けるまでになっちゃう。
白雲先生も、そこそこ著名な画家だったんだけど、石かき先生の真剣さに、その努力の様に、自らも奮い立たされちゃう。
杉子さんに至っては、複雑な家庭の事情(具体的には表記されていないけど・・・)などがあって、幸せに縁遠い人生を送っていたんだけど、石かき先生の一生懸命さに触れて(ひょんなことから石かき先生のモデルさんをやることになっちゃって・・・)、色々あって、それでも、仲違いしていた愛子さんとも親友となって、しかも人生の伴侶(真理先生の若いお弟子さんのひとり稲田クン)までゲットしちゃって、幸せを掴んじゃう。
何だか、絵に描いたようなハッピーエンドな物語なんだけど、とどのつまり物語の展開自体は重要なことでは無くって、そこに描かれて盛り込まれた”真理”が、あくまでも重要でしょう!
それでも実は真理先生、35歳までは奥さんがいて、愛想をつかされて逃げられていたりもしちゃう。
まさに、我が人生のバイブル的存在、時を経ても普遍の原理原則は、まさに”真理”と言えよう。


武者小路実篤自身も、その後の1955年(昭和30年)、70歳にして、その後の90年の生涯の余生20年間を過ごす、通称”仙川の家”(東京都調布市にあり、現在”武者小路実篤記念館”として一般公開中)に新居を構え、妻:安子と二人の隠居生活(?!)に入る。
自らが”真理先生”となり、”石かき先生”となり、”山谷先生”となる、真理たる生活?!

武者小路実篤記念館に展示された写真や作品や資料から溢れ出る豊な人間味に魅力を覚え、「友情」、「愛と死」に続いて堪能した。








「愛と死 -武者小路実篤」読みました。5

愛と死 -武者小路実篤

愛と死
著者: 武者小路実篤
文庫: 108ページ
出版社: 新潮社; 改版版 (1952/09)



何と素直なタイトルであろうか!
そのままズバリである。
著者 武者小路実篤の人柄や考え方がそのまま出ていて、心地好い。
友情』に続いて手にした。

物語は、小説家の村岡が、友人の野々村の妹 夏子との愛を育み、その愛が素晴らしいものである様子が、互いの手紙の遣り取りを中心に盛り上がりをみせる。 互いが相手を思い遣り、惹かれ合い、誓い合い、求め合い、支え合い、高め合う。
じっくり丁寧に描かれる幸福感の盛り上がりに微笑ましい心地好さと、一方では、切ない感情を否定できない。
それは思うに、人間個人個人には、それぞれに与えられた”器”のような物があり、大きさの違いこそあれ、必ず存在していて、微妙なバランスが保たれている。 幸福感も当然にその”器”に注がれるものであり、一定量が注がれた後には溢れてこぼれ落ちる。 自然の摂理。
そしてまた、人生劇場(?!)は、ジェットコースター的な側面をも有する。 スタート地点から昇るときもあれば、当然に急降下をするときもある。 昇った分だけ、いや、それ以上に落ちていくときがあり、落ちていくからまた昇っていく。 昇りや下りを繰り返し繰り返し、そしてスタート地点に舞い戻る。 そこでもまた、微妙な(というよりもむしろ絶対的な!?)バランスが保たれている不思議。

そして物語は、私の切ない不安を裏切ることなく、奈落の底に突き落とされる。
最愛の女性の、突然の不慮の死である。
物語とはいえ、あまりにも切な過ぎる。
それでも、それさえも現実なのであろう。
特に、物語が描かれた時代は、疫病などによる”死”が、高度な医療技術が発達している今よりも一層身近であったであろう。

激しい痛みに打ちひしがれる村岡。
まさに急降下である。 しかし、妹を失った野々村も辛い、野々村の家族も辛い。
それでも死を避けることはできない。 必ず誰もが、この世に生を受けた瞬間から、決して避けることができない現実。
ことに”死”が身近なものであればあるほど、その恐怖や不安は小さくないであろう。
一方では、高度に医療技術が発展した現在、その技術進化により、”死”が身近なものでは無い感覚に襲われる。 技術進化によって、人間の”死”が非現実的なものとの感覚を覚える不思議。 しかし、それでも人間が決して避けることができない”死”を直視することなくなることによる弊害は、決して小さくないと思われる。

かのガブリエル・ガルシア=マルケスも、
「ドラマティックな状況の方は、実際にはそんなにないんで、人生と愛と死の三つだけだよ。」
と語っている。

私も、自らの”死”について、真剣な考察の必要を感じる。








「友情 -武者小路実篤」読みました。5


友情
著者: 武者小路実篤
文庫: 177ページ
出版社: 岩波書店; 改版版 (2003/03)



かのガブリエル・ガルシア=マルケスは語っています、
「ドラマティックな状況の方は、実際にはそんなにないんで、人生と愛と死の三つだけだよ。」
と。 全てはその三つに集約されると。
まさに、的を得たり!

友情も、またそれは「愛」の物語のひとつのファクターでしか有り得なかった!
物語、万歳!!

実は、武者小路実篤、嬉し恥ずかし(?!)初体験!
少し前に調布市にある”武者小路実篤記念館”に足を運び、その人となりに興味を抱いていたから、、、 いずれは手にするだろう、手にしたい・・・と。
武者小路実篤の、残された写真、映像、画集などの作品や資料から、滲み出て、溢れ出る人間味、温和な柔和な実直な、それでいて、何処と無く感じさせる悲哀と、激しさ厳しさ。

その私が抱いた印象の全てが、この「友情」という作品に織り込まれている。
馬鹿が付くほどに真正直な男の友情。 深い友情が故に生じる激しい苦悩、そして悲哀に満ちた不条理な現実。
丁寧に丁寧に、まるで川の流れのようにどこまでも自然に、心の動きを鮮明に、克明に描いているから、描かれているから、どっぷりずっぽり、深く心に沁み込む。
野島であり、親友の大宮であり、時に杉子であり、それぞれが、それぞれの人生を、それぞれの思惑の、与えられた立場や状況の中で、一生懸命に生きているからこそ、抗えない宿命、運命の悪戯?!、それさえもが、全てが現実。

野島の大親友の大宮は語る、
”何とでも言え。俺は運命の与えてくれたものをとる。 ・・・ それはすべて自分の力で得たのではない。意識して生み出したものではない。天与のものだ。 ・・・ ”
” ・・・ 人間はいつ死ぬか分からない。人間の心はいつかわるかわからない。・・・ ”


野島の、若く(?!)不安定で確立されていない自己、
”女はただ自分だけにたよってほしかった”
”彼は自分にたよるものを要求していた。自分を信じ、自分を賛美するものを要求していた。 ・・・ 杉子は彼の刷ることを絶対に信じてくれなければならなかった。世界で野島ほど偉いものはないと杉子に思ってもらいたかった。彼の仕事を理解し、賛美し、彼のうちにある傲慢な血をそのままぶちあけてもたじろがず、かえって一緒によろこべる人間でなければならなかった。 ・・・ ”

一方、まるで野島の胸の内を見透かす様な杉子の、杉子が大宮に宛てた手紙では、
” ・・・ 野島さまは私というものをそっちのけにして勝手に私を人間ばなれしたものに築きあげて、そして勝手にそれを賛美していらっしゃるのです。ですから万一一緒になったら、私がただの女なのにお驚きになるでしょう。 ・・・ ”
神様の悪戯(?!)、それが現実?!
あぁ、神よ・・・
そして、”永遠の青春小説”たる所以?!

あと書きにて、
「全部想像でかいた」
「久しぶりにこの小説を読んで自分は泣かされた」

と記される。 -昭和13年11月1日-
当然に私も泣かされた。堪え切れない深い想い。
物語は、自らの体験や経験を基に築かれることを、著者は当然に肯定していないが、否定もしていない。 野島の一部分であり、そしてまた大宮の一部分であり、時に異性の杉子や武子さえもが、その一部分であるのかもしれない。
人間の深層に宿る真理、普遍の原理原則。
物語に綴られることによって、より深く私の心に沁み込む。

武者小路実篤の、柔和な笑顔を拝み行こう!
70歳からの20年間の余生を、愛する夫人と共に過ごした邸宅(実篤公園)へ。
そして、陽だまりの資料館(武者小路実篤記念館HP)で、氏の人間味溢れる作品の数々に包まれる幸福な瞬間(とき)を過ごしに。


”愛”と”人生”の物語♪
ん〜、☆×5つ!!





実篤公園内に、際立つ白さを輝かせていた”馬酔木(アセビ)”!
その他の写真を、おでかけガイドにも、アップしています!



「白樺とロダン」に行きました。5

調布市にある”武者小路実篤記念館”の開館20周年企画 特別展「白樺とロダン (〜3月21日)」、彫刻の立体的な造作から溢れる”力”を感じたくて、そして”武者小路実篤”なるお方に触れたくて!

ロダンの彫刻は、小粒な作品ながらも、圧倒的な存在感をしっかりと感じてきました。
それでもやっぱり、ある意味そこの部分(ロダンを企画展の冠に博した)の策略に、気持ちいいほどはまってしまったと言わざるを得ない。 それがとっても心地好い!

何故なら、人間としての”武者小路実篤”にすっかり魅せられてしまったから。
その生涯に発表された数多くの文学作品。 実は、ひとつも手にしたことがない圧倒的不勉強について、まずは恥じなければならないのかもしれない!?
早速、その文学作品を手にせねばと肝に銘じたことは勿論、その美術作品に対する造詣の深さにも感服。 そして、40歳を過ぎて、自らの手から繰り出した優しさに満ちた絵画作品。 身近にある野菜や花などの何気ない絵を添えて書き記された短い言葉とともに、1枚の作品全体から溢れる優しさは、ある意味では圧倒的な自己探求の末に導き出された真理なのかしら。

そして、晩年を過ごした「仙川の家」のその家屋と池と庭園と約5,000屬發良瀉倭澗里”実篤公園”として、同じ施設の中に公開されている。 「水のあるところに住みたい」という想いを叶えるべく、昭和30年、70歳の時に居を構えたものであるが、最愛の妻”安子”と、その創作活動に勤しんだ屋敷を目にすることができる幸せ。 圧倒的にその人物に対する興味が高まる。

自らの不勉強さを自覚して、ますます自己鍛錬に励まなくては。
館内と庭園に溢れる緑が心地好い。



*写真を、”おでかけガイド(じゃらんnet.)”に掲載しています♪





実篤「白樺とロダン」表実篤「白樺とロダン」裏
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写真 Canon IXY900IS(since 2006.12.4) & EOS40D + EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM(since 2008.7.23) + EF100mm F2.8 Macro USM(used, since 2008.9.10) + EF-S55-250mm F4-5.6 IS(used, since 2008.9.30) + EF50mm F1.8 供used, since 2009.4.4)

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